Posted on 2019/03/18
ピアノの情報誌「MUSICA NOVA ムジカノーヴァ 2007年3月号」に掲載された久石譲インタビューです。久石譲の創作活動への姿勢、芯のようなもの、普遍的に語られる大切なことが凝縮されています。
表紙の人
時間を超えて響いていく、美しい意志 久石譲
文:青澤隆明(音楽評論)
「過去は振り返らないんですよ、興味なくて」。久石譲はきっぱりと言う。「いまのほうが圧倒的にいい。前に戻りたいという気持ちはまったくないです。どんどん自分のやりたい音楽をやれる環境に近づいているから、いまが最高。そういう考え方ですね」。
いろいろな音楽が好きで、3、4歳のときにまずはヴァイオリンに触れた。「音楽をやるのは当たり前だと思っていたので、音楽家になる、と決心する必要はなかったです」。中学2年のとき、譜面を起こして吹奏楽の仲間に配るのが面白くて、それで演奏家より作曲家のほうがいいと思った。昨年から自身のオーケストラ作品を台北、香港、北京、上海、大阪で演奏し、3月、東京でのコンサートでツアーを締めくくるが、指揮者、ピアニストとしても広く活躍する現在でも、彼の音楽活動の根本が作曲にあることは揺るがない。「他人の曲は弾かないです。作曲家である自分が必要とする演奏を自分でしているから」。他の演奏家が弾くこともあまり考えていないと言う。「そういう意味では、積極性のある作曲家じゃないね(笑)。結果としてみんなに喜んでもらえるのが最高に嬉しい。だれかのために書いている、となった瞬間、作曲家としてのスタンスが変わってしまう気がして。最初に自分がいちばん喜べることを一生懸命やって、『うん、わかる』と聴いてもらえるのが理想です」。
ミニマルミュージックをベースに置く現代音楽の作曲家として出発し、「集団即興演奏を管理するシステムづくり」に取り組んでいた久石譲は、1980年代からポップス的なフィールドに入り、映画やCM音楽の名匠としても広く知られるようになった。そしていま、自分のスタンディング・ポジションを明確にする意味でも、弦楽四重奏やオーケストラ的な「作品を書こう」と考えている。「いちばんピュアに自分が考えていることを表現できる。それだけに大変と言えば大変ですけど」と語るピアノのためにも、数年前に発表した10曲に書き足し、全調性による24曲のエチュードとして完成させいたと意欲をみせる。「子ども用のピアノ曲も書きたいよね、作曲家として試されるけど。あまり難しくなくて、気持ちよくなれるものができたら最高」。
生活のなかに入ってくるようにピアノがあるといい、と語るその言葉は、久石譲のポップ・ミュージックが僕たちの日常を訪れるときのことをふと想わせる。日常生活と芸術的な美的時間を瞬時に結びつける表現者は、この現代をどのように生きているのだろうか。
「その時代の独特の空気、政治や経済も関係してくるけど、そのなかで自分が感じていることをきちんと表現したいというのはあります。ただ、単なる今日的な表現では、5年経つと古くなる。今日的な題材を扱いながらも、永遠のテーマになるような。本質的なところと関わりあえたらいいよね。そういうものをできるだけ探そうとしているところはあります。たとえばCMも、初対面の人の印象と近いところがあって、音楽はぱっと聴いた瞬間にその世界観がわかってしまう。それに、CMは15秒といっても1回じゃなく、何度もリピートして流れる。半年で色褪せてくるか、イメージが残るか、それが最大の試練と言えます」。
では、久石譲の音楽人生が一篇の映画だとしたら、いま、どんな物語のどのあたりを歩いているのだろう。こう尋ねると、音楽家は即座に「アンディ・ウォーホルが延々とエンパイア・ステイト・ビルを撮っていたような感じで、まあ、どこをとっても同じでしょう」と答えて笑った。「10年経っても、自分のスタンスは変わっていないと思う。今まで百パーセント満足したものはないからね」と。久石譲の不断の音楽冒険は、彼の愛するミニマル・ミュージックのように挑戦をくり返し、ひとつの限られた物語的な時間に帰着することはないのだろう。
「この次は絶対にクリアーにしようと、絶えず線になって反省して、さらに理想的な高い完成度の…、ここが難しいんですけどね。完成度が高ければいい音楽になるかというと、ものすごく立派な譜面を書いたからってそうはならない。むしろちょっと粗っぽく書いて、なんだかなあっていうときのほうが、人々に与えるインパクトが大きいケースもありますからね。実のところ、音楽がまだわからない。だからたぶん、10年後もそういうことに悩みながら、『いい音楽をどう創ろうか』と考えていくんじゃないかと思います」。
(ムジカノーヴァ MUSICA NOVA 2007年3月号 より)