Disc. 久石譲 『JOE HISAISHI CLASSICS 3 』

久石譲 『JOE HISAISHI CLASSICS 3 』

2011年8月3日 CD発売 WRCT-2003

 

「久石譲 クラシックス・シリーズ」第3弾

音楽家 久石譲が作曲家・演奏家としてではなく
指揮者として新しい視点とアプローチでクラシック音楽に挑んだ
選りすぐりのクラシック名曲集。

 

 

初めてでも聴きやすい、クラシク珠玉の名曲集!

2009年よりクラシックコンサートの指揮者として本格的な活動を開始した久石譲。このアルバムシリーズは、久石がクラシック指揮者として演奏したオーケストラのコンサートをライブ録音し、会場の感動をそのままに、アルバム化したものである。

久石が感じたクラシックの素晴らしさを、作曲家独自の解釈で、指揮者として表現することによって多くの人と共有したい。本アルバムには、そんな熱い想いが詰め込まれている。

クラシックに久石が新しい生命を吹き込み、聴く者を久石ワールドに連れ込むであろう。そして、作曲家だからこそわかる偉人達の作品の凄さを、クラシック愛好家にはもちろんのこと、クラシック初心者にもわかりやすく、豊富な経験と知識をもとに新鮮な感覚をもって、存分に魅力を届けてくれるコンセプチュアルなアルバムである。

 

 

寄稿

それまで僕が久石さんへ抱いていた印象は、どちらかというとクールで物静かなイメージだった。しかし2008年2月、僕らの楽曲『ワンダフルワールド』のレコーディングでフルオーケストラにタクトを振るその姿を間近で見て僕の心は一変する。演奏が始まる30分前、久石さんはスタジオの片隅で一人ストレッチを始めた。これから音楽を奏でるというよりは、何かの競技を始めるかの様に入念に。壇上に立ち演奏が始まった。オーケストラの音が響き渡る。それはまるで巨大な生命体のような音のうねりを、久石さんは時に激しく、時に静かに、一瞬の気を抜くことなくまとめあげていく。全身が震え、胸が熱くなった。コンサートでもないのに演奏が終わるとスタジオ中に拍手が巻き起こった。久石さんはそれこそ何かの競技が終わったかのように汗だくで、清々しい少年のような顔で微笑んでいた。綿密に構築され、しなやかに流れていく旋律の奥底にはいつも、久石さんの真摯な音楽に向き合う無骨な情熱を感じます。アルバムを聴きながら目を閉じると、あの日と同じように想いを込めてタクトを振る久石さんが浮かんできました。

北川悠仁(ゆず)

(寄稿 ~CDライナーノーツより)

 

 

【楽曲解説】

ロッシーニ/歌劇「ウィリアム・テル」序曲

ロッシーニは初期ロマン派に属する作曲家で、19世紀の前半を通じて全ヨーロッパのオペラ界の王者のような人気作曲家であった。彼がヨーロッパ各地にまき起こしたつむじ風は、ベートーヴェンの存在さえ影のうすいものにしたといわれている。ロッシーニの最後のオペラ作品「ウィリアム・テル」は、ゲーテと並んでドイツ最大の詩人とされているシルレルの劇にもとづいて、フランス人ド・ジュイがオペラ向きに脚色した台本に作曲したものである。オペラ全曲初演、1829年8月3日、パリ・オペラ座。

第1部「夜明け」アンダンテ、ホ短調、3/4拍子
チェロの5重奏を主体にして、チェロの残部とコントラバス、ティンパニのみで静かにアルプス山間の夜明けを画いたものである。始めはチェロの独奏で、間に他の4本のチェロが答えるように奏す。つづいてホ長調になり、コントラバス、チェロの残部のピトカートの伴奏にのり、やわらかな旋律を歌う。旋律のとぎれたところへ、ティンパニが次の嵐を思わせるかのようにきかせる。その後またもとのやわらかな旋律を奏しつづけて、始めのチェロ独奏のモティーフを変化しつつ第1部(夜明け)を終っていく。

第2部「嵐」アレグロ、2/2拍子
初めに弦楽器によって嵐の来襲を示す疾風の描写があり、やがて全管弦楽器により凄まじい暴風雨が到来する。この激しい嵐がしだいに遠ざかって、ティンパニの遠雷とフルートの名残の雨だれのような独奏にて次の第3部に移る。

第3部「牧歌」アンダンティーノ、ト長調、3/8拍子
嵐はやみアルプスの山々の頂に白く光る雪の峰は、晴れ渡った青空とともに平和で自由なスイスの前途を祝福しているかのようであり、この自由な牧歌が遠くの山々にこだまする。嵐の静まったあとに平和な牧歌が歌われる。田園に吹きならす牧笛の音がイングリッシュ・ホルンの独奏で、これにからむフルートの技巧的なオブリガードが全体に美しい効果をあげている。この主題を今一度、音をかえして奏し第2の主題に入る。

第4部「スイス独立軍の行進」アレグロ・ビバーチェ、ホ長調、2/4拍子
スイスに平和をもたらした独立軍の行進と勝利の賛歌である。トランペットの勢いのよいファンファーレ的な独奏に導かれて、全管楽器の合奏が序奏を奏し終わると華やかできざむようなリズムで弦楽群、クラリネット、ファゴット、ホルンにて行進曲を歌いはじめる。終結部は全管弦楽器によりクライマックスをつくりながら前に出てきた主題を少しずつ変化させて民衆の限りない喜びを歌い、最高潮の興奮にわきこの序曲の最大のクライマックスに入る。GPのあと最終結までのところはまさに最高潮に達し興奮と歓喜にあふれる終結部で、まことにベルリオーズが「4つの部分による交響曲といってもふさわしい」と賞賛したいほどの壮麗で調子の高い序曲である。

 

チャイコフスキー/バレエ組曲「くるみ割り人形」作品71a

チャイコフスキーはロシア生まれの作曲家である。ドイツ系ロマン派、フランス系ロマン派、そしてロシアの音楽からそれぞれ影響を受けており、特にブラームスの時代まで相容れなかった二つのロマン派を融合させたような作風は、当時のドイツやフランスの作曲家には見られないものである。作品は実に多岐にわたるが、とりわけ後期の交響曲・バレエ音楽・協奏曲などが特に愛好されている。

《くるみ割り人形》はチャイコフスキーのバレエ音楽最後の作品になる。ドイツ・ロマン主義の作家ホフマンの『くるみ割り人形とねずみの王』が原拠だが、バレエの直接の原典はデュマのフランス語版『くるみ割り人形』をベースにし、プティパが台本をまとめている。当時、ロシア音楽協会から新作の演奏会を急に依頼されたが、新作を手掛ける時間もなく作曲中のバレエ「くるみ割り人形」から8曲を選んで、組曲「くるみ割り人形」作品71aとしてバレエより先に発表した。

組曲初演/1892年3月19日
ペテルブルグのロシア音楽協会演奏会
バレエ初演/1892年12月17日
サンクトペテルブルグ/マリンスキー劇場

バレエそのものは少女クララが見たクリスマス・イヴの夢。くるみ割り人形とお菓子の国、それにすてきなプリンスとのラブ・ロマンス。いたって楽しいおとぎバレエでもある。

1.小序曲 Overture Miniature
展開部を省いた小ソナタ形式。行進曲的だが、甘美な幻想的な輝きを持つ。弦楽器によるひそやかに弾むような主題で始まり、第2主題は弦のピチカートの上に流れるようなカンタービレが歌われる。この2つの主題が繰り返されて第1幕へ。

2.行進曲 March
第1幕で子供たちが入って来る音楽。無邪気な快活な主題がトランペットとホルンとクラリネットで奏され、弦に引きつがれ次第にいろいろな楽器で繰り広げられて行く。全曲の中でもきわめて有名な曲。

3.こんぺい糖の精の踊り Dance of the Sugar Plum Fairy
第2幕で城の女王の踊りである。彼女は物柔らかなチェレスタの響きを中心とする幻想的な音楽に乗って光りつつ踊る。チェレスタの輝かしい音色とバスクラリネットの低いフシが印象的である。終わり方が組曲版と全曲版では違っている。

※チェレスタは1886年にパリのミュステルが発明したものだが、チャイコフスキーは1891年の旅行の時パリでこれを見て早速ここに使った。しかしこの楽器がまだ普及していないので、楽譜にはピアノで奏してもよいと記してある。

4.ロシアの踊り(トレパーク) Russian Dance (Trepak)
夢のお城でチョコレートの精が踊る。モルトヴィヴァーチェという指定どおり非常に活気のる曲。力強いメロディが第1ヴァイオリンによって繰り返される。後半はテンポを上げ、嵐のようなアッチェレランドで一気に曲が終わる。

5.アラビアの踊り Arabian Dance
コーヒーの精の踊り。東洋風のキャラクターダンス。もとグルジアの子守唄。チェロとヴィオラがこの調の主音と属音とを重ねて全曲にわたる低属音を8分音符で単調に聞かせている。旋律はクラリネットからヴァイオリンへと進み、さらにバスーン、弦、クラリネット、フルート、弦と動いて間を縫うタンブリンの弱い響きが魅力を持つ。甘い、ものうい、モヤのような東洋的な曲である。

6.中国の踊り Chinese Dance
お茶の精の踊り。バスーンと弦のピッチカートとの単調なリズムに乗って、フルートが高い音で駈け廻りながら叫ぶ。弦楽器によるピッチカートが中国風の味を出している。

7.あし笛の踊り Dance of the Mirlitons
玩具の笛の踊り。低い弦のピッチカートの慌しいリズムの上にフルートの三重奏が跳ね廻るような旋律を出し、やがてトランペットが急ぎ足で華やかに行進曲風な感じを出し、再びフルート三重奏の跳ね廻る調べに入って終わる。

8.花のワルツ Waltz of the Flowers
全曲中もっとも華やかで有名な曲。あらゆる花が舞い出し玩具もお菓子も一緒に踊る。木管とホルンによる序奏に続いてハープのカデンツァ。これに続くワルツ主部はロンド形式になっている。

 

ストラヴィンスキー/バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)

ストラヴィンスキーはロシアの作曲家である。生涯に、原始主義、新古典主義、セリー主義と作風を次々に変え続けたことで知られ「カメレオン」というあだ名をつけられるほど創作の分野は多岐にわたった。さまざまな分野で多くの作品を残しているが、その中でも初期に作曲された3つのバレエ音楽(『火の鳥』、『ペトルーシュカ』、『春の祭典』)が名高く、特に原始主義時代の代表作『春の祭典』は、20世紀の最高傑作と言われている。また作曲家としてのみならず、指揮者、ピアニストとしても幅広く活動した。20世紀を代表する作曲家の1人として知られ、20世紀の芸術に広く影響を及ぼした音楽家の1人である。

オーケストラ作品ではリムスキー=コルサコフ仕込みの管弦楽法が遺憾なく発揮され、さらにそこから一歩踏み込んだ表現力を実現することに成功している。これらの作品によってベルリオーズやラヴェル、師のリムスキー=コルサコフなどと並び称される色彩派のオーケストレーションの巨匠としても知られるに至っている。

「火の鳥」はロシアの民話に基づく1幕2場のバレエ音楽およびそれに基づくバレエ作品。音楽はリムスキー=コルサコフに献呈された。オリジナルのバレエ音楽と3種類の組曲(1910年版・1919年版・1945年版)があり、オーケストレーションが大幅に異なる。組曲版では一部曲名が異なる部分もある。元々はディアギレフからリャードフに依頼されたのだが作曲がはかどらなかったために無名の新人ストラヴィンスキーに白羽の矢がたった。振付師ミハイル・フォーキンと台本を練り、1909年から1910年にかけて約半年で火の鳥の音楽を作曲した。1910年6月25日パリ・オペラ座にてガブリエル・ピエルネの指揮によって初演される。この初演は画期的な成功となり、一夜のうちに彼はスター作曲家として認知された。

バレエとしても人気があり、初演後も多くのバレエ団で再演が行われている。

組曲(1919年版)は、手ごろな管弦楽の編成と規模から実演では最も演奏機会の多い版である。「魔王カスチェイの凶悪な踊り」での有名なトロンボーンのグリッサンドはこのバージョンで導入された。一般的な二管編成になり、打楽器が減らされている。チェレスタは必須ではなく「子守歌」のピアノパートに「またはチェレスタ」の注釈が添えられている。

1.序奏 Introduction
不死の魔王カスチェイの庭園。大太鼓の弱いトレモロに乗って、弱音器をつけたチェロとコントラバスがゆっくりとした不気味な音形を弾き始める。物語があける前の夜の情景である。

2.火の鳥とその踊り The Firebird and Its Dance
幕が上がるとカスチェイの住む魔法の庭園、琥珀色に輝くリンゴの木が茂り、弦のトリルで鳥の羽音を模した音楽で美しい火の鳥が現れ「火の鳥とその踊り」が始まる。

3.火の鳥のヴァリアシオン Variation Of The Firebird
王子イワンは木陰に隠れてその様子を窺いやがて火の鳥を捕らえるが、火の鳥の命乞いに応じる。喜んだ火の鳥は不思議な力を持った自らの羽根を王子に送った。

4.王女たちのロンド (ホロヴォード) The Princesses’ Rondo
イワン王子の迷い込んだ庭園には、カスチェイに囚われた13人の乙女たちがとらえられていた。ハープの伴奏でオーボエで奏でられるロマンあふれる旋律は、ロシア民謡による乙女たちの踊りである。王子は彼女たちを助けようとするが、逆に捕らえられてしまう。しかし手に入れた火の鳥の羽のため、魔王の魔法はかからない。

5.魔王カスチェイの凶悪な踊り Infernal Dance Of King Kashchei
やがて火の鳥が現れ、王子に襲いかかろうとするカスチェイ一党を自らの魔法で強制的に踊らせ始める。凶暴で迫力に満ちたこの難曲は、魔王カスチェイの凶悪な踊りである。踊りはどんどんエスカレートしていき、一党は限界に達してバタバタとその場に倒れていく。

6.子守歌 Lullaby
踊り疲れたカスチェイ一党に火の鳥は、ファゴットで歌われる「子守歌」で彼らを眠らせてしまう。やがてカスチェイは目を覚ますが、イワン王子は魔王の魂入りのたまごを見つけて破壊し、魔王及びその一党を消し去った。

7.終曲 Finale
弦のトレモロに乗ってホルンが主題を吹く。魔法の庭園に平和が戻り、乙女たちは自由の身になり、王子は改めて王女に求婚。2人は火の鳥や乙女たちから祝福を受ける。火の鳥は幸福そうな人々をその場に残し、いずこもなく飛び去って行く。

 

ラヴェル/亡き王女のためのパヴァーヌ

ラヴェルは「管弦楽の魔術師」、「オーケストレーションの天才」という異名を持つほど管弦楽法にとても優れた作曲家である。彼は若くして自分のスタイルを確立した作曲家であり、パリ音楽院在学中から個性的な作品を次々に発表した。

「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、「グロテスクなセレナード」、「古風なメヌエット」に続いて3番目に出版されたピアノ作品で、パリ音楽院在学中に作曲した初期を代表する傑作であり、彼の代表作の1つと言える。1899年にピアノ曲として作曲し、1910年に自身が管弦楽曲に編曲した。この曲は出版されるやフランス中で大人気となり、一躍ラヴェルは人気作曲家の仲間入りを果たした。ルーヴル美術館を訪ねた時にあった、17世紀スペインの宮殿画家ディエゴ・ベラスケスが描いたマルガリータ王女の肖像画からインスピレーションを得て作曲したとされる。ラヴェルによるとこの題名は、「亡くなった王女の葬送の哀歌」ではなく、「昔、スペインの宮殿で小さな王女が踊ったようなパヴァーヌ」だとしている。パヴァーヌとは、16世紀から17世紀にかけてヨーロッパの宮廷で普及していた舞踏のこと。歴史上の特定の王女に捧げて作られたものではなく、スペインにおける風習や情緒に対するノスタルジアを表現したものであり、こうした表現はラヴェルによる他の作品(例えば『スペイン狂詩曲』や『ボレロ』)、あるいはドビュッシーやアルベニスといった同年代の作曲家の作品にも見られる。

初期のラヴェルは他の作曲家の影響が明確である場合が多く、この作品はその典型である。ラヴェルはサティを尊敬しており、またシャブリエも好んでいた。後にラヴェル自らこの曲に対し、「シャブリエの影響があまりにも明らかであるし、形式もかなり貧弱である」という評価を下している。

ラヴェルは和音はかなり独創的なことをしていたにも関わらず、なぜか形式はきちっとしている。この曲はとてもわかりやすいロンド形式を取った明確なト長調である。当時は音楽がまだシンプルであり、その絶妙な和音の中にもすごくわかりやすい旋律を持っている。

それが今でもなお絶大な人気を博す理由の1つであろう。特に若い女声に人気を博し、100年経った今も女性受けの良い曲とされている。

晩年、記憶障害に悩まされたラヴェルはこの曲を聴いて、「とても美しい曲だ。しかしいったい誰が作ったのだろう。」と語っていたそうである。これこそ作曲者自身がこの曲に下した真の評価ということではないだろうか。

(楽曲解説 ~CDライナーノーツより)

 

 

 

久石譲 『JOE HISAISHI CLASSICS 3 』

Rossini William Tell Overture
1.ロッシーニ / 歌劇 『ウィリアム・テル』 序曲
Tchaikovsky The Nutcracker, op.71a
チャイコフスキー / バレエ組曲 『くるみ割り人形』 作品71a
2.Overture Miniature 小序曲
3.March 行進曲
4.Dance of the Sugar Plum Fairy こんぺい糖の精の踊り
5.Russian Dance (Trepak) ロシア舞曲(トレパーク)
6.Arabian Dance アラビアの踊り
7.Chinese Dance 中国の踊り
8.Dance of the Mirlitons あし笛の踊り
9.Waltz of the Flowers 花のワルツ
Stravinsky The Fire Bird (1919 Version)
ストラヴィンスキー / バレエ組曲 『火の鳥』 1919年版
10.Introduction 序奏
11.The Firebird and Its Dance 火の鳥とその踊り
Variation Of The Firebird 火の鳥のヴァリアシオン
12.The Princesses’ Rondo 王女たちのロンド(ホロヴォード)
13.Infernal Dance Of King Kashchei 魔王カスチェイの凶暴な踊り
14.Lullaby 子守歌
15.Finale 終曲
Ravel Pavane for a Dead Princess
16.ラヴェル / 亡き王女のためのパヴァーヌ

指揮:久石譲
演奏:新日本フィルフィルハーモニー交響楽団
録音:
2010年1月7日 東京・サントリーホール
2010年1月9日 東京・オーチャードホール
2010年8月7日 東京・すみだトリフォニーホール

 

Disc. 久石譲 『JOE HISAISHI CLASSICS 2 』

久石譲 『JOE HISAISHI CLASSICS 2 』

2010年9月1日 CD発売 WRCT-2002

 

久石譲「クラシックス・シリーズ」第2弾

久石譲指揮 クラシックでありながら新しい!
作曲家ならではの”血の共感”なくしてはあり得ない
伝統にとらわれない新たなクラシックがここに生まれる…

 

 

久石さんのブラームスとモーツァルトの指揮に寄せて

昨年2009年の夏、シュトックハウゼン作曲「グルッペン」の演奏会場で久石さんの姿をお見かけした時は、本当にびっくりした。3群のオーケストラと3人の指揮者が同時に演奏する「グルッペン」は、いわば独墺系オーケストラ音楽の極北に位置するような作品で、欧米でも滅多に演奏されない。驚くべきことに、久石さんは35年前の「グルッペン」日本初演にも足を運んでいたのだった。かつてシュトックハウゼンをはじめとする現代音楽の先人たちと真剣に格闘し、今もなお、その情熱を保ち続けている”永遠の音楽学生”の興奮が、久石さんの表情から伝わってきた。

本盤に収録されたブラームス「交響曲第1番」の久石さんの指揮には、”ブラームスの先人との格闘”が、これ以上望むべくもない明瞭な姿で刻みこまれている。その”先人”とは、久石さん自身の楽曲解説にもあるようにベートーヴェンだ。ブラームスの第1楽章主部全体を貫く「タタタ」あるいは「タタタ・ター」という三連のリズム。これがベートーヴェンの「運命」の有名なリズムに由来することは言うまでもない。それを実証するため、久石さんはブラームスの代名詞というべき濃厚なロマンティシズムからやや距離を置き、ブラームスがスコアの中に散りばめた運命リズムを、ひとつの洩れもなく丁寧に叩いていく。ブラームスの演奏で、これほど運命リズムを強調した解釈も珍しい。その結果、ブラームスがいかにベートーヴェン流の作曲原理を咀嚼し、それを自らの養分としていったか、その格闘のドラマがヴィヴィッドに伝わってくる。こういう解釈は、作曲家ならではの”血の共感”なくしては不可能だろう。

モーツァルト「交響曲第40番」の演奏も、最初の一音から久石さんのコンセプトは明瞭だ。つまり、バス(低音)声部と内声部の強調である。モーツァルトが得意としたポリフォニー音楽は、西洋音楽の調性と和声進行の原理を最大限に利用したものだった。その土台となるのが、言うまでもなく和音の構成音である。それをしっかり認識しなくては、モーツァルトの本当の凄さがわからない。だから久石さんは、一点の曇りもなく、バス声部と内声部を堂々と鳴らしていく。「第40番」が、これほど巨大な建築物のように聞こえたことは、久しくなかったのではあるまいか。

かつてシュトックハウゼンがモーツァルトを演奏し、ブラームスがベートーヴェンの作曲技法を嘆賞したように、作曲家たちは常に先人たちの仕事を振り返り、自らの音楽を豊かにしていく新古典主義(ネオ・クラシシズム)の運動を繰り返してきた。久石さんも、実はそうした作曲家のひとりに他ならない。2009年に久石さんが初演した「シンフォニア~弦楽オーケストラのための~」の明快この上ない形式感は、明らかに久石さんの新古典主義的関心を示すものであった。そして今、久石さんは指揮者として、先人たちの偉大なクラシック作品と格闘する、壮大な”ネオ・クラシック”の冒険を始めようとしている。

前島秀国(サウンド&ヴィジュアル・ライター)

(CDライナーノーツより)

 

 

【楽曲解説】

ブラームス/交響曲 第1番 ハ短調 作品68

ブラームスはまさに地上の音楽である。例え天地創造を謳ったとしても、この北ドイツのハンブルクで生まれた天才の音楽には、悩み苦しみ希望に向かって生きていく、地に足をつけた人間の姿がそこにある。だからこそ人はその音楽に共感し感動するのではないだろうか。

交響曲第1番は構想から完成まで20年近い歳月を要した。1855年にシューマンの《マンフレッド》序曲を聴いて若きブラームスは大きな感銘を受け、自らも交響曲の構想を練りはじめた。ところが、第1楽章の原型が完成をみたのは1986年の夏のことであったという。その後も長い放置状態が続くが、1874年頃からようやく集中して作曲が進められるようになり、1876年ブラームスが43歳のときに全曲が完成した。

ブラームスがこれほど用心深く交響曲の作曲にあたったのは、ベートーヴェンを強く意識していたからに他ならない。第1楽章のハ短調に対して第2楽章は長三度上のホ長調、第3楽章は変イ長調、第4楽章はハ短調-ハ長調と、楽章が進むにつれて長三度ずつ上方へ進行し、終楽章において主調に戻っている。これはすでにベートーヴェンに見られたものであり、両端1・4楽章が長・短調の関係をもって明暗のコントラストを持つこともベートーヴェンの第5番(運命)に類似している。

だが、この第1番の初演のとき終楽章の主題がベートーヴェンの第9交響曲〈合唱付き〉と似ているという指摘に対してブラームスは「そんなことは驢馬(ろば)にだってわかる」と言ってのけている。つまりベートーヴェンの影響下にあることは織り込み済みの上で彼にはもっと大きな自信があったのだろう。実際リストやワーグナー派が主流になった当時のロマン派的風潮の中で、ブラームスはむしろ時代と逆行して形式を重んずるバロック音楽やベートーヴェンを手本として独自な世界を作っていった。本来持つロマン的な感性と思考としての論理性の葛藤の中で、ブラームスは誰も成し得なかった独自の交響曲を創作していったのである。

第1楽章は、序奏を持つソナタ形式。序奏では重厚なハーモニーがティンパニによって導かれ、全曲を統一する主要動機が次々に現れ緊迫感を高めていく。主部はアレグロ ハ短調 8分の6拍子。ヴァイオリンによるエネルギッシュな第1主題が提示され展開された後、第2主題が木管によって柔和に歌いだされ、激しく展開されていく。

第2楽章はアンダンテ・ソステヌート ホ長調 4分の3拍子で三部形式である。ヴァイオリンが美しい第1主題を提示するのだが、その背後にファゴットが同じテーマをユニゾンで演奏している。この辺りは北の大地ハンブルク生まれのブラームス特有の分厚いオーケストレーションの特徴となっている。その後オーボエが表情豊かに第2主題を奏でるのだが、第3部では同じ主題が独奏ヴァイオリンによって極めて印象的に演奏される。

第3楽章も三部形式で、ウン・ポコ・アレグレット・エ・グラツィオーソ 変イ長調 4分の2拍子。第1主題はクラリネットで牧歌風に始まるのだが、10小節から成るこの主題は前半の5小節のフレーズがそのまま反転して後半の5小節を形成している。この辺りはブラームスのユーモアに満ちた遊びということだけでなく、論理的なこだわりという意味で細部まで徹底するのに十数年という歳月を要した原因ではないかと考える。中間部ではブラームスが生涯好んで用いた2つの動機が現れる。〈運命の動機〉が管楽器に現れ、弦楽器による〈死の動機〉がそれに応える。なおこの2つの動機はリズムの核として全編を通して登場する。

第4楽章、アダージョ ハ短調の序奏と、アレグロ・ノン・トロッポ・マ・コン・ブリオ ハ長調 4分の4拍子で展開部の無いソナタ形式。再現部で展開部を兼ねさせているのが大きな特徴だ。重々しい序奏とまるで嵐のような激しい弦のパッセージの後、ピウ・アンダンテ ハ長調の美しいアルペンホルン風の旋律は、ブラームスが愛するクララ・シューマンに贈った歌曲から引用されている。そして歓喜のコラールともいえる第1主題がヴァイオリンによって歌いだされ、様々な変奏の後、経過句的な第2主題が提示される。それと同時に音楽は熱を帯び、輝かしいクライマックスへと向かっていく。そしてこの「勝利のフィナーレ」が発想のすべてのもとであり、最初に構想されたのではないかと僕は考える。

初演は、1876年11月にカールスルーエの宮廷劇場でオットー・デッソフの指揮によって行われ、直後にはブラームスの指揮によりマンハイム、ミュンヘン、ウィーンでも演奏された。

 

モーツァルト/交響曲 第40番 ト短調 K.550

「モーツァルトの三大交響曲」と呼ばれる第39番から第41番までは、死の3年前にウィーンで書き上げられた。第39番が1788年の6月26日、続いてト短調の第40番が7月25日、第41番(ジュピター)が8月10日という驚くべき速さである。それぞれの交響曲が1ヶ月足らずで作曲され、そのうえこの3曲が音楽史に燦然と輝く不朽の名作なのだから畏れ入る。だが、どういった目的で作曲されたのか、つまり委嘱を受けて書いたのか、コンサートのためなのか自発的に書きたいから書いたのか(当時の状況からするとあり得ない)判明せず、実際に演奏されたのかでさえ疑わしいのである。

が、ト短調の第40番は演奏された確率が高い。その根拠は原曲にはクラリネットが入っていないのだが、改訂版には入っている。つまり何らかの必要に迫られて改訂されたのだから、用途(演奏)はあったということになる。

曲の美しさと完成度は人類が到達できる最高峰のものであることは間違いない。しかし、この名曲は同時に当時では考えられない調性の実験をしている。

第1楽章の展開部はなんと半音下の嬰ヘ短調から始まりさらに下降するという不安定な調性が続いていくのである。美しさと裏腹のこの不気味さがいっそうこの曲の神秘さを増している。

第2楽章は、まれに見る高雅で気品ある緩徐楽章である、と言われているがそれは表面だけ、これほど完璧な方程式のような無駄のない書法は、情緒的なものなど寄せ付けない厳しさがある。第3楽章のメヌエットは、ヴァイオリン群の強い2拍子系とヴィオラ・チェロ・コントラバスの3拍子系という上下2つの声部に分割され、対位法的な鋭い緊張とエネルギーをはらんで絡み合う。これに対してトリオ部では、なだらかな旋律が優しく歌いかわされるのだが、それが救いではある。

終楽章は、強弱対比の著しい第1主題で始まり激烈なパッセージが続き、一気に我々をデモーニッシュな世界へ連れて行く。ここでも展開部では刺激的な転調を重ねながら対位法的な声部の交差で劇的なクライマックスへと上り詰める。ブラームスが地上の音楽であるとするならば、モーツァルトはすべてを超越した、まさに天上の音楽である。

 

最後にこの2曲を指揮するにあたって、僕が考えたことはできるだけスコア(総譜)から読み取れる情報をそのまま再現すること、ブラームス、モーツァルトが作曲するにあたってどこに苦心したか、どう響いてほしいかを作曲家としての眼で読み取ることであった。だから、ドイツ的、ウィーン的なヨーロピアンな響きということには重きを置いていない。それはベルリンフィル、ウィーンフィルの演奏を聴いたほうがいい。常々考えることがある。我々、亜細亜人がクラシックを演奏するということは、そして少しでも価値があるとするならば、伝統にとらわれない自由な解釈(それもまっとうな)をする、あるいは徹底的に譜面を読み込み、別の視点で再構築することしかないのではないか。それが古典芸能ではなく、現代に通じるクラシック音楽のあり方ではないかと僕は考える。

久石譲

(【楽曲解説】 ~CDライナーノーツより)

 

 

「ブラームスの交響曲第1番。作曲家として譜面に思いを馳せると圧倒されて、自分の曲作りが止まってしまった。20年近くかけて作られただけあって実によく練られている。あらゆるパートが基本のモチーフと関係しながら進行していくのに、そのモチーフが非常に繊細で見落としやすく、読み込むのに相当な時間を要した。バーンスタインがマーラーに取り組むと3か月間は他のことができないと言っていたそうだけど、分かる気がした。その分、強い精神力が養われたけどね。ただ、あんまり突き詰めたもんだから、今度は多くの人に届くような曲がもう一度作れるだろうかという不安な気持ちも出てきた。芸術家は「自分はアーティストだ」と宣言した瞬間に成立するけど、エンターテインメントの世界でやっていくには、受け手の支持がないと始まらない。そういう時にたまたまSMAPの曲(「We are SMAP!」)を依頼されて、「遠慮せず行けるところまで行ってみよう」と振り切ることができたんだ。」

Info. 2010/10/13 ベストアルバム「メロディフォニー」を発売 久石譲さんに聞く(読売新聞より) 抜粋)

 

 

 

久石譲 『JOE HISAISHI CLASSICS 2 』

Brahms Symphony No.1 in C minor Op.68
ブラームス / 交響曲第1番 ハ短調 作品68
1. I. Un poco sostenuto-Allegro
2. II. Andante sostenuto
3. III. Un poco allegretto e grazioso
4. IV. Adagio-Più andante-Allegro non troppo, ma con brio
Mozart Symphony No.40 in G minor K.550
モーツァルト / 交響曲第40番 ト短調 K.550
5. I. Molto allegro
6. II. Andante
7. III. Menuetto:Allegretto
8. IV.Finale:Allegro assai

指揮:久石譲
演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
録音:2010年2月16日 東京・サントリーホール

 

Disc. 久石譲 『JOE HISAISHI CLASSICS 1 』

久石譲 『JOE HISAISHI CLASSICS 1 』

2010年7月28日 CD発売 WRCT-2001

 

「久石譲 クラシックス・シリーズ」第1弾

音楽家 久石譲が作曲家・演奏家としてではなく
指揮者として新しい視点とアプローチでクラシック音楽に挑んだ
選りすぐりのクラシック名曲集。

音楽はこれほどまでに論理的だったのか!
微細(ミニマル)な音までこだわった究極のクラシック

 

 

「誰がために音楽はあるか」

”久石譲クラシックス・シリーズ”のアルバムを発売することになった。

クラシック音楽は、一応音楽大学でモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、マーラー、バルトークなどの古典を勉強したが……「?」 それよりシュトックハウゼン、ジョン・ケージ、クセナキスといった現代音楽の方にのめり込んだ。

不協和音の複雑な音響とそれぞれの作曲家の思想に当時の今を感じたからだ。当然スコア(総譜)は何連音符も重なり真っ黒でありそこには調性もリズムもなかった。人間が理解する限界を超えた作品も多かった。「誰がこれを聞くのか?」「誰が理解できるのか?」という素朴な疑問も浮かんだその頃は「これが芸術だ」という時代の先端のカッコ良さを感じた。

その後、ミニマル・ミュージックに出会った。ミニマル・ミュージックは1960年代にアメリカで始まった新しい手法(当時は)で最小音型を繰り返しながら微細な変化を聴く音楽である。ここには調性もリズムもあった。僕がそこで取り組んだのは集団即興演奏の今で言うシステム構築に当たる方法の追求である。

次第に譜面は図形化していき丸い円の中にいくつかの音符が存在するという、もう生粋の前衛スタイルになっていた。また繰り返しの音楽は、やはり独特の演奏スタイルが必要なのでプラーナ(古伝書)アンサンブルという演奏団体も作った。誰もいない客席に向かって僕たちは新作を発表し続けた。

また何人かの若手作曲家と共同で新作の発表会も続けた。前衛的な音楽ではその音楽を成立させている思想性が重要になり、そこで流れる音自体はさほど問題ではない。あくまで結果なのである。いきおい仲間内では議論が多くなり、相手を論破することに夢中になる。徹夜の議論を繰り返していくうちに疑問がわいた。「これは音楽をすることなのか?」「これがオレのやりたい音楽なのか?」そして「誰に聞かせたいのか?」

その気持ちが年々強くなっていったとき、フィル・マンザネラやブライアン・イーノのロキシー・ミュージックを聴いた。ロックグループなのだがベーシックなアプローチはミニマル的要素が大きかった。そこには現代音楽が失った自由があった。そしてマイク・オールドフィールドの「チューブラー・ベルズ」(これは映画『エクソシスト』にも使われた)、タンジェリン・ドリーム、テクノ・ポップのクラフトワークなど、ミニマル的アプローチのロックグループが次々に現れてきたのをみて僕は動揺した。そちらの世界がうらやましくなったのだ。そしてオブスキュア・レーベルの一連のロック、ミニマルの融合したアルバムを聴くにおよんで前衛作曲家、ひいてはクラシック音楽の世界と決別し、エンターテインメントの音楽世界に身を投じた。その方が良いミニマル的なアプローチができると思ったからだ。

エンターテインメント音楽は非常に厳しい世界だ。芸術家は自分がある日「芸術家だ」と標榜すれば、あるいはそう思えは芸術家なのである。そしていつの日か認められる(シューベルトなど)ことを信じて生きていくことはできるが、エンターテインメント音楽は自分が決めるのではなく聴衆が決めるのである。つまり支持されないと仕事は来ない。しかも書法のテクニックなど無関係に時代の世相、流行に左右される。ある意味でジャンクフードをうまそうに食べるような逞しさも必要だ。

毎年200名近い人が音楽大学の作曲科を卒業し、その人たちがずっと何十年もたまっているのだから、それはもう数万人規模の作曲科卒とバンド出身の作曲家がいて、そしてそのほとんどの人が映画やテレビの音楽を担当したがっているのである。だから仕事をゲットすることはサッカーのワールドカップ決勝戦のチケットを手に入れることの数万倍、数十万倍難しいのである(この原稿当時ワールドカップが南アフリカで開催されていた)。

などと鼻息が荒くなったが、要は色々苦労してやっと映画音楽や様々な音楽を書く機会に出会えたということだ。もちろんミニマル作家としてのプライドもあり、色々なところにミニマル的要素を織り込んだことは間違いない。

段々規模の大きな作品を担当するようになると、オーケストラを使う機会が多くなった。そこで参考として、いわゆるクラシック作品の楽譜を眺めていると、実に多くのヒントを受けるようになった。

学生時代に授業で受けたスコアリーディングのベートーヴェンは退屈きわまりなかったし、チャイコフスキーに至ってはただしつこく繰り返しながらクライマックスに向かう山師的コザックおじさん、ブラームスはただただ音の分厚い暗い人くらいに思っていたのが(ちょっと誇張しているが)、今では細部の和音の扱い、弦楽器の音域配置、低弦でのリズム処理など恐ろしく知的で、これに行き着くために血みどろの葛藤があったことが読み取れるようになった。僕は感動し、クラシック音楽の前にひざまずいた。まさしく僕にとってクラシックは玉手箱(パンドラの箱)であった。

それは2004年に始めた新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラといったプロジェクトでクラシックの指揮をするようになったことにも起因している。作曲家として読む譜面と指揮者で読む譜面はまるで違う。前者は音の組み立てやリズムの構造、全体の構造などモチーフに則した楽曲の成り立ちに主眼をおくし、後者はそこまでの過程は同じでも演奏するための実践的な各パートへの指示などを中心に組み立てていくのである。

そうすると今まで見えていなかった景色が見えて来た。何故金管楽器をここで休ませたか? ここのフェルマータの意味は? 考えていくとすべてが必然であり、すべての指示には意味があった。先人たちの深い知恵に脱帽した。もっと知りたいしこの感動を指揮者として多くの聴衆に伝えたい。

そして「久石譲クラシックス」とうコンサートシリーズを開始した。同時にその思いは諦めたはずの現代音楽の作曲家としての自分を「Minima_Rhythm(ロンドン交響楽団と共演)」というアルバムを作ることで復活させ、今年からは国立音楽大学の作曲科の授業で学生たちとも接することになった。クラシックの世界に戻ったというか、放蕩息子、火宅の人がやっとたどり着くべき我が家に帰ったのに近い感覚だ。

しかしそれまでの回り道も悪くない、「色々な音楽を体験した」のは僕であり、それだからこそわかることもある。自分の生きる原点は音楽にあり、目指す彼方も音楽なのである。だから「誰がために音楽はあるか」の問いに僕は「自分が生きるため」と答えるし、それは多くの人たちの「自分のため」の音楽とリンクしているはずだ。その人たちに向かって僕は発信し続けていく。

そんなことを考えている中で「久石譲クラシックス」のライヴ盤がCD化される。恥ずかしさと同時に今でしか伝えられないこともあると思う。それはシューベルトやドヴォルザーク、ブラームスやモーツァルトなどといった曲は、小・中学校の音楽の授業でも扱うくらい一般的で(もちろん実際クラシックのコンサートでも頻繁に取り上げられているが)おなじみの曲ではあるのだが、実際指揮者として譜面を勉強してみると、何と深く立派な作品であることかと驚く。長い間人々に支持された曲はそれだけで充分名曲なのである。

だが、例えばドヴォルザークの「新世界より」を何十回も振っていたら消えてしまうであろう新鮮さといった類を、そのまま新鮮と感じているうちに、皆さんと共有したい。もちろん素晴らしいオーケストラの団員のサポートがあってこそ成立しているのだが。

またこの機会に今までなじみが無かったクラシック音楽に自分も接してみたいと思う人が一人でも現れたら、このCDの存在意義は達成されると僕は考える。

もちろん歴史的な名曲たちを現代の作曲家の観点からもう一度再構築したいという野望は当然ある。作曲家が頭の中で辿ったはずの曲を作る過程を追体験し、彼らが構築したかったこと、うまくいかなかったこと、こだわったこと、そして何よりも純粋に音の機能と運動性を重視して表現したい、それが西洋の伝統を持たない我々の表現であるし、今という時代とクラシックの唯一の接点であると考える。それは「誰がために音楽はあるか」の答えでもあると僕は考えている。

2010年6月 久石譲

(CDライナーノーツより)

 

 

久石さんの「新世界より」と「未完成」の指揮に寄せて

「個人的な希望だけど、指揮者として『運命』『新世界より』『未完成』を振ってみたい」。3年前の夏、久石さんの口からこんな発言が飛び出した時、ぼくは本当に驚いた。ぼくたちが普段親しでいる”久石譲”と、誰もが一度は耳にしたことがある”学校名曲”が、にわかに結びつかなかったからだ。しかし、本盤に収録された「新世界より」と「未完成」のライヴ録音を聴いて、ぼくは3年前の驚き以上の衝撃を受けた。「楽譜に書かれている音符は、聴衆の前ですべてを明らかにする」という分析的なアプローチを、久石さんが頑なに守り通し、また、それを見事に実践いていたからである。

本盤を手に取られたリスナーは、「楽譜なんか怖くて読んだことがない」と尻込みせずに、ぜひともオーケストラの総譜(ミニチュアスコアが簡単に入手できる)を眺めてほしい。久石さんの指揮を聴きながら楽譜を見ると、音符を目で追うことがとても易しく、しかも楽しく感じられるはずだ。それだけでなく、久石さんの演奏は「新世界より」と「未完成」を何百回となく聴きこんできたリスナーにも、多くの新鮮な発見と驚きをもたらしてくれる。

例えば、「遠き山に陽は落ちて」のイングリッシュホルンの第1主題でおなじみの「新世界より」~第2楽章も、久石さんのタクトにかかると全く違った表情を見せ始める。第1主題を第1ヴァイオリンが受け継ぐ時、第2ヴァイオリンがひそやかに囁くシンコペーションの意味深さ(30小節目から)。あるいは嬰ハ短調の中間部、フルートとオーボエがひなびた歌を奏でている裏で、反復パターンを繰り返す第1ヴァイオリンの木の葉のざわめき(54小節目から)。久石さんは、まるで「細部に神は宿りぬ」と言わんばかりに、どんな小さな音符や音形も見逃さず、すべてを白日の下に晒していく。これら膨大な細部の積み重ねなくして、「遠き山に陽は落ちて」が人々の記憶に残ることはあり得なかった。その厳然たる事実を、久石さんは慎重にメスを執る解剖学者のように明らかにしていくのである。

巨匠風の重々しいテンポで演奏される「未完成」も実にショッキングな演奏だ。その第1楽章、木管が「♯ファーシー♯ラシ♯ド」と吹く第1主題や、チェロが「ソーレーソ♯ファソラー」と弾く第2主題が美しいことは、誰でも知っている。だから久石さんは、それらを必要以上にカンタービレを強調して歌わせることはしない。その代わり、シューベルトの歌謡的な旋律の美しさの影に隠れた”地味”な側面を、久石さんは謙虚に、しかし確信をもって強調していく。第1主題の裏でいつ果てるともなく繰り返しを続ける、ヴァイオリンの16分音符と低弦のリズムのうねり(9小節目から)。あるいは、展開部に入ると弦が刻み続ける、全身を揺さぶるようなトレモロの震え(338小節目から)。これらリズムやトレモロを、久石さんは一音たりとも疎かにせず、まるで階段を一段一段踏みしめていくように、はっきりと、魂をこめて演奏していく。その結果、もはや「未完成」が”学校名曲”のままでいることは、あり得ない。この曲が驚くほど微小(ミニマル)なモザイクの上に築き上げられているという核心的な真実を、ぼくたちは久石さんの指揮を通じて知ってしまったからである。

前島秀国(サウンド&ヴィジュアル・ライター)

(CDライナーノーツより)

 

 

【楽曲解説】

ドヴォルザーク/交響曲 第9番 ホ短調 作品95 「新世界より」

19世紀後半のチェコの偉大な作曲家ドヴォルザークは何といってもクラシックの3大メロディーメーカーのひとりである。勝手に僕が決めているだけなのだが、ちなみに後の二人はビゼーとチャイコフスキーだといっているのだが、それではシューベルトはどうなのかと問われたらもちろん、と答えてしまう程度のタニマチ的ベスト3なのである。

とにかく今で言うところの、最も優れたキャッチーな作曲家である。ブラームスは「彼がゴミ箱に捨てたスケッチでシンフォニーが1曲書ける」というほどドヴォルザークのメロディを評価していた。

が、それだけではなくスコアを追っていくとよくわかるのだが、とても緻密にオーケストラを書いている。色々なモチーフ(音型)を散りばめ、ポリフォニックに構築しながら全体の構成に気を配っている。ところが、幸か不幸か、あまりにもメロディがキャッチーなため、「タータータータータターン(第4楽章の10小節目)」と派手にホルンとトランペットが第1テーマを鳴り響かすと、聴衆の耳はそちらに集中するので、メロディの後ろの緻密さにはなかなか気づかない。

「新世界より」は、ドヴォルザークがニューヨークにある音楽院の学長として呼ばれ、1983年、アメリカで最初に書いたシンフォニーである。初演はカーネギーホールでニューヨーク・フィルハーモニック協会管弦楽団によっておこなわれた。それは一大センセーショナルを巻き起こすほどの大変な成功を収めた。

この楽曲の本質はタイトルから迫ることができるだろう。楽譜を出版する際にドヴォルザーク自身の合意のもとでつけられたのが「新世界(The New World)」ではなく、「From the New World(新世界より)」だった。

ドヴォルザークが異国の地であるニューヨークに滞在したときに一番考えたことは、自分の故郷であるチェコのことではないだろうか。異国の地に長く滞在すると感じる望郷の念を、おそらく彼も人一倍に感じたに違いない。そのうえアメリカの先住民(インディアン)や多種多様なフォークソング(民謡)黒人霊歌に接する機会があり、作曲的なインスピレーションも受けた。だからこの曲に関して言えば、新天地・アメリカと、故郷・チェコのモチーフが、微妙に交じり合い独特な情緒的世界を築いている。

そして、忘れてはならないドヴォルザークのもう一つの大きな特徴は、独特なリズム感にある。我々日本人には到底真似できないほどの複雑なリズム、これは彼のおそらく血の中にあるスラブ的リズムだろう。特に第3楽章では、顕著に現れる。3拍子の速い楽曲なのだが、そのリズムも聴きどころの一つである。

 

シューベルト/交響曲 第7番 ロ短調 D.759 「未完成」

シューベルトは、31歳で亡くなった。が、その若さで、実に膨大な数の曲を書いている。1822年に作曲されたこの「未完成」は、彼が没後45年目に初演されたのだから、生前は一度もこの曲を聴いていないことになる。

だからなのだろうか、実はこのスコアをみると(こんな偉大な先達にこんな言い方は失礼千万なのだが)、これはあり得ないだろうと思う譜面の書き方をしている箇所がある。例えば、クラシックをかじった人ならわかると思うのだが、ソ・シ・レ・ファという和音があると、ソとファの長二度でぶつかる音をそのまま、フルートからオーボエ、クラリネット、ファゴットまで、オクターブユニゾンで書いてある。

実演していたならば、きっと書き直したに違いないと思ったが、実際に僕がリハーサルで指揮をして気づいたことは、そのナタで割ったようなスパッとした書き方が、この「未完成」という曲の独特の魅力になっていることだった。もちろん響きを作るうえでこの「未完成」はとても難しい曲である。オーケストレーションに問題は確かにある。が、美しいメロディの裏側にある激しい感情の起伏をどうとらえるか表現方法は全く異なってしまう。また2つの楽章が同じ3拍子で、楽想も長調と短調の差はあるが極端なコントラストを描いてはいない。実際シューベルトの音楽はこの長調と短調を揺れるがごとく行き来するので、すべての感情は哀しみに包まれるのだが、それゆえ全体の構成が掴みづらいのである。

そのうえ成立しなかった第3楽章のスケッチが残っているのだが、これも確か3拍子であったと記憶している。思いに任せて書き綴っていったが長い交響曲の性格上、これでは構成的ににっちもさっちもいかなくなって先が続かなかった、つまり「未完成」に終わったというのが僕の推理である。が、しかしそれがこの曲を中途半端にしたわけではない。むしろ同じ方向で書くべきことはすべて書き尽くしたから筆を休めたわけで、沢山の曲を平行して作っていったシューベルトは、しかも締め切りは無く思いつくまま作曲していたのだから、またいつかこの曲の神が降りて来てもおかしくないわけで、続きを本当に書くつもりだったのかもしれない。何よりも音楽史上最も魅力的な言葉「未完成」を手に入れたのだから作曲家冥利に尽きる。

シューベルトの最も天才的な部分は、ハーモニー感覚の凄さにある。普通は、ある調からある調に移るには正当な手続きを踏んで転調するように書くのだが、シューベルトはたった一音で次の調に自然に移ってしまう。例えば、第1楽章の38小節目のホルンとファゴットが最後の2音だけで転調してしまうのだ。或いは、第2楽章の後半で、第1ヴァイオリンだけになり、その最後のたった一音で完全に転調してしまう(280小節、295小節など)。これほどの天才は他に見たことがない。

シューベルトは本当に書きたいから書いた。注文を受けて書いたのでも、コンサートがあるから書いたわけでもない。村上春樹氏曰く、ひたすら自分が書きたいから書いた。クラシックの世界での評価は形式がイマイチである、歌曲のメロディのようだといった風評があるが、僕の考えでは、そんな次元の人ではない。本当に書きたいから書いた。湧いて出るから書いた。

最後に音楽評論家吉田秀和氏の言葉を引用しておく。「シューベルトは、社会の中に自分のいる場所がどこにも無いことを発見した、最初の近代音楽家であった。彼のように、他の人間を誰ひとり傷つけることなく、創造一途に生きる人間は、社会からはじきだされるほかなかったのである。誰から注文されたわけもないのに、音楽を書き、いつ演奏されるというあてもないのに音楽を書くということは、モーツァルトにも、ベートーヴェンにも、非常に稀な場合のほかには考えもおよばないことだった。~中略~彼は虚空に向かって、歌を歌った」 虚空に向かって、歌を歌ったシューベルトを僕は表現できたのだろうか……。

久石譲

(【楽曲解説】 ~CDライナーノーツより)

 

 

 

「僕の指揮はメロディーのパートをほとんど振ってなくて、ビオラなど内声を受け持つ人たちに「もっと出して!」って指示している。CDに収録したドボルザークの「新世界より」はその典型だよね。メロディーが有名すぎて、ともすれば他の音の印象が薄くなってしまうけど、それぞれのハーモニーが持っている素晴らしい響きを伝えたかった。作曲する時も同様で、内声をどう書くかで表情が決まる。メロディーの果たす役割は大切だけど、楽曲にとっては全体の一部でしかないんだ。」

「指揮をするにあたり、東洋人がクラシック音楽をやるのはどういうことなのかということを考え続けた。西洋音楽として本格的なものを味わいたければ、ウィーンフィルやベルリンフィルを聴けばいい。しかし、現代音楽の作曲家としてその楽曲をどうとらえるかという観点では、今を生きる自分がやる意味がある。」

Info. 2010/10/13 ベストアルバム「メロディフォニー」を発売 久石譲さんに聞く(読売新聞より) 抜粋)

 

 

 

久石譲 『JOE HISAISHI CLASSICS 1 』

Dvořák Symphony No.9 in E minor Op.95 《From the New World》
ドヴォルザーク / 交響曲 第9番 ホ短調 作品95 「新世界より」
1. I. Adagio-Allegro molto
2. II. Largo
3. III. Scherzo. Molto vivace
4. IV. Allegro con fuoco
Schubert Symphony No.7 in B minor D.759 《Unfinished》
シューベルト / 交響曲第7番 ロ短調 D.759 「未完成」
5. I. Allegro moderato
6. II. Andante con moto

指揮:久石譲
演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
録音:2009年3月24日 東京・サントリーホール

 

Disc. V.A. 『久石譲 セレクテッド カルテット・クラシックス』

久石譲セレクテッド・カルテット・クラシックス

2001年9月27日 CD発売 UCCG-3247

 

初監督作品 映画「カルテット」の公開にちなみ久石譲が自らセレクトした弦楽四重奏曲のコンピレーション・アルバム

 

 

「カルテット」はクラシック音楽のエッセンス

『カルテット』という映画を作るに当たって約1年がかりで脚本を練り、弦楽四重奏を目指す若者の話なので、同時にカルテットの楽曲をすごく調べたんです。モーツァルト、ベートーヴェンなどのCD、スコアも手に入れて調べていきましたが、映画自体では音楽家としての自分の色を出すために結果としてどれも使用しませんでした。けれどもラヴェルのカルテットであったりとか、名曲がたくさんあって、その時の経験から「カルテット・クラシックス」として皆様にも聴いてほしいと思ったのが、このアルバムを企画した理由です。

音楽を志した頃から、弦楽四重奏というものは当然あるべきスタイルとして頭にありました。カルテットというのは、基本的にはクラシック音楽のエッセンスだという気持ちがすごく強いんです。例えばベートーヴェンの作曲の仕方を見ていても、それぞれの時期、時代にまずピアノ・ソナタで新しい方法にチャレンジする、それをオーケストラでうんと拡大してその時期の自分のスタイルを確立して、最後に必ず弦楽四重奏を書くんですよ。それによってある時代の自分の音楽のアプローチというものに必ず区切りをつけていきます。ピアノでまずチャレンジ、オケで拡大、最後にカルテットでその時期をまとめるという繰り返しです。

ベートーヴェンにとってカルテットはどのくらいの重さがあったんだろうか、と作曲家として考えることがよくありました。我々が作曲を勉強する時に和声学という勉強をします。和声学はソプラノ、アルト、テナー、バスという4声体を基準にして音楽を作るんです。そうすると実は弦楽四重奏はそれと全く同じ形式になってしまう。つまり、作曲をやる上で最初に学ぶ形態が発展したものが弦楽四重奏なんだなというのが僕の根底の考え方です。したがって、作曲家にとって弦楽四重奏に最後に行き着くというのは、それが無駄をすべて削ぎ落とした本当のエッセンスのような究極の形態であるからという気がします。

久石譲

(CDライナーノーツより)

 

 

【楽曲解説】

1.シューベルト:弦楽四重奏曲 第13番 イ短調 D.804 《ロザムンデ》 ~第2楽章
F.P.シューベルト(1797-1828)は、未完成作品を含めて全部で15曲の弦楽四重奏曲を残しているが、1824年に作曲されたこの第13番は、第2楽章に劇音楽《ロザムンデ》の間奏曲の旋律が流用されていることによって名高い作品である。そしてアンダンテのその第2楽章は、自由なロンド形式による緩徐楽章であり、ロザムンデの主題の反復から優美でやわらかい美しさが醸し出されている。

2.ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲 《糸杉》 ~第1曲「君に対する私の愛情は」
A.ドヴォルザーク(1841-1904)は、1865年に全18曲から成る歌曲集《糸杉》を作曲したが、弦楽四重奏のための《糸杉》は、作曲者自身がそこからピック・アップした12曲を弦楽四重奏のために1887年に編曲したものであり、ロマンティックで詩的な性格の小品集といった内容を呈している。そして、このアルバムに収められている「君に対する私の愛情は」は、その第1曲にあたるものである。

3.ラヴェル:弦楽四重奏曲 ヘ長調 ~第2楽章
M.ラヴェル(1875-1937)は、弦楽四重奏曲を1曲しか残していないが、27歳の彼の筆から生まれたこの1曲は、この作曲家の名声を不動のものにした傑作である他、彼の才能の全貌が具体化した最初の作品と目される注目作でもある。アセ・ヴィフートレ・リトメの第2楽章は、3部形式によるスケルツォ楽章であり、トリオの部分では、主部の2つの主題を素材にして多彩な展開が繰り広げられる。

4.チャイコフスキー:弦楽四重奏曲 第1番 ニ長調 作品11 ~第2楽章 (アンダンテ・カンタービレ)
P.I.チャイコフスキー(1840-1893)は、全部で3曲の完成された弦楽四重奏曲を残しているが、1871年に完成されたこの第1番は、それを聴いたトルストイが第2楽章の美しさに涙を流したと伝えられている作品である。「アンダンテ・カンタービレ」の名で単独でも有名になっているその第2楽章は、自由な形式による緩徐楽章であり、ロシア的で綿々とした抒情美がまさに限りない名場面になっている。

5.ハイドン:弦楽四重奏曲 第77番 ハ長調 Hob.III:77 (作品76-3) 《皇帝》 ~第2楽章
1796年に作曲されたこの第77番は、F.J.ハイドン(1732-1809)の弦楽四重奏曲のなかでも最もポピュラーなものであり、そこでは、第2楽章の主題にハイドンが作曲した旧オーストリア国家「皇帝讃歌」が流用されている。そして、ポーコ・アダージョ・カンタービレのその第2楽章は、変奏曲形式による緩徐楽章であり、有名な皇帝の主題と4つの変奏から構成されている。

6. モーツァルト:弦楽四重奏曲 第17番 変ロ長調 K.458 《狩》 ~第1楽章
全6曲から成る「ハイドン・セット」は、W.A.モーツァルト(1756-1791)の弦楽四重奏曲を代表する傑作であるが、その第4曲にあたるこの「狩」は、1784年9月9日に完成されたものであり、第1楽章の第1主題が狩の時のラッパを連想させることから、「狩」と呼ばれるようになった。そして、アレグロ・ヴィヴァーチェ・アッサイの第1楽章は、第1主題に強い独立性が与えられたハイドン風のソナタ形式による楽章である。

7.ボロディン:弦楽四重奏曲 第2番 ニ長調 ~第3楽章 (夜想曲)
ロシア国民楽派の五人組の1人であるA.P.ボロディン(1833-1887)は、全部で2曲の弦楽四重奏曲を残しているが、1881年に作曲されたこの第2番は、そのなかでも特に演奏される機会の多い傑作であり、情緒豊かで色彩感に富んだ作品になっている。そして、ボロディンのノットゥルノ(夜想曲)として単独でも広く親しまれているアンダンテの第2楽章は、綿々と歌われる甘美な旋律がたまらなく美しい緩徐楽章である。

8.プッチーニ:弦楽四重奏のための 《菊》
イタリア歌劇を代表する大作曲家の1人であるG.プッチーニ(1858-1924)は、歌劇を中心にした創作活動を続けながらも先輩のヴェルディとは異なり、数は決して多くはないもののオーケストラ曲や室内楽曲の作曲にも手を染めている。そして、1892年に作曲されたこの「菊」は、繊細で可憐な抒情美が光彩を放っている作品であり、まさに菊のイメージを連想させるような音楽になっている。この作品では、本来は弦楽四重奏のために書かれているが、弦楽オーケストラのためにも編曲されている。

9.ドビュッシー:弦楽四重奏曲 ト短調 作品10 ~第1楽章
C.A.ドビュッシー(1862-1918)は、弦楽四重奏曲を1曲しか残していないが、1893年に完成をみたその弦楽四重奏曲は、印象派音楽の確立と発展を担うドビュッシーの試みが見事に結実した作品であり、非現実的な官能美やファンタジーが豊かに息づいている傑作になっている。アニメ・エ・トレ・デジテの第1楽章は、ソナタ形式による楽章であるが、定石に束縛されない自由な創意が大きな成果を実現させている。

10.ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第13番 変ロ長調 作品130 ~第5楽章
L.V.ベートーヴェン(1770-1827)後期の弦楽四重奏曲は、幽玄で深遠な表現を特色とした晩年のこの大作曲家ならではの傑作として名高いが、そのなかの1つであるこの第13番は、1825年に完成された6楽章制による異例の弦楽四重奏曲である。そして、カヴァティーナ、アダージョ・モルト・エスプレッシーヴォのその第5楽章は、3部形式による緩徐楽章であり、作曲者自身が会心の作と述べた静かで叙情的な音楽である。

柴田龍一

(楽曲解説 ~CDライナーノーツより)

 

 

久石譲セレクテッド・カルテット・クラシックス

1. 弦楽四重奏曲 第13番 イ短調 D.804 《ロザムンデ》 ~第2楽章 (シューベルト)
2. 弦楽四重奏曲 《糸杉》 ~第1曲「君に対する私の愛情は」 (ドヴォルザーク)
3. 弦楽四重奏曲 ヘ長調 ~第2楽章 (ラヴェル)
4. 弦楽四重奏曲 第1番 ニ長調 作品11 ~第2楽章 (アンダンテ・カンタービレ) (チャイコフスキー)
5. 弦楽四重奏曲 第77番 ハ長調 Hob.III:77 (作品76-3) 《皇帝》 ~第2楽章 (ハイドン)
6. 弦楽四重奏曲 第17番 変ロ長調 K.458 《狩》 ~第1楽章 (モーツァルト)
7. 弦楽四重奏曲 第2番 ニ長調 ~第3楽章 (夜想曲) (ボロディン)
8. 弦楽四重奏のための 《菊》 (プッチーニ)
9. 弦楽四重奏曲 ト短調 作品10 ~第1楽章 (ドビュッシー)
10. 弦楽四重奏曲 第13番 変ロ長調 作品130 ~第5楽章 (ベートーヴェン)

演奏:
ハーゲン弦楽四重奏団 1. 2. 8.
ラサール弦楽四重奏団 3. 9. 10.
アマデウス弦楽四重奏団 4. 5. 6.
ドロルツ弦楽四重奏団 7

録音:1968年-1993年

DIGITAL RECORDING:1. 2. 5. 6. 8.