Info. 2023/08/26 孤独と熱意が人間性を育む――米津玄師が宮﨑駿から受け取ったもの(Yahoo!ニュース オリジナル特集より)

Posted on 2023/08/26

孤独と熱意が人間性を育む――米津玄師が宮﨑駿から受け取ったもの

宮﨑駿監督(82)の最新作『君たちはどう生きるか』が公開されると同時に、米津玄師(32)が主題歌を提供していることが明らかになり、話題を呼んだ。幼少期から宮﨑監督やジブリ作品に多大な影響を受け、音楽を作る上での指針でもあったという。宮﨑監督から何を受け取り、これからどう生きていくのか。(取材・文:長瀬千雅/撮影:秦和真/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部/文中敬称略)

 

「面倒くさくないとおもしろくない」

スタジオジブリの「宣伝しない」戦略により、宮﨑駿の最新作に米津玄師が関わることは、映画公開まで伏せられていた。50歳差のコラボレーションは、それ自体がニュースになった。

映画『君たちはどう生きるか』は、公開1カ月で観客動員数400万人を突破。主題歌「地球儀」を書き下ろした米津は、今の心境をこのように吐露する。

「ようやく一安心ですね。たくさんの人が映画を見てくれていると聞いて、自分の役目は終わったのかなという気分になりつつあります」

米津はかねてより宮﨑作品に多大な影響を受けていることを公言していた。二人の時間はどのように交錯したのか。

主題歌のオファーを受けてからの4年間に、米津は何度か、東京都小金井市にあるスタジオジブリを訪れた。

「どのタイミングだったか定かではないんですけど、宮﨑さんがパノラマボックスを作っていて。何枚もの薄いアクリルに絵を描いていって、それをレイヤーとして重ねると立体的に見えてくるという箱なんですけど。ジブリパークに寄贈するために、作品ごとに1箱ずつ作っていたんです。『千と千尋の神隠し』『もののけ姫』『紅の豚』……って。これは大変ですねと投げかけたら、宮﨑さんいわく、昔、子どもの頃に親に連れられて美術館に行く機会があったけれども、手抜きして作られたものは子どもながらに分かったんですよ、だから手を抜けないんですと。ジブリパークができるのであれば、自分が描いたものも必要だろうというぐらいの、軽い気持ちで作り始めたけれども、やってみるとものすごい作業量になってしまって、どんどん沼にはまっていく気がする。だから本当に面倒くさいんです。だけど、面倒くさくないとおもしろくないですからね。そんなふうにおっしゃっていて」

「襟を正されるような感じがしましたね。今はいろんなことが簡易化されているじゃないですか。こと音楽に関しても、サブスクで際限なく聴くことができるし、アルゴリズムで『これどうですか』と提示されもする。自分もそれで音楽を聴くことが常態化してはいるんですけど、思い返してみると、CDを買うにしても、チャリンコぶっ飛ばしてCDショップに行って、この店にはないから次の店行こうみたいな、その体験も含めて音楽の一部だったなって思うんですよね。だから、簡単に済ませるようになっていくと、気づかないうちに大事なことを取りこぼしていくんだろうなという気はします」

 

『もののけ姫』に孤独を突きつけられた

小学1年生で『もののけ姫』を見た。

「言うまでもなくバイオレンスな暴力表現が満載の映画じゃないですか。腕が飛んだり、首が飛んだり、流血表現がある。他にも、病に冒された人たちが出てきたり、ある種、見てはいけないものを見ているんじゃないかみたいな、小学1年生の自分からするとトラウマになってもおかしくない、そういう体験だったんです」

「そういう『なんてものを見てしまったんだ』という感覚ってすごく大事な気がするんですよね。音楽を作る人間の視点として話しますけど、創作意欲の源泉というか、根っこにあるものは、そういうトラウマ的な体験から生まれるものだと思うんです。その衝撃から翻って、自分の輪郭を意識し出すような。今まで見てきたものと何が違うんだろうとか、これに衝撃を受けた自分ってなんなんだろうということを深く考え出す。そうすると、どんどん孤独に苛まれていくんです。それは決して悪い意味ではなく、人間性というものは、そういうところからしか育まれないんじゃないかと思うんですよ。人間性の本質って、孤独と熱意だと思うんです。孤独と熱意があるかどうかで、その人の円熟味が変わってくる。自分にとって『もののけ姫』は、勢いよくガツンと孤独を突きつける、そういう力を持った映画だったと思うし、この映画を見ていなければ今の自分はいないと思います」

漫画版『風の谷のナウシカ』も、米津の孤独を支えた作品の一つだ。

クライマックスの、墓所の主とナウシカの問答の場面。生命と自然をめぐって対立する。生命は光であり、闇をみだらで危険なものとみなす主に対し、ナウシカは「ちがう いのちは闇の中のまたたく光だ!」と応じる。子どもの頃の米津はこの言葉に救われ、その後、音楽を作っていく上での指針となった。

「18歳ぐらいからボーカロイドを通じてわりとたくさんの人に聴いてもらえるようになって、人に聴いてもらうってどういうことなんだろうとか、人に伝わるってどういうことなんだろうと、深く考え込んだ時期があったんです。そういう神経薄弱していた時に、一番の参照元になったのがジブリ映画であり、宮﨑駿という人でした。彼のインタビューが収録された書籍やドキュメンタリーを見ていくうちに、何かここに大切なものが詰まっているんじゃないかという、そういう予感があって、ごく当たり前に、自明なこととして私淑が始まっていった気がします。彼の言葉から叱咤激励を受けたし、かたや映画からは祝福を受け取ってきました」

 

宮﨑監督と自分の共通する点は

だから、主題歌のオファーがあった時は驚愕した。

「なんで自分なんだろう、とは思いましたね。あとになって、宮﨑さんがラジオで『パプリカ』を聴いて、感じるものがあったと。ジブリは保育園を持っていて、そこの子どもたちが歌ったり踊ったりしているのに合わせて、宮﨑さんも口ずさんでいたらしく、それを見たプロデューサーの鈴木(敏夫)さんが、なんでその曲知ってるんですかといって、宮﨑さんと話したのがきっかけになったと聞きました」

オファーから最初の2年は、具体的な曲作りの作業には入らず、絵コンテと向き合う日が続いた。

「これが宮﨑監督の新しい映画の絵コンテなんだということを噛み締めながら読み進めていくわけですけれど、読み終わって最初の素直な感想として、象牙の塔だと感じたんですね。もちろん非常に素晴らしかったのですが、今までの宮﨑さんの映画とは全然違うものになっている。どういうスタンスでこの映画に向き合っていくべきなのか、計りかねる部分がありました。自分はポップスの人間ですが、果たしてポップスでいいんだろうか、そういう空気を感じる絵コンテだったので、非常に悩みました」

「くり返し読むうちに、主人公の眞人(まひと)は自分とよく似た人間じゃないかと感じ始めたんですよね。ずっとブスッとしているし、笑顔になる瞬間も一度もない。飯もまずそうに食べる。ひねくれてるじゃないですか。そういう姿に、昔の自分を思い出したし、主人公が宮﨑さんの投影でもあることを考え合わせると、宮﨑さんと自分の共通点がそこ(眞人)にあるのかなというふうに、だんだんと紐解いていけるようになった。この映画に曲をつけるのであれば、宮﨑さんと私という関係性を軸に、『君たちはどう生きるか』というタイトルに対し、私はこう生きてきました、これからこう生きていきます、というニュアンスを落とし込むべきではないかと考えるようになりました」

 

孤独と熱意によって、ものを作る人間になった

その後も何度か、宮﨑のアトリエを訪れて雑談をしたり、スタジオの試写室でラッシュ(確認用のムービーデータ)を見たりした。CDプレーヤーでしか音楽を聴かないという宮﨑のために、制作したデモ曲をCDに焼いて持っていった。その時の心情を「死ぬかと思った」と振り返る。

「宮﨑さんが曲を聴くのを、目の前で見ていたんです。自分としては死刑台にのぼるような気持ちでした。そうしたら、涙を流してくれていて。その瞬間に、これでよかったんだと思いました。その瞬間が、宮﨑さんと対峙した5年間で一番印象に残っていて、あの光景を心の中に抱えながら、この先の人生を生きていくんだろうと思います」

師と仰ぐ人物との邂逅(かいこう)を果たしたが、日常は変わりなく続く。昼間はほぼ外出をせず、カーテンを閉め切った暗い部屋で、スタンドライトの光で制作作業をするのが日課だ。

「子どもの頃から孤独感みたいなものは人より大きかったと思うし、なんでこういうふうになってしまったんだろうということを、ずっと考えている人間ではあったんですね。孤独というものとずっとつき合いながら生きてきた実感があって、だからこそものを作る人間になったんだと思うし、ものを作るにあたっての熱意みたいなものが、生まれてきたんだろうなとも思うんです」

「遊ぶというと酒を飲みに行くぐらいなんですけど、そうすると、自分を救ってくれる誰かを求めてる人たちが結構いることに気づくんですよ。そういう人間を探して、夜の街をうろうろと飲み歩くんだけど、そんなところを探しても見つかるわけがないですよね。人間性を育むために必要なものは、孤独と熱意であるから、誰かを探したところであなたが魅力的になるわけではないし、魅力的な人間でないなら人も集まってこない。孤独を持っていないから。そういうことを考えたりもするんです、最近。創作に限らず、あらゆる人間において、いかに孤独が大事かを今一度問い直してみるべきなんじゃないかと思います」

「インターネットでいついかなる時も人とつながることができるというのは、いろんな人の心を慰めているとは思うんですけど、いついかなる時も人と一緒にいて、傷をなめ合ったところで、瞬間的な痛み止めにしかならない。根本にあるものを自分で捉えるためには、一人で考えてみることを経由しないと何も始まらないと思います」

 

「船の中の猫」であり続ける

「これから何を?」と気の早い質問をした。

「全然何も考えてないです。しばらくは目の前にある課題を一つ一つ片づけていく時間になるんじゃないでしょうか」

「地味な勉強をしたいというか。『寄生獣』という漫画の、ラストシーンがすごい好きで。新一という男の子が、自分の右腕に寄生しているミギーという化け物みたいなやつと、ツーマンセルで戦い続けるんです。で、ミギーが、最後の最後に、新一、俺はもう眠るわって。地球に来てからいろんな情報をむさぼるように得ていって、自分の中にインプットしてきた。それを自分の中で反芻するために、外界からの刺激をシャットアウトする。眠りから覚めるのは明日かもしれないし、数十年後かもしれない。でも今はそうするべきだという気がする、みたいな話をするんです。俺も今、そんな感じです」

曲を作る営みは変わらないが、曲を届ける環境は変わってきた。ライブツアーは大規模になり、関わる人の数も増えた。そこに人間的なつながりの豊かさを感じることはあるのか。

「それは本当にそうですね。いろんな人間たちがまわりにいてくれることによって、自分がかろうじて成立していると思います。自分が何をしてるかというと、たいして何もしてないんですよ。曲を作って、絵を描いて、ライブして。労働量的にはたいしたことない。でもそれがないことには何も始まらない、そういう感じがするんです」

「昔、遠洋漁業に出る時に、幸運と安全の守り神として船で猫を飼うしきたりがあったらしいんですよ。たとえどこまで行っても無事に帰って来られるようにという、おまじないみたいな存在として、一匹の猫を乗せる。自分を取り巻く環境に置き換えてみると、いろんな人が船を漕いでくれて、俺はその船に乗っている猫なんじゃないかと思うんですよね。別に、俺じゃなくてもいいんです。働いていく限り、中心にいるやつも誰でもいい。誰でもいいけれども、自分がここにいることによって、この船は絶対に沈むことはないという、そういう存在であり続けることが大事なんじゃないかと思います」

「音楽や映画の素晴らしさは、見たり聴いたりすれば明確に分かるけれど、数値化されるものじゃないですよね。結局のところブラックボックスであって、作ること自体は誰にでもできるんです。映画はもう少しいろんな信用が大事かもしれないけど、音楽を作ることは誰にでもできる」

しかし、ブラックボックスを信じる人がいなければ、船は動かない。

「だから、信じてくれる人がいるから幸運のお守りでいられるんです」

 

米津玄師(よねづ・けんし)
1991年生まれ。徳島県出身。音楽家、イラストレーター。ハチ名義でボカロシーンを席巻し、2012年に本名の米津玄師での活動を開始。最新シングル「地球儀」が発売中。

 

出典:孤独と熱意が人間性を育む――米津玄師が宮﨑駿から受け取ったもの(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
https://news.yahoo.co.jp/articles/40534ba3ba6013aaf007152bd4f94822712ad802

 

 

コメントする/To Comment