Blog. 久石譲 「魔女の宅急便」 インタビュー ロマンアルバムより

Posted on 2014/11/5

1989年公開 スタジオジブリ作品 宮崎駿監督
映画『魔女の宅急便』

映画公開と同年に発売された「ロマンアルバム」です。インタビュー集イメージスケッチなど、映画をより深く読み解くためのジブリ公式ガイドブックです。最近ではさらに新しい解説も織り交ぜた「ジブリの教科書」シリーズとしても再編集され刊行されています。

今回はその原本ともいえる「ロマンアルバム」より、もちろん1989年制作当時の音楽:久石譲の貴重なインタビューです。

 

 

「今回はヨーロッパの舞曲をモチーフにしています」

「風の谷のナウシカ」以来、宮崎作品にはなくてはならない久石さんの音楽。童謡を意識したという「となりのトトロ」につづき「魔女の宅急便」では、ヨーロピアン・エスニックの香りを漂わせます。

 

自然で心地よい音楽

-『ナウシカ』『ラピュタ』『トトロ』そして今回と、4本つづけて宮崎監督と組まれていますが、これまでと比べていかがでしたか。

久石:
「毎回、たいへんさということでいえば変わらないのですが、こんどの場合はスケジュール的に苦労した部分があります。というのは新しいソロアルバムの録音のためにニューヨークへ行ってまして、そちらと『魔女の宅急便』のサントラの録音のスケジュールがかぶってしまったんですね。そういう時間的な面では少しご迷惑をかけてしまいました」

-今回はヨーロッパが舞台ということで音楽的にもそのへんを意識されたと思うのですが。

久石:
「そうですね。架空の国ではあるけれどもヨーロッパ的な雰囲気ということで、いわゆるヨーロッパのエスニック、それも舞曲ふうのものを多用しようということは考えました」

-こちらの勝手な連想なのですが、ヒッチコックの『泥棒成金』に出てきたリビエラのような南欧的なイメージが映画にも音楽にもあって、50年代のハリウッド映画を意識されたのかなとも思ったのですが。

久石:
「それはあまり意識しませんでしたけど、たとえばギリシャふうですとか、そういうニュアンスを出したというのはありましてダルシマ(ピアノの原型となった民族楽器)とかギター、アコーディオンというふうにヨーロッパの香りのする楽器をたくさん使ったりしました」

-今回は『火垂るの墓』の高畑勲監督が音楽演出という形でくわわってらっしゃいますが、宮崎監督と高畑さん、そして久石さんの3人で音楽の構成を考えていったわけですね。

久石:
「ええ。さっきもいったように、今回は僕のほうのスケジュールがつまっていたものですから、高畑さんにはいろいろと助けていただきました。通常ですと、僕が自分で音楽監督も兼ねるわけですが、今回は時間的にむずかしかったので、高畑さんと宮崎さんが打ち合わせてどのシーンに音楽を入れるかというプランを立てて、それをもとにぼくが作曲するという形をとらせてもらったんです。宮崎さんはもちろんですけど、高畑さんも音楽にはたいへんくわしい方ですから、安心しておまかせしました」

-宮崎監督と高畑さんというのは、これまでにも名コンビぶりを発揮していらっしゃいますものね。

久石:
「おふたりのコンビネーションというのは、もう抜群ですね。『ナウシカ』『ラピュタ』のときのプロデューサーと監督という立場にしても、今回の音楽演出と監督という立場にしても、そばで見ていて非常に勉強になりました。おふたりとも、演出に関しては理論的といいますか、理知的な考えをもっていまして、僕もどちらかといえばそうなんです。たとえば、音楽のつけ方にしても感情に流されたつけ方は絶対にしませんから。そういう意味では、意見がくいちがうということはまったくないし、僕もおふたりを尊敬していますからいっしょに仕事をするのは楽しいですね」

-たしかに、映画を拝見しますと音楽のつけ方がはっきりしていて、今回でいえばキキがつぎの場所へ移動するときの、つなぎの部分に音楽が使われているような印象がありました。

久石:
「たとえば悲しいシーンに悲しい曲をつけるとか、アクションシーンに派手な曲をつけるとか、そういうやり方はいっさいしないという前提でやりましたからね。ある意味でそれはすごく徹底していると思います。むしろ感情に訴えかけるよりも、見ている人を心地よくさせるような音楽のつけ方というんですか、そういう点を心がけたということはありますね。わざとらしくない、自然な音楽といいますか……」

 

1年の区切りの仕事

-今回は音楽的に新しい試み、実験のようなものはなさっっていますか。

久石:
「特別なものはありませんが、今回はシンセサイザーを使った曲をぐっと少なくしています。従来ですと半分くらいはシンセサイザーやほかの電子楽器を使ったりするのですが、この作品では内容もリアルなものになっていますから、全体に生の音に近づけてみました。ちがいといえば、そこがちがっていると思いますね。あとはメロディーの部分で、地中海ふうのもの、それも三拍子を使った舞曲的なものが多いというのが今回の特徴でしょう」

-これまでの作品と比べて内容的にちがうなと思われる点は?

久石:
「『トトロ』のときもそうだったんですが、大きなアクション、たとえば戦闘シーンのようなものがないし、ストーリーもグーッとクライマックスに向けて収束していくというタイプの作品ではありませんね。ずっと内面的なものになっていますから、音楽もあまりおおげさなものであってはいけない、音楽だけ浮き上がってしまってはいけない。そういう点に注意しました」

-久石さんのお仕事は澤井信一郎監督と組んだ青春映画の音楽、宮崎作品や安彦良和監督の『ヴイナス戦記』などのアニメーションの音楽、そしてオリジナルアルバム(とくにヴォーカル中心の『ILLUSION』など)に見られるシティ・ポップスと、さまざまなジャンルがあって、それぞれ若者向け、子どもを対象としたもの、おとなを意識した音楽などに分けられると思いますが、そのなかで宮崎作品の占める位置というのはどういうものでしょうか。

久石:
「『トトロ』やこの『魔女の宅急便』の場合は、対象が子どもたち、大きくても中学生くらいまでですから、年齢的には僕の仕事の上では特別なものなんです。そういう意味ではむずかしい部分が多いのですが、宮崎さんの作品はとくに質が高いですから、こちらもそれに見合うものを作らなければいけないという点で苦しみも大きいです。もちろん、作家というのはものを創り出す以上、そこに苦しみがつきものですから、ほかの作品のときは苦しんでいないかといえば、決してそんなことはないわけですが……。でも、それだけにテンションの高い仕事で、このところ毎年一本、宮崎さんの作品をやらせてもらっていますが、自分のなかではいつもエポック・メイキングな仕事になりますね。年間、いろいろな仕事を(作曲だけでなくコンサートもふくめて)こなしているわけですが、宮崎さんの作品はその年ごとに何かしら自分にとって区切りとなる、そんな気がします」

-久石さんが宮崎作品の音楽を創る時にいちばん、心がけることは何ですか。

久石 :
「まず大きな声で歌えること。変にこまっしゃくれたものではなく、徹底して童心にかえってストレートに作るということですね。そしてヒューマン、人間愛にあふれていること。これに尽きると思います。」

(「魔女の宅急便 ロマンアルバム」より)

 

 

「ジブリの教科書 5 魔女の宅急便」(2013刊)にもオリジナル再収録されています。

 

 

あらためてまとめられた本書のなかから高畑勲監督インタビューをご紹介します。

 

音楽演出 高畑勲

「架空の国のローカル色を出す」

-プロデューサーをつとめた『ナウシカ』『ラピュタ』につづいて、今回は音楽演出としての参加ですが、具体的にはどんなお仕事ですか。

高畑:
「何も特別なことをしたわけではないんですよ。ようするに、ふつうの映画で監督が音楽についてする作業を代行しただけの話です。今回の作品が特に音楽的にむずかしいから、こういう特別な役割を設定してというのでもないし、宮さん(宮崎駿監督)から頼まれてお手伝いしただけのことですから、音楽演出なんてオーバーなんですよ」

-挿入歌として荒井由実時代のユーミンの曲が効果的に使われていますが、これはどういう経緯で?

高畑:
「宮さんとしてはタイトルバックに歌を使うというのは最初から計画していたことだったんです。それもラジオから流れてくるという設定でね。そうすると、キキという都会生活に憧れるふつうの女の子が、ふだん聴くとしたらどんな歌だろう、と。そこから発想していって、都会的な気分を代表していて、なおかつ作っているわれわれの世代にもわかるような曲。それはやはりユーミンじゃないだろうかという結論になったわけです」

-最初は新しくオリジナルを作っておらおうという話もあったそうですが。

高畑:
「ええ。でもラジオから流れてくることを考えれば、むしろ既成の曲のほうが合っているし、引用という形になるだろうという話ははじめの段階からあったんですよ。結果的には『ルージュの伝言』と『やさしさに包まれたなら』を使わせてもらうことになったわけですが、とくに後者はイメージとしても映画にぴったりだと、僕らは最初から思っていました。宮崎さんも、むかしのユーミンはよく聴いていましたからね」

-今回の音楽の特徴は、どういうところですか。

高畑 :
「この作品はいわゆるファンタジーではありません。『トトロ』もそうでしたが、大きな意味ではファンタジーに属するものでしょうが、もっと現実に近い物語であると宮さんは考えてつくった。たとえばキキは空を飛びますけど、それはカッコよく飛ぶのとはちがうし、ふつうの女の子の日常的な描写や気持ちが中心になっているんですね。ですから音楽が担当する部分も、世界の異質さとか戦闘の激しさとかを担当するわけではない。むしろふつうの劇映画のような考え方をして、しかもヨーロッパ的ふんいきをもった舞台にふさわしいローカルカラーをうち出そうということだったんです。それと、つらいところ悲しいところに音楽はつけない、とか、歌とは別にメインテーマの曲を設定して、あのワルツですが、あれをキキの気持ちがしだいにひろがっていくところにくりかえし使うとかが、音楽の扱いの上での特徴といえば特徴ではないでしょうか。はじめ、ホウキで空を飛ぶ、というのはスピード感もないし、変な効果音をつけるわけにはいかないので心配だったのですが、久石さんの音楽もユーミンの歌も、いまいったねらいにピッタリだったし、上機嫌な気分が出ていたのでホッとしているところです。」

(「魔女の宅急便 ロマンアルバム」/「ジブリの教科書 5 魔女の宅急便」(再録) より)

 

 

どれだけ久石譲の音楽が、映画の世界観の演出、統一性、ストーリー性を創り出すのに大きく貢献しているかがわかるコメントです。観客を一瞬にしてその世界へ引き込む、そして、架空世界なんだけれども、現実にもありそうなリアリズムを錯覚させ陶酔させてしまう音楽。

後に鈴木敏夫プロデューサーが「久石さんは日本映画界における映画音楽のひとつのかたちを確立した」と語っていたのを思い出しました。

これが約25年前のお仕事とは思えないですね。映画音楽の位置づけや扱われ方、そんな業界においてこのクオリティを仕上げる。そしてそのスタンスをこれからまた『紅の豚』以降もつづけていくことになります。

 

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魔女の宅急便 ロマンアルバム

 

Blog. 久石譲 「となりのトトロ」 インタビュー LPライナーノーツより

Posted on 2014/11/3

1988年公開 スタジオジブリ作品 宮崎駿監督
映画『となりのトトロ』

2014年7月16日「スタジオジブリ 宮崎駿&久石譲 サントラBOX」が発売されました。『風の谷のナウシカ』から2013年公開の『風立ちぬ』まで。久石譲が手掛けた宮崎駿監督映画のサウンドトラック12作品の豪華BOXセット。スタジオジブリ作品サウンドトラックCD12枚+特典CD1枚という内容です。

 

さらに詳しく紹介しますと、楽しみにしていたのが、

<ジャケット>
「風の谷ナウシカ」「天空城ラピュタ」「となりのトトロ」「魔女の宅急便」は発売当時のLPジャケットを縮小し、内封物まで完全再現した紙ジャケット仕様。

<特典CD「魔女の宅急便ミニ・ドラマCD」>
1989年徳間書店刊「月刊アニメージュ」の付録として作られた貴重な音源。

<ブックレット>
徳間書店から発売されている各作品の「ロマンアルバム」より久石譲インタビューと、宮崎駿作品CDカタログを掲載。

そして『となりのトトロ サウンドトラック集』もLPジャケット復刻、ライナー付き。往年のジブリファン、そして久石譲ファンにはたまらない内容になっています。

 

 

そして貴重なライナーは、サントラ制作時期の久石譲インタビューです。制作前、というのが正しいかもしれません。

 

 

宮崎作品はぼくの修行の場

-久石さんは10代から20代にかけては超前衛の現代音楽に属していたしたとお聞きしましたが。

久石 「10代の頃にミニマル・ミュージックを始めてね。テリー=ライリーとか、フィリップ=グラスとか、スティーブ=ライヒとか、それにシュトックハウゼンとか、ジョン=ケージとか、ほとんど現代音楽の人から影響を受けていました。あと学生時代は、勉強として、日本の人でいうと、武満徹さんや三善晃さんであったり──そういう人たちの譜面の分析とかをやっていましたから。」

-もともとはクラシックから出発されたんですね。

久石 「そうですね。もっと最初から言うと、4歳の時からヴァイオリンをやっていた蓄積になっちゃうんでしょうね。クラシックって短期間に身につけようとしても、なかなかむずかしいんです。例えば、ピアニストにしても、みんな4歳や5歳の頃からレッスンを始めているでしょ。バイオリンもそうだし。そうして、ずっとやっていても、なかなか芽の出ない世界ですから(笑)。わりと時間がかかる世界なんですよ。」

-それとは逆に、映画音楽はいかに時間をかけずに仕上げるかが勝負なんじゃないかと思うんですけど。

久石 「あ、それは分かります。ただぼくの場合は吉野家の牛丼みたいな、”早い、安い、うまい”仕事は一切断る。つまり1日で音楽を収録してしまうような仕事はやらずに、フェアライト(生の弦音やヴォーカルを加工して使うコンピューターによるサンプリング・キーボード)など、いろんな機械を使いますから、そのための時間がすごくかかるんですよ。当然それに付随して、費用もかかるし、スタジオにも何日間かカンヅメにならなくちゃいけない。それで最後の仕上げにフルオーケストラも使うから、大変なんですよ。

ただ20代のかけ出しの頃は、そんな仕事なんて来ないし、それこそ、3日で70曲近く書くような仕事もやりましたから、早く書くこと自体は、そんなに問題じゃないんですが、あんまり”早い、安い、うまい”仕事ばかりやっていくと、どんどん状況が悪くなっていきますから。だから、例えば、制作期間に2週間、それに、その期間を支えるだけの予算、そういう条件をクリアできない仕事は、今、全部お断りしている状況なんです。」

-宮崎さんの映画の場合、イメージアルバムから、ひっくるめると、相当な時間が……。

久石 「かかりますよ。もう……大変ですね(笑)。ただ、宮崎さんの仕事は内容的にも非常に素晴らしいものだし、共感できますから、ぼくはとても大切にしているし、宮崎さんの映画をやる場合は、それを優先的にしてスケジュールを空けて、そこからやるしかないと思っています。」

 

直感的に入ってゆきたい「トトロ」の世界

-前回の「天空の城ラピュタ」は、アイルランド民謡を頭において作曲されたそうですが、「となりのトトロ」で、ベースに考えていらっしゃるのは、どんな音楽ですか?

久石 「いやぁ……。むずかしいんですよね。実は「ラピュタ」をやる時は、すごく悩んだんです。あの映画にある、愛と夢と冒険というのは、ぼくとは全然相容れないから(笑)。どちらかというと、ぼくは不純だからね。例えば、マイナーのアダルトなメロディを書く方が楽なんですよ。ところが、メロディ自体が非常に夢を持っていて、優しくて包容力があるものとなると、すごくむずかしいんです。制作中は、えらい騒ぎだった。困ったなと思っていたら、今度はもっと可愛らしい話になって(笑)、「うわぁ、どうしよう」というのが正直な話。しかも「となりのトトロ」のイメージアルバムを作りながら同時進行していたのがセゾン劇場(東京銀座)で上演した、沢田研二さんや役所広司さん出演の「楽劇ANZUCHI」の音楽。かたや、えらくおどろおどろしい悪魔の世界ですからね。それと、あの清純な世界が同時進行していたんだから、ちょっと気が狂いそうだった(笑)。でも、それはある意味で試練であるわけです。」

-ラッシュはご覧になったんですか?

久石 「部分ごとにできたものを、全然脈略なしにつないだフィルムを、先日一度観せていただきました。」

-かなり、手がかりに?

久石 「なりましたね。やはり、また素晴らしい作品になりそう。かなりメロディラインを重要視して、何かとっかかりができるんじゃないだろうかって気がしたんです。いわゆるストーリーらしいストーリーの展開をしていないでしょう。」

-そうですね。「ナウシカ」や「ラピュラ」は、物語のメリハリで見せるというか、緩急自在な展開の映画でしたからね。

久石 「そう。ハッキリと、ストーリーがあったでしょう。でも今度は、田舎の1日というか、ちょっとしたシークエンスが、つながっていく種類のもので、ストーリーが大きく展開するものじゃないからね。その分だけ、こちらも従来のやり方とは、スタンスを変えなきゃいけないという気がするんですよ。まだ具体的には言えないけど、非常に直感的に今回は仕事に入りたいなという気がしてるんです。」

-3本続けて組まれてみて、宮崎さんの映画作りについての印象を。

久石 「宮崎さんは、生きる姿勢というものと、アニメーションを通して表現していくこととが、全部一致してるんですね。映画のための映画、アニメのためのアニメではなくて、自分が生きるという姿勢の中に、ちゃんとアニメーション──アニメーションじゃなくてもいいんですけど、そういう自分の創造物がありますから。非常に姿勢が明確というか、個人的にすごく尊敬しています。

仕事自体は中途半端なことはできないから、メチャクチャ苦しいんですよ。ただ、それをやることによって、こちらも一回りも二回りも大きくなれる。試練の場でもあるし、修行の場でもある。と同時に、自分のアイデンティティを確認できる場でもあるから、とても大切にしています。

ぼくらの場合は、年間にかなりの量の仕事をこなしますでしょう。すると、その中にはビジネスのための仕事があったり、いろいろあるわけですよ。だけど、その中でやっぱり、自分がこれは、という仕事って、年間に何本かあるんです。宮崎さんの映画は、その中でも、ぼくにとっては、特に一番大きな仕事ですね。」

 

〈解説〉

88年4月16日より全国東宝系で公開された宮崎駿監督のアニメ映画「となりのトトロ」。監督の前作「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」に引き続き、音楽を担当したのは久石譲氏。

物語の舞台は昭和30年代の自然と四季の美しい日本、とある田舎に越してきた、小学校6年のサツキと5歳のメイのふたりの女の子と、昔からそこに住むオバケ達(トトロ)との心暖まるふれあいが、日常のエピソードを積み重ねながら、のどかに描かれる。

音楽の制作にあたって、まず10曲のイメージソングが制作された。(イメージソング集として87年11月25日LP、CD、TAPE 発売) これをもとにした宮崎駿監督と久石譲氏、録音演出の斯波重治氏らのディスカッションののち2月25日から3月26日まで、東京・六本木のワンダーステーションスタジオ、にっかつスタジオセンターにおいて録音された。

このアルバムでは映画に使用された曲のほか、メロディが使用されているイメージ曲から「まいご」「風のとおり道(インストゥルメンタル)」の2曲を、リミックス(楽器の音のバランスを変えること)した上で収録した。「さんぽ(合唱入り)」もこのアルバムのために楽器を追加、リミックスしたもの。なお、「メイとすすわたり」「メイがいない」の前半部分、「オバケやしき!」「ずぶぬれオバケ」の後半部分は、映画では演出のため使用されていないが、このアルバムでは完全に収録している。

「ナウシカ」「ラピュタ」とはひと味違ったほのぼのとした暖かさをもつ久石譲氏の音楽を、心ゆくまでお楽しみいただきたい。

(「となりのトトロ サウンドトラック集」 LP(復刻) ライナー より)

 

 

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となりのトトロ LP 復刻

 

Blog. 久石譲 「となりのトトロ」 インタビュー ロマンアルバムより

Posted on 2014/11/2

1988年公開 スタジオジブリ作品 宮崎駿監督
映画『となりのトトロ』

映画公開と同年に発売された「ロマンアルバム」です。インタビュー集イメージスケッチなど、映画をより深く読み解くためのジブリ公式ガイドブックです。最近ではさらに新しい解説も織り交ぜた「ジブリの教科書」シリーズとしても再編集され刊行されています。

今回はその原本ともいえる「ロマンアルバム」より、もちろん1988年制作当時の音楽:久石譲の貴重なインタビューです。

 

 

「日本が舞台でもあえてそれを意識しなかった」

『風の谷のナウシカ』で砂漠と中央ヨーロッパ風の世界を、続く『天空の城ラピュタ』ではイギリス南部の炭鉱町のような渓谷のたたずまいと天空の城というSF的な世界を見事に音楽で描き出してくれた久石さん。

そのルーツはありながらどこか無国籍的な宮崎アニメーションに、素敵な彩りを与えてきた久石さんだが、今回は舞台が日本で、しかも昭和30年代初頭という設定。これまでとはいささか勝手がちがう。そこにどう挑んだのか、そのあたりを中心にインタビューを試みた。

 

土着的ではない作品

-今回は録音前にご病気をなさるなどいろいろ大変だったようですが……。

久石:
「病気のことはおいておくとして、今回の作品は物語性がドラマチックじゃないでしょう。大きなストーリーの流れはあるんだけれども、日常的なシークエンスが並列につながってゆくような形になっている。だから、音楽も強い音楽を書いちゃいけないという気持ちが最初にあったんです。強い音楽だと、画面から遊離しちゃうような気がして。

それと、イメージアルバムを今回も作ったんですけど、普段なら”何々のテーマ”という形で基本的なイメージが出てるんだけれども、今回は歌のイメージアルバムを作ったでしょう。それも、日常的なシークエンスが多いから、インストゥルメンタルの曲よりも歌のほうがそのシーンのイメージがはっきりすると思っていたからです。

それがサントラのほうにもそのまま反映していて、ストーリー性が弱いぶんだけ、どこをどう補強していくか、そこがいちばん悩んだところでしたね。自分としてはドラマ性の強いもののほうがやりやすいし、『トトロ』は対象年齢も少し下がったので、一歩まちがえば童謡の世界になりかねない。ちょっとシンドイなあという気持ちがあったことはたしかでした」

-なるほど。映画のオープニングは、「さんぽ」という曲なんですが、そのはじまりの音が一種バグパイプのような音ですよね。今回の作品は以前の『ナウシカ』『ラピュタ』の無国籍的なイメージとちがって、ちゃんと日本が舞台ということになっていますよね。”日本”ということは意識されましたか?

久石:
「ただ、日本の風土に根ざしたドラマではないでしょう。宮崎さんの作品にはそういう風土感がないと思うんですよ。『トトロ』も日本が舞台ということがわかっているんだけれども、土着的な日本でしか生まれないふんい気というものは感じられなかったんです。そういう点でのこだわりはなかった。バグパイプを出したのも、音楽打ちあわせの時に『バグパイプなんかイントロにあったらどうですか』って聞いたら、宮崎さんが『おもしろいですね』とおっしゃって、それで入れたら、とっても喜んでもらえたんですよ。そうしたら『全部に入れてほしい』と宮崎さんがいいだして(笑)」

-宮崎さんが好きな音色ですよね。

久石:
「まさにそういう感じなんです。だから、宮崎さんの作品の場合、独特のローカリティに根ざしているわけじゃない。そういうものから出てくるふんい気はありませんね」

-映像と音楽に違和感はなかったと思いますが、とくに意識したことは?

久石:
「それはこういう物語のあり方とも関わってくるんだけれど、この作品は中編でしょう? ちょっといい方が難しいけれど、普通のオーケストラだけの曲を書くと、ごくあたりまえの幼児映画になってしまうんですよ。だから『トトロのテーマ』はミニマル・ミュージック的な、ちょっとエスニックなふんい気を持たせています。子どもたちが家の中を駆けまわるシーンでは、メロディー自体がリズミックな感じの曲にして、リズム感を出したり。そういうことはかなり意識的にやったし、BGMの曲数もかなり多く作りましたしね、あとで抜いてもいいようにと思って。

エスニックなものと普通のオーケストラの曲を両方使うということでは『ナウシカ』以来一貫しているんですよ。ただ今回は、『さんぽ』 『となりのトトロ』という歌をメインテーマにして、僕らが”裏テーマ”と呼んでいた『風のとおり道』を木の出てくるシーンに使った。そのへんの構造がうまくいったのでよかったんじゃないかな」

 

宮崎さんの鋭い感覚

-今回のシンセサイザーとオーケストラの曲の割合はどのくらいですか?

久石:
「途中で病気をしちゃったんで、シンセの部分が少なくなったんです。だからオケが6でシンセが4ぐらいかな。本来なら、その割合が逆になったと思いますが、結果として、オケが多くて聞きやすくなったかもしれませんね」

-そのシンセの音がおもしろかったんですが、ススワタリの声も……。

久石:
「あれはアフリカのピグミー族という部族の声で、本来はかなり長いものなんだけど、その最初の”ア”という声だけをサンプリングしたんです」

-それをシンセで加工した?

久石:
「ええ。キーを高くしたりとかね。そういう手法はけっこう使ってますよ。タブラ(打楽器)の音も自分でたたいた音だし……。ああいうものって変に耳に残るでしょう?」

-そうですね。

久石:
「しまった。ほかで使えなくなってしまったな(笑)」

-生(ナマ)のオーケストラを使ったのは、そうすると割とメロディアスな部分ですか。

久石:
「そうですね。それと、一ヵ所ね、三分五十秒ぐらいの曲をオケでやった部分があります。それは、メイがオタマジャクシをみつけて、それから小トトロを発見して、不思議な森の迷路をぬけて、トトロに出会うというシーンなんだけど、この間、五十何ヵ所か、絵とタイミングをピッタリ合わせるという離れ技をやったんです。ゼロコンマ何秒かというタイミングでキッカケ出して。単純になっちゃいけないからというので、倍速にしてリズムをきざんだりとか、いままでのなかでいちばん時間かかったんじゃないですかね。ただ、ダビングの音量レベルが低かったみたい。だからスクリーンで見てもバシッと決まる音が小さいから、いまひとつしまらないというか……」

-劇場のせいもあるかもしれませんね。

久石:
「そうかもしれないですね。ただ、これはアニメ全般にいえることなんだけど、どうしても音楽のほうが小さくなってしまいますね。セリフを聞かせて、効果音も出しているから、音楽の音量をおさえる、というのはどうにもローカルな発想にしか思えないんですよね。

外国映画なんかを観ていると、逆ですものね。音楽が10ならセリフの音量が8ぐらい。それでも充分にセリフは聞こえるんですよね。そのへんの発想を改めないと、世界の映画のレベルに追いついていかないんじゃないかな。やっぱり、テレビで三十分ものをやっている影響じゃないかという気がしますね」

-なるほど。

久石:
「単純に考えてもわかるけれど、どんなにセリフや効果音がうまくいっても、芸術的だといわないんですよ。やっぱり音楽がよかったから、レコードがほしいというふうに、みんな思うわけでね。外国なんかの場合、ここは音楽でふんい気を伝えるんだと考えたら、リアルな効果音なんかとってしまって、音楽だけで聞かせるようなこともやりますでしょ。そういう発想の転換をしてくれないかなあと思うんですよね。そういう点で、宮崎さんなんかはかなりいいほうだと思いますけど、音楽家の立場からいったら、もっと要求したくなりますね」

-宮崎作品なら、それが出来そうですよね。

久石:
「と思います。今回の作品ではね、いままで高畑さんがプロデューサーで音楽を担当してきて、(今回は)宮崎さんが自分で前面に立たなきゃいけなくなったでしょう。そうしたら音楽打ちあわせで『こんなおもしろいものを高畑さんはいままでやっていたのか。ズルイ』といいながら、やってました。でも、これまではどんな音楽があがってくるかわからないから、ダビングに入るまで不安だったけど、今回は頭に入ってたんで『ラクだった』っておっしゃってましたよ。宮崎さんは音楽わからないとかいいながら、けっこうスルドイ」

-たとえば?

久石:
「さっきの『トトロのテーマ』。あれは7拍子なんだけど、少し音が多いかなと思ったら、宮崎さんが『もう少し音減りませんかね』っておっしゃる。そういうのが何ヵ所かあったんですよね。高畑さんは理論的だし、よく知ってらっしゃるけれど、宮崎さんは感覚的に鋭いなという感じ、それで僕の思ってることと、ほとんど同じことを指摘してくるんです。それが、すごくおもしろかったですね」

(となりのトトロ ロマンアルバムより)

 

 

スタジオジブリとしてもロゴやキャラクターとして代名詞となっているトトロ。DVD作品のサウンドロゴも『となりのトトロ サウンドトラック』より「さんぽ」のメロディーが使われています。

そして教科書にも掲載され、子供から大人まで、誰もが一度は大きな声で歌ったことのある「さんぽ」「となりのトトロ」というオープニング曲/主題歌。さらには”裏テーマ”と呼ばれ、まさにもうひとつのメインテーマといっても過言ではない「風のとおり道」。

『となりのトトロ』の音楽には、誰もが心躍る、そして安心する、そんな日本人の心を満たしてくれる、音楽がつまっています。インタビューにもあるように、「でも土着的な日本的音楽」ではない。ここがやはりすごいところだなと思います。

 

 

 

「ジブリの教科書 3 となりのトトロ」(2013刊)にもオリジナル再収録されています。

ジブリの教科書 3 となりのトトロ

 

 

 

あらためてまとめられた本書のなかからいくつかのエピソード(再収録・語り下ろし)をご紹介します。

 

スタジオジブリ物語『となりのトトロ』編 項

音楽と声の出演について

宮崎監督はこの映画に使われる歌について、当初からはっきりとした意向を持っていた。前述の企画書には、「追記 音楽について」として次のように書かれている。

「この作品には二つの歌が必要です。オープニングにふさわしい快活でシンプルな歌と、口ずさめる心にしみる歌の二つです。(中略) せいいっぱい口を開き、声を張りあげて歌える歌こそ、子供達が望んでいる歌です。快活に合唱できる歌こそ、この映画にふさわしいと思います。(後略)」

音楽は『ナウシカ』『ラピュタ』に引き続き、今回も久石譲に決定。そして、これまでの二作と同様に、まずイメージアルバムが作られることになった。映画に実際に使うサントラの音楽を制作する前に、イメージを膨らまし具体化するために生み出される様々な曲をアルバム化したものがイメージアルバムだが、今回は宮崎のこうした意向を受けて、イメージアルバムは歌集として制作されることに。そして歌詞を児童文学作家の中川李枝子に依頼することになった。中川の『いやいやえん』を読んで大きな衝撃を受け、以来ファンとなった宮崎たっての希望であり、中川はこれを承諾。最終的にアルバムは中川作詞の六曲、宮崎他の作詞による四曲のボーカル曲全十曲とインストゥルメンタル一曲の全十一曲の「イメージ・ソング集」として完成した。その中から中川作詞の「さんぽ」が映画のオープニングに、宮崎作詞の「となりのトトロ」がエンディングに使用され、いずれも子供達に広く歌われるスタンダードナンバーとなった。特に「さんぽ」は全国の保育園・幼稚園ではほぼ必ず歌われる歌となり、日本で生まれ育った現在二十歳以下のほとんどすべての人が、この歌を歌ったことがあるのではないだろうか。

サントラ音楽は、久石得意のミニマル・ミュージックの要素を随所に取り入れて制作され、いたずらに神秘的ではなく、不思議でありながら親しみもあるという感じをうまく醸し出し、映画の世界に見事にマッチしていた。また、イメージソング集に入っていたインスト曲の「風のとおり道」はBGMとして劇中のいくつかの場面で使用され、『トトロ』のいわばもう一つのテーマ曲として大変強い印象を残した。なお、前二作は高畑監督がプロデューサーとして音楽の打ち合わせも行ってきたが、『トトロ』は宮崎監督が前面に出て久石と打ち合わせを行った初の作品でもある。

(ジブリの教科書 3 となりのトトロ より抜粋)

 

 

特別収録1
宮崎駿監督ロングインタビュー
トトロは懐かしさから作った作品じゃないんです 項

現実と夢の間で…

宮崎:
「(中略) 久石さんと話してて、音楽のことなんかも随分悩んだけど、つまり神秘性をやたら強調しちゃうと違うしね。かといって、ムジナが隣に出てきましたっていうふうに、やたら親近感を持って作っちゃうと、これも違う。だから、久石さんのミニマル・ミュージックの無性格な感じが、あれが一番よかったですね。あれよりもっと神秘的になっちゃうと、神秘になっちゃうし、どっかで聞いたような音が入ったりして、そこら辺がわかってるけどちょっと違うっていう、そういう感じがちょうどよかったんじゃないかなと思うんです。

不思議だったのは、サツキの横に現われて立っている時にかかってる音楽はね、一回できた音楽を──七拍子の基調のリズムがあるのを──それがずーっと入ってたのを少し多すぎるから抜いてくれっていったんですよ。

それで、一回ごとに久石さんがミキシングの中で抜いたんですよ。”一、二、三、四、五、六、七。フッ”と数を数えて抜いてね。また数を数えて入れたり。そしたら、とてもよくなったんです。それを映画にひょいとあてたらぴったり合ってたんです。不思議なくらいにうまく合っちゃったんです。

サツキが見上げる時にはリズムがなくて、トトロが出てくるとそのリズムがガガンとかかってね。まあ、こんなことも世の中あるんだなって思いました(笑)。あそこの音楽はよかったですねえ。邪魔しないで、性格を決めないで、なおかつ妙な、不思議な感じが出てきて、でもやたらに不思議じゃなくて、妙に親しくて……音つけて、音楽つけて、あのシーンは本当によくなりました。

音楽の制作に関しては、久石さんもずいぶん悩んでましたね。つまり、明るくしなくてはいけないんだと彼は思ってたわけです。でも、明るくしなくてもいいんだってことが、僕自身もはっきりいいきれたのは、映画が終わってからです。途中では、久石さんにはそんなに明るくする必要はない、アッケラカンと音楽を全部につけちゃうとよくないといって、やり直した所もあります。しまった、音楽は僕がもう少し歌舞音曲にくわしければ、こんなことにはならなかったと思う箇所がいくつかあります。音楽というのは、本当にあててみないとわからないというところがあるんですねえ」(後略)

(ジブリの教科書 3 となりのトトロ より)

 

 

最後に、映画『かぐや姫の物語』(2013年)公開時の、高畑勲×久石譲 対談より、高畑勲監督の印象的な言葉を。

「久石さんの音楽で僕が感心したことがあるんです。それは「となりのトトロ」で「風のとおり道」という曲を作られたのですが、あの曲によって、現代人が“日本的”だと感じられる新しい旋律表現が登場したと思いました。音楽において“日本的”と呼べる表現の範囲は非常に狭いのですが、そこに新しい感覚を盛られた功績は大きいと思います。」

まさにこの言葉と解説がすべてを象徴しているように思います。

詳しくは下記関連記事より詳細がご覧いただけます。

 

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となりのトトロ ロマンアルバム

 

Info. 2014/11/08 [TV] WOWOWノンフィクションW「早坂文雄」 久石譲出演

WOWOWノンフィクションWで特集される映画音楽の巨匠・早坂文雄氏。
同じ映画音楽に携わる作曲家として久石譲がインタビューを受けました。
ぜひご覧ください。

番組名:天才作曲家・早坂文雄 幻のテープが語る「七人の侍」
放送局:WOWOW
初回放送日:2014年11月8日(土)13:00-
(再放送:2014年11月10日(月)深夜0:00-/12月21日(日)午前6:30-)
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Info. 2014/10/28 [CDマガジン] 「クラシック プレミアム 22 ~メンデルスゾーン / シューマン~」 久石譲エッセイ連載 発売

2014年10月28日 CDマガジン 「クラシック プレミアム 22 ~メンデルスゾーン / シューマン~」(小学館)
隔週火曜日発売 本体1,200円+税

「久石譲の音楽的日乗」エッセイ連載付き。クラシックの名曲とともにお届けするCDマガジン。久石による連載エッセイのほか、音楽評論家や研究者による解説など、クラシック音楽の奥深く魅力的な世界を紹介。

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Info. 2014/10/24 久石譲 「第66回正倉院展」 開会式 出席

奈良・正倉院に伝わる至宝の数々を紹介する「天皇皇后両陛下傘寿記念 第66回正倉院展」(主催・奈良国立博物館、特別協力・読売新聞社)の開会式が23日、奈良市の同博物館で開かれ、招待客約2400人が訪れた。

式後には、皇太子さまが会場を訪問された。一般公開は24日から11月12日までの20日間。

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Info. 2014/10/25 [雑誌] 「クロワッサン 2014年11月10日号」 久石譲 インタビュー掲載

2014年10月25日発売 雑誌「クロワッサン」(特大11/10号 No.888)の“MUSIC”コーナーに久石のインタビュー記事が掲載されています。

内容は新作『WORKS IV』関連インタビュー。「サウンドトラックがシンフォニックに。パーソナルな楽曲が普遍的な作品へ。」というタイトルで1ページのインタビューを掲載。

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Info. 2014/10/25 [雑誌] 「サウンド&レコーディング・マガジン2014年11月号」 久石譲 インタビュー掲載

「サウンド&レコーディング・マガジン」2014年11月号に、
久石譲のインタビューが掲載されています。
新譜「WORKS IV -Dream of W.D.O.-」のサウンド・メイキングなど
専門誌ならではの話が満載です。是非チェックしてみてください。

(久石譲オフィシャルサイト より)

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Blog. 「考える人 2014年秋号」(新潮社) 久石譲インタビュー内容

Posted on 2014/10/24

2014年10月4日 発売
雑誌「考える人 2014年秋号」(新潮社)

【特集】「オーケストラをつくろう」にて、久石譲の7ページにおよぶインタビューが掲載されています。

たとえば、映画作品や音楽作品発表時などのインタビューでは、その作品への話題に特化しています。今回のロングインタビューでは、”オーケストラ”を切り口に、様々な角度から久石譲の思いや考えを読み解くことができます。

作品や販促宣伝にとわられない、まさに久石譲が今語りたいことを語ったインタビューだと思います。かつ特集テーマを軸に、かなり掘り下げた専門的な内容にもなっています。

作曲家や音楽家はメディアにおいてその多くは「言葉の力」ではなく、発信する”音楽そのもの”で自身を表現することが多いなか、今回のインタビューは大変貴重な言葉の記録です。

要点などはまとめませんので、先入観なしに読んでみてください。

抜粋してご紹介します。

 

 

オーケストラを未来につなげるために僕は”今日の音楽”を演奏する

クラシックから映画音楽までジャンルに囚われることなく幅広い楽曲を作曲し、指揮し、ピアノ演奏する久石譲氏。今日のオーケストラが抱える問題に真摯に向き合い、「アートメント」をきちんとやりたい語る。芸術を「日常にする」ための挑戦を尋ねた。

 

久石 映画音楽を含めて、僕の仕事の八割から九割はオーケストラとの作業です。作曲したものも八割強がオーケストラとの仕事。指揮もする。となると、自分にとってオーケストラは、あえて何かと考える必要がないくらいに、日常的なものなわけです。昔はシンセサイザーで曲の半分を作っていた。でも今は、基本的に生の演奏を中心に考えていますから、ほとんどオーケストラです。

オーケストラについて考えてみると、実は非常に変な組織です。ジプシー音楽を想像してもらえればわかるのですが、本来弦楽器というのは、みんなポルタメント(音から音へなめらかに移動する奏法)を使い自由に弾いていた。それをオーケストラのように十数人の第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリンが、一糸乱れることなくボウイング(弓使い)も揃えて同じように弾く。ビオラもチェロも……となると、弦楽器が持っていたものと全く違うんですよ。本来はそれぞれ心のままに演奏するはずが、全員で一糸乱れぬ演奏をする。そして十八世紀以降、木管や金管も入ってプロの演奏家集団ができ、多くの演奏回数をこなすためにも指揮者を中心に一つの意思で演奏する形態になる。宗教と一緒です。神様、すべて一つに集中させる方式をとっていかないと成立しない。

では、集団で弾くのは個性や意思がないかというと、そうではない。ここからがオーケストラの神髄になる。アンサンブルの本当のおもしろさは、自分がパーツになるという意識は本来ないところ。みんな自分を主張するのが基本です。オーケストラは個人業者が集まっているようなもので、一人一人意見もあれば考えもある。その個人業者の優秀な人たちが八十人とか百人とか集まって成立している。では、思いどおりに演奏させたらどうなるか。一曲だって完成しない。いい例が、ある有名な弦楽四重奏団。一小節を弾いた瞬間、「お前の違う、こうだよ」と、二時間ぐらい議論する。またちょっと弾いては、いやそれは違う、と。一日弾いても一楽章も進まない。そういう演奏家が大勢集まるオーケストラでは、年間百回近いコンサートをこなすために、指揮者を決めて、指揮者を基本にするようになる。

常任指揮者というのは、オーケストラ側の意思を一番反映してくれて、あるいは自分たちを変えてくれる人を任命するわけです。何度もコンサートを重ねていく中で、お互いに音楽をつくりあげていくというリスペクト関係ができる。それで初めて常任としての役割も果たすし、オーケストラも変わっていく。しかし、間違いや乱れのない、音程もしっかりしている音楽をつくったらいい指揮者かというと、そうではない。みんなのメンタリティの部分を全部引き出した上で、どういう音楽をつくっていくかがわかっていることが大事です。ある種、現場監督的なことも指揮者にとって大きな役割です。映画監督と指揮者=音楽監督、それと野球の監督というのは一緒なんです。

この三つに共通しているのは、何もしないこと。指揮者は舞台に上がっていながら唯一音を出さない。野球の監督は、打ちはしないし守りもしない。映画監督は画面に映っていない。ところが、監督がどういうものを目指すかが明確でないと、野球のチームはボロボロになり、映画だって何だかわからないものができてしまう。音楽も一緒。みんなをこっちの方向に引っ張りますということをきちんと言う。ベートーヴェンならどういうベートーヴェンをつくりたいかを明確に示すのがいい指揮者です。

 

古典芸能にしないためには

いま僕が一番考えているテーマは、オーケストラの現状、それを未来につなげるにはどうしたらいいのかということです。現在のオーケストラは問題を多く抱えている。何より収益性。百人以上の団員がいて、一回のコンサートで大体二千人の客が入るとする。一人六千円だとしても収入は一千二百万円です。オーケストラだけのギャランティから言うと収支は合うかもしれないが、練習場や移動費などの諸経費を考えあわせると全くペイしない。

オーケストラの収入は、基本的に三分の一がチケット収入。定期演奏会などオーケストラが主催するコンサートのチケット売り上げですね。それから、歌手のバックやテレビ番組など依頼されて演奏するときの出演料が三分の一。残りの三分の一が、いわゆるスポンサード(後援のついた公演)なんです。この三つがないと、オーケストラは成立しない。

ロックと比べると対照的です。ロックバンドは五~六人でしょう。その人数でもPA(音響)で音を拡大して、二万人、三万人集めることができる。一回のツアーで十億近く稼ぐ。それに比べると効率が悪いですよね、オーケストラは。この問題は日本だけでなく、すべてのオーケストラが抱えている。音楽の本場であるドイツには、地方にもバンベルク交響楽団など非常に素晴らしいオーケストラがいっぱいある。ところが、二百近くあったのが、この十年間でかなり減っている。

最終的に僕が言いたいことは一点。クラシックが古典芸能になりつつあることへの危機感です。そうでなくするにはどうしたらいいかというと、”今日の音楽”をきちんと演奏することなのです。昔のものだけでなく、今日のもの。それをしなかったら、十年後、二十年後に何も残らない。前に養老孟司先生に尋ねたことがあります。「先生、いい音楽って何ですか」。すると、養老先生は一言で仰った。「時間がたっても残る音楽だ」と。

例えばベートーヴェンの時代、ベートーヴェンしかいなかったわけではない。何千、何万人とい作曲家がいて、ものすごい量を書いている。でも、ベートーヴェンの作品は生き残った。今の時代もすごい数の曲が書かれているけれど、未来につながるのはごくわずか。つまらないものをやると客が来なくなる。だが、やらなかったら古典芸能になってしまう。

未来につなげる努力をプログラムに取り入れなければいけないのに、その努力が足りない。年に数回、現代音楽祭という、”村社会”のコンサートのようなものはあるけれど、必要なのはそれではない。通常のプログラムの中で現代音楽を入れていかないといけない。ところが日本では圧倒的に少ない。だから、作曲家であり、指揮する自分のやり方は、必ず現代音楽をプログラムに入れて、接するチャンスを提供することです。例えば、九月二十九日に開催した「Music Future」と題するコンサートでは、ヘンリック・グレツキの「あるポーランド女性(ポルカ)のための小レクイエム」(一九九三年)や、アルヴォ・ペルトの「スンマ、弦楽四重奏のための」(一九七七/九一年)を演奏しました。

ところが、過当競争の中にある日本の指揮者は実験できないのです。多くのオーケストラが公益法人になって赤字を出すことが許されない中で、集客できる古典ばかりを演奏することになる。ベルリオーズの「幻想」が一番新しい曲になってしまう。それ以降のストラヴィンスキーなど組もうものなら集客は難しい。バルトークですら敬遠されていると聞きます。多分、今一番人気があるのはチャイコフスキーやドヴォルザークでしょう。

日本には優秀な指揮者が大勢いるから、みんな本当は新しい曲を演奏したい。でもチャンスがない。常任になると何回かは実験できるけれど、その肩書きがない限り実験はしづらい。ますます保守化する。もちろん、僕がかかわる新日本フィルハーモニー交響楽団をはじめ意欲的に組んでいる楽団はあります。だがトータルで言うと、”今日性”につなげる努力はものすごく少ない。このままだと、先細りすると心配しています。オーケストラのあり方を考えるのは、日本の音楽、文化としての音楽について考えることと一緒だと思うのです。

 

知れば知るほどおもしろくなる

-ある評論家が、日本では演奏人口は多いのに、聴く人口が育たないと問題提起していました。

久石 文化を培うのは、たしかに難しい。加えて、日本が抱えるもうひとつの問題は観客の高齢化です。どのコンサートも、平日の午後二時からがゴールデンタイムなのです。びっくりするでしょう。

-老人中心ということですね。

久石 高齢者の多くは、コンサートに知的な刺激を求めているわけではない。「きょうはモーツァルトを聴いていい一日だったね」。そういう一日のほうがありがたいわけです。だから、ますますプログラムが保守化する。たまたま僕の場合はジブリ映画の影響もあるおかげで、二十代くらいの若い世代も聴きに来てくれるので驚かれます。だけど、高齢化の問題をどうしたらいいかは、僕も簡単には言えない。ただ、アマチュアオーケストラで演奏する人がたくさんいるというのは悪くないことです。なぜなら、クラシックは知れば知るほどおもしろくなる。そのためには、演奏するのが一番いいのです。

-それが、聴く人の増加につながっていません。

久石 これは日本人が直面している結構根の深い問題かもしれない。全ての物事が即物的になっていますから。もしかしたら、アマチュアオーケストラに入っている人たちの目的が、クラシック音楽を知ることではなく、人とのつながりや経験を得ることなのかもしれない。音楽をする喜びを感じたくてオーケストラに参加するなら、聴くことにも喜びがあるし、勉強もする。これも養老先生が仰られていたことですが、今、学生に例えばニーチェについて論文を書けと言ったら、ニーチェの本ばかり二十冊ぐらい読む。本当は、ニーチェの本は一~ニ冊にしてその前後の哲学者も読まなければいけない。幅を広げて読むべきなのに、今の人は棒グラフのようにそれだけを読む、と。

もうひとつ、音楽が十分楽しまれていない背景に、現代人の脳が芸術野ではなく、論理的な方の脳で音楽を聴いている可能性があるかもしれません。つまり、コンピュータのように音楽を「情報」として「処理」している。ならばこれを逆手にとって、交響曲のような長い曲は、言葉を駆使して情報として伝える方策を考えないと普及しないかもしれない。

-何事もそうですが、おもしろさというのは、わかり易さと難しさとのバランスがあってこそ喜びがあり、先へ進むエンジンにもなるのですけれど。

久石 いずれにせよ、妙薬はない。たまたま僕は二十代まで現代音楽、誰も来ないようなコンサートをして、それからエンターテイメントに行った。映画も含めていろいろ担当してきた中で、もう一回クラシックに戻ってきたから客観的に見ているのですが、やはり一番大きな問題は垣根が高いことだと思うのです。それを壊す作業をしなければいけない。

ただ、それは夏休みに子供向けプログラムを提供すればいいとか、そういう問題ではない。日常的に垣根を壊していかなきゃいけない。昔ロンドンでは、ロンドン・シンフォニー・とアンドレ・プレヴィンがテレビでレギュラー番組を持った。あれでロンドン・シンフォニーのファンが増えた。山本直純さんの「オーケストラがやって来た」もそうでしょう。一般の人と触れ合うための、マスコミの使い方も踏まえた垣根の修正作業にもっと努めなければいけない。

僕が今一番思っているのは、「アートメント」をきちんとやろうということです。アートとエンターテインメントを組み合わせた言葉です。知的な喜びを、もっと日常にするということ。町を歩いている女の子のハンカチの模様がフランク・ステラやアンディ・ウォーホルの作品で、「これいいよね」とか言っているような感じ。それはたとえば、片方で「きのう、ゆずのコンサート行ったんだ」という女の子がいたら、隣で「私はベートーヴェンの第九に行った」という子もいて、それが普通の会話になる日常がいい。

芸術を日常にするには、数多く触れるしかない。以前イギリスで流行したのが、エデュケーションとエンターテイメントを合わせた「エデュテインメント」。それと同じです。文学でも、「夏目漱石はおもしろいじゃん」というところから入らないと、「純文学でござい」では敷居が高くて誰も近寄れない。スタンダールの『赤と黒』だって大衆小説でしょう、単純に言えば。でも、あれは純文学とされる。大衆小説と純文学の区分けっておかしいでしょう。ドストエフスキーの『罪と罰』だって、そんなに高邁な文学と呼ばなくていい。おもしろければ誰でも読むし、どんな本だって最初の二十ページは我慢しなきゃいけないわけだから(笑)。

クラシックも同じ。ベートーヴェンってまずおもしろいんですよ、本当に。あのパワーは、恐らく他の作曲家は到達し得なかったものです。金字塔ですよ。何ですごいのかと考えると、本当の意味でキャッチーなのです。ベートーヴェンが持っているのは、通俗的と言っていいほどキャッチーなものをベースに、それを徹底的に組み立てていく意志力でしょう。

大概の作曲家が言うことですが、第九はフォームがよくない。五番や七番に比べると、一、ニ、三楽章はいいけれど、四楽章はバランスが変。交響曲としての完成度で言うと、第九ってどうなの?と、僕を含めて多くの作曲家が疑問を持っていた。それはベートーヴェン自身にもあった。

でも、何回か第九を指揮しているうちに、そんなことは吹っ飛びました。あの四楽章の持っているカタルシス。まるでマリオブラザーズの一面クリア、二面クリア(笑)……という感じの、あの興奮。それから合唱が持つ圧倒的なエネルギーなどを考えていくと、やはり音楽は理屈じゃないのだと最後に気づきますよ。構成だ、論理的構造だとか言っていたことは一体何だったんだというのを最後に感じます。そのぐらい第九はすさまじい。

話は飛びますが、第九は日本人に合うのですよ。あれは演歌です。任侠映画と言ってもいい。耐えに耐えた主人公が、最後の最後で演歌のテーマが流れる中、刀を持って出かけていって、ちょうどワンコーラス終わると、敵相手にたどり着く。で、バーッと全部斬って終わるという。第九にはそのカタルシスがある。要するに、闘争から勝利、苦悩から歓喜へといった耐えた挙げ句のカタルシスです。

-「忠臣蔵」と第九が日本の年末の恒例というのがよくわかりました(笑)

久石 あ、「忠臣蔵」もそうですね(笑)。もともと日本で第九がはやった理由というのは、団員の餅代だったそうです。アマチュア合唱団を使うと、合唱団員一人一人に家族と親戚がついてくる。券を買ってくれる。それで多少のお金を稼いで団員に餅代を払って正月を迎える。それがいつの間にか定着した、と。だが、僕はそれだけではここまで定着しないと思うのです。やはり日本人の心に食い込むものがあったのでしょう。

-第九が持っている、人間の「声」という身体性とか、音楽の原点に訴えかける力でしょうか?

久石 そう思いますよ。これは民族音楽を訪ね歩いた小泉文夫さんという音楽学者が書いた『人はなぜ歌をうたうか』という本にあるのですが、スリランカの奥地で歌を歌う。音程は、高い音と低い音の二つしかないらしい。相手が一生懸命歌うと、その人よりもっと一生懸命大きい声で返す。また返す。こういうやりとりが歌うことの原点であり、小泉さんは感動したというのですね。実はベートーヴェンの方法も同じ気がするのです。きれいなメロディをどう料理して、どう展開するかみたいなことは余り考えてない。余り好きな言い方ではないけど、どの曲も、魂の叫びというか心の叫びというか、自分の考えていることと直裁的につながっている。ベートーヴェンは直裁的で非常に闘争的な男だから、抑圧からの解放が基本にある。

音楽史をたどると、ベートーヴェンの時代は古典派の終わりに当たります。ということは、ベートーヴェンの時代には、物語的(後の交響詩)なものがいっぱいできている。ウェーバーをはじめ、みんなつくっている。そこで音楽に初めて文学が重要になるわけです。それ以前は、純粋にフォームのある音楽を書いてきた。ソナタ形式とか。でも、もうこれ以上やってもベートーヴェンに勝てないとなった瞬間以降は、音楽に文学の要素が入ってくる。ボロディンの交響詩「中央アジアの草原にて」のように、向こうから来てあっちに去っていったり、シュトラウスの「アルプス交響曲」のように、夜が明けて嵐が来てみたいなアルプスの一日の情景描写など、構成に文学的な要素が入ってくるのです。この辺りから音楽のあり方が変わった。

これを論じたのが、Th・W・アドルノの『新音楽の哲学』という本で、これは読みづらいけれど読んでおいたほうがいい本です。ストラヴィンスキーとシェーンベルクを論じている本ですが、そこでの警鐘は、二十世紀における芸術音楽のあり方の問題です。要するに、商業化した音楽が主流になる今日の状況でそれが可能なのか? を論じている本ですが、現在はもっと深刻な状況だと僕は思っている。

音楽が抱えている問題は本当に大きい。だからそこで自分は何をするのか、ずっと考えています。

 

おもしろいとは、チャレンジすること

-久石さんがやってこられた映画音楽についてはどうお考えですか?

久石 過去には興味がないんだよね。それは昔の僕が書いた曲であって、今の僕と違うと思うから。

-でも、多くの人が多大な影響を受けたことは疑う余地がないと思います。

久石 もしそういう結果が出ているのだとしたら、本当に幸せなことだと思います。だって、もともと映画のためにつくってきていたわけだから、そういう結果を望んでつくったわけではない。そういう音楽ができたことはすごくうれしいけれど、自分から狙ってつくったことは一度もない。

もちろん、それはもう全身全霊でつくってきました、どの曲もね。ただ、これは作家の性で、「代表作は次だ」という意識は絶えずあるんだよね。過去のものを褒められると照れくさいし、あのときはあのときで一生懸命つくったよという気持ちでいるしかないんですよ(笑)。

ひとつ、わかっていることがあるのです。絶えずチャレンジし続けていないと観客はついてこない。僕のところに来てくれている人たちも、みんなそうです。一回でも気を抜いたコンサートをすると、離れるでしょう。最初の聴衆は自分。自分がおもしろいと思っていないものをやっても、誰にも伝わらない。おもしろいとは、チャレンジすることです。チャレンジすると、観客が一緒に育って、一緒に聴いてくれる。逆に、僕が前と同じことをしているような姿勢を見せた瞬間、観客は見事に離れます。

-怖いですね。

久石 観客って正直ですよ。この夏と秋の二つのコンサート。「World Dream Orchestra」の方は僕の映画音楽中心。すると、二ヵ所四千枚のチケットが発売後五分で完売。一方、現代の音楽を組んだ「Music Future」の方は五百枚が二ヵ月すぎても売り切れませんでした。露骨でしょう。自分がやりたい方が全然売れない(笑)。でも、僕はすごくうれしい。つまり、観客は、僕がやったら何でもオッケーじゃないんですよ。どういう内容か見て、知らないと思ったら引く。ならば、今後我々が取り組まなくちゃいけないのは、これをおもしろいと思う人間を増やしていくこと。急激にやりがいを感じて、これは来年もやるぞ、と思っています。

-「Music Future」では、世界初演の久石作品「Escher」を演奏されました。

久石 これはもう大変だった。弦楽四重奏なんだけど、メンバーに「弾けない」と言われて。「すみません」と言いながら演奏したけれど、楽しかった。僕は作曲家だから、こういう自分のやるべきことを今後もしていくけれども、オーケストラも同じだと思うのです。お客さんは実は知識で聴いていない。頭で聴くのではなくて、「何かわけがわからなかったけどおもしろかった」「今日のは、つまらなかった」と、考え方はこの二種類しかないと思うのです。その段階では、アルヴォ・ペルトであれ、グレツキであれ演奏していいと思う。何だかすごい不協和音だったけど、打楽器をいっぱい使っていておもしろかったとか、そういう感覚は残るでしょう。だから、そういうきちんとしたおもしろいものを提供していけば、今日の音楽を演奏するのは全然マイナスではない。それがアートメントです。でも実際は大変です。たとえば「World Dream Orchestra」で演奏したペンデレツキの「広島の犠牲者に捧げる哀歌」。演奏も大変。図形楽譜(五線譜でなく図形などで書かれた楽譜)だから。それをバッハの「G線上のアリア」と並べて演奏する。

-二つのギャップがすごいですね。

久石 それを狙ったというか、その化学反応をみたかったんです。ところで、この「広島の犠牲者に捧げる哀歌」に、未来につながるヒントがあると思っています。「超不協和音でおもしろいから聞いてよ」。僕がこう説明すると「そうですね」と言って、百人中九十五人は来ない。でも、「実はこのタイトルは後づけなんだよ。佐村河内と一緒」と言うと、これで二十人ぐらい来る(笑)。さらに、「実はこれは『哀歌 八分二十六秒』ってタイトルだったんだ」と加える。「エレジーという感情的な部分と頭で考える即物的な八分二十六秒がぶつかり合っている曲で、後で松下眞一さんという日本人作曲家の勧めで、日本公演のために『広島の犠牲者に捧げる哀歌』というタイトルをつけたんだ」。そして、こう締めくくる。「ペンデレツキはユダヤ人だから、広島、長崎、そしてアウシュビッツが結びついた。それで、このタイトルでいいと思ったんじゃないか」。これで大体六十人ぐらいが「あ、聴いてもいいわ。一回は」と思う。

-村上春樹さんの小説の中に出てくる音楽を聴きたくなるのと共通していますね。

久石 そう。潜在的にみんな聴きたいんですよ。だけど、どこから入っていいかわからない。だから僕は言葉の力を借りても、まず聴いてもらいたいと思いますね。

(雑誌「考える人 2014年秋号」 新潮社 より)

 

考える人 久石譲

 

Info. 2014/10/22 [TV] フジテレビ「世界文化賞」特番

2014年10月22日 深夜24:35から放送されるフジテレビの特番「世界文化賞」において
音楽部門の受賞者アルヴォ・ペルト氏にまつわる人物として久石が登場いたします。
授賞式会場に祝福に駆けつけた久石とペルト氏との貴重な対面シーンも公開されるそうです。
是非ご覧ください。

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