Posted on 2016/4/28
2008年公開 映画「おくりびと」
監督:滝田洋二郎 音楽:久石譲
出演:本木雅弘、広末涼子、山崎努 他
第81回アカデミー賞外国語映画賞や第32回日本アカデミー賞最優秀作品賞など数々の賞を受賞した作品です。
久石譲の音楽においても、第32回日本アカデミー賞優秀音楽賞にノミネートされたのですが、最優秀賞は逃しました。実は、この年久石譲はふたつの作品でノミネートされていて、最優秀音楽賞に輝いたのは、もうひとつの作品『崖の上のポニョ』だったのです。なんとも贅沢な出来事といいますか、改めて久石譲が日本映画界、日本映画音楽の巨匠たるゆえんを垣間見た瞬間でした。
この作品の音楽は、映画の相乗効果もあり、国内のみならず、海外でも高い評価を受けて広く知られています。実際に久石譲オリジナルアルバムにも複数収録されていますし、海外公演が行われる時にはプログラムとして選曲される機会も多いです。
ここでは、映画「おくりびと」公開当時、映画館などで販売された公式パンフレットより、久石譲のインタビューを中心にご紹介します。
インタビュー
音楽・久石譲
チェロはこの作品のもうひとるの主役。
まずチェロありきで音づくりをしました。
-滝田監督とは『壬生義士伝』(02)以来のコンビですね。
久石:
『壬生義士伝』は幕末が舞台のスケールの大きな話でしたが、今回は「人生の旅立ちをおくる」という誰にも訪れるテーマです。最初に脚本を一読して泣きました。登場人物がとても丁寧に描かれている。「これをどうやって監督は料理するのだろう」と考えたらワクワクして、即座にお受けしました。滝田作品の特徴のひとつは非常に緻密につくられていること。ストーリーの流れに沿って、登場人物の気持ちがきっちり描かれています。それも過不足なく捉えられているので、毎回「すごいなあ」と感心しています。それから画面づくりの素晴らしさ。いろんなカットが巧みに挿入され、中には「こんな斬新なアプローチもあるのか」と思うものもあり、映画音楽を担当する者にとっては、楽しい仕事です。
-今回の仕事は運命的な出会いだったとか…?
久石:
ええ、僕は毎年コンサートツアーをやっていて、今年はチェロを主軸において展開しようと企画していた矢先に『おくりびと』のオファーをいただきました。主人公がチェリストであり、楽団の解散によって音楽の道をあきらめるという設定から、チェロが重要な役割を占めています。そこでチェロのアンサンブルだけで映画音楽を構成しようと考えました。ピアノや他の楽器も少しは入りますが、あくまでチェロに焦点を当て、全編を流してみよう、20曲以上のメロディーすべてをチェロで演奏しようと試みたわけです。でも、やり始めたら結構難しくて苦労しました(苦笑)。とはいえ、映画自体が良くなければ音楽的なチャレンジはできません。そうした試みができたことを監督に感謝しています。
-チェロという楽器が与える効果は大きいわけですね。
久石:
そうですね。チェロは人間の肉声に近く、低い音から高い音まで、広い音域が奏でられる素晴らしい楽器です。ヴァイオリンなら普通に出せる高い音域をチェロが弾くと悲鳴のように聴こえるんです。音に力が込められ、独特のニュアンスが生まれてくる。そうした特性が、この映画の雰囲気にぴったりマッチしたのです。生きている世界の向こう側には死後の世界があり、あの世は人間の感情に決して左右されることがない。また、大悟が納棺師として生きていこうとする心の揺れも大切な見どころです。それらをゆったりしたテンポでハイポジションの音を必死に出しているチェロの演奏によって伝えられたと思います。本木さんは、本当に一生懸命練習されていました。通常、役者さんが楽器を演奏するシーンでは、顔のアップ、手のアップを撮り、最後は遠く離れた場所から撮影して、弾いている姿をはっきりと観えないように撮るんですが、本木さんは実際に本人が弾いているのではないかと思わせるほど上達されました。撮影後も練習を続けているそうで、そのうち僕のコンサートにゲスト・チェリストとして参加するかもしれません(笑)。
では、最後の質問。ご自分が死んだら、どのようにおくられたいですか?
久石:
愛用のグランドピアノを棺に入れて欲しいですね。あ、だけど大きくて棺に入らないなぁ。じゃあ、ピアノの方に僕を入れてください(笑)
(映画「おくりびと」劇場用パンフレット より)
チェロ奏者の芸術(アート)と納棺師の技術(アート)を結びつけた久石譲の技法(アート)
文・前島秀国(サウンド&ヴィジュアル・ライター)
本編冒頭、雪に覆われた庄内平野の旧家で、大悟と佐々木が納棺に臨むシーン。たった今、息を引き取ったとしか思えない美しい遺体に、粛々と、だが手際よく、ふたりが経かたびらを着せていくと、その背後からチェロ12本とハープによる美しいアンサンブルが聴こえてくる(『おくりびと』オリジナル・サウンドトラック盤 トラック[02] NOHKAN)。音楽はあくまでも静謐な響きに包まれているが、決して悲壮感を漂わせることはない。つまり、これは世間一般が想像するような”葬送音楽”ではないのである。そこに聴かれるのは宗教的な祈りにも似た”浄化”の感情であり、死者の旅立ちを厳かに祝福する”希望”の音楽のようにも思える。
このアンサンブル曲だけで、すでに久石譲は『おくりびと』という作品のエッセンスを音楽で見事に表現し切ったというべきだろう。だが、久石のスコアはそれだけにとどまらない。作曲家(アーティスト)としての久石は”単に美しい曲を書く作曲家”からさらに先に進み、ドラマの内実に見合った音楽設計に基づきながら、本作のスコアを作り上げているのだ。
別項のインタビューでも語られているように、久石がチェロ・アンサンブルに本作のスコアを演奏させているのは、主人公・大悟のキャラクター設定、すなわちリストラに遭ったチェロ奏者という設定を踏まえたものである。先の納棺のシーンに続いて登場する、ベートーヴェンの交響曲第9番~第4楽章(いわゆる《歓喜の歌》)の演奏シーンで、我々観客は実際に大悟がチェロを演奏するのを目にすることができる(蛇足だが、有名な《歓喜の歌》のメロディを《第九》の中で最初に演奏するのは、実はチェロ・パートである)。つまり、チェロは大悟という人物そのもの、いわば彼のアイデンティティを象徴している楽器なのだ。そこから、スコア全体をチェロ・アンサンブルで鳴らす必然性が導き出されてくる。
しかし、久石はそこから一歩踏み込み、チェロ・アンサンブルのスコアを通じて『おくりびと』という作品の内奥の真実に迫っていく。大悟がチェロ奏者という職業を断念し、納棺師という仕事を選んだことは、果たして本当に”挫折”なのか? いや、そうではないのではないか?
到着が5分遅れただけで怒りを露わにする喪主を前に、大悟と佐々木が喪主の妻の納棺の儀を進める本編中盤のシーン。そこで久石は、それまで抑えていた感情を一気にほとばしらせるように、チェロ・アンサンブルに切々たる”歌”を滔々と歌わせているのだ(オリジナル・サウンドトラック盤 トラック[10] beautiful dead I)。故人が愛用していた口紅を用いて佐々木が死化粧を完成させた瞬間、泣き崩れる故人の娘。その姿に重なって流れる、どこまでも昇りつめていくようなチェロ・アンサンブルの”涙の歌”。チェロ演奏の素晴らしい芸術(アート)が人の心を打つように、納棺師の素晴らしい技術(アート)もまた、人の心を動かす。久石の音楽は、実はこのふたつの”アート”が等しく高貴で美しいものである、という真実を、我々観客に訴えかけているのである。つまり、チェロ奏者の芸術(アート)も、納棺師の技術(アート)も、”死者を甦らせる”という点において、本質的には全く変わらない。このシーンで流れる大悟のナレーション「冷たくなった人間を甦らせ、永遠の美を授ける。それは冷静であり、正確であり、そして何より優しい愛情に満ちている」を思い出してみて欲しい。「冷たくなった人間」を「楽譜」に置き換えてみれば、このナレーションが演奏芸術の本質を見事に突いた言葉でもあることに気づくはずだ。「冷静であり、正確であり、そして何より優しい愛情に満ちている」久石のチェロ・アンサンブルの音楽が、そのことを何よりも雄弁に物語っている。
『おくりびと』のスコアにおいて、久石譲はチェロ奏者の芸術(アート)と納棺師の技術(アート)を同列で結びつけることに成功した。作曲家(アーティスト)としての技法(アート)を十全に開花させた、これは紛れもなく久石の代表作のひとつになるはずである。
(映画「おくりびと」劇場用パンフレット より)
プロダクションノート
久石譲の運命的音楽の挑戦
本作の音楽は、今や国内のみならず世界にその名を知られる名匠・久石譲。滝田監督とは『壬生義士伝』(02)でもコンビを組んで多大な成果を収めている彼は、今回も脚本を一読して即オファーを快諾。その内容の素晴らしさはもちろんのこと、ちょうど彼は2008年のコンサートツアーをチェロ主軸でいこうと決めて動き始めていた矢先に、チェリストを主人公に据えた映画の音楽依頼があったことに運命的なものを感じたのだ。
当然、本作の音楽もチェロを主体としたもので、久石の声かけのもと日本を代表するチェリストが集結。劇伴では、若きチェリストの代表格・古川展生をはじめ苅田雅治、諸岡由美子、海野幹雄、木越洋、渡部玄一、高橋よしの、羽川慎介、久保公人、村井將、大藤桂子、鈴木龍一、堀内茂雄ら13名の奏でる美しいチェロの音色が映画に華を添えている。レコーディング日には、彼らが所属する各オーケストラのトップチェリストが不在となるため、その日、国内でまともなクラシック・コンサートを開催するのは不可能! と断言できるほど豪華メンバーの顔合わせとなった。
チェロは弦楽器の中でも、下はコントラバスから上はヴァイオリンまでと最も音域が広く、いわば万能楽器。しかもチェロでヴァイオリンの音域を奏でることで、また違った情感が深まるのだ。ここにまたひとつ、久石譲のあらたな名曲が誕生した。
さらに劇中、大悟が所属していたオーケストラの演奏シーンで指揮を執っているのは、東京交響楽団正指揮者であり山形交響楽団常任指揮者でもある飯森範親。本木のチェロ指導には、チェリストとして幅広く活躍する柏木広樹が就くなど、華やかな音楽人の参加も、特筆すべき楽しみのひとつだ。
[memo]
チェロは女性のボディを模して作られた楽器らしい。だからチェロを抱くことがご遺体を抱くということと物理的にリンクするんです。またチェロの音色は、弦楽器の中で一番人間の肉声に近い音域だそうで、人の心に共鳴しやすい。
(本木雅弘 インタビュー談より)
(映画「おくりびと」劇場用パンフレット より)