連載 久石譲が挑む「ハウル」の動く音 (読売新聞)
第9回:「ちゃんと彼に引き継がれていたよ」
プラハ録音最終日の翌日、2003年10月21日。久石譲は息つく間もなく、ロンドンへ向かった。
かつて、ロンドンに居住していた経験がある久石は、ヒースロー空港に到着すると、懐かしい空気をいっぱいに吸い込んだ。「ホームタウンに戻った気分だね」
ミックスダウンとマスタリング(CDにするための曲間の長さや音量の調整)を行うのは、アビー・ロードスタジオ。ビートルズが録音拠点としていたことで知られる、名門スタジオだ。
入り口には、これまで同スタジオで録音やマスタリングを行ったアーティストのレコードやCDが並んでいるが、この中には過去に久石が録音した作品もある。「あそこで録音したものがすべて飾られているわけじゃないから、見つけた時はとても感激したよ」──この話になると、久石は子供のように微笑む。
アビー・ロードを使うのは、約10年ぶりだという。当時、親しくしていたチーフ・エンジニアのマイク・ジャレット(ビートルズの「赤盤」「青盤」のエンジアとして知られる)が亡くなってから、足が遠ざかっていた。「なかなか気が進まなくてね。でも、そろそろいいかなと思って」
今回のエンジニアは、そのマイクのアシスタントだったサイモン・ローズ。現在は映画「ハリー・ポッター」シリーズのサウンドトラックなどを手掛ける売れっ子だ。「感慨があったね。しかも、シリアスな時ほどジョークを忘れないアビー・ロード独特の文化も、ちゃんと彼に引き継がれていたよ」
アビー・ロードスタジオの入り口
プラハで息を吹き込まれた音が、サイモンの手によってロンドンで成熟した。一層の重厚感を得たことで、久石が目指した「通常の映画音楽とは違う、音楽だけで築き上げた世界観」が完成した。
曲順も決定。録音エンジニアの江崎友淑と、トランペット奏者のミロスラフ・ケイマルのドラマがつまった「ケイヴ・オブ・マインド」は、アルバムの最後を飾ることになった。久石は言う。「実際に演奏してもらい、“こんなにいい曲だったんだ”と驚かされることってあるんだよね。いい演奏者というのは、そうやって曲の持っている力を引き出してくれる。『ケイヴ』はまさにそういう曲だった」
マスタリングした原盤を聴き終えた久石は、それまで「イメージアルバム」としていたタイトルに、「交響組曲」という文字を入れる必要があるのではないかと思い始めていた。「これは単なるイメージアルバムじゃない」──チェコ・フィルハーモー管弦楽団によって演奏された音は、旅の過程で久石の心を突き動かしていた。タイトルは、後にスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーと話し合った上で、「イメージ交響組曲 ハウルの動く城」となる。
ロンドンで無事に作業を終えた久石は、意気込みの結晶を持って帰国。さっそく宮崎駿監督にできあがったばかりの音を届けた。初めて「ハウル」の「動く音」を耳にした監督は、さっそく「この部分はあの場面に合いそうだ」と思いを巡らしていたという。
アルバムに詰まった原石が、作品にどう反映されるのか。久石が臨んだ「第1楽章」の終わりは、本編のサウンドトラック制作という「第2楽章」の始まりでもあった。(依田謙一)
(2004年3月8日 読売新聞)