第7回:「ベリー・バッド・サウンド!」—後編

連載 久石譲が挑む「ハウル」の動く音 (読売新聞)
第7回:「ベリー・バッド・サウンド!」—後編

「なんて大きな音を出す人だろう!」

少年は、興奮のあまり、コンサートが終了するや否や、無謀にも楽屋に押しかけた。出迎えた奏者は、突然の来訪に驚きながらも、少年にやさしく微笑みかけた──。

「イメージ交響組曲 ハウルの動く城」で録音エンジニアを務めた江崎友淑が、同アルバムに収録されている「ケイヴ・オブ・マインド」でトランペットソロを吹いているミロスラフ・ケイマルと出会ったのは、10歳の時だった。父親に連れられて行ったチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の来日公演で、雷に打たれたような衝撃を受けた。

9歳からトランペットを吹いていた江崎は、当時、チェコ・フィルの首席奏者だったケイマルの音と出会ったことで演奏にのめり込んだ。「自分のラッパを、ケイマルに聴いてもらいたい」──その一心で、練習を続けた。

12歳になった江崎は、自分のことなどもう覚えていないだろうと思いながら、再びチェコ・フィルの来日公演を訪ねた。ケイマルは前回と同じようにやさしく微笑みかけ、こう言った。「あの時の子じゃないか」。江崎のことを覚えていたのだ。

ケイマルは、江崎が手にしていたトランペットに注目した。「ちょっと吹いてみないか」

江崎は、迷うことなくその場で演奏を始めた。「若さってすごいでしょ」。江崎は当時を振り返り、照れくさそうに笑う。

演奏を気に入ったケイマルは、以降、毎月のようにダンボール一個分もの教則本を送ってきた。「ケイマルが教えてくれているんだ」──そう思うと、江崎は夢中で練習した。

高校生になり、三度、チェコ・フィルの来日公演を訪ねた江崎は、突然、その日の公演でトランペットを吹くことを依頼された。奏者の一人が急病で倒れてしまったのだ。

この時、すでにトランペット奏者としての腕前は相当なレベルに達していた。ケイマルの教則本で鍛えた腕と、家にあった床が抜けそうなほどの数のレコードを聴いて培った耳によって、12歳でケイマルの前で吹いた若さとは違う武器を手に入れていた。

見事に代打を務めた江崎は、高校2年生の夏、チェコ・フィルのツアーに同行することになる。エキストラとして演奏に参加しながら、オーケストラのメンバーと親交を深めた。江崎は言う。「当時のチェコにおいて、オーケストラというのは、一種の“特権階級”でしたから、メンバーは、本当に音楽のことだけを考えて過ごしている余裕のある人々ばかりでした。今は、政治体制が変わったのはいいけど、サラリーマンに近くなっていて寂しいですね」

大学卒業後、江崎は、正式にケイマルに師事するため、プラハへ旅立った。しかし、これで思う存分ケイマルから学ぶことができると思った矢先、江崎は歯を痛め、長期治療のため、帰国を余儀なくされる。音楽を続けていくのは、厳しい状況だった。江崎は、この辺りの状況について多くを語ろうとしない。

結局、江崎は一旦、音楽から離れることを決意する。しばらくはテレクラでアルバイトをしたり、テレビ番組の制作会社に飛び込んだりしていた。

その過程で、音楽番組にスタッフとして参加する機会を得た江崎は、演奏とは違っても音楽を届けることができる喜びを知る。

同時に、音楽制作の現場に疑問も生まれていった。「日本では、スタッフはあくまで黒衣。でも、それじゃいつまで経ってもいい音楽はできない」──そう感じた江崎は、音楽制作会社「オクタヴィア・レコード」を立ち上げることを決意。音楽家と対等の関係を目指し、CD制作に取り組み始めた。

江崎が関わる現場では、日本ではタブーになりがちな音楽家への注文も遠慮なく出す。久石譲に、「ケイヴ」のソロをケイマルが吹くよう推薦したのも江崎だ。しかし、30年近くチェコ・フィルで首席奏者を務めたケイマルも、今では三番奏者。過去の実績だけでは簡単に推薦できない。それでも、この曲のソロは、ケイマルに合うという確信が江崎にはあった。「もちろん、口を挟むということは、それだけリスクを負うことになります。でも、そこで結果を残すのがプロだと思うんです」

江崎が久石と最初に仕事した時には、次々と注文を出すので周囲のスタッフが青ざめていたという。「でも、今も久石さんと仕事をしている。それが答えではないでしょうか」

久石の話になると、江崎はケイマルの話と同様に熱くなる。「久石さんの音楽は、ヨーロッパの人々に対する説得力がある。チェコ・フィルの演奏が何よりの証拠です。彼らは本気でした。久石さんには映画音楽の範ちゅうにとどまらない交響曲を、時間をかけて作ってほしい。それが実現したら、僕はそのCDをどこにでも売って歩きますよ」

江崎は、「ケイヴ」の録音中に、ケイマルの演奏を聴いて思わず涙を見せた。「あんなふうに感傷的な姿を見せてしまったのは、恥ずかしい限り」と前置きした上で、こう言った。「少年の頃に身震いした、あのトランペットの音が鳴ったんです。久石さんの曲には、それを実現できるエネルギーがあった。その時に思ったんです。僕はこういう音が録りたかったんだって」

「ケイヴ」の録音後、江崎がケイマルに満面の笑みで言った言葉が、再び頭をよぎった。

「ベリー・バッド・サウンド!」(依田謙一)

(2004年2月25日 読売新聞)

 

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