第2回:「何かが降りてきたのかも知れないね」

連載 久石譲が挑む「ハウル」の動く音 (読売新聞)
第2回:「何かが降りてきたのかも知れないね」

2003年9月。久石譲は、8月に宮崎駿監督とイメージアルバムの打ち合わせをして以来、絵コンテなどをもとに様々な思いを巡らせていたが、まだ1曲もできていなかった。

しかし、悠長に構えているわけにはいかない。録音までに残された時間は、あと1か月となっていた。

時間だけが過ぎていくなか、久石はスタッフに「静かな場所にスタジオを手配できないか」と持ちかけた。都心を離れ、気分を変えるのは、没頭したい時の「恒例行事」だ。

山梨・小淵沢のスタジオが確保されると、久石は自らハンドルを握り、東京を発った。

道中、渋滞につかまったため、疲れもあったが、到着するなりスタジオに入った。ピアノの前に座り、一息つく。

次の瞬間、音が鳴り出した。まるで知っている曲を弾くように、滑らかに指が動く。監督との打ち合わせ以来、頭の中で巡らせていたイメージが、小淵沢の静寂によって、一気に溢れ始めていた。

作曲のために用意された期間は、14日から24日までの11日間。オーケストラ用の譜面制作などを考えると、なんとしてもこの期間で書き上げなければならないはずだが、久石は「時間はなかっだけど、できなくても仕方ないと思って、構えずに臨んだ」と振り返る。

アイデアを冷静にまとめるために、合宿中は規則正しく過ごした。9時45分に起床し、10時から約1時間の散歩。11時30分にブランチを取り、12時30分にスタジオ入り。以降、18時まで、トイレ以外一歩も出ることなく作曲。夕食後、19時から再開し、午前0時過ぎまで取り組む。これが毎日続いた。

最終的に、久石は10曲の「動く音」を生んだ。それぞれモチーフの違うオーケストラ用の曲をこれだけの期間で作るのは、驚異的なペースだ。自分でも「奇跡だ!」と興奮する集中力だった。

コンピューターに打ち込まれた音は、すでに豊かな響きを獲得しており、どれも短期間で作られたとは思えないクオリティーに達していた。

小淵沢は、一般に観光地として知られているが、実際に訪れると、南アルプスや八ヶ岳が目前に迫り、あまりの迫力に、美しさへの感嘆より、畏敬の念を抱く。実は、宮崎監督もこの周辺の風土を愛し、近くに別荘を所有している。

スタジオを後にする頃、久石はこうつぶやいた。「こんなに順調に進むなんて、何かが降りてきたのかも知れないね」——。(依田謙一)

(2004年1月18日 読売新聞)

 

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