Blog. 「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ 5」より EXILE ATSUSHI 久石譲 エピソード

Posted on 2016/10/23

2007年のスタートから、足かけ10年。大ロングラン中の人気番組「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」(TOKYO FM含む全国38局ネット)から、ベスト・オブ・ベスト回を厳選して単行本化したのが書籍「ジブリ汗まみれ」です。その最新刊・第5巻(2016年3月刊行)のご紹介です。

 

本著に収められたエピソードその目次は、

▼第5巻収録 豪華ゲスト
○庵野秀明(監督・プロデューサー)+樋口真嗣(監督)「特撮の灯よ、永遠に…! <特撮博物館>開催秘話」[ポッドキャスト未配信]
○坂本美雨(ミュージシャン)「わたしと 父母と 音楽と」
○太田光(タレント)「拝任! 『かぐや姫』の特命コピーライター」
○吉岡秀隆(俳優)「ジブリ作品が、ぼくを助けてくれた」
○堅田真人(モバイル研究家)+依田謙一(日本テレビ)「携帯事情の最前線 ウェアラブルからインプラントへ」
○三浦しをん(作家)「『神去なあなあ日常』 小説と映画のあいだ」
○EXILE ATSUSHI(アーティスト)「伝えたい歌、日本のこころ」
○橋口亮輔(映画監督)+リリー・フランキー(アーティスト・俳優)「小豆島で語りあったこと」
○斎藤環(精神科医)+川上量生(カドカワ代表取締役社長)「ヤンキー vs. オタク —この日本的なるもの」
○追想・菅原文太(鈴木敏夫による“ひとり語り”)

 

 

ジブリネタ・久石譲ネタはもとより、さまざまな分野のバラエティ豊かなトーク満載で、見識が深まり毎号楽しみに読んでいます。この最新刊も、各ゲストを迎えてのエピソードそれぞれに書き残したいことはたくさんある、目からウロコなお話が盛りだくさんでした。

久石譲ファンサイトということで、そのなかから久石譲に関連するエピソードをご紹介します。抜粋になりますので、もしさらに深掘りしたい人、興味を持たれた人は、ぜひ本を手にとってみてください。

 

 

Guest 7
EXILE ATSUSHI 「伝えたい歌、日本のこころ」

日本の歴史からわかること

~略~

ATSUSHI:
「そうですね…。EXILEとしてのステージの時は、どっちかというとエンターテインメントで、バーンと派手は演出が多いので。ソロのツアーでは、わりと静かな曲も歌います。あと、この前、久石さんとご一緒させていただいたので…」

鈴木:
「そうですってね。さっきの奥さんも知ってたんですよ、そのことを(笑)。」

ATSUSHI:
「〈懺悔〉という曲なんですけど、ちょうど宮崎駿さんが引退を発表された日(2013年9月1日発表、6日引退会見)に、その曲のミックスダウンをしていて。久石さんは、宮崎さんと30年ぐらい一緒にやってきた仲間なので、やっぱりちょっと傷心されてる感じがありましたね。」

鈴木:
「あの日ですか!…ぼく、その日に、久石さんに2回電話をもらったんですよ。じゃあ、その作業の合い間を縫っての電話だったんですね。それで、最初は「引退にびっくりした」という話で、しばらくおいて、「何とか撤回できないのか」と…(笑)。」

ATSUSHI:
「ああ、そうおっしゃってたんですね? 相当ショックだったみたいですね、やっぱり。」

-あの曲(〈懺悔〉)は、詞よりも曲が先にあったんですか?

ATSUSHI:
「あれは、日本テレビが催した、「洛中洛外図」という大昔の何枚もの屏風を展示する記念式典というか、展覧会のためのテーマ曲だったんです。それでぼくも、一緒に行かせていただき、見たんですが──やっぱりそお屏風には、当時の”発注主”がいて、たとえば、徳川家と豊臣家の勢力図みたいなものが上手と下手みたいに描かれていたり、深い意味が込められている。日本人の民族性というか、当時の生活が描いてあったり。そういうものを見て、久石さんがインスピレーションを得て作られたメロディーをぼくに下さって、ぼくも、歌詞の案を先にメモしておいたんですけど、それに合わせて作詞させていただきました。

でも、音楽家としての信頼というんですかね…お任せして、最初に上がってきた時、すごく難しいメロディーだったんですけど、「とにかく久石さんだし、文句言わずにやってみよう」と。すごく難しかったけど、作詞をして、歌った時に、「ああ、やっぱりすごいな。こうなるんだ」と──自分ではイメージできないところまで行っているというか、信頼してやってみて良かったなと思いましたね。

その「洛中洛外図」を見て、昔から芸術作品というものは、ある思いがあって残されているんだなあと。その屏風にも、何か意図があって、発注主がいて、そして、今に残されている…。見ると、人間は、ずーっと同じことを繰り返しているんです。争いもするし、平和を願って篳篥(ひちりき)を吹いてた人たちの”昔”は、もう消えてしまったのか、とか。人間は同じ過ちを繰り返しているなと感じたし、作詞をしていて「これって、懺悔なんだな」と思い、〈懺悔〉というタイトルにさせていただいたんです。

その屏風には、喧嘩をはやし立てるお坊さんや、不倫をしに行く女性の姿や、お花見の帰りに酔っぱらってる集団が描かれていて、結局、やってることは今と変わらない。昔のことはどうしてもちょっと美化して捉えるけれども、昔はけっこう自由に芸術をやっていたんだなあ、とも思いましたね。」

鈴木:
「いつごろのものなんですか? 「洛中洛外図」って。」

ATSUSHI:
「室町時代から始まり、江戸時代まで描かれていたそうです。」

鈴木:
「室町なんですよねえ…日本のすべてが変わったのは。今、”家族”というものがあるじゃないですか。お父さん、お母さん、子供がいて、一つの家族を構成している。それ、室町時代に始まってるんですね。」

~略~

「やりたいことをやる」ことの是非

~略~

鈴木:
「だけど、この前、東京ドームのコンサートを初めて拝見して、思い知らされましたよね。最初から最後まで、目が離せない。やっぱり面白かったんだもの。何が良かったかというと、自分たちのことよりも、お客さんのことを考えていらした。そこらへんが、宮崎駿の考えかたにも通じるというか…。彼もね、そりゃ自分でやりたいこともあるんでしょうけど、それより先に、「今のお客さんって、何を観たがっているんだろう?」って、そっちですよ。」

ATSUSHI:
「宮崎さんって、そうなんですね?」

鈴木:
「はたから見ると好きなことやってきたように見えるかもしれないけど、しかし、誤解を恐れずに言っちゃうと──彼は、自分の好きなものは一本もやっていない。」

-そうなんですか!?

鈴木:
「そうですよ。だから、さっきの屏風の話じゃないけど、ぼくなんか、発注主なんですよ。「次、これをやってください」って。そうすると、だいたい二つ返事で引き受けてくれる。で、「今、この題材で何をやるとお客さんが満足してくれるだろう?」って、まず、先にそれですよ。彼が他の監督と一番違うのはそこで、非常に職業的にやる。だから引退の時に、「これからは好きなことやります」って言ったわけです。だって、一回もやってないんだもん、大げさに言うと。

変な言いかただけどね…もし、彼が好きなことだけやっていたら、30年ももたないですよね。いつもいつも、「お客さんが何を求めているか」。それを探るのが、彼がやってきたことなんです。」

ASTUSHI:
「なるほど、そうなんですね…。ぼくにとってのEXILEも、今おっしゃったことに近くて、自分自身のために作詞とかパフォーマンスをやったことは、あまりないですね。グループのため、お客さんのためというのが、やっぱり一番にある。」

鈴木:
「さっき、美空ひばりさんの話が出たけど、昔は、歌手のバックには、プロデューサーがいて、ディレクターがいて、「この歌手に、次、何を歌わせようか」と考える。その時、彼らが考えるのは、お客さんのことですよね。歌手本人の希望うんぬんではなく、「これを歌え」と。それでうまくいくかどうか、でしょ? そういう時代のやりかたって、もう一度見直すべきじゃないかなという気がする。エンターテインメントというのは、やっぱり、需要と供給の関係の上に成り立っているから、ひとりよがりになっちゃダメでしょう。

いい機会だから、ちょっと話しちゃうと──宮さん(宮崎駿)は、引退のあと好きなことをやると言いながら、いざとなると、「何をやったらいいんだろう」と思っていますよね。」

ASTUSHI:
「長年、お客さんのためにやることによって、好きなことが変わってきちゃってるから、「本当にやりたいことって何だっけ?」という感じなんでしょうね。」

鈴木:
「そうそう。そのとおり!」

-そうなると、逆に、自分がただやりたいことだけをやっても、楽しくないんじゃないですか?

ATSUSHI:
「誰からも反応がないって思うと、やりたくなくなっちゃうんですよね。」

鈴木:
「結局、宮崎駿が、今何をやってるかというと──三鷹の森ジブリ美術館の展示替えが、毎年5月にるんですが、それを、目の色を変えてやっている。それで、ジブリが作った保育園の子供たちに楽しんでもらいたいと、去年からやってるんですけど、正月を越えて、「もう、どうしたらいいかわからない」って。ものすごく一生懸命やっていて、ある意味では、映画を作るよりも頑張ってる。「こんなことを頑張るんだったら、映画を作ってよ」と言いたいぐらいなんですけど(笑)、彼にとっては、お客さんの顔が見えてるんですよ、その子たちが喜んでくれなかったらダメと。~略~」

~以下略~

2014年3月11日収録 れんが屋/4月8日・5月13日放送分に、元音源より追加、再構成。

(書籍「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ 5」 より)

 

 

当エピソードの半分も抜粋していません、話はあらゆる方面に展開し、ジブリのこと・EXILEのこと、多岐にわたっています。

個人的には、久石譲が宮崎駿監督の引退を耳にしたその日が「懺悔 EXILE ATSUSHI × 久石譲」のミックスダウンの日ということだけでも、感慨深い思いで同曲を聴き返してしまいました。映画「風立ちぬ」製作期間中、うすうすは感じていたことかもしれませんが、いざ公になったときの衝撃はやはり第三者には測りかねるものが存在するのだろうと思います。

芸術とは、芸術作品とは、作家とは。時代性や作家性もふまえて語られた対談はとても興味深いものがありました。村上春樹さんのエッセイなどを読んでいても、久石譲にも通じるのかなあ、同じようなこと思っているのかなあ、と置き換えてみることもるのですが、それはまた別の機会にご紹介できたらと思っています。

このあたりの「久石譲考察」については、ちょうど今年の5-6月にかけて深く掘り下げて記しました。共通項もあるような気もしますので、ご興味のある方はぜひ。

Blog. 次のステージを展開する久石譲 -2013年からの傾向と対策- 1
Blog. 次のステージを展開する久石譲 -2013年からの傾向と対策- 2
Blog. 次のステージを展開する久石譲 -2013年からの傾向と対策- 3

 

本書よりご紹介した楽曲「懺悔」にまるわる楽曲解説やエピソードなどは下記ご参照ください。

Disc. EXILE ATSUSHI & 久石譲 『懺悔』
Blog. 「NHK SWITCH インタビュー 達人達 久石譲 × 吉岡徳仁」 番組内容紹介

 

EXILE ATSUSHI 久石譲 懺悔 通常盤

 

 

最後に。

この秋読んだ本に、「ジブリの仲間たち」(鈴木敏夫)[2016.6刊行]、「もう一つの「バルス」 -宮崎駿と『天空の城ラピュタ』の時代-」(木原浩勝)[2016.10刊行]などもあります。前著は、今、宮崎駿監督が何に取り組んでいるか、リアルタイムな情報を垣間見ることができます。

後著は、2016年今年が「ラピュラ公開30周年」にあたり、当時の制作現場がまぶしく記されています。かなりトリビア的な情報も多く、ジブリファン・ラピュタファンには、たまらない一冊になると思います。当時スタジオジブリでこの作品を一緒に作っていた人だからこそ語れる秘話満載です。おそらく蔵出しな情報ばかりで、鈴木敏夫・宮崎駿・高畑勲 各著書はほぼ読んでいる人としても、初めて知ることが多く驚きと感動の連続で一気に読み切りました。

私のふわっと感想よりも、Amazonレビューなんかを見ていただければ、手にとりたくなること間違いナシです。(リンク貼っていません検索してください)

 

ジブリの仲間たち 鈴木敏夫

もう一つのバルス

 

秋の夜長に、ぜひ1冊手にとってみてください。久石譲を聴きながら♪

 

ジブリ汗まみれ5 鈴木敏夫

 

Blog. 「久石譲 presents MUSIC FUTURE Vol.3」 コンサート・レポート

Posted on 2016/10/18

10月13,14日に開催された「久石譲 presents ミュージック・フューチャー Vol.3」コンサートです。2014年から始動した同コンサート・シリーズ(年1回)、今年で3回目を迎えます。コンサート趣旨・過去開催経緯など時系列での紹介は、下記コンサート・パンフレット解説にもありますのでご参照ください。

 

まずは、コンサート・プログラム(セットリスト)および当日会場にて配布されたコンサート・パンフレットより紐解いていきます。

 

久石譲プレゼンツ ミュジック・フューチャー vol.3
JOE HISAISHI PRESENTS  MUSIC FUTURE vol.03

[公演期間]久石譲 ミュージック・フューチャー Vol.3 チラシ
2016/10/13,14

[公演回数]
2公演
東京・よみうり大手町ホール

[編成]
指揮:久石譲
コンサートマスター/ソロ・ヴァイオリン:豊嶋泰嗣
管弦楽:Future Orchestra

[曲目]
アルノルト・シェーンベルク:室内交響曲第1番
Arnold Schönberg:Chamber Symphony No.1 in E major, Op.9 (1906)

久石譲:2 Pieces for Strange Ensemble *世界初演
Joe Hisaishi:2 Pieces for Strange Ensemble (2016)
1. Fast Moving Opposition
2. Fisherman’s Wives and Golden Ratio

マックス・リヒター:マーシー
Max Richter:Mercy (2010)

デヴィット・ラング:ライト・ムーヴィング
David Lang:Light Moving (2012)

スティーヴ・ライヒ:シティ・ライフ
Steve Reich:City Life (1995)
I. Check it out
II. Pile driver/alarms
III. It’s been a honeymoon – can’t take no mo’
IV. Heartbeats/boats & buoys
V. Heavy smoke

 

 

JOE HISAISHI
久石譲

-挨拶-
今年で3回めを迎えることができて、主催者として大変うれしい限りです。本来インディーズとして小さな集いでしか発表できない現代の楽曲をこの規模で行えることは、評論家の小沼純一さん曰く「世界でもあり得ないこと」なのだそうです。徐々に皆さんからの支持をいただいていることは、多くの優れた演奏家から出演してもいいという話をいただくことからも伺えます。新しい体験が出来るこの「MUSIC FUTURE」をできるかぎり継続していくつもりです。

-プログラムの楽曲-
シェーンベルクの「室内交響曲」、スティーヴ・ライヒの「シティ・ライフ」などの楽曲は、前島さんの解説をお読みください。

-自作について-
「2 Pieces for Strange Ensemble」はこのコンサートのために書いた楽曲です。当初は「室内交響曲第2番」を作曲する予定でしたが、この夏に「The East Land Symphony」という45分を超す大作を作曲(作る予定ではなかった)したばかりなので、さすがに交響曲をもう一つ作るのは難しく、それなら誰もやっていない変わった編成で変わった曲を作ろうというのが始まりでした。

ミニマル的な楽曲の命はそのベースになるモチーフ(フレーズ)です。それをずらしたり、削ったり増やしたりするわけですが、今回はできるだけそういう手法をとらずに成立させたい、そんな野望を抱いたのですが、結果としてまだ完全に脱却できたわけではありません、残念ながら。発展途上、まだまだしなくてはいけないことがたくさんあります。

とはいえ、ベースになるモチーフの重要性は変わりありません。例えばベートーヴェンの交響曲第5番「運命」でも第7番でも第9番の第4楽章でも誰でもすぐ覚えられるほどキャッチーなフレーズです。ただ深刻ぶるのではなく、高邁な理念と下世話さが同居することこそが観客との唯一の架け橋です。

ベートーヴェンを例に出すなどおこがましいのですが、今回の第1曲はヘ短調の分散和音でできており、第2曲は嬰ヘ短調(日本語にすると本当に難しそうになってしまう、誰か現代語で音楽用語を作り替えてほしい)でできるだけシンプルに作りました。

しかし、素材がシンプルな分、実は展開は難しい。どこまでいっても短三和音の響きは変わりなくさまざまな変化を試みるのですが、思ったほどの効果は出ない。ミニマルの本質はくり返すのではなく、同じように聞こえながら微妙に変化して行くことです。大量の不協和音をぶち込む方がよっぽど楽なのです。その壁は沈黙、つまり継続と断絶によって何とか解決したのですが、それと同じくらい重要だったのはサウンドです。クラシカルな均衡よりもロックのような、例えればニューヨークのSOHOでセッションしているようなワイルドなサウンド(今回のディレクターでもあるK氏の発言)を目指した、いや結果的になりました。

大きなコンセプトとしては第1曲は音と沈黙、躍動と静止などの対比第2曲目は全体が黄金比率1対1.618(5対8)の時間配分で構成されています。つまりだんだん増殖していき(簡単にいうと盛り上がる)黄金比率ポイントからゆっくり静かになっていきます。黄金比率はあくまで視覚の中での均整の取れたフォームなのですが、時間軸の上でその均整は保たれるかの実験です。

というわけで、いつも通り締切を過ぎ(それすらあったのかどうか?)リハーサルの3日前に完成?という際どいタイミングになり、演奏者の方々には多大な迷惑をかけました。額に険しいしわがよっていなければいいのですが。

1.「Fast Moving Opposition」は直訳すれば「素早く動いている対比」ということになり、2.「Fisherman’s Wives and Golden Ratio」は「漁師の妻たちと黄金比」という何とも意味不明な内容です。

これはサルバドール・ダリの絵画展からインスピレーションを得てつけたタイトルですが、すでに楽曲の制作は始まっていて、絵画自体から直接触発されたものではありません。ですが、制作の過程でダリの「素早く動いている静物」「カダケスの4人の漁師の妻たち、あるいは太陽」が絶えず視界の片隅にあり、何かしらの影響があったことは間違いありません。ただし、前者の絵画が黄金比でできているのに対し、今回の楽曲作りでは後者にそのコンセプトは移しています。この辺りが作曲の微妙なところです。

日頃籠りがちの生活をしていますが、こうして絵画展などに出かけると思わぬ刺激に出会えます。寺山修司的にいうと「譜面(書)を捨てて街に出よう」ですかね(笑)

いろいろ書きましたが、理屈抜きに楽しんでいただけると幸いです。

久石譲

(「ミュージック・フューチャー vol.3」コンサート・パンフレット より)

 

 

MESSAGE
from Composers

私の作品である「シティ・ライフ」が久石譲の指揮によって演奏されることをとても嬉しく思います。80歳になった今年、世界中でこの作品を演奏するプログラムが組まれていますが、純粋な”ニューヨーク・ピース”として日本の観客のために演奏されるのはとても嬉しいことです。楽しい夜になりますように。

スティーヴ・ライヒ

 

私の音楽が日本で、しかも久石譲さんの手掛けるコンサートで演奏されることをとても嬉しく思います。私の子供たちは久石さんの映画音楽を聴いて育ってきました。残念ながらコンサートに伺えませんが、私の音楽が今回のプログラムに入ることはこの上ない名誉です。ありがとう。

デヴィット・ラング

 

「マーシー」は、ヒラリー・ハーンのアンコールとして書きました。作品の出発点は、シェイクスピアの『ベニスの商人』の有名な一節です。

”慈悲というものは強制されず、大地をうるおす恵みの雨のように降りそそぐ:
与えるもの、そして受けるものに神の祝福があるのだ:
それは偉大なものの中で最も偉大なもの:
冠に勝る王;その統治は畏怖と威厳の力となり王に対する恐れ;
しかし慈悲はこの支配を越えた存在である;
王のような心において授けられるもので、神自身に属するもの;
この世の力が神の力に似通うとすれば正義に慈悲が伴った時だ。”

マックス・リヒター

(「ミュージック・フューチャー vol.3」コンサート・パンフレット より)

 

 

「JOE HISAISHI presents MUSIC FUTURE vol.3」に寄せて

「MUSIC FUTURE」は、現代屈指のミニマル・ミュージックの作曲家であり、また指揮者でもある久石譲が、現代に書かれた優れた音楽を自らセレクトし、紹介していくコンサート・シリーズである。立ち上げに際し、久石が打ち出した方針は次の通り。まず”未来に伝えたい古典”というべき、評価の定まった重要作を紹介すること。併せて、久石より下の世代に属する注目の若手作曲家を必ず紹介すること。一人よがりの難解な語法で書かれた音楽ではなく、聴衆と高いコミュニケーション能力を持つ音楽を紹介すること。欧米で高い評価を受けながら、まだ日本で紹介されていない作品/作曲家を紹介すること。そして、作曲家・久石の作品を初演または演奏すること──。かくして、今回の「MUSIC FUTURE Vol.3」は5人の作曲家の作品を取り上げる。

新ウィーン楽派の創始者として知られるシェーンベルクは、一般的には”難解な現代音楽の作曲家”というイメージが強いかもしれない。だが、彼の《室内交響曲第1番》は、最小限(ミニマル)の手段による濃密な音楽表現を実現したという点で、久石を含む現代の作曲家たちにも大きな影響を与え続けている作品だ。今回は、「MUSIC FUTURE」の精神を100年以上も前に先取りした偉大な古典として演奏される。

今年10月3日に80歳を迎えたスティーヴ・ライヒは、アメリカン・ミニマル・ミュージックのパイオニアであり、また久石が敬愛する作曲家のひとり。今回は彼の代表作のひとつ《シティ・ライフ》が演奏される。この作品とシェーンベルクの作品が、編成や構成の点で類似しているのは、決して偶然ではない。日本では、プロの音楽家による《シティ・ライフ》の演奏は今回が初となる。

マックス・リヒターは、ライヒのミニマルや後述のラングのポスト・ミニマルに影響を受けて登場した、ポスト・クラシカルと呼ばれるジャンルの代表的作曲家。今年に入り、彼の代表作《ヴィヴァルディ「四季」のリコンポーズ》が日本でも初演され、がぜん注目度が高まっている。今回は、ヴァイオリンとピアノのための《マーシー》が演奏される。

ライヒより2世代ほど下に属するデヴィッド・ラングは、今年、彼が音楽を手掛けた映画『グランドフィナーレ』をご覧になった方も多いかもしれない。ラングがニューヨークで共同主催している現代音楽紹介のユニット「バング・オン・ア・キャン」は、いわば「MUSIC FUTURE」の先輩に当たる存在だ。今回は、ヴァイオリンとピアノのための《ライト・ムーヴィング》が演奏される。

そして久石が、本公演のために作曲した最新作を世界初演予定である。

開催3回目を迎えた「MUSIC FUTURE」を存分にお楽しみいただきたい。

前島秀国(「MUSIC FUTURE」アソシエート・プロデューサー)

(「ミュージック・フューチャー vol.3」コンサート・パンフレット より)

 

 

PROGRAM NOTES

アルノルト・シェーンベルク:室内交響曲第1番 (1906)
Arnold Schönberg:Chamber Symphony No.1 in E major, Op.9

編成:
フルート/ピッコロ、オーボエ、コーラングレ、クラリネット 2、バス・クラリネット、ファゴット、コントラ・ファゴット、ホルン 2、弦楽四重奏、コントラバス

後期ロマン派の音楽が19世紀末から20世紀初頭にかけて爛熟期を迎えた結果、調性システムは曖昧になって機能しなくなり、楽曲の演奏時間はひたすら長大化の一途を辿り、オーケストラの楽器編成は100人を超える四管編成まで登場した。ラ・フォンテーヌの寓話「ウシになろうとしたカエル」のように、腹を最大限(マキシマル)に膨らませた後期ロマン派は、いつ破裂してもおかしくない状態にした。そのような時代の趨勢に反旗を翻すように、シェーンベルクは本作を最小限(ミニマル)の楽曲構成と楽器編成で作曲した。

通常、交響曲は4楽章形式で構成されることが多いが、この作品にはたったひとつの楽章しか存在しない。その楽章の中に、スケルツォ楽章に相当するセクションとアダージョ楽章に相当するセクションを挿入することで、シェーンベルクは多楽章形式のような構成感を打ち出そうとした。作曲者自身の分析によれば、全体の構成は〈I.提示部〉-〈II.スケルツォ〉-〈III.展開部〉-〈IV.緩徐楽章〉-〈V.フィナーレ(再現部)〉となっている。

楽器編成は、やや変則的な一管編成。当時の管弦楽法の常識では、管楽器の数が弦楽器の数を上回ることはあり得ないとされていた。シェーンベルクはその常識を覆し、管楽器奏者10人に対して弦楽器奏者5人という、型破りの編成を採用した。そうすることで、室内楽のような透明感のある響きを保ちつつ、大編成のオーケストラに勝るとも劣らない濃密な表現を達成することに成功している。

1907年に作曲者自身がこの作品を指揮して初演した際、客席の中から凄まじい怒号の嵐が巻き起こり、乱闘寸前の騒ぎにまで発展した。その中で敢然と拍手を送り続け、シェーンベルクを積極的に擁護したのが、他ならぬ後期ロマン派の肥大化を推し進めた張本人のひとり、グスタフ・マーラーだったというエピソードが残っている。

 

マックス・リヒター:マーシー (2010)
Max Richter:Mercy

編成:
ヴァイオリン、ピアノ

曲名は「慈悲」の意。ヴァイオリン奏者ヒラリー・ハーンが、26人の作曲家に演奏時間5分以内のアンコール・ピースを委嘱するプロジェクトの1曲として作曲された。リヒター自身の解説は別ページを参照のこと。なお、リヒターが筆者に語ったところによれば、リヒターはかねてから久石の音楽を敬愛しており、今回の演奏を非常に喜んでいるという。

 

デヴィット・ラング:ライト・ムーヴィング (2012)
David Lang:Light Moving

編成:
ヴァイオリン、ピアノ

この作品も、ヒラリー・ハーンのアンコール・ピース・プロジェクトの1曲として作曲された。ラング自身の解説は次の通り。「アメリカ音楽の巨匠になるずっと以前、フィリップ・グラスとスティーヴ・ライヒは、然るべき評価も報酬も得られない新進作曲家だった。ニューヨークに住んでいた2人は、生活費捻出のためにチェルシー軽運送(Chelsea Light Moving)という引越会社を始めた。私は以前から、この社名が好きだった。チェルシー地区の明減する街灯のような、詩的なイメージが感じられたから。だが、この社名に込められたもうひとつの意味、『俺たちは作曲家だ!思い荷物運びはお断り!』も気に入っている。本作品の柔らかい推進力から、当時の2人の様子が感じられると思う」。

 

スティーヴ・ライヒ:シティ・ライフ (1995)
Steve Reich:City Life

編成:
フルート 2、オーボエ 2、クラリネット 2、ピアノ 2、サンプリング・キーボード 2、パーカッション 3または4、弦楽四重奏、コントラバス

第1楽章 「チェックしろ Check it out」
第2楽章 「杭打機/警笛 Pile driver/alarms」
第3楽章 「ハネムーンは終わりだ - もう我慢ならねえ It’s been a honeymoon – can’t take no mo’」
第4楽章 「心拍音/船舶とブイ Heartbeats/boats & buoys」
第5楽章 「濃い煙 Heavy smoke」

ガーシュウィンの《パリのアメリカ人》(1928)で使われたタクシーのクラクションをはじめ、楽器音以外の生活音(ノイズ)を、楽曲の中に使用した例は多い。ライヒの代表作のひとつとして知られる《シティ・ライフ》は、そうした生活音や人間の話し声を一種の楽器として扱い、都市の生活(=シティ・ライフ)を生き生きと表現した作品である。

ライヒが筆者に語ったところによれば、彼がミルズ・カレッジでルチアーノ・ベリオの授業を受けた時、ベリオは人間の声(スピーチ・サウンド)を用いた電子音楽の参考例として、いくつかのレコードをかけた。その中で、ライヒはベリオ作曲《テーマ(ジェームズ・ジョイスへのオマージュ)》(1958)と、シュトックハウゼン作曲《少年の歌》(1955-56)に大きな影響を受けたという。その後、彼自身もスピーチを音楽の構成要素として扱うような作曲を実験し始めた。《イッツ・ゴナ・レイン》(1965)や《カム・アウト》(1966)のような初期テープ作品、あるいは器楽がスピーチのイントネーションをなぞる形で作曲された弦楽四重奏曲《ディファレント・トレインズ》(1988)やオペラ《ザ・ケイヴ》(1993)は、いずれもスピーチに対するライヒの強い関心から生まれた作品である。ベリオを強く意識しながら作曲したという《シティ・ライフ》は、それまで彼が試みてきたスピーチと器楽の融合をさらに発展させ、サンプリング・キーボードを使用することによって、杭打機や汽笛のようなノイズ(のサンプル音)と器楽のアンサンブルを可能にしている。

全5楽章は続けて演奏されるが、奇数楽章のみスピーチのサンプル音を使用。第5楽章のサンプリング・スピーチは、1993年ワールドトレードセンター地下駐車場爆破事件発生時の警察・消防無線から採られた。

テキスト:前島秀国

(「ミュージック・フューチャー vol.3」コンサート・パンフレット より)

*コンサート・パンフレットに掲載された《シティ・ライフ》サンプリング・スピーチは省略

 

 

以上、ここまでがコンサート・パンフレットからの内容になります。

 

 

ここからは、感想をふくめた個人的コンサート・レポートです。

といいながら、上の公式パンフレットで各楽曲について詳細ありますので、補足と言えるものもないです。「Mercy」について、豊嶋泰嗣さんのソロ・ヴァイオリンは、ヒラリー・ハーンの演奏よりもとても線を細くしていたのが印象的でした。弓と弦の摩擦を浮かせる、やもすると音程も狂いそうな、長いフレーズも途切れてしまいそうな、そのくらいギリギリのところで音を生みだしていたのが強く印象に残っています。相当な集中力と筋肉運動を必要とするだろうと推測します。糸の張りつめた緊張感で、500席収容小ホールという空間だからこそできる、最上質なパフォーマンスだったと思います。「City Life」について、CDでしか聴いたことがないアナログとサンプラーの融合は、実演で聴いてこそ!と強く思った名演でした。

今回、最前列ほぼ中央で聴くことができた幸運にも恵まれ、久石譲の指揮はもちろん、指揮者の息づかい、奏者の息づかいや音の生まれる瞬間の音まで聴くことができたことは、贅沢極まりない体験でした。

 

久石譲作品について。

編成は、クラリネット、トランペット、トロンボーン、ヴィブラフォン、パーカッション、ドラムス、ピアノ 2、サンプリング・キーボード、弦楽四重奏、コントラバス、だったと思います。こちらもスティーヴ・ライヒ作品にもあったような、アコースティック楽器(アナログ)とサンプラー(デジタル)の見事な融合で、至福の音空間でした。デジタル音は低音ベースや低音パーカッションで効果的に使われていたように思います。一見水と油のような特徴をもったそれらが、よくうまく溶け合った響きになるものだと感嘆しきりでした。CDならば、ミックス編集などでバランスは取りやすいかもですが、コンサート・パフォーマンスで聴けたことはとても貴重でした。

例えば、ピアノを2台配置することで、ミニマル・フレーズをずらして演奏している箇所があります。ディレイ(エコー・こだま)効果のような響きになるのですが、CDだと、コンピューターで編集すれば、ピアノ1の音色をそのまま複製して加工すればいい、などと思うかもしれません(もちろん割り振られたフレーズが完全一致ではないとは思いますが)。そういうことを、アコースティック・ピアノ2台を置いて、互いに均一の音価と音量で丁寧にパフォーマンスしていたところ、それを直に見聴きできたことも観客としてはうれしい限りです。

1.「Fast Moving Opposition」は、前半12拍子と8拍子の交互で進みます。これも指揮者を見る機会じゃないとおそらく聴いただけではわかりません。この変拍子によって久石譲解説にもあった今回の挑戦である「音と沈黙、躍動と静止、継続と断絶」という構成をつくりだしているように思います。中盤からドラムス・パーカッションが加わり、4拍子独特のグルーヴ感をもって展開していきます。

2.「Fisherman’s Wives and Golden Ratio」は、こちらも指揮者を見ても拍子がわからない変拍子でした。「黄金比率の時間配分で構成」についてはまったくわかりませんでした、難しい。管楽器奏者が口にマウスピースのみを加えて演奏するパートもありました。声なのか音なのか、とても不思議な世界観の演出になります。

言うなれば、贅沢な公開コレーディングに立ち会っている感覚すら覚えたほどです。アコースティック楽器とデジタル楽器、スタジオ・レコーディングならば、1パートずつ録音していくようなそれを、一発勝負で響かせて最高のテイクを奏でるプロたち。スコアを視覚的に見て取るように「あ、今のこの音はこの楽器か」とわかるところも含めて、贅沢な公開レコーディングに遭遇したような万感の想いです。

おそらくとても難解、いやアグレッシブな挑戦的なこと高度なことをつめこんでいる作品だろうと思います。一聴だけでは、第一印象と目に見えた範囲のことでしか語れないので、あまり憶測やふわっとした印象での見解は控えるようにします。1年後?CD作品化された暁には、聴けば聴くほどやみつきになりそうな、味わいがにじみ出てくるような作品という印象です。

 

素早く動いている静物
《素早く動いている静物》 (1956年頃) サルバドール・ダリ

カダケスの4人の漁師の妻たち、あるいは太陽
《カダケスの4人の漁師の妻たち、あるいは太陽》 (1928年頃) サルバドール・ダリ

 

 

今回の久石譲作品およびコンサートをひと言で表現するなら、「カッコイイな!」に尽きます。今の久石譲の立ち位置で、こんな作品を観客にぶつけることがとても前のめりで一切の守りを感じない。ご本人のコメントにもある「まだまだ発展途上」、これをはっきり言い切れる、その過程である今を披露できることは、やっぱり「カッコイイな!」のひと言です。もちろん聴き手として、本作品を発展途上だなと思うはずもなく、未知の体験に立ち会えていることの喜びを感じます。

「ミュージック・フューチャー」コンサート・シリーズは、いわば”純粋に音楽を聴く”コンサートです。今まで聴いたことのない(またはCDでしか)、新しい音楽体験の場だと思います。誤解を恐れずにいえば、そこに久石譲というネームバリューはいらないのかもしれません。”純粋に音楽を聴く”場所だからです。

ファンである久石譲が選んだ作品が並ぶことで、久石譲の音楽的思考の今を垣間見ることができます。指揮者としての作品構成力、作品表現力を目と耳と肌で体感することができます。そして最後に、久石譲の今がつまった自作をも聴くことができる、そんなコンサートのように思います。

久石譲ファンとしては、ふつう上に書いた逆からの流れを期待すると思うのですが、それとは一線を画する演奏会、それが「久石譲 presents MUSIC FUTURE」です。

いや、久石譲のネームバリューは大きい。このプログラムで観客を集めることができて、極上の音空間を演出し、観客を魅了することができるのは、久石譲だからこそ。楽曲プログラミングから実演までハイクオリティなその流れのすべてにおいて。日本音楽界の巨匠という権威と、相反する新進気鋭のような挑戦の姿勢、その拮抗したバランスで、vol.4以降も大きく期待したいコンサートです。

 

久石譲 ミュージック・フューチャー Vol.3 チラシ

 

Blog. 「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2016」 コンサート・レポート【8/22 Update!!】

Posted on 2016/8/13

『ワールド・ドリーム・オーケストラ』(W.D.O.)は2004年に久石譲と新日本フィルハーモニー交響楽団が始めたプロジェクト、今年で10回目を迎えました。2014年以来続けてきた同コンサートでのテーマ、「鎮魂のとき」と「祈りのとき」の最終章として「再生」。しかも今年はAとBのふたつのプログラムを用意。Aプロでは宮崎駿監督作品の楽曲を交響組曲にするプロジェクトから第2弾「もののけ姫」を初披露、Bプロでは「天空の城ラピュタ」と「ハウルの動く城」が披露されました。会場によって演奏プログラムが違っていて、東京はAとBのプログラムを2日間に渡って公演。『久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ2016』ツアーは7月29日の長野を皮切りにWDO過去最多となる国内9都市で10公演行われ、さらに海を渡ってW.D.O.として初の海外公演を台湾にて敢行。

補)
ツアー初日の長野公演は、久石譲が芸術監督を務める「アートメントNAGANO2016」最終日でもありました。今年夏開催のフェスティバル、その最後を飾るフィナーレ公演がW.D.O.2016の幕開けともなりました。

 

 

2016.8.22 追記

台湾公演はアンコールが1曲追加されました。「One Summer’s Day」

 

 

まずは演奏プログラム・アンコールのセットリストから。

 

久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2016
JOE HISAISHI & WORLD DREAM ORCHESTRA 2016

[公演期間]WDO_A4Flyer長野新潟_front_校了
2016/07/29 – 2016/08/20

[公演回数]
11公演
7/29 長野・長野市芸術館 A
7/30 新潟・りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 コンサートホール A
8/1 大阪・フェスティバルホール B
8/2 福岡・福岡シンフォニーホール A
8/3 岡山・岡山シンフォニーホール B
8/5 東京・サントリーホール B
8/6 東京・すみだトリフォニーホール A
8/8 名古屋・愛知県芸術劇場 コンサートホール B
8/9 福島・とうほう・みんなの文化センター A
8/10 仙台・東京エレクトロンホール宮城 A
8/20 台湾・台湾総合体育館 A

[編成]
指揮・ピアノ:久石譲
管弦楽:新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ
ソプラノ:市原愛 A 安井陽子 B

[曲目]
【Program A】
久石譲:THE EAST LAND SYMPHONY *世界初演
1.The East Land 2.Air 3.Tokyo Dance 4.Rhapsody of Trinity 5.The Prayer

—-intermission—-

[Melodies]
久石譲:Summer
久石譲:Life is *世界初演
久石譲:Dream More

久石譲:Symphonic Suite PRINCESS MONONOKE *世界初演

—-encore—-
久石譲:One Summer’s Day (Pf.solo)(台湾)
久石譲:World Dreams

【Program B】
久石譲:THE EAST LAND SYMPHONY *世界初演
1.The East Land 2.Air 3.Tokyo Dance 4.Rhapsody of Trinity 5.The Prayer

—-intermission—-

[Melodies]
久石譲:Summer
久石譲:Life is *世界初演
久石譲:Dream More

久石譲:Castle in the Sky
久石譲:Symphonic Variation “Merry-go-round”

—-encore—-
久石譲:World Dreams

 

 

さて、個人的な感想はひとまず置いておいて、会場にて販売された公式パンフレットより紐解いていきます。

 

【楽曲解説】

THE EAST LAND SYMPHONY
1. The East Land
2. Air
3. Tokyo Dance
4. Rhapsody of Trinity
5. The Prayer

「THE EAST LAND SYMPHONY」は全5楽章で約42分かかる規模の大きな作品です。実はこの原稿を書いている今日の段階で「2.Air」はまだ完成していません。ツアーが始まる1週間前だというのに、やれやれ。文字通りお尻に火がついています。そういう訳で冷静に曲を語ることはできません。メモ書き程度を記します。

「1.The East Land」は5年前に作曲しました。そのときは、自らの交響曲第1番とマーラーの交響曲第5番を演奏する予定でしたが、この楽曲しか発表することができませんでした。今回若干の手直しをして演奏します。核になっていることはセリー(音列)*的な要素とミニマルを合体することでした。全体を覆う不協和音はそのためです。中間部を過ぎてからアップテンポになるのですが、そこで炸裂する大太鼓はまるでクラブのキックドラムのようで個人的には気に入っています。

2曲目は飛ばして「3.Tokyo Dance」について。ソプラノが入ります。自分と自分の周りだけが大切、世界なんかどうでもいい!というような風潮のガラパゴス化した今の日本(東京)を風刺したブラックなもの、そして日本語で歌うというコンセプトで娘の麻衣に作詞を依頼しました。何回か書き直しをしていく中で数え歌というアイディアが浮かび、いわば「東京数え歌」ともいえる前半ができました。僕の周りの人にはすごく評判がいいです。ロンド形式のように構成しましたが、中間部、後半部は英語とミックスしながら『平家物語』のような諸行無常を歌っています。何故こういう曲を書いたのか?あるいは書こうとしたのかわかりません。たぶん数年後には腑に落ちるかもしれません。

「4.Rhapsody in Trinity」は当初「東京ダンス」という仮のタイトルで作曲を始めたものですが、前曲にタイトルを譲りました。日本語で書くと「三位一体の狂詩曲」ということですが、前曲と同じくブラックな喜劇曲です。実は悲劇と喜劇は表裏一体です。本当の悲哀や慈しみはチャップリンの映画や山田洋次監督の『男はつらいよ』シリーズを観れば一目瞭然、喜劇が適しています。ただしそれを作るのは本当に難しい。音楽も同じです。悲しい曲はまあ誰でも作れますが(作れない人もいますが)楽しく快活に音符が飛び回っている向こう側で何かただならぬものを感じていただく、ということはいわば俯瞰、ある意味で神の視線が必要です。いや、そういう哲学的知恵が必要だということです。僕はまだそこに至ってはいないので(到底無理なのかもしれませんが)チャレンジし続けるしかないと思っています。11/8拍子という何とも厄介なリズムが全体を支配しています。つまり演奏が難しいのですが、新日本フィルの皆さんは初日のリハーサルで難なく演奏していた。これでW.D.O.の力だ!と思った次第です。

「5.The Prayer」は今の自分が最も納得する曲です。ここのところチャレンジしている方法だいうことです。最小限の音で構成され、シンプルでありながら論理的であり、しかもその論理臭さが少しも感じられない曲。すべての作曲家の理想でもあります。もちろん僕が出来たと言うことではありません。まあ宇宙の果てまで行かないと実現できそうもないことなのですが、志は高く持ちたいと思っています。ソプラノで歌われる言葉はラテン語の言諺から選んでいます。もちろん表現したかったこと(それは言わずもがな)に沿った言葉、あるいは感じさせる言葉を選んでいます。後半に表れるコラールはバッハ作曲の「マタイ受難曲第62番」からの引用です。このシンフォニーを書こうと考えた時から通奏低音のように頭の中で流れていました。

最後に、「2.Air」は鍵盤打楽器が大気の流れのように止め処なく、くり返されます。少し抽象的な表現をすると「時間の進行を拒否した」ような佇まいです。5年前に作曲し大方のオーケストレーションも出来ていたのですが、そこから進まない。何度も書き直しをしているのですが、全くフォームを変えようとしない。そこで気がついた、このままでいい!そういう曲なんだと。だからあと2~3日で完成します。締め切り力!で(笑)

タイトルの「THE EAST LAND」は、「東の国つまり日本」であり、その日本の中の東の国は、「東北地方」を指します。もちろん社会的な事象を表現しようと思って作曲した訳ではありません。ありませんが、あれから5年、本質は何も変わっていない、我々はどこに行くのだろうか?という思いはあります。それでも生きる勇気と力を表現したい。世界のカオス(混沌)の中でも自分を見失わない日本人であってほしいという思いもあります。奇しくも、5年前に作り出した楽曲を、この夏皆さんに聴いていただくということは、あのときから「あらかじめ予定されていたこと」だったのかもしれません。

ちょっと書きすぎました。聞き手を誘導するような言葉は避けるべきです。上記のことを気にせず、軽く聴ける楽曲だとは思いませんが、ただただ聴いて感じて楽しんでいただけると幸いです。

久石譲

*セリー:音列のこと。特に十二音技法においては、すべての音を1回ずつ用いて構成する。

(楽曲解説:久石譲 ~「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2016」コンサート・パンフレットより)

 

Summer

どこか遠くで暮らしているという母親に会うため、お小遣いを握りしめて家を飛び出した小学3年生の正男と、正男の旅に同行することになったチンピラ・菊次郎の心の交流を描いた、北野武監督作品『菊次郎の夏』のメインテーマ。ピツィカート奏法の弦楽器がテーマを導入した後、久石のピアノ・ソロが軽やかにテーマを演奏する。ミニマル+メロディーという、久石の音楽の2つの大きな特長を凝縮して表現した楽曲である。

 

Life is

エリエールのブランドテーマ曲。本公演で初披露される「Life is」は、軽やかなメロディーが”Life”のように、やさしく、そして力強く躍動する。

 

Dream More

サントリー「ザ・プレミアム・モルツ マスターズドリーム」のCMテーマ。久石は作曲の狙いについて「ノスタルジックで感傷的なメロディ」を「いろいろな味わいのする多重奏」に仕上げたと語っている。ピアノ、木管、弦をはじめとする、オーケストラのさまざまな楽器の味わいによって奏でられる「多重奏」が聴きどころ。

 

Symphonic Suite PRINCESS MONONOKE

宮崎駿監督が構想16年、製作日数3年を費やして完成された『もののけ姫』から。タタリ神によって死の呪いをかけられた青年アシタカは、呪いを解くために西の地に向かい、タタラ場の村に辿り着く。そこでアシタカが見たものは、エボシ御前が率いる村人たちが鉄を鋳造するため、神々の森の自然を破壊している姿だった。そしてアシタカは、森を守るためにタタラ場を襲う”もののけ姫”サンの存在を知る。サンと心を通わせていくうち、アシタカは人間と森が共生できる道が存在しないのか、苦悩し始める。

本日世界初演される「Symphonic Suite PRINCESS MONONOKE」は、昨年初演された「Symphonic Poem NAUSICCÄ 2015」に続き、宮崎監督作品の音楽を交響組曲化していくプロジェクトの第2弾。楽曲構成は次の通り。まず、アシタカが登場するオープニング場面の「アシタカせっ記」。アシタカがタタリ神と死闘を繰り広げる場面の「TA・TA・RI・GAMI」。大カモシカのヤックルに跨ったアシタカが、エミシの村から西の地に向かう場面の「旅立ち」(ここで「もののけ姫」のメロディーが初めて登場する)。負傷した村人を背負って森の中を進むアシタカが、森の精霊コダマと遭遇する場面の「コダマ達」。傷ついたアシタカを森のシシ神に癒やしてもらうため、サンがアシタカをシシ神のもとに連れて行く場面の「シシ神の森」。サンの介抱によって体力を回復したアシタカが、人間と森の共生をめぐり、犬神のモロの君と諍う場面で流れる主題歌「もののけ姫」(本日は、ソプラノ歌手によって歌われる)。エボシ御前とサンの争いを仲裁したアシタカが、自ら負った瀕死の重症を顧みず、サンを背負って森に向かう場面の「レクイエム」。そして、久石のピアノ・ソロが登場する「アシタカとサン」は、シシ神の消えた森に緑がよみがえり、アシタカとサンが互いの世界で生きていくことを誓い合うラストの音楽である。

 

Castle in the Sky

宮崎駿監督作品『天空の城ラピュタ』から。青白く光る謎の飛行石を持った少女シータと、空から落ちてきた彼女を助ける少年パズー。空中海賊ドーラ一家やムスカ大佐率いる政府特殊機関らの追手をかわし、シータとパズーは伝説の空中都市ラピュタに向かう。本日演奏されるヴァージョンでは、トランペットがコンチェルティーノ(小さな協奏曲)のように活躍する。最初に登場するのは、劇中でパズーが起床ラッパを吹く場面の「ハトと少年」。続いてメインテーマ「君をのせて」の部分となり、トランペットが技巧をこらした変奏を披露する。

 

Symphonic Variation “Merry-go-round”

宮崎駿監督作品『ハウルの動く城』から。荒地の魔女の呪いによって、90歳の老婆に姿を変えられてしまった帽子屋の少女ソフィー。家出したソフィーは、人間の心臓を食べると噂される魔法使いハウルの動く城に住み込みながら、ハウルに淡い恋心を抱き始める。本日演奏される「Symphonic Variation “Merry-go-round”」は、物語の中で形を変えながら何度も登場するメインテーマのワルツ「人生のメリーゴーランド」を変奏主題に見立て、オーケストラのための変奏曲としてまとめたもの。サントラ盤収録曲との対応で楽曲構成を記すと、最初に久石のピアノ・ソロが「人生のメリーゴーランド」の主題を導入する「オープニング」。ハウルとソフィーが初めて出会う場面の「空中散歩」。90歳になったソフィーが家出する場面の「さすらいのソフィー」。城の家政婦となったソフィーが大掃除を始める場面の「大掃除」。ソフィーが城の隙間に挟まったカカシのカブを引っ張りだす場面の「星の湖(うみ)へ」。ソフィーがハウルの代理として王宮に向かう場面の「虚栄と友情」。ハウルを救うため、ソフィーが火の悪魔カルシファーを焚きつける場面の「ソフィーの城」。そして、久石のピアノ・ソロで「人生のメリーゴーランド」のワルツが再現し、曲が華やかに締め括られる。

(楽曲解説:前島秀国 ~「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ2016」コンサート・パンフレットより)

 

 

W.D.O. -3年間の歩み-

2004年夏、ジャンルにとらわれない魅力ある作品を演奏・紹介していくオーケストラとして結成された、久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ(W.D.O.)。いわゆる軽音楽を演奏するポップス・オーケストラではない。久石自身の言葉を借りれば「スペクタクル」、つまり「100人の音楽家が命がけで演奏する時、PA(スピーカー)を使ったロック・コンサートでも敵わない迫力」を伝えるオーケストラである。その魅力を存分に発揮するため、W.D.O.は結成当初から、久石自身の楽曲、それに久石が自らアレンジを手がけた作品を数多く演奏してきた。映画音楽、ジャズ、ミュージカル、プログレッシヴ・ロック、それにクラシックの有名曲。毎回ひとつのテーマを設定しながら、W.D.O.は厳選された楽曲を迫力あるオーケストラ・サウンドで送り届けてきた。

 

W.D.O.2014

WDO 2014 表紙

2014年夏、すなわちW.D.O.結成から10年を迎えた記念の年、3年間の充電期間を経たW.D.O.は再び活動を開始した。これまで以上に久石自身の楽曲が大きな比重を占めるようになり、演奏プログラムに込められたテーマ自体も、最初の10年とは方向性が大きく変わってきた。

「鎮魂のとき」をテーマにしたW.D.O.2014では、久石が前年に手がけた映画音楽3本が一挙に披露された。通常のオーケストラ曲では用いられることのない独奏楽器を巧みに用いた《風立ちぬ 第2組曲》と、《小さいおうち》。色彩豊かなオーケストラのパレットを思う存分活かしきった交響幻想曲《かぐや姫の物語》(世界初演)。それらに加え、コンチェルティーノ(小さな協奏曲)のような雰囲気をたたえた《ヴァイオリンとオーケストラのための「私は貝になりたい」》と、クラシカルな装いで新たな魅力を獲得した《Kiki’s Delivery Service》。作曲家・久石の”いま”を伝えながら、オーケストラの魔術師・久石の魅力をあますところなく盛り込んだ、これら5つの楽曲の演奏は、アルバム『WORKS IV』で聴くことが出来る。

もうひとつ、W.D.O.2014では今までになかった新たな試みとして、不協和音で書かれた現代音楽がプログラムの中で初めて演奏された。ペンデレツキ作曲の《広島の犠牲者に捧げる哀歌》。演奏時間こそ9分足らずと短いが、通常のクラシック・コンサートでもなかなか演奏されない楽曲である。新生W.D.O.の志の高さを象徴する選曲だったと言えるだろう。

 

W.D.O.2015

久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ2015

翌年、「祈りのとき」をテーマに掲げたW.D.O.2015では、2007年以来となる大掛かりな全国ツアー(5都市6公演)を開催。2015年8月6日、すなわち原爆投下70年の年の当日に広島公演を行った点でも、異色のコンサート・ツアーとなった。

それまでのW.D.O.公演では、オープニングの楽曲として、W.D.O.の壮大なテーマ曲《World Dreams》を演奏するか、あるいはスケールの大きい楽曲でコンサートを開始するのが、なかば慣例となっていた。しかし、W.D.O.2015はその慣例を覆し、久石のピアノ、弦楽合奏、チューブラー・ベルズという切り詰めた編成で書かれた《祈りのうた》をプログラム冒頭で披露。「祈りのとき」というテーマにふさわしい深い感銘を聴衆に与えた。続いて演奏されたのは、声楽と管弦楽のための《The End of the World》と、「この世の果てまで」の邦題で知られるヴォーカル・ナンバーを久石がリコンポーズした《The End of the World》(2曲は切れ目なく演奏された)。現代の音楽とヴォーカル・ナンバーが違和感なく繋がった《The End of the World》の演奏は、ジャンルを問わず魅力ある作品を演奏・紹介していくW.D.O.の特長をそのまま表していた。

W.D.O.2015のプログラム後半では、宮崎駿監督作品の音楽を交響組曲化していくプロジェクトの第1弾として、《Symphonic Poem NAUSICCÄ 2015》が世界初演された。過去に久石が発表した『風の谷のナウシカ』の交響詩(1997年版と2008年版)を集大成し、『ナウシカ』の重要な楽曲がすべて網羅された画期的なヴァージョンである。さらに《紅の豚》から2曲と、2015年の新作《Dream More》の世界初演がプログラムに花を添え、W.D.O.2015はかつてない豪華なコンサートとなった。アンコール最終曲の《World Dreams》に至るまで、全体がひとつのトータル・コンセプトで貫かれたW.D.O.2015の全容は、演奏曲をすべて収録した久石初の2枚組アルバム『The End of the World』で堪能することが出来る。

 

W.D.O.2016

久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2016 パンフレット WDO 1

「再生」をテーマにした今回のW.D.O.2016は、「鎮魂のとき」「祈りのとき」という過去2回のテーマを引き継いだ、いわば3部作の最終章的な意味合いを持つコンサートである。全国9都市10公演という、かつてない大規模なスケールでのツアー開催。2008年の「久石譲 in 武道館」以来となる、W.D.O.でのオール久石プログラムの演奏。3年間の最終章を飾るべく、久石が新たに書き下ろした新作《THE EAST LAND SYMPHONY》の世界初演。そして、これまでW.D.O.の夢でもあった、初の海外公演(台湾)の実現。今回の公演が、2014年から始まった新生W.D.O.の集大成になることは間違いない。

2004年の結成から12年を迎える2016年夏、久石譲とW.D.O.はさらなる飛躍を目指し、大きく羽ばたこうとしている。

前島秀国(サウンド&ヴィジュアル・ライター)

(W.D.O.3年間の歩み ~「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ2016」コンサート・パンフレットより)

 

久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2016 パンフレット WDO 2

 

 

全12ページに及ぶ公式ツアー・パンフレットです。

今年も各会場ともにロビー販売コーナーは開演前・休憩中・終演後も人だかり。会場によっては当日分パンフレット売切となったところもあるほどです。またツアー開始前日に発売された久石譲待望の新刊『音楽する日乗』。こちらを手にとっている方も多かったですね。

 

久石譲 音楽する日乗

Book. 久石譲 『音楽する日乗』

 

 

楽曲解説で、充分にコンサートの内容は伝わると思います。補足程度に、感想や参考作品、アンコールもまじえてご紹介していきます。

 

THE EAST LAND SYMPHONY 【A・B】
多くを語るにおよびません。やはり一聴だけでこの約42分の大作に対して簡単に感想は言えないですね。良いとも悪いとも、好きとも嫌いとも。ただ作品を覆う緊張感はものすごいものがありました。上の久石譲本人による楽曲解説を噛みしめるしかないと思っています。それぞれの楽章についての感想も同じですが、「3.Tokyo Dance」の歌詞はパンフレットに掲載されています。コンサート後にゆっくり読んだら、たしかに現代の時流をとても風刺しているおもしろい歌詞です。例えば、マーラーは交響曲の中に世俗曲や民謡の要素を盛り込んでいる作品が多くあります。久石譲が西洋音楽/古典音楽に対峙するとき、”現代作曲家”として”日本の作曲家”として、ひとつの導き出した答え、それが「THE EAST LAND SYMPHONY」という作品なのかもしれません。『現代の音楽』として響かせた記念すべき大作です。

さて、この作品への安易な感想は控えたいのですが、ひとつだけ気になったことを書き留めておきます。

直近のオリジナル作品で思うことは以前にも書きましたが、それに加えてこの新作を聴いたときに、点と点がひとつ結ばれたような感覚になりました。それは”情感”です。音楽的に言うと、情感を作りだしている和声・コードとその進行です。作品のとっかかり・作風・コンセプトの従来からの変化を掘り下げたことがありますが、その延長線上ともいえます。

《TRI-AD》もフレーズや旋律はとてもキャッチーです。この作品の「4.Rhapsody in Trinity」も久石譲が”喜劇曲”と語っているとおりです。でもなぜか単純に明るいとか楽しいとか、それとは少し違う、つかみにくい多面的側面をもっています。一種それが世界観の広さ深さ、また俯瞰性を表現しているようにも思います。

《Sinfonia for Chamber Orchestra》《The End of The World》といった過去の久石譲オリジナル作品とは明らかに違う位置に存在している。気になって過去のインタビューを紐解いてみました。すると《シンフォニア》について久石譲本人はこのように語っています。「4度、5度の要素をどこまで発展させて音楽的な建築物を作るか~」「和声も4度、5度の進行をベースに~」。

ジブリ作品をはじめ久石譲たらしめているこの4度をベースにした和音やコード進行によって、独特の情感をうみだしています。明るくもあり切なくもありという。それがふんだんにではなくても《Sinfonia》などでは基本とされ顔をのぞかせていたことになります。

でも…?《TRI-AD》や《THE EAST LAND SYMPHONY》では、やはり作曲における手法や方法論が変わっているように思います。これ以上は語れる知識がないのでここでストップします。やみくもに分析したいわけではなく、こういうところがもっとわかったらおもしろいだろうな!音楽の聴き方が豊かになるな!とただただ純粋に思っている心境です。

今後のオリジナル作品も含めって、もっと長い目で遠い将来、久石譲の2010年代作品を振り返ったときに、なにか見えてくるものがあるのかもしれません。

あっ、最後にひとつだけ。

久石譲新刊「音楽する日乗」(上記参照)のなかで、書き下ろしの特別対談が所収されています。ここでも久石譲の作曲コンセプトについて興味深く語られています。「《コントラバス協奏曲》の時は4度音程を基本として決めました」…うん、たしかに納得できる情感があるような。《TRI-AD》は3和音をベースに作らているし…《THE EAST LAND SYMPHONY》は……? ぜひ書籍を読んでみてください!

うーん、クラシック音楽の3和音などの古典的な要素…3和音なら本来もっと明るい(長調)や暗い(短調)がはっきりするはず…でも久石譲の直近の作品には明快どころか俯瞰しているような末恐ろしさを感じ…モチーフもコードもシンプルなのに…ということはコードが展開していない?!あえて情感をもってしまうコード進行をおさえている?!楽器群やパートは3和音なんだけど、緻密なオーケストレーションでからみ合って音の響きが複雑になっている?!

…そんな迷宮にはまってしまいます。答えは遠い将来へ。

 

Summer 【A・B】
『メロディフォニー』(2010)にてロンドン交響楽団とのレコーディング録音、『空想美術館 2003 LIVE BEST』(2003)『THE BEST OF CINEMA MUSIC』(2011)にてLive録音がそれぞれ収録されている、同オーケストラ・ヴァージョンです。全体構成は同じですが、変化もありました。冒頭ピッツィカートがメロディを奏でたのち、久石譲によるピアノ演奏に入ります。本ヴァージョンは、ここでヴァイオリンがまずメロディを奏で、次の久石譲ピアノメロディへ流れ、そこからヴァイオリンの対旋律によってかけ合っていきます。従来以上に瑞々しさがまし、澄みわたる青い空と思い出切ない夏をたっぷり演出していました。冒頭のピッツィカートもアクセントがより強調されていたことも印象的です。今CDを聴きなおすと『空想美術館』のそれに近いような気がします。みんな大好きSummerも、実は貴重な初披露となった本公演ヴァージョンです。

[参考作品]

久石譲 『メロディフォニー』

『メロディフォニー Melodyphony』(2010)

久石譲 summer
特集》 久石譲 名曲「Summer」 CD/DVD/楽譜 特集

 

Life is 【A・B】
とてもクラシカルな軽やかな旋律、バロック・古典音楽のような清いシンプルさ。主題を木管や金管が奏であいながら、弦楽やパーカッションを含めて壮大になっていきます。とても清涼感のある佳曲です。これがCM曲でもないブランドイメージ曲ですから、贅沢の極みですね。

 

Dream More 【A・B】
W.D.O.2015で初披露され、そのヴァージョンが一年越しにCD化されています。全体構成はほぼ同じだったと思いますが、響きはよりゴージャスになっていました。メリハリの効いたオーケストレーションの修正がされていると思います。パーカッションや管楽器がより強調され、ソリッドに磨きのかかったシャープな輪郭ながらも、ダイナミックに進化していました。

[参考作品]

The End of the World LP A

『The End of the World』(2016)

 

Symphonic Suite PRINCESS MONONOKE 【A】
スタジオジブリ作品の交響組曲化シリーズ第2弾です。まずは作品の軌跡を紐解きます。

2016年版
a) アシタカせっ記
b) TA・TA・RI・GAMI
c) 旅立ち
d) コダマ達
e) シシ神の森
f) もののけ姫 (vo)
g) レクイエム
h) アシタカとサン (vo)

 

『交響組曲 もののけ姫』(1998)
映画公開翌年、久石譲がチェコ・フィルハーモニー管弦楽団とともに完成させた作品。サウンドトラック盤の楽曲群を、映像やストーリーから解き放たれた音楽作品へ再構成した、もののけ姫交響組曲全8章です。今回の2016年版の原型ともいえるものです。あえて記すと、「もののけ姫」も「アシタカとサン」もフル・オーケストラによるインストゥルメンタル・ヴァージョンであり、2016年版 d)コダマ達 は、未収録楽曲でこのときには構成されていません。交響組曲もののけ姫歴史の始まりであり骨格をなす50分大作。

a) アシタカせっ記
b) TA・TA・RI・GAMI
c) 旅立ち
f) もののけ姫 (inst.)
e) シシ神の森
g) レクイエム
h) アシタカとサン (inst.)

久石譲 『交響組曲 もののけ姫』

『交響組曲 もののけ姫』(1998)

 

『WORKS II』(1999)
『交響組曲 もののけ姫』から4楽曲を選りすぐり、短縮なく忠実に再現したLiveヴァージョン。

a) アシタカせっ記
f) もののけ姫 (inst.)
b) TA・TA・RI・GAMI
h) アシタカとサン (inst.)

久石譲 『WORKS2』

『WORKS II Orchestra Nights』(1999)

 

『真夏の夜の悪夢』(2006)
W.D.O.一夜限りのスペシャルコンサートを収録したLiveヴァージョン。『交響組曲 もののけ姫』より3楽曲を抜粋再構成した《もののけ姫組曲》として約8分半の作品に。主題歌の旋律はヴァイオリンをフィーチャー。

a) アシタカせっ記
b) TA・TA・RI・GAMI
f) もののけ姫 (inst.)

久石譲 WDO 『真夏の夜の夢』

『真夏の夜の悪夢』(2006)

 

『久石譲 in 武道館』(2008)
『真夏の夜の悪夢』で披露した組曲構成をほぼ継承したLiveヴァージョン。主題歌が林正子さんのソプラノによって歌われました。3楽曲すべてに迫力のあるコーラスが編成されています。

a) アシタカせっ記
b) TA・TA・RI・GAMI
f) もののけ姫 (vo)
*a) ~ f) with Chorus

またアンコールに、合唱版が初披露され大きな話題となりました。
h) アシタカとサン (chorus)

久石譲 in 武道館 ~宮崎アニメと共に歩んだ25年間~ DVD

『久石譲 in 武道館 ~宮崎アニメと共に歩んだ25年間~ 』(2009)

 

『The Best of Cinema Music』(2011)
『久石譲 in 武道館』を継承した構成で、主題歌は英語詞によるヴォーカル・ヴァージョンが披露されています。合唱編成あり。東日本大震災のチャリティーコンサートを収めたLiveヴァージョンです。

a) アシタカせっ記
b) TA・TA・RI・GAMI
f) もののけ姫 (vo) English ver.
*a) ~ f) with Chorus

『久石譲 in 武道館』での記憶が甦る日本語合唱版も披露されました。
h) アシタカとサン (chorus)

久石譲 『THE BEST OF CINEMA MUSIC』

『THE BEST OF CINEMA MUSIC』(2011)

 

以上、《Symphonic Suite PRINCESS MONONOKE》の軌跡をたどりました。

《Symphonic Suite PRINCESS MONONOKE》2016年版

a) アシタカせっ記
b) TA・TA・RI・GAMI
c) 旅立ち
d) コダマ達
e) シシ神の森
f) もののけ姫 (vo)
g) レクイエム
h) アシタカとサン (vo)

2016年版では、f) もののけ姫 でのソプラノ歌手にくわえ、h) アシタカとサン においても久石譲によるピアノ演奏とソプラノ歌手による歌唱でフィナーレを迎えます。どちらも日本語詞で歌われ、h) アシタカとサンは『久石譲 in 武道館』(2008)の同歌詞(作詞:麻衣)です。d) コダマ達 は、これまでサウンドトラック盤のみに収録されていた楽曲で、太古の森をオーケストラによる弦楽ピッツィカート・木管・鍵盤打楽器・打楽器を中心に表現されていました(サウンドトラック盤はオーケストラ+シンセサイザー)。

a) アシタカせっ記のオープニングからすでに高揚感はピークに達し、b) TA・TA・RI・GAMIに象徴されるけたたましい金管と和太鼓の響きに圧倒され、久石譲ファンのなかでは秘めたる名曲として名高いc) 旅立ち もめでたく交響組曲に組み込まれました。e) シシ神の森では緊張感と威厳のある重厚さに、コントラバスなどの弓を弦に強くぶつけて発せられる効果音的演出。g) レクイエムは、『交響組曲 もののけ姫』(1998)収録の同曲が、あますところなく盛り込まれていました。曲後半はサウンドトラック盤にはない新たに築かれた世界観であり、それが2016年版に引き継がれたことは、もののけ姫の世界を一層壮大にしています。

久石譲が宮崎駿監督との約30年の歴史を経て、新たに取り組んでいるジブリ交響作品シリーズ。国内外からのニーズに応えるべく楽譜出版も並行される同企画は、まさに久石譲が未来へつなげる音楽と言えます。ジブリ作品は日本屈指のエンターテインメントであり、やはりそこには歌の持つ力が重要視されているようにも思います。聴かれつづけること、演奏されつづけること、そして歌い継がれること。久石譲が古典的オーケストラ編成に固執することなく、あらゆる独奏楽器・特殊奏法、そして歌による声や歌詞。音楽的素材を総動員することで、もうひとつのジブリ作品を築きあげる。豊かな表現、巧みなオーケストレーション、そして作品構成力。これは総決算とは決して言いたくない、今なお進化しつづける久石譲音楽です。

 

Castle in the Sky 【B】
ハリウッド映画音楽でも活躍するトランペット奏者ティム・モリソンが吹くことを想定してアレンジされたヴァージョンです。パズーのトランペットが少年・男らしさを感じるもうひとつのラピュタの世界観。ダイナミックで高揚感いっぱいにクライマックスを迎えます。

[参考作品]

久石譲 『W.D.O.』 DVD

『W.D.O.』(2006)

 

Symphonic Variation “Merry-go-round” 【B】
《Summer》《もののけ姫》しかりこの作品しかり、久石譲の指揮とピアノ演奏といういわゆる”弾き振り”を目の当たりにすると感嘆してしまいます。『久石譲 in 武道館』(2008)『THE BEST OF CINEMA MUSIC』(2011)では、「人生のメリーゴーランド」+「CAVE OF MIND」(サントラ楽曲名「星をのんだ少年」)という組曲版が披露されていますが、こちらはその原型といえる2005年版です。

[参考作品]

久石譲 『WORKS3』

『WORKS III』(2005)

 

 

—–アンコール—–

World Dreams 【A・B】
この楽曲にかぎらず、W.D.O.2016の演奏は圧巻でした。貫禄のひと言です。研ぎ澄まされた技術で精巧なアンサンブルを聴かせ、悠々とした大きな包容力で会場全体を至福の音楽空間へ。W.D.O.2015ではアンコールにて合唱版が披露されましたが(東京・大阪公演)、今年はオリジナル版フル・オーケストラです。2004年の誕生から色褪せることのない堂々とした品格の《World Dreams》。そんななかでもCD盤から進化し、緻密なオーケストレーションの修正が重ねられいるのはコンサートでしか聴くことができません。

[参考作品]

久石譲 『WORLD DREAMS』

『WORLD DREAMS』(2004)

 

 

2016年の今年上半期だけでも、多種多彩なコンサートを繰り広げている久石譲。その数なんと6企画20公演です(W.D.O.2016まで)。今年下半期そして来年以降もコンサート活動から目が離せません。

久石譲コンサート 2015-

 

 

特集 久石譲 WDO 2016 感想

W.D.O.2016では、一個人コンサート・レポートから多面的・集合体への試みとして、コンサートに足を運んだみなさんの想いを記録していきました。せっかくの全国9都市10公演、たくさんの声が集まるいい機会だと思い、各公演会場のコンサート前・コンサート後ツイッターに放たれた言葉たちです。

 

どんな想いでコンサート当日を迎えたんだろう?

コンサートを体験して何を感じたんだろう?

ひとりひとりのシチュエーションとライフスタイルのなかで、コンサートを通してひとつ共感する喜び、そのパワーを感じます。日々のツイートのなかで、埋もれ流れてしまう言葉や想いを、どうしても”その瞬間のエネルギー”として封じこめたく記録させてもらいました。

あの日の大切な思い出に、次回は行きたいという想いに、そして未来の人たちがきっとうらやましがる音楽遺産に。『久石譲のコンサートを体感できる同じ時代に生きる喜び幸せ』は現代聴衆の特権です。

特集》 「みんなのW.D.O. 2016 Twitter編」~コンサートへの想い~

 

 

今年のW.D.O.2016コンサート・レポートでした。

コンサートに関する資料・感想などのすべてをこのレポートにまとめたかったので、すっかり長くなってしまいました。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

次回は、W.D.O.2016公演がTV放送されたとき、CD化されたとき、あわよくばBD&DVD化されたときなどに、また新しい発見ができて、そこから想い感じることができたらなと思っています。

 

久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ 2016 パンフレット WDO 1

 

Blog. 久石譲 「善光寺・奉納コンサート」 演奏曲目 紹介

Posted on 2016/07/18

7月14日夜、善光寺・奉納コンサートによってスタートした「アートメントNAGANO2016」です。奉納コンサートWebニュース各種はインフォメーションにてご紹介しています。

Info. 2016/07/15 「久石譲 善光寺 奉納コンサート」Webニュース各種 【Update!】

 

 

この文末に、

~~~~~~~~~~~~~~
なおコンサート演目は、おくりびと/Summer/HA-NA-BI/カルテット/One Summer’s Day (Pf.solo)/KIDS RETURN (アンコール) 順不同 他となっています。こちらは確認情報です。

【お願い】
ぜひ善光寺奉納コンサートに当選された方、行かれた方いらっしゃいましたら、情報お待ちしています。
~~~~~~~~~~~~~~

と記載していましたら、貴重なメッセージをいただきました♪

いただいたお便りを要約するかたちで演奏曲目をご紹介します。

 

 

善光寺・奉納コンサート

[公演期間]Print
2016/07/14

[公演回数]
1公演
長野・善光寺本堂(内陣)

[編成]
ピアノ:久石譲
編成:ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)より
ピアノ:長尾洋史
ヴァイオリン:近藤薫、松田拓之、城代さや香、石亀協子、小林壱成
ヴィオラ:加藤大輔、瀧本麻衣子
チェロ:水野由紀、向井航
コントラバス:幣隆太朗
パーカッション:高橋篤史

[曲目]
久石譲:One Summer’s Day (Pf.Solo)
久石譲:Wave
アルヴォ・ペルト:Spiegel im Spiegel for Violin and Piano
アルヴォ・ペルト:Summa
久石譲:Quartet ~ Main Theme
久石譲:Departures for Violoncello and Piano
久石譲:Summer
久石譲:HA-NA-BI

—-encore—-
久石譲:Kids Return

 

このようなセットリストになっています。

久石譲:One Summer’s Day (Pf.Solo)
映画『千と千尋の神隠し』より。久石譲によるピアノ・ソロにて。

久石譲:Wave
宮崎駿監督の誕生日に献呈された三鷹の森ジブリ美術館BGM楽曲。久石譲によるピアノ・ソロにて。

ここからはステージをNCOメンバーに譲りプログラムは進みます。

アルヴォ・ペルト:Spiegel im Spiegel for Violin and Piano
鏡の中の鏡 ヴァイオリン&ピアノ版にて。

アルヴォ・ペルト:Summa
スンマ 弦楽合奏にて。

久石譲:Quartet -Main Theme
映画『カルテット』(監督:久石譲)よりメインテーマ。弦楽四重奏にて。

久石譲:Departures for Violoncello and Piano
映画『おくりびと』より。チェロ&ピアノ版にて。

久石譲:Summer

久石譲:HA-NA-BI

久石譲:Kids Return
アンコールで久石譲再登場。久石譲ピアノ&NCOアンサンブルにて。

 

 

抽選による約220人の観客だけが堪能することのできた一期一会な奉納コンサートです。貴重な情報提供をいただき心より感謝いたします。これからも久石譲ファンの方と一緒に歩んでいきたい当サイトです。どうぞお付き合いよろしくお願いします。

久石譲コンサート Concert 2015-

 

また長野市芸術館公式サイトや長野市芸術館公式Facebookページでは、7月16日開催「久石譲&ナガノ・チェンバー・オーケストラ 第1回定期演奏会」のレポート写真も随時更新されています。ぜひチェックしてみてください。

公式サイト:長野市芸術館 | ニュース
公式サイト:長野市芸術館Facebook

 

 

追記 2016.8

「アートメントNAGANO2016」パンフレットより

【解説】

夏のフェスティヴァルは、文字どおり、善光寺に「奉納」するところから始まります。ナガノ・チェンバー・オーケストラのメンバーが、音楽監督である久石譲のアート系・エンタテインメント系両系列の作品を、アルヴォ・ペルトの作品とあわせて、演奏します。

はじめに演奏される2曲は、宮崎駿とのつながりのなかで作曲された作品です。

《One Summer’s Day》は宮崎駿監督によるアニメーション映画『千と千尋の神隠し』(2001)をしるしづける音楽。《Wave》は久石譲が三鷹の森ジブリ美術館のオリジナルBGMとして2009年に作曲したもので、宮崎駿に贈られたものとして知られています。

アルヴォ・ペルトの作品が2つつづきます。
まず、この作曲家について紹介しておきましょう。

1935年エストニアのパイデで生まれた作曲家です。首都タリンの音楽院で学び、エストニア放送でしごとを始めました。この時代、旧ソ連邦の一部であったため、西側の音楽の情報は非常にかぎられていました。そうしたなかでペルトは密かに知ることのできた西側の前衛的な音楽を独自にとりいれた作品を書いていました。しかし1970年をほぼ境にして、音楽は大きく変化します。シンプルで静謐でありながら、みごとに計算された作品、どこか宗教的なものを潜ませた作品に、です。ペルトのそうした音楽は、そうして、世界中で静かなブームともなっていきました。1980年にオーストリアの亡命、その後はドイツに移り、この地で市民権を得、現在も活発に作曲をつづけています。

《鏡の中の鏡》はヴァイオリニストのヴラディーミル・スピヴァコフに献呈された1978年の作品です。あまりにシンプルなピアノの音型のうえに、ヴァイオリンが、けっして叙情にながれない旋律を奏でます。ヴァイオリンははじめ「ソ」の音、つぎに「ラ」の音を弾きますが、この「ラ」の音を中心にして、下の音程と上の音程が対照的に奏されてゆく、鏡のようになります。これがタイトルの由来と言っていいでしょう。具体的には、ソ-ラ-シ♭-ラ/ファ-ソ-ラ-ド-シ♭-ラ/ソ-ファ-ミ-ラ-シ♭-ド-レ-ラetcというふうになります。

《スンマ》はもともとは合唱のための作品(1977)で、ラテン語のテクストをもとに作曲されました。ほぼ20年後、弦楽オーケストラや弦楽四重奏のために自ら改変した版を発表、世界中で演奏されています。スンマ(summa)とは思想や神学の大系を意味します。

ここからあとの作品は、久石譲が映画とのかかわりのなかでつくった音楽、ジブリ映画とは異なったところからつくられた音楽を、コンサート用の作品として改変した作品がならびます。

《Quartet》は、自身が監督した映画『Quartet カルテット』(2001)の音楽によっています。映画では、袴田吉彦が主演をつとめる弦楽四重奏団が、ストーリーの中心になっています。

《Departures》は、小山薫堂脚本、滝田洋二郎監督、主演本木雅弘映画『おくりびと』(2008)のための音楽。映画は第32回日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞しています。納棺師である主人公がオーケストラの元チェロ奏者であることもあり、オーケストラ版でもチェロが中心的な役割を果たします。

《Summer》は北野武監督による映画『菊次郎の夏』(1999)のメイン・テーマです。後には車のCFにもつけられました。小学生3年生の菊次郎は、遠くにいる母親に会うために家をでて、さまざまな出会いをします。一種のロードムーヴィーと言ってもいいかもしれません。

コンサート最後の《HANA-BI》は北野武監督による同名の映画『HANA-BI』(1998)から。北野武演じる刑事は暴力とやさしさとをないまぜにした人格を描きだします。

小沼純一(音楽評論家)

(アートメント・パンフレットより)

 

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Blog. 久石譲 『Quartet カルテット』(2001) 関連CD作品ご紹介

Posted on 2016/6/15

2001年公開 映画「Quartet カルテット」
監督・音楽:久石譲 出演:袴田吉彦 桜井幸子 大森南朋 久木田薫 他

久石譲第1回監督作品です。脚本も共同で手がけ、もちろん音楽も久石譲による書き下ろし。映画タイトル「カルテット」とあるとおり、弦楽四重奏をベースとした青春ストーリーで音楽もクラシカルな弦楽四重奏をベースに構成されていますが、フルオーケストラや、シンセサイザーを織り交ぜた楽曲、久石譲ピアノによる演奏などバラエティ豊かな楽曲群です。

 

 

『Quartet オリジナル・サウンドトラック』 / 久石譲
2001.9.27 Release

日本初の本格的音楽映画、劇中使用曲フル・バージョン収録、ボーナス・トラックにリミックス・バージョン収録した映画サウンドトラック盤です。ロンドンにて一流弦楽四重奏団バラネスク・カルテットとそれらを録音しています。当初古典クラシック音楽を使用することも検討していた久石譲が、やはり自身のオリジナル曲で攻めたいとし、それならばと古典と自作を併用するのではなく、全曲オリジナルで書き下ろされた楽曲たちです。

既存のクラシック音楽の使用も構想していたこともあり、楽曲によっては、モーツァルトの「ディベルティメント」、パガニーニの「カプリース24」からイメージされるような楽想をもった楽曲も盛り込まれています。「となりのトトロ」~「HANA-BI」~「KIDS RETURN」というおなじみの楽曲たちも弦楽四重奏メドレーで収録されているのもうれしいところ。久石譲による楽曲解説もCDライナーノーツには記載されていますので、より具体的に理解できると思います。

 

QUARTET カルテット

Disc. 久石譲 『Quartet オリジナル・サウンドトラック』

 

 

『久石譲セレクテッド・カルテット・クラシックス』 / オムニバス
2001.9.27 Release

サウンドトラック盤と同日発売されたこちらのCDは、久石譲が自らセレクトした弦楽四重奏曲のコンピレーション・アルバムです。

「音楽を志した頃から、弦楽四重奏というものは当然あるべきスタイルとして頭にありました。カルテットというのは、基本的にはクラシック音楽のエッセンスだという気持ちがすごく強いんです。例えばベートーヴェンの作曲の仕方を見ていても、それぞれの時期、時代にまずピアノ・ソナタで新しい方法にチャレンジする、それをオーケストラでうんと拡大してその時期の自分のスタイルを確立して、最後に必ず弦楽四重奏を書くんですよ。それによってある時代の自分の音楽のアプローチというものに必ず区切りをつけていきます。ピアノでまずチャレンジ、オケで拡大、最後にカルテットでその時期をまとめるという繰り返しです。」

「ベートーヴェンにとってカルテットはどのくらいの重さがあったんだろうか、と作曲家として考えることがよくありました。我々が作曲を勉強する時に和声学という勉強をします。和声学はソプラノ、アルト、テナー、バスという4声体を基準にして音楽を作るんです。そうすると実は弦楽四重奏はそれと全く同じ形式になってしまう。つまり、作曲をやる上で最初に学ぶ形態が発展したものが弦楽四重奏なんだなというのが僕の根底の考え方です。したがって、作曲家にとって弦楽四重奏に最後に行き着くというのは、それが無駄をすべて削ぎ落とした本当のエッセンスのような究極の形態であるからという気がします。」

(CDライナーノーツより)

 

と同作品CDライナーノーツからの久石譲コメントにもあるとおり、久石譲が映画製作時期にあらゆる古典クラシック音楽のCDを聴きスコアを研究し、そのなかから選りすぐりの弦楽四重奏楽曲がセレクトされています。

 

久石譲セレクテッド・カルテット・クラシックス

Disc. V.A. 『久石譲セレクテッド・カルテット・クラシックス』

 

 

映画『Quartet カルテット』 DVD
2002.3.25 Release

映画本編を収録したDVDです。また映像特典「プロローグ・オブ・カルテット」にて久石譲インタビューが収録されています。ちなみに映画本編でエンドロールに使用されたメインテーマ曲は、ここでしか聴くことができません。サウンドトラック盤にボーストラックとして収録されたリミックス・バージョンともまた異なるエンドロール・バージョンが収録されています。具体的には、よりシンセサイザーによるリズム打ち込みをふんだんに際立たせたバージョンになっています。

 

久石譲 『カルテット DVD』

Disc. 久石譲 『Quartet カルテット』

 

 

『ブラス ファンタジア I ~宮崎アニメ作品集~』 / 上野の森ブラス
1994.1.24 Release

『ブラス ファンタジア II ~宮崎アニメ作品集~』 / 上野の森ブラス
1994.2.25 Release

映画『Quartet カルテット』よりも遡ること数年前。お馴染みのジブリ名曲たちを金管アンサンブル(トランペット/チューバ/ホルン/トランペット/トロンボーン)で奏でる、そんなカバーアルバムがありました。久石譲プロデュースでも、久石譲アレンジでもないこの作品ですが、原曲の持ち味を損なわない上質でハイセンスな品のあるカバー作品でした。

どういう経緯からかはわかりませんが、実は映画本編にも登場している上野の森ブラスのメンバー。たしか神社の境内か道端かで練習している金管アンサンブルを横目に、主人公たちが歩いているというシーンだったと思います。そこで上野の森ブラスご本人たちが実演しているのが、「ハトと少年」(天空の城ラピュタ)です。本編では抜粋演奏でしたが、もちろん同楽曲・同アレンジで収録されているオリジナル版がこのCDになります。(『ブラス ファンタジア I ~宮崎アニメ作品集~』収録)

個人的には幾多あるカバー作品、つまみ聴きで終わってしまうことが多いなかで、この上野の森ブラスに関しては、CD発売当時から久石譲CDと同じようにリピートしていつも聴いていた記憶があります。例えば「遠い日々」(風の谷のナウシカ)(同 II 収録)は、あの「ラン、ランララ、ランランラン♪」の切なく美しい旋律です。この作品では中盤から長調に展開したりするのですが、金管楽器のキラキラと輝くような音色の効果もあって、光が射しこみます。そのくらいおすすめな作品です。2006年に再販され、今でも廃盤になっていないようですので、そういうことなんだろうと思います。

 

ブラスファンタジア1

Disc. 上野の森ブラス 『ブラス ファンタジア I ~宮崎アニメ作品集~』

 

ブラスファンタジア2

Disc. 上野の森ブラス 『ブラス ファンタジア II ~宮崎アニメ作品集~』

 

 

『ジブリ・ザ・クラシックス』 / 久木田薫
2005.3.24 Release

『Unplugged GHIBLI アンプラグド・ジブリ』 / 久木田薫
2007.12.19 Release

映画「カルテット」の主人公たちのひとり、弦楽四重奏団にてチェリストを担当していた久木田薫。当時現役音大生として抜擢され、映画本編・サウンドトラック盤でも「冬の夢」(オリジナル版「MY LOST CITY」収録)を演奏しているのが彼女です。この映画の出会いがきっかけで、 『ジブリ・ザ・クラシックス』というジブリ作品カバーCDを発売しました。スタジオジブリ映画の主題歌、挿入曲を、チェロの演奏をメインにクラシック風、タンゴ風などにアレンジ。ギター、バンドネオン、ハーモニカなど多種多彩な楽器によるアコースティック・カバー作品となっています。久石譲プロデュース、久石譲アレンジではありません。

ライト・クラシック・アルバムともいえる、上品なアコースティック・サウンドでありながら、バラエティに富んだアレンジが施されています。それによってチェロの音色としても様々な表情を感じることができます。CD発売当時からお気に入りだったのは、タンゴ風にアレンジされた情熱的な「君をのせて」、料理番組でもはじまりそうなアットホームで軽快な「となりのトトロ」(『ジブリ・ザ・クラシックス』収録)などでした。残念ながらCD作品としてはどちらも廃盤となっているようです。上野の森ブラスと同じくらい、おすすめできるカバー作品です。デジタル・ミュージック(配信音楽)としては今でも買える楽曲もあるようですので、ぜひ探してみてください。

 

久木田薫 ジブリ・ザ・クラシックス

Disc. 久木田薫 『ジブリ・ザ・クラシックス』

 

久木田薫 アンプラグド・ジブリ

Disc. 久木田薫 『Unplugged GHIBLI アンプラグド・ジブリ』

 

 

その他、劇場用公式パンフレットや、雑誌に掲載された久石譲ロングインタビューにて、当時の映画製作過程やエピソードなどを紐解いてみてください。とても興味深い内容です。

Blog. 映画『Quartet カルテット』(2001)監督・音楽:久石譲 劇場用パンフレットより

Blog. 久石譲 映画「カルテット」 ロングインタビュー内容 (キネマ旬報 2001年10月上旬号より)

 

映画 カルテット ポスター 久石譲

 

Blog. 久石譲 映画「カルテット」 ロングインタビュー内容 (キネマ旬報 2001年10月上旬号より)

Posted on 2016/6/12

2001年公開 映画「Quartet カルテット」
監督・音楽:久石譲 出演:袴田吉彦 桜井幸子 大森南朋 久木田薫 他

2001年映画公開直前に行われた「キネマ旬報 2001年10月上旬号 No.1341」での特集およびロングインタビュー内容です。

 

 

特集 久石譲
映画に勝負をかけた音楽家

ロングインタビュー

久石譲が初監督を務めた「カルテット」がいよいよ10月6日より公開される。撮影終了を間近に控えた昨年9月、取材の席で漏れた「後悔はない」という言葉は、あれから1年を経た今でも気持ちの上では変わりはないという。「変わらないですね。テクニカルな部分の不満が多少あっても、やりたかったことはほとんどやり遂げましたから満足しています」 すでに現在、日本映画界にとって不可欠な存在である久石譲の野望をここで探ってみたい。

 

自分の範囲内でできることを語る久石譲のある一面

久石譲の体験が息づく物語だが、”トゥルー・ストーリー”というよりは”リアル・ストーリー”というべき作品であろう。

久石:
「それ、いい言葉だよね。自分の初監督ってせいもあるんですけど、体験していないことを頭で想像して書いた場合、リアリティがないと思ったんですね。起こった事象自体は違うけれど、自分が体験したこと、目で見たものを中心に動かしましたね」

北野武、宮崎駿、大林宣彦など、これまで仕事を共にした監督たちとの記憶が随所に見て取れるが、オーソドックスなドラマ作りに澤井信一郎作品を連想することも可能だ。

久石:
「僕が最初に長編の実写映画でデビューしたのが、澤井さんの『Wの悲劇』でした。澤井さんは若い女優さんを撮るのが特にうまいですよね。で、ラストに必ず振り返る(笑)。振り返って明日に向かって歩いていくっていうシーンが必ずありますね。今回、袴田(吉彦)くんが最後に振り返るときに”あぁ、澤井さん的だ”って思いましたよ(笑)」

青春映画という点でも澤井作品の共通項を見ることができる。

久石:
「青春ドラマってやり方がいくつかあるんです。音楽を絡めるとなると、大林さんの『青春デンデケデケデケ』のようなロックグループもできるんですが、自分がクラシックの音楽大学を出て、ヴァイオリンもやってましたから、クラシックの弦楽四重奏団を選びましたよね。その段階で、いわゆるMTVみたいなやり方は捨てましたね。まず最初にきちんとしたドラマを一回撮りたいと。それをやっておかないとつぎがないだろうと思いましたし。もっとも、最初に書いたプロットはとんでもなくスラップスティックな喜劇でしたけどね。智子(桜井幸子)なんか男を見るとすぐセックスしたくなるような役だった(笑)。ただ、自分の技量でそこまでやりきれるとは思えなかったし、そこまでしなくてもこの内容はできるんじゃないかということで、今のスタンスに落ち着いたんですけれど」

最も扱いやすい題材と最もハンドルの効く音楽で勝負したわけである。

久石:
「ただね、春ごろに大林さんから言われました。”退路を絶ったね”って。つまり音楽家が音楽映画を撮るっていうのは言い訳をきかなくしてしまっている。だから”自分で自分の退路を絶っちゃって、どうするの?”って言われて、あぁそういう考え方もあるなって思いました(笑)。少し前に澤井さんに観ていただいたら、ニコニコ笑いながら”よかったよ”っておっしゃってくださったんですけど」

澤井信一郎の意見が批評的には一番怖いのではないだろうか。

久石:
「だと思います。本当に映画というものを知り抜いている人ですからね。そういう意味で言うと一番厳しくというか、ある程度及第点を越えていたら”うーん、お前いいよ、それで”というところで多くをおっしゃらないか、どちらかだと思いますね」

 

音楽で生きる者の音楽映画における理想郷に向かって

今回、久石譲は「音楽映画を作る」と宣言して初監督作品を仕上げた。ユニークなのは、現実音としての音楽はあふれていても、ドラマ用の音楽そのものは少ないことだろう。音楽的に饒舌なようでいて、実はそうではないということを確認するべきである。

音楽映画とは、音楽自体がドラマのシチュエーションの中に入り込んでくるものだと思う

久石:
「音楽映画という言葉の定義はハッキリとしていませんが、僕の考えでいうと、一つは音楽がドラマに絡んでくる、音楽自体がドラマのシチュエーションの中に深く入り込むということ。もう一つが台詞の代わりに音楽が重要な要素になることですね。今回すごくこだわったのは、音楽家が出てくる映画だし、弦楽四重奏を皆が演奏していく過程を見せるドラマなのだから、現実の音、いわゆる状況内の音楽がイコール映画音楽として成立するように作ることでした。これって、けっこう実験的な仕掛けなんです。それと、僕としては音楽シーンを格闘技、いわゆるアクションということで考えていましたから、練習シーンなんかは変な説明はしないで、とにかくハードな練習をしている彼らをどう画に撮るか、それに集中していましたよね。ヴァイオリンってこんなに肉体を使うんだとか、そういう汗の感じを感じとってもらえれば幸いですね」

袴田吉彦が皆を叱咤激励する練習シーンは、前半のクライマックスである。

久石:
「練習シーンは1日で撮っちゃったんですよ。2日かける予定だったんだけど、役者さんのテンションが高くて、行っちゃえ! ということで、朝10時ぐらいから夜中の3時半まで撮ったんです。最後の方はみんな完全にイッてましたね。袴田くんなんかは目の焦点が定まらない。ダビングのときにこの半分狂気のような顔を観たとき、あぁもう十分だって、音楽を全部消したんです。みんなは”長いから切りましょう”って言うんだけど”ダメ、これが音楽やる怖さの顔だから使えるだけ使う!”と主張して最後まで延ばしたんです」

その練習シーンがあることで、観客はクライマックスを安心して迎えられるはずだ。

久石:
「タラタラと音楽を流すシーンがあっては絶対、音楽映画にはならないと思いました。一番勝負を賭けたのは冒頭。つぎに袴田くんがオーディションを受けるときのソロのヴァイオリン、つぎに4人が練習しているシーン。そしてラストの袴田くんがオーケストラとやるところと、コンクールを受けるところ。大きく分けるとそこに音楽のシーンを集中させて、あとはドラマに専念しようと」

 

一度は捨てた映画を監督することの久石譲的意義とは

そんな「カルテット」が公開される2001年は、北野武、宮崎駿との共同作業に加え、オリヴィエ・ドーハンとの仏映画「Le Petit Poucet」が秋にフランスで公開。おまけにコンサート・ツアーも開催される。例えば北野監督との映画音楽をまとめた「joe hisaishi meets kitano films」というアルバムについて、久石はいみじくも「確認の場だ」と定めたが、この21世紀最初の年の動きというのは、試みでありつつ、同時に今後の行く末を考える確認作業のように思えてならない。

久石:
「そうかもしれない。映画を撮ったことが本当によかったのかっていう確認もあるし、その後2本目の監督作品として30分の短編映画『4MOVEMENT』もやりましたよね。1本目が35ミリ・フィルムで、2本目は完全に撮影も合成も編集も上映もデジタルでやった。そういう映像的に引っかかっていたことをこの2、3年でやってみた。音楽的にも自分の映画を含めてやることはやったんです。ある意味で自分の中のものを使い果たしましたね。逆にゼロにする必要があったんだと思います。吐き出して、自分で自分に飽きるというかね。音楽に関しても、正直に言えば、あまりにも自分の和音の使い方とかが確立しすぎちゃってる。自分では一個一個スタンスを変えてるつもりでも、生理的に好きな音が出る。これだけの作品で出しきってみたところで、音楽家としての新たな自分のやり方っていうのを確認したいというのがあったんですね」

90年代半ば、映画の仕事を辞めようとすら思った時代から心機一転、久石譲は映画のために走った。突っ走ってきた。それもこれも映画音楽のよりよい形を求めたためであり、映画監督への挑戦もその延長線上にある。

久石:
「生意気だって言われて、下手をするとあらゆる監督からの音楽の依頼が途絶えてしまうかもしれませんね。僕らは監督の方々に”久石だったら自分の世界を表現してくれるかもしれない”と思っていただいて仕事をいただけるわけじゃないですか。個人的にはそういう仕事は大好きですから、皆さんが組みたいと思う音楽家であることが一番重要です。そのためにはこの誌上を借りて強く申し上げなければいけませんね。決して僕を値段が高いとか思わずに誘ってくださいって(笑)」

 

音楽と映画って実は、案外近いところにある

では、監督を体験したことで、何が見えてきたのか。何が変わったのか。

久石:
「素直に言えることは、今まで音楽家の目で見たときと全く違う目で脚本を読むようになったということです。前より内容的にも監督の意を汲むようになった。といって、全てがプラスになったということではないんですね。映画音楽って、映像をある程度無視するくらいに強くガーンとやることで相乗効果をあげられるはずなのに、今僕が音楽を付けると監督の気持ちが分かっちゃうために画に寄っちゃうと思う。それに気づいているだけそういうことはやらないでしょうけれど」

音楽を追求した果ての監督挑戦ならば「カルテット」は久石譲という音楽家のソロアルバムと考えてもいいのではないか。

久石:
「かもしれない。音楽と映画っていうのは構造がすごく近いんです。どちらも同じ時間軸の上で作る世界なんですよ。いつも時間に縛られる。例えばシンフォニーを想像してもらえればいいですけど、第1テーマが出る、第2テーマが出る、それが展開されていってクライマックスを迎えて、再び第1、第2テーマが展開されて終焉を迎える。これ完全に映像の世界と一緒ですよね。例えば、振ったら落とせ、つまりモチーフを出したら必ず展開しなきゃいけない。基本的に音楽の構造というのは時間のタイミングなんですよ。構成力がない音楽はつまんないです。映画も絶対、構成力なんですよね」

訊かねばならない。映画監督・久石譲というのは今後も実現するのだろうか。

久石:
「2本撮らせていただいて、映画をやる怖さはよく分かりましたよ。全ての自分が出ちゃうんですからね、薄っぺらなら薄っぺらなりの自分の世界が。自分を磨くなり自分とは何かっていうのをしっかり持ってからでないと、簡単に作っちゃいけないとも思うし……」

し?

久石:
「し(笑)、はい、もう1本だけは撮りたいと思います」

ギリギリの誠意をもって応えてくれた久石譲が次回作でいかなる試みを仕掛けてくれるのか。そのお楽しみのためにも、久石流・音楽映画の成果を決して見逃してはならない。

取材・文:賀来タクト

(雑誌「キネマ旬報 2001.10月上旬号 No.1341」 より)

 

 

「カルテット」への思いと出演者が触れた久石監督の素顔

相葉明夫 役
袴田吉彦

親父っ、と信頼できる存在です

他の共演者同様、全くのヴァイオリン初心者だった袴田吉彦。「最初はお断りするつもりだったんですよ。過去に『我が心の銀河鉄道・宮沢賢治物語』でチェロをやったことがあったんですが、3日間だけしか練習せずに痛い目を見ていたので(笑)」

それでもあえて引き受けたのは、「君を忘れない」で一緒に仕事をしたプロデューサーをはじめとしたスタッフの励ましたがあったから。「いろいろ腹を割って話をしてくれたので、ここでやらなきゃ男じゃないなって」それから、正味1ヵ月弱の練習期間が始まった。「辛かったですよ。できなくて泣きながら甲州街道を歩いて帰ったこともありましたね(笑)」ヴァイオリンをケースから出すところから練習し、オフの日も肩からヴァイオリンケースを下げていた。「この作品は、撮影中ほとんど寝ていない」という熱心さで臨んだ。

若かりし頃の久石監督をモチーフに肉付けしていったとされる明夫の役柄については、「最初の設定よりも、だいぶ丸くなっている」のだとか。でも、明夫の性格から「思いっきりカッコつけて弾いてました。こういう感じの役だったらこれくらいやってもいいか、とかヴァイオリンの先生には聞いてましたね」

久石監督の印象については、「ピアノを弾かれるので、想像してたより結構ゴツいんです。この人から『となりのトトロ』が出てくるのか……って(笑)」そんな久石監督とは、かなり話し合いの機会をもったそう。「最初、監督がものすごく遠慮されていて。映画はもういいって思われてしまうのも悲しかったので、できるだけ監督と話をしました」

でもひとつの転機が。「明夫が楽団のオーディションを受けるシーンが難しくて。僕はまた”できない”って泣きながら(笑)楽屋に駆け込んだんです。そのとき”袴田、ちょっと来い!”って監督に。それまで”袴田さん”と呼ばれてたのに、そこから親父みたいな感覚に変わりましたね」

 

坂口智子 役
桜井幸子

やはり音楽には厳しい方ですね

久石監督作品「カルテット」で、第2ヴァイオリンを担当する芯の強い女性・坂口智子を演じているのは桜井幸子。「最近では珍しい新鮮で清潔感のある話で、安心して読めました。ぜひやってみたいなって」最初に脚本を読んだ時の印象をそう話す彼女。だが出演を決めるに当たってネックになったのは、まだ一度も手にしたことのないヴァイオリンだった。「とにかく心配はそこでしたね。監督に”大丈夫でしょうか?”とお聞きしたら”久木田さん(現役芸大生)以外は皆さん初めてだし、練習期間もあります。撮り方も考えていますから”と言って下さったんです」

撮影前の1ヵ月以上、俳優それぞれが個人コーチについて、徹底的に指と腕の動きを学んだ。そして、「前の日からソワソワしてしまった」という、演奏シーンの撮影日。久石監督はスタジオに入ると、まずその日に撮影するシーンの曲を流した。「監督は、本番までその曲を聞いて馴染ませた方が、私たち俳優が演じやすいと思われたんでしょうね。実際、曲を聞くと手も動くし、意識もそちらに集中するので、とてもやりやすかったですね」

また演奏シーンは他の撮影現場とは異なる独特の緊張感があり、いい意味でピリピリしていたとも。「監督は周りの話し声とか、ちょっとした音にも敏感なんです。演奏場面では、やはり専門分野なので余計な雑音には厳しかったですね。ふだんは温厚な方なんですが」それ以外のドラマ部分に関しては、基本的に自由に演じていたそう。

「監督は、”僕は演出は初めてなので、分からないことも多い。だからいろいろ考えて下さいね”とおっしゃいました。監督がそんな姿勢だったので、皆で一緒に作っていけた、とてもいい雰囲気でした。私自身、智子の気持ちが理解しづらい時などは、”こうだからこうなったんですよね?”と監督に確認しつつ進めていったので、とてもスムーズでした」

完成した作品を観た時は、改めて”映画における音楽の重要さ”を痛感したと話す桜井幸子。「演奏シーンは本当に4人で頑張ったので、注目して下さい」

(雑誌「キネマ旬報 2001.10月上旬号 No.1341」 より)

 

キネマ旬報 2001 10月上旬号

 

Blog. 映画『Quartet カルテット』(2001)監督・音楽:久石譲 劇場用パンフレットより

posted on 2016/6/8

2001年公開 映画「Quartet カルテット」
監督・音楽:久石譲 出演:袴田吉彦 桜井幸子 大森南朋 久木田薫 他

久石譲第1回監督作品です。脚本も共同で手がけ、もちろん音楽も久石譲による書き下ろし。映画タイトル「カルテット」とあるとおり、弦楽四重奏をベースとしたストーリーで音楽もクラシカルな弦楽四重奏をベースに構成されていますが、フルオーケストラや、シンセサイザーを織り交ぜた楽曲、久石譲ピアノによる演奏などバラエティ豊かな楽曲群です。

映画公開時、劇場等で販売された公式パンフレットより、この映画の製作過程をご紹介します。

 

 

この作品は僕の自伝ではないけれど、ある意味で僕の物語。
僕の周りにいた、音楽と共に生きようとして悩み立ち止まる、繊細で、美しい人たちの物語です。
-久石譲

 

INTRODUCTION

映画音楽の第一人者、久石譲が映画監督に初挑戦!

誰にも忘れられない夢がある。誰にも捨てられない友がいる…。
『もののけ姫』(宮崎駿)、『BROTHER』(北野武)、『はるか、ノスタルジィ』(大林宣彦)、『時雨の記』(澤井信一郎)、『はつ恋』(篠原哲雄)など、現代日本映画を代表する監督たちの秀作、話題作の音楽監督を一手に担い、海外からも熱い注目を集める久石譲がついに映画監督に挑戦した。その記念すべき第1回作品『カルテット』は、久石自身がかねてより温めていたオリジナル・ストーリーをもとに、弦楽四重奏団を組んだ4人の若者の挫折と再起、愛と友情を描くさわやかな青春ドラマだ。

 

絵コンテは、なんとオリジナル40曲の譜面

もちろん日本屈指の作曲家としての久石譲もまぶしく輝いている。撮影1ヶ月前に劇中使用音楽約40曲を作曲したばかりか、海を渡ってロンドンの一流弦楽四重奏団バラネスク・カルテットとそれらを録音。演奏シーンの撮影には現場で実際に音楽を流しながら、譜面を絵コンテ代わりに俳優、カメラの動きを決定するという異例の方法がとられた。映画で音楽はどう使われるべきか、どう見せる=魅せるべきか。これまでになくリアルな演奏描写、スキのない音楽配置は、出演陣に課せられた弦楽器の演奏訓練、及び半端なクラシックの使用に甘えないオリジナル曲の創作を含め、映画音楽を知り抜いた才人ならではの演出で、結果、従来の日本映画にはない本物の”音楽映画”となった。

 

日本映画界の第一線で活躍するスタッフが集結!

久石自身による原案をもとに、『君を忘れない』『ホワイトアウト』などの脚本を担当し、『恋は舞い降りた。』で監督も手がけた長谷川康夫が約1年をかけて久石と共同で脚本を執筆。撮影には『金融腐蝕列島/呪縛』の阪本善尚が久石たっての希望で登板。大林宣彦作品で知り合った両者の息の合った映像処理も本作品の見どころの一つだ。そして音楽監督には、勿論久石譲自身が兼任。編集終了後もできあがった映像を見ながら音楽を追加作曲し、より緊密な作品の完成に尽力している。撮影は2000年8月20日から9月22日まで行われ、東宝・砧スタジオのほか、東京都内、熱海などでロケが敢行された。

 

PRODUCTION NOTES

そもそも”カルテット”とは?

カルテット(英語表記で quartet)とは、広義で四重奏(唱)のこと。四重奏曲を指すこともある。『新音楽辞典』(音楽之友社刊)には「4個の独奏楽器による室内楽重奏。弦楽四重奏が基本的で、(中略)ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロにピアノ四重奏、木管をひとつ加えたフルート四重奏、オーボエ四重奏、木管、金管、ホルン、サクソフォーン四重奏その他各種の編成がある」と記されている。今日まで続く弦楽四重奏曲の基本様式を確立したのはフランツ・ジョゼフ・ハイドン(1732~1809)という説がもっぱらである。その醍醐味は様々だが、劇中で三浦友和扮する青山助教授わいく「アンサンブルの中でも弦楽四重奏ってのは、余分なものをすべて削ぎ落とした究極の形態だ。演奏家としての力量がこれほどはっきり表れるものはない」とのこと。幼少の頃バイオリンをたしなんでいた久石自身の弦楽四重奏に対する考え方としてとらえてもいいだろう。

 

ロンドンで録音されたオリジナル40曲

撮影スタート1ヶ月前の2000年7月に、劇中で演奏される楽曲40曲がロンドンで録音された。本格的な音楽映画を作り上げるため、ありきたりのクラシックではなく、自身のオリジナル曲で攻めいたとする久石の意気込みの結果だった。演奏はアレクサンダー・バラネスク率いるバラネスク・カルテットが担当したが、同カルテットと久石は既に懇意の仲で、撮影を控えた2000年5月にリリースされたオリジナル・アルバム「Shoot The Violist」(ポリドール)でも共演を果たしている。同アルバムでは久石が過去に手掛けた『ふたり』『キッズ・リターン』『菊次郎の夏』などの主題曲が演奏&収録されており、同じく『となりのトトロ』『キッズ・リターン』『HANA-BI』がドサ回りの場面で演奏される映画本編のバージョンと比べても興味深いだろう。

また、俳優たちは撮影前に用意された曲を個々に練習しなければならなかった。主演の袴田吉彦は4ヶ月に及ぶヴァイオリンの訓練に追われ、さらにコンクールのシーンで演奏する主題曲の難しさにも悲鳴を上げた。「この映画の苦労なら2時間は平気で話せる」とは演奏シーンを撮影中の彼から漏れた言葉。一方、大介役の大森南朋は「撮影前の1ヶ月の準備が助かってます。現場も居心地がいいです」と、終始明るい笑顔だった。

 

久石監督が熱望したカメラマン

1年以上をかけたシナリオ作業を受けて、いよいよ撮影の準備を始めた久石が熱望したのが阪本善尚カメラマンの起用だった。両者は大林宣彦監督の『はるか、ノスタルジィ』の現場で出会い、その後同監督の『水の旅人』でさらなる交友を深めた。「現場が好きな作曲家だと思った」とは『はるか、ノスタルジィ』小樽ロケでの出会いを振り返っての阪本カメラマンの言葉。久石の初監督ぶりには「最初の一週間は戸惑いがあったかもしれないけれど、以降はもう他の監督と同じですよ。ズバズバ御意見をおっしゃる。音楽家らしい独特のリズムがありますね。特に”音楽とはアクションです”という言葉が印象に残っています。オーソドックスなタイプだけれど、ものすごい量を撮ってますね。イメージもはっきりされているし。僕もMDを買って音楽の勉強をしました。やはり一芸に秀でている人は違うと思いました」とのこと。絶妙のコラボレーションは作品を見ての通りだ。

 

映画と音楽の究極の関係を実現

久石譲は今回の監督挑戦にあたり、あくまで”映画音楽家・久石譲”として演出に臨むことを広言していた。つまり、これを契機に今後、監督業を定期的にこなしていくのではなく、映画音楽の仕事を極めていくための経験の一つとしての監督挑戦だと言うのだ。これまで宮崎駿、北野武などの有名監督との仕事を通じて知った映画や映画音楽の世界を、自身がどれだけ自分のものにしたかという検証が一つ。そして映画音楽を手掛ける者が映画監督を試みるときにできることへの挑戦が一つである。特に後者については本格的な”音楽映画”を作ることが第一の目的だった。音楽への理解が足りないために半端な音楽挿入、幼稚な演奏描写などに終わっていることが多かった過去の作品に対する答えを自分なりに出そうとしたのだ。その結果、音楽が台詞となった『カルテット』では、幸福でリアルな映画と音楽の究極の関係が誕生したと言っても過言ではない。音楽が映像に、映像が音楽にそれぞれ新たな命を吹き込んだのだ。久石は言う、「後悔はありません」と。

 

総額数億円の小道具と『二人羽織』、『合わせ鏡』

この映画のもう一つの主役は「楽器」。楽器は「小道具」でもあるが、この映画ではとても重要な役割を担っている。プロ・レベルの楽器をぜひ撮影に!という久石の要望は、日本の弦楽器業界ではナンセンスな話で、楽器探しも非常に困難を極めた。が、とある楽器商が今作品の企画意図を理解し、「本格的な音楽映画であるならば中途半端なものはお貸しできない」と、1700年代イタリア、及びフランス製のオールド楽器を惜しみなく提供。これらの銘器を使っての演奏シーンは、まさに今作品のメイン。ではなぜ、久石はこれらの銘器を必要としたのか。久石曰く「やはり本物の楽器は色、(木目の)模様、スタイル、どれをとっても素晴らしく、撮影していてもとても美しい。それと、これらの楽器を使って演じる役者達が楽器をとても大切に扱います。このことは演技においても、非常に良い影響を彼らに与えています。」俳優はクランクインまでの間、時価数千万円の楽器を手にプロの演奏家から個別にトレーニングを受ける。そして、撮影では監督考案による様々な撮影技法が駆使された。その中に『二人羽織』と『合わせ鏡』と呼ばれるものがある。『二人羽織』は演奏シーン中、顔の表情のアップの撮影の際使用された方法で、これは実際に演奏できるプロの演奏家が役者の背後(もしくは下方)から左手のみを差し出して楽器を演奏し、表情、及び右手の弓の演奏は俳優が演じる、というもの。また『合わせ鏡』は、実際に演奏している演奏家の動きを俳優が演じやすいように、撮影中の役者の対面でプロの演奏家が同時に演奏し、役者はその演奏家を見ながら演じる、という方法だ。これらあらゆる撮影技法によって、よりリアルで迫真のシーンが撮影された。

(映画「Quartet カルテット」劇場用パンフレット より)

 

その他、パンフレットでは、映画主要キャストによるインタビュー等も掲載。
袴田吉彦 / 桜井幸子 / 大森南朋 / 久木田薫

 

久石譲 カルテット パンフレット

 

Blog. 次のステージを展開する久石譲 -2013年からの傾向と対策- 3

Posted on 2016/06/04

久しぶりにテーマを掲げて進めています。

ここまでは下記よりご参照いただき、そのままつづけます。

Blog. 次のステージを展開する久石譲 -2013年からの傾向と対策- 1

Blog. 次のステージを展開する久石譲 -2013年からの傾向と対策- 2

 

 

6.交響曲を完成させる時期(とき)がきた (WDO2016初演予定)

いつかは作曲家としてしっかりとした交響曲を書きたい、と過去語っていた久石譲。2013年以降その作曲活動スタンスをクラシックに戻すことで、今まさに交響曲を完成させる時期がきた、ということでしょうか。ここ数年間はそこへもっていくためのストレッチ、ウォーミングアップ期間だったという見方もできてきます。

『Sonfonia for Chamber Orchestra』(2009)の発表時、「副題として”クラシカル・ミニマル・シンフォニー”とつけたいくらいなのだが、それは、クラシック音楽が持っている三和音などの古典的な要素をきちんと取り入れてミニマル・ミュージックの作品にしたかった」とも語っていました。このことは【3.クラシック方法論による作風が、新たな一面を引き出す】項での考察とも整合性がでてきます。たとえば『Sonfonia for Chamber Orchestra』は全3楽章ではありますが、全楽章ともミニマル・ミュージックが基調となっており、急・緩・急の手法をとっていません。当時久石譲が”クラシカル”や”交響曲”と銘打たなかった、自身の明確な線引きが見え隠れしてきます。

ということは…?

クラシックの方法論により、多楽章(全3楽章:急・緩・急 もしくは全4楽章:急・緩・舞曲・急など)で構成された作品であり、古典的な要素もしっかり盛り込んだ正統的な交響曲。作品コンセプトとして「3和音」など楽典的要素をすえて第1主題・第2主題・提示部・展開部・再現部などと構成され、”East Land”(作品名)という世界観が築きあげられた作品。従来の壮大なシンフォニーからより進化した、立体的な響きを求める楽器編成や管弦楽法(オーケストレーション)によって、大編成フルオーケストラでありながらシャープでソリッドな「現代の音楽」を高らかに鳴り響かせる、新境地久石譲の記念碑的作品である、かもしれませんね。

 

「久石譲 近年におけるアンサンブル・オーケストラ主要作品」リストにも紹介されていたとおり、『交響曲第1番 (第1楽章)』という作品が2011年一度だけ披露されています。第1楽章のみの未完作品のまま現在にいたります。この当時、「当初、全3楽章20-25分ほどの曲を考えていたが、第3楽章のスケッチに入った途端、第4楽章まで必要と感じ」(第1楽章のみの演奏となる)と久石譲が語っている記録があります。私個人は、この作品は未聴のため多くを語ることはできません。ただ、”披露された第1楽章はミニマル要素を取り入れた変拍子で構成され、パーカッションも鳴り響く大編成の作品”、と演奏会に行かれた方のレビューを参考までに。

さてその答えは?

本来であれば、この未完交響曲を完成させたもの、それが『交響曲第1番「East Land」』と推測するのが順当だとは思います。でも、でも、もしかすると…。未完交響曲の着想は2011年、それをベースに再構築することはもちろん想定できるのですが、2013年以降大きな方向性の転換とその結実ぶりからみたときに。上の”クラシックの方法論により~”箇所で書いたような、再度ゼロベースでスタートし、新たな着想点から作品をつくるのかもしれない、そんなもうひとつの可能性も感じてはいます。こればかりは何が起こってもおかしくない、いかなる完成版であっても純粋に楽しみです。

「East Land」、もしこのキーワードが”世界の極東、日本”(※)を意味するならば。「久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ2016」のコンサート・テーマは「再生」。同2014「鎮魂」、同2015「祈り」から、前を向いて踏み出すとき。その一歩を私たちが生活する日本から、私たち一人一人から。「もののけ姫」が交響作品化第2弾として選ばれたことも、トータル・コンセプトとしてまた必然、なのかもしれません。

(※)
ひとつの推測です。一般的に「極東」をさす英語は「Far East」です。この場合ロシアや中国、もしくはその東側地域や日本も含めたヨーロッパからみた世界の極東を意味することが多いようです。「East Land」とは、より範囲を限定することでの”極東の島国=日本”という連想になるのではないか、という勝手な推測ですので、ご了承ください。

 

「演奏会において古典クラシック音楽と自作を並べることの大変さ苦しさ」という表現で近年よく語る久石譲。ベートーヴェン:『交響曲第9番〈合唱付き〉』と久石譲:『Orbis for Chorus, Organ and Orchestra』、ドヴォルザーク:『交響曲第9番「新世界より」』と久石譲:『Sinfonia for Chamber Orchestra』。このように近年の久石譲コンサートでは、古典と自作を同一演奏会で並べるプログラムが多く見られます。そしてこれから先、次のステージとして古典交響曲に自作交響曲を並べる、そんな日がくるのかもしれません。もっとその先には、久石譲が「現代の音楽」としてアルヴォ・ペルトやジョン・アダムズの交響作品を演奏するように、国内外の指揮者や楽団が、久石譲の交響曲と古典交響曲を並列して演奏する、そんな日もまた訪れるのかもしれません。

 

7.シブリ交響作品化にも影響を及ぼすのか

この答えはNOでありYESだと思っています。それはスタジオジブリ作品がそもそもそれだけで確固たる世界観を表現しているからです。本編音楽やサウンドトラック盤から再構築されたとして、いずれの作品もコンセプトも骨格もはっきりしています。大改訂することよりもオリジナルを継承したスケールアップ、オーケストラ編成をベースにした交響作品としての「交響詩」や「交響組曲」という手法をとるのだろうと思います。

『Symphonic Poem “NAUSICCÄ” 2015』は、『交響詩ナウシカ』(2007)を壮大にスケールアップしたもの。そのなかでも特筆すべきは「巨神兵」パートが新たに組み込まれたことです。ナウシカのもつ”光”に、巨神兵の”影”を持ち込むことであらゆる表裏一体の真理、その世界観は大きく深みをましています。オーケストレーションにおいても、弦楽合奏・コーラス編成ともに不協和音を堂々と響かせたこのパートは、近年の久石譲が色濃く反映されているとも感じます。

今年「久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ2016」コンサート・ツアーにて、第2弾として初演予定の『交響組曲「Princess Mononoke」』においても、『交響組曲 もののけ姫』(1998)がベースにあります。全八章約50分に及んだ交響組曲を、どのように再構築するのか。近年のオーケストレーション傾向からみたときには、「レクイエム」や「黄泉の世界」のパートがもし盛り込まれるならば、おそらく新しい響きをつくるのではないかという大きな期待を膨らませています。

久石譲の匠技がフルスペックで発揮されるのは、「千と千尋の神隠し」あたりではないか、と想像するだけでもワクワクします。しますが、スタジオジブリ交響作品化シリーズとしては、限りなくクライマックスに近い位置づけではないかなとも思っています。スタジオジブリ長編映画×久石譲音楽全11作品、何年かかって完結するのでしょうか。ボーナス・イヤー、ドリーム・イヤーとかないかな!?なんて。そんな乱れた心は置いておいて、この交響作品化シリーズを同時代性においてリアルタイムに享受し、聴き喜ぶことができる私たちは、過去人にも未来人にもない幸せな特権ですね。

 

8.まとめ ~すべてはこの作品が大きな布石だった~

1.宮崎駿監督長編引退(2013)が与えた影響と分岐点
2.エンターテインメントの制約がなくなったときに、自ら創り出す制約=作品コンセプト
3.クラシック方法論による作風が、新たな一面を引き出す
4.「ミュージック・フューチャー」シリーズと「アメリカ」が与えた影響
5.大衆性と芸術性がクロスオーバー、象徴する2作品
6.交響曲を完成させる時期(とき)がきた (WDO2016初演予定)
7.シブリ交響作品化にも影響を及ぼすのか

これらの考察点をもとに、テーマ・レポートを進めてきました。その流れのなかで俄然存在感を主張しだしたのが、あるひとつの作品です。『Single Track Music 1』、「バンド維新2014」に委嘱された吹奏楽作品です。映画「風立ちぬ」「かぐや姫の物語」(2013)の音楽制作を終えて、おそらく最初に書き下ろされたオリジナル作品になるのではないか、と思います。

この作品コンセプトは「単旋律のユニゾン」ということで、従来のミニマル・ミュージックとも少し異なる、今振り返れば新しい作風の第一歩だったのではないかという気がしてきます。”これからはクラシックをベースに、新しいことをやっていくよ”という名刺代わりな一曲、決意表明のようなものだったのではないかと。吹奏楽作品として書き上げたあと、早いタイミングで自身のオリジナル・ソロアルバム「ミニマリズム2」に収録。さらには作品のもつテーマやコンセプトをより明確に具現化すべく、[サクソフォン四重奏と打楽器版]というアンサンブル編成で再構築。その後の作品群へと派生する大きな布石だったのではないかと思えてきます。時間軸を俯瞰した流れで、あらためてしっかり聴いてみると、おもしろい作品だなと印象が変わってくるから不思議です。

 

コンサート・パンフレットに紹介されていたオリジナル作品リスト。そこに『Untitled Music』と『三井ホームCM音楽』を補足追加し、2013年以降に書き下ろされた新作および新楽章を赤太字・下線に、過去作からの改訂や楽章改訂などの再構築を青太字にしてみます。(原典は1.をご参照ください)

 

久石譲 近年におけるアンサンブル・オーケストラ主要作品

  • DA・MA・SHI・絵
  • Links
  • MKWAJU 1981-2009 for Orchestra
  • Divertimento for string orchestra
  • Sinfonia for Chamber Orchestra
    1.Pulsation / 2.Fugue / 3. Divertimento
  • 弦楽オーケストラのための《螺旋》
  • 5th Dimension
  • 交響曲第1番 (第1楽章)
  • Shaking Anxiety and Dreamy Globe
    [2台ギター版] [2台マリンバ版]

——————————————————— composed after 2013

  • Single Track Music 1
    [吹奏楽版] [サクソフォン四重奏と打楽器版]
  • String Quartet No.1
    1.Encounter / 2.Phosphorescent Sea / 3. Metamorphosis / 4.Other World
  • Winter Garden for Violin and Orchestra
    第1楽章 / 第2楽章 / 第3楽章
  • 祈りのうた ~Homage to Henryk Górecki~
  • The End of the World for Vocalists and Orchestra
    1.Collapse / 2.Grace of the St.Paul / 3.D.e.a.d / 4.Beyond the World
  • 室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra
    第1楽章 / 第2楽章 / 第3楽章
  • (Untitled Music)
  • コントラバス協奏曲
    第1楽章 Largo – Con brio / 第2楽章 Comodo / 第3楽章 Con brio
  • Orbis for Chorus, Organ and Orchestra
    1.Orbis ~環 / 2.Dum fāta sinunt ~運命が許す間は / 3.Mundus et Victoria ~世界と勝利
  • (三井ホームCM音楽)
  • 「TRI-AD」 for Large Orchestra
  • 交響曲第1番「East Land」
  • 祈りのうた II

 

・・・?

・・・!!!

そうか!そういうことだったのか!頭の中で、作品リストがパズルのように交錯し、違う形(配置)を描き出しました。

と冒頭に書いたそのパズルと配置とは、上のようなリストの見方です。『Single Track Music 1』を起点として1本の線を引きます。そしてそのカテゴライズのなかから、”書き下ろし””改訂””再構築”などをすみ分けしていったイメージが上の色塗りになります。気が早くも、今年の夏初演予定の『交響曲第1番「East Land」』『祈りのうた II』をリストに含めていますが、次のステージを展開している新境地の久石譲作品として、同種赤太文字・下線作品群の延長線・発展系にあるだろうことは、大きく外れていないと思います。

 

 

結びにかえて。

現在進行形の久石譲ファンであることを自負していました。過去の久石譲作品も、特別な思い入れのある作品も数多くあります。そして同じように今の久石譲音楽を好きでいる自分もいます。そう言ってきたのに、「あれ、なんか違う」「過去のああいう作品を期待していた」と、直近オリジナル作品にはどこかそういった思いやズレがあったのかもしれません、無意識に。だから素直に聴けていなかった、無心で初対面できていなかった、結果受け止められなかったんだろうと。『「TRI-AD」 for Large Orchestra』を聴いたときの、なにかひっかかる違和感を持ってしまったのはここに起因します。

2013年以降の初演や改訂初演という時系列で見た場合に、『The End of the World for Vocalists and Orchestra』『Orbis for Chorus, Organ and Orchestra』のようなオリジナル版から昇華された完全版がある一方で、『コントラバス協奏曲』『「TRI-AD」 for Large Orchestra』のような明らかに作風・着想点・コンセプトの異なる新作も混在し初演披露されてきました。だから自分の頭と心のなかで、予測する新作・期待する新作の照準が絞れていなかった。「ヤバイ!自分の感覚が過去にひっぱられていた。もう久石譲は次のステージを展開しているんだ、ついていけてなかったんだ!」という閃光が走ったわけです。コンサート・パンフレットに感謝。

 

変わってしまった、とそっぽを向くのは簡単です。でも、わかりたい気持ちのほうが強い。いつも無条件に手放しで何を出されても受けいれますよ、とはならないかもしれません。一方で自分の無知や固執のせいで、見えてない部分があるんだったら、というのがこのテーマで書こうと思ったきっかけです。

『交響曲第1番「East Land」』も、今回のテーマ・レポートをしっかりと頭と心で整理することで、どんなものが飛び出してくるのか、期待と楽しみでいっぱいになります。たとえそれが素人にはいくぶん難解であったとしても、「おもしろい!」と思える自分でありたい。事実、近年の作品群をあらためて聴く・考える・書くを繰り返した一連の作業は、それぞれの作品に新たな発見と愛着を感じることができました。そうやってまた自分のなかでの久石譲音楽が豊かになったことは喜びです。

答えは久石譲ご本人にしかわかりません。それでも「こうかもしれない」とわかろうとすることも、聴衆や観客としてとても大切なことだと思っています。もし久石譲のファンでありつづけたいならば、自分もまた学びつづけなければいけない。いろいろなものに触れて、久石譲だけではないクラシック音楽や現代音楽にも耳を傾けることで、俯瞰して久石譲という作家性が見えてくる。海外で生活してみて、はじめて心に刻まれる日本への想い誇り、と同じ感覚でしょうか。だから、ファンとして視野や思考がガラパゴスになってしまったらだめですね、と言い聞かせ。主観全開ではありますが、言葉にすることの重みも感じながらの全力投球でした。書き記すことに意義があり、稚拙でも今の自分を出し切ることで、ひとつの通過点としたい。

このテーマは、一個人の解釈であり、わかろうする過程です。

 

わかろうとするからこそのPS.

『Untitled Music』『コントラバス協奏曲』はTV放送音源。『The End of the World for Vocalists and Orchestra』もTV放送音源でしたが、このたび7/13CD発売でひと安心。本来であれば『Winter Garden for Violin and Orchestra』『室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra』『Orbis for Chorus, Organ and Orchestra』もしっかりと考察の素材としたかったのですが、未発売音源。『「TRI-AD」 for Large Orchestra』は「読響シンフォニックライブ」(8月放送予定)にて、フルサイズ・プログラムとなりますよう、どうかよろしくお願いします!

 

テーマに興味を持っていただいた人へ

今回まとめるにあたって、2013年くらいからを振り返り紐解いた当サイト内での資料ページです。今読み返すと興味深い久石譲の言葉、伏線として現在の活動につながっているインタビュー、私がコンサートやCD作品で感じた感覚へのタイムスリップ、さまざまな点と線が見てとれます。

 

 

 

久石譲 傾向 論文

 

Blog. 次のステージを展開する久石譲 -2013年からの傾向と対策- 2

Posted on 2016/05/31

久しぶりにテーマを掲げて進めています。

ここまでは下記よりご参照いただき、そのままつづけます。

Blog. 次のステージを展開する久石譲 -2013年からの傾向と対策- 1

 

 

4.「ミュージック・フューチャー」シリーズと「アメリカ」が与えた影響

『The End of the World for Vocalists and Orchestra』(WDO2015版)を聴いたときに、明らかに『The End of the World』(2009「ミニマリズム」収録版)とは違う空気感を感じていました。とても霧がかったアメリカ、ニューヨーク・マンハッタンを連想させる…写真でいうと高層ビルのそびえ立つ洗練された街、でもそれはモノクロの世界。

なにがアメリカを連想させるんだろう?

2014年から新しいコンサート企画として始動した「ミュージック・フューチャー・シリーズ」。とりわけ2015年のVol.2ではアメリカをテーマに据え、アメリカ作曲家の作品や、自身の新作を披露。なにがアメリカらしさを連想させるんだろう、とこのあたりの作品からずっと考えていました。もちろん曲想でいえば『The End of The World for Vocalists and Orchestra』も『コントラバス協奏曲』も楽章のなかにジャズ・エッセンスを盛り込んだセクションはありますし、『室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra』ではサクソフォンが前面に出ていたようには思います。

でも、果たしてそれだけだろうか?

……

やっと微かな小さな糸口のひとつを見つけました。楽器編成とオーケストレーションの変化です。

 

管楽器

木管楽器では従来以上に高音域パートのフルートやピッコロが特徴的に使われています。さらにその奏法が強く息を吹きかける、とてもシャープな響きになっているのではないか。金管楽器では、あまり従来の久石譲作品には見られなかったミュートを使用した奏法が増えたのではないか。ミュートとはカップやフタのようなものをラッパの部分にかぶせるものです。それによってとても乾いた音、乾燥した響きになります。管楽器でミュートを使用した場合、ジャズにおける奏法でも定番ですので、ジャズエイジ、アメリカという連想ゲームを音からするからかもしれません。そうでなくてもぐっと現代的な響きにはなります。

 

パーカッション

これまでも久石譲のオリジナル性の強みとして、様々なパーカッションが作品を彩ってきました。その多くはオーケストラ・パーカッションだけではなく、ラテン系などの民族楽器パーカッションを散りばめ、エスニックなエッセンスや、隠し味となってきました。

ところが、直近の作風では、これらの特殊楽器よりも、オーソドックスなドラムセットを使用している場合が多くみられます。バスドラム・スネアドラム・シンバルというセットです。またスネアやシンバルもスティックで叩くだけでなく、ブラシを使った奏法もあるため、これまたジャズにも共通するのですが、アメリカらしくも聴こえてきます。

どの作品がどれにあたるかは線引きが難しいのですが、総して『室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra』『コントラバス協奏曲』『「TRI-AD」 for Large Orchestra』などで強く印象を受けます。

 

このひとつの糸口をつかんで、あらためて『The End of the World』(2009「ミニマリズム」収録版)と『The End of the World for Vocalists and Orchestra』(WDO2015版)を聴き比べていきました。

WDO2015版第2楽章の2:00くらいから、ミニマリズム版ではマリンバなどのアクセントが奏でられたいた箇所に、木管楽器のピッコロ系が一層追加されています。そしてそのあとに、新たに書き加えられたサクソフォン・セクションへと流れていきます。サックスを使用することでアメリカ感がますことは久石譲の過去インタビューにもあったような気がします。もちろんこの第2楽章は展開するにつれ、ジャズ風セクションに入っていくわけですが、それだけではないアメリカへの色濃い変化。それがフルートよりも高音域のピッコロとその強く息を吹きかける奏法、サックス・セクションにあったのではないか、と思い始めました。

WDO2015版第4楽章の1:00くらいから、合唱セクションに入りますが、そこでもミニマリズム版にはなかった(後半には出てきますが)、ピッコロのアクセントが非常に印象的に配置されています。また第4楽章では、パーカッションにも変化がみられます。トライアングルが編成され、ティンパニ、ドラ、シンバルも従来以上に随所に緊迫感をもって響きます。これによりミニマリズム版にあったシンフォニックな響きから、より立体的な響きへと作品全体が進化したのではないか。

トライアングルはWDO2015版第4楽章2:00以降の合唱パートにはほぼ入っていますので、聴き比べやすいと思います。ミニマリズム版にも編成されているかもしれませんが、聴きとりにくく。いずれにせよ、従来よりも前面に打ち出されていることはたしかです。

フルオーケストラとしての音の厚みや塊から一歩進めて、効果的な楽器編成とオーケストレーションによって、おうとつ感や遠近の距離感、つまり立体的かつよりくっきりとシャープな輪郭になったのではないか。その一役を担っているのが管楽器の奏法やパーカッションではないのか、という見解になりました。

 

楽器や奏法からくる響きだけで「だからアメリカだ」「古典とは違う現代の響きだ」というのは、いささか安直なのはわかっています。もちろんほかにも見えていない部分が多く潜んでいるはずです。それでもこれまで自分の中で解消することのできなかった、糸口のひとつにはなったような気がしています。

「久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ2015」コンサート・レポートにおいて、あの『交響詩ナウシカ2015』の初演をさしおいて、『The end of the World for Vocalists and Orchestra』について、「個人的には本公演で一番震えた作品です」なんて書いていたのですが、そのときに感覚的・直感的に印象に強く刻まれたことが、ここにきて直近の作品群から逆流することで、やっとひとつのとっかかりを見つけることができた、のかもしれないと思うと少しうれしくなります。

 

作品群を上から下から逆流ついでに。

 

「ミュージック・フューチャー」+「アメリカ」=『コントラバス協奏曲』

これまでの考察4.をもとに、もうひとつ明確に浮かびあがってきました。「ミュージック・フューチャー」コンサートは、室内オーケストラや室内アンサンブルにこだわっていて、いわば小編成です。そのアンサンブルへのこだわりが結実したのが「ミニマリズム2」(2015)というCD作品で、収録曲の多くは同コンサート企画にて披露されています。

もう一度『コントラバス協奏曲』をじっくり聴いていきました。するとそこには管楽器や打楽器・パーカッションの奏法にみられる同じような響きが随所にありました。ピッコロ、シロフォン、グロッケンシュピールなど。

『コントラバス協奏曲』ってアンサンブル?

コントラバスを主役に据えるということは実はものすごく挑戦的なことなのかもしれない、と。それは音域の狭いうえに低音域であり、なかなか前面には出にくい響き、つまり埋もれてしまいやすい。同じ弦楽であるヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、これらの弦楽合奏を悠々と音厚で奏でようものなら、コントラバスは主張できたとして低音域の音厚。でもソリストとしての独奏となった場合は、厚みでは負けてしまい、ゆえにピッツィカートが効果を発揮するのかも、など。

この作品で久石譲が巧みにオーケストレーションしているのは、弦楽合奏にかえて管楽器・打楽器・パーカッションを各々の楽器の特性を活かし、色とりどりに配置していることです。全体としては音の塊として厚くしすぎることなく、余白のある音楽、輪郭のくっきりとしたそぎ落とした構成ができあがります。さらに薄くならない、単調にならない、間延びしないよう、絶妙にオーケストレーションされているのが各種管楽器・打楽器・パーカッション。そこにコントラバスを主役として迎えているわけです。

とりわけ管楽器+パーカッション、打楽器+パーカッションという旋律を数多く聴くことができます。パーカッションがリズムを刻んだり、拍子を打つ役割だけでなく、管楽器や打楽器と同じフレーズで重ねられているということです。音程のある管楽器群や打楽器群で音に厚みをもたせるところから、基本的には音程のないパーカッションを重ねることで”薄くならない””単調にならない”という、広がりのある色彩豊かな展開を実現しています。編成されているパーカッションの種類も豊富なうえに、同じ楽器でも奏法バリエーション豊かで聴くたびに新たな発見があります。これを一寸狂わぬ演奏で、しかもレコーディングではない一発勝負の公開収録コンサートで、見事に表現している読売日本交響楽団の技術力の高さに、あらためて唸らされます。

従来の壮大なシンフォニーではなく、この手法はまさにアンサンブル的です。「ミュージック・フューチャー」でアンサンブルを進化させ、さらに新しいオーケストレーションを構築するようになったからこそできた作品、それが『コントラバス協奏曲』だったのかもしれません。この『コントラバス協奏曲』で「アメリカ」と形容したのは、『The End of the World for Vocalists and Orchestra』でのアメリカとは少し異なり、ポスト・クラシカル、ポスト・ミニマルの最先端を進めている「アメリカ発信現代の音楽」と共鳴している位置づけにある、という趣旨です。とても気に入っている作品です。

よし!今回は木管楽器(フルート、ピッコロ、オーボエ、クラリネット、ファゴット、コントラファゴットほか)に意識を集中させて聴いてみよう、次は金管楽器(ホルン、トランペット、テナートロンボーン、バストロンボーン)に、次は打楽器(マリンバ、ビブラフォン、グロッケンシュピール、シロフォンほか)に、次はいつもよりも奥に名脇役に徹しているピアノ、チェレスタ、ハープは? パーカッション(ドラムセット、カウベル、ウッドブロック、大太鼓、クラベス、トライアングルほか)だけを追っていても、おもちゃ箱のようにいろんなところから飛びこんでくる! そんな発見ができると思います。

 

古典から現代へ

久石譲がクラシックを軸にした作曲活動をするということは、クラシックの方法論にのっとることに他なりません。でも古典からの風習をただなぞるということはしていない。守破離です。「今発信したい音楽」「現代の音楽」として創作するにあたって、古典にはない奏法・楽器編成・管弦楽法(オーケストレーション)を随所に盛り込むことにより、ガラパゴスでもないグローバル・スタンダードとなりうる「現代の音楽」を響かせているのではないか。そしてそれはアンサンブル作品・オーケストラ作品、編成をも越えて進化しつづけている、という着地点になりました。

管弦楽の高音域~低音域という音の高低差、楽器編成と楽器配置による音の広がり、ここまでを仮に二次元の壮大なシンフォニーとしたときに。奏法・パーカッションなどをアクセントとした残響や奥行きの演出、三次元な立体的響きへの昇華。その音空間は、密集しすぎることなく風がよく通る、輪郭のくっきりとした音像パノラマ。決してそんな表現が大袈裟ではないと感じる、新境地を開拓した久石譲発信「現代の音楽」が、今私たちに響き届いているのかもしれません。

 

5.大衆性と芸術性がクロスオーバー、象徴する2作品

今回テーマとして取り上げている「久石譲 近年におけるアンサンブル・オーケストラ主要作品」。ひとつ不思議に思ったのが、そのなかに『Untitled Music』が含まれていなかったことです。TV番組「題名のない音楽会」新テーマ曲として2015年に書き下ろされた作品です。

たしかにTVテーマ曲になりますので、エンターテインメント音楽(大衆性)の位置づけになるのかもしれません。それにしては芸術性としても秀逸な作品で、オリジナル作品と一緒にラインナップされてもいいのでは、と思うほどです。

『Untitled Music』では五嶋龍というヴァイオリンの名手をソリストに迎えて、まさにヴァイオリンの表現の可能性を凝縮したような作品です。これまでの考察をベースにするならば、グロッケンシュピール(鉄琴の種)やトライアングルを巧みにブレンドすることにより、とてもキラキラと輝いた印象を受けますし、フルートやピッコロをふくめたこれらの高音域との対比として、金管楽器をファンファーレ的に配置(ミュート奏法ではない)しています。全体構成・楽器編成として格調高い華やかさがあり、ヴァイオリンの音域をとてもうまく浮き立たせていると、個人的には感じます。また『コントラバス協奏曲』と同じように、緻密でありながら余白のある音楽、主役を際立たせる巧みなオーケストレーションです。

 

もうひとつが2016年一番新しいCM音楽として発表された『三井ホームCM音楽』。ソリッドに研ぎ澄まされたミニマル・ミュージック全開で、CM音楽におけるインパクトとしては抜群ですが、キャッチーさを求めるならば真逆な作品といえます。

最初聴いたときに「えらく(ミニマルサイドに)振り切った作品だな」とびっくりしたのを覚えています。ただ、これまた考察をもとにすると違う発見があります。マリンバ・ピアノのミニマル伴奏にコーラスが旋律として構成されたこの作品。随所にピッコロとグロッケンシュピールによる装飾が出てくると思います。そしてピッコロはとてもシャープな強く息を吹きかける奏法になっています。

…これがなかったとしたときに?

ミニマル・ミュージックの躍動感は維持されますが、一見すごく耳あたりのいいサウンドともなります。心地よいグルーヴ感と優美なコーラス・メロディ。本来ならば、これだけのミニマル音楽がテレビから流れてきただけでもひっかかりは強いですね。普段聴き慣れない音楽としてインパクト充分です。がしかし、やはりあの高音域装飾(ピッコロ・グロッケン)が、強烈すぎるアクセントになっている。あのフレースがあった時点で、久石譲の勝ちだな、と思ってしまうくらいの凄み。

従来の久石譲アンサンブル手法からだった場合、おそらくあのパートはピアノ、サックス、ハープなどの楽器で別の装飾モチーフとして奏でられていた、かもしれません。それが、今の久石譲の手にかかるとあの完成形となるわけです。ない場合、従来手法の場合、そしてお茶の間に響いた楽曲。イメージするだけでも響きの違いは雲泥の差。15秒・30秒の音楽を聴いて、久石譲という作曲家の感性と論理性をまざまざと魅せつけられた思いです。

もっとマニアックな見解をさせてください。

弦楽器や管楽器は持続音です。弾いている・吹いている間、一定の音が鳴り続けます。一方で、ピアノやマリンバ・シロフォン(木琴の種)・グロッケンシュピール(鉄琴の種)などは減衰音です。叩いたときに音が発せられそのあとは減衰していきます。

さて、ここで減衰音のグロッケンと、持続音のピッコロをブレンドして編成する。かつピッコロの奏法を息を強く吹きかける、つまりは音の立ち上がりを強くすることで、フッと息をするようにシャープになり減衰音と同じような音の減衰を期待できます。そうすることで、メロディという主旋律の邪魔をすることなく、もちろんナレーションやセリフの邪魔をすることもなく、かつ瞬間的に強烈なインパクトを印象づけることができる。ほんと久石譲という人が末恐ろしくなってくる数十秒間です。

一連のピッコロ、シロフォン、グロッケンシュピール、トライアングルという高音域楽器をブレンドした妙技は、『コントラバス協奏曲』でもいかんなく発揮されています。またこのことは、”余白のある音楽・そぎ落とした構成”と表現した同作品にもつながります。持続音を減らすことで音厚になりすぎず、減衰音と同じ効果を期待できるパーカッションをふくめ巧みにオーケストレーションしているからです。

 

この『Untitled Music』と『三井ホームCM音楽』が象徴していること、それは大衆性と芸術性のクロスオーバーにおいて、芸術性が色濃くなってきているということです。これまでの久石譲の中で作曲活動のすみ分けがあるならば、ここまでのオリジナリティをエンターテインメント界において突飛することはなかっただろうと思います。現に『Untitled Music』にいたっては、メインテーマ曲という肩書とはある種程遠く、Aメロ・Bメロ・サビとわかりやすく展開するわけでもなく、さらには変拍子のオンパレードで、いまだに私は拍子が刻めません。

これらの作品を見て思うのは、抑制がきかなくなったということではなく、大衆性の中にうまく芸術性を色濃くすり込ませる、ちょと表現が難しいのですが、「現代の音楽」をコンサートだけではなく、マス媒体を使ってうまくお茶の間に浸透させていく。そんな久石譲の一歩先を見据えているからこその戦略とすら感じるほどです。もちろんいい意味で表現しています。

だからこそエッセンスとして切り取られた数十秒の『三井ホームCM音楽』であり、結晶のように凝縮された約3分半の『Untitled Music』。そして自分のコンテンポラリーな作品は、もっと大きなテーマ性とコンセプトによって構築していく、必然的に演奏時間は長く必要となってくる。次のステージに入ったからこそできる術、それを象徴しているのが現時点ではこの2作品だったような気がしてきます。

 

今回進めた考察4-5.は、連動連鎖しています。考察1-3.での「クラシック手法」や「作品コンセプト」は、作風変化に対する大きな指針であり、それを表現した響きとして具現化されたものが、考察4-5.にあたるのではないか、というつながりになってきます。

2013年以降書き下ろし新作、クラシックへの回帰、作品コンセプト、ミュージック・フューチャー。さまざまな点が大きな線へと絡まり結びつき、螺旋を描きだしてきました。

 

つづく

 

タイムリーなPS.

今回取り上げた作品のうち『コントラバス協奏曲』『Untitled Music』はTV放送音源です。『The End of the World for vocalists and Orchestra』はいよいよ7月13日CD発売されます。『三井ホームCM音楽』は三井ホーム公式サイト内「広告ライブラリー」にて閲覧可能です。『Untitled Music』は、久石譲指揮・新日本フィル・ハーモニー交響楽団演奏で、6月5日TV放送予定です。

 

 

 

久石譲 傾向 論文

 

Blog. 次のステージを展開する久石譲 -2013年からの傾向と対策- 1

Posted on 2016/05/27

久しぶりにテーマを掲げて進めようと思います。

先日5月8日、長野市芸術館グランドオープニング・コンサートが開催されました。そこでお披露目されたのが久石譲書き下ろし新作「TRI-AD」(トライ・アド) for Large Orchestra です。

コンサート・レポートはすでに公開していますが、実は当日会場にてもらうことができたコンサート・パンフレットには、次のような紹介頁がありました。それは、映画音楽やCM音楽ではない、久石譲オリジナル作品をまとめたものです。

 

久石譲 近年におけるアンサンブル・オーケストラ主要作品

DA・MA・SHI・絵
初演:1996年10月14日 Bunkamuraオーチャードホール
演奏:金洪才(指揮)、新日本フィルハーモニー交響楽団

Links
初演:2007年9月9日 東京国際フォーラムC
演奏:久石譲(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団

MKWAJU 1981-2009 for Orchestra
初演:2009年8月15日 ミューザ川崎シンフォニーホール
演奏:久石譲(指揮)、新日本フィルハーモニー交響楽団

Divertimento for string orchestra
初演:2009年5月24日 サントリーホール
演奏:久石譲(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団

Sinfonia for Chamber Orchestra
1.Pulsation / 2.Fugue / 3. Divertimento
初演:2009年8月15日 ミューザ川崎シンフォニーホール
演奏:久石譲(指揮)、新日本フィルハーモニー交響楽団

弦楽オーケストラのための《螺旋》
初演:2010年2月16日 サントリーホール
演奏:久石譲(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団

5th Dimension
初演:2011年4月9日 サントリーホール
演奏:久石譲(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団

交響曲第1番 (第1楽章)
初演:2011年9月7日 サントリーホール
演奏:久石譲(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団

Shaking Anxiety and Dreamy Globe
[2台ギター版]
初演:2012年8月19日 Hakujuホール
演奏:荘村清志、福田進一
[2台マリンバ版]
2014年9月29日 よみうり大手町ホール
演奏:神谷百子、和田光世

Single Track Music 1
[吹奏楽版]
初演:2014年2月22日 アクトシティ浜松 大ホール
演奏:加藤幸太郎(指揮)、浜松市立開成中学校
[サクソフォン四重奏と打楽器版]
初演:2015年9月24日 よみうり大手町ホール
演奏:林田和之、田村真寛、浅見祐衣、荻島良太、和田光世

String Quartet No.1
1.Encounter / 2.Phosphorescent Sea / 3. Metamorphosis / 4.Other World
初演:2014年9月29日 よみうり大手町ホール
演奏:近藤薫、森岡聡、中村洋乃理、向井航

Winter Garden for Violin and Orchestra
初演:2014年12月31日 フェスティバルホール(大阪)
演奏:久石譲(指揮)、岩谷祐之(ソロ・ヴァイオリン)、関西フィルハーモニー管弦楽団

祈りのうた ~Homage to Henryk Górecki~
初演:2015年8月5日 ザ・シンフォニーホール(大阪)
演奏:久石譲(指揮)、新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ

The End of the World for Vocalists and Orchestra
1.Collapse / 2.Grace of the St.Paul / 3.D.e.a.d / 4.Beyond the World
初演:2015年8月5日 ザ・シンフォニーホール(大阪)
演奏:久石譲(指揮)、新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ、高橋淳(カウンターテナー)、W.D.O.特別編成合唱団

室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra
初演:2015年9月24日 よみうり大手町ホール
演奏:久石譲(指揮)、西江辰郎(エレクトリック・ヴァイオリン)、Future Orchestra

コントラバス協奏曲
初演:2015年10月29日 東京芸術劇場
演奏:久石譲(指揮)、石川滋(ソロ・コントラバス)、読売日本交響楽団

Orbis for Chorus, Organ and Orchestra
1.Orbis ~環 / 2.Dum fāta sinunt ~運命が許す間は / 3.Mundus et Victoria ~世界と勝利
初演:2015年12月11日 東京芸術劇場
演奏:久石譲(指揮)、読売日本交響楽団

「TRI-AD」 for Large Orchestra
初演:2016年5月8日 長野市芸術館
演奏:久石譲(指揮)、読売日本交響楽団

(「長野市芸術館グランドオープニング・コンサート」パンフレットより)

 

 

これを眺めるだけでも錚々たる作品群です。スタジオジブリ作品やTV・CM音楽を除いたとしても、これだけの大作たちがすでにそびえ立っているんだと再認識させられたのが第一印象です。もちろん「主要」とあるとおり、これらがすべてではありません。ラインナップを頭の中で整理するとても参考になりました。

「あっ、これはまだCDになってないな」(チクッと)とか、「そうか、この作品はあのコンサートのときか」とか、いろいろな見方ができるのですがひとまず置いておきます。

 

「TRI-AD」 for Large Orchestra を聴いて抱いた違和感

コンサート・レポートでもこの作品の感想は記しませんでした。もちろん消化できていないという理由が大きく、一度聴いただけで中途半端な感想を書いてしまうことで、未聴の方へ先入観を与えてしまうリスクを避けたかったためです。CDやTV/CM音楽であれば、ある程度同じタイミングで聴くことができますので、個人的見解は書きやすいですね。それぞれが聴いた感想も選別しやすい。「あの人はああ言っていたけど、自分はそうは思わない」と。でも、この作品のようにコンサートでしか聴くことができない一期一会な作品、そして次いつ再会できるかわからない作品に対しては、やはりレビューは慎重になります。一個人の解釈が、他の意見にもまれることのないままにひとり歩きしてしまった先には、一見解が一般的見解へと飛躍してしまうリスクが潜在してしまうためです。

・・・?

そんなことが言いたかった?!

コンサートで聴いたあとにずっとひっかかるものがありました。素直に消化できていない自分がいる。手放しにすっきり感動できていない自分がいる。このモヤモヤ、ひっかかっているものはなんだろう、と。そんな思いを数日ひきずったまま、改めてコンサート・パンフレットの上記作品紹介ページに目をおろしました。

・・・?

・・・!!!

そうか!そういうことだったのか!頭の中で、作品リストがパズルのように交錯し、違う形(配置)を描きだしました。

 

「ヤバイ!自分がついていけていなかった」 閃光走る!

このファンサイトでもよく記しますが、久石譲には大衆性(エンターテインメント)と芸術性(アート)の二面性があり、それぞれの制作環境によって作品が生み出されています。前者は映画・TV・CMなど依頼されてつくる音楽であり、後者はオリジナル性を追求する音楽。これまでは7:3くらいの比率で音楽活動をしていたのでしょうか、その分エンターテインメント界で制約をうけたことや葛藤・ストレスが、折に触れ自分の原点を突き詰めたくなるという動機へと掻き立てられ、その結晶が上記オリジナル作品群ということになります。

・・・結論から言ってしまいます!

「2013年以降に書き下ろした新作(および改訂新楽章含む)は、明らかに作風が変わっており、久石譲が次のステージに入った創作活動をしている証です」

 

結論に至った考察点。

1.宮崎駿監督長編引退(2013)が与えた影響と分岐点

2.エンターテインメントの制約がなくなったときに、自ら創り出す制約=作品コンセプト

3.クラシック方法論による作風が、新たな一面を引き出す

4.「ミュージック・フューチャー」シリーズと「アメリカ」が与えた影響

5.大衆性と芸術性がクロスオーバー、象徴する2作品

6.交響曲を完成させる時期(とき)がきた (WDO2016初演予定)

7.シブリ交響作品化にも影響を及ぼすのか

8.まとめ ~すべてはこの作品が大きな布石だった~

 

さて、これらの仮説を立て、順番に検証していこうと思います。

 

1.宮崎駿監督長編引退(2013)が与えた影響と分岐点

映画「風立ちぬ」(2013)を最後に長編映画を引退すると会見した宮崎駿監督。四方八方の推測を抜きにしても、この出来事が久石譲にとって影響を与えていないことはない、という前提で進めます。ちょうど同時期のメディア・インタビュー各種で「自分の本籍をクラシックに戻す」との発言が増えたのもこの時期です。つまりは、4-5年に一度の宮崎駿監督との仕事というサイクルに区切りがついたとき、立ち止まってこれからの方向性を見据えなおした分岐点になったであろう、そのくらい大きく振り子を動かすには十分すぎる出来事だったと思っています。

そしてその方向性とは、自分のベーシックなスタンスをクラシックに戻し、ミニマル・ミュージックという原点を突き詰めた、いやミニマルの発展系であるコンテンポラリーな作品をつくっていく、ということになってきます。

 

2.エンターテインメントの制約がなくなったときに、自ら創り出す制約=作品コンセプト

エンターテインメント音楽が依頼されて作る仕事であることは、過去の久石譲インタビューでも多く語られています。作品ごとの性格・注文・条件が制約となり、その制約のなかで音楽を創作する、というのが久石譲の作曲スタイルです。

これを逆説的に見たときに、オリジナル作品は”自由に創作できる”、つまり制約がないということになります。もちろんここでいう制約とは、いわばルールのようなものですね。このルール・条件で作ってくださいとなるのか、無条件でお好きにどうぞとなるのか。作曲における着想点とも言っていいかもしれません。

これまではエンターテインメント音楽(大衆性)7:オリジナル作品(芸術性)3の割合くらいだったでしょうか、と前述したのもポイントになってきます。2013年以降「クラシックに本籍を戻す」ということは、必然的にオリジナル作品(芸術性)の比率が高くなってきます。

エンターテインメント界で制約をうけたことや葛藤・ストレス、今自分が作りたいもの、折に触れオリジナル作品をつくる動機へと掻き立てられてきた従来の創作活動スタイルが大きくそのバランスを崩します。依頼されて作ることよりも、自らの作品を残すことに比重が傾くわけですから、いつも好き勝手につくっていいでは、おそらく続きません。その都度にテーマ性をもうけること、コンセプトを明確にすること。はたまた点(作品)で終わることのないよう、線(作品群)へと自ら大きな指針や道標をつくる。

「自ら創り出す制約」、それはクラシックの方法論にのっとった「作品コンセプト」ということになるのではないか、という見方です。『コントラバス協奏曲』は「コントラバスの表現の可能性を追求」という明確なコンセプトがあり、『TRI-AD for Large Orchestra』は「3和音でつくる」というコンセプト、『Single Track Music 1』は「単旋律のユニゾン」というコンセプト、『祈りのうた』は「3和音を基調としたホーリー・ミニマリズム」などというように。

結論で述べた「作風が変わった」という表現は、作曲におけるスタート・着想点がそもそも従来と違う、そういうことが言いたかったことです。

長らく商業ベース・エンターテインメント音楽に携わり、一長一短制約の中で作曲活動をしてきた久石譲。「制約があったほうが発想が広がることもある」と過去語っていたように、今度は自ら制約(ルール)をつくることで、自らの創作意欲を掻き立てる、あくなき挑戦の姿勢。そして作曲するとっかかりをクラシックの手法による様々なコンセプトを”お題”とし、おそらくはその先の大きな構想までもすでに描いているのかもとさえ。

そうなったときに、従来よりも情感に訴える旋律は影をひそめ、コンセプトにふさわしい、もしくはコンセプトで進めて八方塞がりにあわない、しっかり発展して出口が見える、作品として着地できる核(メロディ・モチーフ・主題)が必要ということにもなるのかもしれません。

 

3.クラシック方法論による作風が、新たな一面を引き出す

その一

いかなる作曲においても、核が必要となります。メロディーやモチーフです。約1時間にも及ぶ古典クラシック交響曲においても、主題(メロディ・モチーフ)をどう位置づけどう発展させていくか、ということになるんだと思います(専門的知識はありませんので少し濁した言い方になります)。

これを従来の久石譲オリジナル作品でみたときには、基本は同じです。ミニマル・ミュージックでいえば、作品の核は、同じくメロディーやモチーフであり、音型とも言われます。シンプルにズラしたり微細な変化をかけていくのがミニマル・ミュージック。この場合リズムが肝となるそれにおいて、ある種グルーヴ感を失うことなく、作品は構成されてきました。『DA・MA・SHI・絵』『Links』『MKWAJU 1981-2009 for Orchestra』などが典型です。

ただしクラシックという広義での手法となった場合は、やはり主題を発展・再現させていくことが必要になってきます。単一楽章で構成されない多楽章な交響曲・協奏曲などの多くは、急・緩・急、全4楽章構成であれば急・緩・舞曲・急などと構成されます。急は急速楽章、緩は緩徐楽章、舞曲はメヌエットやスケルツォという表現もします。

また循環主題といわれる全楽章にまたがって主題が登場するような交響作品もあります。第1楽章では短調だった主題が、第4楽章では長調となったり、それだけでも主題を発見しずらくなることもありますし、主旋律ではなく内声部に主題を隠している場合や、わざと数小節にまたがってあるパートに主題を担わせ、聴いただけではわからない、スコアを見なければ、ということも出てくるんだろう、と思っています。

クラシックの話はここまでにして、ということは、今までの久石譲の作風にはなかった引き出しが持ち込まれることになります。このことは、一方では”久石譲らしさ”を排除することにもなりかねませんが、一方では”新しい久石譲”を発見することもできるわけです。”らしさ”を癖と表現するならば、自分の癖をおさえて、新しい可能性を探り、新しい表現ができる、ということになります。

これはとんだ失礼な話、『コントラバス協奏曲』を聴いたときに、「あっ、作品が作りやすくなったのかもな」と思ったことがありました。とんだ上から目線ではなく、クラシック方法論、クラシックの方程式に、自らのオリジナル性をブレンドしたときに、今まではやらなかった旋律・展開・オーケストレーションなどが出てきて、作家性に大きな広がりができたのではないか、というとんだ生意気な意見です。

久石譲初期オリジナル作品は単曲として成立していますが、近年のオリジナル作品は、全3楽章など作品の世界観が大きく広がっています。全3楽章構成の作品の多くにおいて、第2楽章は緩徐楽章という見方もできます。ただし、”交響曲”とはうたっていないこともあり、緩徐楽章+リズムセクションを盛り込んだ楽章という独特な世界観を構成しています。『室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra』『コントラバス協奏曲』『Orbis for Chorus, Organ and Orchestra』など。(※室内交響曲は、エレクトリック・ヴァイオリン協奏曲の体であることは本人も語っています)

 

そのニ

古典クラシック音楽において、作曲家が自らの作品やモチーフを違う作品にも使用することはよくあります。気に入っている旋律・メロディを複数の作品で使用する。また過去に一旦の完成をみた作品を新作のなかで新たに再構成する場合もあります。

現代ではあまりなじみがない手法かもしれませんので、やもすると「使い回しですか?手抜きですか?」と思われてしまうかもしれませんが、これは立派な手法のひとつとして古典クラシック音楽にも幾多あります。もっと言えば、作曲家によるこの手法は、オリジナル性やアイデンティティが確立されているからこそできることであり、それだけ強力なカラーをもった作家性だからこそです。

久石譲においては、『The End of the World for Vocalists and Orchestra』における「第3楽章 d.e.a.d」は、『DEAD組曲』(2005)の第2楽章を新たに再構成したものであり、『Orbis for Chorus, Organ and Orchestra』における「第3楽章 Mundus et Victoria ~世界と勝利」は、『Prime of Youth』(2010)を大胆に組み入れて生まれた新作です。

 

その三

クラシックならではの編成や奏法について。ほとんど詳しくなたいめ掘り下げるに及びません。久石譲のオーケストラ編成は古典クラシックに基本的には準じており、作品ごとのアクセントとして独奏楽器や特殊楽器、パーカッションなどがふんだんに盛り込まれています。

また近年の全3楽章作品の多くでは、フィーチャーされた楽器によるカデンツァ風の独奏が終楽章に配置されています。『室内交響曲 for Electric Violin and Chamber Orchestra』『Winter Garden for Violin and Orchestra』『コントラバス協奏曲』など。もちろんこれには作曲家が表現したいことに対して、それを具現化して演奏することのできる優秀なソリストの存在と、信頼関係があってこそです。クラシック作曲家たちが協奏曲をつくる場合の大きな動機となったのは、信頼できる優秀な奏者が近くにいて、その人のために作品を書いたからです。

カデンツァとはソリストが妙技を発揮できるべく挿入される即興的独奏パートです。ここで作品に対する華麗な装飾を披露することで作品全体を豊かにします。カデンツァ風と書いたのは、従来カデンツァはその名のとおり即興だったのですが、古典派以降~現代にいたるまで、その多くは即興ではなくなり、作曲家の意図する譜面があることが増えたためです。ただし奏者によって得意な技法や”らしさ””クセ”はあると思いますので、自由に差し替えれる即興パート部はあるかもしれませんね。

協奏曲はあるひとつの独奏楽器を主役にむかえて構成される作品。そして協奏曲形式だからこそカデンツァが醍醐味となります。久石譲作品において、これからこれらの作品がいろいろなソリストによって奏でられたときに、色彩豊かなカデンツァ・セクションを聴き比べられる日がくるのかもしれません。

 

古典クラシック音楽と同じくオーソドックスな編成による作品が多かったなかで、微細に、でも確実に変化している奏法もあったります。それが次項の「アメリカ」や「現代の音楽」を象徴しているような気がしてならないわけです。

つづく

 

 

 

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