第10回:「祝福したい関係」—前編

連載 ハウルの動く城 久石譲

連載 久石譲が挑む「ハウル」の動く音 (読売新聞)
第10回:「祝福したい関係」—前編

「これまでの集大成としたい」──久石譲は、インタビューで「ハウルの動く城」への意気込みを聞かれると、必ずこう答えている。

数々の名作を世に送り出してきた宮崎駿・久石譲コンビの「総決算」である同作のサウンドトラック制作の様子を伝える前に、2人の出会いについて触れておきたい。

2人が初めて出会ったのは、1983年の夏。翌年公開予定だった「風の谷のナウシカ」のイメージアルバムの打ち合わせのためだった。41年生まれの宮崎監督はこの時43歳。

一方、50年生まれの久石は32歳。大学時代から取り組んできたクラシックに決別し、ポップスに活動の場を移したアルバム「インフォメーション」を前年に発売した後だった。

当時の久石にとって、クラシックへの決別は、大きな決意の表れだった。

久石が作曲家を志したのは20歳の時。テリー・ライリーの「A Rainbow in Curved Air」に魅せられ、ミニマル音楽の作曲家になろうと決めた。ミニマルとは、短い音のパターンをひたすら反復する音楽で、ライリーはその「発明者」だった。

延々と続くフレーズのなかで、繊細な変化を重大なものとして響かせるため、どこを切り取っても「同じ体験」として聴けるのがミニマルの特徴だ。小さい頃から西洋音楽を習い、始まりがあって終わりがあるのが音楽だと思っていた久石にとって、この方法はあまりに衝撃的だった。始まりが終わりでもあり、過去が未来でもあるという独特の時間のとらえ方に、いっぺんにはまってしまった(ちなみに、民族音楽にも同様の特性があると久石は指摘する。彼の音楽にしばしば民族音楽の要素が盛り込まれるのは、このためだろう)。

それからは、ひたすら作曲に明け暮れた。あらゆるアルバムを聴き漁り、自分なりのミニマルを探し続けた。

しかし、先行する気持ちとは裏腹に、なかなか満足のいく音楽作りができない日々が続いた。演奏会もうまくいかなかった。「僕たちは音楽に使える下僕と同じ。より高い望みのためにはどんなことをしても平気だった」と考える久石の激しいやり方に、仲間とのいざこざも絶えなくなっていた。

「古今東西のすぐれた音楽家は、この苦しさを乗り越えて自分を確立したのだ」と心に言い聞かせながらも、不安は高まる一方だった。

「暗くて長いトンネルのなかに、僕はいた。かすかな希望に夢を託したり、明日を信じたりするには、少々疲れていた」(久石譲著「Iam」より)

ミニマルを現代音楽の一つとすれば、作曲、演奏そのものが「実験」でなければならない宿命を持つ。必然的に、技量の違う奏者をまとめあげ、新しい挑戦と完成度を両立させるのは至難の業となる。久石にとっても、それは同じだった。当時の彼の音楽は「そこそこの評価と偏見に満ちた罵倒に二分されていた」(同書より)

やがて、食いつなぐためにテレビコマーシャルの仕事にも進出。悶々としたまま、気がつけば30歳を迎えていた。

そんななか、タンジェリン・ドリームやクラフトワークなど、シンプルでありながらポピュラリティーのあるテクノ音楽を聴きながら、あることに気がつく。

「ミニマルをやるのに、現代音楽というフィールドにこだわる必要はないのではないか」

自分を縛っていたのは、自分自身だと気がついたのだ。

そう考えたら、急に気が楽になった。自分の生活費の基盤としか思っていなかった場所が、もっとも可能性のある場所に思えてきた。

久石は覚悟を決めた。そして、今より「広い場所」に挑む以上、「売れなければ、正義じゃない」と肝に銘じた。

こうして、アルバム「インフォメーション」が生まれた。名義は「ワンダー・シティ・オーケストラ」となっているが、実態は久石のソロ作品だ。それまでも現代音楽のアルバムに参加していたものの、この作品が事実上のデビュー作となった。

タイトルには、限られた相手でなく、不特定多数に向けて発信したいという思いを込めた。それはそのまま、もはや古典的となった「現代」音楽と、それを含む「クラシック」に対する決別表明だった。

ミニマルを随所に織り交ぜながらも、ポップスであることを強く意識した同アルバムは、糸井重里による「おいしい生活」という宣伝コピーが話題となっていた西武百貨店の池袋店で、1年間に渡って流れ続けるというおまけも付き、名実ともに「不特定多数に向けた音楽」となった。久石の周囲には、確実に新しい風が吹き始めていた。

そして、このアルバムがきっかけで、久石は宮崎監督と出会うことになる。(依田謙一)

(2004年3月14日 読売新聞)

 

連載 ハウルの動く城 久石譲

 

第9回:「ちゃんと彼に引き継がれていたよ」

連載 ハウルの動く城 久石譲

連載 久石譲が挑む「ハウル」の動く音 (読売新聞)
第9回:「ちゃんと彼に引き継がれていたよ」

プラハ録音最終日の翌日、2003年10月21日。久石譲は息つく間もなく、ロンドンへ向かった。

かつて、ロンドンに居住していた経験がある久石は、ヒースロー空港に到着すると、懐かしい空気をいっぱいに吸い込んだ。「ホームタウンに戻った気分だね」

ミックスダウンとマスタリング(CDにするための曲間の長さや音量の調整)を行うのは、アビー・ロードスタジオ。ビートルズが録音拠点としていたことで知られる、名門スタジオだ。

入り口には、これまで同スタジオで録音やマスタリングを行ったアーティストのレコードやCDが並んでいるが、この中には過去に久石が録音した作品もある。「あそこで録音したものがすべて飾られているわけじゃないから、見つけた時はとても感激したよ」──この話になると、久石は子供のように微笑む。

アビー・ロードを使うのは、約10年ぶりだという。当時、親しくしていたチーフ・エンジニアのマイク・ジャレット(ビートルズの「赤盤」「青盤」のエンジアとして知られる)が亡くなってから、足が遠ざかっていた。「なかなか気が進まなくてね。でも、そろそろいいかなと思って」

今回のエンジニアは、そのマイクのアシスタントだったサイモン・ローズ。現在は映画「ハリー・ポッター」シリーズのサウンドトラックなどを手掛ける売れっ子だ。「感慨があったね。しかも、シリアスな時ほどジョークを忘れないアビー・ロード独特の文化も、ちゃんと彼に引き継がれていたよ」

アビー・ロードスタジオの入り口

プラハで息を吹き込まれた音が、サイモンの手によってロンドンで成熟した。一層の重厚感を得たことで、久石が目指した「通常の映画音楽とは違う、音楽だけで築き上げた世界観」が完成した。

曲順も決定。録音エンジニアの江崎友淑と、トランペット奏者のミロスラフ・ケイマルのドラマがつまった「ケイヴ・オブ・マインド」は、アルバムの最後を飾ることになった。久石は言う。「実際に演奏してもらい、“こんなにいい曲だったんだ”と驚かされることってあるんだよね。いい演奏者というのは、そうやって曲の持っている力を引き出してくれる。『ケイヴ』はまさにそういう曲だった」

マスタリングした原盤を聴き終えた久石は、それまで「イメージアルバム」としていたタイトルに、「交響組曲」という文字を入れる必要があるのではないかと思い始めていた。「これは単なるイメージアルバムじゃない」──チェコ・フィルハーモー管弦楽団によって演奏された音は、旅の過程で久石の心を突き動かしていた。タイトルは、後にスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーと話し合った上で、「イメージ交響組曲 ハウルの動く城」となる。

ロンドンで無事に作業を終えた久石は、意気込みの結晶を持って帰国。さっそく宮崎駿監督にできあがったばかりの音を届けた。初めて「ハウル」の「動く音」を耳にした監督は、さっそく「この部分はあの場面に合いそうだ」と思いを巡らしていたという。

アルバムに詰まった原石が、作品にどう反映されるのか。久石が臨んだ「第1楽章」の終わりは、本編のサウンドトラック制作という「第2楽章」の始まりでもあった。(依田謙一)

(2004年3月8日 読売新聞)

 

連載 ハウルの動く城 久石譲

 

第8回:「上手いだけのオーケストラは世界中にある」

連載 ハウルの動く城 久石譲

連載 久石譲が挑む「ハウル」の動く音 (読売新聞)
第8回:「上手いだけのオーケストラは世界中にある」

2003年10月20日。いよいよ録音の最終日だ。

実は、この前日にトラブルがあった。2日目の録音を終え、夕方から編集作業に入った瞬間、ドボルザークホールの周辺一帯が、停電に見舞われたのだ。

録音データが消えてしまっては、2日間の録音が水の泡となる。スタッフに緊張が走ったが、ホールの職員や、何度もプラハで録音しているエンジニアの江崎友淑は、まったく動揺していない。「いつものことなんですよ」と江崎。「むしろ録音中でなくてよかった。休憩にしましょう」と慣れた態度で煙草を取り出す。ホールの外に出てみると、町の人々も慌てていないから驚きだ。

こうなると、できることは待つだけだ。

一方、必ずしも“プラハ慣れ”していないはずなのに、なぜか冷静沈着に見える男がいた。スタジオジブリの音楽担当の稲城和実だ。実際は顔に出ないだけなのかも知れないが、「いやぁ、大変ですね」と言う稲城を、久石譲は「君が言うと、全然大変だって気がしないんだよ」とからかった。

停電は、何ごともなかったように、数時間後に復旧した。幸い、データは完全な形で残っていたものの、日本のスタジオでは考えられないおおらかさだ。

最終日は、停電のおかげで前夜遅くまで編集作業をこなしていたため、久石とスタッフの疲労はピークに達していたが、残された時間を精一杯使い、録音に取り組んだ。チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の集中力も、最後まで途切れることはなかった。

終了後、久石と指揮者のマリオ・クレメンスが固い握手を交わす。多くを語り合わずとも、この握手が録音の成果を何よりも雄弁に物語っていた。

久石はチェコ・フィルの演奏をこう評価した。「スラブ系特有の土の匂いがする粘り強い演奏は、やはり『ハウルの動く城』の世界観にぴったりだった。マリオの指揮による演奏も期待以上のものになり、満足している。ただ、以前『交響組曲 もののけ姫』を録音した時に比べると、少しずつ演奏が均一化されてきていて、“お仕事”っぽくなりつつある印象も受けた。チェコ・フィルには、素朴さを失わずにいてほしいんだけどね。演奏が上手いだけのオーケストラは世界中にあるから」

終わってみればあっという間だったプラハ録音を終え、翌日にはミックスダウンとマスタリング(CDにするための曲間の長さや音量の調整)を行うため、ロンドンへ旅立った。(依田謙一)

(2004年3月1日 読売新聞)

 

連載 ハウルの動く城 久石譲

 

第7回:「ベリー・バッド・サウンド!」—後編

連載 ハウルの動く城 久石譲

連載 久石譲が挑む「ハウル」の動く音 (読売新聞)
第7回:「ベリー・バッド・サウンド!」—後編

「なんて大きな音を出す人だろう!」

少年は、興奮のあまり、コンサートが終了するや否や、無謀にも楽屋に押しかけた。出迎えた奏者は、突然の来訪に驚きながらも、少年にやさしく微笑みかけた──。

「イメージ交響組曲 ハウルの動く城」で録音エンジニアを務めた江崎友淑が、同アルバムに収録されている「ケイヴ・オブ・マインド」でトランペットソロを吹いているミロスラフ・ケイマルと出会ったのは、10歳の時だった。父親に連れられて行ったチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の来日公演で、雷に打たれたような衝撃を受けた。

9歳からトランペットを吹いていた江崎は、当時、チェコ・フィルの首席奏者だったケイマルの音と出会ったことで演奏にのめり込んだ。「自分のラッパを、ケイマルに聴いてもらいたい」──その一心で、練習を続けた。

12歳になった江崎は、自分のことなどもう覚えていないだろうと思いながら、再びチェコ・フィルの来日公演を訪ねた。ケイマルは前回と同じようにやさしく微笑みかけ、こう言った。「あの時の子じゃないか」。江崎のことを覚えていたのだ。

ケイマルは、江崎が手にしていたトランペットに注目した。「ちょっと吹いてみないか」

江崎は、迷うことなくその場で演奏を始めた。「若さってすごいでしょ」。江崎は当時を振り返り、照れくさそうに笑う。

演奏を気に入ったケイマルは、以降、毎月のようにダンボール一個分もの教則本を送ってきた。「ケイマルが教えてくれているんだ」──そう思うと、江崎は夢中で練習した。

高校生になり、三度、チェコ・フィルの来日公演を訪ねた江崎は、突然、その日の公演でトランペットを吹くことを依頼された。奏者の一人が急病で倒れてしまったのだ。

この時、すでにトランペット奏者としての腕前は相当なレベルに達していた。ケイマルの教則本で鍛えた腕と、家にあった床が抜けそうなほどの数のレコードを聴いて培った耳によって、12歳でケイマルの前で吹いた若さとは違う武器を手に入れていた。

見事に代打を務めた江崎は、高校2年生の夏、チェコ・フィルのツアーに同行することになる。エキストラとして演奏に参加しながら、オーケストラのメンバーと親交を深めた。江崎は言う。「当時のチェコにおいて、オーケストラというのは、一種の“特権階級”でしたから、メンバーは、本当に音楽のことだけを考えて過ごしている余裕のある人々ばかりでした。今は、政治体制が変わったのはいいけど、サラリーマンに近くなっていて寂しいですね」

大学卒業後、江崎は、正式にケイマルに師事するため、プラハへ旅立った。しかし、これで思う存分ケイマルから学ぶことができると思った矢先、江崎は歯を痛め、長期治療のため、帰国を余儀なくされる。音楽を続けていくのは、厳しい状況だった。江崎は、この辺りの状況について多くを語ろうとしない。

結局、江崎は一旦、音楽から離れることを決意する。しばらくはテレクラでアルバイトをしたり、テレビ番組の制作会社に飛び込んだりしていた。

その過程で、音楽番組にスタッフとして参加する機会を得た江崎は、演奏とは違っても音楽を届けることができる喜びを知る。

同時に、音楽制作の現場に疑問も生まれていった。「日本では、スタッフはあくまで黒衣。でも、それじゃいつまで経ってもいい音楽はできない」──そう感じた江崎は、音楽制作会社「オクタヴィア・レコード」を立ち上げることを決意。音楽家と対等の関係を目指し、CD制作に取り組み始めた。

江崎が関わる現場では、日本ではタブーになりがちな音楽家への注文も遠慮なく出す。久石譲に、「ケイヴ」のソロをケイマルが吹くよう推薦したのも江崎だ。しかし、30年近くチェコ・フィルで首席奏者を務めたケイマルも、今では三番奏者。過去の実績だけでは簡単に推薦できない。それでも、この曲のソロは、ケイマルに合うという確信が江崎にはあった。「もちろん、口を挟むということは、それだけリスクを負うことになります。でも、そこで結果を残すのがプロだと思うんです」

江崎が久石と最初に仕事した時には、次々と注文を出すので周囲のスタッフが青ざめていたという。「でも、今も久石さんと仕事をしている。それが答えではないでしょうか」

久石の話になると、江崎はケイマルの話と同様に熱くなる。「久石さんの音楽は、ヨーロッパの人々に対する説得力がある。チェコ・フィルの演奏が何よりの証拠です。彼らは本気でした。久石さんには映画音楽の範ちゅうにとどまらない交響曲を、時間をかけて作ってほしい。それが実現したら、僕はそのCDをどこにでも売って歩きますよ」

江崎は、「ケイヴ」の録音中に、ケイマルの演奏を聴いて思わず涙を見せた。「あんなふうに感傷的な姿を見せてしまったのは、恥ずかしい限り」と前置きした上で、こう言った。「少年の頃に身震いした、あのトランペットの音が鳴ったんです。久石さんの曲には、それを実現できるエネルギーがあった。その時に思ったんです。僕はこういう音が録りたかったんだって」

「ケイヴ」の録音後、江崎がケイマルに満面の笑みで言った言葉が、再び頭をよぎった。

「ベリー・バッド・サウンド!」(依田謙一)

(2004年2月25日 読売新聞)

 

連載 ハウルの動く城 久石譲

 

第6回:「ベリー・バッド・サウンド!」—前編

連載 ハウルの動く城 久石譲

連載 久石譲が挑む「ハウル」の動く音 (読売新聞)
第6回:「ベリー・バッド・サウンド!」—前編

2003年10月19日。録音2日目。久石譲は、前日と同じ午前9時30分にドボルザークホールに入った。初日に比べるとずいぶん穏やかな表情だ。「今日は、気楽に話しかけてよ」の一言に、記者も一安心。

この日、最初に録音されたのは「暁の誘惑」。久石によれば、「290小節もあるのに、なぜか5分で終わってしまう」という激しい曲だ。

チェコ・フィルハーモニー管弦楽団による演奏が始まった。メロディー、ハーモニー、リズムがうねりながらめまぐるしく展開していく。「この曲に限らず、今回のアルバムは、短期間で集中して書いた分、勢いがあるよね」と久石。

この日録音された4曲のうちの一つ、「ケイヴ・オブ・マインド」にドラマがあった。

悲しくも美しいメロディーをトランペットが奏でるこの曲で、ソロを吹くのはミロスラフ・ケイマル。アルバムの録音エンジニアである江崎友淑が師事した、チェコ・フィルの前首席トランペット奏者だ。楽譜を見た江崎が、「彼が吹くべきだ」と久石に推薦したことで、今回のソロが実現した。

江崎によれば、ケイマルは「とにかく音が大きい奏者。でも、単に大きいだけじゃない。彼のトランペットは、聴く者を包み込んでくれる。楽譜を見た瞬間、合うと思った」という。

「ケイヴ」の演奏が始まった。予想以上の素晴らしさに、久石が、「ホールで聴きたい」とコントロール・ルームを飛び出していた頃、テレビモニター越しに聴きながら涙ぐんでいる男がいた。江崎だ。久しぶりに聞く師匠の名演奏にノックアウトされていたのだ。

録音後、久石とともにケイマルがコントロール・ルームに戻ってきた。感激の対面かと思いきや、江崎の口から出た言葉は「ベリー・バッド・サウンド!(なんてひどい音だ)」。

久石も周囲も一瞬戸惑ったが、ケイマルを見ると、笑っている。しかも、満面の笑みで。すぐに、2人の長年の付き合いによる「最大級の褒め言葉」だと分かり、今度はスタッフの目に涙が浮かんだ。

江崎とケイマルについてもっと知りたい──そう思った記者は、じっくり話を聞くために、帰国後、江崎を訪ねることにした。(依田謙一)

(2004年2月14日 読売新聞)

 

連載 ハウルの動く城 久石譲

 

第5回:「疲れるけど、疲れていられない」

連載 ハウルの動く城 久石譲

連載 久石譲が挑む「ハウル」の動く音 (読売新聞)
第5回:「疲れるけど、疲れていられない」

2003年10月18日。録音1日目。この日は、3時間のセッションを2度行い、3曲を録音するのが目標だ。

午前9時過ぎ、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーが、プラハ市内のドボルザークホールに集い始めた。指揮者のマリオ・クレメンスも登場し、久石譲とあいさつ。笑顔を見せながらも、久石の眼差しは鋭い。

オーケストラのメンバーが楽器の調整を始めた。場内に色とりどりの音色が優しく反射する。

ドボルザークホールは、チェコ・フィルの本拠地。1200名程度収容の小規模ホールだが、天井が高いため“魔法の音が生まれる場所”と評されるほど音場が優れている。ステージの真下にコントロール・ルームがあるのも特徴だ。

午前10時。3管編成、85人のフルオーケストラが勢揃いした。久石が中央の座席に楽譜を持って陣取ると、ホール全体を、張り詰めた空気が覆った。

マリオが指揮棒を振り下ろし、「ミステリアス・ワールド」の演奏が始まった。響き渡る高らかなトランペットの音色。「ハウルの動く城」の音が初めて地上に舞い降りた瞬間だ。

チェコ・フィルの面々は、ほぼ初見のスコアであるにも関わらず、歌い上げるように演奏する。東欧独特の地を這うような粘り強い演奏と、ホールの響きが絶妙に絡み合い、それまで険しい顔が続いた久石に、確かな手応えを感じる笑みがこぼれた。

「ミステリアス・ワールド」を聞き終えた久石はコントロール・ルームヘ。「いいよね」と満足した様子を見せながらも、「ただ、グロッケンの音が前に出すぎているように聴こえる。こっちではどうだった?」と、録音エンジニアの江崎友淑に問いかける。「確かに少し前に出ていますね。マイクのセッティングを変えてみましょう」──江崎はそう答えると、コントロール・ルームを飛び出し、あっという間にマイクの位置を変えた。年に何度もドボルザークホールで録音している江崎だからこそできる“早業”だ。

マリオがメンバーに幾つか指示を出し、録音が始まった。まだ2度目であるにも関わらず、すでに演奏はほぼ完璧だ。

終了後、汗を拭きながらマリオがコントロール・ルームに現れた。久石は「演奏はとても良い」とマリオを迎えた上で、「いくつか確認したいことがあるんだけど」と楽譜を広げ、細かい希望を伝え始めた。

録音は、常に時間との戦いだ。5分の曲を演奏し、聴き直すだけで、すぐに10分が経過してしまう。しかも、オーケストラのメンバーを90分に一度休ませなければならないなど、「決まり」もあるため、一時も無駄にできない。短い時間で、2人は簡潔かつ確実に意思を交換する。

録音再開。久石もホールに戻り、耳を研ぎ澄ませる。今回はピアノ演奏がないため、曲の合間に何度もホールとコントロール・ルームを行き来しながら、細かい指示を出していく。

「疲れるけど、疲れていられないよね」と苦笑い。

この日は、予定通り3曲を録音した。順調な滑り出しだ。

しかし、録音が終了したからといって、ホテルに戻れるわけではない。引き続き、コントロール・ルームで、演奏したデータの編集作業などをこなす。

途中、データのコピーを作るバックアップ作業が行われることになり、久石が散歩に出た。コントロール・ルームには、江崎以下、久石の拠点スタジオ「ワンダーステーション」のエンジニア浜田純伸、秋田裕之と記者の4人が残された。

1日目の録音が無事に終了し、若干緊張が解けたせいか、雑談が始まった。互いの「カップラーメン観」など、他愛もない会話が続く中、このところCD全般の売れ行きが芳しくないという話が出た。

日本レコード業界の調べによると、1999年以降、国内のCD売り上げは5年連続で減少しており、一時は乱発されたミリオン・ヒットも、現在ではほとんどなくなった。音楽業界には、ここ数年「冬の時代」が続いている。

記者が、デジタルコピーの氾濫などを例に、CDが売れなくなった理由を尋ねると、浜田が打って変わって神妙な面持ちで答えた。

「売れないからといって、何かのせいにしてはいけないと思うんです。良い音楽を作り続けていれば、ちゃんと届くはずですから」

江崎と秋田が頷く。音楽業界には、まだまだ魂が息づいているようだ。

久石が戻ってきた。編集を再開。結局、初日から午前0時過ぎまで作業を行った。

「無事に10曲録れるといいんだけど」──さすがに疲れた様子の久石は、そう言ってホテルに吸い込まれていった。(依田謙一)

(2004年2月9日 読売新聞)

 

連載 ハウルの動く城 久石譲

 

第4回:「ねぇ、順調なの?」

連載 ハウルの動く城 久石譲

連載 久石譲が挑む「ハウル」の動く音 (読売新聞)
第4回:「ねぇ、順調なの?」

2003年10月17日。午前9時30分、久石譲は、翌日から録音が行われるプラハ市内のドボルザークホールに向かった。チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者、マリオ・クレメンスと打ち合わせをするためだ。

2人が会うのは、1998年にチェコ・フィルが演奏したアルバム「交響組曲 もののけ姫」の録音以来。久しぶりの再会に、固く握手する。「オーケストラが早く学ぶよう、私が最大限の努力をする」とマリオ。

さっそく楽譜を広げ、打ち合わせが始まった。

まず、3日間で4セッションを行うことを確認。1セッションは3時間だから、12時間で全10曲を録音しなければならない計算だ。

クラリネットから始まる曲がある。「チェコ・フィルのクラリネット奏者は?」と聞く久石に、マリオは「安心して。とても素晴らしいよ」。久石は「よかった。この曲は冒頭のクラリネットが大切だから」と胸をなでおろす。

2人は、気になる部分があると1音たりとも曖昧にしない。普通なら行き詰まってしまう部分も、限られた時間の中でベストの結論を導き出す。一流の現場で様々な経験をしてきた2人だからこそ可能な「プロの打ち合わせ」だ。まるで、会話そのものが演奏のようだった。

午前11時30分。打ち合わせ終了。久石は集中して臨んだせいか、一度、天井をあおいだ。この打ち合わせ中、出されたコーヒーには一度も手をつけなかった。

午後、ホテルで最後の譜面直し。作業を終え、ロビーに現れた久石は、ずいぶん穏やかな表情になっていた。「疲れているだけだって」と笑う。

プラハ城内にある聖ビート大聖堂

「せっかくだからプラハ城へ行こう」と久石が言い出した。ホテルから見える城の景色が気になっていたようだ。

プラハ城は、9世紀に建設が始まった歴史的建造物。ゴシック様式の聖ビート大聖堂などをはじめ、様々な建築様式で増築されてきた。

久石は、アール・ヌーヴォー画家アルフォンス・ミュシャが制作した2万枚もの色ガラスを使ったステンドグラスに見入っていた。「すごい。圧倒されるね」

プラハ城を出たところで、名物のビールを堪能。笑顔が絶えない。休暇が設定されていないこの旅で、唯一の気分転換となったようだ。

ホテルに帰ると、プラハ市街に効果音の採集に出かけていたスタジオジブリの稲城和実、津司紀子が戻っていた。稲城らは、「ハウルの動く城」で音楽に限らず音に関するすべての作業を担当しているため、合間を見て時計台の鐘や雑踏の音を採取しているのだ。

ジブリ作品は、効果音にもこだわることで知られている。必要であれば、既成のライブラリー音源に頼らず、様々な場所に足を運び、音を採取する。「ハウル」では、物語の舞台となるヨーロッパの空気を表現するために、稲城ら以外にも、フランスやスイスに録音部隊が飛んでいるという。稲城は「雑踏の音を豊富に取れました」と満足そう。

ホテルに、今回の録音でエンジニアを務める江崎友淑がやって来た。江崎は以前、チェコ・フィルでトランペットを吹いていた経験があり、現在はエンジニアとして年に何度もチェコを訪れている。チェコ・フィルを知り尽くした強い味方だ。

夜はプラハ市内の日本料理の店へ。寿司からラーメンまで、日本料理というよりも、“日本人が好きそうな料理”を出す店。味は……様々な意見があったとだけ記しておこう。

「ところで」と久石が稲城に切り出す。「ねぇ、順調なの?」。もちろん「ハウル」の進行状況のことだ。しかし稲城はすかさず「何がですか?」ととぼける。「何がって、決まってるじゃない」とさらに久石が突っ込むと「分かっているんですけど、いや、まぁ」と煮え切らない。「だからどうなのよ」と久石が笑う。稲城は「順調に」と前置きした上でこう答えた。「遅れています」

プラハの夜が更けていく。いよいよ明日から録音が始まる。(依田謙一)

(2004年2月1日 読売新聞)

 

連載 ハウルの動く城 久石譲

 

Disc. 久石譲 『イメージ交響組曲 ハウルの動く城』

久石譲 『イメージ交響組曲 ハウルの動く城』

2004年1月21日 CD発売 TKCA-72620
2020年11月3日 LP発売 TJJA-10029

 

2004年公開 スタジオジブリ作品 映画「ハウルの動く城」
監督:宮崎駿 音楽:久石譲

 

ヨーロッパをイメージして久石が作曲した交響組曲をチェコ・フィルハーモニー管弦楽団が演奏。プラハのドヴォルザークホール~芸術家の家で2003年10月に録音、ロンドンのアビーロード・スタジオで仕上げた。イメージアルバムの枠を超えた野心作。

 

 

エキサイティングな『ハウル』の旅/久石譲

宮崎監督の作品の場合、いつもイメージアルバムを作ることから始めていたのですが、『ハウルの動く城』は舞台がヨーロッパということもあって、最初からオーケストラの音というイメージがあったんです。個人的にも、最近、オーケストラとともにコンサートを行うケースが多くなっていて、頭の中でオーケストラが響きやすかったのかもしれません。それで、『もののけ姫』の時に一緒にやったチェコ・フィルハーモニーという世界的にも素晴らしいオーケストラでいこうと思いました。

目指したものは、映画で使われる音楽をある程度想定しながらも、楽曲としての完成度を高めること。サウンドトラックというものは、どうしても映像に縛られてしまうものです。シーンの長さによって曲の長さも決まるし、セリフや効果音のために音の隙間を作ったり、テンポを調整したりしなければならない。

今回は、映像と一緒になることで初めて成立する音楽ではなく、100%音楽だけで世界観を作り上げることを念頭に置きました。

もう一つは、スタンダードなオーケストラ作品を作りたかったということです。『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』では、バリ島や中近東の楽器、あるいは日本の太鼓を使って、エスニックな雰囲気を出したんですけど、今回はそういう特徴的な音を極力排除しました。クラシック音楽が使う普通の楽器だけを思いっきり使って、なおかつ、いかに個性的な音楽にできるか、ということにチャレンジしたのが、一番の特徴です。実は、クラシックの現代音楽を除いて、日本でそういう音を作っている人はほとんどいないのです。僕が弾くピアノも排除しました。従来は、重要なメロディはピアノが受け持つことが多かったんですけど、今回はプレイヤーとしての久石譲には登場願いませんでした。サウンドトラックを作る時は、ピアノがまた入ってくると思いますが。

作曲は難産でした。まったく書けない状況が続いて困っていたんですけど、八ヶ岳のふもとのリゾートスタジオにこもったら、いきなり書けたんです。オーケストラ用の曲を8日間で8曲という奇跡に近いペースでした。それを持ってプラハに乗り込んで録音。そして、ミックスダウンとマスタリングはロンドンのアビー・ロードスタジオで行いました。

僕がアビー・ロードスタジオを使ったのは10年振りなんです。親友のチーフエンジニアが突然亡くなってから、足が遠くなってしまって。10年前にはアシスタントだったサイモン氏という人が、今回エンジニアを務めてくれました。10年の間に彼は、『ハリー・ポッターと賢者の石』の音楽などを手がける、世界的なエンジニアに成長していたのです。彼と一緒に仕事できたのは、大きな喜びでした。チェコ・フィル、アビー・ロードスタジオによって、世界の第一線の音が出来上がったと思います。八ヶ岳からプラハ、ロンドンへ…。『ハウル』の旅はかなりエキサイティングなものになりました。

そして、旅の始まりは宮崎さんの考えている『ハウル』の世界観です。今回は舞台がヨーロッパということで、全世界の共通語で表すことができる世界だと思うんです。世界中の誰もが楽しめる物語の中に、普遍的な人間の気持ちが散りばめられている。それを音楽でも表現できたらいいなという思いが、「イメージ交響組曲『ハウルの動く城』」の根底にありました。やっぱり宮崎さんの考えがあったからこそ、このアルバムは成立したのです。

(CDライナーノーツより)

 

 

「現地の空気感みたいなものが自分で分かったから、直接的な影響はなかったんだけど、『ハウル』の世界観を掴むのには、役に立ちましたね。とてもきれいなことろで、これはちょっと音楽的に奇をてらったことをするのはやめようと。オーソドックスに作ってみようと思いました。」

「ここ数年、個人的にもオーケストラとコンサートで回る機会が多くなっているので、頭の中でオーケストラが響きやすくなっているんだと思います。サウンドトラックというのは、シーンの長さやタイミングにどうしてもしばられてしまう、映像のための音楽なんですけど、交響組曲『ハウルの動く城』は、音楽だけで100%イメージできる世界を目指しました。特徴としては、普通サウンドトラックではセリフの邪魔をしてしまうためにあまり使わないブラスを、かなりフィーチャーしています。それぞれの楽器を、テクニカルな面で限界近くまで引き出すことができたので、自分としても満足がいく作品になりました。」

「オーケストラ作品に徹したので、なるべくピアノは排除しました。逆に、サウンドトラックは主人公ソフィーの世界に寄り添って、もっと個人的な語り口になるので、そちらではピアノの出番が多くなるだろうと考えていました。」

Blog. 久石譲 「ハウルの動く城」 インタビュー ロマンアルバムより 抜粋)

 

 

「今回の映画で面白いことがあったんです。『ハウルの動く城』のイメージアルバム用に作った曲を、『ちょっと、画に当ててみますか?』と宮崎さんに言ってみたんです。映画の中では顔のカットやシーンが変わったりしますね。僕の曲にもリズムが変わる部分が当然ある。でもその画と曲タイミングが、全部合っていたんです。これには非常に驚きました。その時、『20年も一緒にやっているから合うんだね』と言った人がいます。僕もそうかなと最初は思ったんですが、実は逆なんですよん。何年一緒にやっていても合わない人とは合わない。つまり宮崎さんとは、最初から生理的なテンポ感がどこかで一致していたから、20年続いた。そういう気がするんです。ですから宮崎さんとは大変幸運な出会いだったと思いますし。その出会い自体が嬉しいことですね。」

「このところ、自分の仕事の中でオーケストラとの仕事が多いこともあって、表現として一番それがフィットしていると思ったんです。映画音楽を書く場合に自分が音楽家として、その時にいいと思っているものは何かが一番大事なんです。その時に自分が興味を持っていて、絶対に琴線に触れるものがありますよね。僕はそれを、極力映画の方へ持ち込むようにするんです。音楽は文章のように、論理的に組み立てるだけではできない部分がある。そこで本人が、これがいいんだと強く思うことが大事だと僕は思っているんです。今回ではそれが、オーケストラを使うことだったんですね。」

「基本的には音楽の内容の説明なんですが、宮崎さんから『今回はこんな風に行きたい』といった説明があるんです。他にソフィーやハウルといった登場するキャラクターのイメージなどですね。そこから曲のテーマとなる題材をもらって、考えていくんです。またこの映画は、舞台設定がヨーロッパと明確に出ている。これは『魔女の宅急便』以来のことです。ただそのヨーロッパにしても、実在の世界ではなく宮崎さんの作り出したヨーロッパなんです。それだけに、どこか場所柄を限定する音楽ではありたくはない。あくまで宮崎さんがやろうとしている世界観を持って如何に音楽で表現するか。それを考えるんです。そこで今回はヨーロッパにもエスニック音楽はあるんですが、そういうローカルカラーはあまり出す必要がないと。色の強い特殊な楽器も使わないで、出来るだけストレートなオーケストラの音にしようと思いました。」

「どちらかと言えば、僕のイマジネーションを羽ばたかせて作る感じですね。イメージアルバムは、あまり作品と整合性のあるものをやってはいけない。むしろ、ちょっと離れた方がいい場合もあると思っているんです。言い方は変ですが、いい加減なほうがいい(笑)。全曲をサウンドトラックで使うわけではないですから。その中で宮崎さんのイメージにフィットした曲があれば、そこから次の段階のサウンドトラックを考えていけばいいんです。ところが今回はオーケストラを使ったことで、精神的には少しサウンドトラックの方へ入り込んでいた部分がある。『もののけ姫』でも一緒に仕事をしたチェコ・フィルハーモニーに演奏してもらうということもあって、チェコ・フィルまでいってあんまりみっともないスコアでは演奏をしたくなかったし。ですからアルバム自体に完成度を求めたところがあるんです。そういう意味で、イメージアルバムとしてはいいやり方ではなかったのかなと思っているんです。」

「あのイメージアルバムは、オーケストラ作品として凄いと思うんです。かつてプロコフィエフが書いた『ロミオとジュリエット』というバレエ曲がありました。あの曲は最初、注文主のバレエ団から『こんな曲は最低だ』と評価されて、まったく上演できなかった。その曲を組曲にしたものがアメリカで上演され、楽曲が評判になったことからバレエ上演へと繋がったんです。今や『ロミオとジュリエット』はバレエの名曲になっています。それと似たような意味で、このイメージアルバムに収められた交響組曲はこのままイメージアルバムだけで終わらせるのはマズイと思っています。自分なりに集中力を持って作った世界なので、実際の映画『ハウルの動く城』のサウンドトラックとは別かもしれないけれども、ひとつのオーケストラ作品として今後もアピールしていきたい。個人的にそう思っていますよ。」

Blog. 「月刊アピーリング 2004年10月号」久石譲スペシャルインタビュー “ハウルの動く城” 内容 より抜粋)

 

 

 

久石譲 『イメージ交響組曲 ハウルの動く城』

1. ミステリアス・ワールド
2. 動く城の魔法使い
3. ソフィーの明日
4. ボーイ
5. 動く城
6. ウォー・ウォー・ウォー (War War War)
7. 魔法使いのワルツ
8. シークレット・ガーデン
9. 暁の誘惑
10. ケイヴ・オブ・マインド

作曲・編曲・プロデュース:久石譲

プラハ(チェコ) 2003年10月18~20日
指揮:Mario Klemens
演奏:チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
録音ホール:芸術家の家 (ドヴォルザーク・ホール)

ロンドン (U.K.) 2003年10月22~24日
ミキシング&マスタリングスタジオ:アビー・ロードスタジオ

 

Image Symphonic Suite Howl’s Moving Castle

1.Mysterious World
2.The Wizard of the Moving Castle
3.Sophie’s Tomorrow
4.Boy
5.The Moving Castle
6.War War War (War War War)
7.The Wizard’s Waltz
8.Secret Garden
9.Dawn’s Allure
10.Cave of Mind

 

Disc. 久石譲 『PRIVATE プライベート』

久石譲 『PRIVATE プライベート』

2004年1月21日 CD発売 WRCT-1007

 

久石譲はボーカリストだった!~本人セレクトによる初のボーカルベスト~

 

 

寄稿

映画を見ていると、ひとつやふたつ必ずや印象的なシーンがあります。特に一流の映画ともなれば、人間の視覚だけではなく、聴覚をも刺激して、音楽や効果音を含めた、ひとつのシーンを鮮明に心に刻み込むものです。また、逆に映像と音楽がミックスされることで、より印象に残るシーンが生まれます。たとえばホラー映画の代表作『エクソシスト』は、あの名曲「チューブラー・ベルズ」がなければ、怖さも半減してしまうでしょう。

日本映画を見ていて、あの名曲と言えば必ず”久石譲”という名前が浮かぶようになったのは、いつ頃からでしょうか?彼は誰もが知っている『千と千尋の神隠し』や『もののけ姫』などの宮崎駿作品、『ソナチネ』『菊次郎の夏』『BROTHER』などの北野武作品、『ふたり』『はるか、ノスタルジィ』などの大林宣彦作品の音楽を担当し、日本アカデミー賞最優秀音楽賞を5回も受賞している、日本映画音楽の”ヒットメーカー”です。久石譲作品はなぜたくさんの人たちのハートを捕らえて離さないんでしょうか?それは彼の作るメロディーが聴き手の心のひだにまで染み込んできて”心の琴線”を震わせる力があるからだ、と思います。

地震のエネルギーの大きさは”マグニチュード”で表します。だとしたら、名曲のエネルギーの大きさは”曲力”で表せるのではないでしょうか?すなわち、この曲は”曲力10”のすごい名曲である、云々。おそらく久石譲の作る曲は全て”曲力10以上”のすごい”名曲”に違いありません。だからこそ、たくさんの人たちのハートを侵食して、気づかないうちに心を奪ってしまっているのです。

ニューアルバム「プライベート」は、1987年『となりのトトロ・イメージソング集』から1993年のNHKスペシャル『人体II・脳と心』までのカタログから選りすぐられた久石譲本人によるボーカル曲のみで構成されています。今となってはピアニストのイメージが強い彼の作品の中でも、貴重な一枚になる事は間違いないでしょう。

このアルバムを聴いていると、自分の”脳裏のスクリーン”に自然と映像が浮かんできます。そして、いつしか心のひだから素直な感情が溶け出して、心が癒やされます。久石譲の作る曲はまさに”名曲”という”良薬”なのです。

宮澤一誠

(寄稿 ~CDライナーノーツより)

 

 

This album made by selection old following albums
M-3:NHKスペシャル 驚異の小宇宙「人体II 脳と心」サウンドトラック Vol.1 (1993)
M-12:「となりのトトロ」イメージソング集 (1987)
M-11:「ふたり」オリジナルサウンドトラック (1990)
M-4,5,6,9,10:illusion (1988)
M-2,7,8:PRETENDER (1989)

 

 

久石譲 『PRIVATE プライベート』

1.Nightmoves
2.MEET ME TONIGHT
3.Brain & Mind
4.風のHighway
5.Night City
6.冬の旅人
7.MARIA
8.WONDER CITY
9.ブレードランナーの彷徨
10. 少年の日の夕暮れ
11.草の想い
12.小さな写真

All Composed, Arranged, Produced and SUng by Joe Hisaishi

Original Tracks Recorded at Roppongi, Kannonzaki, New York and London

Remixed by Suminobu Hamada (M-7), Teruaki Ise (M-9)
Remixed at WonderStation
Mastering at WonderStation

 

1.Nightmoves
Lyric:Michael Franks
Composition:Michael Lewis Small
Arrangement:久石譲
Volcal:久石譲

2.MEET ME TONIGHT
Lyric:宇多田照實
Composition&Arrangement:久石譲
Vocal:久石譲

3.Brain & Mind
Lyric:久石譲
Composition&Arrangement:久石譲
Vocal:久石譲・Jackie Sheridan

4.風のHighway
Lyric:松本一起
Composition&Arrangement:久石譲
Vocal:久石譲

5.Night City
Lyric:三浦徳子
Composition&Arrangement:久石譲
Vocal:久石譲

6.冬の旅人
Lyric:松本一起
Composition&Arrangement:久石譲
Vocal:久石譲

7.MARIA
Lyric:BANDIT・KYSIA BOSTICK
Composition&Arrangement:久石譲
Vocal:久石譲

8.WONDER CITY
Lyric:宇多田照實
Composition&Arrangement:久石譲
Vocal:久石譲

9.ブレードランナーの彷徨
Lyric:松本一起
Composition&Arrangement:久石譲
Vocal:久石譲

10.少年の日の夕暮れ
Lyric:松本一起
Composition&Arrangement:久石譲
Vocal:久石譲・藤澤麻衣

11.草の想い
Lyric:大林宣彦
Composition&Arrangement:久石譲
Vocal:大林宣彦・久石譲

12.小さな写真
Lyric:宮崎駿
Composition&Arrangement:久石譲
Vocal:久石譲