Posted on 2016/5/5
音楽専門誌「音楽の友 2016年5月号」(4月18日発売)に久石譲のインタビューが掲載されました。
5月8日に迫った長野市芸術館のグランドにオープンに向け、芸術監督としての久石譲のインタビューです。久石譲の”3つの柱”、それを表現する場所であり観客と新しい体験を共有する場所としての長野市芸術館。そんな想いやコンセプトが語られています。
「古典芸能でないということは、こんにちの音楽をやらなきゃいけないということです」
5月にオープンする長野市芸術館。南に松本のサイトウ・キネン、北にアンサンブル金沢という立地で、どういう取り組みがなされるのか。芸術監督・久石譲に話を聴く機会を得た。
久石譲には三つの柱があった。映画を含めたエンターテインメント、コンサートで演奏される音楽作品、そして指揮。そこにホールという新しい柱が加わる。異質であると同時に、音楽そのものとは異った煩雑さがはいってくるのだが……。
「ふと、気づいたことがあるんです。自分が、全部ひとつにつなげることができるのは、このホールでこそだ、と。指揮をする。プログラムを作れる。さらに、エンターテインメントの音楽をやる立場からすれば、一番重要なのは観客です。ホールではダイレクトに観客に向き合うことができる。」
具体的には?
「例えばプログラムです。長野では、一回のプログラムに現代の作品を必ず入れる。それもベートーヴェンやブラームスと一緒に、です。指揮の依頼があるとしましょう。現代曲を組みこむ提案をします。と、お客さんが来ないと言われてしまう。無難なプログラミングに陥ってしまうのです。東京だけでも9つのオーケストラがある。全国にはすごい数が。でもほぼ似たり寄ったりのプログラムが中心です。でも、『クラシック音楽』は、古典芸能ではありません。古典芸能でないということは、こんにちの音楽をやらなきゃいけないということです。」
作曲家として、新しい作品を生みだす立場だからこそ、ですね。
「歌舞伎でも新作があったり、スーパー歌舞伎があったりと、トライしている。クラシックもやらなくてはいけない。でも、現代音楽祭と称したもので、現代のものをやってます、と処理されてしまう。この現状は絶対に間違っている。そう思っているんです。そうじゃなくて、ブラームスとかベートーヴェンをメインに据えてでも、どこかに必ずこんにちの音楽を入れこむ、それが今自分の指揮者活動でのスタイルです。現代曲を聴きに来ているわけではないお客さんに、新しい体験をどんどんさせる、してもらう。そのコンセプトは東京でも全国のコンサートも変わりません。そうした意味の実践の場として、長野が一番いいんじゃないかと考えるようになったのです。」
クラシックの聴き手は、「知っている」を大切にします。そしてひとつの判断基準にするところがあります。知らないものに拒否反応がある。
「エンターテインメントのフィールドにいたから、すごくよく分かるんですが、やっぱり素直なんですよ、知っているかいないかではなく、いいか悪いか、です。それだけにわたしのコンサートに足を運んでくれる方は、年齢層が若いのです。まだ経験値が少ない分だけ、楽章間で拍手があったりするケースもあるんです。でもね、その人たちが面白いと、じゃあまたクラシックのコンサート行こうかな、って思ってくれるなら、それでいいんです。ただ、日本中の最大の問題だと思います、この閉鎖的な考え方になるのは。」
そうした場、文脈のなかにクラシック音楽を置いてみる、そして、久石さんが選ばれる「いまの音楽」によるプログラムが、ホールとしての独自性になるのかと思います。
「やっぱり作曲家がやるわけですから、自分がいいと思う音とか必要だと思う音楽をきちんと素直にぶつけていこうかと思っていますね。実際、ポスト・ミニマルとかポスト・クラシカルと呼ばれる音楽はまだほとんどコンサートで演奏されていないのが現状でもありますから。」
取材・文:小沼純一
(「音楽の友 2016年5月号」より)