Blog. 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2021」コンサート・レポート

Posted on 2021/07/31

4月21~24日開催、7月25~26日振替開催、国内3都市5公演と世界各地ライブ配信も実現した「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2021」コンサートツアーです。4月の緊急事態宣言を受けツアー途中で中止となってしまいましたが、それから間を置かず7月振替公演を叶えてくれました。W.D.O.2021完走してくれたこと、尽力いただいた皆さまへ感謝の気持ちでいっぱいです。

 

❝久石譲と新日本フィルによるワールド・ドリーム・オーケストラ、2年ぶりの公演決定&[ライブ配信決定]*!待望のシンフォニーNo.2がいよいよ完成するほか、交響組曲「もののけ姫」完全版を披露します。どうぞご期待ください!❞ 

*[additional information]

 

アナウンスとキラーコピーが駆け抜けた3月、一喜一憂した4月、再び希望の光に導かれた7月。いかなる現状であっても少しでも閉塞感を打破したい!決して負けない!止めてしまってはいけない! コンサートを準備する人たちと、コンサートを待ち望む人たち、その希求する方向は同じです。それでもなお事情や葛藤を抱えながらコンサートへ行けない人もいます。いろいろな思いを日々のエネルギーにして、遠くまでのびる光のように、また次の楽しみを目標にしていきたいですね。

 

 

 

久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2021
JOE HISAISHI & WORLD DREAM ORCHESTRA 2021

[公演期間]  
2021/04/21,22,24
2021/07/25,26

[公演回数]
5公演
4/21 京都・京都コンサートホール 大ホール
4/22 兵庫・兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール
4/24 東京・すみだトリフォニーホール

*緊急事態宣言を受け2公演とライブ配信 中止
4/25 東京・すみだトリフォニーホール
4/27 東京芸術劇場 コンサートホール
4/27 ライブ配信(日本・海外)

*振替公演
7/25 東京芸術劇場 コンサートホール
7/26 東京・すみだトリフォニーホール
7/25 ライブ配信(日本・海外)

[編成]
指揮:久石譲
ソプラノ:林正子(4/21,22,24) 安井陽子(7/25,26)
管弦楽:新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ
コンサートマスター:豊嶋泰嗣

[曲目]
久石譲:交響曲 第2番 *世界初演
    Symphony No.2 (World Premiere)
    Mov.1 What the world is now?
    Mov.2 Variation 14
    Mov.3 Nursery rhyme

—-intermission—-

久石譲:Asian Works 2020 *世界初演
    I. Will be the wind
    II. Yinglian
    III. Xpark

久石譲:交響組曲「もののけ姫」2021
    Symphonic Suite “Princess Mononoke” 2021

—–encore—-
久石譲:World Dreams

 

 

 

さて、個人的な感想はひとまず置いておいて、会場で配られたコンサート・パンフレットからご紹介します。

 

 

皆さんこんにちは、久石譲です。
2021年のワールド・ドリーム・オーケストラ(W.D.O.)は明るく元気に行きたいと思います。
色々あるけど、それでも行ってよかった!
そう思えるコンサートになるように我々一同ベストを尽くします。楽しいひと時をお過ごしください。

 

1. Symphony No.2  (World Premiere)
2020年9月にパリとストラスブールで初演し、その後世界各地で演奏する予定だったが、パリは2022年4月、その他の都市も2022年以降に延期された。僕としては出来上がった曲の演奏を来年まで待てないので今回W.D.O.で世界初演することに決めた。

2020年の4~5月にかけて、東京から離れた仕事場で一気に作曲し、大方のオーケストレーションも施した。が、コンサートが延期になり香港映画などで忙しくなったこともあり、そのまま今日まで放置していた。当初は全4楽章を想定していたが、3楽章で完結していることを今回の仕上げの作業中に確信した。

この時期だからこそ重くないものを書きたかった。つまり純粋に音の運動性を追求する楽曲を目指した。36分くらいの作品になった。

Mov.1  What the world is now?
チェロより始まるフレーズが全体の単一モチーフであり、それのヴァリエーションによって構成した。またリズムの変化が音楽の表情を変える大きな要素でもある。

Mov.2  Variation 14
「Variation 14」として昨年のMUSIC FUTURE Vol.7において小編成で演奏した。テーマと14のヴァリエーション、それとコーダでできている。とてもリズミックな楽曲に仕上がった。ネット配信で観た海外の音楽関係者からも好評を得た。

Mov.3  Nursery rhyme
日本のわらべ歌をもとにミニマル的アプローチでどこまでシンフォニックになるかの実験作である。途中から変拍子のアップテンポになるがここもわらべ歌のヴァリエーションでできている。より日本的であることがむしろグローバルである!そんなことを意識して作曲した。約15分かかる大掛かりな曲になった。

 

2. Asian Works 2020  (World Premiere)
2020年のエンターテインメント音楽として作曲した曲の中から、アジアから依頼されたものを選んだ曲集だ。それぞれの楽曲は中国、香港、台湾と何やら緊張する地名が並んでいるが、政治的意図は全くありません(笑)

I. Will be the wind
LEXUS CHINAの委嘱で作曲、疾走感を重視した。

II. Yinglian
2020年の香港映画「Soul Snatcher」で使用したラブテーマ。クラリネットのソロが印象的な小曲だ。

III. Xpark
台湾の水族館のために作曲した。いわば環境音楽のように観に来ていただいた人々に寄り添う音楽を書いたが、この曲はExitの音楽として観客の皆さんが楽しい気分で帰って欲しい、と思い作曲した。

 

3. Symphonic Suite “Princess Mononoke” 2021
1997年のアニメーション映画「もののけ姫」に書いた音楽をもとに交響組曲として再構成した。数年前にW.D.O.で取り上げたのだが、何かしっくり来なかったので、今回再チャレンジした。

大きく変えた箇所は新たに世界の崩壊のクライマックスを入れたこと、それとスタジオジブリフィルムコンサート世界ツアーで使用しているオーケストレーションを関連楽曲に導入したことなどである。再構成したことでより宮崎さんが目指した世界に近づけたように思え、僕は満足している。

 

最後に本当に来ていただいてありがとうございます。
楽しんでいただけたら幸いです。

久石譲

(「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2021」コンサート・パンフレット より)

 

*パンフレットは4月開催分と7月開催分で[公演日程]と[久石譲 楽曲解説]が一部修正されています。楽曲解説の一~ニ文が添削されています。ここでは7月開催分を掲載しています。

 

 

 

ここからはレビューになります。

 

見たいのは『もののけ姫』のところだけかもしれない。いろいろ言われてもピンとこないかもしれない。長くて読むにツライかもしれない。……それでも、書ききりたい!いま思ったことを刻々と書ききってしまいたい!……そう思ってプログラム順です。『もののけ姫』だけ見たい人は豪快にスクロールしてください。一気に読むのは忍耐かもしれませんが、少しずつでも楽しく読みすすめていただけたらうれしいです。

 

 

交響曲 第2番
Symphony No.2
Mov.1 What the world is now?
Mov.2 Variation 14
Mov.3 Nursery rhyme

待望のシンフォニーNo.2世界初演です。全3楽章、各楽章10分以上、トータル約36分の大作です。まず触れたくなるのは作品名のことです。これまでの流れからみたときに、新作交響曲は《第2交響曲(2番目の交響曲)》であり、タイトルは《○○○○ SYMPHONY》などというようになるのかと思っていました。今回は純粋なる作品番号《交響曲 第2番》として現れました。

 

以前、久石譲はこんなことを語っています。

”これはすごく悩みます。シンフォニーって最も自分のピュアなものを出したいなあっていう思いと、もう片方に、いやいやもともと1,2,3,4楽章とかあって、それで速い楽章遅い楽章それから軽いスケルツォ的なところがあって終楽章があると。考えたらこれごった煮でいいんじゃないかと。だから、あんまり技法を突き詰めて突き詰めて「これがシンフォニーです」って言うべきなのか、それとも今思ってるものをもう全部吐き出して作ればいいんじゃないかっていうね、いつもこのふたつで揺れてて。この『THE EAST LAND SYMPHONY』もシンフォニー第1番としなかった理由は、なんかどこかでまだ非常にピュアなシンフォニー1番から何番までみたいなものを作りたいという思いがあったんで、あえて番号は外しちゃったんですね。”

Blog. NHK FM「現代の音楽 21世紀の様相 ▽作曲家・久石譲を迎えて」 番組内容 より抜粋)

 

『THE EAST LAND SYMPHONY』は、標題音楽(音楽外の想念や心象風景を聴き手に喚起させることを意図して、情景やイメージ、気分や雰囲気といったものを描写した器楽曲のことをいう from ウィキペディア)的側面もあります。

『交響曲 第2番』は、絶対音楽・純音楽に近い、久石譲楽曲解説でいう ”つまり純粋に音の運動性を追求する楽曲を目指した” 作品ということになります。最新インタビューでも、タイトルを付けることをやめた理由について語っています。そこで持ち上がってくるファンの心の声「第1番はどれ?過去のシンフォニー作品たちは?」、そのあたりのこともあわせて別頁で探求しています。よかったらご覧ください。

 

 

楽章ごとには副題が付与されているおもしろさにも注目したいです。

 

Mov.1  What the world is now?
きれいな翻訳が見つけられなかったのですが、僕の解釈です【世界は今どうですか?/世界は今どうなっていますか?/世界は今何が起こっていますか?/世界は今どんな状況ですか?】、こんなニュアンスや意味合いなのかなと思います。世界中を覆っているCovid-19という今を如実に反映したものであると言えます。また、これから先いかなる時もいかなる瞬間も、ふと立ち止まって考えたい問題提起や警鐘のようなもの、と思っています。

荘厳な導入部です。上から下へ連なる2音がくり返す弦楽は、古典クラシック作品にもみられる崇高さあります。最小に切りつめられたモチーフが、ヴァリエーション(変奏)で展開していきます。中間部や終部に聴かれるパーカッションの炸裂も強烈です。急降下する旋律、下からせり上がってくる旋律、うねり旋回する旋律、それらの合間にアタックする最強音たち。単一モチーフ[レ・ファ・ド](D-F-C)および[レ・ファ・ド・ミ](D-F-C-E)の旋律とそこからくるハーモニーは、第3楽章の構成と響きにもつながっていくようです。

 

Mov.2  Variation 14
久石譲楽曲解説にあるとおり、交響曲の第2楽章として書き上げたものを、先に小編成版で披露していた曲です。MFコンサートの16奏者による小編成版も好感触、遂にオリジナル・フルオーケストラが初披露されたというおもしろい登場順番です。全体構成は同じですが、楽器編成の拡大縮小によるパートや旋律の増減はあるのかもしれません。

次の第3楽章とはまた異なる、こちらもわらべ歌のようなテーマ(メロディ)とそのヴァリエーション(変奏)から構成された曲です。メロディがリズミカルになったり、付点リズムになったり、パーカッションや楽器群の出し入れの妙で楽しいリズミックおもちゃ箱のようです。遊び歌のようでもあり、お祭り音頭のようでもあります。日本津々浦々で聴けそうでもあり、海を渡って世界各地の風習や郷愁にもシンパシー感じそうでもあります。子どもたちが集まって遊びのなかで歌う歌、それがわらべ歌です。おはじきのような遊びも、世界各地で石をぶつけて同じように遊ぶものあったり、お祭りのようなリズム感は世界各地の祭事やカーニバルのような躍動感あります。

ひとつのテーマ(メロディ)が、歴史や伝承によって歌い継がれる時間のなかでの変化、あるいは土地や環境によって節回しやリズム感が異なるという空間のなかでの変化。そんな時間軸と空間軸によるヴァリエーション(変奏)という見方をしてみるのもおもしろいなと思います。そこには、人・歴史・記憶・思いといったものが重層的に響きあうように思うからです。

また、近年久石譲が推しすすめている単旋律の手法を連想させます。厳密に言うと、単旋律になっている箇所はないと思うのですが。単旋律の手法で使っていた同じ音を複数の楽器で重ねることで、音の厚みを瞬間的に持たせたり、重ねる楽器をカラフルにすることで色彩感を演出する。そういったことが随所に施されていますが、部分的にも単旋律で押しきっている箇所はないと思います。それでも、楽章をとおして極力ハーモニー感をおさえた書きかたがされています。ハーモニーからくるエモーショナルじゃない、リズミックからくるエモーショナルで貫きたい、たとえばそんな印象です。

 

About “Variation 14 for MFB” and “Single Track Music”

MFヴァージョンは、コンサート動画特別配信もされています。単旋律についてもあります。

 

 

Mov.3  Nursery rhyme
タイトルそのまま日本語で”わらべ歌”です。12~13小節からなる五音音階メロディラインが次々とフーガのように織りかさなっていきます。久石譲楽曲解説にあるとおり、”途中から変拍子のアップテンポになるがここもわらべ歌のヴァリエーションでできている。” なるほどたしかにわかりやすくなります。

久石譲のいう “日本のわらべ歌をもとに” というのが、特定の歌をさしているのかわかりませんが、日本人なら誰しも聴いてすぐに「かごめかごめ」をイメージすると思います。うーん、悩む。ベースとなっているのは「かごめかごめ」でもいいとは思うんです。けれども、例えば変拍子のアップテンポになるヴァリエーションなど聴きすすめていくと、また別のわらべ歌を連想する人もいると思います。聴いた人それぞれが生まれ育った土地にある歌に結びつきやすい。わらべ歌は五音音階の似た旋律が多くみられます。つまり、総合的なわらべ歌のイメージが、この第3楽章の基本モチーフになっているとみることもできるような気がします。「かごめかごめ」の楽曲的背景を暗喩としてどこまで持ち込みたいとしているか、このあたりにも付随してくることだと思うので、一旦「この曲から引用」とは断定しないでおきたい今の心境です。

”ミニマル的アプローチでどこまでシンフォニックになるかの実験作である”、久石譲の楽曲解説からです。ここからはテーマ(メロディ)だけに注目して楽章冒頭を紐解いていきます。コントラバス第1群がD音から13小節のテーマを奏します。2巡目以降は12小節のテーマになります。本来は1コーラス=12小節のテーマでできていて、1巡目に1小節分だけ頭に加えているかたちです。「レーレレ/レーレミ、レーレーレー」(13小節版)、「レーレミ、レーレーレー」(12小節版)というように。なぜ、こうしているのかというと、かえるの歌の輪唱とは違うからです。かえるの歌はメロディ1小節ごとに、次の歌い出しが加わっていきますよね。なので、ズレて始まって、そのままズレズレて終わっていきます。

コントラバス第1群が2巡目に入るとき、同じ歌い出しの頭から、コントラバス第2群がA音から13小節のテーマを奏します。同じく2巡目以降は12小節のテーマになります。この手法によってズレていくんです、すごい!12小節のテーマだけなら、同じ歌い出しの頭から次が加わっていくと、メロディをハモるように重なりあってズレることはありません。でも、なんらかの意図と理由で、歌い出しの頭を統一しながらもズラしたい。だからすべて1巡目だけ13小節で、2巡目以降は12小節なんだと思います、すごい!テーマは低音域から高音域へとループしたまま引き継がれていきます。つづけて、チェロはE音から、ヴィオラはC音から、第2ヴァイオリンはG音から、第1ヴァイオリン第1群はB音から、最後に第1ヴァイオリン第2群はD音からと、壮大な太陽系を描くように紡いでいきます。そして全7巡回したころには、壮大なズレによる重厚なうねりを生みだしていることになります。対向配置なので、きれいにコントラバスから第1ヴァイオリンまで時計回りに一周する音響になることにも注目したい。さらに言うと、コントラバス第1群のD音に始まり、最終の第1ヴァイオリン第2群もD音で巡ってくるわけですが、このとき響きが短調ではないと思います。メロディの一音が替わっているからです。あれ? なんで同じD音からなのにヴァイオリンのときは抜けた広がりがあるんだろう、暗いイメージがない。ここからくるようです。

(余談)「わらべ唄」と「天女の歌」(両作曲:高畑勲)でも同じような関係性と響きをみることができますね。快活に歌われるメロディと、暗い影をおとすメロディ。同じ旋律をもとにしながら響きや印象をがらっと変える。わらべ歌というものがそういったことをしやすいのか、五音音階のライン上で動かすことに効果を発揮するのか、とても興味深いところです。(余談おわり)

登場順からは少し入れ替えますが、ピアノなどで低い順に[レ・ラ・ド・ミ・ソ・シ](D-A-C-E-G-B)と同時に鳴らすと美しい和音になることがわかります。7巡する旋律からくる基音6音(D-A-C-E-G-B)ですが、再現部にコントラバスのF音から始まります。これを加えると基音7音(D-F-A-C-E-G-B)で、ピアノを指で押さえた状態を見ると3度ずつ均等に離れた音が、両手を使って2オクターブできれいに響いていると思います。また、ここで第1楽章の単一モチーフを思い出してみます。単一モチーフ[レ・ファ・ド・ミ](D-F-C-E)の旋律とそこからくるハーモニーと、第3楽章のテーマの基本7音[レ・ファ・ラ・ド・ミ・ソ・シ](D-F-A-C-E-G-B)は、同じようなハーモニーを響かせていることに気づきます。わらべ歌の五音音階のメロディからくる日本的響きと、セブンスコードのようなモダンな響きによる深いブレンド。それから、かえるの歌のようにまったく同じメロディが重なっていくのではない、メロディの音をそっと一音替えることで明暗をつくりだす。基本テーマも中間部ヴァリエーションも終盤の再現部も、同じような響きの変化を聴くことができます。重層的な旋律とそこから生まれるハーモニーの整合性をとっているように思えます。……わかったようなことを言ってはいけない、失礼しました、終わります。

再現部のクライマックス(楽章終盤)、コントラバスやチューバのどっしりしたテーマに支えられた管弦楽の大謳歌は『ムソルグスキー:展覧会の絵』終曲「キエフの大門」を彷彿とさせるほどの荘厳さを感じます。いや、黄金の国ジパングか!? 終結部のソロ・コントラバスはE音から12小節のテーマを奏して幕をとじます。コントラバスという低弦楽器に始まり、そして終わる。とても土着的なイメージをあたえてくれます。そこに根づいているということ、あるいはちゃんと根を張ることの象徴のようにも感じます。

 

高畑勲監督が聴いたら喜んだんじゃないかな、満面の笑みで楽しんだんじゃないかな。そんなこともまた思いました。あるいは、この作品をベースに映像をつけさせてほしい、なんていう逆オーダーもありそうなほど気に入ったかもしれない。そんなこともまた思いました。なんとはなしに、目頭の熱くなってくる作品です。

 

総評して。

まず驚きます。何に驚くかって、この作品の初演が海外オーケストラとの共演で予定されていたということです。これだけ日本的な旋律や響きの色濃い作品であれば、普通なら日本のオーケストラと初演や共演を重ねて地盤と自信を固めたいとならないのかな。それをフランスのオーケストラが初演!?、なんとも野心的だと思います。

でも、ここにこそ、久石譲のみなぎる自信があるように感じてきたりもします。つまり、日本的な旋律を使いながら、全楽章とおして縦のラインがそろっている。タタッ、タタッ、と縦わりで、ターラッとこぶしをつけたくなるような旋律も、一切の節回しを排除して、リズミックに徹しています。たぶん、リズムものってきてテーマを歌おうとしたら「タ~ラッ」ってなってしまいそうなところも、「タッタッ」と一貫してきちんとそろえてアプローチしています。だからこそ、海外オーケストラでも、この交響曲を同じクオリティと求める表現でパフォーマンスできる。作品の持ち味と現代的なアプローチをいかんなく発揮できる。そう踏んだじゃないかと思うほど。勝手に震える。

『THE EAST LAND SYMPHONY』と『交響曲 第2番』で確信したこと。久石譲にしかつくれない交響曲がある。そこには大きな3つの要素があります。古典のクラシック手法、現代のミニマル手法、そして伝統の日本的なもの。この3つの要素と音楽の三要素(メロディ・ハーモニー・リズム)の壮大なる自乗によって、オリジナル性満ち溢れた久石譲交響曲は君臨しています。これは誰にもマネできるものではありません。言い換えると、今の時代の×日本の誇る×世界に発信する 現代作曲家、ということになりますよね! We want to listen to your Symphonies. そんな海外オファーも増えてくるんじゃないかな。いつか久石譲ご本人による、音楽専門家らによる音楽的作品解説にも期待したいです。

『交響曲 第2番』にフォーカスすると、正統的な番号付け作品として初めて登場しながら、構成や形式は必ずしも正統的ではありません。ソナタ形式、緩徐楽章などといった一般的な交響曲のかたちではない。全楽章が変奏形式(ヴァリエーション)で構成されているという、とんでもなく個性的です。久石譲のミニマル×ヴァリエーションの手法がとても相性がいい、いやいや強力な武器であることに気づかされるほどです。聴く人ひとりひとりの豊かな感受性によって、この交響曲はより一層イマジネーション豊かに響きわたっていきそうです。

これからも久石譲交響曲は作品番号を重ねていくでしょう。そして、重ねれば重ねるほど私たちは実感していくことになると思います。交響曲は、現代作曲家 久石譲としての最終形態であり到達点であるということに。ジブリの曲は知ってる、映画音楽やCM音楽は聴きやすい、ミニマル曲こそおもしろい、現代作品の先鋭さかっこいい。そんなすみ分けや境界線すら吹き飛ばしてくれる交響曲たち、それは《総合的な久石譲音楽のかたち》です。

 

 

Asian Works 2020

多くの人が初めて聴いた曲も多いだろうなか、SNSコンサート感想などでも人気の高かったコーナーです。そして、きれいに人気を等分していたのも印象的でした。エンターテインメントで発表された楽曲たちがすぐにコンサートで聴けるというのも、近年では珍しいかもしれません。音源化の有無なんかもふくめてリアルタイムに追いかけているファンにもうれしいラインナップとなりました。

 

I. Will be the wind
先に公開されたオリジナル音源と楽曲構成はほぼ同じだと思います。

”叙情的でミニマルなピアノの旋律と室内オーケストラ編成で構成されている。ミニマルなモチーフのくり返しを基調とし、奏でる楽器を置き換えたり、モチーフを変形(変奏)させたり、転調を行き来しながら、めまぐるしく映り変わるカットシーンのように進んでいく。

後半はミニマルなピアノモチーフの上に、弦楽の大きな旋律が弧を描き、エモーショナルを増幅しながら展開していく。かたちをもたない風、安定して吹きつづける風、一瞬襲う強い風、淡い風、遠くにのびる風。決して止むことのない風、それは常に変化している、それは常にひとつの場所にとどまらない。ミニマルとメロディアスをかけあわせた、スマートでハイブリットな楽曲。”

Disc. 久石譲 『Will be the wind』 *Unreleased レビューより抜粋)

 

たとえば、世界中から日本を訪れる人たち。飛行機が滑走路へ降り立つ機内で、日本を紹介するビデオと一緒にこの音楽が流れる。なんと美しいウェルカム音楽だろうと思います。そして、これから旅する日本への高鳴る気持ちを運んでくる。つつましさと、風流さ舞うなおもてなし。

 

II. Yinglian
ぜひサントラ盤も聴いてみてください。この曲はTrack.17「英蓮 / Yinglian」です。

”愛のテーマ。主要キャラクターの一人、女性が登場するシーンで多く聴かれる楽曲。お香のような、ゆらゆらと、ふわっとした、無軌道な和音ですすむ。ゆるやかな独奏、メロディとアドリブのあいだのような、動きまわりすぎない加減の無軌道な旋律がのる。魅惑的で妖艶な曲想は、これまでの久石譲には珍しい。クラリネット、ピアノ、フリューゲルホルン、フルート、ストリングス。登場するたびにメロディを奏でる楽器たちを変え、まるで衣装替えに見惚れるように、つややかに彩る。(Track.17,20,25,27)”

Disc. 久石譲 『赤狐書生 (Soul Snatcher) オリジナル・サウンドトラック』 レビューより抜粋)

 

III. Xpark
明るく軽やかな曲です。音符の粒の細かいメロディがつながってラインになって、楽しそうに転げているようです。そして広がりのある曲です。ありそうでなかった!そんな久石譲曲です。番組音楽に使わせてください!そんな久石譲曲です。後半のソロ・ヴァイオリンの旋律も耳奪われる演出です。ホンキートンク・ピアノのように、ちょっとチューニングの狂った調子っぱずれのニュアンスで、小躍りするほど浮足立った弾みを表現しているようにも聴こえてきます。してやったりなコンマスと指揮者の目配せに笑みこぼれます。こんな音楽でおでかけの楽しい一日が締めくくれたらなんて素敵だろう。

映画『海獣の子供』公開時、コラボレーション企画として国内いくつかの水族館で、この映画音楽を使ったショータイムが開催されました。撮影OK!拡散Welcome!ということもあって、よくSNSで動画見かけました。それを目にしてのオファーだったのかはわかりません。でも、久石譲のミニマル・オーケストレーションは、ほんと海や宇宙のミクロマクロな世界観と抜群Good!なことはわかります。

 

 

Symphonic Suite “Princess Mononoke” 2021

待った甲斐あったスケールアップ!2021年版は楽曲構成も追加され、いよいよその全貌を現しました。

<構成楽曲>
1.アシタカせっ記 (交響組曲 第一章 アシタカせっ記)
2.タタリ神
3.旅立ち -西へ-
7.コダマ達
4.呪われた力 *
8.神の森 (交響組曲 第五章 シシ神の森)
20.もののけ姫 ヴォーカル (交響組曲 第四章 もののけ姫)
28.黄泉の世界 *
29.黄泉の世界 II *
30.死と生のアダージョ II *
31.アシタカとサン (交響組曲 第八章 アシタカとサン)

ナンバー/曲名『もののけ姫 サウンドトラック』に準ずる
(曲名『交響組曲 もののけ姫 CD版』に準ずる)

*新規追加楽曲

 

《Symphonic Suite PRINCESS MONONOKE》2016年版
a) アシタカせっ記
b) TA・TA・RI・GAMI
c) 旅立ち
d) コダマ達
e) シシ神の森
f) もののけ姫 (vo)
g) レクイエム
h) アシタカとサン (pf/vo)

 

 

『もののけ姫』の作品世界もあいまって、語彙豊かな感情豊かなコンサート感想がSNSには溢れていました。一人一人がこの作品と共に歩んできた証なのかもしれません。そこには到底敵わない。なので、事実確認として報告いたします!…なるべくわかりやすく箇条書きで書いていきます。

 

1.2016年版と2021年版では構成楽曲が新たに入れ替わっています。

2.2016年版「レクイエム」が除外され、2021年版「黄泉の世界I,II~生と死のアダージョII」が新規追加されています。「レクイエム」は『交響組曲 もののけ姫 CD版』独自の楽曲構成からとなっていました。

3.交響組曲作品『千と千尋の神隠し』や『魔女の宅急便』のあり方にならって、映画本編で使用した音楽を中心に、サウンドトラック盤ベースに楽曲構成するというコンセプトに大きく軌道修正したように思います。一方では、楽曲によって『交響組曲 もののけ姫 CD版』のオーケストレーションを活かしているところもあります。上記〈構成楽曲〉で( )表記しています。

4.『交響組曲 もののけ姫 CD版』にしかなかった独自のメロディやパートは極力除外したということになります。「神の森」は「交響組曲 第五章 シシ神の森」の楽曲構成に近いですが、イメージアルバム「シシ神の森」の楽曲構成と世界観から取り込んでいるとするのが、正しいに近いと思います。風の谷のナウシカの交響組曲もイメージアルバムから「谷への道」を導入したように。初期の構想からすでに生まれていたけれど映画本編には使われなかった曲。

 

…と2016版と2021版の大枠の変化を記したうえで、《交響組曲 もののけ姫 2021版》を構成する楽曲をそれぞれ見ていきましょう。

 

5.「アシタカせっ記」、太鼓たちの轟きで一瞬にして『もののけ姫』の世界へ。この確固たるメインテーマが聴けただけで満足感いっぱいになりますが、我に返ってまだまだ一曲目です。

6.「タタリ神」、荒れ狂うような速いパッセージの弦楽器に管楽器、そして通奏するパーカッション群。重く獰猛に進んできそうなメロディは、これまでにはない革新的な日本製マーチ(行進曲)の誕生だったとすら感じます。

7.「旅立ち -西へ-」、この曲好きな人とっても多いと思うんです。交響組曲に登場したこと感無量な人とっても多いと思うんです。

8.「コダマ達」、サウンドトラックのみに収録されていた楽曲(オーケストラ+シンセサイザー)で、2016版から交響組曲に盛り込まれました。ピッツィカート・木管・鍵盤打楽器、そして木柾やウッドブロックなどの小ぶりなパーカッションたちが、コダマたちを巧みに表現しています。

9.「呪われた力」、2016年版「レクイエム」パート中にもありましたが、前半に単曲で新規追加されました。細かくいうとアレンジは交響組曲CD中のもの、およびサントラ盤「23.呪われた力 II」に近いです。物語にそった組曲を目指したこと、呪われた力の凶暴性を出すことで、のちのシシ神の森のシーンや終盤の黄泉の世界までしっかりとつながっていきます。

10.「神の森」、『交響組曲 もののけ姫 CD版』に近い楽曲構成になっています。ただし、4.にも記しましたが、遡ればイメージアルバム「シシ神の森」にもすでにありました。映画本編では未使用となったもの、音楽作品として極めるためにはあってしかりですね。

11.「もののけ姫」(vo)、ソプラノによって歌われます。序盤の伴奏もピアノではなく、ハープなどで静な深い森を演出しているようです。(vo)についてはのちほど…。

12.「黄泉の世界I,II~生と死のアダージョII」、久石譲楽曲解説に ”新たに世界の崩壊のクライマックスを入れた” とあたります。シシ神殺しのパートをダイレクトに入れ込むことで、破壊と再生、生と死、『もののけ姫』作品世界の内在する二極を表現しています。そして前半の「呪われた力」にあった、決して消えることのない痣、いつ濃くなり蝕むかわからない痣を思い起こさせます。それは、決して簡単に答えの出ない世界で生きていく私たちへと、しっかりと刻み込まれる思いがします。

13.「黄泉の世界I,II~生と死のアダージョII」、サントラ盤ではシンセサイザーの唸るような音色が、ここでは見事にコントラバスのグリッサンドで表現されています。うん、再現という以上の効果を発揮しています。圧巻です。こんなことできるんだと鳥肌ものでした。ここまでできたらもう怖いものないんじゃないかなというくらい(どんなシンセ曲でもオケ曲にできる、の意)。

14.「黄泉の世界I,II~生と死のアダージョII」、たしかにと納得してしまいます。これぞ入って『もののけ姫』の世界と強く膝を打ちたくなります。そうして、それでもしっかりと生きていかなければいけない私たちへと迫り浴びせられる地割れのする管弦楽の轟きの後、希望と再生へとつながっていきます。

15.「アシタカとサン」(vn/vo)、やっぱり導入は僕がエスコートしないと(幻の声)、1コーラス目は久石譲ピアノが迎え入れたソロ・ヴァイオリンが美しいメロディを奏でます。2コーラス目にソプラノによって丁寧に歌われることもあって、豊嶋泰嗣さんのフェイク(メロディラインの持つ雰囲気は残しつつも、ある程度装飾的な要素を加えつつ崩して演奏すること)が光っています。

16.「アシタカとサン」(vn/vo)、2コーラス目はソプラノによって歌われます。「信じて~」からの天からやさしく降りそそぐ光ようなストリングス(武道館verから)、チューブラーベルの希望の鐘が高らかに、やさしい余韻へと。(vo)についてはのちほど…。

17.久石譲楽曲解説に ”スタジオジブリフィルムコンサート世界ツアーで使用しているオーケストレーションを関連楽曲に導入した” とあります。『久石譲 in パリ』のTV音源を聴いていても、僕には見つけることできませんでした。アンコール「アシタカとサン」はTV放送されていない。とても精緻なオーケストレーションのところなのかな…?

 

 

浅はかでした。ごめんなさい。

壮大なお詫びをしたいと思います。以前に、『交響組曲 もののけ姫 2016年版』だけがCD化されないことについて、うだうだつらつら書いたことがあります。そこでは「ああ、歌の部分に納得してないのかなあ」ということを中心に掘りさげていました。だったら歌なし版でもいいのかも……ちょっとだけそんな書いていたかもしれません…。

今回の久石譲楽曲解説に、”数年前にW.D.O.で取り上げたのだが、何かしっくり来なかったので、今回再チャレンジした。” とあります。ただ、そのつづきを読んだらわかるとおり、楽曲構成において主に修正がかかっています。

……

2021年版を聴いて「歌は必要なんだ!」と強く思いました。『もののけ姫』という作品において、歌(言葉)による精神性の表現というのは大切なことなのかもしれません。世界ツアー版で「もののけ姫」はソプラノによる日本語歌唱、「アシタカとサン」はコーラスによる開催地公用語(英語/フランス語など)で歌われています。でも、だから2021年版もやっぱり歌で、と言っているわけじゃないんです。

それは、「日本語による歌唱」です。ここに強くこだわっているように思えてきました。世界ツアー版とは異なり、これから先《Symphonic Suite “Princess Mononoke” 2021》が海外公演されるときは、現地オーケストラと現地ソリストによる共演になります。そして、きっと「日本語による歌唱」です。これはたぶん揺るがない。

ディズニー映画『アナと雪の女王』の主題歌「Let It Go」。映画プロモーション企画で、25ヶ国語で歌いつながれた主題歌動画が公開されたとき、話題となったのは日本語で歌われていたサビ「ありのままの~」の部分です。音符ひとつひとつに、言葉ひとつひとつを乗せた日本語に「キュート!美しい!」と世界の人たちが反応しました。日本人だけはピンとこないのか、そうなの?、何をそんなに騒いでいるのかわからない、温度差を感じるほど、世界はその瞬間たしかに日本語に熱狂しました。

これです。《Symphonic Suite “Princess Mononoke” 2021》でめざしたのは、『もののけ姫』の世界を音楽で表現すること、日本的なメロディ・ハーモニー・リズムを余すことなく表現すること、そのなかに日本語の美しさを表現することも含まれる。そう強く思いました。オペラなどと同じように、純正の日本語でしっかりとした作品をのこす。「日本語っていいね、きれいな響きだね」と言われるものをつくる。

「もののけ姫」(作詞:宮崎駿)も、「アシタカとサン」(作詞:麻衣)も、文字数にすると少ない日本語で作られています。久石譲が作曲した音符の数とほぼイコールになります。言葉ひとつひとつに、音符ひとつひとつがのる。もうひとつ、久石譲は歌詞にメロディをつけるときに、言葉のアクセントやイントネーションには逆らいません。発声と同じように自然なメロディをつけます。♪ポニョ~も♪トトロ~も、そうですよね。そのふたつの手法こそ、久石譲がポリシーとしてずっとやってきたことです。あるとき「レット・イット・ゴー ~ありのままで~」現象と突如パッとつながったんです。そういうことか!そういうことか?!ちっ違いますか…? と。

スタジオジブリ作品交響組曲プロジェクト、2015年以降『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『千と千尋の神隠し』『魔女の宅急便』『もののけ姫』とここまできました。そして、ジブリ作品が日本を代表する象徴であるように、交響組曲でも初めて純正の日本語でしっかりと作品をのこす『もののけ姫』が2021年版として堂々完成することになった。このことは、海外で演奏される近い未来にとっても、日本文化として残ってほしい遠い未来にとっても、大きな意味と価値をもっていくだろう、そう強く思っています。

……

17の箇条書きと壮大なお詫び、けっこうなボリュームになってしまいました。最後に一文で。物語にそった音楽構成と日本語の美しさで『交響組曲 もののけ姫』完全版ここに極まる。

 

 

World Dreams

「9.11」から20年の今年。このことだけでも重みのある一曲です。そして「Covid-19」の渦中にある今。どんな時でも必ず演奏される曲。こんな一面も、4月24日無念さを残しながら、それでも今できることをかみしめるように演奏したWDOオーケストラメンバーのSNSの声も印象的でした。観客だけじゃなく、楽団員にとっても大きな一曲は、中断を経て新しい完走地点の7月25,26日いろいろな想い駆け巡りながら、会場に響きわたりました。

 

 

東日本大震災から5年後の2016年にシンフォニーNo.1「THE EAST LAND SYMPHONY」と「交響組曲もののけ姫2016」。そして10年後の2021年にシンフォニーNo.2「交響曲 第2番」と「交響組曲 もののけ姫 2021」。まさかのアクシデントを乗り越えて完走したW.D.O.2021は、10年前に思い描いていた未来ではない、新しい試練の真っ只中となりました。

そんななかでも、全公演完売御礼となったWDOコンサートはやっぱりすごい。今回もオール久石譲プログラムでしたが、WDO史上最も久石譲らしい作品たちが並んだようにも思います。日本やアジア色の強い作品たちが、待望の新作交響曲と熱望のエンタメ作品が、日本人作曲家としての久石譲の魅力が、リタルタイムで世界各地にライブ配信されたということもきっと大きいと思います。

 

 

コンサート・パンフレットは販売による密集を回避するためか、観客全員に配布されるものとなっていました。各会場特設販売コーナーでは、最新ベストアルバムCDや最新スコアなどが並んでいました。

いつもなら全公演とも一瞬でスタンディングオベーションが起こります。今回も気持ちはそう!したかった!…遠慮や躊躇があります見られます。席を立つことで、大きく拍手することで、ウィルスを舞わせてしまうんじゃないかと危惧するように、科学的根拠はたぶんないけれど心理的なもの…ここが日本人らしいんです。海外ファンの配信視聴した皆さんは不思議だったかもしれないから、ひと言添えておきたい。気持ちはオール・スタンディングオベーション!

MCのない久石譲コンサートですが、アンコール終わっても鳴り止まない拍手に、何回も登壇する久石譲は、拍手をやさしく制して「今日はありがとうございます」「気をつけて帰ってくださいね」「また会いましょう」などと各会場でひとこと挨拶してくれました。

 

 

 

みんなの”WDO2021”コンサート・レポート、ぜひお楽しみください。

 

 

リハーサル風景

from 新日本フィルハーモニー交響楽団 団員SNS

 

 

記念撮影

from 豊嶋泰嗣 SNS

 

from 二期会21 公式ツイッター
@nikikai21

 

公演風景

4/24 東京公演

 

7/26 東京公演

 

 

2021.08.06 追記

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

 

Blog. 「久石譲 FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.3」コンサート・レポート

Posted on 2021/07/12

7月8,10日開催「久石譲 FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.3」コンサートです。当初予定からの延期公演です。プログラムも新たにアップデートされ、長野は3年ぶりの凱旋公演(FOC前身のNCO誕生の地)ともなり、たくさんのお客さんがつめかけた熱い公演になりました。また東京公演はライブ配信もあり国内外からリアルタイムで楽しめる機会にも恵まれました。

 

先にまとめみたいなもの。

久石譲コンサートがあるたびに、「初めてのオーケストラ」「初めてのクラシック」というSNS書き込みを、ひとつふたつとは言わない数で目にします。ということは、実際には同じような人が数十人はいる。若い人を中心に。そのとき会場で体感して感動するのは、オーケストラの迫力、生楽器の音の良さ、目と耳では追いつかない情報量の多さ。

きっとまた行きたいと思いますよね。そこに、コンサートの瞬間ではわからなかったことの好奇心、知ることの喜びへつながっていったら。僕もそんな思いの連続です。コンサートごとに、なにかひとつ学ぶことができたらいいな、小さくレベルアップできたらうれしいなと思っています。

 

 

久石譲 FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.3

[公演期間]  
2021/07/08,10

[公演回数]
2公演
東京・東京オペラシティ コンサートホール
長野・長野市芸術館 メインホール

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:Future Orchestra Classics
コンサートマスター:近藤薫

[曲目] 
レポ・スメラ:交響曲 第2番
久石譲:I Want to Talk to You ~for string quartet, percussion and strings~

—-intermission—-

ブラームス:交響曲 第2番 ニ長調 Op. 73

—-encore—-
ブラームス:ハンガリー舞曲 第17番

 

 

 

まずは会場で配られたコンサート・パンフレットからご紹介します。

 

 

ご挨拶

FUTURE ORCHESTRA CLASSICSの第3回目が2度の順延を経てやっと実現しました。東京も世界も依然として先の見えない不安定な状況が続いていますが、FOCはクラシック音楽の将来を見据えて一歩一歩前に進む覚悟です。本日のプログラムは1年半かけて練り上げたもので、自信を持ってお勧めできます。どうぞ、お楽しみください。

 

FOC 本日の曲目についての私的コメント

Lepo Sumera: Symphony No.2

Lepo Sumeraは1950年生まれのエストニアの作曲家だ。エストニアにはArvo Pärtという世界的な作曲家がいるが、彼が静かならSumeraは動である。とてもエモーショナルで激しい。おそらく彼のこの作品が日本で演奏されるのは初めてだと思われる。なにぶん資料が少ないのではっきりと言えない。が、その分スコアのまちがい、あるいは不明なところも相当あり、エストニアのオーケストラに確認をしてもらったが完全にクリアになっていない。現代の音楽を演奏する場合はいつもこういう問題が起こる。だが曲は素晴らしい。強力なエナジーが最大の魅力である。僕は今年の秋にも日本センチュリー交響楽団の定期で彼のチェロ協奏曲の日本初演、MUSIC FUTURE Vol.8でピアノ曲など演奏していく予定だ。皆さんにもこの名前を覚えておいていただきたい。交響曲第2番は3つの楽章からできており、続けて演奏される。

 

Joe Hisaishi: I Want to Talk to You  ~for string quartet, percussion and strings~

2020年5月に行われる予定だった山形合唱連盟の記念コンサートで演奏するために委嘱されて、2019年10月から2020年3月にかけて作曲した。

作品自体は 1. I Want to Talk to You  2. Cellphone の2曲からなる約20分の作品になったが、作曲の過程で弦楽四重奏と弦楽オーケストラの作品にするアイデアが浮かび、比較的短期間でそれも完成した。

街中を歩いていても、店の中でも人々は携帯電話しか見ていない。人と人とのコミュニケーションが希薄になっていくこの現状に警鐘を鳴らすつもりでこのテーマを選んだが、世界はCovid-19によって大きく変容した。人と人とのディスタンスを取らざるを得ないという状況では携帯電話がむしろコミュニケーションの重要なツールになった。この時期にこの曲を書いたことに何か運命的なものを僕は感じている。

日本センチュリー交響楽団によって今年の3月大阪で世界初演した。本日はその第1曲目を演奏する。

 

Brahms: Symphony No.2 in D major Op.73

どうアプローチするか目下思案中!

最もBrahms的な作品。

ロマン派的エモーショナルと古典派的フォームの重視をどう融合するか? スーパーオーケストラFOCならではの最速、感動のBrahmsをお届けしたい。

乞うご期待!

2021年7月 久石譲

(「久石譲 FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.3」コンサート・パンフレットより)

 

 

 

コンサート・カウントダウンに入った開催9日前からは、公式ツイッターにて「一言インタビュー動画」も公開されました。上のコンサート・パンフレットの内容を補強する点でも、とても貴重な内容です。あらためてぜひご覧ください。そして公式SNSはぜひチェックしてくださいね。

 

[日本語テロップ/書き起こし]

もともと長野市芸術館で芸術監督をやっていて、そこでキチンとした演奏団体が欲しいとNCO(ナガノ・チェンバー・オーケストラ)を作りました。それが前身で、今度は東京に活動を移してやりたい。それでFOC(フューチャー・オーケストラ・クラシックス)という名前でやっている。今更そういうことを聞く?

 

”現代”であるということを一番意識したプログラムを作りたいんです。古い作品ばかりやっていると古典芸能になっちゃう。古典を古典らしくやるんじゃなくて、リスペクトはしますが、もう一回洗い直すことで新しい可能性あるんじゃないか。それをやりたいから「FUTURE ORCHESTRA CLASSICS」なんですね。

 

(石川:)久石さんのストイックなところいろんなところに共感して集まってきている仲間だと思うので。FOCは機動力ありますよね。

(福川:)例えば僕が「こうしたい!」と言ったら「いいよ!やってみようよ」みたいな。

(久石:)普通のオーケストラはダンプカーや大型バスの感じなんですよ。ハンドル切ってもグ~ッと回っていく感じ。うちはスポーツカーなんですよ。ハンドル切るとギュイッと曲がるっていうかね。その機動性がめちゃくちゃ快感なんですよ。

(福川:)上手い!

 

歌う。インテンポ(一定の速度)で歌う。そこを駆使しないと少しブラームスに対応するのが厳しくなる。ちょっといろいろ秘策を練っているところ。それをできたら怖いものないんじゃないかな、たぶん、うん。

 

今回のプログラムはいいよ。「I. レポ・スメラ:交響曲 第2番」から始まって「II. I Want to Talk to You」やって、最後に「III. ブラームス:交響曲 第2番」。すごい個人的には大好きなプログラムになったね。チャレンジがいがある。あっ、ついでに言っとくけどもうじきCDと譜面が出る。石川さんにはContrabass Conertoを彼のために書いた。福川さんにはHorn Concerto (“The Border”) を書いて…買ってください。

 

レポ・スメラという人は知らなかった。すごく仲の良いデニス・ラッセル・デイヴィスという指揮者がいて、彼が推薦してきたのが「レポ・スメラ:交響曲 第2番」だった。レポ・スメラはエストニア出身で1950年生まれ。ものすごい情熱的ですよ。日本ではほとんど演奏されていないから、しばらくレポ・スメラの主な曲を日本に紹介したい。

 

山形のコーラス団体から委嘱されて作った曲。こういうパンデミックが起こる前にもう作っていたけど。I Want to Talk to You = あなたと話したい、この時期に書けてよかった。ほんとにこの時期の曲だったんだって。FOCできっちり演奏して、きっちりレコーディングする。そう思っている曲です。

 

第2番は、僕はブラームのなかで一番難しい。ちょっと要素が多すぎる。だからリズムからのアプローチを新しくやる。それと”歌う”ことで、考えていることを全部クリアにできるかもしれない。

 

 

東京

 

長野

 

公演風景

会場の熱気が伝わってきます。

久石譲「また帰ってこれて本当にうれしいです。また会いましょう」

from 久石譲コンサート@WDO/FOC/MF
@joehisaishi2019

 

 

 

 

ここからはレビューになります。

 

とは言いながら、当日の急なアクシデントで会場へ向かえませんでした(ほんとう残念)。ライブストリーミングのおかげでコンサート楽しむことができました。ありがとうございます。

 

レポ・スメラ:交響曲 第2番

予習で聴いていたときに、モチーフのくり返しにこだわった作品だとは思っていたのですが、まさかハープが2台も使われているとは思いませんでした。ステージ上のハープ2台は、いつもの奥端ではなく指揮者と向き合うように中央前面に配置されています。第1楽章冒頭から第3楽章終部まで。全体をとおして軸となりよく聴こえる音像からも重要性がわかります。

久石譲作品とも親和性のある現代作品です。FOCのためにプログラミングする作品としてもうなずけます。リズムやソリッドなアプローチを追求してきたFOC、相性も抜群と言えます。

ついついこういう作品を聴くと、反面教師じゃないんですけれども、久石譲作品との違いってなんだろうと考えてしまうクセがあります。レポ・スメラは映画音楽も手がけているようで、音楽による劇性や聴かせどころがしっかり出ています。スリリングで緊張感をキープした作品です。でも、僕はというと…(個人の感想です)ごにょごにょしててよくわからん、みたいなパートがあったりします。楽器たちがわりと狭い音域でひしめき合っている感じがあって見通しがあまりよくない。久石譲音楽の場合はどうだろう? と考えるクセがでる。たとえばひとつ、ピッコロやグロッケンといった高音域楽器がこの作品にはない、チューバやコントラバスの低音域楽器にどういう旋律を与えているか、こういったオーケストレーションの差異が見え隠れしだすと、とてもおもしろくなってきます。僕はちょっと変わった聴き方をしているのかもしれません。音楽が見通しよく立体的というのがどういうことなのか、何回でも聴きたい衝動はどこからきているのか、、などなど。他作品と並べることで、優劣ではない、違いを見つけられる。そこからそれぞれの良さがくっきりしてきたり、久石譲作品の魅力が跳ね返ってきたり。プラスな反面教師思考みたいなものでしょうか。

世界を見渡せばこういった現代作品を書いている作曲家がいること、その作品を知れること体感できること。久石譲が注目しているものに触れることができる機会はコンサートあってこそです。久石譲コメントにもあるとおり、レポ・スメラ作品は交響曲・チェロ協奏曲・ピアノ曲と今後も演奏予定とあります。この交響曲第2番は、海外公演も予定されています。

 

 

 

久石譲:I Want to Talk to You ~for string quartet, percussion and strings~

作品については、久石譲コメントにあるとおりです。とても惹きつけられる作品です。ただ、いかんせん何回聴いても、わかるとっかかりもない。ただただ、無防備に浴びているだけでも満足してしまう。今は、それでいい作品なのかなとも思っています。たぶん、Covid-19に覆われた今聴くのと、これから3~5年後に聴くのとでは、印象も変化してくる作品なのかもしれません。複合的や重層的な受け止めかたしたりと、時間の流れとともに、歴史のなかでこれから起こることともに見つめていきたい作品です。いつの日か、久石譲本人や専門家によって楽想的なことについても大いに語ってもらいたい作品です。

3月初演時の感想は、わからないということを、わからないなりに、もっとたくさん書いています。よかったらご覧ください。

 

 

 

ブラームス:交響曲 第2番 ニ長調 Op. 73

すごい迫力でした。こんなにエネルギッシュな作品だったんだと新鮮でした。ブラームスは交響曲第1番を発表したあと、とても解放的になったのか、この作品は伸びやかで快活です。でも、個人的には(一般的にも?!)第1番と第4番の影に隠れてしまうのが第2番と第3番です。

久石譲コメント(パンフレット/動画)にあるとおり、いろいろなことが探求され具現化されているんだと思います。第1楽章のくり返し含む演奏で通常45分くらいとして、久石譲FOC版は40分を切っています。たしかに速い。聴いていて退屈しない、とてもみずみずしい、スピーディーな躍動に快感! クラシックに馴染みの少ない人でも、ありきたりじゃない攻めの姿勢はびしびしと伝わってくるはずです。これはきっと凄い演奏なんだと直感するくらい。そして、ただ速ければいいってもんじゃない。速いだけを売りにしているつもりもない。ですよね。

「歌う」ことにこだわったアプローチとは、どういうものだったんでしょう。歌おうとすればするほど、気持ちも入りテンポは揺れ、遅れがちにもなります。今回、「インテンポ(一定の速度)を保って歌う」というのがコンセプトでありクリアしたいことでもあったとあります。

メロディの一音一音を区切り気味に演奏している箇所が多かったように思います。そして音価(一音ごとの長さ)をそろえる。こうすることでリズムは遅れないようにキープできます。管楽器などでは実現しやすい奏法かもしれません。

もうひとつ、弦楽器などで見られたのが、一音ごとにふっと力を抜くような奏法。なるべく同じ強さで音を伸ばさない。一音一音を区切り気味に演奏しようとしたときに、同じ強さで伸ばした状態で次の音に移るときに区切ろうとすると、ブツブツ切れた感じになって、たぶん歌っているようには聴こえなくなります。パッと音が立ち上がってスッと消えていく。管楽器であれば息で調整するものを、弦楽器は柔らかい筋肉でしなやかに。言うは易く行うは難し、けっこう大変な筋力と集中力をこめる必要があるように思います。

通常 タ

FOC ター,ター,ター,ター

メロディの4つの音をなめらかにつなげて演奏する、伸ばしている間も音の強さは太いまま(通常)と、一音ごとに区切りを入れながらも、自然な切れ目となるように一音ごとの立ち上がりかたと消えかたを駆使する(FOC)。

風通し奏法、と勝手に呼びました。通常は、おおらかな弧を描くようにスラーで歌わせるとテンポが遅くなる。速いテンポをキープしながらこれをやると、たぶん走り急いでいるだけの印象になる。また音の密度や密集具合でかなり圧迫される。要は、息苦しいし窮屈な感じがするイメージです。ゆえに解! 音と音のすき間をつくって、フレーズごとの風通しをよくすることで、軽やかに駆け抜けるようなスポーティな推進力が得られる。…かな? 的外れだったらごめんなさい。それもあるかな、となったとしても、FOCがアプローチしていることの1/10も言えていないのはしかりです。ぜひCDになるときにでも、たっぷり秘技について語ってほしいですね。

第2楽章や第1楽章で気づきやすかったように思います。そういえば、扇子を広げたときって、小さな山谷があって(一音一音)、きれいな大きな弧を描いていますよね(メロディを歌うようにスラー)。

第4楽章に照準をあてたようなピークのもっていきかた爆発力もすごかったですね。どちらかというと小ぶりな作品というイメージのあった第2番に、ここまでのエネルギーが潜んでいたなんて。ちょっと好きがあがっちゃった。久石譲FOCは、速さを追求しながら駆動が空回りしてスピンしてしまうようなスポーツカーではなかったです。メリハリよく、フォルムが崩れることもなく。《古典を古典芸能にしない》という久石譲の言葉に多くが込められています。今このブラームスを聴いて、骨董品のような古びた印象をもったリスナーはいないと思います。

 

 

ここで終わらない。

プチお勉強しました。

 

FOCは立奏スタイルをとっているのは、もう久石譲ファンでは定着してきたでしょうか。また、FOCに限らずどの共演楽団でも、久石譲が古典作品を演奏するときはバロックティンパニが登場します。近年演奏されているベートーヴェン、ブラームス、モーツァルトの交響曲。小気味いい乾いた音でパンパンッと炸裂します。通常のオーケストラで使われているモダンティンパニは、ドンドンと重量感があるので、聴いた印象もずいぶん変わります。本公演でもレポ・スメラ作品とブラームス作品は、異なるティンパニが用意されています。棒(マレット)も使い分けているのでご注目。

 

 

よくティンパニとセットで扱われるのがトランペットです。…なんでかは聞かないでください…勉強が足りていない。実は、ティンパニが変われば、トランペットも変わるんです。変わっていました!

コルネットという楽器ではないみたい。ロータリートランペットかな、と調べている現時点での回答です。トランペットよりも音が柔らかく、音が大きくなりすぎない、弦楽器や木管楽器とも溶けこみやすい、とありました。ティンパニとトランペットは同じ音符の動きをすることがあります。旋律ではない、パン・ドン・ジャンのリズム的アクセントとして、とりわけ古典作品にはその役割が多いようです。重量級のドンから軽量級のパンに変わったティンパニ。だからトランペットも変わる。そして、この組み合わせのとき、ふたつの楽器は隣同士に配置されています。(レポ・スメラ作品のときは右側と左側に大きく離れています)。…ということだと思います。添削アドバイスお願いします。また勉強して帰ってきたいと思っています。

 

 

 

ブラームス:ハンガリー舞曲 第17番

アンコールです。全21曲ある「ハンガリー舞曲」から、どうして第17番なんだろう? と思って調べてみました。

ブラームスが4手のピアノ連弾用として作曲し、ドヴォルザークや自らのオーケストラ編曲版によってより広く親しまれるようになった「ハンガリー舞曲集」。ブラームスは3曲のみ管弦楽用に編曲をしていて、残り18曲はさまざまな音楽家によってオーケストレーションされている、という作品です。そして、第17番から第21番までの管弦楽編曲がドヴォルザークの手によるものなんですね。また「交響曲第2番」と「ハンガリー舞曲」は作曲時期も近いんですね。なるほど。

 

 

最後にプロフィール。

 

フューチャー・オーケストラ・クラシックス
Future Orchestra Classics(FOC)

2019年に久石譲の呼び掛けのもと新たな名称で再スタートを切ったオーケストラ。2016年から長野市芸術館を本拠地として活動していた元ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)を母体とし、国内外で活躍する若手トップクラスの演奏家たちが集結。作曲家・久石譲ならではの視点で分析したリズムを重視した演奏は、推進力と活力に溢れ、革新的なアプローチでクラシック音楽を現代に蘇らせる。久石作品を含む「現代の音楽」を織り交ぜたプログラムが好評を博している。2016年から3年をかけ、ベートーヴェンの交響曲全曲演奏に取り組み、2019年7月発売の『ベートーヴェン:交響曲全集』が第57回レコード・アカデミー賞特別部門特別賞を受賞した。現在はブラームスの交響曲ツィクルスを行いながら、日本から世界へ発信するオーケストラとしての展開を目指している。

 

 

本公演は、まさにこのプロフィールとおりですね。あらためてゆっくり読みながらそう思います。【日本から世界へ発信するオーケストラとしての展開を目指している】、いつの日か海外公演も実現するのかもしれません。そして今のFOCは、日本国内はもちろん海外でもリアルタイムでコンサートを楽しめる発信、ライブ・ストリーミングを実現しています。

これからのFOCは「Vol.4」(2022年2月)、「Vol.5」(2022年夏)と予定されています。残るブラームス交響曲 第3番と第4番もそれぞれ振り分けわれ、そこへ魅力的な現代作品もプログラムされるだろうと思います。もちろん久石譲作品も。楽しみが予定されていることはうれしいかぎりです。

 

 

まだ間に合うライブ配信のアーカイブ配信!

アーカイブ配信期間
7月15日(木)23:59まで

チケット価格
1,980円(税込)
※Streaming+、ローチケLIVE STREAMING、neo bridge、LINE LIVE-VIEWINGにて配信

チケット販売期間
2021年6月30日(水)12:00~7月15日(木)19:00

 

公式サイト:フューチャー・オーケストラ・クラシックス Vol.3 ライブ配信
https://joehisaishi-concert.com/foc-jp/foc-vol3-online/

Official Website for Oversea: FUTURE ORCHESTRA CLASSICS Vol.3 LIVE STREAMING
https://joehisaishi-concert.com/foc-jp/foc-vol3-en-online/

 

 

 

2021.07.14 追記

 

 

2021.07.27 追記

プログラムから久石譲の新曲「I Want to Talk to You ~for string quartet, percussion and strings~」が特別配信されました。

 

 

2021.10.01 追記

 

 

 

Blog. 「久石譲コンサート 2021 in ザ・シンフォニーホール」コンサート・レポート

Posted on 2021/03/28

3月24日開催「久石譲コンサート 2021 in ザ・シンフォニーホール」です。当初予定からの延期公演(before 2020年12月23日)となったこと、新型コロナウィルスの影響も続いていること。こういった状況にもかかわらず、なんとほぼ満席ほぼ満員御礼といっていい大盛況公演でした。 “Blog. 「久石譲コンサート 2021 in ザ・シンフォニーホール」コンサート・レポート” の続きを読む

Blog. 「週刊読売 1999年12月19日号」久石譲インタビュー内容

Posted on 2021/01/20

雑誌「週刊読売 1999年12月19日号」に掲載された久石譲インタビューです。「宮崎緑の斬り込みトーク」コーナーでの対談になっています。5ページにわたっていろいろな話題が飛び交っています。

 

 

宮崎緑の斬り込みトーク No.182

久石譲さん 作曲家

映画の次は日本語オペラ
ぼくは独自の作品を作りたい

「この曲聴いたことがある」「あの曲、いいよね」。そんな名曲をたくさん、たくさん作ってらっしゃるのが今回ゲストの久石さん。やさしさと、明るさと、希望にみちた曲の数々。それらの曲が、久石さんのお人柄をそのまま映しだしたものだということが、お会いしてみて初めてわかった。

 

宮崎:
幅広いジャンルでご活躍されてますけれど、最近はとくに映画音楽でのご活躍がめざましいですね。宮崎(駿)監督とか、北野(武)監督といった、非常にユニークな監督と一緒にお仕事をされるお気持ちというのは、どのようなものなのでしょう?

久石:
やはり、優れた監督と仕事をさせてもらっているぶん、ぼくひとりで自分の世界を作るより、彼らからインスパイアされたものがすごく大きいと思うんですね。だから、ある意味では共同作業のつもりでいます。

宮崎:
映画を生かすも殺すも音楽次第というところがありますでしょう。

久石:
いや、生かしていただいているという感じだと思いますよ(笑)。もちろん、作曲家なりの自負としては、自分ではこうアプローチするというのはありますけれど、映画に関しては監督のものですよ。監督の世界観からはまったく違うものをつくるわけにはいかないんですから。

宮崎:
でも、監督に言われるままではないのでしょう?

久石:
そうですね。やはり、監督が考えうる範疇の音楽を提出したんではつまらないんですよ。それは監督が考える範囲内でしかないからね。それにプラス必要なのは、それを超えた、「えっ、こういう方法もあったのか」みたいな…。

宮崎:
驚かすような着想をしないといけないのですか。

久石:
もっと大きな世界観というか、普通の人が想像するのとちょっと違うところまでもっていかないと、あのクラスの監督さんは満足しませんね。

宮崎:
戦っているのですね。

久石:
ある意味では戦ってます。

宮崎:
本当の意味でのコラボレーション、共同作業というのでしょうかしら。異質なものを溶け合わせてひとつの新しい生命体をつくるみたいな、そんな捉え方でいいのでしょうか。

久石:
そういうところはありますね。たとえば、悲しいシーンに悲しい音楽だとか、喜んでいるところに明るい音楽を、単純につけていったら何もそこから生まれてこないですから、そういう方法はとらないようにしてます。

宮崎:
とはいっても、悲しいシーンには、悲しい雰囲気を出さないといけないのでしょう?

久石:
でも、どんなときに悲しく感じるかというと、強がり言って口笛を吹いて立ち去っていくシーンのほうがよほど悲しく感じられるときってあるじゃないですか。悲しいといって本当に泣いてる姿を撮るのは、映像としておもしろくないですし、それに寄り添うような音楽を書いてたら、なおさらレベルの低い映画になってしまいますよね。

宮崎:
私、久石さんの作品のなかに、たくさん好きな曲があるんですが、なかでも──すごくミーハーですけれど──「もののけ姫」がすごく好きなんですね(笑)。

 

「もののけ姫」で内面的強さを

 

久石:
「もののけ姫」は作曲に3年ぐらいかかったんですが、自分の中ではとても大事な作品で、実際あれでだいぶ吹っ切れたところがあるんですね。

宮崎:
吹っ切れたといいますと?

久石:
作曲家としてもうひとつ大きな表現というか、強い表現ができるようになったと思うんです。それまではまだ、音楽の大事な要素として、どこかきれいな部分というのが自分の中にあったんですよ。たとえば、メロディーは美しいほうがいいだろうとかね。もちろん、そうではない音楽があることもわかってるつもりなんだけれど、実際、久石譲が音楽をやるときには、なぜかメロディーラインはきれいであって、それで大勢の人に聴いてもらいたいという思いがすごく強かったんですよ。

宮崎:
わりと万人というか、不特定多数が受け入れてくれるような音楽を作る傾向にあったと。

久石:
それがあったんですけれども、「もののけ姫」の時は、そういう表面的なメロディーというよりも、内面的な強さをすごく心掛けて作ったんですね。つまり、作曲家からしてみると、たとえば戦闘シーンがるとするじゃないですか。そうすると、ジョン・ウィリアムズばりの、オーケストラをフルに鳴らした、「どうだ、こんなすごいスコア、見たことないだろう」というのを作りたがるものなんですよ。

宮崎:
作曲家なら「スター・ウォーズ」ばりの、ガンガン響いてくるような音楽をつけたいものなのですか。

久石:
ええ。「どうだ」というのを書きたくなるんですよ。なぜなら、自分の培った技術、音楽性が全部出せそうに感じられるから。だけど、「もののけ姫」に関していうと、そういう雄壮なシーンも極力、弦だけで、レクイエムのように後ろに流すとか、戦闘している人間たちの高揚感というのも、そのままストレートに表現するよりも、そこに至らざるをえなかった悲しさのほうに表現を切り替えるとか、そういうことをすごく考えた作品だったんです。

宮崎:
あぁ、なんとなくわかります。

久石:
音楽的表現というよりも、音楽で何を表すかというか、内面的な面をすごく気をつけるようになった作品で、そういう意味で、自分の中で吹っ切れた部分があったんですね。

宮崎:
削り取っていく作業も大切なのですね。私なんかすごく俗人だから、持ってる力が仮にあるとしたら、全部見せたくなるっていうようなところがありますけれど(笑)。

久石:
音楽家も同じですよ(笑)。

宮崎:
そもそも、どういうジャンルから音楽に世界に入られたのですか。

久石:
現代音楽ですね。まず、驚くものというか、音が鳴った瞬間って「えー」と思うような、未知のものに出会うような感動があるじゃないですか。それがぼくにとっては現代音楽だったんですよ。

それで大学に進んで、ミニマル・ミュージックという、同じパターンを繰り返す音楽に出会って、そっちのほうに進んだんですけれど、もともとは音楽でどういう可能性があるかということをずっと追求していきたかったんです。つまり、木でいうと幹なんですよ。幹を見て美しいって思う人はだれもいませんよね。

宮崎:
まず、いませんね。

久石:
枝があって、葉っぱだとかたわわになって、それではじめてみんな、「ああ、いい木だな」「いい森だな」とかいいますよね。だけど、自分がすごく興味があったのは幹の部分で、音楽にどういう可能性があるのか、たとえば、こんなやり方でも音楽は成立する、そんな音楽をずっとやりたかったんです。

宮崎:
幹でも、力を持って人を魅きつける幹を目指してらしたのですか。

 

聴かせるという気はなかった

 

久石:
いや、魅きつけなくてよかったんです(笑)。

宮崎:
自分だけで愛でていればいいと。

久石:
そうそう。こんな幹もあるぞという可能性を追求することができればよくて、人にうけようという気はまるでなかったんです。

宮崎:
聴かせるということは前提としてなかったのですか。

久石:
それはあんまり興味がなかったです。それよりも、それをやることで次の人たちがそこに枝をつけたり葉っぱをつけていく、そういうパイオニア的な音楽のアプローチにすごく興味があったんです。

だから、現代音楽をやっていた後半では、不確定多数のミュージシャンによる不確定多数音楽という、訳のわからない命題に取り組んでました。

宮崎:
……?

久石:
それはどんな音楽かというと、2人以上なら、たとえば100人でも200人でも演奏できるんです。時間の長さをあらかじめ決めておけば、5分でも1時間半でも演奏できる音楽なんです。

宮崎:
演奏する人によっては全然ちがうわけですよね、そこから出てくる音は。

久石:
そこをどこまで管理するかが重要なポイントなんですよ。自由にやってるようなんだけれど、結果的に出る音は、まったく自分が意図した音でなければ作曲ではないですから。20代はほとんどそういうことをやってました。

宮崎:
それは聴いていて、なかなか難しかったかもしれませんね。心を動かされた人がどれだけいたかというと…。

久石:
いや、だれもいませんでしたね、観客は(笑)。

宮崎:
それから、どういういきさつで方向転換されるのですか。

久石:
自分がやってきたミニマルというスタイルは、海外ではテクノポップ系にすごく影響を与えたんですね。同じパターンを繰り返しますからね。そういうなかで、イギリスなんかに、ブライアン・イーノだとかいろんなミュージシャンが出てきて、実際ぼくらが理屈と理論でがんじがらめになって窮屈でアップアップしていたときに、いともたやすく、そういうのをポップスというフィールドに取り入れてやってるんですよ。それを見たときに、羨ましいという気持ちがすごくあったんです。

宮崎:
久石さんでもがんじがらめで悩まれることがあるのですね。

久石:
それは今でも悩んでますから(笑)。やはり、理屈が先行した世界は、ものを殺しにくいんですよ。

宮崎:
それはすごい表現ですね。

久石:
つまり、現代音楽だと「ねばならない」「してはならない」という禁止事項が増えてくるわけですよ。ところが、人間のイマジネーションとか発想の出だしっていうのはすごく曖昧なわけじゃないですか。「わあ、鳥が飛んでる」という出だしから深めていって、結果それが理論的な武装にいたれば理想なんだけれども、現代音楽の世界だと、出だしにそういうことをつぶしていく作業になるんですよ。

宮崎:
枠をはめてしまうのですか。

 

創作とはイマジネーションだ

 

久石:
そうなんです。それで、とても窮屈になってしまうんですね。でも、創作というのは、基本的にはイマジネーションをどれだけ持っているかがすべてですよね。たとえばコップを見ると、ほとんどの人は「あっ、コップだ」と言いますよね。でも、「いや、花瓶じゃないか」と、同じものを見ても、もうひとつ違った認識ができる、そして思い込める強さみたいなものが創作の原動力になるわけですよ。

宮崎:
それは訓練して得られるものなのですか。それとも、もともと持っている素質なのですか。

久石:
ぼくが考えるには、だれでも持っていると思います。たぶん深層心理だったりとか、奥底にはみんな持ってる。ただ、それが性格だったり環境に左右され、自分で気づかないまんま一生送ってしまう人もいるでしょうね。

宮崎:
久石さんの場合、曲の構想とかメロディーはどういうときに浮かぶのですか。

久石:
場所とか環境よりも、やはり自分の中の問題のほうが大きいですね。仕事の打ち合わせをして、それから長い間自分の中で考えてる時間というのがあって、それが自分にとってはすごく大事なんですね。実際に作業に入ると、ぼくはすごく早いほうで、わっと作ってしまうんです。

宮崎:
書きはじめると、あっという間なのですか。

久石:
ええ。レコーディングもものすごく早いんです。だけど、そこまで行き着くまでの期間が長い。その間いろんなことを考えていて、ポーンと発想が浮かぶ瞬間というのは、ベッドの中だったり、シャワーを浴びているときだったり、ご飯を食べたりしているときとか、そういうときが多いですね。

宮崎:
それまで体の中で発酵させておくのですね。

久石:
おそらく音楽をつくるときでいちばん大事になる核みたいなものがあるんですね。その核みたいなものがひ弱だったときは、どういうふうにデコレーションしても、最終的な仕上がりはだめなんです。だから、この映画の何が核になるのか、それは音だったりイメージだったりするんですが、このへんに迷いが生じてるときはだめです。

宮崎:
それをご自分で納得できるところまで突き詰めるのですか。

久石:
しますね。「こういうイメージだ」とか「これはこうだ」というのが、見える瞬間があるんですよ。それで確信できたら、あとはそれを曲にする作業だけですから。

宮崎:
それは強制的には浮かばないでしょう。ご自分をそういう状態にもっていかれるのですか。

久石:
強制的には浮かばないので、自分を追い込むようにはしますけれどね。

宮崎:
はぁ、それは大変ですねぇ。

 

メインテーマで苦労しますね

 

久石:
往々にして、メインテーマで苦労するケースが多いですね。締め切りが迫っていたりして、やむをえずメインテーマをひ弱なまま作ったときなどは最後まで納得できませんね。

宮崎:
そういうこともあるのですか。

久石:
ありますよ。それはどうしたって全勝するわけにはいきませんから(笑)。

宮崎:
生身の人間が仕事でやってるわけですからね。そういうときはどうするのですか。

久石:
できるだけ早く忘れるように努力してます。

宮崎:
ハハハハハ。そうなんですか。でも、意外にそのほうが世の中でうけたりしません?

久石:
それもたまにあるんですよ(笑)。

宮崎:
これからの音楽人生、大きな目でみて、どういう方向に進んで行こうと思ってらっしゃいますか。

 

日本語のきれいさを伝えたい

 

久石:
まだやりたいりないことがいっぱいあるんですよ。いまだ日々発見していることもありますし、タイムスパンの長い短いにかかわらず、自分の中で解決していかなければいけない、音楽家としての問題は日々解決していかなければならない。

ただ、ぼくのなかで、どうしても日本語と西洋音楽のメロディーが頭の中で一致しないという思いがあるんですよ。その解決さえついたらとっくに、ミュージカルとかオペラをもっともっと書いていたはずなんだけれど、書いてないんですよ。

宮崎:
では、これからはそういった分野にも挑戦していきたいと。

久石:
ぼくはこうやって映画音楽をやってるわけだから、音楽の劇性に関してはそれなりの意見は持ってますし、できるはずなんです。つまり、クラシックの世界でも、モーツァルトにしろベートーヴェンにしろ、みんな歌劇を書いてますでしょ。たとえば、ラフマニノフがいまの時代に生きてたら、絶対映画音楽をやってますよ。映画音楽までやっている自分が、なぜオペラを書かないかというと、やはり日本語がね。日本の創作ミュージカルを見にいくと、ほんとにまいっちゃうんですよ。

宮崎:
それ、わからないでもないです(笑)。

久石:
もうさぶ~っていう感じで、いやなんですよ(笑)。

宮崎:
西洋音楽と日本語と一致させるというのはむずかしいでしょうね。

久石:
(節をつけて)「ちょっと、明日何食べる~」とか言われたら、ほんと帰りたくなりますよね。

宮崎:
ハハハハ。ほんとにねぇ。

久石:
ちょっとやめてくれよ、みたいな感じがしますよ。だから、その問題を解決することがすごく大事で、自分の中ではその答えがちょっと見えだしてるんです。ですから、来年ぐらいに何とか形にしようなかなとは思ってるんですよ。

宮崎:
そのときには、日本語を捨てて歌劇を作るのではなくて、あくまで日本文化にこだわるのですか。

久石:
捨ててはだめなんですね。ぼくはよく、ボーカルを使う曲を作るとき、歌詞を英語に直したりするんですよ。英語のほうが作曲が楽だから。でも、やはり最後は、純正の日本語でしっかりしたものを残したい。「あぁ、日本語ってこんなにきれいだったんだ」と思えるような、自分のメロディーと日本語を一致させる方法を考え出したいんです。

宮崎:
久石オペラの誕生、心待ちにしておりますわ。きょうはありがとうございました。

(構成・二居隆司)

 

緑の眼

「久石」芸術のコラボレーションは、ぴったり親しい間柄ではなく、ぴんと緊張した関係からこそ生まれると、よくわかります。

あれだけ宮崎駿監督作品や北野武監督作品に欠かせない存在でいらっしゃるのに、プライベートなお付き合いはほとんどないのだそうです。従って、お仕事以外の「お顔」も知らない、とのこと。

とはいえ、お互いに知り尽くしているからこそ、ああいう作品が生まれるのでしょうけれど。この辺りの割り切り方が久石さん流なのですね、きっと。

目の前にいらっしゃる久石さんは、外界との輪郭をくっきりつけずに、何事も受け入れてしまう、という感じの柔軟さをたたえて、穏やか、にこやかでした。あの独特な久石ワールドの秘密を垣間見たような気がしました。

(「週刊読売 1999年12月19日号」より)

 

 

Blog. 「音楽の友 2021年1月号」 特集:オーケストラの定期会員になろう2021 久石譲インタビュー 内容

Posted on 2021/01/13

クラシック音楽誌「音楽の友 2021年1月号」の特集II「オーケストラの定期会員になろう2021」内で、久石譲インタビューが掲載されました。2021年これからの新日本フィルハーモニー交響楽団とのコンサートについて語られています。

 

 

特集II
オーケストラの定期会員になろう2021

(山田治生/池田卓夫/二宮光由[大響]/池田卓夫/山口明洋[大フィル]/尾高忠明/広上淳一/藤岡幸夫/奥田佳道/川瀬賢太郎[神奈フィル]/片桐卓也/久石 譲[新日フィル]/石丸恭一[東フィル]/下野竜也&井形健児[広響])

1月号恒例の「オーケストラの定期会員になろう」、今年は6つのオーケストラが参加、2021年シーズンを紹介する。特別編として、尾高忠明、広上淳一、藤岡幸夫の3指揮者が参加した座談会(鼎談)を掲載。

 

2020年はオーケストラにとっても受難の年だったのではないだろうか。3~5月は感染防止の自粛のためほぼ演奏活動ができず、配信などを通じてかろうじて動いていた団体も多い。さて、迎えた2021年、オーケストラにとって再出発のシーズンとなる。今年は6団体が参加、それぞれの団体の次シーズンについて語っていただいた。

(*以後、久石譲ページのみ抜粋)

 

新日本フィルハーモニー交響楽団
Composer in Residence and Music Partner 久石譲

楽団創立50周年記念シリーズが幕開け

取材・文=山田治生

新シーズンの開幕を久石譲が指揮

2020年9月、久石譲は、新日本フィルハーモニーのComposer in Residence and Music Partnerに就任した。久石は、1991年に同フィルと初共演し、2004年からは新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ(スタジオジブリ映画で使われた久石作品などを中心に演奏)の音楽監督を務め、共演を重ねている。

「新日本フィルはオーケストラとしてとても品のよい音がします。僕は、新日本フィルの育ちの良い、温かい音がすごく好きなのです。彼らとは現代的なアプローチもずいぶんいっしょに行ってきましたが、新日本フィルは、時代の先端を走るオーケストラであったし、これからもそうあると思います」

そして、新日本フィルが音楽監督不在となる来季、久石は、2021/2022シーズン開幕となる9月定期演奏会の指揮を担い、マーラー「交響曲第1番《巨人》」を振るとともに、みずからの新作初演で楽団創立プレ50周年記念シリーズのオープニングを祝する。

「新作は、マーラー『交響曲第1番』と一つの世界が作れるような音楽にしたいと思っています。マーラー『第1番』とバランスがとれるような20~30分の曲を考えています。創立50周年ということで、バルトークの『管弦楽のための協奏曲』のようにオーケストラの機能を最大限に発揮でき、いつでも演奏されるような、オーケストラ作品にしたいですね」

2022年4月のすみだ名曲シリーズも指揮し、再来年度からは久石ならではの新たなコンサート・シリーズも企画している。

「新しいコンサート・シリーズでは、現代の音楽と古典の音楽を同じプログラムで演奏し、クラシックの名曲を現代の視点からコンテンポラリーなアプローチでリクリエイトしたいと思っています。状況が許されるなら、新日本フィルとは、マーラーやブルックナー、《春の祭典》のような大きな編成のものをきちんと形にしたいですね」

 

変わっていく新日本フィルを目の当たりに

現在、新日本フィルではいくつかのパートで首席奏者の欠員が問題となっている。

「われわれの音を聴いてもらうためには、各セクションの首席奏者を早い時期にととのえること。いちばん考えなければならないのは、お客さまのことです。自分たちの最高のものを提供してお客さまに聴いていただくことを最優先事項と考えるならば、できるだけ早く問題を解決するべきです。僕は音楽的なアドヴァイスをする立場ですが、こういう状況なので最大限協力したいと思っています。そして元気なオーケストラになること。2021年夏ごろまでに諸問題を解決して、変わっていきます。お客さまのために、練ったプログラムを作り、真剣に演奏する。いま、定期会員になるとお得ですよ。変わっていく新日本フィルを目の当たりにすることができますから。熱気のある演奏がいっぱい繰り広げられるので、会員になられると楽しいと思います」

新日本フィルでは、2021年9月にプレ50周年記念シリーズがスタートし、小泉和裕、井上道義、佐渡裕、クリスティアン・アルミンク、インゴ・メッツマッハーら、これまで新日本フィルでポストを持っていた指揮者が登場する。そして、2023年4月に新しい音楽監督が就任する予定である。

(「音楽の友 2021年1月号」より)

 

 

目次

特集I
ウィーン・フィル、日本ツアーのすべて~奇跡の来日を追いかける!

(寺西基之/渋谷ゆう子/寺西肇/加藤浩子/ヴァレリー・ゲルギエフ/池田卓夫/奥田佳道/高山直也/山田真一/片桐卓也/山田治生/堤 剛/金子建志/折井雅子/白川英伸)
来日の5日前に発表されたウィーン・フィルの来日。さまざまな話題を呼び、2020年のコロナ禍における日本のクラシック音楽シーンのハイライトとなったツアーを、入国から最終日まで追いかけた。

特集II
オーケストラの定期会員になろう2021
(山田治生/池田卓夫/二宮光由[大響]/池田卓夫/山口明洋[大フィル]/尾高忠明/広上淳一/藤岡幸夫/奥田佳道/川瀬賢太郎[神奈フィル]/片桐卓也/久石 譲[新日フィル]/石丸恭一[東フィル]/下野竜也&井形健児[広響])
1月号恒例の「オーケストラの定期会員になろう」、今年は6つのオーケストラが参加、2021年シーズンを紹介する。特別編として、尾高忠明、広上淳一、藤岡幸夫の3指揮者が参加した座談会(鼎談)を掲載。

●[Interview]鈴木優人―仲間とともに、革新的でより多彩な音楽活動を(伊熊よし子)
●[Report]鈴木優人が率いる、生き生きして勢いあるヘンデル《リナルド》(山田治生)
●[Interview]ヨーヨー・マ―コロナ禍という嵐のなかでの演奏活動(小林伸太郎)
●[Report]東京芸術劇場で野田秀樹演出、井上道義指揮によるモーツァルト「《フィガロの結婚》~庭師は見た!~」が再演(山田治生)
●[Report]日生劇場《ルチア~あるいはある花嫁の悲劇》―感染症対策のため、ルチアの一人芝居に翻案(萩谷由喜子)
●[Report]世界の現状に対する危機感を描き出した、新国立劇場《アルマゲドンの夢》(山田治生)
●[告知]読者招待イヴェント「ふかわりょうのクラシックの友」
●[連載]マリアージュなこの1本・番外編名曲レシピはお好き?(8) ―ショパン「マズルカ第51番」(伊熊よし子)
●[連載]林家三平の古典音楽(クラシック) でど~も・すいません! (16)(林家三平)
●[連載]カメラマンリレー連載「舞台カメラマンの回想 ―私が出会ったアーティストたち」(8) ―広上淳一、佐渡 裕(大窪道治)
●[連載]コバケンのタクト(10)(千葉 望)
●[連載]ベートーヴェン的な、余りにベートーヴェン的な(16)~〈ゲスト〉クリスティアン・ベザイデンホウト(fp)(越懸澤麻衣)
●[連載]IL DEVUの重量級・歌道(18)(河野典子)
●[連載]誌上名曲喫茶「まろ亭」―亭主のメモ帳から(25)~ NHK交響楽団第1コンサートマスター篠崎史紀の偏愛案内 サン=サーンス「交響曲第3番《オルガン付き》」(篠崎史紀)
●[連載]東音西奏 ! ―QBT冒険記(4)(クァルテットベルリン-トウキョウ)
●[連載]和音の本音―ショパンとともに(5)(清水和音/青澤隆明)

ほか

 

 

Blog. 「サンデー毎日 1992年9月20日号」久石譲インタビュー内容

Posted on 2021/01/12

雑誌「サンデー毎日 1992年9月20日号」に掲載された久石譲インタビューです。6ページに及ぶ誌面ですが、インタビューメインというよりは作家による随筆構成となっています。久石譲の生い立ちから作曲家までの具体的な経緯をまとめたとても貴重な内容です。

 

 

連載
ノンフィクション作家シリーズ
人間・語り出す肖像

第42回
売れっ子メロディー・メーカー
久石譲(41)

西山正

Prologue
四歳のときだった。楽器店の前を通りかかった。そこで、バイオリンを見た。この楽器を弾けるようになりたい、と思った。父に頼んで、町にあった鈴木慎一バイオリン教室の分室に通い出した。

物心ついたときから、音楽には絶えず触れていた。クラシック、歌謡曲、童謡……ジャンルを問わず、朝から晩までレコードをかけては聴いていた。音楽と共にあることが、自然だった。そんな幼年時代。

父は高校の化学教師だった。その父に連れられて、毎週、映画館に通った。父の趣味が映画だったのではない。勤務先の高校の生徒が映画館の中にいるかどうかを確認する役目だったのだ。活劇、恋愛もの、文芸作品、喜劇……これもジャンルを問わず、週二本、次から次へと見た。

音楽と映画とにどっぷりとつかって過ごした幼い日々。すでに、何かが、始まっていた。

 

豚も空飛ぶミニマル・ミュージック
メロディアスな風から君はもう逃れられない

 

1st movement
中学三年生のとき、作曲家になろうと決めた。すでにある譜面を演奏するのも音楽家だが、いまだこの世にない譜面をつくり出すのも音楽家。再現芸術ではなく、創造音楽。そのほうがより素晴らしく思えたのだ。

高校に進学して、ブラスバンド部に入部した。たまたまトランペットに欠員があった。試しに一口吹いてみたら音が出た。翌日からレギュラー部員、次の年には一番トランペットを吹いていた。

高校時代から作曲の勉強を始めた。国立音楽大出身の先生についてピアノの基礎、さらに月二回、上京して和声学、対位法など作曲法のレッスンに励んだ。このころから現代音楽に熱中し始めた。武満徹、黛敏郎、シュトックハウゼン、メシアン、ジョン・ケージ……音楽的な知の最前線を行く作曲家たちの作品に好んで親しんだ。

当然のことのように、国立音楽大学の作曲科に進学した。高校は男子校だったので、女子学生の数の多さに驚いた。作曲科のクラスは一学年二十人。ここでも女性のほうが多かった。与えられた課題を数学のパズルを解くようにこなす。そんな教室での日々のかたわら、オペラの作曲を試みた。矢代静一原作の「海の陽炎」。ギリシャ悲劇ふうの素材だった。自ら脚本を書き、十二音技法を使った現代オペラに仕立てあげた。マルメロ座という名の創作オペラの会が、学内の講堂で上演した。

三年生のときには、自ら企画してコンサートを開いた。学内、学外の現代音楽作曲家に依頼して作品を集め、演奏した。自作曲も発表した。学内の先生たちから一目置かれる存在となり、「きみは授業に出なくてもいい。いるとうるさいから」といわれた。リムスキー・コルサコフの管弦楽法を教える先生に「あなたは古い。現代の音楽は……」と盾つくような学生だったのだ。そこで教室にはあまり顔を出さず、創作した作品を学外のコンサートに発表したりして時を過ごした。当時の代表作はフルート、バイオリン、ピアノの三重奏曲「メディア」。むろん最前衛の無調音楽だった。

卒業と同時に、ピアノ科の同学年生、文女(あやめ)と結婚。二人でピアノ教師をして暮らした。当時の月収は四万~五万円、食うや食わずの生活だったが、苦しいとは感じなかった。音楽は四歳のときからの夢。これも当然、という気持ちだった。出航というよりも漂流。だが音楽と共にある漂流。苦しいわけがない。

 

2nd movement
そんな二十歳代のとある日、友人の家でとある輸入盤レコードを聴いて、大きなショックを受けた。アメリカの現代音楽作曲家テリー・ライリー作曲の「A Rainbow in Curved Air」。ディレー・エコーを使ったオルガン曲で、同一のフレーズを執拗に何度も何度も反復する。

当時、最前衛とされていた「ミニマル・ミュージック」の一曲だった。むろん初めて耳にする音楽だった。

ミニマルとは、極小の意味だ。極小音楽、いったいどんな音楽なのか?

実は、美術が音楽に先行していた。ミニマル・アート。このアートを生んだ思想が、音楽の世界にも波及して生じたのが、ミニマル・ミュージックなのである。

現代美術の解説書を開く。こんな解説が記されている。

「感情の表出をできる限りおさえる。笑ったり泣いたりもしないし観客に伝えるべきメッセージもない。最小限の表情、けちけち・アート、これが最小限芸術、すなわちミニマル・アートである。(中略)ミニマル・アートの特徴は、画家の手作業を感じさせない均質で無表情な仕上げと、シェイプト・キャンバスと呼ばれる長方形や正方形ばかりでないさまざまな形のキャンバスの使用にあった。画家は色と形を決定したあとは、作業をした形跡を残さないように十分に注意している。絵画という物体を純粋に作りだそうというのだから、画家の仕事ぶりが見えては不都合なのである。(中略)ミニマル・アートは抽象表現主義の思わせぶりな迷彩模様への反抗から出発していた。だから、主観性、情緒性、即興性といったものを嫌ったのであった。このあたりの主知主義的な態度は、モンドリアンなどの幾何学抽象と血のつながりを感じさせる」(若林直樹著『現代美術入門』から)

ミニマル・アートが生まれたのは一九六〇年代のことだった。ベトナム戦争が泥沼化していた。既成の価値への信頼が崩壊し、若者たちの反乱が世界的に広がった。芸術家たちもまた既存の”伝統”を拒絶して、瞬間的な行為そのものへと表現作業を収斂していく。そんな土壌から発生したミニマル・アートは、ついには芸術家という概念を全否定し、芸術の無名性という逆説の中に芸術の普遍性を見いだそうとするに至る。そんな時代精神が、音楽家たちをもとらえた。

ラ・モンテ・ヤング、テリー・ライリー、スティーブ・ライヒ、フィリップ・グラスといったアメリカの若い作曲家たちが創始したミニマル・ミュージックは、切りつめられた素材への集中、短い旋律とリズム・パターンの執拗な反復、停滞する和声、緩やかなそれらの変形……といった手法によって、従来の音楽が持っていた全体的構造を骨抜きにし、瞬時の音の鳴り響きそのものへと意識を集中させる音楽だった。

ある意味では単調。ある意味では退屈。だがよく聴いてみると、アジアやアフリカの民族音楽の中にも同様の技法や効果をもった音楽がすでに存在していることがわかる。作曲家たちはそうした音楽を学んで技法を豊かにすると共に、最新の音響機器──とりわけテープの操作(ループ、フィードバック、複数のプレーヤー間の回転数の微小な相違が生む位相のずれなど)によって新しい技法を開発していった。その意味ではまぎれもなく科学技術時代の”現代音楽”ではあった。

この音楽に初めて触れて衝撃を受けた若き日本の作曲家は、この新しい音楽を実践していくアーティストになろう、とたちどころに決心した。この技法による音楽を実作するとともに、ライヒやグラスの作品の日本初演コンサートを開いたりした。

高校・大学時代は、学園紛争の嵐が吹き荒れていた。人並みの関心を持ちはしたが、政治闘争にはかかわらなかったこの音楽青年が、こんなにも深くミニマル・ミュージックにのめりこんでしまったのは、やはりあの反体制的な六〇年代の時代精神のとりこになったということではなかろうか。

「ところが、当時の最前衛のロックが、ミニマルと全く同じ技法の音楽をつくり出していたんですよ。いわゆるクラシックのほうからえんえんと上りつめてきた坂の頂点で、ロックの坂を上りつめてきた連中とバッタリ出会ってしまったという感じでね。顔見合わせて、いったいどこが違うの? そんな感じでした」

当時をふりかえって、久石譲は、そういった。そして、ミニマル・ミュージシャンとして生きていたそんな青春のある一日、突如として「明日からはポップスでいこう!と決心した」とも。

当然かもしれない。ミニマル・アートが自己否定の芸術だとすれば、自己否定の行きつく先、なおも時代の中で生きなければならぬとしたら、自己蘇生、すなわち古典的創造活動をする作曲家となるしかないのだから。

音楽はすでに大量消費の時代に入っていた。ミニマル・ミュージックもまた、多様な音楽技法の一つとして時代の中に拡散した。

「Curved Music」というタイトルのCDアルバムがある。久石がミニマルの技法を使って書いたCF音楽集だ。日立、日産、キャノン、小西六、資生堂などのCM音楽が入っている。今聴いても、実に刺激的だ。

 

3rd movement
いわゆるクラシック音楽の世界に、息がつまるような思いを感じ始めてもいた。自作発表の機会も一年に一回、あるかなし。聴衆の数もさして多くない。ミニマル・ミュージックに必要なリズム感にあふれた演奏家の数も少ない。その点、ポップスの世界のほうが、ひろびろとしたコミュニケーションの回路をもっているように思えたのだ。

「ただし、ポップスの世界は、売れなくては正義じゃない。それなら、売れてやる! と決心したんです。売れるまでは、どんなことがあっても弱音をはくまい、と肝に銘じたんです」

意志の力が成功を引き寄せた。以下、成功にいたるまでの久石譲の足どりを年譜ふうに──。

1981年
初ソロ・アルバム「インフォメーション」を発表。ジャンルにとらわれない独自のスタイルを確立。

1984年
「風の谷のナウシカ」「Wの悲劇」などの映画音楽を担当、注目を浴びる。

1985年
アルバム「α-Bet-City」。

1986年
「天空の城ラピュタ」の映画音楽。アルバム「Curved Music」。

1987年
「となりのトトロ」の映画音楽。この間、CM音楽の分野でも大きな実績をあげ、超一流の作曲家・プロデューサーとしての地位を確立。

1988年
IXIAレーベルを設立。アルバム「Piano Stories」「Night City」「Illusion」。

1989年
「魔女の宅急便」の映画音楽。NHKの特集番組「驚異の小宇宙・人体」の音楽。ニューヨークでソロ・アルバム「Pretender」を完成。二月の草月ホールを皮切りに本格的コンサート活動を開始。

1990年
「タスマニア物語」の映画音楽。東芝EMIとソロ契約。ロンドンのアビー・ロード・スタジオでアルバム「I AM」を完成。

1991年
「ふたり」「福沢諭吉」「あの夏、いちばん静かな海。」などの映画音楽。「I AM」の発表と同時に本格的ライブ・コンサート・ツアーを開始。

1992年
フジテレビのドラマ「大人は分かってくれない」の音楽。「はるか、ノスタルジィ」「紅の豚」の映画音楽。東芝EMI移籍後第二作のソロ・アルバム「My Lost City」発表直後の二月から五月にかけて、東京、名古屋、大阪でコンサート活動。

「彼は不思議な音楽家だ。映画音楽、アレンジャー、TV・CF、プロデューサー……ポップなヒットソングからアバンギャルドな領域まで、活躍するフィールドは広く、変化に富んでいる。その多彩な才能の中でも、ひときわ際立っているのは、彼の書きげた独特のメロディー・ラインではなかろうか?

久石メロディー……ある時はTV・CFであったり、ある時はTVドキュメント番組のBGMであったりするが、そのいずれもが彼ならではのメロディー・センスで息づいている。ポップでいて正統的。メロディアスなのにアバンギャルド。優しいのに、どこか過激……久石譲は風の流れを感じさせる音楽家なのだ」

東芝EMIの担当ディレクター・三好伸一の久石評である。そんな久石を一言で定義するのは難しい。作曲家であり、演奏家であり、優れた企画能力をも備えたマルチ音楽人間、といっただけでは、何かが欠けているようなのだ。

八〇年代からいま九〇年代にかけて、久石メロディーは、超消費大国日本の時空間の中に絶えず流れ、漂い続けていた。

漂うメロディー、漂う人間──。

彼の最新・ソロ・アルバム「My Lost City」の中に「漂流者」と題する一曲がある。解説カードの曲名のかたわらに彼はこんな言葉を書き記している──「都市の漂流者。行く場所さえない心のさすらい人」。

成功への道を足どり軽く上ってきたように見えながら、久石の心は絶えず漂流感覚にゆさぶられ続けていたのだろうか? だからこそ彼のメロディーは、同時代の都市生活者たちの心に共鳴作用を喚起するのだろうか?

このアルバムには「フィッツジェラルド頌」という副題がついている。スコット・フィッツジェラルド。華々しいデビューのあと落魄し、四十四歳で世を去った今世紀初頭のアメリカ作家。その生の軌跡に久石は自分をオーバーラップさせているのかもしれない。

 

4th movement
「初めて打ち合わせしたとき、びっくりしたんです。宮崎駿監督も一九二〇年代に興味をもっていたのか! と──「紅の豚」の舞台は一九二〇年代の末期。ぼくも以前から一九二〇年代に関心をもっていて、たまたま製作中だったソロ・アルバムも、一九二〇年代をテーマにしたものだったんです。あの時代への単なるノスタルジーではなく、現代に通じる何かをあの時代に感じとる敏感な嗅覚なようなものを、宮崎さんも持っていた。偶然の一致なんですが、そのことに驚きました」

宮崎アニメの映画音楽を担当するのは、これで五作目になる。が、その間、たがいに一九二〇年代への関心を口にしたことは一度もなかった。

この夏、大ヒットした「紅の豚」の舞台は、一九二〇年代末期の地中海。かつてイタリア空軍のエースだった男が、”国家の英雄”になることを拒み、自分で自分に魔法をかけて豚になる。一方、同じように食いつめた空軍くずれの男たちは、海賊ならぬ”空賊”となって地中海を荒らし回っていた。豚男は賞金かせぎとなって彼らと戦う。”空賊”たちはそんな男を、ポルコ・ロッソ(紅の豚)と呼んで恐れた──飛ばねえ豚はただのブタだ。そんなセリフが、若いアニメファンばかりでなく、くたびれかけた中年男の脳味噌をも刺激して、映画館に幅広い年齢層の観客をひきよせた。

映画の中で、修理が飛行艇を工場から外へ出すシーンがある。早朝。工場の周囲には秘密警察沙汰。が、果敢な操縦で、艇はみごと脱出に成功する──この手に汗にぎる場面のバックに流れるのは、初打ち合わせのときに製作中だった久石のソロ・アルバム「My Lost City」中の一曲「狂気」である。宮崎監督のたっての希望でこの曲を使った。あとはすべて久石のオリジナル曲である。

一九二〇年代を背景に、宮崎駿と久石譲をつなぐ共通の要因が「狂気」であるというのは、何かしら暗示的ではなかろうか?

久石にとっての一九二〇年代とは、まずもってフィッツジェラルドの時代、ということだ。だから、アメリカの一九二〇年代。禁酒法で開幕し、ウォール街の大暴落で幕を閉じるこの十年間は、アメリカが史上空前の物資的繁栄に酔った時代だった。

「それは約半世紀前の金ピカ時代を一層大衆化したようなものだったが、保守政権が続き、汚職がはびこり、誰もが自動車を持ち、株ブームや土地ブームが続き、建築競争が始まり、大勢の若者が大学の門に殺到し、老いも若きも海外旅行に熱中する──ということになれば、たいていの人は気がつくだろう。高度成長を終わったあとの日本、とくに一九八〇年代の日本と、どうやらただごとならず似ているのを」(猿谷要著『物語・アメリカの歴史』から)

二十四歳で文壇にデビュー、一躍流行作家となったフィッツジェラルドは、この時代の寵児だった。莫大な収入を派手に浪費し、一貫して無軌道な生活を送った。が、大恐慌を境に三〇年代にはいち早く”忘れられた作家”となり、四〇年の十二月、長編を執筆中、心臓発作で息を引きとった。

「ある時期、村上春樹の小説を熱中して読みあさったことがあるんです。そうしたら、急にフィッツジェラルドの作品を読み返してみたくなった。前に『華麗なるギャツビー』やいくつかの短編は読んでいました。その時にはこれといった印象はなかったのに、読み返してみると、今度は実に面白い。もう一人の作家の目を通してある作家の本質が見えてくるなんてことがあるんですね」

というのが、一種、奇妙な久石のフィッツジェラルド体験である。いちばん好きな作品は、彼の自伝的エッセーだという。

「彼が味わった栄光と挫折、憧れと絶望がニューヨークという街とのかかわりの中で語られているすばらしいエッセーです。ぼくの琴線に最も触れた作品でした」

そのエッセーのタイトルを「My Lost City」という。それがそのまま久石のアルバムのタイトルとなたのだ。一九二〇年と一九八〇年が、このアルバムの中で混じり合い、甘く、どこか哀しい響きを立てている。

この秋から、久石は、ロンドンに居を移す。むろん、日本での仕事もあるから行ったり来たりの生活になるのだが。

「そろそろ安住の地をさがして動き出さなくては……そして、自分を変えたいと……」

ポツリと、漂流者は、もらした。

二年後──そう、フィッツジェラルドが没したその年齢で、久石はどんなふうに生きているのだろうか? 誰にもわからない。だから、この肖像は、未完だ。

(サンデー毎日 1992年9月20日号 より)

 

 

Blog. 「音楽の友 2020年11月号」ベートーヴェン特集 久石譲インタビュー内容

Posted on 2020/11/21

クラシック音楽誌「音楽の友 2020年11月号」に久石譲インタビューが掲載されました。〈ベートーヴェン生誕250周年記念特集第4弾〉「革新の人 ベートーヴェンーー名曲から探る後世への影響」企画によるものです。

 

 

Interview
現代を生きる作曲家から見るベートーヴェン 久石譲

もっとも豊かな時代の人ベートーヴェン
だからこそ、惹かれてしまうのだと思います

 

クラシック音楽の世界ではライリーやライヒからの影響を受けたポストミニマルの作曲家として知られ、近年は指揮者としても注目される機会が増えてきた久石譲。彼が指揮した『ベートーヴェン:交響曲全集』は『レコード芸術』誌の月評で特選盤を、2019年度第57回レコード・アカデミー賞では「特別部門 特別賞」を受賞し、話題を呼んだ。

 

指揮を通じて拓けたベートーヴェンの新たな世界

久石譲がベートーヴェンの指揮に力を注ぐようになったのにのは、作曲家としての意識が深く関わっているという。

「音楽を木に喩えると、多くの人は葉や花をみて綺麗だと思うけれど、作曲家が追求しなければならないのは幹をつくり、枝をつくる行為。それが音楽の本質であり、未来への可能性を作ることになりますからね。グレゴリオ聖歌以前から音楽の歴史をみてきた上で、いま我々はなにを行わなくてはいけないのか?作曲家はそういう使命をたえず持っているのです」

もともと現代音楽の作曲家として活動していた久石だが、30歳代にポップスの世界へ転身。映画音楽の領域で高い評価を得たが、自身の音楽が徐々にエンターテインメントの枠に収まらなくなってくると、21世紀に変わる頃「本籍地」をポップスからクラシック音楽に戻している。その一環としてクラシック音楽作品も指揮したいと考えるようになり、秋山和慶に師事した。そしてベートーヴェンなどを指揮する経験も積むことにより、新たな世界が見えてきた。

「実際にベートーヴェンをオーケストラで指揮すると、スコアを読んでいるだけでは見えてこなかった、なぜこう書かれているのか、どこに問題があるのか、ということがわかるようになりました。学問のような論理ありきの作曲ではなく、実践に即して観客に聴いてもらう作曲を行う上で、その感覚が非常に役立つのです。そして『ベートーヴェンってここが良いんだ!』という実体験を味わってしまうと、指揮をやめられなくなるのですよ」

 

音楽の骨格が重要視される「絶対音楽」に向き合う現在(いま)

久石を魅了してやまない、ベートーヴェンの魅力とは何なのか。

「ベートーヴェンは、音楽の骨格となる幹と枝を重要視している古典派の時代と、葉や花が重要視されるロマン派の両方にかかっていますよね。音楽表現のもっとも豊かな時代を生きたベートーヴェンだからこそ、惹かれてしまうのだと思います」

だからこそベートーヴェンの交響曲全集の次には、葉と花の部分が魅力的でありつつも、やはり重要なのは幹と枝となるブラームスに取り組んでいるのだ。意外かもしれないがブラームスと同じロマン派でも、標題音楽にはさほど惹かれないというのが興味深い。

「ロマン派になると文学の要素が入ってきますよね。このような音楽は、何を基準に善し悪しを決めるのですか?ムードで決まるのなら、それは一人ひとり違うわけで、好き嫌いの問題ですよね。だとしたら良い演奏とは、美しい音だった、よく歌ったなどそういうことになります。もちろん、それ自体を否定するつもりではないのです」

具体的には、R.シュトラウスの《アルプス交響曲》のような楽曲に対して、「So what?(それがどうした?」と思ってしまうのだという。もう、そうした物語性のある音楽は映画との仕事のなかで充分追求してきたからこそ、クラシック音楽に「本籍地」を戻した現在は、いわゆる絶対音楽に注力しているのだ。そして、もう一つ久石のベートーヴェンを語る際に重要なファクターとなるのがナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)である。

「開館準備から長野市芸術館の芸術監督を務めることになったのですが、観客の皆さんがホール自体を応援するというのが、あんまり想像できなくて。そこで応援対象になる室内オーケストラをつくろうと思いました。東京フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスター近藤薫さんに相談した上で、将来を担う若手を中心に、各オーケストラの首席クラスに声をかけたのです。では、彼らと何を演奏するべきか?オーケストラとしての形ができてから、ベートーヴェンの交響曲に取り組むことも考えたのですが、まずベートーヴェンに取り組み、同時に現代の音楽をプログラムに取り込むことで、自分たちがいまどこにいるのかを確認するべきだと考えたのですね」

 

”現代音楽”をふまえて読んでもリズムの扱いが天才的

クラシックの音楽家にとって、ベートーヴェンの交響曲は常に隣にあるべきもの。こうした考えにより、2016年から2年半かけてベートーヴェンの交響曲を番号順に演奏・録音。これが交響曲全集となった。最大の特徴はリズムにある。

「ドイツ流のスタンダードなベートーヴェンの演奏を、私も秋山先生から習いましたが、室内オーケストラで重々しい演奏をするのは無理があります。でも、古楽のように演奏すればいいかといえば、それもしっくりこない。やっぱり自分はミニマルをベースにしてきた作曲家ですから、スコアに書いてあることを素直に読んで、ミニマルや現代のポップスにも通じるリズムを中心に組み立てようと考えました。そういう観点でベートーヴェンのスコアを読み直してみると、リズムの扱いが本当に天才的だと思いました」

その到達点だと久石が語るのは意外にも、演奏機会の多くない「交響曲第8番」だ。

「『第8番』は本当にすべてが上手くいっていますね。第2楽章一つとっても、あそこまできちんと無駄なく、技術的にも非常に上手く書かれており、なおかつ人を幸せにする音楽は類を見ません」

久石が理想の作品と語る「第4番」「第8番」の録音をお聴きいただければ、スコアを読めないかたにもベートーヴェンがどれほど鋭敏なリズム感覚をもっていたのかが、手に取るようにおわかりいただけるはずだ。

長野市芸術館芸術監督の任期満了に伴い、NCOは本拠地を東京に移し、フューチャー・オーケストラ・クラシックスへと名義を変更した。今後もたびたびベートーヴェンに立ち戻り、汲めども尽きない楽聖の新たな魅力をまた照らしだしてくれるに違いない。

取材・文=小室敬幸

(音楽の友 2020年11月号より)

 

 

目次

特集
ベートーヴェン生誕250周年記念特集第4弾 革新の人ベートーヴェン ――名曲から探る後世への影響
(かげはら史帆/久石 譲/小室敬幸/山田治生/越懸澤麻衣/平野 昭/渡辺 和/七條恵子/飯田有抄/西原 稔/高関 健/高山直也)

ベートーヴェンの描いた音楽が、後世の作曲家にどのように受容され影響を与えたのか、またその作風や技術はどのように作品と結びついているのか……。長年にわたり演奏され続ける名曲の魅力を「ベートーヴェン⇔後世への影響」で紐解き考察します。

and more…

 

 

また、同時期に公開されたWebマガジン ONTOMOでは「久石譲が続けてきた音楽を未来につなぐチャレンジ」、これまでの自身の音楽活動をたっぷり語ったロングインタビューとなっています。

 

 

 

 

 

 

 

Blog. 「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1997年9月号 No.152」『もののけ姫』久石譲インタビュー内容

Posted on 2020/11/05

音楽雑誌「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1997年9月号 No.152」に掲載された久石譲インタビューです。

映画『もののけ姫』について、たっぷり語られた貴重な内容になっています。

 

 

久石譲
アルバム『もののけ姫』インタビュー

「やり残したことはないです」

(インタビュー by 秋谷元香)

宮崎駿監督の集大成ともいわれる話題作『もののけ姫』が7月から公開中だ。音楽を担当しているのは、84年の『風の谷のナウシカ』以来、今回で6作目の宮崎作品となる久石譲さん。その久石さんに、宮崎監督との”奥深い”制作中のコミュニケーションや音作りの方法について、じっくりお話を伺うことができた。

久石さんが宮崎作品の音楽を担当するのは今回で6作目。宮崎さん自身、プロモーション的な意味合いもあってテレビや雑誌などで、今回の作品に関して発言されていた。制作エピソードの中には、久石さんとの今回の音楽に関することも紹介された。その中で、公開前から話題になっていたのは、やはり、宮崎さん自身の”気合い”。構想16年、制作費や制作期間はこれまでの倍になるというエピソード。原画枚数は『ラピュタ』の8万枚に対して12万枚…。

サウンドトラックが、ベーシックにはオーケストラによる音楽であることは、正統派映画音楽の必須条件だから、この映画のサウンドトラック・アルバムもオーケストラ作品になっていること自体、驚きではない。しかし、完成した映画作品から聞こえるテーマ、歌、音楽、すべてが一体になって視覚にせまり、耳の奥に鳴り続ける。

シーンの中心は室町時代の日本を背景にした、”殺戮”と”戦い”、それを取り巻く”自然”。最後の宮崎作品といわれる、この『もののけ姫』をさらに印象づける久石ミュージックの制作エピソードにせまります。

 

●作曲ツールを一新

ー今回のアルバムはオーケストラは全部生ですよね。

久石:
そうです。東京シティ・フィルハーモニック。『もののけ姫』はオーケストラをベースにするというのは、最初からずっと考えていたんです。でも、基本的には、いつものペースでシンセでほとんど全部作りこみました。それだけでもうCDとして出せるくらいのクオリティだったんですけど、それをあえてオーケストラの部分は別に録りました。また、映画の内容からも”日本”というのがすごく大事なテーマですから、生楽器として和太鼓とか篳篥(ひちりき)という和楽器は相当使いました。

 

ーシンセだけで作り上げる時は、生楽器はやはりサンプラーですか。

久石:
今回はね、今まで僕が使ってきた楽器を一新したんですよ。ふつうだと、こういう大きい仕事をやる時は、使い慣れた方法を取るじゃないですか。でも、今回はどうもそれじゃ違うと思ったんです。今まではフェアライトをベーシックにして全体を組んでいたんだけど、今回からAKAIのサンプラーを5台も買っちゃいました(笑)。全部フル・メモリーの状態にしてね。

でもね、いちばん上はループ用に使っているんですけど、下の3つは全部弦用なんです。しかも、1台にバイオリンとビオラという2つの音色を呼んだら、もう終わり(フル・メモリー)なんですよ。で、その下はチェロとコントラバスで終わり。

 

ー1音色で16MBも使っているんですか!

久石:
サンプラーが5台あるけれども、弦セクションと木管系、ループ用と打楽器系用だけなんです。木管系にはフェアライトのほうがいい音色もずいぶん多いから、両方併用という新たなシステムに切り替えて、今回の『もののけ姫』は臨んだんですよ。それがよかったみたいですね。

 

ー『Kids Return』(北野武監督映画のサントラ)の時は、生楽器にヤマハのVL1というシンセサイザーも使われたとおっしゃってましたね。

久石:
VLのほうがやっぱり生の感じは出ましたね。今回もやっぱり同じヤマハのVPを使いました。でもこんなに頻繁に使っているのは、恐らく世界で俺だけだろうね(笑)。

AKAIのサンプラー5台と、ヤマハのVPだとか、それから自分が作ったループだとか、そのへんで今回やったんです。それをベーシックにもう1回オーケストラを組み上げたわけです。シンセだけで、山の8号目ぐらい登っているわけ。もうほとんど頂上。それを最後にもう1回オケでやったという感じなので、全体のクオリティは本当に高かったですね。

 

 

●最初の2発で決まり

ーアルバムの最初に「ドーン」おいう太鼓の音が入っていますね。

久石:
すごいでしょ? あれね、映画館だともっとすごいですよ。椅子とかビリビリいってますから。こんなにいい音で録れるとは思わなかったというのが、正直なところなんですけど。

あの音は、自分のサンプリングで持っている、すごいいちばん重低音の出る「グランカッサ」という西洋的な大太鼓、それからエスニックのモノと、それから実際の東京シティ・フィルの大太鼓と、ティンパニなどをミックスして作った音なんです。でも、結局ティンパニは、芯が出ちゃうから極力抜きました。生の音とサンプリングと全部混ぜた音ですね。大太鼓を録る時にも相当苦労した。叩く場所なども、「この辺を叩いて、それをこっちから録って」とか、相当細かくやって録った音ですからね。出だしで「ドーン、ドーン」って二発鳴った時に、「あ、勝った」って思いましたね。

 

ーひとつの音に対しても、そんなにこだわられていたんですね。

久石:
今回は、なんというか、やり残したという感じはないですね。

この『もののけ姫』は本当に幸せな出会いだったと思うんです。宮崎(駿)さんとかれこれ6本もいっしょにやっていますけど、最初に『風の谷のナウシカ』をやった時と同じ感じでした。それにプラス6本やってきたというある種の深みというか、すごく深いレベルでコミュニケーションできました。このサントラを作りながら「この仕事、終わってほしくない。でも寝ていないから早く終われ」とかいろいろ思いました(笑)。作品ができた時「これでしばらく宮崎さんと会う口実がなくなるな、残念だな」と素直に思いましたね。

 

 

●映画と音楽の構造は同じ?

久石:
映画監督の黒澤明さんがおっしゃるには、映画というのは、あくまで時間軸上に作る建築物なんだそうです。時間と空間軸の中で作るもの。音楽もまったく同じだと思うんです。実際、黒澤さんも「映画の構造は音楽にいちばん近い」ってはっきりおっしゃっていますし。それはすごくよくわかるんです。

僕は、やっぱり今度の映画の中の2時間15分をいかに構築するか、つまり音楽を入れないところも含めて、どうやってテーマをリアルに浮かび上がらせるか、宮崎さんの言いたいことを浮かび上がらせるかをいちばんに考えていたんです。だから、核になるメイン・テーマ曲が、ものすごく重要になってくるんです。

これがサントラを作る最初の段階で、相当納得するものができていないと、メインディッシュ抜きの料理みたいなもので、どんなに飾ったりなんかしても、どうも制作がうまくいかない。

 

ー今回は「もののけ姫」「アシタカせっ記」のメロディーがアルバムを通しての柱になっている感じがしました。

久石:
そうですね…メイン・テーマとしての曲は「もののけ姫」になるんでしょうか。最初はこの曲がメインテーマ曲になると思わなかったんですよ。(自分としては)「こういうのもあっていいや」という感じの曲だったんですけど、宮崎さんがあんなに気に入るとは思わなかった。自分としては、『もののけ姫』という大作ですから、もう少し勇壮な世界観のあるものをメインに据えようと思っていたんですね。

でも、ああいうさらっとした曲があったおかげで、かえって世界観が、結果的には作りやすかったですね。まあ、トータルでいうと「アシタカせっ記」という曲がメイン・テーマと取れるかもしれませんね。アタマにあって、大事なところに入って、最後に流れてくる。

それで、それを彩る形で「もののけ姫」がその対になった感じで、それで全体を組んでいきました。そういう意味では、構成的にも相当うまくいきました。自分ではすごく納得しています。

 

ー折に触れ、『もののけ姫』の最後にリフレインしている部分のメロディーが顔を出してますよね。

久石:
最後の部分のメロディーでしょ。あれを考案した段階で「勝った」と思いましたね。「いただき!」という感じです(笑)。結局歌の曲のメロディーをそのまま1コーラス使ってアルバムの中に歩かせると、すごくダサイんですよ。「いかにもテーマ曲ですね」みたいな感じというか。だから、いちばん最後のリフレインのところを使って、インスト・バージョンをもう1個作った。それを映画の旅立ちの場面のところから、順番に要所要所、サン(もののけ姫)と出会うシーンなどにその曲をつけていって、それがだんだんメロディーが伸びてきたら、「もののけ姫」の歌になるという。その設計が自分でも相当気に入ってます。

 

 

●”間”を大切にする。

ーぜひ、”『もののけ姫』交響組曲”みたいなものを聴いてみたいな、と思いました。

久石:
交響組曲を作るとすると相当勇壮な感じになるでしょうね…そう、今回のサントラでひとつ言えるのが、戦いのシーンなんかは極力音楽を控えめにしたということです。地味めなサウンドにね。音楽家ってどうしても戦いのシーンなんかになると、自分のワザを駆使して、ジャーンって効果音と張り合ってやってしまいがちなんですけど、そういう誘惑は一切断ち切って、むしろ戦いが終わってからの主人公の気持ちなどのほうに音楽をつけることに集中しました。だから、戦いのシーンは必要最小限の音楽で、極力隙間の多い戦闘シーンの作り方をしていますね。

”間”というのか、わりと沈黙をどう作るかというか、それは、いちばん気を使った部分ですね。なにか、沈黙を作るって、音楽家は恐いんですよ。次々とメロディーを出したくなるから。だけど、あえてそういうのをずいぶん作っている。『レクイエム』なんかはそうですよね。だから、その作りが相当うまく、自分の中では新しく、「こういう表現も成り立つんだよな」って。その辺は自分でもすごく嬉しいところですね。

 

ー”間”といえば、「神の森」でも…。

久石:
音を抜くところ? それが相当、従来だともっと勢いで押していたけど、止めるということをずいぶん今回やりましたね。今回今まで使っていないやり方、新しいやり方では、もちろん音源を入れ替えたりというのはあるけれど、シーケンサの組み方自体も、すごくテンポを変えているんですよ。1曲の中でもものすごくテンポを変えている。なおかつ、映画のひとコマ=1フレームが1秒の1/30ですが、これにぴったり合わせている。あるいは、合わせた上であえてずらす。そういうのが1曲の中で最低6~7カ所はあるんですね。異常ですよね。リタルダンド、アッチェレランド、急激なテンポの変動というのが絶えずあって、それでシーケンスを組んでいるから、すっごい大変。

同じテンポで通した曲って、40曲中3~4曲ぐらいしかない。後は全部途中でテンポが異常に変わってますね。

 

ーすごく作り込まれている感じですね。

久石:
トラックダウンだけでも、10何日間かかりました。これはひとつには、デジタル(処理)というやり方に対するノウハウが、日本にないんですよ。L/C/R、つまりレフト/センター/ライトのスピーカーに後ろのL/Rと、あとスーパー・ウーハーという6チャンネルですから。ハリウッドやなんかでは、10年ぐらい前から、ほとんどの作品をそれでやってます。だけど、日本では、『耳をすませば』についで2度目ぐらいで、本当にノウハウがないんですよね。ハンデがありますね。

つまり、トラックダウンをやっていて、これでいいのかどうかという基準になるものがない。1回トラックダウンをしますよね。それでMAのところでかけてくる。そうすると「あ、後ろの音が弱い。もっと大きくないと迫力がない」となると、また戻ってやり直し。そういうところでね、僕の考えとしては、作曲というのはもう仕方がないわけ。これは俺の能力の問題で、いい曲ができなかったらそれは俺の問題だ、と。だけど、トラックダウンだとかいうのは、あくまでも技術的な問題だから。技術的な問題というのは、みんなが努力したら絶対ある程度は行けるんですよ。そんなところで自分の音楽がだめになるというのは、絶対に許せないから。とことんTDやりましたよね、やれるところまで。

 

 

●人間の”二面性”を体現するボーカル

ー「もののけ姫」はインストゥルメンタル・バージョンがありますね。

久石:
インスト・バージョンでメロディーをとっている楽器は、4タイプぐらい録ったんですよ。篳篥、竜笛(りゅうてき)、ケーナ、それからもうひとつなんだったかな。結果的にいちばんクセのないケーナを選んだんですよ。インストゥルメンタルでボーカル曲をやると、本当に陳腐になっちゃう。それをどう避けようかというのがやっぱりあって。

それは、歌と同じぐらい説得力があるインストゥルメンタルがメロディーをとっていないと、相当難しいんです。今回はたまたまケーナだったけど、希望でいうと僕は篳篥で行きたかった。だけど、映像と合わせると音楽が強くなり過ぎてしまったんです。つまりその曲は、サンが乾し肉をかんでアシタカに口移しするシーンつまりラブシーンともとれるシーンに使われているんですね。だから、妙にムードに際立たせられると宮崎さんが恥ずかしいわけですよ(笑)。

あっ、そうそう、その場面でおもしろい話があるんだけど、逆にムードを際立たせるような曲を、あえて1回目に宮崎さんに聴かせたんですよ(笑)。口移しをした瞬間に、「ザァン!」とかいって、ハープかなんかで「ピロロ~ン」とかいって思いっきり盛り上げてやったら、宮崎さん下向いちゃって(笑)。「う~ん、もっとさりげなくできませんか?」って。だから「そうですよね」って。これが通るわけないと思ったんだけど、1回やっておきたくて。まあ、これだけ長い仕事やっていると、そういう遊びぐらいあってもいいかな、と。

 

ー「もののけ姫」のボーカルも、すごく不思議な雰囲気ですね。

久石:
カウンター・テナー米良美一(めら よしかず)さんのボーカルですね。カウンター・テナーというのは、外国ではそんなに珍しくないんですよ。男の人の裏声状態なんですけど。でも日本でこれだけの人はいないですね。

正確に言うと、カウンター・テナーは男性の裏声を使っているためにソプラノの音域には行かなくて、女性のアルトの音域までをカバーするんです。実のところを言うと、アルトというのはやっぱりちょっと暗めになる印象が僕の中にはあって、もしかしてメイン・テーマではどうかな、という不安はあったんですよ。男の人が歌っているという先入観を除いて、純粋に音楽的に大丈夫なのか、暗くならないかという心配が、僕にはあったんです。だけど、やっぱり米良さんは本当にすばらしい歌手で、そういう心配は無用でしたね。

恐らく宮崎さんは、今回の”犬神モロ”というキャラクターの声優に美輪明宏さんを起用したことに象徴されるように、”ひとりの人間の中の二重構造”とか、もっと言ってしまえば、”ひとりの人間の中の善と悪”を意識されていたんではないでしょうか。だから、内容的には、けっして山を切って鉄を作っている人たちを”悪”とも決めてないですよね。要するに、ひとりひとりが矛盾というか、二律背反するものを抱え込みながら、それでも生きていかなければいけないというのが、いちばん深いテーマとしてあったと思うんです。米良さんの声を聴いた時、恐らく宮崎さんは”男性なのに女性の声”というその複雑さにすごく興味を持たれたんじゃないかなという気がするんです。

(「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1997年9月号 No.152」より)

 

 

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Blog. 「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1988年11月号」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2020/11/03

音楽雑誌「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1988年11月号」に掲載された久石譲インタビューです。同年1月号から開始された連載の第10回で、オリジナル・ソロアルバム『Piano Stories』についてたっぷり語っています。

 

 

HARDBOILED SOUND GYM by 久石譲
VOL.10
「ナウシカ」のイマジナリー変奏曲

ピアノ・アレンジにもとづいて録音された「Fantasia (for Nausicaä)」、久石さんは”テレやはずかしさ”があるとはいえ、やはり代表曲。今回もこの曲を中心に。

 

まず先月号の訂正から。ページの最後に「2重奏によるナウシカのスコアを掲載する予定です」とありますが、これはあくまでもソロ・プレイです。久石さん自身の最初のプランでは「ダイナミックになり過ぎる。それをもっと抑えたかったから2重奏で、と考えた」ということなのですが、しかし、実際にやってみたら、最初のプレイの”揺れ”に合わせてダビングするのが難しく、結局、アルバムには、その直後、ソロでプレイしたものが収められています。読者のみなさん、そして、久石さん、ごめんなさい。

というところで、この2重奏→ソロの経緯のお話から伺うことにします。

 

呼吸しているメロディーの微妙なノリ

ー「Fantasia (for Nausicaä)」のレコーディングのときのお話を確認の意味でもう1度聞かせてください。

久石:
『ピアノ・ストーリーズ』を作ったときの、僕の中のナウシカの扱いから話しましょうか。

重複しちゃうかもしれないけれど、僕の中に非常に難しいものがあるんです。なぜなら「久石譲イコール、風の谷のナウシカ」という公式が出過ぎちゃう、あの曲が僕の名刺がわりになり過ぎてる。するとやっぱりテレもあるし、はずかしさもあるんです。

ふつうはこれが代表曲ですっていうものがあれば開き直れるのかもしれないけど、僕は少しはずかしい。それがいつもついてまわるわけですよ。すると『ピアノ・ストーリーズ』で、自分の、久石譲メロディー集でいうと、こういう曲がメインになるのがふつうのはずなんですよね。

だけど、7分近い大曲にした割には、むしろ後ろの方で抑えた状態で収録してある。しかも原曲にいちばん遠いかもしれない。中のいろんな音楽、音型を出してみたりしつつ、変えて作ってしまった、と。それはやっぱり作家の中でその楽曲と自分との独特の位置があるわけですよ。

まあそういうことが前提にあって、当初はピアノの2重奏でやりたかった。実際には、ダビングを1回しようとしたんです。なぜかというと音域が広いのと、部分的に、1人でやろうとするとかえってやかましくなり過ぎるところがある。たんたんとさせるためにも2つでやったほうがいいだろうと考えたんです。

ところが今回のピアノ集は全体にそうなんだけど、ふつうはドンカマと言って、リズムをうすく入れて、その中で自分が自由に弾くということをするんですが、今回はひとつもドンカマを使っていない。そのためにメロディー・ラインが自由に呼吸してるわけ。そしてこの日も第2パートから入れてみたんです。7分近い中でピアノを2重奏にする部分は、ほんの1コーラスだけだったんです。ほんの一部だった。ところが今度、それを入れちゃったら、それに合わせようとするんです、音楽が。すると、それまで呼吸していた音楽が一気に死んじゃった。

 

ー音楽が合わせようとする、というのは?

久石:
自分で合わせようと思うわけだけど、それは、音楽のほうで、入れてあるパートに合わせて弾くように働きかけてくる。そこでもう、何か世界が違っちゃうんです。微妙なタイミングのズレが出るわけですよ。

ドンカマが入れてあれば、まず第2パートを合わせて入れて、次にそれに合わせてメロディー・パートを入れるということができるかもしれないけれど、第2パート自体もエモーショナルに弾こうとすると、すでにそのテンポが揺れている。その揺れているヤツにもう1回自分で重ねようとすると、よほど何百回というリハーサルをやって同じような揺れにならない限りは、滅多に合わないですよね。

それでかなりのところまでは合ったの。でも他の人が聴いたらそうは思わなかっただろうけど、自分の中では、精神的な呼吸感が、もう違うから、ダメだって思った。で、スタッフも全員そう思ったので、もうこのスタイルはやめようということになったんです。

ところがこっちも2重奏のつもりでスタジオに入っているから、いきなりやめるというのもまずい。また練習して戻って来るというわけにもいかない。

それで結局、そこでまた全部壊して…、まあアレンジしてあった形はそのまま生かしてその場で一発録りみたいなかたちで録ったんです。それが、あの『ピアノ・ストーリーズ』の中の「ナウシカ」なんですよ。

 

不思議な響きのルーツにいたのはマル・ウォルドロン

ー2重奏にしたかった部分というのはどのへんですか。

久石:
途中で盛り上がっていくところでね。ちょっと音自体は抑えたいんだけどぶ厚さが欲しいわけ。それができないわけではないことはわかっていたんだけど、いろんな音型をにらみ出すと、非常にヴィルトゥオーゾ…名人芸というかテクニックを披露するような音楽になりやすいんだ。それを控えたかったんです。

 

ーそれであの形になったわけですね。

久石:
そう。そのへんがあの曲を録るときの難しさだったんですね。

だから今回の『ピアノ・ストーリーズ』をやっていていちばん思ったのは……、みなさん言うのは、非常に不思議な音楽だ、ということなんです。ピアニストの練習は、バイエルから始まってツェルニーの30番、40番とやってくると、当然クラシックの音楽には独特のスタイルがあるわけですよ。それは何かというと3度、5度、6度構成という音の関係の練習でしかないんです。あとスケールとね。これはテクニック自体のことだけど、それの組み合わせでできていると思って間違いない。

ところが僕の音楽というのは4度体系なんですよ。だから、ド・ファ・シと押さえていってしまう。ある意味でジャズのテンションに近いものがあるんです。けれどジャズから出て来ているテンションではないんですけどね。で、そういう積み重ねが多く出てくる。すると、パッと押さえた瞬間の指の形、指の幅がクラシックの人とは違うんです。パッと押さえた指が、クラシックの人はド・ファ・ラとか、ド・ミ・ソとかクラシックの形態のところに指が行くんです。このへんが、ちょっとクセがあってやりづらいところかもしれないんですけどね、ピアノに関していうと。

ただこれは、自分のアレンジものも全部ひっくるめて、響きの原点みたいなところなんです。

で、『ピアノ・ストーリーズ』の話に戻すと、非常に不思議な音楽だと言われたと。ピアノのテクニックっていうのはリチャード・クレイダーマンみたいに、ドソミソ・ドソミソとかパターンがあるんです。左手の音型にしろ何にしろ。ところが僕のピアノは全部その形態がはずれているんですよ。

じゃクレイダーマンではない。それならレイモン・ルフェーブルかと言ったらそれでもない。ではジャズか? それでもない。そのへんのギリギリのところで作っていたんです。

で、僕のタッチというのはすごく強いんです。いいか悪いかは別として頭の中で、ピアノというのは打楽器みたいなとらえ方をしているために、きれいな響きを作ろうとするよりは、”ガシーン”と叩いた太鼓が鳴ったと同じような打楽器的な効果が自分では好きなんです。そのままの感覚でピアニッシモもあるんです。

 

ー打楽器的なピアニッシモ…?

久石:
ようするに響きをきれいに出す方法というのは僕もクラシックの奏法として習ったし、あるんだけど、僕のピアノ奏法の発想にはそれがないんです。

それで、これは誰に近いのかなと僕もずっと思ってたんだけど、今度11月に出すアルバム『イリュージョン』の中のタイトル曲「イリュージョン」、これもピアノ曲なんですが、これは少しジャジーな要素を入れてあって『ピアノ・ストーリーズ』よりジャズっぽいかんじがする。それを聴いたある人がこう言ったんですよ。タッチはマル・ウォルドロンだ、と。

僕は17、8歳…高3の頃からレコードでマル・ウォルドロンを聴き漁ってね。だから現代音楽を聴いてるかマル・ウォルドロンを聴いてるかっていうくらい彼が好きだったんですね。『オール・アローン』っていうピアノ・ソロなんか全曲コピーしましたもんね。

 

ーそういう一面もあったんですか。

久石:
そうなんだ。それがこの年齢になってソロ・アルバムを作ってピアノで勝負しなくてはならないときに、はからずも自分の音楽のタッチというのはそういうところにあったなっていうことに、後で気付いたね。

マル・ウォルドロンっていうのはビリー・ホリディのバックで、ピアニスティックに弾こうとしたとき、ビリー・ホリディから「歌えないフレーズは弾かないほうがいい」と言われて、できるだけシンプルに、心を込めて弾くようになった人でしょ。オスカー・ピーターソンとは対極にあるんですね。今、ピアノのテクニックというのはいかに早く機能的に動くかという運動に終始してる。ジャズにしても練習となると、そういうところで終始してる。比較的ね。スピリットとかいいながら、興奮してきたら、いかに16分音符を正確に弾くかとか、そのへんがピアノ・スタディの原点みたいなところがあって、それはそれで大切なんだけど、マル・ウォルドロンはそれとは180度違っていた。ただし、彼は根っからのジャズ・マン。僕は現代音楽からやってきて、こうなってきた。そしてメロディーという共通項で仕事をしようとしたとき、ジャズという土壌と僕の土壌は全然違うんだけど、”アプローチの角度”は似たかもしれないね。いかにシンプルに音楽を相手に伝えるかという姿勢はね。タッチが強いという点もひっくるめて思わぬ共通性を最近感じてとまどってるんですよ(笑)。

(KB SPECiAL キーボードスペシャル 1988年11月号 より)

 

 

久石譲 『piano stories』