Blog. 「クラシック プレミアム 41 ~リヒャルト・シュトラウス~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/7/29

クラシックプレミアム第41巻は、リヒャルト・シュトラウスです。

 

【収録曲】
交響詩 《ツァラトゥストラはかく語りき》 作品30
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1983年

交響詩 《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》 作品28
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1972年

交響詩 《ドン・ファン》 作品20
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1973年

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第40回は、
譜面の発達 - ポリフォニー音楽の時代

今回もとても難しい講義でした。何度も読みながら少しずつ理解できていくのかなという印象です。

一部抜粋してご紹介します。

 

「前回書いたピエール・ド・ラ・リューという人がポリフォニー音楽を創始したわけではない。その時代には何百、何千人(あるいはもっと大勢か)の作曲家が存在し、時代の潮流として多発的に新しい方法論としてポリフォニー音楽に行き着いた。しかもそれはある日突然始まったものではなく、前後100年くらいの糊しろ、重複期間があった。つまりポリフォニーとかバロック時代という時代区分は後付けでしているだけで、どの時代にも先進的な方法をとる人も、ブラームスのような前からの方法論に固執する人もいてはっきり特定することはできない。ポリフォニー音楽はだいたい中世~ルネサンス時代に盛んだったとされているが、実際にはもっと前にそういう方法で書いていた人がいてもおかしくない。それどころか紀元前の古代ギリシャには和音があったというのだから、モノフォニー(単旋律の音楽)の時代が本当に単旋律だったかどうかさえわからなくなってくる。」

「ついでにいうとグレゴリオ聖歌も、ある旋法に即して作られたものではない。後の時代に研究者がたくさんのメロディーを分析し、ドリア、ヒポドリア旋法などに分類したにすぎない。だからどの旋法にも当てはまらない聖歌は多数存在する。つまりはっきりした音源なり、譜面がないから歴史的資料を踏まえた推定なのである。ここで重要なことは「理論は後からついてくる」ということである。これは覚えておいてほしい。」

「さてポリフォニー音楽は即興的に演奏するのでは成立しない。なんらかの意図を持っていくつものパターンを吟味し、精査し、音を選んでいかなければならない。つまり作曲である。作曲は頭の中だけではできない。構想を練ることはできるが、吟味精査は無理である。ではなぜ可能になったのか? 譜面の発達である。」

「モノフォニー音楽の時代は言葉だけ、あるいは言葉の上下に波のような曲線がまるで小節回しのように書いてあるだけだったが、徐々に横に線が数本引かれ、音符のような黒い物体が音程らしきメロディーの起伏にそって置かれるようになった。後のネウマ譜(グレゴリオ聖歌の記譜法)である。この段階ではまだ4線譜面なのだが、譜面はさらなる進化を遂げていく。そうすると音楽は視覚化され、さまざまな組み合わせを考えるようになる。そして即興的なものと作曲は別のものになり、作曲家が誕生したわけだが、もちろん専業というわけではない。」

「実際、クリスマス・ミサ曲《幼子が生まれた》のオリジナル(というのもはっきりしているわけではないが)は4線譜なのだが、先ほどのラ・リューの残した同曲中〈キリエ〉のテノール・パートの譜面は5線譜になっており、小節線こそないが音程や音の長さははっきりわかる。つまり400~500年かけて表記が発達し、音楽の精度が向上していった。」

「ここはまったく個人的な考えなのだが、ポリフォニー音楽の原点は繰り返す、ということにあったと思っている。つまりカノン(輪唱)だ。人があるフレーズを歌ったとする。それを聞いて遅れて同じフレーズを他の人が歌う。また新たなフレーズが歌われた、それをまた真似て歌う。最もシンプルなポリフォニー音楽だが、同時にこれは世界中の民謡や、祭事の音楽の原点でもある。この繰り返す、ということが今日のミニマル音楽に繋がると言ってしまうと手前味噌か(笑)。」

「ついでにいうと繰り返すのではなく、一つの旋律を複数の声部が歌いながらズレていき、多声部化する音楽がある。日本の声明(しょうみょう)や民族音楽に多く見られるのだが、これはヘテロフォニーといってポリフォニー音楽とは別のものだ。」

「とにかく、このカノンは後のハーモニー(ホモフォニー)時代でも、モーツァルトの交響曲第41番《ジュピター》の第4楽章を持ち出すまでもなく、多くの作曲家が技法の一つとして使用し、十二音音楽のウェーベルンの後期作品でもかなり重要な要素になるのだが、話を戻そう。」

「最初はただ遅れて繰り返していたのだが、そのうち言葉の問題などもあり、音程やリズムが微妙に変化していった。やがてそれらは独立した別の声部として歌われるようになった。もちろんそれはネウマ譜によって記録されていくのだが、この単体から複数になることはものを考える上で大変重要だ。」

「つまり一つのものを提示されたとき、人はそれを受け入れるか否か、あるいは興味の対象外かの反応しかない。要するに好きか嫌いか無関心である。だが、2つ提示されるとそれぞれの関係性や意味などを考えなければならない。そこに、あーなればこうなる、といった論理性が生まれる。論理は時間軸の上で成り立つがそれを俯瞰するためにも空間的な視点が必要だ。いや、逆か。ポリフォニー音楽という立体的(空間的)表現をするためにも、譜面という時間軸を基準とした書き物でその因果関係を確かめる……なんだか難しくなってきた。続きは次回で。」

注)
ポリフォニー音楽:複数の声部が独立して動く音楽。
ホモフォニー:主旋律の声部と伴奏の和音をなす声部からなる音楽形態。

 

 

とても難しく、頭の中が聞きなれない言葉でグルグル回っています。モノフォニー…ポリフォニー…ホモフォニー…さらにはヘテロフォニー…??

実際に「この曲はポリフォニーです。これはヘテロフォニーです。」などと、音楽を例に聞きながらではないと違いがいまいち楽典だけではわかりません。そして読み進めながら気になった箇所(ばかりではありますが)が、

「ついでにいうと繰り返すのではなく、一つの旋律を複数の声部が歌いながらズレていき、多声部化する音楽がある。日本の声明や民族音楽に多く見られるのだが、これはヘテロフォニーといってポリフォニー音楽とは別のものだ。」

 

今回の内容をさらに一層奥深く難しくする箇所だったのですが。これを読みながら浮かんだのが、『かぐや姫の物語 ~女声三部合唱のための~』という楽曲です。詳しい曲解説は、ディスコグラフィーをご覧いただくとして。

Disc. 久石譲・高畑勲 『かぐや姫の物語 ~女声三部合唱のための~』

かぐや姫の物語 ~女声三部合唱のための~

 

楽曲レビューには、「まさに日本語による”ミニマル合唱” “ミニマルコーラス” “ミニマルクワイア”という新しい息吹きが吹きこまれた楽曲である。」なんて書いていたのですが。この楽曲はミニマル手法が施された楽曲であることは間違いありません。

そのうえで、上のエッセイ内容に照らしあわせたときに、この曲はポリフォニーの分類されるのか、はたまたヘテロフォニーなのか。。。そんなことを悶々と考えておりました。

 

映画『かぐや姫の分類』の公開から1年後に新たに誕生した合唱版。そのいきさつや想いも語られていない作品ではありますが、ぜひ楽典的にもどういうアプローチをした作品だったのか、そんなことを久石譲ご本人からいつの日か聞ける日を夢見て。

 

クラシックプレミアム 41 リヒャルト・シュトラウス

 

Disc. 久石譲 『MIDORI Song』 *Unreleased

2015年7月23日 発表 (寄贈先公式HP)

 

認定NPO法人 ミュージック・シェアリングに寄贈された楽曲。

「MIDORI SONG」
作曲:久石譲
編曲:Chad Cannon
演奏:USC Thornton School of Music

 

 

五嶋 みどり公式コメント

「全世界の子供たち、ボランティア、先生方、お父さん、お母さん、みんな大きな声で歌いたくなる、みんなの前で弾きたくなる「MIDORI Song」がミュージック・シェアリングに届けられました。」

「作曲者は何と、“久石 譲”。この場で公開することができませんが、お待ちください、もうすぐこのメロディーを、今度は私が貴方に届けます。」

 

 

 

約4分の小品。上記コメントにもあるとおりクラシカルでシンプルなメロディーをもった清らかな作品である。ハ長調で書かれたこの作品はまさに音楽の教本ともいうべき親しみやすい旋律と響きをもっている。

4小節のモチーフにこの作品の気品が凝縮されており、様々なかたち(楽器/調性)で展開していくが、決して奇をてらうことのない、まっすぐで正統な作品構成となっている。

中間部転調に向かう箇所がいかにも久石譲らしい躍動感を生んでいるが、楽曲全体は編曲者が他者となっているため、どこまでを基本構成として根幹を担ったのか、どこまでを編曲者に委ねたのかは不明である。

一同に介したホール録音というよりも、おそらくこの音源のためにレコーディングおよびパート録音をミックスしたであろう響きがうかがわれる。

小編成オーケストラ、チェンバロ、バイオリンソロなど、バロック音楽を思わせる、快活で弾むような晴れやかさと気品をそなえた小品である。当NPO法人の活動理念にふさわしい「子供たちが音楽を楽しむ」情景が微笑ましく浮かんでくるような、ミュージック・シェアリングを象徴する楽曲となっている。

 

 

2015年12月、一部(限定)公開された公式動画を視聴しての感想であり、活動プロモーションフィルムのように、静止画スライドショーで活動履歴や紹介映像として構成されていた。

CD作品化されていない楽曲である。

 

 

MUSIC SHARING

 

Info. 2015/07/21 [CDマガジン] 「クラシック プレミアム 41 ~リヒャルト・シュトラウス~」 久石譲エッセイ連載 発売

2015年7月21日 CDマガジン 「クラシック プレミアム 41 ~リヒャルト・シュトラウス~」(小学館)
隔週火曜日発売 本体1,200円+税

「久石譲の音楽的日乗」エッセイ連載付き。クラシックの名曲とともにお届けするCDマガジン。久石による連載エッセイのほか、音楽評論家や研究者による解説など、クラシック音楽の奥深く魅力的な世界を紹介。

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Blog. 「クラシック プレミアム 40 ~シューベルト2~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/7/15

クラシックプレミアム第40巻は、シューベルト2です。

第10巻にて、シューベルト1として、交響曲 第7番 《未完成》 第8番 《ザ・グレイト》が収録されていました。今号では歌曲集となっています。

 

【収録曲】
ピアノ五重奏曲 イ長調 D667 《ます》
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)
ボロディン弦楽四重奏団団員
ゲオルク・ヘルトナーゲル(コントラバス)
録音/1980年

歌曲 《魔王》 D328
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)
録音/1958年

歌曲集 《美しい水車屋の娘》 D795 より
〈さすらい〉 〈小川の子守歌〉
イアン・ボストリッジ(テノール)
内田光子(ピアノ)
録音/2003年

歌曲集 《冬の旅》 D911 より 〈菩堤樹〉 〈あふれる涙〉
歌曲集 《白鳥の歌》 D957 より 〈セレナード〉
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)
録音/1962年

歌曲 《野ばら》 D257
イアン・ボストリッジ(テノール)
ジュリアス・ドレイク(ピアノ)
録音/1962年

歌曲 《アヴェ・マリア(エレンの歌 第3)》 D839
バーバラ・ボニー(ソプラノ)
ジェフリー・パーソンズ(ピアノ)
録音/1994年

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第39回は、
音楽の始まり - 古代ギリシャからグレゴリオ聖歌へ

前号では、「倍音」に関する中身の濃い講義のような内容でした。今号では音楽の起源までさかのぼって綴られています。そして久しぶりの近況報告もあり。今久石譲が何をしているのか、今後お披露目されるであろう水面下の制作。エッセイならではの久石譲活動をのぞけてうれしい限りです。

一部抜粋してご紹介します。

 

「音楽はいつ、どこで始まったのか? そしてどう進化し続けるのだろうか? 未来の音楽は? そんなことばかり考えていると何もできなくなるから、とりあえず目先の作曲に専念する。」

「今書いているのは秋に初演するエレクトリックヴァイオリンと室内オーケストラの作品で、約25分の長さの僕にとっては大作なのだが、そのスケッチはできた。これから夏のW.D.O.(ワールド・ドリーム・オーケストラ。あと1ヶ月半しかないのだが1ヶ月前には譜面を渡したいから実質半月!)の演目の仕上げをして、その後、コントラバス協奏曲のスケッチを書かなければならない。その間に他の仕事もするから、エレクトリックヴァイオリンの仕上げは夏の終わりか秋口か……やれやれ。」

「話を戻して、音楽は人類が始まってからずっと人々の身近にあった。例えば生まれたばかりの赤ん坊が音に関心を示すだけではなく、音楽にも敏感に反応することから、DNAのどこかに音楽的シナプスが組み込まれているのではないかとさえ思える。つまり音楽は人間にとってあるべき自然なものなのだ。」

「その音楽の起源はわからない。が、古代の遺跡などから人間との関わりを推察することはできる。例えば歌っている人のレリーフだったり、笛や太鼓、ハープなどの楽器が発見されたり、壁画、あるいは象形文字などで音楽を演奏する記述が残っている。はるか昔、紀元前3500年頃のメソポタミア、古代エジプトなど、それぞれの時代に彼らがどんな音楽を演奏していたのか? 実際の音は残っていないからわからないのだが、想像するだけで楽しい。」

「だが、古代ギリシャに関しては、西洋文明の発祥の地でもあり、音楽が盛んだったと言われている。音階やリズム、そして和音まであって音楽が理論化されていたらしい。実際デルポイにある石碑に、当時の楽曲がギリシャ文字とギリシャの音楽記号で書かれているものが発見されている。またピタゴラスやプラトンなどの哲学者は、宇宙の調和の根本として音楽を研究していた。特にプラトンの音楽に関する考えは今日の音楽状況に対しても通用する鋭い啓示になっているのだが、これはいつかまとめて書きたい。なぜそこまで知っているか、あるいはこだわるかと言えば、実は映画の監督をすることになったとき、プラトンの考えを題材にするために調べたからである。」

「グレゴリオ聖歌は単旋律(モノフォニー)、つまり一つのメロディーを独唱したり斉唱したりするのだが、前回書いた倍音から導かれた音階は、ここで教会施法という形になった。この音階と施法は混同しがちなのだが、音階は倍音に基づいた音のステップ、あるいは階段で、施法は中心音などそれぞれ役割を持った音の順列だ。あれ、ややこしくなってきた。音階というとハーモニー理論が確立された後の長音階や単音階だと思われる方も多いと思うが、そうではない。半音階もあれば、全音階もある。詳しく知りたい人はインターネットや音楽理論書を読んで下さい、ますますわからなくなるかも知れないけど(笑)。」

「この協会施法にはドリア、ヒポドリア、フリギア施法などあるのだが、これは講義ではないから割愛する。」

「さて一般の生活の中にも音楽はたくさんあった。結婚式から葬儀、演劇や人々が集い踊るときの舞曲、フォークソング(民謡)など社会的な活動と密接に繋がっていた。そしてその音楽は単旋律、もしくはそれにリズムがつく程度だったのではないかと考えられる。音楽を伝える楽譜はまだ無く、多くは口伝であり、定形の言葉はあるが多分に即興的な要素が強く、人々が持ち寄った笛や太鼓がこれも即興的に色を添える。そう、この時代、音楽は即興的なものが主流だった。」

「さて、グレゴリオ聖歌にクリスマス・ミサ曲《幼子が生まれた》という曲がある。おそらく最も古い聖歌お一つだと思われる。とてもシンプルで厳かな曲だ。もちろん単旋律なのだが、15世紀の後半、ピエール・ド・ラ・リューというフランドルの作曲家が同じ曲を多声部の音楽として作曲した。本当に心が洗われる美しい響きの曲だ。時はルネサンス、ポリフォニー音楽の時代が来たのである。」

 

 

さて、クラシックプレミアムも全50巻、このエッセイ連載も残すところあと10回ほど。ということで音楽の始まりから、歴史を追うように、順序だててクライマックスへと筆が向うのかな、そんな印象です。

そして冒頭の久石譲近況報告!

「今書いているのは秋に初演するエレクトリックヴァイオリンと室内オーケストラの作品で、約25分の長さの僕にとっては大作なのだが、そのスケッチはできた。これから夏のW.D.O.(ワールド・ドリーム・オーケストラ。あと1ヶ月半しかないのだが1ヶ月前には譜面を渡したいから実質半月!)の演目の仕上げをして、その後、コントラバス協奏曲のスケッチを書かなければならない。その間に他の仕事もするから、エレクトリックヴァイオリンの仕上げは夏の終わりか秋口か……やれやれ。」

【8月のW.D.O.コンサートツアー】
なるほどまだオーケストレーションが終わっていないのか(エッセイ執筆時)

【エレクトリックヴァイオリンと室内オーケストラ作品】
9月開催予定の「久石譲プレゼンツ ミュージック・フューチャー Vol.2」にて久石譲待望の新作にして世界初演の「室内交響曲」が演奏プログラムに入っているのですが、まさにそのことでしょうか。エレクトリックヴァイオリンといえば、同コンサート企画Vol.1にて、ニコ・ミューリー作曲:《Seeing Is Believing》という楽曲を取り上げています。6弦エレクトリック・ヴァイオリンによる協奏曲作品です。それを経て、Vol.2では自らの新作にエレクトリック・ヴァイオリンをフィーチャーした室内オーケストラ作品…楽しみですね!

【コントラバス協奏曲】
これはまさに未知の情報です。なにかの委嘱でしょうか?コントラバスとはまた珍しい楽器編成だなと思います。これに関しては新しい情報を待つのみですね。それにしても8月発売予定、待望のオリジナル・アルバム「ミニマリズム2」しかり室内楽の響きがこれから続きそうな予感です。

 

 

クラシックプレミアム 40 シューベルト2

 

Info. 2015/07/07 [CDマガジン] 「クラシック プレミアム 40 ~シューベルト2~」 久石譲エッセイ連載 発売

2015年7月7日 CDマガジン 「クラシック プレミアム 40 ~シューベルト2~」(小学館)
隔週火曜日発売 本体1,200円+税

「久石譲の音楽的日乗」エッセイ連載付き。クラシックの名曲とともにお届けするCDマガジン。久石による連載エッセイのほか、音楽評論家や研究者による解説など、クラシック音楽の奥深く魅力的な世界を紹介。

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Blog. 「クラシック プレミアム 39 ~ドビュッシー~」(CDマガジン) レビュー

Posted on 2015/7/5

クラシックプレミアム第39巻は、ドビュッシーです。

 

【収録曲】
交響詩 《海》 - 3つの交響的素描
ジャン・マルティノン指揮
フランス国立放送管弦楽団
録音/1973年

《牧神の午後への前奏曲》
アラン・マリオン(フルート・ソロ)
ジャン・マルティノン指揮
フランス国立放送管弦楽団
録音/1973年

《夜想曲》
ジャン・マルティノン指揮
フランス国立放送管弦楽団・合唱団
録音/1973年

《映像》
第1集より 第1曲 〈水の反映〉、第3曲〈動き〉
第2集より 第2曲 〈荒れた寺にかかる月〉、第3曲〈金色の魚〉
ミシェル・ベロフ(ピアノ)
録音/1970~71年

 

 

「久石譲の音楽的日乗」第38回は、
音楽の進化 - 倍音の発見

今回の講義、いやエッセイは難しかったですね。国立音楽大学でも定期的に講義を行っている久石譲ならでは。ある種そういう話がこのエッセイで聞けることは贅沢です。

一部抜粋してご紹介します。

 

「アントン・ウェーベルンは自身の講義で「あらゆる芸術は、それゆえ音楽も、合法則性に基づいている」と述べている。そしてゲーテの『色彩論』を引用しながら「自然科学者が自然の基礎となっている合法則性を見つけようと努めるように、私たちはそのもとで自然が人間という特別な形で生産的であるところの法則を見つけようと努力する」と語っている。そしてここが最も重要なところだが、「音楽は耳の感覚にかんする合法則的な自然である」と結論づける。」

「ではその合法則的な自然とは何か? そのことを僕たちが日頃接する音楽と照らし合わせながら「音楽の進化」を一緒に考えていこうと思う。」

「まず音の問題。音とは空気の振動である。もう少し厳密にいうと、空気の圧力の平均(大気圧)より高い部分と低い部分ができて、それが波(音波)として伝わっていく現象である(『音のなんでも小事典』日本音響学会編)。まあ太鼓を叩くとそれが振動し、周りの空気も振動し、それが我々に伝わるということだ。」

「そして楽音を含め自然界の音はすべて倍音というものを持っている。それも限りが無いくらい。」

「では実験。今あなたはピアノの前に座っている。ちょうどおへその辺りにあるドの鍵盤を右手で音が出ないように静かに押さえる。そしてオクターヴ低いドの音を左手で強く弾いて、あるいは叩いてみよう。すると、あら不思議!強くて低いドの音が消えた後に弾いていない上のドの音がエコーのように聞こえるではないか!これは下のドの音に含まれている倍音と上のドの音が共鳴したために起こることである。つまり下のドの音には、第2倍音としてのオクターヴ上のドの音、第3倍音のオクターヴと5度上のソなど、限りなく色々な音が鳴っているのだ。もちろん上に行くほど音は小さくなり音程の幅も小さくなる。」

「実は人類はこの倍音を長い年月をかけながら発見していくのだ。例えば真ん中のドの音を男の人と女の人がユニゾンで歌うと、この段階でもうオクターヴ違うのであり、先ほどの第2倍音の音を歌ったことになる。これは整数比で1対2だ。そして500年くらいかけて(という人もいるが定かではない)人類は第3倍音であるソを発見する(整数比で2対3)。」

「このように人類は次々に倍音を発見していくのだが、第8倍音辺りまで見ていくとこれはコードネームでいうC7(ド・ミ・ソ・シ♭)ということになる。だが実際は第7倍音のシ♭はそれよりも低くてちょうどラとシ♭の間くらいが本来の倍音音程である。」

「ここから面白いことが起こる。西洋社会はこれをシ♭と解釈して今日の西洋音楽を築き、例えばアフリカやアジア、日本などはラととらえてきた。ドミソラ、つまり五音音階の原型である。「ソーミラソーミ、ソーミラソーミ」のフレーズはアフリカにもアジアにも日本、南米にもある最もポピュラーなフレーズなのだが、これほど倍音の理にかなっているものはない。このことをもっと知りたい人はレナード・バーンスタインによるハーヴァード大学の講義DVD(『答えのない質問』)をご覧あれ。」

「またこのことは純正律、平均律の問題も絡んでいるのだが、今回はパス、近々に触れる。なんだか講義のようになってきた(実際に国立音楽大学の作曲科の学生に倍音を元にして作曲をする課題を出したこともある)。」

「さてこのように人類は倍音を発見してきたのだが、特に重要なのはドとソの5度音程だ(完全5度という)。これはあまりにも響きが共鳴しすぎてかえって硬く聞こえる。が、この完全5度はあらゆる音楽の基本になるのだが、日本では4度が基本だ。これもまたいつか触れるが、ドとソが表の5度だとすると、ドと下の5度、すなわち裏5度のファが発見された段階で、あるいは人類が聞こえた段階で(長い年月がかかったのは言うまでもない)、このトライアングルは鉄板の音楽基礎を作った。それぞれの倍音を総合すると音階の7つの音がすべて含まれている。」

「この段階まで人類はなんの作為も無く、音楽はウェーベルンのいう合法則的な自然であった。」

 

 

うーん、かなり突っ込んだ講義でした。「倍音」がキーワードになっていた今号のお話ですが、結構この話題に関しては日常的にも取り上げられたりしています。

それぞれ人の声にもこの倍音というものがあります。それがその人の声質や特徴となっています。倍音には大きく整数次倍音と非整数次倍音の2種類があります。

【整数次倍音】
整数次倍音とは2分の1、3分の1、4分の1という整数の波長を持つ音のこと。声や、弦楽器や管楽器の音の中に、自然に含まれているもの。

「整数次倍音」を聞くと、荘厳な雰囲気を感じたり、自然を超えたもの、普遍性、宇宙的なもの神々しさ、宗教性を感じる傾向があるよう。

声:タモリ 黒柳徹子
歌手:美空ひばり 稲葉浩志 浜崎あゆみ

 

【非整数次倍音】
音の振動が均一ではなく様々な長さの振動が折り重なっている音。ギターの弦をこすったときのギーッという音、雨、風の音、虫の鳴き声など自然の音など。

「非整数次倍音」にはガサガサとした雑音が混じり、人間の感情に訴えかけてくるのが特徴。非整数次倍音の声は親密性や情緒性に富んで、やさしい印象を与える。日本語においては「重要である」という意味を伝える印象。

声:ビートたけし 明石家さんま
歌手:森進一 桑田佳祐 宇多田ヒカル

 

倍音ダイアグラム

この表をみて興味ある方は下記コラムがとてもわかりやすく倍音解説されています。

参考:PRESIDENT online タモリ、黒柳徹子を人気司会者にした「整数次倍音」の秘密

 

 

まさに天性による天声と天職ということになるわけです。

ちょっと話はそれますが、シンセサイザーの登場によって、倍音を簡単に作り出せるようにもなりました。なので、歌手によっては、なんかエコーかかったように聴こえる、声を幾重にも重ねている(ユニゾン)、シーケンサーやサンプリングによって声を加工しています。

これによって天声として持っていない、または楽曲の世界観などのために意図的に倍音を作り出しているわけです。一昔前の小室ファミリーと呼ばれる歌手たちを想像するとわかりやすいかもしれません。もちろんあの特徴的で耳に強烈に残る小室哲哉自身のバックコーラスも小室サウンドの核ですが、それもまた数十にも声を重ねて作り出しているわけですね。

 

倍音は、このように日常生活にも知らずに触れ、溢れていて、それはビジネスやコミュニケーションの世界でも注目されています。そういった関連書籍もたくさんあります。一番わかりやすいのは、「あの人の声ってお経を聞いているみたいで眠くなる」これは整数次倍音の効果となるわけですが、プレゼンや講義など訴えかける場においてはマイナスに働いてしまう。

久石譲が真面目に音楽講義をしたなかで、あまりにも程度の低い余談となってしまいました。少しでも「倍音」を身近なものとして感じてもらえればなと思います。

 

 

最後に、音楽的な話を補足します。

ラヴェル「ボレロ」は、同じメロディーが楽器構成を変化させ、繰り返され徐々に盛り上がりクライマックスへむかう名曲です。この楽曲にも倍音効果を巧みに意図したオーケストレーションが施されているとなにかで読んだことがあります。

もちろん久石譲も自身のことは語っていないですが、おそらく倍音はかなり意識していると思います。そう考えると、作曲家としてどのような旋律と持続音・余韻音で…編曲家とし楽器編成やオーケストレーションによって……かなり緻密に論理的に計算された音楽が、空気にのって響いたときに、人に感動を与えていることか。唸る想いです。

どなたか専門的な方が、久石譲作品の「倍音」構造について、さまざまな楽曲を取り上げて解説していただけると、とてもありがたい!そういう結論に行き着いた今号の内容でした。

 

クラシックプレミアム 39 ドビュッシー

 

Info. 2015/07/01 [雑誌] 「目の眼 2015年8月号」「美の仕事」久石譲連載担当

骨董や古美術を通して日本の美意識を紹介する月刊誌『目の眼』のリレー連載「美の仕事」を、8月号から久石も担当することになりました。脳科学者の茂木健一郎さん、作家の曽野綾子さん、 デザイナーの原研哉さんと個性豊かな素晴らしい執筆陣 の一員に加わることになってしまった久石。骨董などにはまったく詳しくないと話しているのですが、さてどうなるでしょうか。どうぞお楽しみに。

(久石譲オフィシャルサイト より)

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Blog. 「味の手帖 2015年6月号」 久石譲 対談内容

Posted on 2015/6/27

6月1日発売 「味の手帖」2015年6月号 巻頭対談

オリックス シニア・チェアマン宮内義彦氏のゲストとして久石譲が登場しています。対談風景を収めた写真もまじえながらの全16ページにも及ぶロングものとなっています。

音楽通同士の多彩な音楽話は、あらゆる角度・視点・時代背景から、興味深い音楽のお話が飛び交っています。久石譲も、常に語っているクラシック音楽のこと、自身が目指す「アーティメント」のことなど読み応え満点です。久石譲の今を知るというよりも、久石譲の音楽知識人としての顔も垣間見ることができます。

 

 

宮内義彦対談:
久石譲 《今の時代に必要な「現代の音楽」を届けたい》

久石 譲(作曲家・指揮者・ピアニスト)

音楽大学在学中よりミニマル・ミュージックに興味を持ち、現代音楽の作曲家として活動を始めた久石譲さん。現在は、作曲家・指揮者・ピアニストと、ジャンルにとらわれない独自のスタイルを確立し、国内外で活躍されている。先人たちが生み出したアートを未来へと繋げるために、今の時代に必要な「現代の音楽」を演奏していきたいと語る。

 

宮内:
ようこそおいでくださいました。

久石:
お招きいただきまして、ありがとうございます。

宮内:
以前、「オリックス劇場」と、そこに隣接するタワーマンションからなる街区「大阪ひびきの街」の素晴らしいテーマ曲を作っていただきまして、ありがとうございました。おかげさまでとても好評でした。

久石:
2012年、『Overture -序曲-』という曲でしたね。オリックス劇場でコンサートをやらせていただきましたが、公園があってホールがあって、あの辺りは文化的な一画になりましたね。あそこは、もとは大阪厚生年金会館でしたね。

宮内:
旧厚生年金会館の大ホールをリノベーションしたのです。当初はなくなる予定だったのですが、残して良かったと思っています。

久石:
とても雰囲気が良くなりました。

宮内:
久石さんは、長野のご出身でいらっしゃいますか。

久石:
はい。長野市から車で北に40~50分ほど行ったところにある中野市です。長野は鈴木鎮一さんのヴァイオリン教室が盛んでしたので、小さい時に少し習っていました。

宮内:
音楽はそこから始められたのですか。

久石:
そうです。

宮内:
学校は作曲科を出られたのですか。

久石:
国立音楽大学の作曲科でしたが、当時は、現代音楽の一番尖ったことに夢中になっており、大学のほうはあまり一生懸命行っていなかった気がします(笑)。

宮内:
現代音楽から入られて、映画音楽を含め、今やっておられる曲を考えると、ずいぶん飛躍されましたね。

久石:
自分はメロディーメーカーだと思ったことはなかったのです。大学を出てからも、しばらくは「ミニマル・ミュージック」(現代音楽の一ジャンルで、同じパターンの繰り返しから成る音楽)をずっとやっていたのですが、たまたま映画音楽はどうしてもメロディーが必要になりますから、必要に迫られてという感じなのです。

 

日本の交響楽団

宮内:
現代音楽でお金を稼ぐのは大変でしょう。

久石:
そうなのです。ですから、大学を出る時に大概の人は教職課程をとるのですが、僕はとりませんでした。最初からずっと、映画やテレビの仕事をやりたいと思っていたのです。ただ、20代の頃は本当に食べられませんでした。

例えば、一大学から作曲家が15人ぐらい出るとすると、音楽大学や教育大学、専門学校なども合わせて、全国で150~200人の作曲家が毎年出てくることになります。10年間で、1500~2000人です。フルート奏者も一大学で4、5人以上、時によっては10人卒業し、日本全国だと年間200人近い人が出るわけです。ところが、各オーケストラにフルート奏者は3、4人いますが、いったん入団すると、よほどのことがないかぎり定年までそのままいます。毎年200人近い人がどんどん出てくるけれども、就職場所がないのです。これは不思議ですよね。

宮内:
聞いた話によると、音楽大学を出た若い人のレベルはどんどん高くなっているのに、就職場所がないといいますね。

久石:
時代と共に技術は上がっていますから、若くて優秀な人は大勢います。ただ、やはり経験は必要ですから、例えば、一つのオーケストラにオーボエが三管編成で3人いるとすると、まずトップの人がいて、三番目のポジションに若い人が入って、だんだん実力を付けていく中で、中堅どころが音楽性をサポートしながら教えていく、こうした循環が一番うまくいくのではないでしょうか。

宮内さんは、「新日本フィルハーモニー交響楽団」の理事長をずっとなさっていますね。

宮内:
久石さんにも、いろいろお世話になっております(笑)。ありがとうございます。

私どものグループ会社にプロ野球のチームがありますでしょう。野球をやっている人はとても多いですが、プロ野球まできている人は本当のトップですよね。しかも一年契約で、今年駄目なら来年は使ってもらえないし、成績が良ければ給料は上がります。高い・安いは別としても、プロフェッショナルとして実力主義というのはなるほどと納得できるわけです。しかし、新日本フィルは一度入団すると定年制ですね。プロの世界がこれでいいのかなという感じはします。

久石:
毎日一緒に音を出していると、例えば「彼の音は浮いているね」とか、そういったことが自然に出てくることもある。でも、辞めてくださいとは言えないわけです。みんな一国一城の主で、高い技術を持った一人ずつの集団ですから、オーケストラを扱うのはとても難しい。そういった話はよく聞きます。

編集部:
海外のオーケストラには必ず日本人の方がいますね。コンクールで良い成績をおさめる日本人も多い気がしますが、日本人は器用なのでしょうか。

久石:
コンクールに受かるという目標を立てると、日本人は勤勉で練習もよくしますし、そこまでは非常に頑張るので、良い成績をとるのです。多くの場合、問題はその後です。本当は、どういう音楽をやっていくかという目標を立てて、その過程でコンクールを受けるべきなのです。ところが、コンクールに受かるという目標を立てて、達成した後に自分の音楽をやっていかなくてはならないわけですが、それがわからずにはたと立ち止まるというケースが非常に多い。日本の大学受験と同じですね。大学に入ることが目標になって、そこまでは頑張るのです。

この間、ヴァイオリニストの五嶋みどりさんとお会いした時に、二人でこんな話をしました。小学校の段階でベートーヴェンの『運命』やドヴォルザークの『新世界より』などを知っているのは日本人の子どもくらいで、日本の音楽教育はとてもレベルが高い。でも、これだけ早いうちに教育を受けているのに、その人たちがそのまま音楽を聴く層になっているのかというと、実はあまりなっていないと。継続しないのですね。

宮内:
確かにその通りですね。

久石:
宮内さんは、よくコンサートホールでお会いしますが、クラシックは昔からお好きなのですか。

宮内:
子どもの頃に合唱をやっていまして、その経験からだんだんクラシックを聴くようになったのです。

久石:
コンサートは年間どのくらい行っておられるのですか。

宮内:
割とよく行きます。今週は3回。少々行き過ぎですが(笑)、週に1回くらいは行きたいですね。

久石:
それはすごいです(笑)。

 

二時間のシンフォニー

宮内:
映画音楽というのは、映画がまだ完成していない時からお作りになるのですか。

久石:
同時進行です。まず脚本を読み、どういう世界観なのかを掴んで監督とお話をして、撮り終えたラッシュ(未編集の状態の映画のポジフィルム)をいくつか見せていただくのです。というのは、ドアを開けて入って椅子に座るという動作だけでも、それをさっと撮る方とじっくり撮る方と、監督によってテンポが違うのです。その監督のテンポや人柄、そして、その作品の中で監督が何をやりたいのかを考えながら曲を作っていきます。

映画は、最近は少し長くて二時間半ぐらいのものもありますが、基本的には二時間ですから、「二時間のシンフォニー」を書くつもりで作ります。音楽を入れるところも大切ですし、逆に音楽を抜くところも大切ですから、それを頭から最後までテーマがうまく構成されるように作るという方法をとっています。

宮内:
それを制作期限の間に考えながら作っていくわけですね。

久石:
締切はそんなに遠くないところにあります(笑)。曲を書きだすと永久に終わらないので、締切が命です。映画は公開日が決まっていますし、コンサートも公演日が決まっていますから、いついつまでに仕上げてくださいと言われて、そこまでになんとか漕ぎ着けます。締切日がないと、完成できませんね。モーツァルトもそうですし、作家はみんな同じだと思います。締切日もないのに書いたのは、シューベルトとプーランクくらいでしょうか。プーランクは日常作曲家のようなもので、気が向いたら書くというようなタイプで、シューベルトは、曲を書いては仲間うちのサロンで発表していたようです。

宮内:
モーツァルトにも締切日があったのですか。

久石:
発注を受けて書く、あるいは、後期はあまり恵まれていませんでしたから、自分で書いたものを売り込むとか、そういった状況だったようです。美術もみんなそうではないでしょうか。

ショスタコーヴィチやシェーンベルクも、映画音楽を手がけていますね。

宮内:
シェーンベルクの映画音楽もあるのですか。

久石:
はい。コンサートで聴いたことがありますが、こんなふうに書くのだなと思って、とても良かったです。視覚と音楽が結びついたオペラなど、いろいろなものはもともとあったわけですから、もう少し前の時代に映画という産業がきちんとあれば、ショパンやラフマニノフなどもみんな書いていたと思います。映画は二十世紀に入ってから発展したものなので、その時代の人は結構書いていますね。日本ですと、武満徹さん(1930~96)もたくさん書いていらっしゃいます。武満さんはメロディーメーカーだった気がします。現代音楽でも、間が東洋的といいますか、聴きやすくて、とても良い歌曲があります。

宮内:
映画音楽を作っていて、これはとても良くできたなというものを、クラシックの組曲にしたり、別の作品にされることもあるのですか。

久石:
これはいけるなと思うものは、後でオーケストラ曲に書き直すこともあります。

宮内:
作曲されるのは夜ですか。

久石:
僕は昼間に書きます。やはり、根が作曲家なので、一日の一番良い時間を作曲に使いたいのです。ですから、朝11時頃に起きて、起きてから2、3時間後が一番頭が冴えるので、昼の1時半~2時頃から始めて、夜の10時~0時頃までオフィスで作曲をして、その後自宅に帰って、明け方の4時、5時頃までクラシックの勉強をしています。それから寝ると、起きるのは必然的に11時ぐらいになりますね。そして、また昼の1時半とか2時頃から作曲をすると。今は書かなければならない作品がずいぶん溜まっています(笑)。

宮内:
作曲というのは孤独な作業ですね。

久石:
そうですね。クラシックの指揮をする場合、スコアは見た分だけ勉強になってはかどるのですが、作曲は良いアイデアが浮かばないとまったく何もできないです。

宮内:
ピアノで作曲されるのですか。

久石:
ピアノも使いますが、今は量をこなさなければならないので、コンピュータを使うほうが多いです。

宮内:
コンピュータでオーケストラの音が出るそうですね。その影響で、音楽家がずいぶん失業したという話を聞いたことがあります。

久石:
それはありますね。以前、シンセサイザーは2600万円ぐらいでした。僕もそうですが、年収よりもはるかに高いその楽器をなんとか手に入れて曲を作っていました。でも今は、そう高くない金額でコンピュータが手に入り、デジタルを使えばあまりお金をかけなくても音楽が作れますし、音質も悪くないのです。誰でも家で簡単にコンピュータで作ることができますから、そうした人たちの音楽がどんどん出てきて、エンターテインメントに関していうと、プロとアマのレベルの差がなくなってきています。CDが売れなくなったなど、今あるいろいろな問題も、そういった影響がとても大きいと思います。

 

「アーティメント」の実現

宮内:
クラシックファンは若い人が少なくて、年配の方が多いですね。

久石:
観客が高齢化しているのは事実ですが、僕のコンサートの場合は、宮崎駿監督作品の音楽をやらせていただいたこともあって、最近は20代、30代の方が多くなっています。オーケストラを聴くのは初めてだという方も結構来られるので、そういった方々がクラシックを聴くきっかけになればいいなと思います。

宮内:
クラシックファンの啓蒙という点で、久石さんは、新日本フィルと「ワールド・ドリーム・オーケストラ(W.D.O.)」を結成して指揮をされたり、素晴らしい活動をなさっていますね。

久石:
ありがとうございます。今年は、「W.D.O.」の8年ぶりの全国ツアーが決定しまして、8月に、東京(サントリーホール・すみだトリフォニーホール)・大阪・広島・名古屋・仙台の6カ所で公演をします。終戦七十周年となる今年は、「祈り」をテーマにしたオリジナルプログラム『The End of the World』 『祈りのうた』のほか、『風の谷のナウシカ』のオーケストラ組曲などの初披露曲を盛り込む予定です。「W.D.O.」は、クラシックだけではなく、ジャンルにとらわれず魅力ある作品を多くの方々に聴いていただこうという想いで、僕と新日本フィルが2004年に立ち上げたオーケストラで、こういった機会をいただけるのは大変ありがたいです。

僕は、「アーティメント」というものを広げていきたいと思っているのです。これは僕が考えた造語で、「アート」と「エンターテイメント」を組み合わせたものです。作曲家が世に生み出したアートを、神棚に上げないで日常化させてエンターテイメントにする「アーティメント」をオーケストラでも実現していきたいなと。

現代音楽でいうと、聴く機会もあまりないし、解釈が難しそうといったイメージが先行しがちですよね。でも、僕がやりたいのは、現代音楽ではなく、今の時代に必要な「現代の音楽」を演奏していきたいなと。クラシック音楽を古典芸能にして、そこに留まってしまうのではなく、過去から今に繋がって、ここから先の未来に行くためには「現代の音楽」を人々が聴くチャンスを作らなければなりません。ですから、僕が指揮をさせていただくクラシックのプログラムを作る時は、新しい曲を入れるようにしているのです。

宮内:
日本はクラシックとクラシック以外の音楽に画然たる区別がありますね。

久石:
ありがたいことに、僕は映画を含めエンターテイメントもやらせていただいていますので、クラシックとクラシック以外の音楽、それぞれの良いところとちょっと良くないかなというところの両面を客観的に観ることができます。ですから、その辺をうまく橋渡ししていけたらいいなと思っているのです。

 

味の手帖 久石譲

 

日本人に合う『第九』

宮内:
日本では、年末になると『第九』を聴きに行きますね。あれは日本独特のもので、海外にはないですよね(笑)。

久石:
おっしゃる通りです。あれは何なのでしょうね(笑)。『第九』はコーラスの方が100人ぐらいいますから、それぞれの家族や親戚だけで400~500人が聴きにくるでしょう。ですから、団員の餅代を稼ぐのが目的で始まったとも、一説ではいわれています。年を越して新しい年を迎えるための餅代を稼ぐには12月にこれをやるしかないということで始まったと。

もし、その話が本当で始まったとしても、これだけ定着するというのは何なのだろうなと思っていたのですが、自分で初めて『第九』を指揮した時にわかったのは、日本人のメンタリティーに合うのかなと。日本人というのは、耐えに耐えて待ったあげくのカタルシス(心の中に溜まっていた感情が解放され、気持が浄化されること)のようなものに非常に弱いのではないでしょうか。例えば、赤穂浪士もそうで、ずっと我慢して我慢して、最後に討ち入りをして日本人はほっとしますね。『第九』も、聴きやすいかどうかは別として、一、ニ、三楽章はとても良くできていますが、そこまでを耐えに耐えて聴いた後に、四楽章で「フロイデ!」とコーラスが始まった瞬間すっとカタルシスがあって、おそらく、その快感が日本人に大変合っているのですね(笑)。

宮内:
なるほど、そうかもしれませんね。それを年末に味わいたいと(笑)。

久石:
僕の指揮の先生が、秋山和慶さんなのですね。僕は65歳になりますが、この年でもレッスンを受けているのです(笑)。

宮内:
秋山先生は今年、指揮者生活五十周年を迎えられましたね。先生は、今おいくつですか。

久石:
74歳です。つい2、3日前にもレッスンを受けたのですが、その秋山先生は『第九』を振って、すでに400回を超えているのです。それだけでもすごいのに、毎回新しい発見があるとおっしゃっていて、驚嘆しています。

宮内:
新日本フィルでも『第九』は毎年やりますが、やはりあれは餅代になるのでしょうね。日本の交響楽団はどこも経営的に大変ですから。

久石:
2000~2500人のキャパのコンサートホールに、独唱者が4人、コーラスを入れて100人ぐらいの人たちが出演して、採算ベースでは成立しませんから、海外ではめったに演奏されませんね。

 

文化に対する意識のあり方

宮内:
そうでしょうね。本来、文化というのはみんなでサポートしなければならないのですが、日本で寄付を集めるのは本当に苦労します。

久石:
アメリカですと、ボランティアとか社会還元というのは常識としてありますが、日本はあまりそれがないのでしょうか。

宮内:
一つは、税制の問題でお金を出しにくいというのがあります。もう一つは、意識の違いです。欧米の場合、バブリック(公共的)なことはパブリックがサポートするものだという考え方ですが、日本人は、パブリックなことは全部官があるものという考えがあるのでしょうね。また官のほうも、我々が全部やりますからということでこれまでやってきた。本当の意味の市民社会になっていないのだと思いますね。

久石:
日本は文化を育てるという意識が少ないような気がしますね。

宮内:
アメリカは、どんどん開拓して国を作りましたから、官がまったく追いつかないし、国民もそれがわかっていてあまり期待しなかったのでしょう、自分たちでやるしかないという精神が自然にできていったのかもしれませんね。一方、日本の場合は明治以来、国民は全部国が面倒をみましょうというふうになって、それが逆効果になっているのかなと思います。

久石:
僕もよく考えるのですが、明治になった瞬間、いったん文化が分断されましたよね。その時に、文化に対する意識のあり方が少し変わったのではないかという気がします。文化というのは誰かが育てていかないとなかな定着しませんから。

宮内:
そのうちに邦楽は消えていくかもしれませんね。邦楽の音階は西洋のドレミとは微妙に違いますよね。ああいった感覚を持つ人がどんどん減っていくのかなと思います。

久石:
例えば、中国と日本を照らし合わせてみると、中国から伝来した五弦琵琶は、中国にはもうないのですが、奈良の正倉院には世界で唯一現存する古代の五弦琵琶がおさめられていますね。中国では、私はこうする、私はこちらのほうが良いと、みんなどんどん自分の意見で手を加えて変化させてしまうのです。それはそれで、ある意味では良いのですが、古典的なものをそのまま伝統として残していくという考え方は少ない気がします。一方、日本の場合、雅楽のように、海を渡ってきたあちらのものが見事にそのまま残るのです。伝統的なものはそのまま残していくという考え方と、自分が良いと思ったら変えてしまうという考え方、この民族性の違いはあるのでしょうね。どちらもそれぞれ大切で、この辺がとても難しいなといつも思うのですが。

宮内:
能と歌舞伎もそうですね。武士の上流階級が能や狂言へ行き、歌舞伎は大衆が観る。その両方が残っていますね。

久石:
クラシックの歴史を見ると、王侯貴族や協会のために演奏されていた高貴なものだったのが、一般市民が楽しむ大衆音楽へと変わっていった。文化の構造というのは、大概そういうふうになっていますね。

日本は、歌舞伎がありながら能もありますし、極彩色のものもあれば、片やあらゆるものを削ぎ落したものもある。必ず両方あるというのは、日本人を考える時に結構良いヒントになります。

宮内:
日本人は贅沢ができるわけです。日本文化と西洋文化、どちらも素晴らしいものを楽しむことができるという点で、とても恵まれていますね。私は時々歌舞伎も観に行きますが、日本というのはいろいろなものがあって、なかなか忙しいですよ(笑)。

久石:
そうですね(笑)。最近鑑賞された中で良かったのは何でしたか。

宮内:
2月に行きました「山田和樹 マーラー・ツィクルス」(Bunkamuraオーチャードホール)は良かったですね。山田和樹さん指揮による日本フィルハーモニー交響楽団の『交響曲第三番ニ短調』は素晴らしかったです。

久石:
山田和樹さんは指揮がきれいでうまいです。僕は1月に『交響曲第一番ニ長調「巨人」』を聴きました。2月に第二番、第三番の公演がありましたが、行かれた方がとても良かったとおっしゃっていました。九回シリーズで、マーラーの番号付きの交響曲九曲を、一年に三曲ずつ番号順に、今年、来年、再来年と三年かけて全曲を演奏するという、コンセプトが明解ですよね。しかも、マーラーの交響曲の前に武満徹さんの作品を組み合わせるという発想は、僕らのような作曲家が考えるべきことで、指揮者があのようなプログラムを組まれるのは素晴らしいです。

僕が行った時の武満作品は『オリオンとプレアデス』でしたが、宮内さんが行かれた時は何を演奏されましたか。

宮内:
三つの映画音楽(訓練と急速の音楽『ホゼー・トレス』より/葬送の音楽『黒い雨』より/ワルツ『他人の顔』より)でした。かなり短い曲でしたが面白かったですよ。次回のチケットもよく売れているらしいですね。

久石:
やはり評判が良いのですね。

宮内:
久石さんは、指揮はお好きですか。

久石:
はい、好きです(笑)。ただ、分厚いスコアを勉強するのはしんどくて、もうそろそろ嫌だなと思ったり、もう少しやらなくてはなと思ったり、絶えず葛藤している状態です。

宮内:
自分の曲をなさる場合と、クラシックの場合とでは、全然感じが違いますか。

久石:
違いますね。クラシックを指揮する時に暗譜するくらい頭に入ってしまうと、その期間中はまったく作曲ができなくなります。絶えずクラシックの曲が頭の中に流れてしまって、その影響が何らかの形で曲作りに出てしまうのです。例えば、映画音楽を書いている最中に、一方でブラームスの曲の指揮をするという時に、ブラームスの弦の動かし方などが作っている曲の中に無意識に出たりします。「あっ、やってしまった!」というような(笑)。もちろんメロディーまで同じにはしませんが、弦の扱いなどはかなり影響を受けますね。

宮内:
一生懸命、勉強なさっているのでしょうね。

しかし、作曲家、指揮者、ピアニストと、いろいろな面でご活躍ですね。

久石:
ちょっと手を出しすぎているので、気をつけないといけないですね(笑)。

音楽が面白いなと思うのは、どんなに頑張ってもその先にまだ音楽はいますね。音楽というものの内容をもっともっと知りたいと思っていつも取り組んでいるのです。

 

「歌う」ことは音楽の原点

宮内:
この間いただいたCDを聴かせていただきました。女声合唱の曲はとても素晴らしいなと思いました。

久石:
高畑勲監督のアニメ映画『かぐや姫の物語』の合唱曲ですね。

宮内:
私は合唱が好きなので、ぜひ合唱曲をお願いしたいです(笑)。今頃の日本の合唱団は、新しい曲をやるのですが、教訓を賜るというような思想的な曲が多いのです。それよりもっと良い曲があるでしょうと思うのですが、きれいな曲はなかなか出てきません。

久石:
アマチュアの人が音楽に接する一番の近道は「歌う」ことですよね。歌うというのは音楽の原点かもしれません。ですから、合唱ももっと盛んにならないといけませんね。

宮内:
おっしゃる通りです。独唱は好きに歌えばいいのですが、合唱はきっちり合うまで相当時間をかけて練習しなければなりませんから、時間のある人にとっては良い趣味になります。ですから、年配の方の合唱団は、世の中にたくさんありますね。

久石:
例えば、三枝成彰さんが団長の「六男」(ろくだん)(六本木男声合唱団倶楽部)とか(笑)。「六男」からお誘いはきませんか。

宮内:
実は、最初の結成時に「宮内さんは昔合唱をやっていたのだから、入ってくださいよ」と三枝さんから声をかけられまして、一度はお受けしたのですよ。その後しばらくして、「六男」の制服を作るからということで、コシノヒロコさんの事務所から採寸の方がいらっしゃったのですが、家内にこの話をしましたら、仕事も忙しいのにと反対させまして、それでお断りしたのです(笑)。

久石:
そうでしたか(笑)。この間、1月にBunkamuraオーチャードホールで公演をされましたよね。

宮内:
アマチュアの合唱団ながら、なんと『ウェスト・サイズ・ストーリー』というオリジナルミュージカルの公演をしまして、私も出演しました。特別出演で、団員として出たわけではないのですよ。三枝さんと食事をご一緒した時に出演交渉されて、飲んだ勢いでイエスと言ってしまったようです(笑)。

久石:
そういえば、うちの奥さんと娘が観に行って、「宮内さんが出ていらしたわよ」と言っていました。皆さん、うまかったというか、なりきっていたと言っていましたよ(笑)。メンバーには各界の錚々たる方々が名を連ねておられますよね。

宮内:
約140人が所属していて、団員の平均年齢は62歳ぐらい、最長老は83歳です。そのうち半分は女性の役で女装して出ていたのですから、それは相当なものですよ。ミュージカルですから、歌だけでなく踊りもあるでしょう。最初は絶望的だと言われていたものを、一年間相当な時間をかけて特訓して、昨年の夏には合宿までしてなんとか観られるものにしたらしいです。観客の皆さんは何を観せられるのかと思っていたでしょうが、期待値よりも少し上だったのでしょう、極めて好評でした(笑)。

久石:
宮内さんは踊られなかったのですか。

宮内:
私はひょいと出て自分のところを少し歌っただけですよ。

久石:
何を歌われたのですか。

宮内:
『チムチムチェリー』です。三枝さんに、むやみに高い音で歌わされました(笑)。

久石:
それは惜しいものを見逃しました(笑)。

宮内:
あれをご覧になっていたら、今日の対談はお受けいただけなかったと思いますよ。あのレベルの人と音楽の話はできないと(笑)。

久石:
昔と違って、今は年齢は関係ないですね。映画界でいえば、山田洋次監督は83歳ですし、高畑勲監督も79歳ですが、とてもお元気で、しゃきっとしてお仕事されていますから、皆さんすごいなと思います。日本は少子化で人口が減っていますから、年配の方々にもどんどん活躍していただきたいですね。

宮内:
それでは今日はこの辺で。お忙しいところ、ありがとうございまいした。ぜひまたオリックス劇場でコンサートをお願いします。

久石:
こちらこそ、ぜひお願いいたします。今日は楽しい時間をありがとうございました。

(麻布十番・七尾にて)

(味の手帖 2015年6月号 より)

 

味の手帖 2015年6月号

 

公式サイト:味の手帖