Overtone.第9回 「ヴィオラ協奏曲/ウォルトン」 ~ヴィオラが主役 II~

Posted on 2017/05/22

ふらいすとーんです。

「ヴィオラと管弦楽のためのロマンス ヘ長調 作品85」は聴いてくれましたか?

 

僕はというと。

動画サイトですぐに簡単になんでも聴けてしまうことを推奨しているわけではありません。それをきっかけに何を感じとってどう行動するかのほうが大切なように思います。好奇心旺盛に音楽を浴び、自分のなかの音楽感性が変化していることを実感できる、自分のなかの音楽が豊かになる。そんなきっかけにのひとつになるならこういったツールもすべてが悪だとは思わないと、緩いかもしれませんがそう思っています。

もちろんありがたくも手軽に聴くことができた音楽やアーティストに対して、リスペクトを忘れずに耳を傾ける必要はあります。節度やモラルも大切です。その恩恵をどうアーティストに還元するか。

2017年1月に開設された「久石譲公式YouTubeチャンネル」で初めて「エレクトリック・ヴァイオリンと室内オーケストラのための《室内交響曲》抜粋」を聴いた人も多いと思います。それをきっかけにCD作品「MUSIC FUTURE 2015」を買った人もいるかもしれません、2017年10月開催予定「久石譲 presents ミュージック・フューチャー Vol.4」コンサートに足を運んでみようと胸躍らせチケットを購入した人もいるかもしれません。いや、きっといると思います。このサイクルこそが尊い、音楽がつながっていく大切な循環のような気がします。次回の公式アップ曲も楽しみですね♪

 

 

前回「Overtone.第8回 ヴィオラと管弦楽のためのロマンス/ブルック」 で、作品の魅力はもちろん弦楽器ヴィオラについてお話を進めました。今回はまた全く趣の異なるヴィオラ作品をご紹介します。9枚組CDを買ったことがきっかけで、音楽が運んできてくれた幸運な出逢い、きっと知ることも聴くこともなかったであろう、そんな逸品です。

ウィリアム・ウォルトンという作曲家、僕は初対面でした。エルガーやホルストの影に隠れてしまいがちのようですが、イギリスを代表する音楽家とあります。

「同時代のさまざまな音楽をたくみに吸収・消化し、新鮮かつ大胆なリズム・和声を用いて表情豊かで親しみのある作品を生み出した。豊かな情感と壮大で雄渾多感な表現を好んだこと、明晰な調性感を好んだことから、新ロマン主義の作曲家と見なしうるが、客観的で端正な表現をよしとする新古典主義音楽の発想にも洗礼を受けている。」(ウィキペディアより)

なるほど。

ウォルトンは映画音楽界でも確固たる地位を築いた人で、手がけた映画音楽を抜粋・編曲して別作品へと大きく改作した「スピットファイア 前奏曲とフーガ」が有名とあります。映画『スピットファイア』の音楽は大変高い評価を獲得したことから、公開翌年には演奏会用の編曲を施し作曲者自らの指揮によって初演・録音が行われたそうです。その他、3つの交響曲と、5つの協奏曲、室内楽から合唱作品まで幅広く作品を残している、そんな音楽家ウォルトンです。

なるほど。

なんだか、どなたかのお顔が頭のなかで浮かんできそうですが、もう少しこのまま進めます。

 

 

「ヴィオラ協奏曲」は、ある名ヴィオラ奏者のために作曲されたものの演奏を拒否されてしまい、別の名ヴィオラ奏者パウル・ヒンデミットによって無事初演を迎えることのできた作品。第一候補奏者が拒否した理由が「モダンすぎる」という、なんとも当時としては斬新な作品を象徴するような逸話ですね。先駆的で今では重要なレパートリーとして多くのヴィオラ奏者が取り上げ録音も残している、そんな作品です。

1929年作曲・初演、約30年後の1961年に大きくオーケストレーションが改訂されています。元は三管編成(トランペット3本を含む)だったものを、オーケストラの重厚すぎる部分が改められ、また編成にハープが加えられるなどの変更が施さ、現在多くのCD作品や演奏会も含め聴くことができるのは改訂後の1961年版です。

なるほど。

またまた、どなたかのお顔が頭から離れなくなっていますが、もう少しこのまま進めます。

 

 

「とにかくかっこいい!」、鳥肌が立つほどに、うれしくて体のなかの音楽センサーが湧き躍るような感動。表情豊かで親しみやすい旋律、リズムに特徴があるのか躍動感が時代を越えたところの色褪せないビート。それはまるで生理的・快感的ともいえる本能的に喜ぶ鼓動、なのかな。

全三楽章、緩急緩のような編成になっているこの作品。第1楽章と第3楽章はひとまず置いて、ここでは第2楽章にフォーカスします。ぞくぞく身震いするような躍動感で新鮮な感動を与えてくれる第2楽章。リズムのアクセントがすごく独特でとても惹き込まれます。これが楽章全体のグルーヴ感や高揚感に大きく貢献しているように思います。

「シンコペーション:西洋音楽において拍節の強拍と弱拍のパターンを変えて独特の効果をもたらすことを言う。主に、弱拍の音符を次の小節の強拍の音符とタイで結ぶ、強拍を休止させる、弱拍にアクセントを置く、の3つの方法がある。」(ウィキペディアより)

なるほどー。調べていくとウォルトンのそれは、シンコペーション・リズムというらしく、これによって独特の躍動感(ゾクゾク・ウキウキ・ワクワク)を演出していたんですね。例えば一般的な4拍子の曲であれば、頭の1拍目や3拍目でタン・ウン・タン・ウンと標準的なリズムをとります。それをシンコペーションにすると(2拍目の裏)、タン・ウ・ターン・ウンという感じになります。すごく単純稚拙な例えで申し訳ないですが、わかりやすく言うとそういうことだと思います(^^;) そしてこのシンコペーションがリズムパートだけでなく、旋律そのものや旋律アクセントにも複雑ふんだん絶妙に盛り込まれています。ここが”くすぐりどころ”をグッとつかんだウォルトンの得意技のひとつのように思います。

 

そしてもうひとつが、ヴィオラという中音域楽器を主役に迎え入れたときに、管弦楽はどのような構成をとるのか。ヴィオラを前面に引き出すためにどのようなオーケストレーションが施されているのか。ヴァイオリンとは違い高音の突き抜け感がないヴィオラは、やもするとオーケストラに埋もれてしまいます。響きの異なる金管楽器や木管楽器をうまく配置すること、そしてヴィオラを聴かせるパートとオーケストラを聴かせるパートをうまく切り分けて配置することで、ヴィオラ協奏曲としてどっしりとした存在感を得ています。中音域楽器ヴィオラの絶妙な渋さとひきしまった響きが相乗効果となっていて、大人な嗜みを感じる協奏曲です。

三管編成を聴けていないので比較することはできないですが、作曲者自らが二管編成へと改訂したのはまさに大正解だったんじゃないかなと思えるほど切れ味のよい、そしてシンコペーションリズムの効果をいかんなく発揮したフットワーク軽いリズム、跳ねるような躍動感でやみつきになります。

僕はこの作品を、ひそかに、心のなかで、「久石譲の新作としてもおかしくないシリーズ」と呼んでいます。

 

Yuri Bashmet:The Complete RCA Recordings

Disc1
ウォルトン:『ヴィオラ協奏曲』
1. Andante comodo 8:28
2. Vivo, con molto preciso 4:16
3. Allegro moderato 13:11
アンドレ・プレヴィン(指揮)ロンドン交響楽団
録音: 1994年

(以下略)

 

 

2015年4月TV番組「題名のない音楽会」リニューアルにともない書き下ろされた新テーマ曲「Untitled Music」。新司会者でヴァイオリニスト五嶋龍さんと華々しく共演初披露したのが記憶に新しいところです。ヴァイオリンをフィーチャーし楽器の魅力を最大限に引き出した構成と、バリエーション豊かで技術を駆使した奏法、最高のコラボレーションです。

実は前段階でテレビ番組テーマ曲という先入観があったせいか、はじめて聴いたときは「あれっ、すごいけれど、どこがメロディだったんだろう」ととても難解でつかみどころのない印象だったのを覚えています。あまりにもメインテーマという肩書きとは正反対な、その本格的な楽曲の凄みに圧倒されてしまったのです。うん、こういうのをひと言で言うと”なめてかかっていた”ということになり…ごめんなさい!(><) と誰にともなく謝って…次に進みます。

聴くうちになんとも言えない幸福感に満たされる、どんどん体のなかにしみわたっていくような感動の広がり、個人的にもとても印象深い作品です。それは、今までの久石譲新作を聴いたときとは少し異なる、新しい久石譲を感じとったようなふつふつ湧きあがってくる感動にかわっていきました。

もう少し具体的なレビューは作品紹介ページに書いていますので、興味あったらぜひ読んでみてください。オーケストレーションの特徴なんかも感じとったままに書きとめていたと思います。

 

 

 

このレビューのなかに、「テーマ曲としては約3分半の小品として完成されているが、ここからさらにヴァイオリン・コンチェルト(協奏曲)として発展させていってもおもしろそうな、そんな可能性を秘めた作品である。」——なんてことをいっちょまえに書いているのですが。

2017年4月番組司会者交代にともない、番組テーマ曲「Untitled Music」も使用終了となりました。大きく残念半分、大きく期待半分な心境です。毎週聴けなくなったことと、お茶の間にこの曲の魅力がもっと浸透しつづけてほしかったなという想い。もう一方で、テーマ曲から解放されたその先に、新たな発展の機会を得たんじゃないか?!という希望の光が射しこめた瞬間でもありました。

突っ込んで言うと、エンターテイメント音楽「Untitled Music」からオリジナル作品「Untitled Music」へと昇華する可能性ができたのならすごくうれしい!そんな根拠のないふわふわした期待です。たとえばそれは『ヴァイオリン協奏曲 “Untitled Music”』、『Untitled Music for Violin』、『室内交響曲 Untitled Music for Violin and Chamber Orchestra』なんて、想像がすぎるでしょうか。ついつい勝手な空想がふくらんで破裂してしまう悪いクセです(^^;)

既存の「Untitled Music」が楽章形式をとるオリジナル作品「Untitled Music」のいずれかの楽章に配置されるような。もしくは現段階でも核が見事に結晶化されているそれを、各楽章に主題やモチーフを解き放ち全楽章として大きな広がりをもたせる。ここまでくると改訂や再構成という範疇を越えたところ、まさに”大いなる昇華”なんです!

 

 

リスペクトする演奏家、コラボレーションしたいアーティスト、ソリストのために書き下ろされる作品。「Untitled Music」はもちろん五嶋龍さんを念頭に置いていたからこそ生まれた傑作です。同じように「コントラバス協奏曲」もソロ・コントラバス石川滋さんを念頭に創作された”100年後のレパートリーになりうる”作品です。ウォルトンのヴィオラ協奏曲もスタート地点は同じ、重要なヴィオラ作品レパートリーとして今につながっています。こう考えるとソワソワともワクワクともしれない、とても前のめりな感覚におそわれてしまいますね。

・・・・

少し横道にそれますが、久石さんが近年とっているオーケストラの基本編成は二管編成です。2000年代の三管編成でのゴージャスな作品や大規模コンサートを経て、今は古典派クラシックでも主流だった二管編成。もっと言うとベートーヴェンやブラームスの時代、対向配置を念頭に作曲された作品も多く、久石譲指揮の古典クラシック演奏会はもちろん久石譲作品もこの楽器配置が定着しています。

「ベートーヴェンはピアソ・ソナタをつくり、交響曲を書き上げ、必ずそれらを素材として弦楽四重奏曲に取り組んでいる」—というのはなにかの文献で見た記憶。久石さんの言葉だったような気もするのですが不確かなので断定はできません。つまりはその時期取り組んでいる音楽をピアノソロでつくり、オーケストラで拡大し、弦楽四重奏としてエッセンスを削ぎ落とす。無駄なものを排除しても自分のつくった音楽のなかに強い核(素材・モチーフ・コンセプト)があれば成立する、ということの確認作業のようなものなのでしょうか。自らの音楽性の伸縮拡大をくり返すことで核を振るい磨いて、それでもたしかに存在するコアこそが音楽家としての確固たるオリジナル性。すごいサイクルだ。

久石さんのオーケストラ編成の時代変化もしかり、近年の室内楽作品・アンサンブル作品の新作書き下ろししかり。ナガノ・チェンバー・オーケストラもシンフォニー(交響)オーケストラではなくチェンバー(室内)オーケストラですしね。これは古典クラシック音楽が作曲・演奏されていた当時のコンパクトな編成にあわせている側面もあり(結果作曲家と遺された譜面を尊重した忠実なる再現性、作曲家久石譲としての解釈と指揮者久石譲のアプローチ)、今の久石譲が求めている響きや構成とも合致し、それが自作における楽器編成とも共鳴しているような。

世界をみわたせば活躍する現代音楽家もオーケストラとアンサンブルの境界線をクロスオーバーするような少数精鋭な小編成作品が多い傾向だったり。そこにはより一層の音楽としての核を追求しているような、システマティックなロジックというかエッセンスを活かした機能美というか。楽器や楽器セクションひとつひとつの音や表現をシャープにして立体的浮き彫りにしているというか。

なぜ久石さんが今「ジブリ交響作品シリーズ」に取り組んでいるのか。2008年武道館コンサートでの大規模編成から二管編成へと改訂したときに、あの壮大な世界観と広がりを失うことなく一層豊かな表現にも磨きをかける。そして”日本国内・海外でも演奏したい”という多くのニーズに応えるべく、ベーシックなオーケストラ編成で再構築しておくことが、結果未来につながり100年後も多くの演奏機会を得られる作品になる。大規模編成や特殊編成は、作品の秀でた個性こそあれやはり演奏機会は減ってしまいます。オリジナル版を再現できないがために埋もれてしまう、もしくは未来の他者によって都合よく改変されてしまう。これはそうでもして生き残った恵まれた音楽作品という面もあるかもしれませんし、作曲家からするとやはり複雑な思いを未来の天国から抱くのかもしれません。

W.D.O.2017コンサートで、「Asian Dream Song」や「Summer」「HANA-BI」「Kids Return」といった北野作品が弦楽オーケストラで披露されるプログラム予定であることも。すべてオーケストラ編成としても披露されているこれらの作品が、削ぎ落とされた弦楽器とピアノのみでももちろん成立することの確認なのか、新しい響きを示唆しているのか、隠されたアプローチを試しているのか、はたまた未来の室内楽団・弦楽オーケストラのためなのか。そういえば、一番ホットな「Encounter for String Orchestra」(2月ナガノ・5月台北披露)もその変遷をたどれば・・・・。

いけない、少し横道どころか、大きな別の道に流れでそうなので、ここまで。

 

 

いろいろ見方が右往左往してしまいましけれど、何が言いたかったかというと、時代を越えたところで音楽家たちの”共鳴”を感じるということです。ウォルトンの作品をきっかけに聴き・調べ・思いめぐらせ。ソリストのための作曲、改訂、楽器編成、ベートーヴェン、ウォルトン、久石譲、現代作曲家・・・時代を越えたところで音楽家たちが辿るある種の必然性。俯瞰的にみることで”時代の音楽家たちが必ずとおる道”、果敢なアプローチと音楽性を極める過程で生みおとされた作品たち。見えない糸でつながり交錯し共鳴しつづけている、音楽という歴史がもつかけがえのない環のようなものを感じます。

たとえば、「Untitled Music/久石譲」-「ヴィオラ協奏曲/ウォルトン」-「コントラバス協奏曲/久石譲」、こんなふうにつづけて聴いたとしても、自然にその響きに納得するだろうな、そう思います。《久石譲の新作としてもおかしくないシリーズ》と心の中で呼んだのはそういう意味を含んでいたりします。似ている似ていない表面的なところではなく、”共鳴” なにか通じるところがあるように感じたからです。「ヴィオラ協奏曲」をまったく名札なしに「これ、久石譲の新作だよ」と言われて聴かされたら、うんそうかもなと思ってしまうような。

おもしろいですね。実際、似ているかと言われたら似ていないと思います。でも、なにが久石譲であってもおかしくないと感じるんだろう、というところを突きつめていくと逆説的に久石譲音楽の核を少しだけ見つけることができるのかもしれません。僕にはムリなんですけれども。うーん、キャッチャーで一度聴いたら印象的な強いモチーフ、躍動感のあるリズム構成、複雑で奥行きのあるオーケストレーション。このあたりの料理の仕方が久石さんとシンパシーを感じるのかなー…なんて思ったら、これ音楽の三要素(メロディ・ハーモニー・リズム)のことを言っているだけで、まったく専門的に深掘りできていない、撃沈。わかりません!でも感じます!

まだお腹いっぱいじゃなければ、「コントラバス協奏曲」の魅力や近年の久石譲音楽の特徴など過去にまとめたものです。まだお腹いっぱいじゃなければ。

 

 

この人のために作品を書きたい、この人なら私の書く技術的な楽器演奏を具現化してくれる、この人なら私の思い描く作品の魅力を伝えてくれる。一方、この人が書く作品なら自分の技術をいかんなく発揮し自分にしか表現できない楽器の魅力をひき出してくれる。作曲家と演奏家のその時代の一期一会な化学反応によって誕生する作品が「ヴィオラ協奏曲/ウォルトン」であり「Untitled Music」「コントラバス協奏曲」なんだと思うと、音楽のもつ力って本当にすごいなと思います。

エンターテイメント音楽からの改作であろうと、タイアップをもたない自作であろうと、久石さんが作品として世に送り出す音楽が、ひとつでも多く未来につながるといいなと思います。大編成な交響作品、ソリストとのコラボレート作品、研ぎ磨かれた室内楽作品、多彩な特殊編成作品など、バリエーションにとんだオリジナル作品を、これからもひとつでも多く大切に残していってほしいなあと心から思います。そこには必ずミニマル・エッセンスがある、それももちろん大きな要素です。でもやっぱり一番は、音楽構成・楽器編成・素材・モチーフ・コンセプトすべてひっくるめてそこにはっ!”久石譲にしか書けないもの”があるんです(キッパリ!)。

名だたるヴァイオリン協奏曲は数知れずありますがそこに久石譲を感じる響きはない、当たり前ですが。当たり前のことなんですけれど、でもこのスペースこそが今の時代を代表する作曲家のために用意されたかけがえのないスペースだとしたら。こんなことを考えだしたらなにともしれず涙がでそうになります。「Untitled Music」ヴァイオリン・レパートリーとして並列してなんら遜色ないどころか、100年後にもその音楽を高らかに響かせているとしたらなんと素晴らしいことかっ!

 

 

あれっ、「ウォルトン:ヴィオラ協奏曲 / ユーリ・バシュメット」この作品も動画サイトで聴けるようになってるもごもご。CDを買ったときには聴けなかったということでほっと安心。いずれにしても、目的をもって探し出会う曲ではなかったので、CDを手にしたことで音楽が運んできた幸運な出逢いに感謝です。「Untitled Music」ファンにはぜひこの作品の第2楽章(約4分)だけでも聴いてみてほしいな~♪

くどいようですが動画サイトで聴けてしまうことを推奨はしていません。でも!この作品を聴いて久石さんファンとして胸躍るゾクゾク・ウキウキ・ワクワク、鳥肌たつような音楽的快感を得られることを強く推奨しています(^^)♪ 

それではまた。

 

reverb.
ゴールドディスクというきらびやかなCD盤、音質もゴールドなのかな?

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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