Blog. 「かぐや姫の物語をつくる」ドキュメンタリーより 久石譲音楽制作軌跡

Posted on 2015/9/5

2013年公開 映画『かぐや姫の物語』スタジオジブリ作品宮崎駿監督の全作品を手がけた久石譲が、初めて高畑勲監督とタッグを組むことになった作品です。

 

2013年12月6日 22:00-【前編】
2013年12月13日 22:00-【後編】
WOWOW ドキュメンタリー番組 ノンフィクションW
「高畑勲、「かぐや姫の物語」をつくる。 ジブリ第7スタジオ、933日の伝説」

 

この番組にて映画制作現場が特集放送されました。そして、2014年12月には、映像を大幅に付け加えて再編集した新しい作品として『高畑勲、『かぐや姫の物語』をつくる。~ジブリ第7スタジオ、933日の伝説~』がブルーレイ/DVD化されています。

タイトルの「第7スタジオ」は、今作のために新設されたスタジオ、「933日」は、現場にカメラが入った2011年5月5日から公開日までの日数です。その2年半にわたる制作過程がなんと200分にも及ぶドキュメンタリーとなっています。

WOWOW放送時にはあまり登場しなかった久石譲も、この映像作品では計40分以上特集されているところがポイントです。

この映画に関わった多くの関係者が登場します。そしてリアルな現場、ものごとが決まる瞬間、白熱したバトルなど、、いろいろな貴重な映像が収められています。映画『かぐや姫の物語』を深く読み解くうえで、その密着取材は渾身の記録だと思います。そんな歴史を刻んだドキュメンタリー映像から、久石譲に焦点をあててご紹介していきます。

 

 

【音楽:久石譲になるまで】 (チャプター:二〇一三年 一月)

かぐや姫の物語 933 1

高畑:
「悪人」の音楽は成功したと思っている。(以後、その説明)そういうものを要求するんだったら、新しい境地を拓くことができると思う。ドドーンとひとつやってくださいというね。

僕は久石さんについては、同じジブリでやってるのにね、宮さんとのコンビが確立されている以上、久石一色にするのはあまり良くないんじゃないか、やっぱりどんなに優れていてもコンビがあるなら違うほうがいいんじゃないかなって思うんだよね。ジブリにとってもそうじゃないかなって。

スタッフ:
そこで選択肢がせばまるのはあまりよくないんじゃないかと…

高畑:
難しいんですよ

 

悩んだ末、2012年暮れ久石譲に音楽をお願いすること決断、2013年1月4日、スタジオジブリにて高畑勲と久石譲の最初の打ち合わせ。

かぐや姫の物語 933 2

ここで挨拶と、映画『悪人』での音楽の話、そして『かぐや姫の物語』でどういう音楽が必要かという話など。

イメージをつかむためにその時点で出来ている映像を試写。(主に予告編で使われていたシーンなど)試写後の談話中、ここで「天人の音楽」の構想が高畑勲監督から飛び出す。

かぐや姫の物語 933 3

補足)
このエピソードに関しては数多くのインタビューでも久石譲から語られています。興味のある方はご参照ください。

 

打ち合わせ後、高畑勲監督は映画『風立ちぬ』制作現場の宮崎駿監督を訪ね、「久石さんに音楽をお願いすることにしました」と一言伝える。

このあたりがお二人の監督の親密な関係性と、かつ尊重と礼儀を重んじると感じる瞬間でした。

かぐや姫の物語 933 4

 

劇中でかぐや姫で琴を奏でるシーンは、音に絵を合わせる必要があるため、まずはその楽曲からの音楽制作および収録という流れに。

高畑監督のオーダーは、古い中国楽器「古琴(こきん)」で、それよりも新しい「古箏(こそう)」とどちらなのかなど確認する電話場面も。ただ「古琴」で実際に録音しようとすると困難や制約も多く、一般の人も知らないので音は「古箏」を使ってもいいのではと高畑監督。

そして楽曲収録。

「古箏」を使うことになったが、金属の弦を使った古箏では音が響きすぎることが問題に。タオルを数箇所につめ残響を減らす効果や、演奏用爪を外し、音を柔らかく近づける。

そういった試行錯誤から実際の楽曲録音までが一部始終収録されているかなり貴重なレコーディング風景、まさにその瞬間をとらえた内容です。

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ここまで約20分間

 

【音楽:久石譲】 (チャプター:同)

最初の打ち合わせから半年、再び音楽打ち合わせが始まる。

ピアノスケッチをもとに、実際このシーンにどうかなと想定した場面にデモ音源を流していく。すべての楽曲が貴重なピアノスケッチであるということ、そして制作過程なので、実際に映画では使用されなかった、そんな幻の楽曲も登場します。

例えば、都にやってきたかぐや姫がうれしさのあまりはしゃぐシーン。当初、かぐや姫の感情の高ぶりを軽快な音楽で表現したピアノスケッチが流れます。

これに対して高畑監督は、「この子が喜んでる感じもほしいけれど、同時にそれを外から見ている感じがあったほうが…多分ふさわしいんだろうなって。運命というか一体どうなるのかなという感じがつきまとったほうがいいなと。この子に(音楽を)付けないで。その方が必要なんだという感じがしてたんです。」と。

これをうけてその場ですぐ久石譲が、準備してきたものからチョイスした別の楽曲(ピアノスケッチ)をあててみます。満場一致でその楽曲に決定する瞬間が収められています。

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映画終盤、かぐや姫と幼なじみ捨丸が再会し飛翔するシーン。

このシーンにつける音楽がとりわけ難航します。

久石譲の事務所スタジオに高畑監督やプロデューサーが訪ねて、打ち合わせや映像と音楽を合わせながら検討するという場面です。

久石譲の心臓部ともいえる事務所スタジオが登場するのもかなり希少です。どんな部屋模様なのか、どんな機材が設けられているのか、はたまた本棚に並んでいる本は、壁に飾ってある額は、そんなところにまでつい目をこらしてしまいます。 (余談でした)

ここでは最終形であるオーケストラを想定して、ピアノスケッチで決定した楽曲素材たちが、シンセサイザーによる肉付け、アレンジされたデモ音源となっています。少しですがそういったシンセ版かぐや姫の音源も聴くことができるシーンです。

 

この密着取材シーンはキャプチャはおやすみするとして、そのやりとりが忠実に再現されている小冊子「熱風」での久石譲インタビューから。このエピソードにおける制作過程の四苦八苦、長時間に及ぶ紆余曲折とその結末、久石譲自身によって語られています。

 

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(中略)高畑さんに事務所まで来てもらったんです。そのとき、7時間半かけて全曲手直ししてやっと見えたので心底ほっとしました。そして、「ちょっとここは後で直して欲しい」という曲があったので翌日直しを送ったんです。そしたら、その翌日の夜11時に高畑さんが飛んで来て「やっぱりあそこの音楽は、ああ言っちゃいましたけどほかの曲か前に出ているテーマのほうが」って(笑)。

「来たーー!」って、「おとといの7時間半はなんだったんだ」って。ゼロからつくり直しですよ、そのときだけは、さすがに僕もムッとしましたね(笑)。ただあのときは、高畑さんも作画チェックを全部やっていて、効果音もまだ決まっていない状態で、監督って基本的に決定することが一日に何百ってあるんです。そのすさまじい量をこなしていた最中でしたから。一番大変な時期だったのではないかなと思います。
Blog. 久石譲 「かぐや姫の物語」 インタビュー 熱風より 抜粋)
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この対談でも語られていました。よっぽど印象的な音楽制作エピソードとなったのでしょう。

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高畑:
むしろ難しかったのは、捨丸とかぐや姫が再会する場面の曲です。それまで出てくる生きる喜びのテーマより、もうひとつ別のテーマが必要だと思ったんです。命を燃やすことの象徴として男女の結びつきを描いているので、幼少期の生きる喜びのテーマとは違う喜びがそこに必要ではないかと。それで別のテーマを依頼して書いていただいたのですが、やっぱり違うと思ってしまった。それで元に戻って、再び生きる喜びのテーマをここで高鳴らした方がいいと久石さんにお伝えしたら「最初からそう言ってましたよ」って(笑)。

久石:
直後に天人の音楽という今までの流れとはまったく違うテーマが出てきますからね。捨丸との再会シーンで切り口を替えちゃうと、ちょっと過剰になるんじゃないかという印象を持っていました。それで元通りでいきましょうということになったら、逆にものすごい勢いの曲が生まれましたよね。
Blog. 久石譲 「かぐや姫の物語」 インタビュー ロマンアルバムより 抜粋)
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たしかに久石譲は”最初からそう言っていた”ことが、このドキュメンタリー映像で記録として証拠として残っていたりします。

 

ドキュメンタリーからかいつまんで経緯を説明すると、

このシーンに思い入れの強かった高畑勲監督は、制作期間を経るにつけて、ここには既成の主要テーマ曲からの変奏ではなく、新しいメロディーが必要だ、このシーンのためだけのラブテーマがほしいとオーダー。

それをうけて久石譲はこれまで当てていた仮音源から、新しい楽曲をつくることに。

数日後。

久石:
47 48(飛翔の曲)非常に困ってまして。というのは、新曲を書こうということにこの前なったんですが…。ラブテーマ的な要素もあるという話もあったんだけれど…僕はちょっと、かぐや姫は捨丸を好きだったんだけれど、恋愛対象と思ってたのかどうか…自分のすごくいい時だった象徴として捨丸がいるとすると、何か泣かせてもあまり意味ないねという感じになっちゃうと…じゃあ楽しくてかつていい時代だったら、前の”歓びの音楽”の延長にも近くなってくる…。その辺を高畑監督と相談してから書いたほうがいいんじゃないかと。

ここで久石譲が迷いながらも提案した音楽は、新たなメロディで感情の高ぶりを表すのではなく、場面全体を包み込むような音楽だったようです。

(ここでの幻の楽曲たちは流れません)

それからまた数日が経過し、楽曲の直しを聴いた高畑監督は、前回糸口が見えたはずの音楽にまた違和感を覚えてしまう。

要は包みこむような音楽だとムードミュージックになってしまって、やはりここには湧き立つようなメロディが必要だと、考えが二転三転して……。

この後、久石譲のもとへ直接お詫びと話をしに行ったようです。「直接行って話をしないと悪いでしょう。いろいろな意味で。」と深くつぶやく監督。

 

2013年10月8日 音楽レコーディング風景

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東京交響楽団によるホール録音の模様から、上述「飛翔」シーンの音楽レコーディングを1曲まるまる聴くことができます。

ナレーション:
物語の前半、里山での暮らしの豊かさを表す音楽、久石が奏でたのはそれをアレンジしたメロディだった。幼いかぐや姫がなにげない日常のなかで抱いていた幸福感、クライマックスの”生きる喜び”につながった。

ここまで約20分間

 

最後に、2013年10月30日初号試写の模様が収められています。久石譲も同席した初号試写では、試写後のふたりの会話も少し収録されています。

高畑:
聴いてても本当によかった。何回聴いてもいいですから。

久石:
共同でやってるから。

と笑顔で握手をかわす二人の巨匠。

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スタジオジブリ映画は、最新作公開ごとに、ドキュメンタリーも制作され、TV放送などもされていますが、ここまで久石譲にスポットを当てて、かつ記録として公開(作品化)されたのは、映画『もののけ姫』のドキュメンタリー以来ではないかというくらいの充実ぶりです。

宮崎駿監督との全10作品でも、このくらい久石譲音楽制作現場が映像記録として見ることができると、ファンとしてはありがたい限りなのですが。ドキュメント・フィルムは残っているとは思うのですが、世に出ることはないのでしょうね、残念です。

とはいえ、このドキュメンタリー映像作品は、このように久石譲音楽が誕生するまでの軌跡が刻まれています。

世に送り出された完成品がすべて、多くを語らず、それでももちろよいとは思うのです。でもこのような制作過程や記録を見ると、やはり完成版の作品への受け止め方や聴き方がかわってきます。記録として残すにふさわしい、残されるべき、そんな映画『かぐや姫の物語』にまつわるドキュメンタリーでした。このドキュメンタリー映像の活字版ともいえる、久石譲インタビューや高畑勲監督との対談も下記ご参照ください。

 

 

『高畑勲、『かぐや姫の物語』をつくる。~ジブリ第7スタジオ、933日の伝説~』

【チャプター】

  • この映画は声から始まった
  • 十四年の理由
  • 天才と職人と演出家
  • 高畑勲という現場
  • 二〇一二年 十二月
  • 二〇一三年 一月  (久石譲登場)
  • 主題歌、二階堂和美
  • プロデューサー、西村義明
  • 映画監督、宮崎駿
  • 音楽、久石譲  (久石譲登場)
  • 二〇一三年 十月  (久石譲登場)

 

 

Related Page:

 

高畑勲、『かぐや姫の物語』をつくる。 DVD

高畑勲、『かぐや姫の物語』をつくる。

 

Blog. 「クラシック プレミアム クラシック プレミアム 43 ~ラヴェル~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/8/31

クラシックプレミアム第43巻は、ラヴェルです。

 

【収録曲】
ピアノ協奏曲 ト長調
サンソン・フランソワ(ピアノ)
アンドレ・クリュイタンス指揮
パリ音楽院管弦楽団
録音/1959年

《亡き王女のためのパヴァーヌ》
《水の戯れ》
サンソン・フランソワ(ピアノ)
録音/1967年

《ラ・ヴァルス》
《ボレロ》
アンドレ・クリュイタンス指揮
パリ音楽院管弦楽団
録音/1961年

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第42回は、
和音が音楽にもたらしたもの

まだまだ深い音楽講義はつづきます。ラストスパートといったところでしょうか。今回は和音の歴史について。

一部抜粋してご紹介します。

話の展開上、なかなか一部抜粋が難しい内容でしたため、今回はほぼ網羅しています予めご了承ください。

 

「クラウディオ・モンテヴェルディというイタリアの作曲家がいる。16~17世紀にかけて活躍した人なのだが、現代でも比較的演奏される機会があり、歴史上重要な作曲家の1人だと僕は思っている。ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者でもあった。この楽器は16~18世紀によく使われた楽器で、擦弦楽器である。ヴァイオリンを鈍くしたような音色で、風情がありヨーロッパの大理石の壁に馴染む音、と言ったら多少イメージを感じてもらえるだろうか。ただ弾き方はチェロのように縦にかまえるのでヴァイオリン属とは全く別系列であると言われている。以前、中国映画でこの楽器を使ってスタジオで録音したが(なんで中国映画にヴィオラ・ダ・ガンバか? という疑問を感じる方もいると思われるが、長くなるので説明は省略)、音が小さくすぐピッチが悪くなるので、演奏よりもチューニングに時間がかかった記憶がある。だが、間違いなくヴァイオリンと同一視するべきではないと思った。」

「それはさておき、1607年、モンテヴェルディのオペラ《オルフェオ》が初演された。もちろんギリシャ神話のあのオルフェオとエウリディーチェの話である。このオペラは今も取り上げられることはあるので、是非観てほしいのだが、その中に〈天上のバラ〉というアリアがある。主人公オルフェオが愛する妻エウリディーチェを讃える喜びのアリアである。一聴してすぐわかるのは、ここでは明確なメロディーラインとそれを伴奏するハープなどの和音がしっかりあることだ。つまりポリフォニー音楽のような横に動くモティーフがいくつか組み合わされるのではなく、一つのメロディーを和音が伴奏するといった形態で、当時としてはそれまでにない音楽だった。もちろん彼が創始したのではない。大勢の作曲家がその時代に同じ方法を採用していたのは言うまでもない。」

「ハーモニー(ホモフォニー)音楽の時代が到来したのである。構造はいたって簡単、明確な旋律にわかりやすい歌詞、それを器楽奏者が伴奏するのだから(モノディ様式というらしい)、聴き手にとっても理解しやすい。僕はDVDで観たのだが、音楽が輝いており、屈折してなく、音楽の可能性を心から信じていた時代だったと思われる。DVD自体は当然近年に撮影されたものなのだが、オーケストラ・ピットの奏者が当時を思わせる服装で演奏していて、何かとても華やいだ気分になれた。いつか演奏してみたいと思ったのだが、《オルフェオ》では作曲家の各声部への楽器指定が徹底しており(その前は即興的に集まった奏者が演奏することが多かった)、そういう意味では最初の本格的にオーケストレーションされた作品だったかもしれない。」

「このホモフォニー音楽の意味は横に動く各声部の関係よりも、和音自体の進行が音楽をリードしていくことにある。その約束事は16世紀に確立された機能和声である。ドとソの表の5度とドと下のファの裏の5度が重要だと前に書いたが、この倍音からできたトライアングルが機能和声でも重要になる。それぞれの音を基音とした三和音(根音の3度上と5度上の音)の進行が音楽を決定する。」

「その①I-V-I(ド-ソ-ド)。これは学校などの朝礼で起立、礼、着席というときによく使う和音進行である。あれ?今の時代そんなことをする学校はあるのだろうか? まあいいや、次、その②I-IV-I(ド-ファ-ド)。これは教会などで最後にアーメンという時に使う和音進行で別名アーメン終止とも言われている。その③I-IV-V-I(ド-ファ-ソ-ド)。これは今の時代のポップスやジャズを含めた調性音楽の大半を占めている和音進行と言っても過言ではない。もちろんそれぞれの代理和音があるのでもっと複雑だが、考え方(基本)は同じだ。」

「そしてその要は長音階と短音階である。ポリフォニー音楽の時代に主流だった旋法はほぼこの長・短音階に集約され、機能和声は生まれた。この長音階と短音階からできる三和音をよく見ると構成音のうちドとソは同じである。違いは真ん中の3度の音ミである。このミがそのままか、半音下がるミ♭(フラット)かで、和音の性格がまるで変わる。長三和音と短三和音というのだが、身近にある楽器で弾いてみていただきたい。ドミソは明るい、そしてドミ♭ソは暗い。これに異論のある方は…かなり個性的であると僕は認定します(笑)。」

「ここで重要なのは音楽に感情が持ち込まれたということである。明るい、暗いと感じる和音が音楽の発展とともに、歓喜を表現したり、暗い悲しみを表現できるようになる。バロック、古典派、ロマン派、そして後期ロマン派時代へと時空を経るにつけ、音楽はよりエモーショナルなものへと変貌していき、機能和声自体がもはや機能しなくなるのだが、今はまだそれに言及しない。さて最後に具体的な話、ミが329Hz、ミの♭が311Hzでその差はわずか18Hz!この差が音楽を大きく変えたのだ。」

 

 

クラシックプレミアム 43 ラヴェル

 

Blog. 「クラシック プレミアム クラシック プレミアム 42 ~マーラー~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/8/23

クラシックプレミアム第42巻は、マーラーです。

マーラーを引用した久石譲インタビューは過去にもありますが、とりわけ本号収録の「交響曲 第5番 嬰ハ短調」については、映画『ベニスに死す』の考察とともに論じているものがあります。

 

Blog. 久石譲 「日本経済新聞 入門講座 音楽と映像の微妙な関係 全4回連載」(2010年) 内容紹介

 

 

【収録曲】
交響曲 第5番 嬰ハ短調
レナード・バーンスタイン指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1987年(ライヴ)

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第41回は、
ハーモニーのための革命的方法論 - 平均律

ここ数号エッセイと思って読んだら火傷するようなとても難しい音楽講義がつづいています。理解するには何回も読まないと、もしくは理解できない、そんなことも実際多いのですが。

でもこういった音楽理論を知るということは、その作曲家がこのようなバックボーンをふまえて、自分の作品をどう作り上げているのか。音楽理論や音楽上のルールというのは、創作活動のきっかけとなる発着点になったり、いい意味での制約をもうけることになるからです。

これは久石譲における音楽創作活動においてもそうです。過去のコンサートパンフレットなどの楽曲解説や、最新のオリジナル・アルバム『ミニマリズム2』においても、そういったことを垣間見ることができます。

いかに理論・ルール・制約のうえで、独創的で新しい音楽を生みだすか。これは作曲家にとって永遠のテーマなのだと思います。そういった思考の発展ができたらおもしろいと思います。

一部抜粋してご紹介します。

 

「ポリフォニー音楽というのは複数の独立した声部で成り立っているのだが、旋律に対して別の旋律を付ける場合、そこには約束事がある。その約束事(技法)を対位法という。もちろん前回書いたとおり最初に理論があったわけではなく後付け、あるいは同時進行的に決め事とされていくのだが、ノエル=ギャロン、マルセル・ビッチュ共著の『対位法』(矢代秋雄訳)によれば、「旋律線、およびそれ等の累積に関する学問である。それは音楽を水平次元より考察する。これに対し、音楽を垂直次元より考察するのが和声法であり…」などと書いてある。」

「目が点になるような言い回しなのだが、学術理論書なのだから仕方ない。音大生だった頃、独学でこの本を勉強したのだが、なぜか授業を受けた記憶がない。授業があったのかどうか? あまり真面目な学生ではなかったから単にサボっただけなのかもしれないのだが。」

「今日の我々を取り巻く音楽、ポップスを含めてその大半が長音階と短音階でできている。それは1オクターヴに12の音があり、その数だけ、いや正確にいうとそれぞれの音の長音階と短音階の分だけ移調が可能である。つまりどの音からも同じ音階が得られる。このシステムはいつできたのか? 誰が1オクターヴを12に分けたのか? そんなこと気にならない方は、ここから先は読まないほうががいいかもしれない(笑)。」

「一つの説は紀元前500年ほどの古代ギリシャ時代のピタゴラスが作った音律。これは仮にドの音を決め、そこから5度上のソの音を決める。これは整数比で2対3である。今度はそのソをまたドと読み替えて5度上の音を決める。それを12回繰り返すと大本のドにほぼ戻る。もろん誤差は生じるのだが。おそらく弦を張り、軽く指で押さえながらよい音のするところ(前に書いた倍音)の整数比を求め、それを繰り返しながら数学として、あるいは自然科学として研究分析したものだと思われる。鍛冶屋の金槌からヒントを得たという説もあるがそれはどうだろうか? 金属はいろいろな雑音や複雑な共鳴をするため、その整数比を割り出すのはかなりの無理がある。この12音律は古代の中国にもすでにあったとされているので、根本は倍音の構造(構成音)を人類が探り当てていった結果だと僕は思っている。」

「この整数比で純正音程を求めていった結果できる音階が純正律である。ドとソが2対3、ドとファが3対4、ドとミが4対5というふうに、ある基準音を元に整数比で割り出した音律である。古い教会のオルガンなどがこの純正律なのだが、大変純粋な響きが得られるといわれている。が、問題がある。ある調にはよいのだが、他の調では基準音が違うため音程が変に聞こえる。いわゆる調子っぱずれなのだ。これでは転調や移調は困難だ。」

「それを解消したのが、今日我々が使っている12平均律という音律なのである。なんだか本当に難しくなってきたが「音楽の進化」を語るとき、どうしても通らねばならない、いわば関所のようなところである。もう少し辛抱をお願いする。」

「1オクターヴは整数比で1対2である。このことは前に書いた。今日の国際基準であるラの音は440Hzで、下のラの音は220Hzだから周波数の整数比は1対2である。オーケストラの演奏会に行くと楽団の人がオーボエに合わせて最初にチューニングする音である。実際には441または442Hzまで上がってきているのだが、それはやはりピッチが高いほど張りがあるというか輝かしいというか、抜けがよく聞こえるからではないかと思われる。」

「話を戻して、上のラの音(440Hz)から下のラの音(220Hz)を引くと220、つまり1オクターヴは220Hzということになる。これは12で割ることができない。先ほどの純正律はそれでも整数比でなんとか音程を選んだが、12の音すべてに誤差を設定することで12の音すべてを均一化したのが12平均律である。これによって転調や移調は自由になり音楽は飛躍的に表現力を増した。それは新しい音楽、ハーモニーの時代を支えた革命的な方法論だった。」

 

 

そういえば、本号巻末の「西洋音楽史 42」((岡田暁生:著)には、このようなことが書いてありました。

 

「私が思うに、音楽史の中で突出して格違いの存在は、バッハとモーツァルトとベートーヴェンである。おそらく多くの人々がこれには同意してくれるはずだ。ただし彼らが「別格」であるその根拠は、互いにかなり異なっていて、これが面白い。まずバッハ。よく音楽を感情表現だと誤解している人がいるが、「気持ち」だけでは絶対に曲など作れない。感情よりも前に、まず音の建築術ともいうべきものをマスターしていないことには、作曲家にはなれない。それはすなわち、きちんと調和するように音を組み合わせていく設計の技術の類である。バッハの作品はいわば、音楽という建物の作り方の百科全書である。作曲家の主観だの表現だのといったことと無関係なところで成立しているバッハの音楽は、その法則性や客観性の点で科学と近いという言い方をしてもいいだろう。その意味でバッハは人間的な世界を超越した存在であり、人類が死滅した後の地球にあってもなお響き続けるだろう音楽を書いた人とすら言えると思う。」

なにかつながるところがあります。

 

クラシックプレミアム 42 マーラー

 

Blog. 久石譲 「もののけ姫」インタビュー 劇場用パンフレットより

Posted on 2015/8/17

1997年公開 スタジオジブリ作品 宮崎駿監督
映画『もののけ姫』

2013年4月より創刊した「文春ジブリ文庫 ジブリの教科書シリーズ」。それぞれの映画作品を詳しく知るための解説本として、豪華執筆陣が深く作品の世界を解説しています。

そんな書き下ろしもあったり、過去のインタビュー掲載などの情報をまとめ、再編集しているのがこのシリーズです。映画公開前後の新聞や、関連本など、散らばった秘話たちを、作品ごとにまとめたものになります。

 

そのような企画ですので、もちろんそこには久石譲のインタビューも収められています。過去「ジブリの教科書 シリーズ」においては、映画公開と同年発売の「ロマンアルバム」という書籍での、久石譲音楽インタビューが再録されていることが多かったのですが、「ジブリの教科書10 もののけ姫」においては、「もののけ姫 ロマンアルバム」からではなく、「映画もののけ姫 劇場用パンフレット」からのインタビュー編集となっています。

ロマンアルバムでのインタビュー内容はこちら
⇒ Blog. 久石譲 「もののけ姫」 インタビュー ロマンアルバムより

 

同じようにこちらも1995-1997年音楽制作当時の貴重なインタビューになっています。

 

 

オーケストラをベースに非常に骨太な世界を望んだんです。

-まず、久石さんがこの作品について最初に宮崎監督からお話を伺った時に感じられた印象から伺いたいのですが。

久石:
「『なぜ今の時代に宮崎さんがこの作品を作るのか』という、作る重みをすごく感じました。あれだけの戦闘シーンや凄惨シーンを正面きって宮崎さんが描かれたのは初めてですしね。『二十一世紀にはもう夢も希望もないけれども、真剣に生きなければならない。とにかく今は現実を受け入れて、前向きに生きろ』という宮崎さんからの強いメッセージがこの作品の中にあるんじゃないかと思いました」

-そのような作品メッセージに対して、どのような音楽作りを考えられましたか?

久石:
「この映画の件で、初めて宮崎さんとお話した時に、直感的に今回、一番ベースになるのはオーケストラだろうと感じました。ですから二管編成の、六十六人によるオーケストラに、ほとんど全ての曲に入ってもらい、そこにエスニックな民族楽器と、隠し味的な電気楽器系をプラスするという形で作っていきました。こんなに大編成でやったのは、宮崎作品では初めてですよ。つまり非常に骨太の世界を望んだんです」

-今回、作品が日本を舞台にしているということで、音楽的にも日本的なものを取り入れたのでしょうか。

久石:
「自分にとって日本は非常に大切な要素だったので、もちろん積極的に取り入れました。ただ琵琶や尺八のように、その音がした瞬間に侍が出てきそうな音は極力引っ込めて、本当に音楽の骨格の中での日本的なものを相当意識して、五音音階と言いますか、西洋的なコード進行よりは、むしろアイルランド民謡に近い感じのものをベースに置きました」

-戦闘シーンの音楽作りについては。

久石:
「極力『これが戦闘シーンだ』というようなものは避けましたね。戦闘シーンの後で、そうならざるを得ないんだというような心境を歌うというような方向に考えて、レクイエムのように心情を表現するために音楽があるという考えを基本に作りました」

-この作品の音楽的構成についてはいかがですか。

久石:
「本当はワンテーマで押し切れれば良かったんですけど、二つのテーマ曲を要所要所にちりばめた形で構成しました」

-そのテーマ曲についてですが。

久石:
「一つは米良(美一)さんが歌った『もののけ姫』という曲から発生したバリエーションで、あの曲を器楽的に構成したものです」

-米良さんが歌われた曲はどういう風に作られたのですか。

久石:
「毎回、イメージアルバムを作る時に、作曲の手がかりになるような言葉を宮崎さんから頂くんです。その中の一つに、あの曲の詩のような言葉があったんです。宮崎さん本人は、きっと詩のつもりで書かれたわけではないと思うんですが、僕がこれは曲になるんじゃないかと思って、”歌”として仕上げたものです」

-もう一つのテーマ曲は。

久石:
「イメージアルバムの1曲目の『アシタカせっ記』という曲です。『幸せは来ないかもしれないけど、自分から生きろ』というような、のたうちまわっている登場人物たちを俯瞰して見ているような音楽として、映画の冒頭とラストに流れています。そうなると、この曲の方が本当のメインテーマとしての重みを持っていると僕は思いますね」

-最後に、ずっと宮崎監督の作品音楽を担当されてきて、久石さんがご覧になった宮崎監督の印象をお聞かせください。

久石:
「宮崎さんと僕の関係は、地方の大店の跡取り息子と、都会に出て遊んでいる次男坊という感じかな(笑)。僕にとっての宮崎さんという人は、自分の生き方の手本みたいな人。例えば僕は、綺麗な曲を書きたくて音楽をやっているわけじゃないんです。『じゃあなぜ曲を書いているのか』と考えた時に、宮崎さんの、自分はエンターテインメントであって、自分が作った映画を見おわった後に、何かちょっと残るものがあってほしいっていうスタンスは、ものを作る人間にとっての原点で、僕が常に曲を作りながら考えていることなんです。それを宮崎さんは作品の中に理想的な形で、実際に描かれているんです。

それともうひとつは、宮崎さんの人間としての生き方ですね。宮崎さんがいろんなところで発言されているものを読むと、この人は本当に世界を思い、日本を思い、自分を思い、あるいは自分の周りのジブリの若いスタッフを養うとか、いろんなことを抱え込んで、のたうち回っているのがよく分かるんですよね。それでいながら精神的には子供のままの純粋さを全然失っていない。そういう宮崎さんの姿を見ていると、『なるほど、こうやって生きる方法があるのか』と教えられたような気がするんです。」

(劇場用パンフレット(1997年) および ジブリの教科書10 もののけ姫 より)

 

 

2015年7月10日 発売

ジブリの教科書10『もののけ姫』 目次

ナビゲーター・福岡伸一
『もののけ姫』の生態史観

Part1
映画『もののけ姫』誕生
スタジオジブリ物語 未曾有の大作『もののけ姫』
鈴木敏夫 知恵と度胸の大博打! 未曾有の「もののけ」大作戦
宮崎 駿 荒ぶる神々と人間の戦い ~この映画の狙い~
宮崎 駿イメージボードコレクション

Part2
『もののけ姫』の制作現場
[原作・脚本・監督] 宮崎 駿
海外の記者が宮崎駿監督に問う、『もののけ姫』への四十四の質問
[作画監督] 安藤雅司
宮崎監督の隣で仕事がやれたというのは僕にとってとても勉強になりました。
[美術] 山本二三×田中直哉×武重洋二×黒田 聡×男鹿和雄
宮崎さんのイメージを絵にするのが僕らの仕事
[CG・撮影]
菅野嘉則×百瀬義行×片塰(かたあま)満則×井上雅史×奥井 敦
新技術(デジタル)の導入でセルアニメーションの表現法が広がった。
[音楽] 久石 譲
オーケストラをベースに、非常に骨太な世界を望んだんです。
出演者コメント
松田洋治(アシタカ)/石田ゆり子(サン)/田中裕子(エボシ)
小林 薫(ジコ坊)/西村雅彦(甲六)/上條恒彦(ゴンザ)
美輪明宏(モロ)/森 光子(ヒイさま)/森繁久彌(乙事主)
島本須美(トキ)/佐藤 允(タタリ神)/名古屋 章(牛飼い)
映画公開当時の掲載記事を再録!

from overseas
ニール・ゲイマン
フォルムを見て真の比類なき映画だと感じ、
ぜひ参加したいと 思ったのです。

Part3
作品の背景を読み解く
・viewpoint・宇野常寛
「生きろ。」と言われてウザいと感じた人のための『もののけ姫』の読み方
荻原規子 二人の女の板ばさみ
小松和彦 森の神殺しとその呪い 森をめぐる想像力の源泉をさぐる
永田 紅 生命力の輪郭からあふれ出たもの
小口雅史 北方の民=エミシ・エゾの世界の実像と『もののけ姫』
網野善彦 「自然」と「人間」、二つの聖地が衝突する悲劇
大塚英志『もののけ姫』解題

出典一覧
映画クレジット
宮崎 駿プロフィール

 

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ジブリの教科書10 もののけ姫

 

Blog. 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2015」 コンサート・レポート

Posted on 2015/8/14

8年ぶりの全国ツアー開催となった今年のW.D.O.2015。今年のテーマは戦後70年を迎え日本と世界が抱える「祈り」。さらには宮崎駿監督作品の壮大な交響組曲シリーズ化始動。第1弾は『風の谷のナウシカ』を約20分に及ぶ交響詩へ。

 

〈ワールド・ドリーム・オーケストラ〉W.D.O.
“ジャンルにとらわれず魅力ある作品を多くの人々に聴いてもらう!”と、2004年に久石譲と新日本フィルハーモニー交響楽団が始めたプロジェクト。2014年に3年ぶりに活動を復活させ東京公演、今年は国内5都市6公演にてツアー開催となった。

 

まずは演奏プログラム・アンコールのセットリストから。

 

 

久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2015

[公演期間]
2015/08/05 – 2015/08/13

[公演回数]
6公演
8/5 大阪・ザ・シンフォニーホール
8/6 広島・上野学園ホール
8/8 東京・サントリーホール
8/9 東京・すみだトリフォニーホール
8/12 名古屋・愛知県芸術劇場コンサートホール
8/13 仙台・東京エレクトロンホール宮城

[編成]
指揮・ピアノ:久石譲
管弦楽:新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ
カウンター・テノール:高橋淳
合唱:栗友会合唱団 (東京)
合唱:W.D.O.特別編成合唱団 (大阪)

[曲目]
久石譲:祈りのうた ~ Homage to Henryk Górecki~ *世界初演
久石譲:The End of The World for Vocalists and Orchestra *世界初演
I. Collapse
II. Grace of the St.Paul
III. D.e.a.d
IV. Beyond the World
久石譲編:The End of the World (Vocal Number) *世界初演

—-intermission—-

久石譲:紅の豚 il porco rosso ~ Madness
久石譲:Dream More *世界初演
久石譲:Symphonic Poem “NAUSICCÄ” 2015 *世界初演

—-encore—-
久石譲:Your Story 2015
久石譲:World Dreams

※東京・大阪 (with mixed Chorus)
The End of the World
Symphonic Poem “NAUSICCÄ” 2015
World Dreams

※会場によって第2部の曲順が異なるケースあり

 

合唱編成ありなしの会場とその構成によって、曲順が変更になっている会場もあり、演出上の都合、最も適するプログラム構成を練ったゆえだと思います。

 

 

さて、個人的な感想はひとまず置いておいて、会場にて販売されたコンサート・パンフレットより各楽曲を紐解いていきます。「祈り」をテーマに久石譲が表現したかったこと、伝えたかったこと、プログラムに選ばれた楽曲のことなど。

 

 

【楽曲解説】

祈りのうた ~ Homage to Henryk Górecki~
2015年1月、三鷹の森ジブリ美術館オリジナルBGM用のピアノソロ曲として作られた。久石の作家人生の中でも初のホーリー・ミニマリズム作品として書かれたこの曲は、極めてシンプルな3和音を基調とし、極限まで切りつめられた最小限の要素で構成されている。今回演奏される《祈りのうた》は、核をなすピアノに加え、チューブラベルズ、弦楽合奏が加えられた。厳かな鐘の鳴り響く中、静かに訥々と語りかけるように始まるピアノの旋律が印象的である。久石が敬愛するホーリー・ミニマリズムの作曲家ヘンリク・グレツキに捧げられている。

 

The End of The World for Vocalists and Orchestra
I. Collapse
II. Grace of the St.Paul
III. D.e.a.d
IV. Beyond the World

原曲の《The End of The World》は、2008年に「After 9.11」を題材に書き上げられた意欲作。オリジナル版は12人のチェロ、ハープ、パーカッション、コントラバスとピアノの特殊編成であった。「9.11 アメリカ同時多発テロ)」を契機に世界の秩序の崩壊と価値観の変容に危惧を抱いた久石が、混沌とした時代を生き抜く我々へ向けて力強いメッセージを音楽に託したエモーショナルな作品である。もともと構想段階ではコーラスの使用を考えていたが、2009年のソロアルバム「ミニマリズム」の制作で初めてコーラスを起用し、本格的なオーケストラ作品として大幅に加筆が行われた。そこからさらに6年を経た声楽と管弦楽のための《The End of the World》では、より作品としての深度が増し、全4楽章の長大な交響作品に仕上がっている。

第1楽章 《Collapse》
久石が実際に訪れたニューヨークの「グラウンド・ゼロ」に着想を得て作られた。冒頭から絶えず打ち鳴らされる鐘とピアノのリズムは、後の楽章にも通じる循環動機となり、強いメッセージを投げかけ続ける。リズムと複雑に絡み合う旋律は、焦点の定まらない危うさを醸し出す。

第2楽章 《Grace of the St.Paul》
グランド・ゼロに程近いセント・ポール教会の名を楽章名に用いた第2楽章は、人々の嘆きや祈り、悲哀を扱っている。冒頭、中東風のチェロのメロディーとティンパニによる対話から始まり、一転して中間部からはコントラバス、ドラムセットが加わり、ジャジーなメロディーが浮遊感を漂わせる。

第3楽章 《D.e.a.d》
2005年に発表した組曲《DEAD》第2楽章の《The Abyss ~深淵を臨む者は・・・・~》をもとに今回新たに声楽と弦楽合奏のために再構成、本作の第3楽章《D.e.a.d》としている。原曲の持つテーマ性が《The End of the World》の世界と融合し、カウンターテナーの歌声が静かで官能的な世界へと誘う。歌詞は久石のメモをもとに、本ツアーのために麻衣が書き下ろした。

第4楽章 《Beyond the World》
今回全曲を締めくくる楽章《Beyond the World》は、複雑かつ緻密に絡み合うパッセージによって絶えず緊張感を増長させ、大きな渦となる。「ミニマリズム」発表時に久石が付したラテン語の歌詞が、壮大なクライマックスを築き上げる。

 

The End of the World (Vocal Number)
前述の声楽と管弦楽のための《The End of the World》と対をなす形で演奏されるこの歌曲は、1962年に発表されたスタンダードナンバー。近しい者を失う悲しみを綴ったこの歌は、日本でも《この世の果てまで》というタイトルで発表され、多くの人々の心を打った。この歌に深い感銘を受けた久石が、「あなたがいなければ世界は終わる」という原詞の「you」を複数形の「あなたたち」と捉え、現代社会に強いメッセージを送る。カウンターテナーを歌う高橋淳が、従来スタンダードナンバーとして親しまれてきたこの曲に光を当てる。

 

Symphonic Poem “NAUSICCÄ” 2015
1984年3月11日に公開された宮崎駿監督作『風の谷のナウシカ』より。巨大産業文明崩壊後の世界を舞台に、風に乗り、蟲と心を通わせ、自然とともに生きる少女ナウシカが、愛によって荒廃した世界に奇跡を起こす、宮崎監督と久石の記念すべきコラボレーション第1作。過去に幾度も演奏会用作品として演奏されたきた「ナウシカ」であるが、今回約20分の交響詩として久石が新たに再構成した。劇中の場面を彩る主要テーマのみならず、映画には使用されなかった曲も贅沢に組み込まれ、壮大な物語の世界観をより完全な形で堪能できる長大な交響作品として生まれ変わった。

 

紅の豚 Il porco rosso ~ Madness
1992年に公開された宮崎駿監督作『紅の豚』より。世界大恐慌に揺れる1920年代のアドリア海を舞台に、空賊相手に賞金稼ぎを生業とする豚ポルコ・ロッソの物語。夢とロマンを追い求める飛行艇乗りの男達の小気味よい活劇でありながらも、より深く時代感を帯びた作品として人気を博した。

《il porco rosso》
大人の色香を漂わせる《il porco rosso》(「帰らざる日々」のテーマ)は、イメージアルバムでは《マルコとジーナ》として作られた。久石自身が奏でる優美なピアノの旋律が印象的な本バージョンでは、よりノスタルジックな大人のジャズへと変貌を遂げている。

《Madness》
劇中の工場から飛行艇が飛び立つシーンで流れるこの曲は、疾走感と迫力に満ち溢れている。映画と同時期に制作されたソロアルバム「My Lost City」に収録されていたこの曲に惚れ込んだ宮崎監督が、劇中曲への起用を熱望したという逸話を持つ。もともと米国の小説家スコット・フィッツジェラルドをテーマに書かれた楽曲だが、奇しくも『紅の豚』と同じ1920年代が舞台であり、退廃的でありながらもエネルギッシュな時代を感じさせる楽曲である。

 

Dream More
2015年3月から放送を開始した、サントリービール「ザ・プレミアム・モルツ マスターズ・ドリーム(Master’s Dream)」のための委嘱作品。小編成のソリッドなサウンドながらも、夢のビールにふさわしい華やかさと気品に溢れ、心に沁み入るオーケストラ作品として仕上げられた。フルバージョンは今回のコンサートで初披露となる。

 

(【楽曲解説】 ~「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2015」コンサート・パンフレットより)

 

 

全28ページにも及ぶ公式パンフレットです。各会場ロビーにおける特設販売コーナーでは開演前も休憩中も終演後も人だかり。公式パンフレットも公演オリジナルTシャツも完売の勢いだったのでは。CDを手にとる方も多く会場全体で熱気のすごさを感じました。

 

WDO 2015 オフィシャルグッズ

 

 

楽曲解説でも、十分に本コンサートの内容は伝わると思います。補足程度に、感想や参考作品、またアンコール曲もまじえてご紹介していきます。

 

祈りのうた ~ Homage to Henryk Górecki~
静寂とともに張りつめた緊張感。やはり「癒し」ではない「祈り」がそこにはあると感じられた楽曲。久石譲の作家性もついにここまできたか!と唸ってしまうほどの新境地。最新オリジナル・アルバム『ミニマリズム2』ではピアノソロを聴くことができます。本公演では楽曲解説とおりチューブラベルズ、弦楽合奏が加わっていますが、そこには不協和音も響きます。でもなぜか、とても厳かなある種心地よささえ感じる不協和音の響きに。シンプルゆえに尊い。大切なことには多くを語らない、同じように大切なことには多くの音を必要としない、そんな奥深い名曲誕生です。久石譲が次のステージに入った証、最も”今の久石譲”を象徴する作品になっていたと思います。

この鐘の音が次の《The End of the World》へと引き継がれていくのですが、「祈り」の鐘と、「警鐘」の鐘。シンプルなものからより複雑なところに世界は入っていくようにプログラムは続いていきます。

このティンティナブリ様式(小さな鐘、鐘の声 の意)は、久石譲も2014年にコンサートで取り上げたアルヴォ・ペルト(演目は「スンマ」)の作風の象徴でもあり、同作曲家による「フラトレス」(親族、兄弟、同志の意)という楽曲は、ティンティナブリ様式で書かれた人気作品です。余談です。

[参考作品]

Minima_Rhythm II

久石譲『ミニマリズム 2 Minima_Rhythm II』

 

The End of The World for Vocalists and Orchestra
楽曲解説には触れられていませんが、実は第1楽章からスケールアップしています。そこには新たなパートと旋律が加えられ、大幅な加筆と修正による再構築。まさかあの《DEAD組曲》からこの作品へ組み込まれるとは!という驚きもあり、全楽章通じて鳥肌たつ衝撃をうけた作品です。とりわけ、第1楽章と第4楽章の「ミニマリズム」からの進化が鮮烈に印象に刻まれています。個人的には本公演で一番震えた作品です。

楽曲解説にもあるとおり『Anotoer Piano Stories』(2008)で誕生し、『ミニマリズム』(2009)でシンフォニーとして完成したと思っていた作品が、6年を経てさらに高い次元へ昇華。下記参考作品内では、当時のインタビュー記事やライナーノーツも網羅していますので、興味のある方は時系列を追って見てみてください。脈々と時代を超えて鼓動し続けているこの作品の巨大さを感じます。

[参考作品]

久石譲 『Another Piano Stories』

久石譲 『Another Piano Stories ~The End of the World~』

久石譲 『ミニマリズム』

久石譲 『ミニマリズム Minima_Rhythm』

 

Symphonic Poem “NAUSICCÄ” 2015
本公演大本命の「ナウシカ」です。新たな生命を吹きこみ交響曲シリーズ化、記念すべき第1作として選ばれたのはもちろん「ナウシカ」です。たしかにコンサートでも多く演奏され人気の高い作品ですが、演目としては「風の伝説 -オープニング-」もしくは「鳥の人 -エンディング-」。武道館コンサート(2008)やチャリティーコンサート(2011)では、組曲としても演奏されています。

その原型となっているのが「Symphonic Poem “NAUSICCÄ”」。『WORKS I』(1997)に収録された約17分の大作です。一番の関心はやはり、そのオリジナル版から18年の時を超えどのように進化したのか。

交響詩として組み込まれた楽曲たちをナウシカ組曲誕生からの軌跡にて。

『WORKS I』(1997)
・風の伝説
・遠い日々
・メーヴェとコルベットの戦い
・谷への道
・ナウシカ・レクイエム
・鳥の人

交響詩全3部として構成されたナウシカ組曲の原型誕生。

 

『久石譲 in 武道館 ~宮崎アニメと共に歩んだ25年間~ 』(2008)
『The Best of Cinema Music』(2011)
・風の伝説
・遠い日々
・メーヴェとコルベットの戦い
・ナウシカ・レクイエム
・鳥の人

映画本編では未使用楽曲の「谷への道」を除き、他楽曲も短縮しての約10分の組曲として再構成。さらには合唱パートが新たに起用されより壮大な世界観に発展。

 

『Symphonic Poem “NAUSICCÄ” 2015』
・風の伝説
・遠い日々
・ナウシカ・レクイエム
・メーヴェとコルベットの戦い
・谷への道
・蘇る巨神兵
・遠い日々
・鳥の人
・風の伝説

『WORKS I』のオリジナル版を継承し、新たに巨神兵パートを追加。合唱編成も引き継がれ、交響詩ナウシカ2015ここに完結。

 

「蘇る巨神兵」が追加されただけか、と思うことなかれ!その壮大なスケールアップ感はすさまじい迫力。どの楽曲も修正が施され、今の久石譲の集大成といっても過言ではない進化をとげています。新作でもないのに集大成という表現は語弊があるかもしれませんが、”今久石譲が持ちうる術をすべて注ぎ込んだ”という意味ではまさに集大成と言って言い過ぎではありません。さらには耳に優しいナウシカ・サウンドに、不協和音と緊張感の「蘇る巨神兵」が加わったことにより、より本来の意味でのナウシカ世界観の完全版。静と動、裏と表、生と死、破壊と再生、両極面を備えもつ壮大な世界観。そして、久石譲の大衆性と芸術性の両面をもまた鋭く進化させた、第1弾にしてさすが記念碑的な作品へと生まれ変わりました。

「メーヴェとコルベットの戦い」も加筆され躍動感と高揚感がさらにパワーアップ。合唱パートは、「ナウシカ・レクイエム」、「蘇る巨神兵」、「遠い日々」、「鳥の人」。新たに加わった「蘇る巨神兵」でも合唱によるスリリングな不協和音グリッサンドを聴くことができます。

”今久石譲が持ちうる術をすべて注ぎ込んだ” と書きました。エンターテインメント(大衆性)とアート(芸術性)の両面を合わせ持つ久石譲音楽。

実は約1年前にこんな所感を書いています。

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おもしろいことに、『WORKS IV』に収録された「風立ちぬ」も「かぐや姫の物語」も決して耳あたりがいい音楽ばかりではない。そこには重厚な不協和音も響いているし、ルーツであるエスニック・サウンドやミニマル色も強く盛り込まれている。つまり、これまでの”WORKS”シリーズで取り上げられたジブリ作品に比べて、格段に前衛的で独創的なアート性が増しているのである。付け加えれば、「私は貝になりたい」でもヴァイオリンの重音奏法から激しいミニマルのパッションという、これまでには考えられないほど、大衆性と芸術性の境界線が崩れてきている。

これこそが、今久石譲が語っている”アーティメント”(アート+エンタテインメント)のかたちではないだろうかと思う。作品ごとに映画なら大衆性、オリジナルなら芸術性ではなく、作品ひとつひとつに大衆性と芸術性を混在させてしまう、いやその領域まで昇華させると言ったほうが正しい。かつその方法論のなかには”クラシック”という大きな軸が存在する。
Blog. 久石譲 新作『WORKS IV』ができてから -方向性-
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持論のオンパレードですが、久石譲を独断的に読み解いた論文です。
興味のある方はぜひご覧ください。

[参考作品]

久石譲 『WORKS 1』

久石譲 『WORKS I』 JOE meets 3 DIRECTORS

久石譲 『THE BEST OF CINEMA MUSIC』

久石譲 『The Best of Cinema Music』

 

紅の豚 Il porco rosso ~ Madness
「久石譲 in 武道館 ~宮崎アニメと共に歩んだ25年間~」(2008)を彷彿とさせます。今回は映画でも印象的な2曲をメドレー構成にて。「il porco rosso」(帰らざる日々)は、なかなか披露される機会の少ない名曲。武道館ではピアノと金管アンサンブルにドラムも加わった大人なセッションでした。今回は雰囲気はジャジーなままに弦楽も加わりよりエレガントな装いに。久石譲によるピアノもたっぷり堪能。「Madness」は、コンサート人気曲ながら実はここ直近のコンサートでは遠ざかっていた定番曲。久しぶりの登場で疾走感も最高潮、やはり盛り上がる作品です。『紅の豚』における代表的な2曲ですが、今回の「交響詩ナウシカ2015」から始まった交響組曲シリーズ。『紅の豚』はどんな楽曲が組み込まれて、いつ花開くのか。今から待ち遠しいかぎりです。

[参考作品]

久石譲 in 武道館 ~宮崎アニメと共に歩んだ25年間~ DVD

久石譲 『久石譲 in 武道館 ~宮崎アニメと共に歩んだ25年間~ 』

 

Dream More
まさかの蔵出し初お披露目、曲名も本邦初公開だったのでは「Dream More」、しかもフルバージョン。一聴程度では語るにふさわしくありませんが、とにかくオシャレで上品という印象。CMでも聴くことのできるあの旋律が、多重奏、いろいろなオーケストラ楽器によって奏でられ、中間部も構成された作品に。しっとり聴かせるヴァイオリン・ソロまで、テンポも緩急ありの、キラキラと輝くような色彩豊かな夢見心地。軽やかなんだけれど、軽くはない、やはりメロディの力と構成の巧みさ。心踊るようで、ノスタルジックに酔いしれるような。いろいろな表情をもった楽曲になっていました。サントリー伊右衛門CM曲「Oriental Wind」につづいて、この楽曲も定着しさらにいろいろなCMバージョンも聴いてみたい逸品。もちろん本コンサート版はぜひCD作品化してほしい、華やかにシンフォニー・ドレスアップされた作品に。

 

—–アンコール—–

Your Story 2015
今年のW.D.O.を象徴する編成ともいえるカウンターテナーの歌声。そしてアンコールでも再登場しての映画『悪人』より本ナンバー。久石譲のピアノとカウンターテナーでしっとりと始まり、オーケストラが寄り添うように重なりあうまさに鎮魂歌。2011年、「東日本大震災チャリティー・コンサート」でも披露された楽曲であることを考えると、久石譲が本編だけでなくアンコールにおいても一貫して「祈り」をテーマにしていたことをうかがわせます。戦後70年というだけでなく、東日本大震災も念頭に、”忘れてはいけない「戦争」「震災」”、そんなことを伝えたかったストーリーだったのではないでしょうか。

[参考作品]

久石譲 『THE BEST OF CINEMA MUSIC』

久石譲 『The Best of Cinema Music』

 

Word Dreams
W.D.O.名義のコンサートでこの楽曲をやらないわけにはいかないでしょう、ということで。また今年は合唱編成あり公演となった大阪・東京では、なんとこの楽曲も合唱版として披露!過去に歌詞をつけたバージョンとして初お披露目されたのは「西本願寺音舞台」(2011)だったと思うのですが、それ以来ではないでしょうか。この楽曲も当初はワールド・ドリーム・オーケストラのアンセムとして書き下ろされたものですが、その後久石譲の想いとともに位置づけが変化していっているのかなと思います。だからこそ2011年東日本大震災と同年に誕生した合唱版を本公演にてふたたび。WDOの序曲という位置づけから、”未来への希望・夢”を託した作品へと、変化の兆しがうかがえる楽曲です。冒頭のイントロが終わったあと、さりげなくオリジナル版とは異なる転調をしています。合唱編成のためのキー(音程)に合わせているものと思われます。歌詞は麻衣さんが担当していますが、歌詞そのものは公になっていない作品です。

 

2004年W.D.O.発足当時の久石譲インタビューを読み返しても、時代を超えて色褪せない言葉や想いがそこにはありました。

「今、世界のシステムが壊れかけている。それを目の当たりにしながら、いったい自分は何ができるのだろうかと思う。僕は作曲なのだから、音楽を通して「人間って何なんだ」ということを自分なりに考えていくしかないだろう。若いころはもっと違うことを考えていたと思うけれど、音楽は何ができるのかということを、作曲家として今は一番やらなければならないと思う。」

「長く僕のコンサートに来てくれている人達は、毎回、僕が変わっていくことで、活動の姿を確認しているのだと思う。だからこそ評価は厳しい。このワールド・ドリーム・オーケストラも、居心地のいい、ちょっとセレブな時間を過ごすところ、では決してない。それはプログラム自体がすでに表現している。演奏する側も必死でやるから、聴く側もしっかり味わってくれ、と、そういう関係を築きたい。そこに手応えを感じたお客さんは、きっとまた来年も来てくれるだろう。そして僕達は、またガラッと変わる。」

Blog. 「World Dream Orchestra 2004」 コンサート・パンフレットより

[参考作品]

久石譲 『WORLD DREAMS』

久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ 『WORLD DREAMS』

 

 

2014年に3年ぶりの復活を果たしたW.D.O.。その勢いのまま迎えた今年、流れを継承しつつも、「鎮魂」から「祈り」へと一歩推し進めたW.D.O.2015。同時に昨年とは異なり久石譲作品だけでテーマを完結させた今年は、とりわけ並々ならぬ想いがあったのではないかと思っています。

久石譲の芸術性が深く刻まれた第1部から、大衆性をさらに進化させて解き放たれた第2部、そしてアンコールをふくめて一貫した大きなテーマと流れ。久石譲の”今”を色濃く反映するカタチとなってきた「久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ」。来年以降はどんな”旬な久石譲音楽”を聴かせてくれるのか。

久石譲コンサート 2015-

 

まだまだ興奮冷めやらぬ感じですが、昨年のW.D.O.2014のようにCD化はあるのでしょうか!?(『WORKS IV』)ぜひより多くの人が聴くことができるように、CD作品化やNHKなどの地上波でのコンサート模様を観たいところですが、ひとまず9月23日放送決定のWOWOW LIVEを心待ちにしましょう。

下記、コンサート・パンフレットからの、久石譲インタビューもぜひご覧ください。

久石譲公式Facebookでは、早くも東京公演や、最終日の仙台公演の模様がアップされています。

 

Related page:

 

久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ2015パンフレット

 

Blog. 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2015」 コンサート・パンフレットより

Posted on 2015/8/14

Blog. 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2015」 コンサート・レポート にて公演詳細、演奏プログラム、アンコール、楽曲解説は公開しています。

ここでは同コンサート公式パンフレットより、久石譲のインタビュー内容をご紹介します。上述楽曲解説は前島秀国さんの筆によるものですが、このインタビューでは久石譲による各楽曲のことが語られており、あわせて読むとより深く味わうことができます。

 

 

INTERVEW

-久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ(W.D.O.)として8年ぶりの全国ツアーがいよいよスタートします。今回はプログラムの前半を中心に「祈り」をテーマにしていますがその理由は?

久石:
今年で終戦から70周年を迎えますが、僕は今の時代を”戦前”だと感じているところがあります。言い換えれば今は日本人として足元を見つめなきゃいけない時。そういう状況を踏まえたとき、祈りをテーマにしたいと思いました。21世紀に入ってからも世界中でいろんなことが起こっていますが、その根源として、互いの違いを際立たせている状況がすごく気になっています。違いを見出すことでお互いをより認め合うのではなく、距離を置き、時には憎しみ合ってしまっている。

-その思いを反映するかのように1曲目は《祈りのうた》。

久石:
毎年正月、三鷹の森ジブリ美術館で使うために宮崎(駿)さんに曲を贈っているのですが、今年出来たのがこれだったんです。昨年、ヘンリク・グレツキやアルヴォ・ペルトに代表されるような教会旋法を使ったホーリー・ミニマリズムを演奏してきた影響もあり、シンプルでありながらエモーショナルであることを追求したくなっていたんです。人間は前進しようとするとより複雑なものを求めがちですが、あえてシンプルにいきたかった。そうして出来上がったら自然と《祈りのうた》というタイトルが浮かびました。

-次に演奏する《The End of the World》は2008年に初めて発表したものを進化させ、楽章を増やしていますね。

久石:
この曲を作った直接的なきっかけは2001年に起こったアメリカ同時多発テロです。ニューヨークの世界貿易センタービルに飛行機が突っ込んだ映像をずっと自分の中で引きずっていて、グラウンド・ゼロを訪れたりする中で確実に世界の有り様が変わったのを感じていました。それが今に通じているところがあると思い、今回のツアーで演奏しようと思ったわけですが、もともとの3楽章に加え、さらに深いところに入っていけるような《D.e.a.d》という楽章を加えました。以前書いた《DEAD for Strings , Perc. , Harp and Piano》という組曲が《The End of the World》と通じる部分があったので、《DEAD》の第2楽章の弦楽曲をもとに新たに楽章を加え、全体を再構築しました。

-《The End of the World》は冒頭から鳴る鐘の音が印象的です。

久石:
鐘の音はまさに警鐘を意味しています。全楽章であのフレーズを通奏していますが、象徴しているのはいわば”地上の音”。それに対して入ってくる声は、人間を俯瞰で見るような目線です。地上にいる人間の業に対し、遠くから「どうなっていくんだろう」という問いかけをしているんです。

-前半の最後にはスキータ・デイヴィスのヒット曲でもある同名曲《The End of the World》も登場します。

久石:
この曲が最後にくることによって《The End of the World》を全部で5楽章と捉えられるような構成にしたいと思いました。”あなたがいなければ世界が終わる”というラブソングですが、”あなた”を”あなたたち”と解釈することもできて、そう考えるとこれは人類に対するラブソングでもある。だからといってそこにあるのは救いじゃないかもしれない。冒頭で示した鐘の音による旋律も入ってくるし、不協和音も漂っている。それをどう感じてもらえるかがポイントになってくると思います。

-後半は20分にわたる《Symphonic Poem “NAUSICCÄ” 2015》から始まります。

久石:
オーケストラでのコンサートをずいぶんやってきましたが、映画音楽を演奏しようとすると一部分になってしまうことが多かったので、大きな作品として聴いてもらえるものを作りたいという思いがずっとありました。「風の谷のナウシカ」の組曲は以前に「WORKS I」というアルバムを作った時に、ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団の演奏で録音したバージョンがあったのですが、それをベースに映画で使われているものを継承しながらさらにスケールアップさせようと思って取り組みました。ただ、いざやり始めてみると大変。映画自体が破壊と再生というテーマを持っていて、前半のプログラムと通じているところが多く、精神的に苦労しました。

これを機会に宮崎さんの作品を交響組曲として表現していくプロジェクトを始められたらと思っています。世界中のオーケストラから演奏したいという要望もありますし、今後続けられれば嬉しい。ただ、僕は毎回のコンサートを「これが最後」という気持ちで臨んでいるので、今回きちんと成功してやっと次が見えてくるんだと思います。

-その後プログラムは《il porco rosso》~《Madness》から《Dream More》と続きます。

久石:
《il porco rosso》~《Madness》も含めて、前半と後半で別のアプローチのように見えますが、コンサートとして聴いたときに一つの流れがあって、そのテーマの中で楽しんでもらうということをすごく大切に考えています。重いテーマであっても、音楽を聴きに来た満足感というのはとても大事にしたいと思っています。《Dream More》はもともとCM曲ですが、最近の僕の傾向を反映してソリッドな作りのオーケストラ曲になりました。演奏が難しい曲ですが、今からどうなるか楽しみですね。

-いつもこのコンサートでやる《World Dreams》がプログラムに見当たらないですね。

久石:
そうなんです。もしかしたら、とだけ言っておきます(笑)

-今回は8月6日「原爆の日」に広島での公演もあります。

久石:
広島は日本にとっても世界にとっても平和の原点(中心)になる場所。そして平和になるために我々は哲学が必要です。昨年のW.D.O.で鎮魂をテーマにペンデレツキの《広島の犠牲者に捧げる哀歌》を演奏しましたが、空襲を想起させるような激しい曲でした。今回はもっと心の問題として捉えたいと思い、祈りをテーマにしています。戦後70年、広島は少なくとも経済的な面では飛躍的に復興したかもしれません。ビルもたくさん建った。しかし、人の気持ちはそれについていっているのだろうかという思いがあります。人間を取り巻く”形”をいくら進化させても、その精神は昔から良くも悪くも人類は進化していないはずです。最終日は東日本大震災から復興の途にある仙台でもコンサートをやります。中途半端に「大変ですね」と投げかけるのではなく、特別な思いを抱えながらもっと普通に接するような気持ちで臨みたい。今年ツアーを始めるにあたって、メモを記したんです。それは《The End of the World》の第3楽章の元になっていますが、内容は「私の幸せはあなたの幸せ あなたの幸せは私の幸せ 私の悲しみはあなたの悲しみ あなたの悲しみは私の悲しみ」というフレーズ。そういうコンサートになれば嬉しいですね。

2015.7.25 ワンダーシティにて 聞き手:依田謙一

(「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2015」 コンサート・パンフレットより)

 

 

2014年に3年ぶりの復活を果たしたW.D.O.。その流れを継承しつつも、「鎮魂」から「祈り」へと一歩推し進めたW.D.O.2015。同時に昨年とは異なり久石譲作品だけでテーマを完結させた今回は、とりわけ並々ならぬ想いがあったのではないかと思っています。

久石譲の芸術性が深く刻まれた第1部から、大衆性をさらに進化させて解き放たれた第2部、そしてアンコールをふくめて一貫した大きなテーマと流れ。

来年以降の久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラは開催されるのか?現時点では未知数ですが、期待が膨らまずにはいられない、そんな「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2015」でした。

 

下記、コンサート・レポートもぜひご参照ください。

9月23日 WOWOWでのコンサート放送は必見!必聴です!

 

 

Related page:

 

久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ2015パンフレット

 

Blog. 「クラシック プレミアム 41 ~リヒャルト・シュトラウス~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/7/29

クラシックプレミアム第41巻は、リヒャルト・シュトラウスです。

 

【収録曲】
交響詩 《ツァラトゥストラはかく語りき》 作品30
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1983年

交響詩 《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》 作品28
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1972年

交響詩 《ドン・ファン》 作品20
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1973年

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第40回は、
譜面の発達 - ポリフォニー音楽の時代

今回もとても難しい講義でした。何度も読みながら少しずつ理解できていくのかなという印象です。

一部抜粋してご紹介します。

 

「前回書いたピエール・ド・ラ・リューという人がポリフォニー音楽を創始したわけではない。その時代には何百、何千人(あるいはもっと大勢か)の作曲家が存在し、時代の潮流として多発的に新しい方法論としてポリフォニー音楽に行き着いた。しかもそれはある日突然始まったものではなく、前後100年くらいの糊しろ、重複期間があった。つまりポリフォニーとかバロック時代という時代区分は後付けでしているだけで、どの時代にも先進的な方法をとる人も、ブラームスのような前からの方法論に固執する人もいてはっきり特定することはできない。ポリフォニー音楽はだいたい中世~ルネサンス時代に盛んだったとされているが、実際にはもっと前にそういう方法で書いていた人がいてもおかしくない。それどころか紀元前の古代ギリシャには和音があったというのだから、モノフォニー(単旋律の音楽)の時代が本当に単旋律だったかどうかさえわからなくなってくる。」

「ついでにいうとグレゴリオ聖歌も、ある旋法に即して作られたものではない。後の時代に研究者がたくさんのメロディーを分析し、ドリア、ヒポドリア旋法などに分類したにすぎない。だからどの旋法にも当てはまらない聖歌は多数存在する。つまりはっきりした音源なり、譜面がないから歴史的資料を踏まえた推定なのである。ここで重要なことは「理論は後からついてくる」ということである。これは覚えておいてほしい。」

「さてポリフォニー音楽は即興的に演奏するのでは成立しない。なんらかの意図を持っていくつものパターンを吟味し、精査し、音を選んでいかなければならない。つまり作曲である。作曲は頭の中だけではできない。構想を練ることはできるが、吟味精査は無理である。ではなぜ可能になったのか? 譜面の発達である。」

「モノフォニー音楽の時代は言葉だけ、あるいは言葉の上下に波のような曲線がまるで小節回しのように書いてあるだけだったが、徐々に横に線が数本引かれ、音符のような黒い物体が音程らしきメロディーの起伏にそって置かれるようになった。後のネウマ譜(グレゴリオ聖歌の記譜法)である。この段階ではまだ4線譜面なのだが、譜面はさらなる進化を遂げていく。そうすると音楽は視覚化され、さまざまな組み合わせを考えるようになる。そして即興的なものと作曲は別のものになり、作曲家が誕生したわけだが、もちろん専業というわけではない。」

「実際、クリスマス・ミサ曲《幼子が生まれた》のオリジナル(というのもはっきりしているわけではないが)は4線譜なのだが、先ほどのラ・リューの残した同曲中〈キリエ〉のテノール・パートの譜面は5線譜になっており、小節線こそないが音程や音の長さははっきりわかる。つまり400~500年かけて表記が発達し、音楽の精度が向上していった。」

「ここはまったく個人的な考えなのだが、ポリフォニー音楽の原点は繰り返す、ということにあったと思っている。つまりカノン(輪唱)だ。人があるフレーズを歌ったとする。それを聞いて遅れて同じフレーズを他の人が歌う。また新たなフレーズが歌われた、それをまた真似て歌う。最もシンプルなポリフォニー音楽だが、同時にこれは世界中の民謡や、祭事の音楽の原点でもある。この繰り返す、ということが今日のミニマル音楽に繋がると言ってしまうと手前味噌か(笑)。」

「ついでにいうと繰り返すのではなく、一つの旋律を複数の声部が歌いながらズレていき、多声部化する音楽がある。日本の声明(しょうみょう)や民族音楽に多く見られるのだが、これはヘテロフォニーといってポリフォニー音楽とは別のものだ。」

「とにかく、このカノンは後のハーモニー(ホモフォニー)時代でも、モーツァルトの交響曲第41番《ジュピター》の第4楽章を持ち出すまでもなく、多くの作曲家が技法の一つとして使用し、十二音音楽のウェーベルンの後期作品でもかなり重要な要素になるのだが、話を戻そう。」

「最初はただ遅れて繰り返していたのだが、そのうち言葉の問題などもあり、音程やリズムが微妙に変化していった。やがてそれらは独立した別の声部として歌われるようになった。もちろんそれはネウマ譜によって記録されていくのだが、この単体から複数になることはものを考える上で大変重要だ。」

「つまり一つのものを提示されたとき、人はそれを受け入れるか否か、あるいは興味の対象外かの反応しかない。要するに好きか嫌いか無関心である。だが、2つ提示されるとそれぞれの関係性や意味などを考えなければならない。そこに、あーなればこうなる、といった論理性が生まれる。論理は時間軸の上で成り立つがそれを俯瞰するためにも空間的な視点が必要だ。いや、逆か。ポリフォニー音楽という立体的(空間的)表現をするためにも、譜面という時間軸を基準とした書き物でその因果関係を確かめる……なんだか難しくなってきた。続きは次回で。」

注)
ポリフォニー音楽:複数の声部が独立して動く音楽。
ホモフォニー:主旋律の声部と伴奏の和音をなす声部からなる音楽形態。

 

 

とても難しく、頭の中が聞きなれない言葉でグルグル回っています。モノフォニー…ポリフォニー…ホモフォニー…さらにはヘテロフォニー…??

実際に「この曲はポリフォニーです。これはヘテロフォニーです。」などと、音楽を例に聞きながらではないと違いがいまいち楽典だけではわかりません。そして読み進めながら気になった箇所(ばかりではありますが)が、

「ついでにいうと繰り返すのではなく、一つの旋律を複数の声部が歌いながらズレていき、多声部化する音楽がある。日本の声明や民族音楽に多く見られるのだが、これはヘテロフォニーといってポリフォニー音楽とは別のものだ。」

 

今回の内容をさらに一層奥深く難しくする箇所だったのですが。これを読みながら浮かんだのが、『かぐや姫の物語 ~女声三部合唱のための~』という楽曲です。詳しい曲解説は、ディスコグラフィーをご覧いただくとして。

Disc. 久石譲・高畑勲 『かぐや姫の物語 ~女声三部合唱のための~』

かぐや姫の物語 ~女声三部合唱のための~

 

楽曲レビューには、「まさに日本語による”ミニマル合唱” “ミニマルコーラス” “ミニマルクワイア”という新しい息吹きが吹きこまれた楽曲である。」なんて書いていたのですが。この楽曲はミニマル手法が施された楽曲であることは間違いありません。

そのうえで、上のエッセイ内容に照らしあわせたときに、この曲はポリフォニーの分類されるのか、はたまたヘテロフォニーなのか。。。そんなことを悶々と考えておりました。

 

映画『かぐや姫の分類』の公開から1年後に新たに誕生した合唱版。そのいきさつや想いも語られていない作品ではありますが、ぜひ楽典的にもどういうアプローチをした作品だったのか、そんなことを久石譲ご本人からいつの日か聞ける日を夢見て。

 

クラシックプレミアム 41 リヒャルト・シュトラウス

 

Blog. 「クラシック プレミアム 40 ~シューベルト2~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/7/15

クラシックプレミアム第40巻は、シューベルト2です。

第10巻にて、シューベルト1として、交響曲 第7番 《未完成》 第8番 《ザ・グレイト》が収録されていました。今号では歌曲集となっています。

 

【収録曲】
ピアノ五重奏曲 イ長調 D667 《ます》
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)
ボロディン弦楽四重奏団団員
ゲオルク・ヘルトナーゲル(コントラバス)
録音/1980年

歌曲 《魔王》 D328
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)
録音/1958年

歌曲集 《美しい水車屋の娘》 D795 より
〈さすらい〉 〈小川の子守歌〉
イアン・ボストリッジ(テノール)
内田光子(ピアノ)
録音/2003年

歌曲集 《冬の旅》 D911 より 〈菩堤樹〉 〈あふれる涙〉
歌曲集 《白鳥の歌》 D957 より 〈セレナード〉
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)
録音/1962年

歌曲 《野ばら》 D257
イアン・ボストリッジ(テノール)
ジュリアス・ドレイク(ピアノ)
録音/1962年

歌曲 《アヴェ・マリア(エレンの歌 第3)》 D839
バーバラ・ボニー(ソプラノ)
ジェフリー・パーソンズ(ピアノ)
録音/1994年

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第39回は、
音楽の始まり - 古代ギリシャからグレゴリオ聖歌へ

前号では、「倍音」に関する中身の濃い講義のような内容でした。今号では音楽の起源までさかのぼって綴られています。そして久しぶりの近況報告もあり。今久石譲が何をしているのか、今後お披露目されるであろう水面下の制作。エッセイならではの久石譲活動をのぞけてうれしい限りです。

一部抜粋してご紹介します。

 

「音楽はいつ、どこで始まったのか? そしてどう進化し続けるのだろうか? 未来の音楽は? そんなことばかり考えていると何もできなくなるから、とりあえず目先の作曲に専念する。」

「今書いているのは秋に初演するエレクトリックヴァイオリンと室内オーケストラの作品で、約25分の長さの僕にとっては大作なのだが、そのスケッチはできた。これから夏のW.D.O.(ワールド・ドリーム・オーケストラ。あと1ヶ月半しかないのだが1ヶ月前には譜面を渡したいから実質半月!)の演目の仕上げをして、その後、コントラバス協奏曲のスケッチを書かなければならない。その間に他の仕事もするから、エレクトリックヴァイオリンの仕上げは夏の終わりか秋口か……やれやれ。」

「話を戻して、音楽は人類が始まってからずっと人々の身近にあった。例えば生まれたばかりの赤ん坊が音に関心を示すだけではなく、音楽にも敏感に反応することから、DNAのどこかに音楽的シナプスが組み込まれているのではないかとさえ思える。つまり音楽は人間にとってあるべき自然なものなのだ。」

「その音楽の起源はわからない。が、古代の遺跡などから人間との関わりを推察することはできる。例えば歌っている人のレリーフだったり、笛や太鼓、ハープなどの楽器が発見されたり、壁画、あるいは象形文字などで音楽を演奏する記述が残っている。はるか昔、紀元前3500年頃のメソポタミア、古代エジプトなど、それぞれの時代に彼らがどんな音楽を演奏していたのか? 実際の音は残っていないからわからないのだが、想像するだけで楽しい。」

「だが、古代ギリシャに関しては、西洋文明の発祥の地でもあり、音楽が盛んだったと言われている。音階やリズム、そして和音まであって音楽が理論化されていたらしい。実際デルポイにある石碑に、当時の楽曲がギリシャ文字とギリシャの音楽記号で書かれているものが発見されている。またピタゴラスやプラトンなどの哲学者は、宇宙の調和の根本として音楽を研究していた。特にプラトンの音楽に関する考えは今日の音楽状況に対しても通用する鋭い啓示になっているのだが、これはいつかまとめて書きたい。なぜそこまで知っているか、あるいはこだわるかと言えば、実は映画の監督をすることになったとき、プラトンの考えを題材にするために調べたからである。」

「グレゴリオ聖歌は単旋律(モノフォニー)、つまり一つのメロディーを独唱したり斉唱したりするのだが、前回書いた倍音から導かれた音階は、ここで教会施法という形になった。この音階と施法は混同しがちなのだが、音階は倍音に基づいた音のステップ、あるいは階段で、施法は中心音などそれぞれ役割を持った音の順列だ。あれ、ややこしくなってきた。音階というとハーモニー理論が確立された後の長音階や単音階だと思われる方も多いと思うが、そうではない。半音階もあれば、全音階もある。詳しく知りたい人はインターネットや音楽理論書を読んで下さい、ますますわからなくなるかも知れないけど(笑)。」

「この協会施法にはドリア、ヒポドリア、フリギア施法などあるのだが、これは講義ではないから割愛する。」

「さて一般の生活の中にも音楽はたくさんあった。結婚式から葬儀、演劇や人々が集い踊るときの舞曲、フォークソング(民謡)など社会的な活動と密接に繋がっていた。そしてその音楽は単旋律、もしくはそれにリズムがつく程度だったのではないかと考えられる。音楽を伝える楽譜はまだ無く、多くは口伝であり、定形の言葉はあるが多分に即興的な要素が強く、人々が持ち寄った笛や太鼓がこれも即興的に色を添える。そう、この時代、音楽は即興的なものが主流だった。」

「さて、グレゴリオ聖歌にクリスマス・ミサ曲《幼子が生まれた》という曲がある。おそらく最も古い聖歌お一つだと思われる。とてもシンプルで厳かな曲だ。もちろん単旋律なのだが、15世紀の後半、ピエール・ド・ラ・リューというフランドルの作曲家が同じ曲を多声部の音楽として作曲した。本当に心が洗われる美しい響きの曲だ。時はルネサンス、ポリフォニー音楽の時代が来たのである。」

 

 

さて、クラシックプレミアムも全50巻、このエッセイ連載も残すところあと10回ほど。ということで音楽の始まりから、歴史を追うように、順序だててクライマックスへと筆が向うのかな、そんな印象です。

そして冒頭の久石譲近況報告!

「今書いているのは秋に初演するエレクトリックヴァイオリンと室内オーケストラの作品で、約25分の長さの僕にとっては大作なのだが、そのスケッチはできた。これから夏のW.D.O.(ワールド・ドリーム・オーケストラ。あと1ヶ月半しかないのだが1ヶ月前には譜面を渡したいから実質半月!)の演目の仕上げをして、その後、コントラバス協奏曲のスケッチを書かなければならない。その間に他の仕事もするから、エレクトリックヴァイオリンの仕上げは夏の終わりか秋口か……やれやれ。」

【8月のW.D.O.コンサートツアー】
なるほどまだオーケストレーションが終わっていないのか(エッセイ執筆時)

【エレクトリックヴァイオリンと室内オーケストラ作品】
9月開催予定の「久石譲プレゼンツ ミュージック・フューチャー Vol.2」にて久石譲待望の新作にして世界初演の「室内交響曲」が演奏プログラムに入っているのですが、まさにそのことでしょうか。エレクトリックヴァイオリンといえば、同コンサート企画Vol.1にて、ニコ・ミューリー作曲:《Seeing Is Believing》という楽曲を取り上げています。6弦エレクトリック・ヴァイオリンによる協奏曲作品です。それを経て、Vol.2では自らの新作にエレクトリック・ヴァイオリンをフィーチャーした室内オーケストラ作品…楽しみですね!

【コントラバス協奏曲】
これはまさに未知の情報です。なにかの委嘱でしょうか?コントラバスとはまた珍しい楽器編成だなと思います。これに関しては新しい情報を待つのみですね。それにしても8月発売予定、待望のオリジナル・アルバム「ミニマリズム2」しかり室内楽の響きがこれから続きそうな予感です。

 

 

クラシックプレミアム 40 シューベルト2

 

Blog. 「クラシック プレミアム 39 ~ドビュッシー~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/7/5

クラシックプレミアム第39巻は、ドビュッシーです。

 

【収録曲】
交響詩 《海》 - 3つの交響的素描
ジャン・マルティノン指揮
フランス国立放送管弦楽団
録音/1973年

《牧神の午後への前奏曲》
アラン・マリオン(フルート・ソロ)
ジャン・マルティノン指揮
フランス国立放送管弦楽団
録音/1973年

《夜想曲》
ジャン・マルティノン指揮
フランス国立放送管弦楽団・合唱団
録音/1973年

《映像》
第1集より 第1曲 〈水の反映〉、第3曲〈動き〉
第2集より 第2曲 〈荒れた寺にかかる月〉、第3曲〈金色の魚〉
ミシェル・ベロフ(ピアノ)
録音/1970~71年

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第38回は、
音楽の進化 - 倍音の発見

今回の講義、いやエッセイは難しかったですね。国立音楽大学でも定期的に講義を行っている久石譲ならでは。ある種そういう話がこのエッセイで聞けることは贅沢です。

一部抜粋してご紹介します。

 

「アントン・ウェーベルンは自身の講義で「あらゆる芸術は、それゆえ音楽も、合法則性に基づいている」と述べている。そしてゲーテの『色彩論』を引用しながら「自然科学者が自然の基礎となっている合法則性を見つけようと努めるように、私たちはそのもとで自然が人間という特別な形で生産的であるところの法則を見つけようと努力する」と語っている。そしてここが最も重要なところだが、「音楽は耳の感覚にかんする合法則的な自然である」と結論づける。」

「ではその合法則的な自然とは何か? そのことを僕たちが日頃接する音楽と照らし合わせながら「音楽の進化」を一緒に考えていこうと思う。」

「まず音の問題。音とは空気の振動である。もう少し厳密にいうと、空気の圧力の平均(大気圧)より高い部分と低い部分ができて、それが波(音波)として伝わっていく現象である(『音のなんでも小事典』日本音響学会編)。まあ太鼓を叩くとそれが振動し、周りの空気も振動し、それが我々に伝わるということだ。」

「そして楽音を含め自然界の音はすべて倍音というものを持っている。それも限りが無いくらい。」

「では実験。今あなたはピアノの前に座っている。ちょうどおへその辺りにあるドの鍵盤を右手で音が出ないように静かに押さえる。そしてオクターヴ低いドの音を左手で強く弾いて、あるいは叩いてみよう。すると、あら不思議!強くて低いドの音が消えた後に弾いていない上のドの音がエコーのように聞こえるではないか!これは下のドの音に含まれている倍音と上のドの音が共鳴したために起こることである。つまり下のドの音には、第2倍音としてのオクターヴ上のドの音、第3倍音のオクターヴと5度上のソなど、限りなく色々な音が鳴っているのだ。もちろん上に行くほど音は小さくなり音程の幅も小さくなる。」

「実は人類はこの倍音を長い年月をかけながら発見していくのだ。例えば真ん中のドの音を男の人と女の人がユニゾンで歌うと、この段階でもうオクターヴ違うのであり、先ほどの第2倍音の音を歌ったことになる。これは整数比で1対2だ。そして500年くらいかけて(という人もいるが定かではない)人類は第3倍音であるソを発見する(整数比で2対3)。」

「このように人類は次々に倍音を発見していくのだが、第8倍音辺りまで見ていくとこれはコードネームでいうC7(ド・ミ・ソ・シ♭)ということになる。だが実際は第7倍音のシ♭はそれよりも低くてちょうどラとシ♭の間くらいが本来の倍音音程である。」

「ここから面白いことが起こる。西洋社会はこれをシ♭と解釈して今日の西洋音楽を築き、例えばアフリカやアジア、日本などはラととらえてきた。ドミソラ、つまり五音音階の原型である。「ソーミラソーミ、ソーミラソーミ」のフレーズはアフリカにもアジアにも日本、南米にもある最もポピュラーなフレーズなのだが、これほど倍音の理にかなっているものはない。このことをもっと知りたい人はレナード・バーンスタインによるハーヴァード大学の講義DVD(『答えのない質問』)をご覧あれ。」

「またこのことは純正律、平均律の問題も絡んでいるのだが、今回はパス、近々に触れる。なんだか講義のようになってきた(実際に国立音楽大学の作曲科の学生に倍音を元にして作曲をする課題を出したこともある)。」

「さてこのように人類は倍音を発見してきたのだが、特に重要なのはドとソの5度音程だ(完全5度という)。これはあまりにも響きが共鳴しすぎてかえって硬く聞こえる。が、この完全5度はあらゆる音楽の基本になるのだが、日本では4度が基本だ。これもまたいつか触れるが、ドとソが表の5度だとすると、ドと下の5度、すなわち裏5度のファが発見された段階で、あるいは人類が聞こえた段階で(長い年月がかかったのは言うまでもない)、このトライアングルは鉄板の音楽基礎を作った。それぞれの倍音を総合すると音階の7つの音がすべて含まれている。」

「この段階まで人類はなんの作為も無く、音楽はウェーベルンのいう合法則的な自然であった。」

 

 

うーん、かなり突っ込んだ講義でした。「倍音」がキーワードになっていた今号のお話ですが、結構この話題に関しては日常的にも取り上げられたりしています。

それぞれ人の声にもこの倍音というものがあります。それがその人の声質や特徴となっています。倍音には大きく整数次倍音と非整数次倍音の2種類があります。

【整数次倍音】
整数次倍音とは2分の1、3分の1、4分の1という整数の波長を持つ音のこと。声や、弦楽器や管楽器の音の中に、自然に含まれているもの。

「整数次倍音」を聞くと、荘厳な雰囲気を感じたり、自然を超えたもの、普遍性、宇宙的なもの神々しさ、宗教性を感じる傾向があるよう。

声:タモリ 黒柳徹子
歌手:美空ひばり 稲葉浩志 浜崎あゆみ

 

【非整数次倍音】
音の振動が均一ではなく様々な長さの振動が折り重なっている音。ギターの弦をこすったときのギーッという音、雨、風の音、虫の鳴き声など自然の音など。

「非整数次倍音」にはガサガサとした雑音が混じり、人間の感情に訴えかけてくるのが特徴。非整数次倍音の声は親密性や情緒性に富んで、やさしい印象を与える。日本語においては「重要である」という意味を伝える印象。

声:ビートたけし 明石家さんま
歌手:森進一 桑田佳祐 宇多田ヒカル

 

倍音ダイアグラム

この表をみて興味ある方は下記コラムがとてもわかりやすく倍音解説されています。

参考:PRESIDENT online タモリ、黒柳徹子を人気司会者にした「整数次倍音」の秘密

 

 

まさに天性による天声と天職ということになるわけです。

ちょっと話はそれますが、シンセサイザーの登場によって、倍音を簡単に作り出せるようにもなりました。なので、歌手によっては、なんかエコーかかったように聴こえる、声を幾重にも重ねている(ユニゾン)、シーケンサーやサンプリングによって声を加工しています。

これによって天声として持っていない、または楽曲の世界観などのために意図的に倍音を作り出しているわけです。一昔前の小室ファミリーと呼ばれる歌手たちを想像するとわかりやすいかもしれません。もちろんあの特徴的で耳に強烈に残る小室哲哉自身のバックコーラスも小室サウンドの核ですが、それもまた数十にも声を重ねて作り出しているわけですね。

 

倍音は、このように日常生活にも知らずに触れ、溢れていて、それはビジネスやコミュニケーションの世界でも注目されています。そういった関連書籍もたくさんあります。一番わかりやすいのは、「あの人の声ってお経を聞いているみたいで眠くなる」これは整数次倍音の効果となるわけですが、プレゼンや講義など訴えかける場においてはマイナスに働いてしまう。

久石譲が真面目に音楽講義をしたなかで、あまりにも程度の低い余談となってしまいました。少しでも「倍音」を身近なものとして感じてもらえればなと思います。

 

 

最後に、音楽的な話を補足します。

ラヴェル「ボレロ」は、同じメロディーが楽器構成を変化させ、繰り返され徐々に盛り上がりクライマックスへむかう名曲です。この楽曲にも倍音効果を巧みに意図したオーケストレーションが施されているとなにかで読んだことがあります。

もちろん久石譲も自身のことは語っていないですが、おそらく倍音はかなり意識していると思います。そう考えると、作曲家としてどのような旋律と持続音・余韻音で…編曲家とし楽器編成やオーケストレーションによって……かなり緻密に論理的に計算された音楽が、空気にのって響いたときに、人に感動を与えていることか。唸る想いです。

どなたか専門的な方が、久石譲作品の「倍音」構造について、さまざまな楽曲を取り上げて解説していただけると、とてもありがたい!そういう結論に行き着いた今号の内容でした。

 

クラシックプレミアム 39 ドビュッシー

 

Blog. 「味の手帖 2015年6月号」 久石譲 対談内容

Posted on 2015/6/27

6月1日発売 「味の手帖」2015年6月号 巻頭対談

オリックス シニア・チェアマン宮内義彦氏のゲストとして久石譲が登場しています。対談風景を収めた写真もまじえながらの全16ページにも及ぶロングものとなっています。

音楽通同士の多彩な音楽話は、あらゆる角度・視点・時代背景から、興味深い音楽のお話が飛び交っています。久石譲も、常に語っているクラシック音楽のこと、自身が目指す「アーティメント」のことなど読み応え満点です。久石譲の今を知るというよりも、久石譲の音楽知識人としての顔も垣間見ることができます。

 

 

宮内義彦対談:
久石譲 《今の時代に必要な「現代の音楽」を届けたい》

久石 譲(作曲家・指揮者・ピアニスト)

音楽大学在学中よりミニマル・ミュージックに興味を持ち、現代音楽の作曲家として活動を始めた久石譲さん。現在は、作曲家・指揮者・ピアニストと、ジャンルにとらわれない独自のスタイルを確立し、国内外で活躍されている。先人たちが生み出したアートを未来へと繋げるために、今の時代に必要な「現代の音楽」を演奏していきたいと語る。

 

宮内:
ようこそおいでくださいました。

久石:
お招きいただきまして、ありがとうございます。

宮内:
以前、「オリックス劇場」と、そこに隣接するタワーマンションからなる街区「大阪ひびきの街」の素晴らしいテーマ曲を作っていただきまして、ありがとうございました。おかげさまでとても好評でした。

久石:
2012年、『Overture -序曲-』という曲でしたね。オリックス劇場でコンサートをやらせていただきましたが、公園があってホールがあって、あの辺りは文化的な一画になりましたね。あそこは、もとは大阪厚生年金会館でしたね。

宮内:
旧厚生年金会館の大ホールをリノベーションしたのです。当初はなくなる予定だったのですが、残して良かったと思っています。

久石:
とても雰囲気が良くなりました。

宮内:
久石さんは、長野のご出身でいらっしゃいますか。

久石:
はい。長野市から車で北に40~50分ほど行ったところにある中野市です。長野は鈴木鎮一さんのヴァイオリン教室が盛んでしたので、小さい時に少し習っていました。

宮内:
音楽はそこから始められたのですか。

久石:
そうです。

宮内:
学校は作曲科を出られたのですか。

久石:
国立音楽大学の作曲科でしたが、当時は、現代音楽の一番尖ったことに夢中になっており、大学のほうはあまり一生懸命行っていなかった気がします(笑)。

宮内:
現代音楽から入られて、映画音楽を含め、今やっておられる曲を考えると、ずいぶん飛躍されましたね。

久石:
自分はメロディーメーカーだと思ったことはなかったのです。大学を出てからも、しばらくは「ミニマル・ミュージック」(現代音楽の一ジャンルで、同じパターンの繰り返しから成る音楽)をずっとやっていたのですが、たまたま映画音楽はどうしてもメロディーが必要になりますから、必要に迫られてという感じなのです。

 

日本の交響楽団

宮内:
現代音楽でお金を稼ぐのは大変でしょう。

久石:
そうなのです。ですから、大学を出る時に大概の人は教職課程をとるのですが、僕はとりませんでした。最初からずっと、映画やテレビの仕事をやりたいと思っていたのです。ただ、20代の頃は本当に食べられませんでした。

例えば、一大学から作曲家が15人ぐらい出るとすると、音楽大学や教育大学、専門学校なども合わせて、全国で150~200人の作曲家が毎年出てくることになります。10年間で、1500~2000人です。フルート奏者も一大学で4、5人以上、時によっては10人卒業し、日本全国だと年間200人近い人が出るわけです。ところが、各オーケストラにフルート奏者は3、4人いますが、いったん入団すると、よほどのことがないかぎり定年までそのままいます。毎年200人近い人がどんどん出てくるけれども、就職場所がないのです。これは不思議ですよね。

宮内:
聞いた話によると、音楽大学を出た若い人のレベルはどんどん高くなっているのに、就職場所がないといいますね。

久石:
時代と共に技術は上がっていますから、若くて優秀な人は大勢います。ただ、やはり経験は必要ですから、例えば、一つのオーケストラにオーボエが三管編成で3人いるとすると、まずトップの人がいて、三番目のポジションに若い人が入って、だんだん実力を付けていく中で、中堅どころが音楽性をサポートしながら教えていく、こうした循環が一番うまくいくのではないでしょうか。

宮内さんは、「新日本フィルハーモニー交響楽団」の理事長をずっとなさっていますね。

宮内:
久石さんにも、いろいろお世話になっております(笑)。ありがとうございます。

私どものグループ会社にプロ野球のチームがありますでしょう。野球をやっている人はとても多いですが、プロ野球まできている人は本当のトップですよね。しかも一年契約で、今年駄目なら来年は使ってもらえないし、成績が良ければ給料は上がります。高い・安いは別としても、プロフェッショナルとして実力主義というのはなるほどと納得できるわけです。しかし、新日本フィルは一度入団すると定年制ですね。プロの世界がこれでいいのかなという感じはします。

久石:
毎日一緒に音を出していると、例えば「彼の音は浮いているね」とか、そういったことが自然に出てくることもある。でも、辞めてくださいとは言えないわけです。みんな一国一城の主で、高い技術を持った一人ずつの集団ですから、オーケストラを扱うのはとても難しい。そういった話はよく聞きます。

編集部:
海外のオーケストラには必ず日本人の方がいますね。コンクールで良い成績をおさめる日本人も多い気がしますが、日本人は器用なのでしょうか。

久石:
コンクールに受かるという目標を立てると、日本人は勤勉で練習もよくしますし、そこまでは非常に頑張るので、良い成績をとるのです。多くの場合、問題はその後です。本当は、どういう音楽をやっていくかという目標を立てて、その過程でコンクールを受けるべきなのです。ところが、コンクールに受かるという目標を立てて、達成した後に自分の音楽をやっていかなくてはならないわけですが、それがわからずにはたと立ち止まるというケースが非常に多い。日本の大学受験と同じですね。大学に入ることが目標になって、そこまでは頑張るのです。

この間、ヴァイオリニストの五嶋みどりさんとお会いした時に、二人でこんな話をしました。小学校の段階でベートーヴェンの『運命』やドヴォルザークの『新世界より』などを知っているのは日本人の子どもくらいで、日本の音楽教育はとてもレベルが高い。でも、これだけ早いうちに教育を受けているのに、その人たちがそのまま音楽を聴く層になっているのかというと、実はあまりなっていないと。継続しないのですね。

宮内:
確かにその通りですね。

久石:
宮内さんは、よくコンサートホールでお会いしますが、クラシックは昔からお好きなのですか。

宮内:
子どもの頃に合唱をやっていまして、その経験からだんだんクラシックを聴くようになったのです。

久石:
コンサートは年間どのくらい行っておられるのですか。

宮内:
割とよく行きます。今週は3回。少々行き過ぎですが(笑)、週に1回くらいは行きたいですね。

久石:
それはすごいです(笑)。

 

二時間のシンフォニー

宮内:
映画音楽というのは、映画がまだ完成していない時からお作りになるのですか。

久石:
同時進行です。まず脚本を読み、どういう世界観なのかを掴んで監督とお話をして、撮り終えたラッシュ(未編集の状態の映画のポジフィルム)をいくつか見せていただくのです。というのは、ドアを開けて入って椅子に座るという動作だけでも、それをさっと撮る方とじっくり撮る方と、監督によってテンポが違うのです。その監督のテンポや人柄、そして、その作品の中で監督が何をやりたいのかを考えながら曲を作っていきます。

映画は、最近は少し長くて二時間半ぐらいのものもありますが、基本的には二時間ですから、「二時間のシンフォニー」を書くつもりで作ります。音楽を入れるところも大切ですし、逆に音楽を抜くところも大切ですから、それを頭から最後までテーマがうまく構成されるように作るという方法をとっています。

宮内:
それを制作期限の間に考えながら作っていくわけですね。

久石:
締切はそんなに遠くないところにあります(笑)。曲を書きだすと永久に終わらないので、締切が命です。映画は公開日が決まっていますし、コンサートも公演日が決まっていますから、いついつまでに仕上げてくださいと言われて、そこまでになんとか漕ぎ着けます。締切日がないと、完成できませんね。モーツァルトもそうですし、作家はみんな同じだと思います。締切日もないのに書いたのは、シューベルトとプーランクくらいでしょうか。プーランクは日常作曲家のようなもので、気が向いたら書くというようなタイプで、シューベルトは、曲を書いては仲間うちのサロンで発表していたようです。

宮内:
モーツァルトにも締切日があったのですか。

久石:
発注を受けて書く、あるいは、後期はあまり恵まれていませんでしたから、自分で書いたものを売り込むとか、そういった状況だったようです。美術もみんなそうではないでしょうか。

ショスタコーヴィチやシェーンベルクも、映画音楽を手がけていますね。

宮内:
シェーンベルクの映画音楽もあるのですか。

久石:
はい。コンサートで聴いたことがありますが、こんなふうに書くのだなと思って、とても良かったです。視覚と音楽が結びついたオペラなど、いろいろなものはもともとあったわけですから、もう少し前の時代に映画という産業がきちんとあれば、ショパンやラフマニノフなどもみんな書いていたと思います。映画は二十世紀に入ってから発展したものなので、その時代の人は結構書いていますね。日本ですと、武満徹さん(1930~96)もたくさん書いていらっしゃいます。武満さんはメロディーメーカーだった気がします。現代音楽でも、間が東洋的といいますか、聴きやすくて、とても良い歌曲があります。

宮内:
映画音楽を作っていて、これはとても良くできたなというものを、クラシックの組曲にしたり、別の作品にされることもあるのですか。

久石:
これはいけるなと思うものは、後でオーケストラ曲に書き直すこともあります。

宮内:
作曲されるのは夜ですか。

久石:
僕は昼間に書きます。やはり、根が作曲家なので、一日の一番良い時間を作曲に使いたいのです。ですから、朝11時頃に起きて、起きてから2、3時間後が一番頭が冴えるので、昼の1時半~2時頃から始めて、夜の10時~0時頃までオフィスで作曲をして、その後自宅に帰って、明け方の4時、5時頃までクラシックの勉強をしています。それから寝ると、起きるのは必然的に11時ぐらいになりますね。そして、また昼の1時半とか2時頃から作曲をすると。今は書かなければならない作品がずいぶん溜まっています(笑)。

宮内:
作曲というのは孤独な作業ですね。

久石:
そうですね。クラシックの指揮をする場合、スコアは見た分だけ勉強になってはかどるのですが、作曲は良いアイデアが浮かばないとまったく何もできないです。

宮内:
ピアノで作曲されるのですか。

久石:
ピアノも使いますが、今は量をこなさなければならないので、コンピュータを使うほうが多いです。

宮内:
コンピュータでオーケストラの音が出るそうですね。その影響で、音楽家がずいぶん失業したという話を聞いたことがあります。

久石:
それはありますね。以前、シンセサイザーは2600万円ぐらいでした。僕もそうですが、年収よりもはるかに高いその楽器をなんとか手に入れて曲を作っていました。でも今は、そう高くない金額でコンピュータが手に入り、デジタルを使えばあまりお金をかけなくても音楽が作れますし、音質も悪くないのです。誰でも家で簡単にコンピュータで作ることができますから、そうした人たちの音楽がどんどん出てきて、エンターテインメントに関していうと、プロとアマのレベルの差がなくなってきています。CDが売れなくなったなど、今あるいろいろな問題も、そういった影響がとても大きいと思います。

 

「アーティメント」の実現

宮内:
クラシックファンは若い人が少なくて、年配の方が多いですね。

久石:
観客が高齢化しているのは事実ですが、僕のコンサートの場合は、宮崎駿監督作品の音楽をやらせていただいたこともあって、最近は20代、30代の方が多くなっています。オーケストラを聴くのは初めてだという方も結構来られるので、そういった方々がクラシックを聴くきっかけになればいいなと思います。

宮内:
クラシックファンの啓蒙という点で、久石さんは、新日本フィルと「ワールド・ドリーム・オーケストラ(W.D.O.)」を結成して指揮をされたり、素晴らしい活動をなさっていますね。

久石:
ありがとうございます。今年は、「W.D.O.」の8年ぶりの全国ツアーが決定しまして、8月に、東京(サントリーホール・すみだトリフォニーホール)・大阪・広島・名古屋・仙台の6カ所で公演をします。終戦七十周年となる今年は、「祈り」をテーマにしたオリジナルプログラム『The End of the World』 『祈りのうた』のほか、『風の谷のナウシカ』のオーケストラ組曲などの初披露曲を盛り込む予定です。「W.D.O.」は、クラシックだけではなく、ジャンルにとらわれず魅力ある作品を多くの方々に聴いていただこうという想いで、僕と新日本フィルが2004年に立ち上げたオーケストラで、こういった機会をいただけるのは大変ありがたいです。

僕は、「アーティメント」というものを広げていきたいと思っているのです。これは僕が考えた造語で、「アート」と「エンターテイメント」を組み合わせたものです。作曲家が世に生み出したアートを、神棚に上げないで日常化させてエンターテイメントにする「アーティメント」をオーケストラでも実現していきたいなと。

現代音楽でいうと、聴く機会もあまりないし、解釈が難しそうといったイメージが先行しがちですよね。でも、僕がやりたいのは、現代音楽ではなく、今の時代に必要な「現代の音楽」を演奏していきたいなと。クラシック音楽を古典芸能にして、そこに留まってしまうのではなく、過去から今に繋がって、ここから先の未来に行くためには「現代の音楽」を人々が聴くチャンスを作らなければなりません。ですから、僕が指揮をさせていただくクラシックのプログラムを作る時は、新しい曲を入れるようにしているのです。

宮内:
日本はクラシックとクラシック以外の音楽に画然たる区別がありますね。

久石:
ありがたいことに、僕は映画を含めエンターテイメントもやらせていただいていますので、クラシックとクラシック以外の音楽、それぞれの良いところとちょっと良くないかなというところの両面を客観的に観ることができます。ですから、その辺をうまく橋渡ししていけたらいいなと思っているのです。

 

味の手帖 久石譲

 

日本人に合う『第九』

宮内:
日本では、年末になると『第九』を聴きに行きますね。あれは日本独特のもので、海外にはないですよね(笑)。

久石:
おっしゃる通りです。あれは何なのでしょうね(笑)。『第九』はコーラスの方が100人ぐらいいますから、それぞれの家族や親戚だけで400~500人が聴きにくるでしょう。ですから、団員の餅代を稼ぐのが目的で始まったとも、一説ではいわれています。年を越して新しい年を迎えるための餅代を稼ぐには12月にこれをやるしかないということで始まったと。

もし、その話が本当で始まったとしても、これだけ定着するというのは何なのだろうなと思っていたのですが、自分で初めて『第九』を指揮した時にわかったのは、日本人のメンタリティーに合うのかなと。日本人というのは、耐えに耐えて待ったあげくのカタルシス(心の中に溜まっていた感情が解放され、気持が浄化されること)のようなものに非常に弱いのではないでしょうか。例えば、赤穂浪士もそうで、ずっと我慢して我慢して、最後に討ち入りをして日本人はほっとしますね。『第九』も、聴きやすいかどうかは別として、一、ニ、三楽章はとても良くできていますが、そこまでを耐えに耐えて聴いた後に、四楽章で「フロイデ!」とコーラスが始まった瞬間すっとカタルシスがあって、おそらく、その快感が日本人に大変合っているのですね(笑)。

宮内:
なるほど、そうかもしれませんね。それを年末に味わいたいと(笑)。

久石:
僕の指揮の先生が、秋山和慶さんなのですね。僕は65歳になりますが、この年でもレッスンを受けているのです(笑)。

宮内:
秋山先生は今年、指揮者生活五十周年を迎えられましたね。先生は、今おいくつですか。

久石:
74歳です。つい2、3日前にもレッスンを受けたのですが、その秋山先生は『第九』を振って、すでに400回を超えているのです。それだけでもすごいのに、毎回新しい発見があるとおっしゃっていて、驚嘆しています。

宮内:
新日本フィルでも『第九』は毎年やりますが、やはりあれは餅代になるのでしょうね。日本の交響楽団はどこも経営的に大変ですから。

久石:
2000~2500人のキャパのコンサートホールに、独唱者が4人、コーラスを入れて100人ぐらいの人たちが出演して、採算ベースでは成立しませんから、海外ではめったに演奏されませんね。

 

文化に対する意識のあり方

宮内:
そうでしょうね。本来、文化というのはみんなでサポートしなければならないのですが、日本で寄付を集めるのは本当に苦労します。

久石:
アメリカですと、ボランティアとか社会還元というのは常識としてありますが、日本はあまりそれがないのでしょうか。

宮内:
一つは、税制の問題でお金を出しにくいというのがあります。もう一つは、意識の違いです。欧米の場合、バブリック(公共的)なことはパブリックがサポートするものだという考え方ですが、日本人は、パブリックなことは全部官があるものという考えがあるのでしょうね。また官のほうも、我々が全部やりますからということでこれまでやってきた。本当の意味の市民社会になっていないのだと思いますね。

久石:
日本は文化を育てるという意識が少ないような気がしますね。

宮内:
アメリカは、どんどん開拓して国を作りましたから、官がまったく追いつかないし、国民もそれがわかっていてあまり期待しなかったのでしょう、自分たちでやるしかないという精神が自然にできていったのかもしれませんね。一方、日本の場合は明治以来、国民は全部国が面倒をみましょうというふうになって、それが逆効果になっているのかなと思います。

久石:
僕もよく考えるのですが、明治になった瞬間、いったん文化が分断されましたよね。その時に、文化に対する意識のあり方が少し変わったのではないかという気がします。文化というのは誰かが育てていかないとなかな定着しませんから。

宮内:
そのうちに邦楽は消えていくかもしれませんね。邦楽の音階は西洋のドレミとは微妙に違いますよね。ああいった感覚を持つ人がどんどん減っていくのかなと思います。

久石:
例えば、中国と日本を照らし合わせてみると、中国から伝来した五弦琵琶は、中国にはもうないのですが、奈良の正倉院には世界で唯一現存する古代の五弦琵琶がおさめられていますね。中国では、私はこうする、私はこちらのほうが良いと、みんなどんどん自分の意見で手を加えて変化させてしまうのです。それはそれで、ある意味では良いのですが、古典的なものをそのまま伝統として残していくという考え方は少ない気がします。一方、日本の場合、雅楽のように、海を渡ってきたあちらのものが見事にそのまま残るのです。伝統的なものはそのまま残していくという考え方と、自分が良いと思ったら変えてしまうという考え方、この民族性の違いはあるのでしょうね。どちらもそれぞれ大切で、この辺がとても難しいなといつも思うのですが。

宮内:
能と歌舞伎もそうですね。武士の上流階級が能や狂言へ行き、歌舞伎は大衆が観る。その両方が残っていますね。

久石:
クラシックの歴史を見ると、王侯貴族や協会のために演奏されていた高貴なものだったのが、一般市民が楽しむ大衆音楽へと変わっていった。文化の構造というのは、大概そういうふうになっていますね。

日本は、歌舞伎がありながら能もありますし、極彩色のものもあれば、片やあらゆるものを削ぎ落したものもある。必ず両方あるというのは、日本人を考える時に結構良いヒントになります。

宮内:
日本人は贅沢ができるわけです。日本文化と西洋文化、どちらも素晴らしいものを楽しむことができるという点で、とても恵まれていますね。私は時々歌舞伎も観に行きますが、日本というのはいろいろなものがあって、なかなか忙しいですよ(笑)。

久石:
そうですね(笑)。最近鑑賞された中で良かったのは何でしたか。

宮内:
2月に行きました「山田和樹 マーラー・ツィクルス」(Bunkamuraオーチャードホール)は良かったですね。山田和樹さん指揮による日本フィルハーモニー交響楽団の『交響曲第三番ニ短調』は素晴らしかったです。

久石:
山田和樹さんは指揮がきれいでうまいです。僕は1月に『交響曲第一番ニ長調「巨人」』を聴きました。2月に第二番、第三番の公演がありましたが、行かれた方がとても良かったとおっしゃっていました。九回シリーズで、マーラーの番号付きの交響曲九曲を、一年に三曲ずつ番号順に、今年、来年、再来年と三年かけて全曲を演奏するという、コンセプトが明解ですよね。しかも、マーラーの交響曲の前に武満徹さんの作品を組み合わせるという発想は、僕らのような作曲家が考えるべきことで、指揮者があのようなプログラムを組まれるのは素晴らしいです。

僕が行った時の武満作品は『オリオンとプレアデス』でしたが、宮内さんが行かれた時は何を演奏されましたか。

宮内:
三つの映画音楽(訓練と急速の音楽『ホゼー・トレス』より/葬送の音楽『黒い雨』より/ワルツ『他人の顔』より)でした。かなり短い曲でしたが面白かったですよ。次回のチケットもよく売れているらしいですね。

久石:
やはり評判が良いのですね。

宮内:
久石さんは、指揮はお好きですか。

久石:
はい、好きです(笑)。ただ、分厚いスコアを勉強するのはしんどくて、もうそろそろ嫌だなと思ったり、もう少しやらなくてはなと思ったり、絶えず葛藤している状態です。

宮内:
自分の曲をなさる場合と、クラシックの場合とでは、全然感じが違いますか。

久石:
違いますね。クラシックを指揮する時に暗譜するくらい頭に入ってしまうと、その期間中はまったく作曲ができなくなります。絶えずクラシックの曲が頭の中に流れてしまって、その影響が何らかの形で曲作りに出てしまうのです。例えば、映画音楽を書いている最中に、一方でブラームスの曲の指揮をするという時に、ブラームスの弦の動かし方などが作っている曲の中に無意識に出たりします。「あっ、やってしまった!」というような(笑)。もちろんメロディーまで同じにはしませんが、弦の扱いなどはかなり影響を受けますね。

宮内:
一生懸命、勉強なさっているのでしょうね。

しかし、作曲家、指揮者、ピアニストと、いろいろな面でご活躍ですね。

久石:
ちょっと手を出しすぎているので、気をつけないといけないですね(笑)。

音楽が面白いなと思うのは、どんなに頑張ってもその先にまだ音楽はいますね。音楽というものの内容をもっともっと知りたいと思っていつも取り組んでいるのです。

 

「歌う」ことは音楽の原点

宮内:
この間いただいたCDを聴かせていただきました。女声合唱の曲はとても素晴らしいなと思いました。

久石:
高畑勲監督のアニメ映画『かぐや姫の物語』の合唱曲ですね。

宮内:
私は合唱が好きなので、ぜひ合唱曲をお願いしたいです(笑)。今頃の日本の合唱団は、新しい曲をやるのですが、教訓を賜るというような思想的な曲が多いのです。それよりもっと良い曲があるでしょうと思うのですが、きれいな曲はなかなか出てきません。

久石:
アマチュアの人が音楽に接する一番の近道は「歌う」ことですよね。歌うというのは音楽の原点かもしれません。ですから、合唱ももっと盛んにならないといけませんね。

宮内:
おっしゃる通りです。独唱は好きに歌えばいいのですが、合唱はきっちり合うまで相当時間をかけて練習しなければなりませんから、時間のある人にとっては良い趣味になります。ですから、年配の方の合唱団は、世の中にたくさんありますね。

久石:
例えば、三枝成彰さんが団長の「六男」(ろくだん)(六本木男声合唱団倶楽部)とか(笑)。「六男」からお誘いはきませんか。

宮内:
実は、最初の結成時に「宮内さんは昔合唱をやっていたのだから、入ってくださいよ」と三枝さんから声をかけられまして、一度はお受けしたのですよ。その後しばらくして、「六男」の制服を作るからということで、コシノヒロコさんの事務所から採寸の方がいらっしゃったのですが、家内にこの話をしましたら、仕事も忙しいのにと反対させまして、それでお断りしたのです(笑)。

久石:
そうでしたか(笑)。この間、1月にBunkamuraオーチャードホールで公演をされましたよね。

宮内:
アマチュアの合唱団ながら、なんと『ウェスト・サイズ・ストーリー』というオリジナルミュージカルの公演をしまして、私も出演しました。特別出演で、団員として出たわけではないのですよ。三枝さんと食事をご一緒した時に出演交渉されて、飲んだ勢いでイエスと言ってしまったようです(笑)。

久石:
そういえば、うちの奥さんと娘が観に行って、「宮内さんが出ていらしたわよ」と言っていました。皆さん、うまかったというか、なりきっていたと言っていましたよ(笑)。メンバーには各界の錚々たる方々が名を連ねておられますよね。

宮内:
約140人が所属していて、団員の平均年齢は62歳ぐらい、最長老は83歳です。そのうち半分は女性の役で女装して出ていたのですから、それは相当なものですよ。ミュージカルですから、歌だけでなく踊りもあるでしょう。最初は絶望的だと言われていたものを、一年間相当な時間をかけて特訓して、昨年の夏には合宿までしてなんとか観られるものにしたらしいです。観客の皆さんは何を観せられるのかと思っていたでしょうが、期待値よりも少し上だったのでしょう、極めて好評でした(笑)。

久石:
宮内さんは踊られなかったのですか。

宮内:
私はひょいと出て自分のところを少し歌っただけですよ。

久石:
何を歌われたのですか。

宮内:
『チムチムチェリー』です。三枝さんに、むやみに高い音で歌わされました(笑)。

久石:
それは惜しいものを見逃しました(笑)。

宮内:
あれをご覧になっていたら、今日の対談はお受けいただけなかったと思いますよ。あのレベルの人と音楽の話はできないと(笑)。

久石:
昔と違って、今は年齢は関係ないですね。映画界でいえば、山田洋次監督は83歳ですし、高畑勲監督も79歳ですが、とてもお元気で、しゃきっとしてお仕事されていますから、皆さんすごいなと思います。日本は少子化で人口が減っていますから、年配の方々にもどんどん活躍していただきたいですね。

宮内:
それでは今日はこの辺で。お忙しいところ、ありがとうございまいした。ぜひまたオリックス劇場でコンサートをお願いします。

久石:
こちらこそ、ぜひお願いいたします。今日は楽しい時間をありがとうございました。

(麻布十番・七尾にて)

(味の手帖 2015年6月号 より)

 

味の手帖 2015年6月号

 

公式サイト:味の手帖