Posted on 2014/06/29
「クラシックプレミアム」第11巻は、チャイコフスキー2です。
第7巻のチャイコフスキー1では、3大バレエ《白鳥の湖》 《眠れる森の美女》 《くるみ割り人形》 特集でした。今回はいよいよ、あのヴァイオリン協奏曲も収録されています。
【収録曲】
ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 作品23
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ウィーン交響楽団
録音/1962年
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35
ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)
ロリン・マゼール指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1979年
チャイコフスキーがヴァイオリン協奏曲を作曲時に滞在した場所は、スイスのクラランという土地だそうです。知ってました?スイス・レマン湖の東岸、保養地として名高いモントルーの近くに位置する。周囲にはぶどう畑が広がり、対岸にはフランス・アルプスの山並みを望める場所で、そんなクラランの風景写真もカラーで掲載されています。
こんな場所で、あの曲を作曲したのかあ、と思い馳せながら聴くと、また違った新しい趣と味わいがあります。
こちらも毎号楽しみにしている巻末の音楽史では、オペラとオペレッタが取り上げられていました。オペラとオペレッタがジャンルとして明確に違うということが、端的にわかりやすく解説されています。それをここで紹介しだすと文字数が膨大になりますので割愛します。
神聖さと娯楽さ、文学的な格調高さと喜劇、オーケストラの演奏難易度、舞台時間の長さ、舞台の豪華絢爛さと簡素さ、などなど、オペラとオペレッタの違いがわかりやすく紹介されています。
これらのことだけでなく、その上演する劇場の地理的場所(オペラ劇場は宮殿すぐ近くの街のシンボル的場所にある)や、建物自体の豪華絢爛さ、それに比べたオペレッタを「浅草」のような場所、と例えていたのが、とてもイメージしやすくわかりやすいですよね。
「久石譲の音楽的日乗」第11回は、音楽の原点について考える
今号では久石譲が尊敬しているという民族音楽学者の小泉文夫さんの話を織り交ぜながら、民族音楽という視点から、音楽の原点を掘り下げています。
とても新鮮で興味深い内容でしたので、一部抜粋してご紹介します。
「小泉文夫さんがスリランカのかなり奥地で原始的な生活をしている人たちを調べた。彼らの歌は高い音と低い音の二つだけ、勝手に別の曲を歌い、タイミングもバラバラなのだが、彼らが相手の顔を見ながら一生懸命に相手よりもっと強く歌おうとしているのを見て、小泉さんは「歌の原点を見た思いがする」と強く感動したと書いている。」
「このことは養老孟司先生との共著『耳で考える』でも取り上げたが、大変重要なことで、「人に何かを伝える」ということはへたでも一生懸命歌う、相手に伝えたいという強い思いがなければならない。譜面とか、備忘用楽譜はあくまでも手段であって、どんなに採譜をしたところで、そこにはスリランカの原始的な生活をしている人の歌った音程らしきものとリズムらしきものは書かれているが、小泉さんが感動した音楽の原点は書かれてはいない。つまり音楽を伝えると我々が思っているさまざまな行為(主に楽譜)では、最も大事なものを伝えきれていないのだ。そこから彼らの音楽を感じ取るには、我々にかなりのイマジネーションが必要だ。もしかしたら作曲するのと同じくらいの能力が必要かもしれない。」
そして今号でも久石譲の近況が少し触れられていました。おそらく4月中旬あたりに書かれたと思われる今号のエッセイ原稿ですが、ちょうど5月の台湾コンサートに向けて出発する前だったようです。
その台湾コンサート準備と同時期に行われていたのが新作映画の音楽録音。2014年秋公開予定の映画『柘榴坂の仇討』です。映画公開の約半年前に音楽録音か、ということは作曲期間は当然ながらもっと前。今年に入ってからというよりは、おそらく昨年2013年から音楽制作をしていたということに。『風立ちぬ』や『かぐや姫の物語』が公開されたと思ったら、もう次の仕事へ。おそるべしです。
『風立ちぬ』や『かぐや姫の物語』が公開されて、《やっと映画本編が観れる!やっと久石譲音楽が聴ける!》と、それらに触れ感動していた頃には、もう作曲家久石譲はというと、次の映画音楽の準備に入っているという。
やはり映画音楽として携わるのには、上のようなスケジュールを見ても、1本あたり1年近くはかけているんですね。しかもおそらく1本に集中じゃなく、何本か、もしくは他の仕事と同時進行なのでしょうが。おそるべしです。
ということは、今(2014.6)音楽制作を仮にされているとしたら、それが私たち聴衆に向けて日の目を見るのは2015年?来年?ということでしょうか!?
作曲家の創作活動の時系列と、それが世の中に送り出される時間的尺度のズレ。これを想像するだけでもたまらないんですよね、マニア的発想ですが。。この曲が作られていたのは、あっあの頃なんだ、世間的にはあんな出来事が起こっていた時期か、自分はこんなことがあった時期、…
楽しみはつきません。