1989年12月20日 発行
久石譲監修によるピアノ曲集。編曲は他者によるもの。オリジナルアルバム『PRETENDER』のマッチング・ピアノ譜。
【補足】
当時は公式スコア[オリジナル・エディション]という位置づけがまだなかった。久石譲監修ではあるが他者の編曲による(当時はそれが主流だった)。ただし、CD作品のマッチングとして同時期に楽譜出版されたもの、また楽譜表紙(装丁)がCDジャケットデザインに準ずるもの、制作協力クレジットされ公式コンサートパンフレットや媒体でも紹介されていたもの、これらを監修・公認(準公式)楽譜として紹介している。
本楽譜「プリテンダー」に掲載収録されている久石譲インタビューや、久石譲自身による楽曲解説をご紹介します。
「ピアノ弾き語り 久石譲/プリテンダー +BEST」 監修:久石譲 ドレミ楽譜出版社
INTERVIEW
とにかく活動範囲が広い!!
アーティストとしてはもちろんコンポーザー、アレンジャー、映像(映画、CF等)、舞台音楽等の活動を通して、次々と「MUSIC」を創り上げ、しかもワールド・ワイドな視野に立って活動を続けている久石譲氏。
その久石譲氏に当てた「公開質問状」のチャンスが編集部にまいこんだのだ。さっそく飯倉誠人氏との協議のものと、公開質問状を作成し、久石譲氏にアタック!
それでは忙しい中、久石譲氏が公開質問状に答えてくれた全文をご紹介しましょう。
Q.幼年期から少年期(中学~高校時代)にどのように「音楽」に出逢い、どのようなジャンルに興味を持ち始めましたか?
久石:
4歳の時に、ヴァイオリン(鈴木慎一ヴァイオリン教室)を始めたのがキッカケです。童謡からクラシック、歌謡曲等、小さい頃は、ラジオからオンエアされるあらゆるジャンルの「音楽」に興味を持っていました。
小さい頃は「ある一定のジャンルに興味を持つ」ということはなく、どちらかと言うと、自分でラジオから流れていたものを聴き覚えて、歌ったり、気に入った演奏があったらその同じメロディをピアノで奏でてみたり、とかそんなようなことが多かったです。
幼年期から少年期にかけて、一番影響があったものは「映画」だと思います。父も大好きで、小さい私をよく映画館に連れてってくれました。本当にたくさんの映画を見ましたね。この頃に見た映画が後々、いろいろな意味で影響を与えたと思います。
Q.大学時代(国立音楽大学作曲科)に興味を持ち始めたという、”テリー・ライリー”、”スティーヴ・ライヒ”、”ジョン・ケージ”等の「ミニマル・ミュージック」との出逢いは? それから発展した当時の「現代音楽」のコンサート活動やレコーディングの状況を教えて下さい。
久石:
大学2年の終わりぐらいに、テリー・ライリーの『レインボウ・イン・カーブド・ミュージック』に出逢ってショックを受け、これが「現代音楽」なのか、と衝撃的でした。それまでは、「クラスター」や「12音技法」等のいわゆる現代音楽の語法の中で、自分もいろいろと考えていたので、こういった音楽があるということに対して、大変ショクを受けました。
それから、かなり悩んで、悩んだあげく自分も「ミニマル・ミュージック」のスタイルを取り入れるようになりました。このスタイルを自分に取り入れ、消化して自分の中で変化するまでに、2年間かかりました。
「現代音楽」のレコーディングは皆無に等しかったですね。なぜって? レコードになっても売れなかったし、誰もレコーディングしてくれなかったからね。むしろ、コンサート活動の方が多かったです(「四名館コンサート」、「西武美術館コンサート」等のコンサートを行う)。
極端な話、「椅子をバタンとひっくりかえして音(音楽を作り上げる)を出す」ような「現代音楽」の中でも最前衛的なものだったから、コンサートをやる度に、客席はまばらで、親類縁者しかいなくて……、こんな事が記憶に残っていますね。
Q.ミニマル・ミュージックに興味を持っていた当時、英米のロック・ミュージシャンやジャズ、クラシック等のアーティストで興味を持っていた人はいましたか? 例えば、ロキシー・ミュージックにいたブライアン・イーノがソロ活動に入った時期の作品に対してどのような感じを受けましたでしょうか?
久石:
ブライアン・イーノには興味がありましたね。どちらかというと、僕がミニマル・ミュージックの方向からシンセサイザー等を取り入れて、パターン・ミュージック(反復の音楽)を始めた頃、ブライアンは、ロキシー・ミュージックを通って、ロックの方向からのアプローチでミニマル・ミュージックの活動に入って来たんですね。
気づいて見るとブライアン・イーノがやろうとしていたフィールドと、自分が現代音楽を通ってアプローチしようとしたフィールドが非常に近かったといえると思います。その頃からクラシックの領域である「現代音楽」のフィールドだけでやることが、無意味なのではないかと思い始めた訳なんです。
自分は「ポップス」という、より広い領域でやった方が自分の活動に合うのではないかと思って……。「現代音楽」をやめたというのも、そのような経緯があった訳です。
Q.久石譲氏にとって「ピアノ」という楽器は自分の中でどのような位置づけにあるのでしょう?例えば、アーティスト、コンポーザーとしての自分ではなく、もっと根本的な「個人」に戻るものなのでしょうか?
久石:
正直いってピアノは、復習(さら)わなければならないのであまり好きではなかったのですが、特に近年(ここ1~2年)、「ピアノ」という楽器が自分にとっても「作曲する為の道具としてのピアノ」ではなく「表現としてのピアノ」ということで、自分の中での比重がとても増えています。同時にとても好きだし、ピアノの乾いた硬質なサウンドに今もっとも興味があります。
根本的な「個人」に戻るものなのかどうか? ということに関して、答えを出すことは大変むずかしいことですが、但し、「対話」する楽器として、一番近いものは、今の自分にとって「ピアノ」ですね。
Q.「映像」と「音楽」の関係について、まず初めに、今まで作り上げてきた数々の「映像」と「音楽」の作品の中で、想い出深いものはどの作品でしょうか?
久石:
「想い出深い」という意味でいうと、薬師丸ひろ子主演の映画『Wの悲劇』と宮崎駿監督のアニメーション映画『風の谷のナウシカ』ですね。特にこの2作品が想い出深いものがあります。
Q.「映像」に音楽を作り上げるときに苦労する事や大切な心がまえを教えてください。
久石:
ひとことで言うのは、大変難しいけれど、強いて言えば映像に付随する音楽を作るのではなくあくまで「映像」と「対等にある音楽」を創り上げることを心がけています。
「映像」の従属物であるというものではなく、あくまで「対等」の主張をするということに力点をいつも置いています。
Q.作曲する場合、「映像」からのインスピレーションや「映像」とミスマッチ(異質なもの)な音楽をつけて、逆効果を上げる等、「映像」と「音楽」の関係について、常日頃思っていることや、感じていることがあれば教えてください。
久石:
「どのような作曲方法を取るか?」ということは、その時々の条件によっても違って来るのでケース・バイ・ケースですね。但し、僕の場合、特に映画の場合は「台本」がもっとも大切です。台本を読んだ段階で60%か70%ぐらい、どのような「音楽」にするかを決めます。
映画全体の流れを知るために、ラッシュのフィルムを見に行く場合、その映画の監督のテンポ感、編集や画面処理のテンポ感を見にいくことが一番多いです。それによってもまた違うアイディアやヒントが出てくるし……。
Q.井上陽水、中島みゆき等を始め、幅広いジャンルで数々のアーティストにアレンジを提供している中で、常に心がけていることがありましたら教えてください。
久石:
別にありませんね。今はアレンジの仕事もやってないし、興味がないし……。僕の場合、「フュージョン風」だ、「何々風」だ、というタイプのアレンジはやらないし、基本的には井上陽水さんのアレンジをしても、中島みゆきさんのアレンジをしても、そのアーティスト自身が変身したい時に、僕のところにアレンジの依頼が来るので、僕自身の音楽のスタイルはまったく変えないでアレンジの提供をしているので、特に心がけていることはないですね。
Q.初めて使ったシンセは何ですか?
久石:
ローランドのSH-5です。
Q.「音色」を作り出す場合、ヒントとなるものはなんでしょうか? 例えば、曲のイメージ、音色そのもののイメージ、映像のイメージ……?
久石:
「音色」を作り出す場合、もちろん曲のイメージもあれば、いろいろなイメージがあるのでひとことではいい現せませんね。やはり、ケース・バイ・ケースです。
Q.「フェアライト」を使い出したキッカケは、いつ頃で、どうして使い始めたのかを教えてください。
久石:
フェアライトを使い始めたのは『風の谷のナウシカ』の時でした。ギタリストでコンポーザーの矢島さんのスタジオにフェアライトがあるということで、どんな楽器なんだろうと思って使いに行ったのが最初ですね。使ってみて、これは凄い! とショックを受けました。これは何としても自分の物にしたいと、自分のスタジオにフェアライトを購入するまでにいたったのです。
フェアライトの利点をひとことで説明することは難しいけど、魅力あるマシンですね。
Q.ニュー・アルバム『プリテンダー』のコンセプトの「原点」に戻る……ということについて、くわしく教えてください。
久石:
今回のコンセプトである「原点」に戻るということは、いわゆる本当の根本的な「原点」に戻るということではなく、自分が今ままでやってきた事で、例えば、『α-Bet-City』というアルバムをニューヨークでレコーディングした時、「フェアライトをこれだけ使うのはZTTかHisaishiだけだな」みたいな感じで、レコーディングしている最中にA&Mレコードやセルロイドから引き合いがきたり、自分が今までやってきた「インストゥルメンタル」、「音楽」、「世界レヴェルで通じるもの」を今回徹底して作ってみたいと思っていました。ヴォーカルものは英語詞で歌ったり、歌ってもらったし……。日本語だとどうしてもローカルになってしまうしね。「世界のフィールドで自分がどれだけ通用するか?」ということが一番根底にあったし、それがいわゆる「原点」ですね。
Q.海外のアーティストやミキサーと一緒に作り上げた今回のレコーディングのエピソード等がありましたら教えてください。
久石:
今回のレコーディングに参加してくれたミュージシャンを始め、ミキサーや各スタッフ達が日本発売とは思ってなくて、当然、世界発売……すくなくとも自分達の国の音楽だと思って、レコーディングに参加してくれたことが非常に嬉しかったことですね。
例えば、どのチャートを狙うのか、日本国内のチャートではなく、全米のブラコンやディスコ・チャートなのか、ポップス・チャートなのか。「どのチャートを狙うんだ」と、僕のところに親身になっていろいろと相談してくれて、「ブラコンやディスコ・チャートを狙うんだったら、良いミキサーを紹介するよ」って、いろいろ助言してくれたことが印象に残っています。
Q.国内とは違う環境でのレコーディングで何か変化や影響がありましたか? また、共演したアーティストやミキサーから触発されたものがありましたでしょうか?
久石:
一番は電話がかかってこないということですね。ふたつ目は、集中して音楽を創り上げられるということです。
基本的には国内でレコーディングしても同じだと思ってました。「海外でレコーディングをする」という意味は例えば、「海外でレコーディングした」ということは、もうアルバム・セールスにおいて「売りになる時代」にはならないし、それだけでインパクトがあるとも思っていないので、重要なファクターではないと思ってます。
今年(1989年)の3月にニューヨークに行って調べたミュージシャンやミキサーと知り合って、例えば、ドラムのノリ等の細かい点で、国内のドラマーが参加すると「こうなってしまう」とか、ある程度先が見えてしまう……海外のアーティストの場合、あるミュージシャンに参加してもらうと、その細かいリズムのノリや仕上がり具合がわかる。そういう意味では、海外でのレコーディングは必然的であったということだと思います。
根本的には海外でレコーディングしたから、今回のアルバムが出来たという気持ちはないけれど、それなりの+αはあったという感じはしています。
Q.『プリテンダー』で使用した主要なキーボード系、デジタル系(リズム・マシン、サンプラー、エフェクター等)の楽器を教えてください。
久石:
今回のアルバムでは、ほとんど生の楽器を多様しているし、生リズムで録ったのでシンセサイザーの使用頻度は少なめですが、使用した楽器はフェアライトIII、カーツェルやジュノー、DX7、S1000等の通常使用しているものです。
レコーディングに入る前にフェアライトIIIに全部のパートを打ち込んでおいて、本番ではそれを生の楽器に差し替えて録音しました。実際、レコードに収録されているフェアライトIIIの音や使用頻度は、全体の2~3割程度ですね。
曲のスケッチ段階で、ドラム・パートやベース・パート等すべてを打ち込んでおいて、それは、アルバムで聴けるフレーズや曲の感じの差はあまり変わってないということは、今回のフェアライトIIIの役目としては「縁の下の力持ち」になったということになります。
Q.最後に読者に対してコメントをお願いします。
久石:
今回の『プリテンダー』は、自分にとっても非常に大切なアルバムに仕上がりました。「日本」という独特な土壌の中で、日本の人々に受ける(日本人に受けるという言い方も変だけど)、つまり「国内向けに日本的なものを創る」というのではなくもっと乾いた「ウェットな部分ではない部分」を出したいというのがあって、そういう意味でいうと自分なりに納得するアルバム、「洋盤として納得するアルバム」に仕上がったと思ってます。
「聴き手」と「作者としての自分」の関係が「ベタベタ」したものではなく、むしろお互いに「対等」にあるような関係があって、自分の中ではとてもおもしろいチャレンジが出来たし、非常に納得したという部分があるので、その辺を感じながら聴いてもらえるとありがたいと思います。同時に、音楽的にもかなり高度な部分と、それを分かり易く噛み砕いてやている部分とがあるので、その辺がわかっていただけると幸いだし、また、本書を利用して演奏していただけると嬉しいと思います。
(「ピアノ弾き語り 久石譲/プリテンダー +BEST」 インタビューより)
※インタビュー内に文脈に難ありな箇所もあるがあくまでもそのままにしている。
【楽曲解説】 Music Commentary by Joe Hisaishi
Meet Me Tonight
この曲は古き良きアメリカ、或いはビートルズ・エイジの人々が非常に懐かしく感じるようなメロディ・ラインを意識して作りました。
都会というよりは、田舎のハイスクールの学生が彼女のことを思うというような、ノスタルジックな暖かさを含んだ楽曲です。ニューヨークでレコーディングをしている時にも、ミュージシャンが思わず口ずさんでしまうという感じで、自分達の国の音楽として受け入れられた曲です。サビのコーラスの部分が特に自分でも気に入っています。
True Somebody
これはブリティッシュ・ロック系の曲を意図して作った楽曲ですが、ベーシックなリズム・ラインにはモータウンのリズムを取り入れました。ヴォーカルに黒人のヴォーカリスト(N.David “Tigger” Whitworth)を起用しており、世界的なマーケットでも通用するような曲に仕上がっていると思います。
Wonder City
この楽曲は、7~8年前にリリースした僕のソロ・アルバムの中に収められていたものです。当時、自分でも納得いかなかった部分もありましたが、今回の再度のチャレンジでかなり納得のいく仕上がりとなりました。自分でも、とっても気に入っている曲です。今年(1989年)の2月に行ったコンサートでもこの曲は非常に評判が良かった曲です。
Maria
これはシングル用に作った楽曲で、バラードの路線を狙って作りました。僕の音楽の特徴は、メロディ・ラインが非常に器楽的だということがありますが、それを強調してみようということで、音域の広い曲になっています。『秋の夕日が落ちていく海辺……』そんなイメージ。
All Day Pretender
このアルバムのタイトル『PRETENDER』が象徴するように、この曲が全体のコンセプト曲になっています。「いつも”ふり”をしている人」という意味をもったこの曲は、出だしの”モード”っぽいところからサビにいくまで、自分の中でも非常に納得した仕上がりになっています。ある意味では自分の原点的な楽曲といえます。
Manhattan Story
これは、古い新しいということではなく、スタンダードできちんとしたメロディを書きたいと思って書いたものです。都会派のメロディ・ラインを意識して作りました。
Holly’s Island
この曲は、「東洋的なメロディ・ラインとラテン的なサウンドをドッキングさせたらどうなるか?」ということを考えて作った楽曲です。アイランド的といいますか、非常にほのぼのとした感じが出ているので、自分でもとても好きな曲です。タイトルの”Holly’s”というのは、ドラマーのスティーヴ・ホリーと、「Holly Night(聖なる夜)」からきています。
Midnight Cruising
これはインストゥルメンタルの曲で、メロディも非常にクールなハードボイルド・タッチを意識して作った楽曲です。曲の中間部では、ジャズ・ワルツのような部分もあって、演奏面からいっても非常に難しいものなのですが、共演のミュージシャン達もノリにノッて素晴らしい演奏をしてくれました。
View of Silence
これはピアノとストリングス(ニューヨーク・フィルのメンバーとの共演)の楽曲です。
アルバム『Piano Stories』以来、ピアニストとしての僕は、前作品の『illusion』に引き続き、必ず最後にピアノの作品を入れていこうという意図で作った楽曲です。いわゆる映画音楽をひくるめて作ってきた、「僕なりのメロディ」というものの延長線上にあるものです。
今回はストリングス・セクションもニューヨークで録るということで、特に力を入れてアレンジをしました。「内なる情熱」というようなエモーショナルな部分が引き出せたと思います。
(【楽曲解説】 「ピアノ弾き語り 久石譲/プリテンダー +BEST」楽譜より)
ピアノ弾き語り
久石譲/『プリテンダ』+ベスト
from album 『PRETENDER』
Meet Me Tonight
True Somebody
Wonder City
Maria
All Day Pretender
Manhattan Story
Holly’s Island
Midnight Cruising
View of Silence
from album 『illusion』
Night City
Zin-Zin
8 1/2の風景画
風のHighway
冬の旅人
ブレードランナーの彷徨
L’etranger(レトランジェ)
少年の日の夕暮れ
監修:久石譲
編曲・採譜・解説:金子浩介
定価:1,600円+税
発行:株式会社ドレミ楽譜出版社