Blog. 「久石譲 ミュージック・フューチャー Vol.2」 コンサート・レポート

Posted on 2015/9/30

9月24,25日に開催された「久石譲 プレゼンツ ミュージック・フューチャー Vol.2」

2014年久石譲によって新しく企画された「ミュージック・フューチャー」シリーズ。年1回開催、今年で2回目となります。「ミュージック・フューチャー」とは?どういうコンセプトと想いによってスタートしたのか?まずは公式コンサートパンフレットより。

 

久石譲プレゼンツ ミュージック・フューチャー
Joe Hisaishi Presents  Music Future

国立音楽大学在学中よりミニマル・ミュージックに興味を持ち、現代音楽作曲家として活動を開始した久石譲は、今から30年以上前、自ら演奏会を企画し、当時最先端のミニマル・ミュージックを積極的に演奏・紹介していた。『風の谷のナウシカ』以降、彼が映像音楽を中心とする音楽に活動の軸足を置くようになっても、自身のルーツであるミニマル・ミュージックの作曲を継続してきた経緯は、多くのファンの知るところである。さらに、近年指揮者としても本格的な活動を開始すると、久石は作曲家出身の指揮者という立場から、現代に書かれた優れた音楽を紹介していきたいと強く願うようになった。そんな彼が現代屈指のミニマリストという視点で最先端の音楽を自らセレクト・紹介すべく始めたコンサートシリーズが「Music Future」である。

本シリーズの開始に際して決められた大まかな指針は、次の通りである。まず”未来に伝えたい古典”というべき、評価の定まった重要作を紹介すること。併せて、久石より若い世代に属する注目の作曲家を必ず紹介すること。一人よがりの難解な語法で書かれた音楽ではなく、基本的に調性システムも組み込んで書かれた聴衆と高いコミュニケーション能力を持つ音楽--具体的には親しみやしメロディーやハーモニーで書かれ、クラシックならではの美しいアコースティックな響きを持ちながら、シンプルで力強く、聴く者の心にダイレクトに訴えかけるミニマル・ミュージックのような作品--を紹介すること。欧米で高い評価を受けながら、まだ日本で初演されていない作品/作曲家を紹介すること。久石の新作を世界初演、または演奏すること。

 

2014.9.29 Yomiuri Otemachi Hall
Music Future Vol.1

このようなコンセプトに基いて昨年開催された「Vol.1」は、久石の新作《弦楽四重奏曲第1番》と《Shaking Anxiety and Dreamy Globe for 2 Marimbas》の世界初演を中心に据えながら、彼がかねてから強いシンパシーを寄せている作曲家、欧米では”ホーリー・ミニマリズム(聖なるミニマリズム)”と呼ばれている東欧の作曲家2人がフィーチャーされた。ポーランド出身のヘンリク・グレツキ作曲《あるポーランド女性(ポルカ)のための小レクイエム》(久石は指揮のほか、ピアノパートも一部担当)と、エストニア出身のアルヴォ・ペルト作曲《スンマ~弦楽四重奏のための》及び《鏡の中の鏡~チェロとピアノのための》(ピアノパートは久石)である。さらに久石が注目する若手作曲家として、アメリカ人ニコ・ミューリーの作品から、珍しい6弦エレクトリック・ヴァイオリンを独奏に用いた《Seeing Is Believing》が久石の指揮で日本初演された。ビョークとのコラボレーションからメトロポリタン・オペラの委嘱オペラまで幅広い活動をみせているミューリーの管弦楽曲を日本で初紹介したこと、さらに6弦エレクトリック・ヴァイオリンを用いたクラシック作品を日本で初演奏したこと、という点からも「Vol.1」がもたらした成果は極めて大きかったと言えるだろう。

前回の「Vol.1」が”ヨーロッパ(東欧)”に焦点を当てていたとするならば、今回開催との「Vol.2」では”アメリカ”が中心的テーマを担っている。”アメリカン・ミニマル・ミュージック”と呼ばれるミニマリスト第1世代の作曲家の中で、日本でも特に人気の高いスティーヴ・ライヒの代表作《エイト・ラインズ》(邦人プロ演奏家による日本初の演奏)。第1世代に直接影響を受けた”ポスト・ミニマリズム”の作曲家で、久石同様指揮者としても活動しているジョン・アダムズの《室内交響曲》。そして、彼らの影響を受けた”ポストクラシカル”の注目株にして、インディーズ・バンド「ザ・ナショナル」のギタリストとしても知られるブライス・デスナーの弦楽四重奏曲《Aheym》(日本初演)。これら3曲の演奏によって、ミニマリスト第1世代から最先端の”ポストクラシカル”へと続く、ミニマルを中心としたアメリカ音楽過去30年の軌跡を明快に辿ることが出来るだろう。

そして「Vol.2」の目玉となる久石の世界初演作品は、《Single Track Music 1 for 4 Saxophones and Percussion》と《室内交響曲 for Electric Violin and Camber Orchestra》の2曲を予定。前者は久石が今後展開していくミニマル・ミュージックの方法論を具体的に示した最重要作、そして後者は上述の《Seeing In Believing》の6弦エレクトリック・ヴァイオリンに刺激を受けた久石が、初めてこの楽器の作曲に挑戦した野心作である(同楽器のためにクラシック作品を書いた作曲家は現時点でミューリーのほか、ジョン・アダムズやテリー・ライリーなど、ごくわずかしか存在しない)。

ここ30年の音楽シーンにおいて、なぜミニマル・ミュージックが広く受け入れられるようになったのか。そして、なぜ久石の音楽が日本にとどまらず、を世界中で受け入れられるようになったのか。前回同様、今回も”音楽の未来”を鮮やかに示してくれるであろう「Music Future Vol.2」に中に、必ずやその答えを見つけ出すことが出来るはずだ。

文:前島秀国(サウンド&ヴィジュアル・ライター)

(公式コンサート・パンフレットより)

 

いつもの久石譲、とりわけ映画音楽やジブリ作品での久石譲とは、
まったく趣向の異なるコンサート企画です。

 

久石譲プレゼンツ ミュージック・フューチャー Vol.2

[公演期間]
2015/9/24,25

[公演回数]
2公演 (東京 よみうり大手町ホール)

[編成]
指揮:久石譲
ヴァイオリン:西江辰郎(Future Orchestraコンサートマスター) ※Electric Violin担当
管弦楽:Future Orchestra 他

[曲目]
スティーヴ・ライヒ:エイト・ラインズ
ジョン・アダムズ:室内交響曲
I. Mongrel Airs
II. Aria with Walking Bass
III. Roadrunner

-休憩-

ブライス・デスナー:Aheym ※日本初演
久石譲:Single Track Music 1 for 4 Saxophones and Percussion ※世界初演
久石譲:室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra ※世界初演
I. Mov.1
II. Mov.2
III. Mov.3

 

このような演奏プログラムとなっています。

さて、個人的な感想はひとまず置いておいて、
他作も多い本コンサートの楽曲解説をコンサートパンフレットより紐解いていきます。

 

【楽曲解説】

スティーヴ・ライヒ:エイト・ラインズ

[作曲者によるノート]
《エイト・ラインズ》は5つのセクションからなり、類似関係にある第1セクションと第3セクションではピアノ、チェロ、ヴィオラ、バス・クラリネットが動きまわるような音形を演奏する。これに対し、やはり類似関係にある第2セクションと第4セクションでは、チェロがロングトーンを保ちながら演奏する。最後の第5セクションは、全ての音素材が結合する。セクションからセクションへの移行は、互いにオーバーラップしながら可能な限りスムーズに行われる。従って、前のセクションがいつ終わり、次のセクションがいつ始まったのか、正確に聴き分けるのは困難である。第1、3、5セクションでは、フルートとピッコロ(またはそのどちらか)にやや長い旋律線が登場する。より短いパターンが撚られて生まれる、そうした長い旋律線に対する関心は、私の初期の作品や、1976年から77年にかけて研究したヘブライ語聖書の朗唱(詠唱)に源流がある。 -スティーヴ・ライヒ

 

ジョン・アダムズ:室内交響曲

[作曲者によるノート]
15の楽器を用いた演奏時間22分の《室内交響曲》は、同名の先行作品、すなわちシェーンベルクの作品9と疑わしい類似性がある。私の作品ではシンセサイザー、パーカッション(トラップ・セット)、トランペット、トロンボーンが含まれるが、楽器編成はほぼシェーンベルクに従っている。しかしながら、シェーンベルクの曲が中断されない単一構造で演奏されるのに対し、私の曲は第1楽章《雑種のアリア Mongrel Airs》、第2楽章《バスの歩行を伴うアリア Aria with Walking Bass》、第3楽章《ロードランナー Roadrunner》と、3つの独立した楽章に分かれている。それぞれ楽章名は、音楽の大まかな雰囲気を表している。

私は長きにわたり、巨大なエネルギーを表現するため、大キャンバスの上の極太の絵筆で描くような音楽を作曲してきた。それは交響曲だったりオペラだったり、あるいは《フリジアン・ゲート》《シェイカー・ループス》《グランド・ピアノラ・ミュージック》のような小規模の作品であっても、基本的にはソノリティの集積が生み出す力強い音響を追求してきた。それに対し、本質的にポリフォニックで、各楽章を平等に扱わなくてはいけない室内楽の作曲は苦手だった。しかし、シェーンベルクの作品がきっかけとなり、交響作品の重量感が室内楽特有の透明感や敏捷性と結びつき得るような、作曲フォーマットの可能性がひらけた。また、アメリカのカートゥーン音楽の伝統も、ここぞとばかりに技巧を駆使するポリフォニー音楽の新たなモデルを示していた。演奏家として私が親しんできた、20世紀前半の作品にもヒントがあった。例えばミヨーの《世界の創造》、ストラヴィンスキーの《八重奏曲》と《兵士の物語》、そして知名度は低いが『レンとスティンピー』を約60年も先取りしたような、ヒンデミットの素晴らしい木管五重奏曲《小さな室内音楽》などである。

私の《室内交響曲》はユーモアに溢れた曲にも関わらず、驚くべきことに演奏困難だということが判明した。基本的に全音階で作曲した《フリジアン・ゲート》や《グランド・ピアノラ・ミュージック》と異なり、《クリングホファーの死》以後の語法で書かれたと言える本作は、直線的で、半音階を用いた音楽である。各楽器は、トラップ・セットの容赦ないクリック音と頻繁に向き合いながら、途方もなく至難なパッセージと驚くほど速いテンポを切り抜けなければならない。だが、そこにこの作品のひねくれた魅力が存在すると思う(第1楽章のタイトルは当初「しつけとおしおき Discipliner et Punire」だったが、私の音楽を「育ちが悪い」を批判したイギリス人批評家に敬意を表し、「雑種のアリア」に変えた)。 -ジョン・アダムズ

 

ブライス・デスナー:Aheym

[作曲者によるノート]
「Aheym」とはイディッシュ語で「家路に向かって」を意味するが、この作品は”逃亡”や”移住”といった概念を音楽で表現した曲である。子供の頃、私はきょうだいと共に祖母のもとで過ごし、祖母がアメリカに渡ってきた経緯を詳しく訊いた(父の家族はポーランド/ロシアから渡ったユダヤ系移民だった)。祖母はごく断片的にしか語ってくれなかったが、その言葉は私たち家族みんなの思い出となり、やがては私たち自身の文化的アイデンティティとなって、過去と結びついていった。ニューヨーク・バーナード大学教授でワルシャワ・ゲットーの数すくない生き残りのひとりでもある、イディッシュ系アメリカ詩人イリナ・クレフィシュIrena Klepfiszは、「家路への旅 Di rayze aheym」という詩の中で、「異邦人に中に、彼女の故郷がある。まさにここが、彼女の生きるべき場所。彼女の記憶は、やがて記念碑になる」と書いている。《Aheym》は私の祖母サラー・デスナー(Sarah Dessner)に捧げられた。 -ブライス・デスナー

 

久石譲
Single Track Music 1  for 4 Saxophones and Percussion

原曲は、毎年ウィンド・アンサンブルの新作を委嘱初演する浜松市の音楽イベント「バンド維新」のために書かれた吹奏楽曲(2015年2月22日アクトシティ浜松にて初演)。久石自身の解説によれば、単音から24音まで増殖するフレーズがユニゾンで演奏され、その中のある音が高音や低音に配置されることで別のフレーズが浮かび上がってくるという、シンプルな構造で作られている。アメリカン・ミニマル・ミュージックの作曲家たち、特にスティーヴ・ライヒはミニマル特有のズレ(とそこから生まれる変化のプロセス)を生み出すため、バッハ以来おなじみのポリフォニック(多声音楽的)な書法、具体的にはカノンのような手法で声部を重ね合わせる実験を試みた。だが、久石は本作においてそうしたポリフォニックな手法に頼らず、あくまでも単旋律のユニゾンにこだわりながらズレを生み出す試みにチャレンジしている。つまり”複線”を走るのではなく、ひたすら”単線”を走り続けるわけだ。鉄道の”単線”を意味する「Single Track」という曲名はそこに由来しているが、その際、フレーズ内の音が高音や低音に配置されることで生まれる別のフレーズは、車窓から見えるビルの窓ガラスや川の水面に映る自分の反射した姿(の変形)と考えると、分かりやすいかもしれない。

今回世界初演されるサックス四重奏&打楽器版において、パーカッショニストがヴィブラフォンを演奏するセクションから中間部となるが、久石自身の解説によれば、そこに聴かれる和音らしき響きはあくまでもフレーズの持続音(サステイン)が伸びた結果生まれたものであって、決して意図したものではないという。喩えて言うならば、山間部を走る列車の走行音や警笛がこだまし、それが偶発的なハーモニーを生み出すようなものである。ユニゾンのフレーズの音が時間軸上でズラされることで生まれるさまざまな音風景は--久石は本作を鉄道の標題音楽として書いているわけではないが--車窓から見える多種多様な光景が自分の中のさまざまな記憶を呼び起こしていく、そんな自由連想的な聴き方をリスナーに許容している。最初のユニゾンのフレーズが、民謡のようにもジャズのようにも、あるいはわらべ唄のようにも聴こえてくる面白さ。そういう面白さを実現するためには、最初のフレーズが思わず口ずさみたくなるような親しみやすさを持ちながら、同時に高度な可塑性に耐えうる可能性を潜在的に秘めていなけれなならない。こういうフレーズは、ポップスフィールドで感性を徹底的に鍛え上げられた、久石のような作曲家でなければ絶対に書けないフレーズだと思う。そういう意味で本作は、現代音楽作曲家としての久石のスタンスをこれまでになく明瞭に示した楽曲と言えるだろう。 -前島秀国

 

久石譲
室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra

作曲者本人が当日解説予定。

(【楽曲解説】 ~公式コンサート・パンフレットより)

 

 

ここからは実際に演奏会を体感しての内容になります。

久石譲MC

コンサート冒頭に久石譲による挨拶と本コンサートに関するMCがありました。マイクを持ったのはこの1回のみ、伝えたい大切なことはここですべて語られています。演奏プログラムの各楽曲の解説がメインとなっています。楽曲解説は重複しますので割愛しますが、久石譲の言葉でわかりやすく語られ、その都度リアクションを起こす聴衆とのやりとりが印象的でした。

そしてコンサート・パンフレットには掲載されていなかった久石譲新作「室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra」について解説がありました。

要点としては、

「エレクトリック・ヴァイオリンと室内オーケストラのためのコンチェルト(協奏曲)だが、古典クラシック音楽にも「スペイン交響曲」(ラルゴ作曲)のように実質にはヴァイオリン・コンチェルトとなっている作品もある。」

「昨年Vol.1の演奏曲のために日本にはない6弦エレクトリック・ヴァイオリンを購入した。他者の作品を演奏するために買って、自分の曲を書かないのもないんじゃないかと思い新たに書き下ろすことにした。エレクトリック・ヴァイオリンの音は完全にアメリカン。そしてサクソフォンなどフィーチャーしたのもあり全体がすごくアメリカンに仕上がった。今年はアメリカ音楽を取り上げ、自分のなかのアメリカも確認する。そんなコンサートになったのではないか。」

「新しい体験をしていただく。今までに聴いたことがない音楽を聴いた。そこにあるのはおもしろかったかおもしろくなかったか、新しい体験ができたかできなかったか。ぜひ皆さんにこのコンサートがこれから新しい体験になっていただけるとありがたい。」

 

スティーヴ・ライヒ:エイト・ラインズ

まさかこの楽曲が日本のコンサートで生で聴けるとは、と感慨深い人も多いのではないでしょうか。さらにはミニマル作曲家であるライヒ x 久石譲という楽曲をつないでの夢のコラボレーション。オリジナル版に忠実な演奏になっていて、約18分に及ぶミニマル音空間を飽きさせることなく、ノンストップでリズムを刻んでいきます。これぞコンサートの醍醐味である視覚的に演奏を体感できることもあって、目で耳で味わうことができる、楽器や旋律が入り乱れ微細にズレていく音の変化、この楽曲ならではの堪能です。オリジナル版CDも多数リリースされています。

 

ジョン・アダムズ:室内交響曲

本当におもちゃ箱をひっくり返したような、どこから音が飛び出てくるか、どんなフレーズが突然鳴りだすかわからない、そんな不思議な作品です。原曲のオリジナル版も予習して臨みましたが、やはり聴くだけよりは鳴っている楽器を見て楽しめる作品です。視覚的に今鳴っている楽器を追えるだけでなく、この楽器からこんな音を響かせていたんだと新たに気づけるところもあります。聴くだけでは掴みどころがないような印象も、何かわからないけどおもしろいねという感覚へと変化します。ヴァイオリンやヴィオラは時に身を乗り出すようにリズミカルに演奏し、木管楽器は奏者たちが複数楽器をパートごとに使い分け。好奇心旺盛で気が散漫な子供心のようにいろんな音色が飛び交います。ジョン・アダムズが指揮したものも含め数バージョンがCDとしてリリースされています。

 

ブライス・デスナー:Aheym

久石譲も「この楽曲はロックだ」と語っていたとおり、イントロから凄まじい弦楽四重奏のパッセージです。オリジナル版(輸入盤CD)よりはややテンポが遅めだったかもしれません。その分、細部のフレーズや息のあったかけ合い、さまざまな表情や演奏技法による弦の響きを堪能できた楽曲です。4本の弦楽器すべてが主役と言ってもいいくらい、主旋律・副旋律、ハーモニー・リズムが、それぞれに交錯して突き進みます。原曲は若干エコーがかかっていますが(ホール録音か音編集のため)、本コンサートではよりアコースティックにシャープに音が削がれていて、4本の弦パートがそれぞれくっきりと浮かび上がっているのが印象的でした。約10分間糸を張りつめたような緊張感で圧巻のセッション。ロック・ミュージシャンでもある作曲家に、世界的有名な弦楽四重奏団クロノス・カルテットが委嘱した作品です。

 

久石譲
Single Track Music 1 for 4 Saxophones and Percussion

最新アルバム「ミニマリズム2」に収録されています。単旋律のユニゾンにこだわった斬新な楽曲ですが、こちらもCDで聴くだけではわからない、生演奏ならではのおもしろさと発見があります。

 

久石譲
室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra

本公演の目玉と言ってもいい、久石譲新作にして本邦初公開の世界初演作品です。本コンサートのために書き下ろされた室内交響曲。6弦エレクトリック・ヴァイオリンをフィーチャーし、全3楽章(約30分)で構成された作品。6弦エレクトリック・ヴァイオリンのための作品ですから、そこをどのようにフィーチャーして全体を構成した作品となっているのか。また久石譲が語った”アメリカな仕上がり”とは。

第1楽章の冒頭から衝撃が走ります。まさにエレクトリック(電子的)な響き。これがヴァイオリンの音か、これがヴァイオリンの演奏か、と目を見張る耳を疑います。ペダル式エフェクター/フットコントローラーを駆使して、音を歪ませるディストーションを利かせたり、それはまさにロックのよう。さらにはルーパーと言われる、今演奏したプレイをその場でループ演奏させる機能も使い、ループさせたフレーズに新しい旋律を重ねていくという技法も。音だけを耳にしたらエレキギターじゃないかと思うくらいですが、そこはエレクトリック・ヴァイオリン。ひずませた音色のなかにもヴァイオリンならではの艶やかさがあるから不思議です。尖った音色のなかにも心地よさをかねそなえた響き。奏者のすぐ後ろに置かれたギターアンプから響く硬質なヴァイオリンとアコーステックな管弦楽の音色とが、違和感なく絡みあう一体感を演出するから不思議です。

なかなか耳に残りやすい親しみやすい旋律やモティーフがある作品ではありませんが、そこは”調性とリズム”を重んじるだけあって、魅惑的な世界へと惹き込まれます。途中、管楽器奏者たちが、楽器からマウスピースだけを外し、口にくわえて吹くというおもしろい一面も。歌っているのか吹いているのか、声なのか音なのか、そんな演出もありました。

第3楽章ではリズム動機も際立っていて、例えば初期作品の「MKWAJU」収録楽曲たちを思わせるような、音が1つずつ増えていく減っていく、1音ずつズレていくというミニマル的要素もふんだんに盛り込まれ、クライマックスへと盛り上がっていきます。

たとえば「DA・MA・SHI・絵」や「MKWAJU」という楽曲は、全体がリズムによって構成されている”動”なのですが、「室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra」で新たに魅せた久石譲のミニマル的手法は、”動”だけで突き進むのではなく、”静”パートもあり、緩急とメリハリがそこに生まれます。そのためより一層”動”パート(ミニマルなリズム動機)が浮き彫りになってくる、そんな新しい境地を開拓した作品ではないかと思います。

奏者の西江辰郎さんは、エレクトリック・ヴァイオリンを手(弦/弓)で足(フットコントローラー/エフェクター)で操るというとても難易度の高い演奏を完璧に披露されていました。エレクトリック・ヴァイオリンという独奏楽器を主役にすえた実験的要素の強い斬新な野心作です。

 

以上が各楽曲ごとの補足と感想になります。

総評するならば、とにかくアンサンブルのレベルの高さにただただ感動です。本コンサートのために編成されているFuture Orchestraをはじめ総勢29名の奏者。特筆すべきは、楽曲によって奏者が違うということです。

つまりは大編成のライヒ、アダムズ、久石譲新作はFuture Orchestraで、弦楽四重奏およびサックス四重奏はそのための編成と奏者です。それぞれの楽曲に対してほぼ1曲入魂に近いという、なんとも贅沢な編成になっているわけです。

オーケストラとは異なる、アンサンブルならではの緊張感もあり、音の細部、絶妙なかけあい、演奏技法と響きの余韻まで。観客のみなさんもおそらくそれを楽しむために来たんだと言わんばかりに、楽曲ごとに拍手が鳴り止まない、大人な至福の空間です。

 

全プログラムをとおして、ミニマル・ミュージックという枠にとらわれない現代音楽、リズムと調性のある音楽、久石譲の言うところの”現代の音楽”での構成となっています。音楽実験の場、新しい音楽体験の場、まさにそのとおりだなと思います。

 

久石譲プレゼンツということで、久石譲の登場シーンは、
冒頭MC
エイト・ラインズ(ライヒ) 指揮
室内交響曲(アダムズ) 指揮
室内交響曲(久石譲) 指揮

(弦楽四重奏では指揮者は立ちません)

 

久石譲のコンサートに行ったことがないならば、やはり久石譲音楽が堪能できるプログラムがいいでしょう。ジブリ音楽やCM音楽で久石譲を好きになり、それらが聴けないなら久石譲のコンサート行かない!と、食わず嫌いせず、今企画のようなコンサートにも触れることは大切だなと痛感。

本当に新しい体験ができます。久石譲の作品ではないけれど、久石譲が選んだ作品たちです。そこにはやはり何かつながりや見えないところで音で結ばれています。こんな音楽もあるんだ、こんな楽器や演奏方法、響きがあるんだ、きっと一聴の価値はあります。

そしてそんな音楽体験があればこそ、耳なじみのある久石譲音楽にも変化があらわれます。相乗効果となって、新しい久石譲音楽の聴こえ方がしてくるかもしれません。ぜひ来年以降も継続開催してほしいシリーズです。

”久石譲が今最もこだわっている音楽”がひっくるめて堪能できるそれがミュージック・フューチャーです。

 

最新のWebインタビューでも久石譲本人は語っています。

「今、僕が作っているのは、何か新しい体験をするための音楽。あ〜面白かったね、と素朴に感じてもらえるような音楽。色々な人に聴いてもらえればと思っています」

「クラシックをよく知っているとか、ミニマル・ミュージックに詳しいとかは全然関係ない! なんだかわからなかったけど、もの凄く面白かった! と、そういう感覚を味わってもらえるだけで、いいと思います! その体験が、もう一回こういった音楽を聴いてみたいというきっかけになれば嬉しい」

(Music Voice Webインタビューより)

公式サイト:Music Voice ミュージックヴォイス 久石譲

 

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