Blog. 「料理王国 2006年11月号」 久石譲インタビュー内容

Posted on 2018/11/28

雑誌「料理王国 2006年11月号」に掲載された久石譲インタビューです。稲越功一(写真家)ホストによる連載「レストランのふたり」コーナーで、久石譲と茂木大輔を招いての内容になっています。

茂木大輔さんは、NHK交響楽団主席オーボエ奏者で、久石譲との関係は義理の従兄弟にあたります。

 

 

連載 レストランのふたり 8
撮影・インタビュー 稲越功一

レストランに映える人には必ず魅力的なストーリーがある。気心の知れた者同士、お気に入りのレストランでならなおのこと、そのストーリーは鮮やかに響くだろう。そこで、毎月ふたりのゲストにご登場いただき、人物写真の大家、稲越功一氏がインタビュアーとして加わって親しい間柄のふたりに食の話から仕事のこと、人生観に至るまで自由に聞き出していただきます。

 

久石譲(音楽家)× 茂木大輔(NHK交響楽団主席オーボエ奏者)

アジアの官能性をテーマに

稲越:
「久石さんはニューアルバム「Asian X.T.C.」を出されたばかりですが、なぜこの新作ではアジアをテーマにされたのですか?」

久石:
「去年、韓国・香港・中国の映画音楽をやらせていただいて、僕の中でアジアの風が吹いていたんです。しかし新作に取りかかって困ったのは、アジアは実に遠い、ということでした。日本で暮らしていると欧米の方が意識的には身近で、アジアはやはりその先にありますよね。」

稲越:
「確かに距離的には近くても感覚的には遥か遠い感じがしますね。」

久石:
「アジアのイメージは自然が豊かで、皆が自転車で走っている……、という程度でした。そこでアジアの色っぽさや官能性にフォーカスしたんです。女性の肌はキメ細かく美しく、男はがっしりしていて土の匂いがする。そんなアジアの格好よさをテーマに定めたら全体が動き始めたんです。」

稲越:
「僕もアジアに15年ほど通っていますが、7~8年経ってやっとアジアの風景に馴染みました。それほど通わないと同じ土俵に立てません。」

久石:
「中国の音楽家とも仕事をしましたが、彼らはソリストになるように教育されていて、技術はすごいけれどアンサンブルはそこまでではない。人に合わせるという感覚が日本人ほどないんですね。」

茂木:
「N響でも指揮者のタン・ドゥン氏など中国人音楽家やピアニストを招くことがありますが、彼らは何を演奏しても凄烈で、僕らとは感覚が違う。色にたとえると赤と青、真っ黒と真っ白という印象で、良くも悪くも明快です。ラフマニノフなど内省的な曲はもっとモヤモヤしていてもいいと思いますが、はっとさせられる新奇なおもしろさはありますね。」

久石:
「北京のチャイナ・フィルハーモニーと、この秋のアジアツアーで共演するのですが、すごく上手い。音が艶やかで、メロディも豊穣でたっぷりとし、黄河の流れのようです。」

稲越:
「日本は「奥の細道」ですが、あちらはシルクロードですよね。」

茂木:
「彼らは優秀です。日本の交響楽団の演奏は精密で完璧ですが、暴力的にでも観客に攻め込んで訴える、ということがない。それこそが交響楽が持っている強い本質ですが、日本ではついにそれが芽生えず根付かなかった。結論めきますが、洋楽が日本に入って長い年月が経ち、このように断言してもいい時期だと思います。」

久石:
「それは日本人論に繋がりますね。民族音楽学者の小泉文夫氏によれば、日本では伝統が継承され、太古の雅楽が今も残り、数百年前の音楽を今も聞くことができる。しかし、中国では伝統芸能でも自分でいいように工夫してしまう。楽器の琵琶は、昔の四弦のものは正倉院に残っていても中国には今、五弦の琵琶しかない。日本は伝統を守るけれど、創意工夫する能力が弱い気がします。」

稲越:
「その通りかもしれませんね。」

久石:
「中国や欧米では伝統の踏襲なんて冗談じゃない、オレは今生きているんだ、と古いものを否定して強い気持ちで壊していく。ひとりの力では変わらないけれど、積み重なれば大きなうねりとなって伝統の形を変えるダイナミズムになる。だから日本の停滞感は気になりますね。」

茂木:
「海外には経験を重ねて50歳や60歳でも爆発するようなパワフルな人がいますが、日本では難しい。各人の意識は高いものの、成功すると新しいものに踏み出す気概がそがれてしまう。日本にはそんな空気が蔓延している気がします。おもしろいことをやり続けるには力を尽くさなければならないと、自戒しています。」

 

善悪を受け入れ共存させるアジア

久石:
「でも、日本人やアジア人にしかできないこともありますよね。西洋音楽という土壌で彼らと同じ発想になるわけがない。彼らはキリスト教的文化の中に生き、それは彼らのエネルギーでもある。バリ伝統のガムランやケチャもそうですが、アジアでは善悪が共存し、両方を受け入れる。それは東洋人でなくてはできない発想です。自己の中の優れた部分、最悪な部分、両方含めて自分であり、人である、だから自然に生きられる──これはいいことです。原理主義的に、「人は、音楽は、社会は、家庭は、こうあらねばならない」、と突き詰めて考えてなくてもいいんです。」

茂木:
「西洋音楽に対しても、本家より分家である日本の方がルールに敏感になってしまうんですよね。」

稲越:
「日本の自然のありかたも影響しますね。先日、伊勢神宮を訪ねて、山や森によって静寂や安らぎを得られることを感じました。溝口健二の映画を観て思うのですが、彼の映画には闇への執着心がかなりありますよね。」

久石:
「今は、闇といった意識下の恐れのニュアンスも失われつつありますね。新作では「インヤン」、つまり陽と陰といったアジアの光と影、善悪をテーマにその二面を際立たせ、ポップとミニマルなものを、あえてまとめないでそのまま形にしました。」

稲越:
「結果的にその境地になったわけですね。」

久石:
「宗教学者の山折哲夫さんとの対談で、「自分はなんていい人間なんだ」と思うことがあるけれど、「いい人は、長く続かない」ともおっしゃっていた。同感です。仏陀でさえ悟りを得て無になってもいろいろと悩んだわけでしょう。つまり音楽も「ならねばならない」という問題じゃない。無になって欲望を捨てても、逆に執着しても、自分のアンテナが小さくなるだけです。ならば裸になって、今の自分をさらけ出すことで、多くの人の心を駆り立てられればいい、あえてまとめなくてもいい、と考えるようになったんです。」

稲越:
「表現は、どこか負の部分を持たないと訴えられない。幸せすぎではダメですね。」

茂木:
「久石さんは自分の仕事をしておられるから、やりたいようにできてうらやましい。」

久石:
「しかし、N響は超一流です。」

茂木:
「N響は、この先どうするかという時期に来ています。世界一流の指揮者やソリストを日常的に迎え、国際水準の演奏を維持するところまでは到達していますので、次なる新しい感動、チャレンジを作り出していかなくてはならないと思います。ベルリン・フィルの場合、世界一のオーケストラを標榜して何十年もカラヤンと共同作業をし、彼が亡くなった時、今後どうするのかと世界が注目しました。さすがにドイツは芸事を本質的に見ている国だと思いましたが、彼らは世界一であることにもう興味はないんですね。そしてサイモン・ラトルというユダヤ人指揮者を迎えた。伝統の踏襲など考えずに、おもしろいことをするんです。」

久石:
「ベルリン・フィルがサイモン・ラトルを迎えたのは素晴らしかったですね。」

茂木:
「日本は育てたものを守ることに固執し、一旦壊しておもしろいことをしようとはならない。指揮者のタン・ドゥンさんを迎えた時、これ以上ヘンなものはないというほどその指揮は変わっていましたが、技術的にも感覚的にもすべてわかっていて、確信的だからすごい。久石さんにも、もっと指揮をしてほしいですね。ペンデレツキにしても、20世紀の偉大な指揮者は全員作曲家でした。久石さんのように音楽を知り尽くし、最先端の芸術を知り、現代人とは何かをわかっている人にぜひ振ってもらいたいと思います。」

久石:
「指揮は大変です。指揮者がきちんと方針を持っていればオーケストラも理解してくれますが、そうでなければ、あなたはどうしたんだ? と突きつけられますから。」

茂木:
「方針のない指揮者には、演奏している方も困りますね。」

稲越:
「久石さんには華もあるからマーラーを振っても、久石さんのマーラーになるんでしょうね。」

久石:
「スコアから何を発見するのか、難しい問題です。カルミナ・ブラーナを指揮したとき、最初の6小節をどうするのか、どう「間」をとるのか、一週間悩みました(笑)。自分のスタイル以前に、この音楽の持っているエネルギーをいかに出しきるのか、どうすれば演奏する人が上手くできる環境にするのか、そのために曲の世界観を徹底して考える──。その結果、自分のスタイルになる。作曲も同じで、最初からオレ流というものはありません。映画も同様、考え抜いて緻密に構成し、「流れ」や「動き」をつかまえられるかどうかが肝心なんですよね。」

稲越:
「写真も同じで、僕は「心の目」で見て撮ります。いい絵も描かれている部分と同時に、余白が重要です。」

茂木:
「オーケストラも同様で、音がない部分があり、そこにエネルギーを凝縮させていっせいに鳴らす。ブラックホールとビッグバンのように。音楽でいえば「余白」はリズム、テンポ、つまり呼吸です。」

稲越:
「理詰めではなく、感覚ですね。」

久石:
「作曲では、自分が興奮できないものは、演奏する人も、聴いている人も感動させられない。自己愛ではなく、自分で歓べない作品は誰も説得できないということです。」

茂木:
「文筆も似ていますね。僕は自分で書いた文章の最初の読者であることに時々、幸福を感じますよ。」

稲越:
「写真でも、その風景の最初の目撃者になる歓びがあります。未知の料理とも、初めて出逢って味わう歓びがありますが、久石さんはアジアの料理はお好きですか?」

久石:
「アジアは、その土地ごとに個性的な料理があっていいですね。韓国でも中国でも沖縄でも、私はそこにいれば朝から晩までその土地の料理を食べます。料理がまずい国は文化もダメでしょう。」

茂木:
「僕はあまり料理がおいしくないドイツが長かったですけれど(笑)。」

久石:
「いや、イギリスもまずいといわれますがおいしいですよ、味をつけないだけで、塩・コショウで各人好きに食べる。もっともロンドンではエスニック料理がうまいからそこにばかり行っていましたけれど。フランスだけのローカルな産物だったワインを世界に広めたのもイギリスですし、英国は仲介役としてはあらゆる文化に貢献しています。だから、目利きは完璧にできる国です。ヘンデルもドイツからイギリスに帰化しましたしね。」

茂木:
「ベートーヴェンの第9を書かせたのもロンドンの人ですしね、なるほど英国はすごい。」

稲越:
「音楽論から日本人論まで、今日は実に楽しいお話をありがとうございました。」

(料理王国 2006年11月号 より)

 

 

久石譲 『 Asian X.T.C.』

 

 

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