東北電力の企業広告「より、そう、ちから。」の音楽を久石が担当いたしました。
放送は本日10月29日より、東北6県+新潟県でスタートいたします。
CMは、東北電力「CMギャラリー」でもご覧いただけます。
メイキング映像では、本楽曲のフル・バージョンもお聴きいただけます。
「より、そう、ちから」CMギャラリーは>>>東北電力 CMギャラリー
東北電力の企業広告「より、そう、ちから。」の音楽を久石が担当いたしました。
放送は本日10月29日より、東北6県+新潟県でスタートいたします。
CMは、東北電力「CMギャラリー」でもご覧いただけます。
メイキング映像では、本楽曲のフル・バージョンもお聴きいただけます。
「より、そう、ちから」CMギャラリーは>>>東北電力 CMギャラリー
2015年10月29日 TVCM放送(東北6県+新潟県)
東北電力企業広告「より、そう、ちから。」
音楽:久石譲 曲名:東北電力(仮)*
*JASRAC登録名
CMは、東北電力「CMギャラリー」でも閲覧可能。
(※2015年10月現在)
東北電力 | CMギャラリー
同ホームページにて視聴できるのは、
・CM本編(30秒)
・メイキング映像(2分30秒)
なおメイキング映像では本楽曲のフル・バージョンを聴くことができる。
小編成オーケストラで構成された楽曲は、木管楽器が旋律を奏で、弦楽器がリズミカルに刻む、清潔感のある明るい曲調である。
メイキング映像でのフル・バージョンでは、さらにその全貌をうかがうことができる。シンプルなメロディですぐに覚えて口ずさんでしまえそうな魅力はさすが匠の技である。さらに、その裏では緻密なオーケストレーションによって管弦楽が構成されており、メロディも木管楽器、弦楽器、金管楽器へと奏で継がれていく。
同年手がけた『みずほフィナンシャルグループ みずほの丘』CM音楽にも通じる気品のある作品である。
曲名不明、未発売曲、CD作品化が期待される上質な作品である。
2017.1 追記
2017年1月4日よりニュー・ヴァージョンO.A開始。ピアノを基調としたきれいな調べ。
「よりそう地域とともに」篇 30秒
【それ以前のCM一覧】
「スローガン宣言」篇 30秒
「新料金プランはじまりました」篇 30秒
「よりそう松山さん(料金プラン)」篇 30秒
*上記3本CM音楽はオリジナル版
東北電力 | CMギャラリー にて視聴可能 (※2017.1現在)
https://www.tohoku-epco.co.jp/brand/#cm-gallery


2015年10月27日 CDマガジン 「クラシック プレミアム 48 ~新ウィーン楽派の音楽~」(小学館)
隔週火曜日発売 本体1,200円+税
「久石譲の音楽的日乗」エッセイ連載付き。クラシックの名曲とともにお届けするCDマガジン。久石による連載エッセイのほか、音楽評論家や研究者による解説など、クラシック音楽の奥深く魅力的な世界を紹介。
“Info. 2015/10/27 [CDマガジン] 「クラシック プレミアム 48 ~新ウィーン楽派の音楽~」 久石譲エッセイ連載 発売” の続きを読む
Posted on 2015/10/24
クラシックプレミアム第47巻は、ハイドンです。
【収録曲】
交響曲 第101番 ニ長調 Hob. I – 101 《時計》
交響曲 第104番 ニ長調 Hob. I – 104 《ロンドン》
フランス・ブリュッヘン指揮
18世紀オーケストラ
録音/1987年(ライヴ)、1990年(ライヴ)
前号にひきつづき「西洋古典音楽史」にてテーマとなった「即興演奏」。今号ではその後編ということで、こちらもおもしろかったので、一部抜粋してご紹介します。
「そもそも楽譜の一部を演奏家の自由(即興)に任せるというのは、実は18世紀までクラシック音楽では当然のように行われていたことなのであって、文句を言うような筋合いのものではないはずなのだ。伝統的な作品で「好きなようにしてよい」箇所には、「ad libitum」という指示が記される。アド・リビトゥム(自由に)、つまり「アドリブ」の語源である。」
「協奏曲のカデンツァの部分は、演奏家にとって最大の即興の腕の見せどころだった。カデンツァとは協奏曲の第1楽章(そして第3楽章)の終わりのほうに置かれる大規模なソロの部分である。技巧的に他のところより格段に難しく長く華やかなので、聴いていてすぐわかるはずだ。ただしカデンツァは単なる演奏者の技巧披露の場所ではない。単に楽譜をそのまま弾いているだけでは退屈するだろうからと、演奏者自身にも創造のファンタジーを広げるために置かれた、白紙のスペース。それがカデンツァである。」
「演奏者の自由に対する作曲家の管理がカデンツァにまで及び始めるのは、ベートーヴェン以後のことだと言っていいだろう。具体的には有名なピアノ協奏曲第5番《皇帝》である。この作品の第1楽章のカデンツァを、ベートーヴェンは自分で書いた。もちろんカデンツァを自分で書くことは、それ以前もあった。しかし例えばモーツァルトが残したカデンツァは、代用可能である。それを使ってもいいし、別の作曲家が書いたものを使っても、あるいは演奏者自身が自由に弾いてもいい。しかし《皇帝》のカデンツァは違う。それは緊密に前後の流れに組み込まれているので、他のもので代用したりできない。しかも思い切り短い。まるで「演奏者が勝手に自分を見せびらかしたりするな」と言わんばかりである。」
「ベートーヴェン以後、19~20世紀を通して、演奏家に対する作曲家の管理は加速度的に厳格になっていく。18世紀までの楽譜は、ある意味で、極めてアバウトなメモのようなものであった。テンポの指定も強弱の指定もあまりない。細かい装飾などが演奏家の即興に任されていたことも、右に書いたとおりである。バッハに至っては楽器指定がないことすらある。どの楽器を使ってもいいということだ。それに引き替え19世紀後半以後の作曲家、例えばワーグナーとかマーラーとかラヴェルの楽譜を見ていると、そのパラノイアじみた細かさに眩暈がしてくる。テンポの細かい伸び縮み、強弱の微妙なニュアンス、音色変化など、すべてが細部に至るまで指示してあるのだ。」
「パラノイアとは誇張ではない。右に挙げた作曲家たちは皆、自分の作品が-とりわけ自分のいないところ、そして自分の死後において-どう演奏されるか、病的なまでに気にしていたのだと思う。逆に言えば、バッハやモーツァルトの楽譜のアバウトさは、それをどこで誰がどう演奏しようが、彼らがあまり気にしていなかった証かもしれない。いずれにせよ、自分の作品の不滅性に対する近代の作曲家たちの執拗はすさまじいものだったのだろう。自分の作品は永遠である、だから自分の死後もそれは意図したとおりに完璧に再現されなくてはならない-古代エジプトのファラオよろしく、一種の不老不死願望を作品に託するのだ。」
「しかし不滅を希求するからこそ、皮肉にも人は実存の不安に襲われる。自分のあずかり知らぬところで演奏家が勝手に自分の作品をいじるのではあるまいか。あそこのあのパッセージの強弱はああではなくて、こうでなくてはならないのに、一体どうすれば何人にも誤解がないよう、あのニュアンスが伝わるだろうか…。こんな不安にさいなまれ始めるのである。」
「この神経症じみた不安は、バッハやモーツァルトの「お好きにどうぞ」と言わんばかりの大らかさと、あまりにも対照的である。きっとバッハやモーツァルトは、自分の作品を永遠に残そうなどと、あまり考えていなかったのだ。また彼らは他者というものを深く信頼し、敬意を払っていたのだろう。だからこそ「お好きにどうぞ」と言えたのだ。永遠の生命を得ようとして逆に他者への不信にかられる。ロマン派以後の作曲家たちの実存の不安は、今ここ限りで霞のように消えてしまう音楽というはかなき芸術の運命を、敢えてそういうものとして受け入れるところに成立する即興の精神と、あまりにも対照的である。」
(「キーワードでたどる西洋音楽史47 即興演奏再考(下)」 岡田暁生 より)
「久石譲の音楽的日乗」第45回は、
ロマン派の音楽と文学の関係
ここ数号を通して音楽形式の話、ベートーヴェン《運命》を題材にした具体的な話が続いています。今号では古典派で確立されたソナタ形式をはじめとした交響曲から、それを超えるために模索したロマン派への話です。
一部抜粋してご紹介します。
「もう一度、ベートーヴェンの交響曲《運命》の話に戻る。頭のジャジャジャ、ジャーン(ソソソ、ミー)はIの和音、次のジャジャジャ、ジャーン(ファファファ、レー)はVの和音で、その後もIやIV、Vを中心に和音は進行する。前に書いた機能和声のI-V-I、I-IV-I、I-IV-V-Iの基本にほぼ沿っている(43号参照)。この機能和声とソナタ形式で古典派の音楽はほぼできているのだが、作曲家は同じところに留まらない。もっと新しい和音進行やソナタ形式以外の構造はないかと考える。」
「それはそうだ。創作家は昨日と同じものを作ってはいけない。だから五里霧中の中で一筋の光明を見いだすために日々苦しんでいるのだが、掘り尽くされた炭坑(油田でもいいが)をもう一度掘って新たな石炭を探すことは新しい場所を見つけて採掘するよりもっと難しい。つまりもうぺんぺん草も生えない場所にいるより、新たな地を探す方が賢明である。」
「これがロマン派の作曲家たちが考えたことである。ソナタ形式は前の世代でやり尽くされた。どう頑張っても彼らを超す事はできない。前号に書いたとおり、ソナタ形式では第1主題と第2主題を作った段階で大方の道筋がつくという事は、誰が作ってもある程度まではいけるわけである。その分、実に大勢の作曲家が同じ道を通ったことになる。自分だけの獣道が多くの足に踏まれて道になり、やがてコンクリートの道路になる。そこには個性(これも実はいろいろ問題があるのだが)はない。」
「新しい道、それは文学だった。詩や物語が持っているストーリー(ドラマ性)に即して音楽を構成することで、ソナタ形式からの脱却を試みた。例えばコーカサスの草原を旅するロシア人と東洋人が出会うというテーマで書かれたボロディンの《中央アジアの草原にて》やアルプスの1日を描いたリヒャルト・シュトラウスの《アルプス交響曲》、シェーンベルクの《浄められた夜》だってデーメルの詩に基いて作曲されている。管弦楽曲の場合はそれを交響詩と呼ぶことが多い。この新しい波を先導していたのがフランツ・リストだった。」
「和音進行も、よりエモーショナルになって、微妙な感情の揺れを表現するようになった。つまり、より複雑になっていくのである。その最たるものがリヒャルト・ワーグナーである。もともと「楽劇」なのだからドラマ性があるのは当たり前だ。あの有名なトリスタン・コードのように、もやは和音の進行は最後まで完結せず次々に転調し続ける。それが不安、絶望などの情緒を表現することに貢献した。その彼が交響曲を書かなかった事は暗示的だ。」
「さて、文学に結びつくことがトレンド(懐かしい言葉)だった時代、一方では相変わらず前の時代の方法に固執する作曲家もいた。ヨハネス・ブラームスである(他にも大勢いた)。彼は純音楽にこだわった。純音楽というのは音だけの結びつき、あるいは運動性だけで構成されている楽曲を指す。ウイスキーに例えればシングルモルトのようなもの。シングルモルトというのは一つの蒸留所で作られたモルトウイスキーの事だ。防風林も作れないほど強い風が吹く(つまり作ってもすぐ飛ばされる)、スコットランドのアイラ島で作られるラフロイグは、潮の香りがそのまま染み付いていて個性的で強くて旨い。対してブレンドウイスキーというのは香りや色や味の優れたものをミックスして作るウイスキーだが、シングルモルトほどの個性はない。」
「ロマン派の音楽はブレンドウイスキーだった。新説! ドラマ性という劇薬を使っているから個性的には見えるが、音自体での結びつきではバロック、古典派よりも希薄になった。しかも調性はどんどん壊れていき、形式ももはや情緒的なものに成り果て、なんでもありの今日の世界や音楽と同じ状況になった。歴史は繰り返される。そのことを危惧したシェーンベルクは、音楽史上類のない新しい秩序としての方法論を発表した。十二音音楽である。」

Posted on 2015/10/21
1998年に開催された「第11回 JALステージスペシャル 醍醐寺音舞台」久石譲の総合演出によるコンサートステージ。
音舞台とは
音舞台シリーズは、様々な日本文化の発祥となり、また長い歴史のなかで日本人の心の”よりどころ”としてあり続けたお寺、その中でも日本を代表する名刹と言われるお寺に”舞台”を設え、「東洋と西洋の出会い」をテーマにした音楽企画。1989年に「金閣寺」で始まったこのシリーズは、「泉涌寺」「三千院」「清水寺」「平等院」「東寺」「延暦寺」「醍醐寺」「大覚寺」「二条城」「法隆寺」「萬福寺」「薬師寺」「仁和寺」「東福寺」「唐招提寺」「東大寺」「西本願寺」と続き、いずれも日本屈指の名刹を”幻の劇場”にした一夜限りの夢の舞台を実現してきた。音舞台では、この特別な空間でしか実現できないスケール感と本物だけがもつ迫真の力を最大限に見せる舞台作りを目指し、オリジナル且つ斬新で人々の心に強く残るステージをお届けする。
毎年9月頃に、京都・奈良の歴史建造建物である寺院を舞台に、国内・海外の一流アーティストを招いて行われるコンサート。主催は京都仏教会、毎日放送。
公式サイト:音舞台 MBS
第11回 JALステージスペシャル 醍醐寺音舞台
[公演期間]
1公演(総本山醍醐寺境内 国宝・金堂前仮設ステージ)
[公演回数]
1998/9/5
[編成]
総合演出:久石譲
久石譲アンサンブル
(pf 久石譲/wood wind 金城寛文/marimba 神谷百子/bass 斉藤順)
ディープ・フォレスト
バラネスクカルテット
ニューヨーク・シティ・バレエ選抜メンバー
RIKKI(中野律紀)
[曲目]
山伏 法螺貝
EAST
THE ROBOTS
RYDEEN
MODEL
MKWAJU
794BDH
Kids Return
HANA-BI
Madness
Bolero
塩道長浜節
もののけ姫
EKUE EKUE
SWEET LULLABY
MADAZULU
BOHEMIAN BALLET
DEEP WEATHER
DEEP FOLK SONG
FREEDOM CRY
Asian Dream Song
「PIANO STORIES ’98 Orchestra Night」コンサート・パンフレットにて特集された音舞台後の久石譲インタビューおよびトピックです。
聴く人が音楽に入りやすい環境を作る
それが演出の目的だと思っています
うれしいことにパラリンピックでの開、閉会式の演出がとてもうまくいって高い評価をいただいたこともあって、あれ以来、演出を含めた形でのイベント出演のお話が増えています。演出も含めて総合的に関わる仕事というのは、自分の世界をより強烈にアピールできるという意味で、とてもやりがいを感じます。こういうスタンスもいいな、と。
今回の「音舞台」の演出の発想は、特徴ある醍醐寺・金堂の屋根をどう際立たせるか、というところから入りました。いろいろなアイデアのひとつに、途中で雨を降らせるという演出があって大量の水を使いましたが、ある程度の空間以上になるとスペクタクルなダイナミックさは必要だと思います。実際に想像以上にうまくいって、パラリンピックのときと同じくらいのクオリティーを保てたことに、とても満足しています。
ただ、一人の人間のやれる量をはるかに超えてましたね。翌日ピアノを弾くにもかかわらず、寒い中、前日の夜中2時ぐらいまで証明をチェックしたり。これはやっちゃいけないなと反省しました。本当はこう関わるべきなんだろうというのがわかってきたので、今後は演出だけ、ピアノだけというように分けていくと思います。
こうした演出の出発点は、音楽を聴く人たちがより入りやすい環境を作るということです。音楽を聴く環境を作って、総合的に人に訴えることができる。この音楽はこういう環境で聴くのが理想だろうと。そういうところまで自分で演出できることは幸せですね。
(「久石譲 PIANO STORIES ’98 Orchestra Night」 コンサート・パンフレットより)

1989年から始まり今回で11回目を迎えた「音舞台」は、これまでに金閣寺や清水寺、平等院などの京都の名刹を舞台に”東洋と西洋が出会うとき”をテーマにした数々のステージを創り出してきた。今年は山科屈指の名刹、「醍醐の花見」でも有名な醍醐寺で開催され、久石譲がその総合演出を手がけた。国宝の金堂前に設けられた特設ステージでは、万物を生成する5大要素とされる「地」「水」「火」「風」「空」をイメージモチーフとした構成に基づき、それぞれの出演者ごとのステージなど、約20曲の演奏がくりひろげられた。演出には大量の放水や照明が効果的に使われ、会場の雰囲気が高揚したところで出演者全員のセッションによる最高潮のフィナーレを迎えた。


(同パンフレット内 特集より)
久石譲音楽活動の時系列において注目すべきは、この音舞台でバラネスク・カルテットと同じステージに立ったということ。出会いであり初共演となった音舞台を経て、翌年「PIANO STORIES’99 Ensemble Night with Balanescu Quartet」コンサート・ツアーは一緒にアンサンブル・ステージを展開します。
そしてオリジナル・アルバム『Shoot The Violist ~ヴィオリストを撃て~』(2000)へと結実します。つづく初監督作品『カルテット』の音楽演奏もそうです。やはり久石譲のコンサートは、創作活動の源、一期一会です。こういった単発企画からでさえ、CD作品化までつながっていくのですから。
音舞台の出演は、ここから13年後の2011年「西本願寺音舞台」に出演しています。

同コンサート・パンフレットは、ほかにもソロアルバム「Nostalgia」や「交響組曲 もののけ姫」のレコーディング日誌など、ボリューム満点の久石譲活動履歴が記録されています。
Related page:
10月20日発売の「ストレンジ・デイズ」2015年12月号に
「久石譲プレゼンツ ミュージック・フューチャー Vol.2」が取り上げられました。
STRANGE FIELDS/小沼純一
「コン・テンポラリー・ミュージック:MUSIC FUTURE VOL.2」
“Info. 2015/10/21 [雑誌] 「ストレンジ・デイズ 2015年12月号」久石譲インタビュー 掲載” の続きを読む
10月20日発売の「CDジャーナル」2015年11月号
Artists Interviewに久石が登場。
8月にリリースしたソロ・アルバム「ミニマリズム 2」について、
また、直近のコンサート活動や、最新作《コントラバス協奏曲》への
意気込みも語っています。
ぜひご覧ください。
(久石譲オフィシャルサイト より)
“Info. 2015/10/20 [雑誌]「CDジャーナル 2015年11月号」久石譲インタビュー掲載” の続きを読む
10月20日発売の「モーストリー・クラシック」2015年12月号「STAGE」では、ソロ・アルバム「ミニマリズム 2」のインタビュー記事、「公演Reviews」には、9月に開催した「久石譲 プレゼンツ ミュージック・フューチャー Vol.2」の批評が掲載されています。ぜひご一読ください。
公式サイト:MOSTLY CLASSIC モーストリー・クラシック
(久石譲オフィシャルサイト より)
“Info. 2015/10/20 [雑誌]「モーストリー・クラシック 2015年 12 月号」久石譲インタビュー掲載” の続きを読む
栃木市は、11月13日の市制5周年記念式典で発表する市歌について、数々の映画やテレビCMなどの楽曲を手掛ける作曲家久石譲さん(64)に作曲を依頼していたことを明らかにした。作詞と歌は、久石さんの長女で歌手の麻衣さん(37)が手掛ける。麻衣さんは式典で市歌の合唱を披露する市内の小学生への指導も行うなど本番に向けた準備を着々と進めている。
久石さんは宮崎駿監督の映画で音楽を手掛けるなど抜群の知名度と実績を誇ることから、曲の制作を依頼した。久石さんと麻衣さんとの合作は自治体の歌では初めてだという。