Posted on 2014/10/06
「クラシックプレミアム」第20巻はラフマニノフです。
最近でいうとフィギュア・スケートの浅田真央選手の演技でも使われ、その他いろいろなシーンで誰しも聴いたことのあるピアノ協奏曲 第2番。そしてこちらも有名な《ヴォカリーズ》は、今号ではピアノをメインとした編曲となっています。いずれの曲も名盤です。
【収録曲】
ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 作品18
ヴラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)
ベルナルト・ハイティンク指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音/1984年
パガニーニの主題による狂詩曲 作品43
ペーテル・ヤブロンスキー(ピアノ)
ヴラディーミル・アシュケナージ指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
録音/1991年
《ヴォカリーズ》 作品34の14
編曲:ゾルターン・コチシュ
ヴラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)
録音/2004年
「久石譲の音楽的日乗」第20回は、音楽と視覚と聴覚の問題
指揮者や演奏家の場合の、譜面を読み取り(視覚)、演奏する(聴覚)ことや、譜面を読んで頭の中で音を鳴らすということなどが、自身の指揮者としての体験やコンサート活動の話も交えながら綴られています。
聴覚を失ったベートーヴェンがどのようにその後も作曲活動をしてきたのか、頭で組み立てる、頭で鳴らすことの可能性とその大変さ。あとは映画音楽作曲家ならではの例も紹介されていました。視覚と聴覚、映像と音楽、について。
一部抜粋してご紹介します。
「とにかく想像を絶することだが、頭で音楽を組み立てることができる可能性はある。もちろん多くの作曲家や僕などは頭で組み立てはするが実際ピアノで音を確かめるか、コンピューターでシミュレーションしたりする。それなのに実際のオーケストラでレコーディング、あるいはコンサートのとき、考えたのとは違う音がする場合もある。つまり考えたとおりではないのだ。ちょっと情けないのだが、だからこそ面白いのである。」
「それにマーラーをはじめ多くの作曲家が初演時にかなり手を入れて修正している事実を考えれば、それほど悲観することではないのかもしれない。またベートーヴェン自身も耳が聞こえないながらもピアノに向かって作曲していたらしいので、実際は弦を打つハンマーの振動や微かに水中で聞こえるようなくぐもった音として聞こえていた可能性はある。いずれにせよ、今日のクラシック音楽の世界では譜面を読む視覚的なことと聴覚の連携は欠かせないのだが、ピアニストの辻井伸行さんのように聴覚が視覚をも補って余りある、素晴らしい音楽家もいる。まさに天才と言うしかない。」
「要は、耳、あるいは眼から入った情報をいかに脳で変換するかということだが、実はこの耳からと眼からの情報は微妙な違いを脳にもたらす。場合によってはまったく別の情報を脳にもたらすこともある。」
「一つ例を挙げよう。映画の音楽を作っているとき、1秒24コマあるのだが、その24分の1秒までぴったり映像に音楽を合わせたとしよう。こういう場合は室内から屋外に画面が切り替わるとき、あるいは突然泥棒に襲われたとき、フーテンの寅さんがいきなりお店に帰ってきたときなど多々考えられるのだが、そのときに音楽も変えるか、衝撃を与えようとしたとする。すると必ず音楽が先に鳴ったと感じる。つまり画面と同時に音楽を、物理的には(24分の1秒まで)ぴったり合わせたはずなのに音楽が先行して聞こえる。どうです?面白いでしょう。これは眼から入る情報と耳から入る情報が脳に伝わるときに生じる時間的なずれからきているのだが、紙面が尽きた。続きは次回に。」
そうなんですね。まったく知りませんでした、というか意識していませんでした。それではジブリ作品、とりわけ「ラピュタ」「トトロ」などで聴かれる、映像シーンと完全にシンクロさせた久石譲の音作り。あれってどんぴしゃ合っているように聴こえていたつもりでしたが。これもまた音楽が先行して聞こえるのでしょうか。
それとも、上のような”視覚と聴覚の時間的ずれ”を熟知したうえで、さらに緻密にずらして、”合っている”ように聴かせているのでしょうか。
映像音楽といってもほんとに奥が深いんですね。それこそこういう作曲家自身から語られない限り、受け手としては純粋にそういうものだと受け入れてしまうことも、水面下のいろいろな制作過程があるという。
今後またお気に入りのジブリ作品でも見て、映像と音楽のシンクロを確認してみようと思います。