Blog. 映画『トンマッコルへようこそ』(2005) 久石譲インタビュー 劇場用パンフレットより

Posted on 2016/2/20

2005年公開 映画「トンマッコルへようこそ」
(原題:Welcome to Dongmakgol)
監督:PARK Kwang-hyun パク・クァンヒョン 音楽:久石譲

 

久石譲にとって初めて手がけた韓国映画となる本作で日本人として初となる第四回大韓民国映画大賞最優秀音楽賞を受賞。もちろん日本人としては史上初の快挙。さらに、韓国のアカデミー賞ともいわれている権威ある映画賞である大鐘賞でも最優秀音楽賞にノミネートされました。

映画「トンマッコルへようこそ」劇場用パンフレットに掲載されたパク・クァンヒョン監督と久石譲の貴重な対談です。

 

 

対談:パク・クァンヒョン監督 × 久石譲

2005年の韓国映画界で最大の収穫になった『トンマッコルへようこそ』。神に祝福されたような成功ぶりだが、実は製作時点では問題が山積し、公開されるまでは”呪われたプロジェクト”とさえ陰で呼ばれていたという。監督自身、3年におよぶ製作のどの段階でも苦労が絶えず、何度も「もうあきらめたい」と思った、と語る。だが、それほどの難産だったデビュー作で、音楽監督を久石譲が引き受けてくれたことは、何よりの奇跡だった。2人のコラボレーションの成果は、完成作品が何よりも証明している。久しぶりに再会する2人の嬉しそうな笑顔、つきない話に、周囲の空気まで温かで穏やかなオーラに満たされた。

 

パク・クァンヒョン:
大学時代から久石先生の音楽の大ファンでした。『菊次郎の夏』の美しい旋律も、『ソナチネ』のエネルギーに満ちた音楽も、もちろん宮崎駿作品の音楽も、本当に心酔しています。最初にお会いしたときはファン丸出しで、持っているCDすべてにサインしてもらいました(笑)。すごく緊張して行ったのですが、とても優しい笑顔で迎えてくださって、そのことにまた感動しました。一瞬、目の前にいる人が本当の巨匠であることを忘れてしまうほど、心優しい笑顔だったんです。

久石譲:
僕がまず思ったのは、「俳優になってもいいぐらいかっこよくて若い人だ」でした(笑)。でも、いざこの作品のビジョンを話し出すと、止まらない。細部にいたるまで明快なアイディアを持っている。これぐらい強い思いを持っている作品なら絶対にいい映画になると確信しました。それに、監督も新人だし、スタッフもみんな若いと聞いて、それなら予定調和な作業ではなく、エネルギーに溢れた現場になるだろうというワクワクする期待感も持ちました。

パク・クァンヒョン:
今回一緒に作業してわかったんですが、どうやら私たちはどちらもビジネス感覚に欠けていて(笑)、確か事前の打ち合わせでは、「だいたい17曲ぐらいでしょう」ということだったはずですが、やっていくうちに曲数がどんどん増えていきました。久石先生が「ここにも曲をつけようか」とおっしゃって、私も「いいですね」と答える、そんなやりとりをしていくうち、結果的に34曲になりました。最初はオーケストラも小規模なものを考えていましたが、先生が70人編成にしたいと提案してくださったんです。以前に宮崎作品のDVDの特典映像で、久石先生がオーケストラを指揮していて、それを宮崎監督が後ろに座って見ている場面がありました。それを見て以来、「宮崎監督みたいに後ろに座って久石先生が僕の映画のために指揮するところを見る」というのが夢の一つになったんです。目の前で久石先生が汗をかかれて何度もTシャツを着替えながら指揮しているところを眺めていたら、「ああ自分の夢が今かなっているんだ」と思って、鳥肌が立つほど感激しました。

久石譲:
映画は、どこに音楽を入れて、どこには入れないか、それを判断することも大事な作業です。この作品の場合、戦争の話ではありながらファンタジーの要素があるわけで、場面場面を引き立てたり雰囲気を伝えるために音楽を入れる場所を考えていったら、結果的に34曲になりました。オーケストラの規模にしても、作品の内容が要求したからですよ。これだけの話になるとスケール感も必要だし、より深い感情を表現するために二管編成は必然でした。重厚さ、弦の優しさがほしかったし、特殊な楽器を使うことで不思議感を出すことも狙いました。この作品の曲は、沖縄のスタジオに10日間ぐらいこもって集中してつくりました。毎日、海を眺めながら、真冬の戦闘シーンに曲をつけていたわけです(笑)。例えばチョウチョのシーンの旋律は、実は沖縄の音階を取り入れているんです。不思議な感じが出せて、いい効果になったと思います。

パク・クァンヒョン:
一方で、例えばイノシシのシーンは、原始的なリズムで力強いエネルギーを感じるとともに、胸が高鳴るような喜びの気持ちも表現されています。どの曲も大好きですが、どしゃ降りの雨の中ヨイルが自分の汚い靴下を脱いで少年兵の顔を拭う場面がひときわ好きです。胸に響くと同時に、気持ちがよくなります。本当に、音楽のおかげで作品全体に神秘性と深みが増しました。

久石譲:
イノシシのシーンは、実をいうとね、送られてきた映像を見たとき、てっきり未編集バージョンだろうって思ってたんですよ(笑)。スローモーションがずっと続く長いシーンだったから、きっと途中でノーマルスピードに変えて編集するんだろう、と。だけど、待てども待てども送られてこない。「送ったものが最終バージョンです」って言われて、正直なところぞっとしましたよ。これは大変だって。あそこが一番苦労しましたね。ところが、完成作品を見ると、監督の狙いがぴったり当たって、ものすごく力強いシーンになっていた。おかしかったのは、韓国での完成披露試写会で質問がイノシシのシーンに集中してしまって、俳優さんが「俺のことも聞いてくれよ」って(笑)。

パク・クァンヒョン:
チョン・ジェヨンさんですね。「自分は主役だと聞いていたのに、出来上がってみたら自分の場面は少なくて、イノシシやチョウチョのほうが目立ってるじゃないか」って、最初はちょっとスネてました(笑)。私が最後まで編集の判断に迷ったシーンが3つあって、イントロの部分とイノシシのシーン、それからラストの戦闘シーンでした。ずっと悩みつづけて、久石先生にもスケジュール的にずいぶんご迷惑をおかけしてしまいました。

久石譲:
確かに時間的にはきつかったけど、逆にいうと今回はそれ以外の部分での葛藤や摩擦がまったくなくて、心から気持ちよくできました。僕自身、韓国映画という初めての場にチャレンジして、自分の可能性を広げられたと思っています。監督やスタッフから、作る情熱がものすごく伝わってきて、気持ちが燃えました。

(取材・文 片岡真由美)

(映画「トンマッコルへようこそ」劇場用パンフレットより)

 

 

プロダクション・ノート

久石譲を動かした監督の熱い思い
撮影準備中、パク監督の胸にあったのは「この映画には久石譲の音楽以外は考えられない」という思いだった。それを聞いたラインプロデューサーのイ・ウナは、「ぜひあなたが必要だ」と真心をこめて手紙を書き、翻訳した脚本と共に久石に送った。久石から打ち合わせを要請するメールが来たとき、パク監督は全製作期間を通して最大の歓声をあげたという。その後、仮編集のフィルムを見た久石は、「70人編成のオーケストラで作りたい」と表明。さらに、ファイナル・カット以外の映像は見ないという原則を破り、公開の5ヵ月前に韓国を訪れ、第2次編集の映像を見てパク監督と感覚を共有する作業を行った。

「音楽のテーマは人と人の和合。深刻な場面とユーモラスな場面が交差する中、純粋なトンマッコルの村人と戦争で心に傷を負った人たちがひとつの村で暮らすことで、次第に癒やされていくという物語が非常に感動的だった」と語る久石は、当初の契約では17曲のところ、倍の34曲を完成させるなど、並々ならぬ情熱を示し、パク監督を感激させた。

2005年韓国興行成績No.1を記録
『トンマッコルへようこそ』が韓国で封切られたのは、2005年8月4日。初日に20万人を動員し、『親切なクムジャさん』を抜いて週末の興収トップに躍り出た後、口コミによって人気が広がり、公開7日目で動員200万人を突破。24日目で、『マラソン』が8週で打ち立てた500万人の動員記録を塗り替え、翌日には2005年最高の興収記録を樹立。9月初旬まで5週連続興収第1位をキープした。大ヒットを記念して、9月1日には入場無料のサービスを行い、さらに広い観客にアピール。最終的には公開89日目で800万2000人の動員を記録した。この数字は、国民の6人に1人が観た計算になり、韓国歴代動員記録で第5位にランク・インした。

賞レースでは、9月にアカデミー外国語映画賞の韓国代表に選ばれたのに続き、11月29日に授賞式が行われた第26回青龍賞で、カン・ヘジョンが助演女優賞、イム・ハリョンが助演男優賞を受賞。12月4日には、アン・ソンギの司会で授賞式が行われた第4回大韓民国映画大賞で、作品賞、監督賞、助演女優賞、新人監督賞、脚本賞、音楽賞の6部門を制覇した。さらに、2006年7月21日に授賞式が行われた韓国のアカデミー賞と言われる大鐘賞では、9部門ノミネートのうち、カン・ヘジョンが3つ目の助演女優賞を獲得した。

(プロダクション・ノート ~映画「トンマッコルへようこそ」劇場用パンフレットより)

 

トンマッコルへようこそ パンフレット

 

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