Blog. 「久石譲 PIANO STORIES ’99 Ensemble Night with Balanescu Quartet」インタビュー コンサート・パンフレットより

Posted on 2015/11/3

久石譲の過去のコンサートから「PIANO STORIES ’99 Ensemble Night with Balanescu Quartet」です。

ここではコンサート・パンフレットより、インタビューをメインにご紹介します。

 

 

PIANO STORIES ’99 Ensemble Night with Balanescu Quartet

[公演期間]24 PIANO STORIES’99
1999/10/21 – 1999/11/11

[公演回数]
12公演
10/21 倉敷・倉敷市民会館
10/23 大阪・フェスティバルホール
10/24 名古屋・愛知厚生年金会館
10/28 盛岡・盛岡市民文化ホール
10/29 仙台・宮城県民会館
10/30 秦野・秦野市文化会館
11/1 広島・広島郵便貯金ホール
11/2 広島・広島厚生年金会館
11/5 福岡・メルパルクホール福岡
11/8 札幌・札幌コンサートホール
11/10 東京・東京芸術劇場
11/11 東京・東京芸術劇場

[編成]
ピアノ:久石譲
バラネスク・カルテット
Bass:斉藤順
Marimba:神谷百子
Percussion:大石真理恵
Wood Wind:金城寛文
Wood Wind:高野正幹

[曲目]
794BDH
Sonatine
New Modern Strings

「MKWAJU」より
MKWAJU
Tira-Rin

EAST (Balanescu Quartet)

Two of Us
太陽がいっぱい
Les Aventuriers

アシタカとサン (Pf.solo)
HANA-BI (Pf.solo)

【DEAD Suite】
Movement 1
Movement 2

DA・MA・SHI・絵
Summer ※Silent Loveモチーフあり
Tango X.T.C
Kids Return

—–アンコール—–
もののけ姫
Madness
DEAD Suite Movement 2 (11/11東京)

 

 

久石譲 PIANO STORIES 99 コンサート P2

 

INTERVIEW

連続(ミニマル)の結実

昨年のツアー「PIANO STORIES ’98 -Orchestra Night-」のライブ盤「WORKS II」をリリースしたばかりだが、今回のツアーはガラッと趣が異なる。昨年がオーケストラとの仕事の集大成なら、今年は久石譲のソロ活動での集大成を目指すという。彼が長年追究してきた音楽とは、どんな世界なのだろうか。

 

久石:
なぜ、今年のコンサートはアンサンブルなのか。答えは単純です。1年置きにオーケストラとアンサンブルのツアーを行っており、今年はアンサンブルの番。そして共演は、昨年、僕が演出を担当したコンサート「京都・醍醐寺音舞台」でセッションをし、非常に相性の良かった、バラネスク・カルテットにお願いしました。その他、マリンバ、ベースなどのメンバーも「音舞台」と基本的に同じです。今回のアンサンブルに最適なメンバーを選んだのですが、加えて、今年のツアーは比較的、キャパシティの大きなホールが多いので、”スペシャルな感じの大きさ”みたいなものも考慮しました。

例えば「音舞台」の時は木管1本だったのを、今度はバリトンサックスまで入れました。マリンバも1台だったのを、2台に増やした。そうすることによってアタックの衝撃度が大きくなり、より立体的な音になると思うんです。やっぱり木管一人だと、どうしてもメロディ扱いになるけど、二人だとセクション扱いになりますから。ただでさえ、ピアノに木管、パーカッションという形態のグループは日本にいないわけですよね。これはかなり衝撃的なサウンドになると思いますよ。

ただ、形態が少し変わったので、「音舞台」の時にも演奏した「Asian Dream Song」なども、またアレンジを変えなければならない。それがちょっと面倒臭いんですけどね(笑)。

内容的には、ミニマル・ミュージックをベースにしたアンサンブルを、と考えています。ミニマルって、ただ同じ音型を繰り返すだけと思われがちですが、実はこの音楽、ミュージシャンを選ぶんですよ。例えば日本人が演奏すると、どんどん音を厚くし、クライマックスに向かっていかなきゃならないような曲調になってしまう。早い話、M・ラヴェルの「ボレロ」とミニマルの何が違うか、ということを理解できる相当知的な人じゃないと、演奏できないと思う。”同じ音型を繰り返す=ミニマル”じゃないですから。

恐らく、技術的にバラネスクより上手いミュージシャンは、日本にいくらでもいるでしょう。でも彼らは、同じミニマルをベースにしている作曲家マイケル・ナイマンの元で演奏もしています。だからミニマル・ミュージックのあり方、繰り返す事の意味を、良く理解しているんですね。

 

21世紀に繋がる音楽を自分なりにアプローチしたい

久石譲は音楽のテーマを追い求める。
ミニマル・ミュージックは長年追究している音楽。
どうしても今、演奏しておかなければならない音楽。
その答えがここに垣間見えるかもしれない。

久石:
もしかしたら今回の試みは、映画音楽の久石しか知らない方にとって、見たくない、聴きたくない音楽かもしれません。以前は自分でもそう、考えていました。自分が描く世界はこうで、映画ではこうと。割と分けていた時期があった。ところが、北野武さんの映画に書いている曲というのは、基本的に自分のソロの世界とあんまり変わらないんです。いずれにしても自分の描く音楽は、自分の世界だと思っています。中でもミニマル・ミュージックは、僕が長年追究しているテーマ。個人的にどうしても今、演奏しておかなければならない音楽なんです。

20世紀の音楽は、リズムの世紀でした。アフリカにいた黒人が米国に連れて来られ、白人と一緒になってジャズという音楽が生まれた。そして今度は、黄色人種と結びついて、ラテン音楽が出来た。19世紀の終わりまでは、我が世の春のように西洋クラシックが絶対的だと思われていたわけですが、リズムに弱かったために、20世紀に入ると急速に影響力がなくなってしまった。つまり現在の、ギター、ピアノというベースがフォーリズムである音楽が支持されるようになった歴史とは、たかだか70年程度しかないわけです。で、アンサンブルの特徴というのも、基本的にはリズムにあります。大半の曲が140~150というすさまじいテンポの中で、機械的にリズムが徐々に変わっていく。つまりミニマルな音楽が主流なんです。僕の中で、もう一度、その70年の歴史を紐解いて、自分なりのアプローチをキッチリとしておきたい。そう、考えました。

選曲に関しても、僕がソロ活動の中で、ずっと以前から追究してきた「孤独」や「死」をテーマにしたものを演奏しようと思っています。自分自身、故郷・長野から東京に出てきたというのもあって、昔から”故郷を捨ててしまった人間の悲哀”に興味がありました。人間の理想の生き方って、朝、日の出と共に目が覚めて、肉体を使った労働をして、日が暮れた時にご飯を食べ、寝る。非常にシンプルなのがいい。その中で培われた共同体や近隣の人たちなど、いろんな人との関わり合いの中で生活しているわけですよね。ところが今、家の方で根を張っているべきところを、皆が離れてしまい、”都会生活者”という根無し草になってしまった人たちが大勢いる。そういう人たちが作る経済状況の中で、兎小屋のような小さい部屋で寝泊まりし、コンビニのご飯を喰い、生きている。やっぱりそれは正しくない生き方だし、すごく苦しい事だと思うんです。で、「根無し草の人たちにとっての自然観って、何なのだろう」。そう、考えるようになった。そうして誕生したのが、「My Lost City」や「地上の楽園」といったアルバムだったのです。その中から何曲かを演奏しようと思っています。

ただ、すごくマズイのは、アルバム発表当時はバブルの絶頂期で、警鐘を込めて作っているんですね。だから今回は、ニヒリズムでやるのではなく、前向きに出来ないかと。アレンジを含めて、本番まで考えなければなりません。

それから新たに1、2曲、このツアーのために新曲を作る予定もあります。実は今回、今までのツアーと全く異なり、ツアー終了後に、バラネスクとのレコーディング企画しているんです。僕はいつも、あまり曲が煮詰まってない時点でレコーディングする事が多いんですね。それを今回は、ツアーを回って完全に完成したところで、メモリアルな意味も込めて、アンサンブルのレコーディングをしようと思っています。実はアンサンブルって3、4年前からやってるのに、珍しくレコードになっていない。だから「DA・MA・SHI・絵」も「MKWAJU」もニューバージョンでのレコーディングとなりそうです。

 

久石譲 PIANO STORIES 99 コンサート P3

 

活動は点ではなく、線でなければいけない

昨年のツアー終了後、久石は自問を繰り返したという。
「自分はなぜ、音楽を創るのか」。その答えはまだ、見つからない。
だが、立ち止まることで見えたもの。走り続けたことで得た、新しい出会いがあった。
久石の音楽に対する姿勢は、確実に変わりはじめている。

久石:
そうした新しい試みに自分自身、期待するものも大きいのですが、不安もあります。それは、昨年のツアー終了後から半年間、ピアノの演奏を観客の前でほとんどやってないということです。僕は、ピアノに向かわないと決めたら、その間、ピアノにも触りもしません。今年の8月8日に、昨年に続いて日本テレコムのイベントで久々に演奏することになり、1週間前から急激に練習を始めたのですが、腰は痛くなるし、もう体はボロボロ(笑)。ブランクが大きいと確実に、まず腕の筋肉が落ちます。その間、一生懸命ジムにも通っていたのですが、無駄だった。「ジムで造る筋肉って実用じゃないんだ」と、身にしみて分かりました(笑)。

その半年間、ピアノを弾かなかったというのは、理由があるんです。「Gene -遺伝子-」(NHKスペシャル「人体III」)などのレコーディングで忙しく、必然的に弾く機会がなかったということもありますが、それ以上に、ちょっと”間”を置きたかったというのが正直な気持ちです。

それは、「自分はなぜ、音楽を創るのか」。そう真剣に自問自答した半年間でした。長い間音楽を創っていると、惰性や習慣である程度のことができてしまう。それを一度壊して、「なぜ自分は音楽を創るのか」、「どういう音楽を創るべきか」、「何を表現したいのか」。音が鳴り出したらそれに流されるのではなく、「なぜ自分が今、この音を弾くか」ということまで。それは音楽だけじゃなく、自分がモノを創るという活動で、何をすべきかまで考えました。

結局、結論は未だに出ていませんが、きっとピアノに向かうと気持ち的に違いがでるでしょう。表現しようとする世界が変わっていくと思います。それがすごく大事な事なんですよね。

新しい映画監督との出会いも、その一環でした。今までわりと、北野武さんや宮崎駿さんなど、すごい大監督さんとやってきた。ここで一つ、世界観を変えてみたいと思って、映画「はつ恋」で篠原哲雄監督と、「川の流れのように」では秋元康監督(共に来春公開予定)と。まだ監督作2、3作品目の方たちとの仕事を経験したわけですが、新しい刺激があって面白かった。

ある意味、今回のバラネスクとの共演も、そうした世界観を変えてみたいと思っての発案だったのかもしれません。それに、活動というのは、絶対点であっちゃいけない。昨年の「音舞台」での出会いを次に生かす、”線”じゃなきゃいけないと思うんです。自分の書斎で考えている世界って小さいですから、いろんな人と出会って、いろんな可能性が広がっていく事を大切にしようと思ってます。

これは常々口にしているのですが、僕はあくまでも作曲家であって、演奏家ではない。では、なぜライブで演奏するか。本音を言えば、僕のような演奏家がもう一人居てくれたら、自分で演奏しようとは思わない(笑)。ただやっぱり、ソロアルバムや自分の世界というのは、パフォーマンスも含めて完成しないと完結しないんですよね。自分の世界というのは、聴衆の前で演奏してくれる人が必要なんですよ。だからそれはもしかしたら、久石譲オーケストラを結成して、表現することも出来るでしょう。たまたま自分がピアノを演奏するのが好きだったから、自分で表現するのがいいのかなと思っています。確かに、すっごくテクニックがある人は山ほどいる。ただ、自分がシンプルなメロディーの中に託したものを、自分の思った通りに弾いてくれる人って、そうはいない。本当は、出来るだけ早く演奏活動を辞めたいのですが(笑)。

いや、やはり、ステージは、自分の音楽の最終形態。まだまだ自分で演奏していきますよ。

(「久石譲 PIANOS STORIES ’99  」 コンサート・パンフレットより)

 

 

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久石譲 PIANO STORIES 99 コンサート P6

 

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