連載 久石譲が挑む「ハウル」の動く音 (読売新聞)
第18回:「さぁ、帰ろう」
2004年5月12日。前日に宮崎駿監督と「ハウルの動く城」の最後の音楽打ち合わせを終えた久石譲は、都会の喧噪を離れて作曲に没頭する「恒例行事」のため、山梨・河口湖のスタジオへ合宿に向かった。
河口湖では、6月29、30日に予定されているオーケストラ録音に向け、集中的に作曲を行う。16日までの5日間で、全30曲の原形を作るのが目標だ。
慌ただしい日程だが、久石には、この期間でめどをつけたい理由があった。フランスの制作会社の依頼で音楽をつけたバスター・キートンの無声映画「キートン将軍」(1926年)を、翌週の第57回カンヌ国際映画祭で上映する際、久石の指揮で現地のオーケストラが生演奏するのだ。
世界中の映画関係者が注視するカンヌは、失敗が許されない現場。緊張が久石を襲っていた。「初めて一緒にやるオーケストラなのに、現地でのリハーサルは一日のみ。できれば、『ハウル』の完成が見えたすっきりした状態でカンヌに臨みたい」
久石は、河口湖に到着するなり、スタジオにこもった。ジブリから届いた映像と絵コンテをもとに、作曲にとりかかる。平行してオーケストラ用の編曲を行うという過酷な作業だが、迷うことなく音を重ねていった。すべての楽器の音を次々に演奏する「一人オーケストラ」だ。
初日は3曲を完成させた。出来上がった音は、シンセサイザーで打ち込んだとは思えない迫力のオーケストレーション。「いいペース。大丈夫、いけるよ」
「ハウル」の音楽は、事前に作られたイメージアルバムの流れをくみ、正統派のオーケストラサウンドを目指している。「いつもなら、民族楽器やシンセサイザーの音を織りまぜるけど、今回は合わないと思った。19世紀末のヨーロッパを舞台にしている以上、すべての音がオーケストラの楽器によって成り立っているようにしたかったんだ」
夕食の準備をしていたスタッフが、テーマ曲「人生のメリーゴーランド」を口ずさむ。「このメロディー、大好きです」
気分転換のために卓球台も持ち込まれた
2日目も勢いが止まらず、場面展開の多い難曲を完成させた。「静寂の中にいると集中できる。東京では、なかなかこうはいかないよ」
合宿に同行した久石の拠点スタジオ「ワンダーステーション」のエンジニア浜田純伸は、山奥のスタジオの利点をこう語る。「都会には心地よい静寂がありません。もちろん防音によって人工的に無音を作り出すことはできるけど、それは静寂とは違う。ひっそりとした音がして、初めて静寂と呼べる。だから集中できるんです」
好環境を創作に活かすため、合宿ではいつも規則正しく過ごす。10時に起床、散歩をして、11時からブランチ。昼からスタジオに入って、ひたすら作曲。19時から食事を取り、再びスタジオへ。24時頃まで作業後、卓球で汗を流して、午前2時に就寝。これが毎日続く。
3日目は、夕食前に3曲が上がった。しかし、この日も順調かと思った矢先、突如体調が崩れ、仮眠を取ると言い出した。「急に体が重くなって……」と元気がない。
体調を気づかい、東京からチーフマネージャーの岡本郁子が駆けつけた。「もうすぐカンヌもあるのに」と頭を抱える。
スタジオ周辺は標高が高いため、5月でも朝夕は冷え込む。ちょっとした隙に風邪のウイルスにつかまってしまったようだ。
岡本がスケジュール帳を見つめる。「カンヌも大事だけど、『ハウル』は久石が集大成を目指している作品。日程的にきつくなるけど、一度体を休めて、仕切り直した方がいいかも知れない」
仮眠から目覚めると、話し合いが始まった。「作業を続けたい」と主張する久石に、岡本は、翌朝帰京し、一度「ハウル」から離れることを提案した。やりとりは深夜に及んだが、久石はこの提案を受け入れた。
岡本が振り返る。「日程が詰まっている方がいい曲ができることもあれば、そうじゃない場合もある。その時々で久石がもっともいい曲を作れる選択肢を選ぶのが、自分の仕事。あの時は、一旦距離を置くのが『ハウル』のためだった」
翌朝の久石は、顔色こそすぐれなかったものの、どこかすっきりしているように見えた。話し合って出た結論に納得したのだろう。朝食を食べながら、スタジオ周辺に花粉が多いことを話題に笑う。「花粉の飛ぶ時期にコンサートをやると、ピアノを弾きながらくしゃみすることもあるよ。うずくまってごまかすけど」
久石は、車のシートに深く身を沈めた。「さぁ、帰ろう」
「ハウル」のための、一時休戦宣言だった。(依田謙一)
(2004年5月20日 読売新聞)