2014年10月12日(日) 16:00開演 15:30会場
ホクト文化ホール 大ホール(長野市若里)
久石譲指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団 特別公演
当初7月5日からチケット一般発売開始予定だったが、
7月19日へ発売延期へ。
以下詳細参照
2014年10月12日(日) 16:00開演 15:30会場
ホクト文化ホール 大ホール(長野市若里)
久石譲指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団 特別公演
当初7月5日からチケット一般発売開始予定だったが、
7月19日へ発売延期へ。
以下詳細参照
Posted on 2014/07/03
先月発売されたブルーレイを鑑賞しました。
「NHK プロフェッショナル 仕事の流儀 特別編 映画監督 宮崎 駿の仕事 「風立ちぬ」1000日の記録/引退宣言 知られざる物語」
2013年8月と2013年11月にTV放送された2回分をBlu-ray / DVD にまとめたものです。もちろん放送当時も食い入るように見ました。8月分はそれこそ映画「風立ちぬ」公開直後の放送でしたし、11月分はそれこそ突然の宮崎駿監督引退会見直後の放送でした。
どのようにして「風立ちぬ」という作品が企画されたのか、どうしてファンタジーという得意技を封印してまでこの作品にこだわったのか、そのスタジオジブリの制作現場がぎっしりつまっています。
印象的だったシーン。「面倒くさい」「究極に面倒くさい」とブツブツ言いながら机に向かって絵コンテを描いている。そのとき宮崎駿監督は「面倒くさいっていう自分の気持ちとの戦いなんだよ」と一言。続けて「面倒くさかったら、やめればいいのに?」と言われれば「うるせえな」とか、そういうことになる。
そして核心の言葉へ。「世の中の大事なものは、たいてい面倒くさい」「面倒くさくないところで生きていると、面倒くさいのはうらやましいと思うんです。」もうちょっと関連めいたシーンを抜き出すと、こうも言っています。「やっているときはその意味なんてわからない。」「意味をわかってやっているわけではない。」
つまりは、日々の生活のなかの大切なことは、面倒くさいことが多く、そのなかには慈しむもの愛おしいものがたくさんつまっている。そして、そのときにはその意味なんてわからなくても、匙を投げることなく向き合っていくこと。面倒くさいことはかけがえのない幸せなこと。そうやって日々の面倒くさいことに濃厚に生きていく。その先にその意味がついてくる未来が待っている。
要領よく。スマートに。効率的に。最大効果で。傷つかずに。疲れずに。苦しむことなく。楽して。失敗せずに。損せずに。etc…
誰もが得てして望まない、出来れば避けたいことだけれど、でも、それを恐れてばかりいずに、進むしかない。面倒くさいことが愛おしい。面倒くさいことが生きている証。そういうことなのかなあと解釈しています。
最後の宮崎駿監督の言葉もまた勇気づけられます。
「堪る限りの力を尽くして生きる」「自分たちに与えられた、自分たちの範囲で、自分たちの時代に、堪る限りの力を尽くして生きなさい」
ジブリファンとしては、その制作現場を垣間見れてとても興味深いですし、それよりもなによりも、なにか「生きる」「働く」ということに対して、とても強いメッセージとエネルギーをもらうような、そんな内容です。
行き詰まったときや、落ち込んだとき、背中を押してほしいとき、これから幾度となくリピートして鑑賞するだろうな、そんなバイブルのような宝物です。
そして、本作品の封入特典:ブックレット「ディレクター・インタビュー」(16ページ)についてふれたいと思います。Blu-ray(DVDも同一)の封入特典として、「ディレクター・インタビュー」というブックレットが収められています。16ページにも及ぶこの小冊子には、宮崎 駿を7年間追い続けたディレクターが、「風立ちぬ」企画から製作、そして引退会見に至るまでの宮崎監督の姿を語っています。
まさに本編にはない裏側、密着したディレクターだからこそ見た、語れる、そんな蔵出しな内容でした。
このようなセンテンスによってディレクターの視点で綴られています。この目次を見ただけでも、読み進めたくなる、興味をひかれる内容です。すべては紹介しきれませんので、一部抜粋してご紹介します。
「『風立ちぬ』で、宮崎さんがいちばん悩んでいたのは、僕が見ていた限りでは、絵コンテのBパートの終わり。映画中盤、カプローニが「殺戮の道具をつくる覚悟があるのか」と堀越二郎に問うシーンです。二郎はこの問いに「ぼくは美しい飛行機をつくりたいと思っています」と答える。」
~中略~
「宮崎さんが描くキャラクターは自らの内面が反映されています。だからこそ宮崎作品の登場人物はみな生き生きとした生身の人間として映画の世界に生きていると思うのですが、今回は宮崎さんの複雑な心情が絡まり合って、より苦悩も大きかったと思うんです。そんな宮崎さんにとって救いとなる存在がカプローニというキャラクターだったように思います。自分と重ね合わせた二郎をカプローニがいつも客観的に見ている。カプローニに自分の想いを代弁してもらったり、二郎を導く役目を担ってもらったりしている。「力を尽くしているかね」という二郎に問いかけるカプローニのセリフが心に残ります。」
毎日一番近くにいたディレクターだからこそ、観察できたこと、見えたこと、心情の変化など、何年にも及ぶ制作現場のちょっとした1日の出来事だけれど、とてもキーファクターな1日、そんな貴重なインタビュー内容でした。本編とブックレット、まさに合わせて二度おいしい、「宮崎駿の仕事」を鮮明に記録した本作品だなあ、と思います。
極論、変なビジネス書や自己啓発本を読むくらいなら、よっぽどこちらのほうが「生きる・働く」バイブルにもエネルギーにもなります!それだけ一流を極めたプロフェッショナルの言動の重みと凄み、相反する謙虚さ、慎ましさ、ひたむきさ、など、学ぶところがたくさんあります。

富士山の大自然の魅力を体感できる日本初のフライトシュミレーションライド「富士飛行社」の音楽を久石が担当しました。四季折々の美しい富士山の映像と壮大な音楽が臨場感あふれるフライトの旅へ誘います。
「富士飛行社」は7月18日(金)オープンいたします。
ぜひ音楽とともにお楽しみください。
Posted on 2014/06/29
「クラシックプレミアム」第11巻は、チャイコフスキー2です。
第7巻のチャイコフスキー1では、3大バレエ《白鳥の湖》 《眠れる森の美女》 《くるみ割り人形》 特集でした。今回はいよいよ、あのヴァイオリン協奏曲も収録されています。
【収録曲】
ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 作品23
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ウィーン交響楽団
録音/1962年
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35
ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)
ロリン・マゼール指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1979年
チャイコフスキーがヴァイオリン協奏曲を作曲時に滞在した場所は、スイスのクラランという土地だそうです。知ってました?スイス・レマン湖の東岸、保養地として名高いモントルーの近くに位置する。周囲にはぶどう畑が広がり、対岸にはフランス・アルプスの山並みを望める場所で、そんなクラランの風景写真もカラーで掲載されています。
こんな場所で、あの曲を作曲したのかあ、と思い馳せながら聴くと、また違った新しい趣と味わいがあります。

こちらも毎号楽しみにしている巻末の音楽史では、オペラとオペレッタが取り上げられていました。オペラとオペレッタがジャンルとして明確に違うということが、端的にわかりやすく解説されています。それをここで紹介しだすと文字数が膨大になりますので割愛します。
神聖さと娯楽さ、文学的な格調高さと喜劇、オーケストラの演奏難易度、舞台時間の長さ、舞台の豪華絢爛さと簡素さ、などなど、オペラとオペレッタの違いがわかりやすく紹介されています。
これらのことだけでなく、その上演する劇場の地理的場所(オペラ劇場は宮殿すぐ近くの街のシンボル的場所にある)や、建物自体の豪華絢爛さ、それに比べたオペレッタを「浅草」のような場所、と例えていたのが、とてもイメージしやすくわかりやすいですよね。
「久石譲の音楽的日乗」第11回は、音楽の原点について考える
今号では久石譲が尊敬しているという民族音楽学者の小泉文夫さんの話を織り交ぜながら、民族音楽という視点から、音楽の原点を掘り下げています。
とても新鮮で興味深い内容でしたので、一部抜粋してご紹介します。
「小泉文夫さんがスリランカのかなり奥地で原始的な生活をしている人たちを調べた。彼らの歌は高い音と低い音の二つだけ、勝手に別の曲を歌い、タイミングもバラバラなのだが、彼らが相手の顔を見ながら一生懸命に相手よりもっと強く歌おうとしているのを見て、小泉さんは「歌の原点を見た思いがする」と強く感動したと書いている。」
「このことは養老孟司先生との共著『耳で考える』でも取り上げたが、大変重要なことで、「人に何かを伝える」ということはへたでも一生懸命歌う、相手に伝えたいという強い思いがなければならない。譜面とか、備忘用楽譜はあくまでも手段であって、どんなに採譜をしたところで、そこにはスリランカの原始的な生活をしている人の歌った音程らしきものとリズムらしきものは書かれているが、小泉さんが感動した音楽の原点は書かれてはいない。つまり音楽を伝えると我々が思っているさまざまな行為(主に楽譜)では、最も大事なものを伝えきれていないのだ。そこから彼らの音楽を感じ取るには、我々にかなりのイマジネーションが必要だ。もしかしたら作曲するのと同じくらいの能力が必要かもしれない。」
そして今号でも久石譲の近況が少し触れられていました。おそらく4月中旬あたりに書かれたと思われる今号のエッセイ原稿ですが、ちょうど5月の台湾コンサートに向けて出発する前だったようです。
その台湾コンサート準備と同時期に行われていたのが新作映画の音楽録音。2014年秋公開予定の映画『柘榴坂の仇討』です。映画公開の約半年前に音楽録音か、ということは作曲期間は当然ながらもっと前。今年に入ってからというよりは、おそらく昨年2013年から音楽制作をしていたということに。『風立ちぬ』や『かぐや姫の物語』が公開されたと思ったら、もう次の仕事へ。おそるべしです。
『風立ちぬ』や『かぐや姫の物語』が公開されて、《やっと映画本編が観れる!やっと久石譲音楽が聴ける!》と、それらに触れ感動していた頃には、もう作曲家久石譲はというと、次の映画音楽の準備に入っているという。
やはり映画音楽として携わるのには、上のようなスケジュールを見ても、1本あたり1年近くはかけているんですね。しかもおそらく1本に集中じゃなく、何本か、もしくは他の仕事と同時進行なのでしょうが。おそるべしです。
ということは、今(2014.6)音楽制作を仮にされているとしたら、それが私たち聴衆に向けて日の目を見るのは2015年?来年?ということでしょうか!?
作曲家の創作活動の時系列と、それが世の中に送り出される時間的尺度のズレ。これを想像するだけでもたまらないんですよね、マニア的発想ですが。。この曲が作られていたのは、あっあの頃なんだ、世間的にはあんな出来事が起こっていた時期か、自分はこんなことがあった時期、…
楽しみはつきません。

2014年6月27日 発売
プロフェッショナル 仕事の流儀 特別編 映画監督 宮崎 駿の仕事 「風立ちぬ」1000日の記録/引退宣言 知られざる物語
Disc:1枚 (収録時間120分)
プロフェッショナル 仕事の流儀 特別編
宮崎駿 「風立ちぬ」1000日の記録
5年ぶりとなる新作「風立ちぬ」を公開した映画監督・宮崎駿。その企画から映画誕生の瞬間まで、3年間にわたって密着取材した。宮崎は「前やってきたことをやりたいとは思っていない」と語り、実在の人物を初めて主人公にすえ、戦争という重いテーマと真正面から向き合った。だが、その制作は困難の連続となる。東日本大震災の発生、年齢による衰え、そして見えない結末…。希代のクリエイターの飽くなき闘いを濃密に描く。
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9月20日から全国で公開される中井貴一の主演映画『柘榴坂の仇討』から予告編映像が公開された。
同作は、浅田次郎が2003年に発表した短編集『五郎治殿御始末』に収録された同名小説の映画版。安政7年に起きた「桜田門外の変」で水戸浪士たちに襲撃され、主君である井伊直弼を目の前で失った彦根藩士・志村金吾を主人公に、事件後、切腹も許されず仇を追い続けた金吾が、13年後の明治6年に最後の仇である佐橋十兵衛を探し出すが、2人が出会ったその日に新政府によって「仇討禁止令」が発布される、という物語になっている。
2014年6月24日 CDマガジン 「クラシック プレミアム 13 ~ブラームス1~」(小学館)
隔週火曜日発売 本体1,200円+税
「久石譲の音楽的日乗」連載付き。クラシックの名曲とともにお届けするCDマガジン。久石による連載エッセイのほか、音楽評論家や研究者による解説など、クラシック音楽の奥深く魅力的な世界を紹介。
“Info. 2014/06/24 [CDマガジン] 「クラシック プレミアム 13 ~ブラームス1~」 久石譲コラム連載 発売” の続きを読む
今年9月、初共演となる京都市交響楽団とのコンサート開催が決定。日本を代表する作曲家 久石譲と京都市交響楽団が贈る夢のステージ。久石が選ぶ珠玉の作品とドラマチィックなシンフォニー「悲愴」をお届けします。 “Info. 2014/09/03 「久石譲×京都市交響楽団」 コンサート決定” の続きを読む
Posted on 2014/06/22
「クラシックプレミアム」第10巻はシューベルト1です。
歌曲《野ばら》や《魔笛》でも有名なシューベルトですが、そちらは第40巻のシューベルト2に収録予定のようで、今回は後期の交響曲として最高傑作として聴き続けられている「未完成」と「ザ・グレイト」です。
【収録曲】
交響曲 第7番(旧第8番) ロ短調 D759 《未完成》
カルロス・クライバー指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1978年
交響曲 第8番(旧第9番) ハ長調 D944
《ザ・グレイト》
カール・ベーム指揮
ドレスデン国立管弦楽団
録音/1979年(ライヴ)
「久石譲の音楽的日乗」第10回は、
音楽を伝える方法には何があるのか?
今号では、音楽を伝える方法として、楽譜はもちろんのこと、伝統芸能の世界の場合や、現代社会の傾向など、様々な歴史的および文明的尺度から、その伝達方法が言及されていました。
「音楽」とひと言でいっても、その歴史や文化、地域や語圏、そして発祥やジャンルによって、様々な進化および現代への伝承をしてきているのだなと思ったりしながら読んでいました。
さて今回も印象に残った内容を一部抜粋してご紹介します。
「もちろん作曲という行為は音楽を作ることがすべてであって、どんなジャンルでもかまわないけれど、しっかりとしたコンセプトと作品にする!という強い意志がないと書くことは出来ない。たまにちょっとしたアイデアが湧き、神様が降りてきたと思えるくらいに幸運な曲に仕上がることもあるが、それは1年に一度、いや数年に一度あるかないかの数少ないことであって、人生の大半を後悔と挫折に費やされる。少なくとも僕の場合は。」
そうなんですか!?あれだけ今も昔も、名曲を生みつづけているのにですか?!と思わず言ってしまいたくなるような。
それだけ作曲するということの、生みの苦しみは、あるということなのでしょうか。これだけ名曲の多い久石譲でも、いやだからこそ?!自分で自分の作品を超えていく、その姿勢や見事な結果(次々に新しい名曲の誕生という現在進行形)には、仕事との向き合い方や、はたまた生き方として尊敬してしまうところがあります。
何百年の愛されつづけているクラシック音楽、何百年も聴かれ、演奏され、人々の日常生活のなかにあるクラシック音楽、それがこの「クラシックプレミアム」にまとめられているわけですが。久石譲音楽もこのように、後世にも語り継がれ、聴き継がれていったらいいな、と思います。
やっぱり同じ時代に生きていて、しかも同じ国で、常に新作品を聴ける時代・環境にいるということは幸せなことですね。好きな作曲家と同じ時代や時間を共有できる幸せです。

Posted on 2014/06/20
「クラシックプレミアム」第9巻はベートーヴェン2です。
記念すべき創刊号の第1巻がベートーヴェン1として、交響曲第5番《運命》や交響曲第7番などが、カルロス・クライバーによる名指揮にて特集されていました。今回のベートーヴェン2では、交響曲第3番《英雄》と二つの序曲が収録されています。
毎号特集されている作曲家の伝記のようなものが紹介されていますが、それと同時に収録されている盤の指揮者やオーケストラなどにも触れていて、今回は日本を代表する指揮者、小澤征爾さんのことも解説されていました。
小澤征爾さんのことを知ったときから、それはすでに「世界のオザワ」という代名詞がついていたわけですが、なぜそこまで称されているのか、その理由が少し垣間見れる内容でした。
【収録曲】
交響曲 第3番 変ホ長調 作品55 《英雄》
クラウディオ・アバド指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1985年(ライヴ)
《エグモント》序曲 作品84
小澤征爾指揮
サイトウ・キネン・オーケストラ
録音/1997年
《レオノーレ》序曲 第3番 作品72a
小澤征爾指揮
サイトウ・キネン・オーケストラ
録音/1998年
「久石譲の音楽的日乗」第9回は、曲はいつ完成するのか?
今回もリアルタイムな久石譲自身の活動にリンクしています。それは5月に台湾で世界初演された「風立ちぬ 第2組曲」です。大盛況に終わったコンサートだったようですが、世界初演ということで、まだ日本ではお披露目されていません。それもおそらく8月のW.D.Oでのコンサートなどで聴けるのではないでしょうか。
ということで今回も印象に残ったエッセイ内容から一部ご紹介します。
「このところ、宮崎さんの映画『風立ちぬ』に作曲した楽曲をコンサート用に書き直している。5月の初旬に台湾で2回、ベートーヴェンの交響曲第9番のコンサート(エヴァーグリーン交響楽団とウィーン国立歌劇場合唱団)を行うのだが、そのとき一緒に演奏するためのものだ。」
「実は昨年の暮れ、東京と大阪で行った第9コンサートでも《風立ちぬ》は演奏している。それなのに何故もう一度書き直しをするのかというと、今ひとつ気に入らなかった、しっくりこない、など要は腑に落ちなかったからだ。これは演奏の問題ではなく(演奏者は素晴らしかった)あくまで作品の構成あるいはオーケストレーションの問題だ。」
「昨年のときには映画のストーリーに即し、できるだけオリジナルスコアに忠実に約16分の組曲にしたのだが、やはり映画音楽はセリフや効果音との兼ね合いもあって、かなり薄いオーケストレーションになっている。まあ清涼な響きと言えなくもないけど、なんだかこじんまりしている。そこで今回、もう一度演奏するならストーリーの流れに関係なく音楽的に構成し、必要な音は総て書くと決めて改訂版を作る作業を始めたのだが、なんと23分の楽曲になって別曲状態になってしまった。そこで後に混乱しないようにタイトルも第2組曲とした。」
「まったく作品はいつまでたっても完成しない。それは映画音楽であろうと作品であろうと同じだ。いったい作曲家はいつその作品の作曲を終了するのか?どこで完成したと判断するのだろうか?」
「僕の場合ははっきりしている。レコーディングかコンサートに間に合わせる、つまり締め切りがあるからそれまでに仕上げる。納得がいかなくともなんとかそこで帳尻をあわせる。そして気に入らなかったらまた次のチャンス(締め切り)に再度トライする。」
「つまり作曲した作品は永遠に完成しない。次の演奏するチャンスと時間があれば、おそらく大多数の作曲家は手を加えたくなるのだ、困ったことに!」
なんともあくなき創作活動と言ってしまえばそうですが、ある意味悩みのつきない永遠の課題のようですね。
ふと思ったのですが。たしかにこれは”無形芸術”として特有なのかもしれませんね、音楽作品は。他の芸術作品は、映画にしろ、絵、彫刻などにしろ『完成したカタチ』があります。つまり”有形芸術”ということになります。
最高傑作だろうが後悔が残ろうが、その作品に封じ込められます。がしかし、音楽には目に見える、触れる、という意味でカタチがありません。だから、完成形を永遠に探求してしまう、ということでしょうか。
誤解を恐れずに言えば、なんだか良い面も悪い面もあるような気がします。もし多くの芸術作品で、作家の思いに後悔が残れば、また次への創作意欲として、それは次の作品として実を結ぶわけです。
もちろん音楽もその原理原則は同じだとは思うのですが、どうも「書き直す、書き加える」作業ができるという点で、いつまでも過去の呪縛がつきまとっているような気さえしてきます。
そうは言っても、このクラシックプレミアム・シリーズで紹介されている作曲家たちも、書き直しや改訂といった作業は、日常茶飯事だったようなので、それがまた音楽の”完成形のない無限の可能性”という恩恵なのかもしれませんね。
久石譲も、今回取り上げられている『風立ちぬ』音楽だけでなく、前号で紹介した「フィフス・ディメンション」、さらにはこの台湾コンサートで同じく改訂初演された「魔女の宅急便」など、やむことのない創作活動と現時点での完成形を多く披露しています。
もっといえば、昨年TVで見た「読響シンフォニックライブ」でも、「オーケストラ ストーリーズ となりのトトロ」は、CD発表された2002年の録音とは、確実に改訂されていました。構成ではなく、細かいオーケストレーションだと思うのですが。
直近の久石譲コンサート活動は別途まとめています。
こちら ⇒ Concert 2010-
あくまでも聴き手にはわかる部分とわからない部分があるとは思いますが、常に変化しつづける音楽というのは魅力的ですね。さてこの2014年夏、久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラにて、「風立ちぬ 第2組曲」などは日本初披露されるわけですが、ぜひCDとしてもその完成形を封じ込めて、作品化してほしい!と熱望しています。
