Posted on 2023/12/30
箱根駅伝100回記念 初のゴールデン特番 放送決定!MCは内村光良「箱根駅伝 伝説のシーン表と裏 3時間SP」
12月30日(土)夜6時 日本テレビ系で「箱根駅伝 伝説のシーン表と裏 3時間SP」放送決定! “Info. 2023/12/30 [TV] 日本テレビ「箱根駅伝 伝説のシーン表と裏 3時間SP」久石譲インタビュー出演 放送決定” の続きを読む
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箱根駅伝100回記念 初のゴールデン特番 放送決定!MCは内村光良「箱根駅伝 伝説のシーン表と裏 3時間SP」
12月30日(土)夜6時 日本テレビ系で「箱根駅伝 伝説のシーン表と裏 3時間SP」放送決定! “Info. 2023/12/30 [TV] 日本テレビ「箱根駅伝 伝説のシーン表と裏 3時間SP」久石譲インタビュー出演 放送決定” の続きを読む
2023年8月9日 CD発売 TKCA-75200
2023年8月16日 配信開始
宮﨑駿監督10年ぶりとなる、長編映画最新作 「君たちはどう生きるか」のサウンドトラック。
宮﨑監督のオリジナルストーリー作品。
2023年7月14日(金)全国劇場公開
スタジオジブリ最新作
「君たちはどう生きるか」
原作・脚本・監督:宮﨑駿
配給:東宝
製作:スタジオジブリ
音楽:久石譲
主題歌含む37曲収録
(メーカー・インフォメーションより)
久石さんからの誕生日プレゼント
年の初めに、いつのまにか恒例になった行事がある。毎年1月5日になると、久石譲さんが宮﨑駿のアトリエに顔を出す。その日、出来上がったばかりの曲を携えて。
1月5日は宮﨑駿の誕生日。その曲は、宮さんへの誕生日プレゼントだ。なにしろ、新曲だ。何時ごろ完成するのか、分からない。早いときもあれば、そうじゃない時もある。調子のいい悪いもあるだろう。
お迎えは、ずっとぼくと宮さんのふたり。そして、新しい曲をふたりで聴く。
この時、ぼくはいつも緊張が走る。いい曲であって欲しいと。祈りに近い。宮さんは大概、目を閉じている。宮さんの前でいつも笑顔を絶やさない久石さんも、その表情が変わる。
聞き終わる。宮さんが相好を崩す。久石さんとぼくは安堵する。こうして、ぼくらの新しい年が始まる。
プレゼントの曲は、ぼくの記憶だと、そのほとんどがミニマルミュージック。久石さんの得意とする音楽だ。久石譲さんといえばオーケストラと思う人が多いと思うが、それは映画音楽をやる時の久石さんの顔だ。本当は音楽大学で電子音楽を基調とするミニマルミュージックを専攻した人。つまり、現代音楽の勉強をした人だ。
これまでも、映画の時は、メロディを中心としたオーケストラで映画音楽を作って来た。しかし、大事な場面ではミニマルを挿入する。それが久石さんの大きな特徴だった。
「となりのトトロ」のサツキがトトロと出会う、雨のバス停のシーン。あのミニマルの曲はいまだに傑作だ。あのシーンはあの曲によって補完され、子どもたちはむろんのこと、大人たちもトトロの実在を信じることが出来たとぼくは思っている。
「君たちはどう生きるか」。この作品で久石さんは、大きな勝負に出た。ミニマルだけで、映画音楽を成立させることが出来るのか? ミニマルにはメロディらしいメロディは無い。聴く人によって、表情が変わるのがミニマルの大きな特徴だ。楽しい悲しいをフィルムに固定することも出来ない。
ぼくはドキドキしながら、映画の完成を待った。試写を見終わったぼくは、久石さんが、その勝負に、賭けに勝ったのだと思った。
使われた曲の多くは、誕生日プレゼントの曲だった。
「君たちはどう生きるか」プロデューサー
鈴木敏夫
(CDライナーノーツより)
久石さん やりましたね!
全部ミニマルで通すなんて.
ありがとう
みやざき
(CDライナーノーツより 直筆メッセージ)
2023.12.1 update
海外メディアインタビュー記事より
”テーマに「Ask Me Why」という英語のタイトルを付けました。久石氏は通訳を通じて、「私たちが常に自問自答し、物事の意味を自問していることを示すため」にそうしたと語った。”(web翻訳)
出典:Miyazaki’s ‘Boy and the Heron’ should be felt, composer says – Los Angeles Times
https://www.latimes.com/entertainment-arts/awards/story/2023-11-29/miyazaki-boy-and-the-heron-music-composer
2023.11.29 update
音楽制作エピソードについて
「熱風 2023年10月号」久石譲ロングインタビューより。映画公開直後に語り尽くされた25ページにわたる貴重な内容です。いくつかポイントをピックアップしています。ぜひオリジナルテキストに触れてみてください。
(サントラレビューも音楽制作エピソードに沿って一部修正しています)
音楽制作エピソードをもとに、誕生日に贈られた曲で映画使用となったのは、「Ask me why」「祈りのうた」「祈りのうた2(サントラ曲名:聖域)」の3曲は確定になります。語られてはいないですが、個人的には「白壁」もそうじゃないかと推察しています。2017年「小さな曲」という三鷹の森ジブリ美術館オリジナルBGMが贈られています。”小さな曲 = Small Song”、毛虫の世界もまた小さい、2017年は毛虫のボロ制作期間中で同年11月完成、翌年3月公開です。「白壁」の原曲はその「毛虫のボロ」エンディング曲です。曲想からみても、ミニマルというよりはメロディ的なフレーズで流れていることも、そう推察する理由の一つです。
もしそうだった場合、映画のために書き下ろしたのではない、すでにある誕生日曲が短編映画に使用された、もともとイメージの源泉は宮﨑監督にありブレもない、初の実例になります。その手ごたえや感触があったからこそ『君たちはどう生きるか』でもセルフ選曲スタイルを確信をもって進めることができた、という見方もできてくるような気もしています。
「それから年が明け、(2022年)1月5日に宮﨑さんが、僕の仕事場に来られました。あの日は宮﨑さんの誕生日で、僕は毎年、曲を書いて二馬力に持って行くんですが、その時に作った曲が、眞人のテーマ曲ともいえる「Ask me why」だった。この段階では、僕は絵コンテも映像も観ていません。でも、宮﨑さんがその曲をすごく気に入られて、後日「宮﨑さんが『これってテーマ曲だよね』と言っていた」ということを伝え聞きました。それを聞いて、しまった、と(笑)。宮﨑さんって刷り込みの人だから、一度曲を聴いて「いい」というスイッチが入ってしまったら変更が利かない。僕自身は、映像を観てからテーマとなる曲を書くつもりだったけれど、こうなっちゃったらもう、戻れない。覚悟を決めました。」
「今回面白かったのは「じゃ、あとはよろしく」と言われたことで、一音楽家として曲を書くことより、ひとつの映画の音楽全体、あるいは音響全体までをまとめなきゃいけないという意識が強まったことです。新たに広がった視野で考えていった時、僕の掌の中にはすでに宮﨑さんに毎年贈ってきた曲が溜まりに溜まっていることに気づいたんです。4、5分以上の曲が14~15曲以上あって、すぐに「この素材を全部使えばいいじゃん」という発想に切り替わった。かなりタイトな制作期間だったにもかかわらず、制作に集中することができた。宮﨑さんが「これってテーマだよね」と言ってくれた曲があったことも心の支えでした。」
(Blog. スタジオジブリ小冊子「熱風 2023年10月号」特集『君たちはどう生きるか』久石譲ロング・インタビュー内容 より抜粋)
▽イントロダクション
▽全体をとおして
▽ミニマルとは
▽ミニマルの達成
▽楽曲ごとに1
▽誕生日に贈られた曲とは
▽楽曲ごとに2
▽交響組曲への道
これまではジブリらしい久石譲を聴いてきた。この映画は久石譲らしい久石譲を聴いている。
宮崎駿監督が映画を作るごとにファン層を広げ次作映画への期待を雪だるま式に膨らませてきたという歴史があるように。ことスタジオジブリ作品の音楽を担当するときの久石譲にも同じ図式が当てはまってしまう。これまで宮崎駿監督と長編映画10作品、短編映画3作品、そして高畑勲監督と長編映画1作品を共に歩んできた40年間だ。最新作は宮崎駿×久石譲の長編映画11作目になる。
楽しみと期待に待つ年月は、今か今かと胸躍らせその膨らみは宝箱の蓋がぶるぶる震えるのを抑える状態だった。そして、想像を超えて裏切ってくれた。一回目の映画鑑賞ですべてわかるわけはない。映像も音楽もはじめまして、ありのままに浴びる瞬間にこそ至福がある。そんななか一回目のファースインプレッションは大切にしたい。これまでのジブリらしい久石譲はあまり見当たらなかった。ロマンティックなメロディもダイナミックなオーケストラサウンドもついぞ出てこない。一方で、久石譲音楽と共に歩んできたファンからすると、この映画は久石譲らしい久石譲を聴いている。感じた第一印象はこの先も揺らぐことはないだろう。
宮崎駿監督が絵や物語でむき出しの宮崎駿を見せてくれたように、久石譲もまた音楽でむき出しの久石譲を見せてくれた。宮崎駿監督の果てしない創造力に共振するように、久石譲は久石メロディを開花させ久石ブランドを進化させてきた。そういう音楽活動の歴史だと言い切ってもいい側面がたしかにある。そして、本作でアイデンティティがぶつかり合うことになった。久石譲の音楽ルーツはメロディメーカー以前に現代音楽でありミニマル・ミュージックだ。だから、本作はミニマルだ。
スタジオジブリ作品は映画も音楽もレガシー。築きあげられてきたエンターテインメントと届けられたギフトを振り返ればそう異論は起こらないだろう。そしてここに、スタジオジブリのレガシーはまたひとつ高みに立ったことを、僕らは力いっぱい目の当たりにすることになる。映像も音楽も新しさに満ちていた。持てる技炸裂のなか、ここらで総括しましょう的な集大成にはなっていない。そこに守りの姿勢はない。漲るエネルギーと若々しさに、映画の感動とはまた別の勇気ももらえた。
上映時間124分、サウンドトラック69分、本編の約半分に音楽がついていることになる。3つの視点から補完すると、ひとつサウンドトラック収録曲に複数回使用はない、曲まるごとも曲の一部でも。ひとつサウンドトラックに未収録曲はない。ひとつサウンドトラックに未使用曲はある。つまりは、99%映画本編に沿って曲順も曲尺もサウンドトラックに音源化されている。残りの1%は映画本編には使われなかった楽曲の一部が収録されていることだ。詳細は楽曲ごとの項で紐解きたい。
演奏は、Future Orchestra Classics。久石譲のもとに集う若手トップクラスの精鋭からなる招集型オーケストラだ。過去に音源化されているもの(かつクレジット確認できるもの)から『海獣の子供』(2019)『映画 二ノ国』(2019)も、招集型で音楽収録されている。ただしクレジットは各奏者一覧でメンバーも都度異なる。本作で初めてFuture Orchestra Classics(FOC)の名札でクレジットされた。またFOCコンサートマスター近藤薫氏ではなくゲストコンサートマスター郷古廉氏になっている。中心となるメンバーと時々のスケジュールなどで輪に加わるメンバーとで構成されていると推察する。もっとも大切なのは、久石譲が表現したい音を出せるオーケストラ、表現したい音楽の編成(室内オーケストラ)で臨める、指揮者と演奏者の音楽共同体として進化をつづけていることだ。2016年に発足したFOC(旧NCO)はクラシックの演奏会やアルバムで高い評価を得ており、久石譲新作などの現代作品まで、常に現代的なアプローチで研鑽し精力的に活動している。それは、本作の音からも聴きとれるはずだ。
演奏は、久石譲本人によるピアノ。前述より『海獣の子供』『映画 二ノ国』の音楽は、オーケストラは同じスタイルをとりながらも、ピアノ演奏は他者によるものであった。ピアノの使われ方だろうか、求めたタッチやニュアンスだろうか。両作ともにメロディアスな曲もミニマルな曲もある。今回ふと思ったことだが、とりわけ近年において区別しているのかもしれない。宮崎駿監督作品に久石譲ピアノはなくてはならない。繊細な音の強弱やテンポの揺らぎからくる久石譲のピアニズムは、映像がなくてもジブリをイメージしてしまうほど記憶のなかで結びつけられている。『海獣の子供』も『映画 二ノ国』もアニメーション映画だった。『君たちはどう生きるか』でピアノの鳴っていない曲はほぼない。久石譲のシグネチャーを刻印している。
【自身の少年時代を重ねた自伝的ファンタジー映画】(パンフレット 作品解説より)とあるように、主人公は宮崎駿監督を強く投影している。久石譲も【今回は、オケ(オーケストラ)ではなく、ピアノ一本とか、シンプルに主人公の心に寄り添ってつくったほうが良いかもしれませんね】(スタジオジブリ公式SNSより)とあるように、久石譲の紡ぐピアノにレンズを絞っていく。主人公と同じようにずっと物語にいて常に寄り添っている。
録音は、2023年1月21日頃から2月1日頃にかけて行われているようだ。公式SNSの情報や投稿日をもとにしている。CDライナーノーツには録音スケジュールのクレジットはなかったため、下の公式情報をまとめたものから参考にしている。
ミニマル・ミュージックとは、短いフレーズやリズムを微細に変化させながら繰り返す音楽のこと。前衛音楽として始まり、現在はジャンルの垣根を越えて定着している。「ミニマルの手法」「ミニマル・エッセンス」「ミニマル・ミュージックの要素」などと説明されることもあるように、ポップスからクラシックまで定義はより広がりをみせている。本作におけるミニマルも広義だ。本来の反復やズレはもちろん、音楽の素材が最小(ミニマル)であることもポイントだ。フレーズ(音型)、編成(楽器)、曲想(構成)、これら最小に組み立てられている。つまるところ徹底的にミニマルなのだ。必要最低限に削り落された音のコアによって、研ぎ澄まされた音楽が強く輝き、観る人聴く人のイメージネーションを最大限に広げてくれる。
ここまでミニマルに貫けたわけを別角度から眺めてみる。2019年に米津玄師氏への主題歌オファーが内定した時点で、その布石はあったのかもしれない。久石譲は主題歌候補になりそうなメロディを気にすることもなく、本編音楽のメロディ楽曲とミニマル楽曲のバランスなど考慮しなくてもいい音楽設計が見えてきた可能性だ。ゆえにミニマルのアプローチを一貫してできたという見方もできてくる。音楽の方向性が決まったのは2021年秋頃とある。2022年7月頃から本格的な音楽制作に入っている。ここで言う本格的なとは、出来上がったラッシュ映像を見ながらその具体的な楽曲づくりのこと。過去より慣例となっていたイメージアルバム的な音楽制作やその過程については『風立ちぬ』『かぐや姫の物語』そして『君たちはどう生きるか』と明るみになっていない。
もうひとつの布石もある。2020年以降、久石譲が映画音楽を担当したのは『赤狐書生 (Soul Snatcher)』、『川流不“熄”(A Summer Trip)』(未音源化)という海外映画二作品だけだ。多くの創作活動を自作品(交響曲・室内楽)に傾けている。振り返って2013年『風立ちぬ』『かぐや姫の物語』の頃はその前後にも多くの映画音楽を担当していた状況からみても、その創作環境は大きく変容した。2014年以降「クラシックに籍を戻す」とし有言実行の活動を作曲と演奏会と続けている。2021年からは「自分はミニマリストだ」という積極的な発言もまた顔を出す。つまりは、本作がミニマルで貫くことは、あるいは必然だったのかもしれない。
重ねる布石もある。『海獣の子供』(2019)はミニマル色の強い音楽づくりがされている。本作の音楽のいくつかを聴きながら連想するのは自然なことだろう。『Deep Ocean』(2016/2017/2023・未音源化)、『ad Universum』(2018・未音源化)、『Xpark』(2020・未音源化)などもアプローチは同じだ。久石譲は「エンターテインメントでもミニマルのスタイルで貫けるときにはブレずにやる」と語っている近年の作品群だ。言わずもがな『君たちはどう生きるか』はその群を抜いてオンリー・ミニマルだ。
堅苦しいことは一旦置いておいて。よくまあこんなにもミニマルなフレーズがあちこち飛び出すからすごい。映画鑑賞はもちろんサウンドトラック盤に集中して聴いたとしても、ミニマルな曲たちをきれいに整理するのは大変だ。シンプルなはずなのに覚えるのは容易ではない。普通なら一つの映画に半分も決してない、1,2曲あるかもしれない、3割ミニマルで占めてたらかなり目立つ。アート映画ならまだしもエンターテインメント映画ならなおさらだ。築きあげてきた自作品の成果をも注ぎ込むかのように、バラエティ豊かなミニマルに溢れている。映画音楽家久石譲と現代作曲家久石譲は、長年の並走を経ていよいよ交わり大きなひとつのオリジナリティに膨張しようとしている、のかもしれない。
その一。短いフレーズの微細な変化によって、独特のハーモニーがうまれる。瞬間的な長調と短調の響きが変化をくり返したりと全体には言い表しづらい独特な印象を醸し出す。楽しい悲しいとも押しつけることのない俯瞰的な視点をもつ曲となる。観る人聴く人のタイミングや環境によってその人色に染まってくれるミニマル。
その二。スタジオジブリ作品で日本を舞台としたのは『となりのトトロ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『崖の上のポニョ』『風立ちぬ』『かぐや姫の物語』(音楽:久石譲)だ。いくつのメロディがあっていくつのミニマルがあっただろう。本作で聴かれるミニマルは日本的なものもあれば西洋的なものも混在している。ことオリエンタルなミニマリズムでいうと、久石譲はかねてからそのパイオニアの一人として現在まで進化を続けている。【もっともナショナルなものこそインターナショナルになりうる】(宮崎駿)と言う、【ドメスティックはインターナショナルになる】(久石譲)と言う。ずっと貫いてきた人だ。今や日本人のミニマル作曲家、フロントランナーとして世界へ向けて発信している稀有な存在でもある。
その三。現実世界と異界を行き来する物語のどちらにもミニマルで書かれている。例えば現実世界はメロディ中心に異界はミニマルにと書きわける方法論もあるだろう。ミニマルで貫くことで空間も時間の流れも異なるどちらの世界にもリアリティを持たせている。そうして、ファンタジーをミニマルで成立させてしまっているこの達成は大きい。ミニマル・ミュージックはどこで始まってもいいし終わってもいい、あるいは終わりを持たなくてもいい。本作といっしょ、ミニマル音楽は時空を越えた永遠の世界を描いているのだ。
その四。映画公開後、公式関連のラジオ番組をいくつか聴いた。番組BGMはもちろんこのサウンドトラックからだ。けっこう会話に耳を集中できるのだ。もしも、これが『千と千尋の神隠し』の話題になって「ふたたび」がBGMで流れ出しでもしたらそうはいかない。話を追っているのか、メロディを追っているのか、映画シーンの記憶を追っているのか、急に気もそぞろだ。僕らはずっと、あの美しいメロディが映像や物語を引き立たせていると思っていた。本作は新しい扉を開いた。あの曲とあのシーンという結びつきを越えて、ミニマルな曲たちが有機的に自由に結びつきながら映画の世界観を大きくつくっている。
映画ストーリーにはなるべく触れずに音楽中心に進めている。気をつけたというよりも音楽に重きを置いたファンだからしょうがない。それしかできない。映像や物語の考察はあまたのファンや研究家の皆さんに委ねて、その鋭い洞察のひとつひとつに唸りたい。こちらは音楽の場所から楽しみながら記していく。さあ、聴き解いていこう。(私的)徹底解説のはじまり。
1.Ask me why(疎開)
12.Ask me why(母の思い)
34.Ask me why(眞人の決意)
本作のメインテーマにあたる楽曲で、オープニングタイトルから本編終盤まで大切なシーンに流れている。原点回帰と言うにふさわしいと思うのは、そのシンプルでまっすぐな曲想だ。メロディも、和音も、コード進行も、すべてが直球で逆に驚いたくらいだ。「あの夏へ」や「アシタカとサン」を思い出してほしい。そこには久石譲らしい四和音ら複雑に音を重ねた神秘的なハーモニーに、新しくて懐かしい旋律に、メロディを自由に歌わせる予想を超えたコード進行に、あるいは高揚する転調にとファンの心をとろけさせてきた。それに比べると耳のいい人なら聴いてすぐ弾けてしまうくらい潔い、初期のピアノ曲に通じるものがあるのかもしれない。シンプルゆえに無垢すぎる。シンプルゆえに強い。
さて、「Ask me why」をもって「ミニマル」とするかとなると、ちょっとした混乱と論争に発展しそうだ。ほかの多くの曲の定義が揺らぎかねない。ソとレだけで作られた短いモチーフがくり返しながら変化しているメロディ、最小な和音と和声、そういった捉え方をするなら「シンプルに、ミニマルに」とは言えるだろう。前奏や間奏も徹底的にソとレをくり返す曲バージョンもある。森を見るようにサウンドトラック全体から、木を見るようにこの一曲をと遠近しながら眺めたらなら、ミニマルで貫いたと賛同するだろう。でも、この曲はミニマルなんですか?と誰かに聞かれたら違うと答える自分がいる。結局のところ、定義なんて後からついてくるのだ。ミニマル・ミュージックは現代音楽だけれど、現代から見るとバッハのピアノ曲もここミニマルだよねとか、ベートーヴェンの交響曲もここなんてミニマルの走りだよねなんて言わたりするのだ。だから、キリキリすることはない。曲を楽しめばいい。
宮崎駿監督の誕生日にプレゼントされた曲だ。おそらくオリジナルはピアノ曲として約5分ほどで仕上げられていると思う。本作への使用にあたってシーンに合うように手が加えられている。結果的に曲パートを一部抜き取ったような短い曲尺になっているのは残念だ。「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2023」(WDO2023)でサプライズ・アンコール曲となったが、ピアノ曲のほうをベースにしているのかもしれない。くり返す構成ではあったが間奏もあって長めに披露されていた。
新しい服を買ったとき、自分の思う最良な組み合わせがきっとある。買ったシャツに合うのは、この形と色のパンツかな、重ね着するならこれかな。でもこの組み合わせもいいかもといくつかその変化を試しながら、やっぱりこれがベストかなと最終的に落ち着くコーディネートがある。映画公開後にスタジオジブリ公式SNSで公開された久石譲の演奏動画は、ちょっとしたフレーズや伴奏に変化があった。今は弾くたびに変わっているのかもしれない。「風の伝説」「あの夏へ」「人生のメリーゴーランド」も曲の誕生からコンサートでメロディや伴奏の装飾が変わり、最終的には今久石譲の思うベストなフォルムに落ち着いている。そういうこと、そんな感じ。
おやっと思ったところもある。久石譲の曲には、いわゆるポップスの歌詞をのせる節まわしのような同音連打のメロディラインはあまりない。すぐに思い浮かんだのは「あの夏へ/One Summer’s Day」くらいなもので、あとは鍵盤のあいだを広く大きく動きまわる旋律が圧倒的に多い。メロディのはじまるソの音の連打は、まるでノックしているように聴こえてくる。心の扉をたたく”Ask me why”、運命の扉をたたく”Ask me why”。本編に沿うと、meは時々で主人公であっても母であってもいい。「Ask me why/理由を聞いて」の直訳だが、「(If you) ask me why/もしなぜって聞かれたら/もし私に尋ねられたら」「If you ask me/私に言わせれば、私の考えでは」など含蓄のある日常的フレーズが出てくる。この曲は扉をたたく力だと思っている。
2.白壁
この曲は、短編映画『毛虫のボロ』(2018・未音源化)のエンディング曲だ。音楽を担当した久石譲によるピアノ曲だが本編はこの1分間に満たない一曲しか使われていない。本作のためにピアノも弾きなおしている。曲名が「白壁」となっているのは本編シーンに由来してと思われる。
なぜこの曲を転用したのか? 監督や久石譲の提案や真意はわからないため、関連づけのみ考察する。『毛虫ボロ』のあらすじを一口に言うと、卵からかえるところから、外の世界へ踏み出していく物語だ。考察をはじめると、見るもの触れるものすべてが新しい世界であり、小さな毛虫にとって大きな外界は試練の連続でもある。未知の大冒険だ。行く先々でいろいろな試練が待ち受けている毛虫の移動と、主人公の疎開という移動そこから起こる物語を暗示しているのではないか。新しい世界、そこは祝福されたものではないかもしれない。『毛虫のボロ』のエンディングにも流れるメランコリックなこの曲は、小さな毛虫が外界に立ち向かっていった先をハッピーエンドともバッドエンドとも決めない絶妙なシーソーの上に立つ一曲だ。仮に宮崎駿監督が気に入っていたとしても、作曲者の久石譲が気に入っていたとしても、なんら不思議のない納得の選択だと思う。
2001年三鷹の森ジブリ美術館の開館以来、久石譲は宮崎駿監督の誕生日にピアノ曲をプレゼントしている。毎年ではないが近年は更に恒例になっていて、これまでに約12曲くらい献呈している。それらは「三鷹の森ジブリ美術館オリジナルBGM」として館内で使用されているはずだ。特定の場所や時期にしか聴けないものもあるだろう。土星座でしか聴けない短編映画ラインナップのBGMで使われているものもあるだろう。これも常時ではない。
「Ask me why」は2020年に贈られた曲とスタジオジブリ公式SNSからも推察できる 2022年に贈られた曲と久石譲インタビューからわかる。そのエピソードからは【歌のようにお経のようにつぶやいているものを書きたい/アイデアは半年以上前から持っていた/1日ぐらいで作った】と明かされている。すでに映画に向けて動いている時期でもあり、久石譲のどこか頭の片隅にイメージが彷徨っていたとしても不思議じゃないし、あるいはまっさらに書き下ろしたものかもしれない。
「祈りのうた」は2015年に贈られた曲だ。「祈りのうた for Piano」として『Minima_Rhythm II ミニマリズム 2』(2015)に収録された。そのピアノ+弦楽合奏+チューブラー・ベルズ版は「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2015」(WDO2015)で世界初演、『The End of the World』(2016)に収録された。大きく繰り返す構成ではあるが、オリジナルは約6-7分の楽曲だ。本作のために録り直して必要な約4分にまとめられている。
「白壁」は誕生日に贈られた曲か? この疑問がふと浮かんでくる。どれだけ考察を尽くしても結局は公式解答をもってしか答え合わせができない。だからうだうだ書くことはやめる。三鷹の森ジブリ美術館オリジナルBGMとして贈られた曲で、本作使用にあたって曲名をそのまま継承しているのは「Ask me why」と「祈りのうた」の2曲だけだ。もし「白壁」(毛虫のボロBGM)ほかサウンドトラック収録曲にほかにも誕生日に贈られた曲があるとしたら、曲名が変わっているだろうということは言える。「聖域」は?とか好奇心は尽きない。
⇒久石譲が語った音楽制作エピソードをもとに、誕生日に贈られた曲で映画使用となったのは、「Ask me why」「祈りのうた」「祈りのうた2(サントラ曲名:聖域)」の3曲は確定。ただし、”これで全部”という言い方もまたしていない点にも留意したい。
3.青サギ
5.青サギⅡ
8.青サギⅢ
10.青サギの呪い
ミとシ。4度の二音からなる最もミニマル(最小)なテーマだ。鳥らしい鋭さや俊敏さ、そこに不穏さやつかめなさまでも漂っている。「青サギⅢ」二音が音の高さを変えながら豊かに展開していくさまや、冒頭のバスクラリネットかバスーンがまるで鳥の喉仏が鳴っているような効果もあっておもしろい。「青サギの呪い」中間の躍動するパートは自作品「I Want to Talk to You」(2021・未音源化)の展開部を思わせる。ミニマルらしい一瞬にして切り替わるハーモニーの変化だ。FOCのソリッドでノンビブラートな演奏も光っている。4曲を並べてみると、少しずつ物語に深く関わっていくこと、主人公にとっても意識する存在へと膨らんでいることを、曲想が膨らみをます過程からも感じることができる。
また4度の二音からなるテーマは『海獣の子供』(2019)琉花のモチーフもそうだ。サウンドトラックのいろいろな楽曲の中に織り込まれている。忘れてはいけない、『千と千尋の神隠し』(2001)湯婆婆のモチーフもそうだ。ソとレの4度の二音だ。鳥に変身して空を飛ぶ。
話は横道に大きくそれる。なぜこの二音なのか、ずっと迷走していた。アオサギの学名・英語名などを調べていた。バッハは自分の名前を曲に刻印した。BACHでシ♭ラドシの音になる。青サギのテーマは「ミ・シ」=「E・H」で、HはHeronに運よく当てはまってしまったもんだから俄然Eも意味があるのではと思い始めてしまった。迷走のままだ。でも調べるなかでアオサギの【意識と潜在意識を行き来する】といったスピリチュアルなエピソードや、そのほか縁起の良い象徴とされている由来を持っていることもいくつかわかった。
主人公のテーマともいえる「Ask me why」はト長調だ。青サギのテーマはホ短調だ。このふたつは同じ調号をもつ平行調だ。わかりやすく上手に言えないが、楽譜にシャープひとつの音階でコード進行上も登場しやすい。ト長調の曲で間奏はホ短調そしてまたト長調に戻る、そんなスムーズにシンプルに進行する曲はバッハ「メヌエット ト長調 BWV Anh.116」などある。言ってしまったら、とてもつながりの深い関係性にある。久石譲という人は論理の人だ。すべてにおいて論理立てできるとは思っていないし、そこには到底言語化できない感性や直感もある。でも、なんとなくではしない人だ。
「34.Ask me why(眞人の決意)」ト長調で流れていく曲のアウトロはホ短調になっている。本来は終結部というよりも中間部や間奏として広がっていくパートに相当するだろう。曲想からすると、簡単な道を選ばなかった決意や、新たな試練が待ち構えていることを予感させる。もう一方の見方をするなら、青サギ(ホ短調)との出会いや記憶がしっかり刻まれていること、そんなことまで暗示しているように聴こえてこないだろうか。とてもつながりの深い関係性にあるのだ。
4.追憶
9.静寂
シンプルな単音をくり返す。最小限でありながらピアノにグロッケンやハープといった音色を繊細に編み込んでいる。「追憶」精緻で奥ゆかしいハーモニーを奏でるストリングスは『かぐや姫の物語』(2013)のそれを思わせる。「静寂」できるだけ音数を減らして音と音の間をも聴かせる。『花戦さ』(2017)では、このような静の音楽が一輪挿しのような慎ましさと空間美を表現していた。本作は、息をひそめるシーンで映像と音楽とで観客の集中力を高めている。空気の動きのような音楽、気配を感じて一瞬の動きの変化を逃さぬよう耳を意識をすませる。
6.黄昏の羽根
22.回顧
久石譲らしい曲のひとつだが、ここでも展開や増幅を抑えた構成になっている。『二ノ国 II レヴァナントキングダム』(2018)では、ゲーム音楽ならではのくり返し聴かれることを特徴とした音楽づくりがされている。起承転結の曲ではない、最小限の展開でループできる音楽。そしてもうひとつ、接続的フレーズで曲が終わっていること。本作の多くの曲もしっかりとあとの余韻を残すところまで貢献している。「黄金の羽根」室内楽サイズに近い弦楽のざらざらした音像が、羽根の一本一本その毛並みまで想起させてくれるようだ。「回顧」通常オーケストラサイズに近い。このように音の質感をも絵やシーンの肌ざわりに合わせている。塔にまつわるシーンだ。自作品「交響曲 第2番 第1楽章」(2021・未音源化)の単一モチーフと同じような運動性をもったフレーズが登場していることもおもしろい。
7.思春期
映画鑑賞の後にサントラを聴いている。このシーンは強い印象を残すところで曲よりも絵を覚えていた。だから、どうしてこんな曲想にしたんだろう?と2回目の鑑賞でチェック項目にもなっていた。転校先での風景だ。時代の軍歌や唱歌のような曲想にすることで、取り巻く環境ふくめて風刺の効いたものにしている。あえて主人公の感情や行動からは一歩引いたものにして絵の衝動とバランスをとったのかもしれない。鮮烈で鋭利なシーンだ。
11.矢羽根
23.急接近
豊かなミニマルだ。『フェルメール&エッシャー』(2012)の品のある室内楽、自作品「Winter Garden」(2014・未音源化)の胸躍る高揚感などが瞬時に駆け巡る。もう少し類を広げていいなら自作品「Viola Saga 第1楽章」(2022・未音源化)もそうだ、少し明るいミニマルが顔を出す。このタイトルは英雄伝説や長編冒険譚という意味も持たせている。それはさておき、つまり久石譲の作家性が翼を広げた作風が好きなのだ。本作で1,2を争うほど気に入っている曲で、あまりこの指にとまってくれる人はいないかもしれない。しょうがない。
『風立ちぬ』(2013)「紙飛行機」を思い浮かべることもできる。共通点もある。何かを工作している時間が流れている。作って試してうまくいって。その夢中になっているひとときや胸の高鳴りを表現している。そして工作をとおして心をつなげることもまた「紙飛行機」のシーンとの共通点だ。この指にとまってくれる人はちょっとできただろうか。とても惹かれる。
「矢羽根」ちょうど曲の真ん中あたり、カットとシンクロしているわけではないと思うが、強めのピッツィカートが工作でトントン打っているいる音や、はたまたピンと張った弓の具合を確認しているようなシチュエーションまで想像させてくれる。ピッツィカートはヴァイオリンなどピンと張られた弦を指で弾(はじ)いて音を出す。こうやってイマジネーションをどんどん膨らませてくれるからほんとおもしろい。「急接近」少しやわらかい曲調への変化が、距離感や歩み寄りを感じさせてくれてまたいい。もちろんここも工作している。
心躍る勢いで進めてしまうと、『風立ちぬ』「隼班」も工作、設計と連想するなら曲想もまた同じアプローチだ。ミニマル・エッセンスに溢れている。そうして本作との大きな違いも見えてくる。「隼班」もそうだ、ミニマルで展開しながらも、そこへ滞空時間の長い大きな旋律が奏でだす。『海獣の子供』(2019)もそうだ、ストリングスの大きなメロディが登場してくる。本作にはその傾向は全くない。くり返すが徹底的にミニマルだけで貫いている。こういったところからも見えてくる。
13.ワナ
Future Orchestra Classicsの特徴はリズムアプローチがきっちりしていること。もうひとつがノンビブラート奏法だ。ビブラートをかけない、弦を揺らさない、息を震わせない。そうすることで音がまっすぐに伸びる。遠くまで抜ける音像は本作すべての曲でそうだ。演奏は音価もそろえた細心の注意と集中力の塊だ。感情が入ると音符の長さもバラバラになり、ついつい音を震わせて歌ってしまう。その真逆にある。端正な演奏が感情移入をこちら側に委ねている。久石譲ピアノも、楽曲によって情感をもたせるものとやや強めにリリカルにと弾きわけている。現代オーケストラらしいソリッドなアプローチはFOCの美点だ。微細に移り変わっていくグラデーションのようなハーモニーの変化もまた自作品「I Want to Talk to You」(2021・未音源化)や「Viola Saga」(2022・未音源化)などで磨きをかけている。
14.聖域
15.墓の主
21.別れ
『かぐや姫の物語』(2013)で高畑勲監督がオーダーしたのは【運命を見守る】ような音楽だった。それは【登場人物の気持ちを表現してはいけない/状況につけてはいけない/観客の気持ちを煽ってはいけない】という方向性に集約されていった。「春のめぐり」らその印象的な曲をイメージする人もいるかもしれない。同じような俯瞰さを持ちながら、ここではより威厳や畏敬を感じさせる。
さらに音楽的手法から深い関連性を持つと推察するのは「祈りのうた」だ。ピアノ左手の動きに注目してほしい。一音ずつ隣の鍵盤へ動く順次進行になっている。「聖域」ドシラと3音下がる順次下行の次にドレミと3音上がる順次上行になる。続けてミレド(順次下行)ミファソ(順次上行)と音程を変えてくり返していく。「墓の主」ドシラソファミと大きな順次下行の次にドレミファソラと大きな順次上行になる。それとは別に「別れ」や上2曲の前半部に聴かれる低音は無軌道な動きをしている。ここからイメージできるのは、現実世界とは異なる時間のゆがみや、時間の法則その流れ方の違い。時空が大きく呼吸しているような曲だ。案内人でもあるキリコとのシーンに聴かれる。
16.箱船
スタジオジブリ作品でここまで南国風な音楽を書くのは初めて耳にしたかもしれない。ここからシンセサイザーやエスニックなパーカッションも登場している。ミニマルで貫こうとするとどうしても変化に乏しくなる。アルバム一枚聴いたら全部同じに聴こえた、ミニマル・アーティストにつきまとうあるある。音色や曲想で世界観をカラフルにしているのはさすが、ファンタジーらしさもちゃんとおさえてくる。そういえば、下の世界に吸い込まれていくとき床絵は太陽のモチーフだったような。そういえば、『千と千尋の神隠し』(2001)「神さま達」が船に乗って登場するシーンにも、中低音のボーンと響く打楽器が鳴っていたような。
17.ワラワラ
同じ世界を描いている「箱船」と音色も曲想もつながりがある。楽しいわらべ歌のようなモチーフなのもキャラクターに相応しい。神秘的なオリエンタリズム溢れる曲だ。ボイスキャストの声とは別に曲にもサンプリングボイスが使われている。『となりのトトロ』(1987)のまっくろくろすけはピグミー族の声をエディットしたものだ。ワラワラはどこから来たのだろう。
『となりのトトロ』「メイとすすわたり」、『もののけ姫』「黄泉の世界」、『千と千尋の神隠し』「神さま達」、『ハウルの動く城』「サリマンの魔法陣」、『かぐや姫の物語』「天人の音楽」。久石譲が作品ごとに多彩なサンプリングボイスを込めた曲たちだ。こう見てみると、そこには神聖なもの霊的なものを宿しているように思えてくる。つながって生、生命、魂のようなものを浮き立たせているように思えてくる。『NHKシリーズ 人体III』(1999)もそうだ。サンプリングボイスを登場させるとき、久石譲の流儀がそこにありそうだ。
18.転生
シンセストリングスもなじませながら紡ぐピアノ、久石譲らしい揺らぎのニュアンスとたゆたう調べ。『千と千尋の神隠し』(2001)「6番目の駅」をはじめ相性がいいことはわかっている。きたと耳が喜んでいる。そうは言っても、ありそうでなかった明るくやわらかい響きが心地いい。深呼吸するように演奏も大きな弧を描いている。ストリングスの下から上への二音のくり返しは、高く高く昇っていくことを誘っているようだ。ワラワラのモチーフも登場し、ここまでの3曲はシーンを象徴するように神秘的な音楽に包まれている。
19.火の雨
25.炎の少女
27.回廊の扉
変幻自在な変拍子だ。「火の雨」旋律の動きをパーカッションで重ねている(ストリングスとスネア)。小編成で臨んだときに音像の厚みや立体感を出すためのアクセント術で、自作品「コントラバス協奏曲」(2015)などもっと多彩な打楽器群で盛りだくさんだ。「炎の少女」コーラスは3拍子、オーケストラは4拍子を軸にしている。巧みなポリリズムだ。おもしろいからやってみてほしい。0:09-コーラスに耳を合わせて聴いていくと3拍子のリズムで-0:46まで行けるだろうか。次に同じ0:09-からストリングスに耳を合わせて4拍子で聴いていくと、こっちはわりとすんなり-0:46まで行けそうだ。譜面はどちらの拍子を軸にしているのかわからないけれど、ゴールする地点は同じ。3拍子で聴こうと思ったら、つられたりわからなくなりそうだが、指で三角を描きながらすると、おもしろい躍動感が迫ってくる。火を操るほどのリズムトリックだ。だまし絵で見え方が変わってくるようにどのリズムで聴くかで表情が変わる。(だからほんとやってみてほしい!)。「回廊の扉」ミニマルとはリズムもまたズレたり変化する。ヒミにまつわるシーンだ。
麻衣(久石譲の娘)は『崖の上のポニョ』(2008)の「ひまわりの家の輪舞曲(ロンド)(イメージアルバム)/水中の町(サウンドトラック)」で参加している。リトルキャロルは同作品の「いもうと達(イメージアルバム)」に参加していた。麻衣を中心とした女声コーラスグループで、スタジオジブリ作品の本編音楽としては待望の初参加となった。また久石譲の自作品「I Want to Talk to You」(2022・未音源化)の合唱版も演奏会プログラムに持つ。そのライブ映像は公開されている。美しいコーラスワークをアルバムやコンサートで触れることができる。
20.呪われた海
未使用曲だ。正確に言うと未使用パートも音源化された曲だ。本編に使われているのは冒頭-1:23あたりまで。そして少しカットが進んだあと2:17-endが使われている。中間パートが未使用になっている。もし映画を何回も見ている人なら同じことを思う人もいるかもしれない、仮に一曲そのまま使うとカットと曲のニュアンスが少し合わないように思う。本来そこには別のカットが挟まれていたのか、はたまたイメージアルバムのように長尺で作られた曲想があるのか、興味深い謎がまたひとつ。老ペリカンのシーンだ。呪われた海を表現するのに、使われなかったけれどあったほうがいい、絶対そうだ。『悪人』(2010)や『坂の上の雲』(2009)などにもみられる、抗いようもなく翻弄されてしまう、潜んでいる闇は深い。
使われていないパート、もっとこういうの聴きたいと思ったら『フェルメール&エッシャー』(2012)「Vertical Lateral Thinking」あたりにも手をのばしてほしい。洗練されたミニマルが聴けるはずだ。あるいは極上の小音楽空間へ、現代の最先端の音楽を室内楽やアンサンブルで届けるコンサート「久石譲 presents MUSIC FUTURE」シリーズも、きっと楽器の音をダイレクトに楽しめるはずだ。
24.陽動
28.巣穴
31.隠密
32.大王の行進
「陽動」かわいらしい高音と小さい音の粒。鳥たちのさえずりや群集を思わせるウッドパーカッションも効果的だ。「巣穴」同じモチーフが中音域になる。まるで音の高さと鳥の大きさがリンクしているようでおもしろい。「大王の行進」そうくればどっしり大きい相乗の変化だ。また『映画 二ノ国』(2019)「エスタバニア城」などにもつながる。大王の行進を描いていることはもちろん、そこに王国が築かれているということまでをしっかりイメージさせてくれる曲想だ。インコにまつわるシーンだ。
26.眞人とヒミ
登場人物からすると他曲とつながりを持っていそうに思うけれど、今のところ聴くかぎり独立した曲のようだ。ピアノとカルテットという最小限の編成で奏でられている。漂っているような時間と佇まい。
ミニマル・ミュージックは同じフレーズをくり返すことから、この曲もずっとイントロ?伴奏?でメロディが一向に始まらない?と感じるかもしれない。旋律やコードが進行していかない。たっぷりドラマティックに優しくメロディを奏でてもいいところ。本作の音楽はこれまでのジブリらしさの方法論をとっていない。一瞬でときめくことはないかもしれない、でも時間をかけてじっくり深く沁みわたっていく曲だ。
29.祈りのうた(産屋)
宮崎駿監督の誕生日にプレゼントされた曲だ。2015年に贈られたこの曲は、「三鷹の森ジブリ美術館オリジナルBGM」でありながら久石譲のコンサートやアルバムに収録された稀有な曲だ。ほかにあるのは「WAVE」だ。2015年は三鷹の森ジブリ美術館で「幽麗塔へようこそ展」が開催された。『君たちはどう生きるか』と幽麗塔の世界、塔のなかにある産屋、そして「祈りのうた」の使用。なにかつながりはあるだろうかないだろうか。記憶は不確かでジブリ有識者の助言を求めたいところだが、「幽麗塔へようこそ展」開催時の館内か同展示コーナーのBGMは「祈りのうた」じゃなかっただろうか。
コード進行をほとんど変えない、ミニマル・ミュージックのスタイルにならっている。シンプルな動きなのに深く複雑な響きをしている。そのハーモニーのからくりの一つにピアノ左手の動きがある。後半、低い音から一音ずつ隣の鍵盤へ上がっていく。順次進行といってここでは順次上行になる。ラシドレミファソラ、まるで深いところから上を見ているよう。閉ざされた場所から出口へ向かっていく神聖さがある。
30.大伯父
33.大伯父の思い
35.大崩壊
荘厳な世界だ。高弦の上から下へ連なる二音の連続は、古典クラシック作品にもみられるものでベートーヴェン「交響曲 第9番《合唱付き》第1楽章」もそうだ。自作品「Sinfonia」(2009)もそうだ。なにか啓示的なものを感じる。そんななか、ここでの二音は鋭い稲妻のようなソリッドさもあり、トリルや特殊な奏法で音像がねじれ管楽器らも精巧に重層的にしている。まるで時空のゆがみやひずみのようだ。そう聴いていくと「大伯父」では鳴っていない、「大伯父の思い」を経て、「大崩壊」で一番鳴り響いている。こんなのは後付けの発想だ。気にしなくていい。僕らは自由に羽根を広げることができる。こういう曲想のフルオーケストラを聴きたい、新作交響曲を聴きたい、と希望を描く。普遍的な崇高さもありながら今の時代を映すもの。自作品「Sinfonia」にはすでにその片鱗がある。
36.最後のほほえみ
地平線がつづいていくように、果てしなく広がっていくような曲だ。『海洋天堂』(2010・未音源化)や『NHKシリーズ ディープオーシャン』(2016/2017/2023・未音源化)を思い浮かべる。いずれも聴けないものを挙げてしまったが、海をテーマにした作品だ。この最後の一曲を聴きながら、海のように大きく包みこむもの、母性のようなものを感じた。いつまでも温かいぬくもり。
37.地球儀 / 米津玄師
映画公開直後から多くのエピソードが活字や音声とクロスメディアで届けられている。そちらにじっくり触れることをおすすめする。
仮に天秤を置くなら歌詞に大きく傾くような気がする。たくさんのことが込められ詰まっている。それと比べたなら曲はやはりシンプルだ。まるで手紙を読むように静かに旋律も綴られている。どこまでもエモーショナルな曲にできる人だ。どこまでもインパクトにドラマティックに曲を仕立てられる人だ。こみあげる感情を抑えながらせつせつと手紙を読むように、観客の余韻にも心を配った印象を受ける。静かにすっと心に近づいてくる。
そうは言っても歌うことは易しくない。4拍子を基本としながらAメロは変拍子になっているからだ。「僕が生まれた日の空は|高く遠く晴れ渡っていた」と歌い始めだ。「僕が生まれた日の空は〇〇|高く遠く晴れ渡っていた〇〇」と変拍子分を〇にするとセンテンスごとに2拍分多いことがわかる。これは手紙を読むときの間のようなものなのかなと思ったりもした。ひと呼吸置きながら気持ちを落ち着かせながら読む大切な手紙。だから、リスナーもその行間をくみ取るようにいろいろな風景が伝わってくる。なぜシンプルなら4拍子で統一しなかったのかな?というハテナから巡った一つの回答だ。ずれてても聞き流してほしい。
今気になっている点はふたつある。バグパイプを使用した理由はエピソードにある。もちろん曲に使われたバグパイプのフレーズは独自のものだ。一方で、Aメロに控えめに聴かれるやさしいバックコーラス、この旋律はそのエリザベス女王の国葬でバグパイプが奏でていた旋律と親近性を感じる。まるで宮崎駿監督への生涯のリスペクトの意志が込められているように個人的には感じた。もうひとつはピアノだ。Aメロとサビをつなぐブリッジなどに聴かれる2小節ほどのピアノのフレーズがとても印象的で場所ごとに散りばめられている。アクセントにもなっているし音階的にはこの曲と違和感すら感じる。これは祝福を表現しているのではと直感を持っている。その推察をもとにどこかクラシック曲(例えば宮崎駿監督が好きな時代や作曲家のもの)からのインスパイアがオマージュがあるのではないかと気になっている。手がかりはつかめていない。明るく光射しこめるようなピアノの架け橋だ。
2015年からスタジオジブリ作品の交響組曲化プロジェクトを本格始動させている。『風の谷のナウシカ』(1997/2015年版)『もののけ姫』(2016/2021年版)『天空の城ラピュタ』(2017)『千と千尋の神隠し』(2018)『魔女の宅急便』(2019)『紅の豚』(2022・未音源化)『崖の上のポニョ』(2023・未音源化)と、挙げたすべての交響組曲は「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ」(WDO)で世界初演された。それ以前に発表していた『となりのトトロ』(2002)『ハウルの動く城』(2005)『風立ちぬ』(2014)『かぐや姫の物語』(2014)を加えると、久石譲が音楽担当した全11作の長編映画が出そろっていることになる。ここの()はすべて発表年。宮崎駿監督・高畑勲監督とのコラボレーションはプログラムの要望も高く、日本国内の各地オーケストラとのコンサート共演、そして海外公演での都市初演や共演オーケストラとますます広がりをみせている。今そのど真ん中にいる。
ピアノが中心にある、室内オーケストラで編成されている、シンプルにミニマルに構成されている。映画を観た第一印象からは、この作品が交響組曲になる可能性を想像できなかった。それからサウンドトラックを幾度も幾度も聴いていくうちに、いや交響組曲にはなれるんだと光射す。小編成という点では『風立ちぬ』や『かぐや姫の物語』がイメージの手助けになる。原曲をどうダイナミックなオーケストラサウンドに昇華させたか、映像のための音楽から飛躍したもうひとつの音楽作品。『君たちはどう生きるか』本編には久石譲のピアノが一貫している。交響組曲のオーケストレーションで、他楽器への置き換えやオーケストラの一部となるピアノ、ここが鍵を握ることは言えるのかもしれない。上の楽曲レビューでは、同じ曲をグルーピングしてまとめた。アレンジ違いだ。そうすると、なるほどこっちのバージョンなら、と交響組曲への道はたしかに拓けてこないだろうか。
▽最後に
好きなジブリ作品を3つ聞いたらだいたいの世代がわかる、そのくらい日本人の多くはジブリを近くに育ってきた。『君たちはどう生きるか』でジブリ映画館体験をのばしたファンもいるだろう。あるいは本作が初めてのジブリ映画館体験だった人もきっといる。一つの映画をきっかけにその監督の作品がもっと観たくなる好奇心、あらためて触れなおしたときの新鮮な感覚。音楽もそうだ。本作をきっかけに久石譲音楽の扉をたくさん開いてほしい、新しい聴こえかたがしてくるかもしれない。その想いで点と点を線にするように多くの作品群を挙げてきた。『君たちはどう生きるか』は久石譲のここに至る創作活動の理解を深めるアルバムになっている。この映画は今もっとも久石譲らしい音楽の結晶だ。
今後の関連書籍や制作秘話(エピソード)で誤った解釈は修正していける。また久石譲ファンやジブリファンの興味深い考察に触れたときには、自分になかったものが豊かに芽生えてくるはずだ。わからない、気づいていない、間違っている。そんなものだ。これは出会ったときの感想で完結させる必要もない。僕らの『君たちはどう生きるか』は始まったばかりだ。そしてレジェンドたちを語り明かすのはまだ先になりそうだ。
*レビュー内、宮崎駿監督の「崎」は「たつさき」が正式表記
*未音源化…2023年8月時点
最後まで読んでいただきありがとうございます。
2023.8 ふらいすとーん
2023.11.29 一部修正
1. Ask me why(疎開)
2. 白壁
3. 青サギ
4. 追憶
5. 青サギⅡ
6. 黄昏の羽根
7. 思春期
8. 青サギⅢ
9. 静寂
10. 青サギの呪い
11. 矢羽根
12. Ask me why(母の思い)
13. ワナ
14. 聖域
15. 墓の主
16. 箱船
17. ワラワラ
18. 転生
19. 火の雨
20. 呪われた海
21. 別れ
22. 回顧
23. 急接近
24. 陽動
25. 炎の少女
26. 眞人とヒミ
27. 回廊の扉
28. 巣穴
29. 祈りのうた(産屋)
30. 大伯父
31. 隠密
32. 大王の行進
33. 大伯父の思い
34. Ask me why(眞人の決意)
35. 大崩壊
36. 最後のほほえみ
37. 地球儀 / 米津玄師
作曲・編曲・プロデュース:久石譲
指揮・ピアノ:久石譲
演奏:Future Orchestra Classics
ゲストコンサートマスター:郷古簾
コーラス:麻衣&リトルキャロル
マニピュレーター:前田泰弘
レコーディング&ミキシングエンジニア:秋田裕之
アシスタントエンジニア:安中龍磨(Bunkamuraスタジオ)、萩原雪乃(ビクタースタジオ)
マスタリングエンジニア:藤野成喜(ユニバーサルミュージック)
音楽制作マネージメント:川本伸治、佐藤蓉子、宮國力
楽譜制作:蓑毛沙織、蓮沼淳史
マネージメントオフィス:ワンダーシティ
スタジオ:Bunkamuraスタジオ、ビクタースタジオ
音楽製作:スタジオジブリ
製作プロデューサー:鈴木敏夫
主題歌
地球儀 米津玄師
作詞・作曲・プロデュース:米津玄師
編曲:米津玄師、坂東祐大
レコーディング ミックス:小森雅仁
マスタリング:ランディ・メリル/スターリングサウンド
ボーカル:米津玄師
ドラム:石若駿
ピアノ,シンセベース:坂東祐大
バグパイプ:十亀正司
制作:リイシューレコーズ
and more…
Posted on 2023/11/24
ラジオ ニッポン放送「黒木瞳のあさナビ」に久石譲が登場します。月曜日から金曜日まで毎日約6分間番組です。約1週間かけて久石譲との収録トークを紹介していくプログラムだと思います。ぜひお聞きください。 “Info. 2023/11/27-12/1 [ラジオ] ニッポン放送「黒木瞳のあさナビ」久石譲登場 【12/1 update!!】” の続きを読む
Posted on 2023/11/29
映画『君たちはどう生きるか』の公式ガイドブック(発売日:2023年10月27日)です。オールカラー全76ページ、監督の企画書からキャストやスタッフのインタビューが掲載されています。久石譲インタビューは先に「熱風 2023年10月号」に収録された25ページのロングインタビューからの抜粋編集版として、見開き2ページにまとめられています。
宮﨑さんのすべてがつまった映画
音楽 久石譲
鈴木さんから「宮さんの新作をよろしく」と言って頂いたのは5年くらい前だったと思います。その後、風の噂で絵コンテが進んでいると聞いていたけれど、具体的なお話を頂くことはなかった。「本当に今回、僕がやるのかな?」と内心思っていたのです。
2021年の11月、二馬力(宮﨑駿監督のアトリエ)にお邪魔した時、初めて宮﨑さんから「次、頼みます」と言って頂いて、内心驚きました。でも、いつもと少し違った。来年(2022年)の夏ぐらいに映像ができあがるので、それを観て作ってほしい。絵コンテもそれまでは読まないほうがいい、と。また宮﨑さんの作品をやらせてもらえるといううれしさはあるのだけれど、半年後まで作品の内容を知ることができない。困ったなぁ、という気持ちもありました。
それから年が明け、(2022年)1月5日に宮﨑さんが、僕の仕事場に来られました。あの日は宮﨑さんの誕生日で、僕は毎年、曲を書いて二馬力に持って行くんですが、その時に作った曲が、眞人のテーマ曲ともいえる「Ask me why」だった。この段階では、僕は絵コンテも映像も観ていません。でも、宮﨑さんがその曲をすごく気に入られて、後日「宮﨑さんが『これってテーマ曲だよね』と言っていた」ということを伝え聞きました。それを聞いて、しまった、と(笑)。宮﨑さんって刷り込みの人だから、一度曲を聴いて「いい」というスイッチが入ってしまったら変更が利かない。僕自身は、映像を観てからテーマとなる曲を書くつもりだったけれど、こうなっちゃったらもう、戻れない。覚悟を決めました。
7月に仕上がった映像を観て、最初に2部構成だと感じました。前半は「風立ちぬ」のように、少し前の時代の現代が舞台。後半は「崖の上のポニョ」のようなファンタジーであると。前半はできるだけ小さな編成でゆき、後半はオーケストラになっても構わないという構成をイメージしました。絵のトーンも、全体的に今までとは違っていました。これまでだったら、仮の音声が入っていて、間に合っていないカットは線画や絵コンテでした。ところが今回、映像はほぼ仕上がった状態で、セリフも効果音も一切入っていなかった。そこで完成した映像を見てから作ってほしいという宮﨑さんの言葉を思い返し、僕なりに理解をしたのです。宮﨑さんは7年という歳月をかけて、映像としての完成度を徹底して求めてきた。その間に、よけいなことを考えたくなかった。恐らく役者のことすら考えたくなかったんじゃないでしょうか。効果音とか音楽も含めて、映画を総合的に捉えるより、まず自分が描きたい絵を連ねることのみで行けるところまで行く。その熱量に圧倒され、しばらく映画と距離を置きました。ドーッときた衝撃を受け止めるのに、数ヶ月はかかったと思います。
映像を観終わったあと、宮﨑さんがふらりと顔を出されて「あとはよろしく」と一言(笑)。通常、映画の音楽を作るときは絵コンテや台本を読みながら、音楽打ち合わせを行います。今回は、それもなかった。「どこに音楽を入れるかもすべて任せますから、お願いします」と。通常、2023年の夏公開だとゴールデンウィークあたりが音楽制作のピークなのですが、突然、1月いっぱいで音楽を上げてほしいと連絡があって。海外の映画祭への出品を視野に急遽早まったのだと思いますが、そのために僕は日本中の音楽家から嫌われて仕事を失いかねない3つの大きい仕事を全部キャンセルしました。宮﨑さんには育てて頂いたという思いがありますから。「風の谷のナウシカ」からのスタッフで残っているのは僕と鈴木さんだけだと思います。ひとりの監督の作品の音楽をずっと手がけていれば、普通だいたいどこかで関係が難しくなるのですが、なぜか奇跡的に続いています。ざっと40年ぐらい。世界的にもスピルバーグとジョン・ウィリアムズぐらいじゃないでしょうか。
今回面白かったのは「じゃ、あとはよろしく」と言われたことで、一音楽家として曲を書くことより、ひとつの映画の音楽全体、あるいは音響全体までをまとめなきゃいけないという意識が強まったことです。新たに広がった視野で考えていった時、僕の掌の中にはすでに宮﨑さんに毎年贈ってきた曲が溜まりに溜まっていることに気づいたんです。4、5分以上の曲が14~15曲以上あって、すぐに「この素材を全部使えばいいじゃん」という発想に切り替わった。かなりタイトな制作期間だったにもかかわらず、制作に集中することができた。宮﨑さんが「これってテーマだよね」と言ってくれた曲があったことも心の支えでした。
作曲者ってやっぱりエゴがあって大概の場合、セリフと効果音って敵なんですよ。セリフも効果音も「うるさいから下げてください」って(音響演出の)笠松(広司)さんにしょっちゅう言っていたんですが、今回のように映画全体の音の設計を考えはじめると、「ここ、効果音くるよな」って想像がつくわけです。効果音がくるなら「ここはピアノ1本にしちゃうか」とか、トータルで設計ができるようになってくる。そういう意味では今回、セリフを録るのが一番遅かった。通常なら、あれだけの映像ができていたら即アフレコを開始しています。だからこそ宮﨑さんが今回の作品でどれだけ”絵の力”に意識を傾注していたのかがよくわかる、と僕は思ってしまう。その姿勢が最後までブレなかった。長編映画12作品目で、いまだに方法論まで一気に変えられるというのは心底すごいなと思いますね。
11月15日、映画の主要なシーンに10曲ほどの音楽を仮付けしたものを、宮﨑さんと鈴木さんに聴いてもらいました。映像を見ながらじっと音楽を聴いていて、眞人の部屋の机の上に積まれていたあの本(『君たちはどう生きるか』)が床に落ちて、表紙の内側に母の文字が見えたところに「Ask me why」が被さった時、宮﨑さんが涙を流されたということがありました。「これでいいです」と言って頂いて。修正やリテイクもなく、その段階で直しをお願いされたものは1曲もありませんでした。
宮﨑さんはある時期、僕にこう言っていたんですよ。「久石さん、そんなに頑張らないでいいですよ」って。僕は毎回、次の映画のために新しい音楽のスタイルを発見するように頑張るわけです。そうすると、「久石さん、そんな頑張らないで書いてください。僕なんか、見てごらんなさい。みんな同じ顔ですよ」って。真意は謎ですが僕なりの解釈では、変えようとする努力自体が空回りしちゃうケースが多くて、自分が知っている世界を認識したまま目の前の仕事としっかり向き合うだけで、僕が望むような変化は現れる、というようなことを伝えたかったんじゃないかなと思います。宮﨑さん自身、今回、何かを変えようと思って描いているわけではない。それでも同じシチュエーションの映画は1本も作っていない。宮﨑駿という作家は常に自分が本気になれるところを探して、全力でそこへ向かって行く。その意識自体が停滞しなければ、多少登場人物の顔が同じであろうがどうでもいいんですよね。
「君たちはどう生きるか」のような内容の作品だと、宮﨑さんにわかりやすいエンターテインメントを期待している観客は少し引いてしまう可能性がある。その時、僕の役割としては映画をわかりやすくするためにメロディで攻めるという方法もあるんです。できるだけエンターテインメントの雰囲気を音楽が醸して、より多くの観客にとってわかりやすい方向へ近づけることもできる。でも、今回はまったくその意識がなくて。宮﨑さんがそこに行こうと思っているんだったら、僕もそこに行く。一般の人にわかる、わからないよりも、こんなの見たことないよねということを一緒にやると決めたんです。
(「君たちはどう生きるか」公式ガイドブックより)
「君たちはどう生きるか」ガイドブック
CONTENTS
作品解説
あれから10年──宮﨑駿の自伝的ファンタジーの誕生
長編アニメーション 企画書
題名「君たちはどう生きるか」ー120分ー
インタビュー
山時聡真 眞人の冒険を、真に受けて欲しい
菅田将暉 映画を通してどう生きるか
木村拓哉 宮﨑さんはサンタクロース 鈴木さんはトナカイ
木村佳乃 母になるということ
柴咲コウ 宮﨑監督が描いた世界は存在する
あいみょん それぞれが生きる道
キャストコメント
滝沢カレン、阿川佐和子、風吹ジュン、竹下景子、大竹しのぶ、國村隼、小林薫、火野正平
2017年7月3日 宮﨑監督によるメインスタッフへの作品説明
イメージボード集
アニメーター座談会
本田雄×山下明彦×井上俊之×安藤雅司 宮﨑さんと仕事をするということ
インタビュー
美術監督 武重洋二 宮﨑さんの頭の中を覗きにいく旅
撮影監督 奥井敦 光があれば、闇がある
ポスプロ座談会
古城環×笠松広司×木村絵理子
インタビュー
主題歌 米津玄師 僕たちはどこに立っているのか
音楽 久石譲 宮﨑さんのすべてがつまった映画
プロデューサー 鈴木敏夫 映画の原点に帰りたかった
同取材ロングインタビュー版
同インタビューの要点箇条書き/サントラレビュー
Posted on 2023/11/29
スタジオジブリ小冊子「熱風 2023年10月号」に掲載されたものです。《特集 君たちはどう生きるか 第2弾》にて久石譲ロング・インタビューが25ページにわたって綴られています。久石譲自身による待望の語り下ろしはもちろんのこと、映画公開直後の取材としては当面これだけになるだろう、たっぷりと語り尽くしてくれた貴重な内容になっています。
特集 君たちはどう生きるか 第2弾
宮﨑さんが行こうと思っているんだったら僕もそこに行く。
こんなの見たことないよねということを、一緒にやると決めたんです
久石譲
ー今回はお時間をありがとうございます。久石さんは、しばらく日本におられるんですか。
久石:
今日、軽井沢から帰ってきました。今月はマーラーの5番と自分の曲の演奏会があって。これは新しくできた曲のスコアですよ。「アダージョ」。
ーマーラー5番4楽章にインスパイアされたということで、長さも編成も、マーラーの5番の前に演奏するのにふさわしい曲ですね。
久石:
日本でマーラーをやって、その後ロンドンのウェンブリーでコンサート。1万2500人で2日間、これは最初はコロナで2回延期になって、去年は僕がコロナにかかって延期と、もうずっと延期になっていたものですね。その後はウィーンでレコーディングです。
ーマーラーの5番を演奏されるのは10年ぶりぐらいですね。
久石:
そうです。当時は夢中でね。全然わけもわからなかったけど、今も難しいね。難しいというか、死にそう。毎晩それでこもっているんだけど、やっぱりやってもやってもヤバいですね、あの人は。
ー以前、久石さんが5番をやったときはメロディーを延々とつないでいく70分で、ずっと歌っている感じがありました。ああいう解釈って今まで聞いたことがなかった。
久石:
えっ、ほんと? じゃあ、一度自分でも聴いてみないと(笑)。ソナタ形式という形式は持っているんだけど、その間にとりあえずなんでも挟み込んでいいというスタイルをとっているから、構造がすごく見えづらいよね。でもその感じって、たぶんジューイッシュ特有の世界観があるからね。もう少し勉強しないとまずいね。
ーほんとに難しいと思います。だから高畑(勲)さんはあまりマーラーが好きじゃなかったんですよね。無駄が多いというか、挿入句が多いからと。
久石:
そうそう。だってミニマリストからするとマーラーは対極だからね。われわれは要素を削って削って構成するのに、彼は何でも次々と投入してくる。われわれとは本来合わないはずなんだけど、でも僕はマーラーが好きなんですよ。
あ、ごめんなさい、本題は「君たちはどう生きるか」でしたね(笑)。
ーはい。ようやく『熱風』でも「君たちはどう生きるか」の特集を組むことになったので、今回はぜひ久石さんに音楽のお話を伺いたくて。
久石:
たぶん「ナウシカ」からのスタッフで残っているのは僕だけだよね。
ーそうですね。「ナウシカ」からずっと関わっている方はもういないかもしれません。
久石:
一人の監督の作品の音楽をずっと手がけていれば、普通だいたいどこかで関係がぽしゃるんですけど、なぜか奇跡的に続いていますね。世界的にもスピルバーグとジョン・ウィリアムズぐらいしかいないんじゃないかな。
ー「ナウシカ」以降の宮﨑さんのすべての長編作品ですね。
久石:
うん。ざっと40年です。
ー今回はぜひそのあたりの歴史までを丸ごとお聞きしたと思って。
久石:
僕もね、忘れないうちにきちんと一度、今回の映画音楽の話をしておいたほうがいいかなと。取材をたくさん受けている暇もないから、ここで「君たちはどう生きるか」に関して自分が音楽でやったことを全部語っておきたいんです。
ーよろしくお願いします。
宮﨑さんの誕生日に贈った曲がテーマに
ーインタビューの前提として最初に確認させていただきたいのですが、鈴木プロデューサーは今回の音楽について「ミニマル音楽で映画音楽を全編通してやった人はいない。久石さんは今回それに挑戦して成功した」と発言しています。この解釈は久石さん的には正しいんですか。
久石:
正しいと思いますよ。やはり日本の映画で音楽を作っている限り、どうしても皆さんメロディーを要求してきます。宮﨑さんの映画をやっている副作用みたいなもので、愛と感動のようなものを要求されることが多い。初期の北野(武)さんの作品ではすでにミニマル的アプローチをやってはいましたが。で、この4、5年は中国の映画などでミニマル的アプローチで全編通すということをいくつか試みていたんです。で、今回「君たちはどう生きるか」の映像を初めて観たとき、ああ、これはもう愛と感動の方式をとらないでいいだろうと、はっきり思ったんですね。そのとき、メロディーではなくミニマルで行こうと腹を決めたのは事実なので、鈴木さんの解釈は正しいです。
ーでは、ここからは時系列でお話を聞かせてください。今回の作品の音楽の依頼を久石さんが受けたのはいつ頃どのような流れだったんでしょう。
久石:
今回はすごく特殊なんですね。鈴木さんからは5年くらい前に「次の新作よろしく」という言葉をいただいていたんだけれど、その後風の噂では絵コンテがどんどん上がっているらしいのに具体的な話がなかなか来ない。これまでだと、絵コンテのAパートぐらいが仕上がると、もうBパートの途中くらいで呼ばれて打ち合わせをしていたんですよ。ABくらい上がったら完全に打ち合わせできている。ところが今回は、かなり上がっているはずなんだけど、全然話がない。だから僕がやるというのもほんとなのかな、と思うくらい。
ーもしかしたら自分じゃないんじゃないのかと。
久石:
そう。ということもあるかなみたいな。なにせ、一つ前は高畑さんの作品「かぐや姫の物語」の音楽をやっていますから(笑)。
ー裏切り者ですね。
久石:
それはジブリの打ち上げのときに言っちゃいましたからね。もちろん冗談ですけどね(笑)。そういう意味で言うと、何か今回はいつもと違うなというのはすごくありました。
ー現実に仕事が動き始めたのは、いつくらいなんでしょうか。
久石:
現実的な依頼ということであれば、2021年の11月だと思います。ロンドンで行われていた舞台「My Neighbour Totoro(となりのトトロ)」の件でちょっと宮﨑さんに報告しなきゃいけないことがあったので二馬力(宮﨑駿監督のアトリエ)にお邪魔したんですね。そのときに初めて宮﨑さんから「次、頼みます」と言われて、オオッて内心ちょっと驚きました。ただ、そのときの依頼の仕方がまたいつもとは違っていて。来年の夏ぐらいにほぼ映像ができあがりますから、それを先入観なしで観てほしいと。従って絵コンテもそれまで渡さない、その後にしたいと。
ーそれは今までとやり方がかなり違うんですね。
久石:
全然違います。自分がやらせてもらえるといううれしさはもちろんあるんだけれど、そうすると事前勉強したくなるのが通例なんです。でも今回は、それから半年後まで待ってということですからね。手持ち無沙汰というか、困ったなという気分も少しありましたね。それでその年が明けた1月5日に宮﨑さんが僕のこの麻布の仕事場に来られたんです。たまたまこちらに来る他の用事があったので、ついでに寄られたんですね。1月5日は宮﨑さんの誕生日で、僕はこの日は毎年、曲を書いて二馬力に持って行くんですよ。
ー毎年久石さんの曲を宮﨑さんにプレゼントしているということですか。
久石:
ええ、1月1日、2日はお酒を飲みまくってますから3日か4日ぐらいに考えて、5日の朝に僕のピアノと少ないスタッフでスタジオに入って、そこからレコーディングをしてミックスして宮﨑さんに届ける、というのが毎年の大切なルーティン。でも昨年の5日は宮﨑さんが初めてこちらに見えられると聞いたので、いつもより前倒しして4日に録った、1日早く。そしてここで宮﨑さんに聴いてもらったんです。それで宮﨑さん、すごく喜んでくれて。そのとき作った曲が「Ask me why」なんです。
ー今回の映画の柱になっている曲ですね。あれ? でも、このときはまだ久石さんは絵コンテも映像も見ていない時期ですよね。
久石:
そう。この段階では、映像も絵コンテも見ていないし、映画について何も知りません。でも、宮﨑さんはその曲をすごく気に入られて、後日2、3日後かな、鈴木さんか他の方からだと思うんだけど、宮﨑さんが「これってテーマだよね」っておっしゃっていたというのを伝え聞いたんです。それを聞いて、しまった、と(笑)。
ーどうしてですか?
久石:
宮﨑さんって刷り込みの人だから、一度曲を聴いて「いい」というスイッチが入ってしまったら変更が利かないんですよ。僕自身は当然、宮﨑さんに言われた映像を観てからもう1回きちんとテーマとなる曲を書くつもりだったけれど、こうなると何を書いてもダメですからね。あっ、もう決められちゃったなみたいな気分があって。
ーホッとはしないんですか、単純にOKが出て良かった、と。
久石:
いや、だって1日ぐらいで作ったから(笑)、そうは思いませんよ。ただ、あの曲のアイデアは実は半年以上前から持っていたものなんです。歌のように、お経のようにつぶやいているものを書きたいとずっと思っていて。正直に話しますと、毎年1月5日に持って行っていた曲というのは、最初はジブリ美術館用のつもりだったんですね。こういう展示物があるから作るというのではなく、何か展示するときに自由に使ってもらえばいいぐらいの感じで。そうするとイメージの源泉は宮﨑さんしかないんです。だって用途を頼まれて書いているんじゃなくて自主的に作るんだから。宮﨑さんに聴いてもらいたい曲を書くというコンセプトの中で、自分がそのときに素直に書きたいと思ったものを作る。宮﨑さんが新作の制作に入ってからは、青サギが出てくるらしいということやインスピレーションを得た小説の話などは知っていましたが、具体的な内容なわからないけど、ちょっと心に引っかかりを持った少年の話になるみたいだと聞いてはいたんですね。頭にそれがあるから、5日に曲を書くとき、素直に宮﨑さんに聴いてもらいたいという気持ちと同時に、そのイメージが入ってくるんですよ、なんとなく。
ー映像は見ていないけれど、断片的な情報が自然と刷り込まれていたわけですね。
久石:
ええ。だからこの3年ぐらいはそういうものが僕の中に入っていたことは事実です。その結果として生まれた「Ask me why」を宮﨑さんが「テーマだよね」と感じられて、とてもうれしいと同時に「あ、じゃあもう努力しても無駄かな」みたいな気持ちにもなった(笑)。自分ではまだチャレンジするつもりではいるけれど、かなり厳しいな、と。
ー今までの経験から宮﨑さんの頭の中ではもうフィックスしてしまったとわかる。
久石:
だってね、今までもデモテープをお渡しするとき、これ、ピアノスケッチですからね。オーケストラに変わりますと何度も言って、宮﨑さんも「うん、うん」って応えているんだけど、オケになった本番の曲を渡すと、「全然違う曲だ」って必ず言いますから(笑)。
ーそこまで固まっちゃうんですね。
久石:
というかね、シャッターを押すように覚えられるんじゃないかな。ビジュアルもそうで、普通の人は写真を撮って記録するけど、宮﨑さんはそういうことをやらない。一瞬で全部を覚えちゃう。音楽でも同じように「あっ、これはフィットした」と思ったときの感覚をシャッターを押したように覚えていらっしゃる。そうすると、もう変えるのがなかなか難しいんんですよ(笑)。
宮﨑監督が何をしたかったのかよくわかった
ー時系列的には、そこから7月に仕上がった映像を観るところまで飛ぶわけですか。
久石:
はい、飛びます。
ーその間は映画音楽に関する作業は何もやっていない?
久石:
何もしていません。そもそも2022年までの2年間は新型コロナウィルスが最も厳しかった時期で、海外の公演も全部延期になっていましたから。スタジオにスタッフを呼ぶことすらできない。ただ、かわりに時間がたくさんできたから、その期間に作品をすごく書きました。仕事の量でいうと映画も含めて一番たくさんやったくらい。コンサートに時間を取られないで済んだぶん、一人でこもる時間ができたので創作に集中できた。だから世間的にはすごく苦しい期間だったけど、僕にとっては作家として充実した時間ではあったんです。ただ2022年からは延期されていた海外での公演やレコーディングが全部復活して、異常な仕事量でした。北米ツアー、フランスツアーなどなど、年の半分は海外にいたくらい。
ー揺り返しで時間を取られて。
久石:
もう行く先々の国でコロナ感染の危険を感じて。で、海外にいる間は不思議と無事なのに、なぜか日本でかかるんですよ。僕の場合、日本でのコンサートで感染したんです。そういう状況があったので、映画のことは頭に置いていましたが、具体的な作業はほとんどやってなかった。で、7月7日にようやく映像を観に行きました。
ー七夕ですか。
久石:
ええ。七夕だからよく覚えていますよ。
ー初めて新作の映像をご覧になっていかがでしたか?
久石:
最初にわかったことは、これは2部構成だと。前半と後半は映画自体がまったく違う。前半はどちらかというと一つ前の「風立ちぬ」のような、時代的には少し昔の非常にリアルな話であると。後半は、ある意味で「ポニョ」のようなファンタジー。それもけっこう強力な天国と地獄のようなイマジネーションの世界に入る。そうすると音楽のやり方としては、前半はできるだけ”ちいさな編成”で行く。後半はオーケストラになってもかまわないという構成を観たときにまず思いました。
もう一つは、宮﨑さんの作品に出てくる男の子は、いつも品行方正で個人的な感想を言うと、あまり面白い人物じゃなかった(笑)。アシタカにしても宗介にしても真面目で実直。やっぱり女の子の主人公のほうが個人的には好きかなと思っていて、でも、今回の主人公は男の子だという。どうなるかなと思っていたら、ちょっとトラウマを抱えた少年で、ああ、全然違うアプローチをされたんだと。
それから絵のトーンが全体に今までとは違っている。さらにいえば、通常だと声優の代わりにひとまずジブリの社員の方に各キャラクターのセリフを読んでもらった仮の音声が入っているんですよ。そして映像のほうは間に合っていないカットが線画だったり絵コンテを撮影したものを挟んだ状態であがってくる。ところが、今回はセリフも効果音も一切入ってないんです。にもかかわらず、映像だけは95%以上完成していた。
ーそこまで仕上がった状態で、音声の仮アテもしてなかったんですか。
久石:
してないんです。効果音も一切入っていない。普通は効果音もある程度入り、仮の声があてられていて、絵の完成度は60%から70%くらいというのがこの段階での映像です。ところが、今回はまったく逆なんです。そこに、半年前に依頼を受けたときの宮﨑さんの言葉、今回は絵コンテは見せずに最初に完成した映像を見てほしいという話を重ねあわせると、宮﨑さんが何をしたかったのかというのが僕なりによくわかった。
ーどういうことですか?
久石:
つまりね、映像としての完成度を徹底して求めていたと思います。その間によけいなことを考えたくなかったんですよ。恐らく役者のことすら考えたくなかったんじゃないかな。効果音とか音楽にしても、そういうことで作品を総合的に捉えるより、まず自分が描きたい絵を連ねることのみで行けるところまで行く。そういう決意かな。だから圧倒されちゃって。それからまたしばらく放っておきました。ダメだ、こりゃと思って(笑)。
ーそれほどの衝撃だったんですね。
久石:
だって、何も知らされていないんですよ。絵コンテその他も一切知らないで、いきなり観たわけです。ドーッと来たこの衝撃を受け止めるのに、やっぱり数カ月かかりました。確か効果音の笠松(広司)さんも同じ映像を一緒に観ていたはずなんだけど、お互いに一切言葉をかわさなかったし。
ー効果音と音楽の担当者が、お互い無言で。
久石:
うん。観終わった後に宮﨑さんがふらりと来て、少し言葉をかわしたんですけどね。「あとはよろしく」って言うんですよ。なんですか、それって(笑)。海外でも日本でも映画音楽を作るうえで一番大事なのは、監督と音楽の話をして、コンテや台本を挟んで、ここからここまで音楽を入れます。ここはこういう感じの音楽を書いてほしいっていうコミュニケーションが命なんですよ。そういうことをやるんですよ、普通。
ーでしょうね。
久石:
どんな映画だってやります。音楽の位置や方向性を決める「M打ち」。それを「いつやりますか」って訊いたら、ないんですよ。「あとはよろしく」と(笑)。どこに音楽を入れるかも含めて全部任せますから、お願いします。ロンドンの公演でも全部自分でプロデュースしてるんだから、大丈夫でしょう、やってくださいって。それで終わりです。
ーすごい(笑)。その後の打ち合わせは。
久石:
そのまんま放置です。
ーとりあえず次はこういうものを出してくださいとか、そういうのも何もなく。
久石:
一切ない。俺に任せる? 効果音は? 普通ないよね、これ(笑)。
ー音楽を入れる位置までお任せって、あまり聞いたことないですね。
久石:
さすがに何か言ってくれるかもしれないと思ってしばらく放っておいたんです。そしたら本当に何も言ってこない。10月はフランスツアーをやっていたのでアリーナツアーの最終あたりに笠松さんに初めて連絡をしました。「ちょっと危険だから、仮M、入れる箇所を相談して決めよう」って。で、10月の末にここで打ち合わせをしました。
笠松さんは真面目な方だから、ある程度音楽を入れる箇所を考えてくれていて、そこに僕の意見も加えてプランを作り、宮﨑さんに「こういう感じで入れますよ」と投げた。宮﨑さんは「あっ、いいですよ」って応えてくれたけど、実際に聴かないとわからないから。
通常2023年の夏公開だと、その年のゴールデンウィークあたりが音楽制作のピークなんですよ。僕自身もそのつもりでいました。ところが1月いっぱいに仕上げてくれって突然きた。
ーえっ、どうしてそんなことに?
久石:
たぶん、海外の映画祭への出品を視野に入れて急遽早まったんんじゃないかな。それで僕、日本中の音楽家から嫌われて仕事を失いかねない三つの大きい仕事を全部キャンセルしたんです。あ、これ、しっかり書いておいてね(笑)。
ー「君たちはどう生きるか」で久石譲が犠牲にした三つの仕事ですね。
久石:
そうです。日本の全オーケストラが演奏するという曲、日本オーケストラ連盟のスポンサーで委嘱を受けていた仕事も断って。日本中のオケから睨まれるぐらいのえらいことをして。あと日本の重鎮中の重鎮が集まった作曲家の個展に曲を書くことになっていたのも断って、日本の作曲界からもう大バッシングで……。
ーそれは向こう側からするとドタキャンに近いんですか。
久石:
完全にドタキャンです(笑)。
ーそれじゃまずいですね。
久石:
映画のせいとは言えないから、いや、もういろいろ重なっていて、コロナになったせいもあり、とかいろいろ言って断ったんだけど、いずれにしろドタキャンですからね。
ーそうまでして宮﨑さんの仕事を優先されたのはなぜですか?
久石:
自分の気持ちとしては、宮﨑さんがそこまでに書いてほしいと言うなら、40年のつき合いですからね。宮﨑さんの機嫌を取る気はゼロです。そういう気持ちは全然ないんだけど、この映画は世界中の人が待っているわけだし、日本のクラシック、ごめんなさい、みたいな感じです。
ー決め手は、お客さんの数ですか?
久石:
というか、やっぱりそこで育ててもらったという気持ちがありますから。それに依頼の順番ということでいえば、鈴木さんから「次の作品よろしく」と言われたのは5年以上前なわけだし、それはしょうがないというのがあって。なんやかんや言っていろいろお断りをし、1月に間に合わせるためにそこからこもって11月の後半から作り出しました。
ー制作期間2カ月ですか。
久石:
レコーディングを開始したのが1月20日前後ですから正味2カ月もない。
ーそれは今までの作品と比べてスケジュール的には短いんですか。
久石:
短いです。ただ、今回面白かったのは「じゃ、あとはよろしく」と言われたせいで、一音楽家として自分が曲を書くことより、一つの映画の音楽全体、あるいは音響全体までをまとめなきゃいけないという意識が強まった。そうやって新たに広がった視野で考えていったとき、僕の掌の中にはすでに宮﨑さんに向けて毎年贈ってきた曲が溜まりに溜まっていることに気づいたんですよ。いつかCDにまとめようと思っていたくらいに。
ーそれは、その時点で何曲ぐらいあったんですか。
久石:
4、5分以上の曲が14、5曲以上あったと思います。それと、実は2022年にアメリカのテレビドラマの音楽の話があって、これも実はトラウマを受けた青年の話だったんですよ。いわゆる配信系の大作で、まだ台本はなく、ただトラウマを受けた青年の話ということくらいしかわかっていなかった。
ー不思議なめぐり合わせですね。
久石:
それでね、とりあえず海外に行ったらホテルにコンピュータをセッティングして、まず曲を書いていたわけ。リハーサルが始まったら作曲はできないから、その前にとにかく書いて曲を溜める。だからこの時期に作った曲は全部「デモ・ストラスブール」「デモ・ブルノ」「デモ・パリ」「デモ・ロンドン」って作った町の地名がタイトルについていて、そんなものが20曲ぐらい溜まっていたんです。そうやって進めていたけれども、さすがにこのスケジュールでテレビドラマは僕にはできないことがわかってくる。ああいうドラマって、ある週に3話、4話まとめて作らなきゃいけなかったりするんですよ。物理的に無理で、途中でこれはダメになった。ただ、そうしたら曲が残っちゃったんですよ。
ーなるほど。誕生日プレゼントのストックと米国ドラマ用に作った曲が。
久石:
ドラマ用というか、この時期は「君たちはどう生きるか」とテレビドラマの垣根はなく、どちらにも使えるであろう曲をずっと溜めている状態で、だから何の用途もなく作ったデモが膨大にあったわけです。そして、ドラマの仕事は消えた。ここで、それまでの僕だったら、頭を抱えるか立ちすくんでいたかもしれないけれど、今回は一音楽家というより、映画の音楽全体をまとめなきゃいけないという意識が強くて、すぐに「あっ、この素材を全部使えばいいじゃん」という発想に切り替わった。
ーある種、音楽監督的な立ち位置になったとき、新たに見えてきたものがあったという感覚なんでしょうか。
久石:
作品と関わる視野が広がったおかげで、音楽家としての選択肢も広がったというのかな。そこから、笠松さんと決めた音楽を入れる箇所に、自分が溜めた曲をはめたり、その流れを見ながら新たに浮かんできたところは曲を書き足したりしていったわけです。
ー今回の音楽ではとくに物語の前半部で緊張と静寂と孤独感が漂うピアノの音が印象的でした。そういう方向性もこの時期に考えられていったということですか。
久石:
7月7日に初めて映像を観たとき、前半はできるだけ”ちいさな編成”でいくと決めたとさっき言ったけれど、そのときにもう疎開先での少年の孤独の世界はピアノ1本でほぼ行くと決めていて、骨折していた手もだいぶ治っていたから自分で弾くことも決めていた。僕のピアノにバイオリンとチェロが入ったぐらいの”ちいさな編成”で前半は乗り切る。そこから、今ある材料、新たに作らなきゃいけないものを区分けしながら整理していった。それがあったので、かなりタイトな制作期間だったにもかかわらず、作業的には比較的楽だったんですよね。
ー「ナウシカ」からの40年の歴史の積み重ねがなせる技ですね。
久石:
プラス、その段階で宮﨑さんが「これってテーマだよね」と言っちゃったメインの曲がある。これが結局は大きな心の支えになった。
ー今回このメインの曲は自己主張せず、すごく抑制の効いた使われ方をしていますよね。でも、印象に残らないというわけでは決してない。
久石:
七夕に初めて映像を観たとき、この映画の音楽は主人公のテーマとしてメインの曲を作って、それを中心に組み立てていくようなものではないとはっきりわかったんです。ようするにメインのメロディーをアレンジを変えて各所に押していくようなものではない。それをやると従来の古い形の映画音楽になってしまう。そのうえで一番重要なシーンにだけ厳選して使う。実際、主人公が疎開してくるオープニングと、本(君たちはどう生きるか)が机から落ちて母の字が見えたところ、あとラストの一つ前。この3カ所にしか使ってないんですよ。
ーそこまで厳選されていたんですね。
普通だとこのメインのメロディーを弦でやったり、フルートでやったり、ヴァリエーションを増やしていくんだけど、これも一切やらない。これは完全にピアノだけでいく。どんな場合でもピアノでいくと決めちゃうとシーンができる。それをまず決めたら、そこに対してまたアイデアを考えていくということで組み立てていった。その結果として、実は鈴木さんが言ってくれた「ミニマル音楽で全編を」ということとは別に、ある意味でそれ以上に、映画音楽としてすごく特異な試みができたんです。
「風立ちぬ」から引き継がれた宿題
久石:
おそらく映画音楽家がこんなことを話すことはほとんどないと思うんだけど、今日はすごく重要な映画音楽の話をしようと思っていたんですよ。それは何かと言うと、映画に対して”選曲スタイル”でやったほうがいいケースの音楽もあるんです。それをうまくやった人間が(スタンリー・)キューブリック監督です。キューブリックは映画「2001年宇宙の旅」の宇宙航行のシーンで「美しく青きドナウ」というワルツを流す。無重力空間で。普通だったら派手なホルスト系の「惑星」みたいな曲になりそうなのにならない。見た瞬間からもうあれ以外考えられなくなりますよね。それが選曲の良さです。想像もつかない音楽をつけることができる。これはわれわれ作曲家にはできないんですよ。なぜなら映像を見て曲を書くから。
ー映像とのズレがないということですね。
久石:
うん。テレビ番組などで選曲家が悲しいシーンに明るい曲をつけて楽しんでいるケースはあります。でも作曲家はまずやらない。計算して悲しいけど明るい曲を書こうとしたって、わざとやったらその意図はどうしても曲にあらわれてしまい、あざとさが透けて見えてしまう。だから本来、作曲家がキューブリックの「2001年宇宙の旅」のような選曲の妙を表現することはできないわけです。ところが今回、ある種の偶然も手伝って、僕は作曲家でありながら”選曲”の表現を試みることができた。
ー作曲家でありながら選曲を試みることができたという部分をもう少し教えてください。
久石:
ようするに、今回は映像を見る以前に宮﨑駿という人間に寄りそった15曲のストックがすでにあったんですね。しかも誰か別の人間が作った曲じゃない。自分で作った曲で他で使っていない有り物がある。それは映画の映像を見て、それに合わせて作られたものではない。けれど、より深い部分、宮﨑駿という人間に向けて作られたという部分では通底するものがある。僕はその自分の曲を自由に選曲することができたわけです。
ーなるほど。40年という長い時間のつき合いの中で醸成された”映像に対する意図がない材料”があったからこそできた”選曲”なわけですね。
久石:
今回それでいくつか成功しているところが、たとえば前半約1時間の現実世界からお屋敷に入って地下へ下り、床に飲み込まれて「下の世界」へ行くシーン。あそこで流れるターラーラ・ターラーラって曲、あれは狙って書けないですよ。
ーああ、あそこは選曲だからこそ生み出せたシーンとのズレなわけですね。
久石:
あれは2016年か17年ぐらいに書いた「祈りのうた2」という曲で、宮﨑さんに贈った曲なんです。当時はヨーロッパのミニマリストの影響をけっこう受けていて、それこそアルヴォ・ペルトだとかグレツキを自分なりに消化しようと書いていた曲なんですよ。そうすると、癒やしのような曲が地獄に呑まれるシーンに流れちゃうわけです。これ、狙って書けないです。セルフ選曲スタイルだからこそできたことになる。
ー宮﨑さんに贈られた曲は、同時に久石さんの作曲家としての歴史でもあるわけですね。
久石:
うん、他にも物語終盤の産屋で夏子が子供を産むシーンに使用した曲は、2015年に書いた最初の「祈りのうた」です。これは東日本大震災の影響も受けて、祈りとしての分散和音だけで作った曲です。
ー赤い部屋で天井から下がった紙垂(しで)が回転して燃え盛るところに流れる曲ですね。
久石:
そう、一番激しいシーン。あのシーンに音楽を書けと言われたらサスペンスと恐怖が混じってくるし、あれだけの紙がワサワサ回っているとオーケストラで激しくいきたくなりますよね。でも、実際に使用した曲は、基本はピアノ1本です。後半に弦が入るだけ。あれができたのも、やはり、あらかじめ曲があったからなんです。
ー自分の曲を選曲できた強みということですね。
久石:
そう。あの曲は「ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド」というシンフォニーを書いたときのCDの1曲目に入れた曲で、妙に評判が良くて、アメリカのテレビドラマの人間からもこれと同じやつを書いてくれとしきりにお願いされて、うるせえな、みたいなこともあった(笑)。とにかく、そんなふうに今回は重要なシーンで”セルフ選曲”のスタイルをとりました。
ーセルフ選曲ではないシーンの曲は、逆にどんなことを考えて作られたんですか。
久石:
眞人がキリコとともに屋敷の中でソロソロと入っていって、青サギとやりとりして地下へ向かう流れなどはシーンに合う曲をミニマルで書いている。こちらはやっぱりサスペンス調になるんですよ。すると、さっき言った夏子が子供を産むところや眞人がキリコと「下の世界」に行くシーンより、音楽の印象は薄いんです。
ーそのシーンにマッチしているから?
久石:
そう、劇と一本化した曲って印象薄いんですよ。劇とちょっとずれている、距離をとった音楽は印象に残る。これ、映画音楽の最大の鍵なんです。映像と距離をとる。それが一番重要なんです。だから今回のサントラCDに付属した冊子に鈴木さんが「今回の映画音楽はかつて宮﨑さんに贈った曲が多かった」と書いているけれど、実はそこまで多くはないんです。多くはないんだけど、印象に残る。だからそういう曲が多く感じるということなんです。
ー面白いですね。
久石:
ええ。でもこんな体験は僕自身ももう二度とできない。
ー40年の歴史の中での蓄積があって初めて成立したスタイルですからね。
久石:
実はね、今回のような音楽スタイルになったのは反省という意味もあるんです。
ー反省? どういう意味ですか?
久石:
映画の前半で今回試したようなピアノ1本にバイオリンとチェロが入った”ちいさな編成”というのは、実は宮﨑さんは「風立ちぬ」のときにも求めていたんです。でも、あの当時の僕はそれまでずっとオケでやってきた宮﨑作品の流れがあって、弦だけは減らしたけど、”音楽の画角”をそういうふうにしていないんですね。
ーその「風立ちぬ」で宮﨑さんの要望に応えきれていないということは、いつ気づかれたんですか。
久石:
いや、もうやっている最中に気づいていましたよ。ただ自分の技術力が追いついていないので、そこまで行けなかった。「風立ちぬ」は音楽的にはあまりうまくいっている作品とは僕は思っていないんです。宮﨑さんの要望にちゃんと応えきれていないという想いがすごくある。だから、今回の映画の前半部の”ちいさな編成”は次に新しい映画の音楽を任せてもらえることになったとき、自分の中で絶対クリアすると決めていた宿題でもあったんです。
ーじゃ、「風立ちぬ」からの引き継がれた宿題もありつつ、40年間のつき合いの歴史と誕生日プレゼントの曲もあり、さまざまな準備が整っていたんですね。
久石:
4年にいっぺんくらいの割合で宮﨑さんの映画の音楽をずっと作ってきて、映画界の人たちにはそれなりに評価されたけど、毎回、次は絶対にここはクリアしなきゃという宿題が残されていて、それと向き合うということを繰り返しながら40年を過ごしてきました。今回みたいに10年ぶりであろうと、その基本は同じですね。
ー今回のように音楽監督、あるいは音響監督的な意識を持つことで、ご自身の映画音楽制作に対して何か根本的な変化はありましたか。
久石:
作曲家ってやっぱりエゴがあって、自分の書いた曲というのがありますから、大概の場合セリフと効果音って敵なんですよ。セリフも効果音も「うるさいから下げてください」って笠松さんにしょっちゅう言っていたんですが、今回のように映画全体の音の設計を考え始めると、「あ、ここ、効果音来るよな」って想像がつくわけです。笠松さんも時間がないから効果音をつけたものをどんどん送ってくる。それを聴きながら「じゃあ、この音の前で音楽を終えちゃうか」とか、ここで効果音が来るから「ここはピアノ1本にしちゃうか」とかトータルで設計ができるようになってくる。そういう意味では、今回セリフを録るのが一番遅かったですよね。
ーあの声優のメンツですから、スケジュールを押さえるのも大変だったんでしょうか。
久石:
普通は7月7日にあれだけの映像ができていたら即アフレコ開始しています。ところが、していないんですよ。面白いでしょ。だから繰り返しになるけど、宮﨑さんが今回の作品で、どれだけ”絵の力”に意識を傾注していたのかがよくわかる、と僕は思ってしまう。
ー絵だけでも成立させようと思って作っていたわけですね。
久石:
というか、他はいらなかったんじゃないですか。当然最終的には音楽も効果音もセリフも入ってくるけど、まず絵だけでそこまで行き切って作った。それは素晴らしいことですよね。絵に自信がないときは全体像を見せようとする。でも、今回はその姿勢が最後までブレなかった。長編映画12作品目で、いまだに変われる。方法論まで一気に変えられるというのは心底すごいなと思いますね。
ーそこに対応できた久石さんもすごいですよね。
久石:
いやいや(笑)。
直しがあったのは青サギの一箇所だけ
ー宮﨑さんの「あとはよろしく」から音楽制作はどのように進んでいったんですか。
久石:
10月のフランスツアーが終わったあと、映画の主要なシーンに10曲ほどの音楽を仮づけしたものを作成して、ラップトップに入れて二馬力に持っていって、宮﨑さんと鈴木さんに聴いてもらいました。それが11月15日ですね。
ー二人はどんな反応でしたか?
久石:
鈴木さんも宮﨑さんも僕が机の上に広げたラップトップに寄ってきて、映像を見ながらじっと音楽を聴いていて。眞人の部屋の机の上に積まれていたあの本(君たちはどう生きるか)が床に落ちて開いた表紙の内側に母の文字が見えたところに「Ask me why」が被さったとき、宮﨑さんが涙を流されたということがありました。
ー3カ所に使った真ん中「Ask me why(母の思い)」ですね。
久石:
そうです。それで「これでいいです」と言っていただいて。「もうこのまま行ってください」ということで修正やリテイクもなく、その段階で直しをお願いされたものは1曲もありませんでした。
ーでは主要なシーンの音楽は11月の段階ですべてOKが出て、その後は宮﨑さんと打ち合わせをする機会はなかったという感じですか。
久石:
一つだけあったのは、物語序盤に青サギが出てくるシーンの音楽です。宮﨑さんは青サギの存在をさりげなくしたかったんですね。僕はそこに少し派手目の音楽をつけちゃっていた。青サギのテーマのベースの曲は、最初はもっと激しかったんです。宮﨑さんはこれだと大げさになっちゃうから、ここは音楽はなくていいんじゃないかとおっしゃって。だけど、青サギの存在はそれ自体が現実ではない存在感を持っているので、完全に音を外してしまったら、今度は逆に悪目立ちしてしまう。僕は何かあったほうがいいと思うと伝えたんです。それで、最終的にピアノ1本のポーン・タランだけのスタートに変えて、それが3回目に出てくるあたりでちょっと厚くなるぐらいに切り替えた。そしたら、これは音があったほうがいい、と喜んでくれました。
ー「トトロ」のバス停のシーンで久石さんが宮﨑さんに音楽を入れることを提案された話を思い出します。
久石:
記憶に残っている宮﨑さんからの直しは、そこぐらいですね。
ー今回それほどまでに直しが少なかった理由は、ご自身ではなぜだと思われますか?
久石:
途中で自分が客観的になれたせいか、周りの人はこれでいいんじゃないかなとおっしゃることがあっても、これ、絶対違うからって確信的に変えていましたね。
ー自主的に。
久石:
うん。というか、宮﨑さんだったらこれ、違うからって。
ーわかっちゃうわけですね。
久石:
そのときはね。
ーその感覚をもう少し説明していただけますか。
久石:
たぶん鈴木さんもそう考えるだろうなとか、いろいろなことが、やっぱり長いつき合いだからわかるんです。デモテープはこれでOKで、その後いろいろなことがあった今の段階で考えると、この方法で行くならば、ここをそれほど過剰にしないほうがいいとか。だから後半はかなり音を抜く作業をやっていましたね。加えるというよりは。
ーよりシンプルに。
久石:
うん、加えない。派手にしない。抜いていく作業。
ーでは、自己補正を自律的に加えつつ、作業が進行していったわけですね。
久石:
ええ、そこからはスタジオにこもって各シーンの音楽を一気に作り始めて。それから編成に合わせたオーケストレーションもやり、1月20日からレコーディング。20日のレコーディングからは僕のピアノを録り始めています。
ー11月半ばに制作を開始して、すごい勢いで仕上がっていますね。
久石:
そうですね。やはり材料があった良さがありましたね。
ー単なる材料ではなく、40年の歴史がしみ込んだ材料ですからね。
久石:
ほんとですね。
ー世界各地で作っていたデモ素材というのもいいですね。
久石:
そう。ロンドンで作ったデモが一番活躍した。あと「デモ・ブルノ」と「デモ・バンクーバー」に「デモ・シアトル」が良かったかな(笑)。
「ハウル」を書いたときと同じ人間だけど同じ作家じゃない
ー少し話を広げて映画音楽全体についても訊かせてください。久石さんは以前別のインタビューで「映画音楽は状況につけるか心情につけるかのどちらか。自分はその両方をやっていない」と発言されていました。これは先ほど映像と音楽の距離こそが映画音楽の最大の鍵ととおっしゃっていた話にもつながることだと思います。
久石:
僕が2010年にやった「悪人」という映画の音楽を高畑さんがすごく気に入られていたんですね。その理由というのは、音楽が登場人物についていない。距離を持っているということなんです。映画音楽というのは、どうしても感情につけるか、状況につけるかになる。大概はその二つなんです。悲しいところをもっと盛り上げるとか、あるいは今は戦時下ですというような状況の音楽とかね。それが基本といわれていたんだけど、僕はまったく違う方法をとっていて、主人公のテーマというのも考えたことがないんですよ。
ーでは久石さんは何を頼りに映画音楽を考えるんですか。
久石:
あくあで監督目線でつける。監督がこれで何を表現したいのかということに対して音楽をつける。今回の映画もそうだけど、宮﨑さんの視点と観客との真ん中くらいの位置関係。悲しがっているシーンを強調したりせず、心情的なものを説明しないということに徹したのが良かったんじゃないかという気がしています。
ーいわゆる泣かせのドーピングみたいなことにならないようにする?
久石:
ハリウッドスタイルで2時間の映画の音楽の打ち合わせは簡単ですよ。ほとんど全編に音楽が敷かれていて、明確にいらない場所だけ指定してくる。その音楽もたとえば男と女が好き合っていると思ったら甘い音楽。なおかつ被せるように「好きよ」というセリフ。そのぐらいくどいんです。音楽が「効果音」と変わらない役割になっている。
ーそれは映画音楽としての進化なんですか、退化なんですか。
久石:
進化なのか退化なのかはわからないけれど、デジタル機材が発達して以降のハリウッドの映画音楽は最悪になりました。それまでは言葉で作曲家に発注して何が上がってくるかわからない。何かイメージ違うんだよなと思っても、一定の範囲内で許容するしかない。そのズレって実は大切なモノだったと思うんです。ところがデジタルが発達しちゃうと誰もが簡単に切り貼りしたりシミュレーションできる。しかもその音楽を監督本人が選ぶわけではなく、分業化された「音楽ディレクター」とか「選曲屋」みたいな連中があたかも監督の代弁者のように振る舞って選びだす。これがほんとうに迷惑なんです。
ーCGが過剰になったときの、映像の退屈さに近いものを感じますね。
久石:
そう。シミュレーションを繰り返して間違いないくらいに劇にぴったりと寄りそわせた音楽は、誰の心にも残らないし、音楽の存在感がないから飽きるんですよね。そうすると、やっぱり誰かちゃんとした作曲家が全体を見たものが必要だよね、という揺り戻しが必ず来る。だからそれまで待てばいい。待てばいいんだけど、その待つ段階で、自分が前と同じポジションにとどまっていてはいけないんです。「トトロ」や「ハウル」の音楽を書いてきた久石譲がそのままの状態でただ待っているだけだったら、それは単に昭和にいろよという話です。
ーなるほど。進化しつつ待つということですね。
久石:
「ハウル」を書いたときの久石は間違いなく一生懸命書いていたんです。それと今の自分は同じ人間なんだけど、同じ作家じゃないんですよ。今あれと同じ曲を書こうとしても書けませんし、あれ風に書いてくれと言われても碌なものは書けないです。
ー最近の久石さんが手がけられた映画音楽が年々メロディーから離れてミニマル音楽主体になっていっているのも、そういう変化の一つなんですね。
久石:
今、自分はミニマルの作家でクラシックも指揮している。海外でツアーをするし、映画音楽も作る。その自分が考える正しい音楽、いいと思う音楽をしっかり書くしかない。それがたぶん一番誠実な作家の道だと思うんですよ。映画であろうと何であろうとそれを忘れちゃうと、注文をこなすだけの作家になっちゃう。
ー今ご自身でおっしゃったクラシックの指揮をしている自分、ミニマルの現代音楽作家の自分、映画音楽を書いている自分のバランスはどのようにとっているんですか?
久石:
クラシックの世界ってちいさいんです。だからそこでばかり作品を作っていると人が喜ぶという実感が遠のいていく。だけどエンターテインメントばかりやっていたら、今度はいかに売れるかしか考えなくなる。作家としては両方が必要なんです。売れるためには今日的なニュアンスを勉強してでも入れなきゃいけない。年取ったら取ったほど意識的に入れなきゃいけない。エンタテインメントはそれを試す場所でもあるし、そこで身についたものを現代音楽やクラシックの作品の中でより深めてもいける。両側があるおかげで両方が上がっていく。たとえば今度マーラーを振ります。マーラーと今の僕の音楽なんてまったくスタイルも違う。こんな大曲と自分の作品を並列で演奏するって恥ずかしい。似合わない、釣り合わないだろうって自問する。でも、そうするとね、釣り合わせるように自分を変えていかなきゃいけないわけです。自分は何なんだって絶えず問われる。
ーかなり本格的に指揮をするようになったのも、そういう理由から?
久石:
自分が指揮しなければいけないと、細部まで読み込まなければならない。そうすると否が応でも影響を受けるんです。そこまでいってようやくインプットしていると言える。インプットしないとアウトプットできない。だから指揮することが自分にとってすごくいい刺激になっているんです。そこは遊びでやらないほうがいいなと思って。
「久石さん、そんなに頑張らないでいいですよ」
ー最後に一つ、ぜひ伺いたかったんですが、音楽を担当した人間としてではなく、宮﨑監督と付き合いの古い仕事仲間として、今回の作品「君たちはどう生きるか」をご覧になって、どう思われましたか。今までの宮﨑監督の作品とそこに携わる宮﨑監督の姿を間近で見られてきた久石さんならではの感じることがあるんじゃないかと。今回の作品はやはり特異ですよね。
久石:
特異なんだけど、今までのすべてのシーンが入っているよね。
ー入っていますね。
久石:
宮﨑さんはある時期、僕にこう言ったんですよ。久石さん、そんなに頑張らないでいいですよって。なぜかというと、僕は毎回次の映画のために新しい音楽のスタイルを発見するように頑張るわけ。そうすると、久石さん、そんなに頑張らないで書いてください。僕なんか、見てごらんなさい。みんな同じ顔ですよって。
ーそれは(笑)。
久石:
えっ? みたいな感じで。
ー宮﨑監督はどういうつもりで久石さんにそう言ったんでしょう。
久石:
真意は謎ですが、僕なりの解釈では、変えようとする努力自体が空回りしちゃうケースが多いんですよね。だから宮﨑さんは、自分が知っている世界を認識したまま今の僕が目の前の仕事としっかり向き合うだけで、僕が望むような変化は現れるというようなことを伝えたかったんじゃないかなと思います。宮﨑さん自身は今回、何かをめちゃくちゃ変えようと思って描いているわけではない。それでも宮﨑さんって、同じシチュエーションの映画は一つも作っていないんですよ。そういう意味で言うと、宮﨑駿という作家は常に自分が本気になれるところを次に探して、全力でそこへ向かって行く。その意識自体が停滞しなければ、多少登場人物の顔が同じであろうがどうでもいいんですよね。
ーなるほど。
久石:
……とか、今こうやってもっともらしいことをグダグダ言っているのは、実は答えるのが難しいから(笑)。どう思われますかって訊かれるのが一番きつい。いいに決まっているとしか言いようがないんだけど、僕は僕で作り手の側にいる人間なので客観的な評価というのは今の段階では難しい。ただ、今まで自分が関わった宮﨑作品の中で3本の指に入るぐらい好きかも。同時にこんなに次に作るという可能性を感じさせる映画もない。これは断言できるけど、宮﨑さん、もう1本作る! と僕は思う。
ーこの十数年は毎回これが最後と言い続けていましたけど、今回は言っていませんね。
久石:
言ってないでしょ。だってこの映画を作ってしまったら、今度はこれの反動が来るから、すごくみんなが待ち望んでいるものを作るかもしれない。
ーサービス満点のエンタテインメントみたいな感じの。
久石:
元々サービス満点な人なんだもん。それがわかっている人だから。
ーそういう意味で、今回の作品だけは外に向けたサービスのリズムを捨てたのかなという気がしていたんです。自分がほんとうに気持ちのいい物語のリズムで作ったらこうなりましたというのが今回の作品のような気がしているんです。
久石:
でもね、宮﨑さんがすごいなと思うのは、黒澤明の晩年って「夢」とか「まあだだよ」とか「八月の狂詩曲」でしょ。ほんとにご自身に戻られたときの黒澤さんの作品って、つまらないのね。「八月の狂詩曲」は嵐の中を傘をさして歩いて行くおばあちゃんの傘がバッと風に翻るシーンは素晴らしいけど、あとはね、やっぱり現役感の乏しさを覚えてしまう。今回の宮﨑さんにはむしろより強さを増した現役感がある。リアルに変革する力がある。だから僕は期待感のほうが強くなっちゃっているんですよね。
ー盟友の久石さんのお墨付きはうれしいですね。
久石:
だってあの映画が言ってるもん。これ、俺の最後、なんて全然思っていない。
ーとなると、久石さんもまた選曲できる曲を溜めておかないといけないですね。
久石:
だといいですね。
ー次はまたひとまず来年の1月5日の宮﨑さんの誕生日ですね。
久石:
いやいや、実は来年のNHK Eテレの「ニューイヤーコンサート」に出演依頼を頂いているんですよ。そうするとウィーンへ行かなきゃいけない。1日が終わって、2日に帰ってくると3日でしょう。5日に宮﨑さんに会いにいけるのかどうか? ここはそろそろ毎年1月5日の参拝は一度お休みしてもいいんじゃないかという言い訳じみた心の声も聞こえてきて。
ー大晦日は大阪で。
久石:
27日までコンサートやってる。
ーそれからウィーンに行って。
久石:
東京に帰ってくるのが28日で、29日だけは休みだけど、30日にウィーンに行けと言うんだよ。
ーいつ帰ってこられるんですか。
久石:
3日に帰ってきて、8日からずっとシアトル。2週間ぐらい。
ーじゃあ、5日は行けますね。
久石:
そう(笑)。3日に帰ってきてから曲を書けと言われているようにそこだけ空いている。さっき話をしながらそれを考えていたの。なんでここだけ空いてるんだろうって(笑)。
ー来年5日の誕生日プレゼントはつまり「デモ・ウィーン」ですね。
久石:
でもね、正月に宮﨑さんの誕生日に行くのは、ほんとに個人的な楽しみなんですよ。やっぱり元気な顔を見るのは、すごくうれしいし。ここまで話したから、逆に僕からも訊かせてください。今回の映画の音楽、どう感じましたか。
ー久石さんが弾かれているピアノが最初から最後まで”俺が寄りそう”という感じで、宮﨑さんに寄りそっている雰囲気が好きです。旋律を封印しているから、映画が終わった後に、あれ? どんな曲があったっけというのが思い出せなくなるんです。ところが、びっくりしたのは、サントラを聴くとシーンが鮮明に浮かんでくるんです。シーンと音楽がほんとうに一体化しているので刷り込まれる場所がいつもより深いというのかな。ほんとに今回、すばらしいなと思いました。
久石:
今の、必ず書いてくださいね(笑)。
ーサントラを聴いたときに全部のシーンが浮かんでくるんです。なぜだか戻ってくるんですよ。それこそ青サギだってポーンと一音で。それはハリウッド映画の音楽が効果音化して存在が消えてしまっているというお話とは、対極のものだと思うんです。
久石:
今までの中で一番いい具合でシンクロしたのかな。
ージョン・ウィリアムズだって1曲目は素晴らしくいいんだけど、サントラを聴いていても途中のシーンは全然浮かんでこない。ところが今回のサントラを眠るときに聴いていたら忘れていた映画のシーンまでがすべて蘇ってきた。すごく行間のある小説を聴いているような感じです。
久石:
いや、それすごくうれしいな。今回はほんとうに一番そうなってほしいと思って選んだ方法だったから。一歩間違えると、今までのファンの人たちがみんな「エッ?」となる可能性もあったという自覚はあるし、不安もありました。
ーメロディアスな久石節が好きな人は、もしかしたらそうかもしれませんね。
久石:
こういう内容の作品だと宮﨑さんにわかりやすいエンタテインメントを期待している観客は少し引いてしまう可能性がある。そのとき、僕の役割としては映画をわかりやすくするためにメロディーで攻めるという方法もあるんです。できるだけエンタテインメントの雰囲気を音楽で醸し出して、より多くの観客にとってわかりやすい方向へ近づけることもできる。でも、今回はまったくその意識がなくて。宮﨑さんがそこに行こうと思っているんだったら僕もそこに行く。一般の人にわかる、わからないよりも、こんなの見たことないよねということを一緒にやると決めたんです。
ー音楽から感じたとおり、まさに宮﨑さんに寄りそっていたんですね。
久石:
そういう意味ではね、徹底したほうがいいです。
ーさっきもそれ、おっしゃってましたね。スタンスを決めたらブレてはいけない。
久石:
なんでこんなに強調するかというと、しょっちゅうブレるから(笑)。
ーブレやすいんですか。
久石:
ブレやすいですよ。影響を受けやすいし、すごく心配するし、もう大変(笑)。
ー9月7日はトロント国際映画祭でオープニング上映が始まります。
久石:
今はトロントが一番重要な映画祭の一つだと鈴木さんが言っていましたね。
ーオープニング上映に邦画が選ばれるのは初でアニメーションが選ばれるのも初らしいです。現地でどんな反応がかえってくるかドキドキします。
久石:
それは強気でいけばいいんじゃないんですか。ジャン・ウェン(姜文)という中国の監督の「陽もまた昇る」という作品で音楽の仕事をしたとき、彼の作っているものは出てきた登場人物が突然自殺したり、列車の中で子供を産んだり、わけがわからないんだけど、すごく強烈な印象を受けて、まったく類似点もないのに、どこか宮﨑さんと通底するものを感じたんですよ。
ー「太陽の少年」や「鬼が来た!」でヴェネチアやカンヌで高い評価を受けている監督ですね。彼の作品と宮﨑さんのどういう部分が?
久石:
言葉にするのはすごく難しいんだけど、簡単に言うと誕生と死の円環の重なる場所で作品を編んでいるところというのかな。たとえば「ポニョ」でも4歳や5歳の子供の世界とその対極の死の間際にいるおばあちゃんたちの世界を描いているけど、その円環の真ん中にあるリアルな現実の部分は薄い。思い返すと「千と千尋の神隠し」もそうですよね。真ん中が空白の、あっち側とこっち側の物語。その図式でいうと、今回の「君たちはどう生きるか」はその傾向がさらに深化している。それはジャン・ウェン監督の「陽もまた昇る」のわけのわからなさに感じた魅力とも同質のもので、理解しにかかって頭で辻褄合わせようとしなかったら、こんないい映画はないんですよ。
ーなるほど、死の淵にいる老人と無垢な子どもの世界が重なる場所から生まれる物語といえばまさに「千と千尋」以降の宮﨑さんの作品はその傾向が強いですね。そして、頭で理解しようとするべき作品ではないというのはまさにそのとおりだと思います。
久石:
だから今回の映画で描かれているものって、外国のお客さんが望んでいる風景という気がするんですよ。それともう一つ、精神的世界でいうと、もはや生と死と世界を取り巻く哲学ですからね。ここまで行き着いた日本の映画って、溝口健二の「雨月物語」くらいしかないんじゃないかなって思います。大傑作ですよ。だから、トロントも強気で行けってことです(笑)。
P.S.
今思えば宮﨑さんはこのような全てを予測したようにも思える。まるでシャッターを押すように見えていたのかもしれない。
(このインタビューは9月2日に行われました)
◇構成/山下卓
◇取材協力/西岡純一
(「熱風 2023年10月号」より)
本号目次について
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