Blog. 宮崎駿監督 引退会見 一問一答 全文掲載 Part.2

Posted on 2013/09/13

宮崎監督:公式引退の辞ということで、公式とまでしなくていいと思ったんですが、メモを皆さんにお渡ししているので、質問をいただければ何でも答えるという形でごあいさつにしたいと思うのですが、一言。僕は何度も今まで辞めると言って騒ぎを起こしてきた人間なので、当然まただろうと思われているんですけど、今回は本気です。

――(笑)

鈴木プロデューサー:お集まりいただきましてありがとうございます。始まったものは必ず終わりがくるということだと思います。僕の立場で言うと、落ちぶれて引退をするというのはかっこ悪いと思っていまして、ちょうど『風立ちぬ』という映画を公開して、色々な方に支持されている時に決めた。そういうことで言うと良かったんじゃないかなと思っています。今後ジブリはどうなっていくんだろうと、当然、疑問を持たれると思います。11月23日公開の高畑勲監督の『かぐや姫の物語』。これは皆さんにご心配をかけましたけど、鋭意製作中。11月23日、必ず公開するということをお伝えしたいと思います。これはまだ企画その他は発表できないんですが、来年の夏を目指してもう一本映画を製作中であります。

――監督から子供たちへ伝えたいことはありますか?

宮崎監督:そんなにかっこいいことは言えません。何か機会があったら、私たちが作ってきた映画を見てくだされば何か伝わるかもしれません。それに留めさせてください。

――長編アニメーションの監督を辞めるということでいいのでしょうか? これからやっていきたいことを具体的に教えてください。

宮崎監督:我ながらよく(引退の辞を)書いたなと思ったのですが、「僕は自由です」と書いたので、やらない自由もあると。ただ車が運転できる限りは、毎日アトリエに行こうと。それでやりたくなったものや、やりたいものはやろうと思っています。まだ休息をとらなければならない時期なので、休んでいるうちに色々わかってくるだろうと思いますが、ここで約束するとたぶん破ることになると思うので、そういうことでご理解いただければ(笑)。

――1984年に公開された『風の谷のナウシカ』の続編はこの先作る予定、作りたいというお考えは?

宮崎監督:それはありません。

――(韓国記者)韓国にも宮崎監督のファンがいっぱいいます。ファンに一言お願いします。また、今話題になっているゼロ戦についての問題についてどう思っていますか?

宮崎監督:映画を見ていただければわかると思っているのですが、色々な言葉にだまされないで、今度の映画も見ていただけたらいいなと思います。色々な国の方々が私たちの作品を見てくださっていることは非常にうれしく思っています。同時に作品のモチーフそのものが、国の軍国主義が破滅に向かっている時代を舞台にしていますので、色々な疑問が私の家族からも、自分自身からも、スタッフからも出ました。それにどういうふうに答えるかということで映画を作りました。ですから映画を観ていただければわかると思います。映画を観ないで論じてもはじまらないと思いますので、ぜひお金を払って観ていただけるとうれしいです(笑)。

――今後ジブリの若手監督の監修やアイディアを提供したり、脚本を書いたり、関与するお考えは?

宮崎監督:ありません。

――「今回は本気です」ということですが、今までとは何が違うのでしょうか。

宮崎監督:『風立ちぬ』は『ポニョ』から5年かかっています。その間映画を作り続けたわけじゃなくて、シナリオを書いたり自分の道楽の漫画を書いたり、美術館の短編をやるとか色々なことをやっていますが、やはり5年かかるんです。今、次の作品を考え始めますと、たぶん5年ではすまないでしょうね。この年齢ですから。すると次は6年かかるか、7年かかるか。あと3カ月もすれば私は73歳になりますから、それから7年かかると80歳になってしまう。この前、文藝春秋の元編集長だった半藤一利さんという方とお話ししました、その方は83歳でしたが、背筋が伸びて頭もはっきりしてて本当にいい先輩です。僕も83歳になってこうなれたらいいなと思います。あと10年は仕事を続けますと言っているだけで、続けられたらいいなと思いますが、今までの延長の部分には自分の仕事はないだろうと。そういうわけで、僕の長編アニメーションの時代ははっきり終わったんだと、もし自分がやりたいと思っても、それは年寄りの世迷い事であるということで片づけようと決めています。

――引退を鈴木さんと正式に決めたタイミングは?

宮崎監督:よく覚えてないんですけど。もうダメだって言った途端に鈴木さんが「そうですか」と。何度もやってきたことなんで、その時鈴木さんが信用したかどうかはわかりませんが、ジブリを立ち上げた時に、こんなに長く続ける気がなかったことは確かです。何度ももう引き時ではないのか、やめようという話は2人でやってきましたので、今回は本当に「次は7年かかるかもしれない」ということに、鈴木さんもリアリティを感じたんだと思います。

鈴木プロデューサー:正確に覚えているわけではありませんが、『風立ちぬ』の初号(試写)があったのが6月19日。その直後だったと思います。宮さんの方からそういうお話があった時、確かにこれまでの色々な作品で「これが最後だ、これが最後だと思ってやっている」そういうお話が色々ありました。具体的には忘れましたが、今回は本気だなと僕も感じざるを得ませんでした。というのも、僕自身が『ナウシカ』から数えると今年がちょうど30年目にあたり、ジブリを続けていく間で色々ありました。これ以上やるのはよくないのではないか、やめようかやめまいか、など色々な話がありました。僕もこれまでの30年間、ずっと緊張の糸があったと思います。宮さんにそのことを言われた時、緊張の糸が少し揺れたんですよね。変な言い方ですが、僕自身少しほっとするみたいなところがあったんですよ。

だから僕はね、若い時だったら留めさせようとか色々な気持ちが働いたと思いますが、自分の気持ちの中で、括弧つきなんですけど「ご苦労様でした」っていう気分があった。そういうこともある気がするんです。ただ僕自身は、何しろ引き続いて『かぐや姫の物語』を公開しなければならないので、途切れかかった糸をもう一回しばって仕事をしている最中です。それを皆さんにこうやってお伝えする前に、いつ、どうやって、それ(引退発表)をするのかを話し合いました。その中で、皆さんの前にまず言わなければ(いけないのは)、やはりスタジオで働くスタッフだったんですよ。それをいつ伝えるのか。ちょうど『風立ちぬ』の公開がありましたから、映画の公開前に、映画ができてすぐ引退なんて発表したら話がややこしくなると思いました。だから映画を公開して落ち着いた時期、社内では8月5日にみんな(スタッフ)へ伝えることにしました。映画の公開が一段落した時期、皆さんにも発表できるかなと。色々考えたんですけど、時期としては9月頭です。そんなふうに考えたことは確かです。

――(台湾記者)台湾の観光客は、日本に旅行すると「ジブリ美術館」は外せない観光名所になっています。台湾のファンから監督の引退を残念がる声がいっぱいあります。引退後は時間がたっぷりあるので、海外への旅行も兼ねてファンと交流する予定はありますか。

宮崎監督:「ジブリの美術館」の展示については私は関わらせてもらいたいと思っています。ボランティアでという形になるかもしれません。自分が展示品になってしまうかもしれませんが(笑)、ぜひ美術館にお越しいただけるとうれしいです。

――鈴木さんは『風立ちぬ』を進めた段階で最後になることを予感していましたか? また、宮崎監督は引き際に関する美学などありますか。

鈴木プロデューサー:僕は宮さんと付き合ってきて、彼の性格からしてひとつ思っていたことは、ずっと作り続けるんじゃないかなと思ってきました。どういうことかと言うと、死んでしまうまで、間際まで作り続けるんじゃないかと。すべてをやることは不可能かもしれないけど、何らかの形で映画を作り続けるという予感の一方で、35年付き合ってきて常々感じてたんですけど宮さんという人は、別のことをやろうと自分で一旦決めて、それをみんなに宣言するという人なんです。もしかしたらこれを最後に、それを宣言して別のことにとりかかる、そのどっちかだろうと。『風立ちぬ』という作品を作って完成を迎え、その直後にさっき言ったような話が出ましたが、僕の予想の中に入ってましたので、素直に受け止めることができたというか。たぶんそういうことだと思います。

宮崎監督:映画を作るのに死に物狂いで、その後どうするかは考えていませんでした。それよりも映画はできるのか、これは映画になるのか、作るに値するものなのか、ということの方が自分にとって重圧でした。

――(ロシア記者)「以前のインタビューでは色々な外国のアニメーション作家から影響を受けたということを教えていただきました。その影響を与えた方は、ロシアのノルシュテイン監督も入っていると思いますので、そのあたりを詳しく教えてください。

宮崎監督:ノルシュテイン監督にどういう影響を受けたかという話だと思いますが、ノルシュテインは友人です。負けてたまるかという相手でして……それほどでもありませんが(笑)。彼はずっと外套を作っていますね。ああいう生き方も一つの生き方だと思います。実は今日ここに高畑監督監督も一緒に出ないかと誘ったんですけど、「冗談ではない」という顔で断られまして。彼はずっとやる気だなと思っています(笑)。

――最も思い入れのある作品は? すべての作品を通してこういうメッセージを入れようと意識していたことはありますか?

宮崎監督:うーん……一番自分の中にトゲのように残っているのは『ハウルの動く城』です。ゲームの世界なんです。でもそれをゲームではなくドラマにしようとした結果、本当に格闘しました。スタートが間違っていたんだと思うんですが(笑)。自分が立てた企画だから仕方ありません。僕は児童文学の多くの作品に影響を受けてこの世界に入った人間ですので、今は児童書もいろいろありますが、基本的に子どもたちに「この世は生きるに値するんだ」ということを伝えるのが、自分たちの仕事の根幹になければならないと思ってきました。それは今も変わっていません。

――(イタリア記者)イタリアを舞台にした作品を色々作っていますが、イタリアは好きですか? あとこれは感想ですが、日野原先生などを目標にされるのはどうでしょう。あと20年30年生きられるのでいいと思います。(ジブリ美術館で)館長として働かれると訪問者は喜ぶと思います。

宮崎監督:僕はイタリアは好きです。まとまってないことも含めて好きです。友人もいるし、食べ物はおいしいし、女性は綺麗だし、でもちょっとおっかないかなという気もしますが、イタリアは好きです。半藤さんのところに10年いけば辿り着くのか、その間に仕事を続けられたらいいなと思っているだけで、それ以上望むのは半藤さんがあと何年がんばってくださるかわかりません。半藤さんは、僕より10年前を歩いてるんで、ずっと歩いていてほしいと思います。館長になって入り口で「いらっしゃいませ」と言うよりは、展示のものがもう10年以上前に書いたものなんで、随分色あせていたり書きなおさなければいけないものがありまして、それをやりたいと思っています。これは本当に自分が筆で書いたり、ペンで書いたりしなければいけないものなんで、それはぜひ時間ができたらやりたい、ずっとやらなければいけないと思ってきたことです。

美術館の展示品というのは毎日掃除してきちんとしてたはずなのにいつの間にか色あせてくる。部屋に入った時に全体がくすんで見えるんです。くすんで見えるところを一箇所何かキラキラさせると、そのコーナーがパッと蘇って、不思議なことに、たちまちそこに子どもたちが群がるというのがわかったんです。美術館みたいなものを生き生きさせていくには、ずっと手をかけ続けなければならないことは確かなので、できるだけやりたいと思っています。

――美術館では短編アニメも監督されていますが、これも展示の一環と考えると、短編アニメにもこれから関わるのでしょうか? もともとスタジオジブリは宮崎監督と高畑監督の作品を作るために立ち上げた会社だと思うんですが、高畑さんも今度の作品が自分の最後にして最高傑作になるかもしれないと言っています。宮崎さんと高畑さんが一線を退くことになると、ジブリの今後はどうなるのでしょうか。

宮崎監督:引退の辞に書きましたように僕は自由です。やってもやらなくても自由なので、今そちらに頭を使うことはしません。前からやりたかったことがありますから、そちらをやろうと思います。とりあえず、それはアニメーションではありません。

鈴木プロデューサー:僕は現在、『かぐや姫の物語』の後、来年の企画に関わってます。僕も宮さんよりけっこう若いんですが65歳なんです。この爺がいったいどこまで関わるかという問題があると思うんですが、今後のジブリの問題というのは、今ジブリにいる人たちの問題でもあると思うんです。その人たちがどう考えるのか、そのことによって決まると僕は思っています。

宮崎監督:ジブリの今後については、やっと上の重しがなくなるんだから、「こういうものをやらせろ」という声が若いスタッフから鈴木さんに届くことを願っています。それがないと何やってもダメです。それです。僕らは30歳の時にも40歳の時にも、やっていいんだったら何でもやるぞという覚悟で色々な企画を抱えていましたけど、それを持っているかどうかにかかっていると思います。鈴木さんは、それを門前払いする人ではありません。ということで今後のことは、色々な人間の意欲や希望や能力にかかっていると思います。

――他にこれはやってみたかったなという長編作品、やらずに終わってしまった企画があれば。

宮崎監督:それは山ほどあるんですが、やってはいけない理由があったからやらなかったことなんで、ここで述べようもない。それほどの形にはなってないものばかりです。やめると言いながらこういうのはやったらどうだろうとか、そういうことはしょっちゅう頭に出たり入ったりしますけど、それは人に語るものではありませんので、ご勘弁ください。

――具体的に今後どんなことをやりたいのでしょう? 日本から海外に色々なことを発信されましたが、今後違う形で発信する予定はありますか?

宮崎監督:やりたいことがあるんですが、やれなかったらみっともないから何だかは言いません(笑)。僕は文化人になりたくないんです。僕は町工場のオヤジでして、それは貫きたいと思っています。だから発信しようとかあまりそういうことは考えない。文化人ではありません。

――当面は休息を優先するということでしょうか? そして『風立ちぬ』ですが、東日本大震災や原発事故に関しての発言をあり、震災や原発事故で感じたことが影響を与えていますか?

宮崎監督:『風立ちぬ』の構想は、震災や原発事故に影響されておりません。この映画をはじめる時にはじめからあったものです。時代に追いつかれて追いぬかれたという感じを映画を作りながら思いました。それから、僕の休息は他人から見ると休息に見えないような休息です。仕事で好き勝手やっているとそれが休息になることもあるので、ただゴロっと寝転がってるとかえってくたびれるだけです。夢としては難しいかもしれませんが、東山道を歩いて京都まで歩けたらいいなと。途中で行き倒れになる可能性のほうが強い(笑)。時々夢を見ますけど、多分実現不可能でしょう。

――今のお答えですが、時代に追いつかれ追いぬかれたということが今回の引退と関係ありますか?

宮崎監督:関係ありません。アニメーションの監督が何をやってるかは皆さんよくわからないことだと思いますが、アニメーションの監督といってもそれぞれやり方が違います。僕はアニメ映画出身なもので描かなきゃいけない。描かなきゃ表現できないので、するとどういうことが起こるかと言うと、メガネを外してですね、こうやって描かないといけないのです。これを延々とやっていく。どんなに体調を整えて節制しても、集中していく時間が年々減っていくことは確実なんです。実感しています。『ポニョ』のときに比べると僕は机を離れる時間が30分早くなっています。この次はさらに1時間早くなるんだろうと。その物理的な加齢によって発生する問題はどうすることもできませんし、それで苛立っても仕方がない。では、違うやり方でいいじゃないかという意見もあると思いますが、それができるならとっくにやってますからできません。ということで、僕は僕のやり方で自分の一代を貫くしかないと思いますので、長編アニメーションは無理だという判断をしたんです。

――クールジャパンと呼ばれる世界をどう見ていますか。

宮崎監督:本当に申し訳ないんですが、私が仕事をやるということは一切映画もテレビも見ないという生活をすることです。ラジオだけ朝ちょっと聞きます。新聞はパラパラっと見ますが、後はまったく見ていません。驚くほど見ていない。ですからジャパニメーションというのがどこにあるのかはわかりません。本当にわからない。予断で話すわけにもいきませんから、それに対する発言権は僕にはないと思います。皆さんも私の年齢になって私と同じデスクワークをやってたらわかると思いますが、そういう気を散らすことは一切できないんです。参考試写という形でスタジオの映写室で何本か映画をやってくださるんですが、たいてい途中で出てきます。仕事をやったほうがいいと(笑)。そんな人間なんで、今が潮だなと思います。

 

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