Disc. 久石譲 『室内交響曲第2番《The Black Fireworks》〜バンドネオンと室内オーケストラのための〜』 *Unreleased

2017年10月24日「久石譲 presents ミュージック・フューチャー vol.4」にて初演。

室内交響曲第2番《The Black Fireworks》〜バンドネオンと室内オーケストラのための〜 
1. The Black Fireworks / 2. Passing Away in the Sky / 3. Tango Finale
初演:2017年10月24日 よみうり大手町ホール
演奏:久石譲(指揮)、三浦一馬(バンドネオン)、フューチャー・オーケストラ

 

バンドネオンでミニマル!というアイデアが浮かんだのは去年のMFで三浦くんと会ったときだった。ただコンチェルトのようにソロ楽器とオーケストラが対峙するようなものではなく、今僕が行っているSingle Trackという方法で一体化した音楽を目指した。Single Trackは鉄道用語で単線ということですが、僕は単旋律の音楽、あるいは線の音楽という意味で使っています。

普通ミニマル・ミュージックは2つ以上のフレーズが重なったりズレたりすることで成立しますが、ここでは一つのフレーズ自体でズレや変化を表現します。その単旋律のいくつかの音が低音や高音に配置されることでまるでフーガのように別の旋律が聞こえてくる。またその単旋律のある音がエコーのように伸びる(あるいは刻む)ことで和音感を補っていますが、あくまで音の発音時は同じ音です(オクターヴの違いはありますが)。第3曲の「Tango Finale」では、初めて縦に別の音(和音)が出てきますが、これも単旋律をグループ化して一定の法則で割り出したものです。

そういえばグラスさんの《Two Pages》は究極のSingle Trackでもあります。この曲から50年を経た今、新しい現代のSingle Trackとして自作と同曲を同時に演奏することに拘ったのはそのためかもしれません。

全3曲約24分の楽曲はすべてこのSingle Trackの方法で作られています。そのため《室内交響曲第2番》というタイトルにしてはとてもインティメートな世界です。

また副題の《The Black Fireworks》は、今年の8月福島で中高校生を対象にしたサマースクール(秋元康氏プロデュース)で「曲を作ろう」という課題の中で作詞の候補としてある生徒が口にした言葉です。その少年は「白い花火の後に黒い花火が上がってかき消す」というようなことを言っていました。その言葉がずっと心に残り、光と闇、孤独と狂気、生と死など人間がいつか辿り着くであろう彼岸を連想させ、タイトルとして採用しました。その少年がいつの日かこの楽曲を聴いてくれるといいのですが。

久石譲

(「ミュージック・フューチャー vol.3」コンサート・パンフレット より)

 

 

さて、久石譲新作「室内交響曲第2番《The Black Fireworks》~バンドネオンと室内オーケストラのための~」について。単旋律の音楽ということで、約27分全3曲一貫した単旋律で構成されています。

単旋律というキーワードを掘り下げたときに、「Single Track Music 1」(吹奏楽版・2014年)「Single Track Music 1」(サクソフォン四重奏と打楽器版・2015年/「Minima_Rhythm II」CD収録)があります。この作品を聴いたときに、なにか新しい挑戦がはじまった布石のような作品かもしれない、と少し時間が経過してから思った記憶があります。このSingle Track(=単旋律の音楽、線の音楽)が久石譲のなかでも大きなテーマのひとつになっていることを今回パンフレットでも感じとることができました。

単旋律について多くを語ることができません。なにが醍醐味でなにが組み立ての妙で、という専門的なことがまったくわからないからです。パンフレット久石譲解説と、「Singe Track Music 1」の吹奏楽版久石譲解説、CD作品「ミニマリズム2」評論家による専門的解説の項を読んでいただき、理解を深めていただければ幸いです。

 

今言えること。約27分にも及ぶ長大な単旋律にもかかわらず、決して単調とも単純とも思うことの絶対にない豊かで広がりのある作品。この先どんな展開をしていくのか気になって仕方のないあっという間の時間。単旋律ながら広がり奥ゆき厚みのある立体的な音楽。不思議な迫力です。

三浦一馬さんのバンドネオンも相当な演奏難易度だったと思います。張り詰めた緊張感と真剣なる熱演。久石譲指揮とオーケストラ奏者、ステージ全体が気迫に包まれそのエネルギーだけでも圧倒されてしまうほど。「今自分たちが届けたい音楽はこうだ!」と野心と確信にみなぎったオーラで、それはまさに狂気。

なにか不思議な魅力を感じます。とても個人的な解釈だけでもって言葉にすることを許されるならば。始点と終点がわからない魅力、待ちうける展開の魅力。単旋律ということはハーモニーがない、和声がないということですよね(ここが間違っていると根底から覆される)。どこまでも1本の旋律であり多声の伴奏や対旋律のない音楽。メロディやコード進行がはっきりしているということはその音楽の起承転結がわかりやすいということです。小学校の「起立・礼・着席」をピアノで伴奏することもコード進行のひとつです。全3曲ともにパートが展開しているはずなのですが、どこが始点かどこが終点かわからない。次につながる展開もよめない。フィリップ・グラス「Two Pages」は4-5音からなる基本音型(モチーフ)があってそれが伸縮展開していくわけですが、久石譲作品は単旋律が様々な装いでおり重なっているように聴こえます。実に入りくんでいる、実に難しい、としか言えないのです。

実際に鳴っている楽器や音色はとても緻密で細かく配置され豊かな世界を構築しているのだけれど、別の見方をすると全体を大きく太い線1本で貫かれているような。そして、普段耳にする多くの音楽が複旋律・多声音楽(ポリフォニー)であり、それぞれが独立した旋律をもつことで音楽三要素のメロディ・ハーモニー・リズムがつくられ、メロディと異なる伴奏や対旋律によって奏でられているとしたときに。これはすごい!と思うわけです。単旋律でメロディ(モチーフ)を奏でることはもちろん、分散和音のように音を散らすことやおり重なり交錯するフレーズでハーモニー的響きを錯覚させ、ズレや変化によってグルーヴ感のあるリズムを生み出す。もしあまりにも見当違いな勘違いをしていないのならば、これはすごい!と思うわけです。

こういう音楽って聴き飽きることがないだろうな、とまたすぐにでも聴きたい衝動にかられます。ループのようでありエンドレスのようであり、でも同じところをぐるぐる廻っているわけではなく螺旋のように上昇下降と展開をもった音楽。単旋律って日本固有の響きとしても親和性があるのかなあ、そんなことも頭をかすめたりしますが、今感覚だけで語るのはここまで。ぜひ1年越しにCD化されるならば、そのときにまたしっかり向き合って聴き楽しみたい作品です。

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そして、自作の新作については、興味深いコメントも。これは自分が勝手にそう思ったそう捉えたということだがとことわったうえで、サマースクールでの生徒の言葉が副題となった「白い花火の後に黒い花火が上がってかき消す」、東日本大震災を経験した彼の発したこの言葉にいろいろと思いずっと心に残っていた、というようなことをおっしゃっていました。また、パンフレットでは約24分となっていますが、おそらく27分くらいあります、とも。サマースクールについては下記インフォメーションも発信していますのでぜひご覧ください。

Blog. 「久石譲 presents ミュージック・フューチャー vol.4」 コンサート・レポート より抜粋)

 

同シリーズコンサートは開催1年後にライブ音源化されることが慣例となりつつある。この作品もCD化される日がくること願っている。

 

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