Blog. 久石譲 『WORKS IV』 ”アーティメント”を語る ライナーノーツより

Posted on 2014/11/17

10月8日発売された久石譲待望の新作CD「Works IV -Dream of W.D.O.」。この作品は2014年の久石譲音楽活動の集大成的作品と言えます。

いろいろなインタビューでも『WORKS IV』関連で登場していますが、今回は本作品のライナーノーツより貴重な内容をご紹介します。ライナーノーツの解説は、久石譲作品ではおなじみの、『ジブリ・ベスト ストーリーズ』でも興味深い考察で久石譲音楽を紐解いていた、サウンド&ヴィジュアル・ライター 前島秀国さんです。

 

”チーム久石”による”本物”の”アーティメント” - 久石譲『WORKS IV』に寄せて

久石譲が、実に9年ぶりとなる『WORKS 』シリーズの最新作『WORKS IV』を完成させた。これはいったい何を意味しているのだろうか?

著者が認識している限りでは、『WORKS』シリーズは磨き抜かれたフル・オーケストラで演奏される最新作、というコンセプトで作られたアルバムである。演奏は9年前の『WORKS III』と同じ、新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ(W.D.O.)。その意味では、今回もシリーズとしての一貫性が継承されているが、そこに聴かれる3つの要素、すなわち①フル・オーケストラ、②最新作、③W.D.O.は、それまでとは比較にならないほど重要ない意味を持っていると言えるだろう。

まずは①のオーケストラ・サウンドについて。
1997年の『WORKS I』が、常設オケをサウントラ演奏に初めて起用した『もののけ姫』の劇場公開からわずか3ヶ月後にリリースされたというのは、今から考えると大変象徴的な事実である。偶然にも、著者は『WORKS I』発売時に久石とインタビューする機会を得たが、その時に彼が「ほぼ2年間にわたってオーケストラというものと格闘してきた。そこを是非聴いていただきたい」と熱く語っていたのが大変に印象的であった。その後、彼の音楽活動--作曲家としても演奏家としても--において、フル・オーケストラが占める割合がにわかに増大していったのは、久石ファンのリスナーなら周知の通りだろう。その論理的な帰結が、2000年から始まった自作の指揮活動と、2009年から本格的に始めたクラシック指揮者としての活動である。

指揮活動をきっかけにして、久石はバッハ、ウィーン古典派から現代のジョン・アダムズやアルヴォ・ペルトに至る約300年のクラシック作品をあらためて学び直すことになった。当然のことながら、そこで得られた成果や方法論は作曲家としての久石の音楽にもフィードバックされるし、久石がフル・オーケストラで自作を指揮する時は、そうしたクラシック作品が演奏上の判断基準の尺度として用いられていることになる。

映画音楽というエンタテインメントは、セリフ、効果音、音楽に要求される尺の長さなど、さまざまな制約が存在するため、必ずしもクラシック作品と同じ方法論で作曲するわけにはいかない。しかし、いったんその音楽をコンサートという空間で演奏するとなれば、クラシックの古典曲と並んで演奏されても何ら恥ずべきところがないところまで完成度を上げるというのが、現在の久石のスタンスである。この点において、久石は9年前の『WORKS III』の頃とは比較にならないほど、高い完成度を自作のオーケストレーションに求めるようになった。別の言い方をすれば、演奏会用作品というアートのクオリティを保ちつつ、映画音楽というエンタテインメントを演奏していくのである。これを久石自身は”アーティメント”(=アート+エンタテインメント)(アートメント)と呼んでいるが、『WORKS IV』は、これからの久石の音楽活動の中で重要な位置を占めていくであろう”アーティメント”の方法論を高らかに宣言したアルバムなのである。

次に②の最新作について。
本盤には、久石が2013年に手がけた宮崎駿監督『風立ちぬ』と高畑勲監督『かぐや姫の物語』の音楽が含まれている。ここに至るまでの道程、すなわちスタジオジブリの前身であるトップクラフト時代に制作された『風の谷のナウシカ』から数えると実に30年もの時間が経過しているわけだが、その時間は4歳からヴァイオリンを始めた久石の音楽人生全体の約半分を占めるばかりか、彼の音楽をリアルタイムで享受してきた我々リスナーにとっても大きな意味を持っている。難しい言い方をすれば、久石がスタジオジブリ作品のために書いた音楽と、我々自身が歩んできた同時代性は、もはや両者を分けて考えることが不可能なほど、のっぴきならない密接な関係を結んでいるのである。そうした観点から『風立ちぬ』と『かぐや姫の物語』を改めて聴いてみると、単に2大巨匠の最新作の音楽が聴けるという喜び以上の、ある”歴史の重み”を感じ取ることが出来るはずだ。その重みに相応しいオーケストレーションを施されて演奏されたのが、本盤に聴かれる『風立ちぬ』と『かぐや姫の物語』の組曲と言っても過言ではない。

それら2本のジブリ作品に加え、本盤には日本映画界の至宝というべき山田洋次監督の『小さいおうち』の音楽も収録されている。2013年の1年間に、久石がこれら3巨匠の監督作を立て続けに作曲したこと自体、もはや驚異と呼ぶほかないが、別の見方をすれば、それは現在の久石の立ち位置、すなわち日本映画全体において欠くことの出来ない最重要作曲家という位置づけをこの上なく明瞭に示している。そうして、非常に興味深いことに、これら3巨匠の作品は--作品の持つ世界観や物語はそれぞれ異なるにしても--日本人が歴史の中でどう生きてきたか、つまり「生きる」というテーマを共通して描いているように思われる。

いったんこのことに気づくと、戦犯死刑囚とその妻が懸命に生きようとする姿を描いた『私は貝になりたい』にしても、あるいは魔女の見習い・キキが都会の中で独り立ちしていく姿を描いた『魔女の宅急便』にしても、上記3本の作品と同様、「生きる」というテーマを共有していることがわかる。従って、『WORKS IV』は、その「生きる」というテーマを5通りに変奏した変奏曲集、もしくは「生きる」という循環主題によって組み立てられた5楽章形式の交響曲と捉えることも可能であろう。それを表現していく上で欠かせないのが、言うまでもなくオーケストラという演奏者の存在である。

そして③のW.D.O.について。
本盤の録音と並行する形で開催されたコンサート「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2014」は、W.D.O.としては久石と3年ぶりの共演、新日本フィルとしては2012年の「ペンション・ファンド・コンサート “アメリカン・ミュージック・ヒストリー”」以来2年ぶりの再会となったわけだが、W.D.O.結成からちょうど10年という節目の年の共演において、久石とW.D.O.が到達した演奏の完成度の高さは、もはや圧倒的としか表現のしようがなかった。久石自身はそれを「細胞が喜ぶオーケストラ」と呼び、メンバーのひとりは「これほどの自発性と喜びをもって、久石さんの音楽の演奏に臨むオーケストラは他に存在しない」と自信のほどをのぞかせる。まさに一期一会のアンサンブルというべきだろう。

10年前ならいざ知らず、クラシック業界を取り巻く現在の厳しい環境の中で、大編成のクラシック作品をスタジオ録音することは世界的にも非常に困難になっている。現在、商業発売もしくは配信されているフル・オーケストラ録音のほとんどが、ライヴ録音という形態を採っているのはそのためだ。そんな厳しい状況の中で、久石はアルバムとしての完成度を追求すべく、リハーサルから2回の本番演奏会まですべての演奏を収録し、その中から選りすぐったベスト・テイクを今回の『WORKS IV』に収録するという手法に挑んだ。一般的に言って、クラシックの常設オーケストラはリハーサル段階からアルバム・クオリティの演奏を要求されることを好まない。本番演奏会でベストを尽くすこと考えると、それだけ負担が大きくなるからである。しかしながら、W.D.O.は久石が求める”本物”のオーケストラ・サウンドを『WORKS IV』に収めるべく、敢えて演奏会本番の負担になることも恐れずに、全力を尽くして録音に臨んだ。メンバーのひとりの言葉を借りれば、「これだけの作曲家を前にして演奏するのに、どうして全力を尽くさないでいられようか」という、W.D.O.の熱意があればこそである。その熱意はオーケストラだけでなく、リハーサル段階からベスト・テイクを収めようと奮闘した録音チームをはじめ、舞台裏で演奏を支えた裏方のスタッフ全員に共有されていたと言っていいだろう。

そうした人々、すなわち”チーム久石”が一丸となり、”本物”の”アーティメント”を追求すべく全力を挙げて完成させたのが、すなわち『WORKS IV』というアルバムに他ならない。久石の最新作3本の音楽を含む本盤は、今後の久石の音楽活動を語っていく上で必ず引き合いに出されるであろう、重要なマイルストーンとなるはずである。

(「WORKS IV -Dream of W.D.O.」ライナーノーツ より)

 

とてもわかりやすくまとめてあり、さすがプロだなと思ってしまいます。また久石譲の30年以上にも及ぶ音楽活動をふまえながら、時代ごとの出来事やマイルストーンも紹介しながら深く紐解かれているので、このライナーノーツがすべてを語ってくれている、と唸ってしまうほどの説得力です。言葉によって伝えることの大切さ、とは、こういうことでもあるのでしょう。

久石譲自身も別の機会でそのようなキーワードを語っています。

なんの先入観もなくただCDを聴いてその音楽を楽しむのはもちろん、こういった言葉による”解説・背景・考察”を知ることで、より聴き方が変わってくると言いますか、聴く姿勢が変わってくると言いますか。

言葉によって伝えることの大切さ、とは、つまりは『動機付け(好奇心への)』だと思うのです。作品をより深く知るための味わうための情報や知識。興味を持つきっかけであり、紐解き掘り下げたくなる好奇心。

この「久石譲ファンサイト 響きはじめの部屋」も、久石譲の音楽を深く味わうためのきっかけになればと、あえて?!忠実に書き起こしをさせてもらっています。

(なんの宣言!?)

このライナーノーツを読んでいると、また『WORKS IV』が聴きたくなってきます。新しい聴き方、そして新しい出会いや発見があるかもしれません。

 

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