Blog. 「Nagano ARTOlé -長野市芸術館開館記念BOOK-」 久石譲 インタビュー内容

Posted on 2016/5/7

雑誌「別冊KURA 《Nagano ARTOlé》 長野市芸術館開館記念BOOK」(4月20日発売)に久石譲のインタビューが掲載されています。

5月8日グランド・オープニングを迎える長野市芸術館、その芸術監督としての久石譲のインタビューになります。ほかにも開館記念BOOKだけあって、長野市芸術館の着工前から現在に至るまで、様々な切り口での総力取材がぎっしりつまっています。

本誌コンテンツ内容はこちらをご参照ください。

Info. 2016/04/20 [雑誌] 「Nagano ARTOlé -長野市芸術館開館記念BOOK-」発売

ここでは久石譲インタビューにフォーカスしてご紹介します。

 

 

SPECIAL INTERVIEW

「長野市で日常的に音楽を聴けるように。しかも、世界に出しても恥ずかしくないものを提供したいのです。」
長野市芸術館 芸術監督 久石譲

 

世界の久石譲が目指す長野市発の音楽とは

-改めて、長野市芸術館への思いをお聞かせください。

久石:
「僕は作曲家なので、長野市芸術館の芸術監督の話をいただくまでは、作曲や指揮活動以外のことには消極的でした。でも、社会還元も重要なことだと考え、引き受けました。芸術監督といっても、年間プログラムの作成など、細かい仕事も多いのですが、大きな目標が見えたんです。それは、長野市で日常的にいろいろな音楽を聴けるようにしていくこと。しかも、そこで演奏される内容は、決して長野限定ではなくて、世界中のどこに出しても恥ずかしくないものを提供すること。何年か先には、長野市民の皆さんにとって音楽が日常になっていて、このホールに足しげく通っていただける、それが理想であり、一番大事なことだと思っています。ホールで音楽を聴くことに対して、敷居が高いというイメージを持っている方もいるかもしれませんが、そこをできるだけ日常と繋げていく。市民の皆さんにも、演奏家にも、音楽を通してどんどん新しい体験をしてもらう。そういうことをきちんと取り組みたいと思います。毎年夏に開催する音楽フェスティバル「アートメントNAGANO」や、僕が長野市芸術館で立ち上げる室内オーケストラ「ナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)」も、その構想の中に位置付け、世界を目指して継続してきたいと考えています。」

-久石さんにとって長野県はどういった場所ですか?

久石:
「あまり意識していないんですよ。でも、ここで生まれ育っているわけですから、今日(2016年1月18日)のように雪が降っているとうれしいです。皆さん「あいにくの雪で…」と言ってくださいますが、僕は素直に、うれしいって思います。意識的ではなくて無意識に、きっとどこかで長野の自然の恩恵を受けている、と感じています。僕の中には、長野で生まれ、日本で育ったというベーシックなものがあり、そこで培われたものも確かにあるわけですが、それを意識して前面に出して音楽活動をすることはありません。音楽は、いいものをつくるか、つくらないか。世界中どこでやっても、基本的には自分がやるべきことをきちっとやる、それだけです。」

 

音楽=論理的な構造で想像力を養う体験を

-以前、久石さんは、想像力を養うことの大切さについてお話しされていました。長野市芸術館での体験を通して、子どもや若い方たちに伝えたいことは。

久石:
「百聞は一見に如かずというように、いまの時代、すべての判断基準が視覚中心になっています。それはつまり、即物的になっている、とも言えます。目で見えるものが豊かだったり、物質が人間を豊かにするという、視覚の効果ですね。一方、音楽の話で言うと、たとえば「あ」という音には意味がない。でも、「あ」の次に「し」「た」とくると、はじめて意味を持ちますね。「あ・し・た」と言った時に時間の経過があります。音楽も、ドだけじゃ意味がない。ド・ソとか、ド・ミ・ソと音が続くことで、時間の経過が生まれてきます。時間の経過があるということは、そこに論理的な構造ができる。耳から入ってくると、非常に論理的にものごとを考えるということなんです。それをしなくなって、全部視覚で情報として処理していくとなると、アートは死んでいく。即物的なものの考え方ができてしまうと、そこにはもう想像力がなくなってしまうんですね。活字で「ここは広大な宇宙だった」とひと言書いてあるとします。すると、広大な宇宙を自分でイメージしますね。でも、映画で、広大な宇宙を表現したものを見ると、「ああ、これが宇宙か」と。視覚のほうが直接的で、そこには、想像力が入りづらくなってきます。想像力が養われないとどうなるかというと、人に対する思いやりが減ってしまうんです。たとえば、人と話している時、相手は僕のことを「小難しいやつだな」と思っているかもしれない。それに対して僕が「このまま小難しいやつで通そう」と思ったり(笑)、さまざまな思いが浮かびます。時間の経過の中で、相手のことを考えている。そうやってコミュニケーションは成り立っている。それが、おろそかになってはいないだろうか、と危惧しています。音楽に対しても、自分のイマジネーションや空想する力といったものをどんどん広げるためには、音楽をいっぱい聴いてもらったほうがいい、本もたくさん読んだほうがいい。長野市芸術館での体験を通して、想像力のおもしろさや大切さをみんなに投げかけられたらいいなと思っています。」

 

子どもたちに夢と希望を 世界初演の新作「祝典序曲」

-小さいお子さんにとっても、本物の音楽を聴かせてあげられるすばらしい機会ですね。

久石:
「その通りだと思います。僕は高校生までまともなオーケストラは聴いたことがなかったんです。長野市のホールで本格的なオーケストラを聴いたのは、高校一年だったと思います。その時すごく衝撃を受けました。すばらしいと思いました。同時に、もっと早い時にそういう経験をしていたらよかったな、とも思いました。これから、長野市芸術館で、絶えず一流の音楽を演奏していき、それを見てくれた小学生や中学生が「かっこいいな」「すごいな、自分もやりたいな」と思ってくれたら一番うれしいですよね。そういう場所になることを願っています。」

-5月8日のグランドオープニング・コンサートで、久石譲さんの新曲が演奏されると聞き、ワクワクしています。

久石:
「芸術監督を引き受けたからには、作曲家としてできることは、やはり曲をつくること。まず祝典序曲を書こう、と思いました。イメージは見えていますが、今はまだ曲を書いている段階なので、お話しできることは少ないのですが。ものをつくる人間は皆、そうだと思いますが、締切日が近づかないと完成しないんです(笑)。」

-5月8日を楽しみにしております。ありがとうございました。

 

長野市芸術館記念BOOK アトレ

(「別冊KURA 《Nagano ARTOlé》 長野市芸術館開館記念BOOK」より)

 

NAGANO ARTOle

 

Blog. 「週刊文春 2016年4月28日号」 久石譲 長野市芸術館 インタビュー内容

Posted on 2016/5/6

雑誌「週刊文春 2016年4月28日号」(4/21発売)に、久石譲のインタビューが掲載されました。

5月8日に迫った長野市芸術館のグランドにオープンに向け、芸術監督としての久石譲のインタビューです。とは言いつつも、夏の「アートメントNAGANO」や、秋の「Music Futureシリーズ」など、今の久石譲の軸を線で感じられ、一貫した強い想いや音楽活動におけるポジションを垣間見ることができます。

 

 

音楽が生みだす世界で、日常はもっと豊かになる

久石譲さんが10月に行うコンサート「Music Future」には、現代の音楽を多くの人に届けたいという、音楽家としての強い使命感が込められている。

「僕のいう『現代の音楽』とは、聴衆を無視したような『現代音楽』とは違い、『ミニマル・ミュージック』や『ポスト・クラシカル』と呼ばれるジャンルのものです。ミニマルは、1960年代、権威に抗い、既成の概念や価値を壊す運動の中で生まれた音楽で、最小限の音を僅かにずらしながらも、作品として見事に構成されていたんです。当時音大生だった僕は、その新しさに衝撃と戸惑いを覚えながらも、ミニマルを、自分の、作曲家としてのアイデンティティにしようと決めたんです」

もうひとつのポスト・クラシカルは、クラシックに電子音楽や現代的な感覚を組み合わせた音楽である。「Music Future」のプログラムは、これら「現代の音楽」に加えて、久石さんの新曲も披露することが決まっている。

「今年で3回目となりますが、演奏会を『敷居が高い』と思っている方こそ、気楽に来ていただきたいんです。唄が、ポップスや演歌といったジャンルを越えて受け容れられるように、オーケストラも身構えずに聴いて下さい」

久石さんが手がけた映画音楽のコンサート・チケットは即完売になるというが、こうした「現代の音楽」を取り上げる演奏会は、まだまだ一般客には認知されていない。そこには、日本の音楽界が持つ深い問題があるという。

「日本では『お客さんが入らない』と敬遠してしまいますが、それは逆だと思います。誰も『現代の音楽』を届けないから認知されないんです。聴いた方からは『こんな曲があったんだ!』と、とてもいい反応をいただいていますから」

実は、10月のコンサート以外にも聴く機会はある。まず、長野市芸術館の芸術監督を務める久石さんが、5月8日、芸術館の柿落しコンサートを指揮する(全席完売)。また、7月14日~29日の音楽フェス「アートメントNAGANO」の、善光寺での奉納コンサート(14日)でも演奏が決まっている(久石さんは、同フェスの他のイベントにも参加します)。

久石さんは、現代の音楽に触れてもらうと同時に、音楽を聴くことがもっと日常になってほしいと望んでいる。

「僕がスポーツ観戦をするのは、選手たちの素晴らしい技や人間の可能性に感動するからです。音楽も同じで、楽器を奏でるとそこに世界が生まれ、『人はこれだけの可能性を秘めている』と感動できるんです。ですから目の前に生まれる”世界”を是非、体感して下さい。感動は心に豊かさを生み、その一日が素敵に思えるはずです。一度足を運んでいいただけると嬉しいですね」

(週刊文春 2016年4月28日号より)

 

週刊文春 2016年4月28日号

 

Blog. 「音楽の友 2016年5月号」 久石譲 長野市芸術館芸術監督 インタビュー内容

Posted on 2016/5/5

音楽専門誌「音楽の友 2016年5月号」(4月18日発売)に久石譲のインタビューが掲載されました。

5月8日に迫った長野市芸術館のグランドにオープンに向け、芸術監督としての久石譲のインタビューです。久石譲の”3つの柱”、それを表現する場所であり観客と新しい体験を共有する場所としての長野市芸術館。そんな想いやコンセプトが語られています。

 

 

「古典芸能でないということは、こんにちの音楽をやらなきゃいけないということです」

5月にオープンする長野市芸術館。南に松本のサイトウ・キネン、北にアンサンブル金沢という立地で、どういう取り組みがなされるのか。芸術監督・久石譲に話を聴く機会を得た。

久石譲には三つの柱があった。映画を含めたエンターテインメント、コンサートで演奏される音楽作品、そして指揮。そこにホールという新しい柱が加わる。異質であると同時に、音楽そのものとは異った煩雑さがはいってくるのだが……。

「ふと、気づいたことがあるんです。自分が、全部ひとつにつなげることができるのは、このホールでこそだ、と。指揮をする。プログラムを作れる。さらに、エンターテインメントの音楽をやる立場からすれば、一番重要なのは観客です。ホールではダイレクトに観客に向き合うことができる。」

具体的には?

「例えばプログラムです。長野では、一回のプログラムに現代の作品を必ず入れる。それもベートーヴェンやブラームスと一緒に、です。指揮の依頼があるとしましょう。現代曲を組みこむ提案をします。と、お客さんが来ないと言われてしまう。無難なプログラミングに陥ってしまうのです。東京だけでも9つのオーケストラがある。全国にはすごい数が。でもほぼ似たり寄ったりのプログラムが中心です。でも、『クラシック音楽』は、古典芸能ではありません。古典芸能でないということは、こんにちの音楽をやらなきゃいけないということです。」

作曲家として、新しい作品を生みだす立場だからこそ、ですね。

「歌舞伎でも新作があったり、スーパー歌舞伎があったりと、トライしている。クラシックもやらなくてはいけない。でも、現代音楽祭と称したもので、現代のものをやってます、と処理されてしまう。この現状は絶対に間違っている。そう思っているんです。そうじゃなくて、ブラームスとかベートーヴェンをメインに据えてでも、どこかに必ずこんにちの音楽を入れこむ、それが今自分の指揮者活動でのスタイルです。現代曲を聴きに来ているわけではないお客さんに、新しい体験をどんどんさせる、してもらう。そのコンセプトは東京でも全国のコンサートも変わりません。そうした意味の実践の場として、長野が一番いいんじゃないかと考えるようになったのです。」

クラシックの聴き手は、「知っている」を大切にします。そしてひとつの判断基準にするところがあります。知らないものに拒否反応がある。

「エンターテインメントのフィールドにいたから、すごくよく分かるんですが、やっぱり素直なんですよ、知っているかいないかではなく、いいか悪いか、です。それだけにわたしのコンサートに足を運んでくれる方は、年齢層が若いのです。まだ経験値が少ない分だけ、楽章間で拍手があったりするケースもあるんです。でもね、その人たちが面白いと、じゃあまたクラシックのコンサート行こうかな、って思ってくれるなら、それでいいんです。ただ、日本中の最大の問題だと思います、この閉鎖的な考え方になるのは。」

そうした場、文脈のなかにクラシック音楽を置いてみる、そして、久石さんが選ばれる「いまの音楽」によるプログラムが、ホールとしての独自性になるのかと思います。

「やっぱり作曲家がやるわけですから、自分がいいと思う音とか必要だと思う音楽をきちんと素直にぶつけていこうかと思っていますね。実際、ポスト・ミニマルとかポスト・クラシカルと呼ばれる音楽はまだほとんどコンサートで演奏されていないのが現状でもありますから。」

取材・文:小沼純一

(「音楽の友 2016年5月号」より)

 

音楽の友 2016.5月号

 

Blog. 「ぶらあぼ 2016年5月号」 久石譲 長野市芸術館芸術監督 インタビュー内容

Posted on 2016/5/4

音楽情報満載 無料配布誌「ぶらあぼ 2016年5月号」(4月18日発行)、Pick up Interview欄にて久石譲のインタビューが掲載されました。

5月8日に迫った長野市芸術館のグランドにオープンに向け、芸術監督としての久石譲のインタビューです。長野市芸術館の目指す「アートメント」の活動内容、そして久石のコンサート活動の最新情報についても触れられています。

 

 

Interview
久石譲(作曲/長野市芸術館芸術監督)

皆さんに21世紀の音楽シーンを体験してほしいですね

作曲家であり、近年は指揮者としても注目を集めている久石譲。2016年における久石のトピックの一つは、芸術監督に就任した「長野市芸術館」が5月にオープンすることだろう。すでに発表されている初年度のプログラムには作曲家として、また指揮者として、多くの公演やイベントに登場する。

「音楽や芸術を日常化し、そうしたものを楽しむ人や心を育てていきたいですね。その精神を象徴する長野市芸術館のモットーともいうべき『アートメント』という造語には『アートとエンターテインメント』でなく、『アートをエンターテインメントとして楽しむ』という意味が込められています。コンサートでもベートーヴェンのようなクラシックとアルヴォ・ペルトのような現代の作品を並べ、21世紀の今を体験していただきたいですし、自分もまた一人の作曲家として同じ時代の音楽をもっと知って欲しい、楽しんで欲しいという気持ちが強いのです」

 

ベートーヴェンと現代音楽を指揮

長野市芸術館での活動として大きなものに、在京オーケストラの主席奏者クラスが集まるという「ナガノ・チェンバー・オーケストラ」の結成がある。自ら、指揮者としてベートーヴェンの交響曲全9曲を3年間で演奏し、そこでは自作を含む現代の作品も取り上げる。

「ベートーヴェンの交響曲は王道ですが、単に欧米を追従するのではなく、伝統を背負っていないからこそできる現代の演奏を僕は追究していくつもりです。その一方で、演奏家もお客様も未知の作曲家や作品にチャレンジしていただきたい」

そうした長野での精神は、東京の活動であっても一貫している。コンサート用の作品は(久石が手がけた多くの映画音楽とはまったく違う)ミニマル・ミュージックを軸にした作風であり、これから発表される作品もそこにブレはないという。

「作曲家としての自分の本籍は学生時代からミニマルにありますし、現在は僕よりも若い世代の作曲家たちがポスト・ミニマル、ポスト・クラシカルと呼ばれて活動しています。ブライス・デスナーやニコ・ミューリー(ニコ・マーリーと表記される場合もあり)といった作曲家はミニマルの語法を当たり前のように消化・活用していますけれど、日本ではそうした音楽がまだまだ育っていないように思えます。そうした風潮を覆し、同じ時代に生まれた音楽を新鮮な気持ちで楽しんで欲しいので、積極的に紹介していきたいですね」

 

刺激的な「ミュージック・フューチャー」

2014年から久石自らのプロデュースにより東京で開催している『ミュージック・フューチャー』というコンサートのシリーズは、そうした精神の象徴で、長野での活動ともリンクするものだ。前記のような注目の作曲家を紹介してきたが、3回目となる2016年も、自作の「室内交響曲第2番」、ヴィヴァルディの「四季」を再構築して話題を呼んだマックス・リヒターや、映画『グランド・フィナーレ』の音楽を担当し、ヒラリー・ハーンらにも新作を書き下ろすデヴィッド・ラングなどを取り上げる。

「さらに、ミューリーやジョン・アダムズたちによる室内オーケストラ作品のルーツを再検証するため、シェーンベルクの「室内交響曲第1番」を演奏します。そうした時代の流れを知ることも、最先端の音楽を理解するカギになりますので」

新しい音楽を求めている聴き手は、久石譲の活動を注視すれば思わぬ視界が広がる可能性大なのだ。

(ぶらあぼ 2016年5月号 より)

 

久石譲 2016 プロフィール写真

 

なお、雑誌「ぶらあぼ」は、デジタル・マガジン「eぶらあぼ」としてWebでも閲覧できます。

公式サイト:ぶらあぼ2016年5月号 | WEBぶらあぼ

 

ぶらあぼ 久石譲

 

Blog. 「NCAC Magazine Vol.1」(長野市芸術館) 久石譲インタビュー内容

Posted on 2016/5/3

長野市芸術館 広報誌 「NCAC Magazine Vol.1」(4月1日発行)に久石譲のインタビューが掲載されています。

5月8日に迫った長野市芸術館のグランドにオープンに向け、芸術監督としての久石譲のインタビューです。グランド・オープニング・コンサートでの演奏予定プログラムについて、さらに長野市芸術館のために書き下ろされる新作「祝典序曲」について、とても内容の濃い充実したインタビューとなっています。

 

 

久石譲 長野市芸術館 インタビュー

日常に音楽を。

さまざまなジャンルの音楽・芸術を、長野から発信。長野市芸術館が特別編成する室内オーケストラ「Nagano Chamber Orchestra」の立ち上げ、夏の長野を芸術で彩る音楽祭「アートメント NAGANO」の開催により、みなさんが音楽・芸術と身近に接することのできる機会を創出します。「そこに行けば何かがある」。期待に胸躍るような長野市芸術館を創造します。

長野市芸術館 芸術監督 久石譲

 

音楽を日常にする第一歩
~久石譲に聞く「グランドオープニング・コンサート」への思い~

「杮落としの公演には、プログラム1つとっても、ホールの今後を見据えた姿勢が表れると思います。長野市芸術館のグランドオープニング・コンサートにも、それを打ち出したいと考えました」。

当ホールの芸術監督・久石譲に、杮落とし公演について話を聞いたとき、彼はまずこう語った。一見当たり前に思える言葉だが、そこには、この著名音楽家が、ホールの方向性に自らの考えを反映させる意志が表れており、ひいては長野市芸術館が、従来の公共ホールにはない個性をもった、唯一無二の存在に成り得ることが示唆されている。

過去の事例を見てきて思うのは、”ホールには顔となる人物が不可欠であり、しかもその人物が明確な方向性を示してこそ出し物が生きる”ということだ。そうでない場合は、たとえ人気アーティストの公演に行っても、ラインナップが輝きを放たない。また、顔となるのは概ねクラシック畑の作曲家や演奏家、あるいはプロデューサー的な人物だが、個々の専門分野や嗜好性にこだわり過ぎれば、聴衆の層が限られてしまう。特に公共のホールえは、明確な方向性と同時に絶妙なバランス感覚が必要となる。

久石譲は、作曲家、指揮者、演奏家であり、プロデュースも手掛けている。作曲家としては、宮崎駿監督の”ジブリアニメ”や、北野武、山田洋次監督などの映画音楽に携わると同時に、クラシック系の現代曲の作品を創作し、オーケストラでは自作や現代曲も古典も指揮する。さらには室内楽に取り組み、ピアノを弾き、コンサート・シリーズも企画する。こうした広い視野と最前線での豊富な経験を有する人物が、ホールの芸術監督を務め、自らの考えを反映させるのは、日本初と言っても過言ではない。それが、長野市芸術館が唯一無二の存在と成り得るゆえんだ。

コンサート全体について、久石はこう話す。

「オープニングですから、やはり希望があった方がいい。そこでチャイコフスキーの交響曲第5番をメインに選びました。この作品は、いわゆる”闘争から勝利へ””苦悩から歓喜へ”という明快な構造をもっています。それはベートーヴェンの『運命』や『第九』に通じるもの。しかも10数年前、僕がオーケストラで交響曲の全曲を指揮した最初の作品ですので、新たなスタートにも相応しいと考えました。それと自分は現代の作曲家ですから、いま活躍している作曲家の作品をきちんと演奏したい。そこで選んだのがアルヴォ・ペルトの交響曲第3番です。また、自分が書く『祝典序曲』については、いま(3月中旬)スケッチ段階ですが、(本領である)ミニマル・ミュージックをベースにしながら、世界中のオーケストラが演奏できる、3管編成で7~8分の曲にしたいと思っています」。

ここに彼の持ち味(の一部)が反映されているのは言うまでもない。演奏は、在京オーケストラの最上位に位置する読売日本交響楽団。これまで久石が、2回の「第九」をはじめとするベートーヴェンの交響曲や、ショスタコーヴィチ、オルフなど数々の作品を指揮してきた、信頼の厚い楽団のひとつである。

「素晴らしいオーケストラであり、日本を代表する存在なので、オープニングに相応しいと考えました。それに私がクラシックの現代曲として書いた作品を数多く演奏してもらっているのも、出演をお願いした理由のひとつです。先日も読響の弦楽器陣を主体としたメンバーと録音を行ったのですが、難しい譜面を渡しても即座に理解してくれますし、ありがたいほどの信頼関係ができています」。

読響が元来ゴージャスでスケールの大きなサウンドが特長だが、近年さらにパワーアップし、アンサンブルの精度と表現力を増している。充実著しい同楽団ならば、新ホールの響きを十全に満喫させてくれるのは間違いない。

 

プログラムを詳しく見ていこう。演奏順にまずは自作の「祝典序曲」(長野市芸術館委嘱作品)から。これは技術的に難しい曲になる可能性が高いという。

「自分が振れないかもしれない(笑)。ミニマル系の音楽は”ズレ”がポイントですから、フレーズで考えるのではなく、8分音符は8分音符、16分音符は16分音符の正確な音価でとっていかなくてはいけません。それはポップスでいう”グルーヴ感”に近いものです。ただ日本のオーケストラはこのような曲を演奏する機会がないので、上手くいかない。従って例えばジョン・アダムズの曲がなかなか取り上げられない。自分の中で最大の課題は、世界では当たり前になっているような音楽に取り組んでいくことであり、今回もそうした曲を書くつもりです」。

前記のように、読響は難曲にも対応できるオーケストラだ。

「この前読響で僕のコントラバス協奏曲を演奏したとき、メンバーが『今年最大の危機。1回落ちたら絶対に戻れない』と言っていたとの話を、後で聞きました(笑)。今回は難度が最大級になりそうですが、もちろん心配ありません。ただ一方で、通常よりも苦労せずに演奏できる曲にしたいとの思いもあります。祝典序曲というのは、ショスタコーヴィチの作品のように、吹奏楽で普及するケースもあるので、それも考慮に入れながら、演奏可能な範疇に収めたいなと」。

同曲は、当然グランドオープニング・コンサートが世界初演。作品自体もむろん楽しみだし、新たな音楽が誕生する瞬間に立ち会う喜びは大きい。

ペルトの交響曲第3番は、1971年に書かれた3楽章の作品。久石は昨年、信頼するもうひとつのオーケストラ、新日本フィルのコンサートで指揮している。

「ペルトはエストニア出身で、若い頃はいわゆる”現代音楽”を書いていたのですが、複雑になり過ぎたことの反省から、古い教会旋法に戻って、シンプルな表現を目指しました。ですから調性もありますし、基本的なメロディは賛美歌やオラトリオの研究の成果を反映しています。その東欧特有のメロディは、日本人の琴線に触れるもの。24~5分でさほど長くもなく、『こんなにわかりやすいの?』と言われるほど、皆に親しんでもらえる曲です」。

実際この曲は、耳なじみがよく、ピュアな美しさに充ちている。演奏機会の少ない名作だけに、今回ぜひ生で味わいたい。

流麗なチャイコフスキーの交響曲第5番は、リズムを軸にしたミニマル・ミュージックが本領の久石のイメージからすれば、意外な感もある。

「そう思われるかもしれませんが、僕は一方で映画音楽を随分やっています。そちらの方面から考えれば、ロマン派の音楽は抵抗がないんですよ。例えばラフマニノフなどは僕と一番縁がないように見えますが、彼の交響曲第2番は物凄く指揮したい作品なんです」。

ただチャイコフスキーの5番は、「作曲家目線で見ると、成功しているかどうか微妙な曲」だという。

「循環主題(全楽章に登場する第1楽章冒頭の旋律)の扱いが過度で、全体のフォルムが崩れていますよね。多くの指揮者はそれをカバーするために、一生懸命歌い上げるのですが、あまり成功しない。楽章ごとの主題に加えて循環主題があるので、その処理の仕方で曲が全く変わります。一例を挙げると、多くの演奏は第4楽章冒頭の循環主題を朗々と歌います。でもオーケストレーションを見れば、クラリネットが弦に変わっただけで、伴奏の配置は第1楽章の冒頭と全く同じ。なので第1楽章同様に抑えるべきと考えています。あと今回楽しみにしているのは、第2楽章の朗々としたホルン。読響のような良いオーケストラでどうなるのか、僕自身も聴いてみたいですね」。

甘美なメロディとロシア的なロマンに溢れたこの曲は、オーケストラを初めて生で聴く人が醍醐味を知るに最適だ。しかも今回は、作曲家=久石ならではのアプローチによって、聴き慣れた耳にも清新な演奏が実現するに違いない。読響の華麗な響きと相まって、これは万人必聴の1曲となる。

 

今回は、日本の新作、ヨーロッパの現代曲、ロマン派の作品とカテゴリーの異なる楽曲が並んでいる。これは「意識してのこと」との由。

「日本のオーケストラは、チャレンジできないんですよ。指揮者は毎回結果を出す必要があり、観客も集めないといけない。現代曲を入れようものならお客さんが来ない。それゆえ、これは日本自体の問題でもあるのですが、全員で安全圏を狙っていく。でもクラシック音楽は古典芸能ではありません。過去から現在に繋がり、未来に繋げていかないといけない。すると現代の曲の中から何かを見つけて、きちんと演奏していくことが重要になりますし、『現代音楽祭』と称して特殊な人だけ集めるのではなく、日常で普通に聴かせる必要があると思うのです」。

つまり「序曲、協奏曲、交響曲」という定型プログラムの中にも、”今日の音楽”を入れることが大事になる。

「そうしないと日本の作曲家なんて育たないですよ。”現代音楽”の特殊閉鎖社会だけでやっていたら、それで終わり。僕は『ベートーヴェンと並ぶことの苦しさを知るべきだ』と言いたい。名曲というのは、長い時間ふるいにかけられた末に生き残っている音楽です。その曲と自作が並ぶのは、なかなかキツい。でもそうした体験をしていかないとガラパゴス状態になってしまいます。僕は、チャイコフスキーやベートーヴェンと一緒に現代曲に接してもらうことが重要だと考えていますし、できる限り実践していきます」。

これが久石にとっては、指揮をする最大の意義でもある。

「特に長野の場合は、『音楽を観客の日常にすること』が重要になります。日本全国そうですが、おそらくクラシック・ファンが、掃いて捨てるほどいるような状況ではない。その中で、親しみやすい『運命』『新世界』から入る方法もあります。しかし新しい長野市芸術館では、お客さんもピュアな分だけ、現代の音楽を古典と並べて体感してもらう方が、音楽に親しむ早道なのではないかと考えています。そのためにも、自分が指揮し続けなければならないでしょう」。

その第一歩となる本公演にかかる期待は、限りなく大きい。

取材・文:柴田克彦(音楽ライター)

(長野市芸術館 広報誌 「NCAC Magazine Vol.1」より)

 

※広報誌は長野市芸術館の公式サイト内からどなたでもご覧いただけます。
長野市芸術館公式サイト>>>
https://www.nagano-arts.or.jp/ダウンロード/
こちらのページの「NCAC Magazine」の「ダウンロード」をクリック。

 

長野市芸術館 NCAC Magazine Vol.1

 

Blog. 映画『おくりびと』(2008) 久石譲インタビュー 劇場用パンフレットより

Posted on 2016/4/28

2008年公開 映画「おくりびと」
監督:滝田洋二郎 音楽:久石譲
出演:本木雅弘、広末涼子、山崎努 他

第81回アカデミー賞外国語映画賞や第32回日本アカデミー賞最優秀作品賞など数々の賞を受賞した作品です。

久石譲の音楽においても、第32回日本アカデミー賞優秀音楽賞にノミネートされたのですが、最優秀賞は逃しました。実は、この年久石譲はふたつの作品でノミネートされていて、最優秀音楽賞に輝いたのは、もうひとつの作品『崖の上のポニョ』だったのです。なんとも贅沢な出来事といいますか、改めて久石譲が日本映画界、日本映画音楽の巨匠たるゆえんを垣間見た瞬間でした。

この作品の音楽は、映画の相乗効果もあり、国内のみならず、海外でも高い評価を受けて広く知られています。実際に久石譲オリジナルアルバムにも複数収録されていますし、海外公演が行われる時にはプログラムとして選曲される機会も多いです。

 

ここでは、映画「おくりびと」公開当時、映画館などで販売された公式パンフレットより、久石譲のインタビューを中心にご紹介します。

 

 

インタビュー

音楽・久石譲

チェロはこの作品のもうひとるの主役。
まずチェロありきで音づくりをしました。

-滝田監督とは『壬生義士伝』(02)以来のコンビですね。

久石:
『壬生義士伝』は幕末が舞台のスケールの大きな話でしたが、今回は「人生の旅立ちをおくる」という誰にも訪れるテーマです。最初に脚本を一読して泣きました。登場人物がとても丁寧に描かれている。「これをどうやって監督は料理するのだろう」と考えたらワクワクして、即座にお受けしました。滝田作品の特徴のひとつは非常に緻密につくられていること。ストーリーの流れに沿って、登場人物の気持ちがきっちり描かれています。それも過不足なく捉えられているので、毎回「すごいなあ」と感心しています。それから画面づくりの素晴らしさ。いろんなカットが巧みに挿入され、中には「こんな斬新なアプローチもあるのか」と思うものもあり、映画音楽を担当する者にとっては、楽しい仕事です。

 

-今回の仕事は運命的な出会いだったとか…?

久石:
ええ、僕は毎年コンサートツアーをやっていて、今年はチェロを主軸において展開しようと企画していた矢先に『おくりびと』のオファーをいただきました。主人公がチェリストであり、楽団の解散によって音楽の道をあきらめるという設定から、チェロが重要な役割を占めています。そこでチェロのアンサンブルだけで映画音楽を構成しようと考えました。ピアノや他の楽器も少しは入りますが、あくまでチェロに焦点を当て、全編を流してみよう、20曲以上のメロディーすべてをチェロで演奏しようと試みたわけです。でも、やり始めたら結構難しくて苦労しました(苦笑)。とはいえ、映画自体が良くなければ音楽的なチャレンジはできません。そうした試みができたことを監督に感謝しています。

 

-チェロという楽器が与える効果は大きいわけですね。

久石:
そうですね。チェロは人間の肉声に近く、低い音から高い音まで、広い音域が奏でられる素晴らしい楽器です。ヴァイオリンなら普通に出せる高い音域をチェロが弾くと悲鳴のように聴こえるんです。音に力が込められ、独特のニュアンスが生まれてくる。そうした特性が、この映画の雰囲気にぴったりマッチしたのです。生きている世界の向こう側には死後の世界があり、あの世は人間の感情に決して左右されることがない。また、大悟が納棺師として生きていこうとする心の揺れも大切な見どころです。それらをゆったりしたテンポでハイポジションの音を必死に出しているチェロの演奏によって伝えられたと思います。本木さんは、本当に一生懸命練習されていました。通常、役者さんが楽器を演奏するシーンでは、顔のアップ、手のアップを撮り、最後は遠く離れた場所から撮影して、弾いている姿をはっきりと観えないように撮るんですが、本木さんは実際に本人が弾いているのではないかと思わせるほど上達されました。撮影後も練習を続けているそうで、そのうち僕のコンサートにゲスト・チェリストとして参加するかもしれません(笑)。

 

では、最後の質問。ご自分が死んだら、どのようにおくられたいですか?

久石:
愛用のグランドピアノを棺に入れて欲しいですね。あ、だけど大きくて棺に入らないなぁ。じゃあ、ピアノの方に僕を入れてください(笑)

(映画「おくりびと」劇場用パンフレット より)

 

 

チェロ奏者の芸術(アート)と納棺師の技術(アート)を結びつけた久石譲の技法(アート)

文・前島秀国(サウンド&ヴィジュアル・ライター)

本編冒頭、雪に覆われた庄内平野の旧家で、大悟と佐々木が納棺に臨むシーン。たった今、息を引き取ったとしか思えない美しい遺体に、粛々と、だが手際よく、ふたりが経かたびらを着せていくと、その背後からチェロ12本とハープによる美しいアンサンブルが聴こえてくる(『おくりびと』オリジナル・サウンドトラック盤 トラック[02] NOHKAN)。音楽はあくまでも静謐な響きに包まれているが、決して悲壮感を漂わせることはない。つまり、これは世間一般が想像するような”葬送音楽”ではないのである。そこに聴かれるのは宗教的な祈りにも似た”浄化”の感情であり、死者の旅立ちを厳かに祝福する”希望”の音楽のようにも思える。

このアンサンブル曲だけで、すでに久石譲は『おくりびと』という作品のエッセンスを音楽で見事に表現し切ったというべきだろう。だが、久石のスコアはそれだけにとどまらない。作曲家(アーティスト)としての久石は”単に美しい曲を書く作曲家”からさらに先に進み、ドラマの内実に見合った音楽設計に基づきながら、本作のスコアを作り上げているのだ。

別項のインタビューでも語られているように、久石がチェロ・アンサンブルに本作のスコアを演奏させているのは、主人公・大悟のキャラクター設定、すなわちリストラに遭ったチェロ奏者という設定を踏まえたものである。先の納棺のシーンに続いて登場する、ベートーヴェンの交響曲第9番~第4楽章(いわゆる《歓喜の歌》)の演奏シーンで、我々観客は実際に大悟がチェロを演奏するのを目にすることができる(蛇足だが、有名な《歓喜の歌》のメロディを《第九》の中で最初に演奏するのは、実はチェロ・パートである)。つまり、チェロは大悟という人物そのもの、いわば彼のアイデンティティを象徴している楽器なのだ。そこから、スコア全体をチェロ・アンサンブルで鳴らす必然性が導き出されてくる。

しかし、久石はそこから一歩踏み込み、チェロ・アンサンブルのスコアを通じて『おくりびと』という作品の内奥の真実に迫っていく。大悟がチェロ奏者という職業を断念し、納棺師という仕事を選んだことは、果たして本当に”挫折”なのか? いや、そうではないのではないか?

到着が5分遅れただけで怒りを露わにする喪主を前に、大悟と佐々木が喪主の妻の納棺の儀を進める本編中盤のシーン。そこで久石は、それまで抑えていた感情を一気にほとばしらせるように、チェロ・アンサンブルに切々たる”歌”を滔々と歌わせているのだ(オリジナル・サウンドトラック盤 トラック[10] beautiful dead I)。故人が愛用していた口紅を用いて佐々木が死化粧を完成させた瞬間、泣き崩れる故人の娘。その姿に重なって流れる、どこまでも昇りつめていくようなチェロ・アンサンブルの”涙の歌”。チェロ演奏の素晴らしい芸術(アート)が人の心を打つように、納棺師の素晴らしい技術(アート)もまた、人の心を動かす。久石の音楽は、実はこのふたつの”アート”が等しく高貴で美しいものである、という真実を、我々観客に訴えかけているのである。つまり、チェロ奏者の芸術(アート)も、納棺師の技術(アート)も、”死者を甦らせる”という点において、本質的には全く変わらない。このシーンで流れる大悟のナレーション「冷たくなった人間を甦らせ、永遠の美を授ける。それは冷静であり、正確であり、そして何より優しい愛情に満ちている」を思い出してみて欲しい。「冷たくなった人間」を「楽譜」に置き換えてみれば、このナレーションが演奏芸術の本質を見事に突いた言葉でもあることに気づくはずだ。「冷静であり、正確であり、そして何より優しい愛情に満ちている」久石のチェロ・アンサンブルの音楽が、そのことを何よりも雄弁に物語っている。

『おくりびと』のスコアにおいて、久石譲はチェロ奏者の芸術(アート)と納棺師の技術(アート)を同列で結びつけることに成功した。作曲家(アーティスト)としての技法(アート)を十全に開花させた、これは紛れもなく久石の代表作のひとつになるはずである。

(映画「おくりびと」劇場用パンフレット より)

 

 

プロダクションノート

久石譲の運命的音楽の挑戦

本作の音楽は、今や国内のみならず世界にその名を知られる名匠・久石譲。滝田監督とは『壬生義士伝』(02)でもコンビを組んで多大な成果を収めている彼は、今回も脚本を一読して即オファーを快諾。その内容の素晴らしさはもちろんのこと、ちょうど彼は2008年のコンサートツアーをチェロ主軸でいこうと決めて動き始めていた矢先に、チェリストを主人公に据えた映画の音楽依頼があったことに運命的なものを感じたのだ。

当然、本作の音楽もチェロを主体としたもので、久石の声かけのもと日本を代表するチェリストが集結。劇伴では、若きチェリストの代表格・古川展生をはじめ苅田雅治、諸岡由美子、海野幹雄、木越洋、渡部玄一、高橋よしの、羽川慎介、久保公人、村井將、大藤桂子、鈴木龍一、堀内茂雄ら13名の奏でる美しいチェロの音色が映画に華を添えている。レコーディング日には、彼らが所属する各オーケストラのトップチェリストが不在となるため、その日、国内でまともなクラシック・コンサートを開催するのは不可能! と断言できるほど豪華メンバーの顔合わせとなった。

チェロは弦楽器の中でも、下はコントラバスから上はヴァイオリンまでと最も音域が広く、いわば万能楽器。しかもチェロでヴァイオリンの音域を奏でることで、また違った情感が深まるのだ。ここにまたひとつ、久石譲のあらたな名曲が誕生した。

さらに劇中、大悟が所属していたオーケストラの演奏シーンで指揮を執っているのは、東京交響楽団正指揮者であり山形交響楽団常任指揮者でもある飯森範親。本木のチェロ指導には、チェリストとして幅広く活躍する柏木広樹が就くなど、華やかな音楽人の参加も、特筆すべき楽しみのひとつだ。

 

[memo]
チェロは女性のボディを模して作られた楽器らしい。だからチェロを抱くことがご遺体を抱くということと物理的にリンクするんです。またチェロの音色は、弦楽器の中で一番人間の肉声に近い音域だそうで、人の心に共鳴しやすい。

(本木雅弘 インタビュー談より)

(映画「おくりびと」劇場用パンフレット より)

 

おくりびと パンフレット

 

Blog. ラジオ J-WAVE「ANA WORLD AIR CURRENT」(2005) 葉加瀬太郎×久石譲 出演内容

Posted on 2016/4/25

ラジオ J-WAVE 「ANA WORLD AIR CURRENT」

ヴァイオリニスト葉加瀬太郎さんがパーソナリティを務める同番組。2005年久石譲が出演した回での対談内容および楽曲オンエアリストです。

 

 

London 2005/02/26

トラブルを抱えてそれをクリアしていくっていうのは、人生そのものだと思う。

ラーメン屋の光景が出る度に、25歳の時の気持ちを思い出します。(久石)
海外で見るラーメン屋の威力ってすごいですよね(笑)。(葉加瀬)

葉加瀬:
久石さんが初めて海外を訪れたのはいつですか?

久石:
25歳の時にロンドンでした。

葉加瀬:
25歳でロンドンに向かうというのはどういう理由だったんですか?

久石:
たまたまある会社でレコードで20数枚の“映画音楽集”を作るという事で、1枚あたり何の曲を選ぶかっていうのを手伝った事があったのね。それが全部ロンドンレコーディングだったんですよ。それで「せっかくだから連いて行っちゃおう」って見に行ったのが最初でした。

葉加瀬:
なるほど。

久石:
後に「スーパーマン2」の音楽をやったケン・ソーンとかいろんな人たちがアレンジをしていました。だから1ヶ月半くらい、毎日彼らの世界レベルのアレンジ譜を見ていたんです。

葉加瀬:
スコアを現場でそのまま手にしてね。

久石:
そう、「ここの音が違う」とか言っている訳じゃないですか。あれはとても貴重だった。ブラスのかけ方なんかも、ほとんどフルオーケストラの編成ですから。リズムの入ったフルオケなんですけど。弦の密集でワーッとメロディにいったり、ブラスが入った時の弦の配置だとかが「なるほどな」って。あれはとてもいい勉強になったな。

葉加瀬:
初めて憬れのロンドンに行った時というのは、街の雰囲気などはどう映りました?

久石:
最初に歩いたのはケンジントンだったんですよ。「おー」って思って、きょろきょろと3回くらいしたらすぐ目の前にラーメン屋があって、いきなり入っちゃいました(笑)。「わー、懐かしい」って。「まだ4日だろ!」みたいなね。

葉加瀬:
分かる、気持ちが! 海外で見たときのラーメン屋の威力はすごいですよね。

久石:
そのラーメン屋は、その後自分のソロアルバムを録りに行ったりしてもずーっとあったんですよ。今度行ったらあるかどうか分からないけど、見る度に25歳の時にここを歩きながら、「ロンドンだ、世界だ」って思った事を思い出します。だから“世界だ”って思うとロンドンの街が真っ先に思い浮かぶんです。

葉加瀬:
初めてのっていうのは、やっぱりそれほど大きな印象になりますものね。

久石:
そのラーメン屋の光景が出る度に、何度もソロアルバムを録りに行っても25歳の時の気持ちを思い出します。だからロンドンに行ったら必ずそこを1人で歩くんですよ。

葉加瀬:
でもそれがテムズ川とかビックベンじゃなくて、ラーメン屋っていうのがいいですね(笑)。本当にリアルを感じるな。

 

イギリスって見事なくらい階級社会なんです。(久石)

葉加瀬:
海外にお住まいになったことはあるんですか?

久石:
今から11~2年くらい前かな。ロンドンに2年くらいいました。

葉加瀬:
それは拠点を移されるという気持ちですか?

久石:
その時はどうだったでしょうね。半々くらいか、出来たら移りたいなと思っていたんですね。ただ年間10数回東京と往復してました。

葉加瀬:
お住まいになられていたのはどの辺りですか?

久石:
最初はアビーロードのすぐ側。で、その次がケンジントンの方でした。こんな事言ったらまずいのかもしれないけど、日本のミュージシャンって皆勘違いしてロンドンに住むんですよ。第2の天地を求めてアパート借りたりするんですよね。僕もすぐ勘違いしたんだけど…。

葉加瀬:
はい。

久石:
向こうで家を借りたら、3日後にキング・クリムゾンのドラマーが傘を持ちながら「ハロー」って来た。次のレコーディングでオファーを出してたんですけど、すぐに来ちゃうんですよ。それで自分のデモテープとかを渡すんですよ。そうすると自分がすごく有名になったような気がするんです。あそこを見ていると、きっかけさえあったらチャートに入れることも出来るだろうし、いろんなことが出来そうな気がする。で、皆“ロンドンをベースに世界に羽ばたく”と思って行くの。

葉加瀬:
うん。

久石:
ところがこれは大きな間違い。イギリスって見事なくらい階級社会なんです。そうすると、例えば“ミック・ジャガーのツアーをやりました”。3ヶ月とか半年のツアーをやったギターの人はン千万円くらい入るんですよ。それで大きな家も建てて、ビックネームになったんだけど、普通はビックネームって上に突出したら裾野の仕事もあるじゃない。ところが無いんですよ、それだけなの。ここが一番問題なんです。

葉加瀬:
なるほど。

久石:
日本だとミック・ジャガークラスの人のツアーをやるという事は、裾野に一流人としていっぱい仕事があるわけじゃない。そうすると当然食べていける状況になるはず。ところが向こうでは棒グラフのように、“ミック・ジャガーのはやれた、でも後はない”んですよ。この現状に気付くのに住んで1、2年かかるんです(笑)。

葉加瀬:
はははは(笑)。

久石:
それで何となく日本に戻ってくるという、そういうケースが圧倒的に多くて。僕は幸か不幸か最初にそれが分かっちゃったんで、そういう欲望は抱かないことにした。でもとにかく日本にいる時より徹底的に集中出来るんですね。それからミュージシャン達の視野が広い。ロンドンのミュージシャンの人たちも、全く譜面を読めないけどすごい仕事をする人、耳で覚えちゃう人から譜面バッチリの人からいっぱいいますね。

葉加瀬:
はい。

久石:
そういう中で動いてるという事が、僕はとても気持ちよかったんで、その後もずっとロンドンでレコーディングをやってるという感じですね。

葉加瀬:
その2年間は楽しかったですか?

久石:
ロンドンにいる間はレコーディングしないで、暇だった(笑)。だって何にもないから公園散歩したり、そういうことばっかり。マネージャーが向こうにいるわけじゃないからね。東京からFAX来るのを見て、「嫌だ」とか言ってるだけで(笑)、自分の時間はたっぷり持てました。

葉加瀬:
はい。

久石:
それはすごい良かったんだと思う。きっと物を作る人たちっていうのは孤独でなきゃいけないと思うんですよ。皆嫌いですよね、孤独なんて。嫌いなんだけど1人になっている時間の中でのた打ち回ってないと、たぶんダメなんだろうなって思います。

葉加瀬:
その通りだと思います。

 

オーケストラってダンプカーだから、急には曲がれない。(久石)

葉加瀬:
昨年はカンヌで指揮をしたとか?

久石:
それはね、バスター・キートンというチャップリンと並んでトーキー映画(無声映画)の有名な映画人がいるんだけど、彼の作品をあるフランスの会社が買ったんです。キートンの『ザ・ジェネラル』、日本では『キートン将軍』って題なんですけど、その音楽を書いたんですよ。それで去年のカンヌ映画祭で“上映しながら生のオーケストラでやってくれ”っていうのがあったんですよ。

葉加瀬:
スクリーンの前でオーケストラ! かっこいいなぁ。

久石:
コートダジュール・カンヌオーケストラという、ちょっと小ぶりのオーケストラがあって、フランスではすごく有名なんです。そのオケでなんと僕は指揮をしちゃったんですよ。これが大変なの! 自分で言うのも何だけど、絶対に生で演奏できないんですよ(笑)。簡単に言っちゃうと、ピストルとか大砲のシーンがありますよね。それもフレーム単位で、30分の1秒まで合わせて「ドーン」とか、そういったきっかけが異常にあるわけよ。

葉加瀬:
全部入れたんですか?

久石:
入れた。75分くらいの映画で全編音楽なんですよ。それを22曲に分けたんだけども、1曲の中で予備カウントもなくテンポがガンガン変わってくわけ。で、ちょっとトリッキーに譜面を作っちゃったの。「生でやれるわけないだろ」って所まで書いちゃって。そうしたら、それを自らやらなくちゃいけなくなって、もう真っ青。しかもオケの指揮なんてたまに振った事しかない自分が、フランス人のオーケストラを相手に!

葉加瀬:
格好いい!

久石:
東京でレコーディングしている時でも1曲でヒーヒー言って録った曲を、ぶっ通しで75分をスクリーンを見ながらやるんですよ。

葉加瀬:
当然、テンポを維持する為のクリック音も一緒に走っているという事ですか?

久石:
例のカンヌのメインの会場でやるわけですから、装置が良いのが無いんですよ。

葉加瀬:
なるほど。状況としては良くないですね。

久石:
一応僕がクリックを聞く、そしてバイオリンのそれぞれのセクションだとか木管などのトップの人もイヤホンをつけるということでやったんですよ。ところが、リハーサルが始まると1人抜け2人抜けで、皆が外してるんですよ。

葉加瀬:
オケの人にありがちな(笑)。

久石:
オケの中で合わなくなるから。やっぱりオケってダンプカーだから、急には曲がれないじゃない。そうすると音楽的にならないからと皆が外しだして、2日目にはコンサートマスターも外しちゃったんです。気付いたら僕1人なんですよ! 打点がいくら明確に振ったって、インテンポで始まったものって微妙にずれ出したら軌道修正効かないじゃない?

葉加瀬:
そうですね。気がついたら1拍2拍ですものね。

久石:
それで次のきっかけが来るでしょ。これで生演奏だったんですよ。頭の中は大変で「1小節半遅れた」「走った」とか、「どこかでその分かせがなきゃ、後3ページいったら崖がある」みたいなね。でも結果は、奇跡的にね…。

葉加瀬:
“奇跡的”って(笑)。

久石:
はっきり言ってあの成功は奇跡的でしたね。ところが今の話題で問題になってるのは音楽的な話でしょ。ところがここに“フランス人”っていうフィルターが入るわけよ。

葉加瀬:
はははは!

久石:
このバイアスがすごいんですよ(笑)。「OK」って言ってるけど「どこがOKだ」って言いたくなるくらい、きっちりしてないんですよ。全部話が食い違ってるし。その状況が全てに覆い被さるから「Oh, My God!」みたいな。本番まで1回もまともに通ってないんですから。

葉加瀬:
はー。

久石:
でもオケの人は素晴らしかった。日本人よりも几帳面。僕なんか「疲れたからもう止めます」なんて言ってると「ダメだ。時間が無いからもう1回」なんて言ってくれるくらい本気なんですよ。まあ、貴重な経験になりました。

葉加瀬:
なるほどね。

 

スペインはあまりにも文化が違って、曲が書けなくなった。(久石)

葉加瀬:
2002年にスペインへ行ったのは、お仕事ですか?

久石:
これはね、トマティートというギタリストにとても惚れ込んだんですよ。

葉加瀬:
トマティート! 素晴らしいですよね。

久石:
「どうしてもこの人とアルバムを作りたい」って叫んでたら、彼がちょうど日本に来ている時に会ったんですよ。それで意気投合して、僕はスペインに会いに行ったんです。そしてギターとピアノのためのコンチェルトを書く予定だったの。タイトルまで全部決めて、頭の中ではがっちり音楽構造も出来てた。ところが、そこで“フラメンコ”というものに出会っちゃったんですよ。彼はフラメンコギタリストだからね。

葉加瀬:
そうですね。

久石:
フラメンコギタリストっていうのは、まず譜面が読めない。一応僕も少しはフラメンコを知らなきゃいけないと思って、マドリードとかアンダルシア地方を周ったんだけど、調べいくうちに「ヤバイ」と思いました。何でかと言うと、あまりにもカルチャーが違うから。「これはダメだ」と思ったのが、「リズムの中にフラメンコというリズムがある」んじゃないんですよ。彼らは「リズム」のことを「フラメンコ」って言うんですよ。

葉加瀬:
はい。

久石:
僕が例えば向こうの図書館とかフラメンコ博物館だとかいろんな所へ行って、「フラメンコのギターのリズムの種類は何パターンあるか、書いてある本を見せてくれ」って言うわけ。すると「そんなものは無い」と。「無い」って言われてもねぇ…。僕は頭で考えちゃうから、「タンタンタタ」ってフラメンコ特有のリズムがいくつかあるじゃない?

葉加瀬:
「“タンタンタタ”ってやっていればフラメンコになるのかな」って思いますよね。

久石:
それをもうちょっと踏み込んで考えても、「そんな物は無い。フラメンコを知りたかったら、ここではワインを飲んでハモンを食べて、この光を浴びなさい」って皆言うんですよ。「いや、俺そんな暇ないから」って言うんだけどね(笑)。

葉加瀬:
はははは。

久石:
どこへ行ってもそれを言われちゃって。でも「俺はクラッシックの現代音楽を学ぶようなつもりでフラメンコというリズム構造を頭に入れようとしている。だけど、そんなものではフラメンコは分からないし、トマティートとやってもベーシックな部分の共通項は絶対に見つからない」と思っちゃったんです。その瞬間から、パツンとシャッターが下りて書けなくなっちゃった。

葉加瀬:
はー…。

久石:
たぶんアンダルシア地方とか行かないで、ミシェル・カミロとやったデュオCDなどを聞いて「あっ、この人とやりたい」って、自分のフィールドで作曲してたら出来てたんですよ。ところが踏み込んじゃった。

葉加瀬:
フラメンコのイメージだけを切り取ったらいけない、と思ったんですね。

久石:
あの時は学んだな。男と女もそうだけど、踏み込みすぎちゃダメだよね。適度に知らない方が上手くいくよね(笑)。

葉加瀬:
いや、本当に納得します。全然ジョークに聞こえない(笑)。でもそこで踏み込んでも久石さんだったら書けたと思うんですけど、「書いちゃいけない」と思ったんでしょうね。

久石:
うん。まだ自分がやる時期じゃなかったんだと思う。今でもその企画は持ってるし、やらなきゃいけないと思っているんだけど、それをやるためにはピアノ弾きとしてどうしてもクリアしないといけないものがあと3つくらいあるんですよ。これって“が熟してくるといろんな事がスパッとはまって出来る”っていうのあるじゃない?

葉加瀬:
はい。

久石:
あの時にある種の挫折も味わったけれども、やろうとした時の思いはあれから2年経っているけど全然消えてないんですよ。という事は、色褪せてないからあれは必ずいつかやるな。そういうことのほうが大切ですね。

葉加瀬:
そうですね。

 

音楽家人生を賭けたアルバムを出す時期が、必ず来る。(久石)
明るいメロディのほうがよっぽど救われるさ!(葉加瀬)

葉加瀬:
最新アルバムのお話を伺いたいと思いますが、リリースされたのは先月ですね。『Freedom-Piano Stories 4』。今回はどういった感じですか?

久石:
「心の自由を求めて」という事で、自分の心の垣根を取り払いたいと思って作りました。僕自身もそうなんだけど、「とても生きづらいな」って最近思う。ちょっと閉塞的な社会状況の中で、皆が苦しい。その時に、実は「生きづらいという思いを作っている一番大きな要因は自分の中にあるよね」っていうことに気付いた。でも「もうちょっとやるだけやってみようよ」とか、「そんなにネガティブに捉えないで、毎日楽しいことを考えることも必要なんじゃないか」というような気持ちがあって、『Freedom』って付けたんです。

葉加瀬:
なるほど。

久石:
アルバムで言うと『ハウルの動く城』のメインテーマだったり、テレビで流れているコマーシャルだったり。そういう耳馴染みの曲をちゃんと1曲にしてあるので、とにかく聴きやすいです。

葉加瀬:
僕も聴かせていただきました。“あのメロディーも久石だったのか”というコピーがついていますが、まさしくそうでした! 「これもそうだったの!?」の連続ですね。

久石:
世の中がこういう状況の時、物を作る人間ってどうしても重い発言をしたくなるんですよ。だけどね、結局「言うべきじゃないんだ」って気がしたんです。

葉加瀬:
僕は生意気ながらすごい賛成するな。それより明るいメロディのほうがよっぽど救われるさ!

久石:
そうなの。ここまで現実が暗い時に、覆い被せるような物は「聴きたくないよ、そんな言葉」って。何年後になるかわからないけど、自分たちの音楽家人生を賭けたようなアルバムを出さなきゃいけない時期が必ず来るのよ。だけどこの時期はやるべきではないと思います。むしろ皆が重いんだから、せめてこのアルバムを聞いている間は気持ちが救われて欲しい。それが今、僕ら音楽家として一番大事なことかなと思っちゃう。

葉加瀬:
なるほど。では久石さんにとっての「旅」とは?

久石:
音楽を作っている行為自体が「旅」みたいなものじゃないですか。だから実際の旅ってあまり好きじゃなかったんですよ。ところがこの数年で分かったんだけど、旅に行くっていうのは、“自分のホームが良い事を確認しに行く”ようなものですよね。

葉加瀬:
そうかもしれませんね。

久石:
旅に行くと、いろいろと思い通りに行かなかったり、物を失くしたり盗られたりとか、「一流ホテルだ」って言われてるのに2階がうるさかったとかさ。

葉加瀬:
お湯が熱すぎるとか、お湯にならないとか(笑)。

久石:
「こんな“わらじ”みたいなステーキ食えないぞ」とか、トラブルが絶えずあるでしょ。いろんなトラブルを抱えてそれをクリアしていくっていうのは、人生そのものだと思うんですね。行って帰ってくると、一個ずつ視野が広がってるっていうか、変わるでしょ? だから今年は出来るだけ旅したいと思います。

葉加瀬:
そうしたら、またすごい作品がいっぱい出来ちゃうんでしょうね。待ってます! どうもありがとうございました。

久石:
こちらこそ。

 

ON AIR LIST
海の見える街 / 久石譲
ORIENTAL WIND / 久石譲
もののけ姫 / 米良美一
WILD STALLIONS / 葉加瀬太郎
EN CASA DEL HERRERO / TOMATITO
人生のメリーゴーランド / 久石譲

久石譲 葉加瀬太郎 2

久石譲 葉加瀬太郎 1

出典元:J-WAVE:ANA WORLD AIR CURRENT アーカイブ

 

Blog. 映画『小さいおうち』(2014) 久石譲インタビュー 劇場用パンフレットより

Posted on 2016/3/6

2014年公開 映画「小さいおうち」
監督:山田洋次 音楽:久石譲 出演:松たか子 他

 

映画公開にあわせて販売された映画公式パンフレットより久石譲インタビューをご紹介します。

 

 

インタビュー
音楽 久石譲

この映画の真の主人公はタキ。
彼女が生き抜いてきた時代や心の中に抱えてきたこと。
タキの”目線”を中心に、音楽全体を構成しました。

-山田洋次監督作品を担当なさるのは、『東京家族』に続いて今回が2度目ですね。

久石:
『東京家族』の時は、初めての山田監督作ということで、こちらも少し緊張していた部分があったと思います。今回は打ち合わせの最初の段階から、とてもスムーズに作曲が進みました。あまりにスムーズなので、逆に心配になったくらいです(笑)。映画音楽全般について(『東京家族』公開後の2013年1月に)山田監督と国立音楽大学で対談させていただいたことも、監督とのコミュニケーションを深めるという点でプラスに働いたのではないかと思います。

 

-今回の『小さいおうち』は、前回にも増して音楽の曲数が多いと思いました。

久石:
単純に、本編の内容から出てくる違いです。『東京家族』は非常にシリアスな内容の作品でしたので、音楽を少なめにした方がよいという判断がありました。それに対し、『小さいおうち』はラブストーリー的な側面が強い作品ですから、音楽も当然増えてきます。山田監督からも「今回は音楽を多くしたい」という要望をいただきました。それと、「非常に甘みのあるメロディが欲しい」という要望も。

 

-物語の時代背景に関しては、いかがでしょう?

久石:
特定の時代色を音楽で表現するというよりは、昭和から平成までを生きる、ひとりの女性の”目線”をクリアに出す方が重要だと考えました。物語の中では、女中のタキよりも、小さいおうちの住人の方が活発に行動していますので、普通ならばおうちの住人を中心に音楽を付けたくなります。しかし、この映画の真の主人公は、倍賞千恵子さんと黒木華さんの二人一役で演じられるタキです。彼女が生き抜いてきた激動の時代。彼女が心の中にずっと抱えてきたこと。そのタキの”目線”を中心に、音楽全体を構成すべきだと。

 

-それが、冒頭の火葬場で流れてくるメインテーマですね。

久石:
本編全体を見てみると、最初はタキの葬儀の場面から始まり、ラストシーンもタキがある重要な役割を果たしています。平成から激動の昭和へ、たとえ物語の時空が自由に飛んだとしても、タキの”目線”だけは変わらない。そのタキの”目線”のテーマ、わかりやすく言えば、タキの”運命のテーマ”です。ただし、そのメインテーマだけだと音楽全体が非常に重くなってしまうので、もう1曲、別のテーマを作曲しました。

 

-アコーディオンで演奏されるワルツのテーマですね。

久石:
こういう作品にワルツが似合うかどうかはともかく、結果的には、ワルツによって”昭和という時代に対する憧れ”や、”小さいおうちの住人に対する憧れ”を表現できたのでは、と思っています。昭和ロマンに憧れるワルツ、という意味では、松たか子さん演ずる”時子のワルツ”と呼んでよいのかもしれません。その”時子のワルツ”と、メインとなるタキの”運命のテーマ”のデモ2曲を最初に作曲したところ、山田監督から早々にOKをいただきました。

 

-スコアの中では、ダルシマーのような民俗楽器が使われていたのが印象的でした。

久石:
演奏に際して”色のある”楽器が欲しいと思ったのです。というのは、山田監督の作品では、台詞が非常に重要な役割を果たしているので、台詞が聞き取りやすくなるよう、音楽もできるだけ(オーケストレーションを)厚くしないで書く必要がある。そのため、ダルシマーのような、音色に特色のある楽器を意図的に使っています。

『小さいおうち』の作曲を通じて強く感じたのは、山田監督自身がこれまでの作風から大きく変わろうとなさっているのではないか、ということです。今までの作品は、どちらかというとヒューマンな家族愛をテーマにされることが多かった。ところが今回は、もっと個人的な愛を表現するような方向に、監督が足を踏み出されているのです。ある意味で”色気”を感じさせる。そうすると、作曲する側もどんどん音楽を入れる余地が生まれてくるのです。

(映画「小さいおうち」劇場用パンフレット より)

 

小さいおうち パンフレット

 

Blog. 映画『東京家族』(2013) 久石譲インタビュー 劇場用パンフレットより

Posted on 2016/3/4

2013年公開 映画「東京家族」 山田洋次監督50周年記念作品
監督:山田洋次 音楽:久石譲

山田洋次監督と初タッグとなった作品です。

 

過去にも雑誌インタビューや山田洋次監督との対談など、さまざまな久石譲インタビュー内容があります。ここでは映画公式パンフレットに掲載された久石譲インタビュー内容をご紹介します。

 

 

インタビュー

音楽が少ないからこそ、そのなかで、効果的な変化をつける。

-これまでの久石さんの映画音楽のアプローチは音と画を拮抗させ、そのぶつかり合いのなかから某かのものを醸し出す方法論が多かったと思いますが、今回は驚くほど奥に引いています。それはある意味、挑戦だったのではないでしょうか?

久石:
そうですね。まず台本を読んだ段階で、今回はあまり音楽を前に出さず、包み込むようなものが良いだろうとは思ったんです。山田監督とお話させていただいた時も「空気のように、劇を邪魔しないものを」という注文がありました。現にラッシュ(撮影済みで未編集のフィルムや映像)を観ても音楽が入る余地が全然ない(笑)。これはもう劇を受け止めるような音楽を書かなければ駄目だなと。

 

-山田監督とは、これが初めてのお仕事ですね。

久石:
ええ。ですので山田監督とは何度もお話させていただいたのですが、そのなかでさりげなく、例えば僕の映画音楽の先生でもあった佐藤勝さんがおやりになった『幸福の黄色いハンカチ』(77)の音楽は良かったですね、とふると「いや、今回は違うんだよ」(笑)。つまり山田監督のなかで音楽プランは明快で、もはや『幸福の黄色いハンカチ』のクライマックスを盛り上げる音楽すらいらないんだと。僕は劇伴(映画音楽の劇中曲を指す業界用語)という言葉が大嫌いなのですが、要は劇の伴奏的に場面を盛り上げる音楽を監督は一切排除されている。だから音楽を入れる場所を探すのに時間はかかりましたけど、監督ご自身にブレが全くなかったので、とてもやりやすかったですね。

 

-冒頭のメインタイトルの後、次の音楽が流れるまで20分ほどかかります。全体の曲数の少なさにしても、久石さんの映画音楽キャリアとして記録的なのでは?

久石:
おっしゃる通りです(笑)。

 

-しかし、少ないながらも入る箇所は的確で、音楽が流れるごとにあの老夫婦の心情と呼応し支え合い、じわじわと相乗効果がもたらされていくのがわかります。

久石:
最終的にはお母さんが亡くなり、お父さんが独り残される。そのことをメインに据えて、そこに至るまでをどう行くかというのが、今回はプランとして非常に大事でした。例えば病院の屋上でお父さんが次男に「母さん、死んだぞ」と言うところまでは、ピアノを一切使ってないんですよ。逆にその後からは、ピアノを自分で弾いています。音楽が少ないからこそ、そのなかで効果的な変化をつけたかったんですね。

 

-エンドタイトルでは一転して音楽がカーテンコールのように高らかに鳴り響くのもいいですね。

久石:
エンドタイトルは山田さんが「今まで抑えてもらっていた分、ここは好きなだけ盛り上げてください」と。もっとも、ここだけそんなに盛り上げるわけにもいかないだろうと思って(笑)、ああいう感じになったんですけどね。

 

-『東京物語』(53)が「人生は無である」と説いた映画だとすれば、『東京家族』は「人生は決して無ではない」と説いている映画だと思います。だからあのお父さんが独りになって終わるラストも、厳しくはあれどこか明るい感触を受けますし、エンドタイトルの高らかな音楽はその後押しとして、観る者まで前向きな気分にさせてくれます。

久石:
そういう風に捉えていただけると嬉しいですね。僕も『東京物語』は大好きな映画なのですが、『東京家族』はそれと同じストーリーラインではありながら、やはり山田監督独自の世界観でしたので、こちらも特に意識することはなかった…と言いますか、先ほど申しましたように意識するどころではないほど大変だったわけです。今回は本当にオーケストラを薄く書いているんですけど、痩せないように書く方法とでもいいますか、その作業も難しかったし、40秒の曲を書くのに普段の3分以上の曲を書くのと同じ労働量を必要としました。でもその代わり、新しい技もいくつか開発しましたので、もう次からは何が来ても怖くない(笑)。何よりも今回は憧れの山田作品に自分の音楽を入れさせていただくことができたわけですから、本当に光栄でした。

(映画「東京家族」劇場用パンフレット より)

 

東京家族 久石譲 山田洋次

 

 

Blog. 映画『奇跡のリンゴ』(2013) 久石譲インタビュー 劇場用パンフレットより

Posted on 2016/2/28

2013年公開 映画「奇跡のリンゴ」
監督:中村義洋 音楽:久石譲 出演:阿部サダヲ 菅野美穂 他

 

映画公開にあわせて、映画館等で販売された公式パンフレットより、久石譲インタビューをご紹介します。

 

 

コンセプトは、”津軽のラテン人”でした。

-今回の音楽設計はどのようになされたのですか。

久石:
台本を読んだら、単なるハートウォーミング路線の映画ではなくて、しっかり人間が描かれていました。そこで、まず全体をつなぐメインテーマとして「リンゴのテーマ」のようなものと、夫婦愛が出てくるので愛のテーマが必要だろうと。それを一旦書いたんですけど、青森ロケを見学させていただいたときに幸か不幸か、木村さんにお会いしちゃいまして(笑)。あの天真爛漫さを出すには、もうひとつ別のテーマを作らなければいけないと思ったんです。そこから結構、悩みました。結果としてたどり着いたコンセプトが「津軽のラテン人」(笑)。オーケストラのほかにマンドリンとウクレレ、口琴(ジューズハープ)を使って、なんとか木村さんの陽気さを出せないかと工夫しました。どちらかというとイタリア的なラテン感覚ですね。そんな感じの明るさが音楽で出せたらいいなと。

 

-中村監督とのお仕事はいかがでしたか。

久石:
ノー・ストレスでした。最初に話し合いをさせていただいたときに、音楽の考え方の基本ラインがほぼ同じだったので、監督がどう音楽を扱おうとしているかについて悩むことはありませんでした。中村監督はご自身で脚本を書かれますから、全体の設計が明快なんです。多くの映画の場合、導入部でキャラクターや映画のトーンを語るのに30分くらいかかるものなんですけど、中村監督は十数分でやってしまわれる。そういう歯切れの良さ、語り口の潔さは台本の段階から感じましたね。これは見事だなぁと。ですから、これはいける、という手応えが最初から感じられましたし、音楽的にも入りやすかったですね。

 

-ご苦労された部分となると、どのあたりでしょうか。

久石:
夫婦愛やリンゴ栽培の難しさを描く部分と、木村さんのキャラクターをどう両立させるか、ですね。ジューズハープって、一歩間違えると漫画チックになってしまうでしょう。あと、山崎努さん演じる父親のラバウルの話をどれだけきっちり書くか、山へ木村さんが自殺を図りに行くくだりの長いシーンをどうするかという配慮は大変でした。何より、エンターテインメントに落とし込まなければいけない作品ですからね。実は観客が一番シビアにご覧になるジャンルです。中途半端なことをやってしまうと一発で見抜かれます。そういう意味では全力、かつ、できるだけ客観的に臨まないといけない作品でした。エンターテインメントは、しっかりした形で作ろうとすると、意外に手間暇がかかりますし、思うほど簡単ではないんです。この映画は、ちょうど昨年の7月からの3~4ヶ月で映画3本を立て続けにやった時期の最後の作品だったんですが、集中していた分、いいものができたのかなとも思っています。少なくとも、あの時点でできることは100%やったという実感は確実にあります。個人的には結婚式のシーンが好きですね。音楽的にもうまくできたと思いますし、とてもいい感じだなと、完成した作品を観て思いました。

(映画「奇跡のリンゴ」劇場用パンフレット より)

 

奇跡のリンゴ パンフレット