Info. 2020/10/30 久石譲が続けてきた音楽を未来につなぐチャレンジ WEBインタビュー (ONTOMO)

Posted on 2020/10/30

音楽之友社WEBマガジン「ONTOMO」に久石譲インタビューが公開されています。「久石譲が続けてきた音楽を未来につなぐチャレンジ」ロングインタビューです、ぜひご覧ください。

 

公式サイト:ONTOMO|久石譲インタビュー
https://ontomo-mag.com/article/interview/joe-hisaishi-202010/

公式サイトのオリジナルページには、インタビューにあわせて話題にあがった楽曲もすぐに聴けるように音源リンクも貼られています。

 

 

作曲家、指揮者としての道のりを語る
久石譲が続けてきた音楽を未来につなぐチャレンジ

作曲家として数々の魅力的な作品を世に送り出し、最近では新日本フィルハーモニー交響楽団のコンポーザー・イン・レジデンス&ミュージック・パートナーを務める久石譲さん。ベートーヴェンの交響曲全集をリリースし、2021年4月からは日本センチュリー交響楽団の首席客演指揮者に就任するなど、指揮者としての活動にも注目が集まっています。さまざまな角度から活動を展開する久石さんの音楽人生におけるターニングポイントを探り、その目に見ている「音楽の未来」を伺いました。

取材・文:小室敬幸

 

クラシックに「本籍」を戻す——指揮で感じた体験を作曲に

——ロンドン交響楽団で自作のミニマル・ミュージックを指揮したアルバム『ミニマリズム』(2009)を出された頃から、久石さんは、明らかにクラシック音楽路線をとられるようになりましたよね。どのような心境の変化があったのでしょう?

久石:
ムクワジュ・アンサンブルのためのアルバム『ムクワジュ』(1981)を作曲した30代の初めころまでは、コンテンポラリー(=現代音楽)の作曲家でしたが、その世界の理屈っぽさが嫌になってしまって……。

だから映画音楽や、エンターテインメントの音楽をつくってきましたが、作曲する上ではずっとミニマル・ミュージック的な手法も使っていました。それをある程度続けてきたときに、エンターテインメントの枠を超えてしまっていると感じるようになりました。それでもう1回、ベースとなる「本籍」をクラシックに戻そうと決めました。

——おっしゃる通り、ミニマル的な音楽はずっと書かれていましたけれど、自作ではなくクラシック音楽だけを指揮したアルバム『JOE HISAISHI CLASSICS』シリーズ(2010~11)を出されたりしたのは、「本籍」を戻されてからですよね。指揮に力をそそがれるようになったのは、なぜなのですか?

久石:
クラシックの世界に戻るとなれば、自分の曲ぐらいは自分で振れないといけないなと思ったわけです。でも僕の曲は細かい音符がごちゃごちゃ書いてあるから、指揮の技術がかなり必要。指揮者 久石としては、作曲家 久石の曲が一番嫌なんですよ。本当に振りたくない(笑)。

——作曲する時点では、自分で指揮するなんて思っていないですもんね(笑)。

久石:
ええ(笑)。それで、秋山和慶先生に就いて学び直すことにしました。けれども、どうせだったらせめて《運命》《未完成》《新世界》くらいは振れる技術はあったほうがいいんじゃないかと思ったんですね。実際のところ、クラシックが大好きですし、時代が違うので僕が使っている音は全然違いますけど、先人たちが残した音楽に対しても心の底からリスペクトしていますから。

久石:
作曲というのは「コンポーズ(Compose)」——つまり「構成する」という意味です。作曲家としては大きいものを書きたいわけですが、4楽章ある40分のシンフォニー(交響曲)を作曲する場合、1楽章あたり平均10分の曲を4つ書けばシンフォニーになるわけですが、そればかりではありません。主題となるモティーフをどのように扱って、40分間を構成していくのか?……ということが問題になります。

——たくさんのメロディを書くのではなく、主題を変奏したり展開したりしながら構造をもった楽曲を組み上げていくわけですよね。

久石:
クラシック音楽にはそういう時に役立つ沢山のヒントがありますが、ただ演奏を聴いたり、スコアを見たりする勉強だけで入ってくる情報は、もの凄く少ない。ところが実際にベートーヴェンやブラームスなどをオーケストラで指揮すると、何故こう書かれているのか? どこに問題があるのか? ということがわかるようになりました。

——だからこそ貴重な創作時間を割いてまで、熱心に指揮されるようになったと。

久石:
学生時代は、ベートーヴェンを分析している暇があるなら、自分の曲を書いていましたけどね(笑)。

それで思い出したんですけど、2016年6月にフィリップ・グラスさん(ミニマル・ミュージックの巨匠)が日本にいらしたとき、彼のピアノのためのエチュードを演奏するので、僕にも演奏してくれという依頼が来たんですね。

折角、ミニマルの大先輩であるグラスさんご本人からお話をいただいたので引き受けましたが、本当は自分の曲以外はピアノで弾きたくなかったんです。毎日、何時間も練習する時間があったら作曲したいというのが本音ですから。でも一生懸命に練習しましたし、コンサートも無事に終わりました。

問題はコンサート後のトークで、司会者の方が「他の曲は弾かないんですか?」とグラスさんに聞いたら、「そんなピアノの練習する時間があったら、俺は曲を書くよ」って答えたんですよ(笑)。そりゃ、僕だって同じだよ! と思いましたね(笑)。

——グラスさん、あんまりです……(笑)。でも今の話と違って、久石さんにとってベートーヴェンなどを指揮する経験は、時間を費やす価値があるわけですよね。

久石:
分厚いスコアを1曲分析して指揮する暇があるのなら、自分のシンフォニーを1曲書けるような気もするのだけど、指揮することで得られる感覚は、学問のような論理ありきの作曲ではなく、観客に聴いてもらう実践に即した作曲をするのに非常に役立つんです。そうした肌で感じる実体験を味わってしまうと、指揮はやめられなくなります……本当にやめられなくなるんですよ!

例えば(セルゲイ・)プロコフィエフの曲は大概、調性がありますけど、どこかで不協和音が鳴りますよね。スコアを読んでいる段階では、なんでこうなるんだろう? と思うところがあっても、指揮をすると、この不協和音がなかったらつまらないことが凄くよくわかる。こういう実体験というのを、昔の作曲家はみんな持っていたはずです。

 

なぜミニマルなのか? クラシックを伝統音楽にしないために

——久石さんがおっしゃっている「クラシックに本籍を戻した」というのは、そういう部分も含めてということなのだと、よくわかりました。そして、2014年からスタートされた「久石譲 presents ミュージック・フューチャー」シリーズで毎回、初演されている新作などに、指揮で得た感覚が活かされているのですよね。

久石:
ありますね。ミュージック・フューチャーの話をする前に、そもそも日本の作曲家はヨーロッパの作曲家のやり方を追いかけてきたんですよ。僕自身もそうでした。

——久石さんが師事されていた島岡譲先生(1926~ )はパリ音楽院で学ばれた方ですし、日本に12音技法を持ち込んだ先駆者である入野義朗先生(1921~1980)のレッスンも受けられたりしていたんですよね。

久石:
僕に限らず、(12音技法を生み出した)シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルン、ブーレーズ、シュトックハウゼン、クセナキスなどから学んだり、無伴奏の独奏曲を書くならベリオの《セクエンツァ》シリーズから影響を受けた楽譜を書いたり……。今の若い人が作曲コンクールに出す曲も、その流れを汲むものが多いように思います。

——評価する審査員に、そういうものを評価する世代がまだまだ多いという理由もあるかもしれません。

久石:
自分も最初はヨーロッパ的な現代音楽を書いていたのに、ミニマル・ミュージックに衝撃を受けて、何年もかけて体質を変えながら対応できるようにしてきたわけです。

ところが日本の現代音楽シーンでは、ヨーロッパを見習い、追いかけていくのが正統なあり方だ……としてしまったがために、アメリカから始まったミニマル・ミュージックの影響が限定的なんです。世界的にみれば大きな潮流になっているのに、日本では「小さい音楽」として排除されてきてしまった。

——日本だとミニマル第1世代ともいえるテリー・ライリー、スティーヴ・ライヒ、フィリップ・グラス、そして第2世代(ポスト・ミニマル)ともいえるジョン・アダムズぐらいまでは、ある程度紹介されてきましたけど、それ以降は確かに、体系的な紹介がなされてこなかったですね。

久石:
(本格的なクラシックの)作曲を学ぶ日本人でヨーロッパ、特にドイツやフランスに留学する数に比べると、アメリカへ留学する人はとても少ないことにも表れているのではないかと思います。

じゃあ、こういう音楽が演奏される機会がほとんどないのなら、いまの自分の立場から紹介する催しがあってもいいんじゃないか——それがミュージック・フューチャーを始めた最大の理由です。

——実際、ミュージック・フューチャーのなかでは、Bang on a Canのデヴィッド・ラング(1957~ )、ブライス・デスナー(1976~ )、ニコ・ミューリー(1981~ )といったアメリカのポスト・ミニマルの系譜に位置する作曲家に加え、ロンドンを拠点にクラブカルチャーとクラシック音楽を結びつけるガブリエル・プロコフィエフ(1975~ )(※セルゲイ・プロコフィエフの孫)などを取り上げてきました。

久石:
なぜ僕がヨーロッパの伝統ではなく、主にアメリカへ目を向けているかというと、「今日の曲目」と「今日の演奏法」が未来につながっていかないと、クラシック音楽は伝統音楽になってしまうと思っているからです。日本のアプローチを変えていかなきゃいけない。

ところが、職業指揮者だと少ないリハーサルのなかで、オーケストラの人たちに気に入ってもらえないと、次の仕事がこなくなります。自分が新しいことをしてみたいと思っていても、やりすぎてしまうと反発されてしまうし、リハーサルの時間も少ないので自然と、オーケストラがやりやすい環境を作り、器用にこなすことばかりに気持ちがむいてしまう。そうすると、まだ答えの見つかっていない実験的な試みはできなくなってしまいます。

僕は職業指揮者ではありませんし、そういうことを気にしないので楽なのでしょう。とにかく誰かが何かをしていかないと、未来につながらなくなってしまう。作曲の歴史と同じように考えているからこそ、演奏スタイルも変えようとしているんです。

——作曲の歴史の方も、ヨーロッパの前衛音楽とアメリカのジョン・ケージらによる実験音楽の勢いがなくなってからは、未来へと繋がっていく感覚が弱まってしまいましたよね。その代わりとなるミニマルの系譜を、久石さんが日本で繋ごうとされているわけですが……。

久石:
20世紀の後半までは幸せだったと思います。音楽に限らず、映画も文学でも、物事の既成概念を壊すことが、イコールで表現として認められていたわけですから。でも1980年代以降、もっといえば21世紀になると完全に、壊すべき王道(メインストリーム)がなくなってしまったんですよ。戦後の前衛芸術のような考え方は、もう通用しない。だから僕は「クラシック音楽に戻る」ことにしました。

現代音楽に夢中だった学生時代は、クラシック音楽を否定することで自分の曲を書こうとしていました。でも、今は違います。クラシック音楽の延長に自分がいることを認めるところから、作曲をするようになりました。

——現代音楽の作曲家でも晩年のリゲティが、クラシック音楽に立ち戻ることをかなり強く主張したり、日本では吉松隆さんが反・現代音楽というスタンスで一世を風靡しましたが、現代音楽自体の影響力が弱まり、壊す対象でなくなってしまいました。だからこそ久石さんがおっしゃるように壊すのではなく、過去を踏まえた上で新しく歴史を築いていく必要があるわけですね。

 

楽しめる音楽の範囲が大きいほどいいと思いませんか?

——久石さんの音楽にとってベースとなるミニマル・ミュージックについて、もう少しだけうかがいたいのですが、ミニマルとの最初の出会いはテリー・ライリーの《A Rainbow in Curved Air》(1969年録音)だったそうですね。ライヒでもグラスでもなく、ライリーの電子オルガン・サウンドから、ポップスの世界へと移った1980年代の久石さんのオリジナルアルバムや、『風の谷のナウシカ』の音楽が生まれたのだろうなということが感覚的に伝わってきます。

久石:
人生ってわからないもので、予測のつかないことが多いですね。同じシチュエーションでなかったら、影響は受けなかったかもしれませんし、上手くいかなかったかもしれません。どの世界でもそうですけど、エンターテインメントで続けていくのはとても大変です。誰にでもわかりやすいメロディがあって、調性があって……などというと誰でも書けそうな気がしますけど、誰もが一流になれるわけじゃないですから。

——ところが80年代と21世紀以降では、表面的なサウンドだけじゃなく、ミニマルといってもまったく違う路線になっていますよね。

久石:
2008年10月に「Piano Stories 2008」という、チェロ12人に、ハープやマリンバ、コントラバスという編成でツアーをしたときに、前半は映画音楽を演奏したのですが、後半にまとまった作品が欲しくて《The End of the World》という曲を書きました。

——2007年にニューヨークを訪れた際、同時多発テロの現場であるグラウンド・ゼロから着想した作品ですね。

久石:
それが『Another Piano Stories ~The End of the World~』(2009)というアルバムに収録されています。その後、同じ曲を3管編成ぐらいの合唱付きオーケストラに直す作業の途中で「もうエンターテインメントの枠にいれるのは難しいだろう」と思ったんです。もう自分は完全にミニマルの作曲家へシフトしているなと。

——この曲がインタビュー冒頭でもおっしゃっていた、きっかけだったんですね。クラシックの世界に戻ってきて、ちゃんと評価してもらえるかどうか、不安はなかったのでしょうか?

久石:
もともと20代まで現代音楽を書いていた頃なんて、作曲家が5人集まってコンサートを開いても、作曲家の関係者しか来なかったから(笑)。それを若い頃にずっと経験してきているので、またそこに戻るんだなと。今は世界中で、大勢の観客に観に来ていただいていますが、コンサートの主催者からは、映画のあの曲を入れてくれという要望も多いので、毎回が戦いです(笑)。

もちろんジブリの音楽を嫌がっているわけではなくて、キチンと演奏してあげないといけない。知られているから、受けるから……というだけで演奏すると、楽曲が死んでしまいます。

だからシンフォニック・スイート(交響組曲)として20分ぐらいで、オーケストラがしっかりと演奏できるバージョンを、いままでにジブリで音楽を担当した10作品中、6作品ほど作っています。

比べるのはおこがましいですけど、チャイコフスキーが《白鳥の湖》や《くるみ割り人形》を組曲にしているのと同じ行為だと思っていて。オーケストラの能力を発揮できるコンサート・ピースとして成立できれば、凄く幸せですね。

——バレエやオペラの組曲と同じようなものであるはずなのに、残念ながら映画の組曲はなかなかオーケストラの定期演奏会で取り上げられるレパートリーに組み込まれないですよね。

久石:
クラシック音楽を聴く理由が、「聴くことで自分が幸せになるから」なのか、それとも「こういう趣味をもってその場所に行っている俺っていいね」と思っているのか、という問題が出てくるんですよ。加えて、後者の人間は映画音楽を馬鹿にすることが多いように感じますね。

でも、海外のオーケストラを指揮して、プログラム前半に映画音楽ではない45分ぐらいかかる自作品、そして後半にジブリの交響組曲を入れると、両方喜んでくれるんです。パリでもメルボルンでも、世界中で「色々聴けて得した!」みたいな感じで盛り上がるんですけど、日本だけ違います(笑)。もったいないなぁと思ってしまいます。

——確かに、どちらか一方しか楽しめない人が多そうなのは容易にイメージできます……。

久石:
楽しめる音楽の範囲が大きいほどいいと思いませんか? そして「音楽を楽しむ」ということを根底に置かないと、日本の音楽教育にも弊害があると考えています。正しい音程、正しいリズムを間違えないように弾かせることばかりに注力しがちだから、ある程度上手くならないと楽しくならない。このメンタリティを小さいころから叩き込まれているから、オーケストラでも正確さを追求する人が多い。でも、スケール感が小さくなってしまいます。

日本と比べると、例えばフランスのオーケストラなどはリズムが揃わなくて苦労しますけど、ソロを吹かせると上手い……。色っぽい歌い方をしたり格好をつけたり、こういうのは逆に、日本のオーケストラでは難しいと思いました。国民性もあるのかもしれませんが、子どもたちに「音楽を楽しむ」感覚を丁寧に伝えていかないと、スケールの大きな子は出てきづらいでしょうね……。

 

指揮、作曲ともに未来へつなぐチャレンジは続く

——最後になるのですが、久石さんは今後、新日本フィルハーモニー交響楽団と日本センチュリー交響楽団で新たなポジションにつくことが発表されています。基本的には室内オーケストラであるフューチャー・オーケストラ・クラシックス(旧:ナガノ・チェンバー・オーケストラ)と、どのように活動内容が変わってくるのでしょうか?

久石:
基本的な考え方はどのコンサートでも一緒で、現代曲と古典を組み合わせるプログラムにします。色んなものが聴けて楽しかった!……という感覚が、現代曲に対するアレルギーを減らせると思うのです。そういうプログラミング自体は結構あるように思われるかもしれないですが、現代曲を現代曲として演奏し、古典を古典として演奏してしまいます。

そうではなくて、現代曲でリズムをきっちり合わせるアプローチをしたら、そのやり方で古典も演奏して欲しいです。ここまではフューチャー・オーケストラ・クラシックスでも同じことをしています。

フルオーケストラでは、マーラーやストラヴィンスキーなど大きい編成の作品をやる……つもりだったんですが、コロナの影響で難しくなってしまいました。

でも、どのオーケストラもモーツァルトやベートーヴェンばかりに集中してはいけないと思うので、今まさに小さい編成で演奏できる現代曲を発掘中です。現代の作曲家が書いたオーケストラ作品は、3管編成以上の100名規模が多くて、2管編成の65名程度で出来る曲が、まあ見事にありません。

だから世界中の作曲家たちが、2管編成にちょっと鍵盤打楽器を増やしたぐらいの大きさのオーケストラ作品にチャレンジしてほしいと思います。コロナが落ち着いた後、その中の何曲かが残って、世界中のオーケストラが演奏するレパートリーになったら本当にいいなと思います。

——その編成による久石さんの新作も楽しみにしています!

久石:
チャレンジはしますけど、砂丘で金を探すようなものですからね。この時代を生きる皆が一緒に挑戦する、そんな世界であってほしいですね。

出典:Webマガジン ONTOMO

 

 

また、同時期に発売されたクラシック音楽誌「音楽の友 2020年11月号」では、ベートーヴェンについて語ったインタビューも掲載されています。

 

 

 

“Info. 2020/10/30 久石譲が続けてきた音楽を未来につなぐチャレンジ WEBインタビュー (ONTOMO)” への2件の返信

  1. 個人的には、久石さんが現在、指揮者としての活動に力を入れているのは、北野武監督の影響もあるように思います。前のcocomiさんとの対談でも語っていた「作曲ともう一つ別のことを常にやることで、バランスを保っているんです。」という発言は、まさに監督が昔話していた「ビートたけしと北野武の振り子理論」と同じだし…

    1. なるほど、そうかもしれませんね。ありがとうございます!

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