Blog. 「NCAC Magazine Vol.1」(長野市芸術館) 久石譲インタビュー内容

Posted on 2016/5/3

長野市芸術館 広報誌 「NCAC Magazine Vol.1」(4月1日発行)に久石譲のインタビューが掲載されています。

5月8日に迫った長野市芸術館のグランドにオープンに向け、芸術監督としての久石譲のインタビューです。グランド・オープニング・コンサートでの演奏予定プログラムについて、さらに長野市芸術館のために書き下ろされる新作「祝典序曲」について、とても内容の濃い充実したインタビューとなっています。

 

久石譲 長野市芸術館 インタビュー

日常に音楽を。

さまざまなジャンルの音楽・芸術を、長野から発信。長野市芸術館が特別編成する室内オーケストラ「Nagano Chamber Orchestra」の立ち上げ、夏の長野を芸術で彩る音楽祭「アートメント NAGANO」の開催により、みなさんが音楽・芸術と身近に接することのできる機会を創出します。「そこに行けば何かがある」。期待に胸躍るような長野市芸術館を創造します。

長野市芸術館 芸術監督 久石譲

 

音楽を日常にする第一歩
~久石譲に聞く「グランドオープニング・コンサート」への思い~

「杮落としの公演には、プログラム1つとっても、ホールの今後を見据えた姿勢が表れると思います。長野市芸術館のグランドオープニング・コンサートにも、それを打ち出したいと考えました」。

当ホールの芸術監督・久石譲に、杮落とし公演について話を聞いたとき、彼はまずこう語った。一見当たり前に思える言葉だが、そこには、この著名音楽家が、ホールの方向性に自らの考えを反映させる意志が表れており、ひいては長野市芸術館が、従来の公共ホールにはない個性をもった、唯一無二の存在に成り得ることが示唆されている。

過去の事例を見てきて思うのは、”ホールには顔となる人物が不可欠であり、しかもその人物が明確な方向性を示してこそ出し物が生きる”ということだ。そうでない場合は、たとえ人気アーティストの公演に行っても、ラインナップが輝きを放たない。また、顔となるのは概ねクラシック畑の作曲家や演奏家、あるいはプロデューサー的な人物だが、個々の専門分野や嗜好性にこだわり過ぎれば、聴衆の層が限られてしまう。特に公共のホールえは、明確な方向性と同時に絶妙なバランス感覚が必要となる。

久石譲は、作曲家、指揮者、演奏家であり、プロデュースも手掛けている。作曲家としては、宮崎駿監督の”ジブリアニメ”や、北野武、山田洋次監督などの映画音楽に携わると同時に、クラシック系の現代曲の作品を創作し、オーケストラでは自作や現代曲も古典も指揮する。さらには室内楽に取り組み、ピアノを弾き、コンサート・シリーズも企画する。こうした広い視野と最前線での豊富な経験を有する人物が、ホールの芸術監督を務め、自らの考えを反映させるのは、日本初と言っても過言ではない。それが、長野市芸術館が唯一無二の存在と成り得るゆえんだ。

コンサート全体について、久石はこう話す。

「オープニングですから、やはり希望があった方がいい。そこでチャイコフスキーの交響曲第5番をメインに選びました。この作品は、いわゆる”闘争から勝利へ””苦悩から歓喜へ”という明快な構造をもっています。それはベートーヴェンの『運命』や『第九』に通じるもの。しかも10数年前、僕がオーケストラで交響曲の全曲を指揮した最初の作品ですので、新たなスタートにも相応しいと考えました。それと自分は現代の作曲家ですから、いま活躍している作曲家の作品をきちんと演奏したい。そこで選んだのがアルヴォ・ペルトの交響曲第3番です。また、自分が書く『祝典序曲』については、いま(3月中旬)スケッチ段階ですが、(本領である)ミニマル・ミュージックをベースにしながら、世界中のオーケストラが演奏できる、3管編成で7~8分の曲にしたいと思っています」。

ここに彼の持ち味(の一部)が反映されているのは言うまでもない。演奏は、在京オーケストラの最上位に位置する読売日本交響楽団。これまで久石が、2回の「第九」をはじめとするベートーヴェンの交響曲や、ショスタコーヴィチ、オルフなど数々の作品を指揮してきた、信頼の厚い楽団のひとつである。

「素晴らしいオーケストラであり、日本を代表する存在なので、オープニングに相応しいと考えました。それに私がクラシックの現代曲として書いた作品を数多く演奏してもらっているのも、出演をお願いした理由のひとつです。先日も読響の弦楽器陣を主体としたメンバーと録音を行ったのですが、難しい譜面を渡しても即座に理解してくれますし、ありがたいほどの信頼関係ができています」。

読響が元来ゴージャスでスケールの大きなサウンドが特長だが、近年さらにパワーアップし、アンサンブルの精度と表現力を増している。充実著しい同楽団ならば、新ホールの響きを十全に満喫させてくれるのは間違いない。

 

プログラムを詳しく見ていこう。演奏順にまずは自作の「祝典序曲」(長野市芸術館委嘱作品)から。これは技術的に難しい曲になる可能性が高いという。

「自分が振れないかもしれない(笑)。ミニマル系の音楽は”ズレ”がポイントですから、フレーズで考えるのではなく、8分音符は8分音符、16分音符は16分音符の正確な音価でとっていかなくてはいけません。それはポップスでいう”グルーヴ感”に近いものです。ただ日本のオーケストラはこのような曲を演奏する機会がないので、上手くいかない。従って例えばジョン・アダムズの曲がなかなか取り上げられない。自分の中で最大の課題は、世界では当たり前になっているような音楽に取り組んでいくことであり、今回もそうした曲を書くつもりです」。

前記のように、読響は難曲にも対応できるオーケストラだ。

「この前読響で僕のコントラバス協奏曲を演奏したとき、メンバーが『今年最大の危機。1回落ちたら絶対に戻れない』と言っていたとの話を、後で聞きました(笑)。今回は難度が最大級になりそうですが、もちろん心配ありません。ただ一方で、通常よりも苦労せずに演奏できる曲にしたいとの思いもあります。祝典序曲というのは、ショスタコーヴィチの作品のように、吹奏楽で普及するケースもあるので、それも考慮に入れながら、演奏可能な範疇に収めたいなと」。

同曲は、当然グランドオープニング・コンサートが世界初演。作品自体もむろん楽しみだし、新たな音楽が誕生する瞬間に立ち会う喜びは大きい。

ペルトの交響曲第3番は、1971年に書かれた3楽章の作品。久石は昨年、信頼するもうひとつのオーケストラ、新日本フィルのコンサートで指揮している。

「ペルトはエストニア出身で、若い頃はいわゆる”現代音楽”を書いていたのですが、複雑になり過ぎたことの反省から、古い教会旋法に戻って、シンプルな表現を目指しました。ですから調性もありますし、基本的なメロディは賛美歌やオラトリオの研究の成果を反映しています。その東欧特有のメロディは、日本人の琴線に触れるもの。24~5分でさほど長くもなく、『こんなにわかりやすいの?』と言われるほど、皆に親しんでもらえる曲です」。

実際この曲は、耳なじみがよく、ピュアな美しさに充ちている。演奏機会の少ない名作だけに、今回ぜひ生で味わいたい。

流麗なチャイコフスキーの交響曲第5番は、リズムを軸にしたミニマル・ミュージックが本領の久石のイメージからすれば、意外な感もある。

「そう思われるかもしれませんが、僕は一方で映画音楽を随分やっています。そちらの方面から考えれば、ロマン派の音楽は抵抗がないんですよ。例えばラフマニノフなどは僕と一番縁がないように見えますが、彼の交響曲第2番は物凄く指揮したい作品なんです」。

ただチャイコフスキーの5番は、「作曲家目線で見ると、成功しているかどうか微妙な曲」だという。

「循環主題(全楽章に登場する第1楽章冒頭の旋律)の扱いが過度で、全体のフォルムが崩れていますよね。多くの指揮者はそれをカバーするために、一生懸命歌い上げるのですが、あまり成功しない。楽章ごとの主題に加えて循環主題があるので、その処理の仕方で曲が全く変わります。一例を挙げると、多くの演奏は第4楽章冒頭の循環主題を朗々と歌います。でもオーケストレーションを見れば、クラリネットが弦に変わっただけで、伴奏の配置は第1楽章の冒頭と全く同じ。なので第1楽章同様に抑えるべきと考えています。あと今回楽しみにしているのは、第2楽章の朗々としたホルン。読響のような良いオーケストラでどうなるのか、僕自身も聴いてみたいですね」。

甘美なメロディとロシア的なロマンに溢れたこの曲は、オーケストラを初めて生で聴く人が醍醐味を知るに最適だ。しかも今回は、作曲家=久石ならではのアプローチによって、聴き慣れた耳にも清新な演奏が実現するに違いない。読響の華麗な響きと相まって、これは万人必聴の1曲となる。

 

今回は、日本の新作、ヨーロッパの現代曲、ロマン派の作品とカテゴリーの異なる楽曲が並んでいる。これは「意識してのこと」との由。

「日本のオーケストラは、チャレンジできないんですよ。指揮者は毎回結果を出す必要があり、観客も集めないといけない。現代曲を入れようものならお客さんが来ない。それゆえ、これは日本自体の問題でもあるのですが、全員で安全圏を狙っていく。でもクラシック音楽は古典芸能ではありません。過去から現在に繋がり、未来に繋げていかないといけない。すると現代の曲の中から何かを見つけて、きちんと演奏していくことが重要になりますし、『現代音楽祭』と称して特殊な人だけ集めるのではなく、日常で普通に聴かせる必要があると思うのです」。

つまり「序曲、協奏曲、交響曲」という定型プログラムの中にも、”今日の音楽”を入れることが大事になる。

「そうしないと日本の作曲家なんて育たないですよ。”現代音楽”の特殊閉鎖社会だけでやっていたら、それで終わり。僕は『ベートーヴェンと並ぶことの苦しさを知るべきだ』と言いたい。名曲というのは、長い時間ふるいにかけられた末に生き残っている音楽です。その曲と自作が並ぶのは、なかなかキツい。でもそうした体験をしていかないとガラパゴス状態になってしまいます。僕は、チャイコフスキーやベートーヴェンと一緒に現代曲に接してもらうことが重要だと考えていますし、できる限り実践していきます」。

これが久石にとっては、指揮をする最大の意義でもある。

「特に長野の場合は、『音楽を観客の日常にすること』が重要になります。日本全国そうですが、おそらくクラシック・ファンが、掃いて捨てるほどいるような状況ではない。その中で、親しみやすい『運命』『新世界』から入る方法もあります。しかし新しい長野市芸術館では、お客さんもピュアな分だけ、現代の音楽を古典と並べて体感してもらう方が、音楽に親しむ早道なのではないかと考えています。そのためにも、自分が指揮し続けなければならないでしょう」。

その第一歩となる本公演にかかる期待は、限りなく大きい。

取材・文:柴田克彦(音楽ライター)

(長野市芸術館 広報誌 「NCAC Magazine Vol.1」より 転載)

 

※広報誌は長野市芸術館の公式サイト内からどなたでもご覧いただけます。
長野市芸術館公式サイト>>>
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長野市芸術館 NCAC Magazine Vol.1

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