Blog. 雑誌「モーストリー・クラシック 2025年4月号」久石譲 インタビュー内容

Posted on 2025/05/04

クラシック音楽誌「MOSTLY CLASSIC モーストリー・クラシック 2025年4月号 vol.335 」(2月19日発売)に久石譲のインタビューが掲載されています。特集「ベートーヴェン 傑作の森に分け入る」で組まれた企画です。

 

 

作曲家と指揮者 二つの眼
久石譲が語るベートーヴェンとリズムの力

作曲のみならず、指揮者としても活動を展開する久石譲。日本センチュリー交響楽団の音楽監督として初めて迎える2025~26年シーズンに、プログラムの核として掲げたのがベートーヴェンの交響曲だ。作曲と指揮、2つの眼でもって音楽と向き合う久石は、この不朽の名作をどう見ているのか。

文・植村遼平

 

《英雄》は若々しい作品
浮かぶ楽想を全て入れ込む

ー久石さんはベートーヴェンの交響曲全曲を演奏、録音されていらっしゃいます。

久石:
トータルで見て、ベートーヴェンの9曲の交響曲は、音楽史上最も頂点に近い作品だと思います。クラシックの音楽史は、まずベートーヴェンがいて、そして(音楽史を)豊かにする他の作曲家がいます。今年は日本センチュリー響の音楽監督の1年目。まずはいろんな指揮者で、ベートーヴェンの交響曲を全曲できればと考えました。

ー第3番《英雄》についてのお考えをお聞かせください。

久石:
《英雄》は、ベートーヴェンがまだ若かったせいか、頭に浮かんだ楽想を全部使っている作品です。それゆえに構成があまり見えないのですが、作曲家の視点で言うと、これは非常によく分かる。浮かんできちゃうんだから。第5番《運命》や第7番の頃には、ベートーヴェンは自分の音楽の核が「リズム」であることを自覚していますが、《英雄》ではまだそれがはっきり見えてはいない。それでも、《英雄》には若い時のエネルギーがあり、それが人に対して説得力を持つのだと思います。

 

「もっと言いたい」思い

ー《英雄》はまだ若い作品で、それが魅力でもあると。

久石:
まず当時の作曲家の作品には、全てソナタ形式があります。提示部、展開部、そして再現部。フォーマットがしっかりしていたから、ハイドンは104曲、モーツァルトも41曲の交響曲が書けました。しかしベートーヴェンの時代からは、宮廷ではなく、一般の聴衆を相手にするようになった。すると、音楽に人間の感情をどんどん入れるようになる。ソナタ形式はまだ強く残っていたので、作品の構成は明確だけれども、時代、そして若さゆえに、ベートーヴェンは「もっと言いたい、もっと言いたい」と。そのためにベートーヴェンは曲が始まる前に膨大なイントロをつけるようになります。第7番がまさにそうですよね。《英雄》はいきなり主題から始まる点で潔いけれど、終止部に入ってから、「これじゃ物足りない」というようにもう一度流れをつくっていく。そういった”思い”と、目に見える形式とは別の問題だからね。

そしてもう一つ。ベートーヴェンの中で《英雄》はナポレオンに感化されて作曲したもの。つまり、音楽的な理由からではなく、人間として日々を生きる中での感動をテーマに作曲したんです。これと同じものが第6番《田園》。田舎の情景を表現しようとする、普通の人間の感覚です。また、《田園》の頃はそういう音楽がすごく流行りだした時期でもありました。ロマン派は文学。ストーリーがあるものをなぞっていく。ソナタ形式に代わる形態として、言葉が入ってくるわけです。

 

論理的に作り無駄を省く
究極は後期弦楽四重奏曲

ー浮かんだ楽想を入れ込んでいくことに、作曲家として共感されるのですね。

久石:
もう僕の年齢だと、浮かんだもの全てを入れようとはなりませんが(笑)。(ベートーヴェンの場合は)第9番を聴くとよく分かりますが、ある年齢になると、浮かんでくるものを入れるというよりも、論理的に構成をするっようになります。その結果として、無駄のない作りに変わる。特に第1楽章は非常に形式的にはっきりしていますね。しかし、ベートーヴェンでも昨日には戻れない。第九を書くような晩年に、《英雄》のような曲は絶対に書けない。だから面白いんです、人の歴史って。

ー作曲が洗練されていく流れとはどういうものでしょう?

久石:
ベートーヴェンは、まず新しいチャレンジを真っ先にピアノ・ソナタで実験します。その実験を交響曲に持ち込んで、最終的に弦楽四重奏曲で全ての無駄を排除した形態をとって昇華させるんです。一歩一歩、1つずつクリアしながら登り詰めていく。弦楽四重奏曲の後期作品は、喜怒哀楽に全く左右されない、人間を超越したような作品ですよね。

 

一つのフレーズの積み重ね
リズムの仕掛けは第7番にも

ー先ほどはベートーヴェンの核に「リズム」があったと仰いました。どのように重要だったのでしょうか?

久石:
ベートーヴェンは曲を一拍子で書く癖があります。(例えば第九のスケルツォ楽章は)小節数がとても多いですよね。本来拍子は四つのまとまりで取れるはずだけれども、彼の場合は途中でそれが二つ、三つになったりする。もし通常の4/4拍子で三連符を使って書くと、途中で変拍子をたくさん入れなきゃいけなくなります。突き詰めていくと、一拍子表記によって全てを書くことができる。それを指揮者が二つや三つ、四つのフレーズなどにグルーピングしていきます。ロマン派の作曲家はメロディー優先で、8小節を大楽節とする基本がありますが、ベートーヴェンにその発想は合いません。まず節があって音楽を作るというやり方ではなく、リズムに焦点を当てて一つのフレーズを積み重ねていく。アプローチが根底から違うんです。

ーこのリズムの発想がよく表れている作品とは?

久石:
《英雄》でもすでに表れています。(第1楽章冒頭の)「タータ、タータ、タタタター」という旋律は、変ホ長調のI度のコードのまま。つまり音型です。そこにリズムのバッキング(伴奏)が、3拍子だけれども2拍子のように、断ち切るように現れる。このやり方はその後、シューマンなどの作曲家がみんな真似をするほど、影響力が強いものでした。

自分が指揮をするようになって、リズムのすごさを実感したのは第7番の第3楽章です。同じく第1楽章も、(コーダの)「ダンダダン」というリズムをクリアに演奏するのは本当に大変。色んなところに仕掛けがありますから、心地よいリズムなどという発想ではないんです。

 

「ミニマル」からの視点

ーこういった感じ方は、ご自身が作曲家であることと関係するのでしょうか?

久石:
僕は作曲家としてミニマル的なアプローチを最終的に選びました。その経験からもう一度クラシックを見つめ直した時、「今まで誰もやっていなかったけど、こういうアプローチがあるんじゃないか」、「未来のクラシックはこう変わるんじゃないか」と思って指揮活動を始めたんです。

ー指揮をする際、リズムに関する指示は特に意識しますか?

久石:
意識はあります。メインのメロディーラインの裏には、それを盛り上げる伴奏や、対位法的な別の旋律があります。そこに書かれた音楽というのは沢山あるわけです。メロディーラインを一生懸命指揮するというよりも、むしろそれを支えているものをいかにクリアにするかというアプローチです。リズムをメインに組み立てて、オーケストラにも伝える。そうすると、結果として非常に立体的な演奏になります。

ー日本センチュリー響との定期公演では、《田園》(6月)、《第1番》(9月)、《英雄》(26年1月)を指揮されます。合わせるのは、いずれもご自身の作品です。

久石:
ベートーヴェンのような長い年月支持されてきた絶対的な名曲と、自分の作品を一緒に演奏する時、「クラシックのメインプログラムが、何をもってそこにいられるのか」をすごく考えます。そうすると、自分の作品が「これは自分の思いが詰まった、全てを懸けた曲なんだ」という程度のレベルではいけない気がします。もっと、名曲と呼ばれるものの底辺にある、人々に共感を与える何か。現代音楽の作曲家は、そういうものを激しく忘れてしまっているのではないかという自戒を込めています。

(MOSTLY CLASSIC モーストリー・クラシック 2025年4月号 vol.335 より)

 

 

 

 

 

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