Blog. 「音楽の友 2021年1月号」 特集:オーケストラの定期会員になろう2021 久石譲インタビュー 内容

Posted on 2021/01/13

クラシック音楽誌「音楽の友 2021年1月号」の特集II「オーケストラの定期会員になろう2021」内で、久石譲インタビューが掲載されました。2021年これからの新日本フィルハーモニー交響楽団とのコンサートについて語られています。

 

 

特集II
オーケストラの定期会員になろう2021

(山田治生/池田卓夫/二宮光由[大響]/池田卓夫/山口明洋[大フィル]/尾高忠明/広上淳一/藤岡幸夫/奥田佳道/川瀬賢太郎[神奈フィル]/片桐卓也/久石 譲[新日フィル]/石丸恭一[東フィル]/下野竜也&井形健児[広響])

1月号恒例の「オーケストラの定期会員になろう」、今年は6つのオーケストラが参加、2021年シーズンを紹介する。特別編として、尾高忠明、広上淳一、藤岡幸夫の3指揮者が参加した座談会(鼎談)を掲載。

 

2020年はオーケストラにとっても受難の年だったのではないだろうか。3~5月は感染防止の自粛のためほぼ演奏活動ができず、配信などを通じてかろうじて動いていた団体も多い。さて、迎えた2021年、オーケストラにとって再出発のシーズンとなる。今年は6団体が参加、それぞれの団体の次シーズンについて語っていただいた。

(*以後、久石譲ページのみ抜粋)

 

新日本フィルハーモニー交響楽団
Composer in Residence and Music Partner 久石譲

楽団創立50周年記念シリーズが幕開け

取材・文=山田治生

新シーズンの開幕を久石譲が指揮

2020年9月、久石譲は、新日本フィルハーモニーのComposer in Residence and Music Partnerに就任した。久石は、1991年に同フィルと初共演し、2004年からは新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ(スタジオジブリ映画で使われた久石作品などを中心に演奏)の音楽監督を務め、共演を重ねている。

「新日本フィルはオーケストラとしてとても品のよい音がします。僕は、新日本フィルの育ちの良い、温かい音がすごく好きなのです。彼らとは現代的なアプローチもずいぶんいっしょに行ってきましたが、新日本フィルは、時代の先端を走るオーケストラであったし、これからもそうあると思います」

そして、新日本フィルが音楽監督不在となる来季、久石は、2021/2022シーズン開幕となる9月定期演奏会の指揮を担い、マーラー「交響曲第1番《巨人》」を振るとともに、みずからの新作初演で楽団創立プレ50周年記念シリーズのオープニングを祝する。

「新作は、マーラー『交響曲第1番』と一つの世界が作れるような音楽にしたいと思っています。マーラー『第1番』とバランスがとれるような20~30分の曲を考えています。創立50周年ということで、バルトークの『管弦楽のための協奏曲』のようにオーケストラの機能を最大限に発揮でき、いつでも演奏されるような、オーケストラ作品にしたいですね」

2022年4月のすみだ名曲シリーズも指揮し、再来年度からは久石ならではの新たなコンサート・シリーズも企画している。

「新しいコンサート・シリーズでは、現代の音楽と古典の音楽を同じプログラムで演奏し、クラシックの名曲を現代の視点からコンテンポラリーなアプローチでリクリエイトしたいと思っています。状況が許されるなら、新日本フィルとは、マーラーやブルックナー、《春の祭典》のような大きな編成のものをきちんと形にしたいですね」

 

変わっていく新日本フィルを目の当たりに

現在、新日本フィルではいくつかのパートで首席奏者の欠員が問題となっている。

「われわれの音を聴いてもらうためには、各セクションの首席奏者を早い時期にととのえること。いちばん考えなければならないのは、お客さまのことです。自分たちの最高のものを提供してお客さまに聴いていただくことを最優先事項と考えるならば、できるだけ早く問題を解決するべきです。僕は音楽的なアドヴァイスをする立場ですが、こういう状況なので最大限協力したいと思っています。そして元気なオーケストラになること。2021年夏ごろまでに諸問題を解決して、変わっていきます。お客さまのために、練ったプログラムを作り、真剣に演奏する。いま、定期会員になるとお得ですよ。変わっていく新日本フィルを目の当たりにすることができますから。熱気のある演奏がいっぱい繰り広げられるので、会員になられると楽しいと思います」

新日本フィルでは、2021年9月にプレ50周年記念シリーズがスタートし、小泉和裕、井上道義、佐渡裕、クリスティアン・アルミンク、インゴ・メッツマッハーら、これまで新日本フィルでポストを持っていた指揮者が登場する。そして、2023年4月に新しい音楽監督が就任する予定である。

(「音楽の友 2021年1月号」より)

 

 

目次

特集I
ウィーン・フィル、日本ツアーのすべて~奇跡の来日を追いかける!

(寺西基之/渋谷ゆう子/寺西肇/加藤浩子/ヴァレリー・ゲルギエフ/池田卓夫/奥田佳道/高山直也/山田真一/片桐卓也/山田治生/堤 剛/金子建志/折井雅子/白川英伸)
来日の5日前に発表されたウィーン・フィルの来日。さまざまな話題を呼び、2020年のコロナ禍における日本のクラシック音楽シーンのハイライトとなったツアーを、入国から最終日まで追いかけた。

特集II
オーケストラの定期会員になろう2021
(山田治生/池田卓夫/二宮光由[大響]/池田卓夫/山口明洋[大フィル]/尾高忠明/広上淳一/藤岡幸夫/奥田佳道/川瀬賢太郎[神奈フィル]/片桐卓也/久石 譲[新日フィル]/石丸恭一[東フィル]/下野竜也&井形健児[広響])
1月号恒例の「オーケストラの定期会員になろう」、今年は6つのオーケストラが参加、2021年シーズンを紹介する。特別編として、尾高忠明、広上淳一、藤岡幸夫の3指揮者が参加した座談会(鼎談)を掲載。

●[Interview]鈴木優人―仲間とともに、革新的でより多彩な音楽活動を(伊熊よし子)
●[Report]鈴木優人が率いる、生き生きして勢いあるヘンデル《リナルド》(山田治生)
●[Interview]ヨーヨー・マ―コロナ禍という嵐のなかでの演奏活動(小林伸太郎)
●[Report]東京芸術劇場で野田秀樹演出、井上道義指揮によるモーツァルト「《フィガロの結婚》~庭師は見た!~」が再演(山田治生)
●[Report]日生劇場《ルチア~あるいはある花嫁の悲劇》―感染症対策のため、ルチアの一人芝居に翻案(萩谷由喜子)
●[Report]世界の現状に対する危機感を描き出した、新国立劇場《アルマゲドンの夢》(山田治生)
●[告知]読者招待イヴェント「ふかわりょうのクラシックの友」
●[連載]マリアージュなこの1本・番外編名曲レシピはお好き?(8) ―ショパン「マズルカ第51番」(伊熊よし子)
●[連載]林家三平の古典音楽(クラシック) でど~も・すいません! (16)(林家三平)
●[連載]カメラマンリレー連載「舞台カメラマンの回想 ―私が出会ったアーティストたち」(8) ―広上淳一、佐渡 裕(大窪道治)
●[連載]コバケンのタクト(10)(千葉 望)
●[連載]ベートーヴェン的な、余りにベートーヴェン的な(16)~〈ゲスト〉クリスティアン・ベザイデンホウト(fp)(越懸澤麻衣)
●[連載]IL DEVUの重量級・歌道(18)(河野典子)
●[連載]誌上名曲喫茶「まろ亭」―亭主のメモ帳から(25)~ NHK交響楽団第1コンサートマスター篠崎史紀の偏愛案内 サン=サーンス「交響曲第3番《オルガン付き》」(篠崎史紀)
●[連載]東音西奏 ! ―QBT冒険記(4)(クァルテットベルリン-トウキョウ)
●[連載]和音の本音―ショパンとともに(5)(清水和音/青澤隆明)

ほか

 

 

Blog. 「サンデー毎日 1992年9月20日号」久石譲インタビュー内容

Posted on 2021/01/12

雑誌「サンデー毎日 1992年9月20日号」に掲載された久石譲インタビュー内容です。6ページに及ぶ誌面ですが、インタビューメインというよりは作家による随筆構成となっています。久石譲の生い立ちから作曲家までの具体的な経緯をまとめたとても貴重な内容です。

 

 

連載
ノンフィクション作家シリーズ
人間・語り出す肖像

第42回
売れっ子メロディー・メーカー
久石譲(41)

西山正

Prologue
四歳のときだった。楽器店の前を通りかかった。そこで、バイオリンを見た。この楽器を弾けるようになりたい、と思った。父に頼んで、町にあった鈴木慎一バイオリン教室の分室に通い出した。

物心ついたときから、音楽には絶えず触れていた。クラシック、歌謡曲、童謡……ジャンルを問わず、朝から晩までレコードをかけては聴いていた。音楽と共にあることが、自然だった。そんな幼年時代。

父は高校の化学教師だった。その父に連れられて、毎週、映画館に通った。父の趣味が映画だったのではない。勤務先の高校の生徒が映画館の中にいるかどうかを確認する役目だったのだ。活劇、恋愛もの、文芸作品、喜劇……これもジャンルを問わず、週二本、次から次へと見た。

音楽と映画とにどっぷりとつかって過ごした幼い日々。すでに、何かが、始まっていた。

 

豚も空飛ぶミニマル・ミュージック
メロディアスな風から君はもう逃れられない

 

1st movement
中学三年生のとき、作曲家になろうと決めた。すでにある譜面を演奏するのも音楽家だが、いまだこの世にない譜面をつくり出すのも音楽家。再現芸術ではなく、創造音楽。そのほうがより素晴らしく思えたのだ。

高校に進学して、ブラスバンド部に入部した。たまたまトランペットに欠員があった。試しに一口吹いてみたら音が出た。翌日からレギュラー部員、次の年には一番トランペットを吹いていた。

高校時代から作曲の勉強を始めた。国立音楽大出身の先生についてピアノの基礎、さらに月二回、上京して和声学、対位法など作曲法のレッスンに励んだ。このころから現代音楽に熱中し始めた。武満徹、黛敏郎、シュトックハウゼン、メシアン、ジョン・ケージ……音楽的な知の最前線を行く作曲家たちの作品に好んで親しんだ。

当然のことのように、国立音楽大学の作曲科に進学した。高校は男子校だったので、女子学生の数の多さに驚いた。作曲科のクラスは一学年二十人。ここでも女性のほうが多かった。与えられた課題を数学のパズルを解くようにこなす。そんな教室での日々のかたわら、オペラの作曲を試みた。矢代静一原作の「海の陽炎」。ギリシャ悲劇ふうの素材だった。自ら脚本を書き、十二音技法を使った現代オペラに仕立てあげた。マルメロ座という名の創作オペラの会が、学内の講堂で上演した。

三年生のときには、自ら企画してコンサートを開いた。学内、学外の現代音楽作曲家に依頼して作品を集め、演奏した。自作曲も発表した。学内の先生たちから一目置かれる存在となり、「きみは授業に出なくてもいい。いるとうるさいから」といわれた。リムスキー・コルサコフの管弦楽法を教える先生に「あなたは古い。現代の音楽は……」と盾つくような学生だったのだ。そこで教室にはあまり顔を出さず、創作した作品を学外のコンサートに発表したりして時を過ごした。当時の代表作はフルート、バイオリン、ピアノの三重奏曲「メディア」。むろん最前衛の無調音楽だった。

卒業と同時に、ピアノ科の同学年生、文女(あやめ)と結婚。二人でピアノ教師をして暮らした。当時の月収は四万~五万円、食うや食わずの生活だったが、苦しいとは感じなかった。音楽は四歳のときからの夢。これも当然、という気持ちだった。出航というよりも漂流。だが音楽と共にある漂流。苦しいわけがない。

 

2nd movement
そんな二十歳代のとある日、友人の家でとある輸入盤レコードを聴いて、大きなショックを受けた。アメリカの現代音楽作曲家テリー・ライリー作曲の「Rainbow curved air」。ディレー・エコーを使ったオルガン曲で、同一のフレーズを執拗に何度も何度も反復する。

当時、最前衛とされていた「ミニマル・ミュージック」の一曲だった。むろん初めて耳にする音楽だった。

ミニマルとは、極小の意味だ。極小音楽、いったいどんな音楽なのか?

実は、美術が音楽に先行していた。ミニマル・アート。このアートを生んだ思想が、音楽の世界にも波及して生じたのが、ミニマル・ミュージックなのである。

現代美術の解説書を開く。こんな解説が記されている。

「感情の表出をできる限りおさえる。笑ったり泣いたりもしないし観客に伝えるべきメッセージもない。最小限の表情、けちけち・アート、これが最小限芸術、すなわちミニマル・アートである。(中略)ミニマル・アートの特徴は、画家の手作業を感じさせない均質で無表情な仕上げと、シェイプト・キャンバスと呼ばれる長方形や正方形ばかりでないさまざまな形のキャンバスの使用にあった。画家は色と形を決定したあとは、作業をした形跡を残さないように十分に注意している。絵画という物体を純粋に作りだそうというのだから、画家の仕事ぶりが見えては不都合なのである。(中略)ミニマル・アートは抽象表現主義の思わせぶりな迷彩模様への反抗から出発していた。だから、主観性、情緒性、即興性といったものを嫌ったのであった。このあたりの主知主義的な態度は、モンドリアンなどの幾何学抽象と血のつながりを感じさせる」(若林直樹著『現代美術入門』から)

ミニマル・アートが生まれたのは一九六〇年代のことだった。ベトナム戦争が泥沼化していた。既成の価値への信頼が崩壊し、若者たちの反乱が世界的に広がった。芸術家たちもまた既存の”伝統”を拒絶して、瞬間的な行為そのものへと表現作業を収斂していく。そんな土壌から発生したミニマル・アートは、ついには芸術家という概念を全否定し、芸術の無名性という逆説の中に芸術の普遍性を見いだそうとするに至る。そんな時代精神が、音楽家たちをもとらえた。

ラ・モンテ・ヤング、テリー・ライリー、スティーブ・ライヒ、フィリップ・グラスといったアメリカの若い作曲家たちが創始したミニマル・ミュージックは、切りつめられた素材への集中、短い旋律とリズム・パターンの執拗な反復、停滞する和声、緩やかなそれらの変形……といった手法によって、従来の音楽が持っていた全体的構造を骨抜きにし、瞬時の音の鳴り響きそのものへと意識を集中させる音楽だった。

ある意味では単調。ある意味では退屈。だがよく聴いてみると、アジアやアフリカの民族音楽の中にも同様の技法や効果をもった音楽がすでに存在していることがわかる。作曲家たちはそうした音楽を学んで技法を豊かにすると共に、最新の音響機器──とりわけテープの操作(ループ、フィードバック、複数のプレーヤー間の回転数の微小な相違が生む位相のずれなど)によって新しい技法を開発していった。その意味ではまぎれもなく科学技術時代の”現代音楽”ではあった。

この音楽に初めて触れて衝撃を受けた若き日本の作曲家は、この新しい音楽を実践していくアーティストになろう、とたちどころに決心した。この技法による音楽を実作するとともに、ライヒやグラスの作品の日本初演コンサートを開いたりした。

高校・大学時代は、学園紛争の嵐が吹き荒れていた。人並みの関心を持ちはしたが、政治闘争にはかかわらなかったこの音楽青年が、こんなにも深くミニマル・ミュージックにのめりこんでしまったのは、やはりあの反体制的な六〇年代の時代精神のとりこになったということではなかろうか。

「ところが、当時の最前衛のロックが、ミニマルと全く同じ技法の音楽をつくり出していたんですよ。いわゆるクラシックのほうからえんえんと上りつめてきた坂の頂点で、ロックの坂を上りつめてきた連中とバッタリ出会ってしまったという感じでね。顔見合わせて、いったいどこが違うの? そんな感じでした」

当時をふりかえって、久石譲は、そういった。そして、ミニマル・ミュージシャンとして生きていたそんな青春のある一日、突如として「明日からはポップスでいこう!と決心した」とも。

当然かもしれない。ミニマル・アートが自己否定の芸術だとすれば、自己否定の行きつく先、なおも時代の中で生きなければならぬとしたら、自己蘇生、すなわち古典的創造活動をする作曲家となるしかないのだから。

音楽はすでに大量消費の時代に入っていた。ミニマル・ミュージックもまた、多様な音楽技法の一つとして時代の中に拡散した。

「Curved Music」というタイトルのCDアルバムがある。久石がミニマルの技法を使って書いたCF音楽集だ。日立、日産、キャノン、小西六、資生堂などのCM音楽が入っている。今聴いても、実に刺激的だ。

 

3rd movement
いわゆるクラシック音楽の世界に、息がつまるような思いを感じ始めてもいた。自作発表の機会も一年に一回、あるかなし。聴衆の数もさして多くない。ミニマル・ミュージックに必要なリズム感にあふれた演奏家の数も少ない。その点、ポップスの世界のほうが、ひろびろとしたコミュニケーションの回路をもっているように思えたのだ。

「ただし、ポップスの世界は、売れなくては正義じゃない。それなら、売れてやる! と決心したんです。売れるまでは、どんなことがあっても弱音をはくまい、と肝に銘じたんです」

意志の力が成功を引き寄せた。以下、成功にいたるまでの久石譲の足どりを年譜ふうに──。

1981年
初ソロ・アルバム「インフォメーション」を発表。ジャンルにとらわれない独自のスタイルを確立。

1984年
「風の谷のナウシカ」「Wの悲劇」などの映画音楽を担当、注目を浴びる。

1985年
アルバム「α-Bet-City」。

1986年
「天空の城ラピュタ」の映画音楽。アルバム「Curved Music」。

1987年
「となりのトトロ」の映画音楽。この間、CM音楽の分野でも大きな実績をあげ、超一流の作曲家・プロデューサーとしての地位を確立。

1988年
IXIAレーベルを設立。アルバム「Piano Stories」「Night City」「Illusion」。

1989年
「魔女の宅急便」の映画音楽。NHKの特集番組「驚異の小宇宙・人体」の音楽。ニューヨークでソロ・アルバム「Pretender」を完成。二月の草月ホールを皮切りに本格的コンサート活動を開始。

1990年
「タスマニア物語」の映画音楽。東芝EMIとソロ契約。ロンドンのアビー・ロード・スタジオでアルバム「I AM」を完成。

1991年
「ふたり」「福沢諭吉」「あの夏、いちばん静かな海。」などの映画音楽。「I AM」の発表と同時に本格的ライブ・コンサート・ツアーを開始。

1992年
フジテレビのドラマ「大人は分かってくれない」の音楽。「はるか、ノスタルジィ」「紅の豚」の映画音楽。東芝EMI移籍後第二作のソロ・アルバム「My Lost City」発表直後の二月から五月にかけて、東京、名古屋、大阪でコンサート活動。

「彼は不思議な音楽家だ。映画音楽、アレンジャー、TV・CF、プロデューサー……ポップなヒットソングからアバンギャルドな領域まで、活躍するフィールドは広く、変化に富んでいる。その多彩な才能の中でも、ひときわ際立っているのは、彼の書きげた独特のメロディー・ラインではなかろうか?

久石メロディー……ある時はTV・CFであったり、ある時はTVドキュメント番組のBGMであったりするが、そのいずれもが彼ならではのメロディー・センスで息づいている。ポップでいて正統的。メロディアスなのにアバンギャルド。優しいのに、どこか過激……久石譲は風の流れを感じさせる音楽家なのだ」

東芝EMIの担当ディレクター・三好伸一の久石評である。そんな久石を一言で定義するのは難しい。作曲家であり、演奏家であり、優れた企画能力をも備えたマルチ音楽人間、といっただけでは、何かが欠けているようなのだ。

八〇年代からいま九〇年代にかけて、久石メロディーは、超消費大国日本の時空間の中に絶えず流れ、漂い続けていた。

漂うメロディー、漂う人間──。

彼の最新・ソロ・アルバム「My Lost City」の中に「漂流者」と題する一曲がある。解説カードの曲名のかたわらに彼はこんな言葉を書き記している──「都市の漂流者。行く場所さえない心のさすらい人」。

成功への道を足どり軽く上ってきたように見えながら、久石の心は絶えず漂流感覚にゆさぶられ続けていたのだろうか? だからこそ彼のメロディーは、同時代の都市生活者たちの心に共鳴作用を喚起するのだろうか?

このアルバムには「フィッツジェラルド頌」という副題がついている。スコット・フィッツジェラルド。華々しいデビューのあと落魄し、四十四歳で世を去った今世紀初頭のアメリカ作家。その生の軌跡に久石は自分をオーバーラップさせているのかもしれない。

 

4th movement
「初めて打ち合わせしたとき、びっくりしたんです。宮崎駿監督も一九二〇年代に興味をもっていたのか! と──「紅の豚」の舞台は一九二〇年代の末期。ぼくも以前から一九二〇年代に関心をもっていて、たまたま製作中だったソロ・アルバムも、一九二〇年代をテーマにしたものだったんです。あの時代への単なるノスタルジーではなく、現代に通じる何かをあの時代に感じとる敏感な嗅覚なようなものを、宮崎さんも持っていた。偶然の一致なんですが、そのことに驚きました」

宮崎アニメの映画音楽を担当するのは、これで五作目になる。が、その間、たがいに一九二〇年代への関心を口にしたことは一度もなかった。

この夏、大ヒットした「紅の豚」の舞台は、一九二〇年代末期の地中海。かつてイタリア空軍のエースだった男が、”国家の英雄”になることを拒み、自分で自分に魔法をかけて豚になる。一方、同じように食いつめた空軍くずれの男たちは、海賊ならぬ”空賊”となって地中海を荒らし回っていた。豚男は賞金かせぎとなって彼らと戦う。”空賊”たちはそんな男を、ポルコ・ロッソ(紅の豚)と呼んで恐れた──飛ばねえ豚はただのブタだ。そんなセリフが、若いアニメファンばかりでなく、くたびれかけた中年男の脳味噌をも刺激して、映画館に幅広い年齢層の観客をひきよせた。

映画の中で、修理が飛行艇を工場から外へ出すシーンがある。早朝。工場の周囲には秘密警察沙汰。が、果敢な操縦で、艇はみごと脱出に成功する──この手に汗にぎる場面のバックに流れるのは、初打ち合わせのときに製作中だった久石のソロ・アルバム「My Lost City」中の一曲「狂気」である。宮崎監督のたっての希望でこの曲を使った。あとはすべて久石のオリジナル曲である。

一九二〇年代を背景に、宮崎駿と久石譲をつなぐ共通の要因が「狂気」であるというのは、何かしら暗示的ではなかろうか?

久石にとっての一九二〇年代とは、まずもってフィッツジェラルドの時代、ということだ。だから、アメリカの一九二〇年代。禁酒法で開幕し、ウォール街の大暴落で幕を閉じるこの十年間は、アメリカが史上空前の物資的繁栄に酔った時代だった。

「それは約半世紀前の金ピカ時代を一層大衆化したようなものだったが、保守政権が続き、汚職がはびこり、誰もが自動車を持ち、株ブームや土地ブームが続き、建築競争が始まり、大勢の若者が大学の門に殺到し、老いも若きも海外旅行に熱中する──ということになれば、たいていの人は気がつくだろう。高度成長を終わったあとの日本、とくに一九八〇年代の日本と、どうやらただごとならず似ているのを」(猿谷要著『物語・アメリカの歴史』から)

二十四歳で文壇にデビュー、一躍流行作家となったフィッツジェラルドは、この時代の寵児だった。莫大な収入を派手に浪費し、一貫して無軌道な生活を送った。が、大恐慌を境に三〇年代にはいち早く”忘れられた作家”となり、四〇年の十二月、長編を執筆中、心臓発作で息を引きとった。

「ある時期、村上春樹の小説を熱中して読みあさったことがあるんです。そうしたら、急にフィッツジェラルドの作品を読み返してみたくなった。前に『華麗なるギャツビー』やいくつかの短編は読んでいました。その時にはこれといった印象はなかったのに、読み返してみると、今度は実に面白い。もう一人の作家の目を通してある作家の本質が見えてくるなんてことがあるんですね」

というのが、一種、奇妙な久石のフィッツジェラルド体験である。いちばん好きな作品は、彼の自伝的エッセーだという。

「彼が味わった栄光と挫折、憧れと絶望がニューヨークという街とのかかわりの中で語られているすばらしいエッセーです。ぼくの琴線に最も触れた作品でした」

そのエッセーのタイトルを「My Lost City」という。それがそのまま久石のアルバムのタイトルとなたのだ。一九二〇年と一九八〇年が、このアルバムの中で混じり合い、甘く、どこか哀しい響きを立てている。

この秋から、久石は、ロンドンに居を移す。むろん、日本での仕事もあるから行ったり来たりの生活になるのだが。

「そろそろ安住の地をさがして動き出さなくては……そして、自分を変えたいと……」

ポツリと、漂流者は、もらした。

二年後──そう、フィッツジェラルドが没したその年齢で、久石はどんなふうに生きているのだろうか? 誰にもわからない。だから、この肖像は、未完だ。

(サンデー毎日 1992年9月20日号 より)

 

 

Blog. 「音楽の友 2020年11月号」ベートーヴェン特集 久石譲インタビュー内容

Posted on 2020/11/21

クラシック音楽雑誌「音楽の友 2020年11月号」に久石譲インタビューが掲載されました。〈ベートーヴェン生誕250周年記念特集第4弾〉「革新の人 ベートーヴェンーー名曲から探る後世への影響」企画によるものです。

 

 

Interview
現代を生きる作曲家から見るベートーヴェン 久石譲

もっとも豊かな時代の人ベートーヴェン
だからこそ、惹かれてしまうのだと思います

 

クラシック音楽の世界ではライリーやライヒからの影響を受けたポストミニマルの作曲家として知られ、近年は指揮者としても注目される機会が増えてきた久石譲。彼が指揮した『ベートーヴェン:交響曲全集』は『レコード芸術』誌の月評で特選盤を、2019年度第57回レコード・アカデミー賞では「特別部門 特別賞」を受賞し、話題を呼んだ。

 

指揮を通じて拓けたベートーヴェンの新たな世界

久石譲がベートーヴェンの指揮に力を注ぐようになったのにのは、作曲家としての意識が深く関わっているという。

「音楽を木に喩えると、多くの人は葉や花をみて綺麗だと思うけれど、作曲家が追求しなければならないのは幹をつくり、枝をつくる行為。それが音楽の本質であり、未来への可能性を作ることになりますからね。グレゴリオ聖歌以前から音楽の歴史をみてきた上で、いま我々はなにを行わなくてはいけないのか?作曲家はそういう使命をたえず持っているのです」

もともと現代音楽の作曲家として活動していた久石だが、30歳代にポップスの世界へ転身。映画音楽の領域で高い評価を得たが、自身の音楽が徐々にエンターテインメントの枠に収まらなくなってくると、21世紀に変わる頃「本籍地」をポップスからクラシック音楽に戻している。その一環としてクラシック音楽作品も指揮したいと考えるようになり、秋山和慶に師事した。そしてベートーヴェンなどを指揮する経験も積むことにより、新たな世界が見えてきた。

「実際にベートーヴェンをオーケストラで指揮すると、スコアを読んでいるだけでは見えてこなかった、なぜこう書かれているのか、どこに問題があるのか、ということがわかるようになりました。学問のような論理ありきの作曲ではなく、実践に即して観客に聴いてもらう作曲を行う上で、その感覚が非常に役立つのです。そして『ベートーヴェンってここが良いんだ!』という実体験を味わってしまうと、指揮をやめられなくなるのですよ」

 

音楽の骨格が重要視される「絶対音楽」に向き合う現在(いま)

久石を魅了してやまない、ベートーヴェンの魅力とは何なのか。

「ベートーヴェンは、音楽の骨格となる幹と枝を重要視している古典派の時代と、葉や花が重要視されるロマン派の両方にかかっていますよね。音楽表現のもっとも豊かな時代を生きたベートーヴェンだからこそ、惹かれてしまうのだと思います」

だからこそベートーヴェンの交響曲全集の次には、葉と花の部分が魅力的でありつつも、やはり重要なのは幹と枝となるブラームスに取り組んでいるのだ。意外かもしれないがブラームスと同じロマン派でも、標題音楽にはさほど惹かれないというのが興味深い。

「ロマン派になると文学の要素が入ってきますよね。このような音楽は、何を基準に善し悪しを決めるのですか?ムードで決まるのなら、それは一人ひとり違うわけで、好き嫌いの問題ですよね。だとしたら良い演奏とは、美しい音だった、よく歌ったなどそういうことになります。もちろん、それ自体を否定するつもりではないのです」

具体的には、R.シュトラウスの《アルプス交響曲》のような楽曲に対して、「So what?(それがどうした?」と思ってしまうのだという。もう、そうした物語性のある音楽は映画との仕事のなかで充分追求してきたからこそ、クラシック音楽に「本籍地」を戻した現在は、いわゆる絶対音楽に注力しているのだ。そして、もう一つ久石のベートーヴェンを語る際に重要なファクターとなるのがナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)である。

「開館準備から長野市芸術館の芸術監督を務めることになったのですが、観客の皆さんがホール自体を応援するというのが、あんまり想像できなくて。そこで応援対象になる室内オーケストラをつくろうと思いました。東京フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスター近藤薫さんに相談した上で、将来を担う若手を中心に、各オーケストラの首席クラスに声をかけたのです。では、彼らと何を演奏するべきか?オーケストラとしての形ができてから、ベートーヴェンの交響曲に取り組むことも考えたのですが、まずベートーヴェンに取り組み、同時に現代の音楽をプログラムに取り込むことで、自分たちがいまどこにいるのかを確認するべきだと考えたのですね」

 

”現代音楽”をふまえて読んでもリズムの扱いが天才的

クラシックの音楽家にとって、ベートーヴェンの交響曲は常に隣にあるべきもの。こうした考えにより、2016年から2年半かけてベートーヴェンの交響曲を番号順に演奏・録音。これが交響曲全集となった。最大の特徴はリズムにある。

「ドイツ流のスタンダードなベートーヴェンの演奏を、私も秋山先生から習いましたが、室内オーケストラで重々しい演奏をするのは無理があります。でも、古楽のように演奏すればいいかといえば、それもしっくりこない。やっぱり自分はミニマルをベースにしてきた作曲家ですから、スコアに書いてあることを素直に読んで、ミニマルや現代のポップスにも通じるリズムを中心に組み立てようと考えました。そういう観点でベートーヴェンのスコアを読み直してみると、リズムの扱いが本当に天才的だと思いました」

その到達点だと久石が語るのは意外にも、演奏機会の多くない「交響曲第8番」だ。

「『第8番』は本当にすべてが上手くいっていますね。第2楽章一つとっても、あそこまできちんと無駄なく、技術的にも非常に上手く書かれており、なおかつ人を幸せにする音楽は類を見ません」

久石が理想の作品と語る「第4番」「第8番」の録音をお聴きいただければ、スコアを読めないかたにもベートーヴェンがどれほど鋭敏なリズム感覚をもっていたのかが、手に取るようにおわかりいただけるはずだ。

長野市芸術館芸術監督の任期満了に伴い、NCOは本拠地を東京に移し、フューチャー・オーケストラ・クラシックスへと名義を変更した。今後もたびたびベートーヴェンに立ち戻り、汲めども尽きない楽聖の新たな魅力をまた照らしだしてくれるに違いない。

取材・文=小室敬幸

(音楽の友 2020年11月号より)

 

 

目次

特集
ベートーヴェン生誕250周年記念特集第4弾 革新の人ベートーヴェン ――名曲から探る後世への影響
(かげはら史帆/久石 譲/小室敬幸/山田治生/越懸澤麻衣/平野 昭/渡辺 和/七條恵子/飯田有抄/西原 稔/高関 健/高山直也)

ベートーヴェンの描いた音楽が、後世の作曲家にどのように受容され影響を与えたのか、またその作風や技術はどのように作品と結びついているのか……。長年にわたり演奏され続ける名曲の魅力を「ベートーヴェン⇔後世への影響」で紐解き考察します。

and more…

 

 

また、同時期に公開されたWebマガジン ONTOMOでは「久石譲が続けてきた音楽を未来につなぐチャレンジ」、これまでの自身の音楽活動をたっぷり語ったロングインタビューとなっています。

 

 

 

Blog. 「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1988年11月号」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2020/11/03

音楽雑誌「KB SPECiAL キーボードスペシャル 1988年11月号」に掲載された久石譲インタビューです。同年1月号から開始された連載の第10回で、オリジナル・ソロアルバム『Piano Stories』についてたっぷり語っています。

 

 

HARDBOILED SOUND GYM by 久石譲
VOL.10
「ナウシカ」のイマジナリー変奏曲

ピアノ・アレンジにもとづいて録音された「Fantasia (for Nausicaä)」、久石さんは”テレやはずかしさ”があるとはいえ、やはり代表曲。今回もこの曲を中心に。

 

まず先月号の訂正から。ページの最後に「2重奏によるナウシカのスコアを掲載する予定です」とありますが、これはあくまでもソロ・プレイです。久石さん自身の最初のプランでは「ダイナミックになり過ぎる。それをもっと抑えたかったから2重奏で、と考えた」ということなのですが、しかし、実際にやってみたら、最初のプレイの”揺れ”に合わせてダビングするのが難しく、結局、アルバムには、その直後、ソロでプレイしたものが収められています。読者のみなさん、そして、久石さん、ごめんなさい。

というところで、この2重奏→ソロの経緯のお話から伺うことにします。

 

呼吸しているメロディーの微妙なノリ

ー「Fantasia (for Nausicaä)」のレコーディングのときのお話を確認の意味でもう1度聞かせてください。

久石:
『ピアノ・ストーリーズ』を作ったときの、僕の中のナウシカの扱いから話しましょうか。

重複しちゃうかもしれないけれど、僕の中に非常に難しいものがあるんです。なぜなら「久石譲イコール、風の谷のナウシカ」という公式が出過ぎちゃう、あの曲が僕の名刺がわりになり過ぎてる。するとやっぱりテレもあるし、はずかしさもあるんです。

ふつうはこれが代表曲ですっていうものがあれば開き直れるのかもしれないけど、僕は少しはずかしい。それがいつもついてまわるわけですよ。すると『ピアノ・ストーリーズ』で、自分の、久石譲メロディー集でいうと、こういう曲がメインになるのがふつうのはずなんですよね。

だけど、7分近い大曲にした割には、むしろ後ろの方で抑えた状態で収録してある。しかも原曲にいちばん遠いかもしれない。中のいろんな音楽、音型を出してみたりしつつ、変えて作ってしまった、と。それはやっぱり作家の中でその楽曲と自分との独特の位置があるわけですよ。

まあそういうことが前提にあって、当初はピアノの2重奏でやりたかった。実際には、ダビングを1回しようとしたんです。なぜかというと音域が広いのと、部分的に、1人でやろうとするとかえってやかましくなり過ぎるところがある。たんたんとさせるためにも2つでやったほうがいいだろうと考えたんです。

ところが今回のピアノ集は全体にそうなんだけど、ふつうはドンカマと言って、リズムをうすく入れて、その中で自分が自由に弾くということをするんですが、今回はひとつもドンカマを使っていない。そのためにメロディー・ラインが自由に呼吸してるわけ。そしてこの日も第2パートから入れてみたんです。7分近い中でピアノを2重奏にする部分は、ほんの1コーラスだけだったんです。ほんの一部だった。ところが今度、それを入れちゃったら、それに合わせようとするんです、音楽が。すると、それまで呼吸していた音楽が一気に死んじゃった。

 

ー音楽が合わせようとする、というのは?

久石:
自分で合わせようと思うわけだけど、それは、音楽のほうで、入れてあるパートに合わせて弾くように働きかけてくる。そこでもう、何か世界が違っちゃうんです。微妙なタイミングのズレが出るわけですよ。

ドンカマが入れてあれば、まず第2パートを合わせて入れて、次にそれに合わせてメロディー・パートを入れるということができるかもしれないけれど、第2パート自体もエモーショナルに弾こうとすると、すでにそのテンポが揺れている。その揺れているヤツにもう1回自分で重ねようとすると、よほど何百回というリハーサルをやって同じような揺れにならない限りは、滅多に合わないですよね。

それでかなりのところまでは合ったの。でも他の人が聴いたらそうは思わなかっただろうけど、自分の中では、精神的な呼吸感が、もう違うから、ダメだって思った。で、スタッフも全員そう思ったので、もうこのスタイルはやめようということになったんです。

ところがこっちも2重奏のつもりでスタジオに入っているから、いきなりやめるというのもまずい。また練習して戻って来るというわけにもいかない。

それで結局、そこでまた全部壊して…、まあアレンジしてあった形はそのまま生かしてその場で一発録りみたいなかたちで録ったんです。それが、あの『ピアノ・ストーリーズ』の中の「ナウシカ」なんですよ。

 

不思議な響きのルーツにいたのはマル・ウォルドロン

ー2重奏にしたかった部分というのはどのへんですか。

久石:
途中で盛り上がっていくところでね。ちょっと音自体は抑えたいんだけどぶ厚さが欲しいわけ。それができないわけではないことはわかっていたんだけど、いろんな音型をにらみ出すと、非常にヴィルトゥオーゾ…名人芸というかテクニックを披露するような音楽になりやすいんだ。それを控えたかったんです。

 

ーそれであの形になったわけですね。

久石:
そう。そのへんがあの曲を録るときの難しさだったんですね。

だから今回の『ピアノ・ストーリーズ』をやっていていちばん思ったのは……、みなさん言うのは、非常に不思議な音楽だ、ということなんです。ピアニストの練習は、バイエルから始まってツェルニーの30番、40番とやってくると、当然クラシックの音楽には独特のスタイルがあるわけですよ。それは何かというと3度、5度、6度構成という音の関係の練習でしかないんです。あとスケールとね。これはテクニック自体のことだけど、それの組み合わせでできていると思って間違いない。

ところが僕の音楽というのは4度体系なんですよ。だから、ド・ファ・シと押さえていってしまう。ある意味でジャズのテンションに近いものがあるんです。けれどジャズから出て来ているテンションではないんですけどね。で、そういう積み重ねが多く出てくる。すると、パッと押さえた瞬間の指の形、指の幅がクラシックの人とは違うんです。パッと押さえた指が、クラシックの人はド・ファ・ラとか、ド・ミ・ソとかクラシックの形態のところに指が行くんです。このへんが、ちょっとクセがあってやりづらいところかもしれないんですけどね、ピアノに関していうと。

ただこれは、自分のアレンジものも全部ひっくるめて、響きの原点みたいなところなんです。

で、『ピアノ・ストーリーズ』の話に戻すと、非常に不思議な音楽だと言われたと。ピアノのテクニックっていうのはリチャード・クレイダーマンみたいに、ドソミソ・ドソミソとかパターンがあるんです。左手の音型にしろ何にしろ。ところが僕のピアノは全部その形態がはずれているんですよ。

じゃクレイダーマンではない。それならレイモン・ルフェーブルかと言ったらそれでもない。ではジャズか? それでもない。そのへんのギリギリのところで作っていたんです。

で、僕のタッチというのはすごく強いんです。いいか悪いかは別として頭の中で、ピアノというのは打楽器みたいなとらえ方をしているために、きれいな響きを作ろうとするよりは、”ガシーン”と叩いた太鼓が鳴ったと同じような打楽器的な効果が自分では好きなんです。そのままの感覚でピアニッシモもあるんです。

 

ー打楽器的なピアニッシモ…?

久石:
ようするに響きをきれいに出す方法というのは僕もクラシックの奏法として習ったし、あるんだけど、僕のピアノ奏法の発想にはそれがないんです。

それで、これは誰に近いのかなと僕もずっと思ってたんだけど、今度11月に出すアルバム『イリュージョン』の中のタイトル曲「イリュージョン」、これもピアノ曲なんですが、これは少しジャジーな要素を入れてあって『ピアノ・ストーリーズ』よりジャズっぽいかんじがする。それを聴いたある人がこう言ったんですよ。タッチはマル・ウォルドロンだ、と。

僕は17、8歳…高3の頃からレコードでマル・ウォルドロンを聴き漁ってね。だから現代音楽を聴いてるかマル・ウォルドロンを聴いてるかっていうくらい彼が好きだったんですね。『オール・アローン』っていうピアノ・ソロなんか全曲コピーしましたもんね。

 

ーそういう一面もあったんですか。

久石:
そうなんだ。それがこの年齢になってソロ・アルバムを作ってピアノで勝負しなくてはならないときに、はからずも自分の音楽のタッチというのはそういうところにあったなっていうことに、後で気付いたね。

マル・ウォルドロンっていうのはビリー・ホリディのバックで、ピアニスティックに弾こうとしたとき、ビリー・ホリディから「歌えないフレーズは弾かないほうがいい」と言われて、できるだけシンプルに、心を込めて弾くようになった人でしょ。オスカー・ピーターソンとは対極にあるんですね。今、ピアノのテクニックというのはいかに早く機能的に動くかという運動に終始してる。ジャズにしても練習となると、そういうところで終始してる。比較的ね。スピリットとかいいながら、興奮してきたら、いかに16分音符を正確に弾くかとか、そのへんがピアノ・スタディの原点みたいなところがあって、それはそれで大切なんだけど、マル・ウォルドロンはそれとは180度違っていた。ただし、彼は根っからのジャズ・マン。僕は現代音楽からやってきて、こうなってきた。そしてメロディーという共通項で仕事をしようとしたとき、ジャズという土壌と僕の土壌は全然違うんだけど、”アプローチの角度”は似たかもしれないね。いかにシンプルに音楽を相手に伝えるかという姿勢はね。タッチが強いという点もひっくるめて思わぬ共通性を最近感じてとまどってるんですよ(笑)。

(KB SPECiAL キーボードスペシャル 1988年11月号 より)

 

 

久石譲 『piano stories』

 

 

 

Blog. 「キーボード・マガジン 1989年3月号」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2020/11/02

音楽雑誌「キーボード・マガジン Keyboard magazine 1989年3月号」に掲載された久石譲インタビューです。オリジナル・ソロアルバム『illusion』についてたっぷり語っています。

 

”鏡のような音楽”に秘められた超一流のサウンド・テクニック

優れた音楽は耳に優しく、それでいておどろくほどの技巧を内包している。虚飾をそぎ落とした無駄のない音の数々。それはまるで、多種多様の光線を含みながら特定の色を感じさせない陽の光のようなものだ。

ー全体の概要について教えて下さい。

「前作の『ピアノ・ストーリーズ』なんかは、聴く側が勝手に心象風景を自分たちで投影しやすかった。こちらから押し付けがましいメッセージがない分ね。今までそうやって作ってきたんですけど、長年やってくると、もっと直接的にメッセージを訴えかけたくなる。それには歌の表現がいちばん適切なんです。僕は井上陽水さんとか中島みゆきさんとか、非常に歌のうまい人の仕事をいっぱいさせてもらっていたんで、中途半端に歌はやりたくなかった。で、今回いろいろやってみて、何とかいけそうじゃないかということで。アレンジャーだとかいろんな人が、サウンドの一部として歌を歌うみたいなのがありますけど、あのてのものはやりたくなかったんですよ。どうせ歌うなら、徹底して歌をやる」

ー最初から完全なスコアがあったわけですか。

「いや。ラフなものをフェアライトで作ってるんで、スケッチみたいなものから始めて、ベーシックなものを作るわけです。スコアをおこすことは最近めったにやらないですね。譜面を書いてる時間がないし(笑)、ベーシックなものができた段階で頭に全部入っていますから」

ー作業としてはフェアライトでリズムを作って、それに生のストリングスを合わせるという形になるんですね。

「そうです。仮で入れておいてやるケースもありますしね。最初から、たとえば弦なんかを入れると決めておく場合と。いろいろなんですよ」

ー今回の弦アレンジの特徴は?

「このアルバムに入る直前までの、僕の弦のスタイルというのは確率されていたんですね。いろんな人の歌のときのバックのスタイルとか、あるいは、フル・オーケストラで8-6-4-4とか(注1)6-4-2-2とかいう編成で歌用、オーケストラ用、映画用とか、自分なりの癖が確立されていた。ですから、またゼロから、全く弦が書けない状態に戻して、普通ならこうくる、というのを極力排除してアレンジしました。もう1回クラウス・オガーマンとか、あのへんの弦アレンジを聴いたりとか。そういうのを徹底しましたね」

(注1)弦の編成。第1バイオリン、第2バイオリン、ビオラ、チェロの順に数を表す。

ー弦の編成は?

「全部6-4-2-2です。僕は絶対ダビングしませんから。弦はキーで配列が全部違いますけど、そのポイントさえ押さえれば、2倍にも3倍にも鳴らすことは可能なんですね」

ー弦アレンジのどこをどう変えたんですか。

「断片的なんですね。たとえばA-A’-B-C、そしてサビへ行くとするでしょ、するとだいたいA,A’は休んでてBくらいから入って、Cで盛り上げて、とかね。弦が駆け上がってサビに行くとか、パターンがあるでしょ。今回はAの後半に突然ちょこっと弦が出たりとか、そういう断片的な独立の動きをけっこうさせました。「ナイト・シティー」のCのサビなんかは、普通だと弦が駆け上がっていくんですが、フレーズはブラスにまかせて、逆にブラスっぽい動きを弦にさせている」

ー「ナイト・シティー」ではディビジ(注2)をつかってますね。(譜例1参照)

「今までなら、6-4-2-2しかいないときは、ああいう高いポジションでディビジは使わなかったんです。それをあえて今回は……」

(注2)ひとつのパートをいくつかの声部に分けて、人数を配分する手法。div.と表記する。

ーそれもパターン崩しの?

「そうですね」

ーディビジは3-3ですか。

「だいたいそういう形になります」

ー中間部のバイブ・ソロのところは凝った展開をしてますね。

「今度のアルバムって全部そうなんですよ。ただ、そんなこと譜面を見なかったらなかなか気づかないでしょうね。表面はポピュラー・ミュージックなんだけど、再現してみようとすると思っても簡単には絶対できない」

ーソロ前の2小節なんかも面白い展開をしているし……。

「そのへんが大変なんですよ。そのたびにベーシックでコードを何度も取り替えましたから。この曲だけでベーシックを3回か4回録り直しています。結局、ドラムだけ生かして、コードを差し換え、差し換えで」

ーサビに行くところは非常に転調感が強いですね。劇的というか。

「今回はだいたいそうなんだけど、間奏部分が原調のキーと同じやつがほとんどないんです。全部いろんなキーに跳んでいっちゃってる。日本の曲ってあまりにも単純すぎるんです。外国の曲って、ヒット・ポップスにしたってサビからキーが変わるなんて当たり前でしょ。それが日本では最初からDmの曲だったら、ずっと全部Dmでしょ。その単純さはやめなきゃいけない。転調感を持たなかったら絶対、外国では通用しない。たとえばこれC#mなんですよね。それで間奏がEmなんですよ。そうすると、これは短3度上だから非常に遠い。普通だと、平行調だとか、シャープやフラットが1個多くなったり少なくなったりするくらいでしょ。で、とんでもなく遠いキーに跳ぶわけ。もっとすごいのは、A durの曲が間奏でE♭mになって、Fmに行っちゃう。長3度低いマイナーのキーになるわけです。ですから、どう見ても近隣調の範囲には入らない」

ー「風のハイウェイ」のサビに行くところも調感が大きく変わりますね。

「パーッと世界が変わるでしょ。こういう感じが大事なんですよ」

ーいちど崩してしまうと、テーマに戻すのが大変という気がしますが。

「難しいですね。外国の一流のアレンジャーはそれがうまいんですよ。アレンジャーというか、外国の曲のうまさというのは、サビに行くときに、日本のアレンジャーだとA-A’は同じとしてもBで少し変わって、サビになるとまたリズムが変わるでしょ、ドラムのパターンとか。ところが、マドンナでも何でも、リズムはほとんど変わらない。せいぜいスネアを1個抜くか抜かないくらいなのに、ちゃんとサビで世界が全部変わってるでしょ。あれがすごい。日本の曲は変えてるつもりなんだけど、歌が変わってないし何も変わってないから、色が変わらないんです。色彩感がとぼしい。いろんな音をいっぱい入れたら色彩感があると思われてるけど、逆に、極力抑えているからこそ変わった瞬間のインパクトがあるんですよ。映像なんかの仕事でも、このへんは一流とそうでない人の差なんです」

ー「冬の旅人」の中間部がピアノ・ソロになってますね。

「ここはピアノを聴かせるために弦を入れてないんですよ。リズムをうんとスカスカにしちゃって、そうするとピアノが浮き立ってきますよね。弦にしても1コーラス目と2コーラス目で必ず変えています(譜例2)。後半はピアノがだんだん小さくなって、弦を出しているんです。フェード・アウトしながら弦がだんだん大きくなってくる。これはね、全体を普通の曲に仕上げたかったんですよ。いわゆる昼の恋愛ドラマですから。すると、サビに戻るときの部分にいつものアバンギャルドな部分を集約させておいて、あとはいかに歌をちゃんとさせるかという」

ー弦の駆け上がりなんかは……。

「ヘンなところでしかやらない(笑)」

ー弦のフレーズにしても、クラシカルですね。

「頭の中ではブラームスを意識してるんですよ。歌のメロディ自体、ピアノで弾くととてもブラームス的なんです。すると、どこかでクラシカルな格調をのこした弦やピアノのアレンジをしたい。そこから考えてこういう感じになったんです。「ナイト・シティー」とは全然譜づらが違うでしょ(譜例2)。このへんがやっぱり大事なところで。これも徹底しないとおかしくなる。日本のアレンジってだいたい中途半端なんだよね。それをきちんとすれば色彩が明確になってくる」

ー歌をメインにしたアレンジで大切なことは?

「最も大事なのは、歌のバックに入っているオブリガートのフレーズが歌をじゃましないこと。次に大事なのは、それぞれのフレーズがぶつかり合わないことですね。これが絶対条件です。『鏡の音楽』と僕は言っていますけど、できるだけ削る作業。とりあえず削って、削っていって有効なフレーズがきちんと有効なところに入っていれば、ベタに弾いてないのに全体がとてもゴージャスに聴こえる。昔、ロンドンでケン・ソーンとかロイ・バットなんかの、超一流のアレンジャーと言われる人の仕事をまのあたりにしたことがあったんです。そのとき彼らが『アレンジのコツは、コードからはずれた音をどう使うかだ』と言ったわけです。ド・ミ・ソのときにドとミとソを使うのはイモで、そのときにレ・ファ・ラ・シのその他の音をどう入れるか。これをやるとぶつかった色彩感が出てくるんですよ。瞬間でもいいわけです。つまりジャーンってド・ミ・ソを鳴らしますね。鳴った瞬間に、弦がレ→ミって行くと、出だしはド・ミ・ソにレが鳴ってるわけですね。これは別に違和感はない。コードが鳴った瞬間に他の音をどう入れるか。倚音(いおん)とか経過音とかいろいろあるけど、そういう音をいかに使っていくかでコード的色彩感が倍増するんです。メジャー7thとか9thとは、そんな単純なものじゃなくて。それをうまくアレンジしていかないと、特にオーケストラの曲はできないですね」

(キーボード・マガジン Keyboard magazine 1989年3月号 より)

 

 

久石譲 『illusion』

 

 

 

Blog. 「GAKUGEI 1996」久石譲インタビュー内容

Posted on 2020/11/01

青山学院女子短期大学の冊子「GAKUGEI 1996」に掲載された久石譲インタビューです。とても具体的で突っ込んだ内容で読み応えあります。

 

 

久石譲さん(作曲家)

音楽家になろうと決めたのは、三、四歳。それ以外(の職業)は考えたことがない

ーはじめに、「久石譲」さんという名の由来を教えてください。

久石:
学生時代、テレビなどのアルバイトのために、友人につけてもらいました。江戸川乱歩が、エドガー・アラン・ポーからきているように僕も、外国人の名前でいいのないかなって思ったのですよ。そしてクインシー・ジョーンズを使ってみたんです。一回こっきりのつもりだったんですけどなんとなく気にいってたのでそのまま続いちゃったのですよ。

ー先日行われたコンサートのお話をきかせてください。

久石:
今年、自分のコンサートをまだやっていなかったので、軽い気持ちで、小さいのをやりました。ピアノのソロコンサートは、初めてです。しかし、規模が大きかろうとと小さかろうと、弾くという行為に変わりはなく、プログラムは凄まじくハードでしたね。一日に十時間位練習しました。結果には、満足していますが、正直な気持ちこんなに大変とは思いませんでした。(笑)

ー舞台で弾くのは緊張しますか。

久石:
緊張はいつでもしますが、あがることはありません。前日までは、胸が締め付けられるほど、緊張していても、ピアノの前に座ると落ち着きます。オーケストラでは、二千人の聴衆より、ピアノの左にいる、「小さなころから、バイオリンを習い、留学し、コンクールで入賞している人」が審査員のような気がして、ガマの油のようです。

ー音楽以外の趣味は。

久石:
ウーン・・・あんまりないですね。強いてあげれば、泳いだり、体を動かすことは好きです。

ー家にこもりっきりってわけではないのですね。

久石:
体育会系ミュージシャンと言われたぐらいですから。(笑)昔は一日中、家にいて作曲などしたけど、今はだめですね。気持ちが変わらないから。

ー普段どんな音楽を聴きますか。

久石:
ありとあらゆる分野を聴きますよ。本当にプライベートで、ひとりで落ち着いたときは、モーツァルトなどのクラシックや、イギリスのピーター・ガブリエルです。

ーご自分の曲は聴かれますか。

久石:
聴かないです。作ってから仕上げるまで、何百回も聴いてますから、世の中に出る頃には「もう聴きたくない」という状況か、次のアルバムにとりかかっていますから、仕事以外では、自分で好んでは聴きません。

ー出来上がった映画はどうですか。

久石:
試写会だけです。

ーテレビで流れていると・・・

久石:
照れ臭いです。映画って、二時間なら二時間、長い時間を設計するわけですよね。そうすると、色々な意味で、「ああすればよかった、こうすればよかった」という反省が多くて、一年以上経たないと冷静にみられないですね。

 

 

ー学生時代のお話を聞きたいと思います。どんな大学生でしたか。

久石:
・・・つっぱっていて、鼻持ちならない(笑)学生だったかもしれない。高校は女性が各クラス一、二名しかいない共学で、ほとんど男子校だったんですが、音大に来たら立場が逆になって男女比が一対一〇くらいで、一瞬「どうなったんだろう」って思いました。だから音大の人たちよりは、よその学校の人とつきあっていました。自分が何をするかに集中していたから、あんまり大学通っていた感じがしないんですよ。四年生でまとめて単位とった感じです。学生時代から、外でコンサートをしていましたし、有名な作曲家に委嘱して、プロデュースしたりしてました。

ーす・ご・い。

久石:
音大の先生から、売り込みにきましたから。そのくらいガンガンにやってました。そういう意味で、つっぱっていましたね。学内では、先生方でも聴いたことのないような譜面を見つけてきて学生を集めては、練習させ、月一回コンサートを開いて、自分で全部やっていました。だから変な話、三年生ごろ先生から「授業出なくていい、お前が出るとうるさい」と言われました。先生より知ってましたからいろんなこと。だから何か一言先生が言うと、「あっ、すいません、それ古いんです。今はもうこうなってます。」とかいちいち言うもんだから、「単位はあげるから出ないでいい」そんな感じでした。だからあんまりまともないい学生ではありませんでした。

ーどうして先生より、そんなに知っていたのですか。

久石:
音大って、基本的にクラシックの古典中心の教えですよね。それはそれで音楽大学って、すごくいい。今思えばもっと勉強しとけばよかったけど、それは、英語勉強すればよかったとあとで思うようなもので、必要に迫られてなかったし、もっと新しい動き[コンテンポラリーミュージック]を追求したかった。それは学校ではできなかった。だから自分で、楽譜を探したりレコード買ったりするしかなかった。

ー学生時代の一番の思い出は。

久石:
・・・暗かった。(笑)絶えず何かに焦っていた。自分の音楽はどんなものを書いたらいいのか、そういう悩みが多かった気がします。あとはよくみんなで飲んだこと。

 

 

ー四歳のころから、バイオリンを習っていたそうですがそれは誰の意志ですか。

久石:
あのー、本当のところは分からないんですけど、たぶん僕の意志なんです。

ー小さい頃から音楽が好きだんたんですねー。

久石:
ウン、おもちゃのようなものを鳴らしているか、歌を歌っているか、レコードを聴いているか、朝起きてから夜寝るまで。

ーピアノではなくて、バイオリンだったわけは。

久石:
楽器屋さんの前を通ったとき、凄くかっこよく見えて「これやりたい」って。

ー久石さんにとって、音楽とは。

久石:
・・・ウーン・・・ALL OF MY LIFE、空気のような存在。僕が音楽家になろうと決めたのも、三歳か、四歳の頃なんですよ。つまり音楽以外考えた事がない。数多くある自分の外側の仕事から音楽を選んだのではなくて、自分の内にあるものだった。そのままここまできていることは本当に幸せです。もし自分が音楽をやってなかったら、とてもじゃないけどまともな人間になれなかった。エゴとかいろいろなことを含めて。僕が僕でいられるのは音楽を抜いたら考えられない。音楽をやることによって、最低限の人間らしいことができている。或いは普通の人だったら、とてもじゃないけど許せないことも、ものを作るという一点のために、世間と少しずれた行動をとってたりする。それは自分と音楽の関係で計っているものだから、世間の物差しとはちょっと違うよね。そういうときやっぱり、音楽を抜いちゃったら、自分は存在しないよ。

ー行き詰まったことはありますか。

久石:
しょっちゅうです。僕は、一時間おきに自分は天才だと思い、そしてもうだめかもしれないと思ってたりしますから。ただ僕は、考え方に合理的な部分があって、たとえば一時間の曲を頼まれたとする。一時間なんて大曲でしょ。しかもオーケストラでって言われたら二、三年かかちゃう。でもね、一時間の曲って、一〇分の曲だと六曲、五分の曲なら一二曲。僕は書くのが早いから五分の曲なら、一日でできる。すると一二日間で出来上がる。もっと言うと、一二曲全部違う曲を書いたらまとまりがつかない。そうすると、メインテーマのメインフレーズが何箇所かで出てくるから、これは実質七曲以内。僕の場合、一週間でできると言える。つまり、ある目標があって、どうするか考える時、みんなこの全体を見てしまうから「自分にできるか」って舞い上がるかもしれない。でも僕なら「これは何と何でできている、だから、自分ならどうなる。」そういう組立がうまいんです。

ーと、言うことは理系の頭ですか。

久石:
僕は感覚的に作曲したことはないです。論理的に割り切れることは割り切ってやる姿勢だから。

ー生活の中でフレーズが浮かんできて作曲することはありますか。

久石:
全然ない。(笑)

ーそれでは、即興で作曲はなさらないのですね。

久石:
遊びではよくやります。でも自由な音楽ってありえないんだよね。例えば、ジャズは基本的にコード進行など色々な規制の中で遊ぶわけで、ただの自由ではない。人間の生き方もそうなんだけど、勝手に生きなさいって言われれば、民主主義でもなんでもないわけで、ルールをきちんと守るからこそ、その中でどうやって自由にするかっていうところがあるじゃない。インプロビゼーション(即興曲)っていうものは僕の考え方ではそういうとたえ方ですね。

 

 

ーでは、人生と岐路についてお聞きします。生きがいは何ですか?

久石:
音楽でしょう。それ以外考えたことないです。それぞれの年代のときにそれぞれの形で常に音楽と向かいあってきたからね。かけだしの頃は「いい仕事がしたい」と思っていましたし、少しいい仕事が出来るようになると今度は「自分にしか表現出来ない世界を造りたい。」いつもそう思いながらやってきたから、でも今になってもまだ表現していないことってあるから、ずっとそれがテーマになるだろうね。

ー音楽の道を選んだ訳を教えて下さい。もし作曲家にならなかったら何になりたかったのですか?

久石:
音楽を選んだのはさっき言ったように、三歳頃からもう決めていたから。ただ音楽と言っても、歌手になる道もあれば、演奏家になる道もあるし作曲家になる道もある。中学位のときに吹奏楽などの音楽関係のクラブをやっていて、演奏するよりはその演奏の大基をつくる方が自分には向いていた。再現してやるもの。これが弾けたという喜びを余り感じなかったからね。それで自分はものを造る方がいいと思いました。

ーその頃からご自分で作曲なさっていたのですか?

久石:
うん、知ってる曲があったとして、これをみんなでやりたいって時に、音とって、譜面かいて、それをみんなに配って演奏する訳だ。それで音が出たときの感動といったら。その喜びって、やっぱり今でもあって、オーケストラでかくとかね、レコーディングなどでかく時に、本当は譜面かくの嫌いなんだよね。なんだか学生が残されて宿題やっているようでさ。(笑)何でこんなことしなくちゃならないんだろうっていつも思いながら、もうこれで止めたいっていつも思うんですよ。けれどスタジオで何十人という人が集まって、一斉に音を出したりすると、毎回同じテンションで、同じ真剣さで感動していますからね。そういう意味ではこれが自分の天職だな、と思いますね。

ー久石さんに影響を与えた人物・出来事を教えて下さい。

久石:
精神的な影響を受けた人っていうのは、二十歳位のときにテリー・ライリーっていうミニマル系のアメリカの作曲家の作品を聞いて、それが自分に影響しているな、と思うことはありますね。

ーそれから作風が変わったということですか?

久石:
ええ、結局作風を変えるといっても「はい、これ。」って変わらないじゃない。だからその音楽に対して自分がなじんで、その世界と同じような、自分独自の世界を作るような努力、そこから始まった訳ね。それから十年位はかかるけど、少なくとも自分がミニマル系の作曲家に変わったという感じならある。

ー幼いころから周囲の環境も音楽に関係のあるものだったのですか?

久石:
なかったよ。父は高校の化学の教師だったし。ただみんな音楽は好きだった。映画も家族でしょっちゅう見たし、そういう環境であった訳だから、いろんな意味で言うと自分がどうしても求めたんだな、と思います。

ー音楽をやると決めたとき、親の反応はどうでしたか。

久石:
冷たかった。(笑)やっぱり世間並の反対はあったりしましたよ。だけど、そんなに凄い反対ではなかった。自分でやりたかったら、と最終的には。たぶんテレビに出る歌手になりたいとか言ったりしたら、大変だったろうと思うけど。(笑)音楽大学に行って、作曲科を受けたいっていうのは、そういう意味でいうと、それほど抵抗のあるものでもなかったようだね。

 

 

ー次にその他の事にいきたいと思います。今一番興味のあることは何ですか?

久石:
インターネット。どういうものなのか、それをどうやって仕事に役立てるのか、個人的に興味がありますね。

ー事務所ではもう使ってらっしゃるのですか?

久石:
ええ、今、「やろう!」と言ってる最中。

ーでは、音楽以外でこれからやりたい事って何かありますか。

久石:
しいてあげると、自分が監督する映画を作りたいかな。

ーそれは音楽ではなくて、映画を撮るほう、つまり監督さん、ということですか?

久石:
そうだね、それも含めてね。本当にいいものを作りたいからね。今日本の映画ひどいでしょう。映画を観にいくって言ったらみんな洋画でしょう。(一同納得)だからこの二年間映画を作るのを断ってきたんですよ。来年からまた復活しますけどね。自分がこれだ!と思う仕事をしたいと思います。

ー一緒に仕事をした人とその後の付き合いはありますか。

久石:
ある人はありますよ。

ーでは、その中で一番印象に残っている人は誰ですか。

久石:
去年キングクリムゾンっていうバンドがあったんですけど、最近また復活して、この間も日本公演があったんです。そのキングクリムゾンの中に、ビル・ブラッフォードっていうドラマーがいるんですけど、そのときの彼のドラミングのワーク力とか、いろんな意味でやっぱり本当に一世を風靡した人だと、そういうのがとても印象に残っています。「やるときはやるぞ!」ってがんばりますからね、それは凄く感動しました。

ー一緒に仕事をした人と飲みに行くなんてことは無いんですか。

久石:
多いですよ。最近でも甲斐よしひろさんとか、長いつきあいの人とはしばしばですよ。ある仕事の企画で一緒になって、結局仕事の内容によって別れが全然違うものになるので、大体はそのままになっちゃうんですけど。お互いに「連絡しなきゃね。」って言いながら「お久し振りですー。」っていうようなケースが多いよね、やっぱり。(笑)

 

ー最後に、青短生にメッセージをお願いします。

久石:
女子だけなんだよね。そうだなー、この不況はしばらく続きますけど(笑)大変だろうとは思いますが、要するに自分達が生きていくうえで、「仕事」というのが生活の延長での仕事ではなくて、「可能性を保つ場」というとらえかたで、それがどんなことであれ、「自分達の存在理由をみつけていく場」だというつもりで頑張って下さい。

 

お忙しい中のインタビューにもかかわらず、音楽について熱っぽく語ってくれた久石譲さん。楽しくお話する中で、久石さんの音楽に対する真剣な姿勢が感じられました。今年は映画音楽にも復活なさるということで、今後の活躍がとても楽しみです。また素敵な久石譲ワールドがくり広げられることでしょう。

(GAKUGEI 1996より)

 

 

Blog. 「ユリイカ2020年9月臨時増刊号 総特集=大林宣彦」久石譲 寄稿

Posted on 2020/09/20

書籍「ユリイカ2020年9月臨時増刊号 総特集=大林宣彦」に、久石譲の寄稿が収められました。

 

 

総特集●大林宣彦
大林監督へのオマージュ 久石譲

大林宣彦監督が亡くなられた。
最後にお会いしたのは二〇一八年五月一五日、高畑監督のお別れの会だった。ぼくが弔辞を述べていたとき、大林監督夫婦は参列者席から優しい眼差しで見守っていてくれた。癌と戦いながら作品を作り続けていることは知っていたが、実際にお会いして元気そうな様子にその時は安心した。そしてほぼ二年後、二〇二〇年四月一〇日肺がんのため自宅で死去された。享年八二歳は早過ぎる、と思ったのはぼくだけではないはずだ。沢山の優れた作品を世に送り出した巨匠たちが逝ってしまうことはとても、とても残念なことだ。

大林監督は映像自体で物語れる数少ない監督の一人だった。つまり多くの監督が脚本のセリフや状況を映像化するのに躍起になっている中で(その多くは脚本のページ枠から出きれていない)軽々と映像自体で表現することができた。それは大林監督自身で脚本を書いていることも多々あるのだがそれでも脚本では表現しきれていないことまで観客に訴えかけることができた。

二〇一二年『この空の花 長岡花火物語』では突然役者が観客に語りかけるシーンがあったが(一九八九年『北京的西瓜』でもラストに監督自身が観客に語りかけた)それでも観客は何の違和感もなく物語の世界に惹きつけられた。正に映画表現の本質を熟知した映像作家だと思っていた。

しかし一九九三年公開映画『はるか、ノスタルジィ』のときだったと思うが、究極の映画とは?ということを話題にしたことがあった。そこで監督は明快に仰った。

「字、活字だけの映像!」

映像を自由に操れる監督のこの言葉にぼくは驚いた。その後、何度もその言葉の意味を考えた。その結果ぼくの推論は「活字だけの映像」は一番イメージを膨らませることができ、観客が最も自由に想像できる究極の方法ということだった。もちろんそのような言葉一つで割り切れるほど単純なことでないことは承知している。ましてやこの時代のように全て映像が中心になり、物事は即物的に判断され言葉自体が軽くなった今だからこそ監督の仰る意味は深くて重い。

そこで作曲家であるぼくは究極の音楽とは何なのだろう?と考えた。音の鳴らない音楽? それならばジョン・ケージが一九五二年「4分33秒」という楽曲で作品にしている。ジョン・ケージは二〇世紀最大の作曲家の一人で音楽の在り方自体を思想的、哲学的に追求した実験音楽の第一人者であった。では二人の共通点は? ジョン・ケージ一九一二年、大林監督は一九三八年生まれで二回り近くも年が違う。だが直観的に何か共通のものが二人にはある。そう考えていくと「実験」と言う言葉が浮かんだ。それぞれの分野でアート、エンターテインメントの枠こそ違うが(それさえ意味ないが)新しい映像の在り方、新しい音楽の在り方を追求する実験的姿勢こそ二人の共通することであり、クリエイターとしてぼくが共感することだった。

大林監督のことを考えると、ぼくはこのようにクリエイティブになれる。だから大林監督はいつもぼくの内側で生きている。もちろんそういう話をもっと直接お目にかかってしたかった。いろいろ伺いたかった。そしてこれからもぼくは監督に問いかけ続ける。

大林監督、お疲れ様でした。
監督の最新作である『海辺の映画館 キネマの玉手箱』は正に「白鳥の歌」ですね。
楽しみにしています。

 

追記
「白鳥の歌」は人が亡くなる直前に人生で最高の作品を残すこと、またその作品を表す言葉である(Wikipediaより)。シューベルトの歌曲集としても有名だが、その「白鳥の歌」である『海辺の映画館 キネマの玉手箱』は新型コロナウイルスの感染拡大を受け公開延期になった。世界はより混沌として思わぬ方向に舵が切られた。

大林宣彦監督、我々はどこへ行くのですか? どう生きればいいのでしょうか?

 

2020年7月20日 久石譲

(ユリイカ2020年9月臨時増刊号 総特集=大林宣彦 より)

 

 

 

2020年5月には、哀悼の意を込めて「草の想い」(久石譲×麻衣)動画公開されました。

 

「草の想い」(1991) -Tribute to Director Nobuhiko Obayashi

from Joe Hisaishi Official YouTube

 

 

こちらでも、大林宣彦監督と久石譲の映画や他仕事のコラボレーションの数々を書籍内容ふくめご紹介しています。

 

 

 

Blog. 「VOGUE JAPAN 2020年9月号 No.253」久石譲×Cocomi 特別対談 内容紹介

Posted on 2020/08/25

雑誌「VOGUE JAPAN 2020年9月号 No.253」に久石譲とCocomiの特別対談が掲載されました。

 

 

VOGUE CHANGE PRESENTS PART.2

久石譲とCocomi──異世代が語る、「音楽が奏でる果てしない力」。

「物心ついた頃からジブリ音楽に触れ、久石さんの音楽は常に私の心にある」──作曲だけでなく、指揮や編曲も行う世界的音楽家・久石譲についてこう述べたのは、音楽家の卵でありファッションアイコンとしても皆を魅了するCocomiだ。ヴォーグ・ウェブサイトで連載中の「Cocomiが学ぶ」企画のスピンオフとして、今回、憧れのマエストロとの初対面が実現。音楽が与えるさまざまな力について語り合った。

 

ファッションアイコンとして天性のカリスマ性を見せつつ、フルート奏者としての顔も持つCocomi。そんな彼女が「最も会ってみたい方の一人」と対談を熱望していたのが、宮崎駿監督や北野武監督の映画音楽などで知られる作曲家・久石譲だ。世代は異なれど、ともに音楽に生きる二人が語る「音楽の力」とは──。

Cocomi:
私は、小さい頃からジブリの音楽に囲まれて育ったので、久石さんの音楽は常にともにあるものでした。実際、スマホのプレイリストの中には、何曲も久石さんの作品が入っています。とにかく、ずっとお会いしてみたかった憧れの方なので、今日はすごく緊張しています……。

久石:
Cocomiさんは、現在、音楽大学の1年生でフルートを専攻されているそうですね。僕は大学生くらいの方と話す機会があまりないので、今日は若い世代の音楽家たちが、音楽とどう向き合っているのかを聞かせてもらいたいです。Cocomiさんの場合、小さいときから音楽は身近だったと思いますが、始めたきっかけはなんでしたか?

Cocomi:
3歳のときにジブリ映画の『耳をすませば』を観て、登場人物の一人であるヴァイオリン職人を目指す男の子・天沢聖司さんに憧れてしまって。それがきっかけでヴァイオリンを始めました。

久石:
あ、最初はヴァイオリンをやってたんですね。実は僕も4歳から習ってたんです。

Cocomi:
え!そうなんですね。

久石:
でも、レッスンが全然好きじゃなくて、途中でやまちゃいましたけど(笑)。フルートに転向したのはなぜだったんですか?

Cocomi:
音楽教室に通っているとき、隣の部屋で年上のお姉さんがフルートを演奏しているのを見て、「きれいな楽器だな」と関心を抱いたのがきっかけです。その後、初めてフルートに触ったら、楽器自体がすごく手になじんで。「あぁ、これだ」って、しっくりきました。

久石:
「しっくりきた」という感覚はよくわかります。自分が「いいな」と思って選んだ楽器こそ、長く続けられるものだと思います。

 

中学時代から、作曲家以外の選択肢はなかった。

Cocomi:
久石さんは、作曲家になろうと思い始めたのはいつ頃だったんでしょうか?

久石:
中学生のときですね。

Cocomi:
かなり早い段階で、将来の道を決めていらしたんですね。

久石:
中学校のとき、ブラスバンドでトランペットを担当していたんです。自分で言うのもなんですが、結構演奏はうまくて(笑)。ただ、演奏も楽しいけど、知っている曲を毎晩譜面に書いて、ブラスバンド用にアレンジして、それを翌日みんなに演奏してもらうことのほうが、すごくうれしかった。それで作曲家になろうと思ったんです。

Cocomi:
中学生でそんなアレンジをしていたなんて、すごいですね……。

久石:
だから、作曲家以外の選択肢はなかったんです。中学時代まではクラシックがベースでしたが、高校時代からは、カールハインツ・シュトックハウゼンやピエール・ブーレーズ、ヤニス・クセナキス、日本人なら黛敏郎さんや武満徹さんといった前衛音楽ばかり聴くようになったんですね。それで、「現代音楽の作曲家になろう」と大学に進学したら、大学2年生のとき、知人の評論家の家で、初めてミニマル・ミュージックというものに出会ったんですよ。

Cocomi:
同じパターンの音を反復しながら、少しずつ変えていく現代音楽ですよね。アメリカ人のスティーブ・ライヒさんの楽曲などは、私も聴いたことがあります。

久石:
そうそう。僕が最初に聴いたのは、テリー・ライリーの「A Rainbow in Curved Air」という7拍子の曲だったんです。

Cocomi:
私も聴いたことがあります!

久石:
初めて聴いたとき、「こんな音楽があるのか」と、雷に打たれたようなショックを受けて。以降、20代はずっとミニマル・ミュージックの作曲をやっていました。

Cocomi:
その後、映画音楽の道へと進まれたのはなぜですか?

久石:
30歳のときに、「これ以上続けても、不毛だな」って思っちゃったんですよ。当時の現代音楽は理論と理屈にがんじがらめで、僕はそれがすごく嫌で。それで現代音楽とは決別し、エンターテインメントの世界に移りました。そして83年、僕が33歳のとき、宮崎駿さんから『風の谷のナウシカ』の映画音楽のお話をいただいたんですよ。

Cocomi:
ジブリ音楽などを多数手がける久石さんにとって、映画音楽とはどんな存在ですか? 私は、映画音楽のように、イメージや情景を描写するような物語性を感じる音楽が大好きなのですが。

久石:
映画のような物語につける音楽は、自分一人で作曲するのとは大きく違いますよね。一番の違いは、監督たちにインスパイアされ、化学反応が起きて、「自分一人だったら書かなかっただろう」と思うような曲が生まれる点。つまり、コラボレーションですよね。映画音楽は、自分の可能性を広げてくれました。

 

クラシック音楽は、古典だけど古典芸能じゃない。

Cocomi:
感覚的には、いろんな楽器で合奏するアンサンブルに近いのかもしれませんね。実は、私はアンサンブルで演奏するのが好きなんです。機会があれば、よく友達を誘って、いろんな楽器と合奏するようにしています。

久石:
それはいいことですね! アンサンブルで大切なのは、「人の音を聴く」ということだから。たとえば、同じ管楽器でも、音の出し方は違うから、何も考えずに一緒に音を出そうとすると、タイミングがどうしてもずれてしまう。合わせるためには、相手の音をしっかり聴いて、微調整を繰り返さないといけませんよね。そういう経験を重ねると、確実にご自身の音楽性が伸びていくと思いますよ。

Cocomi:
楽器によって、起きる反応が違うのがおもしろいです。個人的には、特にオーボエと一緒に合わせるのが楽しいですね。

久石:
ぜひ、オーボエとたくさん合奏してください! 僕自身もオーケストラの指揮をするとき、フルートとオーボエの呼吸がどのくらい合うかで、オーケストラの完成度が決まると感じているので。ちなみに、アンサンブルを演奏するならば、伝統を重視するドイツ音楽と、より自由度の高いフランス音楽と、どちらが好きですか?

Cocomi:
悩ましいですね。ドイツとフランスは、例えるなら盆栽と森のような違いがありますよね。一人ひとりの風がわかって、細かく微調整できる点では、私自身はフランスのほうが好きです。ただ、ドイツもかっこいいと思います。

久石:
「ドイツもかっこいい」って言えるのがかっこいいね(笑)。たしかにドイツは全体がカチッと決められていて、個々の表現というよりは、全体の中の一人として演奏する感じになりますからね。

Cocomi:
久石さんは、ドイツとフランスのどちらがお好きなんですか?

久石:
僕はどちらかというと、ドイツのほうが好きかな。少し変な言い方だけど、クラシック音楽は古典だけど、古典芸能ではないんです。古いものを型通りに続けるのが古典芸能だけど、クラシックの解釈は時代とともに変わる。たとえば、日本では「ブラームスは重い」と言われるけど、それは日本で昔から重々しい演奏をするからこそです。いま、僕がやっているのは、ベートーヴェンやブラームスを現代風に演奏すること。テンポが速いので「ロックのようだ」とも言われますが、誰かが新しいアプローチをしないと、クラシックは変わらない。だからこそ、より理論的に構築できるドイツのほうが好きなんです。

Cocomi:
私のように、まだまだ未熟な「音楽家の卵の卵」のような人間が言うのもおこがましいのですが、ときにスランプに陥ることもあります。久石さんは壁にぶつかったとき、どう対処されていますか?

久石:
作曲って、精神衛生上よい仕事ではないんですよ。「最低だ」と落ち込む日もあれば、「今日は調子がいいな」という日もある。毎日、その繰り返しなんです。

Cocomi:
久石さんのような方でも、そんなことが起こるんですね。

久石:
しかもそれが一日の中で何度も起きることがあるんです。先日も、今年9月にフランスのパリとストラスブールでやる予定だったシンフォニーに取り掛かっていたんです。4楽章中3楽章までは順調だったのが、途中から何一つ音符が浮かんでこなくなってしまって。そうすると、できない言い訳を探すんです。「書けないのはコンサートがパンデミックのために延期になったせいだ」とかね。

Cocomi:
私もまったく同じです。気持ちが乗らないときは、ついできない理由を探してしまいます。

久石:
結局、それが一番の問題なんですよね。その気持ちと戦って、自分をうまくなだめていかないといけない。多分、これを繰り返すことが苦しくなったときが、僕が作曲をやめるときだと思っています。しかも、この悩みって、実は僕が大学生の頃から変わってないんですよ。約50年間同じことを繰り返し、全然進歩していないんです(笑)。

Cocomi:
大学生の頃から……。まさに私も練習しなきゃいけないのに、「あ! 今日一回もやってないから、ゲームやろう」と逃避してしまいます。

久石:
すごくわかる! 僕も「一本くらい海外ドラマを観ようかな」と逃避してしまいます(笑)。

Cocomi:
何をご覧になるんですか?

久石:
いろいろ観ますよ。最近は『ウォーキング・デッド』をシーズン1からシーズン10まで、一気観しました。映像は昔から好きだから、映画もテレビもよく観ますね。Cocomiさんはゲームをやるんでしたっけ?

Cocomi:
私はアニメも大好きデスネ。ジブリ作品はもちろん、最近話題nなっていた『鬼滅の刃』まで、割とジャンルは幅広いです。

久石:
自分の専門外でも、いろいろなものに触れたほうがいいですよ。僕も作曲は毎日続けていますが、いつも「何かもう一個、別のことをやれないか」と思っているんです。だから、指揮者をやったり、映画の監督をやったりしている。メインの作曲ともう一つ何か別のことを一緒にやることで、自分のバランスを保っているんです。

Cocomi:
たしかにそうですね。「もう何もしたくない」とスランプに陥った後、放心状態になって、普段は自分が聴かないような音楽を聴いたり、音楽以外のコンテンツに触れたりして、いろいろとイメージを取り入れると、自然にモチベーションが回復していくことも多いです。

久石:
Cocomiさんもフルート吹きながら、もう一つ別のことをやってみてもいいかもしれませんね。あるいは、今日お話をしてみて、しっかりした方だという印象を受けたので、海外に行かれてみてはどうでしょうか?

Cocomi:
短期で学びに行ったことはあるのですが、まだ外国の演奏家の方と一緒に演奏をしたことはないんです。

久石:
音楽は世界言語だから、海外に行くのは客観的に日本を見るいいチャンスかもしれません。実はこの数年間、僕のコンサートの半数以上は海外公演です。外国人と一緒にやると思い通りにいかないことも多いんですが、日本でやるのとは違ったものが得られる。その経験が、自分の音楽のスケールを大きくしてくれると感じます。

 

対談の終盤、「もし、ご迷惑でなければ……」とCocomiが取り出したのは、愛用のフルートと、自身で手書きした久石譲の楽曲「Princess Mononoke」の譜面。「ご本人を前に演奏するなんて、震えてしまいます」と言いながらも、ひとたび彼女がフルートを構えると空気は一変。次の瞬間、スタジオ内に凛とした旋律が響き渡り、誰もがその音色に聴き入った。

演奏直後、真剣な眼差しで拍手をしながら、久石はこう呟いた。「すばらしい。僕はね、演奏家に会うと、毎回『何を一番大切にしていますか?』と必ず聞くんです。そうすると、みんな『自分の音』と答える。今日の演奏も、ご自分の音をすごく大切にしているのが伝わってくる、しっかりした良い音でした。今日は楽しかったです。いつか一緒に演奏しましょう」

その言葉を聞いた瞬間、無言のまま目もとを手で押さえたCocomi。憧れ続けた人物からかけられた一言に、彼女が何を思ったか。頬をつたう涙がすべてを物語っていた──。日本を代表する音楽家と若き才能の奇跡のコラボを私たちが目にする日が、いまから待ち遠しい。

 

TALKING MUSIC

自分の専門外でも、いろいろなものに触れたほうがいい。僕は、作曲ともう一つ別のことを常にやることで、バランスを保っているんです。
Joe Hisaishi

アンサンブルで演奏するのが好き。楽器によって、起きる反応が違うのがおもしろいんです。
Cocomi

(VOGUE JAPAN 2020年9月号 No.253より)

 

 

from 公式サイト:VOGUE JAPAN|9月号
https://www.vogue.co.jp/magazine/2020-9

 

from 撮影チーム公式SNS

 

 

 

Blog. 「久石譲、ベートーヴェンを振る!」コンサート プログラム 紹介

Posted on 2020/08/06

毎年夏開催「フェスタサマーミューザ KAWASAKI 2020」に久石譲が登場しました。「新日本フィルハーモニー交響楽団 ベートーヴェン生誕250年記念 久石譲、ベートーヴェンを振る!」公演です。

開催も危ぶまれるほどの状況下、座席数を制限してのホール鑑賞とインターネット有料映像配信によるハイブリッド開催という新しい試みです。コンサートに足運ぶことを待ち望んだ観客は、拍手喝采にわき、オンライン鑑賞は当日のライブ配信から一定期間アーカイブ配信視聴まで楽しめるという、新しいかたちです。

 

 

新日本フィルハーモニー交響楽団
ベートーヴェン生誕250年
久石譲、ベートーヴェンを振る!

[公演期間]  
2020/08/04

[公演回数]
1公演
ミューザ川崎シンフォニーホール

[編成]
指揮:久石譲
ヴァイオリン:豊嶋泰嗣(ソロ・コンサートマスター) *
コンサートマスター:崔文洙(ソロ・コンサートマスター)
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団

[曲目]
久石譲:Encounter for String Orchestra
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61 *
(カデンツァ:ベートーヴェン/久石譲)

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ベートーヴェン:交響曲 第7番 イ長調 作品92

[参考作品]

久石譲 千と千尋の神隠し 組曲 

 

 

当日会場でも配布された「プログラム・曲目解説」はPDFで閲覧・ダウンロードできます。

公式サイト:フェスタ サマーミューザKAWASAKI 2020|新日本フィルハーモニー交響楽団
https://www.kawasaki-sym-hall.jp/festa/calendar/detail.php?id=2702

 

 

「Encounter for String Orchestra」は、だまし絵で知られる版画家M.C.エッシャーの同名の作品に触発された楽曲。リズムは変拍子のアフタービートで刻まれ、ミニマル・ミュージックを原点に持つ久石ならではのもの。ピアノと弦楽四重奏のための作品を弦楽オーケストラのために自ら編曲。ミニマル・ミュージックと、弦楽オーケストラならではの抒情的感性とが絡み合い、それぞれの特性が浮かび上がる。

「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調」 今回、演奏されるヴァイオリン協奏曲のカデンツァは、そのピアノ協奏曲に編曲する際にベートーヴェン自身が作ったカデンツァをもとに久石譲が再構築したものだ。編曲者によって途中がカットされている版がほとんどだが、久石はそれをせずにベートーヴェンのオリジナルと同じ長さに仕上げた。まさに世界で唯一の完全版で、今回の演奏会が初のお披露目になる。

(プログラムより 一部抜粋)

 

 

 

アーカイブ動画は、《公演を1000円で、8月31日まで、たっぷり3時間、いつでも何度でも、ゆっくり視聴OK》となっています。

内容
久石譲インタビュー
室内楽コンサート
公演
首席ファゴット奏者 河村幹子インタビュー
テレワーク動画「さんぽ」

 

これからますますふえていく、コンサート動画配信、いち早く楽しんでみてください。

公式サイト:TIGET|新日本フィルハーモニー交響楽団 久石譲
https://tiget.net/tours/summermuza20200804

 

 

ここからは映像配信の内容をベースとしながら、ご紹介します。

 

指揮者 久石譲インタビュー (約7分)

外出が出来ない時期は何をされていましたか?

久石:
「この5ヶ月間、僕がやっていたのは、ほとんどほんとに家にいたんですけれども、週3回オンラインで英語のレッスンを受け、それから新しいシンフォニーを書く、それからちょっとエンターテインメントのお仕事とか、ほとんどもう作曲に集中して、できるだけ規則正しい生活を、ミニマルの生活と言いますか、それをずっと一生懸命やっていました。」

 

演奏曲目について
見どころ聴きどころ

久石:
「今回演奏するのは、1曲目に僕の「Encounter」というストリング・オーケストラの曲、これが約7分ちょっとでしょうかね、とてもリズム難しいんですけれども、その現代曲をやって。」

「それからベートーヴェンのヴァイオリン・コンチェルト(協奏曲)をやります。このコンチェルトに関しては、ソリストの豊嶋(泰嗣)さんから依頼があって、カデンツァを僕が全部作りました。ただこの場合、新しいフレーズを自分が書くにはちょっとおこがましいので。ベートーヴェン自身がヴァイオリン・コンチェルトをピアノ・コンチェルトに直しました。そのとき初めて本人がカデンツァを書いたんですね。ヴァイオリン・コンチェルトのときは書いてないんですが、ピアノコンチェルトに直したときにカデンツァを書いたんです、かなり長大なカデンツァ。これをベースに作った。それで、普通はピアノ・コンチェルトなので途中いろんなところをカットされるんですが、僕はもう今回はベートーヴェンが書いたとおりのものを、(ソリストと)もうひとりヴァイオリンとチェロとティンパニ、こういうかたちで、いわゆる完璧バージョンとして作り直しました。それから、豊嶋さん自体がですね、15万円ぐらいするのかなあ、なんかわからないけど、自筆のベートーヴェン譜を昔買って、それを徹底的に調べて、通常やってるフレーズとは随分違うフレーズでやってるんで、今回はとてもその、何度も聴いてるかもしれませんけれども、随分違ったベートーヴェンのヴァイオリン・コンチェルトになると思います。これはもうほんとに今回初めて聴ける、ほんとのオリジナル完全バージョンということになると思います。」

 

9月1日から新日本フィルハーモニー交響楽団のComposer in residence and Music Partnerに就任

久石:
「今までワールド・ドリーム・オーケストラという、僕と新日本フィルのプロジェクトとして音楽監督やってたんですけれども、今回のコンポーザー・イン・レジデンスになりますと、このオーケストラのために現代曲として作品としてきちんと作曲をし、それからミュージック・パートナーとしても、どちらかというと今度は演奏する側に自分もまわって、きちんと一緒に音楽を作っていく。なにかいろいろなことがあったら相談にのるし、できるだけ一緒にこういう方向に進もうよということを積極的にクラシックの分野でも一緒にやっていこうということになるわけですね。ですから、とても光栄ですし、逆に大変緊張もしています。」

「あと、わりと海外からも委嘱がすごく多いんです。ですから、やはりもともとミニマルをベースにした作曲家だったわけなので、それをこれからは真剣にやりたい。そして、いろいろこうやって新日本フィルさんともその新作を一緒に演っていきたい、そういうふうに思っています。」

 

久石譲さんにとって新日本フィルは○○なオーケストラ?

久石:
「オーケストラというものを一から教えてもらったのが新日本フィルなんですね。たとえば、リハーサルのやりかた、それからオーケストラの人たちが何を大切にしているか、というのをかれこれ30年一緒に仕事をしています。それで、折に触れそういうことを教わってきて、自分が今オーケストラの曲を書いたり、オーケストラを指揮する、それはすべて新日本フィルから教わったことなんですね。だから僕にとっては、ここはほんとにホームグラウンドなんですね。ホームグラウンドで、しかもとても品のある上品な心に訴えてくるサウンドといいますか音と、それからワールド・ドリーム・オーケストラなんかで、僕のミニマル・ミュージックとか随分演ってますので、とても現代性も持っている。そういう長所を、それともちろん、小澤(征爾)さんたちがずっと培ってきたクラシックの非常に伝統的な、その両方をこなせるすごくいいオーケストラなので、恩返しもふくめて、そういう長所を伸ばして一緒にやっていく、そういうオーケストラを目指したいと思っています。」

 

配信をご覧になっている皆さまへ
メッセージをお願いします

久石:
「こういう非常に厳しい状況ですが、我々音楽をやっている人間は、やっぱり音を出す、それがやっぱり命です。今回、新日本フィルハーモニー交響楽団の皆さんも、みんなほんとに燃えてます。ぜひその一生懸命やっているひたむきな演奏を楽しんでください。」

(動画より書き起こし)

 

 

室内楽コンサート

ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲 第8番

【出演】
ヴァイオリン:崔文洙、ビルマン聡平
ヴィオラ:篠﨑友美
チェロ:植木昭雄

 

本演前の室内楽コンサートといえば、ふつうはロビーコンサートやウェルカムコンサートなどのような、軽い装いのプログラムと雰囲気をイメージしますが、ステージでの演奏は張り詰めた緊張感がひしひし伝わる迫真の演奏でした。この作品は、”反ファシズムと第2次大戦で亡くなられた方々への哀歌として作曲されたもので、コロナ禍の犠牲になられた方々へ捧げられました。”と紹介されています。コンサートマスターが演奏に入っていることからも、その本気度・本格度が伝わってきます。

 

from ミューザ川崎シンフォニーホール 公式ツイッター
@summer_muza

 

 

プログラム
久石譲:Encounter for String Orchestra
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61 *
(カデンツァ:ベートーヴェン/久石譲)

—-intermission—-

ベートーヴェン:交響曲 第7番 イ長調 作品92

 

コンサート動画配信は、多数のカメラアングルと、臨場感のあるサウンドです。ライブ配信時の映像と音響をそのままアーカイブ配信していますが、編集や修正の必要のないくらい素晴らしいライブ・クオリティです。

「Backstage Special View」、舞台袖に設置されたカメラで、舞台袖から登場する指揮者や奏者、カーテンコールで出たり入ったりする指揮者やソリストの様子まで。普段のホール客席からは見ることのできない貴重な機会と、本企画ならではの楽しみ方に感謝です。

新日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターが二人も同じステージに上がる公演、なかなかない贅沢さだと思います。弦編成は12~10~8~6~6の対向配置と、一般的な弦12型よりも低弦が厚くなっていて(これは久石譲の編成特徴)、ダイナミックなサウンドです。ティンパニは、「ヴァイオリン協奏曲」と「交響曲 第7番」とで使用している種類が違います。(久石譲FOCは本公演「交響曲 第7番」で使用している種類と同じで、また木の撥を使うのも同じじゃないかなと思います。乾いた跳ねるような音質が特徴的です。)オーボエはベテランの方でしょうか、オーケストラのチューニング時はオーボエのラ音に合わせるのですが、そのときに音叉を耳に当てていらっしゃるのが印象的です。また演奏中、オーボエのふとしたフレーズで指揮者久石譲やソリスト豊嶋泰嗣の表情が一瞬ゆるんだり、空気がそこでふわっと変わったり明るくなったり、ちょっとペースを整えたりと。そんな見えない安定感や信頼感といったものが伝わってきました。長年一緒にやっている大御所の方でしょうか。

このように、見れば見るほど、聴けば聴くほどに、新しい発見やおもしろさがありそうです。動画配信ならではの楽しみ方です。

 

お客さんの数は、いつもより少ないはずなのに。カーテンコール、鳴りやまない拍手喝采に、着替えかけのTシャツ姿の久石譲が再登場。豊嶋泰嗣さん、崔文洙さん、コンサートマスターお二人も現れ、客席へ応えている笑顔は、このコンサートの成功を映しているようでした。

 

公演風景の写真を2枚お借りしました。(計4枚中)

from ミューザ川崎シンフォニーホール 公式ツイッター
@summer_muza
https://twitter.com/summer_muza/status/1290596877428088832

 

 

また主催者オフィシャルブログでも公演の様子と観客感想が紹介されています。ぜひご覧ください。

公式サイト:ミューザ川崎シンフォニーホール|オフィシャルブログ|8/5日 第11号
https://www.kawasaki-sym-hall.jp/blog/?p=13230

 

 

まだ間に合う!

アーカイブ動画は、《公演を1000円で、8月31日まで、たっぷり3時間、いつでも何度でも、ゆっくり視聴OK》となっています。

 

内容
久石譲インタビュー
室内楽コンサート
公演
首席ファゴット奏者 河村幹子インタビュー
テレワーク動画「さんぽ」

公式サイト:TIGET|新日本フィルハーモニー交響楽団 久石譲
https://tiget.net/tours/summermuza20200804