Blog. 宮崎駿 x 高畑勲 x 鈴木敏夫、久石譲音楽を語る

Posted on 2014/12/20

2008年に行われた伝説的コンサート
「久石譲 in 武道館 ~宮崎アニメと共に歩んだ25年間~」

そのコンサート・パンフレットは永久保存版です。そのなかの久石譲の8ページにも及ぶインタビューはすでに紹介しています。

こちら ⇒ Blog. 久石譲 「ナウシカ」から「ポニョ」までを語る

 

ここでは同パンフレットより、こちらもあまり普段から語られることのない貴重なメッセージ。宮崎駿監督、高畑勲監督、鈴木敏夫プロデューサーというジブリの3本柱が、総括するコンサート企画だったからこそ、あらためて歴史を思いかえし、久石譲音楽について語った貴重な内容です。

 

宮崎駿

風の谷のナウシカの準備室は、ある雑居ビルの潰れたバーのあとだった。たしか1983年6月。客用のテーブルや椅子がそのままの汚れたガラス窓の中で、僕はひとりきりで呻吟していた。自分の原作を映画化するのは想像したよりずっとややこしい作業だった。映画の全体像をつかまえようと焦りながら短い準備時間は刻々とへっていく。そんな時に若い音楽家の訪問をうけた。

30代の久石譲さんだった。

音楽の打合せの時、いまでも途方にくれるのはどんな映画になるのか監督たる自分に判っていないことだ。それなのに久石さんはいつも前向きで、ナウシカの時も僕の描きちらしたスケッチをいくつか眺め、しどろもどろの僕の話に何度もうなずき、その間に、何かひらめいたのかひとみを輝かせていた。

最初の打ち合わせは1時間もかけなかったと思う。

ナウシカの音楽は僕は大すきだ。本当に映画をさらに高めてくれる音楽を彼は書いてくれた。あの準備期間のチリチリする時に、久石さんと出会えたのが映画の運なのだと思う。

あれからもう25年もたった。

久石さん、ずい分永いことおつきあいして下さってありがとう。久石さんに出会えて良かったなあと思っています。

 

高畑勲

しあわせな出会い -久石譲と宮崎駿

「風の谷のナウシカ」のイメージレコード、「鳥の人…」。その第一曲「風の伝説」に針をおろす。風音の前奏に幅の広いリズムが打ちこまれ、やがてピアノが途切れがちにうたいだす・・・・・。すべてはここからはじまった。このピアノの音型は映画「ナウシカ」の中心テーマとなり、様々な姿をとりながら、久石氏のライトモチーフとして映画「天空の城ラピュタ」の重要なテーマにまで発展していく。

イメージレコード完成の半年後、映画「風の谷のナウシカ」のオールラッシュが行われ、映画音楽の打ち合わせに入った。おそらくこの時点で、宮崎駿の世界と久石譲の音楽がこれほど相性が良いと気付いていた人は誰もいなかっただろう。

無国籍でありながら、何らかの民俗色地方色をもち、とはいえ、土着の闇はなく、いわば都会的な「引用」であり、きわめて重いものを扱っていながら、どこか軽さがあり、現実にはあり得ない世界でありながら、密度濃いリアリティや存在感に支えられる必要があり、どんなにリアルにみえても、やはり人工的につくりあげられた自然や人物であり、自然をうたいながら、メカニックなものやスピードへの愛着もひとしおであり、必要な複雑さに到達しているイメージも、分解すれば、単純明快な要素の組み合わせであり、感情の表出は直接的であるよりは、情況のなかで支えられる必要があり・・・・・。

思えば、アニメーションファンタジィにとって、このような世界を音楽でしっかりと支えてくれる作曲家の出現こそ、待望久しかったのである。

『映画を作りながら考えたこと』(徳間書店刊)より
「しあわせな出会い -久石譲と宮崎駿」の冒頭部分を抜粋
(初出:アニメージュレコード「久石譲の世界」ライナーノーツ 1987.3.25 徳間ジャパン)

 

鈴木敏夫

ふたつの主題歌

「風の谷のナウシカ」と「天空の城ラピュタ」で活劇ファンタジーに大きな才能を発揮した久石さんが、次に見せてくれた意外な一面は少女モノに於いてだった。

原田知世主演の「早春物語」。映画の内容はよく覚えていないが、音楽だけはいまも耳に残っている。久石さんは、少女の揺れ動く心を見事に表現した。これが、後の「魔女の宅急便」に生きてくる。

が、「となりのトトロ」のときだけは、勝手が違っていた。映画を作り始めてすぐに、宮さんが、当時、六本木にあった久石さんの事務所へ行こうと僕を誘った。

「子どもたちが大きな声を出して歌える主題歌が欲しい」

久石さんは、「やりましょう」と快諾してくれたが、その後の様子がヘンだった。というのも、中川李枝子さんと宮さんの詩は、どんどん出来あがるのに、肝心の曲が出来てこない。時間だけが、空虚に経過して行く。レコード会社の担当者に詰め寄ると、案の定、久石さんがハタと困り果てているらしい。注文のテーマは、子どもの歌。つまり、童謡のような歌だ。おいそれと簡単に出来るはずがない。

そうこうするうち、久石さんがある行動に出たという話が伝わってきた。有線放送で、子どもの歌のチャンネルを契約し、一日中、かけっぱなしにして、勉強のために数日間聴き続けているというのだ。産みの苦しみで七転八倒する久石さんの姿が目に浮かんだ。

ぼくは、久石さんを励ますために、一計を案じた。

出来上がった詩の中から、宮さんの書いた「小さな写真」を選び、これを久石さん自身が歌ってみないかと持ちかけたのだ。久石さんの疲れた表情に赤味が差した。ぼくと宮さんが事務所を訪ねてから、はや半年以上が過ぎようとしていた。

こうして久石さんは、今や学校の教科書にも載っている名曲「さんぽ」や「となりのトトロ」を書き上げる。久石さんの得意技のひとつに子どもの歌が加わったのだ。天賦の才能だけではない、久石さんの知られざる努力家の一面である。

その後、20年たって宮さんは再び、子どものための作品を手がける。「崖の上のポニョ」だ。宮さんはもう一度「子どもたちのための歌」を久石さんにリクエストする。だが、今回の久石さんは「トトロ」のときとは違っていた。最初の打ち合わせの時、既に、「ポーニョポーニョポニョ~」のメロディが頭に浮かび、その後、一気呵成に曲を仕上げてしまう。今度は宮さんがプレッシャーを受ける番だった。その頃、「ポニョ」の物語はまだ半分しか出来上がっていない。

しかし、宮さんは、この天衣無縫な明るい曲を心の底から気に入り、この曲を映画のエンディングに使うことを決める。「子どもたちが明るい気持ちで家路につくことのできる映画を作ろう」。ひとつの歌が、映画の全体に影響を及ぼした瞬間だ。それからだ、それまで順調に上がっていた絵コンテの筆が突然、滞る。宮さんの苦しみが始まった。どういうストーリーにすれば歌に相応しい結末が作れるのか--。

そして今、宮さんは語っている。「この曲がなかったら、僕はポニョを上手に着地させることができなかった」。20年前とは、すっかり立場が逆転していた。

こうして、ふたりのコンビは進化を続ける。宮崎駿が作り続ける限り、音楽は久石譲さんなのだ。

(「久石譲 in 武道館 ~宮崎アニメと共に歩んだ25年間」 コンサート・パンフレット より)

 

それぞれお三人のキャタクターや人間性も随所に現れた文章と久石譲への思いそれぞれの表現方法だなあとしみじみ思います。これだけスタジオジブリと久石譲は共に歩んできたなかで、半ば身内のような感覚もあるのでしょう。だからこそ身内を良く言い過ぎることがないように、ということと同感覚で、これまでに監督自身があらためて久石譲音楽の功績を語ることはなかったように思います。それだけにここに収めらたメッセージと想いは、とても奥ゆかしく思えます。

 

最後に同コンサートパンフレット巻末に収められた久石譲メーッセージを記して。

 

宮崎さんの映画に入るとき、緊張のせいか、何故か直接関係のない行動を取ることが多い。

「もののけ姫」では、当時宮崎さんと司馬遼太郎さんの対談集が出版されたこともあり、1年間で『坂の上の雲』他ほぼすべての本を読破した。宮崎さんがこの映画に込めた思考の過程を少しでも知るための参考になれば、と考えたからだ。で、そのことを宮崎さんに話したら「そんなに読まなくてもいいですよ」と苦笑いされた。

「千と千尋の神隠し」では、何故かシトロエンの2CV(ドーシーヴォー)という車をインターネットで購入した。昔、宮崎さんが乗っていた車と同じタイプだ。タイヤの上にエンジンと人が乗っているというシンプルな車で、冷房も何もない。ジブリでの打ち合わせの時、早めについたので雨の中苦手なマニュアル車の練習をしていたら大エンスト。大きくバウンドして停止したところを傘をさした宮崎さんが怪訝な顔で立っていた。さながら「トトロ」のバス停のシーンである。「何してるんですか?」やっぱり宮崎さんがトトロに見えた。と同時に「千と千尋の神隠し」での冒頭で書くべき世界が観えた。

気づいてみれば25年、1作1作を精一杯(チリチリ心が痛む日々だったが)作ってきたのだけれど、すべてが昨日のことのようにも思える。

たしかに大きなハードルだったが、それぞれを乗り越えることで、作曲家として、一人の人間として一回り大きくなれた、と思っている。

その高いハードルを与えてくれた宮崎さん、鈴木さんには心から感謝しています。

人が一生に出会えるかどうかの、貴重な人生の師を神様は与えてくれた。いつまでも宮崎さんに曲を頼まれるような、作曲家でありたいと心から願う。

今でも「風の谷のナウシカ」での出会いを鮮明に覚えている。今回のオープニングで演奏する「ナウシカ」の冒頭のティンパニの連打が瞬時に我々を宮崎ワールドに誘い、会場にいるすべての人の心が一つになることを夢見ている。いつまでも記憶に残ることを願う。

2008年 夏 久石譲

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