Posted on 2020/03/25
久石譲、アレクサンドル・デスプラ、ソルレイの特別鼎談――川端康成生誕120周年記念オペラ『サイレンス』日本初演を記念して
ボーダーレス室内オペラ川端康成生誕120周年記念作品
『サイレンス』日本初演を記念して
川端康成の短編『無言』を原作に用い、フランスを代表する映画音楽作曲家アレクサンドル・デスプラが、公私にわたるパートナーでもあるソルレイ(ドミニク・ルモニエ)と共に作り上げたオペラ『サイレンス』。1月25日の神奈川県立音楽堂での上演には、デスプラの14年来の友人であり、彼の音楽を高く評価している作曲家・久石譲も駆けつけた。終演後の興奮も冷めやらぬまま、デスプラ、ソルレイ、久石が熱く語り合った鼎談をお届けする。
久石譲(以下 H):なぜ今回、川端の『無言』をオペラにしようと思ったのですか?
アレクサンドル・デスプラ(以下 D):ある芸術家が自己の表現手段を失った時、その芸術家はどのように生きていくのか、というテーマに惹かれました。そして何より、原作のタイトルである『無言』すなわち『サイレンス』が、一種の音楽であると考えたからです。
ソルレイ(以下 S):沈黙がなければ、音楽も成り立ちませんからね。物語に登場する娘の富子は、もしかしたら幽霊なのかもしれません。その幽霊が最後、タクシーという現実の世界の中に現れるんです。
D その幽霊が本物なのか、それとも単なる幻想なのか、川端自身は明言していません。すべては読者の想像力に委ねられています。そこが、川端の素晴らしい点でもありますね。
H 一般的に言って、オペラというものはあまり多くの内容を伝達出来ない芸術なので、モーツァルトの時代から、出来るだけ単純な物語をオペラ化する場合がほとんどですね。ところが今回、オペラとしては非常に難解な題材を選んだと思うんです。ある種、哲学的な内容を持ったドラマですし、物語が一人称で語られている。そういう題材をオペラ化しようと決めた時、苦労した点はどこでしょう?
D 実は作曲の初期段階では、若い三田の視点で物語を進めていくというアイディアもあったのですが、そうすると川端の原作からどんどん離れていってしまう。そこでソルレイと相談した結果、物語の中に語り手を導入しようと決めました。そうすれば、舞台で起こっている状況を、一歩距離を置いた客観的な立場で説明することが出来ると考えたからです。そして、原作と同じ言葉、同じ時系列、同じドラマツルギーを踏襲することで、川端の心境、その世界観をピュアな形で伝えようと考えました。
H 僕が聴く限りでは、デスプラさんはフランスの正統的なクラシック音楽を継承している作曲家だと思うんですが、今回のオペラではフランス的な要素と日本的な要素がとても良い感じで融合していると感じました。
D ありがとうございます。作曲家としては、単に日本の民謡を引用するような安易なエキゾティシズムに陥らないよう、気をつけたつもりです。
H つまり、日本的な要素をわざとらしく強調しなかったのが、逆に良かったと思います。
D もちろんです。もっとも、オペラの中では日本的な音階や旋法を使用しましたし、3本のフルートを用いた楽器編成も、日本の笛の奏法を意識したりはしましたが。
H でも、ドビュッシーなんかも五音音階は使っているから。わざとらしい日本の感じは受けなかったし、とてもナチュラルな感じでデスプラさん自身の音楽として感じられましたよ。ソルレイさんの演出では、どこが一番気をつけた点ですか?
S デスプラと共同で執筆した台本作成です。執筆作業に入る前に川端作品や評伝を読み漁り、その後、日本の伝統的な舞台についても学びました。その過程で初めて知ったのは、川端の祖父が盲目同然だったという事実です。つまり、幼少期の川端は祖父の“鏡”のような存在だったんです。
H なんでもご存知なんですね。
S ええ(笑)。野球との関わりや、映画との関わりも調べましたよ。川端は自然を愛し、若さを愛していました。ですから、彼の文学表現には、自然と若さの美に対する賛美が溢れています。その一方で、彼は死を忌み嫌い、死を追い払おうと努めていました。そこで今回は、2つの世界で舞台を構成することにしました。ひとつは(舞台上に並んだアンサンブル・ルシリンの)音楽家の世界。色とりどりの衣装をまとった音楽家たちは、自然を象徴しています。もうひとつは、白で統一された老作家の邸宅の世界。白はサイレンス、つまり沈黙を象徴しています。その2つの世界の狭間で、黒の衣装に身を包んだ登場人物たちが物語を演じていくのです。
H 黒が死を象徴しているわけですね。
S その通りです。その2つの世界に向き合うのは、ある意味で鏡を見るのと同じことなんです。内面の鏡ですね。
H 川端作品を視覚的に置き換える時に、演出で一番気をつけた点はどこですか?
S 老作家を描いたビデオ映像です。その映像に、私自身の物語もオーバーラップさせました。例えば、映像の中で映る老作家の左手は、実は私が事故で負傷した左手なんです(注:ソルレイは事故の後遺症でヴァイオリニストとしてのキャリアを断念せざるを得なくなった)。
H 老作家の顔に森のような映像がオーバーラップすると、人間の業(ごう)のようなものを感じたんです。あの映像がとても素晴らしいと思いました。
S あれは私の脳の断面なんです。事故で入院した時のMRIの断面写真です。
H なるほど。
D 老作家の眼のクローズアップは、パリ在住の日本人画家・黒田アキさんの眼を撮影しました。
H とても素晴らしい表情でしたね。
S ええ。黒田さんは快く撮影を引き受けて下さったのですが、やはり画家の眼は特別な力を持っていますからね。
D 今回のビデオ撮影のために(『エディット・ピアフ 愛の讃歌』などを手掛けた)カメラマンの永田鉄男さんを久石さんに紹介していただいて、本当に感謝しています(注:久石と同郷に生まれた永田は、小学校時代からの久石の親友)。
H 特に今回のオペラでは、声楽パートが完璧に書かれていると思いました。これからも、こういった純音楽の作品をどんどん書いていってほしいです。
D ありがとうございます。実は今まで、声楽のために書いたことがほとんどなかったんです。
H 本当?
D 器楽の作曲のほうが好きなんです。ですから、歌詞にメロディを載せて作曲するという作業が、今回は特に大変でした。
H 最新盤のフルートのための作品集も聴かせていただきましたが、とても素晴らしかったですよ。協奏交響曲《ペレアスとメリザンド》は、もともと映画のために書いた曲なんですか?
D いえ、最初から純音楽として作曲しました。私の初めての演奏会用作品です。
H デスプラさんはもともとフルート吹きだから、フルートの作曲はお手の物でしょう?
D いえいえ、とても苦労しました。エマニュエル・パユのおかげで、ようやく形になったという感じです。
H この作品集を聴いていると、ドビュッシーやラヴェルのようなフランス音楽の伝統をしっかり受け継ぎながら、21世紀のコンテンポラリーな音楽を生み出している現代の作曲家という側面をすごく感じるので、どんどんこういう作品を書いていって欲しいと思います。それに『真珠の耳飾りの少女』とか、デスプラさんはもともとメロディメイカーとして優れた才能を持っている作曲家ですからね。
D 久石さんもですよ(笑)。
取材協力:オカムラ&カンパニー/ワンダーシティ/神奈川県立音楽堂
出典:Mikiki
https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/24650