Blog. 久石譲が2014年、現代音楽のコンサートに挑む理由

Posted on 2014/08/11

2014年9月29日に久石譲の最新コンサート久石譲プレゼンツ「ミュージック・フューチャー vol.1」が開催されます。

これまでの自身作品コンサートとも、クラシック企画コンサートとも一線を画した新しい試みの企画となっています。ズバリ、現代音楽中心の構成です。

 

現時点でのプレス情報です。

[公演期間]
2014/9/29

[公演回数]
1公演(東京・よみうり大手町ホール)

[編成]
指揮・ピアノ:久石譲
ヴァイオリン:近藤薫 / 森岡聡 ヴィオラ:中村洋乃理 チェロ:向井航
マリンバ:神谷百子 / 和田光世 他

[曲目] (予定)
久石譲:弦楽四重奏 第1番 “Escher” ※世界初演
久石譲:Shaking Anxiety and Dreamy Globe for 2Marimbas ※世界初演
アルヴォ・ペルト:鏡の中の鏡 (1978)
アルヴォ・ペルト:スンマ、弦楽四重奏のための (1977/1991)
ヘンリク・グレツキ:あるポーランド女性(ポルカ)のための小レクイエム (1993)
ニコ・ミューリー:Seeing is Believing (2007)

 

ミニマル、ポスト・クラシカルなど、最先端の現代の音楽を久石譲がセレクトし、“明日のために届けたい”音楽をナビゲートする、新たなコンサート・シリーズ〈久石譲プレゼンツ ミュージック・フューチャー Vol.1〉。クラシック音楽とテクノロジーを融合させた「ポストクラシカル」など、最先端の音楽を久石譲が選び、演奏していくコンサート。初演となる自身の曲をはじめ、エストニア出身の作曲家であるアルヴォ・ペルトや、アメリカの若手作曲家ニコ・ミューリーらの作品を演奏予定で、久石譲自らピアノと指揮をとり、濃密な空間で演奏することで“誰でも楽しめるコンサートにしたい!”とか。

 

聴いたことのない楽曲や作曲者が並んでいます。

 

また8月に入ってから、このコンサートに臨むインタビューが紹介されています。

 

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現代音楽の今を伝えるコンサートを始める作曲家・久石譲

「現代音楽は難解というイメージが先行し、日本では演奏される機会が少ない。でも本当に難解なのか。最先端の作曲家の魅力的な作品を紹介することで、先入観を打ち破るきっかけにしたい」

9月29日によみうり大手町ホールで開く「ミュージック・フューチャー」はそんな思いから企画された。巨匠ヘンリク・グレツキから30代の俊英のニコ・ミューリーまで。アルヴォ・ペルトの「鏡の中の鏡」では、久石がピアノを演奏する。

「柱となっているのはミニマル音楽。現代音楽が生んだスタイルの中では、ポピュラーを含めその後の音楽に最も大きな影響を与えた。今回の演目で、そのことが雄弁に伝わるはずだ」

久石自身、国立音大在学中に、最小限の音型を繰り返すこの様式に感化された。宮崎駿監督作品をはじめ、オーケストラによる壮麗な映画音楽で成功してからも、折に触れミニマルの作品を生み出してきた。今回、その様式を踏襲した自作の弦楽四重奏第1番「Escher」を初演する。「一回限りの公演ではなく、現代音楽に触れられる場としてシリーズ化する」と語る。

一方、新日本フィルと組む「ワールド・ドリーム・オーケストラ」は、8月9日に赤坂のサントリーホール、10日に錦糸町のすみだトリフォニーホールで公演する。こちらは自作の映画音楽を中心に構成。鎮魂をテーマに叙情味豊かな音を聴かせる。さらに9月20日公開の映画「柘榴ざくろ坂の仇討あだうち」の音楽を手がけるなど、創作の時間は切れ目なく続く。

(読売新聞 参考)

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同じように、久石譲が連載コラムも担当している、CD付きマガジン「クラシックプレミアム」でもこのように語っています。

「ちょっと大げさだが、僕の考えでは、まずクラシック音楽は古典芸能であってはならない。過去から現代に繋がって、未来に続いていく形が望ましい。そのためにはオーケストラをはじめ演奏家は「現代の音楽」をもっと積極的に取り上げたほうがいい。作曲家兼指揮者は特にこの問題に対しては最前線にいるのだから、誰よりも積極的に取り組むべきだと考える。未来に繋がる曲を見つけ、育てることが必要だと僕は考える。」

「これらのような「現代音楽」ではなく「現代の音楽」をできるだけ多く聴衆に届ける必要がある。文化は慰みものではない。文化は聴き手に媚びるのではなく、聴き手一人一人にもある程度の努力と忍耐を要求する。しかし知識として音楽を聴くのではないイノセントな彼らは、おもしろいものであれば、あるいは新しい体験をしておもしろいと思えば、それを素直に受け入れてくれると僕は信じている。そしてその体験が音楽的日乗を育てることになる。」

 

どんな新しい音楽アプローチを体感することができるのか。
シリーズ化されるというVol.2以降も楽しみな企画です。

 

久石譲 ミュージック・フューチャー

 

Blog. 久石譲 「富士飛行社」 曲名『Mt.Fuji』 動画&音楽 視聴できます!

Posted on 2014/08/02

富士急ハイランドの新アトラクション「富士飛行社」。富士山の大自然の魅力を体感できる日本初のフライトシュミレーションライドです。四季折々の美しい富士山の映像と壮大な音楽が臨場感あふれるフライトの旅へ。「富士飛行社」は7月18日(金)オープンしています。

世界遺産にも登録された富士山の絶景、そしてそのアトラクションの音楽を担当しているのが久石譲です。もちろん未CD化、富士急ハイランドに行って、この富士飛行社に搭乗しないと聴くことができないという。

指をくわえていたわけですが…なんとオフィシャルの動画紹介にて一部動画&音楽を視聴することができました!そこには「富士飛行社」の紹介やたくさんの写真がたくさん。音楽は久石譲さんのオリジナル曲「Mt.Fuji」とも紹介されています。

 

 

そしてその紹介動画がこちらです。

公式サイトYouTubeより

 

 

2分弱の動画ですが、結構堪能できます。ダイジェストではありますが小さい画面で見てもその映像は大迫力。

久石譲の壮大で美しいフルオーケストラの音楽もナレーションなども入らずに、見事にその音楽だけを味わうことができます。音楽を聴けただけでも大満足なのですが、やはりそこは抜粋、ここまでくると1曲まるまる『Mt.Fuji』を聴きたくなってしまいます。

 

JALテーマ曲 『明日の翼』日清カップヌードルCM曲 『Adventure of Dreams』のような格式高い、序曲のような高揚感あるサウンドでした。2曲とも、どちらも未CD化ではありますが…。

このあたりの曲もあわせて、ただいま未CD化でたまっている名曲たちをいつの日かCD化してほしいものです!

 

ちなみに近年の未発売/未CD化作品たちは、こちらにまとめています。

こちら ⇒ 久石譲 ディスコグラフィー Unreleased

 

なにはともあれ、この動画が見れただけで、聴けただけで、ちょっと夏休み気分を味わえました!

参考サイト〉五感で世界遺産・富士山を体感!富士急ハイランド「富士飛行社」を探る!
公式サイト:富士急ハイランド

 

Related page:
Info. 2014/07/18 富士急ハイランド 「富士飛行社」 久石譲 音楽担当

 

富士飛行社 久石譲

 

Blog. 別冊 COMIC BOX vol.2「もののけ姫」を読み解く 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2014/07/20

スタジオジブリ作品 宮崎駿監督 映画「もののけ姫」1997年公開年に発売された本 別冊 COMIC BOX vol.2 「もののけ姫」を読み解く です。今は既に絶版となっているようです。

 

 

久石譲インタビュー内容

宮崎さんという高いハードルをこなすことによって「これで5年はやれる」という気持ちになるんですよ。

-今回は長かったですね

「2年間ですからね。他の映画ではこんなに時間をかけることはないですよ。一昨年に話をいただいて、暮れに宮崎さんに会ったんですよ。その時はまだ完全にはストーリーもできていない状態で、内容よりも、いま何故これをつくらなければならないか、というような宮崎さんの覚悟の話が多かったですね。」

-それでイメージアルバムをつくられたのですか

「年が明けて、いくつかのキーワードをいただきました。これは「ナウシカ」以来いつも通りなんですけど、キーワードがタタリ神とか犬神モロとかシシ神の森とかですから、「はっ?」という感じでしたよ(笑)。こういう場合イメージの拠りどころは劇的な部分になるので、今回特に難しかったですね。おどろおどろしいモノしか想像できないでしょ。タタリ神の喜びなんていったってわかんないもの(笑)。「ひとつのメロディで、猛々しくもあり、優しくもあり、唸るような象徴的なメロディを」という注文はありました。それで、宮崎さんの方から早いうちに音を聞きたいというリクエストがあったので、普通はサントラの半年ぐらい前に作るんですけど、すぐ作りました。」

-そんな状態で作ったアルバムとは思えませんけど

「映画をみたら、結果的にはイメージアルバムで作った大事なところは生き残っていましたね。」

-今回のサントラはフルオーケストラですね

「直感的にフルオーケストラでやるべきだと思いましたね。それから、これは僕自身の最近の課題でもあるんですが、構造的に五音階的な要素を積極的にメロディにとりいれようとしていまして、その良さをいかに表現するかも大分考えました。

もう一つ、これは日本が舞台ですから、日本的な情緒や世界観もかなり意識しました。最初はこれがイマジネーションの限定を招きまして、尺八だとか琵琶とか、和楽器は異常に音の色が濃いのでどう使うか悩みましたね。最終的には篳篥(ひちりき)、竜笛(りゅうてき)、和太鼓などをあくまでもイメージを限定しない範囲で随所に入れました。

音の構造自体は五音階だからといって日本的なモノに限定するわけではなかったんですが、途中、西洋的なコード進行の曲を試しに一曲作ったんですよ。そしたら明らかに浮きましたね。宮崎さんもそれが分かって、「今回の久石さんが注意してつくられている音とちょっと違いませんか」とおっしゃってました。」

-サントラに関しては宮崎さんもかんり意見をおっしゃったんですか

「いつもに比べて、現場に来る回数は多かったですね。かなり具体的なディスカッションもしましたし、曲ができる度に話もしました。だいたい宮崎さんが疑問に思ったところは自分も同じように思いましたし、自分が迷うところは宮崎さんも「どうなんでしょう?」といった感じで、理想的なコラボレーションができました。プロデューサーの鈴木敏夫さんも含めて3人で本当に深いレベルのコミュニケーションがとれました。」

-制作期間が長いのは影響がありましたか

「いままでの宮崎さんの作品でも特に苦しかったですね。最初からそうなる事は予想してましたけど。のたうちまわりました。本当はある一定の時期に集中して、自分の頭にあるレベルを超えた確信を得て完結するんですが、こう時間がかかると、それが終わらないから非常に苦しいんです。でも、今回は悔いがなくなるまで最後まで仕上げたと思っています。ひきずるモノがまったくありませんね。

作曲家だから音楽だけを作っていればいいという発想は僕にはありません。映画にも音楽家として参加していますが、メイン・スタッフの一人として参加している意識が強い。だから映像に対して意見を言うときもあるんですよ。物事を視るためには映画がどうやってつくられるのか下から全部視て、そこから意識して理解しないとダメだと思ってます。

宮崎さんを理解しようと思ったら、やはり宮崎さんの考え方とかバック・ボーンなどを全部自分の中で消化したうえでないと、実際はとてもできません。特に今回は、ただいいメロディをかいたとかそういうレベルの話では追いつけませんよ。」

-観終わって、映像と音楽の関係が凄くいいと思いました。決して映像を邪魔しないけれども、キチンと盛り上げ、印象を残すメロディでした

「僕は2回観ましたけれど、最初に頭で組みたてた全体像からほとんどズレていなかったので、自分のなかで「やった!」という感じでした。部分的な細かい事よりもいかにオープニングからエンディングまで2時間以上うまく構成しきったかが一番気になります。そういう意味でもかなり満足感がありましたね。でも部分ではラストシーンからエンドロールのところが気に入ってます(笑)。」

-ずっと宮崎さんと組んできて、久石さんにとってどんな存在なんですか

「宮崎さんとの仕事は本当に大変です。コンビを組んでいるわけではありませんから、一本一本が真剣勝負でやってきて、気付いたらここまでやらしていただいていたというだけの話です。2,3年おきに一緒に仕事してきて、その都度もし自分が立ち止まっていて進歩していなければ次は必ず切られます。その辺りは厳しい関係です。

そして、宮崎さんという高いハードルをこなすことによって「これで5年はやれる」という気分になるんですよ。司馬遼太郎さんがなくなったとき、宮崎さんは司馬さんのように生きればいいと感じたとおっしゃってましたが、僕は逆に宮崎さんをみてこうやって生きればいいんだと判りました。言わば道標みたいなモノですね。」

-監督は引退されるようですね

「それでも宮崎さんは死ぬまで現役の作家ですよ。僕もあと5年したら引退してシニア・ジブリに入れてもらおうかと思ってますけど(笑)。」

 

 

別冊 COMIC BOX vol.2 「もののけ姫」を読み解く

内容

インタビュー:宮崎駿 「森と人間」

スタッフインタビュー
久石譲(音楽) / 男鹿和雄、山本二三、黒田聡、田中直哉、武重洋二(美術)
保田道世(色彩設定) / 鈴木敏夫(プロデューサー)

絵コンテ / レイアウト / 原画(エボシ/サン) 特別公開!!

技術解説:タタリ神が動くまで CG部の夜明け

制作日誌 ’94~’97
汗と波あと血と笑いの怒涛の2年間 闘いの記録

語られなかった物語
サンの生い立ちは?エボシの過去は?師匠連とは?
物語の背景に見え隠れする「物語」に迫る
*共同体としてのタタラ場とエボシ御前
*エミシの村
*室町時代の民衆
*照葉樹林文化
*「生きろ」の意味
*エボシ幻想曲
*風となって疾る少年アシタカ

 

 

Related page:

 

もののけ姫を読み解く

 

Blog. 映画「風立ちぬ」 Blu-ray鑑賞 レビュー

Posted on 2014/07/10

2013年夏に公開されたスタジオジブリ 宮崎駿監督最新作 映画「風立ちぬ」いよいよBlu-ray / DVD 化 発売されました。公開からもう1年が経ちますが、試写会でいち早く鑑賞し、映画公開後も数回劇場へ足を運び、計3回以上は映画館でどっぷり鑑賞した映画です。

公開から3ヶ月後には、宮崎駿監督 「長編映画 引退」というニュースもあり、最新作にして、現時点では最後の長編作品となったこの映画「風立ちぬ」です。

そんな渾身の作品がようやく家で楽しめる時を迎えました。やっぱり何度見ても、いい作品はいいとしか言いようがありません。いろいろな見解や意見がそれぞれにあるのも自由だとは思いますが、ド素人な一般的ファンとしては、ただただ堪能できる映像美と音楽です。

 

映画本編の感想などは、過去にもすでに紹介していますので、今回はこのブルーレイ作品にちなんだ内容を。本編もさることながら、毎回ジブリ作品のブルーレイ/ DVD化で、楽しみにしているのが〈映像特典〉です。

〈風立ちぬ:映像特典 内容〉

●絵コンテ(本編映像とのピクチャー・イン・ピクチャー)
●アフレコ台本
●予告編集
●完成報告会見
●ひこうき雲 ミュージッククリップ

 

このなかで紹介したいのは2つです。

まずひとつめは、「完成報告会見」の収録。宮崎駿監督、庵野秀明(主人公声担当)、松任谷由実(主題歌担当)による、約1時間半にも及ぶ会見がほぼ収録されています。ちょうど公開に先立ったメディアトピックスだけに、当時作品完成直後の、それぞれの思いがたくさんつまって語られています。これはとても貴重な内容だと思います。映画「風立ちぬ」の世界観や背景を知るうえでも、トリビア的な情報が満載です。

そのあたりは各方面で紹介されているかとも思いますので、ちょっと「風立ちぬ」とは直接関係ないかもしれませんが、『ジブリ』の由来について。この会見のなかでの宮崎駿監督の発言です。

 

-作品のなかにも、カプローニのセリフとして、「君の10年を力を尽くして生きなさい」という言葉が出てきますね。

宮崎 「ええ。ジャンニ・カプローニは実在の人物で、今でもカプローニ社はあるし、カプローニ伯爵家も残っているんです。その人たちがこれを観たらなんて言うんだろうなと思うんですけど。実は『紅の豚』を作った後に、ジャンニ・カプローニの曾孫にあたる人がカプローニ社の1936年製の立派な社史を、飛行機の構造図などが一杯描いてある本を送ってきたんですね。それがカプローニとの出会いだったんです。元々僕はカプローニの飛行機が好きなものですから。第二次大戦では役に立たない飛行機しか作らなかった会社で、しかもスタジオジブリのジブリは本当は「ギブリ」だってバラしている人がいますけど、実はカプローニ社の飛行機なんです。なんでも無い小さな木製の双発機ですけども、サハラ砂漠の救難機をやってたんですよね。それがとても好きだったものですから、ジブリって名前を付けたんです。そういうこともあってカプローニに縁があるなと思って、登場人物にしてしまったんです。そういう長い積み重ねがあって出来た映画なんで、不覚にも涙を流したのかな?分かりません(笑)。」

 

なんとも目からウロコな!!

たしかに、スタジオジブリの名前の由来は、

サハラ砂漠に吹く熱風(ghibli)に由来しており、第二次世界大戦中のイタリア・カプローニ社の偵察/爆撃機の名前でもある(CAPRONI Ca309 GHIBLI)

と、ウィキペディアなどでも紹介されています。カプローニとはそんな古くから宮崎駿監督の心にあったのですね。

そして、その証拠に!

1992公開の映画「紅の豚」でも、実は登場しています。エンジンとして。とある中盤のシーン、一瞬ですが、よーくよーく目を凝らして見ると…

紅の豚 ジブリ エンジン

たしかに、エンジンに「GHIBLI」と書いてあります。

ということは、もともとカプローニ社の飛行機が好きだった宮崎駿監督 → 「紅の豚」に登場 → 本家イタリアのカプローニ一族の目にとまり、その後社史を送ってもらうという交流に → 映画「風立ちぬ」に人物登場!

という流れになっていることがわかります。

おもしろいですね。ほかにもこの「完成報告会見」では、映画「風立ちぬ」の話題を中心に、制作秘話が満載です。

 

 

映像特典で紹介したいふたつめは、「予告編集」です。

これは、映画公開前の映画館での予告編・特報から、TVCMスポットまで、たくさんの予告編集が収録されています。なにげに見ていたのですが、耳が違和感をもって反応しました!「あれっ?予告編で使われているメインテーマ曲「旅路」がなんか違う…」

この映画の主題歌「ひこうき雲」(歌:荒井由実)ももちろん好きですが、劇中メインテーマ曲である「旅路」(音楽:久石譲)も名曲です。実は、映画本編でそのメインテーマをバラライカやマンドリンで演奏しているのは、青山忠さんという方です。そして、映画「風立ちぬ」予告編で使われていたのは、その息子さん、青山涼さんのアルトバラライカによる演奏だったそうです。

もちろんリアルタイムに予告編を見ていた頃には、その後聴いていた映画本編やCDのバージョンと全く違いがわからなかったのですが、たしかにメロディーの旋律も少し違うんですね、後半が。

これにはびっくりしました。

いかにギリギリの制作過程のなかで、録音したものなのか、予告編が完成した頃に映画本編の映像も完成していないのと同じように、音楽もまだ核のメロディーこそあれ、サウンドトラック用の音楽録音前、『予告編用の、予告編のためだけの音楽』だったんだなということが今回わかりました。

意外に聴き逃してしまうほんの15-30秒程度の予告編ですが、今回ディスク化されたことで、きちんとその違いも確認できて、その醍醐味も味わえてよかったです。

 

映画「風立ちぬ」の音楽で、久石譲は、独特な民族楽器である、ロシアの代表的な弦楽器である「アルトバラライカ」や同種のマンドリン、同じくロシアのアコーディオン「バヤン」といった民族楽器を使っています。映画オープニングから、これらの民族楽器が旋律を奏でるメインテーマ曲「旅路」がそうです。

宮崎駿監督から、「音楽はできるだけ、そぎ落としたシンプルなものを」という話をうけて、今までのスタジオジブリ宮崎駿監督作品にはないような、美しくも切ない品格のある楽曲たちが並んでいます。

そのあたりの、映画「風立ちぬ」に関する、久石譲のインタビュー関連は、いくつか紹介しています。あまり露出度が少ないだけに貴重な内容です。

こちら ⇒ Disc. 久石譲 『風立ちぬ サウンドトラック』

久石譲 『風立ちぬ サウンドトラック』

 

というわけで、今回は、映画「風立ちぬ」 Blu-ray / DVD 化 にともない先日発売されたその内容からのお話でした。上にも書いてきましたように、完成報告会見~久石譲音楽インタビュー~宮崎駿監督引退会見~NHKプロフェッショナル ドキュメンタリー などなど。いろんな角度から、そして時系列での情報を経て、この作品を味わうと、映画「風立ちぬ」、感慨深いものがあります。

 

さて、毎年恒例の夏のお祭り「金曜ロードショー 2014 夏はジブリ!」も開催中です。第1週目の先週は映画『もののけ姫』、そして今週は『となりのトトロ』ですね。

語り尽くせぬ宮崎駿監督のジブリ世界ですが、今日は一旦このあたりで。

 

風立ちぬ ブルーレイ発売

 

Blog. 「NHKプロフェッショナル 宮崎駿の仕事」 Blu-ray鑑賞 レビュー

Posted on 2014/07/03

先月発売されたブルーレイを鑑賞しました。

「NHK プロフェッショナル 仕事の流儀 特別編 映画監督 宮崎 駿の仕事 「風立ちぬ」1000日の記録/引退宣言 知られざる物語」

2013年8月と2013年11月にTV放送された2回分をBlu-ray / DVD にまとめたものです。もちろん放送当時も食い入るように見ました。8月分はそれこそ映画「風立ちぬ」公開直後の放送でしたし、11月分はそれこそ突然の宮崎駿監督引退会見直後の放送でした。

どのようにして「風立ちぬ」という作品が企画されたのか、どうしてファンタジーという得意技を封印してまでこの作品にこだわったのか、そのスタジオジブリの制作現場がぎっしりつまっています。

 

印象的だったシーン。「面倒くさい」「究極に面倒くさい」とブツブツ言いながら机に向かって絵コンテを描いている。そのとき宮崎駿監督は「面倒くさいっていう自分の気持ちとの戦いなんだよ」と一言。続けて「面倒くさかったら、やめればいいのに?」と言われれば「うるせえな」とか、そういうことになる。

そして核心の言葉へ。「世の中の大事なものは、たいてい面倒くさい」「面倒くさくないところで生きていると、面倒くさいのはうらやましいと思うんです。」もうちょっと関連めいたシーンを抜き出すと、こうも言っています。「やっているときはその意味なんてわからない。」「意味をわかってやっているわけではない。」

 

つまりは、日々の生活のなかの大切なことは、面倒くさいことが多く、そのなかには慈しむもの愛おしいものがたくさんつまっている。そして、そのときにはその意味なんてわからなくても、匙を投げることなく向き合っていくこと。面倒くさいことはかけがえのない幸せなこと。そうやって日々の面倒くさいことに濃厚に生きていく。その先にその意味がついてくる未来が待っている。

要領よく。スマートに。効率的に。最大効果で。傷つかずに。疲れずに。苦しむことなく。楽して。失敗せずに。損せずに。etc…

誰もが得てして望まない、出来れば避けたいことだけれど、でも、それを恐れてばかりいずに、進むしかない。面倒くさいことが愛おしい。面倒くさいことが生きている証。そういうことなのかなあと解釈しています。

 

最後の宮崎駿監督の言葉もまた勇気づけられます。

「堪る限りの力を尽くして生きる」「自分たちに与えられた、自分たちの範囲で、自分たちの時代に、堪る限りの力を尽くして生きなさい」

 

ジブリファンとしては、その制作現場を垣間見れてとても興味深いですし、それよりもなによりも、なにか「生きる」「働く」ということに対して、とても強いメッセージとエネルギーをもらうような、そんな内容です。

行き詰まったときや、落ち込んだとき、背中を押してほしいとき、これから幾度となくリピートして鑑賞するだろうな、そんなバイブルのような宝物です。

 

 

そして、本作品の封入特典:ブックレット「ディレクター・インタビュー」(16ページ)についてふれたいと思います。Blu-ray(DVDも同一)の封入特典として、「ディレクター・インタビュー」というブックレットが収められています。16ページにも及ぶこの小冊子には、宮崎 駿を7年間追い続けたディレクターが、「風立ちぬ」企画から製作、そして引退会見に至るまでの宮崎監督の姿を語っています。

まさに本編にはない裏側、密着したディレクターだからこそ見た、語れる、そんな蔵出しな内容でした。

  • 宮さんが企画書を書いている。荒川、来なくていいのか?
  • 宮崎駿がもっとも苦しみながら生み出したシーンは?
  • 関東大震災の絵コンテを描き上げた翌日、東日本大震災が起こった
  • 宮崎駿の老い。そして引退宣言──いつ宮崎は引退を決心したのか?
  • 宮崎駿を突き動かす創造の源な何か?

このようなセンテンスによってディレクターの視点で綴られています。この目次を見ただけでも、読み進めたくなる、興味をひかれる内容です。すべては紹介しきれませんので、一部抜粋してご紹介します。

 

「『風立ちぬ』で、宮崎さんがいちばん悩んでいたのは、僕が見ていた限りでは、絵コンテのBパートの終わり。映画中盤、カプローニが「殺戮の道具をつくる覚悟があるのか」と堀越二郎に問うシーンです。二郎はこの問いに「ぼくは美しい飛行機をつくりたいと思っています」と答える。」

~中略~

「宮崎さんが描くキャラクターは自らの内面が反映されています。だからこそ宮崎作品の登場人物はみな生き生きとした生身の人間として映画の世界に生きていると思うのですが、今回は宮崎さんの複雑な心情が絡まり合って、より苦悩も大きかったと思うんです。そんな宮崎さんにとって救いとなる存在がカプローニというキャラクターだったように思います。自分と重ね合わせた二郎をカプローニがいつも客観的に見ている。カプローニに自分の想いを代弁してもらったり、二郎を導く役目を担ってもらったりしている。「力を尽くしているかね」という二郎に問いかけるカプローニのセリフが心に残ります。」

 

 

毎日一番近くにいたディレクターだからこそ、観察できたこと、見えたこと、心情の変化など、何年にも及ぶ制作現場のちょっとした1日の出来事だけれど、とてもキーファクターな1日、そんな貴重なインタビュー内容でした。本編とブックレット、まさに合わせて二度おいしい、「宮崎駿の仕事」を鮮明に記録した本作品だなあ、と思います。

極論、変なビジネス書や自己啓発本を読むくらいなら、よっぽどこちらのほうが「生きる・働く」バイブルにもエネルギーにもなります!それだけ一流を極めたプロフェッショナルの言動の重みと凄み、相反する謙虚さ、慎ましさ、ひたむきさ、など、学ぶところがたくさんあります。

 

 

NHKプロフェッショナル 宮崎駿 ブルーレイ

 

Blog. 「クラシック プレミアム 11 ~チャイコフスキー2~」(CDマガジン) レビュー

クラシックプレミアム チャイコフスキー2

Posted on 2014/06/29

「クラシックプレミアム」第11巻は、チャイコフスキー2です。

第7巻のチャイコフスキー1では、3大バレエ《白鳥の湖》 《眠れる森の美女》 《くるみ割り人形》 特集でした。今回はいよいよ、あのヴァイオリン協奏曲も収録されています。

 

【収録曲】
ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 作品23
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ウィーン交響楽団
録音/1962年

ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35
ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)
ロリン・マゼール指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1979年

 

チャイコフスキーがヴァイオリン協奏曲を作曲時に滞在した場所は、スイスのクラランという土地だそうです。知ってました?スイス・レマン湖の東岸、保養地として名高いモントルーの近くに位置する。周囲にはぶどう畑が広がり、対岸にはフランス・アルプスの山並みを望める場所で、そんなクラランの風景写真もカラーで掲載されています。

こんな場所で、あの曲を作曲したのかあ、と思い馳せながら聴くと、また違った新しい趣と味わいがあります。

 

スイス クララン

 

こちらも毎号楽しみにしている巻末の音楽史では、オペラとオペレッタが取り上げられていました。オペラとオペレッタがジャンルとして明確に違うということが、端的にわかりやすく解説されています。それをここで紹介しだすと文字数が膨大になりますので割愛します。

神聖さと娯楽さ、文学的な格調高さと喜劇、オーケストラの演奏難易度、舞台時間の長さ、舞台の豪華絢爛さと簡素さ、などなど、オペラとオペレッタの違いがわかりやすく紹介されています。

これらのことだけでなく、その上演する劇場の地理的場所(オペラ劇場は宮殿すぐ近くの街のシンボル的場所にある)や、建物自体の豪華絢爛さ、それに比べたオペレッタを「浅草」のような場所、と例えていたのが、とてもイメージしやすくわかりやすいですよね。

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第11回は、音楽の原点について考える

今号では久石譲が尊敬しているという民族音楽学者の小泉文夫さんの話を織り交ぜながら、民族音楽という視点から、音楽の原点を掘り下げています。

とても新鮮で興味深い内容でしたので、一部抜粋してご紹介します。

 

「小泉文夫さんがスリランカのかなり奥地で原始的な生活をしている人たちを調べた。彼らの歌は高い音と低い音の二つだけ、勝手に別の曲を歌い、タイミングもバラバラなのだが、彼らが相手の顔を見ながら一生懸命に相手よりもっと強く歌おうとしているのを見て、小泉さんは「歌の原点を見た思いがする」と強く感動したと書いている。」

「このことは養老孟司先生との共著『耳で考える』でも取り上げたが、大変重要なことで、「人に何かを伝える」ということはへたでも一生懸命歌う、相手に伝えたいという強い思いがなければならない。譜面とか、備忘用楽譜はあくまでも手段であって、どんなに採譜をしたところで、そこにはスリランカの原始的な生活をしている人の歌った音程らしきものとリズムらしきものは書かれているが、小泉さんが感動した音楽の原点は書かれてはいない。つまり音楽を伝えると我々が思っているさまざまな行為(主に楽譜)では、最も大事なものを伝えきれていないのだ。そこから彼らの音楽を感じ取るには、我々にかなりのイマジネーションが必要だ。もしかしたら作曲するのと同じくらいの能力が必要かもしれない。」

 

 

そして今号でも久石譲の近況が少し触れられていました。おそらく4月中旬あたりに書かれたと思われる今号のエッセイ原稿ですが、ちょうど5月の台湾コンサートに向けて出発する前だったようです。

その台湾コンサート準備と同時期に行われていたのが新作映画の音楽録音。2014年秋公開予定の映画『柘榴坂の仇討』です。映画公開の約半年前に音楽録音か、ということは作曲期間は当然ながらもっと前。今年に入ってからというよりは、おそらく昨年2013年から音楽制作をしていたということに。『風立ちぬ』や『かぐや姫の物語』が公開されたと思ったら、もう次の仕事へ。おそるべしです。

『風立ちぬ』や『かぐや姫の物語』が公開されて、《やっと映画本編が観れる!やっと久石譲音楽が聴ける!》と、それらに触れ感動していた頃には、もう作曲家久石譲はというと、次の映画音楽の準備に入っているという。

やはり映画音楽として携わるのには、上のようなスケジュールを見ても、1本あたり1年近くはかけているんですね。しかもおそらく1本に集中じゃなく、何本か、もしくは他の仕事と同時進行なのでしょうが。おそるべしです。

ということは、今(2014.6)音楽制作を仮にされているとしたら、それが私たち聴衆に向けて日の目を見るのは2015年?来年?ということでしょうか!?

 

作曲家の創作活動の時系列と、それが世の中に送り出される時間的尺度のズレ。これを想像するだけでもたまらないんですよね、マニア的発想ですが。。この曲が作られていたのは、あっあの頃なんだ、世間的にはあんな出来事が起こっていた時期か、自分はこんなことがあった時期、…

楽しみはつきません。

 

クラシックプレミアム チャイコフスキー2

 

Blog. 「クラシック プレミアム 10 ~シューベルト1~」(CDマガジン) レビュー

クラシックプレミアム10 シューベルト1

Posted on 2014/06/22

「クラシックプレミアム」第10巻はシューベルト1です。

歌曲《野ばら》や《魔笛》でも有名なシューベルトですが、そちらは第40巻のシューベルト2に収録予定のようで、今回は後期の交響曲として最高傑作として聴き続けられている「未完成」と「ザ・グレイト」です。

 

【収録曲】
交響曲 第7番(旧第8番) ロ短調 D759 《未完成》
カルロス・クライバー指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1978年

交響曲 第8番(旧第9番) ハ長調 D944
《ザ・グレイト》
カール・ベーム指揮
ドレスデン国立管弦楽団
録音/1979年(ライヴ)

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第10回は、
音楽を伝える方法には何があるのか?

今号では、音楽を伝える方法として、楽譜はもちろんのこと、伝統芸能の世界の場合や、現代社会の傾向など、様々な歴史的および文明的尺度から、その伝達方法が言及されていました。

「音楽」とひと言でいっても、その歴史や文化、地域や語圏、そして発祥やジャンルによって、様々な進化および現代への伝承をしてきているのだなと思ったりしながら読んでいました。

 

さて今回も印象に残った内容を一部抜粋してご紹介します。

「もちろん作曲という行為は音楽を作ることがすべてであって、どんなジャンルでもかまわないけれど、しっかりとしたコンセプトと作品にする!という強い意志がないと書くことは出来ない。たまにちょっとしたアイデアが湧き、神様が降りてきたと思えるくらいに幸運な曲に仕上がることもあるが、それは1年に一度、いや数年に一度あるかないかの数少ないことであって、人生の大半を後悔と挫折に費やされる。少なくとも僕の場合は。」

 

そうなんですか!?あれだけ今も昔も、名曲を生みつづけているのにですか?!と思わず言ってしまいたくなるような。

それだけ作曲するということの、生みの苦しみは、あるということなのでしょうか。これだけ名曲の多い久石譲でも、いやだからこそ?!自分で自分の作品を超えていく、その姿勢や見事な結果(次々に新しい名曲の誕生という現在進行形)には、仕事との向き合い方や、はたまた生き方として尊敬してしまうところがあります。

 

何百年の愛されつづけているクラシック音楽、何百年も聴かれ、演奏され、人々の日常生活のなかにあるクラシック音楽、それがこの「クラシックプレミアム」にまとめられているわけですが。久石譲音楽もこのように、後世にも語り継がれ、聴き継がれていったらいいな、と思います。

やっぱり同じ時代に生きていて、しかも同じ国で、常に新作品を聴ける時代・環境にいるということは幸せなことですね。好きな作曲家と同じ時代や時間を共有できる幸せです。

 

クラシックプレミアム10 シューベルト1

 

Blog. 「クラシック プレミアム 9 ~ベートーヴェン2~」(CDマガジン) レビュー

クラシックプレミアム9 ベートーヴェン2

Posted on 2014/06/20

「クラシックプレミアム」第9巻はベートーヴェン2です。

記念すべき創刊号の第1巻がベートーヴェン1として、交響曲第5番《運命》や交響曲第7番などが、カルロス・クライバーによる名指揮にて特集されていました。今回のベートーヴェン2では、交響曲第3番《英雄》と二つの序曲が収録されています。

毎号特集されている作曲家の伝記のようなものが紹介されていますが、それと同時に収録されている盤の指揮者やオーケストラなどにも触れていて、今回は日本を代表する指揮者、小澤征爾さんのことも解説されていました。

小澤征爾さんのことを知ったときから、それはすでに「世界のオザワ」という代名詞がついていたわけですが、なぜそこまで称されているのか、その理由が少し垣間見れる内容でした。

 

【収録曲】
交響曲 第3番 変ホ長調 作品55 《英雄》
クラウディオ・アバド指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1985年(ライヴ)

《エグモント》序曲 作品84
小澤征爾指揮
サイトウ・キネン・オーケストラ
録音/1997年

《レオノーレ》序曲 第3番 作品72a
小澤征爾指揮
サイトウ・キネン・オーケストラ
録音/1998年

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第9回は、曲はいつ完成するのか?

今回もリアルタイムな久石譲自身の活動にリンクしています。それは5月に台湾で世界初演された「風立ちぬ 第2組曲」です。大盛況に終わったコンサートだったようですが、世界初演ということで、まだ日本ではお披露目されていません。それもおそらく8月のW.D.Oでのコンサートなどで聴けるのではないでしょうか。

 

ということで今回も印象に残ったエッセイ内容から一部ご紹介します。

「このところ、宮崎さんの映画『風立ちぬ』に作曲した楽曲をコンサート用に書き直している。5月の初旬に台湾で2回、ベートーヴェンの交響曲第9番のコンサート(エヴァーグリーン交響楽団とウィーン国立歌劇場合唱団)を行うのだが、そのとき一緒に演奏するためのものだ。」

「実は昨年の暮れ、東京と大阪で行った第9コンサートでも《風立ちぬ》は演奏している。それなのに何故もう一度書き直しをするのかというと、今ひとつ気に入らなかった、しっくりこない、など要は腑に落ちなかったからだ。これは演奏の問題ではなく(演奏者は素晴らしかった)あくまで作品の構成あるいはオーケストレーションの問題だ。」

「昨年のときには映画のストーリーに即し、できるだけオリジナルスコアに忠実に約16分の組曲にしたのだが、やはり映画音楽はセリフや効果音との兼ね合いもあって、かなり薄いオーケストレーションになっている。まあ清涼な響きと言えなくもないけど、なんだかこじんまりしている。そこで今回、もう一度演奏するならストーリーの流れに関係なく音楽的に構成し、必要な音は総て書くと決めて改訂版を作る作業を始めたのだが、なんと23分の楽曲になって別曲状態になってしまった。そこで後に混乱しないようにタイトルも第2組曲とした。」

「まったく作品はいつまでたっても完成しない。それは映画音楽であろうと作品であろうと同じだ。いったい作曲家はいつその作品の作曲を終了するのか?どこで完成したと判断するのだろうか?」

「僕の場合ははっきりしている。レコーディングかコンサートに間に合わせる、つまり締め切りがあるからそれまでに仕上げる。納得がいかなくともなんとかそこで帳尻をあわせる。そして気に入らなかったらまた次のチャンス(締め切り)に再度トライする。」

「つまり作曲した作品は永遠に完成しない。次の演奏するチャンスと時間があれば、おそらく大多数の作曲家は手を加えたくなるのだ、困ったことに!」

 

 

なんともあくなき創作活動と言ってしまえばそうですが、ある意味悩みのつきない永遠の課題のようですね。

ふと思ったのですが。たしかにこれは”無形芸術”として特有なのかもしれませんね、音楽作品は。他の芸術作品は、映画にしろ、絵、彫刻などにしろ『完成したカタチ』があります。つまり”有形芸術”ということになります。

最高傑作だろうが後悔が残ろうが、その作品に封じ込められます。がしかし、音楽には目に見える、触れる、という意味でカタチがありません。だから、完成形を永遠に探求してしまう、ということでしょうか。

誤解を恐れずに言えば、なんだか良い面も悪い面もあるような気がします。もし多くの芸術作品で、作家の思いに後悔が残れば、また次への創作意欲として、それは次の作品として実を結ぶわけです。

もちろん音楽もその原理原則は同じだとは思うのですが、どうも「書き直す、書き加える」作業ができるという点で、いつまでも過去の呪縛がつきまとっているような気さえしてきます。

そうは言っても、このクラシックプレミアム・シリーズで紹介されている作曲家たちも、書き直しや改訂といった作業は、日常茶飯事だったようなので、それがまた音楽の”完成形のない無限の可能性”という恩恵なのかもしれませんね。

 

久石譲も、今回取り上げられている『風立ちぬ』音楽だけでなく、前号で紹介した「フィフス・ディメンション」、さらにはこの台湾コンサートで同じく改訂初演された「魔女の宅急便」など、やむことのない創作活動と現時点での完成形を多く披露しています。

もっといえば、昨年TVで見た「読響シンフォニックライブ」でも、「オーケストラ ストーリーズ となりのトトロ」は、CD発表された2002年の録音とは、確実に改訂されていました。構成ではなく、細かいオーケストレーションだと思うのですが。

直近の久石譲コンサート活動は別途まとめています。

こちら ⇒ Concert 2010-

 

あくまでも聴き手にはわかる部分とわからない部分があるとは思いますが、常に変化しつづける音楽というのは魅力的ですね。さてこの2014年夏、久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラにて、「風立ちぬ 第2組曲」などは日本初披露されるわけですが、ぜひCDとしてもその完成形を封じ込めて、作品化してほしい!と熱望しています。

 

クラシックプレミアム9 ベートーヴェン2

 

Blog. 「クラシック プレミアム 8 ~バッハ1~」(CDマガジン) レビュー

クラシックプレミアム 8 バッハ1

Posted on 2014/06/16

「クラシックプレミアム」第8巻は、音楽の父バッハです。

なぜバッハが「音楽の父」とされているのか、また他の偉大な作曲家、ベートーヴェンやモーツァルト、後期のワーグナー、ブラームスたちにまで、当時から称賛され音楽の原点とみなされていたかなどが解説されています。

教会と世俗、声楽と器楽、さまざまな音楽が網羅され、体系化されているというバッハの音楽のなかから、選りすぐられた名曲かつ名演者が収められています。それは収録曲のラインナップを見ただけでも、その知名度の高さ、多岐にわたる音楽編成と構成で、すべてが一人の作曲家の手によるものとは思えないほどの傑作たちです。これまでにも映画/TV/CMなどに引っ張りだこなバッハの音楽ですから、どれか数曲はきっと聴いたことがあると思います。

 

【収録曲】
トッカータとフーガ ニ短調 BWV.565
フーガ ト短調 BWV.578
シュプラー・コラール集より 〈目覚めよと呼ぶ声が聞こえ〉 BWV.645
トン・コープマン(オルガン)
録音/1994-1995年

カンタータ 第147番 BMW.147より 〈主よ、人の望みの喜びよ〉
ニコラウス・アーノンクール指揮
テルツ少年合唱団、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
録音/1984年

ゴルドベルク変奏曲 BWV.988より アリア、第1変奏~第3変奏
スコット・ロス(チェンバロ)
録音/1988年

《G線上のアリア》 (管弦楽組曲 第3番 BWV.1068より / ヴィントシュペルガー編曲)
チョン・キョンファ(ヴァイオリン)、イタマール・ゴラン(ピアノ)
録音/1998年

無伴奏チェロ組曲 第1番 BWV.1007
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(チェロ)
録音/1992年

《シャコンヌ》 (無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番 BWV.1004より)
ヨゼフ・スーク(ヴァイオリン)
録音/1970年

《マタイ受難曲》 BWV.244より終曲
ニコラウス・アーノンクール指揮
レーゲンスブルク大聖堂少年聖歌隊、ケンブリッジ・キングズ・カレッジ合唱団
ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
録音/1970年

 

 

また後半の音楽史では、交響曲 vs オペラ の解説もあっておもしろかったです。交響曲は、ほぼドイツ語圏によってうまれた音楽で、重厚で真面目で偉大な芸術音楽、一方のオペラはイタリアなどでうまれた音楽で、娯楽音楽でもだった。つまりクラシックと呼んでいるヨーロッパの近代音楽には、二つの「極」があった、と。水と油のように音楽文化が違う交響曲とオペラ。

決してオペラが娯楽性が強すぎるわけではなく、「難解な音楽」「真剣な音楽」(交響曲)だけではない側面をもち、当時の演歌のような、親しみやすく口ずさんでしまう音楽、それがイタリアのオペラ、通称「イタ・オペ」だったそうです。

これはわかりやすくイメージするならば、コンサートホールで、じっとだまって聴き入る交響曲の音楽に対して、演奏中であっても一緒にメロディを口ずさみ、拍手喝采し、演奏がまだ終わっていないのに感極まって「ブラボー!」と叫ぶイタ・オペ。

ひとつの捉え方ではあるのですが、非常にわかりやすくておもしろかったです。

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第8回は、
作曲家兼指揮者がこの時代に指揮をする意味とは何か?

今回のエッセイ連載内容も「今の久石譲」、とりわけ「2014年今年の久石譲活動」とも密接にリンクしている内容でした。それは、5月に発表された『今夏2大コンサート開催』です。ひとつは、久石譲&新日本フィル・ハーモニー管弦楽団によるW.D.Oの復活ですが、もうひとつ新しい試みとしてスタートする《ミュージック・フューチャー Vol.1》です。

ミニマル、ポスト・クラシカルなど、最先端の現代の音楽を久石がセレクトし、“明日のために届けたい”音楽をナビゲートする、新たなコンサート・シリーズ〈久石譲プレゼンツ ミュージック・フューチャー Vol.1〉(9月29日開催 / 会場:すみだトリフォニーホール)。クラシック音楽とテクノロジーを融合させた「ポストクラシカル」など、最先端の音楽を久石さんが選び、演奏していくコンサート。初演となる自身の曲をはじめ、エストニア出身の作曲家であるアルヴォ・ペルトや、アメリカの若手作曲家ニコ・ミューリーらの作品を演奏予定で、久石自らピアノと指揮をとり、濃密な空間で演奏することで“誰でも楽しめるコンサートにしたい!”とか。

というのが〈久石譲プレゼンツ ミュージック・フューチャー Vol.1〉のプレス情報です。

 

されこれを念頭に、今号の連載内容より一部抜粋してご紹介します。

「ちょっと大げさだが、僕の考えでは、まずクラシック音楽は古典芸能であってはならない。過去から現代に繋がって、未来に続いていく形が望ましい。そのためにはオーケストラをはじめ演奏家は「現代の音楽」をもっと積極的に取り上げたほうがいい。作曲家兼指揮者は特にこの問題に対しては最前線にいるのだから、誰よりも積極的に取り組むべきだと考える。未来に繋がる曲を見つけ、育てることが必要だと僕は考える。」

「例えばクラスター奏法のペンデレツキ(《広島の犠牲者に捧げる哀歌》が有名)はその後、新古典主義のスタイルになるショスタコーヴィチの後継者のような音楽を書く。東欧の作曲家、アルヴォ・ペルト、ヘンリク・グレツキなどはセリエル(12音技法)の書法を捨て、教会音楽や、中世の音楽をベースに調性のあるホーリーミニマリズム(聖なるミニマリズム)とカテゴライズされるスタイルに変わっていった。ただし彼らはミニマルにこだわってはいなかったのだが。」

「これらのような「現代音楽」ではなく「現代の音楽」をできるだけ多く聴衆に届ける必要がある。文化は慰みものではない。文化は聴き手に媚びるのではなく、聴き手一人一人にもある程度の努力と忍耐を要求する。しかし知識として音楽を聴くのではないイノセントな彼らは、おもしろいものであれば、あるいは新しい体験をしておもしろいと思えば、それを素直に受け入れてくれると僕は信じている。そしてその体験が音楽的日乗を育てることになる。」

 

 

いかがでしたでしょうか。

上に紹介した〈久石譲プレゼンツ ミュージック・フューチャー Vol.1〉のプレス内容を、さらに具体的に久石譲自身の言葉として語っている内容だとは思いませんか。これが今年新しく”始動”と打ち出したコンサート・シリーズのコンセプトのようです。

 

実際にその公演内容(予定)は、

久石譲プレゼンツ「ミュージック・フューチャー vol.1」

[公演期間]
2014/9/29

[公演回数]
1公演(東京・よみうり大手町ホール)

[編成]
指揮・ピアノ:久石譲
ヴァイオリン:近藤薫 / 森岡聡 ヴィオラ:中村洋乃理 チェロ:向井航
マリンバ:神谷百子 / 和田光世 他

[曲目] (予定)
久石譲:弦楽四重奏 第1番 “Escher” ※世界初演
久石譲:Shaking Anxiety and Dreamy Globe for 2Marimbas ※世界初演
アルヴォ・ペルト:鏡の中の鏡 (1978)
アルヴォ・ペルト:スンマ、弦楽四重奏のための (1977/1991)
ヘンリク・グレツキ:あるポーランド女性(ポルカ)のための小レクイエム (1993)
ニコ・ミューリー:Seeing is Believing (2007)

 

 

今号、「久石譲の音楽的日乗」に出てきた現代作曲家たちやその代表曲が、多く取り上げられる内容になっています。

これから公演日が近づくにつれて、いろいろな追加情報も上がってくるかもしれませんが、なぜ今現代音楽を軸にしたコンサート・シリーズを”始動”させるのか?純粋に疑問といいますか興味がありました。

それが今号のエッセイでいち早く久石譲の言葉として知ることができてとても納得したというか、今後の展開も含めてワクワク楽しみになってきました。おそらく単発ではないシリーズとして”始動”しているわけですから、どんどん発展していくプロジェクトなのだと思います。

そんな取りあげられた「現代の音楽」の作曲家たちの代表曲も、実際に聴いてみようと少しずつチェック中です。アルヴォ・ペルトやニコ・ミューリーあたりから。

 

クラシックプレミアム 8 バッハ1

 

Blog. 「クラシック プレミアム 7 ~チャイコフスキー1~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2014/06/14

「クラシックプレミアム」第7巻は、チャイコフスキー1です。

3大バレエ音楽「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」がおさめられています。

毎号同様、作品ごと各楽章ごとの解説はさることながら、「演奏家の肖像 -音楽の交差点」という特集では、本マガジンCDに収録された作品を指揮したサイモン・ラトルのことから、ベルリン・フィルの首席指揮者選びの舞台裏が紐解かれています。カラヤン、アバド、ラトル、そして2018年以降の次期首席指揮者のことまで、ベルリン・フィルの歴史を垣間見ることができます。

 

【収録曲】
バレエ音楽 《白鳥の湖》 作品20より
第1幕より〈ワルツ〉
第2幕より〈情景〉〈4羽の白鳥の踊り〉
第3幕より〈ハンガリーの踊り〉〈スペインの踊り〉〈ナポリの踊り〉〈マズルカ〉
アンドレ・プレヴィン指揮
ロンドン交響楽団
録音/1976年

バレエ音楽 《眠れる森の美女》 作品66より
第1幕より〈ワルツ〉
第3幕より〈長靴をはいた猫と白い猫〉〈青い鳥のパ・ド・ドゥ〉
アンドレ・プレヴィン指揮
ロンドン交響楽団
録音/1974年

バレエ音楽 《くるみ割り人形》 作品71より
序曲
第1幕より〈行進曲〉〈クララとくるみ割り人形〉
第2幕より〈ディヴェルティスマン〉-チョコレート(スペインの踊り)/コーヒー(アラビアの踊り)/お茶(中国の踊り)/トレパーク(ロシアの踊り)/葦笛の踊り
〈花のワルツ〉〈こんぺい糖の精の踊り〉〈終幕のワルツとアポテオーズ〉
サイモン・ラトル指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/2009年

 

 

また岡田暁生さんによる「西洋音楽史」連載では、なぜ交響曲が第4楽章からなるのか?第1楽章から第4楽章までを通して味わう意味とは?このあたりのことが”コース料理と単品料理” ”短編小説と長編小説”などの例えを絡めてわかりやすく解説されています。なるほど、交響曲とは起承転結のあるひとつのストーリーなのだな、と思います。

また交響曲の4つの楽章がどう配置されているのか。ソナタ形式、スケルツォ、などの専門用語の解説もあり、とてもわかりやすかったです。

ちょっと引用抜粋します。

「シェークスピアの『マクベス』の各幕を、あるいはトーマス・マンの『魔の山』の各章を、順番をばらばらにして読むとか、好きな章だけ読んで、他のところは眼を通さないなどということはありえない。じっくりと最初から丁寧に読んでいかないと、すぐに筋がこんがらがってくる。登場人物の誰が誰か分からなくなってくる。だから長編は寸劇や短編小説よりはるかに読むのに根気がいる。だがじっくり時間をかけてこそ初めて味わえる感動の深さというものが、そこにはある。だからこそ数々の偉大な作曲家たちは、交響曲をあらゆるジャンルの金字塔と考えた。」

なるほど、すごくわかりやすいですよね。

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第7回は、作曲家兼指揮者の有利な点

今回も読み応え満載でした。一部抜粋してご紹介します。久石譲著書でも語られている名言も登場します。

 

「「直感の神秘」、まさにそのとおりである。このことは拙著『感動をつくれますか?』、養老孟司氏との共著『耳で考える』でも繰り返し書いた。作曲家が楽曲を作り出す最後の判断は、論理性でも感性でもなく経験を含めたその本人の直感であると僕は考える。直感と書くと何だかやはり感覚的なものと捉えられるおそれがあるので、別の言葉に置き換えると「無意識下の判断」ということになる。」

「ブーレーズが指揮するストラヴィンスキーの《春の祭典》に出会ったのは高校生の終わりか大学生の頃だった。衝撃を受けた。全く新しい解釈だった。リズムの構造が手に取るように分かり、スコアの欠陥の部分(どの楽曲にもある)をそのまま聴こえるように突き放している。楽曲のダイナミズムはスコアが指し示したとおりで余計な解釈がない。結果、リアルなストラヴィンスキーの《春の祭典》がそこにあった。後年、作曲者自身が指揮する同曲を聴いたがこれは何故か違和感があった。あまり指揮の技術がうまくなかったといわれている問題もあったと思うが、作曲者自身が振る場合の欠点も実はある。このことはまたいつか書こうと思う。」

「ブーレーズが行った原始リズムを中心とした《春の祭典》の徹底分析は凄まじい。ほんのかすかな弦のトリルからこの楽曲の本質を感じ取り(インスピレーション)、さまざまなリズムと和音を解剖しながら全体の構造に迫るその迫力において、この楽曲はまさにブーレーズの作品にもなっている。つまりこれが、作曲家兼指揮者の規範なのだ。この原稿に何度も彼が登場するのはそのせいである。」

 

だいぶん具体的な、専門的な話になってきましたが、難しいので何回も読み返しながらゆっくり咀嚼していました。そしてこのレビュー(過去号含む)をご覧の方はお気づきかもしれませんが、久石譲連載コラムは、毎号の特集作曲家/収録作品CDとはリンクしていません。

独自の展開をしています。ですから、今号でいえば、「チャイコフスキー」が主役なわけですが、久石譲のそれには、チャイコフスキーも、バレエ音楽もキーワードとして出てきません。それはそれで楽しいのですが、同時に、コラムで初めて目にする耳にする作曲家や作品も出てくるので、いろんあ意味で追いかけるのが大変!といううれしい悲鳴です。

今回はチャイコフスキーを聴きながらこのレビューを書いていますが、同時に「ブーレーズ」のCDを調べたりしながら。そしてまた”聴く予定リスト”も増えていくわけです。

クラシック三昧です。

 

クラシックプレミアム 7 チャイコフスキー1