Blog. 「文藝春秋 2013年1月号」 久石譲、宮崎駿を語る

Posted on 2015/2/4

「文藝春秋 2013年1月号」は創刊90年記念号の新年特別号となっていました。

特集が『激動の90年 歴史を動かした90年』あらゆる分野、あらゆる時代、各界から、日本の歴史を動かした90人が紹介されています。その特徴として、選ばれた90人に対して、それぞれの人と関係の深い人が紹介、およびその人を語る、という内容です。

90人のなかの一人として映画監督の宮崎駿さんが挙げられ、その人物について語ったのが久石譲でした。

 

宮崎駿 タフな少年 / 久石譲(作曲家)

世界的なアニメーション作家、宮崎駿(71)と作曲家、久石譲(62)との出会いは、関係者をして「幸せな事件だった」と言わしめている。宮崎を「人生の兄」と慕う久石氏が芸術家同士の関係を語る。

(以下、全文 久石譲 談)

『風の谷のナウシカ』に始まり、『となりのトトロ』『千と千尋の神隠し』『崖の上のポニョ』など、僕は宮崎さんに多くの音楽を書いてきました。

宮崎さんとは1983年夏、阿佐ヶ谷にあった「ナウシカ」準備室で初めてお会いしました。少年のような目をしている人だ、というのが第一印象です。映画のシーンの説明に入ると、「これが腐海で、これが王蟲で」と夢中になって熱く語るので、こちらも熱くなったことを覚えています。

一人の監督と音楽家が長く続くケースは珍しいのですが、宮崎さんと僕は30年続いています。ほとんど、奇跡だと思います。

長続きしている理由として一つ思うのは、宮崎さんと僕は過去の作品の話を一度もしたことがない、二人ともいま作っている作品にしか興味がないという点です。

また宮崎さんのファンタジーなところと、自分の書く音楽は最初から一致しているところがありました。『トトロ』にしても『もののけ姫』にしても舞台は日本なのですが、宮崎さんは日本をそのまま再現するようなことはしません。必ず宮崎さんのフィルターを通した世界を表現しています。どこの国ともいえない、どこかなつかしい世界ですが、その部分と僕の書いている音楽が一致したようです。一致させようとしなくてもストレートにマッチングしたのだと思います。

プロデューサーの鈴木敏夫さんは、こんなことを言っています。

「あの二人が長く続く理由は、一緒に飯食ってない、飲みにも行っていないからだ」

僕は宮崎さんと個人的なつきあいをしたことがありません。飲んだり、食べたりという、いわゆる”人間的なつきあい”をせず、ひたすら仕事で関わってきました。クリエイティブな仕事に関わる人間ほど、精神的なスタンスを取る必要があるのかもしれません。『もののけ姫』を構想していたころの宮崎さんは、社会のあり方に最も憤っていた時期でした。

「いま子供たちに向けて何をテーマに作るべきなのかが見えて来ない」という発言もしています。そんなとき、宮崎さんの尊敬する作家、司馬遼太郎さん、堀田善衛さんとの鼎談が実現しました。その鼎談によって、宮崎さんは今後、作家として何をやるのか、見えてきた部分があったのではないでしょうか。実は、僕は司馬さんの本をあまり読んでいなかったので1年間で100冊近く読みました。『もののけ姫』の奥深いところに司馬さんの見方、考え方があるのでは、と思ったからです。

ものを創る仕事をしていて一番難しいのは、人に見てもらうエンターテイメントの部分と、作家性の部分にどう折り合いをつけるか、ということです。宮崎さんは人に見てもらうということを絶えず意識したうえで、作家性を出す、このせめぎ合いが実に絶妙なバランスで成り立っているんですね。

映画を作っていく過程には膨大な作業があります。例えば東京を背景にする場合、実写だとどうしても余計な看板や電柱が入りますが、アニメーションはそれらを消すことができます。そこに自分の持っている心象風景を作り込むわけですが、その分、ありとあらゆることに神経を張って作らなくてはいけない。そのプレッシャーたるや相当なものだと思います。なおかつ、これだけ世界中の人に注目されている。そのプレッシャーの中で毎日、こつこつと絵コンテを書いてやっていく。それも2年という時間をかけて。この精神的なタフさみたいなものを考えると、僕にはとてもできません。

宮崎さんとは30年間、ずっと同じスタイルでやってきました。会えば必ず宮崎さんが少年のような目をして、この作品をどうしようか、ということを熱く語ってくれます。『ポニョ』のときはその話を聞きながら「ソーミ、ドーソソソ」と、『ポニョ』のエンディングテーマのメロディが浮かんだこともあります。

多くの人は僕と宮崎さんは「コンビを組んでいる」と勘違いをしているようですが、そうではありません。僕は一作、一作、全力投球して曲を書き、宮崎さんが新しい作品をつくるときに「音楽は誰にするか」を考え、たまたま指名してもらっているだけです。

いまこうして宮崎さんのことを話していても、意識の中ではずっと宮崎さんとつながっています。この緊張が切れたら一緒に仕事をしていけなくなってしまうでしょう。4年間に一度ずつの仕事ですが、絶えず次に何が来るか。そのとき音楽家として選ばれたいという気持ちがあります。そのためには勉強しなくてはならない。これだけの緊張をして、自分の全生涯を賭けても追いつけない大変な監督です。

(文藝春秋2013年1月号より 書き起こし)

文藝春秋 2013年1月号

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