Blog. 「クラシック プレミアム 41 ~リヒャルト・シュトラウス~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/7/29

クラシックプレミアム第41巻は、リヒャルト・シュトラウスです。

【収録曲】
交響詩 《ツァラトゥストラはかく語りき》 作品30
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1983年

交響詩 《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》 作品28
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1972年

交響詩 《ドン・ファン》 作品20
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1973年

 

「久石譲の音楽的日乗」第40回は、
譜面の発達 - ポリフォニー音楽の時代

今回もとても難しい講義でした。何度も読みながら少しずつ理解できていくのかなという印象です。

一部抜粋してご紹介します。

 

「前回書いたピエール・ド・ラ・リューという人がポリフォニー音楽を創始したわけではない。その時代には何百、何千人(あるいはもっと大勢か)の作曲家が存在し、時代の潮流として多発的に新しい方法論としてポリフォニー音楽に行き着いた。しかもしれはある日突然始まったものではなく、前後100年くらいの糊しろ、重複期間があった。つまりポリフォニーとかバロック時代という時代区分は後付けでしているだけで、どの時代にも先進的な方法をとる人も、ブラームスのような前からの方法論に固執する人もいてはっきり特定することはできない。ポリフォニー音楽はだいたい中世~ルネサンス時代に盛んだったとされているが、実際にはもっと前にそういう方法で書いていた人がいてもおかしくない。それどころか紀元前の古代ギリシャには和音があったというのだから、モノフォニー(単旋律の音楽)の時代が本当に単旋律だったかどうかさえわからなくなってくる。」

「ついでにいうとグレゴリオ聖歌も、ある旋法に即して作られたものではない。後の時代に研究者がたくさんのメロディーを分析し、ドリア、ヒポドリア旋法などに分類したにすぎない。だからどの旋法にも当てはまらない聖歌は多数存在する。つまりはっきりした音源なり、譜面がないから歴史的資料を踏まえた推定なのである。ここで重要なことは「理論は後からついてくる」ということである。これは覚えておいてほしい。」

「さてポリフォニー音楽は即興的に演奏するのでは成立しない。なんらかの意図を持っていくつものパターンを吟味し、精査し、音を選んでいかなければならない。つまり作曲である。作曲は頭の中だけではできない。構想を練ることはできるが、吟味精査は無理である。ではなぜ可能になったのか? 譜面の発達である。」

「モノフォニー音楽の時代は言葉だけ、あるいは言葉の上下に波のような曲線がまるで小節回しのように書いてあるだけだったが、徐々に横に線が数本引かれ、音符のような黒い物体が音程らしきメロディーの起伏にそって置かれるようになった。後のネウマ譜(グレゴリオ聖歌の記譜法)である。この段階ではまだ4線譜面なのだが、譜面はさらなる進化を遂げていく。そうすると音楽は視覚化され、さまざまな組み合わせを考えるようになる。そして即興的なものと作曲は別のものになり、作曲家が誕生したわけだが、もちろん専業というわけではない。」

「実際、クリスマス・ミサ曲《幼子が生まれた》のオリジナル(というのもはっきりしているわけではないが)は4線譜なのだが、先ほどのラ・リューの残した同曲中〈キリエ〉のテノール・パートの譜面は5線譜になっており、小節線こそないが音程や音の長さははっきりわかる。つまり400~500年かけて表記が発達し、音楽の精度が向上していった。」

「ここはまったく個人的な考えなのだが、ポリフォニー音楽の原点は繰り返す、ということにあったと思っている。つまりカノン(輪唱)だ。人があるフレーズを歌ったとする。それを聞いて遅れて同じフレーズを他の人が歌う。また新たなフレーズが歌われた、それをまた真似て歌う。最もシンプルなポリフォニー音楽だが、同時にこれは世界中の民謡や、祭事の音楽の原点でもある。この繰り返す、ということが今日のミニマル音楽に繋がると言ってしまうと手前味噌か(笑)。」

「ついでにいうと繰り返すのではなく、一つの旋律を複数の声部が歌いながらズレていき、多声部化する音楽がある。日本の声明(しょうみょう)や民族音楽に多く見られるのだが、これはヘテロフォニーといってポリフォニー音楽とは別のものだ。」

「とにかく、このカノンは後のハーモニー(ホモフォニー)時代でも、モーツァルトの交響曲第41番《ジュピター》の第4楽章を持ち出すまでもなく、多くの作曲家が技法の一つとして使用し、十二音音楽のウェーベルンの後期作品でもかなり重要な要素になるのだが、話を戻そう。」

「最初はただ遅れて繰り返していたのだが、そのうち言葉の問題などもあり、音程やリズムが微妙に変化していった。やがてそれらは独立した別の声部として歌われるようになった。もちろんそれはネウマ譜によって記録されていくのだが、この単体から複数になることはものを考える上で大変重要だ。」

「つまり一つのものを提示されたとき、人はそれを受け入れるか否か、あるいは興味の対象外かの反応しかない。要するに好きか嫌いか無関心である。だが、2つ提示されるとそれぞれの関係性や意味などを考えなければならない。そこに、あーなればこうなる、といった論理性が生まれる。論理は時間軸の上で成り立つがそれを俯瞰するためにも空間的な視点が必要だ。いや、逆か。ポリフォニー音楽という立体的(空間的)表現をするためにも、譜面という時間軸を基準とした書き物でその因果関係を確かめる・・・・・なんだか難しくなってきた。続きは次回で。」

注)
ポリフォニー音楽:複数の声部が独立して動く音楽。
ホモフォニー:主旋律の声部と伴奏の和音をなす声部からなる音楽形態。

 

とても難しく、頭の中が聞きなれない言葉でグルグル回っています。モノフォニー・・・・ポリフォニー・・・・ホモフォニー・・・・さらにはヘテロフォニー・・・・??

実際に「この曲はポリフォニーです。これはヘテロフォニーです。」などと、音楽を例に聞きながらではないと違いがいまいち楽典だけではわかりません。そして読み進めながら気になった箇所(ばかりではありますが)が、

「ついでにいうと繰り返すのではなく、一つの旋律を複数の声部が歌いながらズレていき、多声部化する音楽がある。日本の声明や民族音楽に多く見られるのだが、これはヘテロフォニーといってポリフォニー音楽とは別のものだ。」

 

今回の内容をさらに一層奥深く難しくする箇所だったのですが。これを読みながら浮かんだのが、『かぐや姫の物語 ~女声三部合唱のための~』という楽曲です。詳しい曲解説は、ディスコグラフィーをご覧いただくとして。

Disc. 久石譲・高畑勲 『かぐや姫の物語 ~女声三部合唱のための~』

かぐや姫の物語 ~女声三部合唱のための~

 

楽曲レビューには、「まさに日本語による”ミニマル合唱” “ミニマルコーラス” “ミニマルクワイア”という新しい息吹きが吹きこまれた楽曲である。」なんて書いていたのですが。この楽曲はミニマル手法が施された楽曲であることは間違いありません。

そのうえで、上のエッセイ内容に照らしあわせたときに、この曲はポリフォニーの分類されるのか、はたまたヘテロフォニーなのか。。。そんなことを悶々と考えておりました。

 

映画『かぐや姫の分類』の公開から1年後に新たに誕生した合唱版。そのいきさつや想いも語られていない作品ではありますが、ぜひ楽典的にもどういうアプローチをした作品だったのか、そんなことを久石譲ご本人からいつの日か聞ける日を夢見て。

 

クラシックプレミアム 41 リヒャルト・シュトラウス

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