Posted on 2014/2/8
「クラシック プレミアム」第3号は、ドヴォルザークとスメタナです。
【収録曲】
ドヴォルザーク 交響曲 第9番 ホ短調 作品95 《新世界より》
イシュトヴァン・ケルテス指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1961年
ドヴォルザーク 弦楽のためのセレナード ホ長調 作品22
ラファエル・クーベリック指揮
イギリス室内管弦楽団
録音/1969年
スメタナ 連作交響詩 《わが祖国》 より 第2曲 《モルダウ》
ラファエル・クーベリック指揮
ボストン交響楽団
録音/1971年
どの曲も小中学校の音楽授業でも耳にしたことのある曲ですし、それ以外でもTV・CM・映画など、いろいろな方面で聴いたことのあるおなじみの曲です。
「久石譲の音楽的日乗」第3回は、指揮者についてのあれこれ
指揮者の仕事や役割がわからない素人にとっては、とても具体的な話もあり、興味深く一気に読みました。結局、楽器や編成、譜面が同じであれば、誰が指揮をしたとしても、同じ曲は同じように鳴るんじゃないかと思ってしまうことも、「あっ、だから指揮者によってここまで演奏が変わってくるんだ」ということがすごくよくわかりました。
なるほど、本当に奥が深いです。
そういった話を、
●指揮者、映画監督、野球の監督、3つの共通点から
●ベートーヴェン 交響曲 第9番 第3楽章のテンポの問題から
わかりやすく解説しているのがおもしろかったです。また、作曲家が指揮をすることの意味を語っています。その箇所を今回は一部抜粋して紹介します。
「生のオーケストラでクラシック音楽を指揮するということは、いろいろなことをリアルタイムで音を出しながら確認でき、それがうれしい。じつは作曲家で指揮をする人は意外に少ないが、それは残念なことだと思う。頭だけで作曲し、現実と自分がやりたいことがどんどん乖離してしまうからだ。現代音楽の作曲家ペンデレツキもよく指揮をし、『曲だけ書いていてもだめだよ』と言っている。自分が演奏して思い通りにならなかった点を確認し、観客の反応もみてやっていかないと、よりよい音楽活動はできないのだと。作曲と演奏は分離してはならず、連動していくべきなのだ。それは作曲家にとってもオーケストラの未来にとっても、とても重要なことだと僕は思う。」
なるほど。
だから久石譲作品でも、フルオーケストラとして発表されているオリジナル作品でも、コンサート演奏を繰り返すたびに、改訂されていることもしばしばあります。先日もご紹介しましたが、「5th dimension」やその他多くの作品も、CD化した時点でのものを完成型やゴールとせずに、そこからまた時間の経過や演奏公演に伴って進化し変化していっているのだなあと。
また「クラシックプレミアム」本誌では、様々な角度からクラシック音楽を紐解いていますが、そのなかでクラシック音楽の歴史を毎号少しずつ紹介しているコラムがあります。
そういった他の読み物もとてもおもしろく毎号楽しみにしています。
- クラシック音楽とはいつの時代の音楽をさすのか
- バロック時代、古典派、ロマン派など、時代背景や楽器編成の特徴
- 時代ごとに求められたクラシック音楽の役割
- 宮廷音楽やBGM音楽としての依頼から、「自己表現する音楽」へと変化した時代
こういったことがわかりやすく毎号少しずつ解説されていておもしろいです。純粋にクラシック音楽を楽しむもよし、時代まで紐解いて味わうもよし。クラシック音楽の、バロックから古典派への変化のキーワードは、「コンサートという制度、ソフトとしての交響曲、楽器編成のスダンダード」とありました。この3つが大きくクラシック音楽の歴史と発展、進化に影響しているのだと。
これからますますクラシック音楽に触れるのが楽しみになっていきそうな予感です。耳も肥え、知識も肥え、少しずつクラシック音楽を「大人の嗜み」にしていけたらと思います。
また次号以降も紹介していきます。