Blog. 「クラシック プレミアム 23 ~グリーグ / シベリウス~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 20014/11/28

「クラシックプレミアム」第23巻は、グリーグ / シベリウス です。

一般的に北欧の音楽家として語ることの多い、二人の偉大なる作曲家が紹介されています。

 

【収録曲】
グリーグ
ピアノ協奏曲 イ短調 作品16
ラドゥ・ルプー(ピアノ)
アンドレ・プレヴィン指揮
ロンドン交響楽団
録音/1973年

劇付随音楽 《ペールギュント》 作品23より
第2幕 〈イングリッドの嘆き〉
第3幕 〈オーセの死〉
第4幕 〈朝〉 〈アラビアの踊り〉 〈ソルヴェイグの歌〉
バーバラ・ボニー(ソプラノ)
マリアンヌ・エクレーヴ(メゾ・ソプラノ)
エスタ・オーリン・ヴォーカル・アンサンブル
プロムジカ室内合唱団
ネーメ・ヤルヴィ指揮
エーテポリ交響楽団
録音/1987年

シベリウス
交響詩 《フィンランディア》 作品26
《悲しきワルツ》 作品44の1
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1984年

 

 

毎号巻末に収録されている岡田暁雄さんの音楽史、今テーマが「名演とは何か(上)」だったのですが、みんなが思っているクラシック音楽の疑問がわかりやすく語られていました。

少しまとめてご紹介します。

 

「クラシック音楽のハードルの高さの一つは、作品名の抽象性や作曲家の多さと並んで、演奏家名の多さにある気がする。ただでさえ作曲家が多いうえに、「誰々作曲の何々の誰々の演奏はスゴイ!」みたいな話になるから話のややこしさが倍増してしまうのだ。恐らく人々は19世紀くらいまで、「演奏」にはあまり興味がなかった。例えばマーラーは大指揮者としても有名だったが、彼が指揮したオペラ公演のポスターを見ても、興味深いことに彼の名前は出ていない。当時はまだまだクラシックは、どんどん新作が作られる現在進行形の音楽だったのだろう。だから人々の興味はもっぱら「誰が何を作るか」に向けられ、「誰の何を誰がどう演奏するか」などどうでもよかったのだ。」

「事情が変わるのは20世紀に入ってからである。言うまでもなくこれは、あまり新曲が作られなくなり、レパートリーが固定し始めることと関係している。クラシック音楽の古典芸能化である。定期的に同じ作品が頻繁に上演されるから、必然的に人々は有名曲を覚える。だから「今度は何を誰がどう指揮するのだろう?」という関心とともに、コンサートに臨むようになるのだ。」

「演奏家が演奏に特化するようになったことも関係しているはずだ。以前は「演奏しかしない人」など音楽家ではなかった。マーラーやシュトラウスは大指揮者だったけれども、何より彼らはそれ以前に大作曲家であった。ラフマニノフだってそうだ。生前の彼は大ピアニストとして知られていたが、何よりまず作曲家として自分を意識していた。彼らにとって演奏とは、極論すれば、生活の糧を稼ぐための行為にすぎなかった。今も昔も作曲という商売は不安定であり、腕さえあるなら演奏のほうが手っ取り早く金を稼げるのである。しかるに20世紀に入ると徐々に、「演奏しかしない大演奏家」というものの数が増えてくる。「どの曲」ではなく「誰の演奏」に人々の関心が向けられるようになるにつれ、演奏家がスターになり始めた。これが20世紀である。」

「思うにクラシック・ファンの間には、レパートリーの定番名曲についての、暗黙の「この曲、かくあるべし」のイメージがある。別の表現をするなら、「名演」とはクラシック・ファンならたいがい知っている、定番名曲においてのみ成立する概念だという言い方もできるだろう。「あの曲といえばだいたいこういうイメージ」が共有されているからこそ、それを図星で射当てるような演奏が「名演だ」ということになるのである。」

「極論すれば「名演」とは、誰でも知っていて、すでに綺羅星のような演奏がある曲について、「まさにこの曲とはこういうイメージのものだ!」と人々に確信させるような説得力をもって初めて、成立するものなのである。「名演」とは、ひとたびそれを聴いてしまうと、「もうその曲はそれ以外にはありえない」、「それこそまさに作曲者が望んでいたことに違いない」と聴衆に確信させてしまうような魔力を備えた演奏を意味するのである。もちろん「その曲はそれ以外にはありえない」などというのは幻覚錯覚の類ではあろう。「作曲家が本当に望んでいたこと」など、後世の人間にわかるはずがない。だからあくまで名演とは、「嘘か真かは別として、聴衆をしてそう思い込ませてしまうような演奏」以上のものではない、ということにもなる。」

 

 

少し長くなってしまいましたが、なぜクラシック音楽の名盤や名演と言われるものが、ひとつの楽曲に対してでさえも多数に存在し、それがゆえに一つのハードルの高さとなっている点が、わかりやすく紹介されていたので抜粋しました。

あと、19世紀、20世紀、そして21世紀、さらには未来に、クラシック音楽や現代音楽というジャンルはどう位置づけられていくんだろう?作曲家・指揮者・演奏家の関係性やポジションやバランスはどう変化していくんだろう?そんなことをふと思いふけったのもあり。

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第23回は、
絵画に描かれた時間と音楽における空間表現

前号に続いて、時間と空間について、具体的な絵画やクラシック音楽を紹介しながら進みます。ただ、今号のエッセイが執筆されたのは10月頭。つまり10月12日の「久石譲&新日本フィル・ハーモニー管弦楽団」長野公演直前なのです。

それもあってか、夏から秋にかけてのコンサートのことが、ちょっとしたひとり言、いや日記のように記されていました。まさに今の久石譲がわかる本人によるエッセイの醍醐味です。そちらのほうが久石譲ファンとしては興味をそそられる内容でしたので一部抜粋してご紹介します。

 

「このところコンサートが続いている。8月のW.D.O.(ワールド・ドリーム・オーケストラ)の後、9月の初めに京都市交響楽団とチャイコフスキーの交響曲第6番《悲愴》や僕の《シンフォニア》を演奏し、北九州で久しぶりにピアノをたくさん弾いた小さなコンサートを行い、末にはミュージック・フューチャー Vol.1で自作を含め、現代の音楽を指揮しピアノを弾いた。」

「《悲愴》は第4楽章が終わった後、ずいぶん長い間拍手が来なかった。指揮の手を下ろしてもシーンとしていて、困って客席に向かってお辞儀をしたらようやく拍手が来た。拙かったのかなと思ったら逆で関係者の話によると聴衆は浸っていて感動していたのだという。オーケストラのメンバーも満面の笑みで拍手を僕に贈ってくれたのでやっと安心した。ちなみに滞在4日間のうち3日間は同じ和風キュイジーヌの店で食事した。いろいろ試すより最初に行っておいしかったら通い通したほうがいい。時間の節約にもなるし。」

「チャイコフスキーの複雑な感情のうねりにどっぷり浸った京都の後、東京に戻ってからヘンリク・グレツキやニコ・ミューリーの譜面と格闘する日々が続いた。パート練習を含めたくさんのリハーサルをこなした。室内楽が中心で、1管編成約15人(弦はカルテット)が一番大きい編成だった。この編成は面白い。オーケストラと違い1楽器に1人だからそれぞれの音がよく聞こえる上にリズムや音程のズレもよくわかる。オーケストラでももちろんわかるのだが、よりシビアに聞こえるためたくさんの練習が必要になるわけだ。自作も、弦楽四重奏曲第1番《Escher》とマリンバ2台を中心とした《Shaking Anxiety and Dreamy Globe》を初演した。ただ、実際の作曲は2~3年前に書いたもので、それを今回大幅に書き直したわけだが、個人的には新作ではないからこんなに忙しいのにどこかサボったような心底喜べないところもある。作曲家の性か。」

「また昨日は今週末にある長野のコンサートのリハーサルで、ベートーヴェンの交響曲第3番《英雄》と自作の《螺旋》などを新日本フィルハーモニー交響楽団と練習した。が、あいにくの台風で時間が短縮され、《英雄》にあまり時間をかけられなかった。こういうオーケストラにとって定番の曲は通常の落ち着きやすいところに自然に行ってしまうので、自分がやりたい音楽をしようとするには僕自身の技量の問題もあるからたくさんの練習がほしいのだが、現実はなかなか厳しい。台風のように不可抗力もあるし。次のリハーサルでできるところまで頑張ろうと決心するのだが、いずれにせよ作曲がお留守になっていることだけは確かだ。つまりコンサートが多いということは、その間分厚い交響曲のスコアを勉強するわけで明けても暮れても睨めっこし、頭の中でその音を鳴らしているから自作の構想などは全く浮かんで来ない。お仕事っぽいものはまだこなせるが、やはり両立させることは難しい。そんなじりじりした焦りにも似た気持ちの中でこの原稿を書いている、やれやれ。本題(前回のテーマの続き)に戻ろう。」

 

 

ね、面白いですよね!今年の夏から秋にかけての久石譲の活動とそれに照らし合わせるかのような自身の想いあふれるエッセイ。

”北九州で久しぶりにピアノをたくさん弾いた小さなコンサート”って何?!こればかりが気になります。オフィシャルではない、プライベートに近いお仕事でしょうか。にしてもエッセイに載せているのでパブリックな活動と受けとっていいのでしょうか。まあ、そういう大なり小なりいろんな活動があるということですね。

あとは、これだけ単発なコンサート企画が続く大変さ。ツアーではないので演奏プログラムも演奏編成も異なる。その準備の大変さと、作曲活動、創作にあてる時間や頭の切り替え。このあたりはやはり大変なんだなーとしみじみ思ってしまいました。

いろんなクラシック音楽・現代音楽を、いろんな編成で演奏した後、そのアウトプット(演奏会)を活かしての次の創作活動に期待です!

最後に、本題のテーマに関するエッセイにもふれておきます。

 

(視覚には時間がなく聴覚には空間がない、という前号からの)

「オーケストレーションの基本は音の立体的構築であって、本来もっていない空間性をどうそのように感じ取ってもらえるかに多くの作曲家は腐心する。このように本来持っていないものを表現する行為もまた想像(創造)なのである。」

 

クラシックプレミアム 23 グリーグ シベリウス

 

Info. 2014/11/27 久石譲がアルバム発売 アニメ音楽、クラシックに 「作品化」念頭に最新ジブリ映画など

毎日新聞 2014年11月27日 東京夕刊

音楽とメディアとの関係を考えると、新聞などの印刷物は実に分が悪い。何せ音が聞こえない。だが、意外と親和性のあるジャンルがある。クラシック、ジャズ、演歌である。「活字」や「写真」といった古い媒体要素がこのジャンルをじっくり説明するのに力がある、ということだろうか。テレビにはアイドルポップが似合うし、FMラジオにはJポップがなじむ。では、映画には……。

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Info. 2014/11/25 [CDマガジン] 「クラシック プレミアム 24 ~ベートーヴェン5~」 久石譲エッセイ連載 発売

2014年11月25日 CDマガジン 「クラシック プレミアム 24 ~ベートーヴェン5~」(小学館)
隔週火曜日発売 本体1,200円+税

「久石譲の音楽的日乗」エッセイ連載付き。クラシックの名曲とともにお届けするCDマガジン。久石による連載エッセイのほか、音楽評論家や研究者による解説など、クラシック音楽の奥深く魅力的な世界を紹介。

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Blog. 久石譲 新作『WORKS IV』ができてから -方向性-

Posted on 2014/11/22

ようやく『WORKS IV』関連をまとめることができました。そこから見えてくる2015年以降の久石譲音楽活動の方向性について。個人の解釈と考察で進めます。

先にお断りです。今回は口語体よりも文語体のほうがしっくりくるためその形式にて。偉そうに聞こえてしまうかもしれませんが、そういうつもりはありません。予めご了承ください。

 

 

新作『WORKS IV』ができてから -方向性-

『WORKS IV』をまとめ振り返るということは、2014年の久石譲音楽活動を総括することにもなる。そのくらい今年の久石譲は『WORKS IV』の一本柱だったと、改めて振り返りまとめてみた結果、行き着いた結論である。

それについての詳細は先述の 久石譲 新作『WORKS IV』ができるまで -まとめ- に譲る。

ここでは、その経緯と軌跡をふまえて、ある意味において”立ち止まった2014年”の久石譲の想いと、その先にある方向性について考察していきたい。

 

 

*1年をかけて完成版に辿り着いた『WORKS IV』収録曲 

『WORKS IV』の収録曲のなかで、その目玉は「風立ちぬ 第2組曲」となる。2013年12月に《小組曲》として発表されて以降、改訂を加えた《第2組曲》が世界初演されたのは2014年5月台北コンサート。同じく「かぐや姫の物語」の音楽も、2013年12月に《飛翔》のみが新たなオーケストレーションで披露されて以降、2014年8月W.D.O.コンサートにて組曲として誕生した。さらには「Kiki’s Delivery Service for Orchstra」も、2014年1月台北にて改訂初演されている。つまり約1年をかけて音楽作品としての再構成を練り、コンサートで感触や響きを確かめながら、修正を重ねた結果が『WORKS IV』収録の完成版として記録されている。特に映画作品は、「一定期間が経過して自分で客観的な視点を持てるようにならないと音楽作品として取り組めない」と久石譲が語っているとおり、必然な必要な時間を経て完成版をみた作品たちが並んでいる。

2014年国内・海外で開催された久石譲の全8公演となるコンサートのうち、「風立ちぬ 第2組曲」が披露されたのは計5公演にも及ぶ(12月予定を含む)。多種多彩なコンサート・プログラムを各公演で実施したなかで、突出しているのは言うまでもない。ツアー・コンサート形式ではない単発企画の多い近年の久石譲コンサート活動において、これは何を意味するのか。

 

*立ち止まった2014年

2013年宮崎駿監督の長編映画引退発表が、久石譲にも大きく影響を与えたことは明らかである。約30年にも及ぶスタジオジブリとの関係、さらには全10作もの宮崎駿監督作品における音楽。久石譲の音楽活動はジブリと共に歩んできたと言っても過言ではない。その宮崎駿監督が引退する。さて、自分はこれからどういう方向性で音楽活動を進めていくか? と立ち止まったと考えるのはしごく自然な成り行きである。

”もう宮崎駿監督作品の音楽を担当することはない” そういった単純なことではない。宮崎駿監督と仕事をするということは、その時代ごとの音楽活動の節目であり、ネクストステップでもあった。そこから解き放たれたとき、つまりジブリという”制約”から解放されたときに、さてどんなビジョンを描いて進んでいくか?、そういったことを考えているのではないだろうか。もちろんここでいう制約とは、メリット・デメリットの両面性をもっている。

映画の仕事を見ても顕著である。2014年に関わった映画作品は『小さいおうち』と『柘榴坂の仇討』。これらは製作段階を起点にすると2013年の仕事になる。企画が決まり音楽制作に入る期間は少なくとも半年から1年を要する。つまりは、久石譲に宮崎駿監督の引退を伝えられた時点から、立ち止まる期間に入ったと言える。糸が切れたという表現はいささか稚拙だが、一旦の区切り、立ち止まって見つめなおすきっかけとなるに足り得る出来事であった。宮崎駿監督という存在がないなかで、他の映画作品の仕事をこれまで同様の延長線上で担当する、ということに対してもストップしたかったのではないか。それほどまでに宮崎駿監督の存在、宮崎駿監督との仕事が久石譲音楽活動の大きなウエイトを占めていたことは想像にたる。もちろんジブリ作品への久石譲音楽の貢献は大きい、だがしかし、久石譲の世に送り出された名曲たちは他分野にも多岐に渡り愛されている、ということもあえて念のため書きとめておく。

話を戻す。事実2015年、映画をはじめとしたエンタテインメント業界の仕事はほぼ白紙である。まだ公式に発表されていないだけかもしれないが、仮に今現在映画作品と距離を置いているとすれば、少なくとも2015年上半期、久石譲の新作映画音楽を劇場やCDで聴けることはないだろう。ほとんどの依頼を断り立ち止まった1年であり、その余波は2015年以降につづくことになる。エンタテインメント業界において久石譲音楽が聴ける機会が減る可能性があるということである。

 

久石譲 x 宮崎駿

 

*クラシック? 現代音楽? ミニマル音楽? 現代の音楽?

久石譲の音楽性を語る上で、その肩書きや表現が多岐にわたる。どれも似ているのだが、カテゴライズが違ったり、現在の解釈では意義が違うものもある。ここでは『現代の音楽』という言葉を使う。不協和音に象徴される昨今の現代音楽ではい。これについて久石譲は、「ミニマル・ミュージック以降の、ポストミニマルやポストクラシカルなどのジャンルでいうと、自分はポストクラシカルの位置にいると認識しています。そういう作品はいまも書き続けていくべきだと考えているし、力を注いでいる部分でもあります。現在つくっている音楽も、やはりベーシックはすべてミニマルです。それの発展系ですね。」と語っている。また別の機会には、「アルヴォ・ペルトという作曲家などは、不協和音も書いていたけれど、「原点に戻らないと音楽がダメになる」と先陣を切り、多くの音楽家がその方向に向かいました。その大きい動きの中に自分もいるという気がします。いま日本にいる、いわゆる「現代音楽」の作曲家と同じことをするのではなくて、僕がやりたいのは「現代“の”音楽」。エンタテインメントの世界にいるから、人に聴いてもらうことを何より大事に思っているんです。だから、現代にあるべき音楽というのを一生懸命紹介したり、書いたりしていきたい。」と。つまりは、『現代の音楽』という表現に統一、象徴されている。折に触れ自分の原点を突き詰めたくなるというミニマル・ミュージックを盛り込んだコンテンポラリーな作品、ということになる。また久石譲は”今日の音楽”という表現もしていることから、未来も含めたこの時代の音楽ということになる。

 

*「クラシックに戻す」の真意

「自分の本籍をクラシックに戻す」、11月の雑誌インタビューで語られた。実はこの発言遡ってみると、2013年8月にも同じことを述べている。「自分のベーシックなスタンスをクラシックに戻すつもりでいます。もともとは現代音楽の作曲家でスタートしているからね」と。後日紹介予定だが『風立ちぬ』公開記念の雑誌インタビューである。そう、1年以上前からすでにその指針は語っていたのである。これは単純に古典クラシック音楽を演奏する機会が増えるといったことではないだろう。前項の”現代の音楽”に通じる、まさにコンテンポラリーな作品の創作活動へとシフトしようとしている現れである。

興味深いことに2014年コンサートプログラムには、ある特徴がある。「バラライカ、バヤン、ギターと小オーケストラのための『風立ちぬ』第2組曲」をはじめとして、「混声合唱、オルガンとオーケストラのための~」「ヴァイオリンとオーケストラのための~」、「~for Orchestra」、「弦楽四重奏~」、「~for 2 Marimbas」、「弦楽オーケストラのための~」など。もうおわかりだろう、自作の新作および改訂版において、ほぼすべての楽曲に楽器編成・楽器構成が明記されている。いかにもクラシック音楽の表現方法のひとつである。つまりは、すでに久石譲のなかで”クラシックに戻した”音楽活動は始まっているのである。これから先さらに、シンフォニー、小編成、独奏楽器や特殊楽器を織りまぜた創作活動につながっていくのかもしれないという”クラシックを軸にした”方向性の現れではないだろうか。

”クラシックに戻す”とは、作曲家として、大きな流れにおいてポストクラシカルに位置していると認識し、ルーツであり原点であるクラシック、ミニマル・ミュージックによる現代音楽、さらにはエンタテインメント音楽として発表された楽曲を、コンサートなどにおいて古典クラシック音楽と並列しても遜色ないクオリティにまで磨き上げ、楽器編成を再構成し、音楽作品として昇華させる。そのすべてが作曲家久石譲による”現代の音楽”に帰結していくかのように。そしてこれこそが、久石譲が想い馳せる”現代にあるべき音楽”であり、後述する”アーティメント”なのだろう。

 

*2014年コンサートプログラム 考察① W.D.O.成熟期

今年のコンサート、とりわけW.D.O.名義や新日本フィル・ハーモニー交響楽団との公演が多い。さらには、同フィルとの共演プログラムすべてにおいて、コンサート・マスターであるヴァイオリンをフィーチャーした楽曲が選ばれている。8月W.D.O.では「ヴァイオリンとオーケストラのための『私は貝になりたい』」、10月長野公演では「弦楽オーケストラのための『螺旋』」(Vnソロはないが弦楽主体の意)、そして12月ジルベスター・コンサートでは「Winter Garden」が予定されている。加えるならば、当初プログラムから変更にこそなったが、長野公演で一時予定として挙がっていた「魔女の宅急便より『かあさんのホウキ』」も、2008年武道館公演で披露されたヴァイオリンの旋律が美しい楽曲である。2004年に発足した「久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ」(W.D.O.)が2014年の今年10年目を迎えた。久石譲と新日本フィルの関係性が親密であるのと同時に、確固たる互いの信頼関係において成熟期に入った証拠である。

 

*2014年コンサートプログラム 考察② 自作現代音楽

近年、自作と古典クラシック音楽を織り交ぜたコンサート・プログラムを展開してきた久石譲だが、今年はとりわけ自作のウエイトが幾分増えたばかりか、その内容にはポピュラーではない自作、つまり現代音楽を披露する機会が多かった。1月台北での「5th dimension」(藤澤守 名義)改訂初演、5月台北での「混声合唱、オルガンとオーケストラのための『Orbis』」、9月京都での「室内オーケストラのための『シンフォニア』」、9月東京での「弦楽四重奏曲 第1番 “Escher”」「Shaking Anxiety and Dreamy Globe for 2 Marimbas」ともに世界初演、10月長野での「弦楽オーケストラのための『螺旋』」(当初予定では「ピアノと弦楽オーケストラのための新作」というプログラム案もあった)、そして12月予定の「Winter Garden」。これもまたひとつの変化の兆しであると感じる。

興味のある方は、ここ数年のコンサート・プログラムの流れを読み解き、また前年以前との傾向の違いを見比べてみてほしい。 → 久石譲 Concert 2010-

 

*2014年コンサートプログラム 考察③ 現代の音楽を探る

②をもとに、「クラシックに戻る」発言も照らし合わせると、このようになる。自作とりわけ現代音楽の演奏機会を増やし、会場の感触、空気感、響き、そして観客の反応、これらを確かめるように実演を繰り返していく。後述するが、今後作曲家活動の先に、自作の普遍性と未来へつないでいくための楽譜出版にも力を入れていく予定という。その大きな流れの一環として、コンサートで演奏を重ね、まずは作曲家自身のものとして掌握することで、一旦の完成版をみる。そこからCD作品化や楽譜出版として形となり、他者が演奏する機会が用意される。そういった作品発表の機会、改訂や修正を重ね完成形へ近づける場としてコンサートが成立していくのではないだろうか。これは先に述べた『WORKS IV』収録曲の、約1年に及ぶ演奏会からCD作品化へという流れからみても、今後同じような経過を辿っていくことは考え得る。その範囲が大衆性を帯びた映画音楽から、芸術性を帯びた現代音楽へと広がりつつあるのである。

 

*アーティメントを語る

2014年久石譲が発信したキーワード”アーティメント”(アートメント)。アート+エンタテインメントを合わせた造語である。しかしちょっとした違和感があった。なぜ今”アーティメント”を語るのかと。久石譲の音楽活動においてエンタテインメント業界で活躍してきた大衆性(エンタテインメント)と、音楽的オリジナリティを追求してきた芸術性(アート)。これはいつも両輪であった。たとえば映画音楽を担当すればサウンドトラックを発表し、一方では制約から解放されたソロ・アルバムを発表してきた。両輪である。たとえば商業ベース、エンタテインメントの世界が求める音楽と、自分がつくりたいものとの葛藤やフラストレーション。常に音楽活動のなかでそのバランスをとるかのようにあらゆるアプローチで作品を発表してきた。両輪である。もっといえば、”WORKSシリーズ”や”Piano Storiesシリーズ”などは、まさに大衆性+芸術性をあわせもつ、格調高くドラマティックな音楽作品へと昇華させる、久石譲の真骨頂でありマイルストーン的役割を持っている。なのに、なぜ今改めて”アーティメント”なのか。

これには宮崎駿監督の引退が影響していると考察している。つまりは、これまでどれだけ前衛的で独創的な現代音楽を発表したとしても、一方には大衆性の最たるジブリ作品の音楽という仕事があった。過去の作品という意味ではなく、現在進行形での大きな大衆性と、突きつめた芸術性を維持できていた、音楽活動の道程ということである。その片輪が未来に対してなくなろうとしている。だからこそ”立ち止まった1年”だったのであり、”アーティメント”の土台を見つめなおす必要があった。

おもしろいことに、『WORKS IV』に収録された「風立ちぬ」も「かぐや姫の物語」も決して耳あたりがいい音楽ばかりではない。そこには重厚な不協和音も響いているし、ルーツであるエスニック・サウンドやミニマル色も強く盛り込まれている。つまり、これまでの”WORKS”シリーズで取り上げられたジブリ作品に比べて、格段に前衛的で独創的なアート性が増しているのである。付け加えれば、「私は貝になりたい」でもヴァイオリンの重音奏法から激しいミニマルのパッションという、これまでには考えられないほど、大衆性と芸術性の境界線が崩れてきている。

これこそが、今久石譲が語っている”アーティメント”(アート+エンタテインメント)のかたちではないだろうかと思う。作品ごとに映画なら大衆性、オリジナルなら芸術性ではなく、作品ひとつひとつに大衆性と芸術性を混在させてしまう、いやその領域まで昇華させると言ったほうが正しい。かつその方法論のなかには”クラシック”という大きな軸が存在する。一方では、ジブリ作品を例にとったその逆説的には、これから発表していくであろうミニマル・ミュージックをベースとした現代音楽が、これまでよりも聴きやすい、もしくは普遍性を帯びたものになるべく創作されるという見方もできるのである。久石譲の過去の作品から挙げるとするならば、まさに『メロディフォニー』や『ミニマリズム』を継承した、いやその次のステージに入った”久石譲のアーティメント音楽”が発表される可能性を秘めている。『WORKS IV』のリ・オーケストレーションされた映画音楽たちは、これまでのオーケストレーションの再構成とは違う、一歩先の”アーティメント”を追求した布石となる第1作目なのかもしれない。そして、次に待つのは映画音楽ベースではない、”現代の音楽”からの”アーティメント”追求なのかもしれないと。

久石譲の言葉も引用するとさらに説得力が出てくる。「時代や国境を越えて聴かれ演奏される音楽を制作したい。そのための時間を作る生活にシフトチェンジしている最中です。」「かつて、僕の作品は僕だけが演奏していました。それが今では、世界各国のオーケストラが僕の書いたオリジナルの楽譜で演奏しています。」

 

*未来につないでいきたい音楽

2014年W.D.O.の復活と同時に、新たに始動したのが「久石譲プレゼンツ ミュージック・フューチャー」コンサートシリーズ。まさに今久石譲が未来に残したいと思う音楽、多くの人に届けたい音楽を発信する場である。クラシック音楽ならびに現代音楽の厳しい現状を打破したいという思いもある。過去から現在に引き継がれた音楽がクラシックとするならば、未来へつなぐものも今日演奏されている古典クラシック音楽だけでいいのか、現代の音楽から未来へ引き継がれるべき作品があるのではないか。そういった想いなかで、その演目は自作のみならず、海外の現代作曲家の作品まで多岐にわたる。この傾向は8月W.D.O.にも及ぶ。さらには自作に関しても、9月に開催された同企画Vol.1においては世界初演2曲という異例のかたちとなった。これは来年以降のW.D.O.やオーケストラコンサート、ならびにミュージック・フューチャーにも引き継がれていくであろう。広義において”現代の音楽”を発信する場、”未来につないでいきたい音楽”を伝える機会として。自作の傾向詳細は、先の【*2014年コンサートプログラム 考察② 自作現代音楽】にて紹介している。

 

*人に聴いてもらう機会

”人に聴いてもらうことは何よりも大事”と久石譲は語る。これまでの流れから整理する。自作自演はCD・コンサート・メディア発信となり、自作他演は楽譜出版となり、他作自演はコンサートとなる。そして、その演目は、自作・他作問わず、”現代の音楽”であり”未来につないでいきたい音楽”である。またコンサートプログラムにおける自作の演奏機会が増えることも予想される。先の【*2014年コンサートプログラム 考察③ 現代の音楽を探る】の項にて述べた。8月W.D.O.コンサートにおける公式パンフレットにもこうある。「自分の曲をきちんと届けていくことから再開したい」と。今後の創作活動の内容に多分に影響されるところはあるが、少なくとも古典クラシック音楽主体のコンサートの機会は減るのではないだろうか。

もうひとつ、この発言には大事なキーファクターが隠れている。それは”アーティメント”である。先の【*クラシック? 現代音楽? ミニマル音楽? 現代の音楽?】の項にて、”現代の音楽”についての定義は述べた。そのなかの久石譲発言に、「自分はエンタテインメントの世界にいるから~」と続く。何を意味するのか。それは、あまりに芸術性を突き詰めすぎた現代音楽は、聴衆との大きな距離ができてしまう。だからこそ、あえて「ポストミニマルではなくポストクラシカルという線上に自分はいる」と語っているのである。つまりは、オリジナル創作活動において、本来は芸術性のみを追求すればいいところに、大衆性とのせめぎ合いや葛藤が生まれる。その昇華へ導く軸として”アーティメント”があるのである。久石譲の”アーティメント”の結晶が”現代の音楽”としてかたちとなり、”未来につないでいきたい音楽”として多くの”人に聴いてもらう機会”を得るのである。

 

*パーソナルな作品から普遍性のある作品へ

「作品として形にすることで、譜面を出すことにもなる」、または「今回の『WORKS IV』のように完成度を高めた楽曲は、楽譜をドイツに本拠を構えるショット・ミュージックから出版している」と語る久石譲。”アーティメント”を念頭に置いたときにこの発言の意味は大きい。つまりはアート(芸術性)とエンタテインメント(大衆性)をかねそなえた作品を発表することが、作曲家の手を離れて久石譲音楽が演奏される機会が増えることにつながるからである。また今年久石譲は、改めて自分の肩書きは作曲家であるということに触れている。「僕は肩書きで言ったら作曲家ですから。指揮もピアノもしますが、基本は曲を書く人です。それがないと自分の音楽活動は成立しません。だから作曲というのはどこまでも大事にしたいですね。」と。

楽譜出版をするこということは、音楽作品として作曲家自身が完成版として納得した証でもある。そのクオリティに行き着くための、コンサート演奏を繰り返すことでまずは自らが掌握する経緯は先に述べた。そして、同様に楽譜には模範演奏が必要である。ピアノ・ソロならまだしも、フル・オーケストラによるシンフォニー作品は、楽譜だけで作曲家の意図通りに実演することは難しい。ましてや、久石譲による楽器編成、音の強弱、テンポ、揺れなどは、作曲家自身が指揮者・演奏者となることであの独特な世界観をつくりあげているのである。久石譲の音楽が、本人から他者へ、国内から海外へ、現在から未来へ、その普遍性が帯びてくるということ、楽譜出版として形にするということは、イコール、CD作品化も同一線上にあると考えるのが妥当である。普遍性を導くには、まずは作品を形に残すことが前提条件であると考える。

一方で個人的な解釈である。楽譜出版による久石譲音楽の普遍性。もちろんそれもあるが、現時点で普遍性は確立されていると断言する。それは、久石譲の音楽が不特定多数の聴き手を相手にするのではなく、あくまでも聴き手が個人的に作品と向き合った時に感じる感動体験にひたらせる音楽だからである。それこそが、聴き手の集合体となり演奏者の拡がりとなり、今も未来も普遍的なのである。そこに”音楽作品としてのかたち”、すなわち音楽をつめ込んだCD作品、作曲家の息吹、意図や意思を忠実に表現したオリジナル音源がひとつでも多く残されていくことが望ましいとも思う。聴き手の日常生活のなかで、久石譲音楽を響かせ、こよなく愛し続けるためには、そういった”かたち”が必要不可欠なのである。これは無形としての普遍性も既にあると言い切ったうえで、それでもなお有形として残していってほしいという個人的願望である。

 

*勝手に曲想や構想を妄想

少し道をそれる。こういう作品化もあるのではないか、ということを勝手に妄想を膨らませていく。過去の名曲たちが新しいクラシック方法論によって甦る。【*「クラシックに戻す」の真意】と【*アーティメントを語る】の項を軸にして想像する。例えば、ジブリ作品でいうと、2008年武道館公演での演奏曲目や演奏編成などを参考にする。「混声合唱とオーケストラのための『崖の上のポニョ』」、「トランペットとオーケストラのための『天空の城ラピュタ』」、「吹奏楽とマーチングバンドのための『天空の城ラピュタ』」、「ソプラノ、混声合唱とオーケストラのための『もののけ姫』組曲」、「ピアノと金管四重奏のための『紅の豚』」などなど。

ほかにも過去コンサート演目や、未CD化作品および未演楽曲、コンサートでのみ披露されたバージョンや編成から多種多様なピースを思い描くことができる。例えば、「『二ノ国』組曲」、「『太王四神記』組曲」、「チェロとピアノのための『la pioggia』」、「管楽オーケストラのための『天地明察』」、「『この空の花』の主題によるボレロ幻想曲」、「2台のハープとオーケストラのための『海洋天堂』」などなど。これ以上やると妄想が過ぎる。また枚挙にいとまがない。そうなると久石譲ファンのなにか執念的なものが色濃く反映されてしまうためここでぐっと留める。それほどまでに久石譲の作品は、新作を待たずとも、音楽作品として昇華されるに値する、普遍性を帯びた名曲たちの宝庫である。現時点でも溢れ出るくらいの傑作たちがストックとして存在し、光り輝いている。さらに磨きあげられ眩く日が来るのか。これもまた、久石譲のこれからの”アーティメント”感性と、久石譲が思う”未来につないでいきたい” ”現代の音楽”なのか、という判断基準によって精査されていくのであり、すべては作曲家久石譲に委ねられている。

 

*来年に向けて 久石譲インタビュー

ここでは、2014年数々のインタビューで締めの質問として問われた「今後の予定は?」に対する、久石譲の発言をまとめる。「今年は依頼をほとんど断って、よく立ち止まるようにしているんです。来年からはもう一度、しっかりやりたいと思っていますよ。」、「まず来年など、ずいぶん先に委嘱されているものをきちんとつくらなければいけないし、それにはやはり手間暇がすごくかかるんです。自分の作品を書くことと、エンタテインメントの仕事と、そのあたりの時間の配分はかなり考えないといけない。」、「指揮だけを考えると、同じ曲でもシンフォニーなどは、5回10回と振っていくことで理解度が深まりますから、そういった経験は非常に重要です。なのでチャンスがあったらどんどんチャレンジしていきたいですね。」 ということである。

 

*来年に向けて 考察

久石譲インタビューで語られた抱負を受け止めるしかない、というのが結論ではある。ひとつだけ確定している創作活動としては、2015年3月「バンド維新2015」のために書き下ろす吹奏楽の委嘱である。その他映画をはじめとしたエンタテインメント業界での仕事、創作活動もコンサート活動も白紙である(2014年11月現在メディア発信されていない)。今回の『WORKS IV』での革新的なレコーディング方法もふまえると、どういった形で作品化されるかも想像の域を出ない。スタジオレコーディングされるのか、ライヴ録音をCDのクオリティーまで高めた作品として仕上げていくのか。そのすべての活動が白紙なのである。

ただ、これまであらゆる視点で考察したとおり、2015年以降は、”クラシック、ミニマル・ミュージックという久石譲の原点に戻る”ということよりも、さらに一歩推し進めた新しい展開が待っているような気がしてならない。それは次のステージへと突入した”クラシック”を軸とした新しい”アーティメント”のかたち、”未来へつないでいきたい” ”普遍性を帯びた” ”現代の音楽”。その序章としての位置づけが新作『WORKS IV』なのではないだろうか。久石譲の新しい創作活動への布石はこの『WORKS IV』であり、幕は開いたのである。

 

*おわりに

「言葉によって伝えることの大切さ」、これはひとつのキーワードである。たとえばこんなエピソードがある。映画『となりのトトロ』でトトロが登場する際に流れる7拍子のミニマル・ミュージックBGM。当初監督はこのシーンに音楽は必要ないと言っていたが、念のために作った久石譲の音楽を入れたとき、トトロという存在が確固たるものとなったと。また「弦楽オーケストラのための『螺旋』」というコンサートで数回演奏され、CD音源化されていない作品がある。このコンサート・パンフレットには、久石譲本人の解説が掲載されている。「曲は、8つの旋法的音列(セリー)と4つのドミナント和音の対比が全体を通して繰り返し現れる。もちろんミニマル・ミュージックの方法論で作曲したが、その素材として上記の12音的なセリーを導入しているため結果として不協和音が全体の響きを支配している。(以下省略)」

久石譲の活動や楽曲といった情報を探すために当サイトは存在する。そしてさらには、楽曲それぞれの時系列、変化、秘話、解説、背景もこぼすことなく記録していきたいと努めている。”言葉=動機付け”としたときに、上の二つの例をとってみても、その意義はあると認識している。”耳馴染みの”もしくは”お気に入りの”あの一曲のエピソードを知ることで、聴き方が変わってくるのではないか。そして、作曲家自身の言葉で知ることで、”聴いたことがない曲”であれば、CDを手にとってみよう、また”未CD作品”であればその希少性も増し次回はぜひコンサートに行こう、という好奇心へと突き動かされるのではないか。作品をより深く知るための味わうための情報や知識。興味を持つきっかけであり、紐解き掘り下げたくなる好奇心。そういった有益なサイトとなるように、今後も情報発信として許されると判断したものは、久石譲の歴史として刻んでいきたい。

当サイトでは、転記やあらゆる文献からの書き起こしも、忠実にオリジナルを残すことに意義があるという思いから、修正や加工、そして管理人の解釈とは区別して忠実に再現化していることをお許し願いたい。それでも約35年以上にも及ぶ久石譲の音楽活動を網羅するには程遠い。これからもライフワークとして築きあげていきたい。

 

 

最後に。
長文にわたってご清聴ありがとうございました。幾分簡潔にまとめるつもりが溢れてしまいました。2014年の久石譲の総括は年末にまたしたいと思っていますが、キーワードとしてはやはり”立ち止まった1年”でした。発表される作品やコンサート活動を見ると、2014年も精力的に動いて見えますが、いや実際動いています、でもその準備段階や制作期間、つまり種まきや創作活動の時期にはタイムラグが発生します。2014年世の中に発表されたものは、2013年に水面下で準備され創作されたものが花開く、という具合にです。

だからこそ”立ち止まった2014年”、その先にある2015年は、少し沈黙がつづくのかもしれません。ファンとしてはさみしい限りですが、それだけに次の創作活動への期待もふくらみます。”生みの苦しみ”という芸術家の性を、”待つ辛抱”という受け手の想いにかえて。最後に補足ですが、久石譲の発言は”方向性のひとつ”であり、私の考察もまた”推測の域を出ない”ものです。ここには出てこなかった新たな方向性へと2015年以降導かれるのかもしれません。それを承知のうえで発信していますし、そう受け止めていただければと思います。またいかなる発信にも責任はともないますので、あまりに筋違いな見解は控えているつもりです。2014年の久石譲音楽活動から見えてくる振り返りや方向性、ファンとしてマイルストーンを残すこともまた大切であり、こよなく愛しつづける音楽家へ敬意を表することのひとつだと思っています。

《後記》
あくまでも読みやすさを優先した(つもり)のため、久石譲発言の引用元や、楽曲・コンサートなどのリンク先URLは割愛しました。すべて2014年の情報から詰め込んだものですので、下記当サイトのバックナンバーやサイト内検索窓を活用してぜひ掘り下げてみてください。 ⇒ back number [ Information /Blog ]

 

 

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久石譲 リアルサウンド2

 

Info. 2014/11/20 [雑誌] 「モーストリー・クラシック2015年1月号」 久石譲 掲載

11月20日発売の「モーストリー・クラシック」2015年1月号(vol.212)に高松宮殿下記念世界文化賞の音楽部門受賞者アルヴォ・ペルト氏と久石の面会の様子が取り上げられました。
二人のツーショット写真と共に久石のコメントも掲載されています。
ぜひご覧ください。

公式サイト〉〉モーストリー・クラシック

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Blog. 久石譲 「千と千尋の神隠し」 インタビュー ロマンアルバムより

Posted on 2014/11/20

2001年公開 スタジオジブリ作品 映画『千と千尋の神隠し』
監督:宮崎駿 音楽:久石譲

映画公開と同年に発売された「ロマンアルバム」です。インタビュー集イメージスケッチなど、映画をより深く読み解くためのジブリ公式ガイドブックです。最近ではさらに新しい解説も織り交ぜた「ジブリの教科書」シリーズとしても再編集され刊行されています。(※2014.11現在「千と千尋の神隠し」は未刊行 2016年以降予定)

今回はその原本ともいえる「ロマンアルバム」より、もちろん2001年制作当時の音楽:久石譲の貴重なインタビューです。

 

 

「映像を豊かに彩る『千尋』のサウンド」

『風の谷のナウシカ』から現在まで17年。
久石さんは、すべての宮崎駿監督作品に音楽担当として参加してきた。その久石さんが、『千尋』は過去最高の傑作かもしれない、と語る。宮崎さんが生み出した映像に対する、久石さんの回答は──。

-この映画について宮崎さんからはどのような注文があったのでしょうか?

久石 「『もののけ姫』あたりから、内容説明というよりは詞に近いものをくれるようになったんです。僕はイメージポエムと呼んでいるんだけど、宮崎さんは言葉に鋭い方だから、そこに込められている意味はすごく大きいんじゃないか。そう考えて、そこから発想を始めたんです。それでまずは、イメージアルバムを歌もの中心で作って、それからサウンドトラックにかかりました。」

-今回、バリ島の楽器ガムランや、沖縄、中近東、アフリカなど世界さまざまな地域の音を取り入れていますが。

久石 「宮崎さんがさまざまなものを取り入れることであの世界に広がりを与えているように、僕もさまざまな音を取り入れることで、映画を見た人のイマジネーションを広げていきたいと思ったんです。かつてこれほど大胆に、フルオーケストラとエスニックな音を融合させたことはないと思いますよ。今回、コンサートホールを使ってライブ収録をしたのですが、正解だったんじゃないかな。宮崎さんは空気感を大事にする人だし、あの世界の拡がりを表現するためには、やはりオケが必要なんですよ。

でも、そうしたにぎやかな曲って、実は千尋の気持ちにつけていく静かな曲を、引き立たせるためのものでもあるんですよ。僕としてはピアノと弦だけの曲とか、ほとんど単音のピアノでメロディーを弾いている、その静けさを、むしろ大事にしたいと思いましたから。」

-千尋という主人公を、久石さんはどうお考えですか?

久石 「すごく魅力的ですよ。今までのヒロインでは一番いいんじゃないかな。誰にとっても身近な存在で。最後まで千尋が10歳の等身大の女の子でいるよう、僕自身かなり考えたし、宮崎さんもそうだったと思います。あのぶちゃむくれの顔が、最後は美しく見えますからね。」

 

〈海〉のシーンに表現された宮崎監督の深い思い

作品の根底にある思いを音楽にして

-今回、他のキャラクターのテーマ曲も作ってますね。

久石 「湯婆婆のテーマ曲は苦労したなぁ。何度も書き直してるんです。宮崎さんのキャラクターって複雑で、善人が後ろに悪を抱えていたり、きびしい顔の裏に優しさがあったりするじゃないですか。必ず相反する両面を要求するから、単に怖いおばあさんとして書くことができないんです。でも、その分、自分でも、一、二の出来になったんじゃないかな。通常の楽器を使っているけど、その音がしないように作ったんですよ。ピアノの一番高い音と低い音が同時に鳴るような。あの曲は、気に入っている曲の1つです。」

-『千尋』という作品そのものについては、どうお考えですか。

久石 「今回の作品で僕が感じるのは、人間はひとりぼっちだと。だけど前向きに生きるひたむきさとかやさしさとか、そういったものを表現したい作品なんだなってこと。

その辺が一番出ているのが、海の上を走る電車のところで、あそこが宮崎さんが一番やりたかったところだ、と僕は思ってるんですよ。それがイメージアルバムのなかにある「海」という曲とすごく合っていて、宮崎さんも真っ先に気に入ってくれた。嬉しかったですね。

根底にあるのはこれまでの宮崎作品と一緒だと思うんですけど、今回は、宮崎さんの私的な心情が色濃く出ている作品だな、と思います。作品と作家としての距離が近づいている印象がありますよね。この映画には、宮崎さん自身が経験したことや体験したことがかなり入っているんじゃないかと思います。だからこそこの映画は、大傑作になったと思います。過去の宮崎作品で、一番の傑作かもしれませんね。」

(千と千尋の神隠し ロマンアルバム より)

 

 

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千と千尋の神隠し ロマンアルバム

 

Blog. 久石譲 新作『WORKS IV』ができるまで -まとめ-

Posted on 2014/11/18

10月8日、久石譲待望の新作CD『Works IV -Dream of W.D.O.』が発売されました。

お伝えしているとおり、この作品は、8月9日・10日に行われた「久石譲&WORLD DREAM ORCHESTRA 2014」(W.D.O)コンサートをLiveレコーディングし、かつCDのクオリティーを追求した作品として仕上げたものです。

2013年の映画作品をメインにサウンドトラックの音楽を新たに構成、音楽的作品としてオーケストレーションし直し豪華に昇華させた楽曲たちが並びます。

まず一聴しての感想は、とにかくクオリティが高い!音質がいいだけでなく、楽器ごとの細かい音の配置や調整、バランスまで、これがライヴ録音か?!と思わされる完成度にただただ脱帽です。

これには本当にびっくりしました。おそらくこのクオリティーに仕上げるまでには相当な技術と苦労があったと思いますが、久石譲のシンフォニー作品では3-5本の指には入るだろう傑作となっています。スタジオ・レコーディングの緻密さ、Liveレコーディングの臨場感、そのどちらをも兼ね備えたダイナミックな作品に仕上がっています。

まさに「サウンドトラックを超えた」次のステージへの輝き。これを見せつけられると、いや聴かせられると、もうスタジオ録音がいいのか、ライヴ録音がいいのかわかなくなるくらい、そのくらいの緻密さ、ダイナミズム、臨場感と空気感を一気に詰め込んだ傑作です。

そして同時に、これからのコンサートでも同じ規模とはいかないまでも、どんどんLive録音、CD音源化してくれることをさらに切望してしまいます。近年の久石譲コンサートでは、ツアープログラムではなく、都市圏を中心とした単発企画であり、さらにはコンサートでしか聴くことのできない新作や未発売作品、はたまた過去の名曲が装いを新たに改訂などの機会が増えているためです。

さて、個人的な『WORKS IV -Dream of W.D.O.』からの思いはここまでに。

 

 

どのようにして本作『WORKS IV』はできあがったのか?

ここ数日間であらゆるメディアに登場した久石譲インタビューから本作品ライナーノーツ解説までを紹介してきました。これらをもとに『WORKS IV』ができるまで、インタビューや解説を総力特集して、キーファクターをまとめていきます。

 

*”WORKS”シリーズコンセプト

久石:
映画など他の仕事でつくった音楽を「音楽作品」として完成させる、という意図で制作しています。映画の楽曲であれば、台詞が重なったり、尺の問題があったりとさまざまな制約があるので、そうした制約をすべて外し、場合によってはリ・オーケストレーションして音楽作品として聴けるようにする。『WORKS』シリーズはそうした位置づけの作品です。

*収録曲への想い

久石:
たとえば宮崎さんとの担当作は数えて10作、30年間に及びます。それを多くの方が聴き、それぞれに評価してくれました。そして『風立ちぬ』が最後の(長編)作品になるということですから、きちんとした形で残していこうという意図はありました。

久石:
「天人の音楽」(天人が天から降りてくるときの音楽)は、もともとサンプリングのボイスなどを入れていたので、オーケストラとの整合性がうまくとれずに苦戦しましたね。ただ、それが現代的にかっこよく響いてくれれば成功するだろうという狙いが根底にありましたし、高畑さんも実験精神旺盛な方ですから、とがったアプローチをしても快く受け入れてくれました。「五音音階を使っているのに何故こんなに斬新なの?」と思わせるラインまではすごく時間がかかりましたが、結果として納得いくものができました。

(以上、Blog. 久石譲 『WORKS IV』 発売記念インタビュー リアルサウンドより より)

 

*レコーディング

久石:
オーケストラのレコーディングというのは、お金がかかってしまうものですよね。だからといって、コンサートの本番1回だけをライブ盤として出すのは良いとは思わなかった。というのは、コンサートの雰囲気をそのままパッケージするということは、音のバランスという意味で難しいというケースもあるからです。なので、今回は2回のリハーサル、2回のゲネプロ、本番2回の合計6回すべて、初日からレコーディング・クルーを入れて、全テイクを録ったんですよ。それで、リハーサルが終わった夜に、レコーディングのクルーを含めて全部聴いて、例えば”シンバルの音が大きいから修正したほうが良いね”となった場合、マイクの位置やほかの楽器との距離を変えたり、それでも駄目だったら、僕の指揮で「そこのシンバルをもう少し小さくして」と指示を出して対処しようと話し合いました。そうやって徹底的にシミュレーションしたんです。そうすることによって、コンサートとしてもきちんとした演奏のクオリティを保ちつつ、CDとしてもできる限り望んでいる音のクオリティに近づけようとしたわけです。恐らく、こういう方法を日本で試みた人はいないと思いますよ。リハーサルの初日から舞台袖には大量のマイクとレコーディングの機器を用意し、マイクはそれぞれの楽器ごと1cm単位で角度などの修正をする。最終的なCDの音源はコンサートの音が中心になっているんですが、実はリハーサル時の会場にまだ観客が誰もいない状態の音もいっぱい使われているんです。そういう意味で、なかなか良いクオリティだと思いますよ、追求できましたからね。

久石:
オーケストラの録音は、空気感というか、スタジオでオンマイクの音で作る音楽ではなくて、響いている音で作り上げるんです。今回は、それをしっかり録るということをメインにして、その空気を伝わってくる音を大切にしてCDに仕上げることができたと思います。

 

*レコーディングについて (解説)

今回の録音は、コンサートの収録だったため、エンジニアを務めた浜田純伸氏はマイキングに関して、見た目が邪魔にならないように気をつけていたという。また久石さんからは、リハーサルの初日にマイクの数が多過ぎて、ごちゃごちゃして見えるという指摘があったそうだが、マイクを減らすことはせずに、ポジションを動かしただけで、そのまま進行させた。そのマイクの数は、予備も含めて合計56本になったそうだ。

初日のリハーサルが終わり、録ったテイクをプレイバックした際、久石さんから、パーカッションの音像と音量が大き過ぎることと、ソロ・バイオリンの音色が薄く抜けが悪いという指摘があった。パーカッションに関しては、マイキングだけでは対処が難しいということだが、弦のオンマイクに関しては、マイクの向きと指向性を調整。あとは、ミックスで処理することにしたそう。ソロ・バイオリンに関しては、マイクそのものを変えて対処したという。

 

*編集(ミックス)作業について (浜田純伸)

浜田:
AVID Pro Toolsです。また、さまざまなノイズを消すためにIZOTOPE RXを多用しました。譜めくり、いすの鳴る音、咳、空調音…。今回はダイナミック・レンジの広い曲が多く、静かなところでは、結構細かなノイズが聴こえてくるためです。

浜田:
今回はホールが2ヵ所あり、リハと本番でホールの響きもかなり違いました。その中から細かくベスト・テイクをつないでいったので、つなぎ目で響きの違いが不自然にならないようにEQ、コンプなどのオートメーションを書いた部分が大変でした。

 

*現在の作曲方法

久石:
ケースバイケースですね。ピアノだけで全体を作ってオーケストレーションしていくという方法や、時間がなければオーケストラから作っていくこともあります。作曲の際は結構コンピューターに向かっている時間も多いかもしれません。ただ、最近は核になるメロディやハーモニーは、ピアノで作ってしまう場合が多いですね。

(以上、Blog. 久石譲 『WORKS IV』 サウンド&レコーディング・マガジン インタビュー内容 より)

 

*『WOKRS IV』から見る発展性と普遍性

久石:
時代や国境を越えて聴かれ演奏される音楽を制作したい。そのための時間を作る生活にシフトチェンジしている最中です。今回の『WORKS IV』のように完成度を高めた楽曲は、楽譜をドイツに本拠を構えるショット・ミュージックから出版しています。

注)2014.11月現在「WORKS IV」の楽譜出版は未定

久石:
かつて、僕の作品は僕だけが演奏していました。それが今では、世界各国のオーケストラが僕の書いたオリジナルの楽譜で演奏しています。自分の作品がパーソナルなものから普遍性を帯びてきました。

(以上、 Blog. 久石譲 『WORKS IV』 クロワッサン 2014年11月10日号 インタビュー内容 より)

 

*「WORKS」シリーズ誕生の軌跡 (解説)

1997年の『WORKS I』が、常設オケをサウントラ演奏に初めて起用した『もののけ姫』の劇場公開からわずか3ヶ月後にリリースされたというのは、今から考えると大変象徴的な事実である。偶然にも、著者は『WORKS I』発売時に久石とインタビューする機会を得たが、その時に彼が「ほぼ2年間にわたってオーケストラというものと格闘してきた。そこを是非聴いていただきたい」と熱く語っていたのが大変に印象的であった。その後、彼の音楽活動──作曲家としても演奏家としても──において、フル・オーケストラが占める割合がにわかに増大していったのは、久石ファンのリスナーなら周知の通りだろう。その論理的な帰結が、2000年から始まった自作の指揮活動と、2009年から本格的に始めたクラシック指揮者としての活動である。

 

*”アーティメント”(=アート+エンタテインメント) (解説)

映画音楽というエンタテインメントは、セリフ、効果音、音楽に要求される尺の長さなど、さまざまな制約が存在するため、必ずしもクラシック作品と同じ方法論で作曲するわけにはいかない。しかし、いったんその音楽をコンサートという空間で演奏するとなれば、クラシックの古典曲と並んで演奏されても何ら恥ずべきところがないところまで完成度を上げるというのが、現在の久石のスタンスである。この点において、久石は9年前の『WORKS III』の頃とは比較にならないほど、高い完成度を自作のオーケストレーションに求めるようになった。別の言い方をすれば、演奏会用作品というアートのクオリティを保ちつつ、映画音楽というエンタテインメントを演奏していくのである。これを久石自身は”アーティメント”(=アート+エンタテインメント)と呼んでいるが、『WORKS IV』は、これからの久石の音楽活動の中で重要な位置を占めていくであろう”アーティメント”の方法論を高らかに宣言したアルバムなのである。

 

*収録曲について (解説)

本盤には、久石が2013年に手がけた宮崎駿監督『風立ちぬ』と高畑勲監督『かぐや姫の物語』の音楽が含まれている。ここに至るまでの道程、すなわちスタジオジブリの前身であるトップクラフト時代に制作された『風の谷のナウシカ』から数えると実に30年もの時間が経過しているわけだが、その時間は4歳からヴァイオリンを始めた久石の音楽人生全体の約半分を占めるばかりか、彼の音楽をリアルタイムで享受してきた我々リスナーにとっても大きな意味を持っている。難しい言い方をすれば、久石がスタジオジブリ作品のために書いた音楽と、我々自身が歩んできた同時代性は、もはや両者を分けて考えることが不可能なほど、のっぴきならない密接な関係を結んでいるのである。そうした観点から『風立ちぬ』と『かぐや姫の物語』を改めて聴いてみると、単に2大巨匠の最新作の音楽が聴けるという喜び以上の、ある”歴史の重み”を感じ取ることが出来るはずだ。その重みに相応しいオーケストレーションを施されて演奏されたのが、本盤に聴かれる『風立ちぬ』と『かぐや姫の物語』の組曲と言っても過言ではない。

それら2本のジブリ作品に加え、本盤には日本映画界の至宝というべき山田洋次監督の『小さいおうち』の音楽も収録されている。2013年の1年間に、久石がこれら3巨匠の監督作を立て続けに作曲したこと自体、もはや驚異と呼ぶほかないが、別の見方をすれば、それは現在の久石の立ち位置、すなわち日本映画全体において欠くことの出来ない最重要作曲家という位置づけをこの上なく明瞭に示している。

 

*W.D.O.について (解説)

本盤の録音と並行する形で開催されたコンサート「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2014」は、W.D.O.としては久石と3年ぶりの共演、新日本フィルとしては2012年の「ペンション・ファンド・コンサート “アメリカン・ミュージック・ヒストリー”」以来2年ぶりの再会となったわけだが、W.D.O.結成からちょうど10年という節目の年の共演において、久石とW.D.O.が到達した演奏の完成度の高さは、もはや圧倒的としか表現のしようがなかった。久石自身はそれを「細胞が喜ぶオーケストラ」と呼び、メンバーのひとりは「これほどの自発性と喜びをもって、久石さんの音楽の演奏に臨むオーケストラは他に存在しない」と自信のほどをのぞかせる。まさに一期一会のアンサンブルというべきだろう。

 

*レコーディング方法と背景 (解説)

10年前ならいざ知らず、クラシック業界を取り巻く現在の厳しい環境の中で、大編成のクラシック作品をスタジオ録音することは世界的にも非常に困難になっている。現在、商業発売もしくは配信されているフル・オーケストラ録音のほとんどが、ライヴ録音という形態を採っているのはそのためだ。そんな厳しい状況の中で、久石はアルバムとしての完成度を追求すべく、リハーサルから2回の本番演奏会まですべての演奏を収録し、その中から選りすぐったベスト・テイクを今回の『WORKS IV』に収録するという手法に挑んだ。一般的に言って、クラシックの常設オーケストラはリハーサル段階からアルバム・クオリティの演奏を要求されることを好まない。本番演奏会でベストを尽くすこと考えると、それだけ負担が大きくなるからである。しかしながら、W.D.O.は久石が求める”本物”のオーケストラ・サウンドを『WORKS IV』に収めるべく、敢えて演奏会本番の負担になることも恐れずに、全力を尽くして録音に臨んだ。

注)解説:前島秀国

(以上、 Blog. 久石譲 『WORKS IV』 ”アーティメント”を語る ライナーノーツより より)

 

*収録曲詳細 (解説)

「バラライカ、バヤン、ギターと小オーケストラのための「風立ちぬ」第2組曲」
宮崎監督の意向で音声がモノラル制作されたこともあり、本編用のスコアは慎ましい小編成で演奏されていたが、《第2組曲》では原曲の持つ室内楽的な味わいを残しつつも、音響上の制約を一切受けることなく、壮大なオーケストラ・サウンドが展開している。

Kiki’s Delivery Service for Orchestra (2014)
今回の2014年版では、スパニッシュ・ミュージックの要素が印象的だった後半部のセクションもすべてオーケストラの楽器で音色が統一され、よりクラシカルな味わいを深めたオーケストレーションを施すことで、ふくよかで温かみのあるヨーロッパ的な世界観を描き出している。

ヴァイオリンとオーケストラのための「私は貝になりたい」
上映時間にして実に15分近くを占める”道行き”のシークエンスのために、久石は格調高い独奏ヴァイオリンを用いたワルツを作曲し、ヴァイオリンとオーケストラのためのコンチェルティーノ(小協奏曲)として発展させたもの。

交響幻想曲「かぐや姫の物語」
久石は五音音階を基調とする音楽をはじめ、前衛的なクラスター音、西洋の楽器で東洋的な世界観を表現するマーラー流の方法論、さらには久石の真骨頂というべき、エスニック・サウンドまで多種多様な音楽語法を投入し、高畑監督の世界観を見事に表現してみせた。古来より”赫映姫”とも”輝夜姫”とも記されてきたヒロインの光り輝く姿を表現するため、チェレスタやグロッケンシュピールといった金属系の楽器を多用しているのも本作の大きな特長のひとつで、今回の組曲版ではそうした楽器のメタリカルな響きが、よりいっそう有機的な形でオーケストラの中に溶け込んでいる。組曲としての音楽性を優先させるため、本編のストーリーの順序に縛られない構成となっているのは、『風立ちぬ』の《第2組曲》と同様である。

小さいおうち
久石は、セリフを重視する山田監督の演出に配慮するため、本編用のスコアでは特徴的な音色を持つ楽器(ダルシマーなど)を効果的に用いていたが、本盤に聴かれる演奏はギター、アコーディオン、マンドリンを用いた新しいオーケストレーションを施し、同じ昭和という時代を描いた『風立ちぬ』と世界観の統一を図っている。

注)解説:前島秀国

(以上、 Disc. 久石譲 『WORKS IV -Dream of W.D.O.-』 より)

 

 

Related page: 《WORKS IV》 Special

 

久石譲 WORKS IV -Dream of W.D.O.-

 

Blog. 久石譲 『WORKS IV』 ”アーティメント”を語る ライナーノーツより

Posted on 2014/11/17

10月8日発売された久石譲待望の新作CD「Works IV -Dream of W.D.O.」。この作品は2014年の久石譲音楽活動の集大成的作品と言えます。

いろいろなインタビューでも『WORKS IV』関連で登場していますが、今回は本作品のライナーノーツより貴重な内容をご紹介します。ライナーノーツの解説は、久石譲作品ではおなじみの、『ジブリ・ベスト ストーリーズ』でも興味深い考察で久石譲音楽を紐解いていた、サウンド&ヴィジュアル・ライター 前島秀国さんです。

 

 

”チーム久石”による”本物”の”アーティメント” - 久石譲『WORKS IV』に寄せて

久石譲が、実に9年ぶりとなる『WORKS 』シリーズの最新作『WORKS IV』を完成させた。これはいったい何を意味しているのだろうか?

著者が認識している限りでは、『WORKS』シリーズは磨き抜かれたフル・オーケストラで演奏される最新作、というコンセプトで作られたアルバムである。演奏は9年前の『WORKS III』と同じ、新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ(W.D.O.)。その意味では、今回もシリーズとしての一貫性が継承されているが、そこに聴かれる3つの要素、すなわち①フル・オーケストラ、②最新作、③W.D.O.は、それまでとは比較にならないほど重要ない意味を持っていると言えるだろう。

まずは①のオーケストラ・サウンドについて。
1997年の『WORKS I』が、常設オケをサウントラ演奏に初めて起用した『もののけ姫』の劇場公開からわずか3ヶ月後にリリースされたというのは、今から考えると大変象徴的な事実である。偶然にも、著者は『WORKS I』発売時に久石とインタビューする機会を得たが、その時に彼が「ほぼ2年間にわたってオーケストラというものと格闘してきた。そこを是非聴いていただきたい」と熱く語っていたのが大変に印象的であった。その後、彼の音楽活動──作曲家としても演奏家としても──において、フル・オーケストラが占める割合がにわかに増大していったのは、久石ファンのリスナーなら周知の通りだろう。その論理的な帰結が、2000年から始まった自作の指揮活動と、2009年から本格的に始めたクラシック指揮者としての活動である。

指揮活動をきっかけにして、久石はバッハ、ウィーン古典派から現代のジョン・アダムズやアルヴォ・ペルトに至る約300年のクラシック作品をあらためて学び直すことになった。当然のことながら、そこで得られた成果や方法論は作曲家としての久石の音楽にもフィードバックされるし、久石がフル・オーケストラで自作を指揮する時は、そうしたクラシック作品が演奏上の判断基準の尺度として用いられていることになる。

映画音楽というエンタテインメントは、セリフ、効果音、音楽に要求される尺の長さなど、さまざまな制約が存在するため、必ずしもクラシック作品と同じ方法論で作曲するわけにはいかない。しかし、いったんその音楽をコンサートという空間で演奏するとなれば、クラシックの古典曲と並んで演奏されても何ら恥ずべきところがないところまで完成度を上げるというのが、現在の久石のスタンスである。この点において、久石は9年前の『WORKS III』の頃とは比較にならないほど、高い完成度を自作のオーケストレーションに求めるようになった。別の言い方をすれば、演奏会用作品というアートのクオリティを保ちつつ、映画音楽というエンタテインメントを演奏していくのである。これを久石自身は”アーティメント”(=アート+エンタテインメント)(アートメント)と呼んでいるが、『WORKS IV』は、これからの久石の音楽活動の中で重要な位置を占めていくであろう”アーティメント”の方法論を高らかに宣言したアルバムなのである。

次に②の最新作について。
本盤には、久石が2013年に手がけた宮崎駿監督『風立ちぬ』と高畑勲監督『かぐや姫の物語』の音楽が含まれている。ここに至るまでの道程、すなわちスタジオジブリの前身であるトップクラフト時代に制作された『風の谷のナウシカ』から数えると実に30年もの時間が経過しているわけだが、その時間は4歳からヴァイオリンを始めた久石の音楽人生全体の約半分を占めるばかりか、彼の音楽をリアルタイムで享受してきた我々リスナーにとっても大きな意味を持っている。難しい言い方をすれば、久石がスタジオジブリ作品のために書いた音楽と、我々自身が歩んできた同時代性は、もはや両者を分けて考えることが不可能なほど、のっぴきならない密接な関係を結んでいるのである。そうした観点から『風立ちぬ』と『かぐや姫の物語』を改めて聴いてみると、単に2大巨匠の最新作の音楽が聴けるという喜び以上の、ある”歴史の重み”を感じ取ることが出来るはずだ。その重みに相応しいオーケストレーションを施されて演奏されたのが、本盤に聴かれる『風立ちぬ』と『かぐや姫の物語』の組曲と言っても過言ではない。

それら2本のジブリ作品に加え、本盤には日本映画界の至宝というべき山田洋次監督の『小さいおうち』の音楽も収録されている。2013年の1年間に、久石がこれら3巨匠の監督作を立て続けに作曲したこと自体、もはや驚異と呼ぶほかないが、別の見方をすれば、それは現在の久石の立ち位置、すなわち日本映画全体において欠くことの出来ない最重要作曲家という位置づけをこの上なく明瞭に示している。そうして、非常に興味深いことに、これら3巨匠の作品は──作品の持つ世界観や物語はそれぞれ異なるにしても──日本人が歴史の中でどう生きてきたか、つまり「生きる」というテーマを共通して描いているように思われる。

いったんこのことに気づくと、戦犯死刑囚とその妻が懸命に生きようとする姿を描いた『私は貝になりたい』にしても、あるいは魔女の見習い・キキが都会の中で独り立ちしていく姿を描いた『魔女の宅急便』にしても、上記3本の作品と同様、「生きる」というテーマを共有していることがわかる。従って、『WORKS IV』は、その「生きる」というテーマを5通りに変奏した変奏曲集、もしくは「生きる」という循環主題によって組み立てられた5楽章形式の交響曲と捉えることも可能であろう。それを表現していく上で欠かせないのが、言うまでもなくオーケストラという演奏者の存在である。

そして③のW.D.O.について。
本盤の録音と並行する形で開催されたコンサート「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2014」は、W.D.O.としては久石と3年ぶりの共演、新日本フィルとしては2012年の「ペンション・ファンド・コンサート “アメリカン・ミュージック・ヒストリー”」以来2年ぶりの再会となったわけだが、W.D.O.結成からちょうど10年という節目の年の共演において、久石とW.D.O.が到達した演奏の完成度の高さは、もはや圧倒的としか表現のしようがなかった。久石自身はそれを「細胞が喜ぶオーケストラ」と呼び、メンバーのひとりは「これほどの自発性と喜びをもって、久石さんの音楽の演奏に臨むオーケストラは他に存在しない」と自信のほどをのぞかせる。まさに一期一会のアンサンブルというべきだろう。

10年前ならいざ知らず、クラシック業界を取り巻く現在の厳しい環境の中で、大編成のクラシック作品をスタジオ録音することは世界的にも非常に困難になっている。現在、商業発売もしくは配信されているフル・オーケストラ録音のほとんどが、ライヴ録音という形態を採っているのはそのためだ。そんな厳しい状況の中で、久石はアルバムとしての完成度を追求すべく、リハーサルから2回の本番演奏会まですべての演奏を収録し、その中から選りすぐったベスト・テイクを今回の『WORKS IV』に収録するという手法に挑んだ。一般的に言って、クラシックの常設オーケストラはリハーサル段階からアルバム・クオリティの演奏を要求されることを好まない。本番演奏会でベストを尽くすこと考えると、それだけ負担が大きくなるからである。しかしながら、W.D.O.は久石が求める”本物”のオーケストラ・サウンドを『WORKS IV』に収めるべく、敢えて演奏会本番の負担になることも恐れずに、全力を尽くして録音に臨んだ。メンバーのひとりの言葉を借りれば、「これだけの作曲家を前にして演奏するのに、どうして全力を尽くさないでいられようか」という、W.D.O.の熱意があればこそである。その熱意はオーケストラだけでなく、リハーサル段階からベスト・テイクを収めようと奮闘した録音チームをはじめ、舞台裏で演奏を支えた裏方のスタッフ全員に共有されていたと言っていいだろう。

そうした人々、すなわち”チーム久石”が一丸となり、”本物”の”アーティメント”を追求すべく全力を挙げて完成させたのが、すなわち『WORKS IV』というアルバムに他ならない。久石の最新作3本の音楽を含む本盤は、今後の久石の音楽活動を語っていく上で必ず引き合いに出されるであろう、重要なマイルストーンとなるはずである。

(「WORKS IV -Dream of W.D.O.」ライナーノーツ より)

 

 

とてもわかりやすくまとめてあり、さすがプロだなと思ってしまいます。また久石譲の30年以上にも及ぶ音楽活動をふまえながら、時代ごとの出来事やマイルストーンも紹介しながら深く紐解かれているので、このライナーノーツがすべてを語ってくれている、と唸ってしまうほどの説得力です。言葉によって伝えることの大切さ、とは、こういうことでもあるのでしょう。久石譲自身も別の機会でそのようなキーワードを語っています。

なんの先入観もなくただCDを聴いてその音楽を楽しむのはもちろん、こういった言葉による”解説・背景・考察”を知ることで、より聴き方が変わってくると言いますか、聴く姿勢が変わってくると言いますか。

言葉によって伝えることの大切さ、とは、つまりは『動機付け(好奇心への)』だと思うのです。作品をより深く知るための味わうための情報や知識。興味を持つきっかけであり、紐解き掘り下げたくなる好奇心。

この「久石譲ファンサイト 響きはじめの部屋」も、久石譲の音楽を深く味わうためのきっかけになればと、あえて?!忠実に書き起こしをさせてもらっています。

(なんの宣言!?)

このライナーノーツを読んでいると、また『WORKS IV』が聴きたくなってきます。新しい聴き方、そして新しい出会いや発見があるかもしれません。

 

 

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久石譲 WORKS IV -Dream of W.D.O.-

 

Blog. 久石譲 『WORKS IV』 クロワッサン 2014年11月10日号 インタビュー内容

Posted on 2014/11/16

2014年10月25日発売 雑誌「クロワッサン」(特大11/10号 No.888)の“MUSIC”コーナーに久石のインタビュー記事が掲載されています。

内容は新作『WORKS IV』関連インタビューです。さらには、今年2014年の活動スタイルと、来年以降の展望まで、久石譲音楽活動の方向性が見えてくるような内容です。

 

 

サウンドトラックがシンフォニックに。
パーソナルな楽曲が普遍的な作品へ。

作曲家、久石譲さんの新作『WORKS IV -Dream of W.D.O.』には、「風立ちぬ」「かぐや姫の物語」「小さいおうち」など、映画やドラマの主題曲や挿入曲が収録されている。すべて久石さん作だが、サウンドトラックではない。

久石 「ピョートル・チャイコフスキーは数多くのバレエ音楽や歌劇を作曲しましたが、それらは後に本人の手で組曲として作り直されています。ジョージ・ガーシュウィンのオペラ『ポーギーとベス』も、後に『キャットフィッシュ・ロウ』という交響組曲になりました。同じ発想でレコーディングしたのが、僕の『WORKS IV』です。」

映像有りきで生まれた作品を音楽作品として生まれ変わらせたのだ。

久石 「映画やドラマの音楽は制約の中で作ります。台詞や効果音があり、尺も意識しなくてはいけません。さらに、厳しい締め切りもあります。ただし、こうしたシバリは必ずしも作品にマイナスではありません。たとえば、大平原で、自由に遊びなさい、と言われたとしましょう。ほとんどの人はどうしていいかわからなくなるはずです。でも、テニスコートで、ボールをひとつ渡されて、仲間が3人いたら、いろいろな楽しみ方ができる。それと同じです。多少なりとも制限があったほうが、発想は広がることもあります。」

こうして一度完成した作品を今度は逆に、制約のない”大平原”に解き放ち、シンフォニーとして録音した。

久石 「サントラでは使わなかった楽器を足し、時には主旋律も書き加えています。」

すると、特定の映像のために作られたはずの音楽なのに、まったく違うドラマ性をまとうことになる。

久石 「実は今、自分の”本籍”をクラシックに戻しつつあるところです。」

久石さんは、30代前半まで前衛的な音楽を手掛けていた。しかし、’84年の宮崎駿監督作品『風の谷のナウシカ』の音楽で一躍脚光を浴び、スタジオジブリをはじめ数々の映画音楽を依頼され、超多忙な作曲家生活に没頭していった。

久石 「大量に音符を生むためには、大量に音符を生むための生活サイクルにしなくてはいけませんでした。」

ここ数年は、午前はピアノの練習、昼から深夜までは作曲、そこから明け方近くまではクラシックコンサートのための準備を行う毎日を送っていた。その生活を見直す時期が訪れた。

久石 「時代や国境を越えて聴かれ演奏される音楽を制作したい。そのための時間を作る生活にシフトチェンジしている最中です。今回の『WORKS IV』のように完成度を高めた楽曲は、楽譜をドイツに本拠を構えるショット・ミュージックから出版しています。」

ショットは世界的な楽譜出版社。世界中の音楽家がここから楽譜をレンタルし、演奏会を行っている。

久石 「かつて、僕の作品は僕だけが演奏していました。それが今では、世界各国のオーケストラが僕の書いたオリジナルの楽譜で演奏しています。自分の作品がパーソナルなものから普遍性を帯びてきました。」

作品が、久石さんの手を離れ、独り歩きを始めている。

久石 「海の向こうのカフェで、隣のテーブルに座る誰かが僕の作品とは知らずに『風立ちぬ』や『かぐや姫の物語』のメロディを口ずさむ。それを聴くのが、作曲家として最高に幸せな体験です。」

(クロワッサン 2014年11月10日号 MUSICコーナー より)

 

 

「2014年はほとんど依頼を断って立ち止まった一年」と他インタビュでも語っています。このインタビューでも日常生活のサイクルを見直す時期が訪れた、と。いろいろと触れたいことはあるのですが、別の機会にあらためて。

 

 

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クロワッサン

 

Blog. 久石譲 『WORKS IV』 サウンド&レコーディング・マガジン インタビュー内容

Posted on 2014/11/15

雑誌「サウンド&レコーディング・マガジン」2014年11月号に、久石譲のインタビューが掲載されています。

新作「WORKS IV -Dream of W.D.O.-」のサウンド・メイキングなど専門誌ならではの話が満載です。少々長いですが、さすが専門誌!レコーディングからミックス作業まで、その過程がぎっしり詰まっています。機器や機材など一般には馴染みないお話も多いですが、それだけに徹底的に掘り下げた内容になっています。

 

  • 『WORKS IV』コンセプトと9年ぶりのWORKS新作発表の経緯
  • 合計6回(リハーサルx2 / ゲネプロx2 / 本番x2)からのベストミックス
  • 約50本以上におよぶ各楽器ごとに配置された録音用マイク
  • 現在の作曲方法
  • ライブ録音/レコーディング/ミックス作業に使われた機材

『WORKS IV』ができるまで、永久保存版な貴重な記録です。

 

 

オーケストラの録音は響いている音で作り上げる
今回はその空気を伝わってくる音を大切にしてCDを仕上げることができました

宮崎駿監督のジブリ作品をはじめ、数多くの映画音楽やCM、ドラマなどの映像音楽を手掛けている、日本を代表する作曲家、久石譲。ピアノ・ソロや室内楽、オーケストラなど演奏活動も精力的に行っており、多数のソロ・アルバムもリリースしている彼が、このたび”WORKS”シリーズと称したアルバムの第4弾『WORKS IV -Dream of W.D.O.-』を9年ぶりに発表した。こちらは、去る8月9日~10日に、久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ(以降 W.D.O.)によって開かれたコンサートの曲目を収録したもので、世界初演の『交響幻想曲「かぐや姫の物語」』や日本初演の『バラライカ、バヤン、ギターと小オーケストラのための「風立ちぬ」第2組曲』などを収録。”オーケストラの魅力を広く伝えていきたい”という久石の思いの詰まった作品となっている。その舞台裏について久石本人と、エンジニアを務めた浜田純伸氏の言葉から振り返っていこう。

 

オーケストラは絵の具のようなもの 書きたい音楽を表現しやすいんです

-”WORKS”シリーズとしては4作目となりました。まずはこのシリーズのコンセプトを教えて下さい。

久石 「僕が映画やドラマなどの仕事(WORKS)で書いた楽曲を素材として、”作品”として音源化しているシリーズです。映像ありきのときには、セリフとの兼ね合いや長さなど、どうしても制約がありますよね。そういうことを意識しないで音楽的な”作品”としてオーケストレーションし直して完成させたものなんです。」

-”作品”にするということが、フル・オーケストラによるレコーディングだったと?

久石 「”WORKS”シリーズに関しては基本的に全部、ベーシックはオーケストラです。元の楽曲もほとんどはオーケストラで作っているので、新たにオーケストラに書き直しているということはないんですけどね。」

-作曲をする時点でオーケストラを意識しているということですか?

久石 「そういう意識で書いていることはないですね。オーケストラというのはツールというか、絵の具のようなもの。自分の書きたい音楽がたまたまオーケストラだと表現しやすいということなんです。」

-今作の演奏は前作『WORKS III』に続き、W.D.O.によるものでした。こちらのオーケストラが結成されたきっかけを教えてください。

久石 「もともと新日本フィルハーモニー交響楽団とは随分長い間一緒に仕事をしてきて、とても良い関係が作れていたんです。そこで、僕と新日本フィルで独自のことができないかということで結成されたのがW.D.O.。2004年のことですね。」

-8月にW.D.O.とは3年ぶりのコンサートを行い、そのコンサートを収録したアルバムとして、『WORKS IV』をリリースしました。アルバムは9年ぶりとなりましたが、このタイミングで作品を発表しようと思ったのはなぜですか?

久石 「2013年に公開された映画『風立ちぬ』が、僕が宮崎駿監督を作品を担当した10作品目で、しっかりとした形に残しておこうと思ったのがきっかけですね。それをメインにして、さらに高畑勲監督の『かぐや姫の物語』、山田洋次監督の『小さいおうち』という、3人の巨匠を中心に”WORKS”として作りました。曲に関しては、まずこれまでに音源化していなかった作品を選んでいき、「Kiki’s Delivery Service for Orchestra(2014)』に関しては、2管編成でのオーケストラver.ではまだレコーディングしていなかったので入れました。」

-その収録楽曲の「風立ちぬ」「かぐや姫の物語」は、組曲として演奏されたものですが、組曲としてアレンジし直したということですか?

久石 「僕はアレンジではなくオーケストレーションと言っているんですが、映画で書いた楽曲は、先ほども言ったように制約があるので、ちゃんとした音楽的な作品としてコンサートなどで演奏できるように作り直すわけです。その”作品化する”という一環で組曲になっているんです。」

 

コンサートはコンサートで成功させCDとしてもどこまで追求できるか

-今回のレコーディングは、どのように進められたのですか?

久石 「オーケストラのレコーディングというのは、お金がかかってしまうものですよね。だからといって、コンサートの本番1回だけをライブ盤として出すのは良いとは思わなかった。というのは、コンサートの雰囲気をそのままパッケージするということは、音のバランスという意味で難しいというケースもあるからです。なので、今回は2回のリハーサル、2回のゲネプロ、本番2回の合計6回すべて、初日からレコーディング・クルーを入れて、全テイクを録ったんですよ。それで、リハーサルが終わった夜に、レコーディングのクルーを含めて全部聴いて、例えば”シンバルの音が大きいから修正したほうが良いね”となった場合、マイクの位置やほかの楽器との距離を変えたり、それでも駄目だったら、僕の指揮で「そこのシンバルをもう少し小さくして」と指示を出して対処しようと話し合いました。そうやって徹底的にシミュレーションしたんです。そうすることによって、コンサートとしてもきちんとした演奏のクオリティを保ちつつ、CDとしてもできる限り望んでいる音のクオリティに近づけようとしたわけです。恐らく、こういう方法を日本で試みた人はいないと思いますよ。リハーサルの初日から舞台袖には大量のマイクとレコーディングの機器を用意し、マイクはそれぞれの楽器ごと1cm単位で角度などの修正をする。最終的なCDの音源はコンサートの音が中心になっているんですが、実はリハーサル時の会場にまだ観客が誰もいない状態の音もいっぱい使われているんです。そういう意味で、なかなか良いクオリティだと思いますよ、追求できましたからね。」

-6回分の演奏を総合してミックスしたということですね?

久石 「そうですね。ポップスなら、それぞれの楽器をトラックごとに奇麗に録れるでしょ?その録り音に対してバランスを取ったり、エフェクトをかけたりしますが、このやり方だと、それはできない。クラシック音楽のミックスのスタイルは、基本的にバランスは取れているから、録った音の波形編集になるんです。すごく時間のかかる作業になりますね。」

-確かにポップスとは異なりますね。

久石 「もっと予算があれば、本番が終わった後にオーケストラを帰さず、観客が帰った会場で、駄目だったところをもう1回収録し直したかったんですが、さすがにそこまではちょっとできませんでした(笑)。でも、海外のオーケストラはそこまで積極的にやるという話を聞きます。」

-そうなんですね。初めて聞きました。

久石 「コンサートはコンサートで成功させなければならないんですが、CDとしてのクオリティをどこまで追求できるかがテーマでしたから。そういう意味で予算はかかってしまいましたが、今やれるベストなことができましたね。」

 

テンモニでうまく響いていれば大概どこで聴いても響きますね

-今回エンジニアはどなたが務めたのですか?

久石 「浜田純伸さんです。もう僕とは長い付き合いなので、僕の考える一番良いイメージを伝えて、作業してもらいました。」

-レコーディング・トラック数はどのくらいだったのでしょうか?

久石 「80~90trだったと思います。アンビエントも入れるとそのくらいだったはずです。最初、マイクの数を決めるとき、本番の見栄えも考慮すると、40本くらいと言われていたんですが、もっと用意しろと(笑)。だからもっと増えていたんじゃないかな。」

-ミックス段階でエフェクト処理をしたのでしょうか?

久石 「多少はしていますね。鉄板(EMT 140)とか。そうしないと、つなぐときにうまくつながりませんからね。実際、ミックスには立ち会って、いろいろやり取りしながら完成させました。普通は2日くらいで仕上がるんですが、今回は4日間かかりましたね。」

-確認はスタジオのモニターで?

久石 「テンモニ(YAMAHA NS-10M)です。僕はテンモニが結構好きなんですよ。すべてのリスナーが、良い環境で聴けるわけではないですから、できるだけ癖のないモニターで確認しているんです。そこでうまく響いていれば、大概どこで聴いても響きますね。あとはラジカセで低域の濁りをなくすために確認で聴いたりもします。長い間レコーディング・スタジオを経営していましたから、その辺のノウハウは駆使しています。」

 

クラシック曲を指揮するときは作曲者と意識が同化している

-コンサートでは、ピアノを弾きながら指揮もされていますが、どんな意識なのでしょうか?

久石 「指揮をするというのは、基本的には自分では音を出しません。だからこそ、みんなが演奏しやすい環境を作るのと、どうしたいかということを明確にすることが重要になってきます。ある種、現場監督の立ち位置でもあるんですね。例えば僕が興奮したり迷ったりすると絶対オーケストラに影響してしまうので、極力自分が客観的でなおかつどういうふうに弾けるか。さらに今回はレコーディングの音にも意識が行っていたので、頭の中はスーパー・コンピューターなみに駆けずり回っていましたよ(笑)。」

-指揮者としては、どんなところが面白いですか?

久石 「コンサートは絶対同じにはなりませんよね。もちろん譜面どおりの演奏が基本ですが、会場も違うし、オーケストラの人たちも毎回演奏は違うわけです。そこが面白いですね。」

-資料を拝見すると、クラシックの曲を指揮するきっかけの1つに、作曲の勉強のためということが書かれていました。

久石 「それはありますね。やっぱりクラシックの譜面をただ見ているだけでなく、指揮者をするとなると、演奏者に伝えなければいけないですから、猛烈に勉強しますよね。そうすると結果的に自分の作曲にも役立つのではないかと思っています。ベーシックは作曲をすることを大事にして、指揮もしているということですね。僕は肩書きで言ったら作曲家ですから。指揮もピアノもしますが、基本は曲を書く人です。それがないと自分の音楽活動は成立しません。だから作曲というのはどこまでも大事にしたいですね。」

-実際に影響はありましたか?

久石 「あると思います。ただ、正確に言うと諸刃の剣ですけどね。」

-と言いますと?

久石 「だって、歴史を生き残ったすごい曲ばかりなので、そういう曲を見ていると、自分の書いた曲が何て情けないんだろうって思ってしまったりもする。だから適度にしておかないと大変だなと思うこともありますよ(笑)。」

-クラシック曲の指揮をしているときには、どんな意識なのですか?

久石 「僕がクラシック曲を指揮するときには、作曲者と意識が同化しているんです。作曲家がどういう心境で作曲したのかを深く考えると、”このメロディは真剣に書いていないな、こっちが重要だな”とかが手に取るように分かる。そういうことを徹底して勉強するから、相当面白いんですよ。僕は、作曲者はなぜこの曲を書いたんだろうか、どこでうまくいかなかったのか、そういうのを徹底的に分析していくんです。僕が指揮をすることで、普通とは違った作曲家としての視点でアプローチできるし、違う音楽が作れるのではないかとも思うのです。」

-これまで指揮してきた中で印象的な作曲家といえば?

久石 「やっぱりベートーヴェンは偉大ですね。あと、僕はブラームスが大好きです。ブラームスのシンフォニーは全曲振っていますが、全部良いですね。面白いし。現代音楽でも、今年の夏振ったペンデレツキの「広島の犠牲者に捧げる哀歌」は、ものすごい不協和音の曲なんですが、非常に面白かったですね。苦労はするんですけど、得るものは多いですね。」

-作曲家を目指す人にとっても、そういったことはやるべきだと思いますか?

久石 「それはそうですね。いっぱい勉強した方がいいですよ。」

-久石さんの現在の作曲方法を教えてください。

久石 「ケースバイケースですね。ピアノだけで全体を作ってオーケストレーションしていくという方法や、時間がなければオーケストラから作っていくこともあります。」

-打ち込みでデモを?

久石 「しますね。オーケストラのシミュレーションをするために打ち込みで作りますから。譜面は、MAKE MUSIC Finaleを活用しているので、MIDIで打ち込むことが大半です。だから作曲の際は結構コンピューターに向かっている時間も多いかもしれません。ただ、最近は核になるメロディやハーモニーは、ピアノで作ってしまう場合が多いですね。」

-ご自身の曲で、旋律やハーモニー、楽器の使い方で自分らしいなと思う部分はありますか?

久石 「これだけ多くの曲を書いていると、自分の癖のような部分は出ていると思いますけど、僕はこれまで、自分らしい音楽ができればいいという発言は一回もしたことがないんですよ。そんなうぬぼれたことは言ってはいけない。周りが聴いて、”これは久石的”と言うかもしれませんが、自分ではそんなことは意識していませんね。」

-今作は、6回にわたるレコーディングを経て完成させたアルバムになりましたが、あらためて聴いてみるといかがですか?

久石 「オーケストラの録音は、空気感というか、スタジオでオンマイクの音で作る音楽ではなくて、響いている音で作り上げるんです。今回は、それをしっかり録るということをメインにして、その空気を伝わってくる音を大切にしてCDに仕上げることができたと思います。」

-ここ最近、ハイレゾ配信など、高解像度の音源が発売されていますが、それについて久石さんのご意見を聞かせてください。

久石 「高解像度だと、より生に近い音になるので、テクノロジー的により良くなるのであれば素晴らしいことだと思います。ただ僕の場合は、指揮台で一番いい音を聴いてしまっているんですよね(笑)。たまに、”僕って本当に幸せだなぁ”と思いますよ。それがあるので、CDや配信ではどうやっても劣ってしまいますが、でも僕が指揮台で聴いている音に近づいてくれるのであれば、どんどん進化してほしいと思いますね。」

-今後の予定、目標についてはいかがですか?

久石 「来年に向けて書かなくてはいけない曲があり、指揮者としても取り組まなければならない楽曲が、現代曲を含めてあるので、それらを中心にやっていきます。指揮だけを考えると、同じ曲でもシンフォニーなどは、5回10回と振っていくことで理解度が深まりますから、そういった経験は非常に重要です。なのでチャンスがあったらどんどんチャレンジしていきたいですね。」

 

 

About Recording

今回の録音は、コンサートの収録だったため、エンジニアを務めた浜田純伸氏はマイキングに関して、見た目が邪魔にならないように気をつけていたという。また久石さんからは、リハーサルの初日にマイクの数が多過ぎて、ごちゃごちゃして見えるという指摘があったそうだが、マイクを減らすことはせずに、ポジションを動かしただけで、そのまま進行させた。そのマイクの数は、予備も含めて合計56本になったそうだ。

初日のリハーサルが終わり、録ったテイクをプレイバックした際、久石さんから、パーカッションの音像と音量が大き過ぎることと、ソロ・バイオリンの音色が薄く抜けが悪いという指摘があった。パーカッションに関しては、マイキングだけでは対処が難しいということだが、弦のオンマイクに関しては、マイクの向きと指向性を調整。あとは、ミックスで処理することにしたそう。ソロ・バイオリンに関しては、マイクそのものを変えて対処したという。

レコーディング・システムはAVID Pro Tools | HDX、24ビット/96kHzで行われた。DSDでの録音も念頭にあったそうだが、トラック数が多いのと、ミックス時のさまざまな制約を考えて、Pro Toolsになったという。マイクのケーブリングは、吊りのマイク以外はすべてステージ上からマルチで舞台下手袖に作った仮説のモニター・ルームに引っぱり、プリアンプからダイレクトにPro Toolsに送っていた。さらにそのアウトをすべてアナログでSTUDERのアナログ・コンソール4台に送り、それをジョイントしてモニターしたという。

使用マイクは、メインのオーバートップに、デッカ・ツリーでNEUMANN TLM170を3本セットし、そのほかのアンビエンスには、B&K 4006、SCHOEPS BLM3、CMC64を使用。楽器は、ストリングスにNEUMANN KM841とAKGC414EB、C414ULS、木管はSCHOEPS CMC54、NEUMANN TLM103、SCHOEPS ZCMC621、金管はNEUMANN TLM49、TLM103など、ピアノはB&K 4011をステレオで、パーカッションはAKG C451。プリアンプはMILLENNIA、GRACE DESIGNを使ったとのこと。

 

 

Mail Interview 浜田純伸
ダイナミズムを失わないで奥行感のある音像に仕上がった

今回のアルバムのレコーディングとミックスを手掛けたエンジニア、浜田純伸氏に久石氏との仕事と、アルバムのエンジニアリングについて補足インタビューを行った。

-6回分のベスト・テイクを切り張りした編集作業はどこで行いましたか?

浜田 「久石さんの事務所、ワンダーシティです。」

-編集に使ったソフトとは?

浜田 「AVID Pro Toolsです。また、さまざまなノイズを消すためにIZOTOPE RXを多用しました。譜めくり、いすの鳴る音、咳、空調音……。今回はダイナミック・レンジの広い曲が多く、静かなところでは、結構細かなノイズが聴こえてくるためです。」

-編集作業で大変だったことは?

浜田 「今回はホールが2ヵ所あり、リハと本番でホールの響きもかなり違いました。その中から細かくベスト・テイクをつないでいったので、つなぎ目で響きの違いが不自然にならないようにEQ、コンプなどのオートメーションを書いた部分が大変でした。」

-ミックスでの作業環境を教えてください。

浜田 「Bunkamura Studioで行いました。すべてのトラックをSSLコンソールに立ち上げ、アナログ・ミックスです。オケものに関しては、Pro Toolsの内部ミックスよりもアナログに立ち上げた方が空気感と音像のなじみがいいため、久石さんの仕事のときは基本そうしています。」

-どんなエフェクトを使いましたか?

浜田 「リバーブはプラグインではなく、リアルにEMT 140とLEXICON 224X、480Lを使っています。ただし、EQ、コンプに関しては、個体差と再現性の問題でハードウェアは使っていません。今のプラグインは本当に素晴らしいものがいっぱいありますから。使ったEQは、主にWAVESのAPI 550B、Linear Phase EQ。ローカット用にAVID EQ III 1Band。コンプはWAVES Linear Phase MultibandとSONNOX Oxford TransMod、Oxford Inflatorなど。SSLでミックスした後に再びPro Toolsに戻し、マスター・コンプとしてLine Phase MultibandとOxford Inflatorを薄くかけています。」

-どのようなミックスを目指しましたか?

浜田 「初めはデッカ・ツリーなどのメイン・マイク中心の、いわゆるクラシカルなバランスで作っていたのですが、久石さんに聴かせたら、”全然ダメ”ということになり、当初より、オンマイクの音量がかなり上がってきています。」

-具体的なミックス方法について教えてください。

浜田 「久石さんとミックス作業をするときは、オンマイクとメイン系のバランスを、久石さんの指示の下に一つ一つ取り直していきます。レベルだけでなく、マイク間の距離の補正……測定した距離データを基にサンプル単位で遅延補正を行い、さらに聴感上の補正なども細かくやっています。その上で、ピックアップしたい楽器やうるさい楽器のレベルをPro Toolsのオートメーションで書き、さらにはEQやマルチバンド・コンプなどを使い、パーカッションなどの飛び出した部分を抑え込む。今回はそれだけでは終わらず、SSLのフェーダー・オートメーションまで使っています。結果、当初目指した”クラシカルなオケの響き”という点では若干音像が近くなりましたが、ダイナミズムを失わず、奥行き感のある音像に仕上がったと思っています。」

-サンレコ読者にひと言お願いします。

浜田 「ミックスより久石さんの音楽を聴いてほしい。その音楽の魅力を伝える上で、何かしらミックスが貢献していると感じてもらえれば最高です。」

(サウンド&レコーディング・マガジン 2014年11月号 より)

 

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サウンド&レコーディング・マガジン