Disc. 久石譲指揮 フューチャー・オーケストラ・クラシックス『シューベルト:交響曲 第7番「未完成」&第8番「ザ・グレイト」』

2024年7月24日 CD発売 OVCL-00850

 

リズムとカンタービレの共存。爽快なシューベルト!

久石譲とFOCによるベートーヴェンとブラームスの交響曲全集は、リズムが際立つタイトで生き生きとした音楽がインパクトと反響を呼びました。当盤では切れ味の鋭いリズム、明瞭なハーモニーは推進力にあふれ、シューベルトの美しい旋律が流麗に歌い上げられます。日本の若手トッププレーヤーが集結したFOCによる、未来へ向かう音楽を、どうぞお楽しみください。

(CD帯より)

 

 

CDに寄せて

柴田克彦

久石譲は、2016年フューチャー・オーケストラ・クラシックス(FOC。当初はナガノ・チェンバー・オーケストラ)のベートーヴェン交響曲全曲演奏の開始時に、「作曲当時の小回りが効く編成で、現代的なリズムを活用した、ロックのようなベートーヴェン」、「巨大なオーケストラが戦艦やダンプカーだとすれば、こちらはモーターボートやスポーツカー」、「クラシック音楽もup to dateで進化するもの。必然的に現代における演奏があり、さらに未来へ向かって変わっていくべきだ」とのコンセプトを語っていた。その結果生まれたタイトで生気溢れる音楽は、絶大なインパクトを与えた。

2020年、次に挑んだのがブラームスの交響曲全曲演奏。ここでは、「基本コンセプトは同じ」としながらも、「ブラームスのリズムは重く、ベートーヴェンとは性格が違う」「必ず歌う」と語っていた。そして、造形美とロマンが共存した従来にはない演奏を実現させた。

本作は、久石&FOCがこれらに続いて2023年に取り組んだシューベルトの「未完成」&「ザ・グレイト」交響曲とアンコールの「ロザムンデ」間奏曲第3番のライヴ録音である。ここでは、「ソリッドでスポーツカーのような」、それでいて「しなやかな歌に溢れた」シューベルト演奏が展開されている。

シューベルトといえば”歌”である。従ってブラームス演奏の経験値も生きる。だが時代的にはベートーヴェンにグンと近い(ほぼ同時代だ)。今回の演奏は、これまで通りテンポが速く、響きもタイトで推進力に溢れている。そしてここでは、ベートーヴェンの際に久石が話していた2つの要素が重要なカギを握っている。

1つはダイナミクスだ。久石は「ベートーヴェンの凄さのシンプルな例は、mpとmfが一切ないこと。なのでp=弱く、f=強くと単純に考えてはいけない。pとfの表現は通常のmp,mfに近いので、状況によって弾き分け、ppとffは明確に表現する必要がある」と語っていたが、シューベルトも同様で、mpとmfがほぼ出てこない。よって今回その変化の細やかさが、新鮮なダイナミズムをもたらしている。

もう1つはリズム=拍子。ベートーヴェンの際の「1拍子がとても多い。例えば7番と第3楽章や9番の第2楽章。こうした場合、3拍子の表記を1拍子にグルーピングしなくてはいけない」との言葉が、ここでも生かされている。明確なのは、「未完成」の第2楽章、「ザ・グレイト」の第3、4楽章だが、全体にこれが基本的な方向性だ。従って、テンポが速いだけでなく、リズムが明解で自然な躍動感に富んでいる。

「未完成」の第1楽章から快速テンポで刻みも明確。各旋律もそれに乗って歌われる。第2楽章は3/8拍子の1小節が1拍の1拍子。ここはアンダンテ「コン・モート=動きをもって」でもあるので、弛緩しない歌が爽快に続いていく。

「ザ・グレイト」の第1楽章の序奏は、2/2拍子の1拍がアンダンテでかなり速く進む。これはピリオド勢の台頭以降ままある形だが、特筆すべきは流麗さと各声部の見通しの良さだ。これにはモダン楽器のメリットが生かされてもいる。主部は無闇に速すぎないテンポで進行する。ここはアレグロ「ノン・トロッポ=はなはだしくなく」ゆえに、序奏との差は少なくて当然だ。第2楽章はやはりアンダンテ「コン・モート」。連綿と歌い上げられるのではなく、刻まれるリズムに即応しての歌が続く。第3楽章は「1拍子」が真価を発揮した軽やかなスケルツォ。第4楽章は旋律やリズムの執拗な反復が生気を保ちながら変幻していく。また、時に冗長な第3、第4楽章のリピートも、繰り返しが生み出す夢幻の推進力に繋がっている。

「ザ・グレイト」はベートーヴェンの交響曲第7番同様に”リズムとカンタービレの共存”が図られた音楽なのだ。本盤の演奏はそのことを明解に伝えてくれる。

これは「慣例的な表現を排した」清新なシューベルトだ。それは同時に「現代における必然的な演奏」であり「未来へ向かう演奏」でもある。

(しばた・かつひこ)

(CDライナーノーツより)

 

 

曲目解説
寺西基之

シューベルト:交響曲 第7番 ロ短調 D.759《未完成》

生涯通してウィーンを本拠に活動したフランツ・ペーター・シューベルト(1797ー1828)は早くから楽才を発揮し、少年期から交響曲を手掛けている。それらの初期の交響曲では、伝統的な交響曲の様式と自らのロマン的な資質をどう結び付けるかについて様々な可能性を探っていることが窺えるが、このCDで演奏されている後期の2つの交響曲 第7番ロ短調と第8番ハ長調(かつてはそれぞれ第8番・第9番と呼ばれていたが、作品目録改訂版で番号が繰り上げられた)においては、もはや伝統的な交響曲のあり方にこだわらない、情感の広がりに重点を置いた彼独自の様式を打ち立てることになる。

とはいえその第1曲目のロ短調交響曲は2つの楽章しか仕上げられなかった未完の作である。シューベルトは第3楽章の初めの部分で作曲を打ち切った。その理由は不明だが、彼自身到達した新たなロマン的な交響曲様式を実際の作品としてどう纏めるかという点でまだ迷うところがあったのかもしれないし、この交響曲を作曲中の1822年12月に梅毒にかかっていることが判明し、身体と精神の両面で危機に陥ったことが関係しているのかもしれない。もっともシューベルトが作品を作曲中途で止めることは以前にもよくあったことで、未完で放置された作品が彼の場合特別な例ではなかったという点は留意したい。いずれにせよ2楽章までの自筆譜はその後友人のヨーゼフ・ヒュッテンブレンナーに手渡され、彼の机の中で世に知られず眠ることとなる。やっとシューベルト死後37年経た1865年ンに指揮者ヨハン・ヘルベックがこの作品の存在を知り、同年12月17日ウィーンにおいてヘルベックの指揮で初演が行われ、以後この曲は未完の”完結した”作品として親しまれるようになった。シューベルトのそれまでの交響曲には見られない、夢の世界をさ迷うようなロマン的特質を持った作品で、彼の後期の作風が如実に示された傑作となっている。

第1楽章(アレグロ・モデラート)はソナタ形式で、低く不気味に示される8小節の序奏主題が楽章全体の重要な要素となり、悲劇的な暗さとロマン的詩情の交錯のうちに発展、展開部では激情的な高まりを築く。第2楽章(アンダンテ・コン・モート)はホ長調の夢見るような緩徐楽章だが、一見平安な叙情美の裏に不安定に移ろう情緒が漂っている。

 

シューベルト:交響曲 第8番 ハ長調 D.944《ザ・グレイト》

《未完成》交響曲で自らの資質を生かした独自の交響曲様式を見出したシューベルトは、このハ長調交響曲でそれを初めて完全な作品として示すこととなる。かつてないロマン的な気宇壮大な広がりを持ったこの交響曲を聴いたシューマンは「天国的な長さ」と評しているが、並列的ともいえる独自の構成法ー主題や動機の執拗な反復、和声の色合いの変移による気分の変転や突然の飛躍ーで情感の移ろいを表現するその書法は、古典派の交響曲とは異なり、まさにロマン的と呼ぶにふさわしいものといえるだろう。

長らくこのハ長調交響曲は1828年(すなわち死の年)に短期間で書かれたと思われていた。しかし近年の研究では1825年に着手され、1826年に完成されたことが判明している。シューベルトはウィーン楽友協会にこの作品を献呈したいと打診し、協会側もこれを受け入れた。しかし私的な試演でこの作品のあまりの長さと独特のスタイルが問題となったのか、予定されていた初演は中止となり、作品はシューベルトの兄フェルディナントに渡されたままお蔵入りになってしまう。

この交響曲が日の目をみたのは作曲者死後11年経った1839年のことだった。この年の元日、フェルディナントの家を訪れたシューマンがこの交響曲の自筆譜を発見し、ただちにライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者だった親友のメンデルスゾーンに連絡をとった。そして同年3月21日にゲヴァントハウスの演奏会において、メンデルスゾーンの指揮によってようやくこの大作は初演されたのである。

第1楽章(アンダンテ~アレグロ・マ・ノン・トロッポ)は、2本のホルンの朗々たる旋律に始まる充実した序奏の後、ソナタ形式の主部となる。勢いある第1主題、木管に示される軽快な第2主題、トロンボーンに厳かに示される第3主題と、性格の異なる主題部が並列され、展開部では様々な情感の移ろいをみせる。第2楽章(アンダンテ・コン・モート)はイ短調による叙情的な緩徐楽章。オーボエに示される哀愁漂う主要主題とロマン的な憧憬の気分に満ちた副主題が交替する。第3楽章(スケルツォ、アレグロ・ヴィヴァーチェ)は躍動感溢れる堂々たるスケルツォ。のどかな牧歌的な主題によるトリオが挟まれる。第4楽章(アレグロ・ヴィヴァーチェ)は力感に満ちた第1主題と管楽器に歌われる第2主題を持つソナタ形式で、展開部ではベートーヴェンの第9交響曲の”歓喜の歌”の引用とおぼしき新主題も現れる。一定の動機やリズムを執拗に繰り返す独特の原理が生かされた大規模なフィナーレである。

 

シューベルト:劇音楽《キプロスの女王ロザムンデ》D.797より 第5曲 “間奏曲 第3番”

シューベルトは1823年にヘルミナ・フォン・シェジーの劇《キプロスの女王ロザムンデ》のための劇付随音楽を作曲した。これは1823年12月に上演されたが、シェジーの劇は内容の拙さゆえに完全な失敗に終わってしまう。しかしシューベルトの音楽は評価され、今日まで頻繁に演奏会で取り上げられてきた。

その中の”間奏曲 第3番”は第3幕と第4幕の間に置かれた曲で、この劇音楽の中でも”バレエ音楽第2番”とともにとりわけ親しまれている名品である。変ロ長調、アンダンティーノ、優美で穏やかな主要主題の間にやや動きのある短調の副主題が挟まれる。シューベルト自身この曲の主要主題を気に入っていたのか、のちに弦楽四重奏曲第13番イ短調Op.29/D.804(1824年)の第2楽章やピアノのための即興曲集Op.142/D.935(1827年)の第3曲変ロ長調に引用している。

(てらにし・もとゆき)

(CDライナーノーツより)

 

*ライナーノーツは全文とも日本文・英文にて収載

 

 

 

フューチャー・オーケストラ・クラシックス
Future Orchestra Classics(FOC)

2019年に久石譲の呼び掛けのもと新たな名称で再スタートを切ったオーケストラ。2016年から長野市芸術館を本拠地として活動していた元ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)を母体とし、国内外で活躍する若手トップクラスの演奏家たちが集結。作曲家・久石譲ならではの視点で分析したリズムを重視した演奏は、推進力と活力に溢れ、革新的なアプローチでクラシック音楽を現代に蘇らせる。久石作品を含む「現代の音楽」を織り交ぜたプログラムが好評を博している。2016年から3年をかけ、ベートーヴェンの交響曲全曲演奏に取り組んだ。久石がプロデュースする「MUSIC FUTURE」のコンセプトを取り込み、日本から世界へ発信するオーケストラとしての展開を目指している。

(CDライナーノーツより)

 

 

シューベルト(1797-1828)
交響曲 第7番 ロ短調 D759「未完成」

1. 1 Allegro moderato
2. 2 Andante con moto

交響曲 第8番 ハ長調 D944「ザ・グレイト」

3. 1 Andante – Allegro ma non troppo
4. 2 Andante con moto
5. 3 Scherzo: Allegro vivace
6. 4 Finale: Allegro Vivace

7. 劇音楽「キプロスの女王ロザムンデ」D797より 間奏曲 第3番

久石譲(指揮)
フューチャー・オーケストラ・クラシックス

2023年7月5日 東京オペラシティ コンサートホール、7月6日 長野市芸術館メインホールにてライヴ収録

高音質 DSD11.2MHz録音 [Hybrid Layer Disc]

 

Disc. 久石譲指揮 フューチャー・オーケストラ・クラシックス 『ブラームス:交響曲全集』

2023年7月19日 CD-BOX発売 OVCL-00820

 

ロックなベートーヴェンから最先端のブラームスへ!
未来のクラシックを問う久石譲とFOCの「ブラームス交響曲全集」ついに完成!

クラシック音楽へのかつてないアプローチが大きな話題を集める、久石譲とFOCによる挑戦。このブラームス全集は、2020年から取り組んだブラームス・ツィクルスより第2番・第3番・第4番と、新たにセッション録音をした第1番が収録されています。3年半という時間をかけた入魂のアルバムです。

久石譲のもと若手トッププレーヤーが集結したFOCは、瞬発力と表現力が爆発。作曲家ならではの視点で分析された演奏は、常識を打破するような新しいブラームス像をうち立てています。

(メーカー・インフォメーション/CDBOX装丁 より)

 

 

 

久石譲ロングインタビュー「ブラームスはヘビメタだ!」

聞き手・構成:柴田克彦(音楽評論家)
オブザーバー:江崎友淑(録音プロデューサー)

▼トピック紹介▼
・ブラームスの難しさ
・FOCのブラームスとは?
・録り直した第1番
・第2番の独自性
・第3番への思い
・第4番の罠
・最後に

(ブックレット p.2-12掲載)

 

曲目解説 寺西基之

(ブックレット p.13-19掲載)

 

久石譲/フューチャー・オーケストラ・クラシックス/オーケストラ メンバーリスト

(ブックレット p.20-25掲載)

 

Brahms is Heavy Metal!

*久石譲ロングインタビュー 英文

(ブックレット p.26-34掲載)

 

Music Commentary

*楽曲解説 英文

(ブックレット p.34-41)

 

Profile Joe Hisaishi / Future Orchestra Classics(FOC)

*英文

(ブックレット p.42-44)

 

 

 

ブラームスはヘビメタだ!

聞き手・構成:柴田克彦(音楽評論家)
オブザーバー:江崎友淑(録音プロデューサー)

 

ブラームスの難しさ

柴田:まずは、フューチャー・オーケストラ・クラシックス(FOC)の演目として、ベートーヴェンの次にブラームスの交響曲を選ばれた理由からお聞かせください。

久石:ベートーヴェンに並ぶ作品といえばやはりブラームスしかない。まだ早いかもしれないと思いながらも、チャレンジすることにしました。ただ、ブラームスは本当に難しい。

柴田:どんな点が難しいのでしょう?

久石:ベートーヴェンはもちろん、歌謡的なイメージのあるシューベルトでさえも、交響曲ではモティーフを重要視してきちんと作ってあります。モティーフ的な楽曲は、論理的な構造を明確にできるので、全体の構成もクリアになります。でもブラームスは、歌謡的なメロディを無理矢理モティーフ化しようとしている。その扱い方がとても難しいのです。

柴田:ブラームスの交響曲の満足いく演奏は、意外に少ないですね。

久石:マーラーなどに受け継がれていく歌謡メロディ的な要素、すなわち非常にロマン的な体質と、ベートーヴェンに憧れている論理的な部分が混然としているので、指揮者にとっては難儀なのです。だから僕も若干躊躇しました。

 しかも、ドイツ音楽という括りの重い演奏=「これぞブラームス!」との見方が横行してしまった。FOCでもその問題が出てしまうので、改めて「うちはチャンバー・オーケストラで、スポーツカーだから」と言わないといけなかった。フル・オーケストラはダンプカーで、カーブもゆっくりとしか曲がれない。でもスポーツカーはきゅっと曲がれます。FOCではそれをやりたいのに、皆少しずつ次を待ってしまう。

 ブラームスも初期の時はFOCと同じくらいの編成なので、そんなに重く弾いているわけではない。ところが一般的なアプローチは、後期ロマン派のマーラーなどへ繋がり、さらには20世紀のドイツ的な重い表現へと繋がっていった。すると演奏家がそこから抜け出すのはすごく難しい。

柴田:確かにそうですね。

久石:FOCのブラームスでも、1番は一度録音し、リリースもしています。でもそれを聴くと、速いテンポで論理的に扱おうとし過ぎたために、歌っていない。なので1番だけセッションで録り直しをしました。歌謡的な要素と論理的な部分のマッチングを上手くやらないとブラームスは成立しないというのが、今回よく分かりましたね。

 

FOCのブラームスとは?

柴田:前のベートーヴェンの交響曲全曲演奏の際に「ロックやポピュラー音楽を知った上でのベートーヴェン」という話をされていましたが、今回その点はどうですか?

久石:今回その発想はあまりありません。それよりも、今まで聴いてきた重すぎるブラームスはやりたくないとの思いが強かった。とはいえアップテンポにしてただ縦を合わせたような演奏だとブラームスにならない。従って、現代的なテンポやインテンポを基準にはするが、必ず大きく歌う。その点をものすごく気にかけました。

柴田:ベートーヴェンの時はリズムを相当意識されていましたが、今回はどうですか?

久石:とても大事にしています。ただ、ブラームスに颯爽という印象はないでしょう? 遅くはないが、颯爽ではない。アップテンポにすると絶対弾けないくらい難しいところが出てきます。だから、テンポを上げればいい、リズムを強調すればいいってものでもない。ブラームスの難しさはそういうところにもありますね。

柴田:では、ベートーヴェンの時に話されていた「ロックのような」という要素は?

久石:もちろんその要素はあります。でも音楽が軽くない。ブラームスの場合は、聴覚的に感じる1拍目が実際の1拍目ではなく、裏拍が多いので緊張させられます。それでも、テンションを保つリズムの要素はすごくあるので、リズムから追い込んでいく僕のスタイルは変わっていません。そう、ベートーヴェンがロックだとすれば、ブラームスはヘビメタ。重い。同じリズムだけど性格が違う。

柴田:「ブラームスはヘビメタだ!」というのはキャッチーですね(笑)。

久石:そこだけ切り取られると困るけど(笑)。

柴田:ビブラートに関してはどうですか?

久石:ベートーヴェンの時から基本的にかけていません。例えば、玄関のピンポーンってチャイム。あれは正弦派に近いです。正弦波はピュアで音がすごく通る。例えばうちの犬は、テレビの中のドラマでチャイムの音が鳴ると、慌てて玄関に吠えて行きます。つまり正弦波だと距離感がわからない。でもビブラートをかけると波形がぐちゃぐちゃになる。そのように複雑になればなるほどニュアンスが出るわけです。ところがビブラートなしで出す音は正弦波に近い。すると遠くまで届くのですが、そばで聞いている人には細く感じる。しかもビブラートがないと味気なくなるので、指の速度や弓の返しでニュアンスを出すといった別の工夫が必要になります。ともかくFOCがビブラートなしで演奏する理由は、遠くまで聞こえるその抜けの良さを一番大事にしたいから。それによって管楽器のアンサンブルも見通しがよくなります。

江崎:1番の第4楽章の最後は、普通は弦楽器や管楽器がティンパニに消されて聞こえないんですよ。だけどFOCは明確に聞こえている。不思議に思っていたんですよね。

柴田:あとブラームスでは立奏をされていますね。

久石:室内オケなので、ホールが大きくなるとちょっともの足りないと思うことがありました。そういう時に立った方が寂しくないという、非常に単純な理由でした。またクルレンツィス率いるムジカエテルナの立奏に刺激されたのも一因ですし、僕がやっている現代音楽の公演も立奏が多い。それに今回実験したんですよ。座って一部録った後に立って演奏してみた。すると立った方が音の抜けがいい。ですから今回は全部立奏での録音です。

柴田:ナガノ・チェンバーからFOCへ、メンバーも替わりながら続けてきて、オーケストラ自体の変化は感じられますか?

久石:コアなメンバーはあまり変えていないから、どうでしょうか。コンサートマスターの近藤さんやホルンの福川さん、チェロの向井さんあたりが引っ張ってくれている。

江崎:オケの”音”はもう完全に定着しましたね。ブラームスの4番は普段のメンバーとかなり違うんですよ。だけど全く音色に遜色がない。

久石:弾き方が違う奏者がいると皆分かる。若干遅れるなど、少し浮くんです。それが2、3日すると気にならなくなる。僕も「うちはスポーツカーなんだから、溜めるんじゃない」などとしつこく言ってはいます。でも皆な理解して最後はFOCの音になっている。

柴田:それにしても、ブラームスはピリオド系の演奏を含めてなかなか成功しないですよね。

久石:この数年、フランソワ=グザヴィエ・ロトとレ・シエクルのフランスものが一番トレンドな演奏になっていますよね。ピリオド系の人達は、基本的にいま主流になりました。あと、レコード芸術誌の「新時代の名曲名盤500」で、僕が日本人で初めてベートーヴェンの交響曲第7番で1位になったんですよ。FOCの演奏が、カラヤン、フルトヴェングラーなどを含めた全部のCDの中で1位になった。8番も2位になりました。もちろんフランスものなどはほとんどロトが1位です。ところが、ブラームスだけは昔のまま往年の指揮者やオーケストラがトップです。先ほど言ったように、ロマン的な体質と論理的な体質の、どちらかに焦点を当てても、何か足りない面があるので最も現代的な演奏に行き着けないのではないですか?

柴田:すると、今回の録音がベートーヴェンの7番8番にあたるかもしれませんね。

久石:そうであって欲しい(笑)。

柴田:ところで、今回時間的にはCD2枚に入る4曲を、3枚に分けた理由はあるのですか?

久石:1番と4番はとりわけ納得がいく出来栄えだったので、それぞれ1曲をじっくり聴いてほしいと思い、ディスクを独立させることにしました。特にこの全集のために改めてセッションを組んだ1番は、演奏への思い入れも強かったのです。

 

録り直した第1番

柴田:1番を録り直したのは、やはり「歌っていない」点が最大の理由ですか?

久石:そうですね。アップテンポであることに気を遣い過ぎ、斬新さを求め過ぎてしまった。でも今回の再録音でやっとできたという感じがしています。

柴田:基本的なテンポなどは前と一緒ですか?

久石:第1楽章の冒頭部分だけは、少しゆったりさせました。

柴田:あそこはウン・ポコ・ソスティヌートであって、アンダンテやアダージョではないんですよね。

久石:そうです。だが普通は迷宮に入るみたいに重く始まるケースが多く、それは違うと僕はずっと思っていました。今回はそこをちゃんとできた。テンポは変わらず速いですが、前回よりもある意味自然になっています。でも1番が一番難しい。作曲に時間かけ過ぎなんです。

柴田:構想から完成まで約20年というのは、作曲家の立場で見てどうなんですか?

久石:やり過ぎ。20年かかった意味はスコア見ればわかるのですが、3オクターヴに亘って三度で動かしたりする。例えば、高い方をフルート、1オクターヴ下をクラリネット、もう1オクターヴ下をファゴット、場合によってチェロなどで弾いたりする。だから厚ぼったい。時間をかけるとそのようにクドくなるんです。なので今回は、例えば一番下のパートに「弱く吹いてください」とお願いし、抜けをできるだけ良くするよう心がけました。僕らもそうですが、時間をかければかけるほど厚くなる。スコアを眺めていると「うーん…重ねておこうかなぁ」と。作曲家の心理として必ずありますね。

柴田:久石さんは、作曲にそれほど年数をかけたことはありますか?

久石:一番長くなったのは交響曲第1番。第1楽章を書いて、第2楽章の80%くらいできた時に、これでいいのか?と。そこで躓いて、2~3年ほどブランクがあり、結局7年ちょっとかかった。でも第2番は6ヶ月。オーケストレーションは翌年でしたが、かなり速い。

柴田:ブラームスと同じですね。それは解放感によるものでしょうか?

久石:交響曲とはこういうものだと分かるのに時間がかかるんです。ブラームスの場合は、あまりにも巨大なベートーヴェンの作品があるから、それを意識し過ぎたのでしょう。なので、これでいいのだと実感するのに、すごい時間がかかった。まだ足りないのではないかと、絶えず思ってしまうわけです。

柴田:やはり交響曲は特別なのですね。

久石:特別になってしまいますね。僕の交響曲で言うと、2番3番はコンセプチュアルなんですよ。ミニマルを完全に前面に押し出しているので、各楽章のテーマやリズムがわりとはっきりしている。1番の時はそれがはっきりせず、交響曲はこうあるべきだなど、色々な思いが入ってきてしまった。他は全部ミニマル的な単一動機の延長で行けたのが、1番だけ違うんですよ。だからブラームスも2番は非常にコンセプチュアルです。

 

第2番の独自性

柴田:2番はやはり”自然”や”田園”がコンセプトでしょうか?

久石:1番と2番の関係は、ベートーヴェンの5番「運命」と6番「田園」にあたります。2番は基本的に「田園」を意識していますね。ただ、深刻な音楽と深刻ではない音楽というよりも、純音楽的な要素で作ったものと情景的な要素を入れて作ったもの、と考えた方がいいと思います。

柴田:2番は特に第1楽章の演奏が難しいように感じます。

久石:ソナタ形式というのは、呈示部で、激しく男性的な第1主題、優しい第2主題を出して、展開部と再現部があるのが基本です。でも2番の場合は、第1主題と第2主題のキャラクターの差があまりないんです。しかも似通った別の経過的なフレーズもメロディに聞こえるので、呈示部だけで5つか6つくらいの主題が出てくる感じがする。そこがまず演奏を難しくしています。

柴田:呈示部を繰り返すとさらに大変ですね。

久石:ゴルフ場で3ホール前にアイアンを忘れてきたようなものです。普通3ホールも戻れない。何が言いたいかというと、僕はいつも呈示部を必ず繰り返します。ブラームスは、主題が一杯あって山越え谷越えしてきているから、もう一回戻るのは本当に大変です。でも僕は行う。テンポを速くして、思い入れを込めすぎないようにします。

 特に2番は、1番で苦しんだ後なので旋律が自然に浮かんでそのまま書いたという感じがします。主題になるようなフレーズを山ほど出すので、全体の構成がはっきりしない。再現部でもう一回呈示部と同じことを繰り返す時も辛い。まだやるのかって(笑)。その後終結部が来ると途端に元気になって、バタバタして終わる。演奏が息切れするんです。そうしないためには呈示部をあっさりと表現する。いつも出てくるメロディに全部気持ちを込めていったら、息切れするに決まっています。

 

第3番への思い

柴田:3番も扱いが難しい曲ですね。

久石:僕は一番好きです。まずは冒頭の主題のリズムの凄さ。6/4拍子なのに聴覚上の1拍目と6拍目が区別できない。これが独特の緊張感を出しています。また有名な第3楽章のメロディもいい。

柴田:3番は力強い曲なのに、全楽章が弱音で終わります。これは珍しいですよね。

久石:僕はあまり意識していませんが、斬新ではありますね。特に、曲の最後に冒頭のテーマが出てくる箇所。そのまま出したらわざとらしいので、全部トレモロなんです。遠くに去っていく感じをさりげなく出したいということでしょうね。

柴田:意識しないということは、3番目になると結構自然に書かれている?

久石:3番の構成力のシンプルさに感心しています。カタルシスをその前にはっきり出しているので、静かに終わるのはすごくいいなといつも思っていますね。

 この曲は、ジブリの監督の高畑勲さんが大好きだったんですよ。《かぐや姫の物語》のファイナルミックスの時に、ロビーで3番のポケットスコアを見ていたら、高畑さんがスコアを取り上げて、「ここ、ここなんですよ、これが良いんですよね」と、その最後の主題が戻る箇所を指摘されたんです。映画監督でそこまでわかる人はまずいない。ちょっとびっくりしましたね。いつも3番を演奏すると、高畑さんを思い浮かべます。

柴田:それはすごいですね。

久石:ただ、あの部分は譜面通りにやるとメロディが絶対聴こえない。そこで、これは秋山和慶先生から教わったのですが、弦を半分普通に弾いて、半分はトレモロで、と。僕は最初、譜面通りにやっていたのですが、後で聴くと全然メロディが出てきていない。先生の仰る通りだなと思って、以後はその通りにやっています。

 

第4番の罠

柴田:4番についてはいかがでしょうか?

久石:4番は、第1楽章の冒頭部が象徴的です。「ティーラ、ターラ」「ティーラ、ターラ」と続く下行上行の動きは、全て同じ音型。とても論理的です。しかしどの指揮者も、ものすごくロマンティックに表現する。皆がそこに命をかけて、ムードたっぷりなんです。冒頭部にそうした思いを込めすぎると後が大変なので、僕はそうしません。

柴田:あの出だしにはロマンティックな演奏伝統のようなものがありますね。

久石:逆に言うと、あれが一番ブラームスらしいところ。論理的で明快な音型なのに、演奏者はなぜかものすごくロマンティックにやろうとする。これがブラームスの危険さ!なのです。つまりロマン的に書いていながら、次のメロディに発展させず、あくまで論理的に処理している。そこに論理的でありロマン的でもあるというブラームスの罠が全部仕込まれています。

江崎:音大なんかでも、音が出る前からビブラートをかけろなどと教わりますからね。

久石:そのくらいにブラームスはこうあらねばと皆が思ってしまっている。なので今回、真逆なことをやっています。

 あと4番の場合は、第4楽章のパッサカリアがすばらしい音楽ですよね。4番には2番の時に話した主題の出し過ぎがない。整備されていて、最後がパッサカリアでしょう。結局構成に関してはバロック時代に戻っている。だからすごく明快になっています。

江崎:言わせてください。今回の第3楽章。この快速をこのように弾けてる演奏は他にないですよ。もう痛快以外の何物でもないです、本当に。

久石:プロデューサーに褒められて嬉しいね。まあ第4楽章に話を戻すと、当時一番新しかったのは多分リストで、交響詩がソナタ形式に変わるシステムとして登場し、物語性を盛り込んでいった。しかしブラームスは最も古臭いと言われる位置にいて、ソナタ形式にこだわってきた。その彼が最終的に選んだのがパッサカリア。この意味はすごく重いと思います。8小節の低音のラインは変えず、上の動きで変えていく。それによって生まれる構成力が、おそらくブラームスが最終的に行き着いた答えの一つではないでしょうか。

柴田:重くたっぷりと表現されがちな第4楽章も、久石さんの演奏はわりと普通に進みますよね。あそこもアレグロ・エネルジコ・エ・アパッショナートで、別に遅いテンポではない。

久石:そう、全然遅くない。皆は重いと思っているけど、我々はスポーツカーですから。

 

最後に

久石:ブラームスを振るのは重荷ではありましたが、幸せでもありました。論理的な部分と感覚的な部分の両立は誰にとっても生きて行く上での最大の課題です。その課題が一番顕著に出てくるのがブラームス。両方を融合させなければいけない。今回出来たかどうか分からないけど、最大限頑張りました。

 でも、当時1番の初演を聞いた人が「第4楽章の主題はベートーヴェンの9番の主題に似てませんか?」と訊いた時、ブラームスは「そんなことは馬でもわかる」とはっきり言ってる……(笑)。僕はそういうブラームスが好きです。あの人はユーモアもクールです。決して深刻な人じゃないんですよ。だから誰があんな深刻な音楽(演奏)にしたんだ!と言いたい。それからブラームスが「ドヴォルザークがクズ箱に捨てたスケッチで僕はシンフォニー1曲書ける」と言ったという有名な逸話があります。彼はドヴォルザークのメロディがすごいことをちゃんと言う。俺が!俺が!ではないですよね。その意味でもブラームスを堅苦しくなく演奏できる状態にしたいですね。

(2023年5月11日)

 

(久石譲ロングインタビュー「ブラームスはヘビメタだ!」 ブックレットより)

 

 

 

 

 

過去コンサート・レポートなど

 

 

ブラームス:交響曲全集《特別装丁BOX》 久石譲&FOC

 [Disc1]
 交響曲 第1番 ハ短調 作品68
 [Disc2]
 交響曲 第2番 ニ長調 作品73
 交響曲 第3番 ヘ長調 作品90
 [Disc3]
 交響曲 第4番 ホ短調 作品98

久石譲 (指揮)
フューチャー・オーケストラ・クラシックス

〈録音〉
第1番:2023年5月10-11日 長野市芸術館 メインホール(セッション)
第2番:2021年7月8日 東京オペラシティ コンサートホール、7月10日長野市芸術館 メインホール(ライヴ)
第3番:2022年2月9日 東京オペラシティ コンサートホール(ライヴ)
第4番:2022年7月14日 東京オペラシティ コンサートホール、7月16日長野市芸術館 メインホール(ライヴ)

SACD Hybrid
2ch HQ (CD STEREO/ SACD STEREO)

●初回限定 特別装丁BOXケース&紙ジャケット仕様
●豪華ブックレットには久石譲ロングインタビューを掲載
●第1番は当全集のために新たに行なったセッション録音を収録

 

 

Producer: Joe Hisaishi

Recording & Balance Engineer: Tomoyoshi Ezaki
Recording Engineer: Takeshi Muramatsu, Masashi Minakawa
Mixed and Mastered at EXTON Studio, Tokyo

Production Management: Shinji Kawamoto (Wonder City Inc.)
A&R: Moe Sengoku

Photo: Dai Niwa (Box, P.7)
Cover Design: Miwa Hirose, Ayumi Kishimmoto

Executive Producer: Ayame Fujisawa (Wonder City Inc.), Tomoyoshi Ezaki

Joe Hisaishi by the courtesy of Deutsche Grammophon GmbH

 

Disc. 久石譲 『Prayers』 *Unreleased

2020年10月19日 動画公開

 

明治神宮鎮座百年祭 記念曲「Prayers」

明治神宮公式チャンネルにて公開

 

 

明治神宮鎮座百年祭にあたり、わが国を代表する音楽家 久石譲氏に記念の楽曲をつくっていただきました。まるで森の中へと入っていくような、静けさと奥行きのある荘厳な調べは、まさに明治時代、日本の精神をもって西洋文明を取り入れた和魂洋才を思い起こします。この曲にあわせて編集された映像と共にご視聴ください。

作曲・編曲 久石譲
演奏 東京交響楽団
録音会場 ミューザ川崎シンフォニーホール
録音・ミキシング 江崎友淑・村松健(オクタヴィア・レコード)
映像編集 佐渡岳利・ 井上寛亮(NHKエンタープライズ)
映像撮影 宝貝社、凸版印刷、乃村工藝社・惑星社、HEXaMedia
アートディレクター 原研哉
写真 関口尚志
制作 サンレディ、ワンダーシティ
制作統括 明治神宮

from 明治神宮 公式チャンネル Meiji Jingu Official Channel

 

 

公開動画について

 

 

明治神宮の会員および関係者へ、CD+DVDパッケージ化したものが非売品として配布されている。音源も映像も公開されたものと同一収録されている。

 

 

 

 

 

和太鼓の強打によってはじまる曲は、静謐な五音音階的モチーフを幾重にも織りませながら厳かな雰囲気ですすめられる。いくつかの打楽器はあるものの、日本の伝統和楽器は使われていない。一般的な西洋オーケストラ楽器のみで、日本古来からの世界観を表現している。公式コメントにもあるとおり、まさに”和魂洋才”といえる。フルートやピッコロをはじめとした木管楽器で五音音階的ハーモニーや五音音階的不協和音を演出するなど、その響きは雅楽などにも共鳴するものがある。

この作品がエンターテインメントに属するかという点においても、レビューをためらう。聴いた感じやイメージで語ることはできたとしても、果たしていいのか、とためらう。信仰や宗教といった側面をもつこともあり単なるエンタメ気分だけで作曲していないことは確かだと思う。そうなると、信仰や宗教といったもの、それになぞらえたものを、どう音楽的手法に置きかえているのか、どこにコンセプトをおいているのか。そういった手引がないと、なにを表現しているのか、見当違いな回答を導きだしてしまう。それでいいのかもしれないけれど、やはりためらう。とっかかりがわかったほうがまっとうな理解は深まる。

「この曲を聴いて絵を書いてください」そう課題を出されたクラス全員の絵が、すべて違うような状態にある。もしそこに「作者は、森をイメージしたようです」「作者は、この楽器を火に見立てたようです」「作者は、このような儀式から着想を得ています」などと解説があれば、課題を出されたクラスの半数以上に、共通点が見つかる絵ができあがるかもしれない。ましてや鎮座百年という記念曲、歴史においても、ふたつの世界大戦をのみこむ長大な時間。そういうことです、レビューをためらう。

たとえば、印象にのこっているもののひとつに、執拗なトランペットの旋律、奏者にとっては最も過酷なパート(動画タイム 4:57-5:27 )。息つく間もなく祈りを唱えつづける言霊のようにも聴こえたり、はたまた、かがり火の炎がちりちりと火の粉たちをまき散らすようにも聴こえたり。容易に近づくことのできない信仰の集中力や、場の空気の緊張感といったものがひしひしと伝わってくる。

こういった部分的なイメージ空想の羅列になってしまうので、やっぱり控えることになる。シンプルに言うと「すごくかっこいいじゃないですか! That’ so Cool!!」と日本からも海外からも驚きと深い喜びでむかえられる楽曲。

この曲をひとつの楽章として置き、多楽章な作品へと発展する生命力を十分に宿した、今の久石譲を出し惜しみなく具現化した大曲。大衆性・芸術性の両軸をかねそなえた、歌わせる旋律とミニマルな旋律を交錯させた、日本と西洋を”いま”で表現した、そんな楽曲になっている。いつか、本人解説や楽曲コンセプトが知りたい。

 

 

 

 

Disc. 久石譲 『Will be the wind』 *Unreleased

2020年9月15日 動画公開

 

LEXUS(レクサス中国市場向けプロモーション)
テーマ曲「Will be the wind」

中国国内メディアにて一斉に動画公開

 

 

叙情的でミニマルなピアノの旋律と室内オーケストラ編成で構成されている。オーケストラの音源はシンセサイザーによる割合も大きいように聴こえる。ミニマルなモチーフのくり返しを基調とし、奏でる楽器を置き換えたり、モチーフを変形(変奏)させたり、転調を行き来しながら、めまぐるしく映り変わるカットシーンのように進んでいく。

後半はミニマルなピアノモチーフの上に、弦楽の大きな旋律が弧を描き、エモーショナルを増幅しながら展開していく。かたちをもたない風、安定して吹きつづける風、一瞬襲う強い風、淡い風、遠くにのびる風。決して止むことのない風、それは常に変化している、それは常にひとつの場所にとどまらない。ミニマルとメロディアスをかけあわせた、スマートでハイブリットな楽曲。

エンターテインメントとしても、とても聴きやすい音楽になっているけれど、「ミュージック・フューチャー・コンサートシリーズ」などで、この曲をひとつの楽章として置き、多楽章な作品へと発展する可能性をも感じる、久石譲の今の作風を表した楽曲になっている。

オリジナルはシンセサイザー音源になっている。Covid-19のなか生楽器を集めてのセッション・レコーディングができない時期だったためと思われる。久石譲らしい完成度の高いデモ音源がそのまま納品されたレアケースともとれる。

 

 

公開動画について

 

 

2021.07 追記

「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2021」コンサートにて初演された。

 

 

2022.07追記

アルバム『Symphonic Suite “Princess Mononoke” 2021』に収録された。

 

 

 

 

Disc. 久石譲 『Xpark(館内展示エリア音楽)』 *Unreleased

2020年8月7日 開館

 

2020年8月7日グランドオープン
新都市型水族館『Xpark』(台湾・高鉄桃園駅前)
館内展示エリアの楽曲(全7曲)書き下ろし

曲名・分数・編成などは不明

 

 

“久石譲さんによる7曲の館内音楽は、コロナの影響でリモート会議による打ち合わせを行ったという。巨大水槽で行われる魚群ショーや各ゾーンのイメージを伝えて打ち合わせを重ね、コロナの影響でオーケストラでのレコーディングができないなどの困難を乗り越えで完成した。”

(台北経済新聞 より抜粋)

 

 

メディア・旅行代理店向けに行われた内覧会の様子を動画で見たかぎり、TV『Deep Ocean シリーズ』、プラネタリウム『ad Universum』、映画『海獣の子供』の音楽づくり線上にあるような、ミニマルベースの心地よい、時間軸や空間軸の無数の広がりを感じる音楽となっている。また、生楽器のレコーディングが難しい環境下だったからだろうか、シンセサイザーベースの音楽になっていて、ほとんど生楽器は使っていないように聴こえる。そのぶん、シンセサイザー構成ならではの音やフレーズが飛び交っていて、近年の久石譲音楽制作からすると、貴重な音源といえるかもしれない。生楽器ならば微細な質感や音感でニュアンスに広がりや表情をもたせられることに対して、今回のシンセサイザーベースの楽曲は、パート数・トラック数といった旋律の数を多くすることで、表情を豊かにカラフルにしているように聴こえた。

 

 

なお、公式CM動画公開(2020年9月28日)でも、少しだけ音楽を聴くことができる。

 

 

いつかオリジナル音源や、演奏会用の作品として聴いてみたい。

 

 

 

2021.7 追記

「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2021」コンサートにて「Xpark」が初演された。

 

”台湾の水族館のために作曲した。いわば環境音楽のように観に来ていただいた人々に寄り添う音楽を書いたが、この曲はExitの音楽として観客の皆さんが楽しい気分で帰って欲しい、と思い作曲した。”

(「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2021」コンサート・パンフレットより)

 

 

 

 

2021.11 追記

久石譲インタビュー動画が公開された。また11月11日からは新しいフルオーケストラ・バージョンが館内で公開されることになった。あわせて全7曲のタイトルも発表された。

1.entrance 『Xpark 〜introduction〜』
2.福爾摩沙 『Sea mystery』
3.銀鯧幻影之美『Rainbow in curved fishes』
4.暖海生機 『Fish around the sea』
5.癒見水母(前半) 『Floating the space』
6.癒見水母(後半) 『Kaleidoscope』
7.Xcafe~EXIT 『Xpark 〜ending〜』

 

 

 

2022.07追記

アルバム『Symphonic Suite “Princess Mononoke” 2021』に収録された。

 

 

 

 

 

Disc. 久石譲指揮 フューチャー・オーケストラ・クラシックス 『ブラームス:交響曲第1番』

2020年7月22日 CD発売 OVCL-00733

 

新クラシック誕生!
発見と喜びのブラームス・ツィクルス。

クラシック音楽界に旋風を巻き起こした、久石譲が指揮するベートーヴェン・ツィクルスに続くのは、ブラームスの交響曲です。作曲家の視点から緻密に分析し、読み取った音楽は、国内の若手トッププレーヤーによる「フューチャー・オーケストラ・クラシックス」が明快かつ躍動的に表現し、新たな発見に満ちたブラームスとなっています。当録音のコンサートでは、立奏スタイルを採用したことも話題となりました。新たなブラームス像をここにお届けします。

(CD帯より)

 

 

ベートーヴェンからブラームスへ、作曲家としての視点でスコアを読み解く久石譲&FOCの新しい挑戦。

オヤマダ アツシ

クラシック音楽を聴いている方であれば思い当たる節もあると思うが、何度も繰り返し聴いてきた作品であるほど新鮮さが失われていくのと同時に、それを覆すような演奏に出会えたときの衝撃や喜びは計り知れないものがある。2016年7月、長野市芸術館で久石譲指揮によるナガノ・チェンバー・オーケストラのベートーヴェン(交響曲第1番・第2番)を聴いたときの筆者は、まさに「ああ、まだこんなアプローチがあったのか!」というわくわくした思いを味わい、手元にスコアがないことを口惜しく感じたものだった。

クラシックの演奏家たちは作曲家が残してくれた楽譜を一番の拠り所として、(校訂者により細部の相違があろうとも)読み取ったものをどう形にしていくか、使命感にあふれていることだろう。その審美眼とアプローチは当然ながら音楽家によって異なる。久石譲のベートーヴェンはどうだっただろうか。指揮者という役割を担いながらも”同じ作曲家”としての思考や視点を基本的な立ち位置として、独自の透視光線をスコアへ当てることにより、自らのアプローチを獲得したといえる。つまり楽譜が何を要求していて(=作曲家は楽譜に何を託していて)どう表現して欲しいのかを考え、それを洗い出すことであるべき姿を形にしていくということだ。もちろんそうした過程は多くの指揮者が辿っていることでもあるのだが、久石の場合、独自の視点とした拠り所のひとつが「ミニマル・ミュージック」(およびポスト・ミニマル・ミュージック)だったことで、それが演奏の個性へと直結することとなった。

「自分はミニマル・ミュージックに大きな影響を受けた作曲家ですから、まずは音価をきちんと揃えてリズムを軸とした音楽を構築しないと作品が成立しないことを知っています。そのアプローチでベートーヴェンのスコアを見直してみると、目立たなかった伴奏の音型が雄弁だと気がついたり、メロディと伴奏型のリズムが主従の関係ではなく、互いに反応し合って一体化していたり対立構造にあったりと新鮮な発見がたくさんあり、結果的に『やっぱりすごいな、ベートーヴェンは!』とため息をついてしまうほどでした」(「レコード芸術」誌のため「ベートーヴェン:交響曲全集」のインタビューをした際のコメントより)

こうした発見と驚きは、そのまま新しいプロジェクトであるブラームスの交響曲サイクルへとつながっていく。音楽史的にも両者の関係は深く、スコアの構築スタイルは異なることもあるにせよ、ブラームスはベートーヴェンの精神を受け継いだ古典的なスタイルで交響曲を発展させ、19世紀ロマン派音楽という大きな渦の中で独自の世界を築き上げた作曲家だ。その演奏スタイルも、20世紀の中盤あたりまで求められた重厚さや権威的な志向から、いわゆる古楽的な視点を軸にしたピリオド・アプローチによる作品の再検証時代を経て、スコアを自由に読み解くことで新しい演奏スタイルを生み出すことが許される時代となった。久石譲とスーパー・オーケストラ「フューチャー・オーケストラ・クラシックス」によるベートーヴェンやブラームスは、まさにそうした時代の象徴的な演奏であるわけだ。

サイクルの第1弾となった交響曲第1番でも基本的に速いテンポを採用し(いや「採用」という能動的な姿勢ではなく、そう書いてあることをアルデンテのような感覚で提示した、ということになるのだろうか)、明快な発音とフレージング、それによって浮き上がる対位法の綾などがこの演奏の特徴になっている。たとえば、第1楽章の序奏をかなり速いテンポで演奏することによって主部とのつながりを浮かび上がらせ、楽章全体の熱狂的躍動感を一貫して持続させることは、ベートーヴェンとの近似性を強調することへつながるかもしれない。Andante sostenutoと指示された第2楽章はひとときの安らぎを提示してくれる音楽ではあるものの、隠れがちなオスティナート風のリズムが浮き出ることで舞曲風の性格が顔を出す。こうした、聴き手の耳を捉える瞬間が散りばめられ、発見の喜びへと誘導することこそが、この演奏の存在意義だといえるだろう。

もちろん、それを実現するにあたり”音を出さない指揮者”のパートナーである「フューチャー・オーケストラ・クラシックス」の存在は欠かせないものだ。コンサートマスターの近藤薫をはじめ、ベートーヴェンを共に演奏したメンバーも多い中、ブラームスのコンサートでは基本的に立奏によるスタイル(チェロなど一部の楽器を除き、メンバーは立って演奏)を採用し、さらに斬新な演奏を繰り広げている。

「僕は専門の指揮者ではないという強みもあって、”作曲家が指揮をしている”という姿勢を崩すことなく、どのような作品に対しても同様にアプローチをしています。だから常に新しい目で楽譜を見ないといけませんし、時代性を演奏に映し出していくことも大切。作曲家というのは『今まで聴いたことがない音楽を作りたい』と考えていますから、その姿勢は指揮者という立場になっても変わりません。そうやって演奏を進化させ、常に何かを引っかき回したいとも思ってるんですよ」

久石のこうした明快なスタンスがそのまま演奏のコンセプトとなり、ブラームスの交響曲サイクルは新しい時代の響きを創造しながら、第2番以降も続いていく。

(おやまだ・あつし)

(CDライナーノーツより)

 

 

曲目解説
寺西基之

ブラームス:交響曲 第1番 ハ短調 作品68

ヨハネス・ブラームス(1833-97)は19世紀のロマン派時代における古典主義者と見なされることが多い。確かに彼は伝統を尊重した作曲家であり、新しいスタイルや音語法を求めたリストやワーグナーなどの新ドイツ派に対して批判的な態度をとった。それだけに伝統ジャンルの中でもとりわけ重要な交響曲という曲種を手掛けることは、彼にとってきわめて重い意味を持っていた。特に彼は先人ベートーヴェンを強く意識していたから、生来の自己批判的な性癖とも相俟って、初めての交響曲の作曲には慎重にならざるを得なかった。第1交響曲の最初の構想がなされたのは初期の1855年頃だが、そうした慎重さゆえに、結局完成までには実に20年以上の歳月がかかってしまうこととなるのである。

もちろん伝統を重視したとはいってもブラームスは決して頑なな保守主義者だったわけではない。19世紀後半においてもきわめて古典的な作風の作品を書いていたマイナーな作曲家は多数いた。ブラームスはそうした作曲家とは違い、19世紀の芸術家らしく内面的なロマン的感情表現を何より重んじた。例えば恩人ローベルト・シューマンの妻クラーラに対する思慕の情が彼の多くの作品のうちに影を落としていることはよく知られている。そうしたロマン的な内面感情の表現を伝統的な様式と結び付けていくところに、ブラームスは自らの道を探っていったのである。

とりわけ交響曲は、伝統ジャンルの中でも特に規模も編成も大きく、また論理的な構築性を求められる曲種だけに、彼にとってそこにいかにロマン的な感情表現を結び付けていくかが大きな課題となったと思われる。完成までの長い年月は、そうした課題の解決法を探っていく過程でもあったのだろう。何度にもわかる創作の中断や、作曲した部分を結局やめて他の曲に転用するといった方向転換など、数々の試行錯誤と模索の繰り返しーベートーヴェンの輝かしい業績とその伝統の重みを受け継ぎつつ、ロマン派時代にふさわしい交響曲を書こうという、そうした彼の苦労は、1870年に彼がヘルマン・レーヴィに対して語った「私は交響曲はもう書くまい。私のようなものが四六時中自分の後ろで、あれほど偉大な人物(ベートーヴェン)の足音を聞いているときの気持ちがいかなるものか、わかってもらえないだろう」という、いささかやけ気味の言葉にも窺える。

そうした模索の中でブラームスがようやく自分の交響曲の表現方法を見いだしていくようになったのは、この言葉を発してからしばらくたった1874年のことだった。この時期から彼は自信をもって完成へ向けての創作に本腰を入れるようになり、こうして2年後の1876年に全曲はついに完成されることになる。初演は同年の11月4日にカールスエールにおいてオットー・デッソフの指揮で行われたが、その後もブラームスはさらに第2楽章を大幅に書き直し、現在演奏されているような決定稿がやっと仕上げられたのであった。

こうした難産の末に生み出された第1交響曲は、綿密な論理的書法ー徹底した主題労作、暗→明という全体の構図、2管編成の無駄のない管弦楽法などーのうちに豊かなロマン的な感情表現を湛えており、長年の苦心の努力が見事に結実した傑作となっている。

第1楽章はまず緊迫した序奏(ウン・ポーコ・ソステヌート、ハ短調、8分の6拍子)が置かれているが、そこに現れる半音階的動きは全曲にわたっての重要な要素となる。主部(アレグロ)は重苦しい緊張と劇的な起伏のうちに進行していく。

第2楽章(アンダンテ・ソステヌート、ホ長調、4分の3拍子)は豊かな情感を湛えた3部形式の緩徐楽章。主部再現においてヴァイオリン独奏がホルンを伴いつつ主題を歌い上げるのが印象的だ。

第3楽章(ウン・ポーコ・アレグレット・エ・グラツィオーソ、変イ長調、4分の2拍子)は、伝統的なスケルツォを採用せず、優美な間奏曲風の中間楽章となっている。

第4楽章は不安な緊張の漂う序奏(アダージョ、ハ短調、4分の4拍子)で開始される。その緊張が頂点に達したところで、突如霧を晴らすかのような明るい主題(ピウ・アンダンテ、ハ長調)をホルンが朗々と奏するが、暗から明に移行する箇所に現れるこの主題がクラーラ・シューマンの誕生日にブラームスが贈った旋律(ブラームスの作ではなく彼がアルプスで聞いた旋律で、彼はそれに「山高く、谷深く、あなた[=クラーラ]に千回もお祝いを述べよう」という歌詞を付けている)の引用であるのは、この作品にクラーラへの思慕を込めたことを示唆するものだろうか。そして荘厳なコラールを挟んで、主部(アレグロ・ノン・トロッポ・マ・コン・ブリオ、ハ長調)に入り、明るい第1主題が朗々と歌われ、展開部を再現部に組み入れた自由なソナタ形式のうちにダイナミックな展開が繰り広げられている。最後のコーダでは、序奏に示されたコラールも力強く再現され、圧倒的な高揚のうちに全曲が閉じられる。

(てらにし・もとゆき)

(CDライナーノーツより)

 

*ライナーノーツ全文 日・英文 

 

 

フューチャー・オーケストラ・クラシックス
Future Orchestra Classics(FOC)

2019年に久石譲の呼び掛けのもと新たな名称で再スタートを切ったオーケストラ。2016年から長野市芸術館を本拠地として活動していた元ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)を母体とし、国内外で活躍する若手トップクラスの演奏家たちが集結。作曲家・久石譲ならではの視点で分析したリズムを重視した演奏は、推進力と活力に溢れ、革新的なアプローチでクラシック音楽を現代に蘇らせる。久石作品を含む「現代の音楽」を織り交ぜたプログラムが好評を博している。2016年から3年をかけ、ベートーヴェンの交響曲全曲演奏に取り組んだ、久石がプロデュースする「MUSIC FUTURE」のコンセプトを取り込み、日本から世界へ発信するオーケストラとしての展開を目指している。

(CDライナーノーツより)

 

 

 

「奇をてらったわけではない。ブラームスは今、いかにもドイツ風に重々しく演奏されるが、楽譜には『ウン・ポーコ・ソステヌート』、つまり(音の長さを保つ)テヌート気味に演奏する、としか書いていない。しかも初演は40人で演奏したとか。重々しいブラームスをやったわけがない。書かれたことをきっちり表現し、まだクラシックにこんな可能性がある、と提示できれば」

「ビブラートはいかにも豊かには聞こえるが、雑音も増すし、音が遠くまで飛ばなくなる。古楽器の奏法をまねしたわけではなく、リズムにベースを置いて、スピード感を大事にするやり方に合わないからやめた」

「合わせるところは世界で一番きっちり合わせ、歌うところは歌う。使い分けられるようになれば、オケの表現力はすごく広くなる」

「ブラームスが迷いながら作った交響曲第1番の第1楽章は絶えず不安定。それを本番で振っていて、最も『今的』と思った。世界がこんなに混沌としているじゃないですか」

Blog. 読売新聞夕刊 3月5日付 「久石譲 未来形ブラームス」 久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 

 

 

 

ブラームス
交響曲 第1番 ハ短調 作品68

1. Un poco sostenuto – Allegro
2. Andante sostenuto
3. Un poco Allegeretto e grazioso
4. Adagio -Piu Andante – Allegro troppo, ma con brio

Total Time 39:42

久石譲(指揮)
フューチャー・オーケストラ・クラシックス

2020年2月12-13日 東京オペラシティ コンサートホールにてライヴ収録

高音質 DSD11.2MHz録音 [Hybrid Layer Disc]

 

Disc. 久石譲指揮 東京交響楽団 『ストラヴィンスキー:「春の祭典」』

2020年2月19日 CD発売 OVCL-00719

 

久石譲が読み解くリズムとハーモニー。

新たなアプローチによる演奏が注目を集めている久石譲の指揮によるクラシック音楽、本盤は当代随一の実力を誇る東京交響楽団との共演ライヴ録音です。ストラヴィンスキーの複雑なリズムとハーモニーを、作曲家である久石ならではの視点で緻密に解析、オーケストラも正確無比なテクニックでタクトに応え、音楽的に充実度の高い演奏となっています。世界に誇るべき、新しい「春の祭典」の誕生! ぜひお聴きください。

(CD帯より)

 

 

熟成した音楽家としての発露が響く《春の祭典》
小味渕 彦之

久石譲がストラヴィンスキーの《バレエ音楽「春の祭典」》を指揮したディスク。2019年6月3日と4日にサントリーホールで行われた東京交響楽団とのライブ録音が収められた。

かつての久石の活動からは想像もできなかったが、近年の指揮者としての充実した活動は、この稀有な音楽家に対する認識を変えさせるに充分すぎるほどのインパクトを持っている。2016年から3年がかりで完成させたフューチャー・オーケストラ・クラシックス(旧ナガノ・チェンバー・オーケストラ)とのベートーヴェン「交響曲全集」は、「ベートーヴェンは、ロックだ!」をコピーとして、新時代を切り拓く演奏という位置づけだったが、そこに繰り広げられた音楽には、ロックという言葉から連想される激しいビート感だけでなく、血となり肉となるハーモニーの構築を含めた、西洋音楽のエッセンスが余すところなく表現されていたのだ。決してエキセントリックなものではなく、真っ向勝負で正攻法の音楽創りからは、古典作品と向き合う誠実な音楽家の取り組みが浮かび上がってくる。

この《春の祭典》もまさに、その延長線上にあるもの。ベートーヴェンに対して述べた言葉がそのまま当てはまる。20世紀に生まれたオーケストラ曲で最も重要な作品の一つに位置付けられるこの傑作を前に、久石は殊更に細部を強調するわけでもなく、あるがままの響きを連ねていく。組み合わされるパーツごとの押し出しは激烈なれども、流れるように奏でられる音楽を聴いていると、100年と少し前にこの作品がパリで初演された時の拒絶反応が信じられないほど、「さらり」と奏でられることに気がついた。別の言い方をすると、どんなに精妙な部分でも、どんなに獰猛に叫ぶ場面でも、リズムが揺るぎなく刻まれているのだ。冷静さと熱狂が同居すると言っても良い。これを、ミニマル・ミュージックにルーツを持つ久石の作曲家としての視点が投影されたとするのは簡単だが、それ以前に、熟成した音楽家としての発露がこうした演奏に繋がっていると受け止めたい。

(こみぶち・ひろゆき)

(CDライナーノーツより)

 

 

曲目解説
諸石幸生

ストラヴィンスキー
バレエ音楽「春の祭典」

ただ単にストラヴィンスキー(1882~1971)の名声を確立しただけでなく、20世紀初頭の楽壇を震撼させた問題作である。初演は1913年5月29日、パリのシャンゼリゼ劇場でピエール・モントゥーの指揮で行われたが、最初、モントゥーはストラヴィンスキーからスコアを見せられた時、「一音符も理解できなかった」と告白しているし、さらに「この狂気のロシア人の作品は音楽などではない。私にとってはベートーヴェンとブラームスの交響曲だけが音楽なのだ、と心に決めた」というから衝撃のほどがしのばれる。

しかしモントゥーはロシア・バレエ団の主宰者ディアギレフの強い説得に折れ、1912年の一冬を費やしてスコアを研究、春になるとオーケストラ練習を始め初演に臨んでいる。

初演はシャンゼリゼ劇場の開場祝いをかねた公演であったが、赤いビロードと金の花模様で飾られた豪華な会場は、演奏が始まるや、聴衆が罵りあう大混乱の場となり、事態収拾のため憲兵までが導入されるスキャンダルになっている。こうした騒動は、ただ単にストラヴィンスキーの音楽の大胆さによるものではなく、ニジンスキーの振り付けやN・K・レーリヒによる衣装や美術が不評をかったためでもあったが、ニジンスキーは舞台の袖から踊り手たちに拍子を大声でがなりたて、なんとか先へ進めたといわれている。

当のストラヴィンスキーも(この時31才の若さだった)、はじめは聴衆の一人として客席に座っていたが、数小節たったところで笑い声が起こったのに腹をたて座席を立ったという。そんなショックが災いしたのか、ストラヴィンスキーは初演後チフスにかかり、6週間も入院している。

「春の祭典」の構想は「ペトルーシュカ」(1911年作曲)以前から温められており、乙女がいけにえとして捧げられる異教徒たちの祭典がストラヴィンスキーの脳裏にあったというが、その根底には長い閉ざされた冬からの解放、春への賛歌、新たなる生命の息吹、人類の再生への願いといったものがあることは言うまでもないであろう。第一部は「大地礼賛」と題されており、序奏のあと「春のきざしー乙女たちの踊り」となり、さらに「誘拐」「春の踊り」「敵の都の人々の戯れ」「長老の行列」と続く。そして「大地への口づけ」「大地の踊り」に至る構成である。第二部の「いけにえ」は序奏のあと「乙女たちの神秘的な集い」「選ばれしいけにえの賛美」「祖先の呼び出し」「祖先の儀式」へと続き、最後に熱狂的な「いけにえの踊り」となって、興奮の中で閉じられる。

(もろいし・さちお)

(CDライナーノーツより)

 

 

 

 

ストラヴィンスキー(1882-1971)
バレエ音楽「春の祭典」

第1部:大地礼賛
1. 序奏
2. 春のきざし – 乙女たちの踊り
3. 誘拐
4. 春の踊り
5. 敵の都の人々の戯れ
6. 長老の行列
7. 大地への口づけ
8. 大地の踊り
第2部:いけにえ
9. 序奏
10. 乙女たちの神秘的な集い
11. 選ばれしいけにえの賛美
12. 祖先の呼び出し
13. 祖先の儀式
14. いけにえの踊り

TOTAL TIME 34:42

久石譲(指揮)
東京交響楽団

2019年6月3-4日 東京・サントリーホール にてライヴ収録

高音質 DSD11.2MHz録音 [Hybrid Layer Disc]

 

Disc. 久石譲指揮 フューチャー・オーケストラ・クラシックス 『ベートーヴェン:交響曲全集』

2019年7月24日 CD-BOX発売 OVCL-00700

 

久石譲 渾身のベートーヴェン・ツィクルス 完結!
──ベートーヴェンは、ロックだ!

久石譲が2016年より取り組んだベートーヴェン・ツィクルスは、かつてない現代的なアプローチが話題を集めました。作曲家ならではの視点で分析された演奏は、推進力と活力に溢れています。久石譲のもと若手トッププレーヤーが集結し、明瞭なリズムと圧倒的な表現で、新しいベートーヴェン像を打ち出しています。

──これは、聴く者の全身に活力を送り込み、五感を覚醒させるベートーヴェンだ。

 

Disc 1
交響曲 第1番 ハ長調 作品21
交響曲 第3番 変ホ長調 作品55「英雄」

Disc 2
交響曲 第5番 ハ短調 作品67「運命」
交響曲 第2番 二長調 作品36

Disc 3
交響曲 第4番 変ロ長調 作品60
交響曲 第6番 へ長調 作品68「田園」

Disc 4
交響曲 第7番 イ長調 作品92
交響曲 第8番 ヘ長調 作品93

Disc 5
交響曲 第9番ニ短調 作品125「合唱」

久石譲(指揮)
フューチャー・オーケストラ・クラシックス
(旧ナガノ・チェンバー・オーケストラ)ほか

2016年7月16日(第1番)、2016年7月17日(第2番)、2017年2月12日(第3,4番)、2017年7月15日(第5番)、2017年7月17日(第6番)、2018年2月12日(第7,8番)、2018年7月16日(第9番)
長野市芸術館 メインホールにてライヴ録音

◆特別装丁BOXケース&紙ジャケット仕様
◆豪華40Pブックレットには久石譲ロングインタビューを掲載
◆第4番&第6番は当全集にのみ収録 ※他の楽曲は再収録となりますのでご注意ください

 

 

 

【ブックレット内容】
●作品インデックス・タイム・クレジット・レコーディングデータ(P.1)
●久石譲、ベートーヴェンを語る(P.3~11)
●現代曲と同じ視点による古典の演奏を続けていきたい (P.13~16)
 ~久石譲に訊く本全集のコンセプトと今後の展開~
●曲目解説 諸石幸生 (P.18~29)
●交響曲 第9番ニ短調 作品125「合唱」 原詩/訳詞 (P.30~31)
●プロフィール (P.32~34)
 久石譲、フューチャー・オーケストラ・クラシックス、ソリスト
●オーケストラ メンバーリスト (P.35~37)
 (作品ごと楽器編成・演奏者リスト)

*上のナンバリング以外は写真掲載ページ

 

 

「久石譲、ベートーヴェンを語る(P.3~11)」では、これまでに語られたことない内容を多く含む、作品ごとに指揮者としてどういった点に注目してどういったアプローチをしたのか、とても具体的に語られています。既発単品CD盤、コンサート・パンフレット、ラジオ番組など、すべてを通して振り返ってもここまで専門的に作曲家・指揮者視点で掘り下げているのは全集所収ならではです。

 

 

ここではブックレットのなかから「現代曲と同じ視点による古典の演奏を続けていきたい(P.13~16)」のみを記します。こちらも全集のための初出内容を多く含むものです。

 

 

現代曲と同じ視点による古典の演奏を続けていきたい
~久石譲に訊く本全集のコンセプトと今後の展開~

ーまずはこのオーケストラ結成の経緯をお話しいただけますか。

久石:
長野市芸術館(2016年開館)の音楽監督を引き受けた段階で、観客の応援の対象となるアーティストが必要だと思いました。そこで考えたのは、1300席ほどの中ホールなので、チェンバー(室内)オーケストラを結成するのが、一番良いのではないかということ。それが了承され、ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)を結成しました。メンバーは、知り合いのヴァイオリン奏者、近藤薫さん(東京フィル、及びNCOのコンサートマスター)が中心になって集めた、N響、読響、東響など様々な楽団の首席奏者を多数含む、グレードの高い顔ぶれでした。

その時もうひとつ念頭にあったのが、「長野に文化をきちんと定着させたい」との思いです。これは長野市側の要望でもありました。ですが南の松本にはサイトウ・キネン・オーケストラ、北の金沢にはオーケストラ・アンサンブル・金沢という名楽団がある。その中間に位置する我々がオーケストラを作るとなれば、埋没することなくいずれは文化としての発信力があるものにしたいとの思いが強くありました。それで、自分の考えている理想のオーケストラができ、2年半に亘って演奏してきました。

 

ー最初にベートーヴェンの交響曲ツィクルスを行った理由は?

久石:
オーケストラも初めて集まるわけですし、文化として発信しようとするならば、しっかりしたテーマを与えなければいけないと考えたからです。ベートーヴェンという最高峰のものに挑戦することで、オーケストラとしての結束力を高め、課題を克服していく。各楽団の首席奏者であれば、能力の高さと同時に、それぞれの思いがあります。それを一本にまとめるのは、指揮者にとってもハードな作業です。なので「リズムをメインにした新しいベートーヴェンに挑む」というコンセプトで、演奏者たちに方向性を打ち出す必要がありました。

そして実際に現代的なリズムをベースにした演奏を行い、「ロックのようなベートーヴェン」というキャッチフレーズを付けました。本当は「ベートーヴェンはロックだ」なんて思ってはいませんよ(笑)。全然違いますから。しかしクラシックを聴かない人たちにアプローチをかけるとき、「ベートーヴェンはロックだ」と言った方が「どんなものだろう?」と思ってもらえます。ところがこの言葉は、意外に本質をついた部分がありました。つまりロックの基本はリズム。ですからリズムを中心にいくことを明快に打ち出した言葉だったわけです。

 

ー室内オーケストラならば、おのずと音楽もスリムな方向性になりますね。

久石:
そうですね。フルオーケストラがダンプカーであるならば、室内オーケストラはスポーツカーになり得ます。そこを踏まえて、ベートーヴェン演奏の古いしきたりを取り払いたい。その音楽を「ドイツ的」といった先入観とは関係なく伝えるために、ミニマルの楽曲のときと同じような、風通しの良い演奏をしたいと考えました。

 

ー弦楽器の編成は8型ですよね。そのように弦楽器が少なめの場合、管楽器とのバランスが難しくはないでしょうか?

久石:
これはとても重要なことですが、現代曲をやっていると、弦中心のアンサンブルは組まないんですよ。一音色として弦の各パート、一音色としてオーボエ、クラリネット…と捉えてバランスを作るので、あまり気になりません。弦の各パートをまず作って、そこに管楽器を乗せるといった従来型ではなく、このようにそれぞれが一音色という捉え方でアプローチしてきました。

 

ーベートーヴェンのメトロノーム指定は意識しましたか?

久石:
もちろん、それをベースに考えていますが、あの数字は基本的に速すぎますよね。でもロジャー・ノリントンが言っていますが、4分音符イコール60(♩=60)と書いてあれば1分間に60、すなわち1拍1秒で、120だったら2拍で1秒。これはいつの時代でも変わりませんから、あの表示がいい加減とは言いきれない。ただ、偉大なベートーヴェンに自分の経験でものを言うのは何ですが、作曲家が机上で考えたテンポと実際のテンポは間違いなく一致しません。コンピュータを使ってシミュレーションしていても生の演奏では違ってきます。ですから表記は間違っていないと言うのも、間違っていると言うのも短略的。あれはガイドなんです。その通りにする必要はないし無視してもいけない。

 

ーピリオド奏法に関するお考えは?

久石:
室内オーケストラは特にピリオド奏法と切り離すことができません。ただ近藤さんとも話した上で、最初から「ピリオドでいく」と言うのは一切やめて、自然にそうなったらそれでいいと考えました。例えば「ビブラート禁止」というのを最初から言ってはいません。それを言うことによって「じゃあいわゆる古楽奏法の室内オーケストラね」と思われるのも嫌だった。ただ問題だったのは、3番あたりになると、ロマン派的なアプローチの影響でビブラートを多用する人が出てくる。木管楽器も同じです。これをどうすべきか結構悩みました。しかしある程度アップテンポで明快なリズムを刻むと、ビブラートも自然に減ってきました。その辺が一段落して、本格的にアプローチできたのが第5番。ただ、オクタヴィア・レコードの江崎さんから「つまんないよ、歌ってなくて」と言われて、そこからまた命がけのことが始まったんですよ。

 

ーそれは最初の頃に言われたのですか?

久石:
いえ、第九の第3楽章で言われました。ノンビブラートで奏すると、表情はボウ(弓)の速度によって変わる。弓の速度でどこまでコントロールするかという問題になります。ところが日本の教育ではそれほど重要視していないとも聞きました。ビブラートに頼るからです。この問題が第九のときに出てしまった。それでもうリハーサルの合間も終わりも、弦全員で話し合いですよ。こうやろう、ああやろうって、もう凄かったです。そのときに、このオーケストラを続けるべきだと思いました。大きな課題が出たし、皆がこれだけ燃えたわけですから。

 

ーでも、ナガノ・チェンバー・オーケストラから、フューチャー・オーケストラ・クラシックスに変わることになりましたね。

久石:
残念なことにNCOは、市の予算の問題などがあって、継続が不可能になりました。そこで、僕が行っている「MUSIC FUTURE」(現代の音楽をとりあげるコンサートシリーズ)の中で続けることにしたのです。

僕はもうひとつやりたかったことがあるんですよ。既存のオーケストラは、あるプログラムでジョン・アダムズの曲を取り上げても、そのアプローチのままでベートーヴェンを演奏しません。でもクラシックは今まで通りのことをしていれば良いというならば、それは古典芸能です。クラシック音楽もup to dateで進化するもののはず。進化するということは、必然的に現代における演奏があり、さらに未来へ向かって演奏が変わっていくべきです。例えばミニマル音楽をフレーズで捉えて演奏したら縦が合わなくなりズレがわからなくなる。きっちり音価どおりに演奏しなければならない。そのきっちりした演奏によるアプローチで古典音楽を現代に蘇らせる。これをぜひ試みたかったのです。

しかも作曲家が振って、そのコンセプトを打ち出すと、必然的に古典が古臭くはならない。全体が良い化学反応を起こします。ただこのアプローチは既成のオーケストラでは難しい。やはりこのプロジェクトで初めてできると思いますし、実際それをNCOで実現してきました。そしてこれからは、Future Orchestra Classics(FOC)としてこれを続けていきたいと思っています。

 

ーFCOはどのようなオーケストラになりそうですか?

久石:
基本メンバーも、基本編成もNCOと同じです。今の計画では、(2019年7月に)お披露目でベートーヴェンの5番と7番を演奏し、上手くいったら、来年から定期的に演奏会を行い、まずはブラームスに取り組みます。1番から4番までの全交響曲。ブラームスはこの前仙台フィルと演奏しましたけど、ドイツ流のとは全然違うものになりましたし、こんな速いブラームス聴いたことないと言われました。まあ速いのがいいと言っているわけではないんですけどね。でも皆に喜んでもらえたので、FOCできちんとCDにするべきだという方向性もみえました。

蛇足なのですが、長野のことについてもうひとつ触れておくと、実は観客がつくのに5年かかると思っていたんです。ところが最後の年に7番8番、その次に9番を演奏した時の熱狂的な反応から推察すると、2年半で到達できた。物凄く嬉しかったし、長野の市民の皆さん、そしてこれをやらせてくれた長野市の関係者の皆さんには心から感謝しています。

あと、この全集をぜひ海外の人に聴いてほしい、こういう新しいベートーヴェンがあることを日本から発信するのは、最も行っていきたいことのひとつです。まだ正式ではないですが、海外で演奏する話もいくつか来ています。そういうことも踏まえて、FOCをきちんと育てたいと思っています。

(2019年5月20日)

インタビュー・構成:柴田克彦

(CDブックレットより)

 

 

 

 

 

 

なお既発盤発売時の久石譲インタビューやクラシック音楽雑誌「レコード芸術」に掲載された評などは下記それぞれご参照ください。

 

 

 

 

 

 

 

2022.06 追記

特別装丁ボックス&紙ジャケット仕様からプラスチック・マルチケース仕様にリパッケージ再発売された。

 

 

 

ベートーヴェン:交響曲全集

Produced by Joe Hisaishi, Tomiyoshi Ezaki

Recording & Balance Engineer:Tomoyoshi Ezaki
Recording Engineer:Masashi Minakawa
Mixed and Mastered at EXTON Studio, Tokyo

and more…

 

Disc. 久石譲指揮 ナガノ・チェンバー・オーケストラ 『ベートーヴェン:交響曲 第9番「合唱」』

2019年1月23日 CD発売 OVCL-00699

 

精鋭メンバーが集結した夢のオーケストラ!ベートーヴェンはロックだ!!

音楽監督久石譲の呼び掛けのもと、長野市芸術館を本拠地として結成したオーケストラ「ナガノ・チェンバー・オーケストラ」は、日本の若手トッププレーヤーが結集し、ダイナミックで溌剌としてサウンドが魅力です。作曲家ならではの視点で分析した、”例えればロックのように”という、かつてない現代的なアプローチが話題となったベートーヴェン・ツィクルスの最後を飾った「第九」。さまざまな異なる個性が融合し、推進力と活力に溢れたベートーヴェンをどうぞお楽しみください。

(CD帯より)

 

 

自然に流れながら
未来へと向かう音楽
 柴田克彦

2018年7月の第7回定期をもって、久石譲指揮/ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)のベートーヴェン交響曲全曲演奏会が完結した。久石が音楽監督を務めるNCOは、長野市芸術館を本拠とする室内オーケストラ。首席奏者を多数含む国内外の楽団のメンバーなど、30代をコアとする腕利きの精鋭が揃っている。彼らがホール開館直後の2016年7月から行ってきたシリーズの最後を飾ったのが、この第9番「合唱」(第九)。併せて録音されたライヴCDの中で本作は、第1番&第3番「英雄」、第2番&第5番「運命」、第7番&第8番に続く4作目となる。

当シリーズにおける久石のコンセプトは、「作曲当時の小回りが効く編成で、現代的なリズムを活用した、ロックのようなベートーヴェン」、「往年のロマンティックな表現もピリオド楽器の演奏もロックやポップスも経た上で、さらに先へと向かうベートーヴェン」である。既出のCD解説との重複を承知の上でこれを記したのは、第1~8番の交響曲とは別次元の重厚な大作とみられている「第九」では、より強い意味を放つからだ。

本作の弦楽器の編成は、ヴァイオリンが全体で16名、ヴィオラが6名、チェロが5名、コントラバスが4名。前作より低弦が増えてはいるが、「第九」としてはかなり小さい。久石とNCOは今回も、それを生かした引き締まった響きで、細かな動きを浮き彫りにしながら、推進力と活力に溢れた演奏を展開している。アーティキュレーションの揃い方は変わらず見事。当シリーズに一貫したリズムの強調はここでも効力を発揮し、ベートーヴェンの交響曲は「第九」といえどもリズムが重要な要素であることを知らしめる。そして何より、従来の小編成演奏と大きく異なるのは、のびやかに呼吸しながら川の流れのように推移していく、自然で瑞々しい音楽である。テンポは速いが音楽はしなやか……。つまりこれは(今回も)、重厚長大な往年のアプローチでは無論なく、それに対するアンチでさえもない、「すべてを咀嚼した上で先へと向かう」ベートーヴェンなのだ。

第1楽章冒頭の弦の刻みからすでに歯切れよく、あらゆるフレーズやリズムが明瞭に現れる。木管楽器の動きやティンパニの強打もいつになく鮮明。特にティンパニが第2楽章だけでなく全編で重要な働きをしていることを実感させる。そしてあたかも第5番「運命」の第1楽章のような推進力をもって終結に至る。

第2楽章は「タンタタ」のリズムが明示されつつ快適に運ばれ、そのリズムの積み重ねは第7番を、急速なトリオの軽やかさは第8番を想起させる。通常突出するティンパニも、ここでは逆にリズムを担う一員となり、自然な流れを生み出している。

第3楽章は、各声部が明瞭に絡み合い、柔らかく呼吸しながら、淀みなく流れていく。緩徐楽章であってもリズムが浮き彫りにされ、ホルンのソロ付近のピッツィカートも新鮮だ。

第4楽章もひと続きの音楽としてスムーズに表現される。前3楽章を否定する場面はインテンポで進み、それゆえか間合いの後の「歓喜の歌」の提示がすこぶる美しい。声楽部分では、まず最初のバリトンのソロと、そこに絡む木管楽器が豊かな表情を作り出す。ソロの四重唱、合唱とオーケストラとのバランスも絶妙だ。次の場面での管弦楽の鮮やかなフーガはNCOの真骨頂。以下の各場面の清々しいテンポ感、最後のごく自然な大団円も特筆される。

久石の要求以上とも思えるNCOメンバーの積極的な表現も快演に大きく貢献。ちなみに本作のコンサートマスターは近藤薫(東京フィル・コンサートマスター)、ソロで活躍するオーボエは荒絵理子(東響首席)、ホルンは福川伸陽(N響首席)、ティンパニは岡田全弘(読響首席)が受け持っている。

「第九」は、突然変異の大作ではなく、第1~8番と同じ作者が、その延長線上で創作した「交響曲第9番」であり、それでいてやはり「未来へ向かう清新な音楽」である。本作を聴いているとそう思えてならない。

(しばた・かつひこ)

(CDライナーノーツより)

 

※諸石幸生氏による3ページにわたる曲目解説は割愛。詳細はCD盤にて。

※原詩/日本語訳詞 掲載。ナガノ・チェンバー・オーケストラ メンバーリスト掲載。

 

 

 

こんなに爽快で清々しい「第九」は聴いたことがない。リズムをベースにアプローチした久石譲&NCOの集大成。きびきびとタイトで引き締まった演奏は、精神性を追求したものとは一線を画する解放された突き抜け感がある。

第1楽章冒頭弦の刻みから顕著で、最小限の音型という小さい要素たちが集合体となって大きな有機物を創りあげるようなイメージ。ベートーヴェン特有のリズム動機やモチーフが、まるで細胞分裂をくり返しながら意思をもつ生命となり、最後には巨大な生き物がその姿を現す。ミニマル・ミュージックをはじめ現代の音楽を作曲・演奏する久石譲だからこそ、同じアプローチで挑み具現化できる手法。感情表現やエモーショナルに横揺れするフレーズ表現(弧を描くような)とは対極にある、リズムを重視した音符や音幅や強弱といったものをきっちりとそろえるアプローチ。

CDライナーノーツ寄稿、柴田克彦さんによる第1楽章から第4楽章までの本演奏の聴きどころや解説もピンポイントでわかりやすい。実際に道しるべとしながら聴くとすっと入ってくる。そして、コンサートレポートで記していたことが感覚的に間違っていなかったことや、そのアンサー解説のようにもなっていてとてもうれしくありがたい。(その時に書いていたのはティンパニの役割や第3楽章のテンポ設定について思ったことなど)

 

本作録音のコンサートを体感した感想や、久石譲がこれまでベートーヴェンについて語ってきたこと、ナガノ・チェンバー・オーケストラ定期演奏会の全プログラムリスト。

 

 

もし「第九とはかくあるべきだ」という愛聴家が聴いたなら、なかなか刺激的で受け入れがたいものもあるかもしれない。でも、ここにこそ久石譲の狙いがあり、久石譲が表現したい「第九」があると思う。約58分という1時間を切る快演。ただ速ければいいというものではない、快速を競っているわけでもない。速いテンポ設定が必然だった。スコアの細部まで明瞭に聴かせることで構造がはっきりと見える。聴かせたいフレーズだけを前面に出したりニュアンスに偏ることのない、整然とした数式的な「第九」はこのテンポ設定じゃないと実現しなかったと思う。これほどまでに知的な「第九」は潔い、フレッシュみずみずしい音楽そのものを聴かせてくれているように僕は受け取った。圧巻の集中力と気迫で駆け抜ける久石譲&NCO版、純度と燃焼度はすこぶる高い。第4楽章クライマックスの木管楽器の上昇音形の炸裂も素晴らしい。リズムをベースとした快速「第九」は、密度を高めれば高めるほど鮮明に浮かび上がってくることを証明してくれている。

「第九」の平均演奏時間は約65~70分。とすれば、本作はひとつの楽章が抜け落ちるくらい、たとえば第1楽章・第2楽章の次が第4楽章に飛んでしまうくらいの時間差がある。けれども、久石譲版はスコア忠実にすべてのコーダ(くり返し)も演奏してのタイム58分35秒。決して息切れしそうなほどせっかちに急いでいるわけでもないし、決して足がもつれて転びそうなほど心と身体が分離しているわけでもない。快速であることは快感、アドレナリンが湧きあがる喜び。エネルギーに満ち溢れた塊となって聴き手を揺さぶり迫ってくる、鼓動する「第九」。

 

作品に込める精神性を表現するヨーロッパ的アプローチと真逆に位置する、作曲家視点・譜面重視・リズムに軸を置いた久石譲の《第九》。そこにはベートーヴェン作曲当時(歴史が「第九」という作品を肉づけしていく前)の純粋無垢な透明感がある。スコアはベーレンライター版。

 

 

 

 

 

[ベートーヴェン・ツィクルス第4弾]
ベートーヴェン:交響曲 第9番「合唱」
久石譲(指揮)ナガノ・チェンバー・オーケストラ

ベートーヴェン
Ludwig Van Beethoven (1770 – 1827)

交響曲 第9番 ニ短調 作品125「合唱」
Symphony No.9 in D minor Op.125 “Choral”
1. 1 Allegro ma non troppo, un poco maestoso
2. 2 Molto vivace
3. 3 Adagio molto e cantabile
4. 4 Finale, Presto

久石譲(指揮)
Joe Hisaishi (conductor)
ナガノ・チェンバー・オーケストラ
Nagano Chamber Orchestra

安井陽子(ソプラノ)
Yoko Yasui (soprano)
山下牧子(メゾ・ソプラノ)
Makiko Yamashita (mezzo soprano)
福井敬(テノール)
Kei Fukui (tenor)
山下浩司(バリトン)
Koji Yamashita (baritone)

栗友会合唱団
Ritsuyukai Choir
信州大学混声合唱団
Shinshu University Chorus
市民合唱団
Special Chorus

2018年7月16日 長野市芸術館 メインホールにてライヴ録音
Live Recording at Nagano City Arts Center Main Hall, 16 July 2018

 

Produced by Joe Hisaishi, Tomiyoshi Ezaki

Recording & Balance Engineer:Tomoyoshi Ezaki
Recording Engineers:Masashi Minakawa
Mixed and Mastered at EXTON Studio, Tokyo

and more…

 

Disc. 久石譲 『ad Universum』 *Unreleased

2018年12月19日 公開

 

コニカミノルタプラネタリアTOKYO
オープニング記念作品
DOME2 プラネタリウムドームシアター作品
『To the Grand Universe 大宇宙へ music by 久石譲』

上映期間:2018年12月19日~2019年12月18日
上映時間:約40分
上映時刻:12時/14時/16時/18時/20時
音楽:久石譲
ナレーション:夏帆

 

コニカミノルタプラネタリウム“天空”in 東京スカイツリータウン
上映期間:2019年10月12日~ *

*台風のため10月12日は休館。初上映は10月13日 15時~の回より。

 

 

プラネタリウムの音楽を書き下ろすのはキャリア初、全編書き下ろし。自らタクトを振るい『宇宙』をテーマにオーケストラ編成による壮大なサウンドスケープ。本作は最新の立体音響システム「SOUND DOME®」に対応、まるで実際に目の前でオーケストラが演奏しているかのような、重厚かつ繊細な音響空間を構築。本作のテーマは、宇宙飛行士が体験した“本当の宇宙”。日本人宇宙飛行士の土井隆雄さん、山崎直子さん、大西卓哉さんの体験を元に、そこから見える宇宙の光景(すがた)を、コニカミノルタプラネタリウムの最新投映機「Cosmo Leap Σ(コスモリープ シグマ)」と全天周CG映像で再現。

43.4ch音響。SOUND DOMEは、ドーム裏側に配置された43個のスピーカーと、壁背面の4個のウーファーで構成した立体音響システム。前後左右に加え上下や回転といった、きめ細かな音像移動を表現。オーケストラによる演奏や環境音を忠実に再現することで、リアルな体験を提供。

(作品案内より)

 

 

To the Grand Universe 大宇宙へ music by 久石譲 約30秒

(*公開終了)

コニカミノルタプラネタリウム Official チャンネル より

 

 

12月17日ラジオJ-WAVE「GOOD NEIGHBORS」に生出演した際には、本作品の音楽について語られ、エンディングに流れる「AD UNIVERSUM」(約3分)楽曲がオンエアされた。

 

「結果的に書いてよかったです。自分が書きたいミニマルベースな方法論で書けました。地面じゃない音楽っていう言い方は変かな、例えば深海シリーズとかディープオーシャン、ちょっと日常ではない世界、宇宙とかね、そういう音楽って意外に音楽の持っている力がけっこう発揮しやすい。そういう意味では、わりと書きたいように書かせていただいたし、この間試写を観たときにすごく「あっ、これはかなりいいねえ」と僕は思いました。」

「宇宙は実は一個問題があって、キューブリックの『2001年宇宙の旅』という映画があって、なぜか宇宙空間になると(あのワルツの)パターンができちゃってるんで、これを壊さなきゃいけないというのがちょっとありますよね。やっぱり僕はすごいと思う、あのアイデアはね。そういう方法をとらないで、ミニマルをベースにしたので大丈夫だったんですが、やっぱり宇宙だと一回ああいう衝撃的な音のつくり方をされると、これけっこうみんな残っちゃいますよね。」

「まだちゃんとしたミックスもしてなくて音質も悪いです。ただ一番レアなものだということで聴いていただけたらいいかなあと思います。タイトル言いましょうか。「To The Grand Universe」よりエンディングを聴いてください。」

(J-WAVE GOOD NEIGHBORS 出演トークより 一部書き起こし)

 

 

 

2019.1.8 追記

レビュー

久石譲のラジオインタビューにあるとおり、ミニマル手法をベースに全編音楽構成された作品。メインテーマがありオープニングやエンディングで流れ本編ではそのバリエーション(変奏・アレンジ)が流れるという構成ではなく、全編書き下ろされた楽曲になっているのも大きな特徴と言える。

主張するようなはっきりとした性格をもったメロディではないけれど、ミニマルという最小限のモチーフながら広がりや無限さを感じさせる巧みな音づくり。聴き飽きることのない音楽、ずっとループしていたいような音楽宇宙。アプローチとしては深海シリーズやディープオーシャンに通じる小編成オーケストラで、切れ味のよいソリッドな響き、リズミックな刻みが心地いい。ピアノ・マリンバ・ハープといった久石譲のミニマル・エッセンスに欠かせない楽器たちが絶妙なバランスでブレンドされている。

たとえば、プラネタリウムから連想するきれいで優しくてゆったりとした、楽器でいうとストリングスが悠々と流れシロフォンがキラキラと輝き。そんなイメージを打破してくれる久石譲のモダンでミニマルな音楽構成はとても新鮮で、新しい表現を提示してくれたこと、見事に映像と音楽で宇宙を描けていることは画期的とも言える。

ひとつだけ例をあげると、満点の星空がゆっくりと時間をかけて一周するシーンがある。久石譲のミニマル・ミュージックだけで約数分間静かに確かに推しきっている。そしてこれは星の動きが終わりなく永遠であること、ミニマルの調べもまた永遠であることと強く共鳴し印象的なシーン。

良い意味で映画のように制約が少ない音楽づくりは、とても久石譲がやりたいイメージで伸び伸びと発揮されているように思うし、映画ではここまでミニマル・ミュージックを貫けないだろうという点でも貴重な音楽作品。ナレーション付きだけれど、しっかりと音楽だけを聴かせる箇所も複数あり、効果音がうるさくぶつかることも少ない。まるでMusic Videoを観ているように久石譲音楽をたっぷりと聴くことができる。上映作品名に久石譲の名前がついているだけあって、音楽を大切につくられたプラネタリウム作品であることが伝わる。

映画サウンドトラックよりも、久石譲の明確なアプローチやコンセプトをもった、オリジナルアルバムに近い位置づけとできる音楽たち。上映時間約40分中、音楽は2/3以上配置されている。ぜひミニアルバムなどのCD化を強く願っている。また「Deep Ocean組曲」のように演奏会用音楽作品としても再構築され、コンサートで演奏されることも期待したい。それほどまでに現在進行形の久石譲が凝縮された最先端の音楽が届けられたとうれしさ満点。

エンドロールがとても駆け足で音楽関連情報をほとんど把握することができなかった。演奏はオーケストラ団体名はなく、Violin誰々というように全楽器奏者の個人名がクレジットされていた。おそらく約40人規模ぐらいの編成だったのではないかと思う。もうひとつ取り上げたいのが、公式PVで映像がはさまれていたレコーディング風景の1コマ2コマ、奏者の服装に半袖や腕をまくった人が多かったこと。この時は、秋にかけてレコーディングしたのかなと推察していた。そしてエンドロールのクレジットを組み合わせる。オーケストラ団体名ではなかったのは、今回のレコーディングメンバーは、ナガノ・チェンバー・オーケストラのメンバーがベースとなっているのではないだろうか。時期的にも「第九」公演にて完結した2018年夏からまもなくであり、久石譲の現代的アプローチを見事に表現できる室内オーケストラ、3年間久石譲と互いに磨きあげた信頼関係と演奏技術。まったくの勝手な推測の域を出ないけれど、この作品の音楽の”音”を思い出すたびにそんな気がしてくる。いつか演奏者や合唱団についての詳細が明らかになるとうれしい。

 

久石譲が紡ぎあげる宇宙空間。こんなにも贅沢な非日常イマジネーション豊かな音楽を、飽きのこない広がりある心地よい無重力ミニマル・ミュージックを、日常生活のなかでいつも包まれ聴きたい。

 

プラネタリアTOKYOオープニング作品(期間限定)、再上映予定なし、未CD化作品。

 

 

 

2019.8.14 追記

2019年8月1日「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ」にて組曲化、世界初演。

 

ad Universum
1.Voyage
2.Beyond the Air
3.Milky Way
4.Spacewalk
5.Darkness
6.Faraway
7.Night’s Globe
8.ad Terra

 

ーAプロでは次の曲が「ad Universum」です。

久石:
今年オープンしたプラネタリウム(コニカミノルタ プラネタリウム)のために書いた曲を組曲として構成し直しました。宇宙がテーマだったので、ミニマル・ミュージックでありながら聴きやすさを大事にして作った曲です。つまり相反する要素を一つの曲の中で表現している。そういう意味ではBプロで演奏する深海をテーマにした「Deep Ocean」の続編としての側面もあります。

(久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2019 コンサート・パンフレットより 抜粋)

 

 

ad Universum 【A】
コニカミノルタプラネタリアTOKYO『To the Grand Universe 大宇宙へ music by 久石譲』のために書き下ろされた曲たちが『ad Universum』というタイトルで組曲化されました。この作品についてはとても曖昧な印象、な話になってしまいます。現在もロングラン上映中かつ未CD化のオリジナル楽曲たちだからです。

おそらくほとんどの曲が組曲化で盛り込まれているような気はします。小さい編成のオーケストラ+シンセサイザーで組み立てられたオリジナル版は、ミニマル手法を貫いた楽曲たちです。コンサートの印象では、やや編成を大きくし、アクセントやパンチの効いたダイナミックなオーケストレーションも施され、あくまでも管弦楽をベースとして必要最小限のキーボードによる電子音使用、まさに演奏会用の音楽作品に再構成されているんだろうと思います。静かな曲での電子音はエッセンスとしてとても効果的で、オーケストラも厚すぎず、散りばめられた星たちが適度な距離感でまたたくように、音たちもそれぞれの距離感で奏であい、、やっぱり曖昧な印象になってしまう。

エンディングに流れる曲はオリジナル版では合唱編成あり、この楽曲だけラジオO.A.音源として聴くことができます。コーラスの厚みが金管楽器などに置き換わっていました。さすが演奏会用に昇華されたダイナミックなエンディング曲です。ということで、、プラネタリウム鑑賞時のレビューのほうが各楽曲について細かく記しているかもしれません。

Blog. 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2019」コンサート・レポート より抜粋)

 

 

ad Universum
プラネタリウムの為に書き下ろされた楽曲達が再構成されて、コンサートで披露されました。ミニマルミュージックを軸に構成されており、反復で表現されていく様子はまさしく音のプラネタリウムでした。8曲から構成され、プラネタリウムで使用された楽曲はほとんど使用されていたのはないでしょうか? 絶え間なく演奏され、1曲ずつの感想は書けませんが、印象に残ったことを書いていきます。

冒頭(1.Voyage)では、ゆったりとしたストリングの調べから、突如マリンバのソロが入ります。そこから繰り広げられていくミニマルの刻み。『D.E.A.D』組曲の三楽章『死の巡礼』のように迫りくるリズムが続きます。

2.Beyond the Airでは『The East Land Symphony』の二楽章『Air』のような浮遊する雰囲気を感じられます。全体としてメロディの要素は少ないですが、途中で現れる「ラレド♯ー」のような特徴的なメロディの欠片からは流れ星の煌めきを連想させます。低音から高音へ、波の揺らぎのような部分からは『Deep Ocean』のような雰囲気も。

終盤(8.ad Terra)からは大迫力のミニマルワールド。ひたすら繰り返されるリズムの刻みに終始圧倒されました。大迫力のフィナーレのあと、マリンバのソロで静かに終わるのが印象的でした。

Overtone.第24回 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2019」コンサート・レポート by ふじかさん より抜粋)