Blog. 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2018」BS日テレTV放送 レビュー 【1/19 Update!!】

Posted on 2019/01/07,13

2018年夏開催「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2018」コンサートツアー(W.D.O.2018)が2019年元旦BS日テレにてTV放送されました。

ABプログラム国内・海外全10公演のなかから8月20日東京・サントリーホール(Bプログラム)公演を完全収録&アンコールふくむ完全版放送、宮崎駿監督の楽曲を交響組曲にするプロジェクト第4弾「千と千尋の神隠し」など名曲を演奏!です。

 

久石譲 ワールド・ドリーム・オーケストラ
BS日テレ
2019年1月1日(火)19:00~20:54

【PROGRAM B】 All Music by Joe Hisaishi
[Minima_Rhythm]
Links
Encounter
DA・MA・SHI・絵

Symphonic Fantasy “The Tale of the Princess Kaguya” /交響幻想曲「かぐや姫の物語」

—-intermission—-

[Melodies]
Dream More
The Path of the Wind 2018 *改訂初演
Kiki’s Delivery Service 2018 *改訂初演

Spirited Away Suite /「千と千尋の神隠し」組曲 *世界初演
Original Orchestration by Joe Hisaishi
Orchestration by Chad Cannon

—-encore—-
Le Petit Poucet
World Dreams

指揮・ピアノ:久石譲
管弦楽:新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ

 

 

 

コンサート・レポートにてホールで体感した感想やCD収録作品、久石譲によるプログラムノートはご紹介しています。

 

ここではなるべく重複をさけ、TV放送鑑賞で気づいたこと思ったことを記します。もし録画した人、何回も繰り返して楽しむ人、これから観る人の、楽しみ方のひとつになったらうれしいです。

 

 

Links

『Minima_Rhythm ミニマリズム』(2009)CD収録のロンドン交響楽団とのレコーディングは弦14型2管編成です。これはおそらくオーケストラの編成規模としては標準だと思います。そしてW.D.O.編成もおそらく大きくは変わりません。専門的に詳しくないので自信はないです。

ここで目と耳で注目したのはオーケストラの楽器配置です。近年久石譲はコンサートでもレコーディングでもほとんど対向配置というフォーマットで臨んでいます。ベートーヴェンをはじめクラシック古典派時代でも主流だったものです。この配置のメリットのひとつに、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが対称に位置すること。

対向配置(右側)と通常配置(左側)

 

久石譲が近年推し進める現代的なアプローチ、ソリッドな響きの追求。これに関しては深掘りできなくても、『Minima_Rhythm』CD収録の「Links」と本公演は楽器配置が明らかに異なります。

第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが並んで位置する、コントラバスや金管低音チューバなどがまとめて右側から聴こえるCD盤と、対向配置の音響が見事に録音されているW.D.O.2018ライヴ版(TV音源)は、それだけでもまったく印象が変わってきます。高音から低音まで左右で拮抗するさま、複雑に交錯する緻密なオーケストレーション、久石譲という作曲家のスコアを余すところなく発揮できる楽器配置。

久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 楽器編成と楽器配置

 

第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンは左右対称に位置し、弦低音コントラバスは左、金管低音チューバは右。

 

このイメージをもってCDとTV放送聴き比べてみてください。たくさんの発見があると思います。久石譲の精密なオーケストレーションが、ミニマル手法の醍醐味が、立体的な音空間として響いているのはW.D.O.2018版です。これだけでも聴いていて震える!泣くほどうれしい!

 

このカットは「Links」クライマックス(ラスト1分くらい)です。

ここでも映像と音響はまさにリンクしていて、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが激しく交錯するミニマル・フレーズが、螺旋のようにスパイラルでぐるぐる回るような音空間として聴くことができます。「Links」という作品は、発表時から完成度高く、耳ですぐわかるほどの改訂やオーケストレーション修正なく今現在まで君臨していると思います。楽器配置のことを知らなかったら、あれ少し変更したのかな?と勘違いしてしまうこともあるかもしません。また逆にいうと、楽器配置やアプローチを変えるだけでも、ここまで新しい輝きを放つ作品です。

 

CD盤ベースにラスト1分!

もっというとラスト47秒!

とにかく騙されたと思って聴いてみてください!

 

第1・第2ヴァイオリンが左側からまとめて聴こえ、トランペットらが右側、コントラバスとチューバの同じ低音フレーズも右側で聴こえるCD。第1・第2ヴァイオリンが左右で交錯し、トランペットらは中央寄り、コントラバスとチューバは土台を支えるように同じ低音フレーズを左右から拮抗するTV。

ほかにも聴きどころはいっぱいあって、指揮者正面に位置するピッコロ・フルートの高音をはじめとした木管楽器たちも、少し奥まって控えめに聴こえるCD盤と、よりクリアにまっすぐ伸びているW.D.O.2018版。CDよりも約30秒テンポアップしている躍動感と高揚感。すべての楽器とすべてのパートを活かしきったまさにフルオーケストラの「Links」。

このW.D.O.2018パフォーマンスがTV放送を経てCDLive音源としてパッケージ化してくれた日には、CDに特化した音質向上も期待できます。さらに涙モノの「Links」完全燃焼になること間違いなしです。

 

Encounter

弦楽オーケストラの作品は、すべて同じ種類の音色として高音・低音の差こそあれ、耳だけでは聴き分けにくいものです。映像を見ながら聴けることで、今鳴っているのは、ヴァイオリンなのか、ヴィオラなのか、そういったことにも気づくことができます。また弦のフレージングやピッツィカート、様々な奏法を駆使して彩り豊かなストリングス(弦楽)の世界を構築していることに触れることができます。

特に僕のような初心者には耳だけではヴァイオリンとヴィオラの区別もつかないので、映像でスコアを追うようにヴィオラパートをクローズアップして映してくれるだけでも感激です。あっ、ここヴィオラが弾いてるんだと。ステージ向かって左からコントラバス(低音)、第1ヴァイオリン(高音)、チェロ(中低音)、ヴィオラ(中高音)、第2ヴァイオリン(高音)です。これまたオーケストラ楽器配置が通常であれば、左から第1ヴァイオリン(高音)~右はコントラバス(低音)と音の高さが一本に流れてしまいます。対向配置を採用しているからこそ、この作品でも音がくっきり飛び交う持ち味を堪能できます。久石譲=対向配置と覚えてください。それは演奏会のパフォーマンスだけではなく、創作活動のときから対向配置を念頭に作曲・オーケストレーションされているということです。

 

DA・MA・SHI・絵

「Links」と同じような発見や聴き比べができると思います。

また、ミニマル・ミュージックというのは永遠に均等に流れてしまいがちですが、久石譲の指揮で繊細に音の強弱がコントロールされている様子、次のパート・次の展開に移る前の切り替わる小節のところで、身をかがめ口に手を当て、オーケストラの音を小さくする表現なども見れるのが映像の貴重さです。ミニマルのズレ、音色の変化、パート展開だけでなく、約7~8分間のミニマル・ミュージックを飽きさせることなく聴かせてしまう指揮者久石譲の手腕です。

 

コンサートで体感してとても印象的だった、転調するタイミングの金管楽器ロングトーンの長さ。CD盤1:35~のところなど3小節分ですが、W.D.O.2018版はそこから1小節さらに長く音を伸ばしている。そして映像もここまで伸ばしていますよ、という金管アングルで終わっている。とても作り込まれた編集やさしい編集だと思います。(CD盤3:13~、5:02~のロングトーンも同じ)

 

「Links」との繰り返しになってしまうので具体例は置いておいて、楽器配置からくる響きの違いだけでもたくさんの発見がある作品です。同じようにラスト40秒あたりでCD盤にはない第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの基本音型の左右対称もはっきり聴くことができますし、クリアになった木管楽器たち。CD盤のトランペットをはじめとした金管楽器の際立った咆哮よりも、全体からみて俯瞰的なミニマル表現、バランスのとれたW.D.O.版。オーケストラの特徴もあるでしょうが、鳴りのいいロンドン交響楽団と、精巧で緻密なきっちりリズムをとれる久石譲&新日本フィル。楽しい聴き比べです。

(CD盤4:07~4:17箇所もTV版では第1・第2Vnの基本音型が左右から聴こえ、ミニマルのズレがはっきりわかる楽しさ。テンポが違うのでタイム箇所はCDとTV異なる。)

 

交響幻想曲「かぐや姫の物語」

交響組曲化されたのが2014年ということでわりと新しい作品です。『WORKS IV -Dream of W.D.O.-』(2014)CD収録と音楽構成は同じです。それでも、たとえば「月の不思議」パートの弦楽器による複雑に入りくんだ現代的な響きは補強されていて、より神秘的で幻想的な印象を与えています。弦楽器の奏法や弓のこすり方で音階ともいえない効果音のような独特の響きを醸し出していますが、どの楽器かなあ、チェロかなあ、そんなところに釘付けになってしまいます。

同じオーケストラなのにとても日本的な響きに満ち溢れたこの作品。チェレスタやハープといった打楽器群と多彩なパーカッション群がエッセンスになっていること、そこへ弦楽ピッツィカートが幾重にも織りかさなること。「天人の音楽」パートをじっくり鑑賞するだけでも見どころ聴きどころいっぱいです。SEも大幅に追加され、コンサートでも巧みな操作と音量バランスでお迎えにきた天人たちのSEが会場に鳴り響いていました。日本人が聴いてももちろん胸いっぱいになるこの作品、もしこのTV放送を欧米はじめ世界各国のファンが観た日には、さらに”THIS IS JAPAN!”興奮するだろうなあと改めて再認識させられました。そこには尺八もない、琴もない、西洋オーケストラ楽器で奏でる日本の世界。”That’s Great!” “Very Cool!”の嵐でしょうね。

 

Dream More

メロディの酔いしれるような甘さとは裏腹に、実はかなり高度なことを要求されている作品。久石譲のメロディとリズミックな現代的アプローチが絶妙なバランスで構築されている一曲。W.D.O.コンサートでも定番となっていて『The End of the World』(2016)にライヴ音源CD収録されていますが、年々テンポがあがっている。CD盤とW.D.O.2018TV版は約1分間も違う。ここには、よりソリッドにいきたい久石譲と培われた信頼関係でついていけるオーケストラあってこそ。高度な技術を、いとも涼しげに優雅に華やかに酔わせてくれるW.D.O.です。

久石譲の言葉を借りれば「メロディはシンプルでもリズムやハーモニーなどのアレンジは、自分が持っている能力や技術を駆使してできるだけ複雑なものを作る。表面はシンプルで分かりやすいんだけど、水面下は白鳥みたいにバタバタしてるんです」(折に触れて語られる話でこの楽曲についてのインタビューではありません)。この表現に尽きます。

 

The Path of the Wind 2018

これまでにもピアノ&ヴァイオリンのデュオ版はコンサート演奏されてきた名曲「風のとおり道」です。W.D.O.コンサートでは、不動のコンサートマスター豊嶋泰嗣さんのヴァイオリンをフィーチャーする楽曲が必ずプログラミングされています。今年はこの曲です。

2018ヴァージョンは、ピアノ&ヴァイオリンを主役にバッグで弦楽オーケストラが包みこむ芸術の域。中盤以降盛り上がるパートでのストリングスの交錯は、まるで大きなクスの木が風で揺れている音そのもののよう。実は、このパート「オーケストラストーリーズ となりのトトロ」改訂版、TV「読響シンフォニックライブ」(2013)で披露されたオーケストレーションを継承しています。もちろん管楽器も鳴っていますが、この2018版ではそこから弦楽器だけが鮮明に浮かびあがっています。動画サイトにもあったような…がんばって探してみてください。ナレーションは樹木希林さんです。『オーケストラストーリーズ となりのトトロ』(2002)CD発表時には施されていないオーケストレーション。「となりのトトロ組曲」も着実に進化しています。久石譲の弾き振り(ピアノを弾きながら指揮もする)姿も堪能できるコーナーです。

 

Kiki’s Delivery Service 2018

華やかにドレスアップした「海の見える街」2018ヴァージョン。クラシカルなオーケストラを基調としながらも、前半パートはグロッケンシュピールやピアノをブレンドしキラキラ感増す輝き。後半パートはゴージャスなホーンセクションがなんといってもアクセント。カスタネット、タンバリン、シンバルらのリズムも大きくスウィング。ヨーロッパとアメリカ・サンフランシスコをごちゃまぜにしたような魅力的な街コリコ。音楽もスパニッシュ・地中海とジャジーさをブレンドしたような心躍る世界。架空なはずの街が、あるかもしれないあってほしいリアルな街へと浮かびあがる。こう想いめぐらせると、今回のヴァージョンアップは、久石譲の進化と納得が強いように思え、感動して震える。あまりにも曲のイメージが確立し愛されている曲、同じ曲でしょ?と変わった感じのしない第一印象かもしれませんが、いやいや、『WORKS IV -Dream of W.D.O.-』(2014)と並べて聴くと心躍りますよ。

 

Spirited Away Suite /「千と千尋の神隠し」組曲

映画に使われた主要な楽曲、印象的なシーンに使われた楽曲たちを贅沢に組曲化した「千と千尋の神隠し」完全版。久石譲のピアノ曲からエスニック、ガムラン、バリ島の音楽、沖縄民謡、中近東やアフリカにわたるいろいろな素材や楽器をごった煮することで、広がりあるファンタジーの世界を築きあげていた同作品およびサウンドトラック。組曲化に際しても映画のストーリーにそって、めまぐるしく変わる展開、統一感をあえて嫌うようなバリエーション豊かな音楽たちは、底知れないパワーを秘めています。

一番注目したいのは、フルオーケストラをベースとしながらも、シンセサイザー、民族楽器、民族パーカッション、サンプリングヴォイスなど、音色的にも多彩なバリエーションによって構成していたサウンドトラック盤。これらがフルオーケストラのみでなんの遜色もなく再現されていること自体に驚きです。聴いていてなにか物足りない、サントラには敵わないなという印象はなく、圧巻のオーケストラ・フルスペック。僕が言いたいのはこれに尽きます。

音楽構成は「あの夏へ」「夜来る」「神さま達」「湯屋の朝」「底なし穴」「竜の少年」「カオナシ」「6番目の駅」「ふたたび」「帰る家」全10曲おしみなくオールハイライト。もともとサウンドトラック盤は感覚値で7:3か8:2のオーケストラ:シンセサイザー比率、またスタジオ録音ではなくコンサートホール録音を採用していたこともあって、全体的な響きもこのコンサート版と近い印象あります。

それでもたとえば「カオナシ」パート。狂乱に満ちたスリリングな楽曲で活躍しているのが、タイゴングという音程のある銅鑼の仲間。これ、ずっと名前がわからなくて触れることができなかったのですが、久石譲作品では新しいところでも『Deep Ocean』などでも登場している特徴的な楽器です。

 

これはW.D.O.2018ツアー期間中、新日本フィル公式SNSにアップされていた舞台裏写真。銅鑼ごとに音程があり音名がふられていることがわかります。「d」は「レ」、「f」は「ファ」というように。

 

このパートだけでも大きな銅鑼、大太鼓、ティンパニ、スネア、シンバルら多彩なパーカッションを総動員し、シンバルの閉じた叩き方で効果音のようになっていたり、スティックを叩いたり、打楽器のいろいろな箇所を叩いて豊かな表現をしています。マリンバ奏者は「Music Future コンサート・シリーズ」などもふくめ久石譲作品には欠かせない和田三世さん。オーケストラ演奏会は、ベースとなる楽団奏者のほかにプログラムやプラスアルファされる楽器に合わせた客演奏者も招かれて、はじめてみんなで音楽を作りあげます。マリンバのような打楽器は久石譲音楽の要です、W.D.O.音楽監督を務める久石譲の人選によるところはもちろんでしょう。

シンセサイザーであれば簡単に効果音やそれらしい音色を選べば世界観が築けてしまうところ。それをオーケストラで構築していることに大きな価値があるように思います。オーケストラで表現できる音楽というのは、楽器を選ばない、場所を選ばない、国を選ばない、時代を選ばない。

「カオナシ」という組曲のひとつのパートをチョイスするだけでもたくさんの発見と楽しさがつまっています。食い入るように見聴きしてしまいます。ぜひ「千と千尋の神隠し」の好きな曲、好きなシーンの音楽からサウンドトラック盤と組曲版楽しんでください。コンサートレポートでも少し書きましたが改めてTV放送を見て。「千と千尋の神隠し」音楽は、西洋オーケストラ楽器で表現しうる東洋ファンタジー音楽の金字塔。そう強く思います。

 

 

2019.1.19 Update!!

タイゴングについて。『Deep Ocean』音楽にも使われていると記していましたが、これについてご指摘いただきました。『Deep Ocean』は音程が割り振られたカウベル(Tuned Cowbell)ではないか。たしかに過去の久石譲インタビュー動画でのレコーディング風景カットを見ても、そこにはタイゴングは見当たらずカウベルでした。もうひとつはW.D.O.2017韓国公演(Deep Oceanプログラム公演)での舞台裏写真より。タイゴングほど重くない神秘的で幻想的な軽い響き。ありがとうございます。

(2019.1.19 Update ここまで)

 

 

Le Petit Poucet

2001年フランス映画『Le Petit Poucet』(邦題:プセの冒険 真紅の魔法靴)からメインテーマです。サウンドトラック盤からメインテーマ(Track.2とTrack.17)をつなげて再構成したような演奏会用作品になっています。久石譲の美しいメロディと異国情緒あふれるハーモニーのこの楽曲は、「千と千尋の神隠し」と同年作品でもあります。映画を知らなくても、曲を初めて聴いても、一瞬でハートを射抜かれてしまう旋律。切ない、温かい、懐かしい、聴く人それぞれの胸の奥に静かに眠っていたなにかが鼓動を始めるようです。コンサート後のSNSでもこの曲への質問や興味で賑わっていました。これからのコンサートでも再登場しうる可能性をつかんだ、ひっぱり出された名曲です。

 

World Dreams

「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ」コンサートに行けば必ず聴くことができる曲、W.D.O.コンサートのテーマ曲ともいえる大切な一曲です。この作品については、毎年のW.D.O.コンサートレポートごとに、ありったけの想いを綴っていますので割愛します。反対側から見れば、どれだけ素晴らしい名曲であったとしても、新日本フィルとのプロジェクト、このW.D.O.コンサートでしか聴くことのできない宝物。それは日本国内でも海外公演でも同じ。だからこそ世界へ羽ばたくW.D.O.コンサートが熱望される。2016年は台湾で、2017年は韓国で、2018年は中国で。CDでしか聴くことができなかったW.D.O.のアンセムが、オーケストラごと海を渡ってオリジナル披露される。十年来待ちわびた感動は言葉にできない。そんなことを想い巡らせながら聴いているとより深い感慨に包まれます。

 

 

 

以前、コンサートができるまでの舞台裏を綴った本「オーケストラ解体新書 読売日本交響楽団 編」を読んだことがあります。そのレビューのなかでこんな感想を記していました。

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番組ディレクターの仕事項では、TV番組「読響シンフォニックライブ」の制作舞台裏が紹介されています。収録会場には、プロデューサー、ディレクター、構成作家、カメラ、音声、照明など約50人ものスタッフが会場入りするそうです。カメラも通常6台、ピアニストの手元をアップで撮る時などはさらに1台追加、中継車2台。また事前に公演曲のスコアを用意し参考CDを聴きながらカメラのカット割りを決めておく。そうやって収録台本をつくってゲネプロ(当日リハーサル)から本番に臨む。どんなに入念に準備しても、イメージと違っていたり想定外のことも起こるため収録現場は戦場とあります。さらには、初演作品など事前に参考音源がない場合は、ゲネプロを聴いて大幅にカット割りを手直し、本番までの短時間で修正と再度指示を出す…はぁ、すごい。やりなおしがきかない本番だけに、緊張感の張りつめた舞台裏だろうなあと想像すると。その音楽や映像だけに純粋に聴き入り、パーソナルスペースでリラックスして楽しむことができている、そんな視聴者として感謝の気持ちでいっぱいです。
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Overtone.第16回 「オーケストラ解体新書 読売日本交響楽団 編」を読む より抜粋)

 

久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラのコンサートができるまでの物語も同じです。今回BS日テレが放送してくれることは、TV放送を念頭にコンサート準備段階からコンサート当日まで多くのプロフェッショナルたちが携わりその技術手腕を発揮してくれたからこそ、こうやって素晴らしいコンサート映像を楽しむことができます。

コンサートを映像で見れること、それはスコアの見える化です。仮に少しくらい映像が荒かったとしても音質がCDクオリティに敵わないとしても、十二分に価値のある記録です。もちろん久石譲はTV放送の音楽監修として関わっていると思います。TV放送エンドクレジットには今回【音楽監修:久石譲】のテロップはなく最小限のクレジット紹介でしたけれど。

でも、チェック&Goサインはきっと出している。そのくらい今回の「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2018」TV放送は音質クオリティが高かった。そしてパート譜を視覚化したような緻密なテレビアングルを見ると、ここにも綿密に関わっているのかなと思ってしまうほど。ここはこの楽器をフィーチャーしてほしいとか、耳では聴こえにくいけどここでこの楽器重要なことやってるからとか。そんなことまで推測してしまうほどの映像&音楽ともに最高品質!永久保存版です!

 

 

最後に。コンサートで体感した観客は感動の再会、コンサートに行けなかった人は疑似体験、次はぜひコンサートに行きたいと思うファン、TV放送がきっかけで誕生する新しいファン。そして音源や映像として記録に残ることで初めて発見できること楽しめること。

コンサートを軸に活動すること、コンサートでの一期一会の音楽こそ”音楽になる瞬間・音楽を共感する瞬間”である。これはとても大切です。だから、コンサートを経てTV放送やCD音源化がセット当たり前とは言いませんし言えません。でも、実際に現代社会のメディアをみわたせば、TV放送やCD化によって歓喜にぎわうSNSはじめとしたファンのリアクションと広がり。ひとつのコンサートが、ひとつの音楽が、大きな循環となることで記録され記憶に残り、予想を超えた未来が待っているかもしれない。欲しがるファンと言われても、久石譲音楽を遺していく流れをこれからも心から楽しみに期待しています。「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ」BS日テレTV放送、心からありがとうございました!

 

 

もっとくわしくW.D.O.2018♪

 

 

Blog. NHK FM「現代の音楽 21世紀の様相 ▽作曲家・久石譲を迎えて」 番組内容 【1/13 Update!!】

Posted on 2018/01/06,13

NHKFMラジオ番組「現代の音楽」に久石譲がゲスト出演しました。ナビゲーターは作曲家の西村朗。作曲家同士の貴重なトークも必聴。新年2週連続放送です。

 

NHK-FM「現代の音楽」

1月6日(日)午前8時10分~ 午前9時00分
現代の音楽 21世紀の様相 ▽作曲家・久石譲を迎えて(1)

1月13日(日)午前8時10分~ 午前9時00分
現代の音楽 21世紀の様相 ▽作曲家・久石譲を迎えて(2)

ナビゲーター:西村朗
ゲスト:久石譲

 

【番組概要】

「現代の音楽」は、作曲家・西村朗さんの分かりやすい解説で現代音楽の魅力を紹介しています。難解と思われがちな“現代音楽”。でも扉を開けば、想像を超える面白さ、本能を揺さぶられる 何かが発見できるはず。作曲家・西村朗さんと未知の世界を冒険して下さい。

1月6日、13日は現代音楽の“いま”をさまざまな視点から紹介するシリーズ「21世紀の様相」。2019年最初の放送では、クラシックファンのみならずその名を広く知られた作曲家、久石譲(ひさいし・じょう)をゲストにお迎えします。宮崎駿監督作品や北野武監督作品の映画音楽で知られる久石氏ですが、その原点は武満徹や黛俊郎、シュトックハウゼン等の作品を分析し、ミニマルミュージックに関心を持つ「現代音楽の作曲家」です。幅広く活躍する久石氏の中に深く存在し続ける現代音楽への関心や愛情を、西村朗氏が本音トークで引き出し、あらためて「現代音楽の作曲家」久石譲の魅力に迫ります。

 

 

番組トーク内容やオンエア楽曲をご紹介します。

とてもディープなトークで期待どおりでした。久石譲オリジナル作品を聴くヒントや学びもいっぱい。久石譲の今がつまった対談は、技法や方向性など作曲家同士だから踏み込める貴重な内容。近年の傾向を振り返る手引きにもなって作品を聴き返すきっかけにもなります。これから先を予想する楽しみももらえたまさに新春にふさわしい充実したラジオ番組。

 

 

◇1月6日 現代の音楽 21世紀の様相 ▽作曲家・久石譲を迎えて(1)

西村:
「久石さん、お忙しいなかお越しいただきありがとうございます。この「現代の音楽」にご登場されるのは初めてですね。ときどきお聞きになってましたか?」

久石:
「はい、聞いてますよ。」

西村:
「あの、奥様がよくお聞きいただいて、メールいただいたりして(笑)。とてもうれしいです。」

久石:
「はい、毎週聞いてるようです(笑)。「あの曲知ってる?」とかね、晩ごはんの時よく聞かれまして。「あ、それは知ってる」とかね。「これいいわよ」とかっていろいろ言われます。どうもその情報源はこの番組らしいです(笑)。」

西村:
「あっそうですか。それはそれは光栄でございます。」

西村:
「今日はあらためて久石さんをご紹介するまでもないんですけども、国立音楽大学で作曲を専攻されて、もうその頃から現代音楽のひとつのジャンルというか方向性というか、ミニマル・ミュージックにご関心をお持ちになったということですが、これかなり早いかもしれませんね。」

久石:
「そうですね。ちょっと不確かなんですが、大学の後半ぐらいの時に知り合いの作曲家からテリー・ライリーの「A Rainbow In Curved Air」っていうあの7拍子のねえ、あれを聞かされてもうすごくショックだったんですよ。「えっ、これが音楽なの?これが現代音楽か?」ってすごく思いましたね。で、3日間ぐらい寝込んだんじゃないかな。なぜなら、それまではシュトックハウゼンとかクセナキスとかそういうものばっかり、特に好きだったのはイタリアのルイジ・ノーノとかね、あちらだったんですよ。ですから、それでこういう調性もある、リズムもある、これが現代の音楽かというのですごくショックで。それがきっかけでしたね。」

西村:
「色彩とね、躍動感というかリズムというか、ございますもんね。そうすると、ある程度現代音楽に対して、終わってんじゃないみたいなところから、新たな風が吹いてきたというような新鮮な驚きがおありになったということですかね。」

久石:
「ありましたね。どちらかというと、毎日不協和音でいかに半音ぶつけてというかね、大量の音符を処理するというか、そういうようなことに費やしてたんで、そのときに全く違う価値観の音楽が出てきた。しかもそこにはまだハーモニーもある、リズムもあると。なんかその辺で「あっ、こういう音楽があるなら自分にとってはある意味で楽なんじゃないか」というか、そういう気持ちありましたね。」

西村:
「なるほど。まあ要素だけを別々に取り出すとね、なんか音楽は昔に戻ちゃったんじゃないかという見方が成り立たないわけでもないんですけど、新鮮な驚きというのは、調性感であるとか旋法性であるとかリズムとかっていうものを活かしながらも、新しさそういう魅力というものをお感じになったということだと思うんですけど。どういうところが新しいとお感じになりました?」

久石:
「まずね、非常にヨーロッパの現代音楽とかいろいろなものが発達していってるんですけれども、曲って基本的にやっぱり人が生まれて死んでいくまでみたいな、つまり曲の開始があって曲の終わりが必ずあるんですよ。そうすると、音のダイナミズム、どう音を処理するかということにすごく重点置かれちゃう気がする。ですから、非常に静かなところ、濃密になるダイナミックレンジが広がったところですね、また素というか薄くなってまたこうなる。そうすると、形式自体って決して新しくはならない気がしたんですよ。ところが、ミニマルって同じパターンを繰り返して繰り返していく。民族音楽の祭囃子みたいなもので、つまりこっからここまでっていうのが大きい変化が少ない、少しずつ変わっていく。そうすると、楽曲を成立させるっていう概念自体が変わった気がしたんですよね。」

西村:
「全体構成よりも、その変化していくプロセスというものが本体そのものであるというような。だから内容と形が一体化してる、そういう見方もできますよね。」

久石:
「そうですね。逆に、ミニマルっていうのはミニマム、最小の要素を使って構成する。そうすると、繰り返しするものを聴かせるというよりは、繰り返しながら徐々に変容していく様を聴かせていく。変わっていくところを聴かせるわけですよね。そうすると、要素を削ることによって一音ズレたというだけがとても大きな変化になっていく。それでやりながら、実は今も作ってて一番苦しいのは何分の曲にするのか。ただただ繰り返してるだけだったら飽きちゃうし。それはもうフィリップ・グラスさんも言ってますけれども「ミニマルって繰り返すんじゃないんだ」と。どう変わっていくかで、それをどう飽きずに聴かせるか、それがカギになるって言ってたんですけど、まったくそう思いますね。」

西村:
「なるほど。まずおひとつ曲をお聴かせいただこうと思うんですね。ご自身で選んでいただいたんですけれど、まず最初に「エレクトリック・バイオリンと室内オーケストラのための室内交響曲」これの第一楽章をお聴きいただきたいんですが、この作品についてちょっとご紹介いただけますでしょうか。」

久石:
「エレクトリック・ヴァイオリンというのは実は6弦なんですね。ヴァイオリンはふつう4弦ですよね。ソ・レ・ラ・ミなんですけれども、一番低いソの音の五度下のド、そこからまた五度下のファ。ですからあと四度でほとんどチェロの帯域カバーですね。という6弦のエレクトリック・ヴァイオリン、どうしてもこの6弦使ったヴァイオリンと室内オーケストラの曲を書きたいと思って書いた曲です。」

 

♬「エレクトリック・バイオリンと室内オーケストラのための室内交響曲」第一楽章/久石譲(作曲)
(9分40秒)2015

 

西村:
「拝聴していて、前半の部分は第一期の後のいわゆるポスト・ミニマルわりに自由なストーリー性をもっていて、むしろミニマルで蓄えられたような非常に魅力的なエレメントがたくさんあるんですけれど、組み立てとしては自由なストーリー性があるような感じですよね。ところが、後半になると再び一種そのミニマルの縛りとしてのシングルラインが現れてきますよね。ここはだから、ポスト・ミニマルのさらにポストという感じが非常にするわけですよね。」

久石:
「いやあ、もうねえ、西村さんのようにすごく尊敬してる作曲家にこうやって一生懸命聴かれるととても緊張するんですけどね(笑)。」

西村:
「やめてください(笑)。いや、ユニゾンの流れがいろんな楽器変わっていくわけじゃないですか。だからパート譜を見るとね、休みがいっぱいあってちょろっとこう出てくるようなことが、全体としてひとつのラインでいろんな色が塗り上げられていくようなね。そういうカラフルな妙味があると思うんですが。」

西村:
「さあ、ここからなんですけど、実は今回お越しいただいて、ぜひ久石譲さんの今のこだわりをもってらっしゃる作曲技法ですね、これ非常にオリジナリティの高いものですけども、今のシングルラインの単旋律の流れがどのように新たなミニマル音楽の世界への展開につながっていくかという。今まさにそこのところで次々と重要な作品をお書きになっているわけで、私もここのところ拝聴させていただく機会があってうれしいんですけど。そこにちょっとポイントを置いて、技法的な面でね、今お考えになっている単旋律の音楽のその後の展開についてちょっとお話しいただけますか。」

久石:
「結局、音楽って僕が考えるところ、やはり小学校で習ったメロディ・ハーモニー・リズム、これやっぱりベーシックに絶対必要だといつも思うんですね。ところが、あるものをきっちりと人に伝えるためには、できるだけ要素を削ってやっていくことで構成なり構造なりそれがちゃんと見える方法はないのかっていうのをずっと考えていたときに、単旋律の音楽、僕はシングル・トラック・ミュージックって呼んでるんですけれども、シングル・トラックというのは鉄道用語で単線という意味ですね。ですから、ひとつのメロディラインだけで作る音楽ができないかと、それをずっと考えてまして。ひとつのメロディラインなんですが、そのタタタタタタ、8分音符、16分音符でもいいんですけど、それがつながってるところに、ある音がいくつか低音にいきます。でそれとはまた違った音でいくつかをものすごく高いほうにいきますっていう。これを同時にやると、タタタタとひとつの線しかないんだけど、同じ音のいくつかが低音と高音にいると三声の音楽に聴こえてくる。そういうことで、もともと単旋律っていうのは一個を追っかけていけばいいわけだから、耳がどうしても単純になりますね。ところが三声部を追っかけてる錯覚が出てくると、その段階である種の重奏的な構造というのがちょっと可能になります。プラス、エコーというか残像感ですよね、それを強調する意味で発音時は同じ音なんですが、例えばドレミファだったらレの音だけがパーンと伸びる、またどっか違う箇所でソが伸びる。そうすると、その残像が自然に、元音型の音のなかの音でしかないはずなんだが、なんらかのハーモニー感を補充する。それから、もともとの音型にリズムが必ず要素としては重要なんですが、今度はその伸びた音がもとのフレーズのリズムに合わせる、あるいはそれに準じて伸びた音が刻まれる。そのことによって、よりハーモニー的なリズム感を補強すると。やってる要素はこの三つしかないんですよね。だから、どちらかというと音色重視になってきたもののやり方は逆に継承することになりますね。つまり、単旋律だから楽器の音色が変わるとか、実はシングル・トラックでは一番重要な要素になってしまうところもありますね。あの、おそらく最も重要だと僕が思っているのは、やっぱり実はバッハというのはバロックとかいろいろ言われてます、フーガとか対位法だって言われてるんですが、あの時代にハーモニーはやっぱり確立してますよね、確実に。そうすると、その後の後期ロマン派までつづく間に、最も作曲家が注力してきたことはハーモニーだったと思うんです。そのハーモニーが何が表現できたかというと人間の感情ですよね。長調・短調・明るい暗い気持ち。その感情が今度は文学に結びついてロマン派そうなってきますね。それがもう「なんじゃ、ここまで転調するんかい」みたいに行ききって行ききって、シェーンベルクの「浄夜」とか「室内交響曲」とかね、あの辺いっちゃうと「もうこれ元キーをどう特定するんだ」ぐらいなふうになってくると。そうすると、そういうものに対してアンチになったときに、もう一回対位法のようなものに戻る、ある種十二音技法もそのひとつだったのかもしれないですよね。その流れのなかでまた新たなものが出てきた。だから、長く歴史で見てると大きいうねりがあるんだなっていつも思います。」

西村:
「シングルなんだけどポリ(ポリフォニー)なんですよね、あるいはマルチって言ってもいいかもしれないですね。」

久石:
「逆にこういう少ない要素でやろうと思ってシングルでいこうとすると、非常に論理的で明快な部分を持たないとどこ切っても同じになっちゃうんですよね。だから目指さきゃいけないのは、やっぱりきちんとした論理的な構造をもってそれをあんまり感じさせない音楽を作れるのが一番いいかなあ。」

西村:
「つい最近ラングさんの作品を拝聴しました。2002年の作品はアルヴォ・ペルトのティンティナブリの発展形だというふうに僕は聴こえたんですよね。」

久石:
「ああ、なるほどね。はい。」

西村:
「そういう意味では久石さんの作品のほうが開かれて新しいっていう感じを僕は受けました。この番組で流れてない音楽の話をしてもしょうがないんですけど(笑)。」

久石:
「ありがとうございます。なんか思いっきり喜んじゃいますよ(笑)。」

西村:
「さて、音楽に戻らせていただいてですね。シングル・トラックという言葉がタイトルにも出てきている曲ですね。「Single Track Music 1」6分弱の曲なんでお聴かせいただきたいと思うんです。」

 

♬「Single Track Music 1 for 4 Saxophones and Percussion」/久石譲
(5分50秒)

 

西村:
「この作品の中間部のところは非常にわかりやすく、マルチシャドウというか単旋律が出てきましたですね。後半の部分はもっとパルスでとっていくようなのもあって。ひとつ原型のような作品ですね、技法のね。」

久石:
「この時、シングル・トラックをやろうって、そんなひとつの自分の方法をまだ全然考えてなかったんですよね。なんでかっていうと、ミニマルって必ず二つ以上ないと出来なかったんですよ。ズレるってことは元があってズレるものがないといけない。そうすると必ず二声部以上必要になりますね。大元のパターンがある、一緒にやってるが一個ずつズレていく、それがだんだん一回りして戻ると。そうするとね必ず二ついるんですよ。僕もそれが一拍ズレ、半拍ズレた、二拍ズレたとかってよくやるんですが、必ず元に対してズレがあるっていう方法をなんとか打破できないかと。単純に。ミニマルっていうのはこうやってもう何かがズレるんだと、いやこんなことやってたら永久に初期のスティーヴ・ライヒさんとかフィリップ・グラスさんとかがやってた方法と変わんだろうと。なんか違う方法ないかっていうときに、自分でズレるっていうか、二つがあって相対的にズレるじゃなくて、自分自身がズレていくような効果を単旋律で出来ないかって作った実験的なのがこれが最初でしたね。」

西村:
「もう一曲、今度はバンドネオンと室内オーケストラための曲。「室内交響曲第2番 The Black Fireworks」、黒い花火ですかね、この黒い花火って相当変わった副題ですけれどもこれはどういう。」

久石:
「一昨年夏にサマーセミナーみたいなものがありまして、福島でやったんですけど、震災にあわれた子供たちの夏のセミナーだったんですけどね。午前中に詞を作って午後に曲を作って一日で全員で作ろうよっていう催しだった。夏の思い出をいろいろそれぞれ挙げてくれっていった中に、一人の少年が「白い花火が上がったあとに黒い花火が上がってそれを消していく」っていう言い方をした。つまり普通は花火っていうのはパーンと上がったら消えていきますよね。あれ消えていくんじゃなくて、黒い花火が上がって消していく。うん、僕は何度もそれ質問して「えっ、それどういう意味?」って何度も聞いたんだけども「黒い花火が上がるんです」って。うん、それがすごく残ってましてね。彼には見えてるその黒い花火っていうのは、たぶん小さいときにいろいろそういう悲惨な体験した。彼の心象風景もふくめてたぶんなんかそういうものが見えるのかなあとか推察したりしたんですが、同時に生と死、それから日本でいったら東洋の考え方と言ってもいいかもしれません。死後の世界と現実の世界の差とかね。お盆だと先祖様が戻ってきてとか。そういうこう、生きるっていうのとそうじゃない死後の世界との狭間のような、なんかそんなものを想起して、もうこのタイトルしかないと思って。」

西村:
「それとバンドネオンとはどう関わるんですか?」

久石:
「これはまた別個なんですよね(笑)。西村さんはどうされてるかわからないですけれども、僕はいつも音楽的に追求しなきゃいけないものと、だけどなぜこの曲を作らなきゃいけないのか作る必要があるのか、ふたつでいつも攻めるんですよ。そのときに、バンドネオンというのは、三浦一馬君という非常に若い優秀なバンドネオン奏者がいまして、僕のコンサート聴きに来てくれて、顔見た瞬間になんか閃いちゃって「あっ、来年は彼のバンドネオンで書くんだ」って決めちゃったんですね。それとその時の想いが一体化したっていう、そういうところですよね。だからバンドネオンである必然性っていうのは、我々の音楽ってもしかしたらあまりないのかもしれない。」

西村:
「いやあ、あるかもしれませんよ。」

久石:
「ありますかね。」

西村:
「バンドネオンを呼ぶ何かがあったんじゃないでしょうか。」

久石:
「うん、あのね、それ論理的に言えないからちょっと避けてるんだけど、絶対呼んでる関連はあります。」

西村:
「うん、思いますよ。ちょっと聴かせていただきましょう。」

 

♬「室内交響曲第2番《The Black Fireworks》 バンドネオンと室内オーケストラのための」1 The Black Fireworks/久石譲
(10分50秒)2017

 

西村:
「昔例えばグレゴリオ聖歌とかね、神に祈りの音楽を捧げてるときって、終わりがない、すうっとこう神に捧げる。そういう時代が長かったのが、例えば古典派のような時期になると、はっきりここで終わり、バン!バン!とかね、ベートーヴェンなんかこれでもかっていうくらいここで終わり!終わり!終わり!というぐらい、人間が終わりを付けるというようなことになったわけですけど。ミニマルのスタイルの音楽っていうのは、昔の神に捧げてた頃のように終わりの設定がない、でも終わりますよね。久石さんの作曲上、終わりということはどのように決定されるというか。」

久石:
「あの、単純に言ってしまうと、To be Continued で絶えず終わりたい。つづくじゃないですけどね、一応長いパウゼ(休止)ぐらいな感じで、ですからこう「うん、また頭から聴いてもいいよ」っていうそういうスタンス、終わりじゃないですよね。」

西村:
「本当におもしろいお話ありがとうございます。次回もお越しいただいて、指揮の話とかいろいろお伺いしたことがあるのでぜひよろしくお願いします。どうもありがとうございます。」

(NHK FM「現代の音楽」21世紀の様相 ▽作曲家・久石譲を迎えて(1) 書き起こし)

 

 

 

◇1月13日 現代の音楽 21世紀の様相 ▽作曲家・久石譲を迎えて(2)

西村:
「今日は前回につづいてこのスタジオにスペシャルゲストをお招きしております。作曲家の久石譲さんです。久石さん、今日もよろしくお願いいたします。」

久石:
「よろしくお願いします。」

西村:
「前回はこのミニマル・ミュージックということをめぐってのお話を伺って、作品を拝聴し、また新たなミニマルの可能性というものも、技法的な、技法というのはある明快さとそこから多様性に広がるというこの両面がないとね、なかなか技法とは言えないと思うんですが、まさにそういった意味での技法の展開を今やってらっしゃる中での作品をお聴かせいただいてきたわけなんですけれども。ちょっと振り返ってみると、発祥の頃のミニマル・ミュージック、そういったものというのはプロセスそのものがすべてであって、プロセスが内容ではないようなんだけど、そこに文学的な物語性とかストーリー性とか意見とかっていうものはないところから始まってますけれども。その後内容というものが入ってくるという経緯がございます。で、同じく最初ミニマルに非常に惹かれて、今独自の技法というものを磨かれている久石さんにとって、内容と音楽のスタイルという関係性ですね、この辺りのことをちょっとお話いただければ。すごく興味があるんですけれども。」

久石:
「はい。作曲するというのはやっぱり構成する、構築するということになりますね。音楽的にある要素が決定して、それをどうやってこう論理的な構造といろんなものできちんとしたひとつの生き物といいますか作品に作り上げるかっていうことに終始します。ところが、もう一個非常に大きな問題があるんですけれども。それは作曲家としてなんでこの曲を書かなきゃならないか。この思いがはっきりしてないと、なかなか曲は書けない。なぜ今この曲を書くのかってなったときに、養老孟司先生はインテンシティって言いますよね。要するに、呼応する思い、つもり、その思い、それがないと非常に作品って作りづらいですよね。ただただ無機的に音をつなげていけば、論理的に組み立てることはできるかっていうよりも、やはりそこに何か、なぜこの曲を自分は書くのか?っていう問いは絶えず付いてくる気がするんですね。そのインテンシティ、どうしてもこれを作らなければならないっていう思いが、実は作曲するときの最大の原動力になってる、という気がします。それがいろんな意味で今後はその作品自体に、音としての作品、それからその音をとおして何を皆さんに伝えたいか、これはもう両輪というか切っても切れない関係だと思います。」

「あの、おそらくインテンシティっていうのをやり過ぎると、実はどんどんロマン派・後期ロマン派のある種精神性あるいは感情とか、(西村:「もしくは表現主義ですよね」)、そうですね、どうしてもそれに走っちゃいます。そうすると、例えば同じミニマルをベースにしていても、ジョン・アダムズはそっちの傾向のほうが強くなりますね。例えば「Scheherazade.2」(2016)とか「City Noir」(2009)とかね、(西村:「めちゃくちゃ物語的ですよね」)、なんかこうある種自分が若い頃に見ていた古い映画の世界を音楽でやりたい、っていうような何かね別の要素って必ず必要になってくるかもしれません。僕が、正直言いますと、そういう要素から作った曲と、あくまで音楽的な要素を中心に作っていくのっていうのは、少しこうカテゴリーが変わる気がしますね。」

西村:
「今どっちに向かってらっしゃるとかっていうのはあるんですか。」

久石:
「あっ、今はねえ、シングルトラックをもっと…(西村:「技法的に展開させていくという」)、で多様性をもってくるときに、もっとそういう要素が入ってくる。なんでも音楽って、例えばですね、木を見て木の幹と枝を見て美しいっていう人はいないんですよ。むしろそこに葉っぱがいっぱい生い茂って豊かな木に見えた時にみんな人はいい木だなってなりますよね。ところが、前衛というものというのは、幹であり枝をつくる作業です。ですからあまり人には歓迎されないかもしれない(笑)。だが、それがないと発展はしない。これを誰かがやらなきゃいけません。ところが、やはりそこに生い茂る葉っぱなりいろいろなものがついた時に、人はやっとそこで美しさだとか多様性を感じますよね。ですからなんか僕は両方必要な気がしてる。うまくやれれば。」

西村:
「というわけで、今日最初にお聴かせいただきたいのはシンフォニーなんですね。久石さんにとってのシンフォニーとは何ですか。」

久石:
「これはすごく悩みます。シンフォニーって最も自分のピュアなものを出したいなあっていう思いと、もう片方に、いやいやもともと1,2,3,4楽章とかあって、それで速い楽章遅い楽章それから軽いスケルツォ的なところがあって終楽章があると。考えたらこれごった煮でいいんじゃないかと。だから、あんまり技法を突き詰めて突き詰めて「これがシンフォニーです」って言うべきなのか、それとも今思ってるものをもう全部吐き出して作ればいいんじゃないかっていうね、いつもこのふたつで揺れてて。この『THE EAST LAND SYMPHONY』もシンフォニー第1番としなかった理由は、なんかどこかでまだ非常にピュアなシンフォニー1番から何番までみたいなものを作りたいという思いがあったんで、あえて番号は外しちゃったんですね。」

西村:
「その場合のピュアとはどういう意味ですか。」

久石:
「それはもう、さっきの技法的なほうです。もうほんとに音の組み合わせが一体なにか。理想はね、主張しないで「えぇ!」っていうぐらいに、ほらこういう要素でこういうふうにこういうふうに組み立てました、って出して。そしたら聴いてる人がね、「あっこれ朝日を想像しますね」とかね「夕日を想像しますね」とかね「悲しいですね」とか。もういろんな意見言ってもらうのが一番うれしい気がする。」

 

♬「THE EAST LAND SYMPHONY」から 第1楽章、第3楽章、第5楽章/久石譲(作曲)
(24分20秒)

 

西村:
「これはメッセージ性がはっきりとありますね。」

久石:
「そうですね。EAST LANDっていうのは東の国ですから、日本ですね、はっきり日本ですね。なんかねえ、これを作ってた時にずっと「日本どうなっちゃうんだろう」みたいな思いがすごく強くて。第三楽章の「Tokyo Dance」っていうのは、ほんとにちょっとブラックな、風刺ですよね、ちょっと「こんなに日々良ければそれでいいみたいな生き方してていいのか」みたいな、そんなような思いもあって。」

西村:
「これテキストはどなたが?」

久石:
「第三楽章は僕の娘の麻衣が書きまして。第五楽章は自分でラテン語の辞書あるいはラテン語の熟語集の中から「祈り」にふれてる言葉をいろいろ選びまして、それを組み合わせて作りました。」

西村:
「マタイ受難曲のコーラルが見事に。」

久石:
「この『THE EAST LAND SYMPHONY』を作ってる間、ずうっと合間に聴いてたのがマタイ受難曲だったんですね。なんかあれを聴くと、音楽の原点という気がして。はい。」

西村:
「あれを聴くともう作曲やめようかななんて思ったり(笑)。」

久石:
「いやいやいや(笑)。いや、ほんとに何をいまさら自分でできると思ってるんだ、ぐらいな、こう、なりますよね。」

西村:
「でもその反対にですね、もうやめようかなと思う一方でですね、志は上がりますよね。」

久石:
「上がります。」

西村:
「それでですね。指揮をされるというご活動もですね。自分の作品をお振りになることももちろんすごく多いでしょうし、ベートーヴェンなどの作品も最近すごくCDなんかでも拝聴しているんですけども。指揮ということに対してのご関心というのは、結構やっぱり強くお持ちなんですか。」

久石:
「指揮は嫌いじゃないんですよ。嫌いじゃないんですけど、自分が指揮してるなんてちょっとおこがましいんです。ただ、やれる範囲で言うと、一番大事に思ってることは、こういうミニマルとかいろんなものを演奏する感覚で新しいクラシック、っていうようなものがもし可能だったら自分はやると。あくまでも作曲家目線で、いわゆる伝統的なベートーヴェンやなんかをやろうとは思ってないんですよね。それはなんでかっていうと、構造を見せたいからです。おそらく一番昔と今が違うのがリズムだと思うんですよ。それを徹底的に、デジタル時代のものを、その感覚でもしベートーヴェンをやったらまた全く違うベートーヴェンできるんじゃないかなあとかね、そういうふうに思ったりする。」

西村:
「ご自分の作品もお振りになる。」

久石:
「それは簡単ですよ、誰も振ってくれないから(笑)。」

西村:
「いやいやいやいや(笑)。」

久石:
「ほんとは人に振ってほしいんですけど。やっぱり譜面で書かれてるものって、表現したい音楽の70%ぐらいかなあ。どんなに細かく書いても、強弱を付けてもですね。そうすると、その後ろにあるものを的確に伝えようと思うときに、オーケストラって信じられないほどリハーサルが短いじゃないですか。2日間とか3日間でね。そうするとね、その短い期間に第三者の指揮者をとおしてやってもらおうとすると時間が足りないんですよ。だったら自分が出来るようになって、伝えたほうが早いって、そう思ったんです。」

西村:
「全然別な見方をすると。例えば、こんな美味しいものを自分が作ったのに、これを食べるのが自分じゃなくてあの指揮者だと思ったら許せないから自分が食べるとかって。」

久石:
「(笑)。いや、あんまりそれないですよ。西村さんも指揮されます?」

西村:
「いや、しません。私自分で作った料理を自分じゃ怖くて食べれない。」

久石:
「あれ?(笑)」

西村:
「いや、毒だらけですから。」

久石:
「(笑)じゃあ、今度西村さんのそれ僕がえっと…。」

西村:
「やってくださいぜひ。毒だらけですから。」

(笑)

西村:
「なんか久石さんの作品って久石さんとこう一体化してるところがすごく僕は感じられるわけですよ。だから自分で音を出して指揮をして、そこまでのところが作曲であると、いう感じもするんですけどね。」

久石:
「たしかに西村さんが言われるように。我々のやっている音楽っていうのは、この番組のタイトルも素晴らしいんですけど、「現代の音楽」ですよね。でも通常は「現代音楽」って言いますよね。現代音楽が陥った最大の問題は、作曲家の頭の脳みその中で完結しちゃった。つまり、それを今言ったように指揮者がいて演奏者がいて、それで観客がいて。そこに届けていかない限りほんとは完結しないわけですね。ところが、ほとんど自己満足のように自分の中で完結、(西村:「紙の上で完結しちゃうようなね、作業としてはね」)、しちゃいますね。やっぱりお客さんからきちんとお金をいただいてコンサートをやり、自分でオーケストラも主導し、観客の反応を見て、「あぁ、ダメだった」とかね、落ち込むとか全部ふくめたそういうことを作業の一貫、全部終わらない限り作曲家の仕事は終わってるとは思わないんですよ。みんなやっぱりワーグナーにしろメンデルスゾーンにしろ、自分の音を最後まで自分で責任をとるっていうときは、やっぱりそこまでやったほうがいいような気がする。」

西村:
「そうですね。だからストラヴィンスキーなんかは振れないのに振ってましたよね。」

久石:
「あっ、知ってます?「春の祭典」書き直しちゃったのね、あの変拍子振れないから。これが難しいですよね。自分で書いたんだから振れるだろうって周りに思われますけど、いやあ。」

西村:
「でも結構変拍子多いですよね。」

久石:
「僕ですか? めちゃくちゃ多いです。」

西村:
「振るとなったら大変ですよね、結構。」

久石:
「ほんとに嫌です。振るほうにまわって一番嫌な作曲家って久石ですね。」

西村:
「間違った時、どういうふうにごまかすんですか?」

久石:
「間違った時はね、何事もなかったように、なかったように合わせていって、しばらく、…」

西村:
「でも何事もなかったように音楽が進行してたら、あれ、誰も見てないんじゃないかとかいうような、疑いをかけたりしません?」

久石:
「えっとね、誰も見てないって思いますよ(笑)。あのね、そこ指揮の難しいところで。要するに、演奏家の人ってもう特に変拍子が多くなったら譜面から絶対目が離せないんですよ。だけどパート譜のこの辺に指揮者をちらちらこう追っかけてるんですね。それでこう弾いてますから、なかったら出来るのかってそうでもないんですよ。いなきゃいけない。僕らは、さっきの質問ですけど、失敗したらどうするんだっていったら、動揺すると全員に伝わりますから、しばらく何事もなかったようにうまいところで帳尻合わせて、区切りのいいところで片手をあげてごめんねっていうジェスチャーをします(笑)。」

西村:
「あっ、それ今度から注目してよう(笑)。そうですか(笑)なんかありがとうございます。じゃああの、指揮者がいらない曲を聴いてみましょう(笑)」

「これちょっと難しい題ですね。「Shaking Anxiety and Dreamy Globe」、globeって地球ですかこれ、夢見る地球。」

久石:
「地球ですね。これね、自分で付けたタイトルなんだけど、今でも言えないんですよ。シュールなタイトルなんですけどね。音が一個一個こう生まれていって、それが一つの有機的な作品になるっていうことは、ちょうどこう細胞が分裂していって一つの生命が宿る、それと同じということでちょっとシュールにこういうタイトルを付けてみました。」

西村:
「これはマリンバ2台ということなんですね。」

久石:
「はい、もともとはギター2本で書いた曲なんですね。それをこう、非常にアップテンポで構造が見えるようにやりたいなと思ってマリンバに直したんですね。」

西村:
「久石さんは打楽器お好きですか?」

久石:
「好きです。西村さんの「ケチャ」大好きですから。」

西村:
「古い曲ですよ。もうちょっと最近のやつを言っていただけますか。」

(笑)

 

♬「Shaking Anxiety and Dreamy Globe for 2 Marimbas」/久石譲(作曲)
(7分10秒)

 

西村:
「これなんか血の流れがよくなってくるような、体にいい、そういう感じの音楽ですよね。久石さん「Music Future」というコンサートシリーズを去年で5回目ですか、あれは毎年続いていくということですね。」

久石:
「はい。こういうちょっとミニマル系の曲の一番先端ものっていうのは、ベースにしたものですね、なかなか日本で聴く機会がなかったので、そういうチャンスがあるといいなと思ってつくったシリーズです。」

西村:
「今後ともご教示いただきたいことがいっぱいあるんですけれども(笑)。」

久石:
「今後ともよろしくお願いいたします。」

西村:
「よろしくお願いします。前回今回とほんとにお忙しいなかスタジオにお越しいただきましてありがとうございました。作曲家の久石譲さんをお招きしてお送りしました。「現代の音楽」ご案内は西村朗でした。」

(NHK FM「現代の音楽」21世紀の様相 ▽作曲家・久石譲を迎えて(2) 書き起こし)

 

 

公式サイト:現代の音楽
http://www4.nhk.or.jp/P446/

 

Blog. 「久石譲 ジルベスターコンサート 2018 in festival hall」 コンサート・レポート

Posted on 2019/01/03

2018年12月31日、大晦日に開催「久石譲 ジルベスターコンサート 2018 in festival hall」です。一旦休止をはさみながらも2014年から再び5年連続開催、一年を締めくくるスペシャルコンサートです。

まずは、コンサート・プログラム(セットリスト)および当日会場にて配布されたコンサート・パンフレットより紐解いていきます。

 

 

久石譲 ジルベスターコンサート 2018 in festival hall

[公演期間]  
2018/12/31

[公演回数]
1公演 (大阪 フェスティバルホール)

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:関西フィルハーモニー管弦楽団
ソプラノ:安井陽子
メゾソプラノ:中島郁子
テノール:望月哲也
バスバリトン:山下浩司
オルガン:室住素子
合唱:関西フィルハーモニー合唱団

[曲目] 
久石譲:「天空の城ラピュタ」より *世界ツアーバージョン 日本初演
久石譲:Orbis
—-intermission—-
ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱付き」

 

 

久石譲のプログラムノート

「天空の城ラピュタ」より

今回演奏する「天空の城ラピュタ」は、世界ツアーで演奏しているバージョンです。これは去年パリから始まり、メルボルン、サンノゼ、ロサンゼルス、ニューヨークなどで行われました。

冒頭から鳴り響く金管楽器の「ハトと少年」はバンダによって演奏されます。バンダというのは会場に楽器を配置し、あるいは舞台の裏などで演奏する演奏手法のひとつです。トランペットとホルンを会場内に配置することで、まるで天上から降り注ぐように会場に響きます。続いてコーラスと弦楽器を除いた木管・金管楽器で「君をのせて」を演奏します。オープニングにふさわしい作品だと思い選曲しました。

 

「Orbis」

曲名はラテン語で”環”や”繋がり”を意味します。2007年の「サントリー1万人の第九」のとき、冒頭に演奏する序曲として委嘱されて作りました。サントリーホールと大阪城ホールを二元中継で”繋ぐ”という発想から生まれました。祝典序曲的な華やかな性格と、水面に落ちた水滴が波紋の”環”を広げていくようなイメージを意識しながら作曲しています。

歌詞に関しては、ベートーヴェンの《第九》と同じように、いくつかのキーワードとなる言葉を配置し、その言葉の持つアクセントが音楽的要素として器楽の中でどこまで利用できるか、という点に比重を置きました。”声楽曲”のように歌詞の意味内容を深く追求していく音楽とは異なります。言葉として選んだ「レティーシア/歓喜」や「パラディウス/天国」といったラテン語は、結果的にベートーヴェンが《第九》のために選んだ歌詞と近い内容になっています。作曲の発想としては、音楽をフレーズごとに組み立てていくのではなく、拍が1拍ずつズレていくミニマル・ミュージックの手法を用いています。そのため演奏が大変難しい作品です。約10分の長さですが、11/8拍子の速いパートもあり、難易度はかなり高いものがあります。

 

ベートーヴェン《第九》

ジルベスターコンサートでは、2015年以来、関西フィルハーモニー管弦楽団とは初めての演奏です。

ベートーヴェンの晩年の大作である《第九》は、音楽史の頂点に位置する作品のひとつです。その最大の特徴は第4楽章に声楽を入れたことです。今日ではマーラーなどの交響曲で声楽が入ることに何の抵抗もないのですが、約200年前の当時、純器楽作品とりわけ交響曲に使用するなどということは、まったくなかったのです。

今までに何度か演奏してきてわかったことは、《第九》は理屈や論理を超えたもっと大きなもの、もちろん単なる感情でもない、何かに突き動かされているということです。その何かはとても言葉では表現できません。毎回演奏する度に湧きおこる深い感動は《第九》特有の魅力だと思っています。

2年前から長野で、ナガノ・チェンバー・オーケストラとベートーヴェンの交響曲全曲演奏とCD化に取り組んできましたが、今年の夏の《第九》で終了しました。従来の方法ではなくリズムをベースにしたまるでロックのような新しいベートーヴェンに取り組んだわけです。

その演奏を収録したライヴ盤をいち早く今日から発売しますのでもし興味があったらお買い求めください(笑)*

今日の演奏もそのリズムをベースにした新しいベートーヴェンに挑みます。が、室内オーケストラではなく大きな編成でのチャレンジはタンカーをモーターボートのように操縦するわけですから大変です。かれこれ20年近く一緒に演奏してきた関西フィルへの信頼がないとできません。

2018年を締めくくる最後の《第九》を、皆さんに楽しんでいただければ幸いです。

2018年12月
久石譲

(「久石譲 ジルベスターコンサート 2018 in festival hall」コンサート・パンフレット より)

 

*会場限定先行販売は諸事情により中止となりました。(2019年1月23日CD一般発売予定)

 

 

 

ここからは個人的感想、コンサートレポートです。

 

久石譲ファン恒例行事として楽しみにしていた人、大晦日の特別な一日としてイベント感楽しみにしていた人、「第九」をはじめて聴く人、海外からのお客さん。それぞれの日常と環境のなかで、この日会場に集まった観客の期待と終演後の感動は、溢れたSNSからたくさん見ることができました。

 

「天空の城ラピュタ」より

久石譲解説にあるとおり、世界ツアーバージョンのこの作品は日本初演でもあります。『WORLD DREAMS』(2004・CD)に収録されたトランペットをフィーチャーしたヴァージョンとも、『交響組曲 天空の城ラピュタ』(2017・CD)に収録された組曲中同楽曲ともヴァージョンは異なります。

世界ツアーでは現地マーチングバンドの若者たちと合唱団による「天空の城ラピュタ」コーナーで構成されています。「久石譲 in 武道館」コンサート(2008)と同じ編成です。もうひとつ、マーチングバンドが編成されない公演では、現地の共演オーケストラと合唱団による「天空の城ラピュタ」コーナーになっていて、それが今回披露されたヴァージョンになります。

楽器編成は久石譲解説にあるとおり、会場を包みこむバンダ演出によるパノラマ音空間と、オーケストラの主要である弦楽器を除くことでコーラスの圧倒感を前面に引き出す構成になっています。「ハトと少年」は、客席2階席両サイドから吹かれるトランペットの音色が、まるでスラッグ渓谷を見渡せる屋根上でパズーが演奏している映画シーンのように、地平線の遠くまで響きわたるよう。「君をのせて」はフルコーラス歌われ、ステージ中央から聴こえる管楽器たちとバンダの金管楽器たちがコーラスと立体的にかけあい、後半にすすむにつれてコーラスの重厚さを支えるどっしりとしたティンパニやスネアによる荘厳なマーチ風リズムが印象的です。冒険活劇、夢や希望にあふれたラピュラの世界とはまた違った、畏敬の念をまとった俯瞰して地球を見るようなラピュラの世界、そんな気がします。

思えば、2018年は高畑勲監督が逝去された年。”あらかじめ予定されていた”偶然のプログラムとなった「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2018」での「かぐや姫の物語 組曲」や直前プログラム更新の「The Path of the Wind 2018」。8月TV放送NHK特番「ジブリのうた」での「風のとおり道 久石譲×五嶋龍」演奏(高畑勲監督が絶賛していた曲)、「君をのせて」への久石譲コメント。映画『天空の城ラピュタ』は宮崎駿監督とのタッグながら、音楽プロデューサーを務めた高畑勲監督とも深くかかわり、「君をのせて」の主題歌化や歌詞の補作という共同作業。久石譲は、2018年という一年間をとおして高畑勲監督への追悼の想いを表したかったとすれば、本公演での「天空の城ラピュタ」より世界ツアーバージョンのひと足早い日本初演は、特別な想いがあったのかもしれません。

久石譲と高畑勲監督のエピソードや「W.D.O.2018」プログラム詳細は下記ご参照ください。

 

また記憶に新しいところでは、2018年8月NHKFM「今日は一日”久石譲”三昧」ラジオ番組での、鈴木敏夫プロデューサーのトークも、そうだったんだ!と新発見がありました。

「それと僕が声を大にして言いたいのは、この「かぐや姫の物語」の映画音楽、大傑作ですよね。高畑さんと日常的にいろいろなこと話してたから、高畑さんは実をいうと、好みもあったんでしょうけれど、「ラピュタ」の音楽、大絶賛してたんですよ。そうするとね、高畑さんのなかにあったのは、全然違う作品なんだけれど映画音楽として、どういうものをやっていくかというときに、「ラピュタ」に勝ちたい、どっかにあったんじゃないかなあ。それを僕は実現したと思ったんですよね。明らかに久石さんの新たな面も見れたし、この人すごいなと思ったんですよ、まだ成長するんだって(笑)。」(鈴木敏夫)

Blog. NHK FM 「今日は一日”久石譲”三昧」 番組内容 -トーク編- より抜粋

 

ニューヨーク・カーネギーホール公演でも演出されたバンダ。こんなにも早く体感できて幸せです。バンダ演出ってどういうの? カーネギー公演風景をご覧ください。

 

 

「Orbis」

久石譲オリジナル作品の代名詞のひとつ、絶大な人気を誇る作品です。近年ではベートーヴェン《第九》との並列プログラミングが多いです。あまり比べることはしないのですが、2018年「ナガノ・チェンバー・オーケストラ 第7回定期演奏会」のNCO演奏とは少し印象が異なりました。それは完成度なのか、リハ不足なのか、思い切りの良さが足りなかったのか、この作品のパフォーマンスとしてはちょっともったいなかったかな、というのが正直な感想です。

少し視点をかえて。2015年「Orbis」は全3楽章作品としても初演されていますが、それ以降の公演ではすべて2007年オリジナル版(2015年版第1楽章にあたる)のプログラムです。これをどう見るか? 「新版・Orbis」はまだまだ納得していない、修正の余地が多分にある…そんなことはないんじゃないかなあと思っています。ズバリ、絶対的な自信があるんだろうと僕は勝手に確信しています。だからこそ、「Orbis」の完全版は久石譲オリジナル交響作品の到達点を飾る大作にふさわしい。近年、久石譲オリジナル作品とジブリ交響組曲化の大きく2本柱で構成されるW.D.O.コンサート。「The End of the World」や「ASIAN SYMPHONY」は、「THE EAST LAND SYMPHONY」という新作シンフォニーをはさみながらも、再構築や完全版として昇華・進化・完結へと流れています。久石譲オリジナル交響作品の9番目に値する作品、それこそが「Orbis for Chorus, Organ and Orchestra」完全版なのではないか。そこにこそ《第九》に捧げる序曲であり、《第九》と同じ9番目のシンフォニーとして君臨する久石譲オリジナル作品。だから僕は、2015年以降「新版・Orbis」が封印されていることも、その日まで2007年版「Orbis」でのプログラムであることも、そうだろうなあと寛大な心持ちな自分がいたりします。「MKWAJU組曲」「D.E.A.D組曲」も生まれ変わるかもしれない、「Winter Garden」もある。まだまだやることたくさん&新作もつくり続ける…そんな久石譲の声が聞こえてきそうです。勝手な推測なので鵜呑みは禁物です。でも、これだけは言える!いつかきっと満を持して「Orbis完全版」は日本各地で海を渡って世界各国で公演される日がくるでしょう!その日まで元気に待ちましょう!

 

 

ベートーヴェン《第九》

さりげなく衣装チェンジして(気づいた人どのくらいいたかな前列くらいかな)、後半プログラムに臨んだ久石譲です。NCO版室内オーケストラとは違い、関西フィルの大きな編成ながら、アプローチは同じという挑戦。”リズム”をとことん追求した《第九》。それぞれのパートが鋭くソリッドでティンパニも乾いた響きで推進力や躍動感溢れるスポーティなNCO版が、大きなオーケストラ編成でどのように印象が変化するのか楽しみにしていました。NCO版に負けず劣らずの快速《第九》でした。

 

「今年の夏「第九」やったんですよ、僕の「第九」ちょうど57分、すべてのくり返しやって57分ちょっとだった。(フィナーレのマーチのところのテノール)最初合わせの日にやりたいテンポでやったら目丸くして緊張してて。ゲネプロでちょっと遅くしたんですね、そしたらちょっと安心したんですよ。当然本番はテンポ上げました(笑)。」(久石譲)

Blog. NHK FM 「今日は一日”久石譲”三昧」 番組内容 -トーク編- より抜粋

 

なんて語っているとおりの快速《第九》です。通常だと約65分前後が平均演奏時間だと思います。5分違うだけでもテンポ感はかなり大きな印象差になります。関西フィルとの信頼関係なくしてと記されていましたが、まさに「信頼してオレについてこい!」「なにがあっても信じてついていきます!」そんな指揮者とオーケストラのお互いのリスペクトがないと完走できないテンポとアプローチだと思います。

《第九》についてはNCO公演レポートで感想や、久石譲の《第九》によせる想いをまとめていますのでご参照ください。

 

今回特に思ったのは、フレーズ(歌うように)で演奏するのではなく、モチーフや音型として各パート・各楽器セクション演奏することにより、ある種ミニマル手法を駆使した久石譲作品のアプローチに近いなと発見できたこと。ミニマル・ミュージックではないのでズレるのではないですが、最小限の音型が第1ヴァイオリンから第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスへと流れて繰り返す第1楽章冒頭。すべてはこのアプローチを基調としているように思います。そこには、弦楽器が折り重なることの感情表現やエモーショナルに横揺れするフレーズ表現とは対極にある、リズムを重視した音符や音型の幅や強弱といったものをきっちりとそろえるアプローチ。最小限の音型という小さい要素たちが、集合体となって大きな有機物を創りあげるようなイメージ。「Orbis」に共鳴するアプローチでもあります。極論すれば、作品に込める精神性を表現するヨーロッパ的アプローチと真逆に位置する、作曲家視点・譜面重視・リズムに軸を置いた久石譲の《第九》。スコアはNCO演奏版と同じベーレンライター版です。

 

 

《第九》プログラムのときは、アンコールなしが常です。それでもカーテンコールの拍手は鳴り止まず、大所帯のコーラスも順繰り退場し、もう何も起こる気配のないステージに向かって拍手は手拍子へと変わりどんどん膨らむ反響音。想定外の久石譲も、衣装からラフな服装へと着替えかけの状態でステージ再登場!登場しならがら上着パーカーのチャックを締めていた久石譲もステージ中央に着いた頃には一気に総立ちスタンディングオベーション!拍手喝采!

久石譲作品で終わったわけでもなく、アンコールもなかったなかで、この光景に一番驚き喜んだのは久石譲ご本人かもしれませんね。久石譲からの一年を締めくくるギフト、観客からの感動と感謝、ひとつになった瞬間です。

 

from SNS

 

こちらは《第九》を彩ったソリストの皆さん(左よりSop安井陽子、Ten望月哲也、Mez中島郁子、B-Bar山下浩司)。

from 二期会 公式Twitter  *終演後

 

 

2018年も話題に事欠かない久石譲でした。そんななかでもコンサートの充実ぶりは内容はもちろんのこと数字から見ても歴然です。コンサート計11企画、計38公演、うち海外計22公演! 2019年もこの勢いは止まりそうにありません。

 

 

Blog. 「モーストリー・クラシック 2019年2月号 vol.261」「久石譲 presents MUSIC FUTURE Vol.5」NY公演 記事

Posted on 2018/12/20

クラシック音楽情報誌「モーストリー・クラシック MOSTLY CLASSIC 2019年2月号 vol.261」(2018年12月20日発売)に 久石譲コンサートの記事が掲載されました。

2018年11月開催「久石譲 presents MUSIC FUTURE Vol.5」ニューヨーク公演です。毎号、海外の音楽情報を伝えるコーナーのひとつとしてカラーページで紹介されています。

 

 

World Music Scene
海外音楽情報 世界の話題

New York | November 2018 | USA

文=依田謙一(日本テレビプロデューサー)

久石譲の「ミュージック・フューチャー」がカーネギーホールに進出
自作、ラングやグラスの作品を指揮し満員のニューヨークの聴衆を魅了

久石譲が現代の優れた音楽を届けるために2014年に始めたコンサートシリーズ「ミュージック・フューチャー」(MF)が今年、5回目にしてニューヨーク進出を果たした。

久石はそのキャリアにおいて、ルーツであるミニマル・ミュージックの作曲に重点を置いてきた。また久石は、やや形式的になってしまった”現代音楽”と、ミニマル、ポスト・クラシカルなどによって今を反映し続ける”現代の音楽”を明確に分けて考えており、多くの観客に届けることに強い使命感を持っている。こうした久石の”核”を形にしたのがMFであり、聴衆もそれに応えるように完売を続けてきた。

今年のMFは久石の盟友であるデヴィット・ラングとのコラボレーションが実現したことから、東京だけでなくニューヨーク・カーネギーホール(ザンケルホール)での公演を決意。ともに”現代の音楽”に向き合う2人によるコンサートは注目され、満員の客席が迎えた。

久石は全4曲を指揮。演奏はラングが共同創設者を務めるニューヨークを拠点とするアンサンブル「バング・オン・ア・カン」。前半は久石と親交があるフィリップ・グラスの「Two Pages」を室内オーケストラ用にリ・コンポーズ(再構成)し、シンプルなフレーズの世界を掘り下げた。グラスはリハーサルにも参加し、新しいアプローチを喜んでいたという。続く「増加」を意味するラングの「increase」は、久石の作曲家ならではの解釈で、よりタイトに仕上げた。

後半は2人の楽曲による競演にふさわしい対照的なプログラミング。トークセッションを経て演奏された久石の「The Black Fireworks 2018」は、東日本大震災で被災した少年が話した「白い花火の後に黒い花火が上がって白い花火をかき消している」という言葉から着想を得た曲で、マヤ・バイザーのチェロをフィーチャー。最近重視しているというシングル・トラック(本来は線路の単線という意味で、それぞれの楽器が単旋律のユニゾンを演奏すること)の技法を駆使し、単旋律の音が低音や高音に拡散することで、フーガのように別の旋律が聴こえてくる中、チェロが光と闇、消えゆく煙のように表情を変えていく。

最後に演奏したラングの「prayers for night and sleep」は祈りの根底にある恐れの感覚を表現した曲。ソプラノにモリー・ネッターを迎え、チェロのバイザーも引き続き参加した。あえて平易な言葉を連ねた詩を支えるのは、弦楽による哀れみ深さとグランカッサ(大太鼓)による不安が同居するスコアリング。アンサンブルを強く連係させ、連なった言葉を埋没させない解釈で観客の集中力を引き出した久石の指揮は、”現代の音楽”にエンターテイメント性さえもたらす奇跡的な一夜を作り出した。

同公演は11月21日、22日、東京・よみうり大手町ホールでも開催した。

(モーストリー・クラシック MOSTLY CLASSIC 2019年2月号 vol.261 より)

 

 

また本誌「新譜紹介コーナー」では、『MUSIC FUTURE III』(11月21日発売CD)も紹介されています。同コンサート・シリーズ Vol.4(2017年開催)より収録されたライヴ盤です。

 

「現代音楽」イヴェント MUSIC FUTURE からの第3弾

久石譲の主宰で、ミニマルの系譜上にある作品を採り上げる「現代音楽」MUSIC FUTUREからの第3弾。2017年10月によみうり大手町ホールで行われた録音のライヴ。ラング、ガブリエル・プロコフィエフ、久石自身の作品がフィーチャーされ、なかではプロコフィエフ作品が、パルス的な持続のなかで変形の度合いの大きな快作。緩急急の3楽章からなる久石作品も洒脱なノリの楽想が顕著だ。肩の凝らない現代作品。”

(モーストリー・クラシック MOSTLY CLASSIC 2019年2月号 vol.261 より)

 

Disc. 久石譲 『久石譲 presents MUSIC FUTURE III』

 

 

 

 

Blog. 「久石譲 presents ミュージック・フューチャー vol.5」 コンサート・レポート

Posted on 2018/11/30

11月21,22日に開催された「久石譲 presents ミュージック・フューチャー vol.5」コンサートです。2014年に始動したコンサート・シリーズ(年1回)、今年で5回目を迎えます。

今年はデヴィット・ラングとの作品共演、ニューヨーク公演も開催されるなど、ますます進化するコンサート。

 

まずは、コンサート・プログラム(セットリスト)および当日会場にて配布されたコンサート・パンフレットより紐解いていきます。

 

 

久石譲プレゼンツ ミュジック・フューチャー Vol.5
Joe Hisaishi presents Music Future Vol.5

[公演期間]  
2018/11/11,21,22

[公演回数]
3公演
11/11 ニューヨーク・カーネギーホール(ザンケルホール)
11/21 東京・よみうり大手町ホール
11/22 東京・よみうり大手町ホール

2018.11.11 Carnegie Hall (Zankel Hall), New York
2018.11.21-22 Yomiuri Otemachi Hall, Tokyo

[出演]
指揮:久石譲
スピーカー:デヴィット・ラング
ソロ・チェロ:マヤ・バイザー
ソロ・ヴォイス:モリー・ネッター
バング・オン・ア・カン (ニューヨーク公演)
フューチャーオーケストラ (東京公演)

Conductor:Joe Hisaishi
Speaker:David Lang
Solo Cello:Maya Beiser
Solo Voice:Molly Netter
Bang on a Can (New York)
Future Orchestra (Tokyo)

[曲目] 
第2回『Young Composer’s Competition』優秀作品受賞作
審査員講評/西村朗、茂木健一郎、島田雅彦、小沼純一 ほか
澤田恵太郎:時と場合と人による (東京公演のみ)

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フィリップ・グラス / Recomposed by 久石譲:2 Pages Recomposed (1969/2018) *日本初演
デヴィット・ラング:increase (2002)

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トークセッション:デヴィット・ラング&久石譲

久石譲:The Black Fireworks 2018  for Violoncello and Chamber Orchestra *日本初演
1. The Black Fireworks / 2. Passing Away in the Sky
(ソロ・チェロ:マヤ・バイザー)
デヴィット・ラング:prayers for night and sleep *日本初演
1. night / 2. sleep
(ソロ・ヴォイス:モリー・ネッター / ソロ・チェロ:マヤ・バイザー)

 

【New York PROGRAM】
Philip Glass / Recomposed by Joe Hisaisshi:2 Pages Recomposed *Japan Premiere
Mivos Quartet, Bang on a Can Festival Ensemble
David Lang:increase
Mivos Quartet, Bang on a Can Festival Ensemble
Talk Session:David Lang & Joe Hisaishi
David Lang:prayers for night and sleep 1.night / 2.sleep (U.S. Premiere)
Molly Netter (Solo Voice), Maya Beiser (Solo Cello), Mivos Quartet, Bang on a Can Festival Ensemble
Joe Hisaishi:The Black Fireworks 2018  for Violoncello and Chamber Orchestra (World Premiere) 1.The Black Fireworks / 2.Passing Away in the Sky
Maya Beiser (Solo Cello), Mivos Quartet, Bang on a Can Festival Ensemble

 

ニューヨーク公演風景

 

 

PROGRAM NOTES

5回目を迎える「MUSIC FUTURE」はニューヨークと東京で開催されます。敬愛するDavid Langさんと最新作を持ち寄ってのコラボレーションです。昨年彼の「pierced」を演奏した時に、是非一緒にコンサートをしたいと思ったのがきっかけでした。いわば夢の実現です。(久石譲)

 

2 Pages Recomposed
フィリップ・グラス / Recomposed by 久石譲 約16分

1969年に書かれたPhilip Glassさんの伝説的な楽曲「Two Pages」は5つの音の増減と8分音符で刻まれるリズムのみでできています。本来はある音色と繰り返しの回数を決定したら演奏の間中は一定に保たれるべき楽曲です。グラスさんは「最良の音楽は、始まりも終わりもない一つの出来事として経験される」と言っています。

今回、僕はあえてその楽曲を室内オーケストラの作品としてグラスさんの許可を得てRe-Composedしました。理由は彼を尊敬していること、親しいこと、それに加えてこの楽曲はSingle Track Musicでもあるからです。方法としては「The Black Fireworks 2018」と全く同じスタイルで、楽器の編成もソロ・チェロを除いてほぼ同じにしました。ニューヨークのリハーサルに立ち会った彼は大変喜んでくれました。この楽曲の強い個性はいかなる形を取っても変わらなず、必ず現代に新たに蘇る!そんな思いをこめてRe-Composedしました。(written by 久石譲)
*参考文献『アメリカン ミニマル・ミュージック』ウィム・メルテン著/細川周平訳(冬樹社)

 

increase
デヴィット・ラング 約11分

妻と私には3人の子供がいますが、私たちは名前のつけ方にある習わしがありました。それは、子供たちのために何百もの名前を考えるということです。それぞれの名前は、異なる伝統や性格、特性を表しています。例えば、聖書に出てくる名前、王や女王の名前、有名な探検家、ヒッピーの名前など。一度はその中から「Mountain(山)」「Wheat(小麦)」「Leaf(葉)」という名前を選びました。一方で私たちは古いピューリタン的な名前として「Charity(慈愛)」「Submit(提示)」「Industry(勤勉)」という方向性も考えました。もちろんこのカテゴリーではピューリタンの教役者であるコットン・マザーの兄弟の名前である「Increase(増やす)」も検討しました。

この名前は決意と楽観主義に満ちていて、大好きでした。未来、子供、コミュニティに望むものであり、または新しいアンサンブルのためのものでもあるのです。子供には結局使いませんでしたが、いまでも素晴らしい名前だと思っています。(written by デヴィット・ラング)

 

The Black Fireworks 2018
for Violoncello and Chamber Orchestra
久石譲 約20分

ここ数年僕は単旋律の音楽を追求しています。一つのモチーフの変化だけで楽曲を構成する方法なので、様々な楽器が演奏していたとしても、どのパートであっても同時に鳴る音は全て同じ音です(オクターヴの違いはありますが)。

ですが、単旋律のいくつかの音が低音や高音で演奏することで、まるでフーガのように別の旋律が聞こえてきたり、また単旋律のある音がエコーのように伸びる(あるいは刻む)ことで和音感を補っていますが、あくまで音の発音時は同じ音です。僕はこの方法をSingle Track Musicと呼んでいます。Single Trackは鉄道用語で単線という意味です。

「The Black Fireworks 2018」は、この方法で2017年にバンドネオンと室内オーケストラのために書いた曲をベースに、新たにチェロとオーケストラのための楽曲として書きました。伝統的なコンチェルトのように両者が対峙するようなものではなく、寄り添いながらも別の道を歩く、そのようなことをイメージしています。

タイトルは、昨年福島で出会った少年の話した内容から付けました。彼は東日本大震災で家族や家を失った少年たちの一人でした。彼は「白い花火の後に黒い花火が上がって、それが白い花火をかき消している」と言いました。「白い花火」を「黒い花火」がかき消す? 不思議に思って何度も同じ質問を彼にしましたが答えは同じ、本当に彼にはそう見えたのです。

そのシュールな言葉がずっと心に残りました。彼の観たものはおそらく精神的なものであると推察はしましたが、同時に人生の光と闇、孤独と狂気、生と死など人間がいつか辿り着くであろう彼岸をも連想させました。タイトルはこれ以外考えられませんでした。その少年にいつかこの楽曲を聴いて欲しいと願っています。(written by 久石譲)

 

prayers for night and sleep
デヴィット・ラング 約15分

人々が眠りにつく前の「祈り」について考えたのがこの曲の出発点です。ある人は一日の終わりに感謝して祈ります。またある人は夜そのものに、あるいは一日の始まりに感謝して祈ります。人々は穏やかに、善意や健康や幸福が広がることを祈っています。

夜中によい睡眠を得ることを祈る人もいます。多くの文化や宗教にとっての祈りについて学んでいくと、すべての祈りの背景には、普遍的な恐れの感覚があると感じました。私たちの周りにはうまくいかないことがたくさんあり、傷ついたり、攻撃を受けたり、間違ったりします。

日中は自分自身を守ることはできますが、夜、眠っている時は脆弱です。私たちは眠っている間に何かが守ってくれると信じなければなりません。だから私は自分の作品を2つのセクションに分けることにしました。「night(夜)」という曲は、夜中に気づき、恐れるかもしれないものをまとめたリストです。一方、「sleep(睡眠)」は、それらの恐怖から身を守ることができるかどうかを問う祈りについてのものです。

私はインターネットの検索エンジンで「夜になると…」という文章から始める言葉を検索することから「night」の詞を作り、ユダヤ人の伝統的な就寝時の祈りをもとに「sleep」の詞を作りました。(written by デヴィット・ラング)

(PROGRAM NOTES ~久石譲 presents MUSIC FUTURE VOL.5 コンサート・パンフレット より)

*コンサートパンフレットには「prayers for night and sleep」歌詞も掲載

 

 

ここからは、感想をふくめた個人的コンサート・レポートです。

 

コンサート本演30分前(18:30~)から始まったのは、第2回『Young Composer’s Competition』優秀作品受賞作の講評/演奏セクションです。まず進行役を務める依田謙一(日本テレビ/同コンサート・プロデューサー)と久石譲がステージ登場。久石譲によるコンペティションの意図や傾向、そして受賞作についてのトークがありました。ここで久石譲はステージをはけ、つづけて審査員を務めた茂木健一郎、小沼純一、島田雅彦の3名が登壇(22日公演)。前述した順番でそれぞれコンペティションの感想が語られました。

受賞作「時と場合と人による」は、ヴァイオリン、クラリネット、ピアノという編成になっていて、リズミカルで明るいミニマル・ミュージック。演奏終了後、客席からステージへ上がった受賞者の澤田恵太郎さんへも大きな拍手が送られていました。

 

第2回『Young Composers’s Competition』の【審査員評(抜粋)】などは公式サイトにて閲覧できます。

https://joehisaishi-concert.com/mf-2018-jp/comp2018-jp/

 

また会場で配られたコンサート・パンフレットには、

”2019年秋に開催予定の「MUSIC FUTURE Vol.6」において「Young Composer’s Competition」第3回を開催予定です”

と告知されていました。来年以降もコンサート開催ふくめて楽しみです。

 

 

今年の「Vol.5」は昨年の「Vol.4」からの発展・進化という印象が色濃く反映されているように思います。「2 Pages」も「The Black Fireworks」も昨年披露されたヴァージョンをさらに追求したものになっています。昨年デヴィット・ラング作品を取り上げたことがきっかけ、今年は作品を持ち寄っての新作共演を果たしています。シリーズのなかでは一番聴きやすい馴染みやすいプログラムだったとも思います。感覚的な言い方をすると「エモーショナルなミニマル」が昨年を経てより鮮明に表現された2018年。コンサート・シリーズ化はナンバリングを重ねるだけではなく、プログラミングも点と点が線になり広く深く進化しつづける「MUSIC FUTURE」コンサート。

 

2 Pages Recomposed
フィリップ・グラス / Recomposed by 久石譲

昨年「Vol.4」では、エレクトリック・オルガンと木管四重奏、マリンバという編成だったものを、今年「Vol.5」では室内オーケストラ編成に拡大、かつ「The Black Fireworks」と同じスタイルをとっている。これはふたつの作品を並べて聴くと(来年以降CD化されたときに)より感慨深いものが見えてくるように思います。Recomposedとなっていますが、フィリップ・グラスの最小限の音型素材を、久石譲が変化自在に料理した。久石譲カラーが全面に打ち出された作品になっています。

ちょうどこのタイミングでCD化された昨年「Vol.4」からのライブ録音盤『MUSIC FUTURE III』に「The Black Fireworks(バンドネオン版)」が収録されています。CDライナーノーツの解説がとてもわかりやすく学べることが多かった。そのなかに、このようなことが書かれています。

”第1楽章は、バンドネオンとピアノ、そして弦楽器の交替によって演奏される短いメロディーの繰り返しで始まる。このメロディーが変容していく過程で、メロディーのいくつかの音が木管楽器で演奏され、単一のメロディーに少しずつ色彩感が加わっていく。ホケトゥス(「しゃっくり」の意)と呼ばれるこのアイデアによって、単旋律から複数の旋律が浮き上がって聞こえる錯覚的な効果が生まれる。

楽章中盤以降、短音ばかりで構成されていたメロディーのいくつかの音が、残響音のように長く引き伸ばされ、メロディーに和声的な彩りを加える。さらにその後、メロディーのいくつかの音がパルス状に繰り返されることで、今度は「人力エコー」が実現される。”

Disc. 久石譲 『久石譲 presents MUSIC FUTURE III』 より一部抜粋)

つまりはそういうことが、この「2 Pages」でも行われていたと思います。単旋律とスタイルの方法論において。さらには音型に合わせて刻まれるパーカッションも大きなアクセントに。オリジナル版「2 Pages」はモチーフを増減させることを貫く”始まりも終わりもない”金太郎飴のようなミニマル・ミュージックの原点です。一方久石譲版は、モチーフを伸縮増減(楽器編成やパート展開)、躍動するエモーショナルなミニマル・ミュージック、ただ繰り返すミニマルではないミニマルをベースにした独自の表現方法。久石譲のひとつの答えがこの作品に凝縮されています。それは俯瞰してみれば、「2 pages」から「The Black Fireworks 2018」までのプログラムを通して一貫したコンセプト、これが2019年音源化されたときには収穫の多いCD作品になるはず。新旧ミニマル・ファンも納得のかっこよさです。

 

increase
デヴィット・ラング

”「Increase」はアメリカのアンサンブルAlarm Go Soundに書きました。彼らはとても評判になっており、スティーヴ・ライヒ、ジョン・アダムズともツアーやレコーディングで多くの素晴らしい仕事をしています。この曲は彼らの活動が始まったばかりの頃に書きました。私が彼らのために初めて曲を書いた作曲家だったのです。これはとても光栄で、かつ責任のあることでした。新しいアンサンブルに対しての素敵な贈り物になると良いなと思いました。若いアンサンブルにこれからIncrease(増進)し幸せになり、実りが多く、そして沢山素敵なことが起こると良いという気持ちが入っています。”

Info. 2018/09/05 「ミュージック・フューチャー Vol.5」デヴィット・ラング インタビュー動画公開 より抜粋)

オリジナル版忠実に再現されていた本公演です。増進のピークを迎えるクライマックス(オリジナルCD盤 8:11~)は、より強烈なパーカッションと楽器たちの重厚感と音圧、爆発するかたまりのような印象をうけた久石譲指揮版でした。

(David Lang: Writing on Water CD収録作品)

 

トークセッション:デヴィット・ラング&久石譲

休憩を挟んでのトークセッション。進行役の依田氏と通訳をまじえて。質問形式で語られた内容は、本公演PROGRAM NOTESに記されたこと、コンサートに先がけて公開されたデヴィット・ラング、久石譲の各動画インタビューと同旨になります。ニューヨーク公演でも同じ構成でトークセッションが繰り広げられたのだろうと思います。

デヴィット・ラングの英語を日本語に通訳するだけでなく、久石譲や進行者の日本語も英語に通訳されるという、完全2カ国語構成。会場には海外からの観客も多かったです。それは会場ロビーでの観客風景(会話言語)でも感じましたし、トークセッションでのデヴィット・ラングのユーモアあふれる語りに対して、その場で笑いが起こるという光景(英語を理解しているお客さんが複数いる)でも感じました。

 

The Black Fireworks 2018
for Violoncello and Chamber Orchestra
久石譲

昨年は、狂気を見たと書いたのですが、今年は、彼岸を見た。「The Black Fireworks」バンドネオン版から「The Black Fireworks 2018」チェロ版へ改訂された作品です。バンドネオンとチェロそれぞれをソリストに迎えることでオーケストレーションのバランスや修正はもちろんあったと思いますが、大きなところの音楽構成は変わらず継承しているように思います。ふたつの異なるスタイルで書かれた「1. Black Fireworks」と「2. Passing Away in the Sky」。もともとはこの二楽章で完成としたなか、直前に何か足りないと急遽書き下ろされた「3. Tango Finale」はバンドネオンを強く想定して追加されたもの。したがって、「The Black Fireworks 2018」は1.と2.の二つの楽章で完結しています。

楽器の特性からくる印象の違いはかなり大きなものがあります。ストレートに突き抜ける音色、幅広いオクターヴ奏法、ザッザッという激しいパッセージのバンドネオン。ビブラートを活かした太くダイナミックな音色、微妙な音程感の表現、ザクッザクッという激しいパッセージのチェロ。これだけ対照的な楽器からつくりあげられる音楽世界は、ヴァージョン違いという安易な表現ではなく、まったく異なるふたつの姉妹作品と受けとるべきでしょう。楽器特性を書きながら、そうするとパート譜の組み換えはあったかもしれません。ここはバンドネオンを活かしたフレーズだったけれど、チェロ版は別のフレーズを担ってもらったほうが豊かに活きるから、これはバックで支える室内オーケストラの○○(楽器)に組み替えよう、のように。だからこそ、作品全体から醸し出される雰囲気に異なる印象をもった。それが冒頭に書いた、昨年は狂気を見た、今年は彼岸を見た、です。

なんといってもバンドネオン版収録の『MUSIC FUTURE III』が一年越しCD化届けられたばかり。来年「The Black Fireworks 2018」が音源化されたときに、やっとふたつを並べてなにかを語ることができるかもしれない。ひとつだけ言えること、この作品は「THE EAST LAND SYMPHONY」などの久石譲交響作品と同じように位置づけられる”べき”作品です。単旋律…実験?こじんまり?スモールピース?…、いえいえその世界観はシンフォニーに匹敵するほど広く深い、久石譲のオリジナル代表作に値する渾身の作品です。

 

prayers for night and sleep
デヴィット・ラング

”今回はコンサートのために新曲を書きました。「Prayers for Night and Sleep」というタイトルで、チェロのソロ、ソプラノのヴォーカル、そしてストリングアンサンブルがバックにある曲です。ある意味デュエットの後ろに反響する伴奏があるという感じです。”

”チェリストは私の古い友達で何回も一緒に演奏しているマヤ・バイザーです。友人とBang on a Canというグループをニューヨークで組んだのですが、マヤはこのアンサンブルの最初のチェリストでした。彼女はとてもエモーショナルで激しく、大きなサウンドで存在感のあるアーティストです。ソプラノ歌手は最近になって一緒に仕事を始めた人でアメリカ人のモリー・ネッターさんです。私が教えているイエール大学で数年前に彼女が生徒だった時に知り合い、私の作品を歌いました。クリアで美しいバロック的な声だと思ったのですが、彼女がその後プロとなりニューヨークに移住した後は、次々とソロやアンサンブルの色々な仕事をしています。彼女とも今回このプロジェクトで一緒に仕事ができることを嬉しく思っています。”

Info. 2018/09/05 「ミュージック・フューチャー Vol.5」デヴィット・ラング インタビュー動画公開 より抜粋)

とても美しく神秘的な作品です。「1. night」は素人表現をするとビョークの世界観に親近性のある、幻想的で奥深さのある深海に溺れるような心地よさ。楽曲中盤では激しいむき出しのチェロのパッセージと呼応するヴォイス。「2. sleep」は「スンマ/アルヴォ・ペルト」のような作品にも通じるチェロの神秘的な旋律とそれを波紋のように支える弦楽、そこへ織り重なる美しいヴォイスの調べ。音域表現の広いチェロだからこそできる低音から高音へのアルペジオ的フレーズ。官能的ともとれますが、内なる声を導きだすような清く静謐な世界。個人的には『prayer』と題されたこの作品、海をイメージさせます。蒼く深い海へ溺れていく「1.night」、穏やかな波に揺れ漂う「2.sleep」。とても大きな世界、包みこまれる世界、人の小ささと孤独、捧げる祈り。宗教性もあるでしょうが、人が人らしくいるための祈りの音楽、そのように感じました。久石譲はトークセッションで「very beautiful piece」と言っていました。

デヴィット・ラングという作曲家だけでなく、一緒に音楽活動をする海外奏者まで迎えた本公演はとても贅沢です。ニューヨーク公演の凱旋公演でもあり、アメリカ日本2カ国同時に発表される久石譲とデヴィット・ラングの新作。本場の音楽を日本で完全に体感できる、そんな貴重な経験ができる機会はなかなかありません。ステージを目の前に音楽に包まれながら、幸せな体験に感動していました。ずっとこのままエンドレスにつづいてくれれば、そう思わせる慈愛に満ちた音楽と静かなる余韻。

 

 

 

「Music Future」が支持されている理由

知的な好奇心、それを満足させるコンサートっていうのは比較的少ないんですね。難しすぎて頭抱えて出ていっちゃうようなものが多くなってしまう。ところが、ミニマル・ミュージックをベースにしたものには、基本的にはある種ハーモニーもありリズムもあり、そういう意味では実はお客さんとの垣根は少ないと言いますか、とっつきやすい部分があると思うんですね。僕のいつも思っていることなんですが、音楽には良い音楽と悪い音楽、おもしろいのとおもしろくないのと、これしかないと。そういう意味でいうと、最先端であろうときちんとしたいい音楽で、なにかきちんとした内容があるものを届ければきっと通じるんじゃないかと。そういう想いで選んできてて、そのところで今お客さんがついてきてくれてると思います。

ミニマル・ミュージックについて

構成する、全体をする、単に繰り返しするだけだったら思いつきで誰でもできます。だが、それを5分、10分、30分の曲にするってなると、そこには徹底した論理的なシステムを導入しないと難しい。それをある意味では思想と言ってる。まあ考え方ですよね。それがないと単なるファッションになってしまう。ラングさんもそうですけどね、ミニマルやってる人ってやっぱりある種の決意がすごいあります。ほんとにやってる人はね。つまり誰でも使えそうな題材を扱いながら、それを一つの楽曲に仕上げていくわけですから。それは、不協和音だ特殊奏法だと羅列していくいわゆる普通の現代音楽よりは、よっぽど逆に様にならないんですよ。僕は、ヨーロッパから来て今多くの作曲家がやっている不協和音の、あるいは特殊奏法をいっぱい使ったやつ、これは”現代音楽(contemporary music)”と命名しています。ですが、ラングさんとか僕がやってるスタイル、こういうのを僕は今”現代の音楽(modern music)”って言っています。完全に分けて考えてて。Music Futureでは”現代の音楽”しかやらない。

Info. 2018/10/11 「ミュージック・フューチャー Vol.5」久石譲 インタビュー動画公開 より抜粋)

 

 

久石譲が提示する最先端の”現代の音楽”、それは好奇心と観客への挑戦ともとれる斬新なプログラム、ある種の忍耐を必要とすることも孕みながらもコンセプトは揺るがない。シリーズを追うごとにコンサートは満員御礼、回を重ねるごとに新しい音楽へやみつきになる聴衆、興味をもって足を運んでみる聴衆が増えている証でもあります。

上の久石譲インタビュー動画は、日本語で語られ英語テロップが表示される構成になっています。耳で聴きながら目で追いながら、”現代音楽”と発せられた言葉を”contemporary music”と英語表記し、”現代の音楽”と発せられた言葉を”modern music”と英語表記されていたところに、なるほどそうかもしれないわかりやすい表現だなと目をとめました。

少し話しはそれますが、W.D.O.2018コンサートで披露予定だった「Single Track Music 1」オーケストラ版(世界初演)。直前でプログラム変更、実演はなりませんでした。僕はこれ、コンピューターによるデモ・シミュレーションではうまくいっていたものが、ホールリハーサルでは思っていた狙いどおりにはならなかったのでは、と推察しています。それは「Single Track Music」という単旋律の持ち味が、大きいホールの音響ではうまく機能しなかったのかもしれないと。響きや残響から広がってしまうもの、音圧は増すけれどシャープに輪郭くっきりにはならない、狙った音楽構成と表現が難しくなる。裏を返せば、久石譲が今追求している「Single Track Music」は、「MUSIC FUTURE」コンサートのコンセプトと小ホールという会場をもって見事に具現化できるスタイルとも言えます。だからこそ、そこにこそ、この「MUSIC FUTURE」コンサートの大きな意義があるように思うわけです。久石譲の音楽活動の大きな軸のひとつとして来年以降の開催も期待はふくらみます。

 

ニューヨーク公演も成功させ、実りの多いコンサート・シリーズ。来年もNY公演はあるのかアジアにも波及していくのか、世界が注目する最先端の久石譲音楽です。

 

コンサート開催にあわせるタイミングでCD化される「MUSIC FUTURE」ライヴ音源。2017年コンサートの模様は『MUSIC FUTURE III』に収録されています。そして2017年(Vol.4)から2018年(Vol.5)は継承しさらに推し進めたプログラム。点と点がしっかりと線になっている音楽を、2019年もコンサート&最新音源化楽しみにしています。

特設CD販売コーナーでは、会場購入者のなかから先着サイン会抽選券付き。両日あわせて80~100名近くが久石譲とデヴィット・ラング両氏からサインをもらえるという幸運にめぐまれました。

 

 

from 久石譲オフィシャル Facebookページ より

*モノクロ調の本公演コンサート・パンフレットには、同じ写真がいくつか掲載されています。

 

 

from 2019.1.15

 

 

 

 

Related page:

and

Disc. 久石譲 『久石譲 presents MUSIC FUTURE III』

*室内交響曲 第2番《The Black Fireworks》~バンドネオンと室内オーケストラのための~ (2017) 収録

 

 

Blog. 「Invitation インビテーション 2006年11月号 No.45」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/11/29

スポーツ×エンタメ業界誌「Invitation インビテーション 2006年11月号 No.45」に掲載された久石譲インタビュー内容です。

 

 

アジアの香りに弾けた
久石譲のミニマリスト宣言

”美しく官能的でポップなアジア”──
そんなテーマが掲げられた作曲家の最新ソロアルバムには、アジアの中の自身を見つめ直す作業だけにとどまらず、彼の原点であるミニマル音楽への熱い思いも込められている。

文=賀来タクト

 

ピアノをフィーチャーしたアルバムとしては1年9ヵ月ぶりとなる久石譲の最新作『Asian X.T.C.』は、その題名から明らかなように、アジアを題材に選んでいる。10月28日より日本でも公開される韓国映画『トンマッコルへようこそ』をはじめ、最近何かとアジア圏の映画に携わることが多い彼にとっては、確かに無理のない一枚に映る。

「自分の中でアジアをもう一度見つめ直す必要が出てきたんですね。そこで改めて思ったのは、アジア人ってすごくかっこいいということ。女性は肌がきれいだし、男性も大地に根ざしているかのようなエネルギーがある。東洋思想のひとつとっても、善と悪の相反する二面性が共存していて、西洋みたいに悪はダメっていう発想がない。単純に1+1=2では終わらない世界がいっぱいあるんです。映画の仕事でもいい出会いが重なって、全てがいい感じでアジアに向いていったんですね」

時代の風に流されているだけではない。アルバムを紐解けば、そこにはメロディックな映画・CM曲に加えて、若き日々を彷彿とさせるミニマル技法に基づいた楽曲も鮮やかに並ぶ。アジアという主題の狭間に見え隠れする、作家としてのこだわりがまぶしい。

「例えばフィリップ・グラスは東洋思想に刺激を受けて作品を作っていましたが、その対象となったアジアから誰も育たないというのは変でしょ。アジア人のミニマリストが、ちゃんといるべきじゃないか。じゃ、それを誰が担うのかといえば、アジアがベースにあって、そのうえミニマルを原点に持っている僕しかいないだろうと」

原点回帰というよりも、新たな出発のための決意表明といえようか。

「ミニマルをベースにやってきた経験と、ポップスで培ったリズム感、単純に言えばノリ、グルーヴ。それが両方きちんと息づいたところでの、自分にしかできない曲。それを書いていこうと決心がついた最初のアルバムです」

(Invitation インビテーション 2006年11月号 No.45 より)

 

 

久石譲 『 Asian X.T.C.』

 

 

Blog. 「料理王国 2006年11月号」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/11/28

雑誌「料理王国 2006年11月号」に掲載された久石譲インタビュー内容です。稲越功一(写真家)ホストによる連載「レストランのふたり」コーナーで、久石譲と茂木大輔を招いての内容になっています。

茂木大輔さんは、NHK交響楽団主席オーボエ奏者で、久石譲との関係は義理の従兄弟にあたります。

 

 

連載 レストランのふたり 8
撮影・インタビュー 稲越功一

レストランに映える人には必ず魅力的なストーリーがある。気心の知れた者同士、お気に入りのレストランでならなおのこと、そのストーリーは鮮やかに響くだろう。そこで、毎月ふたりのゲストにご登場いただき、人物写真の大家、稲越功一氏がインタビュアーとして加わって親しい間柄のふたりに食の話から仕事のこと、人生観に至るまで自由に聞き出していただきます。

 

久石譲(音楽家)× 茂木大輔(NHK交響楽団主席オーボエ奏者)

アジアの官能性をテーマに

稲越:
「久石さんはニューアルバム「Asian X.T.C.」を出されたばかりですが、なぜこの新作ではアジアをテーマにされたのですか?」

久石:
「去年、韓国・香港・中国の映画音楽をやらせていただいて、僕の中でアジアの風が吹いていたんです。しかし新作に取りかかって困ったのは、アジアは実に遠い、ということでした。日本で暮らしていると欧米の方が意識的には身近で、アジアはやはりその先にありますよね。」

稲越:
「確かに距離的には近くても感覚的には遥か遠い感じがしますね。」

久石:
「アジアのイメージは自然が豊かで、皆が自転車で走っている……、という程度でした。そこでアジアの色っぽさや官能性にフォーカスしたんです。女性の肌はキメ細かく美しく、男はがっしりしていて土の匂いがする。そんなアジアの格好よさをテーマに定めたら全体が動き始めたんです。」

稲越:
「僕もアジアに15年ほど通っていますが、7~8年経ってやっとアジアの風景に馴染みました。それほど通わないと同じ土俵に立てません。」

久石:
「中国の音楽家とも仕事をしましたが、彼らはソリストになるように教育されていて、技術はすごいけれどアンサンブルはそこまでではない。人に合わせるという感覚が日本人ほどないんですね。」

茂木:
「N響でも指揮者のタン・ドゥン氏など中国人音楽家やピアニストを招くことがありますが、彼らは何を演奏しても凄烈で、僕らとは感覚が違う。色にたとえると赤と青、真っ黒と真っ白という印象で、良くも悪くも明快です。ラフマニノフなど内省的な曲はもっとモヤモヤしていてもいいと思いますが、はっとさせられる新奇なおもしろさはありますね。」

久石:
「北京のチャイナ・フィルハーモニーと、この秋のアジアツアーで共演するのですが、すごく上手い。音が艶やかで、メロディも豊穣でたっぷりとし、黄河の流れのようです。」

稲越:
「日本は「奥の細道」ですが、あちらはシルクロードですよね。」

茂木:
「彼らは優秀です。日本の交響楽団の演奏は精密で完璧ですが、暴力的にでも観客に攻め込んで訴える、ということがない。それこそが交響楽が持っている強い本質ですが、日本ではついにそれが芽生えず根付かなかった。結論めきますが、洋楽が日本に入って長い年月が経ち、このように断言してもいい時期だと思います。」

久石:
「それは日本人論に繋がりますね。民族音楽学者の小泉文夫氏によれば、日本では伝統が継承され、太古の雅楽が今も残り、数百年前の音楽を今も聞くことができる。しかし、中国では伝統芸能でも自分でいいように工夫してしまう。楽器の琵琶は、昔の四弦のものは正倉院に残っていても中国には今、五弦の琵琶しかない。日本は伝統を守るけれど、創意工夫する能力が弱い気がします。」

稲越:
「その通りかもしれませんね。」

久石:
「中国や欧米では伝統の踏襲なんて冗談じゃない、オレは今生きているんだ、と古いものを否定して強い気持ちで壊していく。ひとりの力では変わらないけれど、積み重なれば大きなうねりとなって伝統の形を変えるダイナミズムになる。だから日本の停滞感は気になりますね。」

茂木:
「海外には経験を重ねて50歳や60歳でも爆発するようなパワフルな人がいますが、日本では難しい。各人の意識は高いものの、成功すると新しいものに踏み出す気概がそがれてしまう。日本にはそんな空気が蔓延している気がします。おもしろいことをやり続けるには力を尽くさなければならないと、自戒しています。」

 

善悪を受け入れ共存させるアジア

久石:
「でも、日本人やアジア人にしかできないこともありますよね。西洋音楽という土壌で彼らと同じ発想になるわけがない。彼らはキリスト教的文化の中に生き、それは彼らのエネルギーでもある。バリ伝統のガムランやケチャもそうですが、アジアでは善悪が共存し、両方を受け入れる。それは東洋人でなくてはできない発想です。自己の中の優れた部分、最悪な部分、両方含めて自分であり、人である、だから自然に生きられる──これはいいことです。原理主義的に、「人は、音楽は、社会は、家庭は、こうあらねばならない」、と突き詰めて考えてなくてもいいんです。」

茂木:
「西洋音楽に対しても、本家より分家である日本の方がルールに敏感になってしまうんですよね。」

稲越:
「日本の自然のありかたも影響しますね。先日、伊勢神宮を訪ねて、山や森によって静寂や安らぎを得られることを感じました。溝口健二の映画を観て思うのですが、彼の映画には闇への執着心がかなりありますよね。」

久石:
「今は、闇といった意識下の恐れのニュアンスも失われつつありますね。新作では「インヤン」、つまり陽と陰といったアジアの光と影、善悪をテーマにその二面を際立たせ、ポップとミニマルなものを、あえてまとめないでそのまま形にしました。」

稲越:
「結果的にその境地になったわけですね。」

久石:
「宗教学者の山折哲夫さんとの対談で、「自分はなんていい人間なんだ」と思うことがあるけれど、「いい人は、長く続かない」ともおっしゃっていた。同感です。仏陀でさえ悟りを得て無になってもいろいろと悩んだわけでしょう。つまり音楽も「ならねばならない」という問題じゃない。無になって欲望を捨てても、逆に執着しても、自分のアンテナが小さくなるだけです。ならば裸になって、今の自分をさらけ出すことで、多くの人の心を駆り立てられればいい、あえてまとめなくてもいい、と考えるようになったんです。」

稲越:
「表現は、どこか負の部分を持たないと訴えられない。幸せすぎではダメですね。」

茂木:
「久石さんは自分の仕事をしておられるから、やりたいようにできてうらやましい。」

久石:
「しかし、N響は超一流です。」

茂木:
「N響は、この先どうするかという時期に来ています。世界一流の指揮者やソリストを日常的に迎え、国際水準の演奏を維持するところまでは到達していますので、次なる新しい感動、チャレンジを作り出していかなくてはならないと思います。ベルリン・フィルの場合、世界一のオーケストラを標榜して何十年もカラヤンと共同作業をし、彼が亡くなった時、今後どうするのかと世界が注目しました。さすがにドイツは芸事を本質的に見ている国だと思いましたが、彼らは世界一であることにもう興味はないんですね。そしてサイモン・ラトルというユダヤ人指揮者を迎えた。伝統の踏襲など考えずに、おもしろいことをするんです。」

久石:
「ベルリン・フィルがサイモン・ラトルを迎えたのは素晴らしかったですね。」

茂木:
「日本は育てたものを守ることに固執し、一旦壊しておもしろいことをしようとはならない。指揮者のタン・ドゥンさんを迎えた時、これ以上ヘンなものはないというほどその指揮は変わっていましたが、技術的にも感覚的にもすべてわかっていて、確信的だからすごい。久石さんにも、もっと指揮をしてほしいですね。ペンデレツキにしても、20世紀の偉大な指揮者は全員作曲家でした。久石さんのように音楽を知り尽くし、最先端の芸術を知り、現代人とは何かをわかっている人にぜひ振ってもらいたいと思います。」

久石:
「指揮は大変です。指揮者がきちんと方針を持っていればオーケストラも理解してくれますが、そうでなければ、あなたはどうしたんだ? と突きつけられますから。」

茂木:
「方針のない指揮者には、演奏している方も困りますね。」

稲越:
「久石さんには華もあるからマーラーを振っても、久石さんのマーラーになるんでしょうね。」

久石:
「スコアから何を発見するのか、難しい問題です。カルミナ・ブラーナを指揮したとき、最初の6小節をどうするのか、どう「間」をとるのか、一週間悩みました(笑)。自分のスタイル以前に、この音楽の持っているエネルギーをいかに出しきるのか、どうすれば演奏する人が上手くできる環境にするのか、そのために曲の世界観を徹底して考える──。その結果、自分のスタイルになる。作曲も同じで、最初からオレ流というものはありません。映画も同様、考え抜いて緻密に構成し、「流れ」や「動き」をつかまえられるかどうかが肝心なんですよね。」

稲越:
「写真も同じで、僕は「心の目」で見て撮ります。いい絵も描かれている部分と同時に、余白が重要です。」

茂木:
「オーケストラも同様で、音がない部分があり、そこにエネルギーを凝縮させていっせいに鳴らす。ブラックホールとビッグバンのように。音楽でいえば「余白」はリズム、テンポ、つまり呼吸です。」

稲越:
「理詰めではなく、感覚ですね。」

久石:
「作曲では、自分が興奮できないものは、演奏する人も、聴いている人も感動させられない。自己愛ではなく、自分で歓べない作品は誰も説得できないということです。」

茂木:
「文筆も似ていますね。僕は自分で書いた文章の最初の読者であることに時々、幸福を感じますよ。」

稲越:
「写真でも、その風景の最初の目撃者になる歓びがあります。未知の料理とも、初めて出逢って味わう歓びがありますが、久石さんはアジアの料理はお好きですか?」

久石:
「アジアは、その土地ごとに個性的な料理があっていいですね。韓国でも中国でも沖縄でも、私はそこにいれば朝から晩までその土地の料理を食べます。料理がまずい国は文化もダメでしょう。」

茂木:
「僕はあまり料理がおいしくないドイツが長かったですけれど(笑)。」

久石:
「いや、イギリスもまずいといわれますがおいしいですよ、味をつけないだけで、塩・コショウで各人好きに食べる。もっともロンドンではエスニック料理がうまいからそこにばかり行っていましたけれど。フランスだけのローカルな産物だったワインを世界に広めたのもイギリスですし、英国は仲介役としてはあらゆる文化に貢献しています。だから、目利きは完璧にできる国です。ヘンデルもドイツからイギリスに帰化しましたしね。」

茂木:
「ベートーヴェンの第9を書かせたのもロンドンの人ですしね、なるほど英国はすごい。」

稲越:
「音楽論から日本人論まで、今日は実に楽しいお話をありがとうございました。」

(料理王国 2006年11月号 より)

 

久石譲 『 Asian X.T.C.』

 

 

Blog. 「月刊ピアノ 2006年10月号」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2018/11/27

ピアノ楽譜付きマガジン「月刊ピアノ 2006年10月号」に掲載された久石譲インタビュー内容です。

時期としてはオリジナル・ソロアルバム『Asian X.T.C』の発表、活発となったアジア映画音楽の仕事、アルバムを引き下げての国内ツアーに、アジア五都市でのオーケストラ・ツアーです。

 

 

Pianist interview

久石譲

最新CDはアジアをテーマに、秋にはコンサート・ツアーで全国をまわる

次はアジアでいこう、という方向に風が吹いてきた

つねに新しい”何か”をテーマにかかげ、独自の音楽、そして映画を彩る音楽を次々と作り続けてきた久石が、今回、形にしたものは”アジア”。韓国の大ヒット映画『トンマッコルへようこそ』をはじめ、中国、韓国映画の音楽を数多く手掛けたこともきっかけとなり、彼は、自分の原点を探ることにベクトルを向けたのだった。

 

Depapepe、いいでしょう? 音楽に年齢は関係ないからね

-アジアをテーマにしたアルバムを作ろうという考えはいつごろからあったんですか?

久石:
「たとえば、トトロの中の『風のとおり道』だってそうだし、いま流れている伊右衛門のCM曲だってそうだし、アジア的なものをモダンな視点で作る、というコンセプトはずっとあるんです。今回は、もっとコアなところで、自分のなかのアジア的なものをきちんと確認して、それをアルバムとして表現しようと思ったんですよ。ここ数年、韓国映画や中国映画の音楽をやる機会が続いて、漠然と、次はアジアだなって決めていたところもあったし、そういう時期がきたな、という」

-自分のなかのアジア的なものを確認する、というのは具体的には?

久石:
「音楽をやっていると、目がどうしてもヨーロッパやアメリカに向いてしまって、そっち経由で見ちゃうところがあるんですよ。ピアノだって西洋楽器なわけだからね。そういう意味でいうと、アジアというのは近いのに最も遠い国、という感じなんです。でもぼくはアジアの一員で、自分自身を確認するうえでも、音楽的に自分がアジア人として何ができるのかをすごく考えたんですよね」

-確かにアジア的なサウンドですが、いままでの久石さんの世界から大きく逸脱した印象はありませんね。

久石:
「中国とか東南アジアの楽器を使えばアジア的になるかっていったら、そういうものでもなくて、結果的に使うのはいいんだけど、元々、音楽のコンセプト自体が西洋っぽいところに、そういう楽器を使ったからって、アジアにはならないんですよ。自分のなかのアジアを確認するということは、まずぼくの音楽の原点を考える、ということだったんです。そうしたら、ミニマルミュージックをもう1回作品として取り組みたいという強い意識が出てきたんですよ。学生時代はフィリップ・グラスやマイケル・ナイマン、スティーヴ・ライヒなんかを追いかけていたわけですけど、それをそのままやるわけじゃない。ミニマルが自分のアイデンティティを通ったときに、イギリス人でもアメリカ人でもない、アジア人が作ったミニマルになるわけですよね。それをいま、きちんとやるべきだと思ったわけです」

-韓国の大ヒット映画『トンマッコルへようこそ』(日本では10月公開)のテーマ曲がニューアレンジで収録されていますが、Depapepeのギターサウンドが新鮮でした。

久石:
「いいでしょう? たまたま、ぼくが通っているジムの受付の女性にDepapepeっていいですよ、って言われてね。でも、知らなかったんだよ、そのとき。で、すぐにCDを聴いてみたら、本当によくて。なんか一緒にやりたいなあと思ったんですよね。ぼくと彼らと3人だけで、どんなふうになるのかなと思ったんだけど(笑)すごくいい感じだった」

-きっと、ふたりは緊張したでしょうね。いきなり久石さんからのオファーで。

久石:
「音楽に年齢は関係ないからね。もし自分を中途半端に巨匠だなんて思ってるようなところがあったらできなかったかもしれないけど、そんなこと思ったらそこで終わっちゃう。ぼくは新しい出会いを大事にしたいし、彼らもすごく伸び伸び演奏してくれて、和気あいあいとやれましたよ」

-ワールドワイドになっていく活動のなかで、久石さんのフットワークはどんどん軽く、自由になっているように感じます。

久石:
「変なこだわりがなくなってるのかもしれないですね。自由になるためにはチャレンジしていくしかないし。やりたい、と思ったことも多少実績を積んできたことで、前よりも実現しやすくなってるのも確かだし」

-年末にはテーマの仕上げとしてアジア五都市でのツアーもありますが、その前の国内のツアーはどんな内容になるんですか。

久石:
「今回はバラネスクカルテットと一緒にやります。彼らとは6、7年前にも一緒にやったんですけど、そのとき、とてもいろいろなことを勉強したんですよ。演奏に関して。彼らはぼくが考えうる現代的なカルテットのなかではナンバーワンなんです。ロック、ポップスのようなリズム感から、クラシカルな実力も全部あわせ持ってる。自分が求めている音楽を最も表現できる弦楽四重奏団ですね」

-その直後はアジア五都市で、しかも各地のオーケストラと共演するそうですね。

久石:
「台北で始まって、北京、香港、上海、年明けはソウル。去年からやってきたアジアというテーマの仕上げとして、アジア各地でやりたいという気持ちは強くあって、あといろんなオーケストラとやることで、文化の交流ができればいいなと……なんて言っちゃうと大げさだけど、ダイレクトに、自分の音楽を、ぼくの指揮で彼らがどう演奏するか、どういう反応がくるのかすごく楽しみなんです。アジアといっても、各国全然違いますからね。そんな多様なアジアの魅力を存分に楽しみたいと思っています」

(月刊ピアノ 2006年10月号 より)

 

 

 

久石譲 『 Asian X.T.C.』

 

 

Blog. 「週刊ポスト 2006年9月22日号」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/11/26

雑誌「週刊ポスト 2006年9月22日号」に掲載された久石譲インタビュー内容です。

久石譲著書『感動をつくれますか?』発売にあわせての内容です。

 

 

ポスト・ブック・レビュー
著者に訊け!

久石譲

即物的なテレビや携帯が隆盛を極め、「感じる心」を失った日本人への伝言

音楽・久石譲──。そのクレジットを映画のオープニングやCM画面で目にするたびに、こういうトクベツな人間のもとには何もせずとも音楽が天から舞いおりるのだろうと、私たちはその奇蹟に易々と嫉妬しがちである。だが果たして、現実はどうなのか。『もののけ姫』『ハウルの動く城』といった一連のジブリ作品や北野武作品、CM『伊右衛門』『いち髪』などいまやトップブランドの趣さえある久石譲氏の音楽。その創造の現場を詳(つまび)らかにしたのが、本書『感動をつくれますか?』である。

結論から言えば、奇蹟は奇蹟的に、直感は直感的に、感動は感動的に、ただただもたらされるものではなかった。感動を”つくる”という、まさに死にもの狂いの工程が本書には言葉を尽くして綴られ、とかく曖昧にされがちな感性や直感の正体にも真正面から迫る。

いわく〈モノづくりは感性に頼らない!〉──創造し続ける人間にしか語れない言葉が、ここにはある。

 

 

〈ものをつくる姿勢には、二つの道がある〉〈一つは、自分の思いを主体にして、つくりたいものをつくる生き方〉〈もう一つの在り方は、自分を社会の一員として位置付けてものづくりをしていく在り方〉とある。そして作曲家・久石譲のスタンスは、意外にも後者だと。

 

「作曲家というのは、もちろん自分の頭の中で曲を作るんですが、その曲を第三者が聞き、共有して、初めて完結する世界ですから、そもそもが社会的な存在だと僕は思っている。

だからと言って、できるだけ沢山の人に聞いてもらうことが”正義”なのかというと、これがまた違うわけですね。自分がつくりたいものと社会的需要の間で常に揺れながら、どこまで独創的なものをつくれるかに心を砕く。その行為自体が社会的ですし、それ以前に誰しも生活している時間の8割5分は人間関係に悩み、社会での役割に悩むもの。僕ら音楽家だっていろいろあるんですよ(笑)。

そんな社会の一員である自分を受け入れることは、しかし何ら自分を損なうことにはならないと僕は思うんですね。それは曲をつくる人間であろうと工業製品をつくる人間であろうと、たぶん変わりはない」

 

『第一章 「感性」と向き合う』、そして『第二章 直感力を磨く』では、〈より完成度の高い”良い音楽”を書く〉ために、久石氏が自らに課す心得が披露される。

まず作曲家として最もプライオリティを置いているのは〈とにかく曲を書きつづけること〉。ハイレベルの力を継続的に発揮してこそ一流であり、そのためには〈その時々の自分の気持ちに依存しないことだ〉〈気分は感性の主軸ではない〉。

また気分に煩わされないよう、環境も徹底して整える。生活に一定のペースを保ち、食事や睡眠も、空腹でなかろうと眠くなかろうと定時にとる……あたかも長距離走者のように創造というゴールに向かって坦々と過ごす日々が綴られる。

 

「そうは言っても僕も誘惑には思い切り弱い人間なんで、遊びの誘いにはとりあえず乗る。そしてもう帰らないとやばいなと思いつつ飲んで、翌日反省する……スタティックにやってたら人間死んじゃうよ(笑)。それでも、いい音楽を書きたいという芯だけはブレない。そもそも規則的な生活にしても何にしても、すべてはいい音楽を書くための方策なわけで、あらゆる行動や選択の基準をこれと決めているから、逆に楽なのかもしれないですね。だいたい人間が本当に創造力を発揮できるのは1日2時間が限度だと思う。むしろ集中力を失った状態で仕事にしがみつくほうが危険で、自分が凄いものをつくっているような気になったり、主観に走りがち。主観だけでも、客観だけでも、いいものはつくれませんから」

 

〈日本人は、漠然としたイメージだけで「感性」という言葉を大事にしすぎている〉と語る久石氏によれば、感性と呼ばれるものの95%は、その人の知識や体験を土台にしたあくまでも論理的な思考。残る5%が感覚的な閃き、直感で、〈これこそが”創造力の肝”だ〉。

だからその直感はただ待っていれば降って湧くものではなく、論理の限界を自覚しながらも論理を重ね、あらゆる作為が意識から削ぎ落とされた地点に到達してようやく、〈頭で考えていたものを凌駕するものが生まれてくる〉。そのためには感覚的な自分も、論理的な自分も〈すべてひっくるめたカオス状態の中で向き合っていくこと〉……。久石氏が〈迷路の中で音を見つける悦び、これは音楽家として最高の悦びといってもいい〉と書くとき、その興奮と歓喜は読む者にも手に取るように伝わってくる。

 

「悲しい場面に悲しい曲」の薄っぺら

さて本書には昨今の感動をめぐる風景への戸惑いも微かににじむ。

とりわけ若年層における〈感じる心〉の鈍化は〈今日的な緊急課題になっている〉と久石氏は書き、〈感じる心が希薄であれば(中略)どんな事実もその人の頭と心を素通りしていくだけだ。それはすなわち無知となる〉と。

 

「感動が薄っぺらで底の浅いものになりつつあるのは事実でしょうね。例えばポップス系のライブに行くと観客は1曲目から総立ちで”感動”している。あればその場にいる自分に感動しているだけなんだろうな。

音楽でも映画でも、ある表現に重層的にこめられたものを汲み取ることをして初めて、熱くて深い本物の感動はあると僕は思う。でも今はテレビにしても常時テロップを流して、考えずとも情報が全部伝わるようにつくってあるし、携帯のような便利なツールがあることで、逆に人と関わるという本来圧倒的な経験からも感動が薄れてきている」

 

その果てに広がるのは、想像力を働かせるべき奥行きをなくした単純な世界。悲しい場面に悲しい曲が求められ、自分で考え、感じなければわからないものは、排除される一方だと。

 

「ある美術大学の教授が、19世紀には絵画に出会って人生が変わった人間が大勢いた、しかし20世紀に入って美術は社会的影響力を失い、21世紀はもはや絶望的、音楽はまだいいですね、と嘆いていた。でも音楽にしても、あるいは映画にしても、昨今の状況を見れば、こちらの感動も結構怪しくなっている気がする。

この、説明されないものを読み取り、感じ取る力の低下は、もしかすると日本が抱えている相当大きな問題で、一見大ごとに見えないのがかえって恐いよね。そして音楽はそれでは困るんです。想像力がなければひもとけない世界に生きることを誇りに思う僕としては、何とかしなければと」

 

だからというわけではないが、ここ数年、久石氏の感性は「アジアの風」をとらえているのだという。

 

「10月に出るアルバム『Asian X.T.C.』のテーマもそうなんですが、陰と陽なり、神と悪魔なり相反するものを両立させてしまうアジア的世界観が、僕の中ではとても大事なものになっていて……。信ぜよ、さらば救われんというキリスト教的価値観とは対照的に、南無阿弥陀仏と唱えていれば救われるとする懐の深さが、こんな時代にこそ必要なのかもしれない。

善悪や損得というった二元論で物ごとを決めつけず、混沌(カオス)の中にもどこか規律のあるアジアのよさ、ある種の官能性になぜ惹かれるのかと言えば、僕自身が常に混沌の中でのたうちまわっているからかもね(笑)。でもそうでなければ重層的で奥行きのある、つまり本当の感動に値する音楽などつくれない。表層的、即物的な情報を処理するだけの人生なんて淋しすぎます」

 

羞恥心さえ自在に操り、自分を開け放てるのも、ひたすら音楽のため。そういう仕事には人格すら宿るのだと教えられる、すべての仕事人のための実用書である。

構成/橋本紀子

 

”アジアの風”を感じる
久石氏が「感動」した一冊

『シッダールタ』 ヘルマン・ヘッセ著 岡田朝雄訳 草思社

ヘッセ後期の傑作を新訳。最上位階層バラモンの恵まれた境遇を捨て、苦行の旅に出た美青年・シッダールタ。あらゆる欲を、知への渇きさえも憎んだはずの彼が〈世界をあるがままにまかせ、それを愛し、この世界と進んで密接に結ばれるようになることを学〉ぶまでの魂の彷徨。

「シッダールタとは仏陀の幼名。でもドイツ人のヘッセは仏陀とは別人のシッダールタの物語を描くことで、仏教でもキリスト教でもない新たな価値観を創出する。さすがノーベル賞作家です」(久石氏)

 

(週刊ポスト 2006年9月22日号 より)

 

 

 

 

 

Blog. 「月刊ピアノ 2001年7月号」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2018/11/25

音楽雑誌「月刊ピアノ 2001年7月号」に掲載された久石譲インタビュー内容です。

初監督作品となった映画『Quartet カルテット』についてたっぷり語っています。

 

 

初監督作品は、まず初めに音楽ありき、の純音楽映画

音楽は僕をけっして幸せにはしない。こんなに苦しんでるのだから

宮崎駿、北野武ら名監督の作品の音楽を手がけてきた久石譲が、音楽映画『カルテット』を初監督。音楽ってそれほどのものですか。『カルテット』では何よりこの台詞をいわせたかったのだという。すでに2作目の監督作品も撮り終えたところだという彼に、初監督に挑んだワケを聞いてみた。

 

音楽とドラマが密にからんだ、ほんとうの”音楽映画”を撮りたかった

-初監督ですね。とてもおもしろい撮り方をなさったそうですね。スタッフたちは、ふつうなら脚本を持つところを、譜面を手にして撮影に臨んでいたとか。

久石:
「ふつうはいい絵をつないで、あとで音楽を作りますよね。ところが、『カルテット』は音楽を先に作ったから、時間軸がまず固定されちゃう。つまりMTVというか、ああいうビデオクリップと同じ作り。まず音楽があって、それに対して必要な映像を撮るというやり方なんです。譜面をもとにこの小節ではこっちの角度から撮って、こっちはアップとかっていうのを事前に作っておかないといけなかった」

-作曲しながら、同時に映像も考えていったんですか。

久石:
「それは、脚本の段階で見えてました。自分の原作の話だし、共同ですけど、同時に脚本も書いてましたから、脚本を書く段階でどういう映像にするかというのは、当然考えてますよね」

-それに合わせて、作曲したわけですね。

久石:
「そうですね。音楽が台詞代わりみたいなところがすごく多いから」

-やっぱりそうですか。

久石:
「クライマックスなんかでも、台詞はほとんどなくて、演奏していたり走ったりしてるだけというのが多いから。音楽が、台詞となって語ってなきゃいけない。その辺は大事にしました」

-演奏シーンは全体のどのぐらいを占めてるんですか。

久石:
「う~ん。4、50分くらいかな」

-4分の1から3分の1くらいですか。

久石:
「そうなると思いますね。日本で音楽映画って実はないんですよ。『ここに泉あり』っていう、経営危機に陥った群馬交響楽団が再生するまでを描いた映画がありましたけど、それ以外はあんまりないんです。海外には『シャイン』だったり『ミュージック・オブ・ハート』『海の上のピアニスト』『シャンドライの恋』『ブラス!』とかたくさんあります。でも、たしかにいっぱい音楽を演奏してるけど、シチュエーションにしか音楽がなってないんですよね。主人公が音楽家である証明にしかなってない。音楽がドラマとからんでクライマックスに向かっていくっていうのがないんですよ」

-音楽映画とはいわれているけど、実はそうではない?

久石:
「と、僕には思えてしまうんですよ。音楽家が主人公だから音楽映画になってるんだけど、音楽が主役になってるかどうかっていったら、あんまりなってない気がする。その辺を、僕はもっとやりたかった」

-具体的にはどんなふうに、音がうがストーリーとからんでいるんですか。

久石:
「メインテーマに相当する楽曲が、主人公のお父さんが作った曲という設定で、最後にコンクールを受けるときに、その楽曲で受けるわけですね。お父さんは優秀なコンサートマスターで、ソリストだったんです。それがある日、オーケストラを辞めて売れない弦楽四重奏団を始めたことで、家庭は窮乏、お母さんは家を出てしまって、家庭崩壊。主人公は、父親に対する恨みと、イコール音楽に対する恨みみたいなものとを両方抱えちゃってるという設定で、物語は始まるんです。それが最後に、父が残した弦楽四重奏を演奏することで、ある意味で父親を受け入れていく、と。その主人公の心理の変化の過程が、音楽をやっていく過程でわかっていくっていうかね。その辺がちゃんと出ればいいな、と」

-40曲くらい作られたとうかがってますが?

久石:
「演奏するシーンはそのくらいありますけど、同じ曲をリハーサル・シーンで繰り返しやりますから。それがいろんな音楽だったら、通常の音楽映画になってしまうでしょう。何のためにそこで音楽を演奏するのかといったら、単に音楽家だからじゃなくて、このドラマに即してリハーサルをしているわけですから。コンクールを受けるためのリハーサルだったら、いろんな曲をやったらヘンですよね。だから、実は、音楽映画としては音楽がすごく少ないんですよ」

-たしかにそんなに必要ないですよね。

久石:
「あともうひとつ、本当のことを言うと、時間がなかった(笑)」

-『カルテット』は久石さんご自身の物語でもあるとコメントなさってますが、そうなんですか。

久石:
「ストーリーは自分とはそう関係ないんですけども、僕にとってのリアルという面でね。たとえば、大学のシーンをどこで撮ろうかと、いろんな大学を見せてもらったんですけど、結局、自分が出た大学、国立音大しかない、と。キャンパスの真ん中にはやっぱり噴水(笑)。あったほうがいいんじゃなくて、なきゃいけない。庭ではラッパを練習していないと。ピャラララ、ピャラララとかってやっててくれないとダメなんです(笑)。監督というのはみんなどこかで虚構をやってるから、ウソっぽくなることをすごく恐れるんですね。そこでいちばんリアルなのは、自分の体験なんですよ」

-父親という存在を取り上げたのは、どうしてですか。

久石:
「父親をひとつのテーマにやりたいというのは、最後までこだわった部分ですよね。17歳の犯罪とか、少年事件が多発してますよね。報道を見ていると、彼らには父親の顔が見えないんですよ。事件に対応しているのは母親ばかりで。本来、ロックミュージシャンがね、なぜロックをやるかというと、父親の存在を乗り越えるためだったんですよ。つまり、いちばん身近な社会が父親だった。ところが、いまは父親がいない。いったいいつから日本はこんなになっちゃったのかなって。失われた父親ってやつをやってみたかった。やる必要がある、と」

-なるほど。久石さんは、音楽についても、「社会を反映できない曲を書きだしたらおしまいだ」ということをおっしゃってますよね。でも、音楽という抽象的なものに、社会をこめるってすごく難しいと思うんですけど。

久石:
「それはね、とっても深い問題で。僕はアーティストじゃないんですよ。芸術家じゃない。芸術家っていうのは自分を掘り下げていって、自分のことを表現できればOKなんですよ。僕がいまいるフィールドは一応ポップスフィールドなんですね。ということは、極端なことをいうと、売れてなんぼ、人に聞いてもらってなんぼ、という世界なわけですよ。一般の人たちが求めるニーズに無関係であってはならない。かといってニーズに迎合してもいけないんですよ。その辺のバランスがね……。時代の音ってありますね。それを、どこか自分のフォーカスのなかにちゃんと入れておかないと、いつのまにか孤立するだけになってしまう。たとえば、いま、ヒーリングが流行ってます。僕は癒し系って大嫌いなんですけど、でも、みんなが疲れてることは事実。だったら、エキセントリックではない音楽を聴きたいなというのが、ひとつの事実としてあるわけですよね。その部分はちゃんとつかまえておかないといけない」

 

音楽に対するコンプレックスが僕を走らせる

7月にスタートする福島県のうつくしま未来博・ナイトファンタジアの総合プロデュースと演出も担当なさって、そこでも映画を撮ってらっしゃるそうですね。2本目の監督作品ということになりますよね。

久石:
「『4 MOVEMENT』というんですけど、これは1本目の反省から、最新テクノロジーを駆使する方法でやってるんですよ。やっぱり100パーセント満足することって、ないじゃないですか。『カルテット』を撮りおえたあとも、あのシーン、なんでもうひとつ顔のアップを撮っておかなかったんだとか、そんなことばかり考えてたら、もう1本撮りたくなっちゃんたんですよね。『4 MOVEMENT』はね、すごくいい映像が何カットか撮れてるんです」

-何カットか、ですか。

久石:
「あっ、そういうこと言っちゃいけないか(笑)。でも、実はこれが映画のピンポイントなんですよ。北野監督もみんなおっしゃるんですけど、このシーンを撮りたくてストーリーを作ったということはあるんです。それが5つか6つ、その監督が命がけで、どうしてもこれを撮りたかったというシーンを持っている映画は、すべていい映画ですよ」

-そういうシーンのときには、音楽の音量は控えたりするんですか。

久石:
「音楽はないほうがいいくらいですよ(笑)」

-『カルテット』でいうと、どんなシーンですか。

久石:
「主人公が、お父さんが家を崩壊させてまでカルテットに打ち込んだことに対して、「音楽ってそれほどのもんですか」っていうシーンがあるんですよ。観ていると、すっと流れちゃう場面かもしれないけど、音楽家である僕が監督しながら、この台詞をいわせるっていうのは、すごく重いんですよね」

-久石さんのなかでそういう思いが?

久石:
「あります、正直いえば。こんなに全部を犠牲にして…。たとえば、この2日間すさまじい指揮をしました。その前は籠もりきりで一日10数時間、譜面を書いてます。そのまた前は、2ヵ月間籠もってレコーディング。1年間、ピアノにさわってないのに、ピアノをダビングするなんてことまで起きてくる。まったくよくやってますよね。何のためにやってるんだろうって、ふと思うことがあるんです。「音楽ってそれほどのもんですか」。この台詞をいわせるために、僕はこの映画を撮ったんじゃないかという気がしてます」

-いろんなものを犠牲にしてる、というかんじがあるんですか。

久石:
「もちろん、根底には、好きだからやってるというのがあります。ともかく、好きだからやってる。でも、音楽は僕個人をけっして幸せにはしてないんです。音楽のためにこんなに苦しんでるんだから。自分では、あんまり幸せな人生じゃないなってかんじはしてますよね」

-それでも、今回の初監督にしてもそうですけど、つねに新しい場所に向かって前進させてますよね。

久石:
「それはね、簡単なんです。音楽に対してコンプレックスがあるから」

-というと?

久石:
「つまり、僕よりうまいピアニストって山ほどいるし、僕よりもちゃんとスコアが書ける作曲家もいっぱいいるわけじゃないですか。いま、作ってる音楽にしても、いい部分もあるけど、こうやったほうがよかったかなっていう思いは、絶えずあるわけですよ」

-そういう意味でのコンプレックスですか。

久石:
「現実にも、もうちょっと早い曲を書けるんじゃないかとか、いろんなことを考えます。それを克服するためにやってるようなところがありますよね。どこかの落語家がいってましたけど、ふたつの道があって、険しい道といままでのやり方に近い道があると、必ず自分は険しい道を選んできたって。そういうわりにはその人たいした落語はやってないんですけどね(笑)。それと同じようなもので、安全なラインを狙わないようにはいつも心がけるんです。そうすると、ドキドキするじゃないですか。うまくいくかわからないから。だから、真剣になるでしょ」

-つまり、自分で自分を追い込んでいくわけですね。

久石:
「そういうことだと思いますよ。たとえば、『BROTHER』の作曲のとき、『ソナチネ』『HANA-BI』のラインを踏襲すれば問題なかったんですけど、あえて北野さんがあまり好きではないブラスの音を全面に押し出して、わりと硬質な響きにもっていった。これで説得したい、と思ったんです。そうなると、もう息が抜けませんよ」

-説得するには、それだけ構築させてないとできないですものね。

久石:
「そういうところで、自分を追い込んでいくんですよね」

-次はどこを見てらっしゃいますか。

久石:
「次は、秋のツアーに向けて、どうやってピアニストに戻れるか、去年はずっと映画を撮ってましたし、フランス映画の音楽もやったりで、実はあんまりピアノをさらってないんですよ。でも、秋は期待してていいですよ。久しぶりにフル・オーケストラとやりますから。頑張らなきゃと思ってます」

(月刊ピアノ 2001年7月号 より)

 

誌面写真下コメントより
「すごい名手が4人集まったからといって、弦楽四重奏はいい音を出せるわけじゃない。4人それぞれが個性的でありながら、どこかで自分を殺しつつ作りあげていったときに、はじめて音楽になる」

(月刊ピアノ 2001年7月号 より)