Posted on 2014/06/06
「クラシックプレミアム」 第5巻は、バロック音楽の代表であるヴィヴァルディとヘンデルです。
中学校の音楽授業を思い出します。音楽室で大音量でクラシック音楽を鑑賞する時間が当時はありました。そして聴いたあとに感想文なんかを書いていたような。
今マガジンを見ていて知ったのですが、ヴィヴァルディの『四季』は、これまでに世界でもっとも売れたクラシック・レコード(CD含む)だそうです。そのくらい誰でも一度は聴いたことのある音楽ということですね。
そしてその名演として名高い「イ・ムジチ合奏団」です。もちろんCDマガジンにも彼らの名演が収められているのですが、これを聴くとバロック音楽の印象が変わる!というくらい、澄んだ気品のある、まさに18世紀にタイムスリップしたような響きでした。「イ・ムジチ合奏団」の名前は『I MUSICI』(音楽家たち)という意味のイタリア語だそうです。まさに!です。
【収録曲】
ヴィヴァルディ
協奏曲集 《四季》 作品8
第1番 ホ長調 《春》 / 第2番 ト短調 《夏》 / 第3番 ヘ長調 《秋》 / 第4番 ヘ短調 《冬》
ピーナ・カルミレッリ(ヴァイオリン)
イ・ムジチ合奏団
録音/1982年
ヘンデル
《水上の音楽》より
第1組曲 ヘ長調 第1番~第9番
第2組曲 ニ長調 第2番 アラ・ホーン・パイプ
トレヴァー・ピノック 指揮、チェンバロ
イングリッシュ・コンサート
録音/1983年
マガジン後半の岡田暁生さんによる「キーワードでたどる西洋古典音楽史」も毎号とてもおもしろいです。クラシック音楽の歴史をまさに紐解いていて興味がわいてきます。そんななかでもおもしろかった内容が、交響曲に関するものです。
「ウィーン古典派の3人の巨匠。ハイドンの12の交響曲、モーツァルトの3つの交響曲、そして何よりベートーヴェンの9つの交響曲。これらの金字塔はのちの作曲家にとって絶対の規範であり続けた。「大作曲家」と呼ばれるためには、いくらいいピアノ曲や室内楽を書いてもダメ、ハイドン・モーツァルト・ベートーヴェンの傑作に匹敵するような交響曲を書くことことが、その絶対条件となったのである。」
「19世紀の作曲家にとって、よほどの覚悟がない限り、下手に交響曲に「手を出す」わけにはいかなかった。交響曲に関してメンデルスゾーンは改稿に改稿を重ねるのが常で、最後まで出版を許可しない作品もあった。いつまでたっても出来に満足せず、自作の交響曲を改稿し続けたのは、ブルックナーも同じである。すでにピアノ曲や歌曲の傑作の数々を生み出していたにもかかわらず、シューマンが最初の交響曲を発表したのは31歳になってからであった。交響曲を公にすることに激しいプレッシャーを感じていたのはブラームスも同じで、最初の交響曲の作曲に21年もかけ、43歳になってようやく初演にこぎつけた。」
「交響曲にチャレンジしようとする作曲家にとってとりわけ重圧となったのが、ベートーヴェンの9つの交響曲である。作品の内容面だけではない。9つという数字もまた、19世紀の作曲家にとって呪縛となった。シューマンとブラームスの交響曲は4つ、チャイコフスキーは6つ、そしてドヴォルザークとブルックナーは9つどまり。誰も「第10交響曲」を書くことはできなかったのだ。」
「マーラーはこれに怖れをなして、つまり第9交響曲を書いてしまうと死んでしまうのではないかと半ば信じ、本来なら9つ目の交響曲になるはずだった作品に「交響曲」というタイトルを与えず、代わりにそれを《大地の歌》と名づけた。しかし結局のところ彼はさらにもうひとつ交響曲を書いて、これが「交響曲第9番」となった。しかしその次、10番目の交響曲の作曲は未完のまま、マーラーは世を去ることになった。迷信は本当になったのである。」
3大巨匠の交響曲の壁、ベートーヴェンの「9つの交響曲」の呪縛、などなど、まさにトリビア的な内容で、音楽だけじゃなく知識も広がってとてもおもしろいです。
音楽は純粋にそれを聴いて感動するものだとも思うのですが、それもひとつ、そしてクラシック音楽のようなものはまさに「古典」なわけですから、こういった歴史や背景が学べるのもこの「クラシックプレミアム」のいいところです。
そういういろいろな角度からクラシック音楽を紐解きながら、毎号CDを聴いていると、集められた名盤からの名演もさることながら、また違う新しい印象をその楽曲から受けます。
「久石譲の音楽的日乗」第5回は、作曲家と指揮者の関係
19世紀後半の作曲家兼指揮者として活躍していた、ワーグナーやマーラーなどが、モーツァルトやベートーヴェンの楽曲を指揮するにあたり、オリジナル版に「楽譜の書き換えや加筆」を行っていたという背景などが記されています。
具体的には、音を加えたり、ニュアンスを変更したり、作曲家の指示したテンポとはかけ離れた速さで演奏したりと、そういう時代もあったのですね。オリジナルが尊重されている現代からは考えられない時代が。
そして印象に残った箇所を一部抜粋してご紹介します。
「マーラーも激務の指揮活動を毎年夏の数ヶ月だけ休み、南オーストリアのマイアーニヒ山荘でシンフォニーを書いていた。作曲家としては《ウエスト・サイド・ストーリー》などで知られ、指揮者としてもカラヤンと双璧といわれたバーンスタインも「例えばマーラーを振るときの3ヶ月前からは一切の作曲活動は困難だ。作曲家の書いたスコアに没頭するとき、自分の音は頭に浮かばない」と言っている。それでは作曲家兼指揮者と通常のオーケストラ指揮者は何が違うのか?枚数が尽きたので次号に書きたい。」
次号以降も楽しみです。