Blog. 「読響シンフォニックライブ」2015年12月放送 久石譲インタビュー内容

Posted on 2015/12/26

10月29日、東京芸術劇場で公開収録を行った「読響シンフォニックライブ」の模様が、12月・1月とプログラムを2つに分けて放送されます。今回は12月に放送された内容および久石譲インタビューをご紹介します。

 

日本テレビ系「読響シンフォニックライブ」
放送日時:12月26日(土)午前2:55~4:25(金曜深夜) 日テレ 90分拡大版
放送日時:1月2日(土)午前6:30~8:00 BS日テレ 90分拡大版

出演
指揮:久石 譲
ソプラノ:森谷真理
テノール:高橋淳
バリトン:宮本益光
合唱:武蔵野音楽大学合唱団(合唱指揮:栗山文昭)
児童合唱:東京少年少女合唱隊(合唱指揮:長谷川久恵)
管弦楽:読売日本交響楽団
司会:松井咲子

曲目
ジョン・アダムズ:
ザ・チェアマン・ダンス
※2013年8月28日東京芸術劇場

カール・オルフ:
〈カルミナ・ブラーナ〉
《カルミナ・ブラーナ》
運命、世界の王妃よ
第1部「春に」
草の上で
第2部「居酒屋にて」
第3部「求愛」
ブランツィフィロールとヘレナ
運命、世界の王妃よ
※2015年10月29日東京芸術劇場

 

補足)
2013年8月28日収録分は「オーケストラストーリーズ となりのトトロ」「風立ちぬ」などを披露した演奏会で、同2曲はすでに2013年11月に放送されている。今回は当時放送されなかった「ザ・チェアマン・ダンス」(ジョン・アダムズ)が放送される。

 

 

久石譲番組内インタビュー

作曲家として活躍する久石 譲が指揮者として登場!

今回は読響と様々な音楽活動で共演している作曲家・久石譲さんが指揮者として登場。番組MCの松井咲子さんがお話を伺いました。

読響との初共演時の印象は…?

松井:
久石さんと読響の初共演は3年半前ですが、今でも印象に残っていることはありますか?

久石:
ショスタコーヴィチの交響曲第5番などを演奏したのですが、作曲家の僕が指揮をするということで、読響の皆さんに助けていただき、とてもいい演奏になったということを覚えています。その他にも、初共演の翌年、2013年には宮崎駿監督作品、「風立ちぬ」の映画音楽レコーディングに読響が参加。読響にとってスタジオジブリの映画音楽を演奏するのは初めての経験でした。また、その直後に読響と久石さんは2度目の共演を果たし、オーケストラストーリーズ「となりのトトロ」(語り:樹木希林)、ベートーヴェン・交響曲第7番、そしてジョン・アダムズ作曲の「ザ・チェアマン・ダンス」を演奏しました。

現代音楽への思いとは…?

松井:
読響と2度目に共演された時、ジョン・アダムズ作曲の「ザ・チェアマン・ダンス」を演奏されていましたが、よく知られた音楽の中に現代曲を演奏されたということには何か狙いがあったのですか?

久石:
自分は作曲家なので、もちろん映画音楽も書きますが、やはり作品(純音楽)も書いています。なので、Up to date(最先端の)という感じで作られているものを紹介していくというのは自分の義務でもあるというか、自分がやれるならやっていこうと思いました。

松井:
現代曲を書かれているときと、となりのトトロのような映画音楽を書かれているときに、二面性といったものは何か意識していたりしているのですか?

久石:
確かにあります。ですが、もう一歩下がって考えると「曲を作る」という行為は一緒ですよね。非常に複雑な五十段ぐらいの真っ黒になった譜面を書くことと、16小節ぐらいのシンプルなメロディで、人に良いなと感じてもらおうとすること、どちらが難しいかというと、16小節の方が大変かもしれないです。誰でも出来てしまうことを「それでも久石である」と言わせる曲を書こうとするならその方が大変ですよね?

今回、一曲目にお送りしたのはジョン・アダムズ作曲のザ・チェアマン・ダンス。この曲の魅力を久石さんにお伺いしました。

久石:
リズムがはっきりしていて、とても分かりやすい曲です。ですが、非常にシンフォニックに作られていて、理屈っぽくない。聴いていてもオーケストラの醍醐味を全て味あわせてくれる曲です。

 

ジョン・アダムズ作曲:ザ・チェアマン・ダンス
ジョン・アダムズのオペラ「中国のニクソン」晩さん会の場面で演奏される曲の管弦楽版。ミニマル・ミュージックの中でも代表的な作品となる。

 

そして、2曲目にはカール・オルフ作曲「カルミナ・ブラーナ」をお送りしました。気持ちが高まるような、壮大なオープニングから始まるこの曲について久石さんにお話を伺いました。

久石:
この曲は「世俗カンタータ」と言われています。要するに一般の民衆の持っている力、例えば「夏になったらみんなで酒飲もうよ」とか、「あの人が好きだ」というようなことを歌っています。言葉自体にはそれほど深い意味はないけれども、結果そこから出てくる人間の持つエネルギーや「生きることは大変なことだけれども、どんなに素晴らしいんだろう」という人間に対する賛歌。それはこの曲の底辺にものすごく強い力として持ってると思います。

 

カール・オルフ作曲:〈カルミナ・ブラーナ〉
19世紀の初めにドイツ南西部の修道院で発見された詩歌集に基づいて作曲された世俗カンタータ。人間の持つエネルギーや人々に対する賛歌などが歌われている。

 

今後の読響と久石さんの関係性は?

松井:
改めて、久石さんにとって読響はどんな存在ですか?

久石:
日本を代表する素晴らしいオーケストラで、皆さん一生懸命に演奏してくれます。なので、この関係性は長く続けていきたいと思いますし、より大きなプロジェクトが出来るような、点ではなく、線になる活動を今後もできるといいなと思っています。

(2016年5月開館予定、久石譲が芸術監督をつとめる長野芸術館、そのこけら落とし公演を読売交響楽団との共演にて記念コンサート開催予定)

松井:
一読響ファンとしてとてもうれしいです!久石さんと読響の中がより深まっている気がします。そして、次回の読響シンフォニックライブでは久石譲さんが書き下ろした新作、コントラバス協奏曲の世界初演の模様を放送!

「音がこもりがちになる低域の楽器をオケと共演させながらきちんとした作品に仕上げるのはハードルが高かったです。僕は明るい曲を書きたかったので、ソロ・コントラバス奏者の石川滋さんには今までやったことないようなことにもチャレンジしていただく必要もありました。」とこの曲について語ってくださった久石さん。どんな作品になったのかは、次回の放送をお楽しみに!!

(公式サイト:読響シンフォニックライブ より編集)

 

読響シンフォニックライブ 2015

 

Info. 2015/12/26 [TV] 「読響シンフォニックライブ」カルミナ・ブラーナ(12月) コントラストバス協奏曲(1月) 【12/23 update!】

10月29日、東京芸術劇場で公開収録を行った「読響シンフォニックライブ」の模様が、12月・1月とプログラムを2つに分けて放送される。

日本テレビ系「読響シンフォニックライブ」
放送日時:12月26日(土)午前2:55~4:25(金曜深夜) 日テレ 90分拡大版
放送日時:1月2日(土)午前6:30~8:00 BS日テレ 90分拡大版 “Info. 2015/12/26 [TV] 「読響シンフォニックライブ」カルミナ・ブラーナ(12月) コントラストバス協奏曲(1月) 【12/23 update!】” の続きを読む

Blog. 「キネマ旬報 2003年1月下旬号 No.1372」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2015/12/21

雑誌「キネマ旬報 2003年1月下旬号 no.1372」に掲載された久石譲インタビューです。

 

 

フロント・インタビュー 32

久石譲(音楽家)

未来へ - 音楽家・久石譲の挑戦

映画「壬生義士伝」の宣伝素材には、原作者、監督に並んで、音楽担当の名前が大きく記されている。久石譲。宮崎駿、北野武両監督作品の音楽担当者として功名成って久しい彼だが、幕末京都守護職の武士をめぐる物語は単なる名義貸出の場ではない。久々となる本格派時代劇の仕事に対して、希代の人気音楽家はまた新たな創作意欲に燃えていたのだ。そして、その前後を眺望するならば、ここ2、3年で大きく変化を見せ始めている素顔も鮮明に浮かび上がってくる。映画音楽の作曲家として、ピアニストとして、指揮者として、そして会社経営者として…。さまざまな表情に富む現代日本映画音楽の第一人者に、今後の展望も併せて訊いてみた。

インタビュアー 賀来タクト

 

ハリウッドで言えば「グラディエーター」

「これはやっておかなければならない。そう思いましたね」

表情が引き締まる。映画「壬生義士伝」の音楽依頼を受諾した理由の一つとして、久石譲から出た答え。そこには真摯に映画に携わろうとする人間の決意が、まず鮮やかに浮かんだのだった。

「自分のためにも、恐らく日本の映画音楽のためにも、これはやっておくべきだと思いましたね。幸い十分な音楽制作費も出していただきましたから、なおのこといいものを作ろうという腹が決まりました。そういうことを雑にしている映画がまだ多いと思うんです。その意味ではうれしかったですね」

自分のために、という点では、長く映画音楽に関わってきた者としての誇りがそこにある。

「ハリウッドでいえば『ブレイブハート』や『グラディエーター』ですよね。日本で古典活劇をやるとするなら時代劇ですから、当然、音楽家としてはチャレンジしておきたいジャンルですし、それをきちんとこなせる日本人でいたいと思いましたね。音楽の持つダイナミズムを、映像に乗せてこれだけ表現できるんだぞってね」

もちろん、滝田洋二郎という映画監督の存在も大きかった。

「大人の対応をされる方でしたね。美術や撮影を含めて、現場のプロへのリスペクトがきちんとあって、久しぶりに王道を行く本格的な映画音楽を思い切り書けたという満足感がすごくあります。音楽も大切に扱ってくださいました」

音楽について踏み込むなら、義に身を殉じた新撰組隊士の物語は感動的だが、そういう情感に溺れることは決してなかったという。

「主人公の吉村貫一郎って、とにかく魅力的なんですよ。エンドロールに流れるテーマ曲は、いわばあの時代に生きた人々への鎮魂曲です。でも、映画の音楽って、あまりドラマに共感しても実はダメなんです。僕の場合、あまり共感していない。むしろぐっと対象化しています。この映画でも醒めた意識を持って取り組んだからこそ、全体がしっかり見えたと思うんです。映像では出演者がガンガン泣いていますけど、僕としてはそこから少し距離をとって高潔な感じで包み込むようにしました。本来ならもう少し情緒を盛り込むところを、今回は吹っ切って作ってるんですね。それがやり甲斐であり、大きな課題でもありました」

ここ数年の動きに目を移すなら、一昨年に初監督作品「カルテット」を発表。以来、映画に対する視野が広くなっている気配がある。

「確かに、僕の中に”映画にしかできないことって何だろう”というのが付いて回ってますね。前よりも強く。今、映画的なことを本気でやってる人って誰なんだろうって考えると、例えば宮崎駿さんや北野武さんなどが筆頭に挙がると思いますが、実際、宮崎さんとの仕事は3年くらいかかります。ジブリ美術館の短編『めいとこねこバス』などは、去年で一番緊張した仕事でした。だからといって今、映画音楽を完成させようとかいう発想はない。音楽家としてどうするかが一番で、その一分野として映画音楽があって、ピアノやソロアルバム、コンサートもある。自分が大きくなれば、映画音楽も自ずと大きくなっていく。そういう捉え方ですね」

 

久石譲の多面性が集約される時

久石譲という男は単なる「作曲家」ではない。音楽家として実に多面的な顔を持っている。アーティストという横顔一つをとっても、もはやピアニストと断じることは難しい。ここ2、3年で音楽を担当した映画を眺めるなら、例えばオーケストラへの傾倒が見える。

「すっごく傾いてますね。音楽活動をしていて一番興奮する瞬間って何かといえば、今まではピアノを弾いているときが一番上り詰められたんですよ、ステージの上で。じゃ、80人というオーケストラを前に指揮をとるとなると、これまた相当にビビるわけです(笑)。演奏しているのは耳の肥えた音大出身者ばかりで、音に厳しい。そういう人たちをいかに説得して受け止められるかという、パワーと精度が自ずと必要になってくるんですね。そういう意味での楽しさってある。ピアニストの自分も大切だけど、これからは指揮活動も増やしていきたいと思ってます。今、ジムに通って指揮用の筋肉を鍛えている最中なんです(笑)」

久石譲はピアノに始まりピアノに帰す、という拙論は過去のものになりつつあるようだ。

「変わったといえば、これまで手書きだったスコアも、最近はコンピューターを使うようになりました。手書きの微妙なニュアンスはまだ出せないですが、何よりも時間的な問題がクリアできますね。例えば『壬生義士伝』の場合、オーケストレーションでとれた時間って3~4日しかない。そういう問題をどう解決して量産態勢を敷いていくかも今後重要なんです」

量産態勢という言葉の背景には、自社スタジオの管理、運営を含む、会社経営者としての一面がにじむだろう。自社レーベル「ワンダーランド・レコード」の立ち上げも最近の目立った動きといえる。

「会社(ワンダーシティ)といっても、僕が音楽家として必要なものを求めていった一つの結果に過ぎませんが、例えば宮崎さんの場合ですと、スタジオジブリをどう生かすかが活動の原動力になっている感じがありますね。僕も同じです。うちには20人の社員がいて、3つのスタジオがありますが、斜陽になっているレコード業界で、会社の生きる道と僕自身のやりたいことが一致する道はないのかという模索の末生まれたのが、ワンダーランド・レコードなんです。これを始めたら社員が元気になりましてね。うれしかったなあ」

さても映画ファンが気になるのは、以前より何かと伝わってきていた監督最新作の行方だろう。

「もう一本は作ってみたいと思っています。素直に言って。でも、音楽家である自分を犠牲にしてまで撮ろうとは思っていませんよ。毎日がカオスだし、音楽家としてまだまだ過渡期にいると思います。けれど、仮に映画監督をやるとしたなら2005年くらいかな」

その言葉は、2005年までに音楽家としての「もがき」にケリをつけるという決意にも映る。

「2004年には二つのビッグな企画があるんです。まだ正式な発表はできませんが、ヒントはこのインタビューに出ていますからね(笑)。ぜひ楽しみにしていてください」

(「キネマ旬報 2003年1月下旬号 no.1372」より)

 

 

 

Blog. 「NHK『トップランナー』の言葉 仕事が面白くなる!」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2015/12/20

1998年NHK「トップランナー」に久石譲が出演しました。各界著名人を招いてのトーク番組は長年TV放送され、「トップランナー vol.1-7」書籍化もされています。久石譲出演回は単行本「トップランナー Vol.7」に文字起こしされています。(1997年宮崎駿監督出演回は同Vol.1に収載)

そこから”仕事が面白くなる!”をテーマに、ゲスト28人の「心を奮い立たせる“熱い言葉”」を再編集して文庫化された本「NHK『トップランナー』の言葉 仕事が面白くなる!」(2008年8月20日発売)。久石譲収載もTV番組および書籍化されたVol.7から選りすぐられた部分になります。

 

 

1回でもつまらない仕事をしちゃえば、そこで終わりですね。

久石譲(作曲家)

 

感情を”盛り上げない”音楽

1997年、ベネチア国際映画祭の公式上映会はスタンディングオベーションにわきかえった。

10分以上にわたり鳴りやまなかった拍手が讃えたのは、北野武が監督し、久石譲が音楽を担当した『HANA-BI』。この作品が『羅生門』『無法松の一生』に続く邦画史上3本目のグランプリ受賞作となるであろうことを、強烈に印象づけた瞬間であった。

作曲家としての久石を語るとき、決して忘れてはならない人物が二人いる。北野武と宮崎駿両監督である。とりわけ「北野映画ならでは」と表される静かな音楽世界は、久石の設計が支えていると言っても過言ではない。

北野作品の音楽づくりについて、久石はこう語る。

「曲の雰囲気などの打ち合わせをすることもたまにはありますが、実はそれほど深いものでもちゃんとしたものでもないんです。『HANA-BI』のときも、『今までずっとうまく行っているんだからそのままでイイじゃないの』なんて北野監督から軽く言われてしまったりして。

でもね、音楽っていうのは、映像にかぶせると実はとっても怖いんですよ。だって映像がものすごく丁寧に、きめ細かくその世界をつくったところに、音楽がどんとペンキを塗るように重なってくるわけですから。

特に北野監督の映像というのは、エモーショナル(感情的)な部分、例えば俳優が汗を垂らして演技しているような部分を削っていってしまうんですね。セリフも極力少なくしてあるし。そんな映画で音楽がトゥーマッチになると、しらけてしまう。それで音楽も極力引いた形でつけたいんだけど、生の弦(楽器)などをつけると、どうしてもエモーショナルになってしまうんです。それが北野監督の世界を壊してしまうのではないかと、すごく怖いんですよね」

北野作品の音楽を設計した者だけが経験する葛藤。そんな中久石が悟ったのは、「格調」という言葉だったという。

「格調のある音楽。つまり感情を変に盛り上げるのではなく、一歩引いたところから格調高い、しっかりとメロディがある音楽をつくり上げる。その一点をどうにかすればどうにかなる。それが北野映画を通して学んだことと言えるかもしれない」

 

「自分自身で逃げ道がないようにした」

一方、もう一人のパートナー、宮崎駿作品への取り組みにも、学ぶべきことが多かったという。

宮崎作品に対して久石は、1984年の『風の谷のナウシカ』以来、6作にわたり多大な貢献をしてきた。特に1992年『紅の豚』から5年ぶりに公開された『もののけ姫』では、わずか1分半の曲に2週間をかけるほど、音づくりに悩むことがあったという。

「『もののけ姫』に対しては、本当に正面から取り組んだんです。自分自身で逃げ道がないようにした。何でもそうですが、正面切って自分の逃げ道がないようにすると、気負いが先に立って逆にうまくいかないことってありますよね。だからわざと斜に構えて取り組むようなこともあります。そうするとかえっていいスタンスで良い仕事ができることがある。

でもこれ(『もののけ姫』)に関しては宮崎監督の熱意に圧倒されちゃって、こちらも防御を張っている間もないうちに引きこまれてしまった。そうなると、こちらとしてもやることはただ一つ。フルオーケストラでいいものをつくることだけだった。これはキツかった。でもうまくいってよかったと思います」

しかし、あの不朽の名作ともいえる『もののけ姫』のテーマ(歌)が誕生した瞬間について久石は、ファンには意外とも驚愕とも思える証言をする。

「あれにかけた時間は20分か30分ぐらいかなあい。だって全体のテーマ曲とは思ってもみませんでしたから。

実はいつものイメージアルバムづくりのやり方だと、宮崎さんからこういうイメージです、と10個ぐらい言葉をいただくんですよ。その言葉に対してこちらもイメージを広げて曲を書いていくんです。でも『もののけ姫』に関して言えば、来る言葉がすべて『たたり(神)』とか『もののけ(姫)』とかでしょ。どうしても暗くなってしまって、明るいアルバムはまずできない。

宮崎さんもこれはマズイと思ったらしくて、珍しく1曲1曲に対して内容をしっかり書いた手紙をいただいたんです。その中の『もののけ姫』のところに、『はりつめた弓のふるえる弦(つる)よ 月の光に』というポエムような一節があって、これは歌になるなと素直に思って、ささっとつくってレコーディングしちゃった。それがテーマ曲になったという経緯ですね」

 

だから一生勉強する

宮崎監督との間で産まれたそんな絶妙のパートナーシップは、一見、入りこむ隙すらないような最高のコンビネーションだ。だか久石は極めて冷静である。

「いや、コンビではないですよ。毎回、宮崎監督は、『どこかにいい作曲家はいないか?』と探していると思いますよ。そのたびにたまたま、『やっぱり久石がいいや』と思って使ってもらっているだけだと思います。だから1回でもつまらない仕事をしちゃえば、そこで終わりですね

この厳しさ、プロ対プロのクールな関係は、北野監督との場合でも同じだという。

「僕ら、すごくハッキリしているのは、仕事の場でしか会わないんです。普段一緒に飲みに行くようなことも一切しません。映画のたびに、『今度はこういう映画ですが、どうですか?』『では一緒に』というスタンスです。

だからもう、本数を重ねるにつれてすごく苦しくなってきます。ほんと、苦しいですよ。だって同じ手は使えませんから。だから同じように一生勉強していかないと。だって『この前やったのとまた同じじゃない』と言われたら終わっちゃいますから。そう考えると、本当に、すごく厳しい現場なんです。音楽の現場というのはね」

1998年3月6日放送(MC大江千里、益子直美)

(NHK「トップランナー」の言葉 仕事が面白くなる! より)

 

 

なお、書籍「トップランナー TOP RUNNER Vol.7」(1998年刊行)ではTV番組文字起こし忠実に約35ページに及び掲載されています。

目次(抜粋)

映画音楽の第一人者 久石譲

パラリンピック総合プロデューサー
■演出に初挑戦
■総合プロデューサーをひきうけた理由

映画音楽はこう作る
■北野映画の音楽
■真正面から取り組んだ『もののけ姫』
■二人の監督との関係
■ソロ活動

ドクサラ型音楽家人生
■現代音楽との出会い
■ポップス音楽に移った理由
■ポップスフィールドでの覚悟と戦略

人生道場 俺の演奏が世界一

新しいチャレンジ
■久石音楽は変わり続ける
■基礎体力、基礎精神力をつけろ

ファイナル・ソート ”音楽家”久石譲 大江千里

 

 

内容すべては紹介できませんので、文庫化では収載されなかったけれども特に印象的だった「基礎体力、基礎精神力をつけろ」項から一部抜粋してご紹介します。

 

久石:
「とにかく、うまくいかないのは当たり前のことだから、メゲないってことですね。もし二勝一敗ペースで物事をこなしていけたら、これはもうとんでもない勝率です。つまり、自分たちが大事だと思うことも三回に一回はコケてもいいわけですよ。問題はむしろ、コケたときにそれを自分でどう受け入れるか。コケそうになる前に、そういう大変なところへ自分を追い込むのをやめて引いちゃったりしてしまうケースがすごく多いような気がするんだけど、結果をしっかり受け止めるっていう気構えができていたら徹底的にやれるし、やった分だけ…勝ったにしろ負けたにしろ、成功したにしろ思い通りにいかなかったにしろ、残ってくれるものの厚みがどんどん変わってくる。そういう意味では、もう一度言いますけど、負けることをどう受け入れるか、それを意識すると人生ってずいぶん変わるんじゃないかな。負けることにメゲない基礎体力、基礎精神力をつけていくといいんじゃないかなっていう気がします。」

(トップランナー TOP RUNNER Vol.7より)

 

 

 

 

 

 

Blog. 「ストレンジ・デイズ 2015年12月号」 久石譲 MF Vol.2 コンサート紹介

Posted on 2015/12/19

2015年10月21日発売 雑誌「ストレンジ・デイズ 2015年12月号 No.193」

2015年9月24、25日開催「久石譲プレゼンツ ミュージック・フューチャー Vol.2」コンサート・レポート記事が掲載されていました。執筆家によるプロ目線でのそのレポート内容をご紹介します。

 

 

コンテンポラリー・ミュージック
MUSIC FUTURE VOL.2

「JOE HISAISHI presents MUSIC FUTURE VOL.2」というコンサートがよみうり大手町ホールで、2015年9月24日(木)、25日(金)、2日にわたって行われた。演奏されたのは以下の5曲。

スティーヴ・ライヒ 《エイト・ラインズ》 (1983)
ジョン・アダムズ 《室内交響曲》 (1992)
ブライス・デスナー 《Aheym》 (2009)
久石譲 《Single Track Music 1》 (2014-15)
久石譲 《室内交響曲》 (2015)

久石譲が映画の音楽で知られた人物であることは、あらためて言うまでもないだろう。北野武の作品や宮崎駿のアニメーションで特に多くの人びとに記憶されているし、ほかにもフランス映画『プセの冒険 真紅の魔法靴』(監督:オリヴィエ・ダアン)、香港映画『海洋天堂』(監督:シュエ・シャオルー)、中国映画『スイートハート・チョコレート』(監督:篠原哲雄)といった海外作品にも参加している。

わたしにとっては、しかし、映画の音楽は後からのものだ。「久石譲」と名のる以前、本名の藤澤守での作品を70年代、記憶が間違っていなければ、ふれたことがある。そしてアルバム『MKWAJU』(81年)のインパクトは、赤ーとオレンジのあいだくらいの色だろうか?ーとグリーンとがコントラストをなす色鮮やかなジャケット・デザインとともに、大きい。すでに上記のライヒやフィリップ・グラスなどの「ミニマル・ミュージック」が、都会的な洗練とシステマティックなつくりになったことに対し、アフリカの大地に根差したような力強さを回復する、というようなことが謳われていたのではなかったか。一度デジタル・マスタリングされ再発してはいるが、そちらは手にしていないので、確認してはいないのだけれども。

久石譲のオフィシャル・サイトをみると、81年の『MKWAJU』が「初の作曲・プロデュース作品」としてある。そして翌82年がファースト・アルバム『INFORMATION』、83年が映画公開に先がけてのイメージ・アルバム『風の谷のナウシカ』とつづく。そして以後、数々の映画の音楽が年ごとに並ぶことになる。そしてそれぞれのなかには『MKWAJU』で響いていた音色が、反復される音型が、いつも、というわけではないかもしれないが、垣間みられた。特にその親しみやすいメロディの背景に。

話をMUSIC FUTUREに戻す。

久石譲はここで、新たに自らが同時代と感じ、親しみを持ってきた音楽を、自らの手であらためてプログラミングしている。それは、映像とともにある音楽とは別の、映像がないことで成りたつ、音楽のみでのコンサートで体験される音楽であり、それはヨーロッパ由来ではあるかもしれないが、現在は世界に広がっている「コンサート音楽」だ。そして、久石譲自身とほかの作曲家の作品が、照応されるべく、組みたてられている。

確かに作曲家たちは親近性のある作品を自ら企画するコンサートで並べてきたし、いまでもそういうことは多い。だが、それが多くの聴き手を集めることは難しい。たとえどれかの作曲家に興味があっても、情報そのものがその聴き手まで届かないことだってありうる。おそらく、ライヒやアダムズ、デスナーを並べて2回のコンサートを開き、聴き手を集めることができる人物はけっして多くない。久石譲が「presents」してこそこれだけの人びとが集まると言ってもいいだろう。それは大きな意味がある。わざと意地悪な言い方をするなら、もしかしたら聴き手のなかにはそれぞれの作曲家の名は知らない人がいるかもしれない。それぞれの作品が持っているいろいろなテクニカルだったり思想的だったりすることはぴんとこないかもしれない。それでも、そこで響く音楽は、いわゆる「難解な現代音楽」ではなく、それなりにノれ、楽しめることがわかる。久石譲が企画するコンサートで名を知ることになって、それが少しずつでも、広まっていくかもしれない。

コンサートのことだけではなく、久石譲の作品についても紹介しておこう。「VOL.2」で初演された2作品は、楽器編成も構成も大きく異なっている。

《Single Track Music 1》はサクソフォン・クァルテットとパーカッションのための作品だが、全5人の演奏者がいて、同時に音を発しながらも、和音というか重音というか、になることがなく、タイトルどおり、響いている音は「シングル」。だから、聴く側からすると、何が起きているのかはっきりと耳で追っていくことができる。だが同時に、ホケット(=分奏)とみなすなら、それは初期ライヒの作品にあったような、音の受けわたし、メロディの生成するプロセスそのものが音楽作品化しているのであり、また、奏者同士の音を「聴きあう」ものとして提示されている。似たような試みは清水靖晃の『ペンタトニカ』に見いだすことができるけれども、ここではパーカッションによる音色の変化やアクセントが加えられるおもしろさもある。

《室内交響曲》は、作曲者自身が「エレクトリック・ヴァイオリンのための協奏曲」と呼ぶべきかもしれないとMCで語っていたもので、6弦のエレクトリック・ヴァイオリンが小編成のアンサンブルにソロとして加わる(ソロは西江辰郎)。この楽器は通常のヴァイオリンの音域よりも低い方が広くなっていること、また、アンプリファイアとして、シーケンサーのような「重ね」方が可能になっている。アンサンブルの書法として特に珍しいことではないけれど、金管楽器の3人はところどころでマウスピースだけを楽器本体からはずし、声を重ねることで特殊な効果を生みだしもする。

久石譲のコンサートは、もちろん映画の音楽を演奏するコンサートもあるし、それらをもとにしながら別のかたちに組みかえた『WORLD DREAM ORCHESTRA』のコンサートがあり、《第九》を指揮するものもある。より多くの聴き手を動員できるコンサートに隠れ、ともすれば「MUSIC FUTURE」は地味に、また「色もの」のようにみてしまう人もいるかもしれない。だが、これらを全体を見渡してみたときにこそ、現在の、久石譲の方向性が浮かびあがってくる、あるいは、より広い音楽の世界のなかでのこの音楽家の位置がみえてくる、のではないだろうか。

小沼純一

(雑誌「ストレンジ・デイズ 2015年12月号 No.193」より)

 

ストレンジ・デイズ 2015年12月号

 

Disc. 久石譲 『Orbis for Chorus, Organ and Orchestra』 *Unreleased

2015年12月11日 世界初演

 

Orbis for Chorus, Organ and Orchestra 
I. Orbis ~環 / II. Dum fāta sinunt ~運命が許す間は / III. Mundus et Victoria ~世界と勝利
初演:2015年12月11日 東京芸術劇場
演奏:久石譲(指揮)、読売日本交響楽団

 

 

「Orbis ~混声合唱、オルガンとオーケストラのための~」(2007)

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「Orbis」 ~混声合唱、オルガンとオーケストラのための~
曲名はラテン語で”環”や”繋がり”を意味します。2007年の「サントリー1万人の第九」のために作曲した序曲で、サントリーホールのパイプオルガンと大阪城ホールを二元中継で”繋ぐ”という発想から生まれました。祝典序曲的な華やかな性格と、水面に落ちた水滴が波紋の”環”を広げていくようなイメージを意識しながら作曲しています。歌詞に関しては、ベートーヴェンの《第九》と同じように、いくつかのキーワードとなる言葉を配置し、その言葉の持つアクセントが音楽的要素として器楽の中でどこまで利用できるか、という点に比重を置きました。”声楽曲”のように歌詞の意味内容を深く追求していく音楽とは異なります。言葉として選んだ「レティーシア/歓喜」や「パラディウス/天国」といったラテン語は、結果的にベートーヴェンが《第九》のために選んだ歌詞と近い内容になっていますね。作曲の発想としては、音楽をフレーズごとに組み立てていくのではなく、拍が1拍ずつズレていくミニマル・ミュージックの手法を用いているので、演奏が大変難しい作品です。

「Orbis」ラテン語のキーワード

・Orbis = 環 ・Laetitia = 喜び ・Anima = 魂 ・Sonus, Sonitus =音 ・Paradisus = 天国
・Jubilatio = 歓喜 ・Sol = 太陽 ・Rosa = 薔薇 ・Aqua = 水 ・Caritas, Fraternitatis = 兄弟愛
・Mundus = 世界 ・Victoria = 勝利 ・Amicus = 友人

Blog. 「久石譲 第九スペシャル」(2013) コンサート・プログラムより
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CD作品としては「メロディフォニー」(2010)にてロンドン交響楽団演奏でレコーディングされている。

 

久石譲 『メロディフォニー』

 

 

 

「Orbis ~混声合唱、オルガンとオーケストラのための~」(2015)

Orbis for Chorus, Organ and Orchestra
オルビス ~混声合唱、オルガン、オーケストラのための
I. Orbis ~環
II. Dum fata sinunt ~運命が許す間は
III. Mundus et Victoria ~世界と勝利

作詞:久石譲

 

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新版「Orbis」について
2007年に「サントリー1万人の第九」のための序曲として委嘱されて作った「Orbis」は、ラテン語で「環」や「つながり」を意味しています。約10分の長さですが、11/8拍子の速いパートもあり、難易度はかなり高いものがあります。ですが演奏の度にもっと長く聴きたいという要望もあり、僕も内容を充実させたいという思いがあったので、今回全3楽章、約25分の作品として仕上げました。

しかし、8年前の楽曲と対になる曲を今作るという作業は難航しました。当然ですが、8年前の自分と今の自分は違う、作曲の方法も違っています。万物流転です。けれども元「Orbis」があるので、それと大幅にスタイルが違う方法をとるわけにはいかない。それではまとまりがなくなる。

あれこれ思い倦ねていたある日の昼下がり、ニュースでフランスのテロ事件を知りました。絶望的な気持ち、「世界はどこに行くのだろうか?」と考えながら仕事場に入ったのですが、その日の夜、第2楽章は、ほぼ完成してしまった。たった数時間です。その後、ラテン語の事諺(ことわざ)で「運命が許す間は(あなたたちは)幸せに生きるがよい。(私たちは)生きているあいだ、生きようではないか」という言葉に出会い、この楽曲が成立したことを確信しました。だから第2楽章のタイトルは日本語で「運命が許す間は」にしたわけです。何故こんな悲惨な事件をきっかけに曲を書いたのか? このことは養老孟司先生と僕の対談本『耳で考える』の中で、先生が「インテンショナリティ=志向性」とはっきり語っている。つまり外部からの情報が言語化され脳を刺激するとそれが運動(作曲)という反射に直結した。ちょっと難しいですが、詳しく知りたい方は本を読んでください。

それにしても不思議なものです。楽しいことや幸せを感じたときに曲を書いた記憶がありません。おそらく自分が満ち足りてしまったら、曲を書いて何かを訴える必要がなくなるのかもしれません。

第3楽章は「Orbis」のあとに作った「Prime of Youth」をベースに合唱を加えて全面的に改作しました。この楽曲も11/8拍子です。

ベートーヴェンの「第九」と一緒に演奏することは、とても畏れ多いことなのですが、作曲家として皆さんに聴いていただけることを、とても楽しみにしています。

平成27年12月6日 久石譲

(「久石譲 第九スペシャル 2015」コンサートパンフレットより)
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※同パンフレットには、久石譲作詞による全3楽章の歌詞も掲載されている。ラテン語による原詞と日本語訳詞が併記されている。現時点(2015.12現在)での掲載は差し控えている。

 

 

ここからは初演感想・補足などを含むレビューである。

第1楽章、オリジナル版「Orbis」(2007)がこの楽章にあたる。新版「Orbis」(2015)には、細かな手直しは施されているが、楽曲構成は従来を継承している。一聴してわかるのはテンポが遅くなっていること、チューブラーベルが編成に加えられたことだろう。祝典序曲としての単楽曲ではなくなり、ファンファーレのように躍動感で一気に駆け抜けるところから、楽章のはじまりとしての役割に変化した。全3楽章という作品構成ゆえと、第2・第3楽章までつづくコーラスの役割に従来以上の重きをおいた結果、テンポをおさえるとこになったのではないか。実際、この第1楽章で散り放たれたキーワードたちが、後の楽章において結晶化してつながりをもってくる。そう捉えると、ここで言葉をしっかりと響かせることは必然性を帯びてくる。

第2楽章、通奏低音のようにオルガンが楽章を通してゆっくりとしたミニマルなアルペジオ旋律を奏でる。同じ動きで弦楽オーケストラが織り重なる。そこにコーラスがさとすように語りかけてくる。あえてキャッチーなメロディとしての旋律を持たせていない。混声合唱のハーモニーが厚く深く包みこむ内なる楽章。チューブラーベルの鐘の響きは静かな余韻と残響をもたらしている。

第3楽章、幻の名曲「Prime of Youth」(2010・Unreleased)が「Orbis」の楽章のひとつとして組み込まれたことが衝撃だった。強烈なミニマル・モチーフ、リズム動機を備えていた同楽曲が、コーラスを迎え後ろにひかえ従(対旋律)にまわったのである。もし「Prime of Youth」という作品をコンサートで聴いたことのある人がいるならば(おそらくほとんどいない、2010年東京・大阪2公演のみである)、これはまさにカオスである。オリジナル版が持つファンファーレのように高らかに鳴り響く冒頭から、怒涛のようにシンフォニック・ミニマルが押し寄せてくる。コーラスを配置したことでさらに魂の叫びのごとく巨大な渦をまく。中間部では第1楽章Orbisの旋律が顔をのぞかせる。時を越えてPrimeとOrbisが融合した瞬間だった。かくもここまで勇壮で威厳に満ちた久石譲オリジナル・ソロ作品があったであろうか。クライマックスのかき鳴らす弦、金管、木管は圧巻であり、高揚感を最高潮にコーラスとともに高く高く昇っていく。おさまりきれない、なにか巨大なものがその姿を現した、そんな衝撃的な閃光を象徴する楽章となったことは確かである。

歌詞について、「いくつかのキーワードとなる言葉を配置し、その言葉の持つアクセントが音楽的要素として器楽の中でどこまで利用できるか、という点に比重を置きました。”声楽曲”のように歌詞の意味内容を深く追求していく音楽とは異なります」(元「Oribis」および新版 第1楽章) この久石譲の言葉を借りるならば、新版「Orbis」第2楽章・第3楽章は明らかに異なる。ひとかたまりのセンテンス、つまり言葉に意味をもたせたのである。これは興味深い。あえて自らの作家性として作品にメッセージ性を持たせない氏が、ここでは発声による言葉の響きから、歌詞による言葉の想いを届ける手法で新たな楽章を書き下ろした。同時にこのことは、コーラスを楽器の1パートに据えるところから一気に飛躍させたことになる。これをもって管弦楽と声楽は少なくとも対等、5:5の比重を分け合うことになったのである。

 

総じて、初演一聴だけでは語ることのできない拡がりと深さがこの作品にはある。中途半端な断片的感想は未聴者に余計な先入観を与えかねず、一聴のみで作品を掌握したように語ることは作家への冒涜にもつながりかねない。それでもあえて書き記したのには理由がある。

この作品は大傑作である。久石譲が芸術性を追求した作品群にはこれまで「The End of the World」「Sinfonia」など数多く存在する。楽章構成とミニマル色を強く打ち出すという点でも共通点はある。だがしかし、「新版Orbis」はその次元を超えた。延長線上、集大成、結晶化、新境地、さまざまな言い回しがありもちろんそういった意味合いも持っている。それらをおさえてあえて言葉を選ぶならば、「そこは別世界・別次元だった」。

ひとつだけ断言できることがある。ここに「ジブリ音楽:久石譲」の代名詞は必要ない。この作品を聴いてジブリのような映像やイメージが浮かぶというなら、それはまやかしである。一線を画して聴衆は対峙しなければいけない、無心で。そうして初めて出逢えるのは、心に入ってくる音楽、魂に響く音楽、本能に直接訴えかけてくる音楽、である。なにが言いたいのか。もしかしたら遠い未来の人たちが久石譲を語るとき、真っ先にジブリ音楽でもないCM音楽でもない、「Orbis」が代名詞となっているかもしれない。

 

 

万全を期ししたレコーディング、作曲家の意思を介したトラックダウンが行われた完成版を聴く日までは、この作品の真髄はわからないだろう。混声合唱、オルガンとオーケストラ、三位一体となった”環”がその巨大な姿を現す日を待つ。今初演において未完、まだ発展や進化の余地があるのかもしれず、完全版としてのCDパッケージ化は時間がかかるのかもしれない。ただ待つのみである。

もしも叶うとするならば、未完でもいい、その時にふれた「Orbis」をかたちに残してもいいではないか。「Orbis」、「新版Orbis」、新たな新版や改訂版が連なってもいい。そもそも作品自体が暗示している。”環”はどんどん”つながり”、魂をもって創造をつづける。そこに終わりはない、永遠。

 

息をあげて主観でレビューを書くことに冷ややかな反応があることは覚悟している。だからこそ、1日でも早く、ひとりでも多くの人に「Orbis ~混声合唱、オルガンとオーケストラのための~」新版を聴いてもらえる日が来ることを切に願う。そうして少しでも共感してもらえたり、わかち合えるなにかが生まれることこそ、聴衆たちにもたらされる喜びである。

 

 

2018.12 追記

オリジナル版「Orbis」だが久しぶりのプログラムとなった感想を。

 

 

2025.12.30 追記

10年ぶりに2015年版が再演を果たしました。

 

 

Blog. 「クラシック プレミアム クラシック プレミアム 50 ~ガーシュウィン/バーンスタイン~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/12/10

クラシック・プレミアム第50巻は、ガーシュウィン / バーンスタインです。

アメリカを代表するジャズとクラシックを融合した作曲家たち。バーンスタインは名指揮者としても有名です。

 

【収録曲】
ガーシュウィン
《ラプソディ・イン・ブルー》
ルイ・ロルティ(ピアノ)
ロバート・クロウリー(クラリネット)
シャルル・デュトワ指揮
モントリオール交響楽団
録音/1988年

《パリのアメリカ人》
小澤征爾指揮
サンフランシスコ交響楽団
録音/1976年

バーンスタイン
《ウエスト・サイド・ストーリー》より 〈シンフォニック・ダンス〉
小澤征爾指揮
サンフランシスコ交響楽団
録音/1972年

《キャンディード》 序曲
デイヴィッド・ジンマン指揮
ボルティモア交響楽団
録音/1996年

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第48回は、
音楽はどこに行くのだろうか?
世界はどこに向かうのだろうか?

いよいよ最終号です。

(全50号中2回は編集部によるコンサート・ルポルタージュのためエッセイ全48回です)

2014年1月創刊「クラシック・プレミアム」も全50巻をこの号で終え、2年間にわたる久石譲のエッセイもここに完結です。しかも最終回は予想もしていなかったうれしいプレゼント、いつもの倍、見開き2ページにわたるぎっしりと詰まった言葉たち。

”久石譲によるエッセイ連載”、久石譲の日常や音楽制作の進捗などがわかるかも!ということで読むことをライフワークとしてきましたが、改めて全号とおしていい内容だったなあと思います。久石譲の音楽制作過程なども垣間見れましたし、コンサートの準備段階から終演後の想いなども。もちろん「音楽の進化」というテーマを掲げた音楽講義は非常に難しいものでしたが、一度で理解できるものではありません。自分の中に理解できないまでもストックして記憶しておくことで、いつかどこかで「ああ、あの時のあのことか」と繋がることもあるのではと思っています。

なによりもここまでクラシックにどっぷりハマる日常生活もなかなかなかったですから、音楽的懐がとても広がったようが気がしています。さらに久石譲が発するキーワード(クラシック作品、作曲家、指揮者、映画、アーティストetc)から数珠つなぎで興味が広がり、同時に久石譲を形成しているバックボーンに少し近づけたような思いです。好きな作曲家の音楽だけを愛するよりも、その人の奥深い背景を少しでも知ったほうが、より作品の聴き方が変わってきますし、新しい響き方を体感することができます。

さて、さすがにその多くは書ききれない今号の内容です。前半「音楽の進化」、中盤社会的メッセージ、後半結びとあとがき、という構成になっているのですが、ここで取り上げるのは一部冒頭と後半のみにします。特に中盤では現在の社会情勢をふまえて、世界や日本で起こっているさまざまな事柄に警鐘を鳴らし、具体的に自分の意見をはっきりと述べていることも珍しいかもしれません。これまでももちろんありますが、その事象が多岐にわたっているという点で。ただ、あくまでも作曲家であり社会を論する評論家ではありません。なので、ここで書いてしまってその一部分だけが抜粋されて四方に泳いでいってしまうのは本意ではありませんので、読者の特権ということで胸に秘めておきます。

そんなに過激は発言をしているわけではもちろんなく「久石譲の意見」として、多くの人に知ってもらいたい、考えてもらいたいからこそ、ご本人は書いてるとは思うのですが、それを広めるのはこの場でなくてもいい、ということです。

最終号です、見開き2ページです、そのほかにも(こっちが本題)人気のあるガーシュウィンやバーンスタインの音楽。久石譲も作品化している「パリのアメリカ人」や、直近で”音楽としてのアメリカ”を語っている久石譲にもつながる、アメリカ発クラシック音楽です。その空気感、たしかに「室内交響曲」などにも通じるものがあるなあと聴きながら。ぜひ最終号記念として手にとってみてください。

一部抜粋してご紹介します。

 

「音楽の3要素でるメロディーと和音にアフリカ系のリズムが加わることで、ポピュラー音楽は20世紀を席巻した。一方、クラシック音楽の分野ではもう調整のあるメロディーは書き尽くされた、と多くの作曲家は考え(実際、過去の偉大な作曲家のメロディーを超えることは難しい)わかりやすいメロディーを書くことを止めた。それはより複雑化した和音とも関係するのだが、その和音(調性)も十二音音楽で捨てた。また20世紀の音楽の幕開けにふさわしいストラヴィンスキーの《春の祭典》のようなバーバリズム(原始主義)のリズムも、わかりやす過ぎるせいか捨てた。」

「つまりシェーンベルク一派が始めた十二音音楽以降の音楽は、弟子であったウェーベルンの点描主義(音がポツポツと鳴るだけでどこにもメロディーは出てこない)やそれの影響を受けたピエール・ブーレーズ、シュトックハウゼンなどのいわゆる現代音楽の道に繋がっていくのである。それらの多くはメロディーも無く、和音も無く(不協和音という和音ではあるのだが、むしろ特殊奏法を含む響きとして捉えたほうがいいかもしれない)、拍節構造(4/4拍子などの)も意味を持たなくなり、リズムも消えた。メロディーとリズムで多くの聴衆を獲得したポピュラー音楽と、音楽の3要素を否定していった現代音楽。結果は一目瞭然、聴衆は難解で作家の観念の世界(自己満足)に陥った現代音楽を捨てた。それでもまだ時代がよかった。」

 

「話を戻して、音楽も混迷している。いつの時代も”時代の語法”があった。バロック、古典派、ロマン派、十二音音楽、セリー、クラスター、ミニマル・ミュージックなどそれぞれの時代にそれぞれの作曲の語法があった。むろんそれを否定する人、無視する人などさまざまだが、少なくとも時代をリードする語法はあったが、この21世紀にはない。多くの作曲家は自分の殻に閉じこもり、自分独自と思い込んでいる作風に執着している。これもオンリーワンである。そして聴衆不在の音楽(聴き手のことを考えない)が聴衆不在の場所(そういうものを好むいつも同じ面子はいるらしい)で粛々と行われている。だが、考えてみてほしい。モーツァルトだってベートーヴェンだってもっと作曲は日常的な行為だったはずだ。生活の糧だったともいえる。それが作曲と社会が繋がる唯一の道なのである。だからモーツァルトに至ってはオーボエの協奏曲を別の楽器の協奏曲にすぐ手直ししたりする。時代が違うと言えばそれまでだが、絶対忘れてはいけないことがある。作曲したものはそれだけでは意味が無く、それを演奏する人がいて、聴き手がいなければ成立しないということである。聴いてもらうということが大切なのである。作曲という行為は単独では成立しない、このことを作曲家は肝に銘じなければならない。」

「音楽はどこに行くのだろうか?世界はどこに向かうのだろうか?」

「1人の作曲家としてこの時代に何ができるのだろうか? いつも自分に問うてはいるのだが、答えは出ない。ただ言えることがある。自分は作曲家である。まだ、はなはだ未熟で作品の完成度は自分が満足するには至らず、日々精進して少しでも高みに登る努力をしているのだが、同時に今までの経験を生かし、現代の音楽(現代音楽ではなく)を紹介し、新しい新鮮な体験をする場を提供し、そして過去から現代、現代から未来に繋がる音楽がどういうものなのかを聴衆と分かち合い一緒に作っていきたい、そう考えている。2年にわたるこの連載はこれで終わる。まだ書きたいことはいろいろあるがそれはいずれどこかで。」

勝手なあとがき

「いやー、勝手なこと小難しいことなど色々書いてしまいました。本当はですます調で優しく書きたかったのですが、なぜか最初に、「である」とか、「なのだ!」の断定口調になったため、随分偉そうな書き方になりました。この2年、2週ごとに原稿を書かねばならなかったのは大変苦痛でした。というのは作曲の締め切りなどのピークと原稿の締め切りがほぼ一致し、何日も寝ていない日の明け方にこの原稿を書かなければならなかったことが多かったからです。昔流行ったマーフィーの法則と一緒ですね。」

「特に後半は作曲の量が半端ではなく、また指揮する楽曲の難度も凄まじく、生きた心地がしなかった(苦笑)。ざっとみると《Single Track Music 1》約6分、《The End of the World》全5楽章約30分、《Untitled Music》3分半、《交響詩 風の谷のナウシカ》改訂完全版約30分、《室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra》約30分、《コントラバス協奏曲》約30分などの作品を書き、その間CMなどのエンターテイメントの音楽の作曲も行った。わずか半年である。また指揮もシェーンベルクの《浄められた夜》やアルヴォ・ペルトの《交響曲第3番》、ジョン・アダムズの《室内交響曲》、カール・オルフの《カルミナ・ブラーナ》など難しい楽曲や大規模な作品を振らせていただいた。」

「その間の原稿はあまりに余裕が無く、ひたすら「音楽の進化」について書き続けた、日乗に触れたら本当にしんどいのが実感してしまうから。だが、まだきつい日々は続く。もうすぐベートーヴェンの《第9交響曲》と共に演奏する自作《オルビス》の第2楽章も書かなければならない。やれやれ。」

「それでも本当はこの原稿を書くことによって、自分の考えをまとめることができ、かつ音楽の本質を考えることで自分の立ち位置、自分の中の音楽観をまとめることができたことを深く感謝している。人間は言葉で考える。だから文章を書くことがいかに大切か実感した。」

「あれ、いつのまにか断定口調に戻っている。やっぱりこれが自分の言葉なのか(笑)。古代ギリシャのピタゴラス派が考える音楽観についても書くつもりでいたが本当に紙面が尽きた。機会を与えていただいた小学館の河内さん、読んでいただいた皆さんにも心から感謝、今度はコンサートで会いましょう。」

 

クラシックプレミアム 50 ガーシュウィン バーンスタイン

 

Info. 2016予定 PS4『二ノ国 II レヴァナントキングダム』発売決定 PV第1弾解禁

PS4『ニノ国II』発表 ― レベルファイブ×ジブリのRPG再び…スタッフに久石譲、百瀬義行

現地時間の12月5日に実施された「PlayStation Experience 2015」にて、レベルファイブの新作RPG『ニノ国II レヴァナントキングダム』がPS4向けに発表されました。

『ニノ国』シリーズはレベルファイブとスタジオジブリによるRPGで、ニンテンドーDSソフト『二ノ国 漆黒の魔導士』が2010年12月、PS3ソフト『ニノ国 白き聖灰の女王』が2011年11月に発売。まるでアニメーションの中を冒険しているかのような、スタジオジブリの手描きアニメの美しさを限りなく再現したグラフィックが話題になりました。

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Blog. 「月刊ぴあの 2015年12月号」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2015/12/6

11月20日発売「月刊ぴあの 2015年12月号」に久石譲のインタビューが掲載されました。

今年の活動の総決算として、8月に発表した新作「ミニマズム2」のこと、1年間の多種多彩なコンサート、TV・CM音楽のこと、日常生活リズム、これを読めば久石譲の凝縮した一年間がわかる、そんな内容になっています。来年に届けられるであろうCD作品のことも。(個人的感想も、いっぱい書かせてもらいました)

 

 

曲を書き続けていないとわからないことがある。
ある時、パッと何かが吹っ切れる瞬間がくるんです。

アルバム『ミニマリズム』から約6年を経て、『ミニマリズム 2』を発表した。久石にとってミニマル・ミュージックは、国立音楽大学在学中に興味をもち、現代音楽の作曲家として活動を始めるきっかけにもなった音楽だ。改めてその魅力、そして今後の活動について語ってくれた。

 

現在のミニマルは無限の可能性があるんです

-『ミニマリズム 2』は約6年ぶりのミニマル・ミュージックのアルバムですね。ミニマルを作り続けることは久石さんにとって重要なことなのでしょうか。

久石:
「学生時代から30代前半まではミニマルをベースにした現代音楽をやっていましたからね。そのあとはずっと映画音楽やCMなどエンタテインメントの世界でいろいろ書いてきましたけど、オーケストラの指揮をするようになって、自分の中で、もう一回クラシックというものを見つめ直し始めたのです。学生時代には前衛音楽に傾倒していて、純粋なクラシック音楽には見向きもしなかったのですが(笑)。でも、指揮をするからには、ベートーヴェンの「運命」や、ドヴォルザークの「新世界より」などといった作品もちゃんと振ってみたほうがいいだろうと思って。実際に振ってみると、作曲家がどうやって作っているのかがよくわかります。クラシックにきちんと取り組むからこそ、まずは、自分のベースになっている、ミニマルに立ち返ってもう一度作ろう、と思ったのです。」

-アルバムを聴いて、改めて、ミニマルのおもしろさを感じました。マリンバ2台の曲「Shaking Anxiety and Dreamy Globe for 2 Marimbas」は、元々はギター2台のための曲だったんですよね。

久石:
「ギターで演奏すると、この曲はすごくエモーショナルになるんです。でも、ミニマルはリズムが命ですから、打楽器で演奏しても成立するなと思って書き直したんです。ミニマル・ミュージックの作業というのは元々、スティーヴ・ライヒ、テリー・ライリー、フィリップ・グラス、ラ・モンテ・ヤングの4人だけ。あとは、全部ポストミニマルや、ポストモダン、ポストクラシカルなどと呼ばれる(次世代の)音楽で、ある意味、まったく違う表現になっていったんです。現在のミニマルは、表現の形が広がっていて、無限の可能性がありますね。」

-現在、ポストミニマルの最先端にはどんなアーティストたちがいるのでしょうか。

久石:
「今、アメリカの30代前半の若い作曲家が、ミニマルの影響を受けた新しいスタイルを作り出しています。クロノス・カルテットがずっと委嘱している元ロック・ミュージシャンのブライス・デスナー、そしてビョークと共演したり、メトロポリタンのオペラを書いたりしているニコ・ミューリーとかね。彼らはいわゆるポストクラシカルの作曲家で、僕の姿勢と同じなんです。ミニマルをベースに、新しく、表現することに対して、ジャンルというものにこだわっていない。彼らの世代は日常的に聴いてきた音楽でもあるから、あえて”ミニマル”なんて言う必要もないんです。」

-久石さんご自身もミニマルをやり続けながら、若いアーティストの紹介もすることで、新たなリスナーが増えそうですね。

久石:
「彼らのことは日本ではまだあまり知られていない現状があるので、僕が伝えていく役目かなとも思っていて。今年の9月に「ミュージック・フューチャー」という、ミニマル、ポストクラシカルの先端を紹介するコンサートシリーズの2回目を行ったんです。さきほどの作曲家のほかにジョン・アダムズや僕の書き下ろしの曲、6弦のエレクトリック・ヴァイオリンのための「室内交響曲」も初演しました。このシリーズは続けていきたいですね。」

 

毎年、正月に宮崎駿監督に曲を届けています

-今回のアルバムの中の「WAVE」という曲は三鷹の森ジブリ美術館でも流れていますし、「祈りの歌 for Piano」はだれもが聴きやすい、美しい曲です。ミニマル・ミュージックだという意識は特別必要なく、だれもが楽しめる曲が多い印象を受けました。

久石:
「宮崎駿監督とはもう長い付き合いですからね。年に一回、宮崎さんのために正月に曲を書いて持って行くんです。持って行かない年は1年を通して調子が悪くて(笑)。ゲン担ぎみたいなものですね。「祈りの歌 for Piano」は今年の正月に持って行った曲です。正月の3日に作って、4日にレコーディングしてその日に持って行って。なんだか出前みたいですけど(笑)。この年頭の習慣が、意外と大事なんですよ。お正月だから、暗い曲を持って行くことはしないし(笑)、新年最初に心休まる曲を一曲作る、というのは、すごくいいなと思っていて。ジブリ美術館では、僕の曲を今でも使ってくれているみたいですね。」

-今後は、8月に行ったワールド・ドリーム・オーケストラのコンサートのライヴ盤がリリースされる予定だそうですね。

久石:
「はい。「The End of the World」という曲は5、6年前に作った曲で、全楽章合わせて20分くらいの長さだったものを、今回新たに全部書き直し、楽章を増やして、30分近い曲に完全にリニューアルしたのです。これは音源として残さなくてはと思って録音しました。あと「風の谷のナウシカ」も徹底的に交響作品として作り直しました。今回のナウシカは、譜面として、どこのオーケストラも演奏できるように、スタンダードなスコアとして出版する予定なんです。当然、海外でも出す予定ですよ。」

-純粋にご自分の作品を作る割合と、映画音楽などのエンタテインメント作品を制作する割合はどれくらいなんですか?

久石:
「年によって比重が変わります。今年はどちらかというと、自分の作品が多いですね。でも、CMやゲーム音楽も作っていますね。あとは五嶋龍君が司会になった『題名のない音楽会』の新テーマ曲も書かせてもらいました。この「Untitled Music」という曲は自分でもすごく気に入っています。テーマ曲というだけでなく、作品としても聴いていただけると思うのですが、リズムが相当難しくて、絶対に自分では振りたくないなぁ(笑)と思ったくらい(実際は初回放送時に五嶋と共演)。でも、あの曲を書いたことで一つ吹っ切れたところがありました。」

-何が吹っ切れたのでしょうか?

久石:
「それは書き続けていないとわからないことだと思います。何かを求めて求めて、でもなかなか上手くいかなくて、ちょっと上手くいったと思ったら、またダメだったり、それを繰り返す中で、パッと吹っ切れる瞬間がくるんです。自分でも、僕の生活はどうなっているんだ(笑)と思うようなスケジュールですけど、大量に仕事をこなしている中で、あの曲を書いた時に、何か、吹っ切れた。ハードな毎日があるからこそ、できた曲ですね。立ち止まってしまうとわからないんですよ、そういうのって。」

-年内の今後のご予定は?

久石:
「今年も12月にベートーヴェンの「第九」を演奏します。「第九」に捧げる序曲として書いた「Orbis」も楽章を足すつもりなんです。すごくいい曲だというお声をいただいているんですけど、10分くらいの長さなので、もう終っちゃうの?とオケの人も物足りなく感じるみたいで(笑)。「第九」の前に演奏するのにちょうどいいくらいの尺に仕上げようと思っています。」

-ジャンルの幅が広く、本当に膨大な仕事量ですが、普段はどのようなペースで取り組まれているのでしょうか?

久石:
「作曲のスタイルは、統一していますからね。あれ風、これ風、というのはまったく考えていなくて、自分のやりたいことを自分のやり方のまま、その範疇にエンタテインメントの要素もミニマル的なものもあると思うので。基本は、昼の2時から夜10時頃まで作業して、ご飯を食べたあとに明け方の6時頃までクラシックの勉強。ひたすらスコアを読んでいます。そんな感じがずっと続いていますね。しんどいですけど、ある程度、自分を追い込まないと新しいものは出てこないから。今までの語法にのっとって仕事をこなす、みたいになってしまうと、2、3年はそれでもつかもしれないけど、そのあと何も生まれてこなくなりますよ。気晴らし?夜中に観るアメリカのテレビドラマ(笑)。あとはジムで体を動かしたり、泳ぐことかな。」

(「月刊ぴあの 2015年12月号」より)

 

 

いろいろと今年の活動内容のことが触れられています。

これなんのことだろう?と気になる事柄もあるかもしれません。ただ、ここでなぞって振り返って説明すると足りないので、バイオグラフィーにて年表からその項目を紐解いてみてください。

 

補足をふたつ。

宮崎駿監督に持って行っているという年1回の楽曲。これは宮崎駿監督の誕生日が1月5日で、それに合わせてのプレゼント・献呈というのが事の始まりです。それが結果、年1回、一年の始まりに、ジブリ美術館BGMに、という流れになって現在に至るまで習慣化されているというわけです。その日にレコーディングにしてその日に届ける。なんとも贅沢でうらやましい限りです。

ジブリ美術館関連のBGM情報に関しては下記まとめています。

Disc. 久石譲 三鷹の森ジブリ美術館 展示室音楽 *Unreleased

 

補足ふたつめ。

「Shaking Anxiety and Dreamy Globe for 2 Marimbas」について。

たしか久石譲はいつかのインタビューにて、「ミニマル・ミュージックはプロの演奏家でも難しい」「ミニマル・ミュージックがわかっているいないでの演奏は全く異なる」そんなことを言っていたと記憶しています。だからこそ、リズムが肝となるミニマル・ミュージックにおいて、あえてギターのための作品を打楽器マリンバのために書き直したのだと思います。

ギター版はたしかにエモーショナルです。でもリズムを刻む以外にも音の強弱(弦を弾くタッチ)や、奏法ゆえの一つ一つの音の長さや残響にムラが生じます。弦の上で指をスライドさせて演奏することが基本のため音の均一化は難しく(音程や何弦を使い分けるかにもよる)、弦のスライド音も発生します。もちろんそれがギターの生き生きとした楽器としての実演の強みでもあります。

ただし、規則正しい音型・音価・リズムを刻んでこそ、そこから意図的に微細にズレていく音楽がミニマル・ミュージック。その核心があったうえで、それを具現化しやすい、マリンバという楽器を選んだということなのでしょうか。別の機会でのインタビューでも、自分の作品において、「ミニマル色に欠かせないのはハープ、マリンバ、グロッケンなど…」そんなことを言っていたとも思います。

あとは…詳しくないので中途半端に触れたくない触れていはいけないのですが、倍音構造がちがうはずです。残響音やユニゾンから発生する倍音がちがう。ギター版とマリンバ版、同じ楽曲とは思えない印象を受けるのは、楽器の音色そのものだけでなく、その倍音の響きも影響しているのでは、と。久石譲は初期(それこそMKWAJU作品など)から、マリンバは自分の作品を作るうえでの武器として熟知していますので、おそらく、、そういうことではないのかなぁと、、。マリンバの倍音構造は、同じ音を弾く際にも、叩く場所によってその音の倍音の鳴りやすい音が違うそうです。

例えば、基本ドの音の倍音は、2オクターヴ上のドとその上のミの音とのこと。なので基本ドをずっと叩きつづけるとその倍音も自然と響いてくることになります。さらに基本ドの叩く場所が違うと、2つの倍音のうち2オウターヴ上のドの音が鳴りやすくなる、もしくはその上のミの音が鳴りやすくなる、ということになります。しかも、この楽曲では「2台のマリンバのための」となっていますので、よりユニゾンによる倍音効果は発揮されるはずで、、うーん、奥が深いですね。

以前にも一度だけ「倍音」については触れたことがあると思うのですが(クラシックプレミアム・レビューにて)、久石譲音楽のひとつの核心に迫れるキーワードなのかもしれない、と最近よく思っています。なぜ、一聴して久石譲音楽と気づくのか、説明がつかない感情的に残るひっかかり、旋律や楽器の音色だけではない、直接耳もしくは脳に訴えかけてくる響き。いつか研究してみたい項目です、蛇足でした。ひとつの聴き方・とらえ方として、聞き流してください。

 

最後に。

食い入るようにインタビュー内容を何度も読み込み、久石譲の言葉じり(ちょっとしたキーワードや言い回し方)を、透けるくらい凝視し心理を推測するような感じで、…結果、やはり今後は”作品”を手がけていくつもりなのだろう!という結論です。

宮崎駿監督の長編映画引退に伴う、4-5年に1度続けてきたジブリ音楽制作が一旦休止。宮崎作品を手がけることとそこで完成された音楽は、自身音楽活動のエポック的な位置づけとしてきていました。宮崎駿×久石譲のコラボを繰り返すことで、同じように久石譲音楽もどんどん次の次元にという過程においても。そのマイルストーン的通過点がない今、自分の作品に向き合うのは自然な流れです。

そして、今年の活動のなかでも、いろいろな「発注されて作った作品」があります。それはいわば断片でしかない楽曲群です。単発ものですから、”今の久石譲”の一部は透けてみえたとしても、そこには大きな作品としてのテーマとまでは完成できない。

だからこそ、「室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra」「Untitled Music」「コントラバス協奏曲」などを通過して、おそらく全体として統一された作品を作っていくのではないかと。これらを1枚のアルバムにまとめるということではなく、あるいは延長線上にある別の新作なのかもしれません。

 

さらに突っ込む!

もうひとつは、そのような作品の創作活動において、いい意味で”もうミニマルにはこだわらないんじゃないか”とも推測しています。上記インタビューで語っている、とある箇所が印象的でした。

 

「クラシックにきちんと取り組むからこそ、まずは、自分のベースになっている、ミニマルに立ち返ってもう一度作ろう、と思ったのです。」

「現在のミニマルは、表現の形が広がっていて、無限の可能性がありますね。」

「ミニマルをベースに、新しく、表現することに対して、ジャンルというものにこだわっていない。彼らの世代は日常的に聴いてきた音楽でもあるから、あえて”ミニマル”なんて言う必要もないんです。」

 

……

無限の可能性がある、かつ、一方で一般的にも浸透しきった、それがミニマル・ミュージックだとしたときに、もう”ミニマル・ミュージック”を謳い文句として前面に押し出すことも、ミニマル・ミュージックのなかの一部の表現方法に固執することも、今はナンセンスだ、そういう括りはもう必要ない段階にきている、そんなことをご本人は思っているのではないかと…。

久石譲が自作を創作するうえで、どんな作品になろうともそこには必ず多かれ少なかれのミニマル・エッセンスが盛り込まれます。だからこそミニマル・ミュージック=リズムを基調に、楽曲全体を統一して構成するというところから、一歩先の”普遍的な作品”への追求段階に入ったのではないかと。それが少し垣間見れたのが、上の3つの作品群です。第1主題、第2主題、提示部、展開部、コーダ、楽章…よりクラシックの語法にのっとった形式にて楽曲構成していく。リズムの動きを止めるパートを配置した緩急ある作品構成。

つまりは、ミニマル・ミュージックという狭義のジャンルや語法を突き詰める段階から、より広義なクラシックの語法を用いた普遍的な作品を目指す段階に入った。個人的に辿り着いた答えはそこでした。あくまでも一個人の勝手な見解と受け止め方です。いちファンとして、日常会話的表現方法で言うならば、「ミニマリズムは2で終っちゃうんじゃない?!次は別の新シリーズが!?」そんな言い回しがわりとわかりやすく伝わりやすいのかもですが、意図しているところとしては、そういうことです。

あえて言うまでもなく、これは、シンセサイザー、アンサンブル、オーケストラという楽器編成の変化を経ながら、その時代ごと楽器編成ごとのミニマル・ミュージックを突きつめ極めてきた。今日ではシンフォニックで構成するミニマル・ミュージックまで昇華した久石譲だからこその、次への道という自然な流れだとも思っています。

”自然な流れ”と表現してしまうと、成り行きのような軽い印象を受けてしまいそうですが、それは久石譲のあくなき創作性と新しい次元への挑戦の流れである、と補足しておきます。

 

本インタビューを読んで読んで読んで、ひっかかりをもった部分を自分の中で幾重にも迷走したうえでの一解釈ですので、当たっていなくても、、すいません。

やはり「Untitle Music」はお気に入りの渾身作か!とか、やはり「The End of the World for Vocalists and Orchestra」は録音を残しておきたいほどの完成度か!とか、そうでしょうそうでしょう!と頷きながら読みふけ。

 

2015年の久石譲音楽に感謝するとともに、2016年の久石譲音楽も期待が膨らむばかりです。少し長い時間軸で少し離れて俯瞰的に見るよう努めて…2016年ではないかもしれませんが、着実に久石譲の次のステージの音楽が待ち構えている!その片鱗が見え隠れしだした2015年だった!そう確信している(したい)ところです。

今年最後の目玉「新orbis ~混声合唱 オルガンとオーケストラのための~」新たに第2楽章が書き下ろされ改訂されたその演奏を聴いた日には、さらに確信に近づくかもしれません。(12月3公演にて初演予定)

シンプルにひとつわかっている一大企画!

2014年からスタートしたジブリ作品の交響作品化シリーズがあります。「交響詩 風の谷のナウシカ」改訂完全版で華々しく幕を開けた同企画。音楽担当したジブリ全11作を交響曲や交響詩として作品化することを始動させています。次は順当に「ラピュタ」がくるとも限りません。どの作品であってもどういう交響作品になろうとも、楽しみでしかありません。

今年の久石譲音楽活動の総括は、このインタビュー記事に関連して、派生してしまいしたので、これにて。

久石さんの誕生日にお祝いと感謝の気持ちを込めて 記

 

そういえば昨年2014年は『WORKS IV』に関連して一年を総括していました。一年ぶりに読み返してみて、当たっているところもあるような、ないような。そのときの思考や想いをまとめておくことに意義があると思っているのでご愛嬌ということでお許し下さい。

Blog. 久石譲 新作『WORKS IV』ができてから -方向性-

 

月刊ピアノ 2015 12月号 1

 

Info. 2016/03/12 映画『家族はつらいよ』監督:山田洋次 音楽:久石譲 公開予定

映画『家族はつらいよ』が、2016年3月12日(土)に公開される。

本作は、『男はつらいよ』をはじめ、『たそがれ清兵衛』『母と暮せば』など、50年以上にわたりその時代に生きる“家族”を撮り続けてきた山田洋次による、『男はつらいよ』シリーズ終了以来20年ぶりとなる喜劇作品。

山田洋次監督に「最高のアンサンブル」と言わしめたキャスト8名によるドタバタ劇が、ユーモアたっぷりに描かれる。橋爪功×吉行和子が“離婚危機”に瀕する熟年夫婦を演じ、絶妙なコンビネーションを見せるほか、長男夫婦に西村雅彦×夏川結衣、長女夫婦に中嶋朋子×林家正蔵、次男カップルの妻夫木聡×蒼井優と豪華俳優陣が集結。

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