Blog. 「クラシック プレミアム クラシック プレミアム 47 ~ハイドン~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/10/24

クラシックプレミアム第47巻は、ハイドンです。

 

【収録曲】
交響曲 第101番 ニ長調 Hob. I – 101 《時計》
交響曲 第104番 ニ長調 Hob. I – 104 《ロンドン》
フランス・ブリュッヘン指揮
18世紀オーケストラ
録音/1987年(ライヴ)、1990年(ライヴ)

 

 

前号にひきつづき「西洋古典音楽史」にてテーマとなった「即興演奏」。今号ではその後編ということで、こちらもおもしろかったので、一部抜粋してご紹介します。

 

「そもそも楽譜の一部を演奏家の自由(即興)に任せるというのは、実は18世紀までクラシック音楽では当然のように行われていたことなのであって、文句を言うような筋合いのものではないはずなのだ。伝統的な作品で「好きなようにしてよい」箇所には、「ad libitum」という指示が記される。アド・リビトゥム(自由に)、つまり「アドリブ」の語源である。」

「協奏曲のカデンツァの部分は、演奏家にとって最大の即興の腕の見せどころだった。カデンツァとは協奏曲の第1楽章(そして第3楽章)の終わりのほうに置かれる大規模なソロの部分である。技巧的に他のところより格段に難しく長く華やかなので、聴いていてすぐわかるはずだ。ただしカデンツァは単なる演奏者の技巧披露の場所ではない。単に楽譜をそのまま弾いているだけでは退屈するだろうからと、演奏者自身にも創造のファンタジーを広げるために置かれた、白紙のスペース。それがカデンツァである。」

「演奏者の自由に対する作曲家の管理がカデンツァにまで及び始めるのは、ベートーヴェン以後のことだと言っていいだろう。具体的には有名なピアノ協奏曲第5番《皇帝》である。この作品の第1楽章のカデンツァを、ベートーヴェンは自分で書いた。もちろんカデンツァを自分で書くことは、それ以前もあった。しかし例えばモーツァルトが残したカデンツァは、代用可能である。それを使ってもいいし、別の作曲家が書いたものを使っても、あるいは演奏者自身が自由に弾いてもいい。しかし《皇帝》のカデンツァは違う。それは緊密に前後の流れに組み込まれているので、他のもので代用したりできない。しかも思い切り短い。まるで「演奏者が勝手に自分を見せびらかしたりするな」と言わんばかりである。」

「ベートーヴェン以後、19~20世紀を通して、演奏家に対する作曲家の管理は加速度的に厳格になっていく。18世紀までの楽譜は、ある意味で、極めてアバウトなメモのようなものであった。テンポの指定も強弱の指定もあまりない。細かい装飾などが演奏家の即興に任されていたことも、右に書いたとおりである。バッハに至っては楽器指定がないことすらある。どの楽器を使ってもいいということだ。それに引き替え19世紀後半以後の作曲家、例えばワーグナーとかマーラーとかラヴェルの楽譜を見ていると、そのパラノイアじみた細かさに眩暈がしてくる。テンポの細かい伸び縮み、強弱の微妙なニュアンス、音色変化など、すべてが細部に至るまで指示してあるのだ。」

「パラノイアとは誇張ではない。右に挙げた作曲家たちは皆、自分の作品が-とりわけ自分のいないところ、そして自分の死後において-どう演奏されるか、病的なまでに気にしていたのだと思う。逆に言えば、バッハやモーツァルトの楽譜のアバウトさは、それをどこで誰がどう演奏しようが、彼らがあまり気にしていなかった証かもしれない。いずれにせよ、自分の作品の不滅性に対する近代の作曲家たちの執拗はすさまじいものだったのだろう。自分の作品は永遠である、だから自分の死後もそれは意図したとおりに完璧に再現されなくてはならない-古代エジプトのファラオよろしく、一種の不老不死願望を作品に託するのだ。」

「しかし不滅を希求するからこそ、皮肉にも人は実存の不安に襲われる。自分のあずかり知らぬところで演奏家が勝手に自分の作品をいじるのではあるまいか。あそこのあのパッセージの強弱はああではなくて、こうでなくてはならないのに、一体どうすれば何人にも誤解がないよう、あのニュアンスが伝わるだろうか…。こんな不安にさいなまれ始めるのである。」

「この神経症じみた不安は、バッハやモーツァルトの「お好きにどうぞ」と言わんばかりの大らかさと、あまりにも対照的である。きっとバッハやモーツァルトは、自分の作品を永遠に残そうなどと、あまり考えていなかったのだ。また彼らは他者というものを深く信頼し、敬意を払っていたのだろう。だからこそ「お好きにどうぞ」と言えたのだ。永遠の生命を得ようとして逆に他者への不信にかられる。ロマン派以後の作曲家たちの実存の不安は、今ここ限りで霞のように消えてしまう音楽というはかなき芸術の運命を、敢えてそういうものとして受け入れるところに成立する即興の精神と、あまりにも対照的である。」

(「キーワードでたどる西洋音楽史47 即興演奏再考(下)」 岡田暁生 より)

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第45回は、
ロマン派の音楽と文学の関係

ここ数号を通して音楽形式の話、ベートーヴェン《運命》を題材にした具体的な話が続いています。今号では古典派で確立されたソナタ形式をはじめとした交響曲から、それを超えるために模索したロマン派への話です。

一部抜粋してご紹介します。

 

「もう一度、ベートーヴェンの交響曲《運命》の話に戻る。頭のジャジャジャ、ジャーン(ソソソ、ミー)はIの和音、次のジャジャジャ、ジャーン(ファファファ、レー)はVの和音で、その後もIやIV、Vを中心に和音は進行する。前に書いた機能和声のI-V-I、I-IV-I、I-IV-V-Iの基本にほぼ沿っている(43号参照)。この機能和声とソナタ形式で古典派の音楽はほぼできているのだが、作曲家は同じところに留まらない。もっと新しい和音進行やソナタ形式以外の構造はないかと考える。」

「それはそうだ。創作家は昨日と同じものを作ってはいけない。だから五里霧中の中で一筋の光明を見いだすために日々苦しんでいるのだが、掘り尽くされた炭坑(油田でもいいが)をもう一度掘って新たな石炭を探すことは新しい場所を見つけて採掘するよりもっと難しい。つまりもうぺんぺん草も生えない場所にいるより、新たな地を探す方が賢明である。」

「これがロマン派の作曲家たちが考えたことである。ソナタ形式は前の世代でやり尽くされた。どう頑張っても彼らを超す事はできない。前号に書いたとおり、ソナタ形式では第1主題と第2主題を作った段階で大方の道筋がつくという事は、誰が作ってもある程度まではいけるわけである。その分、実に大勢の作曲家が同じ道を通ったことになる。自分だけの獣道が多くの足に踏まれて道になり、やがてコンクリートの道路になる。そこには個性(これも実はいろいろ問題があるのだが)はない。」

「新しい道、それは文学だった。詩や物語が持っているストーリー(ドラマ性)に即して音楽を構成することで、ソナタ形式からの脱却を試みた。例えばコーカサスの草原を旅するロシア人と東洋人が出会うというテーマで書かれたボロディンの《中央アジアの草原にて》やアルプスの1日を描いたリヒャルト・シュトラウスの《アルプス交響曲》、シェーンベルクの《浄められた夜》だってデーメルの詩に基いて作曲されている。管弦楽曲の場合はそれを交響詩と呼ぶことが多い。この新しい波を先導していたのがフランツ・リストだった。」

「和音進行も、よりエモーショナルになって、微妙な感情の揺れを表現するようになった。つまり、より複雑になっていくのである。その最たるものがリヒャルト・ワーグナーである。もともと「楽劇」なのだからドラマ性があるのは当たり前だ。あの有名なトリスタン・コードのように、もやは和音の進行は最後まで完結せず次々に転調し続ける。それが不安、絶望などの情緒を表現することに貢献した。その彼が交響曲を書かなかった事は暗示的だ。」

「さて、文学に結びつくことがトレンド(懐かしい言葉)だった時代、一方では相変わらず前の時代の方法に固執する作曲家もいた。ヨハネス・ブラームスである(他にも大勢いた)。彼は純音楽にこだわった。純音楽というのは音だけの結びつき、あるいは運動性だけで構成されている楽曲を指す。ウイスキーに例えればシングルモルトのようなもの。シングルモルトというのは一つの蒸留所で作られたモルトウイスキーの事だ。防風林も作れないほど強い風が吹く(つまり作ってもすぐ飛ばされる)、スコットランドのアイラ島で作られるラフロイグは、潮の香りがそのまま染み付いていて個性的で強くて旨い。対してブレンドウイスキーというのは香りや色や味の優れたものをミックスして作るウイスキーだが、シングルモルトほどの個性はない。」

「ロマン派の音楽はブレンドウイスキーだった。新説! ドラマ性という劇薬を使っているから個性的には見えるが、音自体での結びつきではバロック、古典派よりも希薄になった。しかも調性はどんどん壊れていき、形式ももはや情緒的なものに成り果て、なんでもありの今日の世界や音楽と同じ状況になった。歴史は繰り返される。そのことを危惧したシェーンベルクは、音楽史上類のない新しい秩序としての方法論を発表した。十二音音楽である。」

 

クラシックプレミアム 47 ハイドン

 

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