Blog. 「MUSICA NOVA ムジカノーヴァ 2007年3月号」久石譲インタビュー内容

Posted on 2019/03/18

ピアノの情報誌「MUSICA NOVA ムジカノーヴァ 2007年3月号」に掲載された久石譲インタビュー内容です。久石譲の創作活動への姿勢、芯のようなもの、普遍的に時折語られる大切なことが凝縮されています。

 

 

表紙の人

時間を超えて響いていく、美しい意志 久石譲

文:青澤隆明(音楽評論)

「過去は振り返らないんですよ、興味なくて」。久石譲はきっぱりと言う。「いまのほうが圧倒的にいい。前に戻りたいという気持ちはまったくないです。どんどん自分のやりたい音楽をやれる環境に近づいているから、いまが最高。そういう考え方ですね」。

いろいろな音楽が好きで、3、4歳のときにまずはヴァイオリンに触れた。「音楽をやるのは当たり前だと思っていたので、音楽家になる、と決心する必要はなかったです」。中学2年のとき、譜面を起こして吹奏楽の仲間に配るのが面白くて、それで演奏家より作曲家のほうがいいと思った。昨年から自身のオーケストラ作品を台北、香港、北京、上海、大阪で演奏し、3月、東京でのコンサートでツアーを締めくくるが、指揮者、ピアニストとしても広く活躍する現在でも、彼の音楽活動の根本が作曲にあることは揺るがない。「他人の曲は弾かないです。作曲家である自分が必要とする演奏を自分でしているから」。他の演奏家が弾くこともあまり考えていないと言う。「そういう意味では、積極性のある作曲家じゃないね(笑)。結果としてみんなに喜んでもらえるのが最高に嬉しい。だれかのために書いている、となった瞬間、作曲家としてのスタンスが変わってしまう気がして。最初に自分がいちばん喜べることを一生懸命やって、『うん、わかる』と聴いてもらえるのが理想です」。

ミニマルミュージックをベースに置く現代音楽の作曲家として出発し、「集団即興演奏を管理するシステムづくり」に取り組んでいた久石譲は、1980年代からポップス的なフィールドに入り、映画やCM音楽の名匠としても広く知られるようになった。そしていま、自分のスタンディング・ポジションを明確にする意味でも、弦楽四重奏やオーケストラ的な「作品を書こう」と考えている。「いちばんピュアに自分が考えていることを表現できる。それだけに大変と言えば大変ですけど」と語るピアノのためにも、数年前に発表した10曲に書き足し、全調性による24曲のエチュードとして完成させいたと意欲をみせる。「子ども用のピアノ曲も書きたいよね、作曲家として試されるけど。あまり難しくなくて、気持ちよくなれるものができたら最高」。

生活のなかに入ってくるようにピアノがあるといい、と語るその言葉は、久石譲のポップ・ミュージックが僕たちの日常を訪れるときのことをふと想わせる。日常生活と芸術的な美的時間を瞬時に結びつける表現者は、この現代をどのように生きているのだろうか。

「その時代の独特の空気、政治や経済も関係してくるけど、そのなかで自分が感じていることをきちんと表現したいというのはあります。ただ、単なる今日的な表現では、5年経つと古くなる。今日的な題材を扱いながらも、永遠のテーマになるような。本質的なところと関わりあえたらいいよね。そういうものをできるだけ探そうとしているところはあります。たとえばCMも、初対面の人の印象と近いところがあって、音楽はぱっと聴いた瞬間にその世界観がわかってしまう。それに、CMは15秒といっても1回じゃなく、何度もリピートして流れる。半年で色褪せてくるか、イメージが残るか、それが最大の試練と言えます」。

では、久石譲の音楽人生が一篇の映画だとしたら、いま、どんな物語のどのあたりを歩いているのだろう。こう尋ねると、音楽家は即座に「アンディ・ウォーホルが延々とエンパイア・ステイト・ビルを撮っていたような感じで、まあ、どこをとっても同じでしょう」と答えて笑った。「10年経っても、自分のスタンスは変わっていないと思う。今まで百パーセント満足したものはないからね」と。久石譲の不断の音楽冒険は、彼の愛するミニマル・ミュージックのように挑戦をくり返し、ひとつの限られた物語的な時間に帰着することはないのだろう。

「この次は絶対にクリアーにしようと、絶えず線になって反省して、さらに理想的な高い完成度の…、ここが難しいんですけどね。完成度が高ければいい音楽になるかというと、ものすごく立派な譜面を書いたからってそうはならない。むしろちょっと粗っぽく書いて、なんだかなあっていうときのほうが、人々に与えるインパクトが大きいケースもありますからね。実のところ、音楽がまだわからない。だからたぶん、10年後もそういうことに悩みながら、『いい音楽をどう創ろうか』と考えていくんじゃないかと思います」。

(ムジカノーヴァ MUSICA NOVA 2007年3月号 より)

 

 

Blog. 「GQ JAPAN 2006年3月号 No.34」 AUDI × HISAISHI 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2019/03/17

雑誌「GQ JAPAN 2006年3月号 No.34」に掲載された久石譲インタビュー内容です。AUDI特集のなかのひとつとして紹介されました。

 

AUDI x HISAISHI

「僕にとってクルマとは、大音量で音楽を聴けるプライベートな空間。そんな大切な時を共に過ごせる誠実で繊細なクルマです」

20年以上活動を続けている宮崎駿作品の音楽はもちろん、ふと耳にする短いCM音楽~サントリー緑茶・伊右衛門~であっても、聴く人の心を大きく揺さぶる久石譲の音楽。

「音楽って不思議なんですよ、思っている以上に歴史が短いんです。クラシック音楽が生まれたのはたかだか200年前、ポップスは1920年代以降ニューオーリンズのJAZZから。その後急激に数多くの音楽が生まれた。そんな中で大切にしているのは、出会ったことのない自分に出会ったような新鮮さ……自分自身が感動できるような音楽であることです」

最近では自ら指揮棒を振り、新日本フィルとの活動も増えている。

「自分が信頼するオーケストラが演奏することを想定して曲を書くと、よりエモーショナルな楽曲を作ることができるんです。実際に指揮をして経験を積み、それがまた作曲にフィードバックされています」

久石の活動の場は、世界に広がっている。昨年11月には香港映画のために中国のオーケストラの指揮も。

「大陸的な中国の国民性が出て、とてもよいテイクが録れました。言葉の問題はありましたが、改めて音楽に国境はないなと実感しました」

(GQ JAPAN 2006年3月号 No.34 より)

 

 

 

Blog. 「DVDビデオ・ぴあ 2001年10月号」 映画『Quartet』久石譲 インタビュー内容

Posted on 2019/03/16

雑誌「DVDビデオ・ぴあ 2001年10月号」に掲載された久石譲インタビュー内容です。映画初監督作品『Quartet / カルテット』についてたっぷり語られています。

 

 

映画の作曲家が映画を撮るということ
久石譲インタビュー

宮崎駿、北野武、大林宣彦といった人気監督作品の音楽監督として、現代日本映画の最前線を突っ走っている久石譲が映画監督に初挑戦した。その「カルテット」は、弦楽四重奏団を組んだ若者4人を追った青春ドラマ。だが、ただの青春映画ではない。これは久石いわく「日本初の音楽映画」。映画の作曲家が映画を撮るとき、いったいそこには何が生まれるのだろうか。

取材・文=賀来タクト

 

監督挑戦に当たり、久石譲は映画音楽の作り手としての自身を基本に置いた。職業監督としてではなく、映画音楽へのより深い理解を得るための「経験の一つ」だというのだ。

「いろいろお誘いをいただいてきた中の一つが形になってきたときに、それならと思って引き受けたんです。あくまで僕は音楽家ですから、その僕が監督するなら、ドラマに対して音楽がいかに絡みきれるか、音楽がセリフ代わりにものを言うように作れるか、そういうことにこだわってみたかった」

言葉を超えた映像と音楽のジョイント。久石が目指した映画こそ「日本初の音楽映画」であった。そういう理想にかなった作品は海外でもそんなに見当たらないと、苦笑いが漏れる。

「あえていえば、ジョン・コリリアーノが音楽をやった『レッド・バイオリン』くらいかな。黒澤明監督が”映画的”なる表現をされていましたね。音楽と映像が深く絡んでいったときに、そういう映画にしかできないものに迫れる瞬間って必ずあると思うんです。そういうところに1シーンでもいいから到達したかった」

偶然と言うべきか、「レッド・バイオリン」さながらに、その初監督作品「カルテット」では弦楽器とドラマが巧みに絡みあった物語が展開する。学生時代、弦楽四重奏団を組んでいた若者4人がふとしたことで再会、それぞれ人生の転換期を迎えていた彼らが今一度カルテットのコンクールに挑戦するというもの。随所に描かれる演奏シーンのために、久石は撮影前に使用する楽曲40曲を全てオリジナルで書き上げ、それに合わせて撮影を進めた。

「全体の半分弱くらいが音楽シーンで、時間軸に固定されますから、構成自体は難しくなかったんです。でも、セリフの投げ合いで感情を引っ張りすぎると音楽シーンのパワーがなくなっちゃうから、芝居は極力抑える、カメラは引くって決めてましたね。そういう意味では、北野監督的なやり方だったんですよ。過剰に説明をせずに、どこまで引いて見せるかという意味ではね。武さんは僕が映画を撮るというのを知っていたんです。あるとき一緒にご飯を食べていて、武さんが大杉漣さんに話をしていたんですよ。”ラーメンをおいしく撮る方法って、いかに本当においしいかと見えるようなカットを撮らなくちゃいけないんだよ。たいがいの監督がしくじるのは、いかにうまいかという内容を説明しちゃうから。トンコツ味でとか昆布のダシでとかさ、そうするとトンコツが嫌いな人はそれを聞いた瞬間、半分引いちゃうんだよな”って。大杉さんに話をするフリをして、たぶん僕に言ってくれたんだと思う。それがすごく残っていて、大変なヒントをいただきましたよね」

ちなみに、撮影現場では主要スタッフに使用楽器の譜面が手渡された。小節ごとにカメラの動きやアングルを決めるなど、絵コンテ代わりに使ったのだ。必死だったのはスタッフばかりではない。役者陣は楽器の実演を余儀なくされ、場面によってはプロに眼前で演奏をしてもらう、その動きにならいながら演奏シーンを撮ったのだ。

「音楽映画と謳っていながら、役者さんが本当に弾いているように見えなかったらアウトじゃないですか。演奏で観る人を引かせないようにするのは難しい。日本でそれをうまくやっている映画ってあまりないですよね。なおのこと譜面を渡されたスタッフもパニクってましたけれども(笑)」

撮影を終えてしばらく経ったある日、主人公の第1バイオリン奏者・明夫を演じた袴田吉彦に問えば「僕にとって素に帰る映画になっちゃいました」という声が返ってきた。演奏シーンの大変さに加え、芝居も概ね任されていたことが自分の原点を見ざるを得ない結果になったというのだ。

「それはすごく嬉しいな。本当に袴田くんでなかったらこの映画はできなかった。袴田くんの役は、父親の想い出のために音楽を愛していながら恨んでもいるという矛盾した気持ちを抱えていて、最後の最後まで笑わない。そんな女性から見たら嫌みな男をどう魅力的に引っ張るかっていうことでは脚本の段階から悩みましたし、逆にステレオタイプに陥らない人間を描けたという満足感も大きいですね」

ドラマ自体に目を移すなら、そういった「引きの視点」がもたらした独特の味わいに注目すべきだろう。どこか喉越しのスッキリした「涼しい映画」になっているのだ。

「あ、そこのところ、太字で(笑)」

破顔一笑。

「そう、泣かそうと思えば、そういうシーンはいくらでもできる。でも、観る人の心に作品を残したいのなら、寸止めにするというか、過剰な情報や先入観を与えちゃダメなんです」

日本の空気とは思えないサラサラ感があると言おうか。「カルテット」には湿気の少ない空気感が確かにある。

「ありがたいなぁ。まずウェット感をどう取っていくかというね、日本的情緒をとにかく外していく作業に徹しましたよね。それを日本の風土で撮るのは大変なんです。スタッフには”なぜもっと芝居をさせないんだ”という気持ちがあったと思うんです。その中で初心を貫いていくことは精神的には大変でしたね。その辺は”初監督で何も知らないので”といって押し通しましたけれど(笑)」

あとで振り返っても「カルテット」には嫌みなクドさがない。

「この映画、2回観た人の反応がいいんですよ。芝居や何かを全部言葉でやっていると2回観たいとはあまり思わないですよね。でも、音楽は2度聴いても嫌にならない。その音楽が今回、セリフ代わりになってますね。リピートに耐える映画になったかと思うと、とてもうれしいですね」

実は撮影を1年前に終えてしまっている「カルテット」の後、久石は既に監督第2作を撮りあげていた。その「4 Movement」では、音楽映画という括りはなかった。つまり、音楽家としてではなく、より純粋に監督という立場で撮った作品になったといえるのだが……。

「音楽家として最低にやりづらい作品でした。画が全部音楽的なカットなんです。音楽でやるべきアクセントやリズムというものを画が全部やってしまっていて、それに音楽で上乗せするなんて過剰でしょ? 一番やりづらい監督は久石譲ですね(笑)」

映画監督を経験して「脚本の読み方が深くなった」と、再び顔が締まる。理想の映画音楽とは何かを探るための経験は、想像以上の結実を希代の作曲家にもたらしたようだ。

「映画って”映る画(うつるえ)”って書きます。武さんはそれを”1秒間に24枚の絵が映し出されるもの”という表現をされた。僕にとってはアクション、動くことなんです。『カルテット』では音楽シーンを格闘技ともいうべきアクションで考えていました。セリフのない『4 Movement』では人の動きの部分部分を追っていきました。その動きをつかまえるということを、もっとやってみたい。映画は全部が出ますから、もっと自分を磨いてね。そんな気持ちが残ったのは確かです」

映画監督・久石譲が再登場する日はそう遠くはなさそうである。

(DVDビデオ・ぴあ 2001年10月号 より)

 

 

QUARTET カルテット

 

久石譲 『カルテット DVD』

 

久石譲 『4 MOVEMENT』

 

 

 

Blog. 「FM fan 1998 No.25 11.16-11.29」 『NOSTALGIA ~PIANO STORIES III~』久石譲インタビュー内容

Posted on 2019/03/15

雑誌「FM fan 1998 No.25 11.16-11.29」に掲載された久石譲インタビュー内容です。オリジナルソロアルバム『Nostalgia ~Piano Stories III~』のリリースタイミングになります。

 

 

久石譲

”歌のエスプリ”にスポットをあてた
「揺らぎ」のある新作をリリース

「ピアニストは”体力”をつけろと、おすすめします」と久石譲は笑って言う。「長野パラリンピック冬季競技大会」の総合プロデュースや宮崎駿作品、北野武作品の音楽監督、他アーティストへの楽曲提供など多岐にわたる音楽活動。とりわけ『もののけ姫』(宮崎駿監督)の音楽から『HANA-BI』(北野武監督)の音楽へと続いた時期には相当なハード・スケジュールをこなしたという。「ところが現在はその三倍も忙しいんです」という彼。来年にむけて、また北野武監督作品を担当するという。この超ハードなスケジュールを「今だから出来る」とガッチリと受けとめている。

そのさなかから生まれた、みずからプロデュースのニュー・アルバム『ノスタルジア~ピアノ・ストーリーズIII』。

「サウンドはガッチリと構築するスタイルなのですが、このスタイルを一回壊してみたい。メロディに集約し直してみたい。僕の場合、作曲もアレンジも演奏も自分でやってしまいますから、少し荒っぽくてもいいから原質が出るような、そういうアルバムを作ってみたいなというのが一番根底にありました。で、北野武監督『HANA-BI』ベネチア映画祭出品の間などでイタリアへ行って、イタリア的ニュアンスなんだというのが自分なりに分かりましてね。イタリアというとカンツォーネだとかオペラだとか、歌という感じがありますね。何かそういうところのアプローチをしたいなという……。

タイトルが『ノスタルジア』だからといって、郷愁といったニュアンスでは作っていないんです。われわれふだんレコーディングしていると、どうしてもドンカマで作っていく傾向がすごく多い。そればっかりだと、揺らぎのある音楽から遠ざかっちゃうんですね。歌のエスプリみたいなものが最近の音楽では、ほとんど聴くことが出来ませんよね。今、忘れがちになっているそういう重要な要素に、もう1回スポットを当ててみたい。それが最も新鮮なんじゃないか。そういうのが大まかなコンセプトです」

そして北イタリアのモデナでオーケストラをレコーディング。日本の音楽プロジェクトが北イタリアでのレコーディングは極めて稀。モデナ文化評議会が賛同し、フェラーラ・オーケストラとストロキ・ホールが協力した。これには9月4日から16日にわたる現地の有力新聞14紙が、大々的に久石のレコーディングを報道した。

「行く前から、向こうのオケはいやというほど歌うからねと言われましたが、はたして!」

全曲新録の10曲は、『紅の豚』『HANA-BI』『時雨の記』の映画、CF、テレビでおなじみの曲のほかに書き下ろし曲、そして、ニーノ・ロータの「太陽がいっぱい」、声楽のアルトの歌手なら必ずといっていいほど歌うサンサーンスの「バビロンの丘」も含めて、久石譲のピアノの”うた”が満載だ。

ほかの仕事の合間をぬって、10月15日から12月16日まで全国主要9都市で、みずから構成・演奏する”久石譲ピアノ・ストーリーズ’98 -オーケストラ・ナイト-”。コンサートがあるとピアノに使う両の上腕が太くなるという生活は、まだまだ続く。久石の腕が太くなるにつれて、人々の心の体力がつく。

(インタビュー・文:三橋一夫)

(FM fan 1998 No.25 11.16-11.29 より)

 

 

久石譲 『PIANO STORIES 3』

 

 

 

Blog. 「FMステーション No.7 1998年4月5日号」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2019/03/14

音楽雑誌「FMステーション No.7 1998年4月5日号」に掲載された久石譲インタビューです。映画音楽論について日本映画界・ハリウッド映画もふくめてたっぷりと語られています。

 

 

サウンドトラックの誘惑 SPECIAL INTERVIEW

久石譲

メインテーマはシンプルないいメロディを書きたい

昨年大ヒットした宮崎駿監督の『もののけ姫』や国際的に話題になった北野武監督の『HANA-BI』など、最近の邦画の話題作を一手に引き受けているサントラ界のヒットメーカーが、映画音楽に対する思いを語った。

 

武満徹、伊福部昭、坂本龍一など、これまでも多くの日本の作曲家が映画音楽に挑戦、世界的な成功を収めてきた。そして現在、日本の映画音楽界の頂点に君臨しているのが、久石譲である。昨年大ヒットした『もののけ姫』などの宮崎駿監督作品をはじめ、最近ではベネチア映画祭で金獅子賞を受賞した北野武監督作品『HANA-BI』なども彼の音楽によるもの。そしてそのどれもが、映像と音楽の結びつきを大切にしている久石だからこそ作ることのできる美しい旋律だ。このインタビューではそんな彼の映画音楽家としてのスタンスが熱く語られている。

-映画音楽を手がけることになったきっかけは?

久石:
「従来の音楽マーケットってボーカルものを中心に動いてますよね。ボーカルものに興味がないわけではないんですが、それまで自分がやってきたクラシック音楽や現代音楽の流れからいうと、こういった仕事のほうが、自分に向いていたというか…。ですから、いまでもこの仕事は気に入ってますね。」

-子供のころから映画はたくさん観ていたんですか?

久石:
「いっぱい観ましたよ。年間で300本くらい。」

-とすると、現在のお仕事には就くべくして就かれたという…。

久石:
「そうですかね。確かに、あまり苦労はなかったです(笑)。」

-映画音楽のほかにソロワークもされていますが、ご自身のなかで双方の位置づけの違いってありますか。

久石:
「映像がないと成り立たない音楽ってある意味では弱いと思っているので、ソロアルバムはできるだけピュアに、映像とは無関係に音楽として作品世界が成立することを目指しています。映画というのは、ご存じのように、自分のほかに大勢スタッフがいます。そこに音楽というポジションで参加するわけですから、自分だけで作業を進めても成り立たないわけですよね。監督の意向もあるし。逆にいえば、映画音楽のほうが自分の才能の新しい面を引き出してくれるという楽しみがありますね。」

-久石さんは、大林宣彦、北野武、宮崎駿といった日本を代表する監督の作品の音楽を手がけられていますが、3人の監督の作業の進め方や考え方の違いがあれば教えてください。

久石:
「最近、大林監督の作品は手がけていないので、ちょっとよくわかりませんが、やっぱりそれぞれ個性がありますよ。北野監督と宮崎監督はある意味で共通しているところがあるんですが、表現方法が全然違います。ボクにとっては自分が持っている幅というものがあるとしたら、お2人はその両極端に位置しているので、その点ではすごくやりやすい場合があるんです。ようするに、宮崎作品用に書いた作品を引きずりながら北野作品にはいるってことは絶対にないってことですね。」

-アニメと実写作品の作曲法の違いはありますか。

久石:
「それほどないですね。アニメだから、実写だからということは関係なく、基本的なスタンスは一緒だと思ってやってます。」

-映画音楽を担当するのに、撮影に立ち会ったりはするのですか。

久石:
「基本的にはすべての台本を読んで、フィルムが上がってから作ります。とはいっても、現場の空気感であったり、その場面のロケが設定的に作品のなかで重要だったりするときには撮影の段階から極力参加するようにしています。」

-北野武監督の『HANA-BI』の音楽は、どのような過程で作られたのでしょうか。

久石:
「通常、北野監督は、あまり注文を出さないんです。ある意味でおまかせ状態。それが、この『HANA-BI』では、「暴力シーンとかいろいろあるけど、それとは無関係にアコースティックな弦などのキレイな旋律を流したらどうかな」というようなことを初めていわれて…。ですから、今回はその言葉がキーワードになっています。いままでの北野作品では、同じフレーズを繰り返すような曲を主体にやっていたんですが、今回は、弦を使うということで、曲調がメロディアスになったり、いままでよりもエモーショナルなサウンドになるかなって。そのあたりを監督に確認しながら作りました。」

-映画音楽を作るうえでのこだわりはありますか。

久石:
「単音で弾いても成立するようなシンプルでいいメロディ、それをメインテーマにして作りたいという欲求はありますね。あとは、それぞれの監督の世界があるから、監督の言葉から誘発された自分というもの、あくまでもそういう自分を見失わないようにして書いているつもりです。」

-たしかに久石さんが手がけた映画のメインテーマは、一度聴いたら忘れられないくらいの美しさがありますね。キャッチーというか…。

久石:
「たとえば、『太陽がいっぱい』といわれたら、すぐにニーノ・ロータのメロディが浮かんできますよね。本来はそれくらい映画音楽って重要なものだったのに、いまはそれがなくなってきているんですよ。最近のハリウッド映画を観ていても、いいメロディを書ける人がどんどん減っているという感じがします。アクションシーンのバックに流れているのは、いつもドタバタした音楽しかなくて、この映画だから、この音楽っていうのをいまでもキッチリやっている人って…ジョン・ウィリアムズくらいじゃないですかね。たしかにハンス・ジマーや、ジェームズ・ホーナーといった人たちもいい音楽をいっぱい書いていますけど、全体的に考えると減っている。ハリウッドの人と話していても、「そのへんがいまいちばん弱いんだよねぇ」ということをいっています。」

-映像に音楽を付けるということで難しいことはなんでしょうか。

久石:
「映像と音楽ってつねに対等でいるべきだと思うんです。たとえば登場人物が走ったら速い音楽、泣いたら悲しい音楽のような、単に映像の伴奏でしかない曲の付け方、それっていわゆる世間でいう劇伴ですよ。それではまったく意味がない。いったいそのシーンで何が描かれているのかを判断したうえで、あくまでも音楽監督という立場からキッチリと構成していかなくてはいけない。」

-音楽がたんに添え物になっているのはいけないということですよね。

久石:
「そうです。映画にとって音楽ってものすごく危険なんですよ。扱いを間違えると映画のシーンよりも先に、これから起こることを予感させてしまう。こういったミスは作品の質を落としたりしますし、安っぽくなりますから。とくに最近のハリウッド映画の音楽を聴いていると、あまりにも画面と寄り添いすぎちゃうというか、画面の描写に徹しすぎる。あるいは、それを要求されすぎているという感じはしますね。」

-これまでおっしゃった点を踏まえて、最近の映画音楽家で成功しているな、と思える方はいますか。

久石:
「やっぱりジェームズ・ホーナーですかね。いい仕事しているなって思いますよ。『ブレイヴハート』など、すごく詩的なものを作るので好きですね。あと、少し前の作品ですけど、『ブレードランナー』もよかったな。あのころのヴァンゲリスはよかったですね。いい映画って音楽なんて気にならなくなっちゃいますよね。そういう意味でいうと、これらの作品は構成要素としてきちんと音楽が映画に参加しているなって感じがします。それがいちばん大事なんじゃないですかね。」

-日本の映画音楽はどうでしょう。

久石:
「どうなんでしょう。日本映画って自分がかかわった作品しか観ないですからね。ただ、映画音楽というものは、ギター、ベース、ドラムとキーボードがないと曲が書けないという人が作っちゃいけないと思うんですよ。たとえば弦だけだとか、メロディがないといった状況でも音楽が書ける…つまりクラシックの技術が最低限は必要ということです。とくに日本の映画音楽というのは、現代音楽やクラシック育ちの人が、いままで長い間、手がけてきました。ところが映画ってエンターテインメントですから、実はそのクラシックの技術と同じくらい、一方で普通のチャートにも入れられるくらいのポップスセンスを持っていないといけないんです。両方を持ち合わせている人が、映画音楽を作る…それが理想的なんですが、そういう条件を考えると、すごく限られちゃう。絶対数が少ない。アメリカ映画も最近はひどいといいましたが、そうはいってもアメリカで映画音楽家の地位がすごく高いのは、両方の才能を持ち合わせている人が貴重だということ。日本の映画音楽はいまひとつ主張しきれなくて、どうしても劇伴扱いになっている。作曲家の技術の問題が大きいと思いますね。」

-作曲家の育つ環境が整っていないということではないんですか。

久石:
「たしかにそれもあると思います。ある程度、数をこなしたり、優れた監督と一緒にやって苦労しなければ身についてこないですからね。」

-最後に、久石さんにとって、映画音楽とはなんでしょうか。

久石:
「もちろん、ライフワークであるという以上に、映像と音楽の関係というのは、ボクにとって最高に興味深いことでもあります。たとえばモーツァルトなどの時代でも、シンフォニーやソナタなどのほかにオペラも作っているんですよ。時代は違いますけれど、ボクにとって映画音楽は、モーツァルトがオペラを書くのと同じ。そういう気持ちで映像に融合する音楽を作っていきたい。これからもずっと、この仕事は続けていくだろうと思います。」

(FMステーション No.7 1998年4月5日号 より)

 

 

Blog. 「月刊アピーリング 2004年10月号」久石譲スペシャルインタビュー “ハウルの動く城” 内容

Posted on 2019/02/19

ローソン限定で販売されている「月刊アピーリング 2004年10月号」から、久石譲のインタビュー内容です。雑誌表紙も『ハウルの動く城』、久石譲のぎっしり2ページに及ぶインタビュー、写真やプロフィールも含めると4ページ・オールカラー掲載。『ハウルの動く城』の音楽ができるまで、宮崎駿監督との打ち合わせからレコーディングまでの制作過程。充実の内容です。

 

 

appeal+ing 巻頭インタビュー

久石譲

久石譲の映画音楽、新境地 『宮崎駿さんとは、最初から生理的なリズムが合っていたから20年一緒に仕事が出来たと思うんです。』

(目次より)

 

 

Interview with 久石譲

宮崎駿監督作品のみならず
様々な分野で才能を発揮する
日本を代表する音楽家
「鬼才」久石譲
スペシャルインタビュー

今から15年ほど前、モスクワに旅した友人が街角でサックスを吹いている老人と出会った。老人は『お前、日本人ならこの曲を知っているか?』と吹いてみせたのは黒澤明監督の「七人の侍」のテーマ曲だったという。おそらく日本のことなどさほど知らないモスクワの老人にも、映画音楽は言語の壁を越えて心に刻まれている。今だとその老人が生きていれば、サックスで吹くのはヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞した北野武監督の「HANA-BI」か、ベルリン国際映画祭グランプリ受賞作である宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」のテーマ曲かもしれない。この2本の映画音楽を作曲したのが、久石譲。宮崎駿、北野武などの映画を始め、大林宣彦、澤井信一郎といった監督たちとのコラボレーションで知られる彼の音楽は、今や世界的にも親しまれている。その久石譲が、今秋公開される宮崎駿の新作「ハウルの動く城」の音楽を手掛けた。二人のコンビは、「風の谷のナウシカ」以来8本目。実に20年に渡る名コンビとなる。

「今回の映画で面白いことがあったんです。『ハウルの動く城』のイメージアルバム用に作った曲を、『ちょっと、画に当ててみますか?』と宮崎さんに言ってみたんです。映画の中では顔のカットやシーンが変わったりしますね。僕の曲にもリズムが変わる部分が当然ある。でもその画と曲タイミングが、全部合っていたんです。これには非常に驚きました。その時、『20年も一緒にやっているから合うんだね』と言った人がいます。僕もそうかなと最初は思ったんですが、実は逆なんですよん。何年一緒にやっていても合わない人とは合わない。つまり宮崎さんとは、最初から生理的なテンポ感がどこかで一致していたから、20年続いた。そういう気がするんです。ですから宮崎さんとは大変幸運な出会いだったと思いますし。その出会い自体が嬉しいことですね。」

 

宮崎作品の映画音楽が、サウンドトラックとして完成するまでにはプロセスがある。映画に使われる楽曲を作る前に、まずイメージアルバムが作られるのが「風の谷のナウシカ」以来、恒例化しているのだ。通常の場合、イメージアルバムはシンセサイザーやピアノで音を録り、それがサウンドトラックを録音する段階でオーケストラ演奏として完成されていく。だが今回の「ハウルの動く城」では初めてイメージアルバムから、約90人編成のオーケストラを使った。

「このところ、自分の仕事の中でオーケストラとの仕事が多いこともあって、表現として一番それがフィットしていると思ったんです。映画音楽を書く場合に自分が音楽家として、その時にいいと思っているものは何かが一番大事なんです。その時に自分が興味を持っていて、絶対に琴線に触れるものがありますよね。僕はそれを、極力映画の方へ持ち込むようにするんです。音楽は文章のように、論理的に組み立てるだけではできない部分がある。そこで本人が、これがいいんだと強く思うことが大事だと僕は思っているんです。今回ではそれが、オーケストラを使うことだったんですね。」

 

イメージアルバムとは具体的に、どのようにして生まれるのだろう。作業を行ったのは昨年9月。その段階では、勿論映画本編は完成していない。ヒントになるのは絵コンテや監督の宮崎駿から発せられる言葉だという。

「基本的には音楽の内容の説明なんですが、宮崎さんから『今回はこんな風に行きたい』といった説明があるんです。他にソフィーやハウルといった登場するキャラクターのイメージなどですね。そこから曲のテーマとなる題材をもらって、考えていくんです。またこの映画は、舞台設定がヨーロッパと明確に出ている。これは『魔女の宅急便』以来のことです。ただそのヨーロッパにしても、実在の世界ではなく宮崎さんの作り出したヨーロッパなんです。それだけに、どこか場所柄を限定する音楽ではありたくはない。あくまで宮崎さんがやろうとしている世界観を持って如何に音楽で表現するか。それを考えるんです。そこで今回はヨーロッパにもエスニック音楽はあるんですが、そういうローカルカラーはあまり出す必要がないと。色の強い特殊な楽器も使わないで、出来るだけストレートなオーケストラの音にしようと思いました。」

 

イメージアルバムの曲作りは、書き出すまではかなり難産だったという。

「最初は『ダメだ、これは無理だろう』と思ったくらいです。とにかく2、3曲でもできればいいという形で入っていったんですが、八ヶ岳の麓にあるリゾートスタジオに篭ったらいきなり書けたんです。1日1曲のペースで8日間に8曲書きました。しかも単なるメロディーではなく、オーケストラ・アレンジまでの譜面をですよ。普通は40分強のアルバムを作る場合、3ヶ月から半年はかかるんです。でもこの時は、1ヶ月で10曲出来た。ですから書き出すまでは難産でしたが、作業が始まってからは非常にスムーズなペースでしたね。」

 

イメージアルバムに収められた曲は、そのまま映画に全部使われるわけではない。実際に映画のシークエンスに合わせて、登場人物の心情や場面の状況を表現するのがサウンドトラックだとすれば、イメージアルバムは作品全体を作曲家が大掴みに捉えたものと言える。

「どちらかと言えば、僕のイマジネーションを羽ばたかせて作る感じですね。イメージアルバムは、あまり作品と整合性のあるものをやってはいけない。むしろ、ちょっと離れた方がいい場合もあると思っているんです。言い方は変ですが、いい加減なほうがいい(笑)。全曲をサウンドトラックで使うわけではないですから。その中で宮崎さんのイメージにフィットした曲があれば、そこから次の段階のサウンドトラックを考えていけばいいんです。ところが今回はオーケストラを使ったことで、精神的には少しサウンドトラックの方へ入り込んでいた部分がある。『もののけ姫』でも一緒に仕事をしたチェコ・フィルハーモニーに演奏してもらうということもあって、チェコ・フィルまでいってあんまりみっともないスコアでは演奏をしたくなかったし。ですからアルバム自体に完成度を求めたところがあるんです。そういう意味で、イメージアルバムとしてはいいやり方ではなかったのかなと思っているんです。」

 

完成度を意識したことで、イマジネーションを飛翔させるイメージアルバム本来の目的とのズレを感じたらしい。しかし、それがまたサウンドトラックという完成品を生み出す前段階の習作とも呼ぶべきイメージアルバムを、ひとつの作品にすることにも繋がった。

「あのイメージアルバムは、オーケストラ作品として凄いと思うんです。かつてプロコフィエフが書いた『ロミオとジュリエット』というバレエ曲がありました。あの曲は最初、注文主のバレエ団から『こんな曲は最低だ』と評価されて、まったく上演できなかった。その曲を組曲にしたものがアメリカで上演され、楽曲が評判になったことからバレエ上演へと繋がったんです。今や『ロミオとジュリエット』はバレエの名曲になっています。それと似たような意味で、このイメージアルバムに収められた交響組曲はこのままイメージアルバムだけで終わらせるのはマズイと思っています。自分なりに集中力を持って作った世界なので、実際の映画『ハウルの動く城』のサウンドトラックとは別かもしれないけれども、ひとつのオーケストラ作品として今後もアピールしていきたい。個人的にそう思っていますよ。」

 

イメージアルバムが完成して、いよいよ「ハウルの動く城」のサウンドトラックを作ることになった時、宮崎駿監督からひとつの提案があった。

「いつも宮崎さんは凄いなと思うことがあるんですが、今回は『徹底的に、ひとつのテーマ曲でいきたい』という提案があったんです。これは最初から最後まで変わらない、強固なこだわりでした。映画の中で主人公のソフィーは18歳の少女になったり、90歳のお婆さんになったりする。それを音楽ではひとつのテーマ曲で見せていきたいんだと。通常の場合は、映画1本で30曲ぐらい書くんです。その中でメインテーマ系は4、5ヶ所ですね。しかしこの作品では、メインテーマが17ヶ所以上ある。そうするとバリエーションを書くのが、とても大変なんです。すべてが同じ音楽であればいいのではなくて、主人公の心情が変わっていくのに合わせてひとつひとつのテーマ曲を変えなくてはいけない。それは非常にテクニックを要するんです。同じメロディーを使っているんだけれども、ほとんど違うようにも聴こえるバージョンから、ドラマの核心ではテーマ曲本来のメロディーを聴かせるバージョンまで、全部作らなくてはいけなかった。音楽的には大変でしたね。レコーディングのときには、来る日も来る日も『まだ同じ曲をやっている』という感じでした。でもこういうことにチャレンジしたのは、いい経験になりましたよ。宮崎さんが相当強い意志で、『1テーマ曲でいきたいんだ』とハッキリおっしゃっていましたから。僕だけだったら、とてもここまでひとつのテーマ曲にこだわる作り方は出来ない。きつくて逃げちゃいますよ(笑)」

 

そのテーマ曲を決定する時にも、今回はちょっと違うやり方をした。これまでは候補曲を何曲かシンセサイザーで音を作って、デモテープの形にして宮崎監督の所へ持っていく。しかし今回は、デモテープを作らなかったという。

「僕がその場で、ピアノで弾いてみせるというやり方をしたんです。候補曲は3曲用意したんですよ。その中で『これは、一番違うかな?』と思っていた曲に、プロデューサーの鈴木敏夫さんが真っ先に反応したんです。宮崎さんもその曲がいいと言いました。僕としては、持って行った3曲の中で一番薦めたい曲ではあったんですが、違うと言われる可能性が最も高いと感じていたんです。というのもワルツですから、今までの世界と一番違う感じの曲なんです。そのワルツをお二人が選んだのには、ビックリしました。と言うのも何本か一緒に仕事をしてくると、予定調和じゃないですけれど『こういう音楽なら上手くいくだろう』というのが、僕自身見えるんですね。勿論そういうタイプの曲も作りました。ただもうひとつ冒険的なものを用意して、そっちをお二人がいいと言ってくれた。そのことが凄く嬉しかったんです。今回の作品のように、これは恋愛物ですと謳っている映画は初めてです。そうすると、こちらとしても何か違うものにチャレンジしたかったですからね。」

 

宮崎監督が作ろうとしている世界を汲み取りながら、音楽家として新たな表現を模索する。映画音楽は作曲者の意志だけで自己完結するものではないだけに、実際に画と音楽を合わせる時には互いの間に葛藤がある。

「サウンドトラックを録っている時に宮崎さんが、ある曲を僕がつけようと思っていた場面と違う所につけたいと思ったんです。宮崎さんは作業をしながらどんどん考えていく方ですから。その時、宮崎さんは悩まれたらしいですね。思っている所と別のシーンに曲を使ったら、僕が怒り狂うということを宮崎さんは知っていますから(笑)。オーケストラの音録りをしている間中、『ウ~ン』と唸っていたと聞きました。僕は離れた場所にいますから、そんなことは知らなかったんですが。それでとりあえず、宮崎さんが使いたいという場面にその曲をあててみたんです。これがキッカケの部分が音楽的にズレることも全然なくて、いいんですよ。ものを作る人間同士ですから、ぶつかり合うことや毎回いろんなことがありましたけれども、20年やれてこれて良かったと思いますね。画と音が生理的にシンクロすることも含めて、いい意味でここまで来れたんだなあと実感しました。どんな作品でも苦しみますから、最後は早く終わればいいと思うんです。でも『ハウルの動く城』に関しては、もう半年この仕事をやっていたいと思いました。」

 

私はプロデューサーの鈴木敏夫と何度か会う機会があったが、彼は宮崎駿に関して『「紅の豚」以降、宮崎さんは作品に自分を出すようになった』と言っていた。これはいわゆる観客のニーズを第一に考えたエンタテインメントの作り方から変貌し、自らの主張や嗜好を作品の中に意図的に刷り込ませてきたということである。そういう意味で最近の映画は、よりパーソナルな宮崎駿の作家性が強まっている感じがある。こういう宮崎監督の変化に関して、20年間作品作りの併走者となってきた久石譲はどのように感じているのだろうか?

「ほとんどの作家はその域に行きつけないんだけれども、特に『もののけ姫』以降の宮崎さんは表現の上で自由になったんじゃないですかね。これは大変なことですよ。とても僕は、自由になりきれない。例えばオーケストラの曲を書くと、それが古今東西の名曲の譜面に劣っているのは嫌だと思う。その劣っているのは嫌だと思う気持ちと、いい音楽を書くということはまた別ですけどね。作業をしていると自分のエゴやいろんなしがらみに、どうしても縛られる部分がある。『自分がいいと思うものさえ作ればいいんだ』という心境には、とてもじゃないけれどもなりきれません。そういう意味で『もののけ姫』以降の宮崎さんは、表現の上で本当に自由になった。その域まで辿り着いたという感じがします。」

 

このように言う久石譲ではあるが「ハウルの動く城」のサウンドトラックを作っている時には、宮崎駿とは違う形でキッチリと計算された表現よりも、ある種の自由さを持っていたようだ。それを彼自身は『ファジー』という言葉で語る。

「元々音自体に関しては、シンセサイザーとかいろんなものを使って、枠にはめない作り方をしてきたんです。『千と千尋の神隠し』ではバリ島や沖縄、アフリカのリズムを、現地の人が叩いたリズムをサンプリングしてオーケストラと融合させた。そういう音がアバンギャルドであるのは、僕にとっていいことなんです。ただ音の入れ方に関しては、これまでクリックを作ってかっちりと画にはめ込んでいたんです。ただ今はもっとファジーにやってもいいかなと。つまり多少音は伸びたとしても、そこに心がこもっていれば微妙なニュアンスが伝わるほうを選ぶ。これは自分がオーケストラの指揮をするようになって、変わったんだなと思うんです。音やリズムの正確さだけではなく、そこでもう一歩踏み込んだ表現をして次にいく。『ハウルの動く城』のレコーディングでは、そのニュアンスを大事にしました。とは言えちゃんとしたクリックも用意したんです。ただアクシデントでレコーディングの時に機械が故障して、曲の終わりを示すマーカーも無しに勘だけで3分ぐらいの曲をお尻がピッタリ合うようにしなくてはいけなくなって。それでも大体は合うものなんですよ。ちょっとしたズレが音楽的なニュアンスになって、映画の余韻にもなっている。作曲者の意図としては、画面が変わった瞬間に音がガンと入るとか、設計図を書いて組み立てていく。それでしっかりした演奏さえすれば、レコーディングはOKなんです。でも今回のように生の演奏をしていくと、自分が思ったテンポと実際にいい音楽になるテンポは違うんです。演奏者がいい気持ちになって朗々と演奏をすると長くなりますね。その長くなったことで成立するニュアンスの方を大事にして、その分をどこかで調整しようと努力する。こういうやり方をしていくと、映像が呼吸するように音楽も呼吸をしだすんです。がっちりしたものを作るよりも、音のニュアンスを活かす。これは僕にとって大きな方向転換なんです。ただ、最初からファジーでいいというのではない。きっちりと作り上げておいて、レコーディング本番で崩す。今回はそれが、いい効果を上げていると思います。僕にとっては新鮮で、凄く興奮するレコーディングでしたよ。」

 

現在、久石譲は秋のコンサートツアーと新作アルバムのレコーディングに追われている。

「ツアーは新作アルバムに引っ掛けた形のものになると思います。カナダから女性だけの弦楽アンサンブルを呼んで、彼女たちと僕のピアノで構成する形になります。『ハウルの動く城』で使われた曲は、映画のオーケストラとは違う、ピアノ・ソロで聴かせるバージョンのテーマ曲を入れようと思っています。アルバム制作は遅れているんですが、年末か来年の頭には完成させたいです。テーマは、今は皆がいろんなしがらみの中で生きているけれども、その大きな壁を作っているのは個人だろうと。もっと個人が自分の中で自由な気持ちを取り戻せたら、きっと楽に生きられるんじゃないか。そういう思いを込めているんです。ただアルバム自体は、難しい感じではなくて『伊右衛門』や『ベネッセ』のCMのために書いた曲も入れて、明るい感じにしようと思っていますね」

 

自分がツアーとアルバムのために掲げたテーマと、今は格闘している真っ最中だとか。こちらでは宮崎駿とのコラボレーションとは違った、音楽家・久石譲独自の表現が示されるはずだ。そのアルバムの完成を楽しみに待ちたい。

(文・金澤誠)

(月刊アピーリング 2004年10月号より)

 

 

Blog. 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2018」BS日テレTV放送 レビュー 【2/9 Update!!】

Posted on 2019/01/07,13

2018年夏開催「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2018」コンサートツアー(W.D.O.2018)が2019年元旦BS日テレにてTV放送されました。

ABプログラム国内・海外全10公演のなかから8月20日東京・サントリーホール(Bプログラム)公演を完全収録&アンコールふくむ完全版放送、宮崎駿監督の楽曲を交響組曲にするプロジェクト第4弾「千と千尋の神隠し」など名曲を演奏!です。

 

久石譲 ワールド・ドリーム・オーケストラ
BS日テレ
2019年1月1日(火)19:00~20:54

【PROGRAM B】 All Music by Joe Hisaishi
[Minima_Rhythm]
Links
Encounter
DA・MA・SHI・絵

Symphonic Fantasy “The Tale of the Princess Kaguya” /交響幻想曲「かぐや姫の物語」

—-intermission—-

[Melodies]
Dream More
The Path of the Wind 2018 *改訂初演
Kiki’s Delivery Service 2018 *改訂初演

Spirited Away Suite /「千と千尋の神隠し」組曲 *世界初演
Original Orchestration by Joe Hisaishi
Orchestration by Chad Cannon

—-encore—-
Le Petit Poucet
World Dreams

指揮・ピアノ:久石譲
管弦楽:新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ

 

 

 

コンサート・レポートにてホールで体感した感想やCD収録作品、久石譲によるプログラムノートはご紹介しています。

 

ここではなるべく重複をさけ、TV放送鑑賞で気づいたこと思ったことを記します。もし録画した人、何回も繰り返して楽しむ人、これから観る人の、楽しみ方のひとつになったらうれしいです。

 

 

2019.2.9 Update!!
「Links」「DA・MA・SHI・絵」「Dream More」「千と千尋の神隠し 組曲」「World Dreams」&指揮について、文章間に埋め込むかたちで追記しました。

 

 

Links

『Minima_Rhythm ミニマリズム』(2009)CD収録のロンドン交響楽団とのレコーディングは弦14型2管編成です。これはおそらくオーケストラの編成規模としては標準だと思います。そしてW.D.O.編成もおそらく大きくは変わりません。専門的に詳しくないので自信はないです。

ここで目と耳で注目したのはオーケストラの楽器配置です。近年久石譲はコンサートでもレコーディングでもほとんど対向配置というフォーマットで臨んでいます。ベートーヴェンをはじめクラシック古典派時代でも主流だったものです。この配置のメリットのひとつに、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが対称に位置すること。

対向配置(右側)と通常配置(左側)

 

久石譲が近年推し進める現代的なアプローチ、ソリッドな響きの追求。これに関しては深掘りできなくても、『Minima_Rhythm』CD収録の「Links」と本公演は楽器配置が明らかに異なります。

第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが並んで位置する、コントラバスや金管低音チューバなどがまとめて右側から聴こえるCD盤と、対向配置の音響が見事に録音されているW.D.O.2018ライヴ版(TV音源)は、それだけでもまったく印象が変わってきます。高音から低音まで左右で拮抗するさま、複雑に交錯する緻密なオーケストレーション、久石譲という作曲家のスコアを余すところなく発揮できる楽器配置。

久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 楽器編成と楽器配置

 

第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンは左右対称に位置し、弦低音コントラバスは左、金管低音チューバは右。

 

このイメージをもってCDとTV放送聴き比べてみてください。たくさんの発見があると思います。久石譲の精密なオーケストレーションが、ミニマル手法の醍醐味が、立体的な音空間として響いているのはW.D.O.2018版です。これだけでも聴いていて震える!泣くほどうれしい!

 

このカットは「Links」クライマックス(ラスト1分くらい)です。

ここでも映像と音響はまさにリンクしていて、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが激しく交錯するミニマル・フレーズが、螺旋のようにスパイラルでぐるぐる回るような音空間として聴くことができます。「Links」という作品は、発表時から完成度高く、耳ですぐわかるほどの改訂やオーケストレーション修正なく今現在まで君臨していると思います。楽器配置のことを知らなかったら、あれ少し変更したのかな?と勘違いしてしまうこともあるかもしません。また逆にいうと、楽器配置やアプローチを変えるだけでも、ここまで新しい輝きを放つ作品です。

 

CD盤ベースにラスト1分!

もっというとラスト47秒!

とにかく騙されたと思って聴いてみてください!

 

第1・第2ヴァイオリンが左側からまとめて聴こえ、トランペットらが右側、コントラバスとチューバの同じ低音フレーズも右側で聴こえるCD。第1・第2ヴァイオリンが左右で交錯し、トランペットらは中央寄り、コントラバスとチューバは土台を支えるように同じ低音フレーズを左右から拮抗するTV。

ほかにも聴きどころはいっぱいあって、指揮者正面に位置するピッコロ・フルートの高音をはじめとした木管楽器たちも、少し奥まって控えめに聴こえるCD盤と、よりクリアにまっすぐ伸びているW.D.O.2018版。CDよりも約30秒テンポアップしている躍動感と高揚感。すべての楽器とすべてのパートを活かしきったまさにフルオーケストラの「Links」。

CD盤と聴き比べて極めて顕著なのはトランペットを始めとした金管楽器が抑えめなこと。これは音符すべての音の強弱・長さをきっちりそろえたいアプローチに、金管楽器が適応しにくいことへの対処かもしれないとも。「TRI-AD for Large Orchestra」のように同じ音をファンファーレ的にかき鳴らす金管楽器とも異なり、フレーズ的ミニマル音型を金管楽器で均一に奏でることの難しさ。ぐっと抑えることで土台を引き締める役割にまわり、代わりに木管楽器たちが強く浮かびあがるほど鮮明です。この金管楽器と木管楽器のバランスは「DA・MA・SHI・絵」でも同じことが言えます。

このW.D.O.2018パフォーマンスがTV放送を経てCDLive音源としてパッケージ化してくれた日には、CDに特化した音質向上も期待できます。さらに涙モノの「Links」完全燃焼になること間違いなしです。

 

Encounter

弦楽オーケストラの作品は、すべて同じ種類の音色として高音・低音の差こそあれ、耳だけでは聴き分けにくいものです。映像を見ながら聴けることで、今鳴っているのは、ヴァイオリンなのか、ヴィオラなのか、そういったことにも気づくことができます。また弦のフレージングやピッツィカート、様々な奏法を駆使して彩り豊かなストリングス(弦楽)の世界を構築していることに触れることができます。

特に僕のような初心者には耳だけではヴァイオリンとヴィオラの区別もつかないので、映像でスコアを追うようにヴィオラパートをクローズアップして映してくれるだけでも感激です。あっ、ここヴィオラが弾いてるんだと。ステージ向かって左からコントラバス(低音)、第1ヴァイオリン(高音)、チェロ(中低音)、ヴィオラ(中高音)、第2ヴァイオリン(高音)です。これまたオーケストラ楽器配置が通常であれば、左から第1ヴァイオリン(高音)~右はコントラバス(低音)と音の高さが一本に流れてしまいます。対向配置を採用しているからこそ、この作品でも音がくっきり飛び交う持ち味を堪能できます。久石譲=対向配置と覚えてください。それは演奏会のパフォーマンスだけではなく、創作活動のときから対向配置を念頭に作曲・オーケストレーションされているということです。

 

DA・MA・SHI・絵

「Links」と同じような発見や聴き比べができると思います。

また、ミニマル・ミュージックというのは永遠に均等に流れてしまいがちですが、久石譲の指揮で繊細に音の強弱がコントロールされている様子、次のパート・次の展開に移る前の切り替わる小節のところで、身をかがめ口に手を当て、オーケストラの音を小さくする表現なども見れるのが映像の貴重さです。ミニマルのズレ、音色の変化、パート展開だけでなく、約7~8分間のミニマル・ミュージックを飽きさせることなく聴かせてしまう指揮者久石譲の手腕です。

 

コンサートで体感してとても印象的だった、転調するタイミングの金管楽器ロングトーンの長さ。CD盤1:35~のところなど3小節分ですが、W.D.O.2018版はそこから1小節さらに長く音を伸ばしている。そして映像もここまで伸ばしていますよ、という金管アングルで終わっている。とても作り込まれた編集やさしい編集だと思います。(CD盤3:13~、5:02~のロングトーンも同じ)

 

「Links」との繰り返しになってしまうので具体例は置いておいて、楽器配置からくる響きの違いだけでもたくさんの発見がある作品です。同じようにラスト40秒あたりでCD盤にはない第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの基本音型の左右対称もはっきり聴くことができますし、クリアになった木管楽器たち。CD盤のトランペットをはじめとした金管楽器の際立った咆哮よりも、全体からみて俯瞰的なミニマル表現、バランスのとれたW.D.O.版。オーケストラの特徴もあるでしょうが、鳴りのいいロンドン交響楽団と、精巧で緻密なきっちりリズムをとれる久石譲&新日本フィル。楽しい聴き比べです。

(CD盤4:07~4:17箇所もTV版では第1・第2Vnの基本音型が左右から聴こえ、ミニマルのズレがはっきりわかる楽しさ。テンポが違うのでタイム箇所はCDとTV異なる。)

金管楽器と木管楽器のバランスとその推察は「Links」でも記しました。とりわけ軽やかに戯れる木管楽器たちはまるで上手にだまし楽しませ観客を魅了する道化師のようです。リズミックな誘惑でぐいぐい引き込み、はっと驚かされるマジックは現実か非現実かを錯覚させる術。ピエロ、そして「DA・MA・SHI・絵」もまた。

 

ここまでのオープニングを飾る「Links」「Encounter」「DA・MA・SHI・絵」は、久石譲のミニマル真骨頂です。そしてアプローチも含めて進化した演奏を聴かせてくれています。知性と感情のバランス、”心で考え、頭で感じる”。一般的な表現とは逆説的な言い回しの似合う、無性にやみつきになる、永久保存版な最新の久石譲です。

 

 

交響幻想曲「かぐや姫の物語」

交響組曲化されたのが2014年ということでわりと新しい作品です。『WORKS IV -Dream of W.D.O.-』(2014)CD収録と音楽構成は同じです。それでも、たとえば「月の不思議」パートの弦楽器による複雑に入りくんだ現代的な響きは補強されていて、より神秘的で幻想的な印象を与えています。弦楽器の奏法や弓のこすり方で音階ともいえない効果音のような独特の響きを醸し出していますが、どの楽器かなあ、チェロかなあ、そんなところに釘付けになってしまいます。

同じオーケストラなのにとても日本的な響きに満ち溢れたこの作品。チェレスタやハープといった打楽器群と多彩なパーカッション群がエッセンスになっていること、そこへ弦楽ピッツィカートが幾重にも織りかさなること。「天人の音楽」パートをじっくり鑑賞するだけでも見どころ聴きどころいっぱいです。SEも大幅に追加され、コンサートでも巧みな操作と音量バランスでお迎えにきた天人たちのSEが会場に鳴り響いていました。日本人が聴いてももちろん胸いっぱいになるこの作品、もしこのTV放送を欧米はじめ世界各国のファンが観た日には、さらに”THIS IS JAPAN!”興奮するだろうなあと改めて再認識させられました。そこには尺八もない、琴もない、西洋オーケストラ楽器で奏でる日本の世界。”That’s Great!” “Very Cool!”の嵐でしょうね。

 

Dream More

メロディの酔いしれるような甘さとは裏腹に、実はかなり高度なことを要求されている作品。久石譲のメロディとリズミックな現代的アプローチが絶妙なバランスで構築されている一曲。W.D.O.コンサートでも定番となっていて『The End of the World』(2016)にライヴ音源CD収録されていますが、年々テンポがあがっている。CD盤とW.D.O.2018TV版は約1分間も違う。ここには、よりソリッドにいきたい久石譲と培われた信頼関係でついていけるオーケストラあってこそ。高度な技術を、いとも涼しげに優雅に華やかに酔わせてくれるW.D.O.です。

甘く麗しい音色たち、夢見るような柔らかいホルンの響き、多重奏的に旋律やリズムを織りなす弦楽、つややかで上品なソロ・ヴァイオリン。おいしいお酒を舌でころがす、長い年月をかけて熟成された美酒たち。そんなお酒を嗜む至福のときは、まさに時間を呑むこと。極上のテイスティングです。

久石譲の言葉を借りれば「メロディはシンプルでもリズムやハーモニーなどのアレンジは、自分が持っている能力や技術を駆使してできるだけ複雑なものを作る。表面はシンプルで分かりやすいんだけど、水面下は白鳥みたいにバタバタしてるんです」(折に触れて語られる話でこの楽曲についてのインタビューではありません)。この表現に尽きます。

 

The Path of the Wind 2018

これまでにもピアノ&ヴァイオリンのデュオ版はコンサート演奏されてきた名曲「風のとおり道」です。W.D.O.コンサートでは、不動のコンサートマスター豊嶋泰嗣さんのヴァイオリンをフィーチャーする楽曲が必ずプログラミングされています。今年はこの曲です。

2018ヴァージョンは、ピアノ&ヴァイオリンを主役にバッグで弦楽オーケストラが包みこむ芸術の域。中盤以降盛り上がるパートでのストリングスの交錯は、まるで大きなクスの木が風で揺れている音そのもののよう。実は、このパート「オーケストラストーリーズ となりのトトロ」改訂版、TV「読響シンフォニックライブ」(2013)で披露されたオーケストレーションを継承しています。もちろん管楽器も鳴っていますが、この2018版ではそこから弦楽器だけが鮮明に浮かびあがっています。動画サイトにもあったような…がんばって探してみてください。ナレーションは樹木希林さんです。『オーケストラストーリーズ となりのトトロ』(2002)CD発表時には施されていないオーケストレーション。「となりのトトロ組曲」も着実に進化しています。久石譲の弾き振り(ピアノを弾きながら指揮もする)姿も堪能できるコーナーです。

 

Kiki’s Delivery Service 2018

華やかにドレスアップした「海の見える街」2018ヴァージョン。クラシカルなオーケストラを基調としながらも、前半パートはグロッケンシュピールやピアノをブレンドしキラキラ感増す輝き。後半パートはゴージャスなホーンセクションがなんといってもアクセント。カスタネット、タンバリン、シンバルらのリズムも大きくスウィング。ヨーロッパとアメリカ・サンフランシスコをごちゃまぜにしたような魅力的な街コリコ。音楽もスパニッシュ・地中海とジャジーさをブレンドしたような心躍る世界。架空なはずの街が、あるかもしれないあってほしいリアルな街へと浮かびあがる。こう想いめぐらせると、今回のヴァージョンアップは、久石譲の進化と納得が強いように思え、感動して震える。あまりにも曲のイメージが確立し愛されている曲、同じ曲でしょ?と変わった感じのしない第一印象かもしれませんが、いやいや、『WORKS IV -Dream of W.D.O.-』(2014)と並べて聴くと心躍りますよ。

 

Spirited Away Suite /「千と千尋の神隠し」組曲

映画に使われた主要な楽曲、印象的なシーンに使われた楽曲たちを贅沢に組曲化した「千と千尋の神隠し」完全版。久石譲のピアノ曲からエスニック、ガムラン、バリ島の音楽、沖縄民謡、中近東やアフリカにわたるいろいろな素材や楽器をごった煮することで、広がりあるファンタジーの世界を築きあげていた同作品およびサウンドトラック。組曲化に際しても映画のストーリーにそって、めまぐるしく変わる展開、統一感をあえて嫌うようなバリエーション豊かな音楽たちは、底知れないパワーを秘めています。

一番注目したいのは、フルオーケストラをベースとしながらも、シンセサイザー、民族楽器、民族パーカッション、サンプリングヴォイスなど、音色的にも多彩なバリエーションによって構成していたサウンドトラック盤。これらがフルオーケストラのみでなんの遜色もなく再現されていること自体に驚きです。聴いていてなにか物足りない、サントラには敵わないなという印象はなく、圧巻のオーケストラ・フルスペック。僕が言いたいのはこれに尽きます。

音楽構成は「あの夏へ」「夜来る」「神さま達」「湯屋の朝」「底なし穴」「竜の少年」「カオナシ」「6番目の駅」「ふたたび」「帰る家」全10曲おしみなくオールハイライト。もともとサウンドトラック盤は感覚値で7:3か8:2のオーケストラ:シンセサイザー比率、またスタジオ録音ではなくコンサートホール録音を採用していたこともあって、全体的な響きもこのコンサート版と近い印象あります。

それでもたとえば「カオナシ」パート。狂乱に満ちたスリリングな楽曲で活躍しているのが、タイゴングという音程のある銅鑼の仲間。これ、ずっと名前がわからなくて触れることができなかったのですが、久石譲作品では新しいところでも『Deep Ocean』などでも登場している特徴的な楽器です。

 

これはW.D.O.2018ツアー期間中、新日本フィル公式SNSにアップされていた舞台裏写真。銅鑼ごとに音程があり音名がふられていることがわかります。「d」は「レ」、「f」は「ファ」というように。

 

このパートだけでも大きな銅鑼、大太鼓、ティンパニ、スネア、シンバルら多彩なパーカッションを総動員し、シンバルの閉じた叩き方で効果音のようになっていたり、スティックを叩いたり、打楽器のいろいろな箇所を叩いて豊かな表現をしています。マリンバ奏者は「Music Future コンサート・シリーズ」などもふくめ久石譲作品には欠かせない和田三世さん。オーケストラ演奏会は、ベースとなる楽団奏者のほかにプログラムやプラスアルファされる楽器に合わせた客演奏者も招かれて、はじめてみんなで音楽を作りあげます。マリンバのような打楽器は久石譲音楽の要です、W.D.O.音楽監督を務める久石譲の人選によるところはもちろんでしょう。

シンセサイザーであれば簡単に効果音やそれらしい音色を選べば世界観が築けてしまうところ。それをオーケストラで構築していることに大きな価値があるように思います。オーケストラで表現できる音楽というのは、楽器を選ばない、場所を選ばない、国を選ばない、時代を選ばない。

「カオナシ」という組曲のひとつのパートをチョイスするだけでもたくさんの発見と楽しさがつまっています。食い入るように見聴きしてしまいます。ぜひ「千と千尋の神隠し」の好きな曲、好きなシーンの音楽からサウンドトラック盤と組曲版楽しんでください。コンサートレポートでも少し書きましたが改めてTV放送を見て。「千と千尋の神隠し」音楽は、西洋オーケストラ楽器で表現しうる東洋ファンタジー音楽の金字塔。そう強く思います。

 

 

2019.1.19 Update!!

タイゴングについて。『Deep Ocean』音楽にも使われていると記していましたが、これについてご指摘いただきました。『Deep Ocean』は音程が割り振られたカウベル(Tuned Cowbell)ではないか。たしかに過去の久石譲インタビュー動画でのレコーディング風景カットを見ても、そこにはタイゴングは見当たらずカウベルでした。もうひとつはW.D.O.2017韓国公演(Deep Oceanプログラム公演)での舞台裏写真より。タイゴングほど重くない神秘的で幻想的な軽い響き。ありがとうございます。

(2019.1.19 Update ここまで)

 

組曲化された楽曲たちをみるとストーリーの展開に沿っていることはもちろん、千尋・ハク・カオナシという3つの登場人物たちにフォーカスしていることがわかります。「夜来る」は千尋とハクが出会うシーンであり、「湯屋の朝」は千尋とカオナシが出会うシーン(カオナシが映画のなかで初登場する場面)です。いつもの作風とは異なりライトモチーフ的な手法で、湯婆婆のテーマや釜爺のテーマなど印象的な楽曲が多かった『千と千尋の神隠し』音楽のなかから、なぜ「あの夏へ」「夜来る」「神さま達」「湯屋の朝」「底なし穴」「竜の少年」「カオナシ」「6番目の駅」「ふたたび」「帰る家」という10曲が選ばれたのか。興味は尽きません。

「ふたたび」(CD盤3:14~)は、千尋とハクが月夜の空を駆ける印象的なシーンです。この空、水、時間を漂うような神秘的で幻想的なシーンで奏でられていたのがグロッケンシュピールやハープです。そして、交響組曲版ではグロッケンシュピールを外し、ピッコロとフルートという木管楽器がハープとブレンドされています。なにげない数十秒間なんですけれど、神秘感と幻想感に心地よい浮遊感が加わり、映像がないなかで”空を飛んでいること”を音楽で表現しイメージを後押しする。こんなことを見つけだしたらキリがないくらい、でも、もっとたくさん発見できる聴き手になりたい。

 

Le Petit Poucet

2001年フランス映画『Le Petit Poucet』(邦題:プセの冒険 真紅の魔法靴)からメインテーマです。サウンドトラック盤からメインテーマ(Track.2とTrack.17)をつなげて再構成したような演奏会用作品になっています。久石譲の美しいメロディと異国情緒あふれるハーモニーのこの楽曲は、「千と千尋の神隠し」と同年作品でもあります。映画を知らなくても、曲を初めて聴いても、一瞬でハートを射抜かれてしまう旋律。切ない、温かい、懐かしい、聴く人それぞれの胸の奥に静かに眠っていたなにかが鼓動を始めるようです。コンサート後のSNSでもこの曲への質問や興味で賑わっていました。これからのコンサートでも再登場しうる可能性をつかんだ、ひっぱり出された名曲です。

 

World Dreams

「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ」コンサートに行けば必ず聴くことができる曲、W.D.O.コンサートのテーマ曲ともいえる大切な一曲です。この作品については、毎年のW.D.O.コンサートレポートごとに、ありったけの想いを綴っていますので割愛します。反対側から見れば、どれだけ素晴らしい名曲であったとしても、新日本フィルとのプロジェクト、このW.D.O.コンサートでしか聴くことのできない宝物。それは日本国内でも海外公演でも同じ。だからこそ世界へ羽ばたくW.D.O.コンサートが熱望される。2016年は台湾で、2017年は韓国で、2018年は中国で。CDでしか聴くことができなかったW.D.O.のアンセムが、オーケストラごと海を渡ってオリジナル披露される。十年来待ちわびた感動は言葉にできない。そんなことを想い巡らせながら聴いているとより深い感慨に包まれます。

「世界の夢(World Dreams)」は個人には大きすぎて漠然としたものかもしれない。でも、W.D.O.コンサートがあるかぎり、そこに集う久石譲ファン、同じ曲を時間を越えて再会できる場所。同窓会のように元気な姿をみせる、元気をもらう、元気をわける。同じ空間のなかで一期一会の幸せをわかちあう。会ったことはないかもしれないけれど、久石譲ファンという個人と個人がつながる場所。そこから会場でリアルに出会いつながっていくことが、ふくらんで大きな夢へとなっていくように思います。

 

 

久石譲コンサートにMCはありません。楽曲のエピソードや想い、コンサート裏話、ツアーならではのご当地話、旬な日常話。聞きたいなと思うこともあります。でもかれこれMCをしなくなって十数年経ちます。

今回TV放送を観ながら、さまざまなアングルで捉える久石譲の指揮姿を見て、十二分に語ってくれているなと思いました。指揮者はオーケストラのなかで唯一音を出さない人ですが、久石譲の指揮は表現者です。時に厳しく、時に優しく、引き締めて、楽しそうに、踊って、体全体でジェスチャー、作品ごとに表現しています。指揮者の指示や意図が、久石譲の場合、イコール作曲家としての指示や意図となっていることに大きなポイントがあります。だからこそ、十二分に語ってくれている、そう思うことができました。

なにもしないこと、オーケストラの演奏に聴き惚れているような瞬間もあります。「なにも言わなくても大丈夫、君たちに任せたよ」「惚れ惚れする最高のオーケストラだな」、そんな指揮者の心の声が聞こえてくるようです。言葉にしなくても音楽を伝えてくれる、オーケストラとの信頼関係を伝えてくれる、久石譲の指揮姿は、久石譲音楽をさらに魅力的なものへと輝かせてくれます。ぜひコンサートで目に焼きつけたい光景です。

 

 

 

以前、コンサートができるまでの舞台裏を綴った本「オーケストラ解体新書 読売日本交響楽団 編」を読んだことがあります。そのレビューのなかでこんな感想を記していました。

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番組ディレクターの仕事項では、TV番組「読響シンフォニックライブ」の制作舞台裏が紹介されています。収録会場には、プロデューサー、ディレクター、構成作家、カメラ、音声、照明など約50人ものスタッフが会場入りするそうです。カメラも通常6台、ピアニストの手元をアップで撮る時などはさらに1台追加、中継車2台。また事前に公演曲のスコアを用意し参考CDを聴きながらカメラのカット割りを決めておく。そうやって収録台本をつくってゲネプロ(当日リハーサル)から本番に臨む。どんなに入念に準備しても、イメージと違っていたり想定外のことも起こるため収録現場は戦場とあります。さらには、初演作品など事前に参考音源がない場合は、ゲネプロを聴いて大幅にカット割りを手直し、本番までの短時間で修正と再度指示を出す…はぁ、すごい。やりなおしがきかない本番だけに、緊張感の張りつめた舞台裏だろうなあと想像すると。その音楽や映像だけに純粋に聴き入り、パーソナルスペースでリラックスして楽しむことができている、そんな視聴者として感謝の気持ちでいっぱいです。
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Overtone.第16回 「オーケストラ解体新書 読売日本交響楽団 編」を読む より抜粋)

 

久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラのコンサートができるまでの物語も同じです。今回BS日テレが放送してくれることは、TV放送を念頭にコンサート準備段階からコンサート当日まで多くのプロフェッショナルたちが携わりその技術手腕を発揮してくれたからこそ、こうやって素晴らしいコンサート映像を楽しむことができます。

コンサートを映像で見れること、それはスコアの見える化です。仮に少しくらい映像が荒かったとしても音質がCDクオリティに敵わないとしても、十二分に価値のある記録です。もちろん久石譲はTV放送の音楽監修として関わっていると思います。TV放送エンドクレジットには今回【音楽監修:久石譲】のテロップはなく最小限のクレジット紹介でしたけれど。

でも、チェック&Goサインはきっと出している。そのくらい今回の「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2018」TV放送は音質クオリティが高かった。そしてパート譜を視覚化したような緻密なテレビアングルを見ると、ここにも綿密に関わっているのかなと思ってしまうほど。ここはこの楽器をフィーチャーしてほしいとか、耳では聴こえにくいけどここでこの楽器重要なことやってるからとか。そんなことまで推測してしまうほどの映像&音楽ともに最高品質!永久保存版です!

 

 

最後に。コンサートで体感した観客は感動の再会、コンサートに行けなかった人は疑似体験、次はぜひコンサートに行きたいと思うファン、TV放送がきっかけで誕生する新しいファン。そして音源や映像として記録に残ることで初めて発見できること楽しめること。

コンサートを軸に活動すること、コンサートでの一期一会の音楽こそ”音楽になる瞬間・音楽を共感する瞬間”である。これはとても大切です。だから、コンサートを経てTV放送やCD音源化がセット当たり前とは言いませんし言えません。でも、実際に現代社会のメディアをみわたせば、TV放送やCD化によって歓喜にぎわうSNSはじめとしたファンのリアクションと広がり。ひとつのコンサートが、ひとつの音楽が、大きな循環となることで記録され記憶に残り、予想を超えた未来が待っているかもしれない。欲しがるファンと言われても、久石譲音楽を遺していく流れをこれからも心から楽しみに期待しています。「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ」BS日テレTV放送、心からありがとうございました!

 

 

もっとくわしくW.D.O.2018♪

 

 

Blog. NHK FM「現代の音楽 21世紀の様相 ▽作曲家・久石譲を迎えて」 番組内容 【1/13 Update!!】

Posted on 2018/01/06,13

NHKFMラジオ番組「現代の音楽」に久石譲がゲスト出演しました。ナビゲーターは作曲家の西村朗。作曲家同士の貴重なトークも必聴。新年2週連続放送です。

 

NHK-FM「現代の音楽」

1月6日(日)午前8時10分~ 午前9時00分
現代の音楽 21世紀の様相 ▽作曲家・久石譲を迎えて(1)

1月13日(日)午前8時10分~ 午前9時00分
現代の音楽 21世紀の様相 ▽作曲家・久石譲を迎えて(2)

ナビゲーター:西村朗
ゲスト:久石譲

 

【番組概要】

「現代の音楽」は、作曲家・西村朗さんの分かりやすい解説で現代音楽の魅力を紹介しています。難解と思われがちな“現代音楽”。でも扉を開けば、想像を超える面白さ、本能を揺さぶられる 何かが発見できるはず。作曲家・西村朗さんと未知の世界を冒険して下さい。

1月6日、13日は現代音楽の“いま”をさまざまな視点から紹介するシリーズ「21世紀の様相」。2019年最初の放送では、クラシックファンのみならずその名を広く知られた作曲家、久石譲(ひさいし・じょう)をゲストにお迎えします。宮崎駿監督作品や北野武監督作品の映画音楽で知られる久石氏ですが、その原点は武満徹や黛俊郎、シュトックハウゼン等の作品を分析し、ミニマルミュージックに関心を持つ「現代音楽の作曲家」です。幅広く活躍する久石氏の中に深く存在し続ける現代音楽への関心や愛情を、西村朗氏が本音トークで引き出し、あらためて「現代音楽の作曲家」久石譲の魅力に迫ります。

 

 

番組トーク内容やオンエア楽曲をご紹介します。

とてもディープなトークで期待どおりでした。久石譲オリジナル作品を聴くヒントや学びもいっぱい。久石譲の今がつまった対談は、技法や方向性など作曲家同士だから踏み込める貴重な内容。近年の傾向を振り返る手引きにもなって作品を聴き返すきっかけにもなります。これから先を予想する楽しみももらえたまさに新春にふさわしい充実したラジオ番組。

 

 

◇1月6日 現代の音楽 21世紀の様相 ▽作曲家・久石譲を迎えて(1)

西村:
「久石さん、お忙しいなかお越しいただきありがとうございます。この「現代の音楽」にご登場されるのは初めてですね。ときどきお聞きになってましたか?」

久石:
「はい、聞いてますよ。」

西村:
「あの、奥様がよくお聞きいただいて、メールいただいたりして(笑)。とてもうれしいです。」

久石:
「はい、毎週聞いてるようです(笑)。「あの曲知ってる?」とかね、晩ごはんの時よく聞かれまして。「あ、それは知ってる」とかね。「これいいわよ」とかっていろいろ言われます。どうもその情報源はこの番組らしいです(笑)。」

西村:
「あっそうですか。それはそれは光栄でございます。」

西村:
「今日はあらためて久石さんをご紹介するまでもないんですけども、国立音楽大学で作曲を専攻されて、もうその頃から現代音楽のひとつのジャンルというか方向性というか、ミニマル・ミュージックにご関心をお持ちになったということですが、これかなり早いかもしれませんね。」

久石:
「そうですね。ちょっと不確かなんですが、大学の後半ぐらいの時に知り合いの作曲家からテリー・ライリーの「A Rainbow In Curved Air」っていうあの7拍子のねえ、あれを聞かされてもうすごくショックだったんですよ。「えっ、これが音楽なの?これが現代音楽か?」ってすごく思いましたね。で、3日間ぐらい寝込んだんじゃないかな。なぜなら、それまではシュトックハウゼンとかクセナキスとかそういうものばっかり、特に好きだったのはイタリアのルイジ・ノーノとかね、あちらだったんですよ。ですから、それでこういう調性もある、リズムもある、これが現代の音楽かというのですごくショックで。それがきっかけでしたね。」

西村:
「色彩とね、躍動感というかリズムというか、ございますもんね。そうすると、ある程度現代音楽に対して、終わってんじゃないみたいなところから、新たな風が吹いてきたというような新鮮な驚きがおありになったということですかね。」

久石:
「ありましたね。どちらかというと、毎日不協和音でいかに半音ぶつけてというかね、大量の音符を処理するというか、そういうようなことに費やしてたんで、そのときに全く違う価値観の音楽が出てきた。しかもそこにはまだハーモニーもある、リズムもあると。なんかその辺で「あっ、こういう音楽があるなら自分にとってはある意味で楽なんじゃないか」というか、そういう気持ちありましたね。」

西村:
「なるほど。まあ要素だけを別々に取り出すとね、なんか音楽は昔に戻ちゃったんじゃないかという見方が成り立たないわけでもないんですけど、新鮮な驚きというのは、調性感であるとか旋法性であるとかリズムとかっていうものを活かしながらも、新しさそういう魅力というものをお感じになったということだと思うんですけど。どういうところが新しいとお感じになりました?」

久石:
「まずね、非常にヨーロッパの現代音楽とかいろいろなものが発達していってるんですけれども、曲って基本的にやっぱり人が生まれて死んでいくまでみたいな、つまり曲の開始があって曲の終わりが必ずあるんですよ。そうすると、音のダイナミズム、どう音を処理するかということにすごく重点置かれちゃう気がする。ですから、非常に静かなところ、濃密になるダイナミックレンジが広がったところですね、また素というか薄くなってまたこうなる。そうすると、形式自体って決して新しくはならない気がしたんですよ。ところが、ミニマルって同じパターンを繰り返して繰り返していく。民族音楽の祭囃子みたいなもので、つまりこっからここまでっていうのが大きい変化が少ない、少しずつ変わっていく。そうすると、楽曲を成立させるっていう概念自体が変わった気がしたんですよね。」

西村:
「全体構成よりも、その変化していくプロセスというものが本体そのものであるというような。だから内容と形が一体化してる、そういう見方もできますよね。」

久石:
「そうですね。逆に、ミニマルっていうのはミニマム、最小の要素を使って構成する。そうすると、繰り返しするものを聴かせるというよりは、繰り返しながら徐々に変容していく様を聴かせていく。変わっていくところを聴かせるわけですよね。そうすると、要素を削ることによって一音ズレたというだけがとても大きな変化になっていく。それでやりながら、実は今も作ってて一番苦しいのは何分の曲にするのか。ただただ繰り返してるだけだったら飽きちゃうし。それはもうフィリップ・グラスさんも言ってますけれども「ミニマルって繰り返すんじゃないんだ」と。どう変わっていくかで、それをどう飽きずに聴かせるか、それがカギになるって言ってたんですけど、まったくそう思いますね。」

西村:
「なるほど。まずおひとつ曲をお聴かせいただこうと思うんですね。ご自身で選んでいただいたんですけれど、まず最初に「エレクトリック・バイオリンと室内オーケストラのための室内交響曲」これの第一楽章をお聴きいただきたいんですが、この作品についてちょっとご紹介いただけますでしょうか。」

久石:
「エレクトリック・ヴァイオリンというのは実は6弦なんですね。ヴァイオリンはふつう4弦ですよね。ソ・レ・ラ・ミなんですけれども、一番低いソの音の五度下のド、そこからまた五度下のファ。ですからあと四度でほとんどチェロの帯域カバーですね。という6弦のエレクトリック・ヴァイオリン、どうしてもこの6弦使ったヴァイオリンと室内オーケストラの曲を書きたいと思って書いた曲です。」

 

♬「エレクトリック・バイオリンと室内オーケストラのための室内交響曲」第一楽章/久石譲(作曲)
(9分40秒)2015

 

西村:
「拝聴していて、前半の部分は第一期の後のいわゆるポスト・ミニマルわりに自由なストーリー性をもっていて、むしろミニマルで蓄えられたような非常に魅力的なエレメントがたくさんあるんですけれど、組み立てとしては自由なストーリー性があるような感じですよね。ところが、後半になると再び一種そのミニマルの縛りとしてのシングルラインが現れてきますよね。ここはだから、ポスト・ミニマルのさらにポストという感じが非常にするわけですよね。」

久石:
「いやあ、もうねえ、西村さんのようにすごく尊敬してる作曲家にこうやって一生懸命聴かれるととても緊張するんですけどね(笑)。」

西村:
「やめてください(笑)。いや、ユニゾンの流れがいろんな楽器変わっていくわけじゃないですか。だからパート譜を見るとね、休みがいっぱいあってちょろっとこう出てくるようなことが、全体としてひとつのラインでいろんな色が塗り上げられていくようなね。そういうカラフルな妙味があると思うんですが。」

西村:
「さあ、ここからなんですけど、実は今回お越しいただいて、ぜひ久石譲さんの今のこだわりをもってらっしゃる作曲技法ですね、これ非常にオリジナリティの高いものですけども、今のシングルラインの単旋律の流れがどのように新たなミニマル音楽の世界への展開につながっていくかという。今まさにそこのところで次々と重要な作品をお書きになっているわけで、私もここのところ拝聴させていただく機会があってうれしいんですけど。そこにちょっとポイントを置いて、技法的な面でね、今お考えになっている単旋律の音楽のその後の展開についてちょっとお話しいただけますか。」

久石:
「結局、音楽って僕が考えるところ、やはり小学校で習ったメロディ・ハーモニー・リズム、これやっぱりベーシックに絶対必要だといつも思うんですね。ところが、あるものをきっちりと人に伝えるためには、できるだけ要素を削ってやっていくことで構成なり構造なりそれがちゃんと見える方法はないのかっていうのをずっと考えていたときに、単旋律の音楽、僕はシングル・トラック・ミュージックって呼んでるんですけれども、シングル・トラックというのは鉄道用語で単線という意味ですね。ですから、ひとつのメロディラインだけで作る音楽ができないかと、それをずっと考えてまして。ひとつのメロディラインなんですが、そのタタタタタタ、8分音符、16分音符でもいいんですけど、それがつながってるところに、ある音がいくつか低音にいきます。でそれとはまた違った音でいくつかをものすごく高いほうにいきますっていう。これを同時にやると、タタタタとひとつの線しかないんだけど、同じ音のいくつかが低音と高音にいると三声の音楽に聴こえてくる。そういうことで、もともと単旋律っていうのは一個を追っかけていけばいいわけだから、耳がどうしても単純になりますね。ところが三声部を追っかけてる錯覚が出てくると、その段階である種の重奏的な構造というのがちょっと可能になります。プラス、エコーというか残像感ですよね、それを強調する意味で発音時は同じ音なんですが、例えばドレミファだったらレの音だけがパーンと伸びる、またどっか違う箇所でソが伸びる。そうすると、その残像が自然に、元音型の音のなかの音でしかないはずなんだが、なんらかのハーモニー感を補充する。それから、もともとの音型にリズムが必ず要素としては重要なんですが、今度はその伸びた音がもとのフレーズのリズムに合わせる、あるいはそれに準じて伸びた音が刻まれる。そのことによって、よりハーモニー的なリズム感を補強すると。やってる要素はこの三つしかないんですよね。だから、どちらかというと音色重視になってきたもののやり方は逆に継承することになりますね。つまり、単旋律だから楽器の音色が変わるとか、実はシングル・トラックでは一番重要な要素になってしまうところもありますね。あの、おそらく最も重要だと僕が思っているのは、やっぱり実はバッハというのはバロックとかいろいろ言われてます、フーガとか対位法だって言われてるんですが、あの時代にハーモニーはやっぱり確立してますよね、確実に。そうすると、その後の後期ロマン派までつづく間に、最も作曲家が注力してきたことはハーモニーだったと思うんです。そのハーモニーが何が表現できたかというと人間の感情ですよね。長調・短調・明るい暗い気持ち。その感情が今度は文学に結びついてロマン派そうなってきますね。それがもう「なんじゃ、ここまで転調するんかい」みたいに行ききって行ききって、シェーンベルクの「浄夜」とか「室内交響曲」とかね、あの辺いっちゃうと「もうこれ元キーをどう特定するんだ」ぐらいなふうになってくると。そうすると、そういうものに対してアンチになったときに、もう一回対位法のようなものに戻る、ある種十二音技法もそのひとつだったのかもしれないですよね。その流れのなかでまた新たなものが出てきた。だから、長く歴史で見てると大きいうねりがあるんだなっていつも思います。」

西村:
「シングルなんだけどポリ(ポリフォニー)なんですよね、あるいはマルチって言ってもいいかもしれないですね。」

久石:
「逆にこういう少ない要素でやろうと思ってシングルでいこうとすると、非常に論理的で明快な部分を持たないとどこ切っても同じになっちゃうんですよね。だから目指さきゃいけないのは、やっぱりきちんとした論理的な構造をもってそれをあんまり感じさせない音楽を作れるのが一番いいかなあ。」

西村:
「つい最近ラングさんの作品を拝聴しました。2002年の作品はアルヴォ・ペルトのティンティナブリの発展形だというふうに僕は聴こえたんですよね。」

久石:
「ああ、なるほどね。はい。」

西村:
「そういう意味では久石さんの作品のほうが開かれて新しいっていう感じを僕は受けました。この番組で流れてない音楽の話をしてもしょうがないんですけど(笑)。」

久石:
「ありがとうございます。なんか思いっきり喜んじゃいますよ(笑)。」

西村:
「さて、音楽に戻らせていただいてですね。シングル・トラックという言葉がタイトルにも出てきている曲ですね。「Single Track Music 1」6分弱の曲なんでお聴かせいただきたいと思うんです。」

 

♬「Single Track Music 1 for 4 Saxophones and Percussion」/久石譲
(5分50秒)

 

西村:
「この作品の中間部のところは非常にわかりやすく、マルチシャドウというか単旋律が出てきましたですね。後半の部分はもっとパルスでとっていくようなのもあって。ひとつ原型のような作品ですね、技法のね。」

久石:
「この時、シングル・トラックをやろうって、そんなひとつの自分の方法をまだ全然考えてなかったんですよね。なんでかっていうと、ミニマルって必ず二つ以上ないと出来なかったんですよ。ズレるってことは元があってズレるものがないといけない。そうすると必ず二声部以上必要になりますね。大元のパターンがある、一緒にやってるが一個ずつズレていく、それがだんだん一回りして戻ると。そうするとね必ず二ついるんですよ。僕もそれが一拍ズレ、半拍ズレた、二拍ズレたとかってよくやるんですが、必ず元に対してズレがあるっていう方法をなんとか打破できないかと。単純に。ミニマルっていうのはこうやってもう何かがズレるんだと、いやこんなことやってたら永久に初期のスティーヴ・ライヒさんとかフィリップ・グラスさんとかがやってた方法と変わんだろうと。なんか違う方法ないかっていうときに、自分でズレるっていうか、二つがあって相対的にズレるじゃなくて、自分自身がズレていくような効果を単旋律で出来ないかって作った実験的なのがこれが最初でしたね。」

西村:
「もう一曲、今度はバンドネオンと室内オーケストラための曲。「室内交響曲第2番 The Black Fireworks」、黒い花火ですかね、この黒い花火って相当変わった副題ですけれどもこれはどういう。」

久石:
「一昨年夏にサマーセミナーみたいなものがありまして、福島でやったんですけど、震災にあわれた子供たちの夏のセミナーだったんですけどね。午前中に詞を作って午後に曲を作って一日で全員で作ろうよっていう催しだった。夏の思い出をいろいろそれぞれ挙げてくれっていった中に、一人の少年が「白い花火が上がったあとに黒い花火が上がってそれを消していく」っていう言い方をした。つまり普通は花火っていうのはパーンと上がったら消えていきますよね。あれ消えていくんじゃなくて、黒い花火が上がって消していく。うん、僕は何度もそれ質問して「えっ、それどういう意味?」って何度も聞いたんだけども「黒い花火が上がるんです」って。うん、それがすごく残ってましてね。彼には見えてるその黒い花火っていうのは、たぶん小さいときにいろいろそういう悲惨な体験した。彼の心象風景もふくめてたぶんなんかそういうものが見えるのかなあとか推察したりしたんですが、同時に生と死、それから日本でいったら東洋の考え方と言ってもいいかもしれません。死後の世界と現実の世界の差とかね。お盆だと先祖様が戻ってきてとか。そういうこう、生きるっていうのとそうじゃない死後の世界との狭間のような、なんかそんなものを想起して、もうこのタイトルしかないと思って。」

西村:
「それとバンドネオンとはどう関わるんですか?」

久石:
「これはまた別個なんですよね(笑)。西村さんはどうされてるかわからないですけれども、僕はいつも音楽的に追求しなきゃいけないものと、だけどなぜこの曲を作らなきゃいけないのか作る必要があるのか、ふたつでいつも攻めるんですよ。そのときに、バンドネオンというのは、三浦一馬君という非常に若い優秀なバンドネオン奏者がいまして、僕のコンサート聴きに来てくれて、顔見た瞬間になんか閃いちゃって「あっ、来年は彼のバンドネオンで書くんだ」って決めちゃったんですね。それとその時の想いが一体化したっていう、そういうところですよね。だからバンドネオンである必然性っていうのは、我々の音楽ってもしかしたらあまりないのかもしれない。」

西村:
「いやあ、あるかもしれませんよ。」

久石:
「ありますかね。」

西村:
「バンドネオンを呼ぶ何かがあったんじゃないでしょうか。」

久石:
「うん、あのね、それ論理的に言えないからちょっと避けてるんだけど、絶対呼んでる関連はあります。」

西村:
「うん、思いますよ。ちょっと聴かせていただきましょう。」

 

♬「室内交響曲第2番《The Black Fireworks》 バンドネオンと室内オーケストラのための」1 The Black Fireworks/久石譲
(10分50秒)2017

 

西村:
「昔例えばグレゴリオ聖歌とかね、神に祈りの音楽を捧げてるときって、終わりがない、すうっとこう神に捧げる。そういう時代が長かったのが、例えば古典派のような時期になると、はっきりここで終わり、バン!バン!とかね、ベートーヴェンなんかこれでもかっていうくらいここで終わり!終わり!終わり!というぐらい、人間が終わりを付けるというようなことになったわけですけど。ミニマルのスタイルの音楽っていうのは、昔の神に捧げてた頃のように終わりの設定がない、でも終わりますよね。久石さんの作曲上、終わりということはどのように決定されるというか。」

久石:
「あの、単純に言ってしまうと、To be Continued で絶えず終わりたい。つづくじゃないですけどね、一応長いパウゼ(休止)ぐらいな感じで、ですからこう「うん、また頭から聴いてもいいよ」っていうそういうスタンス、終わりじゃないですよね。」

西村:
「本当におもしろいお話ありがとうございます。次回もお越しいただいて、指揮の話とかいろいろお伺いしたことがあるのでぜひよろしくお願いします。どうもありがとうございます。」

(NHK FM「現代の音楽」21世紀の様相 ▽作曲家・久石譲を迎えて(1) 書き起こし)

 

 

 

◇1月13日 現代の音楽 21世紀の様相 ▽作曲家・久石譲を迎えて(2)

西村:
「今日は前回につづいてこのスタジオにスペシャルゲストをお招きしております。作曲家の久石譲さんです。久石さん、今日もよろしくお願いいたします。」

久石:
「よろしくお願いします。」

西村:
「前回はこのミニマル・ミュージックということをめぐってのお話を伺って、作品を拝聴し、また新たなミニマルの可能性というものも、技法的な、技法というのはある明快さとそこから多様性に広がるというこの両面がないとね、なかなか技法とは言えないと思うんですが、まさにそういった意味での技法の展開を今やってらっしゃる中での作品をお聴かせいただいてきたわけなんですけれども。ちょっと振り返ってみると、発祥の頃のミニマル・ミュージック、そういったものというのはプロセスそのものがすべてであって、プロセスが内容ではないようなんだけど、そこに文学的な物語性とかストーリー性とか意見とかっていうものはないところから始まってますけれども。その後内容というものが入ってくるという経緯がございます。で、同じく最初ミニマルに非常に惹かれて、今独自の技法というものを磨かれている久石さんにとって、内容と音楽のスタイルという関係性ですね、この辺りのことをちょっとお話いただければ。すごく興味があるんですけれども。」

久石:
「はい。作曲するというのはやっぱり構成する、構築するということになりますね。音楽的にある要素が決定して、それをどうやってこう論理的な構造といろんなものできちんとしたひとつの生き物といいますか作品に作り上げるかっていうことに終始します。ところが、もう一個非常に大きな問題があるんですけれども。それは作曲家としてなんでこの曲を書かなきゃならないか。この思いがはっきりしてないと、なかなか曲は書けない。なぜ今この曲を書くのかってなったときに、養老孟司先生はインテンシティって言いますよね。要するに、呼応する思い、つもり、その思い、それがないと非常に作品って作りづらいですよね。ただただ無機的に音をつなげていけば、論理的に組み立てることはできるかっていうよりも、やはりそこに何か、なぜこの曲を自分は書くのか?っていう問いは絶えず付いてくる気がするんですね。そのインテンシティ、どうしてもこれを作らなければならないっていう思いが、実は作曲するときの最大の原動力になってる、という気がします。それがいろんな意味で今後はその作品自体に、音としての作品、それからその音をとおして何を皆さんに伝えたいか、これはもう両輪というか切っても切れない関係だと思います。」

「あの、おそらくインテンシティっていうのをやり過ぎると、実はどんどんロマン派・後期ロマン派のある種精神性あるいは感情とか、(西村:「もしくは表現主義ですよね」)、そうですね、どうしてもそれに走っちゃいます。そうすると、例えば同じミニマルをベースにしていても、ジョン・アダムズはそっちの傾向のほうが強くなりますね。例えば「Scheherazade.2」(2016)とか「City Noir」(2009)とかね、(西村:「めちゃくちゃ物語的ですよね」)、なんかこうある種自分が若い頃に見ていた古い映画の世界を音楽でやりたい、っていうような何かね別の要素って必ず必要になってくるかもしれません。僕が、正直言いますと、そういう要素から作った曲と、あくまで音楽的な要素を中心に作っていくのっていうのは、少しこうカテゴリーが変わる気がしますね。」

西村:
「今どっちに向かってらっしゃるとかっていうのはあるんですか。」

久石:
「あっ、今はねえ、シングルトラックをもっと…(西村:「技法的に展開させていくという」)、で多様性をもってくるときに、もっとそういう要素が入ってくる。なんでも音楽って、例えばですね、木を見て木の幹と枝を見て美しいっていう人はいないんですよ。むしろそこに葉っぱがいっぱい生い茂って豊かな木に見えた時にみんな人はいい木だなってなりますよね。ところが、前衛というものというのは、幹であり枝をつくる作業です。ですからあまり人には歓迎されないかもしれない(笑)。だが、それがないと発展はしない。これを誰かがやらなきゃいけません。ところが、やはりそこに生い茂る葉っぱなりいろいろなものがついた時に、人はやっとそこで美しさだとか多様性を感じますよね。ですからなんか僕は両方必要な気がしてる。うまくやれれば。」

西村:
「というわけで、今日最初にお聴かせいただきたいのはシンフォニーなんですね。久石さんにとってのシンフォニーとは何ですか。」

久石:
「これはすごく悩みます。シンフォニーって最も自分のピュアなものを出したいなあっていう思いと、もう片方に、いやいやもともと1,2,3,4楽章とかあって、それで速い楽章遅い楽章それから軽いスケルツォ的なところがあって終楽章があると。考えたらこれごった煮でいいんじゃないかと。だから、あんまり技法を突き詰めて突き詰めて「これがシンフォニーです」って言うべきなのか、それとも今思ってるものをもう全部吐き出して作ればいいんじゃないかっていうね、いつもこのふたつで揺れてて。この『THE EAST LAND SYMPHONY』もシンフォニー第1番としなかった理由は、なんかどこかでまだ非常にピュアなシンフォニー1番から何番までみたいなものを作りたいという思いがあったんで、あえて番号は外しちゃったんですね。」

西村:
「その場合のピュアとはどういう意味ですか。」

久石:
「それはもう、さっきの技法的なほうです。もうほんとに音の組み合わせが一体なにか。理想はね、主張しないで「えぇ!」っていうぐらいに、ほらこういう要素でこういうふうにこういうふうに組み立てました、って出して。そしたら聴いてる人がね、「あっこれ朝日を想像しますね」とかね「夕日を想像しますね」とかね「悲しいですね」とか。もういろんな意見言ってもらうのが一番うれしい気がする。」

 

♬「THE EAST LAND SYMPHONY」から 第1楽章、第3楽章、第5楽章/久石譲(作曲)
(24分20秒)

 

西村:
「これはメッセージ性がはっきりとありますね。」

久石:
「そうですね。EAST LANDっていうのは東の国ですから、日本ですね、はっきり日本ですね。なんかねえ、これを作ってた時にずっと「日本どうなっちゃうんだろう」みたいな思いがすごく強くて。第三楽章の「Tokyo Dance」っていうのは、ほんとにちょっとブラックな、風刺ですよね、ちょっと「こんなに日々良ければそれでいいみたいな生き方してていいのか」みたいな、そんなような思いもあって。」

西村:
「これテキストはどなたが?」

久石:
「第三楽章は僕の娘の麻衣が書きまして。第五楽章は自分でラテン語の辞書あるいはラテン語の熟語集の中から「祈り」にふれてる言葉をいろいろ選びまして、それを組み合わせて作りました。」

西村:
「マタイ受難曲のコーラルが見事に。」

久石:
「この『THE EAST LAND SYMPHONY』を作ってる間、ずうっと合間に聴いてたのがマタイ受難曲だったんですね。なんかあれを聴くと、音楽の原点という気がして。はい。」

西村:
「あれを聴くともう作曲やめようかななんて思ったり(笑)。」

久石:
「いやいやいや(笑)。いや、ほんとに何をいまさら自分でできると思ってるんだ、ぐらいな、こう、なりますよね。」

西村:
「でもその反対にですね、もうやめようかなと思う一方でですね、志は上がりますよね。」

久石:
「上がります。」

西村:
「それでですね。指揮をされるというご活動もですね。自分の作品をお振りになることももちろんすごく多いでしょうし、ベートーヴェンなどの作品も最近すごくCDなんかでも拝聴しているんですけども。指揮ということに対してのご関心というのは、結構やっぱり強くお持ちなんですか。」

久石:
「指揮は嫌いじゃないんですよ。嫌いじゃないんですけど、自分が指揮してるなんてちょっとおこがましいんです。ただ、やれる範囲で言うと、一番大事に思ってることは、こういうミニマルとかいろんなものを演奏する感覚で新しいクラシック、っていうようなものがもし可能だったら自分はやると。あくまでも作曲家目線で、いわゆる伝統的なベートーヴェンやなんかをやろうとは思ってないんですよね。それはなんでかっていうと、構造を見せたいからです。おそらく一番昔と今が違うのがリズムだと思うんですよ。それを徹底的に、デジタル時代のものを、その感覚でもしベートーヴェンをやったらまた全く違うベートーヴェンできるんじゃないかなあとかね、そういうふうに思ったりする。」

西村:
「ご自分の作品もお振りになる。」

久石:
「それは簡単ですよ、誰も振ってくれないから(笑)。」

西村:
「いやいやいやいや(笑)。」

久石:
「ほんとは人に振ってほしいんですけど。やっぱり譜面で書かれてるものって、表現したい音楽の70%ぐらいかなあ。どんなに細かく書いても、強弱を付けてもですね。そうすると、その後ろにあるものを的確に伝えようと思うときに、オーケストラって信じられないほどリハーサルが短いじゃないですか。2日間とか3日間でね。そうするとね、その短い期間に第三者の指揮者をとおしてやってもらおうとすると時間が足りないんですよ。だったら自分が出来るようになって、伝えたほうが早いって、そう思ったんです。」

西村:
「全然別な見方をすると。例えば、こんな美味しいものを自分が作ったのに、これを食べるのが自分じゃなくてあの指揮者だと思ったら許せないから自分が食べるとかって。」

久石:
「(笑)。いや、あんまりそれないですよ。西村さんも指揮されます?」

西村:
「いや、しません。私自分で作った料理を自分じゃ怖くて食べれない。」

久石:
「あれ?(笑)」

西村:
「いや、毒だらけですから。」

久石:
「(笑)じゃあ、今度西村さんのそれ僕がえっと…。」

西村:
「やってくださいぜひ。毒だらけですから。」

(笑)

西村:
「なんか久石さんの作品って久石さんとこう一体化してるところがすごく僕は感じられるわけですよ。だから自分で音を出して指揮をして、そこまでのところが作曲であると、いう感じもするんですけどね。」

久石:
「たしかに西村さんが言われるように。我々のやっている音楽っていうのは、この番組のタイトルも素晴らしいんですけど、「現代の音楽」ですよね。でも通常は「現代音楽」って言いますよね。現代音楽が陥った最大の問題は、作曲家の頭の脳みその中で完結しちゃった。つまり、それを今言ったように指揮者がいて演奏者がいて、それで観客がいて。そこに届けていかない限りほんとは完結しないわけですね。ところが、ほとんど自己満足のように自分の中で完結、(西村:「紙の上で完結しちゃうようなね、作業としてはね」)、しちゃいますね。やっぱりお客さんからきちんとお金をいただいてコンサートをやり、自分でオーケストラも主導し、観客の反応を見て、「あぁ、ダメだった」とかね、落ち込むとか全部ふくめたそういうことを作業の一貫、全部終わらない限り作曲家の仕事は終わってるとは思わないんですよ。みんなやっぱりワーグナーにしろメンデルスゾーンにしろ、自分の音を最後まで自分で責任をとるっていうときは、やっぱりそこまでやったほうがいいような気がする。」

西村:
「そうですね。だからストラヴィンスキーなんかは振れないのに振ってましたよね。」

久石:
「あっ、知ってます?「春の祭典」書き直しちゃったのね、あの変拍子振れないから。これが難しいですよね。自分で書いたんだから振れるだろうって周りに思われますけど、いやあ。」

西村:
「でも結構変拍子多いですよね。」

久石:
「僕ですか? めちゃくちゃ多いです。」

西村:
「振るとなったら大変ですよね、結構。」

久石:
「ほんとに嫌です。振るほうにまわって一番嫌な作曲家って久石ですね。」

西村:
「間違った時、どういうふうにごまかすんですか?」

久石:
「間違った時はね、何事もなかったように、なかったように合わせていって、しばらく、…」

西村:
「でも何事もなかったように音楽が進行してたら、あれ、誰も見てないんじゃないかとかいうような、疑いをかけたりしません?」

久石:
「えっとね、誰も見てないって思いますよ(笑)。あのね、そこ指揮の難しいところで。要するに、演奏家の人ってもう特に変拍子が多くなったら譜面から絶対目が離せないんですよ。だけどパート譜のこの辺に指揮者をちらちらこう追っかけてるんですね。それでこう弾いてますから、なかったら出来るのかってそうでもないんですよ。いなきゃいけない。僕らは、さっきの質問ですけど、失敗したらどうするんだっていったら、動揺すると全員に伝わりますから、しばらく何事もなかったようにうまいところで帳尻合わせて、区切りのいいところで片手をあげてごめんねっていうジェスチャーをします(笑)。」

西村:
「あっ、それ今度から注目してよう(笑)。そうですか(笑)なんかありがとうございます。じゃああの、指揮者がいらない曲を聴いてみましょう(笑)」

「これちょっと難しい題ですね。「Shaking Anxiety and Dreamy Globe」、globeって地球ですかこれ、夢見る地球。」

久石:
「地球ですね。これね、自分で付けたタイトルなんだけど、今でも言えないんですよ。シュールなタイトルなんですけどね。音が一個一個こう生まれていって、それが一つの有機的な作品になるっていうことは、ちょうどこう細胞が分裂していって一つの生命が宿る、それと同じということでちょっとシュールにこういうタイトルを付けてみました。」

西村:
「これはマリンバ2台ということなんですね。」

久石:
「はい、もともとはギター2本で書いた曲なんですね。それをこう、非常にアップテンポで構造が見えるようにやりたいなと思ってマリンバに直したんですね。」

西村:
「久石さんは打楽器お好きですか?」

久石:
「好きです。西村さんの「ケチャ」大好きですから。」

西村:
「古い曲ですよ。もうちょっと最近のやつを言っていただけますか。」

(笑)

 

♬「Shaking Anxiety and Dreamy Globe for 2 Marimbas」/久石譲(作曲)
(7分10秒)

 

西村:
「これなんか血の流れがよくなってくるような、体にいい、そういう感じの音楽ですよね。久石さん「Music Future」というコンサートシリーズを去年で5回目ですか、あれは毎年続いていくということですね。」

久石:
「はい。こういうちょっとミニマル系の曲の一番先端ものっていうのは、ベースにしたものですね、なかなか日本で聴く機会がなかったので、そういうチャンスがあるといいなと思ってつくったシリーズです。」

西村:
「今後ともご教示いただきたいことがいっぱいあるんですけれども(笑)。」

久石:
「今後ともよろしくお願いいたします。」

西村:
「よろしくお願いします。前回今回とほんとにお忙しいなかスタジオにお越しいただきましてありがとうございました。作曲家の久石譲さんをお招きしてお送りしました。「現代の音楽」ご案内は西村朗でした。」

(NHK FM「現代の音楽」21世紀の様相 ▽作曲家・久石譲を迎えて(2) 書き起こし)

 

 

公式サイト:現代の音楽
http://www4.nhk.or.jp/P446/

 

Blog. 「キーボードスペシャル 1994年2月号 NO.109」 久石譲とRoland SH-5 内容紹介

Posted on 2019/01/10

音楽雑誌「キーボードスペシャル 1994年2月号 NO.109」に掲載された久石譲インタビュー内容です。「なつかしのファースト・キーボード」コーナーに登場した回です。

 

 

KEYBOARD FILE No.38
なつかしのファースト・キーボード
1st KEYBOARD

久石譲とRoland SH-5

『風の谷のナウシカ』をはじめとした数々の映画音楽を手がけ、多くのファンを持つ作曲家でありキーボード・プレイヤーである久石譲さんが、現代音楽に夢中だった青春時代に初めて手にした機種は…? 華麗なる音楽キャリアとともに語っていただきましょう。

 

とてもフィットした現代音楽

僕は4歳の頃からバイオリンを始めたんですけど、すごく音楽が好きな子どもで、3~4歳の頃から毎日いろんなレコードを聴き漁っていたんですね。それで、ある日、楽器屋の前を通ったときにバイオリンが目に入って”これをやりたい”と思ったんです。

バイオリンは小学校の高学年まで続けたんですが、週1回レッスンに通っていたところでオルガンやピアノも同時に教わっていました。あくまでも付属的だったんですけどね。そのあとはしばらくブランクがあって…中学のときにブラスバンドはやっていたんですが…中学3年のときに”音楽大学に入りたい”って思って、もう1回すべてのレッスンをスタートさせたんです。

その頃はクラシックにいちばん興味が向いていて…当時は、日本で言えば武満徹であったりとか、ジョン・ケージだったりとか、そういう現代音楽を中心に聴いていました。ポップスは、やっぱり僕らの世代はビートルズで、好きだったし聴いてましたね。高校に入った時点で、ベーシストやドラマーを志すヤツがひとりでもいたら、いまみたいな道にはたぶん行ってなかったと思う(笑)。幸か不幸か、いなかったんですよ。それでけっきょく現代音楽にドップリとのめりこんでいっちゃって。ロック・バンドを組んで活動したことがないんですよ。困ったことですね(笑)。

現代音楽へのとっかかりは…なんていうのかな…”こうやっても音楽になるんだ”みたいな感覚がすごく刺激的で、現代音楽というのはそういう世界でしたからね。最初は、不協和音聴いて”なんなんだコレは?”って思ったんだけれど(笑)やっていくうちに、それが自分にはすごくフィットすることに気づいて。

 

衝撃のテリー・ライリーとの出会い

音楽大学を志望したのも”現代音楽をやりたかったから”というのがいちばんの理由で、クラシックを勉強するというよりは、音楽をやる連中が集まる場に行きたかったんですよ。見事に違いましたけどね(笑)。作曲を志す人間が何人もいれば「もうバルトークなんか古い!」って言って、当然のようにジョン・ケージだとかクセナキスだとかペンデレツキとかっていう話をすると思っていたんだけど、みんな知らないの(笑)。だから、えらくギャップがあって。

そんなある日、テリー・ライリーの「レインボウ・イン・カーブド・エア」という曲を友人に聴かされて、すごいショックを受けて、しばらく悩んで、ミニマルな作風に変えたんです。「レインボウ・イン・カーブド・エア」はドイツに”カーブド・エア”というバンドがあったぐらいで、プログレをやっていた連中…とくにロックをやっていた連中には、ものすごい影響を与えたんですよね。だから、タンジェリン・ドリームにしてもクラフトワークにしても、みんな根っこは同じですよね。

 

SH-5を買った理由はミニマル音楽に合うと思ったから

当時、僕のメイン・インストゥルメンツはオルガンでした。それもハモンドですね。ミニマル系のバンドをやっていたとき、ローランドからちょうどシンセサイザーが出始めたんですよ。ミニマル音楽というのは同じフレーズを繰り返すもので、それを全員でオルガンでやっていたんだけど、もう少し音色のチェンジが欲しいなと思っていたところにシンセが出てきたんですよ。それで、ローランドのSH-5とかストリングス・アンサンブルとかを導入していって、シンセサイザーとも、わりと自然とつながっていったんです。

ホントは、SH-3をいちばん最初に買ったはずなんだけど、あまり印象になくて。だからSH-5が僕にとっての1st Keyboardと言えますね。22歳くらいのときに買って、ずいぶん長いこと使っていましたし。その前からハモンドは使ってて…僕が持っていたのはSH-5とほぼ同時期に買った小さいタイプのものだったんで、コンサートのときは2段鍵盤の足つきのやつを借りてました。あとはね、けっこうピアノの内部奏法が多かったんですよ。ピアノの弦のあいだにゴムとか洗濯バサミとかはさんで弾くという。それとね、ドラをスーパーボールでこすると不思議な音がするんです。そういう得体のしれない打楽器とかの音色は、ずいぶん使ってました。

SH-5を選んだ理由は…当時、同じような機種がコルグからも出ていたと思うんですけど、僕にとってはローランドの音はミニ・ムーグに近い感じがして、コルグの音はアープのオデッセイの音色の華やかな感じに近い感じがしたんですよ。で、僕がやっていたミニマルにはローランドのほうが合うだろうと思って。そんなに機種がたくさんある時代じゃなかったんで、それほど選択の余地はなかったんですけどね。

SH-5は2VCOのモノフォニックで、それをなんとかポリ風に聞かせるテクはないかということで(笑)かなり苦労した思い出があります。たとえばアルペジオ風にうんと速く弾いて、それでなんとか和音的なものが出たようなフリをするとか。そんな苦労をしてました。

 

Prophet-5とフェアライト

その頃からスタジオでアレンジの仕事をやっていたから、だんだんと機材も増えていって、その次に買ったのがProphet-5。あ、SH-5レベルでの似たような楽器はいくつも買ったんですよ。ステップ・アップという意味で買った楽器がProphet-5とリンのドラムと、シーケンスとしてMC-4。それが3種の神器みたいな感じで(笑)。当時、みんなそうだったと思うんだけど。そこにDX7が入ってきて、そのレベルでの周辺機材がふえていったって感じでしたね。

ちょうど『ナウシカ』(映画『風の谷のナウシカ』サントラ)を作った頃ですかね、あるアレンジャーでギタリストの人の家でフェアライトに出会うんです。それで、うなされるほど欲しいと思って…一千何百万とか言われたんですけど、清水の舞台から10回くらい飛び降りたつもりで(笑)フェアライトIIを買ったんです。

 

現代音楽からポップスへ…

話が前後しますけど、国立音大に入学したものの、僕は突出した存在で、先生からも「授業に出なくていい」って言われちゃったんです。授業でやることは全部わかっていたんですよ。で、先生は困っちゃうわけですね。それで「単位はあげるから出ないで」って(笑)。だから、学校には行かないわりに成績よかったんです。

卒業したあとも就職するつもりはなくて、音楽のことしか考えていませんでした。4年生の頃からスタジオでの仕事をやっていたから”このラインでやっていくな”という予感はありました。メインはあくまで現代音楽なんですけどそれはお金を稼げる世界ではありませんから。

20代は、ミニマルのアンサンブルを作って、定期的なコンサートを開いたりとか…そのあたりから、オルガンなんかを使っての本格的なコンサートは多くなったんです。もちろん、小さいところでのものでしたけど。そういう活動を続けながら、片方ではレコーディングのアレンジとかをどんどんやっていきました。

転機となったのは30歳くらいのときで…当時打楽器アンサンブルを中心にしたユニットも組んでいたんですが、そこの打楽器だけを独立させて”ムクワジュ”というグループを作ったんです。そのムクワジュとしてコロムビアから日本初のミニマル・アルバムを出すことになるんですが、その段階で、クラシックの世界に身を置いていたことが、なんか違うんじゃないかと思い始めちゃったんです。というのは、超前衛音楽なのに、それをやっている人たちは前衛的な新しい思考を持っていなかったからなんです。それで”こういう状況からは、絶対新しいものは生まれない”と思っちゃったんですよ。それでフッと横を見たら、ロキシー・ミュージックからはブライアン・イーノが出てきて、で、クラフトワークもいてという状況になっていたわけですよ。彼らはロックをベースにして登りつめてきてミニマル的なことをやってて、僕は現代音楽のほうからきてミニマルをやってたんだけど、両者のやっている内容はそんなに違わなかったんですよ。それなら飛んじゃったほうがいいやと思って。ポップスというフィールドがすごく新鮮に見えたんですよ。ポップスの世界に行ったほうが、よりアヴァンギャルドなことができると思ったんです。で、僕は不器用なもので、ふたまたをかけることができなくて、ポップスの世界に入ったときからクラシックの作品を書くのはやめたんです。

 

いろいろなことが起こった1984年

それで、JAPANレコードから最初のソロ・アルバムを出したんだけど…当時、矢野顕子さんとかP-MODELとかムーンライダーズとか、前衛っぽい人たちがいっぱいいたレーベルだったんで、いいなと思って僕も契約したんですけど売れなくてね(笑)。困ったなあと思ってたら、JAPANレコードが徳間JAPANというレコードになったんです。で、社運を賭けて『風の谷のナウシカ』というアニメーションをやることになって、たまたま僕のディレクターが推薦してくれてイメージ・アルバムを作ったら、(原作者の)宮崎駿さんがすごく気に入ってくれて、そこからいわゆるメジャー路線っていうか(笑)、暗いミニマル路線から、いきなり”メロディ・メイカーの久石譲”となっちゃったんです。

『ナウシカ』が公開されたのは84年だったんですけど、あの年はいちどにいろんなことが起こりまして、映画では薬師丸ひろ子の『Wの悲劇』を担当して、アレンジでは井上陽水の『9.5カラット』をやって、CMではカネボウの男性化粧品のハシリだった商品を手がけて。それまで全然実績がなかったのに各分野でNo.1をとっちゃったんです。

それを契機にポップスの世界でどんどん仕事をしてきて、今年は『水の旅人』のサントラや中山美穂さんとの仕事もしました。いまは次のソロ・アルバムにとりかかっているところで…ホントは(93年の)2月に出るはずだったんですけどね(笑)。あとは4月から始まるNHKの朝の連続ドラマの音楽を担当することになったんで、並行しながらグジャグジャとやっているところなんです(笑)。

(キーボードスペシャル 1994年2月号 NO.109 より)

 

 

Blog. 「久石譲 ジルベスターコンサート 2018 in festival hall」 コンサート・レポート

Posted on 2019/01/03

2018年12月31日、大晦日に開催「久石譲 ジルベスターコンサート 2018 in festival hall」です。一旦休止をはさみながらも2014年から再び5年連続開催、一年を締めくくるスペシャルコンサートです。

まずは、コンサート・プログラム(セットリスト)および当日会場にて配布されたコンサート・パンフレットより紐解いていきます。

 

 

久石譲 ジルベスターコンサート 2018 in festival hall

[公演期間]  
2018/12/31

[公演回数]
1公演 (大阪 フェスティバルホール)

[編成]
指揮:久石譲
管弦楽:関西フィルハーモニー管弦楽団
ソプラノ:安井陽子
メゾソプラノ:中島郁子
テノール:望月哲也
バスバリトン:山下浩司
オルガン:室住素子
合唱:関西フィルハーモニー合唱団

[曲目] 
久石譲:「天空の城ラピュタ」より *世界ツアーバージョン 日本初演
久石譲:Orbis
—-intermission—-
ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱付き」

 

 

久石譲のプログラムノート

「天空の城ラピュタ」より

今回演奏する「天空の城ラピュタ」は、世界ツアーで演奏しているバージョンです。これは去年パリから始まり、メルボルン、サンノゼ、ロサンゼルス、ニューヨークなどで行われました。

冒頭から鳴り響く金管楽器の「ハトと少年」はバンダによって演奏されます。バンダというのは会場に楽器を配置し、あるいは舞台の裏などで演奏する演奏手法のひとつです。トランペットとホルンを会場内に配置することで、まるで天上から降り注ぐように会場に響きます。続いてコーラスと弦楽器を除いた木管・金管楽器で「君をのせて」を演奏します。オープニングにふさわしい作品だと思い選曲しました。

 

「Orbis」

曲名はラテン語で”環”や”繋がり”を意味します。2007年の「サントリー1万人の第九」のとき、冒頭に演奏する序曲として委嘱されて作りました。サントリーホールと大阪城ホールを二元中継で”繋ぐ”という発想から生まれました。祝典序曲的な華やかな性格と、水面に落ちた水滴が波紋の”環”を広げていくようなイメージを意識しながら作曲しています。

歌詞に関しては、ベートーヴェンの《第九》と同じように、いくつかのキーワードとなる言葉を配置し、その言葉の持つアクセントが音楽的要素として器楽の中でどこまで利用できるか、という点に比重を置きました。”声楽曲”のように歌詞の意味内容を深く追求していく音楽とは異なります。言葉として選んだ「レティーシア/歓喜」や「パラディウス/天国」といったラテン語は、結果的にベートーヴェンが《第九》のために選んだ歌詞と近い内容になっています。作曲の発想としては、音楽をフレーズごとに組み立てていくのではなく、拍が1拍ずつズレていくミニマル・ミュージックの手法を用いています。そのため演奏が大変難しい作品です。約10分の長さですが、11/8拍子の速いパートもあり、難易度はかなり高いものがあります。

 

ベートーヴェン《第九》

ジルベスターコンサートでは、2015年以来、関西フィルハーモニー管弦楽団とは初めての演奏です。

ベートーヴェンの晩年の大作である《第九》は、音楽史の頂点に位置する作品のひとつです。その最大の特徴は第4楽章に声楽を入れたことです。今日ではマーラーなどの交響曲で声楽が入ることに何の抵抗もないのですが、約200年前の当時、純器楽作品とりわけ交響曲に使用するなどということは、まったくなかったのです。

今までに何度か演奏してきてわかったことは、《第九》は理屈や論理を超えたもっと大きなもの、もちろん単なる感情でもない、何かに突き動かされているということです。その何かはとても言葉では表現できません。毎回演奏する度に湧きおこる深い感動は《第九》特有の魅力だと思っています。

2年前から長野で、ナガノ・チェンバー・オーケストラとベートーヴェンの交響曲全曲演奏とCD化に取り組んできましたが、今年の夏の《第九》で終了しました。従来の方法ではなくリズムをベースにしたまるでロックのような新しいベートーヴェンに取り組んだわけです。

その演奏を収録したライヴ盤をいち早く今日から発売しますのでもし興味があったらお買い求めください(笑)*

今日の演奏もそのリズムをベースにした新しいベートーヴェンに挑みます。が、室内オーケストラではなく大きな編成でのチャレンジはタンカーをモーターボートのように操縦するわけですから大変です。かれこれ20年近く一緒に演奏してきた関西フィルへの信頼がないとできません。

2018年を締めくくる最後の《第九》を、皆さんに楽しんでいただければ幸いです。

2018年12月
久石譲

(「久石譲 ジルベスターコンサート 2018 in festival hall」コンサート・パンフレット より)

 

*会場限定先行販売は諸事情により中止となりました。(2019年1月23日CD一般発売予定)

 

 

「それから、作曲家としてもう一回クラシック音楽を再構築したいっていうふうになるわけですね。どういうことかというと、指揮者の人が振る時の指揮の仕方って、やっぱりメロディだとかフォルテだとかっていうのをやっていくんだけど、僕はね作曲家だから、メロディ興味ないんですよ。それよりも、この下でこうヴィオラだとかセカンド・ヴァイオリンがチャカチャカチャカチャカ刻んでるじゃないですか。書くほうからするとそっちにすごく苦労するんですよ。こんなに苦労して書いてる音をなんでみんな無視してんだコラっ!みたいなのがある。そうすると、それをクローズアップしたりとか。それから構成がソナタ形式ででてるのになんでこんな演奏してんだよ!と。たとえばベートーヴェンの交響曲にしてもね。そうすると、自分なら作曲家の目線でこうやるっていうのが、だんだん強い意識が出てきちゃったんですよね。そして、それをやりだしたら、こんなにおもしろいことないなあと思っちゃったんですよ。たとえば、ベートーヴェンをドイツ音楽の重々しいみたいな、どうだっていいそんなもんは、というふうに僕はなっちゃうんですよ。だって書いてないでしょ、譜面に書いてあることをきちんとやろうよ、っていうことにしちゃうわけです。そうするとアプローチがもうまったく違う。ドイツの重々しい立派なドイツ音楽で聴きたいなら、ベルリン・フィルでもウィーン・フィルでも聴いてくれよと。僕は日本人だからやる必要ないってはっきり思うわけね。そういうやり方で迫っていっちゃうから。」

「それともう一個あったのは、必ず自分の曲なり現代の曲とクラシックを組み合わせてるんです。これは在京のオーケストラでもありますね、ジョン・アダムズの曲とチャイコフスキーとかってある。ところが、それはそれ、これはこれ、なんですよ、演奏が。だけど重要なのは、ミニマル系のリズムをはっきりした現代曲をアプローチした、そのリズムの姿勢のままクラシックをやるべきなんですよ。そうすると今までのとは違うんです。これやってるオケはひとつもないんですよ。それで僕はそれをやってるわけ。それをやることによって、今の時代のクラシックをもう一回リ・クリエイトすると。そういうふうに思いだしたら、すごく楽しくなっちゃって、やりがいを感じちゃったもんですから、一生懸命やってる(笑)。」

「一緒に考えるということですよね。たとえばミニマル系の現代曲をといっても、実は譜面どおりに弾くなら日本の人はうまいんですよ。すごくうまいんですよ、その通りに弾く。たぶん外国のオケよりもうまいかもしれない。だが、それを音楽にするのがね、もう一つハードル高いんですよね。たとえば、非常にアップテンポのリズムが主体でちょっとしたズレを聴かせていくってなると、リズムをきちんとキープしなければならない。ところが、このリズムをきちんとキープするっていうこと自体がすごく難しいんですよ。なおかつオーケストラになりますと、指揮者と一番後ろのパーカッションの人まで15メートル以上離れてますね。そうすると、瞬間的にザーンッ!だとかメロディ歌ってやるのは平気なんだが、ずっとリズムをお互いにキープしあわないと音楽にならないっていうものをやると、根底からオーケストラのリズムのあり方を変えなきゃいけなくなるんですね。もっとシンプルなことでいうと、ヴァイオリンを弾いた時の音の出る速度と、木管が吹くフルートならフルートが吹く音になる速度、ピアノはもう弾いたらすぐに出ますね、ポーンと出ますよね。みんな違うんですよ。これをどこまでそろえるかとかっていう。これフレーズによってもきちっとやっていかなきゃいけない。ところがこれって、そういうことを要求されてないから一流のオケでもアバウトなんですよ。だからミニマルは下手なんです。で、結局これって言われないと気がつけませんよね。0.0何秒でしょうね。こういうふうにもう全然違っちゃうんですよ。そういうことを要求されたことがない人たちに、いやそれ必要なんだよって話になると、自分たちもやり方変えなきゃいけなくなりますよね。で、その経験を積ませないと、この手の音楽はできない。ということを、誰かがやってかなきゃいけないんですよ。と思って、それでできるだけ、日本にもそういう人がいるっていうのを育てなきゃいけない、そういうふうに思ってます。」

Blog. TBSラジオ「辻井いつ子の今日の風、なに色?」久石譲ゲスト出演 内容紹介 より抜粋)

 

 

 

ここからは個人的感想、コンサートレポートです。

 

久石譲ファン恒例行事として楽しみにしていた人、大晦日の特別な一日としてイベント感楽しみにしていた人、「第九」をはじめて聴く人、海外からのお客さん。それぞれの日常と環境のなかで、この日会場に集まった観客の期待と終演後の感動は、溢れたSNSからたくさん見ることができました。

 

「天空の城ラピュタ」より

久石譲解説にあるとおり、世界ツアーバージョンのこの作品は日本初演でもあります。『WORLD DREAMS』(2004・CD)に収録されたトランペットをフィーチャーしたヴァージョンとも、『交響組曲 天空の城ラピュタ』(2017・CD)に収録された組曲中同楽曲ともヴァージョンは異なります。

世界ツアーでは現地マーチングバンドの若者たちと合唱団による「天空の城ラピュタ」コーナーで構成されています。「久石譲 in 武道館」コンサート(2008)と同じ編成です。もうひとつ、マーチングバンドが編成されない公演では、現地の共演オーケストラと合唱団による「天空の城ラピュタ」コーナーになっていて、それが今回披露されたヴァージョンになります。

楽器編成は久石譲解説にあるとおり、会場を包みこむバンダ演出によるパノラマ音空間と、オーケストラの主要である弦楽器を除くことでコーラスの圧倒感を前面に引き出す構成になっています。「ハトと少年」は、客席2階席両サイドから吹かれるトランペットの音色が、まるでスラッグ渓谷を見渡せる屋根上でパズーが演奏している映画シーンのように、地平線の遠くまで響きわたるよう。「君をのせて」はフルコーラス歌われ、ステージ中央から聴こえる管楽器たちとバンダの金管楽器たちがコーラスと立体的にかけあい、後半にすすむにつれてコーラスの重厚さを支えるどっしりとしたティンパニやスネアによる荘厳なマーチ風リズムが印象的です。冒険活劇、夢や希望にあふれたラピュラの世界とはまた違った、畏敬の念をまとった俯瞰して地球を見るようなラピュラの世界、そんな気がします。

思えば、2018年は高畑勲監督が逝去された年。”あらかじめ予定されていた”偶然のプログラムとなった「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2018」での「かぐや姫の物語 組曲」や直前プログラム更新の「The Path of the Wind 2018」。8月TV放送NHK特番「ジブリのうた」での「風のとおり道 久石譲×五嶋龍」演奏(高畑勲監督が絶賛していた曲)、「君をのせて」への久石譲コメント。映画『天空の城ラピュタ』は宮崎駿監督とのタッグながら、音楽プロデューサーを務めた高畑勲監督とも深くかかわり、「君をのせて」の主題歌化や歌詞の補作という共同作業。久石譲は、2018年という一年間をとおして高畑勲監督への追悼の想いを表したかったとすれば、本公演での「天空の城ラピュタ」より世界ツアーバージョンのひと足早い日本初演は、特別な想いがあったのかもしれません。

久石譲と高畑勲監督のエピソードや「W.D.O.2018」プログラム詳細は下記ご参照ください。

 

また記憶に新しいところでは、2018年8月NHKFM「今日は一日”久石譲”三昧」ラジオ番組での、鈴木敏夫プロデューサーのトークも、そうだったんだ!と新発見がありました。

「それと僕が声を大にして言いたいのは、この「かぐや姫の物語」の映画音楽、大傑作ですよね。高畑さんと日常的にいろいろなこと話してたから、高畑さんは実をいうと、好みもあったんでしょうけれど、「ラピュタ」の音楽、大絶賛してたんですよ。そうするとね、高畑さんのなかにあったのは、全然違う作品なんだけれど映画音楽として、どういうものをやっていくかというときに、「ラピュタ」に勝ちたい、どっかにあったんじゃないかなあ。それを僕は実現したと思ったんですよね。明らかに久石さんの新たな面も見れたし、この人すごいなと思ったんですよ、まだ成長するんだって(笑)。」(鈴木敏夫)

Blog. NHK FM 「今日は一日”久石譲”三昧」 番組内容 -トーク編- より抜粋

 

ニューヨーク・カーネギーホール公演でも演出されたバンダ。こんなにも早く体感できて幸せです。バンダ演出ってどういうの? カーネギー公演風景をご覧ください。

 

 

「Orbis」

久石譲オリジナル作品の代名詞のひとつ、絶大な人気を誇る作品です。近年ではベートーヴェン《第九》との並列プログラミングが多いです。あまり比べることはしないのですが、2018年「ナガノ・チェンバー・オーケストラ 第7回定期演奏会」のNCO演奏とは少し印象が異なりました。それは完成度なのか、リハ不足なのか、思い切りの良さが足りなかったのか、この作品のパフォーマンスとしてはちょっともったいなかったかな、というのが正直な感想です。

少し視点をかえて。2015年「Orbis」は全3楽章作品としても初演されていますが、それ以降の公演ではすべて2007年オリジナル版(2015年版第1楽章にあたる)のプログラムです。これをどう見るか? 「新版・Orbis」はまだまだ納得していない、修正の余地が多分にある…そんなことはないんじゃないかなあと思っています。ズバリ、絶対的な自信があるんだろうと僕は勝手に確信しています。だからこそ、「Orbis」の完全版は久石譲オリジナル交響作品の到達点を飾る大作にふさわしい。近年、久石譲オリジナル作品とジブリ交響組曲化の大きく2本柱で構成されるW.D.O.コンサート。「The End of the World」や「ASIAN SYMPHONY」は、「THE EAST LAND SYMPHONY」という新作シンフォニーをはさみながらも、再構築や完全版として昇華・進化・完結へと流れています。久石譲オリジナル交響作品の9番目に値する作品、それこそが「Orbis for Chorus, Organ and Orchestra」完全版なのではないか。そこにこそ《第九》に捧げる序曲であり、《第九》と同じ9番目のシンフォニーとして君臨する久石譲オリジナル作品。だから僕は、2015年以降「新版・Orbis」が封印されていることも、その日まで2007年版「Orbis」でのプログラムであることも、そうだろうなあと寛大な心持ちな自分がいたりします。「MKWAJU組曲」「D.E.A.D組曲」も生まれ変わるかもしれない、「Winter Garden」もある。まだまだやることたくさん&新作もつくり続ける…そんな久石譲の声が聞こえてきそうです。勝手な推測なので鵜呑みは禁物です。でも、これだけは言える!いつかきっと満を持して「Orbis完全版」は日本各地で海を渡って世界各国で公演される日がくるでしょう!その日まで元気に待ちましょう!

 

 

ベートーヴェン《第九》

さりげなく衣装チェンジして(気づいた人どのくらいいたかな前列くらいかな)、後半プログラムに臨んだ久石譲です。NCO版室内オーケストラとは違い、関西フィルの大きな編成ながら、アプローチは同じという挑戦。”リズム”をとことん追求した《第九》。それぞれのパートが鋭くソリッドでティンパニも乾いた響きで推進力や躍動感溢れるスポーティなNCO版が、大きなオーケストラ編成でどのように印象が変化するのか楽しみにしていました。NCO版に負けず劣らずの快速《第九》でした。

 

「今年の夏「第九」やったんですよ、僕の「第九」ちょうど57分、すべてのくり返しやって57分ちょっとだった。(フィナーレのマーチのところのテノール)最初合わせの日にやりたいテンポでやったら目丸くして緊張してて。ゲネプロでちょっと遅くしたんですね、そしたらちょっと安心したんですよ。当然本番はテンポ上げました(笑)。」(久石譲)

Blog. NHK FM 「今日は一日”久石譲”三昧」 番組内容 -トーク編- より抜粋

 

なんて語っているとおりの快速《第九》です。通常だと約65分前後が平均演奏時間だと思います。5分違うだけでもテンポ感はかなり大きな印象差になります。関西フィルとの信頼関係なくしてと記されていましたが、まさに「信頼してオレについてこい!」「なにがあっても信じてついていきます!」そんな指揮者とオーケストラのお互いのリスペクトがないと完走できないテンポとアプローチだと思います。

《第九》についてはNCO公演レポートで感想や、久石譲の《第九》によせる想いをまとめていますのでご参照ください。

 

今回特に思ったのは、フレーズ(歌うように)で演奏するのではなく、モチーフや音型として各パート・各楽器セクション演奏することにより、ある種ミニマル手法を駆使した久石譲作品のアプローチに近いなと発見できたこと。ミニマル・ミュージックではないのでズレるのではないですが、最小限の音型が第1ヴァイオリンから第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスへと流れて繰り返す第1楽章冒頭。すべてはこのアプローチを基調としているように思います。そこには、弦楽器が折り重なることの感情表現やエモーショナルに横揺れするフレーズ表現とは対極にある、リズムを重視した音符や音型の幅や強弱といったものをきっちりとそろえるアプローチ。最小限の音型という小さい要素たちが、集合体となって大きな有機物を創りあげるようなイメージ。「Orbis」に共鳴するアプローチでもあります。極論すれば、作品に込める精神性を表現するヨーロッパ的アプローチと真逆に位置する、作曲家視点・譜面重視・リズムに軸を置いた久石譲の《第九》。スコアはNCO演奏版と同じベーレンライター版です。

 

 

《第九》プログラムのときは、アンコールなしが常です。それでもカーテンコールの拍手は鳴り止まず、大所帯のコーラスも順繰り退場し、もう何も起こる気配のないステージに向かって拍手は手拍子へと変わりどんどん膨らむ反響音。想定外の久石譲も、衣装からラフな服装へと着替えかけの状態でステージ再登場!登場しならがら上着パーカーのチャックを締めていた久石譲もステージ中央に着いた頃には一気に総立ちスタンディングオベーション!拍手喝采!

久石譲作品で終わったわけでもなく、アンコールもなかったなかで、この光景に一番驚き喜んだのは久石譲ご本人かもしれませんね。久石譲からの一年を締めくくるギフト、観客からの感動と感謝、ひとつになった瞬間です。

 

from SNS

 

こちらは《第九》を彩ったソリストの皆さん(左よりSop安井陽子、Ten望月哲也、Mez中島郁子、B-Bar山下浩司)。

from 二期会 公式Twitter  *終演後

 

 

2018年も話題に事欠かない久石譲でした。そんななかでもコンサートの充実ぶりは内容はもちろんのこと数字から見ても歴然です。コンサート計11企画、計38公演、うち海外計22公演! 2019年もこの勢いは止まりそうにありません。