Blog. 「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1988年11月号」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2020/11/03

音楽雑誌「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1988年11月号」に掲載された久石譲インタビューです。同年1月号から開始された連載の第10回で、オリジナル・ソロアルバム『Piano Stories』についてたっぷり語っています。

 

 

HARDBOILED SOUND GYM by 久石譲
VOL.10
「ナウシカ」のイマジナリー変奏曲

ピアノ・アレンジにもとづいて録音された「Fantasia (for Nausicaä)」、久石さんは”テレやはずかしさ”があるとはいえ、やはり代表曲。今回もこの曲を中心に。

 

まず先月号の訂正から。ページの最後に「2重奏によるナウシカのスコアを掲載する予定です」とありますが、これはあくまでもソロ・プレイです。久石さん自身の最初のプランでは「ダイナミックになり過ぎる。それをもっと抑えたかったから2重奏で、と考えた」ということなのですが、しかし、実際にやってみたら、最初のプレイの”揺れ”に合わせてダビングするのが難しく、結局、アルバムには、その直後、ソロでプレイしたものが収められています。読者のみなさん、そして、久石さん、ごめんなさい。

というところで、この2重奏→ソロの経緯のお話から伺うことにします。

 

呼吸しているメロディーの微妙なノリ

ー「Fantasia (for Nausicaä)」のレコーディングのときのお話を確認の意味でもう1度聞かせてください。

久石:
『ピアノ・ストーリーズ』を作ったときの、僕の中のナウシカの扱いから話しましょうか。

重複しちゃうかもしれないけれど、僕の中に非常に難しいものがあるんです。なぜなら「久石譲イコール、風の谷のナウシカ」という公式が出過ぎちゃう、あの曲が僕の名刺がわりになり過ぎてる。するとやっぱりテレもあるし、はずかしさもあるんです。

ふつうはこれが代表曲ですっていうものがあれば開き直れるのかもしれないけど、僕は少しはずかしい。それがいつもついてまわるわけですよ。すると『ピアノ・ストーリーズ』で、自分の、久石譲メロディー集でいうと、こういう曲がメインになるのがふつうのはずなんですよね。

だけど、7分近い大曲にした割には、むしろ後ろの方で抑えた状態で収録してある。しかも原曲にいちばん遠いかもしれない。中のいろんな音楽、音型を出してみたりしつつ、変えて作ってしまった、と。それはやっぱり作家の中でその楽曲と自分との独特の位置があるわけですよ。

まあそういうことが前提にあって、当初はピアノの2重奏でやりたかった。実際には、ダビングを1回しようとしたんです。なぜかというと音域が広いのと、部分的に、1人でやろうとするとかえってやかましくなり過ぎるところがある。たんたんとさせるためにも2つでやったほうがいいだろうと考えたんです。

ところが今回のピアノ集は全体にそうなんだけど、ふつうはドンカマと言って、リズムをうすく入れて、その中で自分が自由に弾くということをするんですが、今回はひとつもドンカマを使っていない。そのためにメロディー・ラインが自由に呼吸してるわけ。そしてこの日も第2パートから入れてみたんです。7分近い中でピアノを2重奏にする部分は、ほんの1コーラスだけだったんです。ほんの一部だった。ところが今度、それを入れちゃったら、それに合わせようとするんです、音楽が。すると、それまで呼吸していた音楽が一気に死んじゃった。

 

ー音楽が合わせようとする、というのは?

久石:
自分で合わせようと思うわけだけど、それは、音楽のほうで、入れてあるパートに合わせて弾くように働きかけてくる。そこでもう、何か世界が違っちゃうんです。微妙なタイミングのズレが出るわけですよ。

ドンカマが入れてあれば、まず第2パートを合わせて入れて、次にそれに合わせてメロディー・パートを入れるということができるかもしれないけれど、第2パート自体もエモーショナルに弾こうとすると、すでにそのテンポが揺れている。その揺れているヤツにもう1回自分で重ねようとすると、よほど何百回というリハーサルをやって同じような揺れにならない限りは、滅多に合わないですよね。

それでかなりのところまでは合ったの。でも他の人が聴いたらそうは思わなかっただろうけど、自分の中では、精神的な呼吸感が、もう違うから、ダメだって思った。で、スタッフも全員そう思ったので、もうこのスタイルはやめようということになったんです。

ところがこっちも2重奏のつもりでスタジオに入っているから、いきなりやめるというのもまずい。また練習して戻って来るというわけにもいかない。

それで結局、そこでまた全部壊して…、まあアレンジしてあった形はそのまま生かしてその場で一発録りみたいなかたちで録ったんです。それが、あの『ピアノ・ストーリーズ』の中の「ナウシカ」なんですよ。

 

不思議な響きのルーツにいたのはマル・ウォルドロン

ー2重奏にしたかった部分というのはどのへんですか。

久石:
途中で盛り上がっていくところでね。ちょっと音自体は抑えたいんだけどぶ厚さが欲しいわけ。それができないわけではないことはわかっていたんだけど、いろんな音型をにらみ出すと、非常にヴィルトゥオーゾ…名人芸というかテクニックを披露するような音楽になりやすいんだ。それを控えたかったんです。

 

ーそれであの形になったわけですね。

久石:
そう。そのへんがあの曲を録るときの難しさだったんですね。

だから今回の『ピアノ・ストーリーズ』をやっていていちばん思ったのは……、みなさん言うのは、非常に不思議な音楽だ、ということなんです。ピアニストの練習は、バイエルから始まってツェルニーの30番、40番とやってくると、当然クラシックの音楽には独特のスタイルがあるわけですよ。それは何かというと3度、5度、6度構成という音の関係の練習でしかないんです。あとスケールとね。これはテクニック自体のことだけど、それの組み合わせでできていると思って間違いない。

ところが僕の音楽というのは4度体系なんですよ。だから、ド・ファ・シと押さえていってしまう。ある意味でジャズのテンションに近いものがあるんです。けれどジャズから出て来ているテンションではないんですけどね。で、そういう積み重ねが多く出てくる。すると、パッと押さえた瞬間の指の形、指の幅がクラシックの人とは違うんです。パッと押さえた指が、クラシックの人はド・ファ・ラとか、ド・ミ・ソとかクラシックの形態のところに指が行くんです。このへんが、ちょっとクセがあってやりづらいところかもしれないんですけどね、ピアノに関していうと。

ただこれは、自分のアレンジものも全部ひっくるめて、響きの原点みたいなところなんです。

で、『ピアノ・ストーリーズ』の話に戻すと、非常に不思議な音楽だと言われたと。ピアノのテクニックっていうのはリチャード・クレイダーマンみたいに、ドソミソ・ドソミソとかパターンがあるんです。左手の音型にしろ何にしろ。ところが僕のピアノは全部その形態がはずれているんですよ。

じゃクレイダーマンではない。それならレイモン・ルフェーブルかと言ったらそれでもない。ではジャズか? それでもない。そのへんのギリギリのところで作っていたんです。

で、僕のタッチというのはすごく強いんです。いいか悪いかは別として頭の中で、ピアノというのは打楽器みたいなとらえ方をしているために、きれいな響きを作ろうとするよりは、”ガシーン”と叩いた太鼓が鳴ったと同じような打楽器的な効果が自分では好きなんです。そのままの感覚でピアニッシモもあるんです。

 

ー打楽器的なピアニッシモ…?

久石:
ようするに響きをきれいに出す方法というのは僕もクラシックの奏法として習ったし、あるんだけど、僕のピアノ奏法の発想にはそれがないんです。

それで、これは誰に近いのかなと僕もずっと思ってたんだけど、今度11月に出すアルバム『イリュージョン』の中のタイトル曲「イリュージョン」、これもピアノ曲なんですが、これは少しジャジーな要素を入れてあって『ピアノ・ストーリーズ』よりジャズっぽいかんじがする。それを聴いたある人がこう言ったんですよ。タッチはマル・ウォルドロンだ、と。

僕は17、8歳…高3の頃からレコードでマル・ウォルドロンを聴き漁ってね。だから現代音楽を聴いてるかマル・ウォルドロンを聴いてるかっていうくらい彼が好きだったんですね。『オール・アローン』っていうピアノ・ソロなんか全曲コピーしましたもんね。

 

ーそういう一面もあったんですか。

久石:
そうなんだ。それがこの年齢になってソロ・アルバムを作ってピアノで勝負しなくてはならないときに、はからずも自分の音楽のタッチというのはそういうところにあったなっていうことに、後で気付いたね。

マル・ウォルドロンっていうのはビリー・ホリディのバックで、ピアニスティックに弾こうとしたとき、ビリー・ホリディから「歌えないフレーズは弾かないほうがいい」と言われて、できるだけシンプルに、心を込めて弾くようになった人でしょ。オスカー・ピーターソンとは対極にあるんですね。今、ピアノのテクニックというのはいかに早く機能的に動くかという運動に終始してる。ジャズにしても練習となると、そういうところで終始してる。比較的ね。スピリットとかいいながら、興奮してきたら、いかに16分音符を正確に弾くかとか、そのへんがピアノ・スタディの原点みたいなところがあって、それはそれで大切なんだけど、マル・ウォルドロンはそれとは180度違っていた。ただし、彼は根っからのジャズ・マン。僕は現代音楽からやってきて、こうなってきた。そしてメロディーという共通項で仕事をしようとしたとき、ジャズという土壌と僕の土壌は全然違うんだけど、”アプローチの角度”は似たかもしれないね。いかにシンプルに音楽を相手に伝えるかという姿勢はね。タッチが強いという点もひっくるめて思わぬ共通性を最近感じてとまどってるんですよ(笑)。

(KB SPECiAL キーボードスペシャル 1988年11月号 より)

 

 

久石譲 『piano stories』

 

 

 

Blog. 「キーボード・マガジン 1989年3月号」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2020/11/02

音楽雑誌「キーボード・マガジン Keyboard magazine 1989年3月号」に掲載された久石譲インタビューです。オリジナル・ソロアルバム『illusion』についてたっぷり語っています。

 

”鏡のような音楽”に秘められた超一流のサウンド・テクニック

優れた音楽は耳に優しく、それでいておどろくほどの技巧を内包している。虚飾をそぎ落とした無駄のない音の数々。それはまるで、多種多様の光線を含みながら特定の色を感じさせない陽の光のようなものだ。

ー全体の概要について教えて下さい。

「前作の『ピアノ・ストーリーズ』なんかは、聴く側が勝手に心象風景を自分たちで投影しやすかった。こちらから押し付けがましいメッセージがない分ね。今までそうやって作ってきたんですけど、長年やってくると、もっと直接的にメッセージを訴えかけたくなる。それには歌の表現がいちばん適切なんです。僕は井上陽水さんとか中島みゆきさんとか、非常に歌のうまい人の仕事をいっぱいさせてもらっていたんで、中途半端に歌はやりたくなかった。で、今回いろいろやってみて、何とかいけそうじゃないかということで。アレンジャーだとかいろんな人が、サウンドの一部として歌を歌うみたいなのがありますけど、あのてのものはやりたくなかったんですよ。どうせ歌うなら、徹底して歌をやる」

ー最初から完全なスコアがあったわけですか。

「いや。ラフなものをフェアライトで作ってるんで、スケッチみたいなものから始めて、ベーシックなものを作るわけです。スコアをおこすことは最近めったにやらないですね。譜面を書いてる時間がないし(笑)、ベーシックなものができた段階で頭に全部入っていますから」

ー作業としてはフェアライトでリズムを作って、それに生のストリングスを合わせるという形になるんですね。

「そうです。仮で入れておいてやるケースもありますしね。最初から、たとえば弦なんかを入れると決めておく場合と。いろいろなんですよ」

ー今回の弦アレンジの特徴は?

「このアルバムに入る直前までの、僕の弦のスタイルというのは確率されていたんですね。いろんな人の歌のときのバックのスタイルとか、あるいは、フル・オーケストラで8-6-4-4とか(注1)6-4-2-2とかいう編成で歌用、オーケストラ用、映画用とか、自分なりの癖が確立されていた。ですから、またゼロから、全く弦が書けない状態に戻して、普通ならこうくる、というのを極力排除してアレンジしました。もう1回クラウス・オガーマンとか、あのへんの弦アレンジを聴いたりとか。そういうのを徹底しましたね」

(注1)弦の編成。第1バイオリン、第2バイオリン、ビオラ、チェロの順に数を表す。

ー弦の編成は?

「全部6-4-2-2です。僕は絶対ダビングしませんから。弦はキーで配列が全部違いますけど、そのポイントさえ押さえれば、2倍にも3倍にも鳴らすことは可能なんですね」

ー弦アレンジのどこをどう変えたんですか。

「断片的なんですね。たとえばA-A’-B-C、そしてサビへ行くとするでしょ、するとだいたいA,A’は休んでてBくらいから入って、Cで盛り上げて、とかね。弦が駆け上がってサビに行くとか、パターンがあるでしょ。今回はAの後半に突然ちょこっと弦が出たりとか、そういう断片的な独立の動きをけっこうさせました。「ナイト・シティー」のCのサビなんかは、普通だと弦が駆け上がっていくんですが、フレーズはブラスにまかせて、逆にブラスっぽい動きを弦にさせている」

ー「ナイト・シティー」ではディビジ(注2)をつかってますね。(譜例1参照)

「今までなら、6-4-2-2しかいないときは、ああいう高いポジションでディビジは使わなかったんです。それをあえて今回は……」

(注2)ひとつのパートをいくつかの声部に分けて、人数を配分する手法。div.と表記する。

ーそれもパターン崩しの?

「そうですね」

ーディビジは3-3ですか。

「だいたいそういう形になります」

ー中間部のバイブ・ソロのところは凝った展開をしてますね。

「今度のアルバムって全部そうなんですよ。ただ、そんなこと譜面を見なかったらなかなか気づかないでしょうね。表面はポピュラー・ミュージックなんだけど、再現してみようとすると思っても簡単には絶対できない」

ーソロ前の2小節なんかも面白い展開をしているし……。

「そのへんが大変なんですよ。そのたびにベーシックでコードを何度も取り替えましたから。この曲だけでベーシックを3回か4回録り直しています。結局、ドラムだけ生かして、コードを差し換え、差し換えで」

ーサビに行くところは非常に転調感が強いですね。劇的というか。

「今回はだいたいそうなんだけど、間奏部分が原調のキーと同じやつがほとんどないんです。全部いろんなキーに跳んでいっちゃってる。日本の曲ってあまりにも単純すぎるんです。外国の曲って、ヒット・ポップスにしたってサビからキーが変わるなんて当たり前でしょ。それが日本では最初からDmの曲だったら、ずっと全部Dmでしょ。その単純さはやめなきゃいけない。転調感を持たなかったら絶対、外国では通用しない。たとえばこれC#mなんですよね。それで間奏がEmなんですよ。そうすると、これは短3度上だから非常に遠い。普通だと、平行調だとか、シャープやフラットが1個多くなったり少なくなったりするくらいでしょ。で、とんでもなく遠いキーに跳ぶわけ。もっとすごいのは、A durの曲が間奏でE♭mになって、Fmに行っちゃう。長3度低いマイナーのキーになるわけです。ですから、どう見ても近隣調の範囲には入らない」

ー「風のハイウェイ」のサビに行くところも調感が大きく変わりますね。

「パーッと世界が変わるでしょ。こういう感じが大事なんですよ」

ーいちど崩してしまうと、テーマに戻すのが大変という気がしますが。

「難しいですね。外国の一流のアレンジャーはそれがうまいんですよ。アレンジャーというか、外国の曲のうまさというのは、サビに行くときに、日本のアレンジャーだとA-A’は同じとしてもBで少し変わって、サビになるとまたリズムが変わるでしょ、ドラムのパターンとか。ところが、マドンナでも何でも、リズムはほとんど変わらない。せいぜいスネアを1個抜くか抜かないくらいなのに、ちゃんとサビで世界が全部変わってるでしょ。あれがすごい。日本の曲は変えてるつもりなんだけど、歌が変わってないし何も変わってないから、色が変わらないんです。色彩感がとぼしい。いろんな音をいっぱい入れたら色彩感があると思われてるけど、逆に、極力抑えているからこそ変わった瞬間のインパクトがあるんですよ。映像なんかの仕事でも、このへんは一流とそうでない人の差なんです」

ー「冬の旅人」の中間部がピアノ・ソロになってますね。

「ここはピアノを聴かせるために弦を入れてないんですよ。リズムをうんとスカスカにしちゃって、そうするとピアノが浮き立ってきますよね。弦にしても1コーラス目と2コーラス目で必ず変えています(譜例2)。後半はピアノがだんだん小さくなって、弦を出しているんです。フェード・アウトしながら弦がだんだん大きくなってくる。これはね、全体を普通の曲に仕上げたかったんですよ。いわゆる昼の恋愛ドラマですから。すると、サビに戻るときの部分にいつものアバンギャルドな部分を集約させておいて、あとはいかに歌をちゃんとさせるかという」

ー弦の駆け上がりなんかは……。

「ヘンなところでしかやらない(笑)」

ー弦のフレーズにしても、クラシカルですね。

「頭の中ではブラームスを意識してるんですよ。歌のメロディ自体、ピアノで弾くととてもブラームス的なんです。すると、どこかでクラシカルな格調をのこした弦やピアノのアレンジをしたい。そこから考えてこういう感じになったんです。「ナイト・シティー」とは全然譜づらが違うでしょ(譜例2)。このへんがやっぱり大事なところで。これも徹底しないとおかしくなる。日本のアレンジってだいたい中途半端なんだよね。それをきちんとすれば色彩が明確になってくる」

ー歌をメインにしたアレンジで大切なことは?

「最も大事なのは、歌のバックに入っているオブリガートのフレーズが歌をじゃましないこと。次に大事なのは、それぞれのフレーズがぶつかり合わないことですね。これが絶対条件です。『鏡の音楽』と僕は言っていますけど、できるだけ削る作業。とりあえず削って、削っていって有効なフレーズがきちんと有効なところに入っていれば、ベタに弾いてないのに全体がとてもゴージャスに聴こえる。昔、ロンドンでケン・ソーンとかロイ・バットなんかの、超一流のアレンジャーと言われる人の仕事をまのあたりにしたことがあったんです。そのとき彼らが『アレンジのコツは、コードからはずれた音をどう使うかだ』と言ったわけです。ド・ミ・ソのときにドとミとソを使うのはイモで、そのときにレ・ファ・ラ・シのその他の音をどう入れるか。これをやるとぶつかった色彩感が出てくるんですよ。瞬間でもいいわけです。つまりジャーンってド・ミ・ソを鳴らしますね。鳴った瞬間に、弦がレ→ミって行くと、出だしはド・ミ・ソにレが鳴ってるわけですね。これは別に違和感はない。コードが鳴った瞬間に他の音をどう入れるか。倚音(いおん)とか経過音とかいろいろあるけど、そういう音をいかに使っていくかでコード的色彩感が倍増するんです。メジャー7thとか9thとは、そんな単純なものじゃなくて。それをうまくアレンジしていかないと、特にオーケストラの曲はできないですね」

(キーボード・マガジン Keyboard magazine 1989年3月号 より)

 

 

久石譲 『illusion』

 

 

 

Blog. 「GAKUGEI 1996」久石譲インタビュー内容

Posted on 2020/11/01

青山学院女子短期大学の冊子「GAKUGEI 1996」に掲載された久石譲インタビューです。とても具体的で突っ込んだ内容で読み応えあります。

 

 

久石譲さん(作曲家)

音楽家になろうと決めたのは、三、四歳。それ以外(の職業)は考えたことがない

ーはじめに、「久石譲」さんという名の由来を教えてください。

久石:
学生時代、テレビなどのアルバイトのために、友人につけてもらいました。江戸川乱歩が、エドガー・アラン・ポーからきているように僕も、外国人の名前でいいのないかなって思ったのですよ。そしてクインシー・ジョーンズを使ってみたんです。一回こっきりのつもりだったんですけどなんとなく気にいってたのでそのまま続いちゃったのですよ。

ー先日行われたコンサートのお話をきかせてください。

久石:
今年、自分のコンサートをまだやっていなかったので、軽い気持ちで、小さいのをやりました。ピアノのソロコンサートは、初めてです。しかし、規模が大きかろうとと小さかろうと、弾くという行為に変わりはなく、プログラムは凄まじくハードでしたね。一日に十時間位練習しました。結果には、満足していますが、正直な気持ちこんなに大変とは思いませんでした。(笑)

ー舞台で弾くのは緊張しますか。

久石:
緊張はいつでもしますが、あがることはありません。前日までは、胸が締め付けられるほど、緊張していても、ピアノの前に座ると落ち着きます。オーケストラでは、二千人の聴衆より、ピアノの左にいる、「小さなころから、バイオリンを習い、留学し、コンクールで入賞している人」が審査員のような気がして、ガマの油のようです。

ー音楽以外の趣味は。

久石:
ウーン・・・あんまりないですね。強いてあげれば、泳いだり、体を動かすことは好きです。

ー家にこもりっきりってわけではないのですね。

久石:
体育会系ミュージシャンと言われたぐらいですから。(笑)昔は一日中、家にいて作曲などしたけど、今はだめですね。気持ちが変わらないから。

ー普段どんな音楽を聴きますか。

久石:
ありとあらゆる分野を聴きますよ。本当にプライベートで、ひとりで落ち着いたときは、モーツァルトなどのクラシックや、イギリスのピーター・ガブリエルです。

ーご自分の曲は聴かれますか。

久石:
聴かないです。作ってから仕上げるまで、何百回も聴いてますから、世の中に出る頃には「もう聴きたくない」という状況か、次のアルバムにとりかかっていますから、仕事以外では、自分で好んでは聴きません。

ー出来上がった映画はどうですか。

久石:
試写会だけです。

ーテレビで流れていると・・・

久石:
照れ臭いです。映画って、二時間なら二時間、長い時間を設計するわけですよね。そうすると、色々な意味で、「ああすればよかった、こうすればよかった」という反省が多くて、一年以上経たないと冷静にみられないですね。

 

 

ー学生時代のお話を聞きたいと思います。どんな大学生でしたか。

久石:
・・・つっぱっていて、鼻持ちならない(笑)学生だったかもしれない。高校は女性が各クラス一、二名しかいない共学で、ほとんど男子校だったんですが、音大に来たら立場が逆になって男女比が一対一〇くらいで、一瞬「どうなったんだろう」って思いました。だから音大の人たちよりは、よその学校の人とつきあっていました。自分が何をするかに集中していたから、あんまり大学通っていた感じがしないんですよ。四年生でまとめて単位とった感じです。学生時代から、外でコンサートをしていましたし、有名な作曲家に委嘱して、プロデュースしたりしてました。

ーす・ご・い。

久石:
音大の先生から、売り込みにきましたから。そのくらいガンガンにやってました。そういう意味で、つっぱっていましたね。学内では、先生方でも聴いたことのないような譜面を見つけてきて学生を集めては、練習させ、月一回コンサートを開いて、自分で全部やっていました。だから変な話、三年生ごろ先生から「授業出なくていい、お前が出るとうるさい」と言われました。先生より知ってましたからいろんなこと。だから何か一言先生が言うと、「あっ、すいません、それ古いんです。今はもうこうなってます。」とかいちいち言うもんだから、「単位はあげるから出ないでいい」そんな感じでした。だからあんまりまともないい学生ではありませんでした。

ーどうして先生より、そんなに知っていたのですか。

久石:
音大って、基本的にクラシックの古典中心の教えですよね。それはそれで音楽大学って、すごくいい。今思えばもっと勉強しとけばよかったけど、それは、英語勉強すればよかったとあとで思うようなもので、必要に迫られてなかったし、もっと新しい動き[コンテンポラリーミュージック]を追求したかった。それは学校ではできなかった。だから自分で、楽譜を探したりレコード買ったりするしかなかった。

ー学生時代の一番の思い出は。

久石:
・・・暗かった。(笑)絶えず何かに焦っていた。自分の音楽はどんなものを書いたらいいのか、そういう悩みが多かった気がします。あとはよくみんなで飲んだこと。

 

 

ー四歳のころから、バイオリンを習っていたそうですがそれは誰の意志ですか。

久石:
あのー、本当のところは分からないんですけど、たぶん僕の意志なんです。

ー小さい頃から音楽が好きだんたんですねー。

久石:
ウン、おもちゃのようなものを鳴らしているか、歌を歌っているか、レコードを聴いているか、朝起きてから夜寝るまで。

ーピアノではなくて、バイオリンだったわけは。

久石:
楽器屋さんの前を通ったとき、凄くかっこよく見えて「これやりたい」って。

ー久石さんにとって、音楽とは。

久石:
・・・ウーン・・・ALL OF MY LIFE、空気のような存在。僕が音楽家になろうと決めたのも、三歳か、四歳の頃なんですよ。つまり音楽以外考えた事がない。数多くある自分の外側の仕事から音楽を選んだのではなくて、自分の内にあるものだった。そのままここまできていることは本当に幸せです。もし自分が音楽をやってなかったら、とてもじゃないけどまともな人間になれなかった。エゴとかいろいろなことを含めて。僕が僕でいられるのは音楽を抜いたら考えられない。音楽をやることによって、最低限の人間らしいことができている。或いは普通の人だったら、とてもじゃないけど許せないことも、ものを作るという一点のために、世間と少しずれた行動をとってたりする。それは自分と音楽の関係で計っているものだから、世間の物差しとはちょっと違うよね。そういうときやっぱり、音楽を抜いちゃったら、自分は存在しないよ。

ー行き詰まったことはありますか。

久石:
しょっちゅうです。僕は、一時間おきに自分は天才だと思い、そしてもうだめかもしれないと思ってたりしますから。ただ僕は、考え方に合理的な部分があって、たとえば一時間の曲を頼まれたとする。一時間なんて大曲でしょ。しかもオーケストラでって言われたら二、三年かかちゃう。でもね、一時間の曲って、一〇分の曲だと六曲、五分の曲なら一二曲。僕は書くのが早いから五分の曲なら、一日でできる。すると一二日間で出来上がる。もっと言うと、一二曲全部違う曲を書いたらまとまりがつかない。そうすると、メインテーマのメインフレーズが何箇所かで出てくるから、これは実質七曲以内。僕の場合、一週間でできると言える。つまり、ある目標があって、どうするか考える時、みんなこの全体を見てしまうから「自分にできるか」って舞い上がるかもしれない。でも僕なら「これは何と何でできている、だから、自分ならどうなる。」そういう組立がうまいんです。

ーと、言うことは理系の頭ですか。

久石:
僕は感覚的に作曲したことはないです。論理的に割り切れることは割り切ってやる姿勢だから。

ー生活の中でフレーズが浮かんできて作曲することはありますか。

久石:
全然ない。(笑)

ーそれでは、即興で作曲はなさらないのですね。

久石:
遊びではよくやります。でも自由な音楽ってありえないんだよね。例えば、ジャズは基本的にコード進行など色々な規制の中で遊ぶわけで、ただの自由ではない。人間の生き方もそうなんだけど、勝手に生きなさいって言われれば、民主主義でもなんでもないわけで、ルールをきちんと守るからこそ、その中でどうやって自由にするかっていうところがあるじゃない。インプロビゼーション(即興曲)っていうものは僕の考え方ではそういうとたえ方ですね。

 

 

ーでは、人生と岐路についてお聞きします。生きがいは何ですか?

久石:
音楽でしょう。それ以外考えたことないです。それぞれの年代のときにそれぞれの形で常に音楽と向かいあってきたからね。かけだしの頃は「いい仕事がしたい」と思っていましたし、少しいい仕事が出来るようになると今度は「自分にしか表現出来ない世界を造りたい。」いつもそう思いながらやってきたから、でも今になってもまだ表現していないことってあるから、ずっとそれがテーマになるだろうね。

ー音楽の道を選んだ訳を教えて下さい。もし作曲家にならなかったら何になりたかったのですか?

久石:
音楽を選んだのはさっき言ったように、三歳頃からもう決めていたから。ただ音楽と言っても、歌手になる道もあれば、演奏家になる道もあるし作曲家になる道もある。中学位のときに吹奏楽などの音楽関係のクラブをやっていて、演奏するよりはその演奏の大基をつくる方が自分には向いていた。再現してやるもの。これが弾けたという喜びを余り感じなかったからね。それで自分はものを造る方がいいと思いました。

ーその頃からご自分で作曲なさっていたのですか?

久石:
うん、知ってる曲があったとして、これをみんなでやりたいって時に、音とって、譜面かいて、それをみんなに配って演奏する訳だ。それで音が出たときの感動といったら。その喜びって、やっぱり今でもあって、オーケストラでかくとかね、レコーディングなどでかく時に、本当は譜面かくの嫌いなんだよね。なんだか学生が残されて宿題やっているようでさ。(笑)何でこんなことしなくちゃならないんだろうっていつも思いながら、もうこれで止めたいっていつも思うんですよ。けれどスタジオで何十人という人が集まって、一斉に音を出したりすると、毎回同じテンションで、同じ真剣さで感動していますからね。そういう意味ではこれが自分の天職だな、と思いますね。

ー久石さんに影響を与えた人物・出来事を教えて下さい。

久石:
精神的な影響を受けた人っていうのは、二十歳位のときにテリー・ライリーっていうミニマル系のアメリカの作曲家の作品を聞いて、それが自分に影響しているな、と思うことはありますね。

ーそれから作風が変わったということですか?

久石:
ええ、結局作風を変えるといっても「はい、これ。」って変わらないじゃない。だからその音楽に対して自分がなじんで、その世界と同じような、自分独自の世界を作るような努力、そこから始まった訳ね。それから十年位はかかるけど、少なくとも自分がミニマル系の作曲家に変わったという感じならある。

ー幼いころから周囲の環境も音楽に関係のあるものだったのですか?

久石:
なかったよ。父は高校の化学の教師だったし。ただみんな音楽は好きだった。映画も家族でしょっちゅう見たし、そういう環境であった訳だから、いろんな意味で言うと自分がどうしても求めたんだな、と思います。

ー音楽をやると決めたとき、親の反応はどうでしたか。

久石:
冷たかった。(笑)やっぱり世間並の反対はあったりしましたよ。だけど、そんなに凄い反対ではなかった。自分でやりたかったら、と最終的には。たぶんテレビに出る歌手になりたいとか言ったりしたら、大変だったろうと思うけど。(笑)音楽大学に行って、作曲科を受けたいっていうのは、そういう意味でいうと、それほど抵抗のあるものでもなかったようだね。

 

 

ー次にその他の事にいきたいと思います。今一番興味のあることは何ですか?

久石:
インターネット。どういうものなのか、それをどうやって仕事に役立てるのか、個人的に興味がありますね。

ー事務所ではもう使ってらっしゃるのですか?

久石:
ええ、今、「やろう!」と言ってる最中。

ーでは、音楽以外でこれからやりたい事って何かありますか。

久石:
しいてあげると、自分が監督する映画を作りたいかな。

ーそれは音楽ではなくて、映画を撮るほう、つまり監督さん、ということですか?

久石:
そうだね、それも含めてね。本当にいいものを作りたいからね。今日本の映画ひどいでしょう。映画を観にいくって言ったらみんな洋画でしょう。(一同納得)だからこの二年間映画を作るのを断ってきたんですよ。来年からまた復活しますけどね。自分がこれだ!と思う仕事をしたいと思います。

ー一緒に仕事をした人とその後の付き合いはありますか。

久石:
ある人はありますよ。

ーでは、その中で一番印象に残っている人は誰ですか。

久石:
去年キングクリムゾンっていうバンドがあったんですけど、最近また復活して、この間も日本公演があったんです。そのキングクリムゾンの中に、ビル・ブラッフォードっていうドラマーがいるんですけど、そのときの彼のドラミングのワーク力とか、いろんな意味でやっぱり本当に一世を風靡した人だと、そういうのがとても印象に残っています。「やるときはやるぞ!」ってがんばりますからね、それは凄く感動しました。

ー一緒に仕事をした人と飲みに行くなんてことは無いんですか。

久石:
多いですよ。最近でも甲斐よしひろさんとか、長いつきあいの人とはしばしばですよ。ある仕事の企画で一緒になって、結局仕事の内容によって別れが全然違うものになるので、大体はそのままになっちゃうんですけど。お互いに「連絡しなきゃね。」って言いながら「お久し振りですー。」っていうようなケースが多いよね、やっぱり。(笑)

 

ー最後に、青短生にメッセージをお願いします。

久石:
女子だけなんだよね。そうだなー、この不況はしばらく続きますけど(笑)大変だろうとは思いますが、要するに自分達が生きていくうえで、「仕事」というのが生活の延長での仕事ではなくて、「可能性を保つ場」というとらえかたで、それがどんなことであれ、「自分達の存在理由をみつけていく場」だというつもりで頑張って下さい。

 

お忙しい中のインタビューにもかかわらず、音楽について熱っぽく語ってくれた久石譲さん。楽しくお話する中で、久石さんの音楽に対する真剣な姿勢が感じられました。今年は映画音楽にも復活なさるということで、今後の活躍がとても楽しみです。また素敵な久石譲ワールドがくり広げられることでしょう。

(GAKUGEI 1996より)

 

 

Blog. 「ユリイカ2020年9月臨時増刊号 総特集=大林宣彦」久石譲 寄稿

Posted on 2020/09/20

書籍「ユリイカ2020年9月臨時増刊号 総特集=大林宣彦」に、久石譲の寄稿が収められました。

 

 

総特集●大林宣彦
大林監督へのオマージュ 久石譲

大林宣彦監督が亡くなられた。
最後にお会いしたのは二〇一八年五月一五日、高畑監督のお別れの会だった。ぼくが弔辞を述べていたとき、大林監督夫婦は参列者席から優しい眼差しで見守っていてくれた。癌と戦いながら作品を作り続けていることは知っていたが、実際にお会いして元気そうな様子にその時は安心した。そしてほぼ二年後、二〇二〇年四月一〇日肺がんのため自宅で死去された。享年八二歳は早過ぎる、と思ったのはぼくだけではないはずだ。沢山の優れた作品を世に送り出した巨匠たちが逝ってしまうことはとても、とても残念なことだ。

大林監督は映像自体で物語れる数少ない監督の一人だった。つまり多くの監督が脚本のセリフや状況を映像化するのに躍起になっている中で(その多くは脚本のページ枠から出きれていない)軽々と映像自体で表現することができた。それは大林監督自身で脚本を書いていることも多々あるのだがそれでも脚本では表現しきれていないことまで観客に訴えかけることができた。

二〇一二年『この空の花 長岡花火物語』では突然役者が観客に語りかけるシーンがあったが(一九八九年『北京的西瓜』でもラストに監督自身が観客に語りかけた)それでも観客は何の違和感もなく物語の世界に惹きつけられた。正に映画表現の本質を熟知した映像作家だと思っていた。

しかし一九九三年公開映画『はるか、ノスタルジィ』のときだったと思うが、究極の映画とは?ということを話題にしたことがあった。そこで監督は明快に仰った。

「字、活字だけの映像!」

映像を自由に操れる監督のこの言葉にぼくは驚いた。その後、何度もその言葉の意味を考えた。その結果ぼくの推論は「活字だけの映像」は一番イメージを膨らませることができ、観客が最も自由に想像できる究極の方法ということだった。もちろんそのような言葉一つで割り切れるほど単純なことでないことは承知している。ましてやこの時代のように全て映像が中心になり、物事は即物的に判断され言葉自体が軽くなった今だからこそ監督の仰る意味は深くて重い。

そこで作曲家であるぼくは究極の音楽とは何なのだろう?と考えた。音の鳴らない音楽? それならばジョン・ケージが一九五二年「4分33秒」という楽曲で作品にしている。ジョン・ケージは二〇世紀最大の作曲家の一人で音楽の在り方自体を思想的、哲学的に追求した実験音楽の第一人者であった。では二人の共通点は? ジョン・ケージ一九一二年、大林監督は一九三八年生まれで二回り近くも年が違う。だが直観的に何か共通のものが二人にはある。そう考えていくと「実験」と言う言葉が浮かんだ。それぞれの分野でアート、エンターテインメントの枠こそ違うが(それさえ意味ないが)新しい映像の在り方、新しい音楽の在り方を追求する実験的姿勢こそ二人の共通することであり、クリエイターとしてぼくが共感することだった。

大林監督のことを考えると、ぼくはこのようにクリエイティブになれる。だから大林監督はいつもぼくの内側で生きている。もちろんそういう話をもっと直接お目にかかってしたかった。いろいろ伺いたかった。そしてこれからもぼくは監督に問いかけ続ける。

大林監督、お疲れ様でした。
監督の最新作である『海辺の映画館 キネマの玉手箱』は正に「白鳥の歌」ですね。
楽しみにしています。

 

追記
「白鳥の歌」は人が亡くなる直前に人生で最高の作品を残すこと、またその作品を表す言葉である(Wikipediaより)。シューベルトの歌曲集としても有名だが、その「白鳥の歌」である『海辺の映画館 キネマの玉手箱』は新型コロナウイルスの感染拡大を受け公開延期になった。世界はより混沌として思わぬ方向に舵が切られた。

大林宣彦監督、我々はどこへ行くのですか? どう生きればいいのでしょうか?

 

2020年7月20日 久石譲

(ユリイカ2020年9月臨時増刊号 総特集=大林宣彦 より)

 

 

 

2020年5月には、哀悼の意を込めて「草の想い」(久石譲×麻衣)動画公開されました。

 

「草の想い」(1991) -Tribute to Director Nobuhiko Obayashi

from Joe Hisaishi Official YouTube

 

 

こちらでも、大林宣彦監督と久石譲の映画や他仕事のコラボレーションの数々を書籍内容ふくめご紹介しています。

 

 

 

Blog. 「VOGUE JAPAN 2020年9月号 No.253」久石譲×Cocomi 特別対談 内容紹介

Posted on 2020/08/25

雑誌「VOGUE JAPAN 2020年9月号 No.253」に久石譲とCocomiの特別対談が掲載されました。

 

 

VOGUE CHANGE PRESENTS PART.2

久石譲とCocomi──異世代が語る、「音楽が奏でる果てしない力」。

「物心ついた頃からジブリ音楽に触れ、久石さんの音楽は常に私の心にある」──作曲だけでなく、指揮や編曲も行う世界的音楽家・久石譲についてこう述べたのは、音楽家の卵でありファッションアイコンとしても皆を魅了するCocomiだ。ヴォーグ・ウェブサイトで連載中の「Cocomiが学ぶ」企画のスピンオフとして、今回、憧れのマエストロとの初対面が実現。音楽が与えるさまざまな力について語り合った。

 

ファッションアイコンとして天性のカリスマ性を見せつつ、フルート奏者としての顔も持つCocomi。そんな彼女が「最も会ってみたい方の一人」と対談を熱望していたのが、宮崎駿監督や北野武監督の映画音楽などで知られる作曲家・久石譲だ。世代は異なれど、ともに音楽に生きる二人が語る「音楽の力」とは──。

Cocomi:
私は、小さい頃からジブリの音楽に囲まれて育ったので、久石さんの音楽は常にともにあるものでした。実際、スマホのプレイリストの中には、何曲も久石さんの作品が入っています。とにかく、ずっとお会いしてみたかった憧れの方なので、今日はすごく緊張しています……。

久石:
Cocomiさんは、現在、音楽大学の1年生でフルートを専攻されているそうですね。僕は大学生くらいの方と話す機会があまりないので、今日は若い世代の音楽家たちが、音楽とどう向き合っているのかを聞かせてもらいたいです。Cocomiさんの場合、小さいときから音楽は身近だったと思いますが、始めたきっかけはなんでしたか?

Cocomi:
3歳のときにジブリ映画の『耳をすませば』を観て、登場人物の一人であるヴァイオリン職人を目指す男の子・天沢聖司さんに憧れてしまって。それがきっかけでヴァイオリンを始めました。

久石:
あ、最初はヴァイオリンをやってたんですね。実は僕も4歳から習ってたんです。

Cocomi:
え!そうなんですね。

久石:
でも、レッスンが全然好きじゃなくて、途中でやまちゃいましたけど(笑)。フルートに転向したのはなぜだったんですか?

Cocomi:
音楽教室に通っているとき、隣の部屋で年上のお姉さんがフルートを演奏しているのを見て、「きれいな楽器だな」と関心を抱いたのがきっかけです。その後、初めてフルートに触ったら、楽器自体がすごく手になじんで。「あぁ、これだ」って、しっくりきました。

久石:
「しっくりきた」という感覚はよくわかります。自分が「いいな」と思って選んだ楽器こそ、長く続けられるものだと思います。

 

中学時代から、作曲家以外の選択肢はなかった。

Cocomi:
久石さんは、作曲家になろうと思い始めたのはいつ頃だったんでしょうか?

久石:
中学生のときですね。

Cocomi:
かなり早い段階で、将来の道を決めていらしたんですね。

久石:
中学校のとき、ブラスバンドでトランペットを担当していたんです。自分で言うのもなんですが、結構演奏はうまくて(笑)。ただ、演奏も楽しいけど、知っている曲を毎晩譜面に書いて、ブラスバンド用にアレンジして、それを翌日みんなに演奏してもらうことのほうが、すごくうれしかった。それで作曲家になろうと思ったんです。

Cocomi:
中学生でそんなアレンジをしていたなんて、すごいですね……。

久石:
だから、作曲家以外の選択肢はなかったんです。中学時代まではクラシックがベースでしたが、高校時代からは、カールハインツ・シュトックハウゼンやピエール・ブーレーズ、ヤニス・クセナキス、日本人なら黛敏郎さんや武満徹さんといった前衛音楽ばかり聴くようになったんですね。それで、「現代音楽の作曲家になろう」と大学に進学したら、大学2年生のとき、知人の評論家の家で、初めてミニマル・ミュージックというものに出会ったんですよ。

Cocomi:
同じパターンの音を反復しながら、少しずつ変えていく現代音楽ですよね。アメリカ人のスティーブ・ライヒさんの楽曲などは、私も聴いたことがあります。

久石:
そうそう。僕が最初に聴いたのは、テリー・ライリーの「A Rainbow in Curved Air」という7拍子の曲だったんです。

Cocomi:
私も聴いたことがあります!

久石:
初めて聴いたとき、「こんな音楽があるのか」と、雷に打たれたようなショックを受けて。以降、20代はずっとミニマル・ミュージックの作曲をやっていました。

Cocomi:
その後、映画音楽の道へと進まれたのはなぜですか?

久石:
30歳のときに、「これ以上続けても、不毛だな」って思っちゃったんですよ。当時の現代音楽は理論と理屈にがんじがらめで、僕はそれがすごく嫌で。それで現代音楽とは決別し、エンターテインメントの世界に移りました。そして83年、僕が33歳のとき、宮崎駿さんから『風の谷のナウシカ』の映画音楽のお話をいただいたんですよ。

Cocomi:
ジブリ音楽などを多数手がける久石さんにとって、映画音楽とはどんな存在ですか? 私は、映画音楽のように、イメージや情景を描写するような物語性を感じる音楽が大好きなのですが。

久石:
映画のような物語につける音楽は、自分一人で作曲するのとは大きく違いますよね。一番の違いは、監督たちにインスパイアされ、化学反応が起きて、「自分一人だったら書かなかっただろう」と思うような曲が生まれる点。つまり、コラボレーションですよね。映画音楽は、自分の可能性を広げてくれました。

 

クラシック音楽は、古典だけど古典芸能じゃない。

Cocomi:
感覚的には、いろんな楽器で合奏するアンサンブルに近いのかもしれませんね。実は、私はアンサンブルで演奏するのが好きなんです。機会があれば、よく友達を誘って、いろんな楽器と合奏するようにしています。

久石:
それはいいことですね! アンサンブルで大切なのは、「人の音を聴く」ということだから。たとえば、同じ管楽器でも、音の出し方は違うから、何も考えずに一緒に音を出そうとすると、タイミングがどうしてもずれてしまう。合わせるためには、相手の音をしっかり聴いて、微調整を繰り返さないといけませんよね。そういう経験を重ねると、確実にご自身の音楽性が伸びていくと思いますよ。

Cocomi:
楽器によって、起きる反応が違うのがおもしろいです。個人的には、特にオーボエと一緒に合わせるのが楽しいですね。

久石:
ぜひ、オーボエとたくさん合奏してください! 僕自身もオーケストラの指揮をするとき、フルートとオーボエの呼吸がどのくらい合うかで、オーケストラの完成度が決まると感じているので。ちなみに、アンサンブルを演奏するならば、伝統を重視するドイツ音楽と、より自由度の高いフランス音楽と、どちらが好きですか?

Cocomi:
悩ましいですね。ドイツとフランスは、例えるなら盆栽と森のような違いがありますよね。一人ひとりの風がわかって、細かく微調整できる点では、私自身はフランスのほうが好きです。ただ、ドイツもかっこいいと思います。

久石:
「ドイツもかっこいい」って言えるのがかっこいいね(笑)。たしかにドイツは全体がカチッと決められていて、個々の表現というよりは、全体の中の一人として演奏する感じになりますからね。

Cocomi:
久石さんは、ドイツとフランスのどちらがお好きなんですか?

久石:
僕はどちらかというと、ドイツのほうが好きかな。少し変な言い方だけど、クラシック音楽は古典だけど、古典芸能ではないんです。古いものを型通りに続けるのが古典芸能だけど、クラシックの解釈は時代とともに変わる。たとえば、日本では「ブラームスは重い」と言われるけど、それは日本で昔から重々しい演奏をするからこそです。いま、僕がやっているのは、ベートーヴェンやブラームスを現代風に演奏すること。テンポが速いので「ロックのようだ」とも言われますが、誰かが新しいアプローチをしないと、クラシックは変わらない。だからこそ、より理論的に構築できるドイツのほうが好きなんです。

Cocomi:
私のように、まだまだ未熟な「音楽家の卵の卵」のような人間が言うのもおこがましいのですが、ときにスランプに陥ることもあります。久石さんは壁にぶつかったとき、どう対処されていますか?

久石:
作曲って、精神衛生上よい仕事ではないんですよ。「最低だ」と落ち込む日もあれば、「今日は調子がいいな」という日もある。毎日、その繰り返しなんです。

Cocomi:
久石さんのような方でも、そんなことが起こるんですね。

久石:
しかもそれが一日の中で何度も起きることがあるんです。先日も、今年9月にフランスのパリとストラスブールでやる予定だったシンフォニーに取り掛かっていたんです。4楽章中3楽章までは順調だったのが、途中から何一つ音符が浮かんでこなくなってしまって。そうすると、できない言い訳を探すんです。「書けないのはコンサートがパンデミックのために延期になったせいだ」とかね。

Cocomi:
私もまったく同じです。気持ちが乗らないときは、ついできない理由を探してしまいます。

久石:
結局、それが一番の問題なんですよね。その気持ちと戦って、自分をうまくなだめていかないといけない。多分、これを繰り返すことが苦しくなったときが、僕が作曲をやめるときだと思っています。しかも、この悩みって、実は僕が大学生の頃から変わってないんですよ。約50年間同じことを繰り返し、全然進歩していないんです(笑)。

Cocomi:
大学生の頃から……。まさに私も練習しなきゃいけないのに、「あ! 今日一回もやってないから、ゲームやろう」と逃避してしまいます。

久石:
すごくわかる! 僕も「一本くらい海外ドラマを観ようかな」と逃避してしまいます(笑)。

Cocomi:
何をご覧になるんですか?

久石:
いろいろ観ますよ。最近は『ウォーキング・デッド』をシーズン1からシーズン10まで、一気観しました。映像は昔から好きだから、映画もテレビもよく観ますね。Cocomiさんはゲームをやるんでしたっけ?

Cocomi:
私はアニメも大好きデスネ。ジブリ作品はもちろん、最近話題nなっていた『鬼滅の刃』まで、割とジャンルは幅広いです。

久石:
自分の専門外でも、いろいろなものに触れたほうがいいですよ。僕も作曲は毎日続けていますが、いつも「何かもう一個、別のことをやれないか」と思っているんです。だから、指揮者をやったり、映画の監督をやったりしている。メインの作曲ともう一つ何か別のことを一緒にやることで、自分のバランスを保っているんです。

Cocomi:
たしかにそうですね。「もう何もしたくない」とスランプに陥った後、放心状態になって、普段は自分が聴かないような音楽を聴いたり、音楽以外のコンテンツに触れたりして、いろいろとイメージを取り入れると、自然にモチベーションが回復していくことも多いです。

久石:
Cocomiさんもフルート吹きながら、もう一つ別のことをやってみてもいいかもしれませんね。あるいは、今日お話をしてみて、しっかりした方だという印象を受けたので、海外に行かれてみてはどうでしょうか?

Cocomi:
短期で学びに行ったことはあるのですが、まだ外国の演奏家の方と一緒に演奏をしたことはないんです。

久石:
音楽は世界言語だから、海外に行くのは客観的に日本を見るいいチャンスかもしれません。実はこの数年間、僕のコンサートの半数以上は海外公演です。外国人と一緒にやると思い通りにいかないことも多いんですが、日本でやるのとは違ったものが得られる。その経験が、自分の音楽のスケールを大きくしてくれると感じます。

 

対談の終盤、「もし、ご迷惑でなければ……」とCocomiが取り出したのは、愛用のフルートと、自身で手書きした久石譲の楽曲「Princess Mononoke」の譜面。「ご本人を前に演奏するなんて、震えてしまいます」と言いながらも、ひとたび彼女がフルートを構えると空気は一変。次の瞬間、スタジオ内に凛とした旋律が響き渡り、誰もがその音色に聴き入った。

演奏直後、真剣な眼差しで拍手をしながら、久石はこう呟いた。「すばらしい。僕はね、演奏家に会うと、毎回『何を一番大切にしていますか?』と必ず聞くんです。そうすると、みんな『自分の音』と答える。今日の演奏も、ご自分の音をすごく大切にしているのが伝わってくる、しっかりした良い音でした。今日は楽しかったです。いつか一緒に演奏しましょう」

その言葉を聞いた瞬間、無言のまま目もとを手で押さえたCocomi。憧れ続けた人物からかけられた一言に、彼女が何を思ったか。頬をつたう涙がすべてを物語っていた──。日本を代表する音楽家と若き才能の奇跡のコラボを私たちが目にする日が、いまから待ち遠しい。

 

TALKING MUSIC

自分の専門外でも、いろいろなものに触れたほうがいい。僕は、作曲ともう一つ別のことを常にやることで、バランスを保っているんです。
Joe Hisaishi

アンサンブルで演奏するのが好き。楽器によって、起きる反応が違うのがおもしろいんです。
Cocomi

(VOGUE JAPAN 2020年9月号 No.253より)

 

 

from 公式サイト:VOGUE JAPAN|9月号
https://www.vogue.co.jp/magazine/2020-9

 

from 撮影チーム公式SNS

 

 

 

Blog. 「久石譲、ベートーヴェンを振る!」コンサート プログラム 紹介

Posted on 2020/08/06

毎年夏開催「フェスタサマーミューザ KAWASAKI 2020」に久石譲が登場しました。「新日本フィルハーモニー交響楽団 ベートーヴェン生誕250年記念 久石譲、ベートーヴェンを振る!」公演です。

開催も危ぶまれるほどの状況下、座席数を制限してのホール鑑賞とインターネット有料映像配信によるハイブリッド開催という新しい試みです。コンサートに足運ぶことを待ち望んだ観客は、拍手喝采にわき、オンライン鑑賞は当日のライブ配信から一定期間アーカイブ配信視聴まで楽しめるという、新しいかたちです。

 

 

新日本フィルハーモニー交響楽団
ベートーヴェン生誕250年
久石譲、ベートーヴェンを振る!

[公演期間]  
2020/08/04

[公演回数]
1公演
ミューザ川崎シンフォニーホール

[編成]
指揮:久石譲
ヴァイオリン:豊嶋泰嗣(ソロ・コンサートマスター) *
コンサートマスター:崔文洙(ソロ・コンサートマスター)
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団

[曲目]
久石譲:Encounter for String Orchestra
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61 *
(カデンツァ:ベートーヴェン/久石譲)

—-intermission—-

ベートーヴェン:交響曲 第7番 イ長調 作品92

[参考作品]

久石譲 千と千尋の神隠し 組曲 

 

 

当日会場でも配布された「プログラム・曲目解説」はPDFで閲覧・ダウンロードできます。

公式サイト:フェスタ サマーミューザKAWASAKI 2020|新日本フィルハーモニー交響楽団
https://www.kawasaki-sym-hall.jp/festa/calendar/detail.php?id=2702

 

 

「Encounter for String Orchestra」は、だまし絵で知られる版画家M.C.エッシャーの同名の作品に触発された楽曲。リズムは変拍子のアフタービートで刻まれ、ミニマル・ミュージックを原点に持つ久石ならではのもの。ピアノと弦楽四重奏のための作品を弦楽オーケストラのために自ら編曲。ミニマル・ミュージックと、弦楽オーケストラならではの抒情的感性とが絡み合い、それぞれの特性が浮かび上がる。

「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調」 今回、演奏されるヴァイオリン協奏曲のカデンツァは、そのピアノ協奏曲に編曲する際にベートーヴェン自身が作ったカデンツァをもとに久石譲が再構築したものだ。編曲者によって途中がカットされている版がほとんどだが、久石はそれをせずにベートーヴェンのオリジナルと同じ長さに仕上げた。まさに世界で唯一の完全版で、今回の演奏会が初のお披露目になる。

(プログラムより 一部抜粋)

 

 

 

アーカイブ動画は、《公演を1000円で、8月31日まで、たっぷり3時間、いつでも何度でも、ゆっくり視聴OK》となっています。

内容
久石譲インタビュー
室内楽コンサート
公演
首席ファゴット奏者 河村幹子インタビュー
テレワーク動画「さんぽ」

 

これからますますふえていく、コンサート動画配信、いち早く楽しんでみてください。

公式サイト:TIGET|新日本フィルハーモニー交響楽団 久石譲
https://tiget.net/tours/summermuza20200804

 

 

ここからは映像配信の内容をベースとしながら、ご紹介します。

 

指揮者 久石譲インタビュー (約7分)

外出が出来ない時期は何をされていましたか?

久石:
「この5ヶ月間、僕がやっていたのは、ほとんどほんとに家にいたんですけれども、週3回オンラインで英語のレッスンを受け、それから新しいシンフォニーを書く、それからちょっとエンターテインメントのお仕事とか、ほとんどもう作曲に集中して、できるだけ規則正しい生活を、ミニマルの生活と言いますか、それをずっと一生懸命やっていました。」

 

演奏曲目について
見どころ聴きどころ

久石:
「今回演奏するのは、1曲目に僕の「Encounter」というストリング・オーケストラの曲、これが約7分ちょっとでしょうかね、とてもリズム難しいんですけれども、その現代曲をやって。」

「それからベートーヴェンのヴァイオリン・コンチェルト(協奏曲)をやります。このコンチェルトに関しては、ソリストの豊嶋(泰嗣)さんから依頼があって、カデンツァを僕が全部作りました。ただこの場合、新しいフレーズを自分が書くにはちょっとおこがましいので。ベートーヴェン自身がヴァイオリン・コンチェルトをピアノ・コンチェルトに直しました。そのとき初めて本人がカデンツァを書いたんですね。ヴァイオリン・コンチェルトのときは書いてないんですが、ピアノコンチェルトに直したときにカデンツァを書いたんです、かなり長大なカデンツァ。これをベースに作った。それで、普通はピアノ・コンチェルトなので途中いろんなところをカットされるんですが、僕はもう今回はベートーヴェンが書いたとおりのものを、(ソリストと)もうひとりヴァイオリンとチェロとティンパニ、こういうかたちで、いわゆる完璧バージョンとして作り直しました。それから、豊嶋さん自体がですね、15万円ぐらいするのかなあ、なんかわからないけど、自筆のベートーヴェン譜を昔買って、それを徹底的に調べて、通常やってるフレーズとは随分違うフレーズでやってるんで、今回はとてもその、何度も聴いてるかもしれませんけれども、随分違ったベートーヴェンのヴァイオリン・コンチェルトになると思います。これはもうほんとに今回初めて聴ける、ほんとのオリジナル完全バージョンということになると思います。」

 

9月1日から新日本フィルハーモニー交響楽団のComposer in residence and Music Partnerに就任

久石:
「今までワールド・ドリーム・オーケストラという、僕と新日本フィルのプロジェクトとして音楽監督やってたんですけれども、今回のコンポーザー・イン・レジデンスになりますと、このオーケストラのために現代曲として作品としてきちんと作曲をし、それからミュージック・パートナーとしても、どちらかというと今度は演奏する側に自分もまわって、きちんと一緒に音楽を作っていく。なにかいろいろなことがあったら相談にのるし、できるだけ一緒にこういう方向に進もうよということを積極的にクラシックの分野でも一緒にやっていこうということになるわけですね。ですから、とても光栄ですし、逆に大変緊張もしています。」

「あと、わりと海外からも委嘱がすごく多いんです。ですから、やはりもともとミニマルをベースにした作曲家だったわけなので、それをこれからは真剣にやりたい。そして、いろいろこうやって新日本フィルさんともその新作を一緒に演っていきたい、そういうふうに思っています。」

 

久石譲さんにとって新日本フィルは○○なオーケストラ?

久石:
「オーケストラというものを一から教えてもらったのが新日本フィルなんですね。たとえば、リハーサルのやりかた、それからオーケストラの人たちが何を大切にしているか、というのをかれこれ30年一緒に仕事をしています。それで、折に触れそういうことを教わってきて、自分が今オーケストラの曲を書いたり、オーケストラを指揮する、それはすべて新日本フィルから教わったことなんですね。だから僕にとっては、ここはほんとにホームグラウンドなんですね。ホームグラウンドで、しかもとても品のある上品な心に訴えてくるサウンドといいますか音と、それからワールド・ドリーム・オーケストラなんかで、僕のミニマル・ミュージックとか随分演ってますので、とても現代性も持っている。そういう長所を、それともちろん、小澤(征爾)さんたちがずっと培ってきたクラシックの非常に伝統的な、その両方をこなせるすごくいいオーケストラなので、恩返しもふくめて、そういう長所を伸ばして一緒にやっていく、そういうオーケストラを目指したいと思っています。」

 

配信をご覧になっている皆さまへ
メッセージをお願いします

久石:
「こういう非常に厳しい状況ですが、我々音楽をやっている人間は、やっぱり音を出す、それがやっぱり命です。今回、新日本フィルハーモニー交響楽団の皆さんも、みんなほんとに燃えてます。ぜひその一生懸命やっているひたむきな演奏を楽しんでください。」

(動画より書き起こし)

 

 

室内楽コンサート

ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲 第8番

【出演】
ヴァイオリン:崔文洙、ビルマン聡平
ヴィオラ:篠﨑友美
チェロ:植木昭雄

 

本演前の室内楽コンサートといえば、ふつうはロビーコンサートやウェルカムコンサートなどのような、軽い装いのプログラムと雰囲気をイメージしますが、ステージでの演奏は張り詰めた緊張感がひしひし伝わる迫真の演奏でした。この作品は、”反ファシズムと第2次大戦で亡くなられた方々への哀歌として作曲されたもので、コロナ禍の犠牲になられた方々へ捧げられました。”と紹介されています。コンサートマスターが演奏に入っていることからも、その本気度・本格度が伝わってきます。

 

from ミューザ川崎シンフォニーホール 公式ツイッター
@summer_muza

 

 

プログラム
久石譲:Encounter for String Orchestra
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61 *
(カデンツァ:ベートーヴェン/久石譲)

—-intermission—-

ベートーヴェン:交響曲 第7番 イ長調 作品92

 

コンサート動画配信は、多数のカメラアングルと、臨場感のあるサウンドです。ライブ配信時の映像と音響をそのままアーカイブ配信していますが、編集や修正の必要のないくらい素晴らしいライブ・クオリティです。

「Backstage Special View」、舞台袖に設置されたカメラで、舞台袖から登場する指揮者や奏者、カーテンコールで出たり入ったりする指揮者やソリストの様子まで。普段のホール客席からは見ることのできない貴重な機会と、本企画ならではの楽しみ方に感謝です。

新日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターが二人も同じステージに上がる公演、なかなかない贅沢さだと思います。弦編成は12~10~8~6~6の対向配置と、一般的な弦12型よりも低弦が厚くなっていて(これは久石譲の編成特徴)、ダイナミックなサウンドです。ティンパニは、「ヴァイオリン協奏曲」と「交響曲 第7番」とで使用している種類が違います。(久石譲FOCは本公演「交響曲 第7番」で使用している種類と同じで、また木の撥を使うのも同じじゃないかなと思います。乾いた跳ねるような音質が特徴的です。)オーボエはベテランの方でしょうか、オーケストラのチューニング時はオーボエのラ音に合わせるのですが、そのときに音叉を耳に当てていらっしゃるのが印象的です。また演奏中、オーボエのふとしたフレーズで指揮者久石譲やソリスト豊嶋泰嗣の表情が一瞬ゆるんだり、空気がそこでふわっと変わったり明るくなったり、ちょっとペースを整えたりと。そんな見えない安定感や信頼感といったものが伝わってきました。長年一緒にやっている大御所の方でしょうか。

このように、見れば見るほど、聴けば聴くほどに、新しい発見やおもしろさがありそうです。動画配信ならではの楽しみ方です。

 

お客さんの数は、いつもより少ないはずなのに。カーテンコール、鳴りやまない拍手喝采に、着替えかけのTシャツ姿の久石譲が再登場。豊嶋泰嗣さん、崔文洙さん、コンサートマスターお二人も現れ、客席へ応えている笑顔は、このコンサートの成功を映しているようでした。

 

公演風景の写真を2枚お借りしました。(計4枚中)

from ミューザ川崎シンフォニーホール 公式ツイッター
@summer_muza
https://twitter.com/summer_muza/status/1290596877428088832

 

 

また主催者オフィシャルブログでも公演の様子と観客感想が紹介されています。ぜひご覧ください。

公式サイト:ミューザ川崎シンフォニーホール|オフィシャルブログ|8/5日 第11号
https://www.kawasaki-sym-hall.jp/blog/?p=13230

 

 

まだ間に合う!

アーカイブ動画は、《公演を1000円で、8月31日まで、たっぷり3時間、いつでも何度でも、ゆっくり視聴OK》となっています。

 

内容
久石譲インタビュー
室内楽コンサート
公演
首席ファゴット奏者 河村幹子インタビュー
テレワーク動画「さんぽ」

公式サイト:TIGET|新日本フィルハーモニー交響楽団 久石譲
https://tiget.net/tours/summermuza20200804

 

 

Blog. 「レコード芸術 2020年8月号」ブラームス:交響曲第1番 久石譲 FOC 最新盤レヴュー・評

Posted on 2020/07/27

クラシック音楽雑誌「レコード芸術 2020年8月号 Vol.69 No.839」、先取り!最新盤レヴュー コーナーに『ブラームス:交響曲第1番/久石譲指揮 フューチャー・オーケストラ・クラシックス』が掲載されました。

ここで紹介されるものは、次月号「新譜月報」に登場するディスクから要チェックアイテムを先行紹介するもの、来月号にも期待です。

 

 

先取り!最新盤レヴュー

一騎当千の手練たちがバンドのように燃焼する

久石譲とフューチャー・オーケストラ・クラシックスのブラームス:交響曲第1番が登場

 

ベートーヴェンをきっかけに風向きは変わり始めた

久石譲は、宮崎駿監督のアニメなど映画音楽の作曲家として名高いが、近年はクラシック音楽の指揮者としても活躍している。

国立音楽大学作曲科の学生時代に影響を受けたミニマル・ミュージックの紹介と、自作の新作初演にも力を入れているが、それと並行して、19世紀の交響曲の指揮でも着実に経験を重ねて、成果をあげつつある。

10年ほど前、東京フィルや新日本フィルを指揮した演奏会やそのライヴ録音のCDが出はじめたころは、博物館行きではない、生き生きとした音楽を聴かせたいという思い自体はよくわかったものの、楽員たちとの意思疎通にもどかしさが残り、十分な結果につながらないうらみがあった。

しかし、評価は変わりつつある。転機となったのは、2016年に開館した長野市芸術館の芸術監督として、新たに結成したナガノ・チェンバー・オーケストラ(CDではフューチャー・オーケストラ・クラシックスと改称)を18年まで毎年夏に指揮して、ライヴ録音によるベートーヴェンの交響曲全集を完成させたことだ。

本格派を自負するようなクラシック好きはどうしても、その活動を「アニメで儲けた作曲家の余技」と、よく聴きもしないうちに軽侮しがちだが、それだけで片づけてしまうにはもったいない演奏を、このベートーヴェンでは聴くことができた。

現在は、ベートーヴェンの交響曲はヨーロッパを中心に、第1ヴァイオリン12人以下の編成で演奏するものが主流となっている。久石もその傾向に則り、室内オーケストラのサイズで、快速で弾力に富んだ演奏を展開していた。

 

一気呵成に進行するダイナミックな音楽

今回のブラームスの交響曲第1番も、同様の方式によっている。弦楽器は10~10~8~6~5という編成で、ヴァイオリンは舞台の左右に分かれる対向配置。チェロとコントラバスは第1ヴァイオリンの後ろにいる。

ヴィブラートは少なめに、音の減衰を早めにして弾ませ、第1楽章の序奏から速いテンポで、音楽を一気呵成に進行させる。チェロとコントラバス、打楽器とハープ以外の全員が立奏しているのも、音楽のダイナミックな動きにつながっている。

現代のブラームス演奏は、前期と後期のロマン派様式の境目に位置して、どちらもさかんなだけでなく、双方に利点と説得力がある。久石の演奏はもちろん前者だ。

ナガノ・チェンバー・オーケストラから新たに東京を活動の中心に移し、フューチャー・オーケストラ・クラシックスと名を変えたアンサンブルには、国内の交響楽団の首席奏者など俊英がつどって、まことにイキがいい。久石の指揮のもと、思いきりやってやろうという意欲が伝わってくる。

顔の見えない巨大集団ではなく、個性を持った演奏家たちがバンドのように合奏する。近年のヨーロッパのありかたが、ようやく日本にも伝わってきているようで、嬉しい。コンサートマスターの近藤薫、ホルンの福川伸陽などのソロの鮮やかさも際だっている。

来年7月までにブラームスの残りの交響曲を演奏する計画は、コロナ禍のために中止となってしまったが、再起と実現を待ちたい。

山崎浩太郎

(レコード芸術 2020年8月号 Vol.69 No.839 より)

 

 

 

 

 

Blog. 「レコード芸術 2020年4月号」ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」 久石譲 東響 特選盤・評

Posted on 2020/03/23

クラシック音楽雑誌「レコード芸術 2020年4月号 Vol.69 No.835」、新譜月報コーナーに『ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」/久石譲指揮、東京交響楽団』が掲載されました。特選盤、おめでとうございます!「モーストリー・クラシック」「ぶらあぼ」の評もまとめてご紹介します。

 

 

新譜月評

THE RECORD GEIJUTSU 特選盤
ストラヴィンスキー:バレエ《春の祭典》
久石譲指揮 東京交響楽団

 

推薦 藤田由之
久石譲が、2019年6月3日と4日にサントリーホールにおいて、東京交響楽団を指揮してストラヴィンスキーのバレエ音楽の一つの頂点ともいえる《春の祭典》をライヴで収録した。古い話で恐縮だが、1950年代から日本のプロのオーケストラ界とも関わってきた私は時代が変わったように実感している。

作曲家としての久石のキャリアからみれば《春の祭典》にしても、スコアを細部まで見て、とくに管楽器のバランスなどについても熟知しているような音楽家の一人であると考えているので、それだけの要求もできるし、オーケストラのメンバーも、限られた時間の中でも、ほとんどすべての指示に対応できるような水準にあるはずなので、久石としては予期した成果が得られたといってもよかったにちがいない。

近年のオーケストラやアンサンブルは、日本でも弦楽器群のすべてが充実してきているのは事実であるが、管楽器奏者もかなり水準を高めている。木管楽器の奏者ばかりでなく近年は金管楽器についても人材が増えてきているのは、吹奏楽の世界の充実と無関係ではないし、オーケストラのレパートリーにも、数多くの金管奏者が求められることがある。

そういえば、《春の祭典》では5管ずつの木管と、8本のホルン、トランペット5、トロンボーン3、テューバ2が記されているし。それにティンパニ2、打楽器群も加わる。

 

推薦 増田良介
クラシック音楽の指揮者としての活動をますます充実させる久石譲だが、この《春の祭典》もすばらしい。昨年6月のライヴ録音とのことだが、どうやら関係者のみを対象とした演奏会だったようなので、こうして一般発売されたことはありがたい。近年、優れた録音が相次いで登場した《春の祭典》だが、当盤はそれらにまったく劣っていないし、それらとは異なる魅力もちゃんとある。とはいえ、これは決して奇抜な解釈ではない。久石の目指したのは、作曲家の書いたリズムを正確に打ち出したり、複雑なからみあいの中でも必要な音が聞こえるようにバランスを整えたりすることで、《春の祭典》という作品の内包するいろいろな力を、余すところなく解放するということだったように思える。言葉にすればあたりまえに聞こえるかもしれない。しかし、連打される和音の圧倒的な迫力や、多数の楽器が咆哮する場面の鮮烈な色彩感などが、東京交響楽団の演奏能力を得て高い水準で実現されることで、この演奏は、どの細部を取っても「こういう《ハルサイ》が聴きたかった!」と思わせる演奏となっている。王道の、しかし非凡な《春の祭典》だ。ひとつ不満を言うなら、1枚に《春の祭典》1曲だけというのはもったいない。せっかくなら、普段あまりクラシックを聴かない、しかし久石譲の名前に惹かれて手に取った人が、なにか別の新しい世界に出会えるような曲をもう1曲入れてくれていたらさらに良かっただろう。

 

[録音評] 山ノ内正
すべての楽器が鮮明に聴こえてくるが、なかでも木管楽器の力強さと勢いが際立ち、エネルギーに満ちている。密度の高い音で各パートがぶつかるわりには全体の見通しは良好で、ソロ楽器の動きが埋もれてしまうことはない。パーカッションのエネルギーも強靭で衝撃が強いが、余分な音を残さないので連打でもリズムが緩まず、強い推進力を発揮する。残響は極端に長くはないが、特にSACDで聴くと空気の密度の高さが伝わり、トゥッティで大量の空気が瞬時に動くダイナミックな空気感を体感できる。

(「レコード芸術 2020年4月号 Vol.69 No.835」より)

 

 

その他、いくつかの媒体からもまとめてご紹介します。

 

エンターテインメント性を発揮し、耳当たりのよい演奏を実現

現代音楽の作曲家として出発した後、数々の映画音楽で才能を遺憾なく発揮した久石譲だが、近年は指揮者として目覚ましい活躍を行い、「ベートーヴェン交響曲全集」はきわめて高い評価を得ている。この「春の祭典」も好調を強く印象付けるもの。精緻なアンサンブルは長年、指揮にかかわってきた人を超える印象がある。そして、よい意味でのエンターテインメント性を発揮し、きわめて耳当たりのよい演奏を実現。東京交響楽団の充実も光る。

(「モーストリー・クラシック 2020年5月号 vol.276」より)

 

 “ロックのような”ベートーヴェンの交響曲全集が好評を博している久石譲の東響との初録音。これもあらゆるフレーズが生命力を放ちながら躍動する快演だ。まずは既成概念に囚われずに構築された音のバランスが実に新鮮。ベートーヴェン同様にリズムの明確さも耳を奪い、中でも遅い場面における各リズムの明示が清新な感触をもたらしている。全体に速めのテンポでキビキビと運ばれ、特に快速部分はスピード感抜群だが、その中に流れるフレーズのしなやかさも見逃せない。東響もこまやかな好演。音楽的感興と生理的快感を併せ持つ新たな「春の祭典」の登場だ。

(「ぶらあぼ2020年4月号」より)

 

 

 

 

 

Blog. 読売新聞夕刊 3月5日付 「久石譲 未来形ブラームス」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2020/03/05

読売新聞夕刊(3月5日付)に掲載された久石譲インタビュー内容です。

 

 

久石譲 未来形ブラームス

リズム重視で新しい可能性

作曲家の久石譲が、クラシックの名曲を新たな解釈で指揮する演奏に力を入れている。明瞭なリズム表現とスピード感で、ロックのようにベートーヴェンの交響曲を聴かせたのに続き、ブラームスに取り組み始めた。手応えを聴いた。

(清岡央)

 

冒頭、ティンパニの渾身の打撃と超高速のテンポに度肝を抜かれた。先月13日、東京オペラシティコンサートホール。久石の呼びかけで国内の若手実力派が集まったフューチャー・オーケストラ・クラシックスが繰り出したブラームス「交響曲第1番」は、重厚な始まりに慣れた耳に、あまりに刺激的だった。

「奇をてらったわけではない。ブラームスは今、いかにもドイツ風に重々しく演奏されるが、楽譜には『ウン・ポーコ・ソステヌート』、つまり(音の長さを保つ)テヌート気味に演奏する、としか書いていない。しかも初演は40人で演奏したとか。重々しいブラームスをやったわけがない。書かれたことをきっちり表現し、まだクラシックにこんな可能性がある、と提示できれば」。作曲家の意図の再現と斬新な解釈は決して矛盾しない、というわけだ。

腕利きの奏者たちに歌心は解放させんがらも、ビブラートはリハーサル2日目に「なし」と決めた。「ビブラートはいかにも豊かには聞こえるが、雑音も増すし、音が遠くまで飛ばなくなる。古楽器の奏法をまねしたわけではなく、リズムにベースを置いて、スピード感を大事にするやり方に合わないからやめた」と説く。

リズム重視には理由がある。作曲家として力を入れてきた「ミニマル音楽」では、最小限の音型を繰り返す中、精緻にフレーズの拍をずらすのも重要な手法。リズムの正確さが不可欠だ。一方、オーケストラの楽器はそれぞれ音の出し方が異なり、全員が音の入りや動きを合わせるのは本来難しい。「合わせるところは世界で一番きっちり合わせ、歌うところは歌う。使い分けられるようになれば、オケの表現力はすごく広くなる」

前身のナガノ・チェンバー・オーケストラで取り組んできたベートーヴェンの交響曲全曲演奏は「ロックなベートーヴェン」と話題になった。新たな目標をブラームスの交響曲4曲に定め、来年7月までかけて演奏する。ブラームスの前には、自身の作品など現代曲をプログラムに入れる。「前半で現代曲を指揮した感覚が後半の古典に生かされた演奏会ってないんです。ないなら自分でやるしかない、と。聴いた人が『現代的な聴いたことないブラームスを聴いちゃった』と満足して帰ってくれるように」。曲作りも、指揮も、聴衆の満足が最優先のようだ。

  ◇

今後の演奏会は、7月11日(長野・軽井沢大賀ホール)と13日(東京・紀尾井ホール)で第2番、来年2月4、5日(同)で第3番、7月8日(東京オペラシティコンサートホール)、10日(軽井沢大賀ホール)で第4番を予定。

 

[掲載写真下コメント]
「ブラームスが迷いながら作った交響曲第1番の第1楽章は絶えず不安定。それを本番で振っていて、最も『今的』と思った。世界がこんなに混沌としているじゃないですか」

 

(読売新聞夕刊 3月5日付 より)

 

 

 

Blog. 「久石譲 フューチャー・オーケストラ・クラシックス Vol.2」 コンサート・レポート

Posted on 2020/02/18

久石譲のコンサート新シリーズ「久石譲 フューチャー・オーケストラ・クラシックス(FOC)」第2弾が開催されました。2016年からベートーヴェン全交響曲に3年がかりで取り組み、今回からはブラームス全交響曲に取り組んでいくシリーズ。

本公演は、久石譲コンサートとして初の試みになる生中継動画が配信されたり、先行CD販売(限定50名サイン会参加券付き)など、話題の多いコンサートとなりました。

 

 

 

久石譲 フューチャー・オーケストラ・クラシックス Vol.2

[公演期間]  
2020/02/13

[公演回数]
1公演
東京・東京オペラシティ コンサートホール

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:Future Orchestra Classics
コンサートマスター:近藤薫

[曲目] 
アルヴォ・ペルト:フェスティーナ・レンテ ~弦楽合奏とハープのための
久石譲:The Border 〜Concerto for 3 Horns and Orchestra〜 *世界初演
I. Crossing Lines
II. The Scaling
III. The Circles

—-intermission—-

ブラームス:交響曲 第1番 ハ短調 作品68

—-encore—-
ブラームス:ハンガリー舞曲 第4番 嬰ハ短調

 

 

まずは会場で配られたコンサート・パンフレットからご紹介します。

 

 

”Future Orchestra Classics(FOC)”の第2回目にあたる今回からブラームス・チクルスに取り組みます。前回にチャレンジしたベートーヴェン交響曲全集がレコード・アカデミーで賞をいただき、また多くの人たちから賛辞を得たことで次のステップに行きます。FOCは現代の音楽とクラシック音楽を現代の視点で演奏していくオーケストラです。未来に向けた新しい音楽のあり方が少しでも表現できたら、そしてそれを楽しんでいただけたら幸いです。

2020年2月13日 久石譲

 

 

曲目解説

アルヴォ・ペルト:フェスティーナ・レンテ ~弦楽合奏とハープのための
Arvo Pärt:Festina lente for string orchestra and harp

1986年作曲の「フェスティーナ・レンテ」は、ローマ帝国の創始者である初代皇帝アウグストゥスも使った矛盾語法の「ゆっくり急げ」から着想したものである。このタイトルは構成だけでなく形式についても暗示している。作品は第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリン、ヴィオラ、そしてチェロとコントラバスの3つのグループからなるカノン様式で構成され、メロディは全員同時にしかし3つの異なるテンポで演奏される。最も速いメロディは7回繰り返され、短いコーダを経て音楽は静寂の中へと消えていく。

1986年11月17日、パリでリチャード・バーナス指揮/ミュージック・プロジェクツ・ロンドン・オーケストラで初演。その後、数回の修正を経て、最終版はデニス・ラッセル・デイヴィス指揮/ボン・ベートーヴェン交響楽団でECMからリリースされたアルバム「Miserere」に収録された。

Arvo Pärt Center 作品紹介より(抜粋)

 

久石譲:The Border ~Concerto for 3 Horns and Orchestra~ *世界初演
Joe Hisaishi:The Border ~Concerto for 3 Horns and Orchestra~ *World Premiere
I. Crossing Lines
II. The Scaling
III. The Circles

3本のホルンと2管編成のオーケストラの協奏曲です。きっかけは4年前にホルン奏者の福川さんから依頼されたことです。去年の2月から構想を練っていたので1年がかりの作品になります。全3楽章、約24分かかる作品になりまいた。

”I. Crossing Lines”は16分音符の3、5、7、11、13音毎にアクセントがあるリズムをベースに構成しました。つまり支配しているのはすべてリズムです。その構造が見えやすいように音の構造はシンプルなScale(音階)にしています。

”II. The Scaling”はG#-A-B-C#-D-E-F#の7音からなる音階が基本モチーフです。ここではホルンの持つ表現力、可能性を引き出しつつ、論理的な構造を維持するよう努めました。

”III. The Circles”はロンド形式に近い構造でできています。Tuttiの部分とホルンとの掛け合いが変化しながら楽曲はクライマックスを迎えます。以前に書いた「エレクトリック・ヴァイオリンと室内オーケストラのための室内交響曲」の第3楽章をベースに今回再構成しました。ホルンとオーケストラによってまるで別の作品になりました。

久石譲

 

ヨハネス・ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 Op.68
Johannes Brahms:Symphony No.1 C minor, Op.68
第1楽章 Un poco sostenuto-Allegro
第2楽章 Andante sostenuto
第3楽章 Un poco allegreto e grazioso
第4楽章 Adagio ー più Andante ー Allegro non troppon, ma con brio

19世紀後半のドイツで活動したヨハネス・ブラームス(1983-97)はロマン派時代における保守的な古典主義者と見なされることが多い。確かに彼は伝統を尊重した作曲家だった。それだけに伝統ジャンルの中でも特に高度な構築性を持つ交響曲という曲種を手掛けることは、彼にとって重い意味を持っていた。初めて交響曲の作曲を思い立ったのはまだ若き日の1855年頃、自分を世に紹介してくれたシューマンが自殺未遂を図った前後のことで、交響曲の構想を始めていることを精神病院に入院したシューマンに手紙で報告している。しかし交響曲という曲種がとりわけ重要だと思うだけに、筆は遅々として進まない。特に彼は尊敬する先人ベートーヴェンの交響曲史上における偉業に対して強い意識を持っていたので、生来の自己批判的な正確とも相俟って、交響曲の創作には慎重にならざるを得なかったのである。

もっとも、ブラームスは決して頑なな古典主義者だったわけではない。19世紀に生きていた芸術家らしく、内面的なロマン的感情表現をも重んじた作曲家だったのであり、特に恩人シューマンの妻クララに対する思慕の情は、彼の多くの作品のうちに影を落としている。そうしたロマン的な感情表現を、古典的な交響曲の論理といかに結びつけていくか──その点がブラームスにとって大きな課題となったと思われる。そうした課題の解決法を探るために長い時間を必要としたのであり、何度にもわかる創作の中断や、作曲した部分を結局やめて他の曲に転用するといった方向転換など、数々の試行錯誤と模索を繰り返しながら、彼は次第に独自の交響曲のスタイルと表現方法を見いだしていく。自信をもって完成へ向けての創作の本腰を入れるようになったのは最初の構想から実に19年もたった1974年になってからのことで、その2年後の1876年に全曲はついに完成された。初演は同年の11月4日にカールスルーエにおいてオットー・デッソフの指揮で行われたが、その後もブラームスはさらに第2楽章を大幅に書き直し、現在演奏されている決定稿がやっと仕上げられたのである。綿密な論理的書法──すなわち徹底した主題労作法(主題やその中の動機を様々に用いながら音楽を展開する方法)、暗→明という全体の構図、2管編成の無駄のない管弦楽法など──のうちに、豊かなロマン的な感情表現を湛えたその作風は、まさに長年の苦心の努力の見事な結実といえるだろう。

第1楽章 ウン・ポーコ・ソステヌート~アレグロ、ハ短調、8分の6拍子。緊迫感に満ちた序奏に始まる。その冒頭に現れる半音階的楽句は、この交響曲全体を統一するモチーフとして、以後暗い不安定な情調を生み出していくこととなる。主部は綿密なソナタ形式。闘争的な第1主題と叙情的な第2主題を持ち、半音階的な動きや錯綜した音の綾などが生み出すどこか鬱屈した雰囲気のうちにドラマティックな展開が繰り広げられる。

第2楽章 アンダンテ・ソステヌート、ホ長調、4分の3拍子。情感に満ちた3部形式の緩徐楽章。静かで穏やかな長調の主題に始まる主部に対して、中間部では感情が綾を織り成しながら高揚していく。やがて最初の主題が回帰し、独奏ヴァイオリンがホルンを伴いながら美しく主題を歌い上げる。

第3楽章 ウン・ポーコ・アレグレット・エ・グラツィオーソ、変イ長調、4分の2拍子。古典的な定石に従ったスケルツォでなく、優美な間奏曲風の楽章である。

第4楽章 アダージョ、ハ短調、4分の4拍子~アレグロ・ノン・トロッポ・マ・コン・ブリオ、ハ長調。不安な緊張の漂う序奏で開始される。その緊張がピークに達したところで、突如霧を晴らすかのようなハ長調の明るい旋律がホルンに現れる。このまさに暗から明へと転換する箇所に現れるこの旋律はブラームスがシューマン未亡人クララに贈った旋律を引用したもので、そこにはクララへの想いが秘められているのかもしれない。そして荘厳なコラールを経て、明朗な第1主題に始まる主部がダイナミックに発展、最後のコーダでは先のコラールも力強く再現され、圧倒的な高揚のうちに全曲が締めくくられる。

寺西基之(てらにし・もとゆき)

 

 

フューチャー・オーケストラ・クラシックス
Future Orchestra Classics(FOC)

2019年に久石譲の呼び掛けのもと新たな名称で再スタートを切ったオーケストラ。2016年から長野市芸術館を本拠地として活動していた元ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)を母体とし、国内外で活躍する若手トップクラスの演奏家たちが集結。作曲家・久石譲ならではの視点で分析したリズムを重視した演奏は、推進力と活力に溢れ、革新的なアプローチでクラシック音楽を現代に蘇らせる。久石作品を含む「現代の音楽」を織り交ぜたプログラムが好評を博している。2016年から3年をかけ、ベートーヴェンの交響曲全曲演奏に取り組む。2019年7月に発売した『ベートーヴェン:交響曲全集』が第57回レコード・アカデミー賞特別部門特別賞を受賞。日本から世界へ発信するオーケストラとしての展開を目指している。

(「久石譲 フューチャー・オーケストラ・クラシック Vol.2」コンサート・パンフレット より)

 

 

リハーサル風景

from 久石譲コンサート@WDO/FOC/MF 公式ツイッター
@joehisaishi2019

 

久石譲作品「The Border」にちなんでおそろいのボーター・ホルン奏者たち

from 福川伸陽Nobuaki Fukukawa ツイッター
@Rhapsodyinhorn

 

終演後

from 久石譲 Future Orchestra Classics 公式Facebook

 

 

ここからはレビューになります。

 

ニコニコ生放送の独占生中継は、カメラ約5台からのアングル、ステージに配置された無数の集音マイクの効果もあって、とてもクオリティの高い映像配信になっていました。

FOCでは立奏スタイルによる演奏が試みられていますが、立奏について久石譲はこのように語っています。

「若い世代が中心ですけれど、いろいろな指揮者と演奏を重ねてきて経験も豊富ですし、楽器で音楽をたくさん語れる人ばかり。こちらが要求していることをキャッチして、すぐに演奏へと反映してくれます。この全集の発売を記念し、紀尾井ホールと軽井沢大賀ホールで交響曲第5番と第7番のコンサートを行いましたが、立奏による演奏を試してみました。身体が自由になるせいか開放的になって音も大きくなった反面、ピアニッシモは着席での演奏のほうがいいかもしれないと思い、ひとつの課題として残っています。しかしダイナミック・レンジが格段に広がり、演奏の可能性が広がることも事実ですから今後も模索したいですね。音だけではなく視覚的にも元気に見えますし、演奏家の表情も豊かな感じがしますから。クルレンツィスとムジカエテルナが立奏だと話題になりましたけれど、小編成のオーケストラが大きなホールで演奏する時には有効でしょう」

Blog. 「レコード芸術 2020年1月号 Vol.69 No.832」 久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 

 

アルヴォ・ペルト:フェスティーナ・レンテ ~弦楽合奏とハープのための

静謐なこの作品は、曲目解説にもそのコンセプトが紹介されています。さらにわかりやすく言うと、ひとつのメロディがあって、例えば第1ヴァイオリン・第2ヴァイオリンは4分音符で演奏します。ヴィオラはその2倍の長さ2分音符で演奏します。チェロ・コントラバスはさらにその倍の全音符で演奏します。この3つのパートが同時に演奏されて進んでいきますが、例えば4部音符でメロディを奏でるのに2小節あったとして、2分音符であればその倍4小節かかります、全音符であれば8小節かかります。すごく簡単にいうと。異なる対旋律はなく、ひとつのメロディの音符長さのズレだけで、自然的にハーモニーや大きなリズムが生まれる、そんな作品だと解釈しています。こういったところにアルヴォ・ペルト作品のおもしろさ、そして久石譲が創作において共感しているところがあるのだろうと思います。チェロやコントラバス、ハープといった楽器を座って固定しないといけないものを除いて、この作品でも立奏です。

 

 

 

久石譲:The Border ~Concerto for 3 Horns and Orchestra~ *世界初演

ホルンのために書かれた協奏曲です。3人のホルン奏者がフィーチャーされ、ステージ前面中央で主役を演じます。その音から悠々とした旋律を奏でるイメージのあるホルンですが、この作品では、とても細かい音符をあくまでもリズムを主体とした音型を刻む手法になっていました。ずっと吹きっぱなしで、ミュートを出し入れ駆使しながら、さらにそれなしでも、おそらくは口と管に入れた手だけを調節して。ホルンという楽器にはこんなにもバリエーション豊かな音色があるんだと、感嘆しました。第2楽章では、ホルンのマウスピースだけで音とも声ともつかない音色を奏でたり。第3楽章は「エレクトリック・ヴァイオリンと室内オーケストラのための室内交響曲 第3楽章」をベースにしているとあるとおり、エレクトリック・ヴァイオリンの独奏パートがホルンに置き換えられ、1管編成の室内楽だったものが、オーケストラへと拡大されています。

生演奏で体感し、ホルンを味わい、オーケストラの重みも伝わり。この作品は、レコーディングされて、ホルンをはじめ個々のパートがそれぞれ浮き立って配置されたものをしっかりと聴けたときに、またいろいろな発見がおもしろみが感じられる。そう思っています。ホルン3奏者の役割分担や絡み合うグルーヴ、ホルンとオーケストラとのコントラスト。エレクトリック・ヴァイオリンが担っていたディストーションや重奏を、ホルン(単音楽器)×3へ分散させた術などなど。そんな日を願っています。

 

 

 

ヨハネス・ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 Op.68

こんな演奏は聴いたことがない。このひと言に尽きます。直近では2019年にも久石譲指揮、仙台フィルハーモニー管弦楽団で共演していますが(そのときもすこぶる感動しました)、でもまるで別モノ。編成でいっても通常のオーケストラよりグッとコンパクト、弦10型(第1ヴァイオリン10人、第2ヴァイオリン・ヴィオラと少しずつ小さくなってチェロ6人、コントラバス5人)。通常オーケストラが弦14型くらいだとして、弦楽器だけで合計10人近い差があります。それでも堂々たる存在感と爆発的な臨場感で迫ってくるのは、立奏スタイルの強みでもあるといえます。

往年の名演たちが約45分はとっているこの作品、本公演では40分切るか切らないかというスピード。全体で約5分くらいかと思うかもしれませんが、体感するテンポ差は直感的にすぐわかるほどです。第1楽章冒頭から、倍速?!と思うほどで、これはどこまでいっちゃうんだろう!?と一気に手に力が入り身を乗り出してしまう感覚でした。

第1楽章から、久石譲編成においてリズムの要となっているティンパニ(木の撥 使用)の轟音は、随所で作品を引き締め、前へ進め、ソリッドなオーケストラの奏法も健在です。8分の6拍子ですが、久石譲は1拍子のようにタクトを振っていきます。この効果は絶大!

やってみよう。

タン・タン・タン・タン・タン・タンと手拍子を6回打ちます。それをしながら、口で1・2・3・1・2・3と手拍子に合わせて数えます。次に、口の1・2・3・1・2・3はそのままに、手拍子を1のところだけ2回打ちます。するとどうでしょう。同じテンポでも、まったくリズム感が変わって感じるはずです。前者は均一なリズムを保っているともいえるし、一拍ごとに微妙なズレも出てくることあります。後者は手拍子と1のところに強調や躍動感が生まれると同時に、口の3を言ったあと1に向かうわずかな瞬間グッと引き寄せられるようなうねりを自分に感じることができると思います。まるで軽いステップを踊っているように。

第1楽章の冒頭、多くの指揮者はティンパニの連打に合わせてダン・ダン・ダン・ダン・ダン・ダンと6回重くテンポ遅くタクトを振り下ろします。久石譲は、タンタンタン・タンタンタンと太字の2回しか振り下ろしていません。1拍子で大きくリズムをとることで、うねりを生み出している証です。

久石譲がアプローチしている1拍子の手法や、それによるリズムの強調やシンコペーションの表現というのは、やってみてもらった簡単な例の、さらに高度な積み重ねと分析からだと思います。もちろん試みられているアプローチのなかのひとつの小さな部分です。

第1楽章では「タタタ・ターン」のリズム、第2楽章では「ンタータ・ンタータ」、第3楽章では「ンタタター・ンタタター」というように、楽章ごとに特徴的なリズムが散りばめられています。これはパーカッションが叩くリズムという意味ではなく、旋律によって発生するリズム動機のことで、随所に浮き立って表現されていたように思います。ベートーヴェン交響曲 第5番「運命」に共通項をもつ作品とも言われていますが、今回はじめてその一端が少しわかったような気がします。ベートーヴェンの「ダダダダーン」というあの有名な旋律=リズム動機です。これは、おそらく久石譲アプローチがベートーヴェンからの継続性があること、久石譲指揮によって体感できた発見だと感謝とも感激ともつかない想いあふれます。

第3楽章・第4楽章は、一般的なリズム設定に近く、やや落ちつきを取り戻した感もありましたが、そのぶん第4楽章のホルン、フルート、トロンボーン、弦楽など、歌させるところはたっぷりと歌わせ、緩急豊かだからこその緊張感と臨場感がありました。もっと言えば、このメリハリの効いた第4楽章こそ、もっともエネルギーを使う指揮と演奏だったのではないか、とすら思ってしまうほど緊張感を保持したままの至極な開放感です。

 

今は繰り返し聴けないので残念ですが、もし本公演がCD化されたときには、第1楽章だけでも「タタタ・ターン」となっている旋律がどれほどたくさんあるか、かなり楽しく発見できると思います。

そして、ベートーヴェンからブラームスへと、久石譲が指揮するからこその表現が必ずある。作曲家ならではの視点と綿密な分析、そして指揮者として確固たる自信をもって臨む手法。そこには、固定概念をひっくり返すほどのエグ味すらあります。でも、それは決して奇をてらうことを目的としたものではない、アプローチを貫くことでのエグ味=新しい快感です。

 

 

 

本公演当日、これからのコンサート予定も発表されました。Vol.3からVol.5(2020-2021年)にてブラームス全交響曲を演奏していきます。またこのシリーズでは久石譲新作書き下ろしの世界初演も予定されています。新作はもちろん、研ぎ澄まされた久石譲&FOCのパフォーマンスで、「Sinfonia」「Winter Garden」「Untitled Music」ほか幾多ある久石譲オリジナル作品も聴いてみたくなります。

 

 

 

ぜひ公式サイトからも最新情報をチェックしてください。

https://joehisaishi-concert.com/