第20回:「ずっと待っていた日」

連載 久石譲が挑む「ハウル」の動く音 (読売新聞)
第20回:「ずっと待っていた日」

2004年6月29日。いよいよ「ハウルの動く城」のオーケストラ録音の日がやってきた。前日の午前2時まで譜面の確認をしていた久石譲は、録音開始の1時間前、午後12時に東京・墨田区のすみだトリフォニーホールに到着した。

「渋滞に巻き込まれちゃって……」と足早に館内へ入る。

宮崎駿監督や、演奏する新日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターらと慌ただしくあいさつし、早速ステージへ。舞台後方に仮説された巨大スクリーンを見上げると、大きく深呼吸した。

「これまでは指揮台脇のテレビモニターを見ながら録音していたけど、気分的にこじんまりしちゃうところがあってね。『ハウル』には昔の映画でやっていたような方法が合うと思って、大きなスクリーンを用意してもらったんだ」

舞台上には、すでにオーケストラのメンバーが集い始めていた。楽器を調整する音が、ホール内に響き渡る。

奏者たちはスクリーンに映し出される映像を見ては、嬉しそうに笑い合っていた。楽しみで仕方なかったという様子だ。

「ずっと待っていた日ですからね」――同フィルの企画制作担当を務める安江正也が言う。「『ハウル』の演奏は、こちらから、『どんなスケジュールでも合わせる』と熱心に働きかけていたものなんです」

サウンドトラック用のオーケストラの選定には、様々な候補があったが、久石はこの心意気に胸を打たれた。「クラシック業界でもっとも苦労するのは日程調整。2年、3年先まで目一杯決まっているのが当たり前なんだ。それを『いつでも合わせる』と宣言することは、大変だったと思う」
「久石さんとはツアーでも何度も共演している。お互いの信頼関係は厚い」と語る新日本フィルの安江正也
世界のオーケストラには、クラシックへのこだわりから、映画音楽の演奏を一貫して引き受けないところもある。新日本フィルは、なぜそこまでして参加を熱望したのか。

安江はその理由をこう話す。「目の前に出された音楽は積極的に楽しもうというのが、私たちの姿勢。ジャンルは問題じゃない。宮崎作品への参加は、『千と千尋の神隠し』に続き2作目ですが、形式に縛らない楽曲に取り組んだことで、これこそ自分たちの力を最大限に発揮できる音楽の一つだと分かったんです」

録音直前、監督と簡単な打ち合わせをした久石は、集中するために楽屋にこもった。たった1人、誰も近寄れない時間だ。

午後1時、約100人のオーケストラが揃うと、久石がステージに現れた。「こんにちは。今日は映画『ハウルの動く城』の録音です」

ステージに監督を呼び、「宮崎駿さんです」と紹介する。メンバーは楽器でふさがれた手の代わりに、盛大に足を踏み鳴らした。

監督は照れくさそうに「よろしくお願いします」と頭を下げると、客席へ向かった。スタッフが「舞台裏のコントロール・ルームなら台詞も一緒に確認できますが」と案内すると、「ここでいいです」と微笑み、スクリーンがよく見えるホールの真ん中に腰を下ろした。

久石が指揮台に登る。場内が静寂に包まれた。

「まずは一度、通してみようか」

最初に選ばれたのは、主人公ソフィーとハウルの出会いの場面の曲。ハウルが現れた瞬間、指揮棒が振り下ろされ、弦がピチカートをやさしく奏で始めた。

やがてハウルを追うゴム人間たちが登場すると、静かだった旋律に躍動感が加わっていく。逃げる2人。路地裏を駆け回るも、すぐにゴム人間の集団に八方をふさがれてしまう。その瞬間、ハウルはソフィーを連れ、一気に空へ駆け上がった! 空中を歩く2人のバックにテーマ曲「人生のメリーゴーランド」が壮大に鳴り響く。

「ハウル」の音が、ついに動き始めた。(依田謙一)

(2004年7月5日 読売新聞)

 

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