Blog. 「レコード芸術 2017年9月号」ベートーヴェン:交響曲第1番&第3番「英雄」 久石譲 NCO 準特選盤・評

Posted on 2019/04/03

クラシック音楽雑誌「レコード芸術 2017年9月号 Vol.66 No.804」、新譜月報コーナーに『ベートーヴェン:交響曲 第1番 & 第3番「英雄」 / 久石譲指揮 ナガノ・チェンバー・オーケストラ』が掲載されました。準特選盤、評論家による専門的な分析や考察は視点を広げる学びになります。専門用語や深く切り込む玄人目線は、ついていけないこともたくさんあります。でも、いつかわかる日もくるかもしれません。録音についても詳しく評されとても興味深い内容です。

 

 

新譜月評

THE RECORD GEIJUTSU 準特選盤
ベートーヴェン:交響曲第1番・第3番《英雄》/久石譲指揮 ナガノ・チェンバー・オーケストラ

 

推薦 金子建志
長野市芸術館(2016年オープン)の芸術監督に就任した久石が、少数精鋭の室内オーケストラとベートーヴェン・ツィクルスを開始。小編成による快速盤の中でも、飛び抜けて速く、スタッカート的な鋭さと切れ味が、抜きん出ている。第1番の主部に雪崩込むあたりから激辛ぶりは徹底しているので、その段階で拒絶してしまう人もいるだろう。常にアクセルを踏み直し、コンサートマスターも一致協力して牽引。それでいて第3楽章のトリオでは木管のテンポを大胆に落とし、後続の弦でルバート的に戻す、といった技も見せる。《エロイカ》はサバール(1994年)と比較すると、I [サバール=15:16、久石=15:35]、II [S=12:42、H=12:04]、III [S=5:25、H=5:30]、IV [S=10:49、H=11:19] と、いくぶん遅いのだが、第1楽章コーダ [15分22秒~] のようにオフビートをジャズ的に強調するぶん速く感じる。第3楽章の [1分02秒~] の掛け合いは、ディミヌエンド付加だけ見えるが、「2/4→3/2拍子」のヘミオラ認識が隠し味。第1楽章展開部 [7分35秒~] のsf強調も、最後の「リテヌート→ア・テンポ」が効いている。第4楽章の [1分24秒~] をソロにするベーレンライター版の指示も自然。第2楽章 [1分30秒~] のチェロのクレッシェンドもベーレンライター版どおりだが、第1楽章コーダのトランペット [14分46秒~] はモントゥー流に途中までハイB♭を吹かせるなど、選択肢の多さも濃さに繋がっている。

 

準 満津岡信育
指揮者の意思がすみずみまで浸透したベートーヴェンである。8型が基本のヴァイオリンは両翼配置で、コントラバスを舞台下手奥にまとめた古典配置を採用。ライナー・ノーツで、久石自身が”われわれのオーケストラは、例えればロックのようにリズムをベースにしたアプローチで誰にでも聴きやすく、それでいて現代の視点、解釈でおおくりすることができます”と記しているように、テンポ設定は速く、拍節感も重厚さは塵ほどもなく、きわめて切れがよい。近藤薫がコンサートマスターを務めるオーケストラは、まさに一騎当千のメンバー揃いで、風を巻くように駆け抜け、要所で舞台上手奥に陣取るトランペットが咆吼し、ティンパニが轟音を発するのが印象的。あえてオフビート的に処理している箇所もあり、リズミックでノリのよい演奏が展開されている。弦のヴィブラートを抑制したり、《英雄》終楽章の最初の変奏の弦楽器をソロで弾かせるなど、目配りも利いている。ただし、今日ではウィーン古典派の諸作品においても、ファイやアントニーニなど、ピリオド・アプローチを軸に、さらに騒然とした演奏を行なう指揮者もおり、その点、久石の指揮ぶりはぐっとスマートで耳当たりがよい。ただし、久石の方法論だと、両曲とも第2楽章は、他の楽章に比べると物足りないのが惜しまれる。また、ティンパニ奏者が木の撥で轟然とffを発する際に、響きがやや飽和気味になる録音が筆者には気になった。

 

[録音評] 鈴木裕
第1番の小さめの編成のオーケストラに対しても、第3番の編成に対しても、近くから聴いているような高い臨場感を持っている。打楽器や金管楽器の力感も十分にあるとともに、弦楽器、木管楽器のパートの響きも透明感高く収録。長野市芸術館の響きのよさも奏功していて、高い天井や広い空間に音が広がっていく感じも実にうまく捉えている。

(レコード芸術 2017年9月号 Vol.66 No.804より)

 

 

本号では、「新譜月報」後半に掲載されている「優秀録音」(5盤選出)ページにも選ばれていました。筆者は [録音評] と同じ、より詳細に記されています。

 

新譜月報|優秀録音
いろいろな意味で意欲的な録音だ。まず、使われているのが2016年5月に誕生した長野市芸術館メインホールで、1300人程度を収容。第1番は同年7月に、第3番は翌年2月に収録されていて、ホールの響きとしてはまだ熟成されていないものの、録音を聴いている限りその響きは若すぎることがなく、音の重心の低さやまろやかさを持っている。確かに第1番の第4楽章など、大きめの音量の部分で密度の薄いソノリティも感じるところだが、第3番ではすでに落ち着いている。オーケストラの演奏については筆者の言及する担当ではないが、その響きを聴きつつコントロールしてることがわかる。そして録音。マルチ・マイクとステレオ・ワン・ポイント・マイクを絶妙にミックス。オーケストラの前後の奥行きは若干浅いが、ライナー・ノーツの写真を見ると実際に浅いので納得させられる。ホール、演奏、録音のそれぞれがよく、これからのシリーズも楽しみな組み合わせだ。(鈴木)

(レコード芸術 2017年9月号 Vol.66 No.804より)

 

 

 

また前月号の「レコード芸術 2017年8月号 Vol.66 No.803」では、いち早く「New Disc Collection」のコーナーでも紹介されています。

 

久石譲&ナガノ・チェンバー・オケの痛快なベートーヴェン

音楽家は作曲家と演奏家に大別される。いずれも音楽のさまざまに精通していることで、表現活動の一環としてタクトを手にする人が少なくない(言わずもがなだが、かつては作曲家=演奏家であった)。宮崎駿のアニメーション映画の音楽を数多く作曲した久石譲も、16年5月に開場した長野市芸術館をフランチャイズに結成されたナガノ・チェンバー・オーケストラの音楽監督として指揮活動を本格化させ、ベートーヴェンの交響曲全集の録音をスタート、その第1弾として第1番と第3番《英雄》をリリースした(昨年と今年の演奏会のライヴ録音)。

久石譲はクラシック音楽の指揮経験は豊かとはいえず、オーケストラは、コンサートマスターが現東京フィルのコンマスでもある近藤薫以下、30名ほどのメンバーは若手中心。それで「どんなベートーヴェンになるんだろう?」と聴いた演奏は……2曲ともにかなり楽しめた!

久石の音楽の運びには、ベートーヴェンの原典研究に基づく近年の表現スタイルを規範にしていることが窺え、メリハリが効いていて明快。テンポは速めで、常に躍動感がみなぎっている。最近の若手オケマンの巧さにも感心することしきり。この勢いの勝った痛快な演奏をするオーケストラが、これからどう熟成し、どのような情動を聴衆の内面に生み出していくのか、興味は尽きない。

(レコード芸術 2017年8月号 Vol.66 No.803より)

 

 

 

 

 

 

 

 

Blog. 「月刊ピアノ 2005年9月号」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2019/04/02

雑誌「月刊ピアノ 2005年9月号」に掲載された久石譲インタビュー内容です。

 

 

”ハウル”も含む最新アルバム完成!自ら監督するオケをもつ意味を語る

理想があるんだ。だからもう来年の夏の企画までできてるもん(笑)

組曲「DEAD」はいかにして生まれたのか? 音楽監督と指揮を務める新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラの次なるステージは? アメリカの映画音楽の巨匠J・ウィリアムズと久石の音楽性の違いは? などなど。どんな質問にも、穏やかに笑いながら鋭い答えを返してくる久石譲。揺るぎない確信から生まれた大きな余裕。そんなものを感じた。

 

オケのメンバーは”久石のフォルテはこれだ!”ってわかってる

ーやはり『WORKS III』で特筆すべきは、組曲「DEAD」だと思うのですが。これは数年前にご自分がメガホンを取る予定だった映画のために書いた曲だそうですね。

久石:
「そう。4、5年前ですね。でもその映画の内容が、人が死んだりとか、ちょっときついものだったので、時期をみようということになって、先に『カルテット』を撮ったんです。でもテーマ曲はできていて、そのときは2曲だけだったけど、僕の頭の中では4楽章の組曲にしようと思っていまして。今年こそは完成させたくてね。やっと発表できました。今回のアルバムはこの曲のために作った、といっても過言じゃないくらい(笑)」

ーDEADのスペルD,E,A,Dを音名に置き換えた、レ、ミ、ラ、レを主に使った作りになってるんですね、どの楽章も。おもしろい。

久石:
「映画の内容を考えながら、最初に思いついたアイデアだったんだけど、明快でしょう。明快だから音のインパクトも強い。だからどうしても弦楽オーケストラでやりたかったんです。フルだといろんな音色がありすぎちゃって派手になっちゃうから。弦だけの方がきっと深い世界が表現できるなあと思ってね」

ー元々久石さんがやってらっしゃった、現代音楽的なアプローチの作品ですよね。特に3楽章なんか、バリバリ、ミニマルですね。

久石:
「やっぱりそれは僕の本籍地みたいなものだから。すごく真剣になるとスタンスがそこに戻っちゃうんだよね、どうしても。でもね、もう一歩踏み込んじゃうと、ほんとうに現代音楽の作品になっちゃうんだけど、僕がいまやってるフィールドで考えると、それをポップスという世界の中に留める、ということが大事になってくるんです。僕は特別な人たち相手に音楽を作る芸術家じゃないからね。宮崎映画とか北野映画から僕の音楽を知ってくれたような多くの人たちと、コミュニケーションできる音楽でなくちゃいけないんです。今回はそのギリギリ(笑)。だいぶ挑戦的なことはしたなと思いますけどね」

ーところで、ワールド・ドリーム・オーケストラの音楽監督に就任されて1年経ちますが、オーケストラとの活動はいかがですか?

久石:
「作家としては最高に幸せなオケとの関係ができてると思いますね。おもしろいのはね、譜面にあるフレーズ、たとえばチェロなんて、譜面通りに弾けば、フォルテであっても、タ~ラ~ラ~って、上品に弾くんだけど、僕の楽譜にこういうフレーズでフォルテなんて書いてあると、なんの指示も出さないのにみんなガンガン弾きだすの(笑)。久石のフォルテはこれだって、もうわかってるんだよね」

ー確かに、記号のフォルテが、作曲家の頭の中に鳴ってるフォルテのイメージと同じというわけではないですもんね。

久石:
「譜面は表現できる範囲が意外と狭いですね。どんなに精密に書いて、その通りに演奏したっていい演奏になるわけじゃない。譜面の後ろにある世界というか、それぞれの演奏家が解釈できる範疇、そこに音楽家の個性が生まれるわけでね。そういう意味では自分が監督してるオーケストラがあるというのは本当に素晴らしいです。誰よりも僕の好きな音を出してくれるからね。今年の冬、ワールド・ドリーム主体のコンサートをやるんですけど”12月の恋人たち”というタイトルで、『白い恋人達』『シェルブールの雨傘』『男と女』……フレンチ・ムービーの曲を僕がアレンジします。あとコール・ポーターを、外人シンガーを呼んでやろうと思っていて。恋人同士で来るには最高のコンサートだと思うよ」

ー本当にハイペースに、次々とアイデアが湧いてくるんですねえ。

久石:
「ワールド・ドリームが好きだから、どんどんアイデアが出てきちゃうんです。だってもう来年の夏の企画までできてるもん(笑)。あとね、僕には理想があって……僕のコンサートの次の日にフルオケでマーラーを聴きに行く、なんていう人はあんまりいないと思うんですよ。そういう人たちに、クラシックの敷居はそんなに高くないんだって知ってもらいたくてね。だから冬のコンサートでも、フレンチムービー音楽とコールポーターと一緒に、ラヴェルのボレロもやるんです。別にクラシックの入門編をやりたいわけじゃなくて、クラシックにもポップスにも、こんなにいい音楽があるんだよって、垣根なくみんなに知ってもらいたいんだよね。たとえば『シェルブールの雨傘』のあとにブラームスの3番の3楽章なんかをやって、これっていい曲だなあって、先入観なしに聴いてもらえれば嬉しいじゃない。ワールド・ドリームではそういうことをどんどんやっていきますよ」

ーここまでたくさんの大作映画の音楽を次々に手がけていらっしゃる久石さんを”日本のジョン・ウィリアムズ”と呼ぶ声も多く聞かれます。ご自分では嬉しいことですか? 不本意なことですか?

久石:
「やっぱりオーケストラを扱って映画音楽をやってるから比べられるのはしょうがないと思うし、昨年、ワールド・ドリームでスター・ウォーズのテーマを自分で振ってみてよくわかったんだけど、あれだけのクオリティと内容のオーケストレーションをやれる人はいないですよ。すごく尊敬してるし、僕なんかまだまだだな、と思います。でもね、実際の音楽でいうと、僕と彼の作るものはまるで違うんですよ。僕は東洋人なので、5音階に近いところでモダンにアレンジしてやったりするものが多いんです。でもJ・ウィリアムズはファとシに非常に特徴がある。正反対のことをやってるんです。それはすごくおもしろいなあと思いますね。音楽の内容も方法論も違うけど、僕もあれくらいのクオリティを保って作品を発表し続けたいですね」

(月刊ピアノ 2005年9月号より)

 

 

久石譲 『WORKS3』

 

久石譲 『パリのアメリカ人』

 

久石譲 『W.D.O.』 DVD

 

 

 

 

Blog. 「モーストリー・クラシック 2019年5月号 vol.264」久石譲パリ公演 記事

Posted on 2019/03/31

クラシック音楽情報誌「モーストリー・クラシック MOSTLY CLASSIC 2019年5月号 vol.264」(2019年3月20日発売)に 久石譲コンサートの記事が掲載されました。

2019年2月開催「久石譲 シンフォニック・コンサート」パリ公演です。毎号、海外の音楽情報を伝えるコーナーのひとつとしてカラーページで紹介されています。

 

 

World Music Scene
海外音楽情報 世界の話題

Paris | February 2019 | FRANCE

文=三光洋(音楽ジャーナリスト)

「ジャポニスム 2018」で久石譲の演奏会がフィルハーモニー・ド・パリで
「東の国の交響曲」、「千と千尋の神隠し」などの演奏を観客は総立ちで讃える

昨年秋から行われた「ジャポニスム2018」の一環として、パリで久石譲のコンサートが行われた。2月10日にフィルハーモニー・ド・パリの演奏会に先立って開催されたトークショーには例外的に1000人を超える人々が詰めかけた。

久石は30分間、エマニュエル・オンドレ、フィルハーモニー・ド・パリ企画部長の質問に答えた。話題は作曲家としての歩み、バッハへの思い、東洋人としての死生観、フランス文化と多岐にわたった。「二日酔いの朝にベートーヴェンの交響曲は聴きたくない」といったユーモアも交えた直截な語り口に観客は静かな中にも和やかな雰囲気が広がっていた。

演奏会は当初2月9日と10日マチネの2回の予定だったが、切符は発売後わずか15分で4800枚が完売。10日夜の追加公演が決まり、延べ7200人が会場に足を運んだ。

プログラム前半は5楽章からなる42分の大曲「東の国の交響曲」だった。第1楽章「東の国」は2013年に作曲されたが、東日本大震災から受けた衝撃で、残りは16年になってようやく完成している。「東の国」は日本であるとともに、大きな被害を受けた東北でもある。

セリー音楽の影響が所々に感じられる一方、思い切った休止によって楽想が一転する独自の手法は映画音楽に永年携わってきたことと無縁ではないだろう。第2楽章「Air」は打楽器の繰り返しが特徴で、「音大生時代からずっとミニマル音楽に惹かれてきた」という先刻の談話が思い出された。

ソプラノ・ソロの市原愛は、第3楽章「東京ダンス」で日本語と英語による子供の囃子歌、第5楽章「祈る人」のラテン語詩句で澄み切った声を聴かせた。この最終楽章には作曲中にずっと頭の中で鳴っていたという「マタイ受難曲」の旋律が引用されるとともにフーガが使われ、バッハへの傾倒ぶりがうかがえた。

休憩後の後半は映画音楽を素材とした2曲が並んだ。「青春」(mládí)で久石はピアノを弾くとともに、弦楽器だけになった楽団を指揮した。「菊次郎の夏」で使用された”Summer”をはじめ、北野武監督の3作品で使われた旋律が流れた。

最後にフランスでも大ヒットした宮崎駿のアニメ映画「千と千尋の神隠し」を組曲にまとめた「Spirited Away Suite」が演奏されると、若者を主体とする観客はそろって立ち上がり、大きな歓声で久石と3Dオーケストラを讃えた。

パリとリヨンの高等音楽院を優秀な成績で卒業した若手を選抜し、映画音楽の演奏を行っている2012年創立の楽団(コンサートマスター、赤間美沙子)は、溌剌とした練度の高い演奏を聴かせてくれた。

(モーストリー・クラシック MOSTLY CLASSIC 2019年5月号 vol.264 より)

 

*写真は本誌掲載のものではありません。近いものを使用しています。

 

 

久石譲 シンフォニック・コンサート
Symphonic Concert JOE HISAISHI

[公演期間]  
2019/02/09,10

Saturday, February 9, 2019 at 8:30 p.m. 
Sunday, February 10, 2019 at 4:30 p.m.
Sunday, February 10, 2019 at 8:30 p.m.

[公演回数]
3公演 (フィルハーモニー・ド・パリ)

[編成]
指揮・ピアノ:久石譲
管弦楽:3D Orchestra
ソプラノ:市川愛

[曲目] 
久石譲:THE EAST LAND SYMPHONY
1.The East Land  2.Air  3.Tokyo Dance  4.Rhapsody of Trinity  5.The Prayer
—-intermission—-
久石譲:【mládí】for Piano and Strings ~Summer / HANA-BI / Kids Return~
久石譲:Spirited Away Suite /「千と千尋の神隠し」組曲

—-encore—-
Porco Rosso (Pf.solo) ※9日公演
Asitaka and San (Pf.solo) ※10日公演
となりのトトロ

 

 

コンサート風景、本誌にもあったトークショー内容・カンファレンス動画(ノーカット33分)、現地取材記事や現地コラム、現地コンサート・レポートなどは、こちらでまとめてご紹介しています。

 

 

 

 

Blog. 「MUSICA NOVA ムジカノーヴァ 2007年3月号」久石譲インタビュー内容

Posted on 2019/03/18

ピアノの情報誌「MUSICA NOVA ムジカノーヴァ 2007年3月号」に掲載された久石譲インタビュー内容です。久石譲の創作活動への姿勢、芯のようなもの、普遍的に時折語られる大切なことが凝縮されています。

 

 

表紙の人

時間を超えて響いていく、美しい意志 久石譲

文:青澤隆明(音楽評論)

「過去は振り返らないんですよ、興味なくて」。久石譲はきっぱりと言う。「いまのほうが圧倒的にいい。前に戻りたいという気持ちはまったくないです。どんどん自分のやりたい音楽をやれる環境に近づいているから、いまが最高。そういう考え方ですね」。

いろいろな音楽が好きで、3、4歳のときにまずはヴァイオリンに触れた。「音楽をやるのは当たり前だと思っていたので、音楽家になる、と決心する必要はなかったです」。中学2年のとき、譜面を起こして吹奏楽の仲間に配るのが面白くて、それで演奏家より作曲家のほうがいいと思った。昨年から自身のオーケストラ作品を台北、香港、北京、上海、大阪で演奏し、3月、東京でのコンサートでツアーを締めくくるが、指揮者、ピアニストとしても広く活躍する現在でも、彼の音楽活動の根本が作曲にあることは揺るがない。「他人の曲は弾かないです。作曲家である自分が必要とする演奏を自分でしているから」。他の演奏家が弾くこともあまり考えていないと言う。「そういう意味では、積極性のある作曲家じゃないね(笑)。結果としてみんなに喜んでもらえるのが最高に嬉しい。だれかのために書いている、となった瞬間、作曲家としてのスタンスが変わってしまう気がして。最初に自分がいちばん喜べることを一生懸命やって、『うん、わかる』と聴いてもらえるのが理想です」。

ミニマルミュージックをベースに置く現代音楽の作曲家として出発し、「集団即興演奏を管理するシステムづくり」に取り組んでいた久石譲は、1980年代からポップス的なフィールドに入り、映画やCM音楽の名匠としても広く知られるようになった。そしていま、自分のスタンディング・ポジションを明確にする意味でも、弦楽四重奏やオーケストラ的な「作品を書こう」と考えている。「いちばんピュアに自分が考えていることを表現できる。それだけに大変と言えば大変ですけど」と語るピアノのためにも、数年前に発表した10曲に書き足し、全調性による24曲のエチュードとして完成させいたと意欲をみせる。「子ども用のピアノ曲も書きたいよね、作曲家として試されるけど。あまり難しくなくて、気持ちよくなれるものができたら最高」。

生活のなかに入ってくるようにピアノがあるといい、と語るその言葉は、久石譲のポップ・ミュージックが僕たちの日常を訪れるときのことをふと想わせる。日常生活と芸術的な美的時間を瞬時に結びつける表現者は、この現代をどのように生きているのだろうか。

「その時代の独特の空気、政治や経済も関係してくるけど、そのなかで自分が感じていることをきちんと表現したいというのはあります。ただ、単なる今日的な表現では、5年経つと古くなる。今日的な題材を扱いながらも、永遠のテーマになるような。本質的なところと関わりあえたらいいよね。そういうものをできるだけ探そうとしているところはあります。たとえばCMも、初対面の人の印象と近いところがあって、音楽はぱっと聴いた瞬間にその世界観がわかってしまう。それに、CMは15秒といっても1回じゃなく、何度もリピートして流れる。半年で色褪せてくるか、イメージが残るか、それが最大の試練と言えます」。

では、久石譲の音楽人生が一篇の映画だとしたら、いま、どんな物語のどのあたりを歩いているのだろう。こう尋ねると、音楽家は即座に「アンディ・ウォーホルが延々とエンパイア・ステイト・ビルを撮っていたような感じで、まあ、どこをとっても同じでしょう」と答えて笑った。「10年経っても、自分のスタンスは変わっていないと思う。今まで百パーセント満足したものはないからね」と。久石譲の不断の音楽冒険は、彼の愛するミニマル・ミュージックのように挑戦をくり返し、ひとつの限られた物語的な時間に帰着することはないのだろう。

「この次は絶対にクリアーにしようと、絶えず線になって反省して、さらに理想的な高い完成度の…、ここが難しいんですけどね。完成度が高ければいい音楽になるかというと、ものすごく立派な譜面を書いたからってそうはならない。むしろちょっと粗っぽく書いて、なんだかなあっていうときのほうが、人々に与えるインパクトが大きいケースもありますからね。実のところ、音楽がまだわからない。だからたぶん、10年後もそういうことに悩みながら、『いい音楽をどう創ろうか』と考えていくんじゃないかと思います」。

(ムジカノーヴァ MUSICA NOVA 2007年3月号 より)

 

 

Blog. 「GQ JAPAN 2006年3月号 No.34」 AUDI × HISAISHI 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2019/03/17

雑誌「GQ JAPAN 2006年3月号 No.34」に掲載された久石譲インタビュー内容です。AUDI特集のなかのひとつとして紹介されました。

 

AUDI x HISAISHI

「僕にとってクルマとは、大音量で音楽を聴けるプライベートな空間。そんな大切な時を共に過ごせる誠実で繊細なクルマです」

20年以上活動を続けている宮崎駿作品の音楽はもちろん、ふと耳にする短いCM音楽~サントリー緑茶・伊右衛門~であっても、聴く人の心を大きく揺さぶる久石譲の音楽。

「音楽って不思議なんですよ、思っている以上に歴史が短いんです。クラシック音楽が生まれたのはたかだか200年前、ポップスは1920年代以降ニューオーリンズのJAZZから。その後急激に数多くの音楽が生まれた。そんな中で大切にしているのは、出会ったことのない自分に出会ったような新鮮さ……自分自身が感動できるような音楽であることです」

最近では自ら指揮棒を振り、新日本フィルとの活動も増えている。

「自分が信頼するオーケストラが演奏することを想定して曲を書くと、よりエモーショナルな楽曲を作ることができるんです。実際に指揮をして経験を積み、それがまた作曲にフィードバックされています」

久石の活動の場は、世界に広がっている。昨年11月には香港映画のために中国のオーケストラの指揮も。

「大陸的な中国の国民性が出て、とてもよいテイクが録れました。言葉の問題はありましたが、改めて音楽に国境はないなと実感しました」

(GQ JAPAN 2006年3月号 No.34 より)

 

 

 

Blog. 「DVDビデオ・ぴあ 2001年10月号」 映画『Quartet』久石譲 インタビュー内容

Posted on 2019/03/16

雑誌「DVDビデオ・ぴあ 2001年10月号」に掲載された久石譲インタビュー内容です。映画初監督作品『Quartet / カルテット』についてたっぷり語られています。

 

 

映画の作曲家が映画を撮るということ
久石譲インタビュー

宮崎駿、北野武、大林宣彦といった人気監督作品の音楽監督として、現代日本映画の最前線を突っ走っている久石譲が映画監督に初挑戦した。その「カルテット」は、弦楽四重奏団を組んだ若者4人を追った青春ドラマ。だが、ただの青春映画ではない。これは久石いわく「日本初の音楽映画」。映画の作曲家が映画を撮るとき、いったいそこには何が生まれるのだろうか。

取材・文=賀来タクト

 

監督挑戦に当たり、久石譲は映画音楽の作り手としての自身を基本に置いた。職業監督としてではなく、映画音楽へのより深い理解を得るための「経験の一つ」だというのだ。

「いろいろお誘いをいただいてきた中の一つが形になってきたときに、それならと思って引き受けたんです。あくまで僕は音楽家ですから、その僕が監督するなら、ドラマに対して音楽がいかに絡みきれるか、音楽がセリフ代わりにものを言うように作れるか、そういうことにこだわってみたかった」

言葉を超えた映像と音楽のジョイント。久石が目指した映画こそ「日本初の音楽映画」であった。そういう理想にかなった作品は海外でもそんなに見当たらないと、苦笑いが漏れる。

「あえていえば、ジョン・コリリアーノが音楽をやった『レッド・バイオリン』くらいかな。黒澤明監督が”映画的”なる表現をされていましたね。音楽と映像が深く絡んでいったときに、そういう映画にしかできないものに迫れる瞬間って必ずあると思うんです。そういうところに1シーンでもいいから到達したかった」

偶然と言うべきか、「レッド・バイオリン」さながらに、その初監督作品「カルテット」では弦楽器とドラマが巧みに絡みあった物語が展開する。学生時代、弦楽四重奏団を組んでいた若者4人がふとしたことで再会、それぞれ人生の転換期を迎えていた彼らが今一度カルテットのコンクールに挑戦するというもの。随所に描かれる演奏シーンのために、久石は撮影前に使用する楽曲40曲を全てオリジナルで書き上げ、それに合わせて撮影を進めた。

「全体の半分弱くらいが音楽シーンで、時間軸に固定されますから、構成自体は難しくなかったんです。でも、セリフの投げ合いで感情を引っ張りすぎると音楽シーンのパワーがなくなっちゃうから、芝居は極力抑える、カメラは引くって決めてましたね。そういう意味では、北野監督的なやり方だったんですよ。過剰に説明をせずに、どこまで引いて見せるかという意味ではね。武さんは僕が映画を撮るというのを知っていたんです。あるとき一緒にご飯を食べていて、武さんが大杉漣さんに話をしていたんですよ。”ラーメンをおいしく撮る方法って、いかに本当においしいかと見えるようなカットを撮らなくちゃいけないんだよ。たいがいの監督がしくじるのは、いかにうまいかという内容を説明しちゃうから。トンコツ味でとか昆布のダシでとかさ、そうするとトンコツが嫌いな人はそれを聞いた瞬間、半分引いちゃうんだよな”って。大杉さんに話をするフリをして、たぶん僕に言ってくれたんだと思う。それがすごく残っていて、大変なヒントをいただきましたよね」

ちなみに、撮影現場では主要スタッフに使用楽器の譜面が手渡された。小節ごとにカメラの動きやアングルを決めるなど、絵コンテ代わりに使ったのだ。必死だったのはスタッフばかりではない。役者陣は楽器の実演を余儀なくされ、場面によってはプロに眼前で演奏をしてもらう、その動きにならいながら演奏シーンを撮ったのだ。

「音楽映画と謳っていながら、役者さんが本当に弾いているように見えなかったらアウトじゃないですか。演奏で観る人を引かせないようにするのは難しい。日本でそれをうまくやっている映画ってあまりないですよね。なおのこと譜面を渡されたスタッフもパニクってましたけれども(笑)」

撮影を終えてしばらく経ったある日、主人公の第1バイオリン奏者・明夫を演じた袴田吉彦に問えば「僕にとって素に帰る映画になっちゃいました」という声が返ってきた。演奏シーンの大変さに加え、芝居も概ね任されていたことが自分の原点を見ざるを得ない結果になったというのだ。

「それはすごく嬉しいな。本当に袴田くんでなかったらこの映画はできなかった。袴田くんの役は、父親の想い出のために音楽を愛していながら恨んでもいるという矛盾した気持ちを抱えていて、最後の最後まで笑わない。そんな女性から見たら嫌みな男をどう魅力的に引っ張るかっていうことでは脚本の段階から悩みましたし、逆にステレオタイプに陥らない人間を描けたという満足感も大きいですね」

ドラマ自体に目を移すなら、そういった「引きの視点」がもたらした独特の味わいに注目すべきだろう。どこか喉越しのスッキリした「涼しい映画」になっているのだ。

「あ、そこのところ、太字で(笑)」

破顔一笑。

「そう、泣かそうと思えば、そういうシーンはいくらでもできる。でも、観る人の心に作品を残したいのなら、寸止めにするというか、過剰な情報や先入観を与えちゃダメなんです」

日本の空気とは思えないサラサラ感があると言おうか。「カルテット」には湿気の少ない空気感が確かにある。

「ありがたいなぁ。まずウェット感をどう取っていくかというね、日本的情緒をとにかく外していく作業に徹しましたよね。それを日本の風土で撮るのは大変なんです。スタッフには”なぜもっと芝居をさせないんだ”という気持ちがあったと思うんです。その中で初心を貫いていくことは精神的には大変でしたね。その辺は”初監督で何も知らないので”といって押し通しましたけれど(笑)」

あとで振り返っても「カルテット」には嫌みなクドさがない。

「この映画、2回観た人の反応がいいんですよ。芝居や何かを全部言葉でやっていると2回観たいとはあまり思わないですよね。でも、音楽は2度聴いても嫌にならない。その音楽が今回、セリフ代わりになってますね。リピートに耐える映画になったかと思うと、とてもうれしいですね」

実は撮影を1年前に終えてしまっている「カルテット」の後、久石は既に監督第2作を撮りあげていた。その「4 Movement」では、音楽映画という括りはなかった。つまり、音楽家としてではなく、より純粋に監督という立場で撮った作品になったといえるのだが……。

「音楽家として最低にやりづらい作品でした。画が全部音楽的なカットなんです。音楽でやるべきアクセントやリズムというものを画が全部やってしまっていて、それに音楽で上乗せするなんて過剰でしょ? 一番やりづらい監督は久石譲ですね(笑)」

映画監督を経験して「脚本の読み方が深くなった」と、再び顔が締まる。理想の映画音楽とは何かを探るための経験は、想像以上の結実を希代の作曲家にもたらしたようだ。

「映画って”映る画(うつるえ)”って書きます。武さんはそれを”1秒間に24枚の絵が映し出されるもの”という表現をされた。僕にとってはアクション、動くことなんです。『カルテット』では音楽シーンを格闘技ともいうべきアクションで考えていました。セリフのない『4 Movement』では人の動きの部分部分を追っていきました。その動きをつかまえるということを、もっとやってみたい。映画は全部が出ますから、もっと自分を磨いてね。そんな気持ちが残ったのは確かです」

映画監督・久石譲が再登場する日はそう遠くはなさそうである。

(DVDビデオ・ぴあ 2001年10月号 より)

 

 

QUARTET カルテット

 

久石譲 『カルテット DVD』

 

久石譲 『4 MOVEMENT』

 

 

 

Blog. 「FM fan 1998 No.25 11.16-11.29」 『NOSTALGIA ~PIANO STORIES III~』久石譲インタビュー内容

Posted on 2019/03/15

雑誌「FM fan 1998 No.25 11.16-11.29」に掲載された久石譲インタビュー内容です。オリジナルソロアルバム『Nostalgia ~Piano Stories III~』のリリースタイミングになります。

 

 

久石譲

”歌のエスプリ”にスポットをあてた
「揺らぎ」のある新作をリリース

「ピアニストは”体力”をつけろと、おすすめします」と久石譲は笑って言う。「長野パラリンピック冬季競技大会」の総合プロデュースや宮崎駿作品、北野武作品の音楽監督、他アーティストへの楽曲提供など多岐にわたる音楽活動。とりわけ『もののけ姫』(宮崎駿監督)の音楽から『HANA-BI』(北野武監督)の音楽へと続いた時期には相当なハード・スケジュールをこなしたという。「ところが現在はその三倍も忙しいんです」という彼。来年にむけて、また北野武監督作品を担当するという。この超ハードなスケジュールを「今だから出来る」とガッチリと受けとめている。

そのさなかから生まれた、みずからプロデュースのニュー・アルバム『ノスタルジア~ピアノ・ストーリーズIII』。

「サウンドはガッチリと構築するスタイルなのですが、このスタイルを一回壊してみたい。メロディに集約し直してみたい。僕の場合、作曲もアレンジも演奏も自分でやってしまいますから、少し荒っぽくてもいいから原質が出るような、そういうアルバムを作ってみたいなというのが一番根底にありました。で、北野武監督『HANA-BI』ベネチア映画祭出品の間などでイタリアへ行って、イタリア的ニュアンスなんだというのが自分なりに分かりましてね。イタリアというとカンツォーネだとかオペラだとか、歌という感じがありますね。何かそういうところのアプローチをしたいなという……。

タイトルが『ノスタルジア』だからといって、郷愁といったニュアンスでは作っていないんです。われわれふだんレコーディングしていると、どうしてもドンカマで作っていく傾向がすごく多い。そればっかりだと、揺らぎのある音楽から遠ざかっちゃうんですね。歌のエスプリみたいなものが最近の音楽では、ほとんど聴くことが出来ませんよね。今、忘れがちになっているそういう重要な要素に、もう1回スポットを当ててみたい。それが最も新鮮なんじゃないか。そういうのが大まかなコンセプトです」

そして北イタリアのモデナでオーケストラをレコーディング。日本の音楽プロジェクトが北イタリアでのレコーディングは極めて稀。モデナ文化評議会が賛同し、フェラーラ・オーケストラとストロキ・ホールが協力した。これには9月4日から16日にわたる現地の有力新聞14紙が、大々的に久石のレコーディングを報道した。

「行く前から、向こうのオケはいやというほど歌うからねと言われましたが、はたして!」

全曲新録の10曲は、『紅の豚』『HANA-BI』『時雨の記』の映画、CF、テレビでおなじみの曲のほかに書き下ろし曲、そして、ニーノ・ロータの「太陽がいっぱい」、声楽のアルトの歌手なら必ずといっていいほど歌うサンサーンスの「バビロンの丘」も含めて、久石譲のピアノの”うた”が満載だ。

ほかの仕事の合間をぬって、10月15日から12月16日まで全国主要9都市で、みずから構成・演奏する”久石譲ピアノ・ストーリーズ’98 -オーケストラ・ナイト-”。コンサートがあるとピアノに使う両の上腕が太くなるという生活は、まだまだ続く。久石の腕が太くなるにつれて、人々の心の体力がつく。

(インタビュー・文:三橋一夫)

(FM fan 1998 No.25 11.16-11.29 より)

 

 

久石譲 『PIANO STORIES 3』

 

 

 

Blog. 「FMステーション No.7 1998年4月5日号」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2019/03/14

音楽雑誌「FMステーション No.7 1998年4月5日号」に掲載された久石譲インタビューです。映画音楽論について日本映画界・ハリウッド映画もふくめてたっぷりと語られています。

 

 

サウンドトラックの誘惑 SPECIAL INTERVIEW

久石譲

メインテーマはシンプルないいメロディを書きたい

昨年大ヒットした宮崎駿監督の『もののけ姫』や国際的に話題になった北野武監督の『HANA-BI』など、最近の邦画の話題作を一手に引き受けているサントラ界のヒットメーカーが、映画音楽に対する思いを語った。

 

武満徹、伊福部昭、坂本龍一など、これまでも多くの日本の作曲家が映画音楽に挑戦、世界的な成功を収めてきた。そして現在、日本の映画音楽界の頂点に君臨しているのが、久石譲である。昨年大ヒットした『もののけ姫』などの宮崎駿監督作品をはじめ、最近ではベネチア映画祭で金獅子賞を受賞した北野武監督作品『HANA-BI』なども彼の音楽によるもの。そしてそのどれもが、映像と音楽の結びつきを大切にしている久石だからこそ作ることのできる美しい旋律だ。このインタビューではそんな彼の映画音楽家としてのスタンスが熱く語られている。

-映画音楽を手がけることになったきっかけは?

久石:
「従来の音楽マーケットってボーカルものを中心に動いてますよね。ボーカルものに興味がないわけではないんですが、それまで自分がやってきたクラシック音楽や現代音楽の流れからいうと、こういった仕事のほうが、自分に向いていたというか…。ですから、いまでもこの仕事は気に入ってますね。」

-子供のころから映画はたくさん観ていたんですか?

久石:
「いっぱい観ましたよ。年間で300本くらい。」

-とすると、現在のお仕事には就くべくして就かれたという…。

久石:
「そうですかね。確かに、あまり苦労はなかったです(笑)。」

-映画音楽のほかにソロワークもされていますが、ご自身のなかで双方の位置づけの違いってありますか。

久石:
「映像がないと成り立たない音楽ってある意味では弱いと思っているので、ソロアルバムはできるだけピュアに、映像とは無関係に音楽として作品世界が成立することを目指しています。映画というのは、ご存じのように、自分のほかに大勢スタッフがいます。そこに音楽というポジションで参加するわけですから、自分だけで作業を進めても成り立たないわけですよね。監督の意向もあるし。逆にいえば、映画音楽のほうが自分の才能の新しい面を引き出してくれるという楽しみがありますね。」

-久石さんは、大林宣彦、北野武、宮崎駿といった日本を代表する監督の作品の音楽を手がけられていますが、3人の監督の作業の進め方や考え方の違いがあれば教えてください。

久石:
「最近、大林監督の作品は手がけていないので、ちょっとよくわかりませんが、やっぱりそれぞれ個性がありますよ。北野監督と宮崎監督はある意味で共通しているところがあるんですが、表現方法が全然違います。ボクにとっては自分が持っている幅というものがあるとしたら、お2人はその両極端に位置しているので、その点ではすごくやりやすい場合があるんです。ようするに、宮崎作品用に書いた作品を引きずりながら北野作品にはいるってことは絶対にないってことですね。」

-アニメと実写作品の作曲法の違いはありますか。

久石:
「それほどないですね。アニメだから、実写だからということは関係なく、基本的なスタンスは一緒だと思ってやってます。」

-映画音楽を担当するのに、撮影に立ち会ったりはするのですか。

久石:
「基本的にはすべての台本を読んで、フィルムが上がってから作ります。とはいっても、現場の空気感であったり、その場面のロケが設定的に作品のなかで重要だったりするときには撮影の段階から極力参加するようにしています。」

-北野武監督の『HANA-BI』の音楽は、どのような過程で作られたのでしょうか。

久石:
「通常、北野監督は、あまり注文を出さないんです。ある意味でおまかせ状態。それが、この『HANA-BI』では、「暴力シーンとかいろいろあるけど、それとは無関係にアコースティックな弦などのキレイな旋律を流したらどうかな」というようなことを初めていわれて…。ですから、今回はその言葉がキーワードになっています。いままでの北野作品では、同じフレーズを繰り返すような曲を主体にやっていたんですが、今回は、弦を使うということで、曲調がメロディアスになったり、いままでよりもエモーショナルなサウンドになるかなって。そのあたりを監督に確認しながら作りました。」

-映画音楽を作るうえでのこだわりはありますか。

久石:
「単音で弾いても成立するようなシンプルでいいメロディ、それをメインテーマにして作りたいという欲求はありますね。あとは、それぞれの監督の世界があるから、監督の言葉から誘発された自分というもの、あくまでもそういう自分を見失わないようにして書いているつもりです。」

-たしかに久石さんが手がけた映画のメインテーマは、一度聴いたら忘れられないくらいの美しさがありますね。キャッチーというか…。

久石:
「たとえば、『太陽がいっぱい』といわれたら、すぐにニーノ・ロータのメロディが浮かんできますよね。本来はそれくらい映画音楽って重要なものだったのに、いまはそれがなくなってきているんですよ。最近のハリウッド映画を観ていても、いいメロディを書ける人がどんどん減っているという感じがします。アクションシーンのバックに流れているのは、いつもドタバタした音楽しかなくて、この映画だから、この音楽っていうのをいまでもキッチリやっている人って…ジョン・ウィリアムズくらいじゃないですかね。たしかにハンス・ジマーや、ジェームズ・ホーナーといった人たちもいい音楽をいっぱい書いていますけど、全体的に考えると減っている。ハリウッドの人と話していても、「そのへんがいまいちばん弱いんだよねぇ」ということをいっています。」

-映像に音楽を付けるということで難しいことはなんでしょうか。

久石:
「映像と音楽ってつねに対等でいるべきだと思うんです。たとえば登場人物が走ったら速い音楽、泣いたら悲しい音楽のような、単に映像の伴奏でしかない曲の付け方、それっていわゆる世間でいう劇伴ですよ。それではまったく意味がない。いったいそのシーンで何が描かれているのかを判断したうえで、あくまでも音楽監督という立場からキッチリと構成していかなくてはいけない。」

-音楽がたんに添え物になっているのはいけないということですよね。

久石:
「そうです。映画にとって音楽ってものすごく危険なんですよ。扱いを間違えると映画のシーンよりも先に、これから起こることを予感させてしまう。こういったミスは作品の質を落としたりしますし、安っぽくなりますから。とくに最近のハリウッド映画の音楽を聴いていると、あまりにも画面と寄り添いすぎちゃうというか、画面の描写に徹しすぎる。あるいは、それを要求されすぎているという感じはしますね。」

-これまでおっしゃった点を踏まえて、最近の映画音楽家で成功しているな、と思える方はいますか。

久石:
「やっぱりジェームズ・ホーナーですかね。いい仕事しているなって思いますよ。『ブレイヴハート』など、すごく詩的なものを作るので好きですね。あと、少し前の作品ですけど、『ブレードランナー』もよかったな。あのころのヴァンゲリスはよかったですね。いい映画って音楽なんて気にならなくなっちゃいますよね。そういう意味でいうと、これらの作品は構成要素としてきちんと音楽が映画に参加しているなって感じがします。それがいちばん大事なんじゃないですかね。」

-日本の映画音楽はどうでしょう。

久石:
「どうなんでしょう。日本映画って自分がかかわった作品しか観ないですからね。ただ、映画音楽というものは、ギター、ベース、ドラムとキーボードがないと曲が書けないという人が作っちゃいけないと思うんですよ。たとえば弦だけだとか、メロディがないといった状況でも音楽が書ける…つまりクラシックの技術が最低限は必要ということです。とくに日本の映画音楽というのは、現代音楽やクラシック育ちの人が、いままで長い間、手がけてきました。ところが映画ってエンターテインメントですから、実はそのクラシックの技術と同じくらい、一方で普通のチャートにも入れられるくらいのポップスセンスを持っていないといけないんです。両方を持ち合わせている人が、映画音楽を作る…それが理想的なんですが、そういう条件を考えると、すごく限られちゃう。絶対数が少ない。アメリカ映画も最近はひどいといいましたが、そうはいってもアメリカで映画音楽家の地位がすごく高いのは、両方の才能を持ち合わせている人が貴重だということ。日本の映画音楽はいまひとつ主張しきれなくて、どうしても劇伴扱いになっている。作曲家の技術の問題が大きいと思いますね。」

-作曲家の育つ環境が整っていないということではないんですか。

久石:
「たしかにそれもあると思います。ある程度、数をこなしたり、優れた監督と一緒にやって苦労しなければ身についてこないですからね。」

-最後に、久石さんにとって、映画音楽とはなんでしょうか。

久石:
「もちろん、ライフワークであるという以上に、映像と音楽の関係というのは、ボクにとって最高に興味深いことでもあります。たとえばモーツァルトなどの時代でも、シンフォニーやソナタなどのほかにオペラも作っているんですよ。時代は違いますけれど、ボクにとって映画音楽は、モーツァルトがオペラを書くのと同じ。そういう気持ちで映像に融合する音楽を作っていきたい。これからもずっと、この仕事は続けていくだろうと思います。」

(FMステーション No.7 1998年4月5日号 より)

 

 

Blog. 「月刊アピーリング 2004年10月号」久石譲スペシャルインタビュー “ハウルの動く城” 内容

Posted on 2019/02/19

ローソン限定で販売されている「月刊アピーリング 2004年10月号」から、久石譲のインタビュー内容です。雑誌表紙も『ハウルの動く城』、久石譲のぎっしり2ページに及ぶインタビュー、写真やプロフィールも含めると4ページ・オールカラー掲載。『ハウルの動く城』の音楽ができるまで、宮崎駿監督との打ち合わせからレコーディングまでの制作過程。充実の内容です。

 

 

appeal+ing 巻頭インタビュー

久石譲

久石譲の映画音楽、新境地 『宮崎駿さんとは、最初から生理的なリズムが合っていたから20年一緒に仕事が出来たと思うんです。』

(目次より)

 

 

Interview with 久石譲

宮崎駿監督作品のみならず
様々な分野で才能を発揮する
日本を代表する音楽家
「鬼才」久石譲
スペシャルインタビュー

今から15年ほど前、モスクワに旅した友人が街角でサックスを吹いている老人と出会った。老人は『お前、日本人ならこの曲を知っているか?』と吹いてみせたのは黒澤明監督の「七人の侍」のテーマ曲だったという。おそらく日本のことなどさほど知らないモスクワの老人にも、映画音楽は言語の壁を越えて心に刻まれている。今だとその老人が生きていれば、サックスで吹くのはヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞した北野武監督の「HANA-BI」か、ベルリン国際映画祭グランプリ受賞作である宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」のテーマ曲かもしれない。この2本の映画音楽を作曲したのが、久石譲。宮崎駿、北野武などの映画を始め、大林宣彦、澤井信一郎といった監督たちとのコラボレーションで知られる彼の音楽は、今や世界的にも親しまれている。その久石譲が、今秋公開される宮崎駿の新作「ハウルの動く城」の音楽を手掛けた。二人のコンビは、「風の谷のナウシカ」以来8本目。実に20年に渡る名コンビとなる。

「今回の映画で面白いことがあったんです。『ハウルの動く城』のイメージアルバム用に作った曲を、『ちょっと、画に当ててみますか?』と宮崎さんに言ってみたんです。映画の中では顔のカットやシーンが変わったりしますね。僕の曲にもリズムが変わる部分が当然ある。でもその画と曲タイミングが、全部合っていたんです。これには非常に驚きました。その時、『20年も一緒にやっているから合うんだね』と言った人がいます。僕もそうかなと最初は思ったんですが、実は逆なんですよん。何年一緒にやっていても合わない人とは合わない。つまり宮崎さんとは、最初から生理的なテンポ感がどこかで一致していたから、20年続いた。そういう気がするんです。ですから宮崎さんとは大変幸運な出会いだったと思いますし。その出会い自体が嬉しいことですね。」

 

宮崎作品の映画音楽が、サウンドトラックとして完成するまでにはプロセスがある。映画に使われる楽曲を作る前に、まずイメージアルバムが作られるのが「風の谷のナウシカ」以来、恒例化しているのだ。通常の場合、イメージアルバムはシンセサイザーやピアノで音を録り、それがサウンドトラックを録音する段階でオーケストラ演奏として完成されていく。だが今回の「ハウルの動く城」では初めてイメージアルバムから、約90人編成のオーケストラを使った。

「このところ、自分の仕事の中でオーケストラとの仕事が多いこともあって、表現として一番それがフィットしていると思ったんです。映画音楽を書く場合に自分が音楽家として、その時にいいと思っているものは何かが一番大事なんです。その時に自分が興味を持っていて、絶対に琴線に触れるものがありますよね。僕はそれを、極力映画の方へ持ち込むようにするんです。音楽は文章のように、論理的に組み立てるだけではできない部分がある。そこで本人が、これがいいんだと強く思うことが大事だと僕は思っているんです。今回ではそれが、オーケストラを使うことだったんですね。」

 

イメージアルバムとは具体的に、どのようにして生まれるのだろう。作業を行ったのは昨年9月。その段階では、勿論映画本編は完成していない。ヒントになるのは絵コンテや監督の宮崎駿から発せられる言葉だという。

「基本的には音楽の内容の説明なんですが、宮崎さんから『今回はこんな風に行きたい』といった説明があるんです。他にソフィーやハウルといった登場するキャラクターのイメージなどですね。そこから曲のテーマとなる題材をもらって、考えていくんです。またこの映画は、舞台設定がヨーロッパと明確に出ている。これは『魔女の宅急便』以来のことです。ただそのヨーロッパにしても、実在の世界ではなく宮崎さんの作り出したヨーロッパなんです。それだけに、どこか場所柄を限定する音楽ではありたくはない。あくまで宮崎さんがやろうとしている世界観を持って如何に音楽で表現するか。それを考えるんです。そこで今回はヨーロッパにもエスニック音楽はあるんですが、そういうローカルカラーはあまり出す必要がないと。色の強い特殊な楽器も使わないで、出来るだけストレートなオーケストラの音にしようと思いました。」

 

イメージアルバムの曲作りは、書き出すまではかなり難産だったという。

「最初は『ダメだ、これは無理だろう』と思ったくらいです。とにかく2、3曲でもできればいいという形で入っていったんですが、八ヶ岳の麓にあるリゾートスタジオに篭ったらいきなり書けたんです。1日1曲のペースで8日間に8曲書きました。しかも単なるメロディーではなく、オーケストラ・アレンジまでの譜面をですよ。普通は40分強のアルバムを作る場合、3ヶ月から半年はかかるんです。でもこの時は、1ヶ月で10曲出来た。ですから書き出すまでは難産でしたが、作業が始まってからは非常にスムーズなペースでしたね。」

 

イメージアルバムに収められた曲は、そのまま映画に全部使われるわけではない。実際に映画のシークエンスに合わせて、登場人物の心情や場面の状況を表現するのがサウンドトラックだとすれば、イメージアルバムは作品全体を作曲家が大掴みに捉えたものと言える。

「どちらかと言えば、僕のイマジネーションを羽ばたかせて作る感じですね。イメージアルバムは、あまり作品と整合性のあるものをやってはいけない。むしろ、ちょっと離れた方がいい場合もあると思っているんです。言い方は変ですが、いい加減なほうがいい(笑)。全曲をサウンドトラックで使うわけではないですから。その中で宮崎さんのイメージにフィットした曲があれば、そこから次の段階のサウンドトラックを考えていけばいいんです。ところが今回はオーケストラを使ったことで、精神的には少しサウンドトラックの方へ入り込んでいた部分がある。『もののけ姫』でも一緒に仕事をしたチェコ・フィルハーモニーに演奏してもらうということもあって、チェコ・フィルまでいってあんまりみっともないスコアでは演奏をしたくなかったし。ですからアルバム自体に完成度を求めたところがあるんです。そういう意味で、イメージアルバムとしてはいいやり方ではなかったのかなと思っているんです。」

 

完成度を意識したことで、イマジネーションを飛翔させるイメージアルバム本来の目的とのズレを感じたらしい。しかし、それがまたサウンドトラックという完成品を生み出す前段階の習作とも呼ぶべきイメージアルバムを、ひとつの作品にすることにも繋がった。

「あのイメージアルバムは、オーケストラ作品として凄いと思うんです。かつてプロコフィエフが書いた『ロミオとジュリエット』というバレエ曲がありました。あの曲は最初、注文主のバレエ団から『こんな曲は最低だ』と評価されて、まったく上演できなかった。その曲を組曲にしたものがアメリカで上演され、楽曲が評判になったことからバレエ上演へと繋がったんです。今や『ロミオとジュリエット』はバレエの名曲になっています。それと似たような意味で、このイメージアルバムに収められた交響組曲はこのままイメージアルバムだけで終わらせるのはマズイと思っています。自分なりに集中力を持って作った世界なので、実際の映画『ハウルの動く城』のサウンドトラックとは別かもしれないけれども、ひとつのオーケストラ作品として今後もアピールしていきたい。個人的にそう思っていますよ。」

 

イメージアルバムが完成して、いよいよ「ハウルの動く城」のサウンドトラックを作ることになった時、宮崎駿監督からひとつの提案があった。

「いつも宮崎さんは凄いなと思うことがあるんですが、今回は『徹底的に、ひとつのテーマ曲でいきたい』という提案があったんです。これは最初から最後まで変わらない、強固なこだわりでした。映画の中で主人公のソフィーは18歳の少女になったり、90歳のお婆さんになったりする。それを音楽ではひとつのテーマ曲で見せていきたいんだと。通常の場合は、映画1本で30曲ぐらい書くんです。その中でメインテーマ系は4、5ヶ所ですね。しかしこの作品では、メインテーマが17ヶ所以上ある。そうするとバリエーションを書くのが、とても大変なんです。すべてが同じ音楽であればいいのではなくて、主人公の心情が変わっていくのに合わせてひとつひとつのテーマ曲を変えなくてはいけない。それは非常にテクニックを要するんです。同じメロディーを使っているんだけれども、ほとんど違うようにも聴こえるバージョンから、ドラマの核心ではテーマ曲本来のメロディーを聴かせるバージョンまで、全部作らなくてはいけなかった。音楽的には大変でしたね。レコーディングのときには、来る日も来る日も『まだ同じ曲をやっている』という感じでした。でもこういうことにチャレンジしたのは、いい経験になりましたよ。宮崎さんが相当強い意志で、『1テーマ曲でいきたいんだ』とハッキリおっしゃっていましたから。僕だけだったら、とてもここまでひとつのテーマ曲にこだわる作り方は出来ない。きつくて逃げちゃいますよ(笑)」

 

そのテーマ曲を決定する時にも、今回はちょっと違うやり方をした。これまでは候補曲を何曲かシンセサイザーで音を作って、デモテープの形にして宮崎監督の所へ持っていく。しかし今回は、デモテープを作らなかったという。

「僕がその場で、ピアノで弾いてみせるというやり方をしたんです。候補曲は3曲用意したんですよ。その中で『これは、一番違うかな?』と思っていた曲に、プロデューサーの鈴木敏夫さんが真っ先に反応したんです。宮崎さんもその曲がいいと言いました。僕としては、持って行った3曲の中で一番薦めたい曲ではあったんですが、違うと言われる可能性が最も高いと感じていたんです。というのもワルツですから、今までの世界と一番違う感じの曲なんです。そのワルツをお二人が選んだのには、ビックリしました。と言うのも何本か一緒に仕事をしてくると、予定調和じゃないですけれど『こういう音楽なら上手くいくだろう』というのが、僕自身見えるんですね。勿論そういうタイプの曲も作りました。ただもうひとつ冒険的なものを用意して、そっちをお二人がいいと言ってくれた。そのことが凄く嬉しかったんです。今回の作品のように、これは恋愛物ですと謳っている映画は初めてです。そうすると、こちらとしても何か違うものにチャレンジしたかったですからね。」

 

宮崎監督が作ろうとしている世界を汲み取りながら、音楽家として新たな表現を模索する。映画音楽は作曲者の意志だけで自己完結するものではないだけに、実際に画と音楽を合わせる時には互いの間に葛藤がある。

「サウンドトラックを録っている時に宮崎さんが、ある曲を僕がつけようと思っていた場面と違う所につけたいと思ったんです。宮崎さんは作業をしながらどんどん考えていく方ですから。その時、宮崎さんは悩まれたらしいですね。思っている所と別のシーンに曲を使ったら、僕が怒り狂うということを宮崎さんは知っていますから(笑)。オーケストラの音録りをしている間中、『ウ~ン』と唸っていたと聞きました。僕は離れた場所にいますから、そんなことは知らなかったんですが。それでとりあえず、宮崎さんが使いたいという場面にその曲をあててみたんです。これがキッカケの部分が音楽的にズレることも全然なくて、いいんですよ。ものを作る人間同士ですから、ぶつかり合うことや毎回いろんなことがありましたけれども、20年やれてこれて良かったと思いますね。画と音が生理的にシンクロすることも含めて、いい意味でここまで来れたんだなあと実感しました。どんな作品でも苦しみますから、最後は早く終わればいいと思うんです。でも『ハウルの動く城』に関しては、もう半年この仕事をやっていたいと思いました。」

 

私はプロデューサーの鈴木敏夫と何度か会う機会があったが、彼は宮崎駿に関して『「紅の豚」以降、宮崎さんは作品に自分を出すようになった』と言っていた。これはいわゆる観客のニーズを第一に考えたエンタテインメントの作り方から変貌し、自らの主張や嗜好を作品の中に意図的に刷り込ませてきたということである。そういう意味で最近の映画は、よりパーソナルな宮崎駿の作家性が強まっている感じがある。こういう宮崎監督の変化に関して、20年間作品作りの併走者となってきた久石譲はどのように感じているのだろうか?

「ほとんどの作家はその域に行きつけないんだけれども、特に『もののけ姫』以降の宮崎さんは表現の上で自由になったんじゃないですかね。これは大変なことですよ。とても僕は、自由になりきれない。例えばオーケストラの曲を書くと、それが古今東西の名曲の譜面に劣っているのは嫌だと思う。その劣っているのは嫌だと思う気持ちと、いい音楽を書くということはまた別ですけどね。作業をしていると自分のエゴやいろんなしがらみに、どうしても縛られる部分がある。『自分がいいと思うものさえ作ればいいんだ』という心境には、とてもじゃないけれどもなりきれません。そういう意味で『もののけ姫』以降の宮崎さんは、表現の上で本当に自由になった。その域まで辿り着いたという感じがします。」

 

このように言う久石譲ではあるが「ハウルの動く城」のサウンドトラックを作っている時には、宮崎駿とは違う形でキッチリと計算された表現よりも、ある種の自由さを持っていたようだ。それを彼自身は『ファジー』という言葉で語る。

「元々音自体に関しては、シンセサイザーとかいろんなものを使って、枠にはめない作り方をしてきたんです。『千と千尋の神隠し』ではバリ島や沖縄、アフリカのリズムを、現地の人が叩いたリズムをサンプリングしてオーケストラと融合させた。そういう音がアバンギャルドであるのは、僕にとっていいことなんです。ただ音の入れ方に関しては、これまでクリックを作ってかっちりと画にはめ込んでいたんです。ただ今はもっとファジーにやってもいいかなと。つまり多少音は伸びたとしても、そこに心がこもっていれば微妙なニュアンスが伝わるほうを選ぶ。これは自分がオーケストラの指揮をするようになって、変わったんだなと思うんです。音やリズムの正確さだけではなく、そこでもう一歩踏み込んだ表現をして次にいく。『ハウルの動く城』のレコーディングでは、そのニュアンスを大事にしました。とは言えちゃんとしたクリックも用意したんです。ただアクシデントでレコーディングの時に機械が故障して、曲の終わりを示すマーカーも無しに勘だけで3分ぐらいの曲をお尻がピッタリ合うようにしなくてはいけなくなって。それでも大体は合うものなんですよ。ちょっとしたズレが音楽的なニュアンスになって、映画の余韻にもなっている。作曲者の意図としては、画面が変わった瞬間に音がガンと入るとか、設計図を書いて組み立てていく。それでしっかりした演奏さえすれば、レコーディングはOKなんです。でも今回のように生の演奏をしていくと、自分が思ったテンポと実際にいい音楽になるテンポは違うんです。演奏者がいい気持ちになって朗々と演奏をすると長くなりますね。その長くなったことで成立するニュアンスの方を大事にして、その分をどこかで調整しようと努力する。こういうやり方をしていくと、映像が呼吸するように音楽も呼吸をしだすんです。がっちりしたものを作るよりも、音のニュアンスを活かす。これは僕にとって大きな方向転換なんです。ただ、最初からファジーでいいというのではない。きっちりと作り上げておいて、レコーディング本番で崩す。今回はそれが、いい効果を上げていると思います。僕にとっては新鮮で、凄く興奮するレコーディングでしたよ。」

 

現在、久石譲は秋のコンサートツアーと新作アルバムのレコーディングに追われている。

「ツアーは新作アルバムに引っ掛けた形のものになると思います。カナダから女性だけの弦楽アンサンブルを呼んで、彼女たちと僕のピアノで構成する形になります。『ハウルの動く城』で使われた曲は、映画のオーケストラとは違う、ピアノ・ソロで聴かせるバージョンのテーマ曲を入れようと思っています。アルバム制作は遅れているんですが、年末か来年の頭には完成させたいです。テーマは、今は皆がいろんなしがらみの中で生きているけれども、その大きな壁を作っているのは個人だろうと。もっと個人が自分の中で自由な気持ちを取り戻せたら、きっと楽に生きられるんじゃないか。そういう思いを込めているんです。ただアルバム自体は、難しい感じではなくて『伊右衛門』や『ベネッセ』のCMのために書いた曲も入れて、明るい感じにしようと思っていますね」

 

自分がツアーとアルバムのために掲げたテーマと、今は格闘している真っ最中だとか。こちらでは宮崎駿とのコラボレーションとは違った、音楽家・久石譲独自の表現が示されるはずだ。そのアルバムの完成を楽しみに待ちたい。

(文・金澤誠)

(月刊アピーリング 2004年10月号より)

 

 

Blog. 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2018」BS日テレTV放送 レビュー 【2/9 Update!!】

Posted on 2019/01/07,13

2018年夏開催「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2018」コンサートツアー(W.D.O.2018)が2019年元旦BS日テレにてTV放送されました。

ABプログラム国内・海外全10公演のなかから8月20日東京・サントリーホール(Bプログラム)公演を完全収録&アンコールふくむ完全版放送、宮崎駿監督の楽曲を交響組曲にするプロジェクト第4弾「千と千尋の神隠し」など名曲を演奏!です。

 

久石譲 ワールド・ドリーム・オーケストラ
BS日テレ
2019年1月1日(火)19:00~20:54

【PROGRAM B】 All Music by Joe Hisaishi
[Minima_Rhythm]
Links
Encounter
DA・MA・SHI・絵

Symphonic Fantasy “The Tale of the Princess Kaguya” /交響幻想曲「かぐや姫の物語」

—-intermission—-

[Melodies]
Dream More
The Path of the Wind 2018 *改訂初演
Kiki’s Delivery Service 2018 *改訂初演

Spirited Away Suite /「千と千尋の神隠し」組曲 *世界初演
Original Orchestration by Joe Hisaishi
Orchestration by Chad Cannon

—-encore—-
Le Petit Poucet
World Dreams

指揮・ピアノ:久石譲
管弦楽:新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ

 

 

 

コンサート・レポートにてホールで体感した感想やCD収録作品、久石譲によるプログラムノートはご紹介しています。

 

ここではなるべく重複をさけ、TV放送鑑賞で気づいたこと思ったことを記します。もし録画した人、何回も繰り返して楽しむ人、これから観る人の、楽しみ方のひとつになったらうれしいです。

 

 

2019.2.9 Update!!
「Links」「DA・MA・SHI・絵」「Dream More」「千と千尋の神隠し 組曲」「World Dreams」&指揮について、文章間に埋め込むかたちで追記しました。

 

 

Links

『Minima_Rhythm ミニマリズム』(2009)CD収録のロンドン交響楽団とのレコーディングは弦14型2管編成です。これはおそらくオーケストラの編成規模としては標準だと思います。そしてW.D.O.編成もおそらく大きくは変わりません。専門的に詳しくないので自信はないです。

ここで目と耳で注目したのはオーケストラの楽器配置です。近年久石譲はコンサートでもレコーディングでもほとんど対向配置というフォーマットで臨んでいます。ベートーヴェンをはじめクラシック古典派時代でも主流だったものです。この配置のメリットのひとつに、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが対称に位置すること。

対向配置(左側)と通常配置(右側)

 

久石譲が近年推し進める現代的なアプローチ、ソリッドな響きの追求。これに関しては深掘りできなくても、『Minima_Rhythm』CD収録の「Links」と本公演は楽器配置が明らかに異なります。

第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが並んで位置する、コントラバスや金管低音チューバなどがまとめて右側から聴こえるCD盤と、対向配置の音響が見事に録音されているW.D.O.2018ライヴ版(TV音源)は、それだけでもまったく印象が変わってきます。高音から低音まで左右で拮抗するさま、複雑に交錯する緻密なオーケストレーション、久石譲という作曲家のスコアを余すところなく発揮できる楽器配置。

久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 楽器編成と楽器配置

 

第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンは左右対称に位置し、弦低音コントラバスは左、金管低音チューバは右。

 

このイメージをもってCDとTV放送聴き比べてみてください。たくさんの発見があると思います。久石譲の精密なオーケストレーションが、ミニマル手法の醍醐味が、立体的な音空間として響いているのはW.D.O.2018版です。これだけでも聴いていて震える!泣くほどうれしい!

 

このカットは「Links」クライマックス(ラスト1分くらい)です。

ここでも映像と音響はまさにリンクしていて、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが激しく交錯するミニマル・フレーズが、螺旋のようにスパイラルでぐるぐる回るような音空間として聴くことができます。「Links」という作品は、発表時から完成度高く、耳ですぐわかるほどの改訂やオーケストレーション修正なく今現在まで君臨していると思います。楽器配置のことを知らなかったら、あれ少し変更したのかな?と勘違いしてしまうこともあるかもしません。また逆にいうと、楽器配置やアプローチを変えるだけでも、ここまで新しい輝きを放つ作品です。

 

CD盤ベースにラスト1分!

もっというとラスト47秒!

とにかく騙されたと思って聴いてみてください!

 

第1・第2ヴァイオリンが左側からまとめて聴こえ、トランペットらが右側、コントラバスとチューバの同じ低音フレーズも右側で聴こえるCD。第1・第2ヴァイオリンが左右で交錯し、トランペットらは中央寄り、コントラバスとチューバは土台を支えるように同じ低音フレーズを左右から拮抗するTV。

ほかにも聴きどころはいっぱいあって、指揮者正面に位置するピッコロ・フルートの高音をはじめとした木管楽器たちも、少し奥まって控えめに聴こえるCD盤と、よりクリアにまっすぐ伸びているW.D.O.2018版。CDよりも約30秒テンポアップしている躍動感と高揚感。すべての楽器とすべてのパートを活かしきったまさにフルオーケストラの「Links」。

CD盤と聴き比べて極めて顕著なのはトランペットを始めとした金管楽器が抑えめなこと。これは音符すべての音の強弱・長さをきっちりそろえたいアプローチに、金管楽器が適応しにくいことへの対処かもしれないとも。「TRI-AD for Large Orchestra」のように同じ音をファンファーレ的にかき鳴らす金管楽器とも異なり、フレーズ的ミニマル音型を金管楽器で均一に奏でることの難しさ。ぐっと抑えることで土台を引き締める役割にまわり、代わりに木管楽器たちが強く浮かびあがるほど鮮明です。この金管楽器と木管楽器のバランスは「DA・MA・SHI・絵」でも同じことが言えます。

このW.D.O.2018パフォーマンスがTV放送を経てCDLive音源としてパッケージ化してくれた日には、CDに特化した音質向上も期待できます。さらに涙モノの「Links」完全燃焼になること間違いなしです。

 

Encounter

弦楽オーケストラの作品は、すべて同じ種類の音色として高音・低音の差こそあれ、耳だけでは聴き分けにくいものです。映像を見ながら聴けることで、今鳴っているのは、ヴァイオリンなのか、ヴィオラなのか、そういったことにも気づくことができます。また弦のフレージングやピッツィカート、様々な奏法を駆使して彩り豊かなストリングス(弦楽)の世界を構築していることに触れることができます。

特に僕のような初心者には耳だけではヴァイオリンとヴィオラの区別もつかないので、映像でスコアを追うようにヴィオラパートをクローズアップして映してくれるだけでも感激です。あっ、ここヴィオラが弾いてるんだと。ステージ向かって左からコントラバス(低音)、第1ヴァイオリン(高音)、チェロ(中低音)、ヴィオラ(中高音)、第2ヴァイオリン(高音)です。これまたオーケストラ楽器配置が通常であれば、左から第1ヴァイオリン(高音)~右はコントラバス(低音)と音の高さが一本に流れてしまいます。対向配置を採用しているからこそ、この作品でも音がくっきり飛び交う持ち味を堪能できます。久石譲=対向配置と覚えてください。それは演奏会のパフォーマンスだけではなく、創作活動のときから対向配置を念頭に作曲・オーケストレーションされているということです。

 

DA・MA・SHI・絵

「Links」と同じような発見や聴き比べができると思います。

また、ミニマル・ミュージックというのは永遠に均等に流れてしまいがちですが、久石譲の指揮で繊細に音の強弱がコントロールされている様子、次のパート・次の展開に移る前の切り替わる小節のところで、身をかがめ口に手を当て、オーケストラの音を小さくする表現なども見れるのが映像の貴重さです。ミニマルのズレ、音色の変化、パート展開だけでなく、約7~8分間のミニマル・ミュージックを飽きさせることなく聴かせてしまう指揮者久石譲の手腕です。

 

コンサートで体感してとても印象的だった、転調するタイミングの金管楽器ロングトーンの長さ。CD盤1:35~のところなど3小節分ですが、W.D.O.2018版はそこから1小節さらに長く音を伸ばしている。そして映像もここまで伸ばしていますよ、という金管アングルで終わっている。とても作り込まれた編集やさしい編集だと思います。(CD盤3:13~、5:02~のロングトーンも同じ)

 

「Links」との繰り返しになってしまうので具体例は置いておいて、楽器配置からくる響きの違いだけでもたくさんの発見がある作品です。同じようにラスト40秒あたりでCD盤にはない第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの基本音型の左右対称もはっきり聴くことができますし、クリアになった木管楽器たち。CD盤のトランペットをはじめとした金管楽器の際立った咆哮よりも、全体からみて俯瞰的なミニマル表現、バランスのとれたW.D.O.版。オーケストラの特徴もあるでしょうが、鳴りのいいロンドン交響楽団と、精巧で緻密なきっちりリズムをとれる久石譲&新日本フィル。楽しい聴き比べです。

(CD盤4:07~4:17箇所もTV版では第1・第2Vnの基本音型が左右から聴こえ、ミニマルのズレがはっきりわかる楽しさ。テンポが違うのでタイム箇所はCDとTV異なる。)

金管楽器と木管楽器のバランスとその推察は「Links」でも記しました。とりわけ軽やかに戯れる木管楽器たちはまるで上手にだまし楽しませ観客を魅了する道化師のようです。リズミックな誘惑でぐいぐい引き込み、はっと驚かされるマジックは現実か非現実かを錯覚させる術。ピエロ、そして「DA・MA・SHI・絵」もまた。

 

ここまでのオープニングを飾る「Links」「Encounter」「DA・MA・SHI・絵」は、久石譲のミニマル真骨頂です。そしてアプローチも含めて進化した演奏を聴かせてくれています。知性と感情のバランス、”心で考え、頭で感じる”。一般的な表現とは逆説的な言い回しの似合う、無性にやみつきになる、永久保存版な最新の久石譲です。

 

 

交響幻想曲「かぐや姫の物語」

交響組曲化されたのが2014年ということでわりと新しい作品です。『WORKS IV -Dream of W.D.O.-』(2014)CD収録と音楽構成は同じです。それでも、たとえば「月の不思議」パートの弦楽器による複雑に入りくんだ現代的な響きは補強されていて、より神秘的で幻想的な印象を与えています。弦楽器の奏法や弓のこすり方で音階ともいえない効果音のような独特の響きを醸し出していますが、どの楽器かなあ、チェロかなあ、そんなところに釘付けになってしまいます。

同じオーケストラなのにとても日本的な響きに満ち溢れたこの作品。チェレスタやハープといった打楽器群と多彩なパーカッション群がエッセンスになっていること、そこへ弦楽ピッツィカートが幾重にも織りかさなること。「天人の音楽」パートをじっくり鑑賞するだけでも見どころ聴きどころいっぱいです。SEも大幅に追加され、コンサートでも巧みな操作と音量バランスでお迎えにきた天人たちのSEが会場に鳴り響いていました。日本人が聴いてももちろん胸いっぱいになるこの作品、もしこのTV放送を欧米はじめ世界各国のファンが観た日には、さらに”THIS IS JAPAN!”興奮するだろうなあと改めて再認識させられました。そこには尺八もない、琴もない、西洋オーケストラ楽器で奏でる日本の世界。”That’s Great!” “Very Cool!”の嵐でしょうね。

 

Dream More

メロディの酔いしれるような甘さとは裏腹に、実はかなり高度なことを要求されている作品。久石譲のメロディとリズミックな現代的アプローチが絶妙なバランスで構築されている一曲。W.D.O.コンサートでも定番となっていて『The End of the World』(2016)にライヴ音源CD収録されていますが、年々テンポがあがっている。CD盤とW.D.O.2018TV版は約1分間も違う。ここには、よりソリッドにいきたい久石譲と培われた信頼関係でついていけるオーケストラあってこそ。高度な技術を、いとも涼しげに優雅に華やかに酔わせてくれるW.D.O.です。

甘く麗しい音色たち、夢見るような柔らかいホルンの響き、多重奏的に旋律やリズムを織りなす弦楽、つややかで上品なソロ・ヴァイオリン。おいしいお酒を舌でころがす、長い年月をかけて熟成された美酒たち。そんなお酒を嗜む至福のときは、まさに時間を呑むこと。極上のテイスティングです。

久石譲の言葉を借りれば「メロディはシンプルでもリズムやハーモニーなどのアレンジは、自分が持っている能力や技術を駆使してできるだけ複雑なものを作る。表面はシンプルで分かりやすいんだけど、水面下は白鳥みたいにバタバタしてるんです」(折に触れて語られる話でこの楽曲についてのインタビューではありません)。この表現に尽きます。

 

The Path of the Wind 2018

これまでにもピアノ&ヴァイオリンのデュオ版はコンサート演奏されてきた名曲「風のとおり道」です。W.D.O.コンサートでは、不動のコンサートマスター豊嶋泰嗣さんのヴァイオリンをフィーチャーする楽曲が必ずプログラミングされています。今年はこの曲です。

2018ヴァージョンは、ピアノ&ヴァイオリンを主役にバッグで弦楽オーケストラが包みこむ芸術の域。中盤以降盛り上がるパートでのストリングスの交錯は、まるで大きなクスの木が風で揺れている音そのもののよう。実は、このパート「オーケストラストーリーズ となりのトトロ」改訂版、TV「読響シンフォニックライブ」(2013)で披露されたオーケストレーションを継承しています。もちろん管楽器も鳴っていますが、この2018版ではそこから弦楽器だけが鮮明に浮かびあがっています。動画サイトにもあったような…がんばって探してみてください。ナレーションは樹木希林さんです。『オーケストラストーリーズ となりのトトロ』(2002)CD発表時には施されていないオーケストレーション。「となりのトトロ組曲」も着実に進化しています。久石譲の弾き振り(ピアノを弾きながら指揮もする)姿も堪能できるコーナーです。

 

Kiki’s Delivery Service 2018

華やかにドレスアップした「海の見える街」2018ヴァージョン。クラシカルなオーケストラを基調としながらも、前半パートはグロッケンシュピールやピアノをブレンドしキラキラ感増す輝き。後半パートはゴージャスなホーンセクションがなんといってもアクセント。カスタネット、タンバリン、シンバルらのリズムも大きくスウィング。ヨーロッパとアメリカ・サンフランシスコをごちゃまぜにしたような魅力的な街コリコ。音楽もスパニッシュ・地中海とジャジーさをブレンドしたような心躍る世界。架空なはずの街が、あるかもしれないあってほしいリアルな街へと浮かびあがる。こう想いめぐらせると、今回のヴァージョンアップは、久石譲の進化と納得が強いように思え、感動して震える。あまりにも曲のイメージが確立し愛されている曲、同じ曲でしょ?と変わった感じのしない第一印象かもしれませんが、いやいや、『WORKS IV -Dream of W.D.O.-』(2014)と並べて聴くと心躍りますよ。

 

Spirited Away Suite /「千と千尋の神隠し」組曲

映画に使われた主要な楽曲、印象的なシーンに使われた楽曲たちを贅沢に組曲化した「千と千尋の神隠し」完全版。久石譲のピアノ曲からエスニック、ガムラン、バリ島の音楽、沖縄民謡、中近東やアフリカにわたるいろいろな素材や楽器をごった煮することで、広がりあるファンタジーの世界を築きあげていた同作品およびサウンドトラック。組曲化に際しても映画のストーリーにそって、めまぐるしく変わる展開、統一感をあえて嫌うようなバリエーション豊かな音楽たちは、底知れないパワーを秘めています。

一番注目したいのは、フルオーケストラをベースとしながらも、シンセサイザー、民族楽器、民族パーカッション、サンプリングヴォイスなど、音色的にも多彩なバリエーションによって構成していたサウンドトラック盤。これらがフルオーケストラのみでなんの遜色もなく再現されていること自体に驚きです。聴いていてなにか物足りない、サントラには敵わないなという印象はなく、圧巻のオーケストラ・フルスペック。僕が言いたいのはこれに尽きます。

音楽構成は「あの夏へ」「夜来る」「神さま達」「湯屋の朝」「底なし穴」「竜の少年」「カオナシ」「6番目の駅」「ふたたび」「帰る家」全10曲おしみなくオールハイライト。もともとサウンドトラック盤は感覚値で7:3か8:2のオーケストラ:シンセサイザー比率、またスタジオ録音ではなくコンサートホール録音を採用していたこともあって、全体的な響きもこのコンサート版と近い印象あります。

それでもたとえば「カオナシ」パート。狂乱に満ちたスリリングな楽曲で活躍しているのが、タイゴングという音程のある銅鑼の仲間。これ、ずっと名前がわからなくて触れることができなかったのですが、久石譲作品では新しいところでも『Deep Ocean』などでも登場している特徴的な楽器です。

 

これはW.D.O.2018ツアー期間中、新日本フィル公式SNSにアップされていた舞台裏写真。銅鑼ごとに音程があり音名がふられていることがわかります。「d」は「レ」、「f」は「ファ」というように。

 

このパートだけでも大きな銅鑼、大太鼓、ティンパニ、スネア、シンバルら多彩なパーカッションを総動員し、シンバルの閉じた叩き方で効果音のようになっていたり、スティックを叩いたり、打楽器のいろいろな箇所を叩いて豊かな表現をしています。マリンバ奏者は「Music Future コンサート・シリーズ」などもふくめ久石譲作品には欠かせない和田三世さん。オーケストラ演奏会は、ベースとなる楽団奏者のほかにプログラムやプラスアルファされる楽器に合わせた客演奏者も招かれて、はじめてみんなで音楽を作りあげます。マリンバのような打楽器は久石譲音楽の要です、W.D.O.音楽監督を務める久石譲の人選によるところはもちろんでしょう。

シンセサイザーであれば簡単に効果音やそれらしい音色を選べば世界観が築けてしまうところ。それをオーケストラで構築していることに大きな価値があるように思います。オーケストラで表現できる音楽というのは、楽器を選ばない、場所を選ばない、国を選ばない、時代を選ばない。

「カオナシ」という組曲のひとつのパートをチョイスするだけでもたくさんの発見と楽しさがつまっています。食い入るように見聴きしてしまいます。ぜひ「千と千尋の神隠し」の好きな曲、好きなシーンの音楽からサウンドトラック盤と組曲版楽しんでください。コンサートレポートでも少し書きましたが改めてTV放送を見て。「千と千尋の神隠し」音楽は、西洋オーケストラ楽器で表現しうる東洋ファンタジー音楽の金字塔。そう強く思います。

 

 

2019.1.19 Update!!

タイゴングについて。『Deep Ocean』音楽にも使われていると記していましたが、これについてご指摘いただきました。『Deep Ocean』は音程が割り振られたカウベル(Tuned Cowbell)ではないか。たしかに過去の久石譲インタビュー動画でのレコーディング風景カットを見ても、そこにはタイゴングは見当たらずカウベルでした。もうひとつはW.D.O.2017韓国公演(Deep Oceanプログラム公演)での舞台裏写真より。タイゴングほど重くない神秘的で幻想的な軽い響き。ありがとうございます。

(2019.1.19 Update ここまで)

 

組曲化された楽曲たちをみるとストーリーの展開に沿っていることはもちろん、千尋・ハク・カオナシという3つの登場人物たちにフォーカスしていることがわかります。「夜来る」は千尋とハクが出会うシーンであり、「湯屋の朝」は千尋とカオナシが出会うシーン(カオナシが映画のなかで初登場する場面)です。いつもの作風とは異なりライトモチーフ的な手法で、湯婆婆のテーマや釜爺のテーマなど印象的な楽曲が多かった『千と千尋の神隠し』音楽のなかから、なぜ「あの夏へ」「夜来る」「神さま達」「湯屋の朝」「底なし穴」「竜の少年」「カオナシ」「6番目の駅」「ふたたび」「帰る家」という10曲が選ばれたのか。興味は尽きません。

「ふたたび」(CD盤3:14~)は、千尋とハクが月夜の空を駆ける印象的なシーンです。この空、水、時間を漂うような神秘的で幻想的なシーンで奏でられていたのがグロッケンシュピールやハープです。そして、交響組曲版ではグロッケンシュピールを外し、ピッコロとフルートという木管楽器がハープとブレンドされています。なにげない数十秒間なんですけれど、神秘感と幻想感に心地よい浮遊感が加わり、映像がないなかで”空を飛んでいること”を音楽で表現しイメージを後押しする。こんなことを見つけだしたらキリがないくらい、でも、もっとたくさん発見できる聴き手になりたい。

 

Le Petit Poucet

2001年フランス映画『Le Petit Poucet』(邦題:プセの冒険 真紅の魔法靴)からメインテーマです。サウンドトラック盤からメインテーマ(Track.2とTrack.17)をつなげて再構成したような演奏会用作品になっています。久石譲の美しいメロディと異国情緒あふれるハーモニーのこの楽曲は、「千と千尋の神隠し」と同年作品でもあります。映画を知らなくても、曲を初めて聴いても、一瞬でハートを射抜かれてしまう旋律。切ない、温かい、懐かしい、聴く人それぞれの胸の奥に静かに眠っていたなにかが鼓動を始めるようです。コンサート後のSNSでもこの曲への質問や興味で賑わっていました。これからのコンサートでも再登場しうる可能性をつかんだ、ひっぱり出された名曲です。

 

World Dreams

「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ」コンサートに行けば必ず聴くことができる曲、W.D.O.コンサートのテーマ曲ともいえる大切な一曲です。この作品については、毎年のW.D.O.コンサートレポートごとに、ありったけの想いを綴っていますので割愛します。反対側から見れば、どれだけ素晴らしい名曲であったとしても、新日本フィルとのプロジェクト、このW.D.O.コンサートでしか聴くことのできない宝物。それは日本国内でも海外公演でも同じ。だからこそ世界へ羽ばたくW.D.O.コンサートが熱望される。2016年は台湾で、2017年は韓国で、2018年は中国で。CDでしか聴くことができなかったW.D.O.のアンセムが、オーケストラごと海を渡ってオリジナル披露される。十年来待ちわびた感動は言葉にできない。そんなことを想い巡らせながら聴いているとより深い感慨に包まれます。

「世界の夢(World Dreams)」は個人には大きすぎて漠然としたものかもしれない。でも、W.D.O.コンサートがあるかぎり、そこに集う久石譲ファン、同じ曲を時間を越えて再会できる場所。同窓会のように元気な姿をみせる、元気をもらう、元気をわける。同じ空間のなかで一期一会の幸せをわかちあう。会ったことはないかもしれないけれど、久石譲ファンという個人と個人がつながる場所。そこから会場でリアルに出会いつながっていくことが、ふくらんで大きな夢へとなっていくように思います。

 

 

久石譲コンサートにMCはありません。楽曲のエピソードや想い、コンサート裏話、ツアーならではのご当地話、旬な日常話。聞きたいなと思うこともあります。でもかれこれMCをしなくなって十数年経ちます。

今回TV放送を観ながら、さまざまなアングルで捉える久石譲の指揮姿を見て、十二分に語ってくれているなと思いました。指揮者はオーケストラのなかで唯一音を出さない人ですが、久石譲の指揮は表現者です。時に厳しく、時に優しく、引き締めて、楽しそうに、踊って、体全体でジェスチャー、作品ごとに表現しています。指揮者の指示や意図が、久石譲の場合、イコール作曲家としての指示や意図となっていることに大きなポイントがあります。だからこそ、十二分に語ってくれている、そう思うことができました。

なにもしないこと、オーケストラの演奏に聴き惚れているような瞬間もあります。「なにも言わなくても大丈夫、君たちに任せたよ」「惚れ惚れする最高のオーケストラだな」、そんな指揮者の心の声が聞こえてくるようです。言葉にしなくても音楽を伝えてくれる、オーケストラとの信頼関係を伝えてくれる、久石譲の指揮姿は、久石譲音楽をさらに魅力的なものへと輝かせてくれます。ぜひコンサートで目に焼きつけたい光景です。

 

 

 

以前、コンサートができるまでの舞台裏を綴った本「オーケストラ解体新書 読売日本交響楽団 編」を読んだことがあります。そのレビューのなかでこんな感想を記していました。

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番組ディレクターの仕事項では、TV番組「読響シンフォニックライブ」の制作舞台裏が紹介されています。収録会場には、プロデューサー、ディレクター、構成作家、カメラ、音声、照明など約50人ものスタッフが会場入りするそうです。カメラも通常6台、ピアニストの手元をアップで撮る時などはさらに1台追加、中継車2台。また事前に公演曲のスコアを用意し参考CDを聴きながらカメラのカット割りを決めておく。そうやって収録台本をつくってゲネプロ(当日リハーサル)から本番に臨む。どんなに入念に準備しても、イメージと違っていたり想定外のことも起こるため収録現場は戦場とあります。さらには、初演作品など事前に参考音源がない場合は、ゲネプロを聴いて大幅にカット割りを手直し、本番までの短時間で修正と再度指示を出す…はぁ、すごい。やりなおしがきかない本番だけに、緊張感の張りつめた舞台裏だろうなあと想像すると。その音楽や映像だけに純粋に聴き入り、パーソナルスペースでリラックスして楽しむことができている、そんな視聴者として感謝の気持ちでいっぱいです。
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Overtone.第16回 「オーケストラ解体新書 読売日本交響楽団 編」を読む より抜粋)

 

久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラのコンサートができるまでの物語も同じです。今回BS日テレが放送してくれることは、TV放送を念頭にコンサート準備段階からコンサート当日まで多くのプロフェッショナルたちが携わりその技術手腕を発揮してくれたからこそ、こうやって素晴らしいコンサート映像を楽しむことができます。

コンサートを映像で見れること、それはスコアの見える化です。仮に少しくらい映像が荒かったとしても音質がCDクオリティに敵わないとしても、十二分に価値のある記録です。もちろん久石譲はTV放送の音楽監修として関わっていると思います。TV放送エンドクレジットには今回【音楽監修:久石譲】のテロップはなく最小限のクレジット紹介でしたけれど。

でも、チェック&Goサインはきっと出している。そのくらい今回の「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2018」TV放送は音質クオリティが高かった。そしてパート譜を視覚化したような緻密なテレビアングルを見ると、ここにも綿密に関わっているのかなと思ってしまうほど。ここはこの楽器をフィーチャーしてほしいとか、耳では聴こえにくいけどここでこの楽器重要なことやってるからとか。そんなことまで推測してしまうほどの映像&音楽ともに最高品質!永久保存版です!

 

 

最後に。コンサートで体感した観客は感動の再会、コンサートに行けなかった人は疑似体験、次はぜひコンサートに行きたいと思うファン、TV放送がきっかけで誕生する新しいファン。そして音源や映像として記録に残ることで初めて発見できること楽しめること。

コンサートを軸に活動すること、コンサートでの一期一会の音楽こそ”音楽になる瞬間・音楽を共感する瞬間”である。これはとても大切です。だから、コンサートを経てTV放送やCD音源化がセット当たり前とは言いませんし言えません。でも、実際に現代社会のメディアをみわたせば、TV放送やCD化によって歓喜にぎわうSNSはじめとしたファンのリアクションと広がり。ひとつのコンサートが、ひとつの音楽が、大きな循環となることで記録され記憶に残り、予想を超えた未来が待っているかもしれない。欲しがるファンと言われても、久石譲音楽を遺していく流れをこれからも心から楽しみに期待しています。「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ」BS日テレTV放送、心からありがとうございました!

 

 

もっとくわしくW.D.O.2018♪