Posted on 2015/9/27
クラシックプレミアム第45巻は、フォーレ / サン=サーンスです。
【収録曲】
フォーレ
レクイエム 作品48 (オリジナル版:第2稿)
キャサリン・ボット(ソプラノ)
ジル・カシュマイユ(バリトン)
アラステア・ロス(オルガン)
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮
オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティーク
モンテヴェルディ合唱団 / ソールズベリー大聖堂少年合唱団
録音/1992年
サン=サーンス
組曲 《動物の謝肉祭》
マルタ・アルゲリッチ、ネルソン・フレイレ(ピアノ)
ギドン・クレーメル、イザベル・ファン・クーレン(ヴァイオリン)
タベア・ツィマーマン(ヴィオラ)
ミッシャ・マイスキー(チェロ)
ゲオルク・ヘルトナーゲル(コントラバス)
イレーナ・グラフェナウアー(フルート)
エドゥアルト・ブルンナー(クラリネット)
マルクス・シュテッケラー(シロフォン)
エディット・ザルメン=ヴェーバー(グロッケンシュピール)
録音/1985年
「久石譲の音楽的日乗」第43回は、
最もシンプルな音楽の形式は?
前号にてWDO2015の編集部ルポルタージュをはさみ久石譲音楽講義の再開です。
超多忙なスケジュールも垣間見れ、一人何役こなしてるんだろうかと感嘆の想いです。また今号のエッセイでは、クラシック音楽の基本、とりわけ形式を理解するうえでもとてもわかりやすい解説です。
一部のみをかいつまんで抜粋してしまうと、理解できなくなるおそれがあり、意図に反することになりかねませんので、限りなくすべてを紹介させていただきます。
「この夏のコンサート・ツアーのため、しばらく原稿書きから遠ざかっていたら文章が浮かんで来ない。まあプロの文筆家ではないから仕方ないのだが、頭が音符でいっぱいになると他のことはできなくなるのだろうか? はたまた単にブランクが原因か? もしブランクなら作曲が心配になる。ツアーをしている間は、さすがに作曲するのは無理だ。とするとここにもブランクができている。」
「5月のコンサート以来約2ヶ月半、毎日自宅と仕事場の往復だけの日々は至って地味でシンプルだった。何日も何も書けず泥沼を這いずり回ったような苦しい時期もあったが、今振り返ると確実に曲はできていたのだった。毎日こつこつと同じことをする、あるいは定期的なサイクルで繰り返し、同じことを続ける。もちろんそれは演奏でも作曲でも文章を書くのでも同じことで、続けること、それが一番。これぞミニマルな生活だ。さあ、作曲に戻るためにも早く原稿を上げよう。」
「前回、ホモフォニー(ハーモニー)の時代は機能和声の確立によって音楽はよりエモーショナルな表現が可能になったと書いた。この『クラシック プレミアム』で取り上げる楽曲の大半がそうであるように、多くの人が今日耳にするいわゆるクラシック音楽はこの時代の音楽である。」
「構造は至ってシンプル、メロディーラインとそれを支える和音が主になる歌謡形式に近いものだ。つまり8小節(これが7でも10小節でも同じ)のフレーズが基準になる。もちろんシェーンベルクの《浄められた夜》のように複雑な対旋律やリズムも加わるものもあるからそんなに単純ではない、と言われてもしょうがないのだが、ベーシックな構造は同じなのである。ヴィヴァルディや初期のハイドンを想像してもらえばわかりやすいかもしれない。もちろん8小節では20秒前後で曲が終わってしまうので、これをいくつも組み合わせて一つのまとまった曲にしていくわけだが。」
「ここで重要なのが形式だ。何となくダラダラとメロディーが続いていても、聴き手には何も訴えてこないし、締りがない。なんらかの約束事であるその音たちを受けるお皿のようなもの、あるいは容器がいる。それが形式である。」
「音楽は論理性が大事だ。ドだけでは意味を持たず、それに続く音の連なりがあって初めて音楽として成立する。この連続性には時間が必要なので論理的であると前に書いた。その一つの固まりが先ほどの8小節のメロディーあるいはモティーフなのだが、それを組み合わせ、時間軸の上で構築していくのに必要な約束事が形式なのだ。最もシンプルなものは三部形式である。こう書くとまた講義かと思われるから別の言いかたをする。」
「宇宙人に遭遇したらあなたはどうしますか?…はあ?…この質問に作曲家の武満徹氏は確か「相手の言ったことを繰り返す」というような意味のことを答えていたと思う。随分前に読んだ本なので記憶が定かではないのだが、僕も多分同じことをすると思う。その根拠は「わからなかったら繰り返す」ということだ。」
「そしてこれが三部形式の大前提なのである。あるメロディーから始まった、しばらく経ってからまた最初のメロディーが聞こえた。そうすると多くの人は一つのまとまったもの、あるいは完結したものと認識する。つまりa-b-aということになる。これは古今東西を問わずあらゆる音楽の基本形態であると言っていい。もう一度繰り返す、あるいはもう一度聞こえたということが人間の生理に合致しているのである。じゃあ先ほどの宇宙人は繰り返すのか? などと余計な質問をしてはいけない…これは人間の生理の話なのだから…なんとか収めたのだから蒸し返してはいけない(笑)。」
「さて8小節のメロディーがa-b-aで24小節前後になったとしても多くの場合は(テンポにもよるが)40~50秒くらいにしかならない。それでa-a’-b-a’とかa-b-a’-c-b-a-b-a’など様々な工夫をしながら音楽は徐々に大きな建物になっていった。その極致が交響曲である。特にその第1楽章が最たるものである。10~15分、マーラーに至っては30分もかかるその楽曲はどう作られているのか?」
「それがソナタ形式という形であり、実はこれもa-b-aの拡大版三部形式なのである。具体的にはまずテーマを演奏する提示部(a)、それからそのテーマを様々に変奏する展開部(b)、そしてもう一度最初のテーマを演奏する再現部(a)で構成されているのだが、ごらんのとおりa-b-aの三部形式になる。もちろんそんなに単純ではなく、提示部には第1主題と第2主題があり、それぞれもっと細かく約束事があるのだが、それは次回に書く。」
「重要なのは、ホモフォニー音楽は根がシンプルな分、情緒に訴える力が強く、それゆえ様々な約束事を作ることで大きな建造物にしていったということ。だが、それもやがて行き詰まっていくのである。」
そういえば最近読んだ本におもしろいコラムがありました。ワーグナーの「ニーベルングの指環」を取り上げてだったと思います。
ワーグナーはライトモチーフという手法を用いたことでも有名で、このメロディーは登場人物Aを表す、このメロディーは登場人物Bを表す、つまりスター・ウォーズの”ダースベイダーのテーマ”でも有名な手法がライトモチーフです。
さらにストーリーがある作品なので、状況によって、喜怒哀楽の表情へと変奏されます。これが上のエッセイにも書かれているa-a’、さらにはa-a’-a”などと連なっていく。
膨大なモチーフと、かつ膨大な変奏が入り乱れる作品において、ワーグナーは聴衆がついていけるか理解できるか心配で、あちこちにストーリーやライトモチーフを復習する場面を設けたというわけです。だから「ニーベルングの指環」などあれだけの長い演奏時間がかかることになったと。
おもしろいと最初に書いたのは、そのコラムに『ワーグナーが聴衆を信じていないさまが、異常にしつこいという人間性が表れている』と書かれていたからです。そういう捉え方もあるのかと、おもしろかったです。
たしかに時代もあります。CDもDVDもない時代に聴衆がその演奏会だけで作品を理解してくれるか、心配になるのもわかります。ちょうど今号での”形式”の講義と、直近で読んだ本の内容とがつながったのでご紹介まででした。
最後に。今回のエッセイ冒頭にさらっと書かれている久石譲の言葉は名言ですね。
”毎日こつこつと同じことをする、あるいは定期的なサイクルで繰り返し、同じことを続ける。もちろんそれは演奏でも作曲でも文章を書くのでも同じことで、続けること、それが一番。これぞミニマルな生活だ。”
ミニマルな生活、なかなかいい表現だなあと気に入ってしまいました。
ミニマルな生活
~シンプルに
~ミニマル(最小限)とは、選択と集中で優先順位をつけて
~ミニマル(音形)とは、モチーフつまり最も大切な核なこと
~繰り返し続ける
そう勝手に解釈いたしました。
なんだかとても力をもらった気がします、勝手な解釈でもって。