Info. 2020/02/21 久石譲ベストアルバム「Dream Songs:The Essential Joe Hisaishi」世界同日リリース決定!! 【1/17 Update!!】

Posted on 2019/11/15

DECCA GOLDより2020年2月世界リリース決定!

久石譲のベストアルバム「Dream Songs:The Essential Joe Hisaishi」がユニバーサルミュージックVerveグループ傘下で、NYに拠点を置くクラシック・レーベルDECCA GOLDより2020年2月21日(金)に世界同日リリースされることが決定しました。 “Info. 2020/02/21 久石譲ベストアルバム「Dream Songs:The Essential Joe Hisaishi」世界同日リリース決定!! 【1/17 Update!!】” の続きを読む

Overtone.第27回 「映像から音を削る 武満徹 映画エッセイ集/武満徹 著」を読む ~ウソとマコト I~

Posted on 2020/01/15

ふらいすとーんです。

「映像から音を削る 武満徹 映画エッセイ集/武満徹 著」、なんとも魅力的なタイトルで手にした本です。おもしろくてぐいぐい惹きこまれてしまい、もっといろいろ読んでみたいと「武満徹著作集〈1〉~〈5〉」各500頁近くある分厚い書籍も読破し、著作集からもれるエッセイや対談本などを片っ端から読みふけっていました。出版されている本も多く15冊は超えるくらい読んだ結果、最終的にこの本が一番”映画音楽”については凝縮されていたと思います。

当たり前ですよね、”映画エッセイ集”とある、いろいろな書籍からまとめたものになっているわけです。それでもほかの本を手にとったのは、武満徹さんの映画音楽とオリジナル音楽(自作)の関係性や、いろいろな著名人との対談から語られるエピソードも知りたかったからです。

音楽を聴くよりも言葉を読むほうが多い作曲家、珍しい接し方になりました。音楽のほうはプールの水を両手ですくうほどしか聴いていないので、語るにおよびません。気になった映画音楽ですら現在では聴けないものが多いということもありますが。

今回は世代の違う作曲家、武満徹の映画音楽論を掘り下げることで、久石譲の映画音楽論と共鳴するもの、それぞれに違うもの、そんなことが見えてきたらいいなとご紹介します。取り上げた文章を読んでいくなかで、久石譲ファンなら「こんなこと久石さんも言ってたな」とすぐにつながることもあるでしょう。ただ、ピックアップしたセンテンスごとに、【久石譲もこう言っている】【宮崎駿監督、高畑勲監督もこんなこと言っていた】という部分的な照らし合わせはしていません。まずは、ゆっくりじっくり武満徹の言葉に耳を傾けてもらえたら幸いです。

 

 

映画音楽

映画音楽については、さだまった法則というものはないと考えます。それは、映画が、時代社会の動きにしたがって絶えず新しく生まれかわるものだからであります。映画音楽は、映画を離れて無い。この原則を一言にして語れば、映画にあって、音楽は、かならず演出されなければならないのです。たんに、映画のもつ雰囲気を誇張するほどの役割としてではなく、主題をいっそう具体的なものに表すべく、その表現をもたなくてはなりません。

~中略~

私は、ひとつの嘘を真実たらしめるための役割を、音楽によって担いたいと思っています。台詞はあくまで観念であって、音楽は、それを官能的な次元に置き換えて、直接に働きかけねばなりません。音によって、言葉の観念は、肉化されるのであります。もちろん、映画は、あくまで映像の芸術でありますが、音楽は台詞と同様に、あるときは、それ以上の役割を背負うものだと思っています。

~中略~

よく謂われることですが、音楽の体位的な直接用法によって、映画表現は、相乗された効果をもち得ました。これによって、描かれているものをさらになぞるということは、表現を稀薄にする以外のなにものでもないことがわかりました。

殺人の場面で、明るい自動ピアノを鳴らした『望郷』は、映画音楽における一つの典型のように言われています。『野良犬』の結びちかくにも、こうした体位的手段が活かされている。そして、今日では、こうした方法は常識となり、パターン化しつつあります。体位的手段は、その表れてくるところの異常さによって人をひきつけ、緊迫した効果をうむが、図式的な処理と、常套化した繰り返しに従うなら、たんに場面の効果をうむのみに留まってしまうのです。それが主題と深く関わらずに完結したのでは、ひとつの自立する芸術として、音楽が映画に参加する意味はない。それは、ネガティヴに映像をなぞることでしかないからです。全体的な表現に参加することが大事だと思います。

~中略~

(映像から音を削る 武満徹 映画エッセイ集「映画音楽」項より 抜粋)

 

 

映像とその音響

映画音楽には定まった方法論が無いと書きましたが、映画音楽が映画に附帯するものである以上、それはたえず新鮮な方法でなされるべきです。

私はこれまでに幾つかの映画のために音楽を書いてきましたが、そのスタイルはさまざまです。映画音楽の作曲家は、ある点では俳優と似たところがあって、演出家、あるいはその映像から思いがけない自分をひきだされるものです。また、そうした影響力の強い映像に接することが作曲家に新しい勇気と意欲をあたえます。

~中略~

私は映画音楽を書く時、映像に音を加えていくというよりも、映像からいかに音を削っていくかということについて考えます。映像自身が響いているという言い方は奇妙かもしれないが、この仕事にたずさわった人には容易に理解してもらえる事柄であろうと思います。映像自身が固有にもっている響きを平面的になぞることは、映像の空間を狭めることになります。すると、映画はたんに物語を運搬するセルロイドの帯でしかなく、映像が試みているモンタージュは、音響によってその意味を失います。映画における音楽と音響の役割には求心と拡散に両方の面があると思いますが、それがどうあるべきかを規定する尺度はありません。映画の主題だけがそれを決定します。映画が時間芸術であるかぎり、個々の独立した場面によって音の設計を考えるべきではないと思います。全体として個々の効果が大事なのです。そうすることが個々の場面をいかすことになるでしょう。

(映像から音を削る 武満徹 映画エッセイ集「映像とその音響」項より 抜粋)

 

 

私の受けた音楽教育

それではなぜ、映画音楽をやっているのかと申しますと、私は小さな自分の仕事部屋で作曲をしていて、時にはピアノを使ったりしながら、かなり自己完結的な仕事にたずさわっているわけです。具体的にいえば、自分の肉体の癖というようなものが作曲の際に出てしまって、むろん人間の肉体性、音楽の肉体性ということは何よりも大切ですけれども、それとまるで違った、たんなる肉体的習慣に身を委ねてしまうようなことがあるのです。ピアノを弾く手の癖とかですね。そういう時に、いろんな違う人たちと仕事をする、例えば映画音楽もそうですが、そうすると、自分のうちの未知なるものというか、思いがけない自分を発見することがあるのです。

映画音楽には特別に決まった方法論というものはなくて、映画というものがそうであるように常に現実と結びついたものです。映画音楽の場合は、ある映画の効果を高めるということだけでなくて、他にたいへん大事な意味をもっています。それは優れた映画監督と仕事をする場合、俳優や女優が、普段はかなり大根役者だと思われていたのに、思いがけなく、いい芸をするというようなことがありますが、それと同じように、私自身も、いい映画監督と仕事をすると、思いがけない自分というものが引きずり出されることがあります。

そのことは、自分の書斎にもどって音楽を作るのにも非常に役立ちます。しかもシンフォニーを作曲し、それが日比谷公会堂で演奏され満員になったとしても、千数百人の聴衆が聴くだけですが、映画の場合は一本の映画ではるかに多くの人々が私の音楽を耳にするわけです。

それに、映画の場合は、あ、あれは武満が作曲したものだ、というような意識は見るひとにあまりないでしょう。そのことは私にとってたいへんうれしいことです。

(映像から音を削る 武満徹 映画エッセイ集「私の受けた音楽教育」項より 抜粋)

 

 

映画音楽 音を削る大切さ

映画がひとに語りかけるのは、かならずしも、単一の事柄ー物語や主題ーに限らず、また、もし映画がそれだけのものにすぎないとすれば、面白味も薄く、そこでは音楽の役割も単なる伴奏の域に留まるしかないだろう。フィルムのフレームにきりとられた現実は実際とは異なったリアリティをもつものであり、映像に音楽が付けられることで、(映画)全体としての心象は、また別のリアリティを得る。相乗する視覚と聴覚の綜合が映画というものであり、映画音楽は、コンサート・ホールで純粋に聴覚を通して聴かれるものとは、自ら、その機能を異にする。あくまでも、映画音楽は演出されるものであり、そこには、常に、自立した音楽作品とは別の、抑制が働いていなければならない。

~中略~

もちろん、映画音楽は、独立した楽曲として鑑賞に耐え得るだけの、質的にも高いものであるにこしたことはないが、それ以上に映画音楽の需要さは、音楽が映画全体のなかでどのように演出され、使われるかということだ。そのために、音楽の扱いには、常に、冷静さと抑制を失ってはならないはずだ。だが少なからず最近の映画音楽は、抑制を欠いた、無神経なものが多い。こけ脅しの誇張や説明過剰が概ねであり、観衆の想像力を少しも尊重することがない。また、いつの間にか観衆もそれに慣らされてしまっている。

~中略~

私は、自分が考えている映画音楽というものについて、説明を試みる。

「時に、無音のラッシュ(未編集の撮影済みフィルム)から、私に、音楽や響きが聴こえてくることがある。観る側の想像力に激しく迫ってくるような、濃い内容を秘めた豊かな映像に対して、さらに音楽で厚化粧をほどこすのは良いことではないだろう。観客のひとりひとりに、元々その映画に聴こえている純粋な響きを伝えるために、幾分それをたすけるものとして音楽を挿れる。むしろ、私は、映画に音楽を付け加えるというより、映画から音を削るということの方を大事に考えている」

私なりの映画音楽の方法論を語ると、ハリウッドのひとたちは、なんとも不思議なものに接したような驚いた表情で、大仰に、Very interestingを連発した。そして、「アメリカの作曲家は一曲でも多く音楽を挿れたがるのに、あなたはまるで反対を言う。音楽を沢山挿れた方がそれだけ利益に結び付く機会も増すはずなのに。おかしなことを言うひとだ」と言って、またもや感慨深げに、Very interestingを繰り返した。

(映像から音を削る 武満徹 映画エッセイ集「映画音楽 音を削る大切さ」項より 抜粋)

 

 

ひとはいかにして作曲家となるか

~中略~

演奏技術は教えることができるし、その教育の必要です。しかし、作曲を教えることはできないと思います。ソナタ形式とか、交響曲とか、西洋音楽が歴史的に創り上げた形式の概観を教えることはできるでしょうが。作曲家にとって一番大切なことは、どれだけ音楽を愛しているかであり、また自分の内面に耳を傾け何かを聴き出そうとする姿勢だと思います。こういうふうに楽器を重ねれば美しい響きが作れるという原則を教えることはできますが、それは最低限必要な技術に過ぎません。そんな表面的な技術ではなく、その人なりの美しい音があるはずです。モーツァルトやベートーヴェンは、そういった「自分の声」を持っていたひとたちです。

~中略~

いまだに外国で「日本人なのになぜ西洋音楽をやるのか?」と質問されて、よく居心地の悪い思いをします。日本人が「能が外人にわかるわけがない」と言うのと同じです。でも、日本人だって能を観てもわらからない人もいれば、フランス人だってドビュッシーがわからない人もたくさんいます。

「『わかる』とは一体何か?」が問題です。例えば同じブラームスの曲を聞いて、僕とドイツ人では理解が違うかもしれない。ただ、自分が感動する点では同じです。逆に、違った感動を味わってもいいわけです。これだけ情報化の進んだ現代でも、日本人と外国人との間にはいまだに誤解がたくさんありますが、このことを否定的にとらえる必要はない。もっと積極的にお互いの違いを確かめていくことが大切です。誤解は、物事を正すのに少しは役立つ可能性があります。浅薄な理解よりもましというものです。

~中略~

ある外国の友人に、「君が日本の楽器を使って書いた作品より、オーケストラを使って書いた作品の方に『日本』を感じる」と言われたことがあります。心あたりと言えば、同じ楽器を使ってもその使い方によって創り出している響きが違うんだろうということです。西洋人にとってはありきたりな楽器でも、自分にはその使い方の基礎的な知識がない。もしかしたら、そのことが僕の個性をつくり出しているのかもしれない。

~中略~

僕の考えでは、映画は監督のものです。つまり、作曲家も俳優と同じように監督に使われる存在です。だから映画音楽も音楽作品として優れていることより、映画の中での効果の方が優先します。「音楽が演出される」わけです。映像があって、ある一つの響きが聞こえるだけでも、映画音楽として成り立ちます。

僕は優れた監督に、自分の中の未知のものを引っぱり出して欲しいと思っています。実際、ふだんなら絶対書かないような音楽を、いい監督と出会ったために書かされたというか、書いてしまったこともあります。後になって、自分の変化がわかるんです。

シナリオを読んで発想が浮かぶことがあれば、最終段階までプランが決まらないこともある。映画音楽を作る体験は一本一本違った体験です。

楽譜はかなり細かいことまで書き表わせ、指示出来るとはいえ、やはり不完全なものです。だから最初の演奏にはできるだけ立ち会うように心がけています。初演の前のリハーサルの際に、作者として介入します。

僕は自分の音楽をよくわかってくれる人のために曲を書いています。例えば指揮者では小澤征爾や岩城宏之のために書く。ピアノ曲だとアメリカのピーター・ゼルキン、フルートなら誰々というふうに。室内楽のような小さい編成のものを書く時は、いつでも頭の中に演奏者の顔が浮かんでくるぐらい彼らと近い状態にあります。いわば彼らへの個人的な贈り物のつもりで曲を書いています。そういう人たちの演奏には介入しません。僕自身以上に僕を理解してくれているから。期待しながら演奏に耳を傾けます。

(映像から音を削る 武満徹 映画エッセイ集「ひとはいかにして作曲家となるか」項より 抜粋)

 

 

読みごたえのある本です。ぜひまるまる一冊手にとってほしいです。

また同じような内容は他の書籍などでも語られています。

「普通”音楽を入れろ”と言われます。しかし、そういう場面では音楽が入っていなくても、誰でも自然に心の中に美しい音楽が流れるのをきけます。そういう時には音楽は余計なものとなってしまいます。」

(武満徹著作集1より)

 

 

目次

第一章
映画界は滅びても”映画”は滅びない
ひきさかれた『女体』の傷は殺された牛よりもいたたましい──恩地日出夫への手紙
「青年プロダクション」に抗議する
ショスタコーヴィッチの逆さの肖像
子供番組と音楽
生活と仕事と生活
映画界は滅びても”映画”は滅びない──不況とは無関係な芸術性こそ問題
映画音楽
日録
清瀬保二と早坂文雄 〈日本〉と二人の作曲家

第二章
テキサスの空、ベルリンの壁
「シネ・ジャップ」によるインタヴュー
映画人
廃墟の音
テレヴィと聴衆
映画とその音響
ラジオの思想性
音とことばの多層性
私の受けた音楽教育
映画
”伝達のされ方”が分岐点
瀧口修造展に寄せて
『アレクサンダー大王』について
『オーケストラ・リハーサル』について
テキサスの空、ベルリンの壁──ヴィム・ヴェンダース
仲代達矢素描(スケッチ)
小林正樹と映画音楽

第三章
映画音楽 音を削る大切さ
タルコフスキーは最後までみずみずしい耳を持っていた
人間への眼を欠くヴィデオ時代の映画
仏映画に不思議な懐かしさ──『めぐり逢う朝』を観る
映画音楽 音を削る大切さ
「創造」としての蒐集(コレクション)
川喜多和子さんの突然の死
人間の「存在」について
私たちの耳は聞こえているか
地球の一体化と文化の多様性
感嘆した映画音楽祭
ひとはいかにして作曲家となるか
芥川也寸志と映画音楽
忘れられた音楽の自発性

編集あとがき 高崎俊夫

 

 

今回取り上げた文章たちは、そのほとんどの初出が1990年代に書かれたものです。時代を越えて映画に携わるプロたちの普遍的な映画論・映画音楽論というものが見え隠れしてきます。

ここからはスタジオジブリ作品、宮崎駿監督・高畑勲監督・鈴木敏夫プロデューサー、そして久石譲の語ったことを、幾多ある本やインタビューから少しだけご紹介します。

 

 

「アニメの世界は”虚構”の世界だが、その中心にあるのは”リアリズム”であらねばならないと私は思っている。ウソの世界であっても、いかにほんとうの世界とするかが大切だろう。言葉をかえるなら、みる人に「そういう世界もあるな」と思ってもらえるウソだ。たとえば、ムシからみたムシの世界を描くとする。それは人間が虫メガネでみた世界ではなく、草がすごい巨木となり、地面が平らではなくデコボコ、雨や水滴などの水の性質も人間が考えるものとはまったく異なってくる。こうして描けばおもしろい世界になり、ほんとうらしくなるだろう。アニメとは、そういう特性をもっており、しかも、それを絵にしてみせることができるすばらしさをもっているのである。」

(「出発点 1979~1996」/宮崎駿 著 より抜粋)

 

 

「ナウシカ」について言えばね、最初にイメージ。レコードっていうのを作ろうということで、久石さんていう人に頼んで作ってもらったんですね。そしたらなかなか面白い曲がその中に含まれていた。で、いろいろ経緯はあったんだけど、映画の音楽も久石さんにやってもらおうということになった時にね、その面白い曲が含まれていたものの、それがどういう風に使われるかということは何の関係もなく作られているわけですね。それは溜め録りと同じことなんでね、ある意味で言えば。それをどういう風に設計しようかっていうことで考えたわけです、あれはね。ま、あの場合三曲がテーマとして何度も使われているわけだけど。それを中心に据えてやっていくってことでね、むしろかえって上手くいったかもしれない。その、のっけからね、劇伴として「ここはこういう感じなんです、音楽入れてください」って書いてもらうよりね、その人が全力をあげて書いたものです。要するに久石譲という人にとって、映像に劇伴としてつけるんじゃなくて、原作を読んで想像力を駆使して、独立した音楽として聞かせるつもりで全力をあげて書いたもんでしょ? その魅力を全面的に発揮させるように後で音楽設計をする。一種の溜め録りですね。久石さんの初めに書かれた曲が全部良かったと別に思うわけじゃないけれど、その中で「これはイケル!」と思ったものがあった。それをどういう風に扱うか……要するに、曲はいいかもしれないけれど、使えないかもしれないですね。でしょ? 「ナウシカ」の場合でもそう思ったんですよ、実は。出来上がったものを聞いて「これとこれがイイ!面白い!……面白いんだけど、さて、どういう風に使えばいい?……久石さんの力は示してもらったけど、映画用にはやはり改めて書いてもらわないといかんかなあ?」ということを一時は思ったりした位で。だけど、いろいろ行きつ戻りつ考えて、ある所に落ち着いてね、で、出来上がってくると、もうそれしかなかった様に思えたりね(笑)、その、「感じ」っていうのは出て来るわけだからね。どれだけ聞かせてくれる音楽が書かれてるかであってさ、「いかにも劇伴でござい」っていう音楽は使い途がないんですよ、土台。」

(「映画を作りながら考えたこと」/高畑勲 著 より抜粋)

 

 

一方、久石・宮崎・高畑の間で解釈が異なり、議論で衝突したシーンもあった。まず、導入部の旅客船襲撃シーンについて、高畑は音楽なしを提案したが、久石は「入れたい」と希望。結局入れることに決まり、ギリギリの7月中旬に曲が書かれた。これとは逆に、ムスカがドームから軍の兵士を落下させる残酷なシーンについては、宮崎から「音楽を」と要請があったが、久石が「残酷さが強調された方が、シータとパズーの優しさや人間愛が胸を打つ」と音楽ナシを主張し、これが通った。ラピュタ崩壊シーンで流れる少女の合唱についても、高畑は「途中で止めるべき」、宮崎は「流し続けたい」と論議があったというが、高畑案が通ったようだ。

(「宮崎駿全書」/叶精二 著 より抜粋)

 

 

「映画監督にはそういうところがあるものですが、一番大事なシーンに音楽を挿れずに画だけで見せたがる。『となりのトトロ』でサツキがトトロに出逢う雨のシーンがそうでした。子どもはトトロの存在を信じてくれるけど、大人まで巻き込むにはどうしようかと考えて、あのバス停のシーンが重要だと。それなのに宮さんは「画だけで」と言って。それを聞いた久石さんも「ハイ」と答える。

そこで、トトロの横で『火垂るの墓』を制作中の高畑さんに相談。音楽にも久石さんのことも詳しい彼は「あそこには音楽があったほうがいいですよ。ミニマル・ミュージックがいい。久石さんの一番得意なものができる」とアドバイスしてくれました。その高畑さんが言ったことは内緒にして久石さんに頼みに行きました。「でもここは宮崎さんはいらないって言ったけど、そんなことしてイイの?」と言う久石さんに、僕は言いました。「宮さんは、いいものができれば気が付かないから」。そして作曲してもらった。ジブリで完成した曲を聞く日、宮さんは「あっ、いい曲だ!」と喜び、あの幻想的なシーンが完成しました。僕は思うんですけど、久石さんはそんな綱渡りの状態のほうが、かえって名曲を生み出してくれるんです。」

(鈴木敏夫 談)

Blog. 「オトナの!格言」 鈴木敏夫x久石譲x藤巻直哉 対談内容紹介 より抜粋)

 

 

「初めて高畑さんと久石さんが組んだ『かぐや姫の物語』でも、同じように音楽の直しの指示を幾度も入れていた。そして気がつかないうちに久石さんの創る音楽がどんどん高畑さんの表現したい世界に近づいて行くんです。その裏で、「久石さんという人は、これだけの人じゃない。もっと出せるはずだ。このまま世に出したら、悔いが残るに違いない」、こんなふうに話していました。」

(鈴木敏夫 談)

Blog. 「オトナの!格言」 鈴木敏夫x久石譲x藤巻直哉 対談内容紹介 より抜粋)

 

 

「生のストリングスなどを使って、アコースティックな音に仕上げたいと考えたんです。きれいな音をつけてあげたい。かわりに暴力シーンには音楽はいらない。主人公と奥さんの関係、そして銃で撃たれて車椅子生活をおくっている主人公の同僚、その2つの関係を中心に音楽をつくっていこうと。全体的にあまりムーディーにならないようには心がけました。本当のメインテーマは最後の方に出てくる。音を抜くときいは思いっきり抜くことで次第に、後半に行くに従って情感が増してくるんです。この作品に限らず、沈黙をつくるのも、映画音楽の大事な仕事です」

Blog. 「ゾラ ZOLA 1998年2月号」 久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 

 

「久石さんは少しおおげさにおっしゃっています(笑)。でも主人公の悲しみに悲しい音楽というのではなく、観客がどうなるのかと心配しながら観みていく、その気持ちに寄り添ってくれるような音楽がほしいと。久石さんならやっていただけるなと思ったのは『悪人』(李相日監督)の音楽を聴いたからです。本当に感心したんですよ。見事に運命を見守る音楽だったので。」

(高畑勲 談)

「日本の映画で言ったら「野良犬」のラストが典型的ですよね。刑事と犯人が新興住宅地の泥沼で殴り合っている時に、ピアノを弾いている音が聞こえてくる。当時ピアノを持っている家はブルジョワなわけで、若奥さんが弾いている外の泥沼で刑事と犯人が殴り合いをすることで、二人とも時代に取り残されている戦争の被害者だということが浮き彫りになる。天上の音楽を悩みのないものとして描くのも同じアプローチの対比ですよね。」

(久石譲 談)

「自分にとって代表作になったということです。作る過程で個人としても課題を課すわけです。これまでフルオーケストラによるアプローチをずいぶんしてきたのが、今年に入って台詞と同居しながら音楽が邪魔にならないためにはどうしたらいいかを模索していて、それがやっと形になりました。」

(久石譲 談)

Blog. 久石譲 「かぐや姫の物語」 インタビュー ロマンアルバムより 抜粋)

 

 

「それまでの僕のやり方は、もう少し音楽が主張していたと思います。それに対して、『かぐや姫』以降は、主張の仕方を極力抑えるようになりました。音楽は観客が自然に映画の中に入っていって感動するのをサポートするぐらいでいい。そう考えるようになったのです。ただし、それは音楽を減らすという意味ではありません。『かぐや姫』では引いていながらも、じつはかなりたくさんの音楽を使っています。高畑さん自身、「こんなに音楽を付けるのは初めてです」とおっしゃっていたほどです。

矛盾するようですが、僕は映画音楽にもある種の作家性みたいなものが残っていて、映像と音楽が少し対立していたほうがいいと思うんです。映像と音楽がそれぞれあって、もうひとつ先の別の世界まで連れて行ってくれる──そういうあり方が映画音楽の理想なんじゃないでしょうか。そういう僕の考えを尊重してくれたのは、高畑さん自身が音楽を愛し、音楽への造詣がものすごく深い方だったからかもしれません。」

Blog. 「ジブリの教科書 19 かぐや姫の物語」 久石譲 インタビュー内容紹介 より抜粋)

 

 

「基本的に、映画音楽って音楽を状況につけるか心情につけるかのどちらかです。でも、今回はそのどちらもやっていません。主人公の気持ちを説明する気も全然なかったし、海で起こる状況にもつけなかった。すべてから距離をとる方法をとっているんです。やっぱり、音楽が映画と共存するためには、そういう考え方を持っていないと、劇の伴奏のようになってしまってつまらなくなります。走ったら速い音楽、泣いたら哀しい音楽なんて、効果音の延長のようじゃないですか。」

Blog. 「海獣の子供 公式ビジュアルストーリーBook」 久石譲インタビュー内容 より抜粋)

 

 

「今なんか、もうこういう電気機材がすごい発達してるから、もういくらでも細かくやってほとんど音楽がハリウッドでもそうですけど効果音楽になっちゃってるからね、効果音の延長になっちゃってるからね。そのてのつまんないものはね、やっても仕方がないんで。自分が想像してる以上に、世界はソーシャルメディアで変革されてきすぎっちゃってるんですね。そういうなかで結局、映画という表現媒体のなかで、アニメーションというものが持ってるものと、例えばゲームとかね、そういうものが持ってる力を、もう過小評価してはやっていけないだろうと。表現媒体に対する制作陣が昔のイメージで凝り固まって、作品とはこんなもんだっていうことで作っていくやり方が、もう時代に合わない。やはりアニメーションというのはある種の可能性があるわけだから、それをもっと若い世代の人とやっていく、あるいはその時に自分も今までの音楽のスタイルではないスタイルで臨む、今回みたいにミニマルで徹するとかね。そういう方法で新しい出会いがあるならば、これは続けていったほうがいいなあ、そういうふうに思います。」

Info. 2019/06/14 映画『海獣の子供』久石譲メイキングインタビュー 動画公開 より抜粋)

 

 

 

時代もジャンルも異なる映画の世界のなかで、それぞれのプロフェッショナルの思考や信念を交錯させながら、自分なりに考えてみることはとてもおもしろいことです。久石譲も、その時代ごとにその作品ごとに、アプローチも語ってきたことも変化しています。一方では、一貫して変わらないスタンスというものも見えてきます。

ここでは、武満徹の言葉たちに共鳴する部分を主にピックアップしながら、久石譲の言葉たちは、わりと直近のものからご紹介しました。これまでの久石譲著書や久石譲インタビュー内容からは、もっと多くのことがより具体的につかむことができると思います。ぜひ手にとってみてください。

 

ウソとマコト I で伝えたかったこと、それは《映画は音楽によって真実に近づく》です。なぞるような音楽、効果音のような音楽、煽るような音楽、いろいろな映画音楽の問題も抱えながら、ひとつの作品としっかり向き合いながら監督や作曲家が、観客に真実を伝えるためのアプローチ。ウソの世界をマコトの世界にするために、音楽は映画にとって必要なもの。

逆に、《◇◇は音楽によって真実から遠ざかる》、このことは ウソとマコト II で掘り下げていきたいと思います。

それではまた。

 

reverb.
武満徹さんは新しい作品を書くときに、いつもバッハのマタイ受難曲を聴いてから取りかかったそうです。一種禊のような──と書籍にありました。

 

 

*「Overtone」は直接的には久石譲情報ではないけれど、《関連する・つながる》かもしれない、もっと広い範囲のお話をしたいと、別部屋で掲載しています。Overtone [back number] 

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Disc. 『二ノ国』ブルーレイ プレミアム・エディション

2020年1月8日 DVD/Blu-ray発売

 

2019年公開映画『二ノ国』
監督:百瀬義行
製作総指揮・原案・脚本:日野晃博
音楽:久石譲

 

日本を代表するドリームメーカーが集結!新たな青春ファンタジーの傑作、ここに誕生!

現実と隣り合わせなのに全く違う“もう1つの魔法の世界”――二ノ国。高校生のユウと親友ハルは、幼なじみのコトナを巡る事件をきっかけに、2つの世界を行き来することに・・・。この美しく不思議な世界で、2人はコトナにそっくりなアーシャ姫と出会う。どうやら二ノ国には、一ノ国と命が繋がっている“もう1人の自分”がいるらしい。現実と二ノ国、2つの世界で大切な人に命の危険が迫るとき、ユウとハルに突きつけられる”究極の選択”。彼らが最後に選んだものとは――。

【キャスト】
ユウ:山﨑賢人
ハル:新田真剣佑
コトナ・アーシャ姫:永野芽郁
ヨキ:宮野真守
サキ・ヴェルサ:坂本真綾
ダンパ:梶裕貴
ガバラス:津田健次郎
バルトン:山寺宏一
フランダー王:伊武雅刀
お爺さん:ムロツヨシ

 

 

<プレミアム・エディション/封入特典>
◆百瀬監督による描き下ろしアウターケース
◆完成台本(172P)
◆特製ブックレット(40P)

本編ブルーレイディスク+映像特典ブルーレイディスク(2枚組)

<プレミアム・エディション/映像特典> 約140分
◆撮り下ろし!声優ドリームチーム プレミアム座談会
◆アフレコ&インタビュー映像集
◆Making of Soundtrack by 久石譲
◆イベント映像集(製作&主演発表会見/アニメジャパン/ジャパンプレミア/声優登壇試写イベント/公開記念舞台挨拶)
◆主題歌:須田景凪「MOIL」-映画版- MV
◆公開記念特番 ~豪華キャスト大集合!『二ノ国』ジャパンプレミア密着SP!~
◆プロモーション映像集(キャラクター動画集/1分で分かる『二ノ国』/予告編・TVスポット集)

 

 

映像特典ディスク収録「Making of Soundtrack by 久石譲」について。

インタビューとレコーディング風景をまじえた約11分の映像。インタビューに関しては映画公開当時にいくつかの媒体で掲載されている内容と同旨となっている。そのことはすでに紹介しているので内容ふくめてご参照ください。

 

 

レコーディング風景は、演奏の細かい指示がわかったり、オーケストラの編成も見えるのでとても貴重な記録といえる。録音を垣間見ることができたのは以下の3楽曲。

13.空のランデブー
「頭のフルートとクラリネット、ちょっと抑えよう。mfってなってるけどmpぐらいにしてもらって。8小節目からはmfにしてもらってかまわない」(久石)

「ヴィオラのメロディ少し大きくしてくれる。そうすると太くなる。そうすると上(ヴァイオリン)がのっかって豊かになる」(久石)

33.決着のとき
サウンドトラック盤同様に冒頭からシンセサイザーの音も聴かれたけれど、これは映像の編集で音を重ねたものではないかと思われる。録音時にシンセサイザーパートは、少なくとも奏者には同時に流れていないのではないかと思う。

16.仕組まれた入場
「テンポがあがった分だけザン・ザンを短めにしてもらって」(久石)

おそらくこれは、「8.エスタバニア城」と同じモチーフの曲なので、続けて録音したかどうかはわからないが、それと比較してテンポが早くなっているから、という演奏の指示だと思う。

 

このように、全楽曲とはいかないけれど、作曲家として久石譲が楽曲ごとにポイントをおいている箇所や、明確な意図やイメージをもった細かい指示を垣間見ることができるのは、レコーディング風景映像ならでは。上の3楽曲だけでも、久石譲がレコーディング時にオーダーした内容を思い浮かべながら、あらためて聴きなおしてみるのもおもしろい。

 

 

 

 

なお、発売記念として「Making of Soundtrack by 久石譲」の冒頭2分間が1月8日に公開されている。

 

BD/DVD/デジタル【映像特典】『二ノ国』2020.1.8ブルーレイ&DVDリリース、デジタル先行配信中

from  ワーナー ブラザース 公式チャンネル YouTube

 

 

同時発売「二ノ国 ブルーレイ(1枚組)」「二ノ国 DVD(1枚組)」には収録されていない。

 

 

 

Blog. 「久石譲 ジルベスターコンサート 2019 in festival hall」 コンサート・パンフレットより

Posted on 2020/01/02

2019年大晦日「久石譲 ジルベスターコンサート 2019 in festival hall」が開催されました。2014年から6年連続になります。

今回のプログラムはまさにアメリカン・プログラム。アメリカ合衆国の音楽史をたどるような、アメリカの作曲家、アメリカで生まれた音楽、アメリカの歴史とともに演奏されてきた作品たち。そして、久石譲の音楽とも共鳴しあうような作品たちが選ばれています。 “Blog. 「久石譲 ジルベスターコンサート 2019 in festival hall」 コンサート・パンフレットより” の続きを読む

Info. 2019/12/28 「ABU ソングフェスティバル in TOKYO」NHK総合 放送決定 【12/31 Update!!】

Posted on 2019/12/13

11月19日開催、アジア太平洋地域の歌の祭典【ABU ソングフェスティバル in TOKYO】のTV放送予定が決定しました。

【ABU ソングフェスティバル in TOKYO】では、10近くの国のトップアーティストが一堂に会し、国際色豊かな楽曲を披露。視聴可能人口20億人超となるこの大型音楽番組の司会を務めるのは、NHKワールドJAPANで放送中の『SONGS OF TOKYO』のホストを務める村上信五。 “Info. 2019/12/28 「ABU ソングフェスティバル in TOKYO」NHK総合 放送決定 【12/31 Update!!】” の続きを読む

Info. 2020/03/11 「魔女の宅急便」「紅の豚」イメージアルバム・サウンドトラック アナログ盤 発売決定

Posted on 2019/12/26

STUDIO GHIBLI「魔女の宅急便」「紅の豚」のイメージ・アルバム、サントラがアナログ化決定!

2018年11月3日の『レコードの日』に発売された「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」のLPは、発売当時のまま完全復刻し、大好評を博したのも記憶に新しいが、今回はLPでは発売されていなかった「魔女の宅急便※」「紅の豚」の2作品のイメージアルバム、サウンドトラックに、あらたにマスタリングを施し、ジャケットも新しい絵柄にして発売される。ジャケットの美しさ、アナログならではの音の豊かさを楽しめるラインナップだ。 “Info. 2020/03/11 「魔女の宅急便」「紅の豚」イメージアルバム・サウンドトラック アナログ盤 発売決定” の続きを読む

Info. 2019/12/20 [雑誌] 「レコード芸術 2020年1月号」久石譲インタビュー掲載

「レコード芸術 2020年1月号」(2019年12月20日発売)に久石譲インタビューが掲載されます。また、12月10日【2019年度 第57回 レコード・アカデミー賞】特別部門 特別賞受賞『ベートーヴェン:交響曲全集/久石譲指揮、フューチャー・オーケストラ・クラシックス」と発表されたばかりです。本号の特集にもなっています。 “Info. 2019/12/20 [雑誌] 「レコード芸術 2020年1月号」久石譲インタビュー掲載” の続きを読む

Blog. 「レコード芸術 2019年10月号」久石譲指揮 ベートーヴェン交響曲全集 Viewpoints 内容

Posted on 2019/12/12

クラシック音楽誌「レコード芸術 2019年10月号 Vol.68 No.829」に、『ベートーヴェン:交響曲全集/久石譲指揮 フューチャー・オーケストラ・クラシックス』が5ページに渡って取り上げられました。楽しむためのポイントや聴きどころなど、わかりやすく、そしてたっぷりと語られています。久石譲本人ではないクラシック通な専門家による視点という点でもとても貴重です。

「Viewpoints」連載は、毎号ホストの満津岡信育さんをホストに、ゲストを迎え、主にひとつのディスクを取り上げて深く掘り下げ語りつくす、そんなコーナーです。

 

 

Viewpoints ー 旬の音盤ためつすがめつ 34 連載

ホスト:満津岡信育
今回のゲスト:矢澤孝樹

今月のテーマ・ディスク
ベートーヴェン/交響曲全集
久石譲指揮 フューチャー・オーケストラ・クラシックス
〈録音:2016年~2018年〉
[EXTON (D) OVCL00700 (5枚組)]

 

① 猛烈に楽しい!! 血湧き肉躍るベートーヴェン

肝は”リズム”!その快感にひたすら前進!

満津岡:
今日は、久石譲が指揮したベートーヴェンの交響曲全集を取り上げます。今まで単売されてきたCDですが、交響曲全集の完結編にあたる第4番&第6番のリリースに合わせてボックス化された形ですね。演奏団体は、録音された時点では「ナガノ・チェンバー・オーケストラ」という名称でしたが、資金的な問題もあって、今後は「フューチャー・オーケストラ・クラシックス」という名称で活動していくことになり、全集もこの名義になっています。私は本誌の交響曲の月評担当なので、一枚ずつ聴いてきたのですが、とにかくどれもとても刺激的な演奏だと思いました。

矢澤:
同感です。7月18日、紀尾井ホールで第5番と第7番を初めてライヴで聴き、瞠目しました。とにかく、猛烈に楽しかった(笑)。誤解を恐れずに言うなら、エンタテインメントとしての、活劇映画的ベートーヴェン、という印象でした。

満津岡:
コンサート、私も行きましたが、確かにとても楽しいコンサートでした。ほぼ全員が立奏していて、クルレンツィスとムジカ・エテルナかと思いましたよ(笑)。しかも客席には女性が多く、かつ客層も若かった。

矢澤:
以前の写真は座って弾いていますから、立奏に関してクルレンツィスの影響はある気がしますね。さきほど活劇映画的、と申し上げましたが、いわばハリウッド映画やジブリのアニメ映画のように、次から次へとカタルシスが連続し、指揮者が面白いと感じる箇所にくれば「今、ここが面白いぞ!」と強調し最後まで飽きさせない。客層の違いはこの点にも起因している気がします。また彼らは「ベートーヴェンは、ロックだ!」というキャッチ・コピーを掲げていますが、ロックといっても意味するところはいろいろあるものの、ここでは、「このベートーヴェンの肝は”リズム”であり、その快感に正直に、ひたすら前進する音楽である」だと思います。紀尾井ホールの演奏ではそれを心底実感しましたが、全集ボックスを聴き、改めて久石さんの意図を再確認できました。

満津岡:
小編成のモダン・オーケストラでのベートーヴェンは、スタイルとしては、もはや一つのパターンとして確立されているといってもいいと思うんです。しかしこの久石さんのベートーヴェンの場合、いわゆるHIPなどの「ピリオド的成果」も踏まえてはいるけれども、その「スタイル」を借りようといった意識は全くないように思います。

矢澤:
あくまで「手段」ですね。

 

「リズムの繰り返し」でここまで面白く出来る!

満津岡:
久石さんは、作曲家として、「リズム」をとても大切にしていると話していて、同時に「自分はミニマリストだ」とも語っています。私は、この2つが、今回のベートーヴェンの重要な切り口だと思います。

矢澤:
同感です。

満津岡:
まず「リズム」についてですが、ベートーヴェンの交響曲は「リズム・パターン」がしっかりしているので、強弱や緩急というより「リズムの繰り返し」で面白くできることを久石さんはよく承知していて、かつ、そこを徹底的に突き詰めることで、新鮮な感覚があふれ出ています。

矢澤:
それについて久石さん自身が、ライナー・ノーツの中で、面白いことを書かれていますね。映画音楽ではセリフも音楽も両方聴かせるために、メゾフォルテやメゾピアノを重視する。しかし、ベートーヴェンの音楽はフォルティッシモやピアニッシモ、スフォルツァンドが特徴的で、中間の曖昧さがない、と。つまり、「ロマン的」でなく、音の運動、「構造」としてのベートーヴェンに迫ろうという意識がある。こうしたアプローチはHIP系ではもちろん多々あり、アーノンクールもノリントンも、ロマン派的「神話」を音楽から引き剥がし、「構造」から見直した。久石さんの姿勢もそこにシンクロしますが、久石さんの場合はご自身が作曲家として感じる「ベートーヴェンの”リズム”の面白さ」を、いわば「久石流」にオーケストラに反映させることに主眼が置かれている。

満津岡:
まさに。この”リズム”の強調は、彼のベートーヴェンの最大の特徴でしょう。

 

そして「ミニマル」は「ドラマ」と相性がいい!

満津岡:
もう一つのキーワードの「ミニマル」についてはどう思われますか。

矢澤:
同じ「ミニマル」といっても、70年代までのライヒやテリー・ライリーらのミニマルと、80年代以降の世代、つまりジョン・アダムズやマイケル・ナイマンらのそれは違いますよね。70年代は、漸次的変化のプロセス自体に焦点が当たっていた。けれども80年代以降は、明らかに「ドラマ構築手段としてのミニマル」になっている。

満津岡:
まさに。

矢澤:
ナイマンの音楽は、ピーター・グリーナウェイ監督の映画で有名になりました。『ZOO』など観るとわかりますが、反復セクションが突然切り替わる手法が、映画のドラマトゥルギーとうまくかみ合っている。グラスもライヒも80年代以降どんどんドラマティックになっていきますね。ミニマルは、ドラマトゥルギーと相性がいいことが「発見」されてしまった。久石さんは、非常に美しい旋律を創る映画音楽作曲家であり、同時にミニマルの手法に長けた現代音楽の作曲家でもある。メロディ・メーカーにしてミニマリスト、最強です。よって指揮者としては、印象的な旋律が多いベートーヴェンの音楽に内在するミニマルなパワーをリズムによって駆動させ、ドラマティックに表現することでオーケストラを乗せ、かつ聴衆を魅せる。

満津岡:
そういった特徴は、やはりすごく感じますよね。

矢澤:
このアプローチが、第5番や第7番といった元々パワフルな作品で発動するのは納得ですが、《田園》のような「美メロ」曲でも、違った形で生かされるのが面白かった。聴いていて「《田園》って久石さんの曲だっけ?(笑)」「これは《菊次郎の夏》?」「まさかの《ソナチネ》?」みたいな(笑)、そんな感じがそこここに。「美メロミニマル」ですよ。

満津岡:
ベートーヴェンでそういう感想が出てくるのがそもそも凄いですよね(笑)。確かに《田園》でも、リズム・パターンの繰り返しがとても効果的に使われています。私は、最初に第3番を聴いた時に、第3番では、第2楽章のテンポが速過ぎて、全体的に軽い感じがしたこともあって最終的には準推薦をつけたのですが、今回全集のブックレットに、久石さんのロング・インタヴューが掲載されていて、葬送行進曲に言及して、「でも棺おけを担いで、そんな遅いテンポで歩けますか?」という一節があって、なるほどそういう発想かと感服しました。

矢澤:
それも「映画的」、「物語的」な発想ですよね。伝統的”クラシック思考”の虚をつくというか。

満津岡:
ええ、正直驚きます。

矢澤:
告白するなら私は登場当時、少し色眼鏡で見ていたのです。でも聴くにつれて「あ、これは面白いぞ」と思い始めました。満津岡さんが例に挙げられた第3番で言うなら、終楽章の変奏曲で、ヴァイオリン・ソロになる部分がありますよね。

満津岡:
ジンマンが挑戦的にやり始めてから、やる人が出てきた箇所ですね。

矢澤:
そういう新しい解釈も、ちゃんと取り入れている。

満津岡:
インタヴューでも、以前はブライトコプフ版で振っていたけれども今回はベーレンライターの新版に準拠してスコアを読み直したと話しています。つまり独自の勝手なイメージで演奏しているのではなく、ベートーヴェン演奏史の様々な手法を知った上で、「自身のベートーヴェン」を表現しているんですね。

矢澤:
映画的、物語的な発想を、熱意ある研究で支えている。久石さんは、ピリオド楽器演奏のスタイルや版問題、あるいはノリントンが提起したメトロノーム問題などに関しても、参照して咀嚼し、使いこなしている。得た情報を「モダン」「HIP」といった枠内ではなく、「自分の表現のための手段」として用いている。

満津岡:
よく「なんちゃってピリオド」なんて揶揄されるように、現代は、室内オーケストラでヴィブラートを抑えてベーレンライター版を使えばそれがある種の免罪符のように思われるところもある気がしますが、久石さんと彼のオーケストラには、そうしたスタイルへの依存とは無縁の、彼ら独自のベートーヴェンがしっかりとある。

矢澤:
一方でこうしたハイブリッド演奏は、もしかしたら「軽い」と評されるかもしれません。しかしその「軽さ」を、様々な演奏の潮流を柔軟に受け入れる軽やかさと肯定的にとらえたい。そこで私が思い当たるのはクルレンツィスです。

満津岡:
意外な名前が出てきますね。

 

②「伝統の呪縛」から離れた場所で

もしやこれは? のクール・ジャパン

矢澤:
クルレンツィス、近々、ベートーヴェンの交響曲集をリリースするそうですね。きっとすごいことになるのでしょうけれども、今回、久石のベートーヴェンを聴いて、クルレンツィスは──これまでの演奏を聴く限り──やはりヨーロッパの「伝統」を背負った指揮者だと感じました。伝統との戦いが、やはり確実にある。

満津岡:
それはあると思います。「伝統」あっての「革新」ですから。

矢澤:
けれど久石さんの音楽には、そうした軛(くびき)から切り離され存在している。これはもしかしたら「今の日本」だからかもしれない。様々な情報がフラットに飛び込む一方、伝統の呪縛もしがらみもない。どこまでも「自身の考え」で対象と対峙できる。

満津岡:
なるほど。

矢澤:もしかしてこれこそ「官製のお仕着せ」でない「クール・ジャパン」かな、と思ったりもします。話は飛びますが、最近、大英博物館で日本の漫画展が行われました。画期的な漫画展で、公式図録の表紙は野田サトルの『ゴールデンカムイ』。日露戦争直後の北海道を舞台に、生き残りの兵士たちとアイヌの人々が繰り広げる冒険活劇です。ヒロインであるアイヌの女の子が図録の表紙を飾っている。この漫画ではアイヌや北方少数民族の文化が入念に描かれていますが、日本における民族の多様性を描く漫画が、英国の博物館にちゃんと評価されているわけですね。また図録を観るとセレクションが秀逸で、中村光『聖☆おにいさん』も一話まるまる載っている。イエスとブッダが、日本の立川でヴァカンスを楽しむ話ですから、普通に考えてヨーロッパの人たちには衝撃でしょう(笑)。こんな漫画は、日本でなければ絶対に考えられない。でも、私はクリスチャンですが、あの漫画はOKです。異なる宗教が仲良く共存している、今の世界の現状を考えればこれって理想郷ですよね。私は、久石さんのベートーヴェンにも、こうした作品と共通する、特定のイデオロギーに呪縛されない柔軟な寛容性と、それを信ずる意志の強さがあると感じます。

満津岡:
久石さん自身も、この演奏を日本だけではなく世界に発信していきたいと言っていますからね。世界でどう受け取られるか、私もすごく興味があります。

矢澤:
日本では、本誌の月評で満津岡や金子建志さんが高く評価されたことが、すごく重要だったと思います。普通に考えれば「重々しさがない」「精神性が足りない」「これはベートーヴェンじゃない」とかいって簡単に切って捨てられる危険性も十分にあった。でも軒並み「特選」ですから!

満津岡:
日本は、どうしてもクラシック音楽の聴き方として保守的な面がありますからね。

矢澤:
ヨーロッパの人々が、久石さんのベートーヴェンをどう感じるか。『聖☆おにいさん』じゃないけど、世界が「日本でないと考えられないものが出てきたね。これこそクール・ジャパンじゃない?」と言ってくれたら愉快ですね。

 

ロック・バンドの重い戦いと、楽し気なポップ・バンド

満津岡:
私がふと思ったのは、久石さんと彼のオーケストラは、立ち位置としては、パーヴォ・ヤルヴィ&ドイツカンマー・フィルのベートーヴェンに近いものがあるかもしれないということです。つまり、ベートーヴェンの精神性に迫る方向というより、音そのものを純粋に楽しむ姿勢があるように感じます。ベートーヴェンは面白い、現代にも通じるものがありますと、そいいう方向性でしょうか。ロックにも通じているパーヴォはN響の首席指揮者就任時の記者会見で「日本の人たちに、どうやってクラシック音楽の魅力をアピールしますか?」という質問に「クラシックはすごく面白いんですよ。それを演奏を通して表現していきたい」と答えていました。久石さんも、基本的にはそういう立ち位置ではないかと思います。紀尾井での聴衆の若さが、それを証明しているようにも思います。

矢澤:
同感ですね。しかし、もしかしたら、パーヴォ・ヤルヴィ以上に自由かもしれません。久石さんと彼のオーケストラには、現代の「ポップ・バンド」的な精神を感じるのですよ。「ロック・バンド」じゃないの? と言われそうですが、現在はロックよりもポップの方が自由だと思っていまして。というのも、ロックは今や長い歴史を刻み、様々な重みを背負ってしまっている。むしろポップの方がのびのび自由にやっている。レディオヘッドよりもエド・シーランの方が楽し気に自由に(笑)。もちろん優劣の問題ではないですが。

満津岡:
なるほど、面白い考え方ですね。

矢澤:
で、やはりクルレンツィスとムジカ・エテルナは「ロック・バンド」なんですよ。クルレンツィスはロックです。しんどいほど「重い戦い」をしている。レディオヘッドと同じで、それが尊いのですが。ですから、久石さんの解が唯一である、と言うつもりはもちろんありません。重い戦いも、「ロック」も必要なんですよ。

満津岡:
パーヴォとドイツカンマーには、映像によるベートーヴェンの交響曲全集がありますが、ロック・バンドよりは、ポップ・バンド寄りかもしれません。

 

③ ベートーヴェンの”精神性”って?

ロックのリフのような《第九》での伴奏音型

矢澤:
となるとベートーヴェンにおいてはどうしても、「精神性」という厄介な問題と向かい合う必要が出てくる。フルトヴェングラーやクレンペラーのベートーヴェンに対し、久石さんがこの点にどう向かい合われているか? 例えば《第九》では、この軽薄な私ですら(笑)、久石さんたちのアプローチで完全に汲み尽くせない何かがあるように感じたりもします。

満津岡:
いや、私は逆に、一つの可能性を突き詰めた表現として、あの《第九》はありだと思いました。実はたまたま同じ月の月評にアントニーニとバーゼル室内管の《第九》も出たのですが、なんと久石さんの《第九》、あのアントニーニよりも演奏時間が短い!

矢澤:
それは史上最速級ですね(笑)。

満津岡:
しかも、本来重々しく処理される伴奏音型も、ほとんどロックのリフのような感じです。私は非常に面白く聴いて、なるほどなと。これはこれでありだと思いました。

矢澤:
もちろん、彼らの手法が極限的に突き詰められているのは確かですね。

満津岡:
第3楽章も、テンポは速いけれど歌心はとても感じられるし、ヴァイオリンの装飾的な音型が、あのテンポで演奏されるとふわふわ漂っているような感じで気持ちがいい。

矢澤:
《田園》同様、「美メロミニマル」かもしれません。そうおっしゃっていただくと、私はまだ《第九》神話に囚われているのかも(笑)。聴き直してみよう。

満津岡:
こんな手もあるのかということが随所にあって、非常に感心しました。それにしても、矢澤さんは先ほどクール・ジャパンだとおっしゃったけれど、日本からこうした演奏史上前例のないベートーヴェンの交響曲全集が出てきたのは、やはりすごく意義があると思います。

矢澤:
日本はもちろん、世界的に見ても、かつてない全集でしょう。

満津岡:
先月、古典四重奏団によるショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲全集でもやはり世界でも類例がない、かつ日本でしか生まれえないのではという話が出てきました。久石さんのベートーヴェンにも同様のことが言えると思います。

矢澤:
あのショスタコーヴィチ、私も自筆譜を演奏と共にたどるような感銘がありました。あるいは、ラ・フォンテヴェルデのモンテヴェルディ、そしてこの久石さんのベートーヴェン……近年の日本人による「全集」、それぞれに異なりますが、かつて振りかざされた「精神性」とは異なる意味と価値を持つ録音が増えているようにも思います。

 

痛快極まりない!出色の第8番

ーところで、オーケストラは常設ではありませんが、アンサンブル等の技術面についてはいかがですか。

満津岡:
基本的に一発録りなので、アンサンブルとして多少傷があるのは仕方がないところ。しかし、在京オケのトップ・クラスのメンバーが集まっていますから、技術的には極めて高いのは間違いありません。しかも、すでにベースとしてピリオド的な手法が個々のプレイヤーに浸透しているので、久石さんの下でリズムを重視したベートーヴェンをやろうとなった時に、彼らが個々に蓄えてきたピリオド的なノウハウがうまく活かされているように思うんです。ライナー・ノーツにも「ヴィブラートはやめようという話はなかった」と書かれていますが、言わずともそうなるということですね。

矢澤:
先程お話に出た「なんちゃってピリオド」時代も、一種デトックスとして必要で、それによって育まれた土壌があるということなのでしょうね。その意味で久石さんのベートーヴェンは、時機を得ての登場だったかもしれません。

ー特に印象的だったのはどの交響曲でしょう。

矢澤:
どれも面白かったのですが、特に私は第8番が面白かった。一種古典帰りの作品ですが、従来の「精神的」ベートーヴェン路線では扱いが難しい。その後のアーノンクールやブリュッヘンの演奏は、古典回帰と見せかけたアヴァン・ギャルドだと証明しました。それが久石さんたちの演奏では一巡りして、ノリの良い面白い曲だとストレートに楽しめる。こういう第8番はあまりなかったのでは。強いて言うならシャイーが近いかな。

満津岡:
私も第8番はすごく面白かった。昔はベートーヴェンの中では少し軽く見られていた交響曲でしたが、場面転換が鮮やかで、上質なスラップスティック・コメディのような感じがありますね。

矢澤:
確かに。終楽章なんて、実に痛快で。

満津岡:
もちろん、他の交響曲も質が高い。

矢澤:
第7番の、おそらく久石さんのベートーヴェンでベースになる曲ですね。「リズムの権化」なわけですから。演奏も象徴的だと思います。

満津岡:
第7番の解説では「第7番は、ベートーヴェンがキー設定を間違えたと思っています」とも言っていますよね。こんなこと、考えたこともなかったですよ。

矢澤:
ベートーヴェン崇拝者にしてみれば「何てことを言うんだ」と怒ってしまうような話ですが、言ってしまえる強さ(笑)。

満津岡:
しかも、作曲家の目から見て、きちんと理由も挙げていますしね。

矢澤:
その確信が演奏に説得力を与えていますね。私はこの全集を、レコ芸読者の方々がどう聴くか、とても楽しみです。ぜひ、まっさらな気持ちで、聴いてみていただきたいですね。私も《第九》をもう一度虚心坦懐に聴きます(笑)。

満津岡:
今日はありがとうございました。

(レコード芸術 2019年10月号 Vol.68 No.829 より)

 

 

 

 

Blog. 「海獣の子供 公式ビジュアルストーリーBook」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2019/12/11

2019年公開映画『海獣の子供』、関連書籍「海獣の子供 公式ビジュアルストーリーBook」に収載された久石譲インタビューです。なお、「海獣の子供 劇場用パンフレット」にも同内容が収められています。

 

 

音楽 久石譲 『海獣の子供』に纏わる第十一の証言

音色がカラフルに飛び込んでくるように

ぼくにとっては、高畑勲監督の『かぐや姫の物語』以来6年ぶりのアニメーション映画となります。アニメーションというと、ぼくの中では宮崎駿さん、高畑勲さんの存在が大きくて、なかなか気持ちが動かなかったところもあり、極力、依頼をお断りしていたんです。でも、この作品に関しては、ずいぶん前からお誘いをいただいていて、その熱心な声に打たれましたし、映像を拝見したらとても絵が美しい。余計なこだわりに振り回されることもなく、作品に向きあうことができました。

本質的にはいい意味でのファンタジーなんじゃないかなと思います。ストーリーだけを追うと、抽象的なところが多くて、正直、よくわからない。逆に、理解できないからこそ引き受けた部分があるといいますか。先の展開が容易に見える作品ではないからおもしろく観えましたし、一方で考えさせられる部分もたくさんあって、こちらの入り込む余地が十分ありました。そのあたりも今回、作曲の大きなモチベーションになっていますね。

スタイルとしては、徹底的にミニマル・ミュージックで通しています。一昨年からのNHKのドキュメンタリー(『シリーズ ディープ・オーシャン』)や去年、プラネタリウム(コニカミノルタプラネタリア TOKYO)の音楽を書いた頃から「この作品はミニマルでいける」と思ったら、ミニマルでブレずに書くようにしているんです。映画音楽では、メロディがあって、ハーモニーがあって、リズムがあるという手法が通常なんですけど、そういうスタイルから離れてもっとミニマル作曲家として先をいきたかったんです。ミニマルは変化が乏しくなってしまう可能性がありますけれど、多少コミカルに、エモーショナルになってもスタイルを変えずに最後までできたという点で、個人的にはとても満足しています。

シンセサイザーも使っていますが、そんなに分厚くしていない室内楽の形をとりつつ、それでいてしっかり鳴る方法をとっています。ハープや鍵盤楽器の響きを大事にしているところを含めて、最近の自分のやり方を通している感じですね。音色がカラフルに飛び込んでいくようになっているといいなって思っています。

基本的に、映画音楽って音楽を状況につけるか心情につけるかのどちらかです。でも、今回はそのどちらもやっていません。主人公の気持ちを説明する気も全然なかったし、海で起こる状況にもつけなかった。すべてから距離をとる方法をとっているんです。やっぱり、音楽が映画と共存するためには、そういう考え方を持っていないと、劇の伴奏のようになってしまってつまらなくなります。走ったら速い音楽、泣いたら哀しい音楽なんて、効果音の延長のようじゃないですか。

 

イマジネーションを駆り立てる作品

実は、作曲期間はすごく短くて、仕上げまでに3週間ほどしかありませんでした。2月にヨーロッパ・ツアーがありましたから、実際に作曲をしたのは昨年末から1月にかけて。アニメーションは実写に比べて倍以上の時間がかかりますから、時間的に難しいかなと恐れていたんですが、想像以上に順調にいって、1月中に録音を、ツアーから戻った3月にトラックダウンを済ますことができました。

今回は映画として一個の独立したいい作品に仕上がっていると思います。ひと言では言い表せないおもしろさがありますよね。観る人のイマジネーションをきちんと駆り立てるし、そういうアンテナを立てている人ほどおもしろく観られます。観るたびに徐々に感情が開放されていって、出会えてよかったという気持ちになっていくのではないかな。そういう作品だからこそ、音楽的にもほかにはないような、かなりチャレンジングなことをやっています。自分がベーシックな部分でミニマリストであることはよくわかっていますし、その大事にしているものを今いちばんやりたいやり方でやりきりました。きちんと表現できる場でやりきることができたという実感があるので、いろんな方にご覧いただけるとうれしいです。

取材・文=賀来タクト

※このインタビュー文章は、東宝映像事業部発行の公式パンフレットと同一内容になります

(海獣の子供 公式ビジュアルストーリーBook より)

 

 

 

また、本誌から、久石譲音楽にまつわるエピソードもあわせてピックアップご紹介します。

 

 

監督 渡辺歩 『海獣の子供』に纏わる第五の証言

音楽と音響によって広がった作品世界

ー久石譲さんの音楽を最初に聴いたときは、どう思われましたか?

渡辺:
作品の色合いがグッと増したな、と思いましたね。もちろん映像にも色がついているんですが、音楽の作用によって、作品全体の色が非常に鮮やかになった。それは開口一番、久石先生にもお伝えしました。加えて、作品内のカットやシーン、それまでバラバラだったものが音楽によって縫い合わされていく感覚もありました。シーン全体の雰囲気やキャラクターの心情を表しながら、決してそこにどっぷり浸かっていかない。客観的に捉えた音作りになっていて、その距離感が心地よかったです。久石先生にお願いして本当によかった!と思いましたね。もともとファンだったものですから、感激もひとしおでした。

ー監督から久石さんに音楽について注文はされたんですか?

渡辺:
いえいえ、お願いできるだけでありがたかったので、注文なんて滅相もない!……なんて言うと、何も考えてなかったみたいですね(笑)。実は最初の打ち合わせのとき、久石先生からうかがった音楽のイメージが、こちらの想像していた感じとかなり合致していたんです。久石先生も原作を取り寄せられて、最後まで読み込んでから打ち合わせに臨んでくださったので、その時点でハッキリとしたイメージを持たれていて。心情心理やストーリーを煽るようなものではない、ミニマルな方向性がいいのではないかと。それはまさに僕としても狙いの通りだったので、久石先生ご自身のイメージのままに作曲をお願いしました。完成した曲も素晴らしくて、ワクワクしましたね。仕事を忘れる瞬間でした(笑)。

ー映画全体の音響設計においても、音楽を含めた音のバランスが絶妙でしたね。

渡辺:
音響監督の笠松広司さんにお願いして、全体の音に関しては早めに青写真ができていたんです。「ここはSEのみで」「ここのセリフは強調して」「ここに音楽のピークが来るように」といった設計図は久石先生と打ち合わせをした段階で詳細に決めてありました。久石先生はセリフの位置まで計算して音楽を作られる方ですから、そのときすでに総合的な音楽の設計図もできあがっているんです。

ーダビング作業中、音響面で重点を置いたポイントなどはありますか?

渡辺:
僕から注文したのは、本当に微妙な部分です。SEの位置や音の絞り方とか、それぐらいですね。笠松さんも名だたる作品の音響デザインをやってこられた方ですからね。僕も音に関するイメージは一応あったつもりですが、こちらの想像のはるか上を行っていました。非常に深く作品を読み込んできてくださって、緻密なプランニングで全体の音を構築してくださいました。音数はそこまで多くはないんですが、じつに要領を得ているというか。音によってシーンの持つ意味が増幅したり、作品がどんどん立体的になっていくのを目の当たりにしました。すごい方でしたね。どことは言いませんが、最終的にセリフを取ってしまったところもあります。「音がここまで雄弁であるなら、セリフで説明するまでもないか」と。

(海獣の子供 公式ビジュアルストーリーBook より 一部抜粋)

 

 

プロデューサー 田中栄子 『海獣の子供』に纏わる第十三の証言

ーこの作品において、田中さんを衝き動かしていた最大の原動力はなんなのでしょうか?

田中:
私は今この時代に、『海獣の子供』という作品を作ったこと自体に、すごく大きな価値があると思っているんです。プロデューサーとしてこの作品を世に届けることで、みんなに勇気を与えられるんじゃないかと。つまり、これほど生産性や経済性を度外視して、メッセージ性やアート性をとことん追求し、人間の表現力の可能性に懸けた作品づくりを会社として実現させるのは、きっと一般的にはありえないことなんです。でも、それは可能なんだ!と。

~中略~

ーでも、莫大なお金がかかるだけですよね。

田中:
もちろん!5年間にわたって大勢のスタッフに創作の場を提供し、その創造力を存分に発揮してもらうために、プロデューサーとして尽力しましたし、そこを評価してほしいという思いはあります。私個人の手柄ということではなく、こういう発想や思想、表現をプロデュースするという行為自体の社会的意義や価値を認めてもらわなくちゃいけない。そうじゃないと、『海獣の子供』みたいな作品は二度と作れなくなるから。

~中略~

ー音周りでも、田中さんのこだわりが発揮されているとか。

田中:
今回のキャスティングは、本当に自信作なんです! 芦田愛菜ちゃんは監督が指名して、石橋陽彩くんと浦上晟周くんはみんなの意見で決めましたが、それ以外の方はほとんど私が独断で決めました。オファーも直接させていただいて、我ながら珠玉の人選だと思います(笑)。今回のアフレコは、ブースのなかの声優に監督が付きそうという異例の収録方法で行われたので、私が収録卓を預かることになり、本当に緊張の連続でした。音楽の久石譲さんには、実は4年前からオファーをし続けていたんですよ。ことあるごとに状況をレポートして、4年越しにやっとお返事をいただけて、諦めないで本当に良かったと思いました。自らタクトを振り、何テイクもこだわって収録する姿がじつにタフでエネルギッシュで、まさに天才の仕事でしたね。曲を録り終わって「あとは笠松に任せた」と言って見せる笑顔がまたチャーミングなんですよね(笑)。音響監督の笠松広司さんは、久石さんが全幅の信頼を寄せる方であり、ウチの作品のほとんどを担当してくれている方です。今回はしっかりと音楽のメニューも作り、音響全体の舵取りをしてくださいました。最初は「この繊細な映像と音楽を凌駕するSEが果たして作れるのだろうか?」と、要らぬ懸念も抱いていました。でも、こちらの想像をはるかに超えるイマジネーションを駆使して、感覚に鋭く響く音作りをしていただいて、圧倒されましたね。そして、エンディングをかざる米津玄師さんの主題歌の素晴らしさ! こんな奇跡のコラボレーションが実現できて、本当に幸せな作品だと思います。

(海獣の子供 公式ビジュアルストーリーBook より 一部抜粋)

 

 

原作・五十嵐大介描き下ろし 制作現場ルポでは、レコーディング風景が紹介されています。そこから「音楽収録は2019年2月に行われたこと」「楽器ごとに個別で音を拾うために、いくつかの部屋に分かれて中継しながら同時録音という手法がとられたこと」「久石譲指揮で映画シーンをモニターに流しながら行われたこと」「事前録音のシンセサイザーと合わせ、映像を観ながら確認作業が行われたこと」などがわかります。《映像に音が重なった瞬間、世界が立ち上がったような、まさに映画が誕生した瞬間に立ち会った気がしました》とコメントあります。

 

小学館HPにて本書ためし読み(パソコン閲覧13ページ/スマホ閲覧25ページ)できます。先にWeb公開された〈五十嵐大介×米津玄師スペシャル対談〉や、久石譲の音楽収録現場など模様を描いた「五十嵐大介描き下ろし 制作現場ルポ 」も見ることができます。

公式サイト:小学館|海獣の子供 公式ビジュアルストーリー BOOK
https://www.shogakukan.co.jp/books/09179299

 

 

レコーディング風景は久石譲メイキングインタビューでも見ることができます。

 

 

 

「海獣の子供 公式ビジュアルストーリーBook」久石譲インタビューは、「海獣の子供 劇場用パンフレット」にも収められています。ここでは最後に、パンフレットのほうから久石譲音楽にまつわるエピソードもあわせてピックアップご紹介します。

 

笠松広司 音響監督

音楽を軸において全体の音を構築したシーンも多い
ある種、音楽映画といっても過言ではない作品

久石さんの音楽もわりと早いタイミングで上がっていたので、音楽を軸において全体を構築したようなシーンもたくさんあります。つまり、音の構造の中心として音楽があって、そのまわりにいろんなものが追従していく。モノローグの位置とか、SEの鳴らし方とか。普段はそういう組み立てをやる時間がないままに終わってしまう場合も多いんですが、今回は音楽の美味しいところを極力スポイルしないように音を構築できました。誕生祭の場面はまさにそうですね。ある種、音楽映画といっても過言ではないくらいだと思います。

(海獣の子供 劇場用パンフレットより 一部抜粋)

 

 

 

 

 

海獣の子供 公式ビジュアルストーリー Book

アニメーション映画『海獣の子供』の真髄に触れる、数々の証言と、その軌跡。

【CONTENTS】

INTRODUCTION
VISUAL STORY ”序”

『海獣の子供』に纏わる第一の証言
原作/五十嵐大介 × 主題歌/米津玄師

COMICS / MAIN THEME
原作・五十嵐大介描き下ろし 制作現場ルポ
CHARACTER / PROP

『海獣の子供』に纏わる第二の証言
安海琉花役/芦田愛菜

『海獣の子供』に纏わる第三の証言
海役/石橋陽彩

『海獣の子供』に纏わる第四の証言
空役/浦上晟周

VISUAL STORY ”破”

『海獣の子供』に纏わる第五の証言
監督/渡辺歩

STORYBOARD

『海獣の子供』に纏わる第六の証言
キャラクターデザイン・総作画監督・演出/小西賢一

ROUGH SKETCH
KEY FRAME&LAYOUT

『海獣の子供』に纏わる第七の証言
CGI監督/秋本賢一郎

『海獣の子供』に纏わる第八の証言
CGI/平野浩太郎

CG WORK / COLOR DESIGN

『海獣の子供』に纏わる第九の証言
色指定・仕上検査・特殊効果/伊藤美由樹

『海獣の子供』に纏わる第十の証言
美術監督/木村真二

IMAGE BOARD / LOCATION HUNTING
VISUAL STORY ”急”

『海獣の子供』に纏わる第十一の証言
音楽/久石譲

ORIGINAL SOUND TRACK

『海獣の子供』に纏わる第十二の証言
アニメーションプロデューサー/青木正貴

『海獣の子供』に纏わる第十三の証言
プロデューサー/田中栄子

LULLABY
CREDIT

原作・五十嵐大介描き下ろし短編
星のうた -南洋探遊-