Posted on 2015/2/20
2012年3月、読売新聞およびWeb YOMIURI ONLINEに掲載された久石譲インタビューです。国立音楽大学在学時の話です。久石譲の学生時代のひとコマが垣間みれておもしろいです。
[私の先生]和声の権威 静かな喝破 作曲家・久石譲さん
忘れもしません。生意気な学生が鼻っ柱を折られた衝撃的な瞬間ですから。国立音楽大学(東京)の2年か3年、場所は学内の喫茶店。折った主は和声学の権威・島岡譲(ゆずる)教授でした。
演奏活動に明け暮れる日々で、たまに授業に出ると、「話が古い!」なんて野次るから、「単位はやる。もう出なくていい」とこぼす先生もいるほどの生意気盛りでした。
そんな学生が、喫茶店で出くわした権威に持論を浴びせたのです。音の組み合わせや配置など音楽の根本的な仕組みを学ぶのが和声学ですが、「それで曲が作れるなら、学者が最高の作曲家になれるじゃなか。訓練にならない」とね。
それに対し、小柄な、いかにも学者という風貌の先生が静かにおっしゃった。「こんなことでつまずくとは、その程度の人ですね」。聞いて身の内が震えました。音楽には理論がある。掟をしっかり理解した上で枠を外し、自らの音楽を確立せよ。先生はそう説いたのですよ。
それは先生の姿そのものでした。実は、先生には高校時代、ピアノの個人レッスンを受けていました。思えば、ピアノに向かう背中には、いつも音楽への厳しさ、ひたむきさが宿っていた。そのことに改めて気づかされた。すごい、と舌を巻きました。
以来、先生の言葉が、自らの音楽を探す道標になっています。まず基礎を固めてから自分のスタイルに。「トトロ」しかり、「千と千尋」しかりです。
指揮も独学でしたが、この数年は、何人もの方に基礎から教えていただいています。今も輝く道標に沿った音楽の旅は、まだまだ続きます。
(2012年3月27日 読売新聞)
(YOMIURI ONLINE より)