Blog. 「レコード芸術 2018年3月号 Vol.67 No.810」青春18ディスク 久石譲インタビュー内容

Posted on 2019/09/18

クラシック音楽誌「レコード芸術 2018年3月号 Vol.67 No.810」に掲載された久石譲インタビューです。巻頭カラー連載「青春18ディスク」コーナーに登場、本号前編・次号4月号後編として2回にわたっていろいろなエピソードとともに思い出のディスクが紹介されています。

 

 

青春18ディスク
私がオトナになるまでのレコード史 (3)

今月の人●久石譲 前編

こんなに不協和音だらけの音楽があるのか!
ショックを受け、前衛的な響きにのめり込むきっかけとなった黛敏郎の《涅槃交響曲》

ききて・文:飯田有抄

 

年300本以上観た映画は音楽の原点
ヴァイオリンは交響楽への入り口

「いつも”今が大事”だと思っているので、自分自身の過去を振り返ることはほとんどありません。ですから『あの音楽と出会ったのはいつだったか』という編集部からの問いかけで過去を思い返すのは、個人的に珍しい体験だった。気づけば一生懸命LPを探していました」

そう笑いながら、思い出の詰まったレコードの山を見せてくれた。買い集めてきた青春時代のLPは、ジャケットの一枚一枚にも思い入れがある。だが「レコードを聴く」行為そのものは、物心ついたころから始まっていたという。

「竹針を使う”電蓄”ですね。あれを父が持っていて、《カルメン組曲》などのクラシック、童謡、美空ひばりの歌謡曲など、ジャンル問わずいろいろな音楽が家の中で流れていました。

 当時の音楽的な経験として大きかったのは、年間300本以上映画を観たことです。長野県中野市の高校の若手教員だった父は、生徒が映画館に出入りしていないかどうか巡回に出掛けるので、僕もその度に付いて行っていたのです。街には二つの映画館があり、片方が東映・東宝で、もう片方が日活・松竹・大映。テレビが普及する直前、映画全盛の時代ですから、週に3本ずつ入れ替わる。月に最低24本。怪談、恋愛、アクション、チャンバラ……あらゆるジャンルを5年間見続けました。のちに映画音楽を書くことになった僕にとって、この経験は財産ですね」

印象に残るレコードとして最初に記憶されているのは、小学校時代の友人の家で聴いたドヴォルザークの交響曲第9番《新世界より》だった。

「同級生に医者の息子がいて、その子の家には立派な装置があった。そこで聴いたのがワルター指揮コロンビア響の《新世界より》。まだ自分でレコードを買うのではなく、友人宅に何度も遊びに行って聴いていました」

交響曲のレコードに魅せられたのは、ヴァイオリン・レッスンに通っていた影響もあるという。

「4、5歳くらいから小学校高学年くらいまで習っていました。練習室にはオルガンが置いてあって、それをレッスンの一時間前に行って弾くのが楽しみで。和音なんてことを習う前から、自分でドミソを鳴らしては綺麗だなぁ、と。ヴァイオリンよりも、鍵盤をたどって美しい響きを自分で発見するのが面白かった」

 

演奏することよりも作ることの方が好き

中学に入るとポップスに出会った。初めて買った45回転のドーナツ盤がザ・ロネッツの『Be My Baby』。

「中学生ともなると世間に目覚めるというか、ラジオで聞いていいなと思ったらメモをして、買えるものは買いました。60年代当時はアメリカのポップスがすごく元気だった」

一方で、中学の部活動ではブラスバンド部に所属。トランペットのソリストとしても活躍した。

「マーチだとか、コンクールの課題曲だとか、みんなで音楽をやるというのがとても楽しかった。サクソフォーンやトロンボーンもやりましたが、指揮もしましたね。というのも、ヴィレッジ・ストンパーズの《ワシントン広場の夜は更けて》なんかをブラスバンド用に一生懸命譜面に起こし、みんなに演奏してもらうのが楽しかったのです。夜中に布団をかぶって、あ、この音だ、と探しながら譜面にするのは大変でしたよ(笑)。当然ハーモニーの理論なんて知らない頃だから。でもそれで、自分は演奏することよりも、作ることの方が好きだと自覚し、作曲家になろうと決めたのです。

 音大の作曲科に進もうと、ピアノを習い始めました。そこでグレン・グールドの《インヴェンションとシンフォニア》に出会った。その頃にはうちにもステレオがあって、イ・ムジチ合奏団の録音でバッハの《管弦楽組曲第2番》などもよく聴きました」

 

現代音楽とジャズの洗礼

高校時代は音大の作曲科を目指して、3年間レッスンを受けに東京に通った。師匠は和声学の大家、島岡譲。

「島岡先生のレッスンは無駄のない厳しいものでした。和声学は古典的な理論の基本です。決められた型を学ぶ。でもそのことに抵抗を感じていた僕は、後に大学に入ってから一度先生に楯突いたことがありました。『決まりを学ぶことが、本当に人の感性を育てることになるんでしょうか?』と。先生の答えはとても明快でした。『基礎を学ぶ程度で個性が潰れるやつは、所詮作曲家にはなれない』と。そうポンと言われたときに、あ、理論はやっぱりちゃんとやったほうがいいな、と逆に思いましたね」

そんな反骨精神と素直さを併せ持った10代、夢中になって聴いたのが「現代音楽」だった。

「この頃はもういろんな音楽を聴きたくて、バーンスタインの指揮するショスタコーヴィチの5番が好きでした。メシアンの《トゥランガリラ交響曲》を小澤征爾さん指揮のトロント響で聴き、とんでもない日本人がいると知ったのもこの頃。次第に現代曲に目覚め、黛敏郎さんの《涅槃交響曲》に出会ったときは衝撃でした。日本の現代音楽にすごく勢いのあった時代で、三善晃さんの《交響三章》や《オンディーヌ》などのレコードも買いました。耳はどんどん刺激的なものを求め、クセナキスの《エオンタ》や、シュトックハウゼンの作品なども、これも音楽なんだと驚きながら聴いてましたね」

一方で、高校時代にはジャズの響きも知った。

「地方でも街に一人くらいは、ちょっとはみ出し者で、いろいろ教えてくれる大人がいたものです。10歳くらい年上で、喫茶店のようなところで、『これいいんだよ~』とジャズを教えてくれる人がいて、ディジー・ガレスピー、マイルス・デイビス、ジョン・コルトレーンなど、あらゆるジャズを聴かせてくれた。マル・ウォルドロンの『Left Alone』は高校時代の終わりに、耳コピしてピアノで弾いていましたね。でも、当時のレコードは回転もアバウト。僕はF#マイナーで聴き取ってコピーしたのだけれど、原曲はFマイナーだったのを後から知りました(笑)」

(レコード芸術 2018年3月号 Vol.67 No.810 より)

 

 

ドヴォルザーク:交響曲第9番《新世界より》
ブルーノ・ワルター指揮 コロンビアso
〈録音:1959年2月〉
[ソニークラシカルⓈ SICC2012]

「当時としては音響のいい設備をもった友人宅で、同時期にアンセルメ指揮スイス・ロマンド響によるベートーヴェンの第5番《運命》や、シューベルトの《未完成》など、交響曲の名作をたくさん聴いた。」

 

J.S.バッハ:2声のインヴェンションと3声のシンフォニア
グレン・グールド (p)
〈録音:1964年3月〉
[CBSⓈ OS425(LP)]
[ソニークラシカルⓈ SICC30352]

「音大を目指す者の通過儀礼として、自分でもピアノで弾いたバッハ。グールドが芸術作品として聴かせてくれた印象深い一枚。」

 

J.S.バッハ:管弦楽組曲第2番
イ・ムジチ合奏団
〈録音:1963年8月〉
[フィリップスⓈ SFX7597(LP)]
[フィリップスⓈ PHCP9683(廃盤)]

「イ・ムジチといえばヴィヴァルディの《四季》が有名だったが、バッハを好んで聴いていた。当時はスメタナの〈モルダウ〉やチャイコフスキーの《スラヴ行進曲》など派手なオーケストラ曲もステレオで楽しんだ。」

 

ショスタコーヴィチ:交響曲第5番, ストラヴィンスキー:バレエ《火の鳥》組曲*
レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨークpo
〈録音:1959年10月, 1957年1月*〉
[CBSⓈ WX7(LP)]
[ソニークラシカルⓈ SICC1791, SICC1850*]

「カップリングのストラヴィンスキーの《火の鳥》と合わせ、擦り切れるほど聴いた。同時期に知った《春の祭典》には、「こんな暴力的なリズムもやっていいのか!」と驚いた。」

 

黛敏郎:涅槃交響曲
ヴィルヘルム・シュヒター指揮 NHKso, 合唱団
〈録音1959年頃〉
[東芝(M) TA7003(LP)]
[EMI(M) TOCE9430(廃盤)]

「音楽とは綺麗なものだと思っていたのに、こんなに不協和音だらけの音楽があるのか! とショックを受けた。でも知ってしまうと、それ以外はあり得ないと思ってしまうくらい、前衛的な響きにのめり込んでいった。」

 

三善晃:音楽劇《オンディーヌ》
森正指揮 ラジオo, NHK電子音楽スタジオ, 他
〈録音:1959年〉
[東芝Ⓢ JSC1005(LP)]
[EMIⓈ TOCE9435(廃盤)]

「このあたりの音楽を聴いていたころ、自分はまだ東京で古典的なレッスンしか受けていないけれど、「現代音楽の作曲家になるのだ!」という意識が芽生えた。」

 

クセナキス:メタスタシス, エオンタ, 他
コンスタンティン・シモノヴィチ指揮 パリ現代音楽器楽ens, 高橋悠治(p) 他
〈録音:1965年〉
[コロムビアⓈ OS2914(LP)]
[シャン・デュ・モンドⓈ KKCC30(廃盤)]

「マスになった不協和音のダイナミズムで曲を構成していく音楽が、当時は最新鋭で刺激的だったが、ずっと後になってから指揮の師匠・秋山和慶さんのリハーサルに立ち会った際、時代がかった音響に聞こえたのも印象的だった。」

 

ジョン・コルトレーン / 至上の愛
〈録音:1964年12月〉
[ユニバーサル・ミュージックⓈ UCCU5606]

「大人からさまざまな名盤を教えてもらい、店で聴いた。この頃、ジャズのレコードを自分で買った記憶がないが、とにかくジャズが大好きになった。」

 

マル・ウォルドロン / Left Alone
〈録音:1959年2月〉
[Solid BethlehemⓈ CDSOL45501]

「ピアノでコピーできるくらいに聴きこんだ。当時はレコードも機械もチューニングがいい加減。ファなのかファ#なのか曖昧で、その中間くらいの音だった(笑)。後に本人の来日公演でFマイナーであることを知った。」

(レコード芸術 2018年3月号 Vol.67 No.810 より)

 

 

後編
Blog. 「レコード芸術 2018年4月号 Vol.67 No.811」久石譲インタビュー内容

 

 

 

カテゴリーBlog

コメントする/To Comment