Blog. 久石譲 新作『WORKS IV』ができるまで -まとめ-

Posted on 2014/11/18

10月8日、久石譲待望の新作CD『Works IV -Dream of W.D.O.』が発売されました。

お伝えしているとおり、この作品は、8月9日・10日に行われた「久石譲&WORLD DREAM ORCHESTRA 2014」(W.D.O)コンサートをLiveレコーディングし、かつCDのクオリティーを追求した作品として仕上げたものです。

2013年の映画作品をメインにサウンドトラックの音楽を新たに構成、音楽的作品としてオーケストレーションし直し豪華に昇華させた楽曲たちが並びます。

まず一聴しての感想は、とにかくクオリティが高い!音質がいいだけでなく、楽器ごとの細かい音の配置や調整、バランスまで、これがライヴ録音か?!と思わされる完成度にただただ脱帽です。

これには本当にびっくりしました。おそらくこのクオリティーに仕上げるまでには相当な技術と苦労があったと思いますが、久石譲のシンフォニー作品では3-5本の指には入るだろう傑作となっています。スタジオ・レコーディングの緻密さ、Liveレコーディングの臨場感、そのどちらをも兼ね備えたダイナミックな作品に仕上がっています。

まさに「サウンドトラックを超えた」次のステージへの輝き。これを見せつけられると、いや聴かせられると、もうスタジオ録音がいいのか、ライヴ録音がいいのかわかなくなるくらい、そのくらいの緻密さ、ダイナミズム、臨場感と空気感を一気に詰め込んだ傑作です。

そして同時に、これからのコンサートでも同じ規模とはいかないまでも、どんどんLive録音、CD音源化してくれることをさらに切望してしまいます。近年の久石譲コンサートでは、ツアープログラムではなく、都市圏を中心とした単発企画であり、さらにはコンサートでしか聴くことのできない新作や未発売作品、はたまた過去の名曲が装いを新たに改訂などの機会が増えているためです。

さて、個人的な『WORKS IV -Dream of W.D.O.』からの思いはここまでに。

 

 

どのようにして本作『WORKS IV』はできあがったのか?

ここ数日間であらゆるメディアに登場した久石譲インタビューから本作品ライナーノーツ解説までを紹介してきました。これらをもとに『WORKS IV』ができるまで、インタビューや解説を総力特集して、キーファクターをまとめていきます。

 

*”WORKS”シリーズコンセプト

久石:
映画など他の仕事でつくった音楽を「音楽作品」として完成させる、という意図で制作しています。映画の楽曲であれば、台詞が重なったり、尺の問題があったりとさまざまな制約があるので、そうした制約をすべて外し、場合によってはリ・オーケストレーションして音楽作品として聴けるようにする。『WORKS』シリーズはそうした位置づけの作品です。

*収録曲への想い

久石:
たとえば宮崎さんとの担当作は数えて10作、30年間に及びます。それを多くの方が聴き、それぞれに評価してくれました。そして『風立ちぬ』が最後の(長編)作品になるということですから、きちんとした形で残していこうという意図はありました。

久石:
「天人の音楽」(天人が天から降りてくるときの音楽)は、もともとサンプリングのボイスなどを入れていたので、オーケストラとの整合性がうまくとれずに苦戦しましたね。ただ、それが現代的にかっこよく響いてくれれば成功するだろうという狙いが根底にありましたし、高畑さんも実験精神旺盛な方ですから、とがったアプローチをしても快く受け入れてくれました。「五音音階を使っているのに何故こんなに斬新なの?」と思わせるラインまではすごく時間がかかりましたが、結果として納得いくものができました。

(以上、Blog. 久石譲 『WORKS IV』 発売記念インタビュー リアルサウンドより より)

 

*レコーディング

久石:
オーケストラのレコーディングというのは、お金がかかってしまうものですよね。だからといって、コンサートの本番1回だけをライブ盤として出すのは良いとは思わなかった。というのは、コンサートの雰囲気をそのままパッケージするということは、音のバランスという意味で難しいというケースもあるからです。なので、今回は2回のリハーサル、2回のゲネプロ、本番2回の合計6回すべて、初日からレコーディング・クルーを入れて、全テイクを録ったんですよ。それで、リハーサルが終わった夜に、レコーディングのクルーを含めて全部聴いて、例えば”シンバルの音が大きいから修正したほうが良いね”となった場合、マイクの位置やほかの楽器との距離を変えたり、それでも駄目だったら、僕の指揮で「そこのシンバルをもう少し小さくして」と指示を出して対処しようと話し合いました。そうやって徹底的にシミュレーションしたんです。そうすることによって、コンサートとしてもきちんとした演奏のクオリティを保ちつつ、CDとしてもできる限り望んでいる音のクオリティに近づけようとしたわけです。恐らく、こういう方法を日本で試みた人はいないと思いますよ。リハーサルの初日から舞台袖には大量のマイクとレコーディングの機器を用意し、マイクはそれぞれの楽器ごと1cm単位で角度などの修正をする。最終的なCDの音源はコンサートの音が中心になっているんですが、実はリハーサル時の会場にまだ観客が誰もいない状態の音もいっぱい使われているんです。そういう意味で、なかなか良いクオリティだと思いますよ、追求できましたからね。

久石:
オーケストラの録音は、空気感というか、スタジオでオンマイクの音で作る音楽ではなくて、響いている音で作り上げるんです。今回は、それをしっかり録るということをメインにして、その空気を伝わってくる音を大切にしてCDに仕上げることができたと思います。

 

*レコーディングについて (解説)

今回の録音は、コンサートの収録だったため、エンジニアを務めた浜田純伸氏はマイキングに関して、見た目が邪魔にならないように気をつけていたという。また久石さんからは、リハーサルの初日にマイクの数が多過ぎて、ごちゃごちゃして見えるという指摘があったそうだが、マイクを減らすことはせずに、ポジションを動かしただけで、そのまま進行させた。そのマイクの数は、予備も含めて合計56本になったそうだ。

初日のリハーサルが終わり、録ったテイクをプレイバックした際、久石さんから、パーカッションの音像と音量が大き過ぎることと、ソロ・バイオリンの音色が薄く抜けが悪いという指摘があった。パーカッションに関しては、マイキングだけでは対処が難しいということだが、弦のオンマイクに関しては、マイクの向きと指向性を調整。あとは、ミックスで処理することにしたそう。ソロ・バイオリンに関しては、マイクそのものを変えて対処したという。

 

*編集(ミックス)作業について (浜田純伸)

浜田:
AVID Pro Toolsです。また、さまざまなノイズを消すためにIZOTOPE RXを多用しました。譜めくり、いすの鳴る音、咳、空調音…。今回はダイナミック・レンジの広い曲が多く、静かなところでは、結構細かなノイズが聴こえてくるためです。

浜田:
今回はホールが2ヵ所あり、リハと本番でホールの響きもかなり違いました。その中から細かくベスト・テイクをつないでいったので、つなぎ目で響きの違いが不自然にならないようにEQ、コンプなどのオートメーションを書いた部分が大変でした。

 

*現在の作曲方法

久石:
ケースバイケースですね。ピアノだけで全体を作ってオーケストレーションしていくという方法や、時間がなければオーケストラから作っていくこともあります。作曲の際は結構コンピューターに向かっている時間も多いかもしれません。ただ、最近は核になるメロディやハーモニーは、ピアノで作ってしまう場合が多いですね。

(以上、Blog. 久石譲 『WORKS IV』 サウンド&レコーディング・マガジン インタビュー内容 より)

 

*『WOKRS IV』から見る発展性と普遍性

久石:
時代や国境を越えて聴かれ演奏される音楽を制作したい。そのための時間を作る生活にシフトチェンジしている最中です。今回の『WORKS IV』のように完成度を高めた楽曲は、楽譜をドイツに本拠を構えるショット・ミュージックから出版しています。

注)2014.11月現在「WORKS IV」の楽譜出版は未定

久石:
かつて、僕の作品は僕だけが演奏していました。それが今では、世界各国のオーケストラが僕の書いたオリジナルの楽譜で演奏しています。自分の作品がパーソナルなものから普遍性を帯びてきました。

(以上、 Blog. 久石譲 『WORKS IV』 クロワッサン 2014年11月10日号 インタビュー内容 より)

 

*「WORKS」シリーズ誕生の軌跡 (解説)

1997年の『WORKS I』が、常設オケをサウントラ演奏に初めて起用した『もののけ姫』の劇場公開からわずか3ヶ月後にリリースされたというのは、今から考えると大変象徴的な事実である。偶然にも、著者は『WORKS I』発売時に久石とインタビューする機会を得たが、その時に彼が「ほぼ2年間にわたってオーケストラというものと格闘してきた。そこを是非聴いていただきたい」と熱く語っていたのが大変に印象的であった。その後、彼の音楽活動──作曲家としても演奏家としても──において、フル・オーケストラが占める割合がにわかに増大していったのは、久石ファンのリスナーなら周知の通りだろう。その論理的な帰結が、2000年から始まった自作の指揮活動と、2009年から本格的に始めたクラシック指揮者としての活動である。

 

*”アーティメント”(=アート+エンタテインメント) (解説)

映画音楽というエンタテインメントは、セリフ、効果音、音楽に要求される尺の長さなど、さまざまな制約が存在するため、必ずしもクラシック作品と同じ方法論で作曲するわけにはいかない。しかし、いったんその音楽をコンサートという空間で演奏するとなれば、クラシックの古典曲と並んで演奏されても何ら恥ずべきところがないところまで完成度を上げるというのが、現在の久石のスタンスである。この点において、久石は9年前の『WORKS III』の頃とは比較にならないほど、高い完成度を自作のオーケストレーションに求めるようになった。別の言い方をすれば、演奏会用作品というアートのクオリティを保ちつつ、映画音楽というエンタテインメントを演奏していくのである。これを久石自身は”アーティメント”(=アート+エンタテインメント)と呼んでいるが、『WORKS IV』は、これからの久石の音楽活動の中で重要な位置を占めていくであろう”アーティメント”の方法論を高らかに宣言したアルバムなのである。

 

*収録曲について (解説)

本盤には、久石が2013年に手がけた宮崎駿監督『風立ちぬ』と高畑勲監督『かぐや姫の物語』の音楽が含まれている。ここに至るまでの道程、すなわちスタジオジブリの前身であるトップクラフト時代に制作された『風の谷のナウシカ』から数えると実に30年もの時間が経過しているわけだが、その時間は4歳からヴァイオリンを始めた久石の音楽人生全体の約半分を占めるばかりか、彼の音楽をリアルタイムで享受してきた我々リスナーにとっても大きな意味を持っている。難しい言い方をすれば、久石がスタジオジブリ作品のために書いた音楽と、我々自身が歩んできた同時代性は、もはや両者を分けて考えることが不可能なほど、のっぴきならない密接な関係を結んでいるのである。そうした観点から『風立ちぬ』と『かぐや姫の物語』を改めて聴いてみると、単に2大巨匠の最新作の音楽が聴けるという喜び以上の、ある”歴史の重み”を感じ取ることが出来るはずだ。その重みに相応しいオーケストレーションを施されて演奏されたのが、本盤に聴かれる『風立ちぬ』と『かぐや姫の物語』の組曲と言っても過言ではない。

それら2本のジブリ作品に加え、本盤には日本映画界の至宝というべき山田洋次監督の『小さいおうち』の音楽も収録されている。2013年の1年間に、久石がこれら3巨匠の監督作を立て続けに作曲したこと自体、もはや驚異と呼ぶほかないが、別の見方をすれば、それは現在の久石の立ち位置、すなわち日本映画全体において欠くことの出来ない最重要作曲家という位置づけをこの上なく明瞭に示している。

 

*W.D.O.について (解説)

本盤の録音と並行する形で開催されたコンサート「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2014」は、W.D.O.としては久石と3年ぶりの共演、新日本フィルとしては2012年の「ペンション・ファンド・コンサート “アメリカン・ミュージック・ヒストリー”」以来2年ぶりの再会となったわけだが、W.D.O.結成からちょうど10年という節目の年の共演において、久石とW.D.O.が到達した演奏の完成度の高さは、もはや圧倒的としか表現のしようがなかった。久石自身はそれを「細胞が喜ぶオーケストラ」と呼び、メンバーのひとりは「これほどの自発性と喜びをもって、久石さんの音楽の演奏に臨むオーケストラは他に存在しない」と自信のほどをのぞかせる。まさに一期一会のアンサンブルというべきだろう。

 

*レコーディング方法と背景 (解説)

10年前ならいざ知らず、クラシック業界を取り巻く現在の厳しい環境の中で、大編成のクラシック作品をスタジオ録音することは世界的にも非常に困難になっている。現在、商業発売もしくは配信されているフル・オーケストラ録音のほとんどが、ライヴ録音という形態を採っているのはそのためだ。そんな厳しい状況の中で、久石はアルバムとしての完成度を追求すべく、リハーサルから2回の本番演奏会まですべての演奏を収録し、その中から選りすぐったベスト・テイクを今回の『WORKS IV』に収録するという手法に挑んだ。一般的に言って、クラシックの常設オーケストラはリハーサル段階からアルバム・クオリティの演奏を要求されることを好まない。本番演奏会でベストを尽くすこと考えると、それだけ負担が大きくなるからである。しかしながら、W.D.O.は久石が求める”本物”のオーケストラ・サウンドを『WORKS IV』に収めるべく、敢えて演奏会本番の負担になることも恐れずに、全力を尽くして録音に臨んだ。

注)解説:前島秀国

(以上、 Blog. 久石譲 『WORKS IV』 ”アーティメント”を語る ライナーノーツより より)

 

*収録曲詳細 (解説)

「バラライカ、バヤン、ギターと小オーケストラのための「風立ちぬ」第2組曲」
宮崎監督の意向で音声がモノラル制作されたこともあり、本編用のスコアは慎ましい小編成で演奏されていたが、《第2組曲》では原曲の持つ室内楽的な味わいを残しつつも、音響上の制約を一切受けることなく、壮大なオーケストラ・サウンドが展開している。

Kiki’s Delivery Service for Orchestra (2014)
今回の2014年版では、スパニッシュ・ミュージックの要素が印象的だった後半部のセクションもすべてオーケストラの楽器で音色が統一され、よりクラシカルな味わいを深めたオーケストレーションを施すことで、ふくよかで温かみのあるヨーロッパ的な世界観を描き出している。

ヴァイオリンとオーケストラのための「私は貝になりたい」
上映時間にして実に15分近くを占める”道行き”のシークエンスのために、久石は格調高い独奏ヴァイオリンを用いたワルツを作曲し、ヴァイオリンとオーケストラのためのコンチェルティーノ(小協奏曲)として発展させたもの。

交響幻想曲「かぐや姫の物語」
久石は五音音階を基調とする音楽をはじめ、前衛的なクラスター音、西洋の楽器で東洋的な世界観を表現するマーラー流の方法論、さらには久石の真骨頂というべき、エスニック・サウンドまで多種多様な音楽語法を投入し、高畑監督の世界観を見事に表現してみせた。古来より”赫映姫”とも”輝夜姫”とも記されてきたヒロインの光り輝く姿を表現するため、チェレスタやグロッケンシュピールといった金属系の楽器を多用しているのも本作の大きな特長のひとつで、今回の組曲版ではそうした楽器のメタリカルな響きが、よりいっそう有機的な形でオーケストラの中に溶け込んでいる。組曲としての音楽性を優先させるため、本編のストーリーの順序に縛られない構成となっているのは、『風立ちぬ』の《第2組曲》と同様である。

小さいおうち
久石は、セリフを重視する山田監督の演出に配慮するため、本編用のスコアでは特徴的な音色を持つ楽器(ダルシマーなど)を効果的に用いていたが、本盤に聴かれる演奏はギター、アコーディオン、マンドリンを用いた新しいオーケストレーションを施し、同じ昭和という時代を描いた『風立ちぬ』と世界観の統一を図っている。

注)解説:前島秀国

(以上、 Disc. 久石譲 『WORKS IV -Dream of W.D.O.-』 より)

 

 

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久石譲 WORKS IV -Dream of W.D.O.-

 

Blog. 久石譲 『WORKS IV』 ”アーティメント”を語る ライナーノーツより

Posted on 2014/11/17

10月8日発売された久石譲待望の新作CD「Works IV -Dream of W.D.O.」。この作品は2014年の久石譲音楽活動の集大成的作品と言えます。

いろいろなインタビューでも『WORKS IV』関連で登場していますが、今回は本作品のライナーノーツより貴重な内容をご紹介します。ライナーノーツの解説は、久石譲作品ではおなじみの、『ジブリ・ベスト ストーリーズ』でも興味深い考察で久石譲音楽を紐解いていた、サウンド&ヴィジュアル・ライター 前島秀国さんです。

 

 

”チーム久石”による”本物”の”アーティメント” - 久石譲『WORKS IV』に寄せて

久石譲が、実に9年ぶりとなる『WORKS 』シリーズの最新作『WORKS IV』を完成させた。これはいったい何を意味しているのだろうか?

著者が認識している限りでは、『WORKS』シリーズは磨き抜かれたフル・オーケストラで演奏される最新作、というコンセプトで作られたアルバムである。演奏は9年前の『WORKS III』と同じ、新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ(W.D.O.)。その意味では、今回もシリーズとしての一貫性が継承されているが、そこに聴かれる3つの要素、すなわち①フル・オーケストラ、②最新作、③W.D.O.は、それまでとは比較にならないほど重要ない意味を持っていると言えるだろう。

まずは①のオーケストラ・サウンドについて。
1997年の『WORKS I』が、常設オケをサウントラ演奏に初めて起用した『もののけ姫』の劇場公開からわずか3ヶ月後にリリースされたというのは、今から考えると大変象徴的な事実である。偶然にも、著者は『WORKS I』発売時に久石とインタビューする機会を得たが、その時に彼が「ほぼ2年間にわたってオーケストラというものと格闘してきた。そこを是非聴いていただきたい」と熱く語っていたのが大変に印象的であった。その後、彼の音楽活動──作曲家としても演奏家としても──において、フル・オーケストラが占める割合がにわかに増大していったのは、久石ファンのリスナーなら周知の通りだろう。その論理的な帰結が、2000年から始まった自作の指揮活動と、2009年から本格的に始めたクラシック指揮者としての活動である。

指揮活動をきっかけにして、久石はバッハ、ウィーン古典派から現代のジョン・アダムズやアルヴォ・ペルトに至る約300年のクラシック作品をあらためて学び直すことになった。当然のことながら、そこで得られた成果や方法論は作曲家としての久石の音楽にもフィードバックされるし、久石がフル・オーケストラで自作を指揮する時は、そうしたクラシック作品が演奏上の判断基準の尺度として用いられていることになる。

映画音楽というエンタテインメントは、セリフ、効果音、音楽に要求される尺の長さなど、さまざまな制約が存在するため、必ずしもクラシック作品と同じ方法論で作曲するわけにはいかない。しかし、いったんその音楽をコンサートという空間で演奏するとなれば、クラシックの古典曲と並んで演奏されても何ら恥ずべきところがないところまで完成度を上げるというのが、現在の久石のスタンスである。この点において、久石は9年前の『WORKS III』の頃とは比較にならないほど、高い完成度を自作のオーケストレーションに求めるようになった。別の言い方をすれば、演奏会用作品というアートのクオリティを保ちつつ、映画音楽というエンタテインメントを演奏していくのである。これを久石自身は”アーティメント”(=アート+エンタテインメント)(アートメント)と呼んでいるが、『WORKS IV』は、これからの久石の音楽活動の中で重要な位置を占めていくであろう”アーティメント”の方法論を高らかに宣言したアルバムなのである。

次に②の最新作について。
本盤には、久石が2013年に手がけた宮崎駿監督『風立ちぬ』と高畑勲監督『かぐや姫の物語』の音楽が含まれている。ここに至るまでの道程、すなわちスタジオジブリの前身であるトップクラフト時代に制作された『風の谷のナウシカ』から数えると実に30年もの時間が経過しているわけだが、その時間は4歳からヴァイオリンを始めた久石の音楽人生全体の約半分を占めるばかりか、彼の音楽をリアルタイムで享受してきた我々リスナーにとっても大きな意味を持っている。難しい言い方をすれば、久石がスタジオジブリ作品のために書いた音楽と、我々自身が歩んできた同時代性は、もはや両者を分けて考えることが不可能なほど、のっぴきならない密接な関係を結んでいるのである。そうした観点から『風立ちぬ』と『かぐや姫の物語』を改めて聴いてみると、単に2大巨匠の最新作の音楽が聴けるという喜び以上の、ある”歴史の重み”を感じ取ることが出来るはずだ。その重みに相応しいオーケストレーションを施されて演奏されたのが、本盤に聴かれる『風立ちぬ』と『かぐや姫の物語』の組曲と言っても過言ではない。

それら2本のジブリ作品に加え、本盤には日本映画界の至宝というべき山田洋次監督の『小さいおうち』の音楽も収録されている。2013年の1年間に、久石がこれら3巨匠の監督作を立て続けに作曲したこと自体、もはや驚異と呼ぶほかないが、別の見方をすれば、それは現在の久石の立ち位置、すなわち日本映画全体において欠くことの出来ない最重要作曲家という位置づけをこの上なく明瞭に示している。そうして、非常に興味深いことに、これら3巨匠の作品は──作品の持つ世界観や物語はそれぞれ異なるにしても──日本人が歴史の中でどう生きてきたか、つまり「生きる」というテーマを共通して描いているように思われる。

いったんこのことに気づくと、戦犯死刑囚とその妻が懸命に生きようとする姿を描いた『私は貝になりたい』にしても、あるいは魔女の見習い・キキが都会の中で独り立ちしていく姿を描いた『魔女の宅急便』にしても、上記3本の作品と同様、「生きる」というテーマを共有していることがわかる。従って、『WORKS IV』は、その「生きる」というテーマを5通りに変奏した変奏曲集、もしくは「生きる」という循環主題によって組み立てられた5楽章形式の交響曲と捉えることも可能であろう。それを表現していく上で欠かせないのが、言うまでもなくオーケストラという演奏者の存在である。

そして③のW.D.O.について。
本盤の録音と並行する形で開催されたコンサート「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2014」は、W.D.O.としては久石と3年ぶりの共演、新日本フィルとしては2012年の「ペンション・ファンド・コンサート “アメリカン・ミュージック・ヒストリー”」以来2年ぶりの再会となったわけだが、W.D.O.結成からちょうど10年という節目の年の共演において、久石とW.D.O.が到達した演奏の完成度の高さは、もはや圧倒的としか表現のしようがなかった。久石自身はそれを「細胞が喜ぶオーケストラ」と呼び、メンバーのひとりは「これほどの自発性と喜びをもって、久石さんの音楽の演奏に臨むオーケストラは他に存在しない」と自信のほどをのぞかせる。まさに一期一会のアンサンブルというべきだろう。

10年前ならいざ知らず、クラシック業界を取り巻く現在の厳しい環境の中で、大編成のクラシック作品をスタジオ録音することは世界的にも非常に困難になっている。現在、商業発売もしくは配信されているフル・オーケストラ録音のほとんどが、ライヴ録音という形態を採っているのはそのためだ。そんな厳しい状況の中で、久石はアルバムとしての完成度を追求すべく、リハーサルから2回の本番演奏会まですべての演奏を収録し、その中から選りすぐったベスト・テイクを今回の『WORKS IV』に収録するという手法に挑んだ。一般的に言って、クラシックの常設オーケストラはリハーサル段階からアルバム・クオリティの演奏を要求されることを好まない。本番演奏会でベストを尽くすこと考えると、それだけ負担が大きくなるからである。しかしながら、W.D.O.は久石が求める”本物”のオーケストラ・サウンドを『WORKS IV』に収めるべく、敢えて演奏会本番の負担になることも恐れずに、全力を尽くして録音に臨んだ。メンバーのひとりの言葉を借りれば、「これだけの作曲家を前にして演奏するのに、どうして全力を尽くさないでいられようか」という、W.D.O.の熱意があればこそである。その熱意はオーケストラだけでなく、リハーサル段階からベスト・テイクを収めようと奮闘した録音チームをはじめ、舞台裏で演奏を支えた裏方のスタッフ全員に共有されていたと言っていいだろう。

そうした人々、すなわち”チーム久石”が一丸となり、”本物”の”アーティメント”を追求すべく全力を挙げて完成させたのが、すなわち『WORKS IV』というアルバムに他ならない。久石の最新作3本の音楽を含む本盤は、今後の久石の音楽活動を語っていく上で必ず引き合いに出されるであろう、重要なマイルストーンとなるはずである。

(「WORKS IV -Dream of W.D.O.」ライナーノーツ より)

 

 

とてもわかりやすくまとめてあり、さすがプロだなと思ってしまいます。また久石譲の30年以上にも及ぶ音楽活動をふまえながら、時代ごとの出来事やマイルストーンも紹介しながら深く紐解かれているので、このライナーノーツがすべてを語ってくれている、と唸ってしまうほどの説得力です。言葉によって伝えることの大切さ、とは、こういうことでもあるのでしょう。久石譲自身も別の機会でそのようなキーワードを語っています。

なんの先入観もなくただCDを聴いてその音楽を楽しむのはもちろん、こういった言葉による”解説・背景・考察”を知ることで、より聴き方が変わってくると言いますか、聴く姿勢が変わってくると言いますか。

言葉によって伝えることの大切さ、とは、つまりは『動機付け(好奇心への)』だと思うのです。作品をより深く知るための味わうための情報や知識。興味を持つきっかけであり、紐解き掘り下げたくなる好奇心。

この「久石譲ファンサイト 響きはじめの部屋」も、久石譲の音楽を深く味わうためのきっかけになればと、あえて?!忠実に書き起こしをさせてもらっています。

(なんの宣言!?)

このライナーノーツを読んでいると、また『WORKS IV』が聴きたくなってきます。新しい聴き方、そして新しい出会いや発見があるかもしれません。

 

 

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久石譲 WORKS IV -Dream of W.D.O.-

 

Blog. 久石譲 『WORKS IV』 クロワッサン 2014年11月10日号 インタビュー内容

Posted on 2014/11/16

2014年10月25日発売 雑誌「クロワッサン」(特大11/10号 No.888)の“MUSIC”コーナーに久石のインタビュー記事が掲載されています。

内容は新作『WORKS IV』関連インタビューです。さらには、今年2014年の活動スタイルと、来年以降の展望まで、久石譲音楽活動の方向性が見えてくるような内容です。

 

 

サウンドトラックがシンフォニックに。
パーソナルな楽曲が普遍的な作品へ。

作曲家、久石譲さんの新作『WORKS IV -Dream of W.D.O.』には、「風立ちぬ」「かぐや姫の物語」「小さいおうち」など、映画やドラマの主題曲や挿入曲が収録されている。すべて久石さん作だが、サウンドトラックではない。

久石 「ピョートル・チャイコフスキーは数多くのバレエ音楽や歌劇を作曲しましたが、それらは後に本人の手で組曲として作り直されています。ジョージ・ガーシュウィンのオペラ『ポーギーとベス』も、後に『キャットフィッシュ・ロウ』という交響組曲になりました。同じ発想でレコーディングしたのが、僕の『WORKS IV』です。」

映像有りきで生まれた作品を音楽作品として生まれ変わらせたのだ。

久石 「映画やドラマの音楽は制約の中で作ります。台詞や効果音があり、尺も意識しなくてはいけません。さらに、厳しい締め切りもあります。ただし、こうしたシバリは必ずしも作品にマイナスではありません。たとえば、大平原で、自由に遊びなさい、と言われたとしましょう。ほとんどの人はどうしていいかわからなくなるはずです。でも、テニスコートで、ボールをひとつ渡されて、仲間が3人いたら、いろいろな楽しみ方ができる。それと同じです。多少なりとも制限があったほうが、発想は広がることもあります。」

こうして一度完成した作品を今度は逆に、制約のない”大平原”に解き放ち、シンフォニーとして録音した。

久石 「サントラでは使わなかった楽器を足し、時には主旋律も書き加えています。」

すると、特定の映像のために作られたはずの音楽なのに、まったく違うドラマ性をまとうことになる。

久石 「実は今、自分の”本籍”をクラシックに戻しつつあるところです。」

久石さんは、30代前半まで前衛的な音楽を手掛けていた。しかし、’84年の宮崎駿監督作品『風の谷のナウシカ』の音楽で一躍脚光を浴び、スタジオジブリをはじめ数々の映画音楽を依頼され、超多忙な作曲家生活に没頭していった。

久石 「大量に音符を生むためには、大量に音符を生むための生活サイクルにしなくてはいけませんでした。」

ここ数年は、午前はピアノの練習、昼から深夜までは作曲、そこから明け方近くまではクラシックコンサートのための準備を行う毎日を送っていた。その生活を見直す時期が訪れた。

久石 「時代や国境を越えて聴かれ演奏される音楽を制作したい。そのための時間を作る生活にシフトチェンジしている最中です。今回の『WORKS IV』のように完成度を高めた楽曲は、楽譜をドイツに本拠を構えるショット・ミュージックから出版しています。」

ショットは世界的な楽譜出版社。世界中の音楽家がここから楽譜をレンタルし、演奏会を行っている。

久石 「かつて、僕の作品は僕だけが演奏していました。それが今では、世界各国のオーケストラが僕の書いたオリジナルの楽譜で演奏しています。自分の作品がパーソナルなものから普遍性を帯びてきました。」

作品が、久石さんの手を離れ、独り歩きを始めている。

久石 「海の向こうのカフェで、隣のテーブルに座る誰かが僕の作品とは知らずに『風立ちぬ』や『かぐや姫の物語』のメロディを口ずさむ。それを聴くのが、作曲家として最高に幸せな体験です。」

(クロワッサン 2014年11月10日号 MUSICコーナー より)

 

 

「2014年はほとんど依頼を断って立ち止まった一年」と他インタビュでも語っています。このインタビューでも日常生活のサイクルを見直す時期が訪れた、と。いろいろと触れたいことはあるのですが、別の機会にあらためて。

 

 

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クロワッサン

 

Blog. 久石譲 『WORKS IV』 サウンド&レコーディング・マガジン インタビュー内容

Posted on 2014/11/15

雑誌「サウンド&レコーディング・マガジン」2014年11月号に、久石譲のインタビューが掲載されています。

新作「WORKS IV -Dream of W.D.O.-」のサウンド・メイキングなど専門誌ならではの話が満載です。少々長いですが、さすが専門誌!レコーディングからミックス作業まで、その過程がぎっしり詰まっています。機器や機材など一般には馴染みないお話も多いですが、それだけに徹底的に掘り下げた内容になっています。

 

  • 『WORKS IV』コンセプトと9年ぶりのWORKS新作発表の経緯
  • 合計6回(リハーサルx2 / ゲネプロx2 / 本番x2)からのベストミックス
  • 約50本以上におよぶ各楽器ごとに配置された録音用マイク
  • 現在の作曲方法
  • ライブ録音/レコーディング/ミックス作業に使われた機材

『WORKS IV』ができるまで、永久保存版な貴重な記録です。

 

 

オーケストラの録音は響いている音で作り上げる
今回はその空気を伝わってくる音を大切にしてCDを仕上げることができました

宮崎駿監督のジブリ作品をはじめ、数多くの映画音楽やCM、ドラマなどの映像音楽を手掛けている、日本を代表する作曲家、久石譲。ピアノ・ソロや室内楽、オーケストラなど演奏活動も精力的に行っており、多数のソロ・アルバムもリリースしている彼が、このたび”WORKS”シリーズと称したアルバムの第4弾『WORKS IV -Dream of W.D.O.-』を9年ぶりに発表した。こちらは、去る8月9日~10日に、久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ(以降 W.D.O.)によって開かれたコンサートの曲目を収録したもので、世界初演の『交響幻想曲「かぐや姫の物語」』や日本初演の『バラライカ、バヤン、ギターと小オーケストラのための「風立ちぬ」第2組曲』などを収録。”オーケストラの魅力を広く伝えていきたい”という久石の思いの詰まった作品となっている。その舞台裏について久石本人と、エンジニアを務めた浜田純伸氏の言葉から振り返っていこう。

 

オーケストラは絵の具のようなもの 書きたい音楽を表現しやすいんです

-”WORKS”シリーズとしては4作目となりました。まずはこのシリーズのコンセプトを教えて下さい。

久石 「僕が映画やドラマなどの仕事(WORKS)で書いた楽曲を素材として、”作品”として音源化しているシリーズです。映像ありきのときには、セリフとの兼ね合いや長さなど、どうしても制約がありますよね。そういうことを意識しないで音楽的な”作品”としてオーケストレーションし直して完成させたものなんです。」

-”作品”にするということが、フル・オーケストラによるレコーディングだったと?

久石 「”WORKS”シリーズに関しては基本的に全部、ベーシックはオーケストラです。元の楽曲もほとんどはオーケストラで作っているので、新たにオーケストラに書き直しているということはないんですけどね。」

-作曲をする時点でオーケストラを意識しているということですか?

久石 「そういう意識で書いていることはないですね。オーケストラというのはツールというか、絵の具のようなもの。自分の書きたい音楽がたまたまオーケストラだと表現しやすいということなんです。」

-今作の演奏は前作『WORKS III』に続き、W.D.O.によるものでした。こちらのオーケストラが結成されたきっかけを教えてください。

久石 「もともと新日本フィルハーモニー交響楽団とは随分長い間一緒に仕事をしてきて、とても良い関係が作れていたんです。そこで、僕と新日本フィルで独自のことができないかということで結成されたのがW.D.O.。2004年のことですね。」

-8月にW.D.O.とは3年ぶりのコンサートを行い、そのコンサートを収録したアルバムとして、『WORKS IV』をリリースしました。アルバムは9年ぶりとなりましたが、このタイミングで作品を発表しようと思ったのはなぜですか?

久石 「2013年に公開された映画『風立ちぬ』が、僕が宮崎駿監督を作品を担当した10作品目で、しっかりとした形に残しておこうと思ったのがきっかけですね。それをメインにして、さらに高畑勲監督の『かぐや姫の物語』、山田洋次監督の『小さいおうち』という、3人の巨匠を中心に”WORKS”として作りました。曲に関しては、まずこれまでに音源化していなかった作品を選んでいき、「Kiki’s Delivery Service for Orchestra(2014)』に関しては、2管編成でのオーケストラver.ではまだレコーディングしていなかったので入れました。」

-その収録楽曲の「風立ちぬ」「かぐや姫の物語」は、組曲として演奏されたものですが、組曲としてアレンジし直したということですか?

久石 「僕はアレンジではなくオーケストレーションと言っているんですが、映画で書いた楽曲は、先ほども言ったように制約があるので、ちゃんとした音楽的な作品としてコンサートなどで演奏できるように作り直すわけです。その”作品化する”という一環で組曲になっているんです。」

 

コンサートはコンサートで成功させCDとしてもどこまで追求できるか

-今回のレコーディングは、どのように進められたのですか?

久石 「オーケストラのレコーディングというのは、お金がかかってしまうものですよね。だからといって、コンサートの本番1回だけをライブ盤として出すのは良いとは思わなかった。というのは、コンサートの雰囲気をそのままパッケージするということは、音のバランスという意味で難しいというケースもあるからです。なので、今回は2回のリハーサル、2回のゲネプロ、本番2回の合計6回すべて、初日からレコーディング・クルーを入れて、全テイクを録ったんですよ。それで、リハーサルが終わった夜に、レコーディングのクルーを含めて全部聴いて、例えば”シンバルの音が大きいから修正したほうが良いね”となった場合、マイクの位置やほかの楽器との距離を変えたり、それでも駄目だったら、僕の指揮で「そこのシンバルをもう少し小さくして」と指示を出して対処しようと話し合いました。そうやって徹底的にシミュレーションしたんです。そうすることによって、コンサートとしてもきちんとした演奏のクオリティを保ちつつ、CDとしてもできる限り望んでいる音のクオリティに近づけようとしたわけです。恐らく、こういう方法を日本で試みた人はいないと思いますよ。リハーサルの初日から舞台袖には大量のマイクとレコーディングの機器を用意し、マイクはそれぞれの楽器ごと1cm単位で角度などの修正をする。最終的なCDの音源はコンサートの音が中心になっているんですが、実はリハーサル時の会場にまだ観客が誰もいない状態の音もいっぱい使われているんです。そういう意味で、なかなか良いクオリティだと思いますよ、追求できましたからね。」

-6回分の演奏を総合してミックスしたということですね?

久石 「そうですね。ポップスなら、それぞれの楽器をトラックごとに奇麗に録れるでしょ?その録り音に対してバランスを取ったり、エフェクトをかけたりしますが、このやり方だと、それはできない。クラシック音楽のミックスのスタイルは、基本的にバランスは取れているから、録った音の波形編集になるんです。すごく時間のかかる作業になりますね。」

-確かにポップスとは異なりますね。

久石 「もっと予算があれば、本番が終わった後にオーケストラを帰さず、観客が帰った会場で、駄目だったところをもう1回収録し直したかったんですが、さすがにそこまではちょっとできませんでした(笑)。でも、海外のオーケストラはそこまで積極的にやるという話を聞きます。」

-そうなんですね。初めて聞きました。

久石 「コンサートはコンサートで成功させなければならないんですが、CDとしてのクオリティをどこまで追求できるかがテーマでしたから。そういう意味で予算はかかってしまいましたが、今やれるベストなことができましたね。」

 

テンモニでうまく響いていれば大概どこで聴いても響きますね

-今回エンジニアはどなたが務めたのですか?

久石 「浜田純伸さんです。もう僕とは長い付き合いなので、僕の考える一番良いイメージを伝えて、作業してもらいました。」

-レコーディング・トラック数はどのくらいだったのでしょうか?

久石 「80~90trだったと思います。アンビエントも入れるとそのくらいだったはずです。最初、マイクの数を決めるとき、本番の見栄えも考慮すると、40本くらいと言われていたんですが、もっと用意しろと(笑)。だからもっと増えていたんじゃないかな。」

-ミックス段階でエフェクト処理をしたのでしょうか?

久石 「多少はしていますね。鉄板(EMT 140)とか。そうしないと、つなぐときにうまくつながりませんからね。実際、ミックスには立ち会って、いろいろやり取りしながら完成させました。普通は2日くらいで仕上がるんですが、今回は4日間かかりましたね。」

-確認はスタジオのモニターで?

久石 「テンモニ(YAMAHA NS-10M)です。僕はテンモニが結構好きなんですよ。すべてのリスナーが、良い環境で聴けるわけではないですから、できるだけ癖のないモニターで確認しているんです。そこでうまく響いていれば、大概どこで聴いても響きますね。あとはラジカセで低域の濁りをなくすために確認で聴いたりもします。長い間レコーディング・スタジオを経営していましたから、その辺のノウハウは駆使しています。」

 

クラシック曲を指揮するときは作曲者と意識が同化している

-コンサートでは、ピアノを弾きながら指揮もされていますが、どんな意識なのでしょうか?

久石 「指揮をするというのは、基本的には自分では音を出しません。だからこそ、みんなが演奏しやすい環境を作るのと、どうしたいかということを明確にすることが重要になってきます。ある種、現場監督の立ち位置でもあるんですね。例えば僕が興奮したり迷ったりすると絶対オーケストラに影響してしまうので、極力自分が客観的でなおかつどういうふうに弾けるか。さらに今回はレコーディングの音にも意識が行っていたので、頭の中はスーパー・コンピューターなみに駆けずり回っていましたよ(笑)。」

-指揮者としては、どんなところが面白いですか?

久石 「コンサートは絶対同じにはなりませんよね。もちろん譜面どおりの演奏が基本ですが、会場も違うし、オーケストラの人たちも毎回演奏は違うわけです。そこが面白いですね。」

-資料を拝見すると、クラシックの曲を指揮するきっかけの1つに、作曲の勉強のためということが書かれていました。

久石 「それはありますね。やっぱりクラシックの譜面をただ見ているだけでなく、指揮者をするとなると、演奏者に伝えなければいけないですから、猛烈に勉強しますよね。そうすると結果的に自分の作曲にも役立つのではないかと思っています。ベーシックは作曲をすることを大事にして、指揮もしているということですね。僕は肩書きで言ったら作曲家ですから。指揮もピアノもしますが、基本は曲を書く人です。それがないと自分の音楽活動は成立しません。だから作曲というのはどこまでも大事にしたいですね。」

-実際に影響はありましたか?

久石 「あると思います。ただ、正確に言うと諸刃の剣ですけどね。」

-と言いますと?

久石 「だって、歴史を生き残ったすごい曲ばかりなので、そういう曲を見ていると、自分の書いた曲が何て情けないんだろうって思ってしまったりもする。だから適度にしておかないと大変だなと思うこともありますよ(笑)。」

-クラシック曲の指揮をしているときには、どんな意識なのですか?

久石 「僕がクラシック曲を指揮するときには、作曲者と意識が同化しているんです。作曲家がどういう心境で作曲したのかを深く考えると、”このメロディは真剣に書いていないな、こっちが重要だな”とかが手に取るように分かる。そういうことを徹底して勉強するから、相当面白いんですよ。僕は、作曲者はなぜこの曲を書いたんだろうか、どこでうまくいかなかったのか、そういうのを徹底的に分析していくんです。僕が指揮をすることで、普通とは違った作曲家としての視点でアプローチできるし、違う音楽が作れるのではないかとも思うのです。」

-これまで指揮してきた中で印象的な作曲家といえば?

久石 「やっぱりベートーヴェンは偉大ですね。あと、僕はブラームスが大好きです。ブラームスのシンフォニーは全曲振っていますが、全部良いですね。面白いし。現代音楽でも、今年の夏振ったペンデレツキの「広島の犠牲者に捧げる哀歌」は、ものすごい不協和音の曲なんですが、非常に面白かったですね。苦労はするんですけど、得るものは多いですね。」

-作曲家を目指す人にとっても、そういったことはやるべきだと思いますか?

久石 「それはそうですね。いっぱい勉強した方がいいですよ。」

-久石さんの現在の作曲方法を教えてください。

久石 「ケースバイケースですね。ピアノだけで全体を作ってオーケストレーションしていくという方法や、時間がなければオーケストラから作っていくこともあります。」

-打ち込みでデモを?

久石 「しますね。オーケストラのシミュレーションをするために打ち込みで作りますから。譜面は、MAKE MUSIC Finaleを活用しているので、MIDIで打ち込むことが大半です。だから作曲の際は結構コンピューターに向かっている時間も多いかもしれません。ただ、最近は核になるメロディやハーモニーは、ピアノで作ってしまう場合が多いですね。」

-ご自身の曲で、旋律やハーモニー、楽器の使い方で自分らしいなと思う部分はありますか?

久石 「これだけ多くの曲を書いていると、自分の癖のような部分は出ていると思いますけど、僕はこれまで、自分らしい音楽ができればいいという発言は一回もしたことがないんですよ。そんなうぬぼれたことは言ってはいけない。周りが聴いて、”これは久石的”と言うかもしれませんが、自分ではそんなことは意識していませんね。」

-今作は、6回にわたるレコーディングを経て完成させたアルバムになりましたが、あらためて聴いてみるといかがですか?

久石 「オーケストラの録音は、空気感というか、スタジオでオンマイクの音で作る音楽ではなくて、響いている音で作り上げるんです。今回は、それをしっかり録るということをメインにして、その空気を伝わってくる音を大切にしてCDに仕上げることができたと思います。」

-ここ最近、ハイレゾ配信など、高解像度の音源が発売されていますが、それについて久石さんのご意見を聞かせてください。

久石 「高解像度だと、より生に近い音になるので、テクノロジー的により良くなるのであれば素晴らしいことだと思います。ただ僕の場合は、指揮台で一番いい音を聴いてしまっているんですよね(笑)。たまに、”僕って本当に幸せだなぁ”と思いますよ。それがあるので、CDや配信ではどうやっても劣ってしまいますが、でも僕が指揮台で聴いている音に近づいてくれるのであれば、どんどん進化してほしいと思いますね。」

-今後の予定、目標についてはいかがですか?

久石 「来年に向けて書かなくてはいけない曲があり、指揮者としても取り組まなければならない楽曲が、現代曲を含めてあるので、それらを中心にやっていきます。指揮だけを考えると、同じ曲でもシンフォニーなどは、5回10回と振っていくことで理解度が深まりますから、そういった経験は非常に重要です。なのでチャンスがあったらどんどんチャレンジしていきたいですね。」

 

 

About Recording

今回の録音は、コンサートの収録だったため、エンジニアを務めた浜田純伸氏はマイキングに関して、見た目が邪魔にならないように気をつけていたという。また久石さんからは、リハーサルの初日にマイクの数が多過ぎて、ごちゃごちゃして見えるという指摘があったそうだが、マイクを減らすことはせずに、ポジションを動かしただけで、そのまま進行させた。そのマイクの数は、予備も含めて合計56本になったそうだ。

初日のリハーサルが終わり、録ったテイクをプレイバックした際、久石さんから、パーカッションの音像と音量が大き過ぎることと、ソロ・バイオリンの音色が薄く抜けが悪いという指摘があった。パーカッションに関しては、マイキングだけでは対処が難しいということだが、弦のオンマイクに関しては、マイクの向きと指向性を調整。あとは、ミックスで処理することにしたそう。ソロ・バイオリンに関しては、マイクそのものを変えて対処したという。

レコーディング・システムはAVID Pro Tools | HDX、24ビット/96kHzで行われた。DSDでの録音も念頭にあったそうだが、トラック数が多いのと、ミックス時のさまざまな制約を考えて、Pro Toolsになったという。マイクのケーブリングは、吊りのマイク以外はすべてステージ上からマルチで舞台下手袖に作った仮説のモニター・ルームに引っぱり、プリアンプからダイレクトにPro Toolsに送っていた。さらにそのアウトをすべてアナログでSTUDERのアナログ・コンソール4台に送り、それをジョイントしてモニターしたという。

使用マイクは、メインのオーバートップに、デッカ・ツリーでNEUMANN TLM170を3本セットし、そのほかのアンビエンスには、B&K 4006、SCHOEPS BLM3、CMC64を使用。楽器は、ストリングスにNEUMANN KM841とAKGC414EB、C414ULS、木管はSCHOEPS CMC54、NEUMANN TLM103、SCHOEPS ZCMC621、金管はNEUMANN TLM49、TLM103など、ピアノはB&K 4011をステレオで、パーカッションはAKG C451。プリアンプはMILLENNIA、GRACE DESIGNを使ったとのこと。

 

 

Mail Interview 浜田純伸
ダイナミズムを失わないで奥行感のある音像に仕上がった

今回のアルバムのレコーディングとミックスを手掛けたエンジニア、浜田純伸氏に久石氏との仕事と、アルバムのエンジニアリングについて補足インタビューを行った。

-6回分のベスト・テイクを切り張りした編集作業はどこで行いましたか?

浜田 「久石さんの事務所、ワンダーシティです。」

-編集に使ったソフトとは?

浜田 「AVID Pro Toolsです。また、さまざまなノイズを消すためにIZOTOPE RXを多用しました。譜めくり、いすの鳴る音、咳、空調音……。今回はダイナミック・レンジの広い曲が多く、静かなところでは、結構細かなノイズが聴こえてくるためです。」

-編集作業で大変だったことは?

浜田 「今回はホールが2ヵ所あり、リハと本番でホールの響きもかなり違いました。その中から細かくベスト・テイクをつないでいったので、つなぎ目で響きの違いが不自然にならないようにEQ、コンプなどのオートメーションを書いた部分が大変でした。」

-ミックスでの作業環境を教えてください。

浜田 「Bunkamura Studioで行いました。すべてのトラックをSSLコンソールに立ち上げ、アナログ・ミックスです。オケものに関しては、Pro Toolsの内部ミックスよりもアナログに立ち上げた方が空気感と音像のなじみがいいため、久石さんの仕事のときは基本そうしています。」

-どんなエフェクトを使いましたか?

浜田 「リバーブはプラグインではなく、リアルにEMT 140とLEXICON 224X、480Lを使っています。ただし、EQ、コンプに関しては、個体差と再現性の問題でハードウェアは使っていません。今のプラグインは本当に素晴らしいものがいっぱいありますから。使ったEQは、主にWAVESのAPI 550B、Linear Phase EQ。ローカット用にAVID EQ III 1Band。コンプはWAVES Linear Phase MultibandとSONNOX Oxford TransMod、Oxford Inflatorなど。SSLでミックスした後に再びPro Toolsに戻し、マスター・コンプとしてLine Phase MultibandとOxford Inflatorを薄くかけています。」

-どのようなミックスを目指しましたか?

浜田 「初めはデッカ・ツリーなどのメイン・マイク中心の、いわゆるクラシカルなバランスで作っていたのですが、久石さんに聴かせたら、”全然ダメ”ということになり、当初より、オンマイクの音量がかなり上がってきています。」

-具体的なミックス方法について教えてください。

浜田 「久石さんとミックス作業をするときは、オンマイクとメイン系のバランスを、久石さんの指示の下に一つ一つ取り直していきます。レベルだけでなく、マイク間の距離の補正……測定した距離データを基にサンプル単位で遅延補正を行い、さらに聴感上の補正なども細かくやっています。その上で、ピックアップしたい楽器やうるさい楽器のレベルをPro Toolsのオートメーションで書き、さらにはEQやマルチバンド・コンプなどを使い、パーカッションなどの飛び出した部分を抑え込む。今回はそれだけでは終わらず、SSLのフェーダー・オートメーションまで使っています。結果、当初目指した”クラシカルなオケの響き”という点では若干音像が近くなりましたが、ダイナミズムを失わず、奥行き感のある音像に仕上がったと思っています。」

-サンレコ読者にひと言お願いします。

浜田 「ミックスより久石さんの音楽を聴いてほしい。その音楽の魅力を伝える上で、何かしらミックスが貢献していると感じてもらえれば最高です。」

(サウンド&レコーディング・マガジン 2014年11月号 より)

 

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サウンド&レコーディング・マガジン

 

Blog. 久石譲 『WORKS IV』 発売記念インタビュー リアルサウンドより

Posted on 2014/11/14

WEB 「REAL SOUND」に掲載された久石譲インタビューです。新作『WORKS IV -Dream of W.D.O.-』のロング・インタビューとなっています。

  • 久石譲のなかの「WORKS」シリーズの位置づけとは
  • 「WORKS IV」に収録された楽曲への想い
  • クラシック、現代音楽、エンタテインメント音楽の現状と課題
  • 人に聴いてもらう(CD/コンサート/文章 etc…あらゆるメディア発信)ことの大切さ
  • 2014年の仕事のスタンスと来年への展望

こういったことがじっくりと語られています。

 

 

久石譲、エンタテインメントとクラシックの未来を語る「人に聴いてもらうことは何より大事」

日本を代表する映画音楽の作曲家であり、近年はクラシックの指揮者としても活躍する久石譲。これまで多岐にわたる作品を発表してきた彼が、『WORKS』シリーズとしては約9年ぶりとなる新作『WORKS Ⅳ』を完成させた。映画やドラマなどに提供した楽曲を今一度フルオーケストラ作品へと昇華させるというコンセプトを持つ本作では、宮崎駿監督『風立ちぬ』や高畑勲監督『かぐや姫の物語』、山田洋次監督『小さいおうち』などの音楽がより一層格調高く、ドラマチックに演奏されている。クラシック音楽やミニマル・ミュージックを出発点としつつ、エンタテインメント分野で大きな足跡を残してきた久石は今、どんなビジョンを持って音楽を生み出そうとしているのか。今回リアルサウンドで行ったインタビューでは、収録曲のコンセプトから、現代音楽やクラシックへの問題意識、さらには“ポピュラーミュージックの勘所”といったテーマまで、じっくりと語ってもらった。

 

「宮崎さんとの仕事を、きちんとした形で残していこうという意図はありました」

―久石さんにとって『WORKS』シリーズの位置づけとは?

久石:映画など他の仕事でつくった音楽を「音楽作品」として完成させる、という意図で制作しています。映画の楽曲であれば、台詞が重なったり、尺の問題があったりとさまざまな制約があるので、そうした制約をすべて外し、場合によってはリ・オーケストレーションして音楽作品として聴けるようにする。『WORKS』シリーズはそうした位置づけの作品です。

―映画音楽は、音楽作品としての完成形を描いた上でつくられているのでしょうか。

久石:ものによっては音楽作品にするときのアイデアが浮かぶこともありますが、映画をつくっているときは、全体を見通すほどの余裕はありません。曲づくりが終わったあとに、客観的な視点を持って音楽作品になるかならないかを“点検”することが多いですね。

―『WORKS IV』では、冒頭に宮崎駿監督の『風立ちぬ』の音楽を組曲化した作品が収録されています。

久石:この曲の特徴としては、バラライカなどロシア系の民族楽器を使っていることが挙げられます。その民族楽器と、小編成のオーケストラとの協奏曲スタイルをとれば成立するのではないかと思ってつくりました。

―映画バージョンとはまた違う作品性があり、これは色々な場所で演奏されそうですね。

久石:そうなってほしいですね。一度こうして作品として形にすれば、きちんとした譜面を出すことになりますので、「もし演奏したい人がいればどうぞ」という思いです(笑)。手にしづらい民族楽器を使ってはいますが、バラライカはマンドリンで、バヤンはアコーディオン系で代用できます。アマチュアのオーケストラでも再現できる可能性はありますね。

―こうして作品化された背景には、ひとつの芸術作品として長く聴き継がれていくものを、というお考えもあるのでは?

久石:そうですね。たとえば宮崎さんとの担当作は数えて10作、30年間に及びます。それを多くの方が聴き、それぞれに評価してくれました。そして『風立ちぬ』が最後の(長編)作品になるということですから、きちんとした形で残していこうという意図はありました。

― 一方、高畑勲監督の『かぐや姫の物語』の音楽は、アニメーションと連動した躍動的でドラマチックな展開が印象的でした。再構成するにあたっては、どのような点を特に重視されましたか。

久石:これはかなり苦しみました。何度もトライして、うまくいかないからやめたりもして(笑)。でも、しばらく経つと、挫折したような感覚が嫌になり、再びチャレンジするんです。その繰り返しで、最終的にはコンサートの一ヶ月くらい前に完成しました。

―特に苦労された点とは?

久石:まず、本作の音楽としては「わらべ唄」という高畑さんご自身が作られた本当にシンプルな歌が基本にあるんです。それが重要なシーンに使われているから、僕の書く音楽にも五音音階を取り入れないとバランスが取れない。つまり、「ドミソラドレ」とか「ドレミソラド」というものですね。さらにこれをひとつ間違えると、すごく陳腐になり、不出来な日本昔話のようになってしまう(笑)。それをなんとか高畑さんのイメージに合うように工夫するのですが、高畑さん自身が音楽に詳しい方なので、細かい要求がたくさん出てくるんです。そのひとつひとつに応えていったことで、いろいろなスタイルの音楽が混在してしまうことになり、まとめるのが難しくなりました。

『風立ちぬ』でロシアの民族楽器を使ったように、「『かぐや姫の物語』は日本を題材とした映画だから、和製楽器の琴とオーケストラでやろう」というアイデアも出ました。ところが、そうすると逆にトリッキーになってしまう。一度聴く分には面白いんだけれど、きれいにはまとまらないんです。それで他の楽器を足すなど試行錯誤しましたが、オーケストラだけのシンプルな構成のほうが統一感がある、というところに行き着いて。そこに至るまでにけっこうな時間がかかりました。

また「天人の音楽」(天人が天から降りてくるときの音楽)は、もともとサンプリングのボイスなどを入れていたので、オーケストラとの整合性がうまくとれずに苦戦しましたね。ただ、それが現代的にかっこよく響いてくれれば成功するだろうという狙いが根底にありましたし、高畑さんも実験精神旺盛な方ですから、とがったアプローチをしても快く受け入れてくれました。「五音音階を使っているのに何故こんなに斬新なの?」と思わせるラインまではすごく時間がかかりましたが、結果として納得いくものができました。

―今作には山田洋次監督の『小さいおうち』をベースにした楽曲もあり、全体を通して昭和モダン的な雰囲気が伝わってきます。

久石:『風立ちぬ』や『小さいおうち』は戦時中、昭和の時代の話なので、その雰囲気は出てくればいいなと思います。ただ、僕は昭和25年生まれなので、戦争のことはもちろん、こうした作品の時代性や雰囲気はまったく知らない。知っているのは、高度成長期以後の昭和の雰囲気や、当時のポップスや歌謡曲なので、その雰囲気を出そうとは意識しました。

 

「モーツァルトだってハイドンだって、発注があってしか書いてない」

―今年3月に、今作のジャケットも手がけたデザイナー・吉岡徳仁さんとの対談番組(Eテレ『SWITCH』)があり、「発注がある仕事」の楽しさ、難しさについてのお話がとても印象的でした。

久石:彼はデザイナーだから、基本的には商業ベースでつくることになります。ただ吉岡さんにも自分のやりたいことがあるし、自分のつくりたいものと発注されるものは違うので、ある種の葛藤は持っています。そこの共通項ありましたね。

―どういった葛藤ですか?

久石:アーティストというのは、モーツァルトだってハイドンだって、発注があってしか書いていないんです。発注なしで作っていたのは、シューベルトとプーランクくらいじゃないかな。「浮かんだら書く」なんてそんな呑気な話はありません(笑)。

依頼は、作品をつくる手がかりにもなります。「お金がない」と言われたらオーケストラではなく小編成にするし、「アクション映画だ」と言われたらラブロマンスみたいな曲を書くわけにはいかない。このように、どんどん限定されていきますよね。そういった制約は決してネガティブなことではなく、「何を書かなければいけないか」ということがより鮮明に見えてくるだけなので、僕は気にしていません。

大事なのは、映画のために書いているふりをして、実は本当に映画のためだけではないこと。つまり、自分がいま書きたいものと発注をすりあわせていくんです。アーティストが書きたいと思っているものでなければ、人は喜んでくれない。いま自分が良いなと思っている音楽の在り方──それは幅広いジャンルにあるので、その中で、いま発注の来ている仕事と自分の良いと思うものとを照らし合わせるんです。

―それはご自身が30年以上このお仕事される身につけていったマナーですか。それとも、最初からお持ちの考えなのでしょうか。

久石:どうなんでしょう。その都度、一生懸命やっていることは確かで、基本的にはそういう姿勢です。頭で考えてスムーズにいく仕事はひとつもないので、毎回ああだ、こうだとやっていますよ。

―先の対談でもう一つ印象的だったのは、久石さんの「音楽をつくるには論理的でなければいけない」という趣旨の発言です。

久石:感性に頼って書く人間はダメですね。2~3年は書けるかもしれないけれど、何十年もそれで走っていくわけにはいきません。自分が感覚だと思っているものの95%くらいは、言葉で解明できるものなんです。最後の5%に行き着いたら、はじめて感覚や感性を使っていい。しかし、いまは多くの人が出だしから感覚や感性が大事だという。それだけでやっているのは、僕に言わせると甘い。ムードでつくるのでなく、極力自分が生みだすものを客観視するために、物事を論理的に見る必要があります。

―面白いですね。ご自身の中では、自らの音楽を解析していくプロセスは常に踏んでいると。

久石:そうですね。とはいえ、言葉で説明できる段階というのは、まだ作曲にならないんです。無意識のところまでいかないと、作品化するのは難しい。ある程度はつくっているけどピンと来ない、ほぼできているけど納得できない…というものが、一音変えただけでこれだ!という曲もあるし、どこまでやっても上手くいかないから、ゼロからもう一度、という場合もある。「残りの5%」のような解明できないところ、つまり無意識の領域にまでいかないと、作品にするのは難しいです。

―発表されている曲は、すべてそういうプロセスを経ていると。

久石:そういうことになります。

―久石さんのキャリアを振り返ると、ミニマル・ミュージックや現代音楽分野での創作活動を経て、ポピュラリティのある映画音楽の世界で広く活躍されてきました。二十世紀の実験音楽へのご関心は、今も継続して持っておられるのでしょうか。

久石:ミニマル・ミュージック以降の、ポストミニマルやポストクラシカルなどのジャンルでいうと、自分はポストクラシカルの位置にいると認識しています。そういう作品はいまも書き続けていくべきだと考えているし、力を注いでいる部分でもあります。現在つくっている音楽も、やはりベーシックはすべてミニマルです。それの発展系ですね。

 

「メロディは意外と古くならないけど、言葉は真っ先にダメになる」

―久石さんからご覧になって、ミニマル・ミュージック以降で、新しいことをやっているなと思うポピュラーミュージックはありますか。

久石:ありますよ。しかし残念ながら、ポップスの構造というのは単純なんです。和音も似たり寄ったりだし、リズムにも凄まじい変化があるわけではなく、どうしてもメロディラインが基準になってしまう。メロディに対してコード進行をつけるけど、皆が歌えることが前提になるので、複雑化させることが良いとは言えません。ポップスの面白みやすごさは、メロディと言葉が一体化したときに独特のものが出てくることです。特に言葉は、時代が反映されるから厳しいですね。多くのポップスミュージシャンやシンガーソングライターがコケてしまうのは、言葉なんですよ。すぐに時代に合わなくなってしまうから。

その点、メロディは意外と古くならないんです。良いメロディに時代に合うリズムを取り入れれば、一応形になるはずなのですが、真っ先にダメになるのが言葉です。言葉の表現は、作り手がある年齢に達したとき、若い人たちに「これは自分の歌じゃないな」と思われてしまう。響く範囲がものすごく狭いから、可哀想だなと思いますね(笑)でも、たまにものすごく衝撃的なことが起こることがあります。昨年ATSUSHIさんとのコラボ曲(「懺悔」)なんかは、商業ベースをすべて無視してつくったから、意外といい作品ができました(笑)。

―ポピュラーミュージックはつまるところ、言葉であると。

久石:基本は、歌ですよね。言葉とメロディが一体になったときに、理屈じゃないところで世界がずんと重く感じられるときがある。それがポップスの持っている圧倒的な力なんだと思います。

―他方で、現在ご自身がオーケストラ音楽に注力されているのは、クラシック音楽を多くの人に届けようという意図もあるのでしょうか?

久石:あります。ポップスをやっている人間から見たクラシックの最大の問題は、「古典」になってしまうこと。要するに、過去から繋がってきて現代があって、その先に未来がなければいけないのに、まるで過去しか存在しないような排他的な世界になりやすいことです。「ベートーヴェンは神様」みたいな人たちとやっていると、一般の人が入れない世界に入っていってしまう。

二十世紀の後半は現代音楽が盛んでしたが、いまは多くの音楽家が十分に活動できなくなっています。すると、みんな集客力の高い古いクラシックの曲を演奏するしかなくなって、音楽の流れが途切れてしまう。途切れると、未来はありません。だから僕は、クラシックのプログラムにも必ず現代音楽の要素を入れます。未来に繋がる新しい音楽を提供していかないと、クラシックはただの古典芸能になってしまう。それに対する危機感は、強く持っています。

―二十世紀後半に盛んだった現代音楽が行き詰まったのは、作曲者や演奏家を支援する体制がなくなったからでしょうか。

久石:それもありますが、もうひとつ「脳化社会」というか、ほとんどみんな頭でつくりあげたような作品ばかりになったことも大きいと思います。十何音の不協和音が飛び交うような音楽では、多くの人の理解を得るのは不可能だろう、ということです。机上で書いた空論ばかり。プロでも違いのわからない、勝手に頭のなかで組み立てた音楽だけになってしまうと、観客はいなくなり、希望に燃えてつくっているものが頭打ちになってしまう。

それに対してアルヴォ・ペルトという作曲家などは、不協和音も書いていたけれど、「原点に戻らないと音楽がダメになる」と先陣を切り、多くの音楽家がその方向に向かいました。その大きい動きの中に自分もいるという気がします。いま日本にいる、いわゆる「現代音楽」の作曲家と同じことをするのではなくて、僕がやりたいのは「現代“の”音楽」。エンタテインメントの世界にいるから、人に聴いてもらうことを何より大事に思っているんです。だから、現代にあるべき音楽というのを一生懸命紹介したり、書いたりしていきたいですね。

―未来につないでいきたいというのは、どういった場に向けてですか。

久石:基本的にはコンサートとCD、できるだけあらゆるメディアを使って表現していく必要があると考えています。場合によっては文章でもいい。そのために、いろんなスタイルで発信していくつもりでいます。

 

「ウケなければ正義じゃない、というエンタテインメントの鉄則が好きなんです」

―先ほどもお話に出ましたが、久石さんが刺激を受けるクリエイターを何人か挙げていただけますか。

久石:最近だと、アメリカの32歳のニコ・ミューリー。彼はいいですね、完全にポストクラシカルの人間で、ビョークのプロデュースをしたり、メトロポリタンオペラというアメリカで一番大きな歌劇場でも曲を書いています。技術力もある。こういう新しい世代がガンガン出てきています。セルゲイ・プロコフィエフの孫にあたるガブリエル・プロコフィエフも面白いと思います。

また、最近気になっているのは、スウェーデンの『ブリッジ』というテレビドラマの音楽です。ノルウェーとスウェーデンには橋があり、そのど真ん中に死体が出て、どっちの警察が処理すべきかわからないから特別編成チームができる。しかし、お互いに自分の国の進め方があるから喧嘩しながら捜査していくことになる。そこに猟奇的な連続殺人事件が起きて…という物語で、いまちょっとハマっているんですよ(笑)。そして、エンディングに流れている北欧独特の音楽が非常に良い。シンプルに見せておいて、ふとした切り口がすごいんです。「これは俺たちが20分かけてフルオーケストラでやっても表現できないな」という音楽に出会うことがあります。

―久石さんは今後、ポピュラーミュージックの分野でもお仕事をされますか。

久石:そうですね。仕事を選んではいますが、決してエンタテインメントなことをやめたわけではないんです。客観的になることは、自分にとっては大事なこと。作品ばかり書いていると自分のことしか考えなくなります。それに、エンタテインメントの鉄則が、僕は好きなんですよ。それは、「ウケなければ正義じゃない」ということ。自分がいいと思うのが正義ではなく、売れたものが正義。ウケなくなったらまずいので、絶えず自分と時代について考えなければならない。それは続けていこうと思っています。

―日本のエンタテインメント音楽の現状についてはどう思われますか。

久石:そもそもCDが売れていませんからね(苦笑)。音楽という文化的なもので感動する下地を、みんなできちんと考えなければ、先は厳しいなと思う。あとは、情報化の行きすぎが気になりますね。音楽はそれなりの装置やプロセスを経て作品と対峙しないと厳しい。音楽をただの情報として捉えるようになってしまうと、音楽への感動はなくなるのではないかと思うんです。ポップスのアルバムで10曲入れようとすると、コマーシャルの音だけじゃなくて、「今やりたい音」も入れることで、トータルで本人のやりたいことが見える。それを、一曲ごとのダウンロードを主流として考えていたら、単発のコマーシャリズム狙いになってしまいます。すると結果的に自分たちが疲弊していくし、音楽にパワーがなくなっていく。クラシックの話でも同じことを言いましたが、新しいことをやらないと先はないんです。重要なのは、その音楽にオリジナリティがひとつでもあるかないか──CDを買ったら、まずはそれをきっちり聴くという作業をしてほしいですね。

―作り手も、自分のやりたい領域を確保していく必要があると。

久石:そうです。僕もかつて一生懸命にポップスをやっていましたが、ひとつのベースの音をつくるのにシンセサイザーを組み合わせたりして、5時間かかったりするわけです。でも、いまはプリセットでも簡単に作れてしまう。当然ながら、誰でも作れる音にお金を払う価値はなくなります。日本のJ-POPといわれるものを聴いたら、みんな音が同じだもん。歌もみんなピッチを変えて(笑)、修正ばかりでつまんないですよ。

僕が思うのは、ひとつのものをつくるには手間暇をしっかりかける必要があるということです。「みんな使っている音では嫌だから、自分でつくろう」という気持ちは大切です。たとえばハイハットの音だって、自分でつくれば人に届くんですよ。ポップスの場合は音をわかりやすくするために分厚くできないから、ベースやドラムの音ひとつで世界観をつくる、というレベルまでつくりあげないと、聴く価値には行き着かないと思います。

―ご自身でも、J-POP的な楽曲にチャレンジしようという気持ちは?

久石:いえ、今のところはありません(笑)。ただ、面白いことだったらもちろんやりたいから、アイデアが出れば挑戦したい。可能性はなくはないですね。

―精力的に演奏活動をされていますが、じっくりと作曲する時間はどう確保されているのですか?

久石:難しいですね。まずは来年など、ずいぶん先に委嘱されているものをきちんとつくらなければいけないし、それにはやはり手間暇がすごくかかるんです。自分の作品を書くことと、エンタテインメントの仕事と、そのあたりの時間の配分はかなり考えないといけない。だから、いつも落ち着かないですね。あれもこれもやんないと…と思いながら、深夜にはアメリカのテレビドラマを見ちゃうんですけど。見だすと止まらなくなるから、テレビのない世界に行きたい(笑)。

―最後に、久石さんが常に休まず、クリエイトし続ける理由とは?

久石:僕は走りながら考えるタイプなんです。立ち止まって考えると、逆になにもできなくなってしまう。だから、つくりながら考え、修正を加えていく、というのが性格的に向いていると思います。ただ、今年は依頼をほとんど断って、よく立ち止まるようにしているんです。来年からはもう一度、しっかりやりたいと思っていますよ。

(取材・文=神谷弘一)

 

記事はこちらからご覧いただけます>>>
リアルサウンド 久石譲、エンタテインメントとクラシックの未来を語る「人に聴いてもらうことは何より大事」

 

 

『未来へつなげる』というキーワードがインタビュー中に出てきます。これがどうも2015年以降のひとつの軸となっていきそうです。

それは、

  • 自身の作品を自らによって人に聴いてもらう機会 = CD / コンサート / メディア発信
  • 自身の作品を他者によって人に聴いてもらう機会 = 楽譜出版による他者演奏機会
  • 他者の作品を自らによって人に聴いてもらう機会 = クラシック音楽 / 現代音楽

その根幹は久石譲が未来につなげたい音楽作品を、ということになります。かつ、2014年現在、久石譲は自らの肩書き=作曲家 ということを大事にしています。もちろんこれまでもそうですが、こういうコメントをしています。

「僕は肩書きで言ったら作曲家ですから。指揮もピアノもしますが、基本は曲を書く人です。それがないと自分の音楽活動は成立しません。だから作曲というのはどこまでも大事にしたいですね。」

 

これまでの久石譲作品でWORKSシリーズのように昇華されていく名曲たち、はたまた新しく書き下ろされることになる”未来につなげだい新作”の誕生か!?どういう音楽活動に発展していくのかますます楽しみですね。

 

Related page: 《WORKS IV》 Special

 

久石譲 リアルサウンド1

久石譲 リアルサウンド2

 

Blog. 「クラシック プレミアム 22 ~メンデルスゾーン / シューマン~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 20014/11/12

「クラシックプレミアム」第22巻は、メンデルスゾーン / シューマン です。

ロマン派を代表するふたりの作曲家が特集されています。ロマン派についてわかりやすく解説されていましたので少し長文ですがまとめておきます。

 

「ロマン派とは、古典派に続いて現れた音楽史上の一つの時代であり、1790年頃から1910年頃までを指すというのが一般的で、中心的には19世紀の芸術活動を指すことになる。ロマン派というのは、ロマン的なるものを徹底して追求した芸術上の思潮であり、それは、感情的な営みが、秩序や理性といった原理・原則以上に優先された、そんな時代を指すということができよう。」

「すなわち、ロマン主義とは、理性に対して本能が、形式に対して想像力が、頭脳に対して心が、アポロ的なるものに対してディオニュソス的なるものが優先される、そんな時代の芸術活動ということができよう。これは、一つ前の啓蒙主義の時代には抑圧されていたものであったし、古典主義的な価値観、つまり、何よりも秩序を理想としていた時代とは明らかに異なるものであった。理性的で説明可能な世界から、何よりも自由で、神秘的で、超自然的な営みへの願望が強くなってきた時代思潮なのであり、それは未来への憧れと夢想とが混在する、そんな時代の営みということもできよう。」

「当然、こうした考え方は、音楽に対する期待感を変えることにもなってきた。それは、まず形式や構成に対する変化となって表れてきたし、音色も、音量も貪欲に追求されてきた。その結果、作品の規模が拡大されてきたし、オーケストラ編成も拡大されてきた。そして協奏曲は、人間の能力をほとんど超えるかと思わせるほどに超絶技巧がちりばめられるようになり、パガニーニやリストらの演奏が人々を感動させたのである。」

 

 

【収録曲】
メンデルスゾーン
ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64
ヴィクトリア・ムローヴァ(ヴァイオリン)
サー・ネヴィル・マリナー指揮
アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ
録音/1990年

シューマン
ピアノ協奏曲 イ短調 作品54
アルフレッド・ブレンデル(ピアノ)
クラウディオ・アバド指揮
ロンドン交響楽団
録音/1979年

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第22回は、
音楽は時間軸と空間軸の上に作られた建築物?

前号以前からの「視覚と聴覚」についての内容が続きます。

今回はとりわけとても難しい内容だったのですが、ある意味において久石譲が数十年前から語っていること、音楽論における自身の核心的な内容を含んでいます。

とてもどの一部を抜粋するかに悩んだ末…これだけ核となっている今号エッセイ内容であり、抜粋したがために書き手の伝えたかったことの意図に反してしまっては…と思い、いつもよりも容量多めに紹介します。

 

「養老孟司先生が言うには、「人間は脳が進化して意識が生まれた。動物の脳みそは小さいが、人間の脳みそは大きくなって目にも耳にも直属しない分野『連合野』ができた」……なるほど、目と耳から違う情報が入ってきても、どちらも同じ自分だよ、と言い聞かせる機能が必要になったというわけだ。それで「目からの情報と耳からの情報、二つの異質な感覚を連合させたところにつくられたのが『言葉』。人間は『言葉』を持つことで、世界を『同じ』にしてしまえたんです」。いやー、『耳で考える』で対談したときよりも少しは頭が良くなったと思っている僕でも、今読み返すとブラームスの交響曲第1番第4楽章の雲間から光が差し込むようなホルン、あるいは暗闇に走る稲妻のごとき衝撃的かつ啓示的な言葉だ。」

「言葉は目で見ても耳で聞いても同じである。だがそれを結合させるためにはある要素が必要になる、と養老先生はおっしゃる。もう少し引用するのをお許し願いたい。「視覚にないものは何か、それは『時間』です。写真を撮ってもそこに時間は映らない。絵にも時間は描けない。目にとって、時間は前提にならないんです。その代わり、空間が前提になる。一方、聴覚にないものは何か、『空間』です」と言い切っておられる。そして聴覚にないものの「空間」について、デカルト座標は視覚、聴覚は極座標で距離と角度しかなく、どのくらい遠くから聴こえるからと、どっちから聴こえるか、それだけです、と補足している。」

「その上で「目が耳を理解するためには、『時間』という概念を得る必要があり、耳は目を理解するためには、『空間』という概念をつくらなきゃいけない。それで『時空』が言葉の基本になった。言葉というのはそうやって生まれてきたんです」。 さあ、いよいよ出ました「時空」という言葉!」

「音楽は時間軸と空間軸の上に作られた建築物である──久石譲」なんてね。

「いずれこの連載で書くであろう音楽の3要素、すなわちメロディー、リズム、ハーモニーは時間軸と空間軸の座標上の建築物であり、その中のハーモニーは空間的表現であると解釈されている。と続けたいがその前に「時空」という言葉をウィキペディアで調べると「時間と空間を合わせて表現する物理学の用語、または、時間と空間を同列に扱う概念のことである」……?」

「要約すると、人間は視覚と聴覚から入る情報にズレがあり、それを補うために言葉を発明し、その言葉の前提は時空にある、ということだ。そしてその時空は音楽の絶対的基本概念でもあるわけだ。」

「時間が絡むと、そこには論理的な構造が成立する。つまり言葉は「あ」だけでは意味がなく「あした」とか「あなた」などと続いて初めて意味を持つ。その場合、どうしても「あした」と読むために時間経過が必要である。このように時間軸上の前後で関係性が決まるものは論理的構造をもつ。音楽でも「ド」だけでは意味がなく「ドレミ」とか「ドミソ」などと続けて初めて意味を持つ。だからこれも論理性が成立する。」

「一方、絵画は論理的構造を持たない。絵を観るのに時間がかかったというのは本人の問題であって表現自体に時間的経過は必要ない。よって絵画は論理的構造を持たない。「百聞は一見に如かず」。見えちゃうんだからしょうがないだろうということはやはり論理性は感じられない。断っておくが絵が単純だと言っているわけではない。だからこそ論理を超えた体感という何かを感じるわけだ。」

「多くの人たちは音楽を情緒的、あるいは情動的なものと捉えているが実は大変論理的な構造をもち、それこそが音楽的ということなのである。」

 

 

以前より久石譲がインタビューなどでも語っている音楽についてのこと。「ド」だけでは意味がなく「ドレミ」とか「ドミソ」などと続けて…あたりもそうです。そしてそんな具体例の核にあるのが、『時空』であり『時間軸と空間軸』です。

実はこれ、1997年の映画『もののけ姫』に関するインタビューでも登場します。ちょうどつい先日そのインタビュー内容は掲載しています。

こちら ⇒ Blog. 久石譲 「もののけ姫」 インタビュー ロマンアルバムより

 

久石譲の作曲活動において、とても核心的な部分であったため、今号のエッセイは一部だけを抜粋してしまうことに躊躇してしまったわけです。少し多めにご紹介しました。まさに久石譲の音楽的思考が凝縮された内容でした。

 

クラシックプレミアム 22 メンデルスゾーン シューマン

 

Blog. 宮崎駿監督 アカデミー賞 名誉賞 スピーチ&記者会見

Posted on 2014/11/11

世界的なアニメーション映画の巨匠、宮崎駿監督にアメリカの映画芸術科学アカデミーから「アカデミー名誉賞」が贈られ、2014年11月8日、授賞式が行われました。日本人が受賞するのは、黒澤明監督以来、2人目です。

 

アカデミー賞 名誉賞 授賞式スピーチ

「私の家内は『おまえは幸運だ』とよく言います。ひとつは、紙と鉛筆とフィルムの最後の50年に私が付き合えたことだと思います。それから、私の50年間に私たちの国は一度も戦争をしませんでした。戦争で儲けたりはしましたけれど、でも戦争はしなかった。そのおかげが、僕らの仕事にとってはとても力になったと思います。でも、最大の幸運は今日でした。モーリン・オハラさんに会えたんです。これはすごいことです。こんなに幸運はありません。美しいですね。本当によかった。どうもありがとうございました。」

 

記者会見

-受賞の印象と出席した感想について

「ジョン・ラセターの友情に負けて来ました。」

-アニメーション、映画、芸術に関しての自身の貢献について

「あと100年ぐらい経たないとわからないのではないでしょうか。」

-引退の理由と現在の活動について

「紙と鉛筆は手放していません。フィルムがなくなっただけです。今フィルムが世界から消えてしまったんです。ちょうどいい時でした。」

-授賞式の感想

「一番驚いたのは、同じく名誉賞を受賞したアイルランドの女優、モーリン・オハラに会えたこと。94歳です、すごい。だいたい僕は、モーリン・オハラさんが生きているなんて、自分が会えるなんて夢にも思わなかった。これが今日の一番、生きているととんでもないことが起きるんだ、という感想です。」

-オスカー像を持った感想

「重いんですよ。ちょっと持ってみてください。どれだけ重いかわかるから。(手に持ってみる質問者の記者)これしかも箱をくれないんですよ。モーリン・オハラさんが車椅子で出てきたんですけど、これを手に持ったら、金が銀でできてればいいのにと言ってました(笑)」

-受賞したこと、式への出席に関して

「ジョン・ラセターさんの陰謀ではないかと。相当運動したに違いないとか色々思っているんですけど、わかりません(笑)(今回は受賞式に出席したのも)ジョン・ラセターの脅迫です。怖いんですよ。これはもう行くしかないという感じだったんです。それで陰謀説を僕は思ってるんですけども。いや、本当に友情が厚いんです。もうなんでこんなに友情が厚いだろうというふうな男ですね。だから仕方がないと。」

「これ(タキシード)は家内と二人でデパート行って買ってきたんですけど、生涯1回しか着ないもんだけど、まあそういうこともあるだろうということで。初めて蝶ネクタイもして、これホックで留めればいいやつなんですけど、似合うも似合わないもないですね、はい(笑)」

-宮崎監督にとってアカデミー賞というものは

「本当のことを言っていいなら言いますけど、関係ないんです。つまりアカデミー賞ってのはね、モーリン・オハラとかですね、そういう人たちのものであって。アニメーションをやろうと思った時に、アカデミー賞に関わりのあることをやることになるだろうなんて思ってもみないです。それは目標でもないしね、視界に入っていない出来事でしたから。」

-モーリン・オハラさんに挨拶した時のことについて

「とにかく何が驚くって、モーリン・オハラさんに会うなんて、僕はもう本当に思ったこともなかったから。車椅子で来られたんですけど、始まる前に挨拶にちょっと伺ったら、向こうは僕のこと何もわかるはずないですからね、お孫さんが世話をされてて、その方が声をかけてくださったんですけど。振り向いた時にね、こういうふうに(仕草を真似してみせる)、シルエットが昔のまんまなんですよ。ハッ!と思いました。」

「直接やりとりしたというほどのことはないですけど、「『わが谷は緑なりき』のあなたが素敵だった」と僕は言いました。そうしたら、「ジョン・フォードは本当におっかない監督だった」って仰ってましたけど、それ以上とやかく言う時間はないですからね。すごいですね、生きてるといろんなことがあるだと本当に思いました。」

-今後のアニメとの関わりについて

「もう大きなものは無理ですが、小さなものはチャンスがある時はやっていこうと思っています。ただ無理してもダメなんで、もう。だから出来る範囲でやっていこうと思っています。僕らはジブリの美術館があるものですから、お金に関係なしに、つまりどれだけ回収をできるかっていうのをなしに公開することができるんですよ。そうすると、今もう9本できてるのですけど、1本につき1年間に一ヶ月以上やることになるわけです。その時に来てくださったお客さんはみんな見ていってくれますから、けっこうお客さんの多い映画になるんですね。つまり、売れなくていいわけですから、こんなにいいチャンスはないんですね。ジブリ美術館の短編映画は作れる限り作っていこうと思っています。」

-現役であるかについて

「現役じゃないでしょう?現役っていうのはもう少し仕事やると思うんですけどね(笑)あんまり自分を「現役」って叱咤激励してやったところで無駄だから、出来る範囲でやっていこうということでいいと思いますけどね。今日94歳とか87歳とかそんな人ばかりに出会ったものですから、本当に小僧だなと思ってね。僕、73なんですけど、恐れ入りましたという感じでね。リタイアとかなんとかあまり声を出さず、やれることをやっていこうと思いました。」

-ジブリ美術館の短編映画について

「(美術館の展示は)1年で展示替えになるんです。そうすると、もう次のことを考えなきゃいけないんですよね。これもけっこう手間がかかって大変ですね。この次の企画は、もし今はなしている企画が決まるとしたら、あんまりお子様へのプレゼントじゃないですね。(どのような企画かとの質問に)それはまだ発表できないです。だってやるかやらないかまだ決まってないんだもん。」

-創作へのモチベーションについて

「(中継を見ている多くの視聴者から、短編期待しているとの声に)ありがとうございます。されない方が楽なんですが(笑)モチベーションは毎回衰えるんです。それで、ある日突然、こんなことではいかんと力を取り戻そうと思うんですけど、そういうことの繰り返しです。僕の歳になったらそうだと思います。そうじゃない人もいると思うんですけどね。でもまあ、あんまり齢をとって仕事仕事といってるのもみっともないし、あんまりぽーっとしててまわりに迷惑をかけてもいけないから、ほどほどのところで。自分の仕事場に入って、途端に机にかじりつくってよりも、そのまま寝てしまうことのほうが多いから。まあ起きますけどね。疲れが出るテンポが緩やかなんですよ。若い時は半年くらいで疲労がピークを越えて回復に向かうんですけど、それが出てくるのが遅くなる、なおるのも遅くなるという風に、どんどん後ろにずれてきて。歳をとると、たとえば山登りをして、筋肉が二日くらい痛くならないんですよね、なんともないやーなんて思ってる途端に、階段のぼれくなったりするんです。それと同じような感じを今味わっていますね。これは前の作品のせいなのか、今までの悪業の報いなのかわかりませんが。初めてのことだから、やってみないとわかりません。ただ、美術館の展示については、可能な限り噛んでいきたいとは思っていますけども。」

-出席した式の感想を改めて

「鈴木Pはずいぶん面白がってましたね。僕はラセターが横に座ってて、しょっちゅう握手したりハグしたりいろんなことされて、冗談じゃないですよね(笑)あんまり大体得意じゃないんです、そういうものが。でもまあ、できるだけにこやかにやってきたつもりです。氷の微笑みみたいに、こう。(と顔をゆがめてみせる)」

「賞ってね、もらえないと頭にきますよ。でも貰って幸せになるかっていったら、ならないんですよ。なんにも関係ないんです、実は。それで自分の仕事が突然よくなるとかね、そういうことないでしょ。もうとっくに終わっちゃった仕事ですからね。それで、その結果を一番よく知ってるのは自分です。あそこがダメだったとか、あそこは失敗したとか、誰も気が付かないけどあそこは傷だとかね、そういうもの山ほど抱えて映画って終わるんですよ。だから、お客さんが喜んでくれたっていっても、そのお客は本当のことをわかってない客だろうとかね、だいたいそれくらいの邪推をする類の人間なんです僕は。だから、自分で映画は終わらせなきゃいけない。賞をもらえれば嬉しいだろうと思うけど、賞によって決着はつかないんです。むしろ、それなりに翻弄されますから、ドキドキするだけ不愉快ですよね。不愉快って変な言い方ですけど。僕、審査員には絶対ならないつもりなんです。順番は絶対つけない!答えになってないですかね?(笑)」

-ラセターさんや鈴木さんや奥田さんに祝福された時間は楽しかったのでは

「いや、ご飯食べる暇もないですからね。いろんな人が来て、「俺はナントカで、前にジブリに行ったことがある」とかね、覚えてないですよ。それで、しょうがないから握手してどうもありがとうとか言って、そんなことばっかりやってなきゃいけなくて。」

「(ハリー・ベラフォンテは良かったですよね、と鈴木P)ハリー・ベラフォンテさんも受賞されたんです。この人は、87?88で大演説ぶってましたね。人種差別を。人種差別と戦い続けてきた人ですから。それでシドニー・ポワチエが…(87歳、と鈴木P)、80代ですからね、こっちは小僧ですよ。それでなんせ、モーリン・オハラさんが94でいるんですからね、どうしていいかわからないですよね。隅っこの方で小さくなるしかない。」

-モーリン・オハラさんについて

「(記者から、宮崎監督が一番若い受賞者で、受賞者の平均年齢が84歳であるといわれ)モーリン・オハラさんが稼いでるんです(笑)もちろん、年齢がもたらすものを十分モーリン・オハラさんも抱えていたけど、お孫さんがついてて、お子さんたちは既にお亡くなりになっているかなっていないかわからないけどね、そういう齢ですよね。でも、素敵でしたね。僕は堂々とね、こっそり言ったんです、「とても綺麗です」って!本当にそう思ったから。」

(ここで記者、レッドカーペットでモーリン・オハラさんに「今日、宮崎監督が来たのはモーリン・オハラさんに会うためなんですよ」と伝えたら「私も会うのを楽しみにしているわ」と言っていたというエピソードを話す)

「それはもう、大女優をずっと続けてきた人だもんね、それくらいのさばきはできますよ。だってミヤザキなんてわけのわかんない奴、知ってるわけないじゃないですか。あのね、ちょっと会場で映像を流しても、モノクロ時代のスターって本当にスターなんですよ。映画はモノクロ時代は本当にそういう意味を持っていたんですね。それだけでもう、ヤバイですよね。スゴイ!って(笑)」

-1980代の受賞者に会って、また長編を作りたいというパッションは湧いてきたか

「そういう上手な結論にはいきません、話まとめるにはいいでしょうけど(笑)その部分は変わらないです。自分に何ができるかということと、何ならやるに値するのかということ、これなら面白そうだということが一致しないといけない。それから、製作現場を作っていく時に条件がありますから。お金の条件だけじゃないんです、人材の条件もですね。それを満たすことができるかとか、そいうことを考えなければいけませんから。」

「美術館の短編というのは10分ですけども、世界を作るという意味では1本分のエネルギーがいるんです。
ただ、人間が喋らない映画にしたいと思っていますから、台詞がない映画にね。そういう点では楽ですけど。もう年寄りは何やってもいいんですよ。無声映画だってやっていいと僕は思ってるんです。今モノクロでやろうとするとかえって大変だから、それはやりませんけど。」

「自分がやりたいこと、でも同時にスタッフにとっても、一度はやっても意味があるだろうという仕事でなければならないと思ってるんです。なんとなくワーッとやって手伝ってたら終わっちゃったじゃなくね、そういう仕事のやり方や現場が作れないかなとは夢見ますね。そうじゃないと毎日行きたくなくなるもんね。そういうことは思いますけど、なんか時間がかかりそうでヤバイですね(笑)」

「むかし僕はものすごく手が速かったんですよ。だんだん遅くなるんです。1日に14カットの原画をチェックしなきゃいけないっていうノルマを自分で組み立てた時があったんですけど、それがトトロの時に6カットになったんです。1日6カットだけやればいいんだ、なんて楽なスケジュール!って思ったのに、もう全然6カットがいかないんです。中身が変わってくるのと自分が歳をとっていくのでどんどん遅くなるんです。最後の作品では、1日3カットやってればよかったんですけど、3カットができないんです(笑)」

-黒澤明監督以来、2人目の受賞については

「いや僕は、黒澤さんももらいたくなかったんじゃないかなと。今までのことをね、功労しますみたいな賞ってもらったってしょうがないですよ。もっと生々しいものだと思うんですよ、映画をつくるって。作った!見てみろ!でドドッと賞が来たらいいけど、ずいぶん長くやってましたねってこう、ご苦労さん賞みたいなね、そういうのでしょうやっぱり。(オスカー像は)重いですけど。もっと軽いものつくりゃいいのにと思うけど(笑)」

「さっきも言いましたように、賞で何も変わらないんですよ本当に。だからこれはもう、もらう時はありがとうございますって受け取るけど、それからラセターたちの友情は本当に、本当に感動的な、本当に忠実な友というのはこういう人たちを言うんだなと思いますけどね。で、そういう人に出会えたっていうのが幸いだと思うんですけど、もう忠実過ぎて、「これが最後だから俺んち来い、俺の汽車に乗せる、ヨセミテにつれてく」ってもう、チョー辛いなって思ってるんですけど、(鈴木P、日本テレビ奥田Pのほうを見て)あそこらへんも一緒に行く羽目になるから(笑)辛いなって言えないですよもう。「わかった、これが最後だ」って。最後が続くんじゃないかなと思ってるんですけど(笑)それで、ヨセミテ寒いぞって言われたから、防寒具とかいろんなもの持ってきたのに、暑いでしょここ。エアコン入ってるじゃないですか、着るものがなくてね。下着が冬物を持ってきてしまって、今僕も暑いんです。なんだかわけわかんないですね(笑)」

-ラセター氏が、宮崎監督はウォルト・ディズニーに次ぐ人材と言っていたことについて

「まあ、贔屓の引き倒しだと思っていたほうがいいと思いますよ。僕はウォルト・ディズニーという人は、プロデューサーとして優れていると。途中からプロデューサーとして優れている、初めはアニメーターでしたよね。それで昨日、ディズニーランドの中にある…(鈴木P&奥田Pに)あれなんていうクラブでしたっけ?(カーセイサークルと答える両者)カティーサークではないんですね。…というクラブがあって、それは仕事終わった後アニメーターたちが寄れるようなクラブを作りたいと思ってただけらしいんですけど、そのクラブをラセターたちが考えて作って、そこに古い写真を引きのばして飾ってあるんですよ。それを見るとね、本当に若いアニメーターたち、ウォルト・ディズニーも若い。それで打ち合わせしてるんだけど誰も煙草吸ってないから、おかしいなと思ったら、こう手に持ってるのを消してあるんですね、修正で。そんなことありえないですよ、絶対にこうやって(吸ってた)はずなんで、面白かったですね。」

「でも、そこにあるのはね、やっぱりなんか、これから時代を切り開く、というよりも自分たちの時代を作ろうと思ってる、作れるんじゃないかと思っている人間たちが集まってるものが、その写真にありますよ。それで、みんなネクタイ締めてやってる。きちんとしてやってるんですよ。夏はどうしたんだろうと思うんだけど。夏の写真じゃないと思いますけどね。そういう時代が確実にあって、その時にディズニーやウォルトナインズと呼ばれたアニメーターたちが、自分たちは新しい意味あることをやっていると思って仕事をしたんですね。それに対しては、本当に僕は敬意を感じます。企業としてね、ディズニープロダクションがどうやって生き残っていくかっていうことについては、殆ど僕は関心がありませんけど、あの瞬間のあの写真を見ると、ああこれはいい連中だなと本当に思いますね。そういう意味では僕らも共通する瞬間を何度か実際に持っていますから、それから推測するしかありません。」

-式典終わってホッとしているか

「ホッとできないんですよね。明日朝9時に朝食会があって、それからどっかに飛ばされて…だからなるべく早く寝なきゃいけない(笑)ホッと…ホッとはしてませんよ。けっこう感動するところでは感動しているんですよ。モーリン・オハラさんに会ったんですよ!僕、手まで握ってきたんですから!まわりが気が付かないうちに(笑)そういう興奮は本当に残っています。ハリー・ベラフォンテも素敵だったけど、やっぱりあの美女が振り向いた時に…本当にね、シルエットは昔のモーリン・オハラだったんです。僕もうそれを見たときは息をのみましたからね。あとはシワがあろうがシミがあろうが関係ない。そんなの自分にもいっぱいあるからそんなのどうでもいいんですけど。やっぱり大した時代を生きてきた人だと僕は思います。」

-今回のアカデミー名誉賞にあまり価値や意味を見いだせないものか

「あらゆる賞に対して僕はそうなんで、何もこれだからペケだとかそう思ってません。さっきも言いましたように、賞っていうのは相手にされないと悔しいし、もらって幸せかっていうとそれも幸せじゃないんですよ。だから、なきゃ一番いいもんなんです。わかりません?(笑)」

※ここで奥田Pより、宮崎監督の式典でのスピーチ内容について説明がある。

奥さんに、あなたは運がいいと言われた。
1つめ、鉛筆と紙とフィルムの時代の最後の50年に立ち会えたことの幸運。
2つめ、その50年間、日本では戦争が一度もなかったことも幸運だった。戦争で儲けたりはしたけど、戦争はしなかった。

「(戦争で儲けたりたりはしたけど、という点は)プロデューサーがそういう話を来る飛行機の中でしたもんですから、ちょっと付け足さなきゃいけないと思ったんです。正確に言うと、70年近くしてないんですね。それは、なぜそういうことを言うかといいますと、僕らの先輩よりもうちょっと上の、戦前にアニメーションをやりたいと思った人たちは、本当に戦争によってどつきまわされているんです。戦時中に企画が立てられて、桃太郎の…海鷲だっけな荒鷲だっけな、という映画(※「桃太郎の海鷲」と思われる。1943年に公開された日本初の国産長編アニメ)なんかも、これ力作なんですけど、出来た時はもう負けに瀕してる時で、映画を公開してすぐ戦争が終わってしまって、そのままお蔵入りになってしまうというね。それでその後、仕事なくなるという。そういう風な目にあって、「桃太郎の海鷲」を作った人なんかは、結局本に出せなかったけど、アニメーションの入門書のゲラを僕は見せてもらったことがあるんですが、本当にわかってる。こんなにどうしてわかったんだろうというようなことを。アニメーターの勘というのはね、修行じゃなくてものの観察の中から生まれてくるんで、本当にたちまちのうちに理解する人は理解するんですね。それを見てひどく、「この人たちは結局、戦争終わった後アニメ―ションを続けることはできなかった」と。しばらくしてから復活しますけど、本当に巷に仕事がなかったんです。」

「それで、僕にも影響を与えてくださった大先輩は、アニメーションやるって言ったらバカかと言われながらやってきた人間です。大塚康生さんという人が僕の直接のお師匠さんなんですけど、十歳年上ですが、彼は厚生省の役人を27歳までやって、麻薬Gメンで、それでもアニメーションをやりたくて辞めて東映動画っていう会社に入ったんですよね。その結果、給料は1/3になってしまったんです。彼は、やっぱりその何年間かを失っているんです。それは努力もし勉強もしていたかもしれないけども、二十歳から始めていたらね、その7年間て物凄く実りの多い期間だったはずなんです。それはその後も努力をして色々な成果を残してくれた人ですけど、「ルパン三世」を最初にやった人ですよね。だから戦争の影っていうのは、戦時中に大人でなくても、いっぱいいろんなところに影を残してるんです。」

「僕は、ちょうど「鉄腕アトム」が始まった1963年にアニメーターになったんです。アトムをやったんじゃありませんが。1964年にオリンピックです。高度成長経済が始まってる時です。その後ね、色々あってもとにかくアニメーションの仕事を続けてこれたっていうのは、やっぱり日本の国が70年近く戦争をしなかったということは物凄く大きいと思っています。特にこの頃ひたひたと感じます。もちろん、特需で儲けたりとか朝鮮戦争で、それで経済を再建したとかね、そういうことはいっぱい起こってるんですけど、でもやっぱり戦争をしなかったっていうのは、日本の女たちが戦争をしたくないってそういう気持ちを強く持って生きていたこと。だいぶ歳をとって亡くなってる方も多いですけど。それから原爆の体験を本当に子供たちにまで…僕も本当にいっぱい、そのケロイドだらけの人が家を訪ねてきて、物乞いのためにケロイドを見せるというようなことを体験しています。それで、1952年に被爆地の物凄く生々しい最初の写真が出版されるんですけど、(それまで)占領軍が許可しなかったからですね、でもその前に聞いてました。原爆がどういうことになったかというのを。」

「話が飛ぶようですけど、「ゴジラ」というのが出てきたときに、僕はあの時中学生だったのか小学生だったのか覚えてないですけど、怪獣ものを観に行くというような気楽さじゃないんですよ。水爆実験の結果、ゴジラがやってくるというね。ただごとじゃないインパクトを感じていたんです。それで、同時にニュースフィルムでやっていたのはビキニ環礁の水爆実験のフィルムですからね。これは物凄く恐ろしかったです。そういう戦争と原爆から繋がる記憶を持ってたから、やっぱり戦争してはいけないという風に、それが国の中心として定まっていたんだと僕は思いますよ。それが70年過ぎるとだいぶあやしくなって来たってことだと思うんです。それについて今僕はとやかく言いませんけど、やっぱり自分が50年この仕事をずっと続けてこられたのは、日本が色々あっても経済的に安定していたこと、安定していたのはやっぱり戦争をしなかったことだっていう風に、僕は思っています。それを喋ったんです。こんな長くは喋りませんよ。」

奥田P「最後に、3番目はモーリン・オハラさんに会えたことが幸せだったというお話でした」

「今日来て一番嬉しかったは、モーリン・オハラさんにお会いできたことです。やっぱり美しいと思いましたね。怖そうな人ですよね。ああいう人を生身で自分の彼女にできた男は大変でしょうね。ね、鈴木さん。アイルランドの女性ですからね、ピシッとなんか通ってるんですよ。今日の僕の大収穫は、モーリン・オハラさんにお会いできたこと。それを率直に言いました。」

-アカデミー賞の新規会員にノミネートされているが受ける気は?

「あれは黙ってればそのまま立ち消えになるんです。前もそういうことあったんですけど、静かにしてると別に。何千にいるんですよ、だからそういうのいるんじゃないですかね。そういう対応の仕方に迷いはないですから。だってそうなったらいっぱい映画見なくちゃいけないじゃないですか、やですよそんなの。」

-日本の若いアニメーターにエールは何かあるか

「アニメーターだからとかじゃないですね。大事になってしまうからやめますが、えっと…まあ貧乏する覚悟でやればなんとかなりますよ、本当に。僕らはアニメーターになった時に、アニメーターなんて言っても誰にも通じないですよね。漫画映画っていっても、ん?ポパイか?といわれるくらいで。わかんないでしょ?そういう仕事があること自体がまわりが認知してなかったけど。それはですね、画工っていう言葉があるんですけど、それで絵描きっていう風に「草枕」では漱石が使ってますけど、職業で絵を描く人間ですよね。芸術的な何かで絵を描いてるんじゃなくて、職業で絵を描く人間を画工と呼ぶんです。それになるわけですから、目の前に広々とした道なんか広がりっこないんです。そう思ってやると、つまり、アニメの仕事っていう道路があるんじゃなくて、結局何もないところを歩くことになるから、その覚悟を一所懸命持ってやるしかないんだと思いますね。それはいつもそうなんだと思います。大丈夫ですよ、何も安定しないから他の仕事も(笑)そういう時期に来たんだと思いますから。みんな同じだと思っていいと思いますから。」

鈴木Pより質問「宮さん、5年ぶりですよねアメリカ。ポニョ以来、久しぶりに来たんです。どうですかアメリカは?」

「炭酸ガスの問題真剣に感じてないですよね。別に何とも。ホテルでエアコンが効いてる、寒い。外は熱い。なのに外に、煙草吸えるところ見つけたんですけど、暖炉が燃えてるんですよ。壁が凹んでてね、奥に暖炉が作ってあって。いま消せばいいじゃないね。部屋ん中エアコン入れてる時は消せばいいのに。消すくらいならつけといた方が楽だっていう発想でしょ。難しいですね、こりゃ大変だなと…」

鈴木P「オスカーが嬉しくないんですか?」

「鈴木さんは前貰った時うれしかった?」

鈴木P「たぶんね、これ最後になるんですよ。アメリカでこの賞いただくと、もう二度といろんな賞出ませんので」

「いいよそれで。」

鈴木P「いや、そのことが嬉しいんじゃないかなって」

「いや、そんなことじゃなくて。長編を作って物凄くお金をかけてね、今から準備して5年後だってなったら、そりゃ死にもの狂いで回収しなければいけないと思うじゃないですか。そうじゃないから、僕楽なんです(笑)」

-オスカ―像はどこに飾るか?

「飾らないです。一応、家族には見せますけど。鈴木さんの部屋に…」

鈴木P「いやこれは…(笑)最後だから、ちゃんと自分で持っててください。前のやつはね、僕のところにあるんですよ」

「ジブリの美術館に寄付してしまうという手もあるね。」

鈴木P「あ、それがいいですね。それが一番良い案ですね」

「こんなの地震のとき倒れておっこってきたら危ないですよ。」

-生涯アニメを作ると仰っていたが

「ええ、それはそうです。絵を描くのやめましたということにはなんないと思いますよ。だから紙と鉛筆は、絵具も絵筆もねずっと、それから実はペンもインクも含めてなんですけど、やっていくと思います。できなくても、とうとうとやろうとするだろうと思います。そういう風に生きようと決めてますんで。でもそれは仕事としてなるか、ただの道楽になってしまうか、そこらへんはまだ判断つきません。」

「美術館の仕事で、クルミ割り人形について半年くらいバタバタしましたけど。それ仕事かっていわれたらね、仕事でこんなことできるかっていうね。じゃ道楽かっていうと、いや…仕事です…っていうよくわからない領域にあるんです(笑)」

鈴木P「性格ですね。ずっとたぶんね、死ぬまで働くんですね」

「そうすると死ぬのが早くなるだろうと思うんですけど(笑)モーリン・オハラさんくらいまではいけないよね、これは。」

「ちょっと今日は本当に素敵なものを見ましたね、僕は。指、太かったです。本当、大柄なんですよ。」

鈴木P「生活の中で形作られた手足なんですかね」

「うーん…なんちゅう話してるんですかね(笑)そんなこと実現するなんて夢にも思わないじゃないですか。人生何が起きるかわからないですよ本当に。」

鈴木P「というわけで興奮の記者会見でした」

奥田P「オスカー像はジブリ美術館に贈られるということで、宮崎さん本当におつかれさまでした。みなさん、夜遅くまで本当にありがとうございました」

これで名誉賞受賞の記者会見を終わります、おつかれさまでした」(会場、拍手)

(席を立つ宮崎監督、記者たちに)このためにわざわざ、ここに来たんですか?

奥田P「ずっと待っておられたんですよ」

「かわいそうに!飛行機大変ですよね。」

鈴木P「ロス在住の方も多いんで」

「ああそうですか」

奥田P「ちなみに日本から来た方は?」

「(手を上げた記者たちに)来てよかったと思いました?なんかサービスしましょうか?」

鈴木P「どうぞ」

「いや、何をしていいか(笑)あ、ちょっと持ってみてください、どれだけ重いか。」

(以降、各社オスカー像の重さを持って体験、撮影会となり、会見は終了する)

 

宮崎駿 アカデミー名誉賞

 

Blog. 久石譲 「もののけ姫」 インタビュー ロマンアルバムより

Posted on 2014/11/9

1997年公開 スタジオジブリ作品 映画『もののけ姫』
監督:宮崎駿 音楽:久石譲

映画公開と同年に発売された「ロマンアルバム」です。インタビュー集イメージスケッチなど、映画をより深く読み解くためのジブリ公式ガイドブックです。最近ではさらに新しい解説も織り交ぜた「ジブリの教科書」シリーズとしても再編集され刊行されています。(※2014.11現在「もののけ姫」は未刊行 2015年以降予定)

今回はその原本ともいえる「ロマンアルバム」より、もちろん1997年制作当時の音楽:久石譲の貴重なインタビューです。

 

 

「こんなに全身全霊をかけて理解しようとしていて、まだどこか判っていないような感覚がつきまとう仕事というのは初めてですよ。」

「宮崎さんとは、めぐりあわせ、のようなものを感じますよ」と久石譲さんは言った。『風の谷のナウシカ』(84年)、『天空の城ラピュタ』(86年)、『となりのトトロ』(88年)、『魔女の宅急便』(89年)、『紅の豚』(92年)、そして『もののけ姫』。久石さんが宮崎駿監督作品の音楽を手掛けるのは、これで6作目となるのだが、どんな”めぐりあわせ”が…!?そして、実は同じ頃、宮崎監督も、「これはもう、さだめですね」と言っていたのである──。

 

宮崎さんの精神世界と登場人物の気持ちを表現した

スタジオジブリ作品では、劇場公開の約1年前に、「イメージアルバム」が作られる。『もののけ姫』も96年7月、久石さん作曲、プロデュースにより発表された。しかし、それと実際に映画の中で使われた音楽とでは、ずいぶん異なっているようだが。

久石 「今までの作品は、イメージアルバムの段階で既に、作品のテーマが出ていたと思うんです。でも、今回は全然別ですね。イメージアルバムから残っている曲は、重要なやつを数曲…メインテーマの『もののけ姫』と『アシタカせっ記』、エンディングシーンに使う『アシタカとサン』。それ以外はほとんど変わりました。イメージアルバムというのは、絵がない状態で作品の世界を表現しようとしますよね。『もののけ姫』は、ストーリーがあまりにも劇的で強烈じゃないですか。だから、それを音楽で表現してしまったところがある。大作映画の力感のようなものを主眼において作ったわけです。ところが、実際に映画のなかで使う音楽を作ろうとしたときに、そういう部分は映像で十分表現されているから、登場人物の気持ちや宮崎さんの精神世界を表現しようと思ったんです」

『もののけ姫』の場合、映像と音楽の関係が、今までの作品とは特に異なるということなのだろうか。

久石 「たとえば、映像では戦闘シーンをやっていたとしても、登場人物たちの気持ちとしては、実は止むに止まれぬことがあるとか、押し殺している感情があるとしたら、そっちの気持ちを表現していくのが今回の音楽では最も重要だと思ったんです。でも、こういうスタンスって、『もののけ姫』だったからとしか言いようがないね」

確かに今回の物語は、葛藤や思惑…登場人物のの感情がとても複雑である。そして、沈黙も多い。

久石 「そういう精神的なことというのは、セリフでいちいち説明するものじゃないでしょう。”私はこんなに大変なんです”なんて言えない。でも、そこに音楽が流れることによって、その人物の複雑な気持ちというものが表現できるんですよ。そういう意味でいうと、今回の音楽は、『もののけ姫』に託した宮崎さんの思いに寄って作っているという感じなんでしょうね。だから今までの作品とはアプローチが変わったという気がします」

そしてもう一つ、今回特に気をつかったことがあるという。

久石 「実は、映画に一番近い構造を持っているのは音楽なんです。どちらも、時間の軸の上に作る建築物である、と。似ているために、僕らはどうしてもすべてを音で表現したくなっちゃって、つけすぎてしまうという危険があるんです。たとえば、ふっと誰かの表情が変わったりとか、映像がそういう繊細な動きをしている時に、音楽がドーンといってしまうと、単に”活劇”みたいな感じで一気に先に行ってしまう。映像と音楽が似ているがために生じる”音楽が持っている怖さ”ですね」

音楽が持っている怖さ。「登場人物の気持ちや宮崎さんの精神世界を表現しようと思った」という今回は、いつにも増して、その部分が出ないように気をつかったのだそうだ。

久石 「だいたい、日常生活の中で音楽なんて鳴らないでしょう。誰かが冗談言ったら、チャチャチャとか音楽が鳴るわけじゃないし(笑)。それがとたえ映画の中であっても、音楽が鳴るというのは本当は不自然なんですよ。すごく不自然だと、いつも思ってる。でもそれを、不自然じゃないところできちんとして、しかも、控えめにやるというのではなく、別の意味でのリアリティを映画の中で構築したいと思っているんです」

 

宮崎さんとの不思議なめぐりあわせ

今回、久石さんは、ラッシュフィルムに一度音楽をつけたものを宮崎監督とのディスカッションの場に出している。その話に触れると、「あれはミスッたね(笑)。やるんじゃなかった」と言って、ちょっと苦笑い。

久石 「今までは、オーケストラを録る時に来てもらって、”これでどうだ”っていう感じでやっていたんです。でも今回は、効果音も何も入っていない状態で音楽だけかぶせたビデオを作ってわたしたんですよ。そんなものを何度も聴いていたら、宮崎さんとしてはいろいろ変更したくなるじゃないですか。戦法としてはしくじったなと思っているんですけど(笑)。」

しかしそれは、映像と音楽をうまく調和させるための、より慎重な方法論をとった、その一つであるようだ。

久石 「今回の作品は、今まで自分がやってきた音楽の作り方や考え方ではやり切れないだろうという予感があったので、やり方を全部変えちゃったんです。そうしないと、もう一つ上にいけそうにない気がして…。なんてバカな真似をしたんだろうと思うんですけど(笑)。でも、そのチャレンジがあったから、今までとは違う表現になれたような気がするところがありますね」

一般に”久石節”といわれるようなものを破ろうという気持ちもあったのだろうか。

久石 「(笑)。いや、でもね、確実に変わりましたよ。去年、パラリンピックのメインテーマを作った頃から、日本的なものとか、五音音階の音の響きをものすごく意識していて、それがここ2~3年の僕の最大のテーマなんです。『もののけ姫』は、それに見事に乗った。なんか宮崎さんとは”めぐりあわせ”というのがあって、『紅の豚』の時もそうだったんですが、やろうとしていることが不思議なくらい似てくるんですよねぇ。」

久石さんが言う”めぐりあわせ”、宮崎監督が言っていた”さだめ”とは、こういうことだったのだ。

久石 「この時代に自分が曲を作っていくときに、単にきれいなメロディを書こうとか、そんな意識はあまりないんですね。何が今、自分にとって課題なのかということが肝心なのであって。そういう僕自身の節目節目に、宮崎さんはなぜかいつもいて、僕が自分なりの音楽活動をやってきていても、宮崎さんとやるときに、その節目ですごく苦しむわけ。でも、それが終わった瞬間、二つぐらい音楽的なハードルをちゃんと越えられるんですよね。そのときに、自分が今の時代を歩んで、自分なりの課題を追求していなかったら、絶対に応えられないじゃないですか。それから、変な話なんですが、『もののけ姫』で6作目なんだけど、まるで初めてやるような感じがするんですよね。こんなに全身全霊をかけて理解しようとしていて、まだどこかわかっていないような感覚がつきまとう仕事というのは、初めてですよ。腹八分目でこなそうなんて真似は絶対にできない。そういう作品でしたね」

(もののけ姫 ロマンアルバム より)

 

 

本格的なオーケストラ曲を書くことになった本作品は、久石譲の音楽活動・作曲活動において大転換点と言われています。フルオーケストラによる作品がこれ以降増えていくことになります。

同時に作曲に際して、クラシックのスコアを改めて学びだしたきっかけであり、後に指揮活動、そしてクラシック音楽のコンサート活動などへと発展していきます。

2014年現在の久石譲の音楽活動スタイルとなっている”作曲家”というもっとも大切にしている肩書きがあるうえでの『オーケストラ 指揮者 クラシック』というキーワードは、実はこの1997年の『もののけ姫』という作品によって進化していった延長線上です。

 

このことについては、こじつけでもなく、2014年2月発売「クラシックプレミアム 2」内のエッセイでも久石譲自身が語っています。

最後にこれを紹介します。

 

クラシック音楽を指揮するようになるまで

「映画音楽を書きだすと、はじめはシンセサイザーを使っていたのだが、だんだん、弦楽器やオーケストラなど生の楽器を使う機会が増えてきた。特に『もののけ姫』(1997年公開)のころから、フルオーケストラで映画音楽を書くようになった。フルオーケストラの見本はクラシック音楽にたくさんあった。多くの作曲家が命をかけて作った交響曲など、長い年月のなか生き残ってきた名曲が山ほどある。そこにはオーケストラ曲を書くためのコツ、秘密が満載されていたのだ。大学時代にクラシックをもっと勉強しておけばよかったと、つくづく後悔したものだ。」

「スコア(総譜)をながめるだけでも、その秘密は探れる。だが、ほんとうに自分の血となり肉となるには、みずからその作品を指揮するのが一番だと思う。自分でオーケストラに指示し、音を出させるのだから。これが、僕がクラシック音楽を指揮してみようとしたきっかけだった。あくまで、自分の作曲活動の役に立つと思って始めたのだ。でも、そこから僕のクラシック音楽との新たな関係が生まれることになっていくのだった。」

(CD付マガジン「クラシックプレミアム 2 ~モーツァルト1~」 久石譲の音楽的日乗 より)

 

 

-追記-

『もののけ姫』の音楽を語るにあたって、その逸話は豊富です。

  • 「アシタカのサン」の音楽について宮崎監督が語ったこと
  • 映画エンドロールに絵がなくクレジットと音楽だけが流れる宮崎監督の想い
  • 映画冒頭のアシタカ旅立ちの音楽制作秘話

などなど、書ききれないほどの貴重は秘話は、
下記リンクをご参照ください。

 

Related page:

 

もののけ姫 ロマンアルバム

 

Blog. 久石譲 「魔女の宅急便」 レコーディング スタジオメモ

Posted on 2014/11/6

1989年公開 スタジオジブリ作品 宮崎駿監督
映画『魔女の宅急便』

2014年7月16日「スタジオジブリ 宮崎駿&久石譲 サントラBOX」が発売されました。『風の谷のナウシカ』から2013年公開の『風立ちぬ』まで。久石譲が手掛けた宮崎駿監督映画のサウンドトラック12作品の豪華BOXセット。スタジオジブリ作品サウンドトラックCD12枚+特典CD1枚という内容です。

 

さらに詳しく紹介しますと、楽しみにしていたのが、

<ジャケット>
「風の谷ナウシカ」「天空城ラピュタ」「となりのトトロ」「魔女の宅急便」は発売当時のLPジャケットを縮小し、内封物まで完全再現した紙ジャケット仕様。

<特典CD「魔女の宅急便ミニ・ドラマCD」>
1989年徳間書店刊「月刊アニメージュ」の付録として作られた貴重な音源。

<ブックレット>
徳間書店から発売されている各作品の「ロマンアルバム」より久石譲インタビューと、宮崎駿作品CDカタログを掲載。

 

そして『魔女の宅急便 サントラ音楽集』もLPジャケット復刻、ライナー付き。往年のジブリファン、そして久石譲ファンにはたまらない内容になっています。

 

 

そして貴重なライナーは、サントラ制作のレコーディング録音 スタジオメモです。

 

 

魔女の宅急便 STUDIO MEMO

このサントラ音楽集は4月10日にリリースされている魔女の宅急便イメージアルバムの中の曲をバリエーション化して、映画の各シーンの長さ、ドラマの起伏に合わせて音楽担当の久石譲さんが編曲しまた新たに曲を作り足したりしながら出来上がった。

宮崎監督と久石さんのコンビはこれで4作目、イメージアルバムをもとに映画音楽を練り上げると云う作業もこの二人が作り上げたシステムだ。今回は二人の中に音楽プロデューサーとして、高畑勲さんが参加し、’88年7月25日の第1回目の打合せから始まって、なんとほぼ1年後の’89年7月10日、マスターリング作業(バラバラに録音してある曲を曲順に並べ直し、最終的に音のトーンを整え、後はプレス工場へ行くだけ……)は完了した。

●’89年5月6日(土)、世間では9日間の大型連休、まさにゴールデンウィークと大騒ぎしている最中、吉祥寺にあるスタジオジブリでサントラの打合せが始まった。ここでは、今までの打合せの様にイメージだけ語り合うものではなく、ラッシュフィルムをビデオにタイムコードを打ってコピーしたもの、つまり映像を見ながら具体的に音楽をつけるタイムを計りつつ打合せは進んだ。昼の12時から始まって延々夕方の6時までブッ通しで続いた。まだラッシュが全体をA・B・C・Dと4つに分けたうちのA・Bパートしか上がっていなかったので、幸いにも「本日はここまで」と云う事で終わったのである。

●6月19日(月)、残りのC・Dパートの打合せである。東京もすっかり梅雨に入ってしまい、毎日鬱陶しい天気が続いている。

何故、A・Bパートの打合せからこんなに次まで日々が開いたのか?C・Dパートの絵がまだ上がっていなかった。そればかりでなく、久石さんがこの大事な時期にニューヨークで自身のソロアルバムのレコーディングの為1ヶ月以上も日本に居なかったのだ。7月6日までに音を音響さんに渡さなければ映画のダビング作業にも間に合わない。音関係スタッフは、この1ヶ月間に及ぶ久石さんの不在を梅雨の鬱陶しさも加わって弱感イライラと過ごしていたのだった。

打合せは順調に高畑さんの進行、高畑メモを中心に進んだ。絵の動きに、登場人物の感情にと多彩な注意が飛び交う。

打合せが終わった時、久石さんはちょっとお疲れの様子、それもそのはず昨日ニューヨークから帰って来て、時差ボケなのだ!

●6月22日(木)~6月24日(土)、打合せから中2日開けてレコーディングに突入。(この2日間で久石さんは、新たに曲の書き下しとアレンジの構成etc…やってしまったのだ!すごい!)この3日間は、ワンダーステーションスタジオでビデオの絵に合わせながら、シンセサイザー(フェアライトIII)を駆使しての作業になった。

絵の動き、タイムコードに正確に合わせる為何度もくり返し演奏する。全40曲余りのレコーディングのうち半分位をこのスタジオで作業、残りはオーケストラ録り、と云う事に方針を決めた。この3日間のレコーディングはあまりにもすんなりと進み、恐い位順調であった。レコーディングにつきものの徹夜作業は1日も無く、健全レコーディングだ!

●7月3日(月)、六本木・日活スタジオ。残りの20曲余りをオーケストラ録り。夕方5時からの開始だが、4時過ぎにはミュージシャンが続々とスタジオ入りして来る。映像を見ながら演奏する為、大きなスクリーンに映写のテストも始まった。4時30分頃久石さんがスタジオ入り、今日録る分の譜面の最終チェックをする。親しくしているミュージシャンが挨拶をして行く。いつもながら礼儀正しく、やさしい笑顔を返して「いやー、どうもよろしくネ」と愛想がいい、久石さん調子が良さそうだ。5時前、宮崎監督と高畑音楽プロデューサーが到着、久石さんと簡単な打合せをした後、久石さんが、「では、始めましょうか」とキューを出して大編成のオーケストラから、映画の冒頭のシーンの音が響いた…

(「魔女の宅急便 サントラ音楽集」 LP(復刻) ライナー より)

 

 

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魔女の宅急便 LP 復刻

 

Blog. 久石譲 「魔女の宅急便」 インタビュー ロマンアルバムより

Posted on 2014/11/5

1989年公開 スタジオジブリ作品 宮崎駿監督
映画『魔女の宅急便』

映画公開と同年に発売された「ロマンアルバム」です。インタビュー集イメージスケッチなど、映画をより深く読み解くためのジブリ公式ガイドブックです。最近ではさらに新しい解説も織り交ぜた「ジブリの教科書」シリーズとしても再編集され刊行されています。

今回はその原本ともいえる「ロマンアルバム」より、もちろん1989年制作当時の音楽:久石譲の貴重なインタビューです。

 

 

「今回はヨーロッパの舞曲をモチーフにしています」

「風の谷のナウシカ」以来、宮崎作品にはなくてはならない久石さんの音楽。童謡を意識したという「となりのトトロ」につづき「魔女の宅急便」では、ヨーロピアン・エスニックの香りを漂わせます。

 

自然で心地よい音楽

-『ナウシカ』『ラピュタ』『トトロ』そして今回と、4本つづけて宮崎監督と組まれていますが、これまでと比べていかがでしたか。

久石:
「毎回、たいへんさということでいえば変わらないのですが、こんどの場合はスケジュール的に苦労した部分があります。というのは新しいソロアルバムの録音のためにニューヨークへ行ってまして、そちらと『魔女の宅急便』のサントラの録音のスケジュールがかぶってしまったんですね。そういう時間的な面では少しご迷惑をかけてしまいました」

-今回はヨーロッパが舞台ということで音楽的にもそのへんを意識されたと思うのですが。

久石:
「そうですね。架空の国ではあるけれどもヨーロッパ的な雰囲気ということで、いわゆるヨーロッパのエスニック、それも舞曲ふうのものを多用しようということは考えました」

-こちらの勝手な連想なのですが、ヒッチコックの『泥棒成金』に出てきたリビエラのような南欧的なイメージが映画にも音楽にもあって、50年代のハリウッド映画を意識されたのかなとも思ったのですが。

久石:
「それはあまり意識しませんでしたけど、たとえばギリシャふうですとか、そういうニュアンスを出したというのはありましてダルシマ(ピアノの原型となった民族楽器)とかギター、アコーディオンというふうにヨーロッパの香りのする楽器をたくさん使ったりしました」

-今回は『火垂るの墓』の高畑勲監督が音楽演出という形でくわわってらっしゃいますが、宮崎監督と高畑さん、そして久石さんの3人で音楽の構成を考えていったわけですね。

久石:
「ええ。さっきもいったように、今回は僕のほうのスケジュールがつまっていたものですから、高畑さんにはいろいろと助けていただきました。通常ですと、僕が自分で音楽監督も兼ねるわけですが、今回は時間的にむずかしかったので、高畑さんと宮崎さんが打ち合わせてどのシーンに音楽を入れるかというプランを立てて、それをもとにぼくが作曲するという形をとらせてもらったんです。宮崎さんはもちろんですけど、高畑さんも音楽にはたいへんくわしい方ですから、安心しておまかせしました」

-宮崎監督と高畑さんというのは、これまでにも名コンビぶりを発揮していらっしゃいますものね。

久石:
「おふたりのコンビネーションというのは、もう抜群ですね。『ナウシカ』『ラピュタ』のときのプロデューサーと監督という立場にしても、今回の音楽演出と監督という立場にしても、そばで見ていて非常に勉強になりました。おふたりとも、演出に関しては理論的といいますか、理知的な考えをもっていまして、僕もどちらかといえばそうなんです。たとえば、音楽のつけ方にしても感情に流されたつけ方は絶対にしませんから。そういう意味では、意見がくいちがうということはまったくないし、僕もおふたりを尊敬していますからいっしょに仕事をするのは楽しいですね」

-たしかに、映画を拝見しますと音楽のつけ方がはっきりしていて、今回でいえばキキがつぎの場所へ移動するときの、つなぎの部分に音楽が使われているような印象がありました。

久石:
「たとえば悲しいシーンに悲しい曲をつけるとか、アクションシーンに派手な曲をつけるとか、そういうやり方はいっさいしないという前提でやりましたからね。ある意味でそれはすごく徹底していると思います。むしろ感情に訴えかけるよりも、見ている人を心地よくさせるような音楽のつけ方というんですか、そういう点を心がけたということはありますね。わざとらしくない、自然な音楽といいますか……」

 

1年の区切りの仕事

-今回は音楽的に新しい試み、実験のようなものはなさっっていますか。

久石:
「特別なものはありませんが、今回はシンセサイザーを使った曲をぐっと少なくしています。従来ですと半分くらいはシンセサイザーやほかの電子楽器を使ったりするのですが、この作品では内容もリアルなものになっていますから、全体に生の音に近づけてみました。ちがいといえば、そこがちがっていると思いますね。あとはメロディーの部分で、地中海ふうのもの、それも三拍子を使った舞曲的なものが多いというのが今回の特徴でしょう」

-これまでの作品と比べて内容的にちがうなと思われる点は?

久石:
「『トトロ』のときもそうだったんですが、大きなアクション、たとえば戦闘シーンのようなものがないし、ストーリーもグーッとクライマックスに向けて収束していくというタイプの作品ではありませんね。ずっと内面的なものになっていますから、音楽もあまりおおげさなものであってはいけない、音楽だけ浮き上がってしまってはいけない。そういう点に注意しました」

-久石さんのお仕事は澤井信一郎監督と組んだ青春映画の音楽、宮崎作品や安彦良和監督の『ヴイナス戦記』などのアニメーションの音楽、そしてオリジナルアルバム(とくにヴォーカル中心の『ILLUSION』など)に見られるシティ・ポップスと、さまざまなジャンルがあって、それぞれ若者向け、子どもを対象としたもの、おとなを意識した音楽などに分けられると思いますが、そのなかで宮崎作品の占める位置というのはどういうものでしょうか。

久石:
「『トトロ』やこの『魔女の宅急便』の場合は、対象が子どもたち、大きくても中学生くらいまでですから、年齢的には僕の仕事の上では特別なものなんです。そういう意味ではむずかしい部分が多いのですが、宮崎さんの作品はとくに質が高いですから、こちらもそれに見合うものを作らなければいけないという点で苦しみも大きいです。もちろん、作家というのはものを創り出す以上、そこに苦しみがつきものですから、ほかの作品のときは苦しんでいないかといえば、決してそんなことはないわけですが……。でも、それだけにテンションの高い仕事で、このところ毎年一本、宮崎さんの作品をやらせてもらっていますが、自分のなかではいつもエポック・メイキングな仕事になりますね。年間、いろいろな仕事を(作曲だけでなくコンサートもふくめて)こなしているわけですが、宮崎さんの作品はその年ごとに何かしら自分にとって区切りとなる、そんな気がします」

-久石さんが宮崎作品の音楽を創る時にいちばん、心がけることは何ですか。

久石 :
「まず大きな声で歌えること。変にこまっしゃくれたものではなく、徹底して童心にかえってストレートに作るということですね。そしてヒューマン、人間愛にあふれていること。これに尽きると思います。」

(「魔女の宅急便 ロマンアルバム」より)

 

 

「ジブリの教科書 5 魔女の宅急便」(2013刊)にもオリジナル再収録されています。

 

 

あらためてまとめられた本書のなかから高畑勲監督インタビューをご紹介します。

 

音楽演出 高畑勲

「架空の国のローカル色を出す」

-プロデューサーをつとめた『ナウシカ』『ラピュタ』につづいて、今回は音楽演出としての参加ですが、具体的にはどんなお仕事ですか。

高畑:
「何も特別なことをしたわけではないんですよ。ようするに、ふつうの映画で監督が音楽についてする作業を代行しただけの話です。今回の作品が特に音楽的にむずかしいから、こういう特別な役割を設定してというのでもないし、宮さん(宮崎駿監督)から頼まれてお手伝いしただけのことですから、音楽演出なんてオーバーなんですよ」

-挿入歌として荒井由実時代のユーミンの曲が効果的に使われていますが、これはどういう経緯で?

高畑:
「宮さんとしてはタイトルバックに歌を使うというのは最初から計画していたことだったんです。それもラジオから流れてくるという設定でね。そうすると、キキという都会生活に憧れるふつうの女の子が、ふだん聴くとしたらどんな歌だろう、と。そこから発想していって、都会的な気分を代表していて、なおかつ作っているわれわれの世代にもわかるような曲。それはやはりユーミンじゃないだろうかという結論になったわけです」

-最初は新しくオリジナルを作っておらおうという話もあったそうですが。

高畑:
「ええ。でもラジオから流れてくることを考えれば、むしろ既成の曲のほうが合っているし、引用という形になるだろうという話ははじめの段階からあったんですよ。結果的には『ルージュの伝言』と『やさしさに包まれたなら』を使わせてもらうことになったわけですが、とくに後者はイメージとしても映画にぴったりだと、僕らは最初から思っていました。宮崎さんも、むかしのユーミンはよく聴いていましたからね」

-今回の音楽の特徴は、どういうところですか。

高畑 :
「この作品はいわゆるファンタジーではありません。『トトロ』もそうでしたが、大きな意味ではファンタジーに属するものでしょうが、もっと現実に近い物語であると宮さんは考えてつくった。たとえばキキは空を飛びますけど、それはカッコよく飛ぶのとはちがうし、ふつうの女の子の日常的な描写や気持ちが中心になっているんですね。ですから音楽が担当する部分も、世界の異質さとか戦闘の激しさとかを担当するわけではない。むしろふつうの劇映画のような考え方をして、しかもヨーロッパ的ふんいきをもった舞台にふさわしいローカルカラーをうち出そうということだったんです。それと、つらいところ悲しいところに音楽はつけない、とか、歌とは別にメインテーマの曲を設定して、あのワルツですが、あれをキキの気持ちがしだいにひろがっていくところにくりかえし使うとかが、音楽の扱いの上での特徴といえば特徴ではないでしょうか。はじめ、ホウキで空を飛ぶ、というのはスピード感もないし、変な効果音をつけるわけにはいかないので心配だったのですが、久石さんの音楽もユーミンの歌も、いまいったねらいにピッタリだったし、上機嫌な気分が出ていたのでホッとしているところです。」

(「魔女の宅急便 ロマンアルバム」/「ジブリの教科書 5 魔女の宅急便」(再録) より)

 

 

どれだけ久石譲の音楽が、映画の世界観の演出、統一性、ストーリー性を創り出すのに大きく貢献しているかがわかるコメントです。観客を一瞬にしてその世界へ引き込む、そして、架空世界なんだけれども、現実にもありそうなリアリズムを錯覚させ陶酔させてしまう音楽。

後に鈴木敏夫プロデューサーが「久石さんは日本映画界における映画音楽のひとつのかたちを確立した」と語っていたのを思い出しました。

これが約25年前のお仕事とは思えないですね。映画音楽の位置づけや扱われ方、そんな業界においてこのクオリティを仕上げる。そしてそのスタンスをこれからまた『紅の豚』以降もつづけていくことになります。

 

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魔女の宅急便 ロマンアルバム